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発言小町

新しいトピを作成
本文です

他人の何気ない一言に助けられた<2>

みみずく
2010年5月7日 11:40

他人の何気ない一言に助けられた に感動しました!
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0419/309359.htm?g=01

昨日、ヤフーニュースに載ったからでしょうか?
あっという間にレスがたくさん付き、投稿が終了してしまいました。

もっと、みなさんが感動した一言を見たいので、せん越ながら
続きトピを立てさせていただきます。

よろしくお願いします。

トピ主さん、勝手にトピを立てたことをご容赦ください。

ユーザーID:8784562460  


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このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました。
タイトル 投稿者 更新時間
職場の責任者からの一言
ももりんご
2010年5月7日 12:52

このトピ読んでると涙が出てきます。私も参加させて下さい。
私は訪問介護の仕事をしています。
4.5年前、当時訪問していたお宅で、同じ失敗を2度してしまい、事務所の管理者から呼び出しがかかりました。
結局、その訪問先に、私はもう行けなくなってしまい、他でも失敗などをしていたので管理者から注意されました。
自分の失敗なので当たり前なのですが、自分が情けなくなってしまい、半泣き状態で、事務所を出ました。
事務所を出て、帰ろうとした時に「○○さん(←私の名前)」と呼ばれ、振り向くと、事務所内にいた別の責任者の方が走ってこられ、「一緒に頑張ろうね」と一言言って下さいました。
その時は、泣きそうだし、気分もどん底で、「はい」とうなずくのが精一杯でした。
でも、その一言が私には本当に救いのような一言で、今も同じ職場で働いています。職場の皆さんには本当に感謝しています。

ユーザーID:5313871305
アジアの一角で
暇人
2010年5月7日 15:17

東南アジアの某国に赴任したてのころ、なれない生活、仕事で疲れていたときに乗ったタクシーでした。ドライバーのおっさんが 「Are you Japan?」って聞いてきました。「イエス」と答えると、昔、日本にいてどーたらこーたら話かけてきました。内心うっとーしーな、と思いながら適当にあいずちうっていると「You know this song?」っと言って「しーんぱーいないからねー」っといきなり歌いだしました。おっさんは頭とサビしか覚えてないらしく途中はラララでごまかしていましたが、なんか楽しくなっちゃって一緒に歌ってしまいました。家に着いてお金を払おうとしたら「no need!, you make me happy!」って言って受け取ってくれませんでした。この国でよっしゃ、やるか!と思いはじめるようになりました。

ユーザーID:7957793041
駅の人ごみで
とん
2010年5月7日 17:22

お互いの事を何も知らず、これからも一生会うこともない他人なのに
心が癒され忘れられない。
そんな「袖すりあうも他生の縁」みたいなこのトピ好きです。

一言ではないんですが、
若い頃、旅行に朝寝坊、新幹線に遅れそうになり
東京駅を走っていて肝心の新幹線チケットを落としてしまった私。
後ろから同年代の若い女性が追いかけてくるので「?」と思っていたら
その人は何も言わず、私に落とした新幹線のチケットを渡すと
こちらがお礼を言う間もなく、逆方向に駆けて行きました。
慌しい通勤時間帯に必死で追いかけて届けてくれたOLさん、
感激して20年以上たった今も覚えてます。

もうひとつ、去年の夏でしたが、朝から仕事や人間関係の悩みで
頭いっぱいになりながら早足で駅を歩いてると後ろから
「あっ!ちょっとー」と大きな声。朝っぱらから大きな声出して、と
イラっとした瞬間、自分の持ってた帽子を落としたのに気がつき
「自分だ!」と振り返るとまさに光り輝くような素晴らしい笑顔のおばさんが「ハイっ」と落とした帽子を渡してくれました。
その笑顔に鬱々としてた気分がすっ飛び、「今日の神様に会えた!」と思った瞬間でした。

ユーザーID:4449424592
新幹線で
こりん星
2010年5月7日 22:15

ステキなトピですね。ワタシも参加させてください!

新幹線の乗務員さんに助けられた話です。

その日、1ヶ月前に倒れた母の死を
兄からの早朝の電話で知らされました。

東京で暮らす私は、実家へ帰る新幹線に飛び乗りました。
乗った瞬間、もうどうにも涙が止まらず、座席でも周りの方に迷惑かと思い、そのままデッキで立って泣いていました。

そこに、ワゴンサービスの女性が通りかかり「どうしましたか?」と、心配そうに声を掛けてくださいました。

大丈夫です、と言いながら涙が止まらなくなってしまい、「母が今朝亡くなり、座席に行っても涙が止まりそうにないので」と伝えました。

そんな迷惑なワタシに「少しお待ちくださいね」と優しく言い置いた数分後、車掌さんらしき男性と連れ立って女性は戻ってきました。

そして「どうぞ遠慮なくお使いください」と、デッキ脇にある個室のドアを開けてくださいました。降車駅を確認し「到着の頃、お声掛けしますので」と。

丁寧に御礼を伝え新幹線を降り、落ち着いてからHPに感謝の気持ちを書き込みましたが、1年経った今も忘れられない出来事です。

ユーザーID:4604919011
夫のひとこと。
bunbun
2010年5月7日 23:20

早産で予定日より4か月も早く子供を産みました。
全身麻酔の緊急帝王切開で、目を覚ました時にはすでに息子は運ばれていて対面することはおろか産声も聞けず。
早く赤ちゃんに会いたいけど、1000g以下で生まれたその姿を見たときに
自分が受けるショックが怖くて、逃げ出したいような…複雑な心境でした。

先に面会に行った主人に恐る恐る「どうだった?」と聞くと


「すげーかわいかった」

 とひとこと。


その一言でどれだけ救われたか。

実際には点滴やら人工呼吸器やら…
身体は手のひらにのってしまうほど小さいのに管だらけで。
だけど、その短いひとことで5か月のNICU生活を乗り越えられました。

一番頑張った息子は、今ではヤンチャな1歳です。
今夫がイビキかいて寝てる横でスヤスヤ寝ています。

ユーザーID:0904116639
親孝行とは
ひろ
2010年5月8日 12:05

数年前、父が他界しました。まだ50歳でした。

私は長男ですがまだ20代前半でした。
これから自立して結婚して子供作って・・・。
色々と親孝行して、父には楽しい老後を送ってもらいたいと思っていた矢先でした。

「何やってんだよ、親父・・・」と悔しい気持ちでいっぱいでした。

葬儀の日。
私の実家は田舎なので、葬儀は盛大に行います。
都会の方には想像がつかないかもしれませんが、
親族は本当に心身ともに疲れ果ててしまいます。

当然、喪主は長男の私でした。

そんな中、葬儀が無事に終わって、住職が私に言ってくれた一言

住職:「今日は○○さん(父の名前)の最良の日ですね」
私:「え?」
住職:「自分の息子が自分の葬儀の喪主を、これほど立派に務めてくれるなんて。
    父親としてこれほど嬉しく、また誇らしいことはないですよ。最高の親孝行です」

弔問客がいる間は泣かないと決めてましたが、
その一言で号泣してしまいました。

父が誇れるような生き方をすれば、それが親孝行になる。
これからも父に恥じないように生きていきたいと思います。

ユーザーID:8868846923
夢を叶えられる人だから携帯からの書き込み
一教師
2010年5月8日 20:36

大学受験の年、中学校の時の担任の先生に会いに行った。
成績が奮わず、模試はいつもE判定。
落ち込んでいた私に「いつでも勉強をみてやるから来なさい」と言ってくれた先生。それからずっと先生は、週末は勉強を教えてくれた。
先生はいつも「君は夢を叶えられる人だから」と励ましてくれた。
でも、私は知らなかった。先生のお子さんが大病をしていて、ずっと大変だったということを。
知ったのは、お子さんの通夜の日だった。私は申し訳なくて、ご遺影を直視できなかった。頑張らなくちゃいけない、先生のためにも。
奇跡は起こり、桜は咲いた。合格を報告したその時も先生は「君は夢を叶えられる人だから」と言ってくれた。
あれから十数年。
私も教壇に立ち、今、子ども達にこの言葉を贈り続けている。
先生、ありがとうございました。

ユーザーID:9312228599
「あなたは強い」と
2010年5月8日 23:14

二十歳そこそこの頃、摂食障害で大学病院に入院しました。
深刻な状態でした。
幼い頃からの親の暴力、親の離婚で追い詰められたことは自覚していましたが
こんな状態でさえ、家族の誰のことも悪く言いたくないと思っていました。
そして深く心を閉ざしたまま、
先生とのカウンセリングでも、本当のことを言えずにいました。

ある日、カウンセリング中に、「もっと強くならなければ」と呟いた私に
担当医の女の先生がこう言いました。

「あなたは十分強いじゃない。あなたは、家族の誰のことも悪く言わない。
強くなければ、とてもできないことだよ。」と・・・

堰を切ったように涙が溢れ、止まりませんでした。
その間、先生はずっと背中をさすっていてくれました。
先生、本当にありがとう。

その後、闘病の末に回復し、仕事も続け、先日結婚しました。
生きていてよかった。ありがとう。

ユーザーID:7818425925
その心の痛みは、宝物だと思います
abe
2010年5月8日 23:19

10代後半から20代前半にかけて、立て続けに身内を亡くしました。
当時は自分でも気づいていませんでしたが、後からよく考えてみれば自責の念でいっぱいでした。
めちゃくちゃな生活を送っていた数年を経て…

やっと学歴を生かせる職場につき、初出勤をひかえて某掲示板に
いままでの自分の気持ちをなんとなく書きなぐりました。

そのレスに、それぞれちがうひとたちが書き込んでくれたのが

・その心の痛みは宝物だと思います。
・自分に価値がないなんて言ったら、母ちゃんが悲しむぞ。
・心底へロヘロになったときは、無理せず休めよ…。
・その思いを忘れずに頑張ってれば、いつか必ず会えるよ…

モニターの前で、一読して号泣しました。
その仕事は辞めてしまったのですが、いまも闇金やら警察やら産婦人科やらのお世話にならず
なんとかやっています。

まったく見ず知らずの方たちからのお言葉ですが、当時からずっと励みになっています。
まぁなんとかやっていますし、これからもやっていきます。

ユーザーID:9589166939
生徒からの一言携帯からの書き込み
momo puku
2010年5月8日 23:58

念願の高校教師となり、初担任を任されたころ。

毎日毎日、遅刻、欠席、授業の中抜け、注意すれば文句を言うなど、やんちゃな生徒たちと向き合うことに必死でした。

授業も上手くいってないんじゃないかと自信を無くしていたある日、元気な男の子が突然「先生の授業なら1日何時間だって受けてもいい〜。だってオレ先生大好きだもん」と言ってくれたんです。

突然の告白に、クラス中から笑い声、私の心もすっと軽くなりました。

ありがとう。
やっぱり生徒はかわいい。天使たちに囲まれて働ける私は幸せです。

ユーザーID:7314428942
癌になったときに
胃がんサバイバー
2010年5月9日 11:29

30を過ぎて直ぐ、胃がんになり入院手術。
退院後、目にした言葉か、言われた言葉かも忘れ、誰が言っていたのかも既に思い出せませんが。

「人間の死亡率は100%だよ」

死ぬかもしれないという怖さと、抗がん剤の辛さといろいろな事を考えていた私の
凝り固まった気持ちをほぐしてくれました。

あぁ、そうだなぁ、誰でもいつかは死ぬんだ。
死なない人はいないんだ。
私がいつ死ぬかは分からないけれど、この病気かもしれないし、明日事故とかで死んじゃうかも知れないんだ。
本当は死と言うのは誰でも目の前にあるもので、普段は気にしていないだけで、当たり前に誰にでも訪れるものなんだ、っていう考えになったとたん、気が楽になった気がしました。

そのまま、10年が経ち、昨年結婚もして今年は子供が生まれます。
いつ死んでも後悔が無いようにと思いながら、そういう心配が薄くなると世の中に甘えて生活してしまいますが、いつも頭の隅に置いている言葉です。

ユーザーID:8195599112
ケガをしていた時に・1
カスミ
2010年5月9日 15:06

素晴らしいトピをありがとうございます。
前トピも涙しながら拝見していました。

私は最近脚をケガしまして、2週間ほど松葉杖での生活でした。
その期間、多くの方のご親切に触れて感激し
精神的にとても救われました。

・病院で杖をお借りし、その帰り道。大きなカバンを持ちながら
休み休みの帰宅途中に、通りがかりのカップルが「荷物を
持ちましょうか?」と言ってくださいました。

・同じ会社の方が、会社・病院まで車で送り迎えをして
下さいました。また、同僚の方が荷物を持って下さったり、
ドアを開けて下さいました。

・雨の日に松葉杖では傘がさせませんが、通院の途中に
傘をさしかけてくださった方が3人もいらっしゃいました。

・立ち寄ったコンビニの店員の方が、お店から5分ほどかかる
私の家まで、傘をさしかけて一緒に歩いてくださいました。

長くなりましたので、ここで一旦切ります。

ユーザーID:6130244155
ケガをしていた時に・2
カスミ
2010年5月9日 15:07

続きです。
・病院までの送迎バスの運転手の方が、乗降時に段差で
四苦八苦している私を見て「時間はあるから、ゆっくり
乗って下さい」と言って下さいました。

・また同じバスで、同乗者の方が乗降時に杖を持って
下さいました。

・同じマンションからデイサービス?に行かれるご婦人が
送迎車に乗せて下さり、駅まで送って下さいました。

・電車で転倒しそうになった時、両脇から見知らぬ方が
体を支えて下さいました。

長くなりましてすみません。
「一言」ではありませんが、人のあたたかさをとても感じました。
本当にありがとうございました!

ユーザーID:6130244155
一生忘れられない言葉
ステイシー
2010年5月10日 9:10

数年前、暴力的な彼氏と付き合っていました。何回も包丁を突きつけられたり、首を絞められたり、「今からお前を殺しに行く」と電話でいわれたり・・・警察や裁判所に行き、裁判所の仲介の元、私の前に二度と現れないという誓約書に彼にサインをさせて別れました。別れたあとPTSDだと診断されました。

彼と別れた後も悪夢などにうなされ、パニック障害で外に出れなかった頃、友達などに「もっと強くならないと」「もっと自分を守らなきゃ。どうして男にそこまで言わせるほど付け上がらせたの」などといわれ、私が悪いの?と自分を責め続けていました。

その後も自殺願望や手首を切ることがあり、半年間大学を休学し、実家に帰りました。そのとき出会った精神科医の先生が私の両親に「この子はとても強い子ですね。普通はお酒等に逃げたりするのに、この子はちゃんと過去と向き合って前に進もうとしています。」といってくださいました。両親も「そうなんです。」と言ってくれました。私の手前だったからかもしれませんが今思い出しても涙がこぼれます。
後日、この先生は亡くなられました。32歳でした。

ユーザーID:7515065950
考え方が変わりました
Naoko
2010年5月10日 16:17

私の母が、ある精神的病気でとても酷かった頃の話です。

常に悪態をつかれ、何をしてもののしられ、必ず私のする逆の事を望み振り回されていました。
実の母を捨てる訳に行かず、ストレスで胃腸炎になったり、膀胱炎になったり、高熱を出しても母の面倒を見ていました。

自分の子供もまだ小さかったので、毎日が慌ただしく過ぎて行き、私自身もボロボロになって来たときでした。
知り合いのおばさんに「ああ言う人は、何を言っても文句を言うのよ。自分のペースで、時間がある時に面倒を見るくらいでいいのよ。死にはしないから(笑」
と言ってもらいました。

霧が晴れるような感覚を覚え、自分が倒れたら駄目なんだと思い直し、体を大切にしました。
あの時、あんな風に笑って言ってくれなかったら、私もおかしくなっていたかも知れません。

ユーザーID:6590115144
いや〜外では読めませんわ・・携帯からの書き込み
地方出身者
2010年5月10日 17:20

前トピを家で読んで号泣し、今○ター○ックスで2があるのに気付いてちょっと読んだところ、早くも目がウルウル。続きは帰宅してからにします。

世の中まだまだ捨てたもんじゃないですね〜いい人いっぱいいるじゃないですか。

ユーザーID:7065807556
ウエイトレス
とも
2010年5月10日 17:24

のバイト(ファミレス)をしていた10年前。当時の私は先輩に怒ら
れてばかりいました。また、容姿に自信がなく、ウエイトレスには
向いていないのかなあ・・・と落ち込んでいました。

そんな時、他のバイトさんが「机の上に置いてあったよ。よかった
ね。」と紙ナフキンをくれました。なんだろうと思ったら、制服
を着た女子中学生(高校生?)の子達が座っていた席だったのですが、
「ともさんの接客にとても感動しました。私もともさんのようなウエイ
トレスになりたいです。ありがとうございました。」と鉛筆で書かれて
いました。

今でも覚えているくらいうれしい出来事でした。それから接客業がとて
も楽しくなり、今でも接客業ではないものの、人と接する仕事をしてい
ます。自分に少し自信が持てた日 でした。

ユーザーID:1014073300
ありがとうございます。
今日も泣く
2010年5月10日 17:42

前トピのふくろうさん、そしてみみずくさん、トピを立ち上げて下さってありがとう。

今、とてもしんどい私をまるで助けてくれてるみたいなトピです。
私にとってはここが「他人の何気ないトピに助けられた」です。

皆さんも、そして見知らぬ他人の皆さんも、本当にありがとう。
ありがとうございます…。

ユーザーID:4311090067
ハローワークで。
Ruri
2010年5月10日 18:56

結構前の事になってしまいますが、ハローワークで、転職先を探していて、面接を申し込む際、募集がかかっていて、募集資格は満たしているのに、面接を拒否され、一方的に電話を切られ、門前払いをされた事がありました。
しばらく二人呆然とした後、相談員のお姉さんは、『あんな非常識な所と縁がなくて良かったですね。貴女は前の仕事での経験があるし、即戦力になれますから、別のもっともっといい職場探しましょう!』と言ってくれました。プッと吹き出して笑ってしまいましたよ、思わず。確かにそれもそうだ、と。
あれから少しして、再就職先が決まり、今は充実して仕事をしています。あの時の相談員のお姉さんとは、相談窓口が混んでいてなかなか会えませんでした。この場を借りて、お礼を言いたいです。有り難うございました!

ユーザーID:4116911479
母からのひとこと
monkeygirl
2010年5月10日 21:09

小さい頃から割と厳しく、熱を出しても38℃以上ないと学校を休ませてくれないような母でした。
私が成長するにつれ、だんだん私が何をしてもあまり口を挟まなくなり、今では割と仲のいい親子です。

なので会社であった嫌なことや、嫌な先輩の話などもすれば聞いてくれるし、
こちらから話さなければ聞かないし。
会社が嫌で休みたいと愚痴れば、「休めばいいじゃん」と返してくれて
それだけで気が休まることも多々ありました。

ある朝、私はいつものように
「会社嫌だな、行きたくないな。休んじゃおうかな?」とグダグダ管を巻いていると、
「休んじゃえばいいじゃん」と母。
「昔は熱を出しても休ませてくれなかったのになぜ?」と私も聞いてみました。

すると母は、
「本当は休んじゃいけないんだけど思いながら休むならいいと思うよ。monkeygirlはまじめだから、罪悪感に苛まれるだろうけど。それが休むのが当たり前にさえならなきゃ、いいんじゃないの?」

その一言を聞いて、何となく気が楽になり、
それ以来会社をズル休みしたいと思うことはなくなりました。

ユーザーID:1020777908
父の言葉
もんち
2010年5月11日 1:03

出版関係の仕事で徹夜勤務も当たり前という日常を送っている私。
それでも子どもの頃からの夢だった仕事という想いが私を支えてくれて、愚痴も不満も感じていませんでした。
しかし大失敗。先方を激怒させ、上司にも迷惑をかけてしまいました。一気に自信喪失。かといって仕事を投げ出すこともできずに、深夜まで仕事を続けていました。
その時、普段は電話なんて掛けてこない父から一本の電話。
大した用事ではなかったのですが、声を聞いて、一気に緊張の糸が切れてしまい、非常階段で泣きながら「私には不相応な仕事なんだ。責任を取って辞める!」と言ってしまいました。
父は、黙って私の話を聞いていました。
「辞めるのはいつでもできる。頑張るのは今しかできんやろ。お父さんは、お前が逃げ出す子やないことを知っとる。目の前の石を頑張って退けたら、逃げんでも道は開けるんやから。それでも無理やと思うなら、いつでも帰ってきたらよか」
九州男児で口下手な父の言葉は、どんな慰めよりも心に届きました。
今も仕事に誇りを持ち頑張っているのは、父の言葉のおかげです。
ありがとう、お父さん。

ユーザーID:7356212326
母親の手紙
人生楽笑
2010年5月11日 2:53

先日、兄の結婚式での事。
2次会で母から兄への手紙が読まれました。
兄は知らされておらず、幹事さんがコッソリ母に頼み書いてもらったそうなのですが、
その手紙に心打たれました。

僕の家族は、母と兄と僕の3人。
父は母が27歳。兄4歳。僕2歳の時に病気で他界しました。
その頃、父の病気をどうにか治せないか母は毎日電話していたそうです。

しかし、それもむなしく父は逝きました。
母は27歳という年齢で僕らを育てて行くことになり、
お葬式でもどうしたら良いか分からなかったそうです。

出棺の時、何も分かってない4歳の兄が母親に
「お父さん天国に電話持っていったらええのに。そしたらお母さんの好きな電話で毎日お話できるやん」
と、無邪気に言ったそうです。毎日電話していたのを子供ながらに覚えていたのでしょう。

母は、その兄の無邪気ながらも優しい言葉を聞いて、頑張ってええ子に育てようと決心したそうです。

ユーザーID:9565976745
父の言葉、の続きです。
もんち
2010年5月11日 2:56

身内ごとで恐縮ながら、父親からの言葉を書かせて頂きました。
そこには続きがあって、それをどうしてもお伝えしたかったので、
続きを書かせて頂きます。

父親との電話からしばらく経って、元気になった私はまた仕事人間に戻っていました。
母親と電話でおしゃべりをしていた時に、教えてもらったことです。

「お父さんね、あの時夜勤中に電話してたんよ。電話切った後、ああは言ったけど娘はちゃんと頑張れるやろかって不安やったみたい。そしたら、あんたの声が大きくて電話の外に聞こえたんやろね、職場の人が声かけてくれたんやって。大人になった娘さんが泣き言言ってくれるなんて、幸せですねって。お父さんも嬉しかったみたい」

心がほっこりしました。

ユーザーID:7356212326
郵便局での出来事
よっくんママ
2010年5月11日 4:11

先日郵便局に行きました。とても長い列が入り口まで続いていました。
ぼーっと自分の番を待っていたところ、私の前にいた方が紙で指先を切ってしまったようでした。
私はいつもお財布に絆創膏を持ち歩いているので、良かったらどうぞ。
と一つ差し上げました。
その方はとても嬉しそうに、「今日は本当についていないと思ったの。でも貴方のおかげでいい日になったわ。ありがとう。この絆創膏、とても質がいいのだけれど、どこで買えるの?」と聞いてきたので、
「日本で買ってきたものなんですよ。」とだけ答えると、
「日本のものは本当にいいものばかりよね。貴方もいい人。」とおっしゃってくださり、お世辞でも嬉しかったのですが、それから列の後ろに並んでいる人たちも口をそろえて、
「日本製は何でも良いものばかりだよ!」と皆さん笑顔で言ってくれました。
他愛もないことかもしれませんが、私はアメリカに住んでいて人種差別を受けることも多々あります。そんなとき、日本人である私、日本の製品をこれだけ認めてくれる方々に会えたことが嬉しく感じました。

ユーザーID:9168475447
目頭アツいです。。。
らくだ
2010年5月11日 5:37

ネットをうろうろして偶然見つけましたが、
皆様の話しを読んでるだけで胸がきゅー!ってなりました♪

恥ずかしながらですが、自分の価値観を変えてくれた話を。


小・中といじめや嫌がらせを受けてたりで
そこそこ人間不信になり、上辺の付きあいで人との距離を
とるようになっていた高校時代。

誰にも頼らず自立したくて初めてバイトを始めました。
もちろん(?)そこでも最低限の仕事上での関わりしか持ちませんでした。

普通の人ならそういう人と割り切るんでしょうが、
そこの人達は真逆で、正面から説教してくれました。
『そんなんじゃ楽しくないだろ!○○ちゃんは俺らが変える!』って。

暑苦しいくらい熱く、『止めてくれっ』って思う程からんできたり。

でもそれがとても嬉しくかったんです。
そして人を頼ろうとしない自分に
『迷惑はかけるから迷惑っていうんだよ。だからもっと頼って迷惑かけてね♪』
あの時の自分には一番欲しかった言葉だったと思います。
夜とはいえ、街中で泣きました。

今でも感謝してふとあの時の人達を思い出します。

ユーザーID:6575596647
高校生の時
2010年5月11日 8:49

いいトピですね。どの話も泣けます。
わたしもありました。高校生の時、部活動でごたごたが続いていた時、何故かご飯が食べられなくなりました。まず、食欲がわかない。食べても吐きそうになる。

そんな日が2か月ほど続きました。

ある日、部員とご飯を食べに行った時、(あいかわらず食欲はありませんでしたが…)列の最後尾を歩きながら、部活のOBの先輩とメールをしていました。

私「なんか最近おかしいんですよね。ご飯が食べれないんです。」

そこでこれまでのことをメールしました。すると

先輩「そうか、お前、辛かったんやな。」と。

このメールを見たとき、初めて自分が辛かったことに気がつきました。辛いことに気がつかないほど自分はおかしくなっていたのだと。

その後、街中の道路だったにも関わらず(人通りはほとんどありませんでした)うずくまって泣きました。

泣いて、泣いて、そしたらすっきりしてもとに戻ることができました。

この場を借りて、先輩、ありがとうございました。

ユーザーID:0126172593
隣のおばあちゃん
ちーこ
2010年5月11日 12:21

一言、では無いのですが…

数年前、乳幼児の育児の大変さを痛感していました。
自由も利かず、元気な子供達。
若い母親だからとバカにされないよう、躾も大事だと気負いすぎ、
いつしか、叱るが怒るに変わり…話し方も怒鳴り口調に…手も出す始末。
育児ノイローゼ気味だったと思います。
そんなある時、隣のおばあちゃんに回覧板を渡しに行きました。

「あら、こんにちは。おちびちゃん達は?」
「昼寝した所です。」
「そう、あなた偉い偉い、子供達もいい子いい子。偉い偉い」
「いやいやいや!いつも怒鳴り声聞かせてしまってすいません」
「えっ?何も聞こえない聞こえない。そんなの気にしない気にしない。」
「ホントすいません(絶対そんなはず無いのに…)」
「あなた達大好きよ、今度お茶でも飲みにいらっしゃいね。
 もちろんおチビちゃん達も連れてね。コレ、お口汚しに貰って頂戴?」

と、近所で並んで購入したであろうお菓子をくださいました。
子育てに自信喪失し、迷走していた私を心身共に元気にしてくれました。
今はこちらが近所に引越したのですが、敬老の日には必ずお土産を持って
遊びに行くようにしています。

感謝!

ユーザーID:6563450704
電車のホームで
coco
2010年5月11日 13:25

素敵なトピ、私も参加させてください。

看護師として就職して間もない頃、仕事で辛いことがあり落ち込んでいました。一人じゃどうしても心を支えきれなくて当時付き合っていた彼の部屋へ向かおうと電車に乗りました。休日の朝早い時間、電車も人がまばらです。
ホームで彼に電話をかけるも、「ごめん、今来られても困る。」と拒絶。
ただそばにいたかっただけなのにやっぱり迷惑だったかな、とその場で泣き崩れてしまいました。
どうにも心細くて周りに人がいないのをいいことに、一人うずくまっていたんです。10分くらいしていつまでもそうしていられないと立ち上がったときでした。

スーツをきたおじさんがペットボトルのお茶を私に差し出して、「明日はいいことあるよ!」と言って、手を大きく振り立ち去っていきました。寒い日の朝、お茶は「温」でした。
温かいお茶と一緒に、温かい気持ちをいただきました。

私もさりげなく人を励ませることができたらいいな。

ユーザーID:4448125321
祖母と交わした最期の言葉
やっこちゃん
2010年5月11日 13:33

身内のお話で僭越ですが祖母のお話です。
私は事情で親がおらず祖母には母代わりで育ててもらいました。
自営をやっている祖母宅には先住の長男夫婦(私の叔父夫婦)が住んでいて
叔父嫁が私を気に入らなかったようでイビリ倒されていました。
「あんた(私)は幸せになれない、親がいないんじゃ結婚も無理、
お可哀想だこと、ふん」と嘲笑いされました。
1人暮らしを初めて23歳の時、電話で祖母に「将来、私なんて結婚無理だよね、親がいないし実家もないし。身の上話打ち明けたら逃げられるね」と聞きました。
祖母は「そんな事ない。やっこちゃんを愛する人は必ずいる。逃げて行く人は本当の愛じゃないよ」と言ってくれました。
それが最期の会話でした。
祖母亡き後、数年して、祖母の言う通り、身の上話をした時に私の目を見てプロポーズしてくれたのが今の夫です。
私側の親族列席者ゼロで彼と彼親族に見守られ結婚をしました。
祖母が天国から祝福をしてくれていたと思います。

ユーザーID:4200073564
若い頃
みか
2010年5月11日 13:37

嫌で嫌でしょうがなかった職場を、それでも何とか2年勤め退社し、その後働くのが怖くて4ヶ月ほど無職で過ごし、そろそろ仕事探さなくちゃと派遣登録に行きました。

簡単なテストを受け、早速紹介したい仕事があるということで話をしていると、その係の女性が
「あなたがいるだけで、そこがパア〜ッと明るくなるわね。」
と言ったんです。

その頃の私は自分に自信がなく、苦手なサービス業で2年働いた反動で人には会いたくなくて半分引きこもりのようになっていた時期だったので、その言葉は本当に意外で、でも暗くていてもいなくてもどうでもいいんだろうなと思っていた自分を、そんな風に見てくれる人もいるんだとなんだかうれしはずかしの気持ちでした。
暗い気持ちを打ち明けて励ましてもらったというのではなく、本当に何気ない一言だっただけにうれしかったです。

結局その仕事はお受けしなかったんですけど、その言葉を支えに自分にぴったりの職場を見つけることが出来、今ではお局になってます。
仕事に行くのが楽しいと思える職場に出会えたのは、あの時の一言のおかげだと、今でも感謝しています。

ユーザーID:7867139031
50歳からの就活
ボム
2010年5月11日 14:30

20年経営していた会社が倒産しました(家族経営)
家も車も売り少ない預金も借金返済にあてました
倒産のゴタゴタで家族はバラバラになり母は私が引き取ることになりました。

でも悲しんでる暇はなく働かないと食べていけません
幸い私は専門職の資格を持っていたのですぐに仕事がみつかると楽観してました
女50歳独身・・・どこにも居場所はありませんでした
履歴書を送っても送っても返送され電話で年齢を言うと「はぁ?」と聞き返されます(泣)
どの業界でも30代が1番ほしい人材だったのです私も人を雇う立場だったので解っていたはずなのに甘すぎました
そのころ母ともうまくいってなく疲れた体で家に帰て母の顔をみるのも苦痛でした

希望の職種は諦めて派遣社員として働くことにしました
面接に行った時の事 派遣会社の30代男性は履歴書をみて顔を上げ一言「若く見えますね」とニッコリ
面接の帰り道夜空を見上げ「負けるもんか」と叫びました(笑)

その後彼が紹介してくれた会社に派遣社員として働き今では小さいながらも自分の店を持てました
あの時の彼の笑顔が忘れられません

ユーザーID:9118754599
よくがんばったね
李すもも
2010年5月11日 15:36

素敵なトピに私も参加させてください
10年くらい前、離婚やらリストラやらで、毎日死ぬことばかり考えている時がありました。
そんな時、ふと目にした本に載っていたカウンセラーさんの笑顔に惹かれ、住所もそう遠くなかったので連絡をとってお会いしました。
カウンセラーさんは私の話を聞いてくださり、「そんな状態で結婚生活送ってたの?よくがんばったね」と言ってくれました。
初対面の他人が私の辛さをわかってくれた、と時間中泣いてしまいました。
そして、つい先日出入りの営業の人に、実は転職先をさがしている。と話したところ「ここはキツイからなあ。いいとこあったらすぐ教えてやるよ。よくがんばったな」と言ってくれたのです。
思わずトイレに駆け込んで泣きました。
二人ともただの商売口だったのかもしれませんが、私はものすごく嬉しかったです。
ありがとうございました。この場でお礼を言わせてください。
ほんとうに、ありがとうございました。

ユーザーID:6481718462
産科医の一言
もう高校生
2010年5月11日 16:04

17年前、3週間早く2000グラム弱の長男を産んだ時。

色々心配でしょんぼりしていたところ・・・

「うちの息子も早産児だったけど、今では僕が見上げる程に大きくなったよ。心配しなくても大丈夫。楽しみにしておいて。」 と、言ってくださいました。

お陰さまで息子も大きく成長しました。痩せてはいますが超元気です。


あの時は先生に助けられました。

そして今日は再び懐かしく幸せな気持ちになりました。

トピ立ててくださって感謝しています!

ユーザーID:1065163332
主人の言葉
まく
2010年5月11日 18:13

私もつい最近に主人の言葉に涙がでました。
私は今年も、手術を勧められています。(別の病気で半年もたたないうちに)
去年は4回も手術をしたので、もう今年はよい年にするぞという矢先でした。今度はかなり落ち込んでいます。
というよりは、去年も去年の手術のことでうなされ状態でしたが、今年になってよけいにうなされ状態にいます。
毎日のように明け方に手術のことで起こされ、うなされ状態なのですが、
いつもそばに主人がいて、主人のほうが大変なのに支えてくれています。(明け方いつも起こしてしまっています。)

私ってよいことないよね。これからどうなってしまうのかな?
いっそう、死んでしまいたい。このままの状態だと死んでしまうのかな?

そしたら主人が、生きていればよいことあるよ。死んではいけないよ。
よいことつくってあげないと・・・とひとりごとのようにいってくれました。

よいことってつくることなんだって・・・
こんなに悪いことがあっても生きていればよいことがあるかもしれないのだと思えてきました。
こんな私でもいやがらずに支えてくれてありがとうと素直に思えた瞬間でした。

ユーザーID:0672831904
となりのベッドに入ったおばさんの一言
まく
2010年5月11日 18:44

昨年に入院して手術をしたのですが、かなりひどい状態で手術が終わって病室に戻るやいなや、麻酔から目が覚めたら、かなりの痛さでころげまわって
痛い痛いの大騒ぎをしていました(我慢ができないほどの痛さでした)。
自分ではわからないのですが、夜中じゅうも大騒ぎをしていたと思います。

丁度、私の手術の日にとなりのベッドに新しく入った年配のおばさんが、
あいさつをしようとしていたのですが、あまりにも私が痛がっていたので、次の日にわざわざ、
「昨日あいさつをしようと思ったのですが、痛がっていたので」と言いにきてくれました。
私が、「昨日は騒いでしまってすみませんでした。入ったばかりなのに寝られなかったでしょう」といったら、
その方が、
「大丈夫です。子守唄のように聞こえましたから・・・」と。
その言葉でなんだか、ホット笑いに変えられてしまい、安心しました。
と同時に何日か入院生活をご一緒させて頂くにあたり、
これからの入院生活が楽しくなるのではないかと思えた瞬間でした。

もちろん、この病室の人たちはすべてよい人ばかりで、楽しく、飽きない入院生活が送れました。

ユーザーID:0672831904
バスでの出来事
にゃんこ
2010年5月11日 20:47

本題から少しズレて自分が助けられたわけでなく
どちらかというと「心にジーンときた言葉」なのですが。

都内のバスに乗っていた時のこと。

ここの路線はよく
某有名私立大学付属の初等科の児童が乗車してくるのですが
座席を独占したり、大声でベラベラと
これまでは正直マナーが悪くてイライラし通しでした。

ある日、一人の児童が乗車してくると、定期券をかざす際に
バスの運転手さんに
「お願いします!」
と元気よく伝えたのです。

その後、降車駅に着くとその児童は
「ありがとうございました!」
とこれまた元気よく感謝の気持ちを伝えていました。

なんだかキュンッときましたね。
「今時の子どもは・・」と半ば見下していた
自分に少し反省です。

きっとバスの運転手さんだって
とても心が励まされて
「今後も安全運転で頑張ろうー!」
って気持ちになれたんでしょうね。

ユーザーID:4067025925
暖かい一言携帯からの書き込み
あい
2010年5月11日 21:06

主人が夜中、発作で倒れ、医師から脳腫瘍である事を告げられました‥取り急ぎ着替えをと、
タクシーで自宅へ向かう途中、運転手さんに話しかけられ何げに事情を話したら、
「私の知り合いの方も同じ病気で倒れたんですが、今は社会復帰してます。大丈夫ですよ きっと良くなりますよ また元気になりますから」そう言って帰り際 飴を2つ頂きました。
大丈夫の言葉がすごく嬉しくて涙が止まりませんでした

ユーザーID:6780134741
病院で携帯からの書き込み
ふくろう
2010年5月11日 21:37

みみずく様、トピを引き継いで下さってありがとうございます。今日<2>があるのに気づき、さっそく今あるレス全てを読みました。
前トピでもそうでしたが、やはり皆さんのレスを読んでいると不思議と気持ちが軽くなります。

そこで、私も最近あったことを一つ。
中々子供が授からず、この前意を決して不妊治療専門の病院へ行きました。
自分の不妊を認めたくない…検査は痛いのかな…原因は私かな…等不安いっぱいでした。
そして診察室へ入ると少し怖そうな先生が検査の流れ、一般的な不妊の原因等を説明して下さいました。きっと説明を聞いている時の私は緊張して怖い顔になっていたと思います。
説明が一通り終わった後、真面目な顔をしていた先生はいきなりニッコリ笑って、『大丈夫。しっかり検査するからね。若いのに子供欲しいって偉いね』と言って下さいました。
また泣きそうになりました。
これから治療頑張るぞ!!と思える言葉でした。

ユーザーID:4975592187
上司の言葉
はと胸
2010年5月11日 21:53

先輩に失恋して呆然自失の毎日。

注文を受ければ数を間違える、発注すればサイズを間違える。

私の失敗でお客様に怒られてしまった上司に
申し訳ございませんでした、と頭を下げた時言われた言葉
「俺のこんな軽い頭なんていくらでも下げられるんだから、
 客に怒られる位どうってことない。
 そんな事気にしないで、早く元気になれ!」

部下の手柄は大きく褒めて、失敗は責めずにフォロー・アドバイスする
「どこまでもついて行きます!」と思わせてくれる上司でした。
私の「先輩像」の見本です。
私も後輩を持つ立場になりましたが、後輩から見て
私はどんな先輩なのかな?なんて時々考えます。

ユーザーID:8679889548
タクシーの運転手さん
ねと
2010年5月11日 22:28

 子供の時から私の母は仕事をしていて、いつも家に居ておやつを作ってくれたのは祖母でした。大人になってからも田舎のものなどを送ってくれたり、いつも私を心配してくれ、結婚をだれより喜んでくれました。
主人の仕事でドイツに住むようになってからも日本のものを何かと送ってくれて、寂しくないようにしてくれたものです。
 その祖母の急な訃報に急いで帰国しましたが、成田についてから飛行機、JRとまだ数回乗換えが必要で、遅れると葬式にも間に合わなくなり最後に顔も見られなくなると必死でした。
空港から乗ったタクシーの運転手さんにJRの時刻を言い、葬式に間に合わなくなるので・・と言うと出来るだけ頑張ってみるよと言い、急いでくださり電車の出る数分前に駅に到着しました。支払いを済ませると「私が荷物を持っていってあげるからあなたは走りなさい」といって大きいスーツケースを持って後を追ってきてくれました。出発のベルと同時に乗り込むことが出来、なんとか家に帰り着き最後に祖母と対面することが出来ました。タクシー会社も名前も覚えていなくて御礼も出来ませんでした、運転手さん、あの時は本当にありがとうございました。

ユーザーID:6741360809
助産師さんと掃除の人携帯からの書き込み
ママ
2010年5月11日 22:30

初産で、大きいと言われてた赤ちゃんが、思いがけず、小さくショックを受けてました。

産婦人科で、掃除のおばさんに、ウチノコも同じ位だった、大人になった今は大きいわ。

3ヶ月もすれば、しっかりしてくるよ。と言われ、ホント嬉しかった。


そして産後2ヶ月位に助産師さんが、見にきてくれ、母乳育児や、思い通りにいかず、あれこれ大変と言ったら、大変と思ったら、大変。赤ちゃんはそれが、当たり前。そう思えば大変じゃないよ。


わりとナーバス気味の私に2人の言葉に助かりました。

一歳になり大きくなりました。

ユーザーID:4528415521
今、まさに助けられています
NON=NON
2010年5月11日 23:08

ここ数年、他人に無関心な人間関係、大きく裏切られる出来事などが重なり
やっぱり東京は寂しい町だなあって思うことが多々ありましたので
みなさんの心暖まるお話を読んで、凍った心が溶けていくようです。ありがとうございます。

私は先日、電車の中でとても怖い思いをしまして… 
ブツブツ独り言を言っているアブナイ系のおじさんに、何もしていないのに電車内でからまれ
もう少しで、大怪我をするところでした。
アブナイ系のおじさんがいなくなった後、電車の中の人が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれましたが、
「大丈夫です、ありがとうございます…」というのがやっとでした。

そのことを友人に話すと、ポツリと
「そのおじさん、今までも、これからもずっ〜とそうやって生きていくんかなあ。
可哀想やなあ。そんなふうに生きてても楽しくないやろなあ。」
そう言われると、なんだか、それもそうだなあ…という少し楽な気持ちになりました。

でもやっぱりトラウマで、その日からずっと、怖くてその沿線の電車が乗れませんが…(苦笑)

ユーザーID:1236147810
母の言葉
でこちゃん
2010年5月11日 23:23

母の温かい言葉は何年経っても忘れることはできません。

小学4年生の時だったか、学期末に担任と母親との懇談会がありました。
決して成績が良いとは言えなかった私。きっと母にお説教されるに違いないと家で母を待っていました。
ところが、帰って来た母の顔はとても嬉しそうにニコニコしています。
母は私に笑顔で「先生は、『でこちゃんは優しくてとてもいい子ですよ』と褒めて下さったわ。勉強なんて出来なくてもいい。」
そこそこ教育熱心な母なのに、余程嬉しかったのでしょう。
あれから40年経った今でも、あの母の満面の笑みは心に焼き付いています。
褒めてもらって私も大きな自信となった気がします。

母は実の母ではなく、私が6歳のときに父と再婚をしました。
生みの親より育ての母と言いますが、我が子のように大切に大切に
深い愛情で育ててくれた母でした。
その母も今年の1月に亡くなりました。
「ありがとうございました。いつか貴女とまた逢えると信じています」

ユーザーID:7546404700
親ってスゴい。
南の島
2010年5月12日 1:03

ティッシュなしでは読めないお話の数々。。もうここ数日温かい気持ちにさせてもらっています。皆様ありがとうございます。

私も家族の話を一つ。

10年近く前、どうしようもない男と付き合っていた頃、私の容姿が明らかに男好みの派手な格好に変わり、生活も仕事もほとんどそっちのけでめちゃくちゃ。そんなある日、お酒呑んで派手な化粧もくずれてひどい顔で朝帰り、仕事も大遅刻(家族一緒に働いています)、普段滅多に怒らない父も流石に激怒しました。いい加減にしろ!朝帰りなんて何やってるんだ!と、言われると思ったら。。
「もっと自分を大切にしろ!」でした。。
親ってスゴい、かなわない、と心底思いました。

父がいないときに兄は、あとで謝んな、ってそっと言ってくれました。

私は家族あっての自分だと、改めて痛絶に感じました。

ユーザーID:6626256853
叔母の言葉携帯からの書き込み
叔母大好き
2010年5月12日 1:35

素敵なトピックありがとうごさいます
身内の言葉ですが、投稿させて下さい。

私は同性愛者です。(ご不快になられた方申し訳ありません)
その事が何時かばれてしまうなら、自分の口で言おうと思い、思い気って叔母に告白しました。(私は事情があり両親がいません)
そしたら、「やっぱり?」と
彼女は聡い人でしたので、薄々気づいていたようでした。ごめんねと謝る私に、
「謝る事じゃないよ。それにね、男の人でも、女の人でも、人を愛せるのは凄い事なんだよ」と笑って言いました
心の中の霧が晴れるようでした。私は、錯覚だとか、気の迷いとか言われると思っていたのに…

ありがとう叔母さん。何時か運命の人が現れたら、一番に紹介するからね。

ユーザーID:1529768646
夫の手携帯からの書き込み
あり
2010年5月12日 5:55

一言ではないのですが…

身内の死の知らせを電話で受けていたとき、あまりのショックで大声を上げた私に驚き夫が隣にきてくれました。
そして、すぐに事態を察知し手を繋いでくれました。
2人ともみるみる血の気が引いたのかな…
手がとても冷たくなりました。
私の身内のことで、しかも結婚してあまり経っていないのに私と同じ温度になってくれた夫の手。
震える私の手を同じように震える手でずっと握りしめてくれていました。

今でも何かあるたびに夫の手を触って元気をもらっているのは夫には内緒です。

ユーザーID:0103314689
結婚の時
メモル
2010年5月12日 11:40

主人と知り合い付きだしたとき、すごくいい人でこの人になら付いていけそうとは思っていたのですが、ただ一つ全国転勤がある仕事で、2年に一回くらいのペースで引っ越しがあると聞き、それまで一度も引っ越ししたことのなかった私はすごく不安になりました。

当時お茶・お花・着付けを教えていただいていた先生に、お茶の練習のときに、ちょっと愚痴ったんです。
すると

「大丈夫、大丈夫、メモルさんなら、アフリカの奥地に言ってもやっていけるよ。
きっと友達いっぱいできて楽しく生活していると思うよ」

と言ってくださいました。

思わず、なんでやねん、いくらなんでもアフリカの奥地は無理でしょう!と心の中で突っ込みながらも、こころがずっと軽くなっていくのを感じました。

それ以来、結婚12年間で引っ越しを7回しましたが、引っ越しをするたびに、この言葉を思い出してがんばれました。

先生、あの時はありがとうございます。
おかげで、引っ越しをするたびに友達にも恵まれ、今現在も幸せにしています。

ユーザーID:4273823908
身内の話ですが
sakura
2010年5月12日 15:02

留学中、極貧のアメリカ人の彼氏と付き合い始めた頃。
本当に貧乏学生で一日一食だった彼氏と一緒に、いつものように二人でスーパーに買い出しに行きました。セール中の食材の値段を必死に計算しながら買い物をし、会計を経て外に出ると、
そこにはホームレスのおじさんが、、。
私は何気なしに通り過ぎようとすると、彼氏がおもむろに紙袋からフランスパンを半分取り出し、
『ハッピーサンクスギビング』と言っておじさんにパンを手渡しました。動くとおなかがすくので家から出ない(笑)が口癖だった彼氏。こんな状況でさえ他人を思いやれる彼に心を打たれ、自分を恥ずかしく思いました。あれから3年、彼は職につき、晴れて一日三食生活デビューですが、、今でもあのときの事を思い出し彼をいっそう好きになります。

ユーザーID:4919589491
バスで、、、
やんきばば
2010年5月12日 15:19

もう随分昔の話ですが。
私が通勤に使っているバスの時間帯にはよく知的障害の方と乗り合わせます。おそらく通学時間と重なっているのでしょう。そしてその子は誰彼かまわず手を触って歩くのです。いつもこの時間に乗る方々は慣れてはいるもののその子が寄ってくると避けて見て見ぬフリ。そういう私もどうにも出来ないまま奥に乗り込み様子を見ているだけでした。

いつもの様に混み混みのバスにその子が乗ってきて、あちこちで「きゃ!」という声、嫌な顔をしながら様子を見ているという風景。

ふと空気が止まりました。その子がある人の所で止まったようなのです。会話が聞こえました。「手をつなぎたいの?」覗き込むとその女性は自分の手を握る彼の手を上から包むように握っています。「じゃあ手をつないでいよう。皆は驚くから私でいい?」そういうとその子は大人しくじっと彼女と手を繋いで楽しそうにバスに乗っていました。

すごい!!涙が出ました。そしてある駅前につくと皆もその子達も降り、その女性は彼にバイバイしていたのです。そしてなんとなんと、、、それは私の娘でした!涙が止まりませんでした。

※気を悪くされた方がいたら御免なさい。

ユーザーID:3050339255
結婚式の前日
hiyoko
2010年5月12日 15:43

4年前、彼の母国で結婚式を挙げました。
日本から来てくれた親戚や友人の送迎や観光の手配、
彼の親戚や友人達に挨拶、結婚式、披露宴の打ち合わせと大忙しでした。
そうして迎えた結婚式の前日、気が抜けてしまったのか、
夕食後レストランからの帰り、涙が止まらなくなってしまいました。
結婚式前日に新郎に会うと運が悪くなるからとその日は彼にも会えず、
その上に、異国にいる不安、家族と離れる寂しさ、いろいろあって。
一緒にいた友人たちが慰めてくれると、いっそう悲しくなり。。

そんな中、見知らぬ男性が話しかけてくれました。
「私ももうすぐ結婚する予定なんだ。幸せなのになぜ泣くの?明日、挙式の時間は何時?その時間にあなたのことを考えるよ。」

見知らぬ人にこんな温かい言葉をかけてくれる人がいる国にお嫁に来るんだと、心が晴れた思い出があります。

ユーザーID:2974193200
性に合ってるわ。
ルル
2010年5月12日 16:29

前回のトピで思わず涙があふれた一人です。
私は何かあるかなぁと考えた時一番に思い出しました。

やんちゃで暴れん坊で手がかかる息子。
なんでうちの子はこうかなぁ、と悩んでいた頃
主人の実家への帰省しました。

大人しく良い子な姪っ子がいない時に義母がそっと
私に言ってくれました。

「私にはこういう元気いっぱい子の方が性に合うわぁ。」

男二人と女一人の3人育てた元気なお母さんの言葉。
今でもその言葉だけで頑張れる気がします。

ユーザーID:9384508142
前トピのドリカムさんへ・・・
かじき
2010年5月12日 16:47

ええ、世の中には天使も神もいません。

いるのは、あなたの心の中にです。
いずれ他の方の心の中の天使があなたの心の中の天使の存在を気づかせてくれることがらがおきますよ。
そのときに気づかずにスルーしてしまわないことを願って止みません。
他力本願でなく、自分から「人にしてほしいと思ったことを自らする」ということを選択してもいいですね。

そのときに気づきます。
ああ、ここにいたんだ・・・って。

横ですみませんでした。

ユーザーID:3009439360
負けるもんか!
ようくん
2010年5月12日 17:23

私は29歳のとき、脳梗塞で母を亡くしました(今は30歳後半です)

大学4年の時に倒れて以来、決して泣き言を言わない強い人でした。

最後の入院となったときです。入院後徐々に病状が悪化していきました。
入院生活のほとんどが植物状態でしたが忘れられない言葉があります。

それは最後の入院となってまもない頃、お見舞いに行くと母は車椅子に乗っていたので
私は心配して「頑張れよ」と後ろから声をかけました。
すると、振り向いた母が私に言いました。

『頑張れよ』

その後すぐに病状が悪化してしまったので母と最後に交わした言葉となりました。

母の死後、悲しみから抜け出せずにいた私は自宅介護していた祖母の前で泣いていました。
すると祖母は「『負ーけるもんか!』と気持ちを強くしなさい」と言いました。

母も祖母もこの世にはいませんが、嫌なこと・辛いことがあると、この言葉を思い出し、
こう思うようにしています。

母や祖母はあんなに辛いことに耐えて頑張ったんだ、それに比べればこれくらい大したことない!

一生忘れることのできない大切な言葉です。

ユーザーID:6270179937
幸せになるためです
バックパッカー
2010年5月12日 17:50

人生に絶望し、自分自身存在を見失い、
生きる意味を見つけるために、インドを旅していました。

ブッタガヤで出会った日本寺の住職様。

「『生きることは苦である』とブッタは悟ったのに、なぜ人は生きるのですか?」
当時の私は生きることが『苦』であるならいっそ死んでしまえばいいのに。
そんな風にしか考えられず、こんな質問をしてしまいました。

しばらく黙り、ゆっくり考え
「幸せになるためです」
そう一言だけ答えてくださいました。

特に何を語ったわけでもなく、身の上話をしたわけでもなかったのですが、
「いろんな答えがあるのですが、今のあなたにはこれが答えのような気がして」
そうおっしゃっていました。

こんな私でも幸せになっていいんだ。
誰かを幸せにするためではなく、自分が幸せになるために生きていいんだ。
そう素直に思えた瞬間でした。

その日から自分の人生を前に進めたような気がします。

ユーザーID:1212453285
迷子犬を
ケロヨン
2010年5月12日 20:14

やんきばばさんのお話、素敵です!!


数年前、雷と大雨にびっくりしたのか、田舎で飼っているゴールデンレトリバーが家を飛び出し行方不明に。私は離れたところにいたので母がパニックになり町内中を探し回り、放送などもかけてもらったけど見つからず。夜になってダメもとで警察に電話したら届け出があったとのこと!
すぐ引き取りにといくと「あー、届出人の女性が家で預かってくれとるよ。明日になったら保健所に行くことになっとるんで」急いでその女性の家に行き、お礼、お礼、お礼。「あらー、お母さん来てくれて良かったねえ。でもおばちゃん、あなたのこと飼うつもりじゃったけん、ちょっと残念よ!」

その一言にホロリ。飼うって大型犬ですよ、それにおばちゃんもマルチーズ飼ってるのに。でも「ううん、こんなおとなしくって、賢い子なら平気よー。うちの子なんてキャンキャンうるさいし。大型犬っていいねー」おばちゃんの優しさと、持ち前の愛嬌と賢さでピンチを切り抜けた犬(昨年、天国に)に感動した瞬間でした。

ユーザーID:2022575191
他人ではなく、母の一言ですが。
無垢
2010年5月12日 20:23

当時付き合っていた彼と、同棲先の新居まで決まっていたのに大喧嘩し、涙一つこぼさず鼻で笑いながら「それじゃさよなら!」と言って別れました。
今となっては恥ずかしい限りですが、自分を保つ為の精一杯の意地でした。

でも後からじわじわと後悔がこみ上げ、数日後には布団の中で半日号泣。枕びっちょびちょ。
殆どご飯も食べられず、仕事中もずっと涙ぐみ、体重も落ちてひどいありさまでした。
でもこっちからは電話したくない!と意地張って、ボロボロだった約3週間。

ある夜、(実家暮らしだったので)事情を知っている母が「今後どうしたいの?」と聞いてきました。
何も気力が湧かなくて虚ろな私は、正直に、「彼と会って話がしたい…」と打ち明けました。
そこで母が言った一言。

「やりたいと思った事をやりなさい。行って来たら?」

その一言で私は立ち上がり「行って来る!」と言ったら、母は車で駅まで送ってくれました。
夜中に彼の家に到着、沢山話し合えました。

その後紆余曲折ありましたが、今は彼の妻として暮らしています。
あれからずっと、“迷った時はやりたい事をやる!”がモットーです。

お母さん、ありがとう。

ユーザーID:8404105432
産めそうですか?
エリンギ
2010年5月12日 21:34

ほんとこのトピやばいです。鼻ずるずるすすりながら(汚くてごめんなさい!)読んでます。

私は訳あって結婚せずに子どもを産みました。子どもの父親は絶対産むことを許さず、その時点で縁を切られました。大丈夫、絶対ひとりでがんばって育ててやる!と強がってはいたものの、私は内心とても不安でした。

初めて病院で診察を受け、妊娠が確定しました。私が未婚であることは書類でわかります。診察が終わった私に、医師がひと言、タイトルの言葉を言ってくれました。

私は「はい!」と返事しながら、とてもうれしくなったのを覚えています。その一言には「せっかく授かった大切な命です。丈夫な赤ちゃんを産んでくださいね」という気持がこもっているように感じられたからです。

無事に生まれた娘も、もう16歳。もう少しがんばります。

ユーザーID:7853440904
他人じゃありませんが携帯からの書き込み
うさ吉か〜さん
2010年5月12日 22:34

当時、4歳の息子を連れて離婚、実家に戻りました。
息子は昼間は幼稚園、私が仕事から帰ってくるまでは私の両親が世話をしてくれてました。
やんちゃ坊主なのでじじ&ばばをてこずらせていたある時、うちの父(じぃ)に息子は
「そんなに言う事を聞かないなら 出て行け。」と言われ、それに対し「ママと僕は行くとこないから、ここに置いてください。」と幼稚園の息子がじぃに言ったそうです。私の母から聞いた話しですが、小さいながらも息子が そう言った事に胸がいっぱいになりました。

ユーザーID:7696474587
バス停での一言
ポン
2010年5月12日 23:31

外国に住み10年余りが経ち。
人種差別の様な経験があったり、また言葉の問題などストレス満々の緊張状態、知らず知らずの内に”ハリネズミ”状態になっていた頃です。

そんなある日、バス停で隣の7才位の女の子が上目使いでジーッと私を見つめています。”またこの視線か、今度は何を言うのかな・・子供は正直だからね”と思っていました。
すると手を繋いでいたお母さんに向って”ママ、この人とっても綺麗なひとだね。”・・と。

ビックリしました、そんな事言われた経験は皆無の上におしゃれとは無関係の冴えないセンスに暗い表情、おまけにきっと敵意のガン見で見返していたと思うのに・・・。
心の中の氷の塊が溶けて行き、”何をそんなに気張っているの、ほら気楽に行きなさい。”と言われたようでハッとしました。

その時から人の視線をいつも否定的に取っていた自分、それにも増して気持次第で全てをポジテイブに変えられる事、人に対して心を開く事など徐々に気づかせてもらいました。今はホントに楽になりました、ありがとう。

ユーザーID:8999658882
息子の担任 1
ケロ
2010年5月13日 0:27

小学校高学年の息子は小さいころから落ち着きがありません。
高学年になった今でも毎日忘れ物をし、学校で授業をノートにとらない、参観会の最中でも途中から授業を聞かず自分の世界の中で遊んでしまう・・・・という行動をとります。

私のなかで「もしかしたら息子はLDまたはADHDかもしれない」という思いが最近強くなっています。

そんな中、担任の先生から個人面談で「今日、息子さんはひとつも忘れ物をしませんでした。お家に帰ったらほめてあげてください。」と言われました。
このとき私は「息子は高学年になってもそんなに忘れ物をしているのか・・・・」と不安になったのですが、先生は続けて「息子さんも忘れ物をなくそうとがんばっています。自分でも今の自分を変えたいと私に言ってくれました。私は学校で見守っていきます。お母さんもおうちで見守ってあげてください。」とおっしゃってくださいました。

ユーザーID:6942258150
息子の担任 2
ケロ
2010年5月13日 0:37

字数制限のため、続きです。


いままで、ノートをとらないことを相談しても、「家庭でちゃんとしつけてください」と言われるばかりで、「先生に確認してもらうことはできないですか?」とお願いしても「特定の個人だけにかかわっていることはできない」という返事ばかりだったので、今のクラスの担任のこの言葉には涙があふれました。

私は「高学年なのに低学年のような指導をお願いしてしまって申し訳ありません。」と涙ながらに頭を下げました。
担任は息子ががんばっていることをいまでも連絡帳で知らせてくださいます。


先生の数々の言葉に救われている今現在です
(LD・ADHDについては現在カウンセリングを受けています)

ユーザーID:6942258150
ありがとう
また来ます!
2010年5月13日 2:26

このような素晴らしいトピをたててくださって感謝しています。
もう涙、涙です。

主人の仕事の関係で昨年アメリカに来て、半年たったころ初めての妊娠がわかりました。日本で4年間不妊治療をしていて全然結果がでなかったのにアメリカに来て初めての自然妊娠に喜んでいたのも束の間、心拍が確認できず、流産を告げられました。内診台の上で泣きじゃくる私に担当の女性のDrが「I'm sorry...」と何回も言っていました。先生は何も悪くない、初期の流産は誰のせいでもないのに先生はひたすら謝っていました。先生も辛かっただろうな。。。いっぱい泣いた後帰る時、「絶対また来ます!」と言いました。
手術の時も、看護師さんに「私もあなたと同じ経験したことあるのよ、大丈夫よ」と励ましてくれました。とっさの言葉が出ず「Thank you」しか言えませんでしたが、今度はきっと分娩でここにくるぞ!と強く思いました。
 

ユーザーID:3146572392
仕事で疲れきっていた時携帯からの書き込み
ぽん
2010年5月13日 10:51

大学卒業後、自分の適性に反して就いた営業職。大人しい、つまらないと言われる自分を変えたくて飛び込みました。
元々不向きな性質な訳で、営業成績もふるわず、上司にも冷たくされていました。外回りの毎日が辛いのなんの。でも、何とか頑張っていた時のことです。
取引先の会社で課長さんに呼び止められ、
「頑張ってるね!いつも色々な情報提供を有難うね!」
と、小さな包みを渡されました。後でその包みを開けてみると、なんと!Z字型の可愛らしい鞄掛けのフックが! 営業で大きな鞄を持ち歩く私の為に、わざわざ下さった物でした。
声掛けだけでもウルッときたのに、ただの営業姉ちゃんにここまでして下さるのが有り難くて申し訳なくて、自社のトイレで30分ほど泣き続けました。
その後奮起し、落ちこぼれの私が表彰まで受けることに。

今はもうかなりのお年かと思いますが、課長さん、お元気かな…。

ユーザーID:8797754163
きらきらのビー玉
さくら
2010年5月13日 12:14

娘が小学1年生の夏休み、娘の通ってる学童保育での出来事
ふたつ上の学年でヨーロッパ系のお父さんがいるAくん
色白で少しポッチャリしてる事で同級生たちの間でいじめられていた様子
その日も一部の子供達が「Aは色が白くて気持ち悪いから一緒にお弁当食べない」
「そばにいると気持ち悪いのがうつる」などと言いお弁当の時間Aくんを仲間外れ
にし、いくつかあるテーブルにAくんは1人で座っていました

それを見た娘が「何が気持ち悪いの?私気持ち悪くないよ?一緒に食べよう!」
と言いAくんの隣に座ってお弁当を広げ、それを見ていた娘と同じ学年の子達が同じテーブルにやってきて一緒にお弁当を食べたそうです。
*上記の経緯は、学童の先生から聞いて知りました。

ある日、娘がとても綺麗なビー玉を光にかざしているのを見て、そんな綺麗なビー玉持ってたっけ?と聞くと「Aくんにもらったの。優しくしてくれてありがとうって言われて何の事か解らなかったけど綺麗だったからもらっちゃった♪

それを聞いた時、胸がキュンとしたことと娘が良い子に育ってくれて
良かったなとウルッときて娘を抱きしめちゃいました。

ユーザーID:3153596835
セミを逃がしたおじさん
わかめ
2010年5月13日 12:49

ある夏の日、都内で電車に乗っていると突然足元に激しい音を立てて何かが転がってきました。
ゴキブリか?!とびっくりして飛び上がると、なんと車内迷い込んだセミでした。外に出られずセミもパニック。他の乗客も後ずさりしました。

すると私の向かい側に立っていた汚れた作業着姿のおじさんが、大きな声で笑いながら「びっくりしたなあ!セミだったなあ!」と話しかけてきました。そしてひょいと素手でセミをつかむと「次の駅で逃がしてやるから」と。次の駅でホームに降りるとパッとセミを放しました。
セミは元気よく空へ飛んでいきました。

ホームにいた人はびっくりしていましたが、こちらを振り返ったおじさんは満面の笑顔でした。
思わず私も笑顔で頭を下げました。

建物の中に閉じこもりきりの仕事に追われて疲れていた頃。
セミを逃がしてくれたおじさんの笑顔と空に飛んでいったセミの姿に、なんだか涙がこぼれそうでした。私もあんな笑顔で生きたいと、強く思いました。
おじさんありがとう。

ユーザーID:7358255674
涙涙
なみなみ
2010年5月13日 13:58

子供が産まれて間もなくの頃、義母に
「あんたのような子が育てたらまともな子にならない。」と言われました。

子供を取られまいと、必死に育てました。

子供が一歳のとき、ベビーカーに乗せて出掛けました。
とても機嫌よくしゃべって(?)いるのを見た
通りすがりのおばあちゃんに
「あら、ご機嫌な赤ちゃんね。きっとお母さんがちゃんと子育てしているのね。」と声をかけられ、涙が止まりませんでした。

それ以外にも、近所の方が
「あなた、がんばってるね」と声を掛けてくれた時、思わず涙がでてしまいました。
ほんの一言、二言なのに、その人の今までの集大成の言葉がそこから湧き出てくるようです。


人を暖かくする言葉がすっと出てくる、
そんな人に私はなりたいです。

ユーザーID:4216045504
今まさに助けられてます
うにきち
2010年5月13日 16:02

実家へ仕送りをしなければならない状態になり、主人に相談しました。
自分達の生活だけでもいっぱいいっぱいなのに、実家のことで情けないやら申し訳ないやら。
でも主人は「そんなんオレがもう少し余分に働けばなんとかなるやろ。じいちゃんたちは好きにさせたれ。」

ホッとしました。結婚してほんと〜によかった!と声を大にして言いたいけど本人には恥ずかしくて言えません

ユーザーID:6211866070
姉から
としろう
2010年5月13日 17:37

私が義親と同居し、義親の過干渉に悩み落ち込んでいる時に


実親でも、イラッとさせられる事があるんだからイラッとして当然。


って言われました。
なんとなく、救われました。

ユーザーID:2553359407
手袋
みおりん
2010年5月13日 23:54

20年以上前の話です。その日は真冬で本当に寒かったのを覚えています。夜、なかなか来ない電車を待つのに駅のホームの椅子に座り、かじかんだ手をこすり合わせていました。すると隣に座っていた女子高生が自分のしていた手袋を外して私に差し出してくれたのです。言葉はありませんでした。こんなおやじに手袋をすすめてくれたその気持ちに、寒さなんて飛んで行ってしまい心が温かくなったのを今も忘れません。

ユーザーID:2226387207
息子を救った看護婦さんの言葉携帯からの書き込み
ウィング
2010年5月14日 0:47

10年位前、当時12歳の息子を白血病で亡くしました。
最後の頃は私も病室に泊まり込んでいました。

真夜中、ふと目が覚めると、息子と看護師さんが何やら話しているのが聞こえました。

「○○くん(息子)、しんどいやろ。でも、大丈夫やで。必ず治るからな。」
「○○くんは、自分しか病気の子知らんやろ。看護師さんは、何人も同じ病気の子知ってるから。みんなしんどいときあったけど、治って元気なってるんやで。」
「○○くんも、必ず元気なるわ。だって看護師さん、治る病気やって知ってるもん。」

息子は治療の副作用からひどい下痢をしており、一日30回以上もトイレ介助が必要な状態でした。
看護師さんは、ポータブルトイレに座る息子に、優しい口調で語りかけ、介助が終わると
「トイレじゃなくてもまた来るし。お母さん起こさんといつでも呼んでちょうだい」
と静かに出てゆかれました。

それから数日後に息子は天に召されましたが、あの言葉のおかげで、息子は絶望の中で旅立ったのではなく、最後まで希望を持てたのでは…と思え、親として救われる思いでした。

ユーザーID:5755456140
朝のニュースで
風と花
2010年5月14日 11:09

最近、ニュースに頻繁に取り上げられる、普天間問題。
ぼんやり、見ていました。

その中で、沖縄の女子高生達の、普天間問題についての話し合いの様子が流れ始めました。

「沖縄に、基地があるのは、嫌だ。でも、自分たちが嫌なものを、本土の人達に押しつけていいものかと悩む。本土の人に、こういう思いは、させたくないなと思う。」

心が、じんとしました。優しさ、ありがとう。
本土の一人に、わたしも含まれています。

あの子たちの辛抱があるから、私の今の静かな生活があるのだ、と単純に思いました。

人間なんて、本心は、自分やその家族さえ良ければいい。所詮、人生は、お金と権力がものを言う。・・・人として生きるって、案外、味気ないな。
私は、心の深いところで、思っていました。

でも、それは、違う。
幸福とか、自分の理想の生活からは、ほど遠いかもしれない。

でも、こうやって一日一日を、平和に、静かに、私が生きていることの裏には、見えない人達の、辛抱や、怒りや、涙の上に、成り立っているのだと。

感謝・・・。沖縄の女子高生、ありがとう。

ユーザーID:0274909378
もう20年以上前のことですが・・・
なり
2010年5月14日 13:20

心から好きになって結婚も考えていた彼女に振られて落ち込む日が続いていました。
職場での昼食時、その様子を見かねて話しかけてきた先輩に成り行きを打ち明けると「よかったなぁ、また次いけるやん!」と。
凹むな!次の恋をしたらエエねん!と背中を押して下さいました。

恋愛に限らず、何事についても前向きに考えられるようになった一言です。


※このレスは仕事中に読んではダメです!!! 涙目で接客することになりますから。

ユーザーID:1202491147
簡単だから
学生です
2010年5月14日 19:49

社会人を経て、再度大学に入りました。
会社勤めをしているときに知り合った人と付き合って5年目。
向こうは結婚したがっていました。でも、こちらは、自分の目指すところを今ここで投げ出すわけにはいかない。
こちらから別れを切り出しました。
相手が「そう、わかった」とすんなり。
進学しないで結婚していればよかったのか、自分のことだけ選んだ結果か、云々、久々に泣き明かして、友人に、別れた旨だけ短いメールを打ちました。

友人からの返信
「でも、彼氏は大学の単位よりも簡単に確保できるから、
いまは勉強一筋の時かもねー」

確かにそうかも・・・と思った自分、
どれだけ辛い学生生活なんだよ!!
と爆笑し、泣いているのが馬鹿馬鹿しくなりました。

その後浮き沈みしていますが、何とか前進できている気がします。

ユーザーID:6613097724
家庭教師の一言…
●子
2010年5月14日 21:36

素敵なトピですね!皆さんのを読ませてもらいましたが、どれも素敵な一言でジーンときました。

私にも自分の気持ち(考え方)を変えた一言があるので参加させてください。

小学生の頃、中学受験をするので、塾と家庭教師で毎日が勉強でした。
当時は勉強がイヤで嫌で…笑
『みんな遊んでるのに何で私だけ?!』といつも思っていました。

家庭教師の先生がいらしても、ぶすっとして…最悪な子供だったと思います。
その時先生に…『何の為に勉強してるの?』と聞かれました。
当時の私は、『やらないと親に怒られる…。』と答えたのですが、先生は、『何言ってるの?自分の為でしょ?自分の為じゃなきゃ勉強しなくていいから!!』と言われたのです。

言われた時は泣くしかなくて…。そして理解できなくて…。
案の定第一志望校には落ちました。
この時、『勉強するのは自分の為でしょ』と言われたのが少し理解できたような気がしました。

今でもこの言葉は忘れらないし、私を支える一言です。

ユーザーID:0932322623
年をとったら
2010年5月15日 2:07

私にも、忘れられない言葉があります。

仕事にも慣れて責任ある職務に就き始めた頃、
仕事のことやこれからの生き方、
周りとの関わり方・求められる自分の姿と現実の自分のギャップに悩んでいました。

そんな時、職場の先輩と話していたら、
「雪が思う、俺よりも雪の方が優れている部分でどこだと思う?」
と聞かれ、答えに困っていると、
「俺は優しさだと思うんだよね。」と言われました。
「年をとって、例えば60とか70とかになるまでそれを磨き続けたら、
お前の優しさはマザーテレサみたいになれるかもしれないって、
俺は思うんだよね」と。

たしかに、周りの人に「優しい」と言われることは多かったのですが、
それが私には「優柔不断」や「弱さ」のように感じることもあり、
悩みの原因でもありました。
でも、先輩のこの言葉で、
「これは私の長所なんだ」と思えるようになり、
辛い時も優しくあろうと頑張れるようになりました。

先輩は、今月いっぱいで職場を離れ、夢に向かって進まれます。
でもきっと、これからも、何度もこの言葉に励まされるんだろうな、と思います。
私の大事な、宝物です。

ユーザーID:4521558021
カーラジオから
もにか
2010年5月15日 19:25

30頃のことです。

27で始めた仕事が楽しくなり始めた頃。
まだ新人なので超激務で、家に帰ると化粧も落とさずリビングで寝てしまう、そんな日々でした。

当時結婚2年目。
応援してくれていた夫も、あまりの私のワーカホリックさに嫌気がさしていたのでしょう。
仕事を覚えるのと比例して、夫婦仲はどんどん冷えていきました。
家事もしない、夜の生活もない、家に帰ればリビングでだらしなく寝ている。
こんなのは妻じゃなくてただの同居人だ。
そんな言葉を年中投げかけられていました。

その日の朝も下らないことから離婚話に。
夫も大事、でも仕事も大事。
板挟みの私は本当にどうしていいのか分かりませんでした。
そんな時、出勤中の車でいつもかけていたラジオから流れてきた曲が、
ビートルズの「LET IT BE」。
なすがままに、って何て簡単そうで難しいんだろう・・・
歌詞が心に染みいり、号泣しながら職場に向かいました。

あれから5年。
全てが上手く進み、今も愛する夫と仲良く暮らしています。
仕事も少しセーブしつつ、以前よりずっといい仕事内容です。
あのときの歌はずっと忘れられない、自分の転機となりました。

ユーザーID:5391755420
がんばる方法
まりお
2010年5月16日 1:46

自身のブログでの書き込みの経験はありますが、他はありません。トピを毎日見て勝手に涙を流しています。

そのときの一言がこんなにも暖かく、そして長い年月をかけて本当の意味が分かる単純な言葉がそこにあったと思っています。

10年前に人生にへこんだ時期がありました。気がつくとおじさんに電話を掛けていました(今でも不思議です)。
そのおじさんは私に何も聞かず、何か察してくれたのか一言だけ私に言いました。


『明るく元気に頑張れ』


何故かその場で大泣きしました。
その一言で何かが変わりました。口では表現出来ない何かが。
私にとってこの一言はかけがえのないものです。

現在、会社の中での役目は「特攻隊長(死語?)」的な仕事内容です。
正直、一日一回は仕事が嫌になります。
そのときは、この言葉を思い出します。


『明るく元気に頑張れ』


10年後もこの言葉を思い浮かべて頑張っていると思います。
この言葉が大好きです。



『明るく元気に頑張れ』

ユーザーID:2777426164
お坊さんの言葉
ながれぼし
2010年5月17日 10:32

このトピで人間の心の温かさを感じて、ほっとさせていただいています。

私は二年前に、息子を急な病気で亡くしました。
一生懸命に助けようと夫とがんばりましたが、結局病に負けてしまいました。
まだ25歳の若さでした。
我が子の方が先に逝くなんて・・・と信じられぬ思いでした。
「もっと元気に産んであげればよかった」「もっと〜してあげてたらよかった」など、自分を責めて辛かったです。
そんな時、法要で来られたお坊さんが、
「誰が悪いというのではなく、定めだったのだと思います。
残された者は、彼を供養しながら明るく生きていくことが大事です。」とお話なさいました。
「定めだった」という言葉に、これは運命であり、どうしようもなかったのだと心が救われた思いでした。

毎日お仏壇に手を合わせ、写真に向かって名前を呼びかけ話しておりますが、優しかった息子を何かにつけ思い出し涙することが多い日々です。
それでも、根本的なところで救われた思いでいます。

息子はきっと私達を見守ってくれていると信じています。

ユーザーID:3175115622
義母からの手紙
姉さん女房
2010年5月17日 20:38

初婚の時のお姑さんは、夫の継母で、夫に対しても私に対してもひどいことをする人でした。

「占いによるとその女は筋金入りの腹黒い女だ。早く別れろ」そういう嫌がらせの手紙やファックスを送りつけてくる人でした。

私はうつになり、夫は自分だけ逃げて行方不明になりました。

その後離婚、私は40歳過ぎて再婚をしました。

今度のお姑さんに対して不安でいっぱいでした。
お姑さんは優しそうでしたが、前回のトラウマがあって心を開ききれないでいました。

再婚して初めての私の誕生日、私宛にお姑さんからダンボールが届き、開けてみると野菜や手作りのフキの煮物や郷土の名産品と一緒に封筒が入っていて、
「お誕生日おめでとう」のあたたかい手紙と一万円が同封してありました。
差出人は「母より」と書いてありました。

私は声をあげて泣きました。

実親からも夫からも誕生日にそこまでしてもらったことがありませんでした。

私は夫よりも実親よりもお姑さんが大好きです。

子供ができないかもしれない40過ぎの年増の私を、あたたかく家族に迎えてくれたことも、感謝してもしきれません。

ユーザーID:9968448958
叔母大好きさん
きなこ
2010年5月17日 22:45

>私は同性愛者です。(ご不快になられた方申し訳ありません)

どうして謝るの?不快になんてなりませんよ。

人は、誰かを「異性だから」好きになるのかしら?
そうだとは思えない。
あなたも、誰かを好きになるときに、その人が「同性だから」好きになるのですか?
きっと違うでしょう。好きになる人が、同性なだけでしょう。
人を好きになること自体、素晴らしいことです。
私はまったく人を好きになりません。
きっと「好き」という感情が欠落した人間なんだと思います。
人を好きになる心を持っていない私より、人を好きになれるあなたのほうが
ずっと素敵です。

すみません、でしゃばって。
でも、同性愛だからってみんなが批判すると思ってほしくなかった。
あなたに自信をもってほしかったので。

ユーザーID:9202778101
世界一!
katomoko
2010年5月18日 21:50

私ももう一つご披露させてください。

私は父が転勤族で、
2年おきに転校を続けてきたので、
同級生や先生の記憶はあまりありません。
でも一人だけはっきりと覚えている小学校の先生が居ます。

この先生の口癖が「君達は世界一素晴らしい!!」でした。

子供心にも「先生って大げさ」とはわかっていても、
褒められれば嬉しいものです。

先生に褒めてもらえるのが嬉しくて。
進んでいろいろな事をやりました。

仲の良い女子で相談して、
日直の腕章をちくちく手縫いで作ってきた時には
先生が大きく手を広げて
「君達は本当に素晴らしい!世界一だね!!」と
褒めてくれました。

皆ほほを染めて喜んでいました。
今でも昨日の事のように覚えています。

私が教員免許を取ったのも、
教師の端くれを務めているのも、
先生みたいになりたかったからです。
私も子ども達に「世界一!」と
言葉をかけてあげたかったからです。

こんな風に先生の気持ちがどんどん広がって、
皆を幸せにしていくような気がします。

きっとこのトピと一緒ですね

ユーザーID:0194755977
突然の電話に
Az
2010年5月20日 16:38

親元を離れ、他県の大学に進学して半年あまり経った二十歳の頃。
環境や大学に馴染めず、何をやっているんだろう、今までの自分は何だったのだろう、と毎日悩む日々でした。
地元に帰りたい、もう一度やり直したい、今の自分はダメな自分、と否定的になっていました。
進学を支援してくれている親にはなかなか気持ちを言い出せず、何の拍子だったか、ふと思いつき、
慕っていた地元のピアノの先生に思い切って電話をかけたのでした。
電話に出たのは先生の旦那さんでした。
突然の私からの電話に、
「おう、Azか!元気か?久しぶりじゃないか!」
そして、何かを察したのでしょうか、
「Az、俺はお前が大好きだ!大好きだからな!」
まだ何も話していないのに、何度も力強くそう言われ、思わず笑ってしまいました。
と同時に涙がぽろぽろと溢れ出し、悟られないように話すのがやっとでした。
良いことも悪いことも、すべてを包み込んでもらえたような、そんな不思議な言葉でした。
もっと自分を好きになろう、がんばろう、素直にそう思いました。

その後、無事大学を卒業し、自分を生かせる職に就き、今は元気に働いています。

ユーザーID:8096577681
父の言葉
りぃ
2010年5月20日 20:16

(文字数がオーバーしてしまうので、2回に分けさせていただきました。)

海外の大学に留学中です。

約12年前の9歳のとき、母を亡くしました。
高校2年で留学を考え始め、思い切って父に相談しました。
普段からすごく優しい父ですが、止められるだろうな…と思っていましたが、父の返事はただ一言「うん。頑張れ」とこっちが拍子抜けしてしまうような返事でした。

高校は卒業生のほとんどが大学に進学する進学校といわれるところでしたが、少しでも留学費用の足しにするために、卒業後1年間フリーターとして働いてそれから留学するつもりだと3年生になってすぐ当時の担任に伝えました。

私のフリーター宣言は問題視されてしまったようで、すぐに親を交えた進路面談が組まれてしまいました。

ユーザーID:7704540832
父の言葉 (続きです)
りぃ
2010年5月20日 20:17

学年主任と進路指導の先生、担任と父と私の5人で
先生方は私の留学を止めるのに必死でした。
「お父様からもご説得お願いします」と学年主任に言われた父が、

「10年ほど前に妻を亡くしました。それから娘には我慢やつらい想いをたくさんさせてきてしまったと思っています。
娘がこれほど強い意志を持って私にお願いをしてきたのは初めてです。
親として全力でサポートしてやりたいと思っています。
娘をとめるつもりはありません。」とキッパリ言ってくれました。

我慢なんてしてないよ…と思いつつも、こんな風に思ってくれてたんだ…と父の優しさに直に触れた気がして、涙が止まりませんでした。
今でも思い出すと目頭が熱くなります。

今一人で家に住んでいる父を思うとなんとも切なくなりますが、
父に恩返しするためにも、ちゃんと立派に卒業して胸を張って帰国したいと思います。

お父さんの娘でよかったよ。大好き。

ユーザーID:7704540832
小6の時の担任に言われたこと
酷い子供でした
2010年5月21日 8:05

小6の時、4年間闘病生活をしていた父が亡くなりました。
入院した時から半年の命だと言われ、4年ももったのが奇跡だったと、成人してから聞きました。

私は父があまり好きではなく、本心からではなくても「死んでいいよ」と思っていました。

ある日、授業中に伯父が来て、父が危篤だと知らせてくれ、病院に向かいました。
車の中では、「ごめんなさい。お父さんを連れて行かないで」とずっと思っていました。
病院についても、父の病室には怖くて入れず、待合室でもずっと謝っていました。
そして、本当に死んでしまった。私は自分のせいだと思いました。

父の葬儀も終わり、学校に登校した日の放課後、担任の先生から
「神様がOO(私)はもう一人前だと思ったから、お父さんを連れて行ったんだよ。」
と言われ、救われました。

それから私は、神様を裏切ることは出来ないと、まず母を思いやるようになりました。

今でも父に対して申し訳ないという気持ちはありますが、あの時、担任の先生の言葉がなかったら、私はきっと前向きにもなれなかったし、自分を責め続けていたと思います。

N先生、ありがとう。

ユーザーID:5764772681
バイト先の人事部長に
酷い子供でした
2010年5月21日 8:53

2度目の投稿です。

父が亡くなってから、私は本当にいろんな人に助けられてると思います。
そのもう一つのエピソードです。

ひとり親家庭なので、「お小遣いは自分で」と、高校時代はバイトをしていました。
私は勉強嫌いで成績は悪く、さらに見た目も残念な子でした。
学校で、軽くいじめも受けていて、ネガティブになっている時期でした。
就職試験前、バイトを辞める最終日、バイト先の人事部長から、

「試験は面接あるんだっけ?それならOO(私)は絶対受かるよ。もし落ちたら人事の見る目がないんだ。もし落ちたらうちに来いよ。やりたい仕事もやらせてやる。だから頑張ってこい!」

と言われました。

こんな私でもいいと言ってくれる人がいるんだ、しかも人事部長に言われたと、嬉しくなりました。
部長の言うとおり、私は希望した会社に入社することが出来、6年間、人に恵まれた環境で充実した日々を送ることが出来、人生のパートナーも見つけました。

自分が卑屈にならず、こうやって今、母として妻としていられるのも、根底にあの言葉があったからだと思っています。

ユーザーID:5764772681
助けたかも
ぴん
2010年5月21日 9:21

赤ちゃん育て中、バス停のベンチでおばあちゃんと隣になりました。
そのおばあちゃんと何でもない話をしているとき、膝の上の娘の手がおばあちゃんの手に触れたので、そのまま「握手」ってちょっと手をつなぎました。
そしたらおばあちゃん、涙を流して喜んでくれたんです。

どんな事情の方か全然わかりませんが、赤ちゃんのホワホワの手にふれて、
何かうれしく思ってくれたんだと思います。
赤ちゃん育て中はできないこと一杯で、幸せだけど他人の役に立つような喜びはない毎日だったので、私もとてもうれしかったです。

「何気ないことで他人を助けることがある」と知った日でした。

ユーザーID:8426799072
ネット友人から
癒された人
2010年5月21日 10:09

数年前、今思えば鬱病だったんだと思います。
夫の借金返済、家事・育児・仕事・長男のような夫の世話疲れ・・・と、いろんなものを抱え込んでいました。

そんな時、ネットで知り合った友達。
ネットだから素直になれるのもあるのだろうけど、ケンカをしても、

「嫌いにならないから、きちんと話しをしよう」

と、どんな時でも優しく、私と話をしてくれました。
ケンカをすると黙り込む夫には、嫌われるのが怖く、言いたいことも言えずに溜め込んでいました。
そんな私には、本当に救われる言葉でした。

私が私に戻るまで、3年はかかったと思います。
ある日、心が晴れて、彼はずっとカウンセラーだったんだと気づきました。

会ったことも、声を聞いたこともありませんが、今でも大切な友達です。

ユーザーID:3603831255
アメリカのディズニーワールドで
そうき
2010年5月21日 14:16

大変感動的な話ばかりで楽しく読んでおります。

昔、フロリダにあるディズニーワールドに遊びにいったときのこと。ディナーに行く前にパスポートを部屋に置き忘れたのに気づきました。アルコールの出る場だったので、連れを置き一人で慌ててホテルに戻りました。

すぐにバス停に戻って待つも、時刻表の時間を過ぎてもバスは全く来ず・・・。周りは楽しそうなファミリーばかりの中で、連れも同じく一人で待っていることを思うと例えディズニーでも海外ですから急に不安になってきて、うつむいてバスを待っていました。

そこにホテルの方が通りすがり、「気分が悪いのですか?大丈夫ですか?」と。簡単に事情を説明すると「I'm so sorry」とバスが遅れていることを心から謝ってくれ「バスは絶対にすぐに来ますよ!」と笑顔で言って貰いました。彼に声をかけてくれてありがとう、と言いちょっと気が楽になって顔を見上げた瞬間・・・バスが来たのです。

バスが来るのもスケジュールとはいえ、一番嬉しかったのはその方の心遣いと謝ってくれたこと。とても嬉しい気持ちになりました。

ユーザーID:7223961247
私立中学校で教員をしていました。1/2
社会科
2010年5月21日 15:11

ある時、あるクラスの中心的存在の女子生徒が、しばらく元気がないことに気がつきました。担任によると、友達同士のトラブルで落ち込んでいる、とのことでした。そこでノートを集めた時、最近笑顔が見られなくてさみしい、というようなコメントをつけて返却しました。

またその後、急にテストの成績が落ちた男子生徒がいて、担任に、彼は家庭の経済的な事情で、もうすぐ公立に転校しなければならないと聞きました。優秀な子だったので、テスト用紙に、君ならどこへ行っても大丈夫、とコメントをつけて返却しました。
すると、数日後彼と廊下ですれ違った時に、「偽善はやめてください」と言われてしまいました。

ユーザーID:1387761581
私立中学校で教員をしていました。2/2
社会科
2010年5月21日 15:13

・・・私が、辛い状況にいる生徒に何か声をかけたいと思うのは、確かに偽善・自己満足で、実はさらに傷つけているのかも、、と考えました。それからコメントをつけることをやめてしまいました。

それから10年ほどたった今、このトピックで、

中学生のころ、自分のせいでクラスメートに嫌われてしまった時、提出していたノートに「いつもの笑顔はどこにいきましたか?」と書かれていて本当に嬉しかった。

というレスを見つけました。私のことではないとは思いますが、とても嬉しく拝読しました。

ユーザーID:1387761581
5月7日のとんさんへ
mama
2010年5月21日 15:48

横ですみません。とんさんのレスを読ませていただいて、昔のことを思い出しました。神様に助けられたような顔でお礼を言われたことを。埼玉の大宮駅で、小走り状態の男性が歩いている私を追い抜きました。男性は、ズボンのポケットからハンカチをとりだすと、ハラリと長方形の紙を落としました。何かのメモかな?と拾い上げると遠距離切符です。猛ダッシュで追いかけました。彼はハンカチで顔を拭きながら早足なので、私も必死でした。その男性もとんさんのように、覚えていてくれているのかな、と何だかとても嬉しくなりました。ありがとう!!

ユーザーID:2418554484
受験生の私へ
2010年5月21日 19:29

いよいよ大学入試が始まる前夜、眠れなくて夜中に起き出しました。
暗いリビングのソファの隅で丸まっていたら、だんだん心細くなってきて、しばらくメソメソと泣いていました。

するとそこへ父が通りかかり、私に気づくと、
「まあ〜どこかに受かればいいね。どこに入学することになっても、パパはね、Eちゃんが入学する大学が世界で一番いい大学だと思うよ。」
と言いました。それから私はぐっすり眠ることができました。

後年色々あって、私はどうしても父を受け入れることができなくなってしまい、今は疎遠にしているのですが、この時の父の言葉を思い出すと、父を許せたらどんなにいいだろう、どうして私は父が許せないのか、、苦しくなります。。

ユーザーID:8678849227
横なのですが、気になって…
おじゃま虫
2010年5月21日 21:11

英語のI'm sorryとか I'm so sorryは、謝るときばかりでなく“お気の毒です、残念です”という意味もあります。投稿された中のいくつかの話は謝ったでなく、心を寄り添わせた相手の言葉だと思います。
相手を思いやる言葉の一つですなのが、なんとなく気になっていたので…失礼します。

私の話も一つ。異国に嫁いで子供を出産したとき、赤ちゃんが吸う力にミルクの量が伴わず、乳首が割れてしまい授乳する度に、飛び上がるほどの痛さでした。手伝いに来てくれていた義母に“痛かったら母乳でなくても良いんじゃない?”と言われたとき、あ〜そういう選択でも良いんだと思い、かえって母乳で頑張る事ができました。

ユーザーID:9603724109
普段は口数の少ない父が
DV被害者
2010年5月21日 22:45

1人日本を飛び出して、海外で結婚生活を送っていました。
元夫は働かず、DVでモラハラで、私は海外でたった一人で悩んでいました。
体重も減り、毎日死ぬことばかり考えていました。

それでも死ななかったのは両親の悲しみを考えると出来なかったのです。
きっと鬱だったと思います。
働かない夫と生活を支えながら仕事をして、必死に1ドル1ドルためてやっと
日本に一時帰国して両親の顔を見て、毎日のご飯がおいしくて生きていて良かったと思ったけどすぐに帰らなくてはいけない日が来ました。
成田で父が「ちゃんと飯食ってるのか?やせすぎだぞ」と一言。

後から母に聞いた話ですが、父が布団に入りながら「○○(私)は大丈夫かなぁ、ちゃんとご飯たべれているのかなぁ」と涙していたそうです。

元夫のDV,モラハラを誰にも言えずに苦しんでいた私は、1人大泣きしました。

あれから、子供が二人生まれ、元夫のDVは減るどころか増え続け、私は逃げるように離婚しました。
今でも海外ですが、たくましいおばちゃんになりました。

しっかり食べ過ぎて、あのころよりも10キロ近く増えたんで、父ちゃん心配しないでね。

ユーザーID:2170775856
You can speak Japanese!
カレリア
2010年5月21日 23:58

いいトピですね。その1も一つ一つかみしめながら読んでます。

フランスの研究所に留学頃、私の周りの人は、ラテン系の外国人が多く、フランス語は母国語ではないけど、みんなフランス語で会話していました。日本人は私一人。私は、そこそこ英語は話せたのですが、それも思ったように通じず、フランス語は一生懸命勉強しているが、なかなか話せないでいました。いつも周りが何を話しているか分からず、時々英語が得意な子が、何を話しているか教えてくれるのですが、いつも会話の外でした。
そんなある日、あるスペイン人の女の子(その子も英語は得意でない)が、「何を悲しんでいるのか?」とフランス語と英語で話しかけてきました。私は、フランス語が話せない事を話すと、「恥ずかしがることはない!You can speak Japanese!」。思わず、笑ってしまいました。当たり前だろう!とつっこみたかった!でも、彼女なりに一生懸命私を励まそうとしたんだろうな。おかげで日本人特有の変な外国語コンプレックスはなくなり、積極的にフランス語を話すようになったから、1年後には彼女とフランス語で会話できるようになりました。

ユーザーID:7933521271
「私だったら、あなたを部下にしたくないわ」
ぴんく
2010年5月22日 19:14

何もやる気がなく、いるかいないかわからない上司との関係で悩んでいた時、同僚からタイトルの言葉を言われました。

でも、上司は何も言わないけれど、私のやりたいようにやらせてくれている。
同僚や別の上司だったら、こうはいかなかったかも?
私はガンガンやるタイプなので。

この一言に、「私と上司って、仕事のパートナーとしては相性がいいんだ」と気がつきました。

ユーザーID:5689547373
中華料理屋さんで
sweets
2010年5月25日 22:12

このトピで「一言」の持つ力に心震え、号泣しています。
仕事中にこっそり読んではなりません。

さて、私の話です。

フルタイムで仕事をしている私。
保育園に迎えに行くのがいつもより少し遅くなったので
子供たちに「今日はご飯食べて帰ろうか」というと大喜び。
まだ行った事のなかった中華料理屋さんへ。
この夜は宴会やら会食やらで少々にぎやかな店内に、子連れの私としてはちょっとほっとしたのでした。
いつもはにぎやかになりすぎる子供たちも、おいしい食事に満足なのか静かに食べてくれていました。
そのとき、隣の席の50代くらいの女性が
「おりこうさんに食べてるね。いいしつけをされてますね」
といってくださいました。

いやいや、とんでもない、いつもはもっとうるさいんです。と否定しましたが、できて当たり前、できなければ白い目で見られる食事のマナーをこういう形でほめてもらい、親子ともどもとてもうれしかったです。

子育てに自信がない中、手探りで先へ進まざるを得ない毎日ですが、この一言には本当に助けられました。

ユーザーID:5358040088
飼い猫にかけてもらった言葉
ちろまる
2010年5月26日 19:57

しみじみと良いトピですね。
私にも最近ありました。

飼い猫が病気で、頻繁に病院にかかっていました。
治療代が相当かかり、家計を圧迫するようになっていました。
でも最期までめんどうを診ると決めたのだからと、通い続ける日々。

小さい頃から育ててきた猫も老いてガリガリになり、幼かった頃のかわいさや、活発さは見る影もなっていました。
心のどこかで「早く死んでくれないかな」などと一瞬でも考えた自分がいて、愛情ではなく責任感だけで飼っていたのかと、自分に驚き自己嫌悪していました。

そんなある日、病院の待合室で隣りに座った女性が、飼い猫に「かっこいいね〜がんばってよ」と、声をかけてくれたのです。

その一言で、思い出すことができました。模様がかっこよくて、それが自慢だったこと。小さなときからいつもそばにいて、暮らしてきた日々。ちゃんと愛情を持ってきたのだということを。
帰ってから、猫を「ごめんね」となでながら、涙が止まりませんでした。

もう今は、何も迷うことなく気持ちを込めて世話をしています。
あのときのお姉さん、ありがとう。

ユーザーID:4506382782
つい、先日の事…1携帯からの書き込み
ひばり
2010年5月30日 3:40

すみません、長いので2つにわけます。
ウチの息子は1歳8ヶ月、私は妊娠7ヶ月の妊婦です。
妊婦検診の日…いつもは義母か夫の休みの日に予約を入れて、息子を預け、私ひとりで病院に行くのですが、夫が急に会社に呼び出され、当日に息子を義母に頼むのも申し訳なく、息子を病院に連れてく事にしました。
けれど、病院は電車で2駅先…しかも改札を出るには長い階段を登り降りしなきゃいけません。田舎なのでエレベーター等なく、階段のみ……。
息子を片手で抱き抱え、もう一方の手にベビーカーとカバンを持ち階段を2段、3段上りました。

すると後ろから、「おいおいおい!!!姉ちゃん姉ちゃん!!」と大きい声で叫ばれ、
振り向くとサングラスをかけたちょっと怖いお兄様が…!!
私はビビり、咄嗟に「す…すみません!!」と謝ったのですが
「謝んなら腹の子に謝れ!!妊婦がちっちぇー坊主とベビーカーなんか抱えて歩いちゃ
腹の子が苦しむだろ!!何の為に男が存在してんのかわかってんのか!!!」と怒られてしまいました。

ユーザーID:5959046115
つい、先日の事…2携帯からの書き込み
ひばり
2010年5月30日 3:52

私も頭が真っ白になり慌てて「すみませんっ!わかりません!!」即答してしまったら
「おめーらみてぇな女とガキ守る為だろうが!!」と一喝……。
それ以上何も言わず息子とベビーカーを持ち上げ改札まで送ってくださいました。
元々人見知りの息子ですが、お兄さんに抱かれてうれしそうにキャッキャッと笑い、
改札で私が「ありがとうございました」とお礼をすると、息子も「あーがとっ♪」と一言…。
お兄さんは満面の笑みで「坊主、おめぇの母ちゃんは自分が苦しくてもおめぇを守ってくれる優しい母ちゃんなんだ。おめぇはでかくなったら母ちゃんと兄弟守ってやれるつえぇ男になんだぞ」と息子の頭を撫でてくれました。

これから産まれる子と息子は年子で育児に不安があった私に優しくしてくれた上、こんな風に褒めてもらえて、本当に嬉しく、涙が出そうでした。

お兄さんありがとうございました!!
お腹の子も間違いなく男の子言われ、私達夫婦は子供達をあなたのような強くて優しい男に育てます!!

ありがとうございました!!

ユーザーID:5959046115
「お正月もお盆も帰ってきなよ」
j
2010年6月2日 21:34

私には実家がありません。
両親は私が幼い頃に離婚し、父とはそのまま生き別れ、私を育ててくれた母は私が成人・独立後に再婚し、
今は新しい旦那さんの家に住んでいます。
新しい旦那さんの家に私は住んだことがないですし、そもそもその新しい旦那さんが自分の
「家族」ましてや「父親」とはとうてい思えません。
なので職場などで「実家はどこなの?」や「お盆は実家に帰るのかい?」と投げかけられる
何気ない質問が、私にはすぐにできる答えが無く、しどろもどろになっていました。
私は「両親」がいる「生まれ育った家」が無い。という事実が、少なからず自分のコンプレックスになっていました。
ある日、1人暮らしをしている友人に、ふざけて、本当になにげなく、
「私、ここ(友達の家)を実家にするわ!」
と言ったら
「うん、いいよ。お正月もお盆も、帰ってきなよ」
と、彼女もさらっと、なにげなく、応じてくれました。
本当に軽い一言だったのですが、私に、正月やお盆に「帰る」場所ができたことが本当に嬉しかったです。
ありがとう。私、今年のお盆も、そっちに「帰る」よ!

ユーザーID:8457852024
病室での出会い
comomo
2010年6月3日 22:37

不妊で悩んでいた頃、夫が浮気、そして離婚。
ストレスからか婦人科系の病気になり入院、手術をすることに。
専業主婦だったため仕事も辞めており求職活動のさなかでお金もなく
慰謝料なんてものをもらうということすら思いつかないほど
心も体もボロボロでした。

婦人科だったため、当然赤ちゃんが生まれたばかりのママさんたちも多く、旦那さんや子供がお見舞いに来てくれるその風景が私にはもう得られないものだと不妊症のわたしにはとても辛い場所でした。

私なんて手術なんてせず、さっさと死ねばこんなに辛い思いをしなくていいのにとさえ思っていました。

術後の経過も悪く、食後の食器を配膳車まで数メートル運ぶだけでもしんどかった時、同じ病室の向かいにおられた方がふっと私のお膳を取り上げて
「いいから寝てなさい。そんなに顔色悪いのに」
と片付けてくださいました。

いたわりのこもったその声が今も忘れられません。

その方はそれから3日後に退院していかれ、私はその間発熱で寝込み、ゆっくりお礼を述べることもできなかったのが残念です。

ユーザーID:4337648435
友人に。
kaya
2010年6月4日 17:28

私は小学校から仲良くしている友人に言われる言葉にいつも救われています。
20歳を超えてから、親戚、家族の関係が悪くなり、私が結婚、出産の時には両親と姉の関係が最悪に。いつもいつも板ばさみで、苦しくて、時々どうしようもなく終わらせたい衝動に駆られていました。

両親は小さい頃から姉より私を可愛がってきたせいか、姉は大人になって、仕事に恋愛に、全部のことがうまく行かなくなってしまった時、私と両親を責める様になっていました。

両親と、私と、どっちを取るの。
私は小さい時いつも親から可愛がって貰えなかった。
あんたは良いよね。

いつもこの言葉が迫ってくるのに恐怖を覚えていた時、友人が

「お姉さんはさあ、そうやっていつも言うけど、kayaの子供をすごく可愛がっているじゃない。両親を拒絶したから、もうkayaしかいないって思ってるからかもしれないけど、私がお姉さんの立場だったらkayaのことも憎んじゃうかも。お姉さん、kayaのことが好きなんだねえ」

そうメールで言われて携帯を抱えながら仕事場で号泣しました。

そうか、愛情があるんだ。大丈夫だって思いました。

ユーザーID:0210612778
私を立ち直らせた母の一言
おまめ
2010年6月5日 20:37

私は7年程苦労して勉強を重ね、世間的には難関とされる国家資格を取得しました。
しかし、いざ実務に出てみると、私には精神疾患があることが分かり、激務には耐えられないことが分かりました。
長年の夢を断たれた私は自分の運命を呪い、人生に絶望していました。
自分への情けなさ、親への申し訳なさ、実務で活躍する仲間への嫉妬など、いろいろな負の感情が渦巻いていました。
唯一本音をぶちまけることのできた母親には、何でこんな身体の私を産んだのだ、死にたい自殺すると当たり散らしていました。
母親は自分自身もさぞかし無念だったでしょうに、何も文句を言わずに私の話を聞いてくれ、一言「おまめちゃんが死ぬときにはお母さんも一緒に連れて行ってね」と。
ああ、これが母親というものなのか、私は一体何をしているのだ、少なくとも母親がこの世を去るまでは自らの命を絶つべきではない、と思いました。
これをきっかけに少しずつ前向きになることができ、今は大学で研究員として働き、生涯の伴侶を得ることもできました。
親孝行にはまだまだ程遠いですが、母親を含め周りの支えに感謝しつつ、一歩一歩踏みしめて生きていきたいです。

ユーザーID:4671468260
14年前になるのか…
すの
2010年6月6日 1:54

私が27の時、中学・高校で一番の悪友(Aと呼びます)の親父さんが
亡くなりました。葬儀には私や同じ悪友だったB(Bは学生結婚して、
すでに4歳と1歳の2児の父親)他、Aの親父さんにも良くしてもらった
連中が集まりました。

告別式が終わるまで気丈にしていたAでしたが、終わった途端、泣き
崩れました。曰く、
「俺は親父に親孝行どころか何の恩返しもしていない。申し訳ない」
私は身につまされました。親のお陰で無事社会に出してもらいながら、
「忙しい」「ちゃんとやってるから構うな」などと親を邪険にしてました。
私もAも高校卒業して以降、別の街でバイトに明け暮れながら大学に
通い社会人になり、「自分でしっかりやってる」つもり症候群でした。
(所帯を持つこともなく、精神的にも経済的にも完全な自立はできない
でいました。

「…今、俺の親が死んだら…」
目の前で狂ったように泣いているAは、もしかしたら明日の自分では
ないのか?という恐怖を私は感じました。Aに同情するのはもちろん
ですが、自分自身、親への不義理の後悔に震えました。
すいません。続きます。

ユーザーID:5742252698
14年前になるのか…2
すの
2010年6月6日 1:55

Aに掛ける言葉もなく、かつての悪友どもはうなだれるばかりでした。

その時、
「俺はすでに2児の親だけん、少し偉そうなこと言うけどな」
Bが、Aに語りかけました。

「まず親父さんはAがここで泣いてる、わびてる心を喜んでくれるだろ」
「でも親父さんは金や贅沢で見返りを求めてたわけじゃない。いつまで
も泣いてたら、逆に親不孝だけん」
「お前がすべきはここで涙を流し終わって、明日には笑うこと」

「ホントの親孝行はな、親が死んだあと、子供が何より元気で笑って
毎日を送ること。金も土地も残してくれなくても、お前に親父さんの働く
背中や、これだけの(Aのご家族、私を含め悪友全員を指さし)支えを
残してくれただろが!」

気がつけば私を含め全員号泣してました…

それから親を邪険することもしなくなったし、悪友全員家庭を持って、
今は親としてそれぞれ頑張っています。
その日以来、タバコも止めたし(笑)

ユーザーID:5742252698
きなこ様
叔母大好き
2010年6月7日 16:42

ID違いますが、「叔母大好き」でレスしたものです。
横ですみません。どうしてもお礼を言いたかったので。

きなこ様ありがとうございます。
実は叔母はそう言ってくれているけれど、親(叔母?)不幸なのではないか?と考えてしまっておりました。
けれど、きなこ様のレスをみて少し気が楽になりました。

後、叔母も人を好きになれないと言っておりました。(家族以外)
失礼かもしれませんがきなこ様もそうだとすると、もしかしたらそう自分で思っておられる方のほうが、
他者の恋愛感情に対して寛大なのかなと勝手に思っております。
他者を理解できるきなこ様も十分素敵な方だと思います。

見ておられないかもしれませんが、本当にありがとうございました。

ユーザーID:1638652206
タクシーのおじちゃん
もつ
2010年6月15日 0:27

私はアレルギー持ちで、体調が悪いと普段大丈夫なものでもすぐじんましんが出ます。
一人暮らしを始めてから頼るひとが居ないのでかなり気をつけてはいたんですが、運悪く日曜日の夜10時という最悪な時間帯に出てしまいました。
出てきたばかりで夜間の緊急で見てもらえる病院も分からなくて、なんとかタクシーを拾って病院に到着しました。
先生にどうしました?と聞かれたときは不安が溢れ出して半分泣きながら説明している状態でした。
とりあえず薬を飲んで帰されたんですが、残金が1000円。日曜なのでATMも閉まっているし薬を飲んですぐ帰されたのでまだじんましんが体中にある状態で、しかも夜も遅い。
超悩みながらもタクシーを止め、『すいませんが、ワンメーター分だけ乗せてもらってもいいですか?』と言ったら、何か様子がおかしいことに気付いたらしく『お嬢ちゃんジャージでどうしたんだい?』と笑いながら聞いてくれ、事情を全部話すとワンメーター分で家まで乗せて行ってくれました。
このときのおじちゃんの、笑いながら言った『そりゃあ大変だったね〜』があまりに優しくてこっそり泣いてしまいました。
おじちゃん本当にありがとう。

ユーザーID:7762229937
一言じゃないのですが
なみなみ
2010年6月15日 14:23

店員さんの笑顔に助けられました。
営業用の、いつもの笑顔だと思います。
でも、落ち込んでいた私には天使の(言いすぎ?)笑顔に見えました。

本当にありがとうございます。

笑顔って大切だなと思いました。
私も心掛けます。

ユーザーID:4216045504
皆さんに「ありがとうございます」
みぃ
2010年6月24日 0:07

偶然このサイトを見つけて全てのレスを読み、心がほっこりしました。ポロポロ泣けるっていいですね。素敵な投稿を読めて本当に幸せです。トピ主様、レス投稿者の皆様、ありがとうございます。


私もつい先日同僚からの一言に随分励まされました。

社会人として4年目、仕事も徐々に責任ある内容を任されてやりがいを感じる半面、本当に自分に出来るのだろうか、上司の期待を裏切るんじゃないだろうか、私には経験が足りなさすぎる…と心配性の私は不安いっぱいで憂鬱な気持ちでした。

そんな時、あるグループ研修で同期と久々に会い、互いの状況を話す中で「不安」だともらした私にメンバーが言ってくれた一言。

「○○さんは頑張り過ぎるからね。たまには頑張らなくていいよ」

普段から特別仲良くしているわけでもなく、たまたま久々に会った同期の一言だけに、張りつめていたものがふっと緩んだ瞬間で、思わず涙が出ました。(その後も何人かの同期友達が励ましの言葉をかけてくれました。)

色んな言葉をくれた同期の皆、自分自身も忙しくて大変だろうに本当にありがとう!皆と一緒に働けて嬉しいです。

ユーザーID:5854689302
今日
ゆう
2010年6月24日 0:22

最近なんだか恋愛がうまくいってなくてバイト中もぼんやりしてしまっていました。
店のまえを通った人に「いらっしゃいませ。」と呼びかけたらその方が店内でお食事するようで店内に入ってきて
お冷やメニューを渡したり接客しているときに
「あなたの笑顔に誘われたのよ。」
と言われました。
笑えてるんだなぁって
人の前でうまく笑えてるんだって思ったらほっとしました。
どんなに不安なことがあっても笑顔なんだったらいいやって安心しました。
またいらしてください。あなたの言葉に私はたくさん救われました。

ユーザーID:5067096548
父の日
ぺぎこ
2010年6月24日 11:33

みなさんのエピソードがとっても素敵で、心が温かくなって涙が止まりません。
私も先日言われた一言をお話させて下さい。

今年の父の日にお墓参りに行きました。
その時に一緒に洗い場を使っていたおばちゃんから、
「1人で偉いわね。父の日?」と話しかけられました。
その後も、いくつで亡くなられたの?よく来るの?と質問され、
「お墓参りが好き、っていうとおかしいですけど・・・苦じゃないんです」
と答えました。すると、
「違うでしょ。お父さんが好きだから会いに来るんでしょ。」と言われました。

今まで、生きている者の勤めだから、と当たり前に思っていたことが、
「あ、そっか。私は父が、祖父母が好きなんだ。会いたい時に会えるんだ」
と、色を持った瞬間でした。

当たり前のことの意味を、改めて知る。
とても大切なことを教えていただきました。
おばちゃん、お父さん、ありがとう。

ユーザーID:3448765710
LET IT BE
ほえほえ
2010年7月9日 18:14

 を挙げてる方がいらっしゃいましたが私にもこの歌絡みの思い出があります。
 今を去ること約10年前になります。
 母はとある病気の末期で入院したり退院したりの繰り返し、そんな中私の姉が行方不明になりました。
 更に悪いことに父が難治性の病の宣告を受けました。
 病院の先生はお母様のこともありますから(父は母と同じ総合病院を受診していたので受診課同士の横の連携があったようです)、と、病気の宣告を受けたのはまず私でした。
 こういう時誰より相談したい姉はいない。
 結局私はその当時おつきあいしていた彼に相談しました。彼は一日私につきあってくれ、帰り際に私を送る車のカーステでかけていたのがLET IT BE。しかしビートルズによるオリジナルではなく上々颱風によるちょっと陽気なアレンジ曲でした。
 その時は私は何がレットイットビーだぁっとムカっ腹も立ったのですが、10年経った今本当に全てのことがあるべきところに落ち着いてなんとかなりました。
 彼は今現在私の夫です。

ユーザーID:7487307061
元上司から
ちゃたぷ
2010年8月3日 15:46

最初のトピ主ふくろうさんからずっと読んでます。とてもいい体験をされてる方がこんなにもいるのですね。とても嬉しく思います。

私も一つ、レスさせていただきます。
私は子供二人いて上の子が8歳のときに母子家庭になりました。自分一人で、子供二人を育てたとは思ってません。いろんな人の力や協力でやってこれたんだと。しかし元上司は、子供の誕生日、卒業式など行事のたび、またついこの間、上の子の成人式の写真の前撮りがあり、それを伝えたところ「ここまでよく頑張ったね!」と言ってくれるのです。

自分でも気が付かないでがむしゃらにやってきているので、その言葉を聞くたびに、なんとも言えない嬉しさと褒め言葉だと。

上の子は二十歳にはなりましたが、まだまだ頑張ろう!と思う言葉です。

ユーザーID:9784521864
うぁ〜子どもがいた
ぴん
2010年8月26日 12:00

帰省のため、娘と二人で飛行機に乗ったときです。
途中でぐずるんじゃないかと心配していましたが、目的地まで静かにすごすことができてほっとしました。

荷物もあるしゆっくり降りようと、シートベルトサインが消えたあとも座席に座っていると、後部座席からやってきたおばさまが「うぁ〜子どもがいた」と一言。(えっ?)
そして二言目に、「静かにしてたんやねぇ。えらかったねぇ。」とおっしゃいました。

好意的な感情を言葉にされるとうれしいですね。

ユーザーID:8426799072
前置きが長くなりますがご容赦を。
ねこねこ大好き
2010年8月26日 22:19

人間の身勝手により、殺処分される犬や猫を思う度、心が痛みます。
充分な財力と広い土地があれば、片っ端から引取りたい...でも現実は到底不可能。
以前、「収容されていた二匹の猫のうち、保健所の強い反対もあって一匹しか引取れず、残された猫の悲痛な叫びがトラウマになった」という投書を読んだ事もあり、ずっと二の足を踏んでいました。
ふとしたきっかけで、拾った野良猫を一匹育てましたが、兄弟達はいつしか行方不明。上記の如く自責の念に日々駆られました。

ある時、野良猫と戯れる年上の女性と言葉を交わし、私が猫を拾った話をすると、彼女は「そうかぁ、一匹でも幸せな子がいたんだ。良かったですね〜!」。
その一言で、どれだけ救われたか。

人間一人ができる事には、どうしたって限界があります。それでも、ゼロと1の差は非常に大きい。全部の犬猫を救えなくとも、里親を増やす手伝い等、別の形で可能な限りの事をすれば良いのですね。

名前も分からないあの時の女性、私にとり大恩人です!!

ユーザーID:1829183171
トイレ掃除のおじさん
日傘
2010年9月4日 20:32

海外在住です。道で冷やかしの言葉をかけられることはよくあり、不快と、少し恐怖に感じていました。

先日、初めて米総領事館に用事があって出掛けましたが、朝からアレルギーっぽく顔が赤く腫れていたのと、電車でスーツケースをぶつけられたり足を踏まれたりして落ち込んでいたところに、かなり厳しいセキュリティチェックを受け、手が震えるくらい緊張し、用事が終わったときは本当に疲れていました。

帰りの電車に乗る前の駅のトイレで手を洗っていると、掃除のおじさんが、「お姉さん、きれいだね」と声をかけてくれたのです。陽気そうに笑っていて、全然いやらしくなく、急にほっとしました。

それでも普段だったら「またか」と思っていただろうに、今回は素直に親切だと受け止めて、気持ちが楽になったのが、とても意外でした。他人の何気ない一言に助けられるって、こういうことか…と思ったので書き込ませていただきました。
弱々しく「ありがとう」としか言えなかったのが、親切を無視したように思われたかも…おじさん、ごめんなさい。

ユーザーID:4811459889
親友の言葉携帯からの書き込み
ぽち
2010年9月5日 2:49

20年くらい前、ちょうど思春期の頃、両親が離婚し新しい母が来て、折り合いが悪く毎日のようにいざこざが絶えなくて、いつも親友に愚痴を聞いてもらっていました。毎回同じような内容の愚痴で進歩がなくて‥すると親友は「大丈夫進歩してるし成長してるよ」「0.001ミリだって進歩は進歩だよ」と言ってくれました。その時ホッとして感動した気持ち今も忘れられません。

ユーザーID:6310852802
ある駅でのこと
ボンソワール
2010年9月5日 19:06

骨折ではありませんが、足の骨膜を切ってしまい、2週間ほど松葉杖で出勤していました。

都内でも、深い所にある某地下鉄駅。
慣れない松葉杖にゼェゼェしつつ、階段を上っていました。
そしたら、鞄に引っ掛けていた傘がポロっと落ち、スキーのごとく階段を滑り落ちていきました。

『ここまで必至に上ったのに…』と、半泣きで階段を降りようとしたところ、傘が落ちた場所にいた女性が
「あ、動かなくていいよ〜」
とおっしゃり、小走りで傘を届けてくださいました。

それだけでも感謝なのに、
「上まで鞄(と傘)持ってあげる」
「ここの階段、ほんとにキツイよね〜」
「ってか、私も昔手伝ってもらったし〜」
と、笑顔で手伝ってくださいました。

まさに通勤ラッシュの時間帯。
私のせいで彼女が遅刻することは、私にだって容易に分かります。

彼女が遅刻するのを心配し、遠慮する私に
「いーの!お互い様じゃん!」
と、おっしゃってくださいました。

あの時のお姉さんへ。
足は治りました。
本当にありがとうございました。
同じような人を見かけたら、遅刻覚悟で手伝います!

ユーザーID:1180674513
2.3歩の距離だったけど
ケロッピ
2010年9月6日 14:29

十数年前、その日は仕事がうまく回らず、お客さんからも叱られて、ちょっと落ち込んでいました。
やっと定時になり、外に出てしばらく歩くと突然の雨。
10メートル先に地下に降りる階段があったので、小走りで走しり、階段まであと2.3歩という時に、50歳ぐらいのサラリーマンのおじさんが横からすっと傘を差し出して、「ちょっとだけだけど、ご一緒しましょう。」と言って傘を私の頭に差し出してくれました。
ちょっとしたことだけど、その日落ち込んでいた私の胸にジーンと来ました。
今日は最高にやさしい気持ちを最後に受ける事が出来て、その日がとてもいい日になりました。

おじさん、ありがとう。

ユーザーID:8358057743
言葉携帯からの書き込み
ミサキ。
2010年9月7日 1:56

何気ない言葉では、ないのですが書かせて下さい。

「いつでも頼っていらっしゃい」親友のお母様に掛けて頂いた言葉です。

母の告別式のときのことでした。通夜前、通夜、告別式と、親友と共に来て下さっただけでも助けられた気持ちでしたが、
両手でぎゅっと私の手を握って、それまで余り泣けなかった私と一緒に沢山泣いて下さいました。
悲しかったけれど、じんわりと温かく、救われた気持ちになりました。

いつかご恩返しが出来たらと思います。

ユーザーID:1791927582
だれでも。。
sAkiKo
2010年9月7日 16:42

みなさんのレスを読んでいたらすごく温かい気持ちになりました★
世の中こんな素敵な人ばっかりだったらいいのになあ〜。
でも、だれでも人にやさしくできるはずだと思います!!
私もだれかの心にこっそり残れる人になりたいです


私が大学1年のときのGW
実家に帰るときの駅での話です。
大きめのキャリーバックを持って駅を歩いていました。
実家は田舎なので、(その駅は新幹線もとまる駅なのですが)エレベーターもエスカレーターもなく…
しかたなく、ながーい階段をのぼることを決意した私。。
GWで人はすごく多いし、でも荷物が重くてなかなか階段をのぼれずにいました。

あー気まずっと思っていたら、通りすがりのサラリーマンの男性が
後ろから「僕が運びますよ。どちらにいかれるんですか?」と言って荷物を運んでくださいました

私はその駅で降りる予定だったので、階段をのぼったところでお礼を言い荷物を受け取りましたが
その男性は新幹線に乗り換えるようで、走って新幹線のホームのほうへ行かれました。
忙しいなかほんとありがとうございました!!

ユーザーID:2163155621
就職活動にて part1
じゅんてつ
2010年9月14日 21:00

場違いは承知の上です
でもこのトピに私も助けられたので
ここに書かせてください

長くなってしまいますが
自分の思いをありのままつづりたいので…
(そのせいで分かりにくい文章になっていますが…)



私は現在大学の4年生で
この就職氷河期と言われる中
就職活動を行っていました

世間では就職は難しいと言われながらも
楽観的な性格のために
それほど厳しいとは考えていませんでした


ただやるからにはしっかりやりたいと思い
1日に何社も面接を受けたり
説明会に参加したりしていました
(これは当たり前かな)

年中無休の部活動に所属しているため
早朝に練習に参加してから
就職活動を行い
また翌日も早朝から練習…
といった日々を送っていました

主将という立場
そして部活動においても新入生勧誘活動が盛んに行われている中
自分だけが早々と仕事を引き上げるということに
抵抗を感じながらの就活…
自分だけ取り残されているような気がしていました
だからこそ逆に結果を出す就職活動にしなければと

ユーザーID:6796844524
就職活動にて part2
じゅんてつ
2010年9月14日 21:02

加えて私は自分のセクシュアリティに関して
小学生の頃から悩みを抱えていて
ずっと誰にも明かさず過ごしてきました
その影響からか
人に自分の悩みや弱さを見せたくないという思いが強くあり
身近な人に就活の悩みなんて相談なんて
と1人で乗り切るという考えでいました


そのような生活を送っているうちに
就職が目的ではなく
就職活動が目的の生活になっていました

自分がこれからの人生において何をしたいのか
そのために何をすべきなのか
最も考えなければいけないことを
頭の隅っこに置いて
目の前の面接、説明会ばかりに一生懸命になっていました


そうやってあっという間に過ぎていく日々…


そんな中、とある企業の説明会に参加しました
特別志望度が高いわけでもなく
いつものように何気ない感じで参加した説明会
説明会といっても社員ではなく内定者(今は1年目の新入社員ですね)
仕事の事を聞くというよりは
就活とは…ということを聞くための
説明会でした

そこで運命の人と出会いました(Aさんとします)

ユーザーID:6796844524
就職活動にて part3
じゅんてつ
2010年9月14日 21:04

私のそれまでの社会人のイメージとして
堅苦しい、熱いといった性格の人ばかりだと考えていました
しかし、Aさんはどちらかというと
ホワンとした感じ(とても失礼ですが…)
ただ、高校中退、世界を1人旅、有名大学への編入など
私が過ごしてきた世界とは正反対の
嵐のような人生を送ってきた人でした

その説明会後も極秘ルートで連絡を取り合うようになりました

「誰にも負けない強みにフォーカスしよう」
「もうすぐ4月だね、がんばって」

Aさんが発する一言、一言は本当に私にとって心に染みて
こんな大人になりたいと
はじめて心から思える出会いでした



その人にひかれてその企業にエントリー
しかし書類で落選…
今思えばとても抽象的なエントリーシートになってしまったのが原因ですが
その時は何度も何度も見直しをして書きあげた力作だったんで
とことん落ち込みました


ある日、面接がいくつか重なる日がありました
面接のたびに、自分の言っていることが分からなくなり…

その日を境にそれまで順調だった面接でもことごとく落ちるようになりました

ユーザーID:6796844524
就職活動にて part4
じゅんてつ
2010年9月14日 21:06

自分の力の無さに涙を流すばかり…



それでも4月の初めに
内定をもらえた企業がありました
会う人、会う人素晴らしい人ばかりで
この会社が私の勤めるべき会社なのだろうと
半ば無理やりその企業に決めようと思っていました

その旨をAさんに伝えるため電話をしました

「それでいいのか」と…

本当にいい人ばかり
でも自分がやりたい仕事なのかという点では
ずっと気がかりがあったのは事実
目の前の苦しみから逃げたいがために
就職を決めようとしていたことに
Aさんの電話を受けて
気づかされました



完全に力尽きていた私は
その後就職活動をストップしました
どうしても次の部活の試合で後悔をしたくないこと
このまま就活を引っ張って
教育実習に影響を与えたくないこと
新入生勧誘活動

…結局は逃げただけです

Aさんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが
その時の私にはその日々が本当に耐えがたいものでした



内定を頂いた企業の方に直接お会いして
すいませんとお詫びし、私の就活はひとまず終えました

ユーザーID:6796844524
就職活動にて part5
じゅんてつ
2010年9月14日 21:07

それから教育実習、大学院入試(就活をあきらめていたので…)
人との出会い、自分の生活の変化
いろいろな要因から
ようやく自分ってどういう人間なのか
何をしたいのかが見えてきました

何物にも追われることなく
自分と向き合う時間が取れたことが要因だと思います
Aさんも「行き詰ったら空を見上げてごらん」
と言っていました
(とってもくさいセリフですが私にとっては大切な一言です)


いまさらですが一つだけ選考を受けています
後悔はしたくないから
それが今私に出来ること…
私がAさんに恩返しとなる行動だと信じて…



長々とすいませんでした

ユーザーID:6796844524
新米母の頃、通りすがりのお婆さんに
君島君子
2010年9月16日 11:18

息子が3歳の頃です。
言葉が出ず、そして園でも一番の泣き虫でした。トイレもうまく出来ず、「できない事ばかり」の息子。
周囲から病気ではないか?と言われ、苦しい毎日でした。当時の私は、良い母であろうと頑張っていましたが、いつも「皆と違う我が子」に対する不安がありました。

ある日、駅で一人のお婆さんが息子に
「こんにちは。」と声をかけてきました。
息子は、だまってそのお婆さんを見ています。
「ごめんなさい。まだ言葉が話せなくて。」
と私が言うと
「まだ小さいものね。」と笑顔で答えてくださいました。
そして、息子をまじまじと見て、
「この子は、いい目をしているわ。こういう子はしっかり育つわよ。」
と言ってくださいました。
歳を重ねた方に、キッパリとした口調でそんな風に言われて、不思議と私の心に安堵感が満ち思わず涙がこぼれました。
以来、少しだけリラックスした子育てができました。

息子今は12歳。
小学校卒業時に、先生が息子を表す言葉として色紙に書いてくださったのは、「質実剛健」。

お婆さん。お陰さまで息子は真っ直ぐに育っています。ありがとう。

ユーザーID:2641840324
海猿
ようこ
2010年9月19日 20:17

みみずくさん トピックを再生して下さって有難うございます。
最近、このトピックを見て追いかけて読んでいってます。
皆さん心温まるストーリーの数々、じんわり優しい気持ちになります。

今日、妹と海猿を見にいってました。
私にも10年以上前にお互い結婚を考えてお付き合いしている人がいましたが、上手くいかず、
最後はお互い向き合う事も出来なくなって、話し合う事もなく別れる結果になってしまいました。
要は逃げたのです。

今日、海猿の伊藤英明のセリフでバディの男の子が、海保になったのは望んだ訳ではなく、
前職から逃げた結果というシーンがあって、その時の伊藤英明のセリフで
『逃げたのではなく、自分に合う仕事を探してたんだ。』と、

ふと、自分の以前の恋愛を思い出しました。
『逃げたのではなく、自分に合う人を探してたんだ』

逃げた事に対して、トラウマになっていた私は救われた一言になりました。

ユーザーID:0757018585
居場所をいただいた言葉携帯からの書き込み
chiru
2010年10月26日 18:15

今の職場に配置されて一ヶ月目の頃のことです。

新しい仕事を覚えるために、研修続きの毎日でした。

久しぶりに出勤し
用事があって隣の部署に行ったところ
イスを勧められて、ゆっくりしていくように言われました。

戸惑う私に向かって
同僚「だって、ずっと居なかったじゃないか」

異動が多く、すぐに顔ぶれが変わる職場で
思いがけず見ていてくれている人がいる事にビックリ。

その時、ここが私の居場所だって言われたような気がしました。

この一言で、新しい環境でも頑張ろうと思いました。

ユーザーID:7860924040
この子に幸運がありますように!
めいこ
2010年10月27日 0:59

夫の仕事の駐在でイギリスにいたころ。

現地の病院で初めての出産した子が、なかなか乳児湿疹が
治らないと悩みつつ、ある日離乳食を食べさせたら、顔が
みるみる水ぶくれ。

即時性の食物アレルギーでした。

母乳だから、私も子供も、気の抜けない食事管理。

日本と全然違う病院事情。アポに少しでも遅れれば
キャンセルされてしまう。
難しい症状を英語で説明するもどかしさ。

まるで真っ暗闇のトンネルをひたすら歩いているかのような
時代でした。

ある日

夫が子どもを抱っこひもで抱っこして、3人で地下鉄に
乗っていると、気のよさそうなおじさんがにこにこして
寄ってきて、

「いい子だね!この子に幸運がありますように!」

って、1ポンドくれました。

湿疹で真っ赤な顔の赤ちゃんだったのに。

その子も今は小学生。湿疹もアレルギーも治って、今は
ミルクティーとオムライスが大好物。
昔は食べられることさえ想像できなかったのにね。

その1ポンドはアルバムにファイルして、大切に取ってあります。

ユーザーID:1424637306
父の言葉
エル
2010年11月20日 23:49

数年前、仕事の人間関係で悩んでいた時のこと。

年齢も近い女性ばかりの職場の中で1人、陰で同僚に嫌がらせをする人がいました。
何人も被害を受けた人はいましたが、ついに私が標的になり、1ヶ月にわたる嫌がらせの後
体を壊し普通に仕事を続けるのは難しいと病院でいわれた頃でした。
それでもその同僚に何も言えないでいた私に対して

電話で父親が
「おい、大丈夫か?大丈夫じゃないんだろ?今のお前は言いたいことも言えないでいて不健康だ。
 これからのお前の人生をかけて言いたいことを言ってやれ。言いたいことを言って会社に居づらくなったら辞めればいい。
 俺だってまだお前を1年ぐらい面倒見てやれる。勇気を出してみろ。」
と言ってくれました。
 
30代の私を面倒見てもいいと言い切ってくれた潔さと、今の1つの問題ではなく
この先の私の人生を心配してくれた父の言葉に感謝の涙があふれてとまりませんでした。
 
あの時のお父さんの言葉が本当にうれしかった。ありがとう。

ユーザーID:2594644133
絶対に大丈夫だから
ひじこふ
2010年12月6日 13:23

2年前のことです。情けなくも、申し訳ない話なのですが当時の私は既婚男性と不倫をしていました。当時24歳、あってはいけない恋愛でしたが、大好きになった人でした。が、ある夜、赤ちゃんができたとのことで突然別れを告げられました。ショック過ぎて涙も出ず一睡もできない夜を過ごしました。
年末の忙しい時期だったので、仕事に行った方が意識が紛れるだろうと、翌日はいつもより早い時間に出社しました。すると、いつも朝早くからきている同じフロアの女性が「おはよ〜!今日は早いね〜!いい天気だもんね!」と、明らかに様子がおかしい私にいつも通り声をかけてくれました。一晩泣くこともできず、潰されそうな気持ちだった私は、その人の笑顔にその場で泣き崩れてしまいました。
詳細こそ話はしませんでしたが、失恋をした。とだけ伝えると「辛いのによく会社に来たね!えらいね〜!大丈夫!大丈夫!絶対に大丈夫だから!」と大丈夫をすっごい連呼してくれました 笑 あの時は泣くことしかできなかった私ですが、2年経った今、新しい失恋をし今日を生きています 今もまた辛いけど、あの時「大丈夫!」が今の私を勇気付けています。Sさんありがとう◎

ユーザーID:4685381892
こんな事だから
コロン
2010年12月13日 5:33

何をしても失敗ばかりで、できないできない、ないない尽くし、ない尽くし〜の私。親からもそう言われ続けて生きてきましたが、事実その通りだから反論のしようもない。

10年前の事ですが、彼氏の家でブルックスのコーヒーを淹れようとしましたが、お湯で溶かすだけのインスタントコーヒーしか淹れた事ない私はやり方がわからず、やはり失敗して粉を撒き散らしてしまいました。
こんな事しょっちゅうなんですが、毎回ダメージなんです。

「コーヒー淹れるだけの、この程度の事も出来ないなんて…」
と思わずつぶやいたら

「この程度の事なんだから、別にできなくたっていいんだよ」
と言いながら、私が撒き散らした粉を鼻歌交じりに片付けて、自分でコーヒー淹れてました。

いつも「こんな事も出来ないなんて!」と20年間怒られ、矯正しようとされ続けてた私にとっては衝撃の言葉で、感動のあまり立ち尽くしてしまいました。
心をずっと締め付けてた鎖が取れたようでした。


でも言った本人は今、その言葉、全然覚えてません(笑)

でもそれがまたうれしい。自然体で出てきた言葉なんだなって思うから。

ユーザーID:0533388962
あなたのおとしまえは私がつけるから!
エリザベス
2010年12月20日 7:51

今から5年以上前のクリスマスイブ。当時の夫との離婚を考え、女性の弁護士の先生の事務所を訪ねました。その道すがら、幸せそうなカップルを見ては、自分が情けなく、孤独で、辛い気持ちになるばかりでした。

調停の対応をお願いすると、先生は、「あなたのプライベートのおとしまえは私がつけるから、任せなさい。あなたは、自分の仕事に全力をあげるのよ!」と声をかけてくれました。

離婚問題がいつも頭から離れず、自分の仕事だけでなく、何事にも集中できなくなっていた私は、その時、ハッと目が覚めました。ビジネスとは言え、全力で私の味方になり、私のために闘ってくれるという人と出逢えたことで、人生が救われたように感じました。

その後、弁護士の先生のおかけで、離婚は成立。仕事も続けつつ、憧れていた資格試験にも挑戦し、パスしました。ようやく新たなパートナーともめぐりあい、近く再婚の予定です。

「女前」の弁護士の先生への感謝の気持ち、いつも忘れたことがありません。いつか私も、「あなたの失敗は私がおとしまえつけるから、任せなさい」と困っている人に言ってあげられる、器の大きな女性になりたいです。

ユーザーID:2843621860
初めての妊娠携帯からの書き込み
みづき
2010年12月20日 12:44

もしや、妊娠かもと気付いて初めて産婦人科へ行った時のこと。結婚を約束していた彼との間に出来た子供。嬉しくないわけはありません。でも、沢山の人に反対されるかも、生活どうしようか、と不安だらけでした。尿検査は陽性。でも週数が早いためか、エコーでははっきりわからない…。ドクターから「妊娠していますよ」と言われても「はい…」としか返せなかった。「来週もう一度いらっしゃい。その時にエコーしましょう。赤ちゃんの袋がはっきり見えることを祈っています。」と言って下さいました。その時に「母である私が、この子の存在を喜ばなくてどうするんだ」と気付かされたような気持ちになりました。そこでは分娩はできなかったので違う産院で出産しましたが、あの時からいろんな覚悟が出来たような気がしています。息子も十歳になりました。寡黙な男の先生でしたが、あの時のM先生ありがとうございました。

ユーザーID:0621633474
子供の予防接種で
がんこさん
2010年12月20日 15:31

小児科の先生と対面し、注射とわかった息子は泣くでもなく
看護師さんに抑えられた腕を引き、身体をよじり
すごい力で必死に抵抗を始めました。
なだめてもきつめに言っても観念せず
何度抑えても体が動いてしまいなかなか注射ができずにいました。

先生は笑いながら冗談ぽく
「あらら、ボクはずいぶん頑固だねぇ。誰に似たんだろうねぇ。」と言い
私は遠慮がちに
「すみません・・・たぶん私に似たんです・・・」と答えました。

先生はちょっと驚いて
「そうか、ボクはママに似たのか!それはいい!
 こういうときパパやジジババと言う人が多いけど自分に似たというお母さんは珍しいね。
 ボクは素敵なママを持ったね。」と。

こんなことで褒めてもらえるなんて、ウルウルしてしまいました。

ユーザーID:2007408222
交通事故で携帯からの書き込み
かずみ
2010年12月20日 21:11

七年前。産休後の職場復帰を目前に、希望とは全く違う部署に配属されたと聞きました。余りのショックでどん底の気持ちのまま、車で保育園までお迎えに行きました。その道中車線変更しようとして若い男性の車に軽く接触して事故を起こしてしまいました。
私の車の保険の担当は女性の方でしたがその男性の父親が「うちは全く悪くない、女では話しにならない」と交渉を突っぱねなかなか解決できませんでした。毎日悶々と過ごしていましたが、ある日保険の方から「私では交渉できないので担当を変わることになりました。」と電話を下さいました。申し訳なさで謝り続けていた私に「あまり気にしてはいけませんよ。向こうにも少なからず責任はあります。たまたま相手が悪かったのです。こんな事はそうそうありません。毎日運転するのだから、気持ちを切り替えてこれから安全運転をすれば良いのです。」と言って下さいました。
受話器を握りしめながら号泣しました。なんとかなる、大丈夫、と言われるより穏やかに諭すように話して下さったことにもものすごく救われました。今でもその言葉を胸に、安全運転を心がけています。本当に感謝しています。

ユーザーID:0621633474
おまえどこから来たよ。
p
2010年12月21日 17:53

昔々、インターネット一般化の始まりの頃のはなし。
地方の大学生活で行き詰まり、今で言うひきこもりになっていました。某BBSのこの投稿が僕の心に文字通り突き刺さり、現実に戻ることが出来ました。
少し長いですが引用。憶えてる人居たらいいなあ。

おまえどこから来たよ?そこに何があったよ?どうしてここに来たよ?お前いつまでここにいるよ?ここに居てどうするよ?お前にとってぁゃιぃとはなによ?お前いつまで休んでいるよ?お前いつになれば歩き出すよ?お前いつまで夢見ているよ?お前の世界は美しいかよ?お前の心に光はあるかよ?お前の心に不安はあるかよ?お前の心に歩き出す勇気はあるかよ?お前ここに居て何を見出したよ?お前それをこれからの糧にできるかよ?お前今まで走って来たかよ?お前急ぎすぎていなかったかよ?お前疲れたかよ?だから休んでいるかよ?お前そろそろ歩き出さないかよ?お前ゆっくり歩き出さないかよ?お前それともまた走るのかよ?お前自分で選べよ。お前それでも生きていかざるを得ないよ。そしてお前はどこへ行くよ?お前自分で決めていけよ

あれからずいぶん経ち、今は懸命に生きています。

ユーザーID:8413728957
イツモ ホントニ キレイダネ
くりこ
2010年12月22日 1:47

海外で暮らしている40代です。
時々行く中華系のレストランのおじさんは私を見るとにっこり笑って片言の日本語でこう言います。

「イツモホントニキレイダネ」

「いつもほんとに綺麗だね」

きっと意味はわかっていないのだと思います。
何かの挨拶ぐらいに考えているのでしょう。
でも私はこの言葉にどんなに励まされていることか。
疲れているときも、落ち込んでいるときも、
必ず綺麗だと言ってくれるおじさん。ありがとう。
そしてこの言葉をおじさんに教えてくれた誰かさん、ありがとう。
女を元気にする素敵な言葉です。

ユーザーID:1979859001
通りすがり30年の方に携帯からの書き込み
四児の母
2010年12月23日 20:05

30年前、まだ子供が一人の時に、現住所に越してきました。
時々通り過ぎるその女性は、目玉がぎょろっとして、お姑さま年代のいかつい、怖い感じの方でした。
最初は挨拶も返してくれませんでした。
新築の家とまだ若かった私をじろじろ見て、ぷいっと立ち去りました。

何年か経ってやっと会釈だけはしてくださるようになりました。
立ち話もあまりしたことがなく、我が家の前をただ寡黙に通り過ぎるだけの方でした。
余所者が嫌いなんだな、と感じました。一度何かゴミのことで文句を言われたことがあります。その方の家の前まで捨てに来るな、と言うことでしたが、それは集積所がそこなので仕方ないことでした。地区長さんに間に入っていただいて事なきを得ました。

先日、家の前の道路を掃いていたら、その方が突然、話しかけてきました。
思わずたじろぐと、以外にもこう言われました。
「ずっと見ていたよ。細い身体でよくがんばったね。四人育てたじゃないの、えらいえらい」
そして、飄々と立ち去られました。
誰にほめられるより嬉しかったです。
涙がばあっと出ました。

ユーザーID:4054528990
見ていてくれた
はっぱ
2010年12月26日 22:13

職場にて。
対立関係にある女性からあることないこと言いふらされ、
それでも私は耐えて黙々と働いていました。
その女性は同僚、特に男性職員に媚びるのが非常に上手く、
仕事中もお喋りばかりでまともに手も動かさないのに、
私の仕事(激務)に難癖ばかりつけて、上司にあること無いこと
告げ口し、孤立させられていました。
それは孤独で、辛い日々でした。

その女性の上司が退職することとなりましたが、
退職の日、宴会の席でその上司がそっと私に近寄り、
『はっぱさんは人の2倍頑張って働いているね』と言って
ビールを注いでくださいました。

あの女性の上司でありながら、それでも私の努力をそっと
見守っていてくれたんだな、と思うと嬉しくて、
今でも思い出すたび涙と勇気が溢れてきます。

今も、「私は何か間違えているんだろうか・・・?」と思い悩む
事もしばしばですが、あの日の言葉をかみ締めて、
少しでも、自分を信じてあげるよう、心がけています。

ユーザーID:0575730094
クリスマス
ふじの
2010年12月26日 23:40

高校2年生の頃のお話です。私の両親は厳格で、アルバイトは禁止!だったのですが、唯一、郵便局の年賀状仕分けの仕事にはお許しが出ました。
いつもは、郵便局までは30分近くかけて自転車通勤でしたが、クリスマス・イヴのその日は朝から生憎の雨。バスで行くことに。
仕事が終わる頃、雨は雪になりました。片思いの恋も実らず、何の予定も無く、そして職場に傘を忘れ…、取りに行く気力も無く、雪の中、バスを待ちました。
ふっと、頭や肩に落ちる雪が止んだ…と思ったら、いつの間にか隣にいた30歳前後の女性が、私に傘をさし掛けていました。びっくりして、「…えっ?」と声が出て。その女性はニコッと笑って、「クリスマスに風邪なんかもらっちゃダメだよー。ほら、この傘大きいでしょ?二人でも大丈夫。」
なんだかんだ言ってもまだまだ子供だった私…、何だかすごく嬉しくて、安心しちゃって。

バスが来て、私が乗り込むと、彼女は笑って「じゃあねっ。」
そう、彼女はバスを待っていたわけではなく、雪の中ぼんやりとバスを待っていた私の為にいてくれたんです。

あの日出会った貴女に、心からのありがとうを伝えたいです。

ユーザーID:3619775976
母の代わりに聞いてくれた
速いカメ
2010年12月28日 21:53

父が亡くなって17年後、母も同じ病気で亡くなりました。
私は人生に無常を感じて大手上場会社の安定していた仕事を辞めました。
のほほんと仕事をしてそして定年を迎えて終には死んで行く事が虚しくなったのです。

小学校時代の恩師に会社を辞めたことを伝えました。そしてこの先保証は無いけれど、自分で事業を始めることを話したところ、

「私がお母さんの代わりにしっかり聞きました。頑張ってください。」と言って下さいました。

私はこの恩師のお陰で今まで一人前のような顔をして生きて来ましたが、この時も心底励まされました。なんで会社を辞めたのか、とか、事業始めて生活できるあてはあるのかとか、訊かれると思っていたら、そういう事は一切訊かれず、亡くなった母の代わりに応援するよって言ってくれたのです。

その恩師もそれから一年後に亡くなってしまいました。

もう、私を励ましたり叱ってくれる人は居なくなってしまったけれど、頑張らなければと生きています。

ユーザーID:6334942192
こんな大人になりたい
ラン
2010年12月29日 12:06

数々の皆さんのエピソードを読んで,目頭があつくなりっぱなしです。
私もひとつ披露したいエピソードがあります。

小学生のとき,通っていた学習塾の先生との何気ない会話のなかでのことでした。

先生「犬飼ってるんだって? 種類は?」
私「…雑種です」
先生「いいね!世界に一匹しかいない犬だね!僕は雑種が一番好きだよ」

そのころ捨てられていた犬を飼い始めていて,犬種は雑種です。私は飼い犬が雑種であるということをあまり言いたくありませんでした。
その当時,「種類は?」と聞かれ,雑種だと答えると,「ふーん」「あ,そう」など,急に興味を失ったような返答が返ってくることが多く,幼い私はそれにいちいち傷ついていたのです。

でも,先生のその一言で,救われました。
同時にそんなふうに考えていた自分が恥ずかしく,飼い犬に申し訳ない気持ちになり,反省しました。

今でも飼い犬の話になると,必ず犬種を聞かれますが,堂々と「雑種です!世界で一匹の犬です」と答えます。
こんな考え方を教えてくれた先生に感謝するとともに,こんな大人になりたいなと今でも思います。

ユーザーID:8076823267
娘からのひとこと 
pipi
2010年12月29日 20:29

ほんの数年前の話
お兄ちゃんたちが 巣立っていきました。
そして 一人残った娘とは お互い嫌いで けんかばっかり。
家に寄り付かないこともしばしばでした。
修羅場も 取っ組み合いの大喧嘩もいっぱいしました。
たぶん もうこいつとは一緒にいたくないと思ってたはずです。

すべてのことが うまくいかなくて
自分が誰からも愛されていない と思ったので
消えてしまおうと決心しました。

でも 猫たちがいたので 
すぐにはできないなぁと思っていました。

そのうち娘が ちゃんと アパート借りて自立
最近では買い物に行ったり 
ふたりで 姉妹のような話ができるようになって
少しずつ 溶けていく二人のわだかまり

そして うちの娘から電話。

『おかん うち かけもちで 仕事するから
もし おかんが なんかしてもらいたいって思ったら
いつでも援助するけん。』

そんなこと いわなくてもいいよ
あんたが しっかり生活していければそれでいい
おかんは なんもいらんし
おかんのことは 心配しなくてもいいから。

嬉しかったよ ありがとう…

ユーザーID:2509340624
このトピは涙がとまりませんね
クロミ
2010年12月30日 23:42

私も 人の言葉に助けられた事があります。
一つ目は、高校卒業をして 県外で就職をし、不安や恋愛の悩み等で 5年目にして 退職をしました。その時は その場から 逃げたくて 退職しようと決めました。その時に、クロミはがんばり屋さんだから どんな事があっても 大丈夫だよ。いつも元気で 太陽みたいな人でしたね。と言われた時は 涙がとまらず ありがとうございました。と お礼を言うのが精一杯でした。県外で 寂しくもあり 不安でもあった5年間が ここに来て良かったと思えました。
二つ目は、20代前半の恋愛で、自宅には、あまり帰らず、極力 家族と合わないように 時間をずらした生活えした。 その当時は 彼氏に嫌われたくなかったので 彼氏の言うことを聞いてました。 母親共 仲が悪く 自分でも このままでは いけないと思いながらも 彼氏について行ってました。正直 家では一人でした。(自分でまいた種ですが)
ある日 兄と2人になった時に、突然「お前が(クロミ)何かあった時は 俺は絶対に 彼氏を許さんからな、お前が泣くことがあったら 俺は助けてやるからな」っと言われました。すごく嬉しかったです。

ユーザーID:6360860783
二人で楽しめるわね携帯からの書き込み
キミ
2010年12月31日 16:31

小町でもよく言われていますが、
結婚1〜2年目は
「お子さんは?」と聞かれる機会が多かったです。
私の精神的なことから子供は諦めようか、それとも治療をしようかと考えていた事もあり、
挨拶代わりとわかっていても辛い質問でした。
そんな時、
夫が十年以上付き合いのあるバイク屋さんに行くと言うのでついていき、
結婚したんです、と私を紹介してもらいました。
そこの奥様に
「お子さんはいらっしゃるの?」と聞かれ、夫が「いません」と答えると、
「あらあ、じゃあ二人で色々楽しめるわね」
と言われました。
結婚したら子を産むのが当然、
という考えに苦しんでいたので、
夫婦二人でいることを肯定された気がして、涙がでるほどホッとしました。
それから7年、今でも夫婦二人で仲良く暮らしています。
あの言葉がなければ、今も子を産まないことに罪悪感を持っていたかもしれません。
奥様、ありがとうございます。

ユーザーID:9540566953
嬉しいです
h
2011年1月6日 11:36

こんな温まるトピ。
昔、10代の時に言われた上司の一言。
人生というのは楽しいと感じるのは一瞬で辛いや悲しいことのほうが沢山感じるんだよ。
でも、辛い時に何くそで楽しいこと考えて過ごすほうがステキじゃない?
心や感じ方は自分にプラスに考えれば幸せがおとづれるもんだよ。

違う上司にには、嫌なことがあっても自分が正しければそれでよし、相手が理不尽なことしてきたり言われたりしても気にせず手が震えるぐらい嫌なことがあっても踏ん張り女優のように何事もなく振舞える様になれれば強くなれるから、逃げ出さす女優のように演技して乗り切れ。


ケチつけたり意地悪されたり嫌がらせされたりしても同じ様に自分もしてしまっったら自分も相手と同じ嫌なやつになるから、同じ土俵には立つなよ、賢くなれ。

と、私の上司はいろいろ教えてもらいました。
私は、上司に恵まれてよかったなと思います。
もし、この方たちに出会っていなければ私はぼろぼろだったし幸せになれなかったかもです。
ありがとう。今でも尊敬してます。
35歳なった今でも実践中です!!!

ユーザーID:0268037745
真実にめをむけること
こちこち
2011年1月7日 9:04

臨月に元夫(当時はまだ夫)の借金や浮気など様々な問題が露呈。
そんな問題山積で離婚間近だった私は誰の立会いもなく実家の産院で出産しました。
産後の不安もあってか翌日深夜2時頃、当時元夫と住んでいた地域でお世話になってたおばさん(亡き母と同年代)にメールしてしまいました。
「いろんなことが頭をめぐり、眠れない」と。
そしたらなんと、起床後に目を通す程度だと思っていたのに早々に返事が届き「大丈夫?今日はもう寝なさい。明日時間があるなら伺うわ」とのメールでその日は終わりました。
翌日、電車で2時間もかかるところをおばさんは来て、ひたすら私の話を聞いてくれました。
そしてやっと口を開いたおばさんに言われた言葉。
「あなたは悪くない。そんな大そうなこと、一人でかかえてよくがんばってきたわね。だけど正直いうと今まであなたはご主人の真実をみようとしてなかったのね。真実はつらいかもしれないけどきちんとみることは大事。」
との一文がとても印象に残ってます。
その後も元夫の愚行は噴出しましたが三行半を叩きつけ、私は産後間もない息子をかかえて離婚しました。
おかげで今は楽しい日々です!

ユーザーID:2591382363
出産後の病院で
こちこち
2011年1月7日 14:57

2度目になりますが、1度目のレスに書いたように私は離婚間近ということもあって完全個室の産院ではほぼ一人の状態。
よそさんはご家族・ご主人と訪れてるのに。

そんな中、産院での授乳指導の時間。
人生初の授乳。
期待に胸膨らませて部屋へ行くと、出産日時の近い5名ほどのママさんたちと一緒になった。
完全個室の産院ゆえ、そこでよそさんと仲良くしゃべるわけでもなくそれぞれに着席。

指導する看護師がやってきて「では〜のようにやってください」との言葉。
いざ息子に授乳しようとするも息子は拒否・・・私は焦り。
「なんでくわえないのかな〜」と思ってたところにその指導看護師の言葉が・・・
「ほら!もっとちゃんと赤ちゃんのクチに乳首つけて!!」ととてもキツイ口調で、私の胸をつかみ息子の口元へひっぱる始末。
私はそれに怒りよりも「この人、何者?」って残念な驚きのほうが強かった。

そんな私を見てた隣に座ってたママさん、
「だいじょぶ、だいじょぶ!最初はみんなできなくて当然!わからないもんね!」
と笑顔で言ってくれました。

あなたのその一言で心が軽くなりました。

ユーザーID:2591382363
生き返った瞬間
末娘
2011年1月11日 4:03

私が若い頃は、似た者同士なせいで喧嘩ばかりしてた
大好きな父が自死して四十九日も経たないある日、
実家に行くために駐車場に向かっていると
知らない小学生の男の子が目をキラキラさせて話しかけてきた。
「こんにちは!あんな!あっちですごい大きな虹がでとってん!!すぐに消えてもてんけど、ほんまおっきかってん!!」
本気の嬉しい報告に、思わず私も興奮して
「えー!見たかったな〜!」と叫んでしまった。
男の子の背中を見つめながら、私まだ笑えてるわ…
と安心した。

ユーザーID:5139714706
美しい外国の方に救われました。携帯からの書き込み
お姉さんありがとう
2011年1月11日 16:38

20歳の時、今はもう理由も思い出せませんが、辛い事があり妙切れなくなって駅の片隅で泣いていました。

すると、綺麗な外国人のお姉さんが近くに来て、心配してくれたんでしょうね。
私をぎゅうっと抱きしめてくれたんです。
そして片言の日本語一言、
「だいじょうぶ、あしたはきっとしあわせ」

泣き止むどころか胸が一杯になって余計泣いてしまいましたが、私が落ち着くまで抱きしめててくれました。

連絡先も名前も聞けなかったけど、ずっと感謝してます。

ユーザーID:4660117298
私の傘の話
雨女
2011年1月11日 22:59

駅に向かう途中、雨が降ってきて、ちょこちょこ雨宿りをしながら、向かっていました。本格的に降って来ちゃったなあ・・・でも、あの信号を渡ってちょっと走れば・・・と思い、飛び出そうとしたその時。

白髪の紳士が、さっと傘に入れてくれました。
「すぐそこですから、大丈夫です。おじさんの素敵なスーツ、濡れちゃいますから・・・・」と、遠慮したのですが、
「大丈夫、大丈夫、クリーニングに出せば済むことなんだから。
 それより若い女性が雨に濡れて歩くものじゃないよ。
 まるで悲しいことがあったように見えるから。女性は花、だけど
 水をかぶったら、傷んでしまうからね。自分を傷つけてはいけないよ」
とニッコリ。

実は、本当は悲しいこともあったんです。ズドーンと落ち込んでいたんです。でも、さらに自分を責めて自分を痛みつけてたような日々でした。偶然かもしれないけれど、まるでそれを見抜いていたような・・・。

駅まで他愛のない話をして、それじゃ・・とスマートに去っていた紳士、素敵だったなあ。

ユーザーID:5498444289
40年前の一言
大きな口
2011年1月12日 14:00

それは私が小学校3年か4年生だったときのこと。学校の校庭で日が暮れるまで夢中になって遊んでいた私は家に帰る時間が過ぎているのに気がつきました。一緒に遊んでいた1年上の男の子とは帰り道が途中まで同じ方向でした。暗がりを一人で歩いて帰るのは怖かったので私は自転車に乗って帰るその男の子のスピードにあわせ、一人にならないよう一所懸命走っていました。
“がんばれ大口!がんばれ!”横で走っている私に向かってその男の子は応援してくれました。その頃、私は自分の口にコンプレックスをもっていたのでそんなふうに言われ、不思議な気分になりました。いじめられているのか応援してくれているのか、なんとなく私のこと好いてくれているような・・。40年たった今、まるで昨日のことのように思い出されます。“がんばれ大口!がんばれ!”今ではコンプレックスから開放され、大きな口がかえって魅力的と自分では思えるようになっているのでくじけそうになった時その言葉を思い出しています。その男の子は今の私よりも今の私の息子たちよりもずっとずっと小さかったのに、なぜか私の心の中ではその言葉と共に大きく見えているのです。

ユーザーID:8793356498
他人ではありませんが
のぶ
2011年1月12日 17:58

高校を卒業して都会で一人暮らしを始めて3カ月たったころ
実家の母から小さな箱が送られてきました。
私は9歳の時、実母を交通事故で亡くし2年後父が再婚、その継母からの小荷物です。
箱を開けるとごくありふれたお菓子が入っており、こんなもの送ってこなくてもと苦笑しました。
そして箱の底には一通の手紙が。
貧しい家に生まれ、満足に学校へも行けなかった母が鉛筆で書いたたどたどしい手紙でした。
元気ですか、体に気をつけてとごくありふれた内容の手紙でした。
読んでいて涙が出て止まらなくなりました。
私は実母を亡くして以来、頑なに心を閉ざした少年でした。
そんな私に対し、母は農作業、家事、育児(父と結婚後生まれた妹)と忙しいのに一生懸命気に懸けてくれました。
でも私はなかなか心を開くことができませんでした。

そして家を離れてやっと母の優しさに気付きました。
自分がとても運のいい恵まれた人間だと。
ありふれた事、当たり前の事などないのだと。

あれから40年、父は亡くなり母は田舎で一人暮らし。
妻も母に、心配だから一緒に暮らそうと誘うのですが
母は父と暮らした家を離れられないと言います。

ユーザーID:3930553435
電車の中で聞こえてきた声
train
2011年1月13日 0:25

20代前半で社会に出たばかりの頃でした。当時の私は今で言うモラハラ男と交際していました。

モラハラ男から前夜に電話で数時間に渡って、人間失格、卑怯者、ありとあらゆる罵倒を浴びせられ、その日「もう死んだ方がいいのかな」と思いながら通勤電車に乗っていました。考えないようにしても頭の中で浴びせられた罵倒が蘇り、堪えてもじわっと涙が浮かんでいました。
その時、同じ車両のどこかから
「辛いことがあると、辛くて辛くて、これ以上辛いことなんかないって思うし、この辛さはずっと消えないんだって思うくらいに辛いけど、時間が経つと『なんであの時、あんなことくらいで辛いなんて思ったんだろう?全然辛くないや』って思うんだよ。だからね、ちょっとだけ時間が経つのを待てば辛くなんか無くなるんだよ」
と若い女性の声が聞こえてきました。多分同行者に話していたのだと思います。

偶然居合わせただけですが、その瞬間、涙はぴたっと止まり、まさにぱあっと目の前が開けた気分でした。
帰宅後すぐ私は電話でモラハラ男に別れを告げ、多少揉めましたが逃げ切りました。

あの時の女性の声、ずっと忘れません。

ユーザーID:7214994295
姉からの言葉
めい
2011年1月13日 8:54

私は4年半ほど前、結婚して初めて妊娠しましたが、産婦人科で2回目の検診のときに稽流流産だと診断されました。
食生活がいけなかったのか、普段の行動がいけなかったのか、何が問題だったのか分からず自分を責め、落ち込む私に姉はこうメールをくれました。

「あなたは悪くないよ」と。

姉には娘と息子がいるのですが、その娘と息子の間に同じ稽流流産で二人も流産しています。その時私はまだ独身で、稽流流産という言葉はおろか流産のつらさなど全く知る由もありませんでした。悲しんでいる姉に私は何て言っていいのか分からず、何もしてあげられなかった私なのに、姉は「あなたは悪くないよ」と何度も何度も励ましてくれました。

あれから未だに子供には恵まれてはいませんが、私にとって姉も姉の言葉も宝物です。

ユーザーID:0237091983
先生の言葉携帯からの書き込み
じん
2011年1月13日 22:52

小学校6年だった頃、私はおとなしくて人見知りでクラスになじめなくて、ほとんど何をするにも一人で行動し、いつもクラスの子たちから浮いていました。毎日楽しくもない学校へ行くのがとても苦痛でした。

ある日、わたしが髪を短く切って学校へいったら数人のクラスメートの女子がわたしの髪型をからかってきました。
それを見た先生はさりげなく「じんちゃんの髪型かわいいやんか、先生大好きや。だってほら先生とおんなじ髪型やもん。おそろいや」
と、先生が言ってくれたました。その先生も短髪だったので「おんなじやで」って言ってくれたその言葉がとても嬉しく、今思い出しでも温かい気持ちになれます。自分にとって忘れられない一言です。

ユーザーID:2452837028
思い出しました
どんぐりこ
2011年1月14日 22:09


いいトピですね〜。
仕事中なのに目に涙を溜めてずっと読んでます。

15年ほど前、遠距離でしたが心底惚れていた人がいました。
サプライズで会いに行ったところ、二股をかけられていたことが判明。
しかもその人は同棲中。私が非難すると「言ったと思っていた」と飄々と言い放った彼。
発狂するかと思うほどのショックでした。
毎日泣いてばかりで、何とか彼の気持ちを取り戻せないかと悶々と考えていたところ、
そんなこと全く知らない友達からふと「どんぐりこはずっとどんぐりこのままでいてね」言われました。

振られた自分、彼をバカみたいに信じきっていた自分を卑下し、嫌悪しまくっていたときだったので、
「こんな私でも評価してくれる人がいるんだ。自信もっていいんだ。私は悪くないんだ」と思えました。

今ではその彼の顔すら思い出せません(笑)。

ユーザーID:3778820883
相合傘をしてくださった女性
tugumi
2011年1月15日 14:45

1年間限定で東京勤務をしたとき。
なれない地下鉄通勤で、ぶつかっても謝らない人等がとっても
ストレスでした。(田舎ならぶつからないし、ぶつかったら謝り
ますし)
やっぱ東京って最悪〜と思い始めた頃、職場を出たらぱらぱら雨が
降っていて地下鉄の入り口までちょっとあるけどまあいいか〜と
あるきはじめたところ、横からすっと傘をさされて
「地下鉄までご一緒しましょう」
と声をかけてくださったのは、雑誌にでてきそうな綺麗なOLさん
でした。
どきどきしてお話も何にもできませんでしたが、東京も捨てたもの
じゃないのね〜とささくれていた心に油をさされた気がしました。
(ちなみに私も女性ですが)

ユーザーID:1925547161
親のハナシ
三毛猫
2011年1月16日 9:28

本当に涙がちょちょ切れるレスです…朝から目が腫れました(笑)

なんか、こう…本当に、たった一言なのに「すとん」とくるのですね
「言わされた」ではなくて、「本当にそう思ってくれている」と感じるから、ほんの一言でも嬉しくなります。


自営業の父とは全く上手くいかず、店を畳んでからも何を話していいのかわからずに喧嘩はせずとも一緒にいても話すこともなく、食事以外で席を一緒にすることもありませんでした。4年間留学を経て帰ってきてからはなお更に。

結婚、退社、引越し、就職が一度に決まり、ノイローゼ気味で毎日一人深酒に走っていた頃がありました。実家に忘れ物をとりに、誰もいない時間を見計らって帰った時、
一人でゴルフを見ていた父がいてびっくり。そしたら

「たまには帰ってきてもいいんだぞ」

という一言が。もう70才近くで、背も随分と小さくなった父の背中越しに言われた言葉に、「うん」としか応えられず。が、「あぁ、お父さんだ」と思いました。それだけだったのですが…とてもとても泣きそうになった一瞬でした。

親って、凄いですね。本当に凄いです。

ユーザーID:3293261912
鬱の時に携帯からの書き込み
かな
2011年1月17日 11:21

数年前、鬱で仕事を辞めて無職になっていました。
いつまでもそんな状態が辛くて、医療事務の資格を取ろうとスクールに通うことに。
たまたま、以前の職場の先輩(鬱のことは知りません。)にそのことを言っていたのですが、
スクールには一日行っただけで周りのやる気満々な雰囲気に「あぁ、ムリだ…」となり、
速攻辞めてしまいました。
理由を言わずに辞めたことだけを先輩にメールした時に、
「どうして?なにかあったの?」と聞かれるかな〜と思っていたのですが、
「そういう時もあるよ。まあ、焦らないでゆっくり行こうよ。」
という返信が。

そういうキャラでなく、いつも私を茶化してくるような人だったので、余計ジーンとしました。

鬱が良くなった今でも、その人は良い友人です。

ユーザーID:0523654996
いいお話ばかりです。
招き猫
2011年1月17日 20:47

一年ほど前のことです。
当時付き合っていたモラハラ男と別れられず、家族や友達に心配をかけてしまいました。
別れるなら今までお前に出したご飯代などを返せと言われ、心身共にぼろぼろでした。
何ヵ月もかけてやっと別れられたとき、やはりお金を要求してきたので、家族と友達に相談し、もし押し掛けてきた時はご迷惑おかけします、と言いました。
そして、やはりモラハラ男は職場に来ました。体が震え上がったのを覚えてます。
家族に報告したところ、その後、父がモラハラ男が来た時間に合わせて見えないところで見張ってくれるようになりました。

もし来たら俺がいってやるからお前は安心して仕事をしろ

と言ってくれました。
そして母も、

もし何かあったらお母さんが弁護士なりなんなり雇うし、だからあんたは堂々としていなさい。大丈夫。

と言ってくれました。
二人の言葉にどれだけ救われたことか。
祖母にも心配をかけてしまい、家族の愛を改めて感じました。
その時から、家族を大切にしなくてはと常に考えるようになりました。

家族愛って、すごい。

ユーザーID:8582196349
古いけどピカピカ
ウチコ
2011年1月18日 16:13

私の生まれ育った家は、かなり古く、お風呂はもちろん五右衛門風呂、トイレもボットン汲み取り式(ほぼ枠しかなく大人でも落ちそう)、部屋も襖で仕切られただけなので、自分の部屋と言える部屋もなく、とにかく嫌で嫌でたまりませんでした。結局私が成人した頃に父がやっと新しく建て替えてくれたのですが、随分経ってその話を幼馴染みと笑いながらしていると、その子が「確かに、ウチコん家は古かったけど、家の中はいつ行ってもピカピカだった」って言ってくれて…。その時ハッと気付きました。そうだ、おばあちゃんだ!おばあちゃんが毎朝決まった手順で家中をキレイに掃除してくれていた!幼馴染みに言われるまで気付かないなんて、バカバカ私。でも本当に嬉しくて、おばあちゃんにも幼馴染みにも感謝しています。ありがとう!

ユーザーID:4384319524
あなたは大丈夫ですか?携帯からの書き込み
りさ
2011年1月19日 0:56

昔、クリーニングの配送のバイトをしていました。
ものすごくスピードを要求される仕事で、積み込みも1人でしなくてはならなかったため、
車で移動する時間を急がなければなりませんでした。
つい、慌てて細い道でスピードを出していると、前方のワゴン車に軽くぶつかってしまいました。
相手の運転手さん(男性)は赤ちゃんを車に乗せていました。
警察に行き、お互い体も車も無事だった為、
ひとまず口答で謝罪しました。
かなりテンパっていたので、半泣きでした。
すると、相手の男性はニッコリ笑って、
「あなたは大丈夫ですか?仕事のほうは?」
と言って下さったのです。
その男性は赤ちゃんも一緒だったので、とても心配しただろうに…
世の中には良い人もいるんだな、と感動してその日は泣きながら帰りました。

ユーザーID:0523654996
昨年の夏
Nana
2011年1月21日 18:01

炎天下の外回り営業とキツイ上司に耐えていた真夏の夕方、
通勤時間帯に入り、家路を急ぐサラリーマン達に逆行して
疲れきって会社へ戻る途中、ふいに片方の靴が脱げてしまいました。

すれ違う人々に蹴飛ばされ、ポーンと飛んでいく私のパンプス。
よろよろと追いかけ、やっと捕まえました。
履き直そうと立ち止まると、邪魔だとばかりに舌打ちして通り過ぎる人達。

早くしなきゃ、と思うほど体がグラグラして、なかなか履けない。

「Are you alright??」

白人の中年女性が、肩を差し出してくれました。
突然現れた優しい笑顔に驚きながら、何度もお礼を言って靴を履きました。

心がパッと晴れたようになり、元気が出ました。
オバチャンどうもありがとう!!

ユーザーID:4861949897
先生の一言
2011年1月23日 20:19

私の父は障害者で、自分が中学生の頃、それがとても嫌でした。
友達にも自分の父が障害者であることは言わず、ずっと隠していました。

ある日、クラスで「障害者スポーツ」について調べよう。
という課題が出ました。
たまたま私の班は、私の父が趣味でしている障害者スポーツの担当になりました。

何日もかけ、インターネットや図書室で本を借りてきて調べている班が多い中、私の班は課題が出たその日の夜に父に聞いてきた為、次の日には提出できました。
先生に提出したとき、「なんでこんなに早いの?」と聞かれ、
「私の父が障害者で、このスポーツが趣味なんです」
と答えました。
言い終わる直前、涙があふれてきて、ずっと下を向いていました。
すると先生が
「ラッキー!じゃあもうひとつ質問があるの!これなんだけど、お父さんに聞いてきてもらえないかな?」
とまた新たな課題を出されました。

今まで十何年も悩んでいたことが、「ラッキー!」と軽く流されてしまいました。
でもそれが私には意外で、そして嬉しくて、
「私が考えていたことなんて、ちっぽけなものなんだ」と思えました。

ユーザーID:4645662097
飛行機で
不眠症
2011年1月24日 4:59

海外在住で出産後初めての帰国。5ヶ月の子供を連れてのフライトは不安でいっぱいでした。迷惑をかけないようにと子供が一番寝てくれる深夜便で帰りました。
ところが予想に反して子供が寝てくれず、泣きそうになったら抱いて人がいなかった後部座席を行ったり来たりして一晩過ごしました。もちろん機内食は食べれず・・
日本に到着して最後に子連れで機内を出た所、トイレの前でおばちゃんの団体さんがぺちゃくちゃおしゃべりしていました。その中の一人が子供に向かって「泣かないで良く頑張ったわねえ、偉かった、偉かった」と褒めてくれました。公共の場所での子連れは日本では嫌がれると聞いていたので他の人に迷惑をかけないようにと気を張って結局、一睡もできず徹夜のフライトでした。その一言で気が緩み、涙がポロッっとでてしまいました。
あの時はどうもありがとございました。私もそんな一言が言えるおばちゃん目指しています。

ユーザーID:8090407881
おかえりなさい
Mrs.Chunky
2011年1月24日 6:56

ベストトピ賞の記事から来ました。
以前は発言小町をしょっちゅう覗いていましたが、今は育児休暇を取っているところです。笑

ということで是非とも私の経験も書かせてください。他の皆さんの投稿を読んでいないので、既出でしたらすみません。

私は25歳で外国籍の夫と国際結婚をしました。その時はまだ日本に住んでおりましたが、数年後には国外に転居することが決まっていました。楽しみ半分、寂しさ半分。

友人と海外旅行に行った時のことです。帰り成田空港に着くと、

Welcome to Japan
おかえりなさい

という看板が出てきました。

私はこの、ひらがなの“おかえりなさい”にやられて、涙が出てしまいました。なんて温かい言葉なんだろう。私の帰るところはここなんだ。国外に引っ越して辛いことがあっても、いつでもこの言葉を思い出そう。私には、帰る場所が、迎え入れてくれる家があるんだということを思い出そう。

そう思いながら、今海外で暮らしています。

まぁ夫と喧嘩して、何度日本に帰ろうかと思ったことか。笑

ユーザーID:3785925124
車が動かない
しえ
2011年1月26日 22:48

雨の日の夜遅く、夫を早く迎えに行こうといつも通らない近道を選択してしまいました。
細い道、あまり車が通らない道で道路の隙間にタイヤが挟まって動けなくなってしまって、外に出て押してみましたが動くはずもなく、途方に暮れていたら一台の車がゆっくり通り過ぎました。
するとバックしてきて「どうしたの?」30代くらいの男性が声をかけてくれました。訳を話すと「ちょっと待ってて、これ軽だから家に帰って大きい車を持って来るから」
五分くらいするとその人が車を乗り換えて来てくれました。
二台の車を繋げてひっぱってくれました。
お礼のお金を渡そうとしたら「いらないよ、それより気をつけて帰ってね」
と、受け取ってくれずにいってしまいました。

しばらく涙が止まりませんでした。
ありがとうございました。

ユーザーID:5277472362
母の「幸せ」って
Da
2011年1月27日 11:22

良いトピに勇気をもらっています。
今度は私が書く番かと。

私は父を小6で亡くし、母が1人で頑張って私を育ててくれました。
大学生になり実家から離れ、以来母とは別々に暮らしており、現在母は1人暮らしです。

年に1回、母が私の街に遊びにやってきます。
実家よりは都会だからなのでしょうか。母の友人をたくさん連れて。
私は1日がかりで皆さんの観光案内に徹することにしていますが、これがなかなか大変で(笑)

で、別れ際に母のある友人が「しっかりした息子さんでいいわねえ」と母に言ったとき、母が、
「本当に幸せです」
とぽつりと一言。

ふだんそんなこと絶対に言わないのに。

「多くの人から幸せをもらい、多くの人に幸せを与えられる人になりなさい」という母のメッセージだったのか
もしれません。

普段何もしてあげられないことをいつも悪いと思って日々暮らしていますが、
この年になっても母には教えられることばかりです。

いつまでも元気で、そして幸せでいてほしいものです。

ユーザーID:8539755536
何気ない他人に向けられた一言
kingyo
2011年1月28日 6:14

20代の頃の私は頭でっかちで空回りばかりしていました。
理想型ばかりにこだわり、この方法だと少し違うからダメだ、環境がダメだ、恵まれていない等々、今から考えれば恥ずかしい言い訳ばかり考え、行動には移さないダメな状態でした。

そんな時、恩師がポツリとこう呟いたのです。
「あいつ、もっと楽にすればいいのに」

あいつとは友人のことで、その友人も私と同じように考えが固まってしまっていた人物でした。

他人に向けられた言葉だったから余計なのか
その言語は妙に私の中に入ってきました。

「そうか、楽に考えてもいいんだ」

そう頭に浮かんだとたん、目の前が明るくなり肩の力が抜けた感じがしました。
楽に考える=怠ける じゃないよな。
理想型と少し違っても臨機応変に考えた方が楽しいし、前に進む。
そっか!
理想型と外れる=妥協 じゃなく「前進」なんだ!

そんなことが一気に押し寄せました。

この時がキッカケに何かが好転し、当時の理想型ではないけれど今、満足のいく仕事に就けています。

ユーザーID:6857645442
愛情を感じた
Re
2011年1月28日 7:35

身内からの言葉ですが。

幼少期に実の両親が離婚。その後、父と継母、そして継母との間にできた妹と父方の祖父母とともに暮らしましたが、私は自分が父の離婚を証明してしまう存在、本当はいない方が良い子供なのだと思いながら育ってしまいました。

そしてどこか家族の愛情に対する不信感のようなものを拭いきれないまま大学進学時にその家を出ました。

そして夏休みの帰省時。
祖母がTV画面に映る女子アナを指して「お前もこの仕事をすればいいのに」と軽く言ったのです。

アナウンサーになる気も、そんな要素も全くない私はびっくりして「何を言い出すん〜?」と笑いながら返すと祖母は

「あの仕事なら、離れてても毎日お前の顔が見れるなぁ思て」

その言葉を聞いた途端、涙が溢れました。
「なれるわけないや〜ん」とやっとのことで言った後、トイレに駆け込み声を殺して泣きました。

私に対する同情や気遣いで言った言葉ではなく、純粋に私のことを愛してくれているのだと、強烈に感じられた言葉でした。
あぁもうこれで充分だと感じました。

今でも思い出すと鼻がツーンとしながらも心が暖かくなる大切な言葉です。

ユーザーID:6857645442
精神科にて
たたた
2011年1月28日 17:58

眠れない日がずっと続いていて、周りの物音や苦手な景色を見ると怖い!と思う日々が続いていて、「私はノルウェーの森に入ってしまったのだろうか?」、「成年被後見人とかになって親兄弟にも見捨てられるだろう。」と絶望の中にいた時に、精神科のお医者さんに「たくさんの能力を失ってしまったように思います。もう元に戻れない。。今までも泣きながら生きてきたけれど・・。」と言ったところ、「人は能力がなくても生きていけるよ。」と言われました。その時、泣けて来ました。。。一すじの救いを見出した気持ちでした。ちなみに今は病気も良くなって、元気に働いています。もっと辛いこともあるかもしれないけど、今までの人生のどん底の時にかけてもらったひとことです。一生忘れられないです。

ユーザーID:6040851688
「大丈夫だよ」
ポーリーナ
2011年1月29日 22:09

幼稚園の頃、ある伝染病にかかり、隔離入院をしたことがあります。
小さいので何が悪いのか自分でわからず、「全然知らないところに閉じ込められる」「私しんじゃうの?」とただただ恐怖でした。
母が先生に説明をうけている間、私は廊下の椅子で待っていたのですが、ぽろぽろと涙が出てとまりませんでした。

そこへ大学生くらいの(子供目線だったので、もしかしたらもっと若かったかも)お姉さんが、すとんと隣に座り、「どうしたの?」と聞いてくれました。
私は「入院するの」とだけ言って、また泣いてしまいました。
そうしたらお姉さんは、何度も何度も「大丈夫だよ」と笑って話しかけてくれました。
その後、母が戻ってきた時にはそのおねえさんはいなかったのですが、私は泣き止んで、何故かアイスを食べていたそうです。多分お姉さんが買ってくれたんだと思います。

おかげさまで入院はしたものの、探検ごっこをしたり、普段買ってもらえない漫画をよんだり、隔離生活を満喫しました(笑)(後に誤診だとわかったオチつき)

おねえさん、あの氷あずき、おいしかったです。ありがとうございました。

ユーザーID:7961739546
本当に泣けた
かいごのごかい
2011年1月29日 22:56

泣きたいと思ったときこのレスを見つけちゃった!
泣けるいい話ばかりで、思い切り泣いて心が洗われました(笑

そう言えば私も。。。
6年前、義母がクモ膜下出血で緊急手術したときのこと。
当時無職の私が一人で病院の付き添いと義父の面倒を見ることに。
 
夫と一緒に義母のオムツを買いにドラッグストアに立ち寄ったとき
何も手伝わないのに口ばかり出す義弟夫婦に対する不満を、つい夫にぶつけてしまいました。
店内で大喧嘩になり、目に涙をためながらオムツを選んでいる私に年配の男性店員さんが近づいてきて
『ご主人はご家族の入院に気が動転しているだけ。必ずあなたに感謝するときが来る。』と慰めてくださいました。
涙が止まりませんでした。

翌日、夫が私に謝ってきました。自分に代わり両親の面倒を見てくれて感謝していると。
1ヶ月後、義母が無事に退院。義母の留守中義父に家事を叩き込んだ私はお役後免に。

夫と喧嘩したときは、未だにドラッグストアの店員さんの言葉を引き合いにしています。

ユーザーID:5515816357
激しく落ち込んでいたときのこと
ちよこ
2011年2月2日 1:58

みなさんのエピソードに思わず目頭が熱くなり、初めて投稿します。

数年前、自分の失敗で仕事がことごとくうまくいかなくなり、自分には能力がないんだ、ダメな人間なんだと激しく落ち込んでいた時期がありました。
人間関係にもつまづき、遠距離の彼との仲もこじれ、そうするとたちまち負のスパイラルにはまっていき、幼少期の家庭でのトラウマにも苦しめられるようになりました。
そんな中でも仕事はとても忙しく毎日徹夜か終電。真冬の寒いなか、辺りが寝静まった時間に一人暮らしのアパートに倒れこむように帰宅し、孤独を感じて号泣する毎日。
心身ともにボロボロでした。

もうダメだと思った時、友達に自分の苦しい心境を吐き出すようなメールを送りました。
返信はすぐに来ました。

──『たとえば君がいるだけで心が強くなれること 何より大切なものを気付かせてくれたね』
っていう米米の歌、自分にとってあれはちよこの存在そのものだよ。

恋愛の歌だと思っていたのに、女友達にそんな風に言われるなんて。
彼女との信頼関係や結びつきの強さを感じ、ひとりじゃないんだと立ち直れました。

ありがとう。

ユーザーID:6200143353
苦いコーヒーの味
たろ
2011年2月3日 13:22

大学受験をすべて失敗し、2次募集の要綱を携えて、行きつけの喫茶店に。
「ブレンドください」カウンターに1人座り、溜息をついている私に
さりげなく事情を聞いてくれたマスター。話し終えた時にはブレンドのカップは空になっていました。

「曇った顔は似合わないよ」といつもはカップボードに飾ってある素敵なカップに注がれた、もう一杯のコーヒーと10円玉をを私の前に置き
「東京で寂しくなったら、コレクトコールで電話しておいで」って。

あれから24年。駅前の再開発でお店はなくなってしまいました。
結局、2次募集は受験せず、専門学校に進み、就職し、結婚、2児の母になりました。

マスター、コーヒーごちそうさまでした。

ユーザーID:3099451813
自分はダメな人間携帯からの書き込み
もちもち
2011年2月3日 17:20

仕事も私生活もすべて中途半端、自分に自身がなくてなんてダメな人間なんだろう……って泣いていたとき。テレビをつけたら石田○一さんが同じく悩む一般女性に優しく「人生って、自分を裁くためのものじゃないんだよ。」という様な事を言っていました。それを聞いて肩の力がスッと抜けたのを覚えてます。

ユーザーID:2328785915
息子の言葉・・・
2011年2月7日 8:55

私はシングルマザーで、今小学2年生の子供が居ます。
色々なことで悩み、鬱になっていました。
そんなときの息子との遣り取りです。

これは6歳の時の息子に言われた言葉です。
子『ママ、ママは幸せなの?』
私『ママは○○くんが居てくれて幸せだよ〜』
子『ぼくもママが居てくれて幸せだよ』
そして
子『僕たちは幸せを上げっこしてるんだね!』

他の日には
子『ママの一番嬉しかったのはいつ?』
と聞かれたので
私『○○くんが産まれたときかな〜』
すると
子『ならママが喜ぶから産まれたときに戻りたいなぁ…』

その他にも
『ママ!干し葡萄にお願い事を言って。だって星葡萄だからお星様なんでしょ?』と…
これは私が鬱で立ち直れないことで何もかもが嫌になり、泣きながらお皿を何十枚も割り、そんな私を割れたお皿のある場所から手を引いて他の場所に連れて行ってくれた後の言葉です。

5,6歳の子供にこんな言葉を言わせてしまう、こんな母親の元に産まれた息子に申し訳ない気持ちばかりですが、でも我が子の言葉に癒され、そして今は段々とですが立ち直りつつあります。

ユーザーID:0257408315
友人からもらった言葉。
kiku
2011年2月7日 9:28

大学時代、いろいろな悩みがわっと押し寄せてきて、いっぱいいっぱいな時期がありました。知人の度重なる訃報、家族の死、自分の進みたい道があやふやな浮遊感。そんなのがきっかけで、自分の性格だとか、現在の状況だとか、もうありとあらゆるものが、軽く受け流せずに「悩み事」になってしまいました。

過去によく泣くといわれて以来「もっとしっかりしなくては」とか「できるだけ一人で何とかしないと」という気持ちも強く、かなり気を張り詰めていたと思います。


「手伝いがほしいときは、そう言え」


そんなあるとき、研究室仲間が発した言葉です。親しくしていたわけでもなく、全く関係のない会話の流れでこういわれたのですが、本人も疲れ切っていている風だったので、ことさら心に来ました。目と喉がジーンとしてくるにつれ「ああ、私がほしかった言葉ってこれだったんだなぁ」と。

この言葉をたまに思い出しては、今回助けてもらって次は私が助け、そんな風に人はお互いに支えあっていくんだなと実感します。自分もしんどい時に回りを気遣えるのって素敵ですよね。今ではこの人とはいい友人です。大切にしていきたいです。

ユーザーID:5408068915
ママは一個なんやで
☆カヨ☆
2011年2月7日 9:36

8年前、私は乳がんの全摘手術を受けました。
まだ子供が3歳の頃でした。
幼稚園のお話の会で「おっぱい」という絵本を先生が読みました。
「犬のおっぱいは、たくさんあるね〜。じゃあ、人間のおっぱいは?」
と、言うと園児達は元気に「ふたつ!」と大きな声で言いました。
息子は、しばらく黙っていたのですが、隣の子に小さい声で
「僕のママは、おっぱいが一個しかないんやで。
でもな、それは病気やでしょうがないんや・・・」と言いました。
隣の子は冷やかす事もなく「そうなんか・・・」と
言ったきり、何も言わなかったそうです。
担任の先生は、私の手術を知っていたので、
この絵本を読んでいいのか迷ったそうです。
でも、息子の心の強さ、それとお友達のやさしさを知る事ができて
良かった。きっといい子に育ちますと言ってくれました。
先生のおっしゃったとおり、いい子に育ちましたよ。

ユーザーID:9631100860
ちょっと過激なんですが・・・
ポンタ
2011年2月7日 10:17

むかし、義父に非常に心無い言葉を投げつけられ、1か月位凹んでいました。友人にとても大人な性格な人がいて、相談しているうち、「もう、あの時まじで蹴飛ばそうかと思った」とつい言ってしまい、あ、怒られるかな・・・と一瞬反省。すると・・・

「蹴飛ばしてやれば良かったのに!」。。。

ありがとう、私の気持ちわかってくれて。もちろん、蹴飛ばすことなどせず、穏やかに関係を続け、看取り、今は義父の事業を継いだ夫の手伝いに勤しんでおります。

自分の気持ちを汲み取ってくれる人の一言ほど救われるものはありませんね。

ユーザーID:6806739474
学生の作文
ベル
2011年2月7日 10:27

「ひとこと」ではないのですが
ある学校の、障害を持つ兄弟がいる健康な子の作文が載っていました

我が家も同じように障害を持つ子と健康な子の両方がいます
障害を持つ子が兄弟にいる事でいじめられたりしないだろうか
障害を持つ子が兄弟にいるという事はその兄弟にとってどういうことなのだろうか
無理をするのではないか、犠牲にするのではないかと日々心配が尽きず悩んでいました

そんな時読んだのがその子の学校で書いた作文。
自分が学生の頃は自分が学校で書いた作文が人を励ますなどとは夢ほどにも思っていませんでした
その子もきっと私が励まされた事は知らないと思いますが、こんなこともあるのだなと思いました
コピーして大切にファイリングしてあります

他にも「世界に一つだけの花」や
自閉症を取り上げた一昔前のドラマ「光とともに・・・」の主題歌「万華鏡キラキラ」
障害児が生まれていなかった頃に気にいって購入していたCD、今では歌詞にとても励まされています

ユーザーID:2199564630
先生、ありがとう
くりす
2011年2月7日 11:35

中学のころに、引っ越して転校をしました。

自分に全然自信がなくて、他の物や人に必死になってしがみついて、嫌われるのも孤立するのもすごく怖い時期でした。
周りにいる子達は輝いてて羨ましくて、自分と比べて沈んでいました。
何やっても1番にはなれないって分かってたから。
毎日のことだったから、辛いっていう感覚がマヒしてた、ような気がします。
いじめる側かいじめられる側か。
私はいつも瀬戸際にいました。
だから一層グループの結束が強く感じられて。
でもただ単に人に、グループにしがみついてただけじゃなくて、大好きで大好きで離れたくなかったんです。
私の影がどんどん消えて存在がなくなってくだろうことが悲しかった。

そこで大好きな先生に言われた一言がすごくすごく嬉しかったんです。
「あなたはずっと私の生徒だから。」
親も友達もくれなかった、一番欲しかった言葉をくれた。
忘れないって言ってもらえたような気がして。

今でもこの先生とは年賀状交換しています。

ユーザーID:7041040226
言葉ではありませんが...
82me
2011年2月7日 11:52

自分の場合は『言葉』ではなく、『行動』で、もしかしたら自分の思い過ごしかもしれませんが、そのときはとても落ち込んでいて、その何気ない行動に『思いやり』を感じたのです。。

とあるラーメン店での事です。その日は確か冬の雨の日でした。。
一人で列を並んでいると、前の方が「良かったらどうぞ」と列を譲って下さいました。
外は雨で、30分は並んでいるのに自分に列を譲って下さいました。。
きっと、自分がそれほどヒドイ顔だったのかもしれません。。
それから店内に入ると、また違う方が、水を注いでポンと置いて下さいました。。
自分は泣きそうになりながら出てきたラーメンをひたすらすすりました。。

そして帰り際、思いにふけながら、『人間っていいもんだ』と、心が再び温かくなりました。。

今思うと、あの時の何気ない行動に本当に心が救われ、今でも鮮明に自分の記憶に刻まれています。。

ユーザーID:1666216365
振られた彼氏の友人の一言
あっこ
2011年2月7日 11:56

Yahooでこちらの存在を知りました。
仕事中にも関わらず一人静かに涙をぬぐってます。
私も参加させて下さい。

21歳の時仕事も忙しく、当時付き合っていた彼氏も浮気をしていて、でも私はずーっと別れられず半年ほどは彼が浮気しているのを知っているのに付き合い続けていました。
ある時彼氏のパソコンから浮気相手の女の裸の写真やらが出てきました。パニックになった私に彼氏がキレ出しむちゃくちゃ殴られ振られました。
家でも親には男を見る目がななどと、全く慰めてはくれずただ耐えるだけの日々。それからなにをするのも楽しくなく、何度も死のうを思って生きていました。

ある日相談にのってくれていた元彼の友人と話していたらつい泣いてしまったんです。
その場は慰めてくれなんとか家に着いた頃、友人から一通のメールが…。

『これからどんどん楽しー事待っとるで寂しがんなよ。』のメールが。

絵文字も記号もなく、ほんと言葉だけのメールでしたが、溢れてきた涙でとうぶんの間家に入れず車の中で号泣していました。

2年たって携帯も変わりましたが、必ず保存メールにはそのメールが今だにあります。

ユーザーID:0601483101
母の言葉です。
ぽっぽ
2011年2月7日 12:02

実家から遠く離れた土地に就職したと思ったら、あっという間に妊娠してしまい
主人と結婚して、長女を出産しました。
これだけでも充分親不孝なのですが、生まれた子供には症例が少ない障害が有り
私は当時かなりいっぱいいっぱいだったと思います。

その時母が、やはり障害を持つ子を育てた従姉の連絡先を教えてくれて
こう言ったのです。

「私達は皆ファミリーなんだから、何でも頼りなさい」と。

涙が止まらなくなり、電話口で号泣しました。
今でも上手く行かない事は多いけれど、この言葉には心から感謝しています。

ユーザーID:9139926430
小さな戦士
ちかり
2011年2月7日 13:10

私の父は会社を経営しています。
そのグループ会社の社長として夫は仕事を任されています。

私は、3歳の長男、2歳の次男、0歳の長女の育児をしながら、
0歳の娘を会社に連れて行き、仕事を手伝っています。
夫の肉体的、精神的負担を考えて、家事を手伝わせることはありません。

でもさすがに、私も毎日がめいっぱいすぎて疲れたな なんて思ってた頃
夫から性格が合わないから別居したいだの、離婚したいだの、もっと仕事しろだの言われて
心身ともに憔悴してしまいました。

それでも子供の前ではママにならないといけないので、
「ママにギューしてくれる人」と両手を広げると
長男が真っ先に飛び込み
「どうしたの?何かあったの?」と頭をなでなで・・・

その優しさにとても癒されました。

ユーザーID:0528901787
病院の看護師さんに
るんるん♪
2011年2月7日 13:11

離婚〜母子家庭〜子供を手放し(子供の希望で)〜引っ越し&再婚して、でも初日から夫と上手くいかず...
お金も職もなく、何をする気力もなかった頃。

めまいが起こり、近所の病院へ。

そこで精神的な原因になるような事情を簡単に説明したら
診察室で居合わせた看護師さんが「大変やったんやねぇ」と優しく言って下さり...

家に帰って号泣しました。しんどい時には「大丈夫?」新しく働き始めたら「どうだった?」そんな何気ない一言に非常に飢えていた自分に氣がつきました。
そして、そんな何気ないけれど暖かい言葉をかけられる人になろう!と思わさせてくれた一言でした。

その病院は地域に根ざした病院で、我が家の主治医になってもらってます。
看護師さんがいつも暖かく声をかけて下さるのでほっとします。

いつもありがとうございます(*^^*)

ユーザーID:3878004334
父の言葉
トン
2011年2月7日 13:51

勤務中ですが思わず・・・。

私は生後2ヶ月の時に母がくも膜下出血で緊急手術。
手術は成功しましたが数年寝たきりの状態の母。
3歳年上の姉と2ヶ月の私。生活が大変だろうと親戚が日中私を引き取ってくれたそうです。
早朝から深夜まで働く父が帰宅後、私が居ない事に気づき親戚の元へ。
『この子は自分の子です。何があっても自分が育てます!』
そう告げて私を連れて帰ったそうです。

この事を28歳の時、親戚から聞きました。
当時、父と不仲で心配・迷惑を沢山掛けてきた私は涙が止まりませんでした。
どんな状況でも私を手放さずいつも味方になってくれた両親に今後沢山の笑顔で親孝行したいと思いました。

ユーザーID:8489785071
「夢だったんだから」
あずまる
2011年2月7日 14:29

3年ほど前、職場のごたごたから休職しなければならなくなった事がありました。病院からの帰り道、前職の同期だった大親友(男性)に「仕事休むことになったよ」とメールしたんです。翌日の朝9時。夜勤明けのはずの彼から突然の電話。「どうしたの?こんな時間に??」と聞いた私に、彼は半分怒ったような声で『どうしたはこっちのセリフだ・・・夢だった仕事なのに休職するまでがんばるな』と。急いで電話してくれた気持ちと優しさに、その後は相槌をうつのが精一杯でした。 
結局、休職を経てその仕事は辞めてしまいましたが、あのときの優しさは今でも私の励みになっています。

ユーザーID:2610436678
支えられて。
七海
2011年2月7日 14:48

とても素敵なトピックスですね。
休み時間を利用して読みましたが、涙を堪えるのがやっとです。

私も助けられた事がありました。
当時中学3年生、受験真っ只中に居ました。中1の時に不登校になり、親が「なら留学しろ」と学校に内緒で勝手に留学してしまい、中学1年は丸々海外に居ました。
英語は話せるようになりましたが、いざ受験になったら、国語やら数学やら色々不都合が出て来てしまい、もしかして何処の高校も行けないんじゃないかと、不安から拒食症、不眠症になってしまいした。
もうにっちもさっちも行かなくなって、文字通り「どうすれば良いの!」状態だった私に、当時担当して下さった病院の先生が。
「人間、食べなきゃ死んじゃう。寝なきゃ死んじゃうんだから、その内食べるし、眠れるよ」
と穏やかに言って下さいました。食べなきゃ、眠らなきゃと思ってた当時の私には正に目から鱗状態でした。
病状は驚くほど良くなり、無事第一志望にも合格しました。その時の病院の先生も、担任だった先生も、暖かく見守ってくれた母にも、英語で国語を教えて下さった英語の先生も、皆さんに感謝しています。

ユーザーID:3963042202
お母さんの言葉
みく
2011年2月7日 14:52

高校生の頃、失恋し泣いていた私。
理由など聞かずにそっと朝支度をしていた私にお母さんが

みくちゃんはよく泣くし、よく笑うから大丈夫だよ。

とそっと言ってくれました。暖かい涙を流しながら学校に行きました。笑

いつもいつも私の背中をそっと押してくれる人はお母さんだと思います。

ユーザーID:2588855931
前の会社の時
ichi
2011年2月7日 16:56

私もこのトピに参加させてください。

短大を卒業し、19歳の時社会人になりました。大きなグループ会社だったのですが、正社員(上司)からの悪口・いじめ、、派遣さんからのいじめ・・・そんな中、4年がたち、席のスライドですが、異動になりました。
毎日夜12時近く。そして、異動先でミスをしてしまいました。。

ずうううっと、耐えてたのですが、ストレスで、髪は抜け、この時、ホントにたえれなく、電車に飛び込んだらどんなに楽かと思い、ホームのギリギリをあるていました。
悲しんでくれる人いるのかな、いないだろうな〜っと思った瞬間。家族の顔より
「仕事なんて、いくらでもあるし、無理しないでね」って言ってくれるAさんをふと思い出し、思いとどまりました。
それから、体を壊すと思い辞め、今は、新しい職とやりたい仕事に就いています。

あの時、思い出していなければもちろん飛んでたし、今思い返すと、あの頃、耐えたな〜っと思うこの頃です。

この場をもって、Aさんにお礼をいいたいです。
Aさん、ありがと
今は、元気に仕事をしてます

ユーザーID:7377287417
合唱コンクールで伴奏者の私へ
あこ
2011年2月7日 17:26

初めて書き込ませていただきます。
偶然こちらを知ることができてとても感謝しています。
今日が休みなのを良いことに最初から全て読ませていただいています。
恥ずかしながら、私の体験談を。

中学1年生の頃、合唱コンクールの伴奏者に選ばれた時のこと。
夏休みの間に練習してくるようにと言われていたのに、
私はきちんと練習できずに夏休みが明けてもまだ弾けませんでした。
先生にクラスの皆の前で叱られ、私も自分が悪いので黙って下を向いていることしかできませんでした。

そんな私に、休み時間にクラスメイトのKちゃんが小さな手紙をくれました。
『あこちゃんって、とーってもピアノ上手なのね!今度教えてね!』
元気で、明るくて、周りの子にとても優しくしてくれるKちゃん。
誰にも気付かれないようにこっそり渡してくれたその手紙を読んで、
すっかり凹んでいた私も、元気になれました。
そして、ピアノの練習も頑張ることができました。

今でも時々思い出します。
Kちゃん、あの時は本当にありがとう。嬉しかったよ。
卒業してから会う機会ないけど、会えたらお礼を言いたいです。

ユーザーID:3232096623
「あんた、まつ毛長いね〜!」
angel
2011年2月7日 22:21

十年以上も前に、大失恋をして、自己否定にうちしがれていて、心身ボロボロになって、でも、立ち上がらなきゃ・・と、地元の温泉に一人でいきました。
お風呂の中でも、時々涙が溢れて・・

お風呂から出て、髪を乾かしていたら、いきなり見知らぬおばさんが、私の顔を横から覗き込んで、「あんた、まつげ、長いね〜!!」と大声で言いました。
そして、お隣にいた数人の友人らしいほかの人にも声をかけて、「ほら、見て、こんなに長いよ!」なんて言ってくれて。 みんな、「ほんとだ〜」「綺麗な目をしているね〜。 あんた、かわいいね!」と口々に言ってくれたのです。

まるで、天使が、私を励ますかのように、そっと彼女たちを促したんじゃないかと思うくらいのびっくりするようなタイミング。
もう私、恋なんてできないかも・・と思っていた私は、おかげで、元気が出てきたのです。

思えば、あの一言をきっかけに、自分のことをもっと自信持って、大切にしようって前を向いて歩いていこうって思えたのでした。

これからも、時々思い出して、励みにさせていただきます。
おばさんたち、あの時は、本当にありがとうございました。

ユーザーID:0583213180
感想です
にゃー
2011年2月7日 22:46

体験した話とかではないんですが、どうか感想を書かせてください!
このトピを本当にたまたま今日見つけて、みなさんのお話に感動して、PCの前で鼻水啜ってます。

今わたしは大学生で作業療法士になるために勉強しています。ちょうど今は試験期間で、
自分が日頃からコツコツ勉強していないからいけないのに、ものすごくカリカリしてしまい、
一昨日は一人暮らしを心配してくれている母にもあたってしまいました。
大学の友達ともなんとなく合わず、講義も正直「学びたい!」と思うような内容のものは少なく、大学に行く意味も、
作業療法士を目指そうと思った最初の気持ちも見失い、ただ心の中で教授をひどく批判したりして。ちょっと荒れていました。
部屋に帰ると、ただ涙がとまらない日が数日続いていました。
そんなときに、ここで(<1>のほうも含めてです)看護師や、作業療法士の方の優しさに感動した、というレスをたくさん見つけて、
見失ってしまっていたものを、また取り戻すことができた気がします。わたしはわたしを信じて、自分がなりたい医療従事者になります。
いつかわたしも誰かの支えになれたらいいです!

ユーザーID:7719712527
心がホンワカ・・・
タケちゃん
2011年2月7日 23:14

心がホンワカしますねぇ。このトピ、
私も始めて投稿します。つい今朝の話です。
臨時職員として、介護施設で働いて6年、
煮ても焼いても食えないKYな私(男です。)ついに先日、施設長より退職の勧奨を受けました。自分の不甲斐なさと施設長に対しての怒りで、
半分腐りながら、夜勤を終えようとしていました。
朝食の離床時、有る利用者様についボヤいてしまいました。(弱いな俺・・・)
真顔と悲しそうな顔で、「辞めないで、辞めるなんて云わないで。」
と怒られてしまいました。
すごくグッと来ました。自分の仕事に自信が持てなくなっている今、
Yさんの言葉に何倍も救われました。ありがとうございました。
契約未更新で、退職と云う道に進むけれど、Yさんの言葉で次のステップに進めそうです。
そして、すごく心配だろうけど、黙って了承してくれた妻に有難うと云いたいです。

ユーザーID:6010954817
祖父の弟さん
みゆ
2011年2月8日 0:18

たまに覗いてはぼろぼろ涙をこぼしています。
新旧トピ主様、皆様、ありがとうございます。

私はいわゆるおじいちゃん子で、二人の祖父にすごくなついていました。
小1で父方の祖父を亡くしてから、遠方にいる母方の祖父にべったり。
その祖父は私が大学に入ると癌を患い、手術をしても他へ転移、いたちごっこの中、尽きる体力を振り絞って闘病していました。
それでも大学2年の初夏に他界しました。
母も祖母も、気丈に祖父の通夜と葬儀の準備をしている。
私も親戚の前では泣くまいと、準備の手伝いをしたり小さい子の世話をして、気持ちを紛らわせていました。

通夜の後、疲れている祖母にかわり線香の番をしていた時のこと。
面識がなかった祖父の弟さんが「しっかりしたお孫さんだ。兄さんも幸せだったろう」と声をかけてくださいました。

祖父の孫娘の中で年長者な私。
あと半年で成人式、振り袖姿を見せたかった。
祖父孝行ができなかった。
そう心に燻っていた罪悪感がすっと消えていきました。
弟さんが立ち去られてからぼろぼろ泣きました。

おじいちゃん、そして弟さん。
実はしっかり者ではない私ですが、ちゃんと元気にやっています。

ユーザーID:8316485585
「貴女の声、と〜ってもいいわね」
angel
2011年2月8日 0:18

すみません、再投稿というか「あんた、まつ毛長いね〜!」とおばさんたちに励まされた者で、追記です。

私は実は難聴で生まれ、中学まで補聴器を隠すために髪を降ろし、周りに難聴であることを隠していました。

発音が正しくできなく、綺麗な声ではなかったので、男子にもよくからかわれ、一度「お前はしゃべるな!気持ち悪い!」と言われたこともあり、本当に自分が男性に好かれるということにはトラウマを持っていました。

でも、女子高校に進学してからは髪もアップにし補聴器も見せて、前向きに明るくなって、そして、できるだけ丁寧に話せるように心がけてきました。

米国に留学して、ある日本食のレストランでバイトしたときに、スタッフ数人で立ち話をしてて、そこの素敵な女将(マダム)に、「あら、貴女の声、と〜ってもいいわね」とふっとさりげなく言われました。

そんなことを言われたのは生れて初めてで、トラウマを持っていた私は、その一言にとても救われました。

そんな私だったので、先ほどの温泉でおばさんたちに「あんた、まつげ長いね〜!」「かわいいね」と言われたのも、すごく救われたのです。

ユーザーID:0583213180
母からの忘れられない言葉
めいぷる
2011年2月8日 0:28

5年前、愛犬が5歳になる歳の春にガンが発覚し、大型犬で若いため、ガン細胞は既に臓器と癒着し、こぶし大に。
手術しても、あと1週間かもしれないし、1か月かもしれないと言われました。
私は仕事を辞めたばかりで、24時間付き添い、絶対に最期を看取る覚悟をしました。
寝ている間の急変を恐れて、私は数日眠らず愛犬の傍にいました。母は私を心配し、交替で看てくれました。
看病が1か月続いた時、とうとうその時は来てしまい、寝そべって苦しい息遣いをしていた愛犬は最期の瞬間のほんの少し前に頭を起こし、名前を呼び顔を近づけた私を舐めてくれました。その数秒後、愛犬は旅立ちました。
傍で看取ったのは私だけだったので、翌日母にその話をしたとき「幸せだったと思ってくれたかな…」とつぶやいた私に、
「最期にありがとうって言ってくれたんだよ。ウチのコになったんだから、めいぷるにこんなに愛されたんだから、絶対に幸せだったよ!私が保証する!」と言ってくれて、涙が止まりませんでした。
今でもあのコのとの思い出は忘れません。

お母さん、まだ全然足りないけど、親孝行していけるように頑張るね。

ユーザーID:3729053835
やっぱ帰りたいよね
まさはる
2011年2月8日 1:14

私が台湾の大学に留学し始めた時の事です。
昔から何があっても笑ってごまかしていました。
けど慣れない生活で悩み始めていた頃に
ちょうど先生と一対一の会話テストをする事になり、
緊張していた私に
先生「台湾には慣れた?」
私 「う……ん…」
先生「やっぱ帰りたいよね!」
て言われた瞬間になんだか
今まで我慢していたのか、
泣いてしまいました。
いつもなら笑っているはずなのに。
その上、先生も一緒に泣いてくれて
最後に泣きながら先生は
「人って見た目じゃわからないでしょ、だからね!」
って言ってくれました。
こんな風に泣くのもいいなと思いました。

ユーザーID:8068082597
飛行場とJALの機内で
しろっち
2011年2月8日 7:35

私の母は重度の障害者で、成田の空港で父が母を待ち合いのイスから車いすに移そうとしたとき、母が転んでしまい、そのとき飛行機を待っていらした方々3名が駆け寄って来て下さり母を抱えて車いすに乗せてくださいました。見ず知らずの老夫婦を助けてくださり、ほんとうに感謝しています。

また、飛行機の機内でもJALの日本人客室乗務員の方が母をトイレまで連れて行ってくださり、用を足すときの手助けをしてくださったようです。そこまでしてくださるなんてアメリカの航空会社では考えられません。やっぱりJALだな〜と感動しました。JALがんばってほしいと心から願います。

やさしい方々の手助けのおかげで父母は本日(2月8日)無事にハワイにつきました。ありがとうございました。

ユーザーID:5316525306
たとえ君が世界中の敵になっても
おうみ
2011年2月8日 10:37

レスのタイトルと同じタイトルの映画があるのですが、私は十数年前に同じような経験をしたことがあります。
当時の私はイジメにあっていて、自殺を考える程になっていました。その時、当時の彼氏に「私が世界にとって悪魔になったら、どうする?」と聞いたことがありました。その時、彼は「お前が悪魔になったら、俺は大魔王になってやる」と答えてくれました。『大魔王』という言葉に笑ってしまったのですが、「お前と同じ悪魔だと、お前を守れないから」という言葉に、彼の愛情を感じました。

また、別な機会だったのですが、自殺をほのめかした私に、彼が言った一言は、
「今お前の未来を閉じるという事は、将来お前と出会うだろう人達が、お前と過ごす未来をも閉じてしまうということなんだ」
というものでした。
『今』にいっぱいいっぱいで、『未来』という遠い時間を見つめられなかった時だったので、目の前に光が差したような感覚を覚えました。

今では、新しい彼氏と幸せな時間を過ごしています。この時間は、あの時の彼の一言があったからだと思います。この一言は、今の私の中で生きていて、辛い時に踏ん張れる糧になっています。

ユーザーID:7144135946
あたなは私の可愛いお嫁さん!携帯からの書き込み
ぷちこ
2011年2月8日 11:15

アラサー既婚のぷちこです。

結婚してまだ1年経っていません。
私の両親はとても不仲で、家柄というくくりでみたらあまり良くない家だと思います。でも私は両親の事が大好きです。尊敬もしています。
一方、主人の家は両親仲睦まじく、資産家の家です。主人もかなり高学歴で私は三流大学卒なため、いつも引け目を感じていました。
私たちの親族のみの結婚式が終わり、私は親戚や義両親に宛て、すべての方にお礼のハガキを送りました。せめて、きちんとお礼だけは重ねてしたいと思ったから。今は遠方にいるために一軒ずつ回れませんでした。

すると、姑のところに、ぷちこさんから丁寧なお礼状が来たよ、といろんな方から報告があったそうで。
それを姑から聞かされた際、「ぷちこちゃんがお嫁さんに来てくれてほんとに良かったって思ってるの。いい縁に恵まれたのね」とおっしゃって頂けて、なんだか胸がいっぱいになりました。
私の人柄で嫁として受け入れてもらえたのかなって嬉しくなりました。
そしてこんな私に育ててくれた両親に改めて深く感謝です。

ユーザーID:5597102193
小町で携帯からの書き込み
2011年2月8日 12:59

一年前男と別れ、ずっと心がモヤモヤしてました。最近、何気に見たトピの回答に救われました。

「そんな人、あなたと別れても必ず同じ事をするから、その人はろくな人生を歩まないよ」

心がスッとし、「そうじゃん!」と思いました。

それから不思議なくらい吹っ切れました。

ユーザーID:9192563781
忘れられない・・・
ゆりゆず
2011年2月8日 13:03

ほんと、心が温かくなり涙出ます。このトピに感謝です。
私は20年前上京し、まだ学生でした。夫と妊娠に気付いて最初に訪ねた産婦人科の女先生に『産みなさいね!』と言われ、覚悟を決めて親を説得し、休学し娘を産むことが出来ました。復学し、卒業することも出来ました。本当に初めのあの言葉がなかったら娘には逢えていなかったかも。。。

卒業する時に、私は子育てが待っていたので就職はせず、夫と3人で生きていく生活を選びましたが、内心は皆の様に社会に出れないジレンマを抱えていました。そんな私に女性の建築士の先生が言いました。『あなたは才能がある。いつかこの仕事に就いてね。そして又会いましょう』と。
その言葉を胸に、子育ての傍ら勉強し、資格も取得しました。子供達が大きくなった今、資格を活かして設計士として働いています。
あの時の先生の言葉が、私を今に導いてくれたと思っています。
その娘も今年20歳です。私が娘を産んだ歳になっちゃいました。『ママが私を産んだ歳になって、改めてママを尊敬するよ』って言ってくれて涙が出ました。20年前に出逢ったM産婦人科の先生と建築士の先生に心から感謝です。

ユーザーID:4202901143
何でも良いから食べなさい
きいな
2011年2月8日 14:48

結婚式を2日後に控えた日に、夫になる人が急病に倒れました。
救急車で病院に着き、とりあえず痛み止めと点滴で様子をみることに。

夜も遅くなり、夫のベッドの横でうなだれている私に、看護師さんが「あなた、大丈夫?」と話しかけてきてくれました。
「明後日、結婚式なんです・・・」としか言えなかった私をしばらく無言で眺めていた看護師さんでしたが、やがて「花嫁さんになるんだから、食欲無くても何でも良いから食べておきなさい。」といって、食べ物を買える所まで連れて行ってくれました。

薄暗い病院の椅子の上で泣きながら何かを食べたのを覚えています。

結局夫は痛み止めを飲んで結婚式を乗り切ることができました。その後すぐまた病院でしたが・・・・

あの時の看護師さん、ありがとうございました。

ユーザーID:5950281686
あの・・・
かばお
2011年2月8日 18:31

ご家族自慢のレスも多々ありますが。

家族は「他人」ではないのでは?

わたしも家族からの言葉なら、色々ありますけど。

すみません、気になったので。

ユーザーID:1552172145
分からない事は気にしない。携帯からの書き込み
気にしない。
2011年2月8日 19:39

今住んでる所に来て、約1年半位の時。

なかなか馴染めず、その時は誰も話せる人もなく、子供の学校がらみの事や、人間関係の事で悩みに悩んで…疑心暗鬼になっていました。

学校に用事があった時、子供の元担任の先生が「元気ないね〜」なんて声をかけてくれたので、「子供の事や色々な事で、周りに影で何言われるか分からなくて、なかなか踏みだせないし、人に話しかけられない」と言ったら

『影で何言われるか分からないって事は、結局貴方には(言われてる事なんて)分からない事でしょ。だったら、分からない事は気にしない』
と、言われました。

人ってね、そんなに他人の事を見ちゃいないから大丈夫!笑顔でいましょ。とも。

他人を気にし過ぎる私に取っては『目からウロコ』でした。

そして、半年後の今。

学校関係のご飯会になどに、出たりしてるうちに、少しずつ話せる人が出来て来ました。
前よりも開き直って、悩む事も少なくなりました。

私に笑顔をくれた先生は、子供達にも私に取っても『先生』です。

ユーザーID:3148769801
「お前は悪くない」
にこ
2011年2月8日 20:59

派遣で未婚の女です。
仕事は一生懸命やってきましたが、不安定な生活で、40歳を超え、更年期もあり、昨年秋ごろから、精神的に不安定になり、うつと診断され、治療中です。
そんなときに、このトピを見つけ、皆さんのレスを読んで、うるうるきていました。
私だけじゃないんだって、勇気づけられます。
ありがとう。

他人ではなくて、「グッドウィルハンティング」という映画の中のセリフ、大泣きしたセリフです。
類希な才能を持ちながら、生い立ちからすさんだ生活を送り、心を閉じた主人公が、精神科医から言われた一言です。
「お前は悪くない」。
私自身も、全てのことから、開放された言葉でした。
しばらく涙がとまりませんでした。

ユーザーID:7878678163
感動しています。
ダメ娘
2011年2月9日 0:12

まだ学生だったころ
田舎暮らしの私と母が都会へ行った時
細くてキレイな同世代の女性ばかりに目がいってしまい
自分に自信がなくて落ち込んでいたら
何も言わないのに急に母が一言。
「○○、あんた美人だよ」

いつも衝突ばかりしていて私を褒めることを一切しない母が
突然真面目な顔をしてそう言いました。

驚きと照れもある私は「急になに言ってるの?」とそっけない態度。

母親は私の気持ちを察知して声をかけてくれたんですよね。

そんな私ももうアラフォー。

母親は今、うつ病で精神病院に入院しています。

ずっと衝突してきて迷惑ばかりかけていた私。
今は面会に行く度、母に笑顔しか見せていません。

私はこれから母に恩返しをしていかなければいけないなと思います。

口は悪くても本当は優しい母。
病気になって悲しいけれど
病気になったおかげで私は母に優しくなれました。

お母さん、ありがとう。

ユーザーID:0946767537
ごめんなさい
ダメ娘
2011年2月9日 0:17

他人に言われた一言でしたね。

家族の話をしてしまいました。

ユーザーID:0946767537
お母さん大変だよね携帯からの書き込み
りんこ
2011年2月9日 0:42

素敵なトピですね。涙しながら読んでます。私も投稿させてください。

息子が一歳になる前のときのこと。毎晩の夜泣きで疲労がピークに達し、風邪で39度を超える高熱が出ました。授乳中だったので市販の薬は飲めなくて、近所の内科に行きました。ほんとフラフラでした。

女性医師さんに「子供の夜泣きがひどくてよく眠れなくて…」と思わず愚痴をこぼすと「お母さんは大変よね、つらいよね」と言われ、涙が出そうになりました。その当時は、睡眠不足から精神的に追い詰められていて。もちろん子供はかわいいけど、眠らせてくれないと気がおかしくなりそうに辛いのです…。私はがんばってるってことを、第三者の方に認められた気がしてとてもとても嬉しかった出来事でした。

引っ越ししてしまって、その女性医師さんにはもう会えませんが、ありがとうございました。息子もようやく2歳近くなり、夜泣きから解放されました。

ユーザーID:9359029317
間違ってない…携帯からの書き込み
ダイコン
2011年2月9日 1:24

全てマイペースな娘の個人懇談会の話です。
いつも通り、余り期待せず席に着き、先生のお話を聞いていました。
一通りお話された後、
「お母さん、お母さんの育て方は間違ってないですね。」
…何で、そんな話をされるのか、さっぱりわからず、
「はぁ?」と、
「この通信簿の右にある行動欄ですが、ここの公平に、○がありますよね。誰にでも公平にできる、というのは、大人でもなかなか難しいんですよ。」
「はぁ。」
「うちのクラスには、ちょっと手のかかる○○君がいます。娘さんは、わかるか、わからないくらいそっと手伝ってくれるんです。それが、本当に自然なんです。他のお友達は、手伝ってくれる時もあれば、いろいろで…。それは子供ですから、よくあります。私は、なかなか○つけにくいですよ。でも娘さんには、自信を持ってつけました。」
…びっくりしました。
一風変わった子供に育てているのでは、と思っていましたが、
先生に、間違ってないです。と言ってもらい、私が泣いていました。

ユーザーID:6768969653
温かい贈りものをありがとう・・・
asiah
2011年2月9日 1:41

皆さんのレスに心を震わせています。
人を思う気持ちって美しいですね。

ドイツに滞在しているのですが、こちらの人は、よくお別れする際に
「どうかよい一日を!」って明るく声をかけてくれます。
友人だけでなく、スーパーのレジの人なども・・・。
(みんなではありませんが・・・。)

つらいことがあったとき、この声がけで温かい気持ちになれることがよくあります。

みなさんにとっても、毎日が素敵な一日となりますように!

ユーザーID:0400045924
一言とは違いますが、他人の優しさに助けられました。
パナップ
2011年2月9日 2:30

6〜7年ほど前家族旅行の帰り、私が突然駅の階段で貧血を起こし、倒れて階段下まで落ちてしまいました。起き上がろうとしましたが、額が裂けて流血していたので、そのままの状態で救急車が来るのを待つことに。

主人は下の子を抱っこしていて、上の子は突然のその状況にパニックになって、1人で号泣していたようでした。

病院での処置が終わり、ベッドで横たわる私のそばに、泣きはらした顔の長男が来ました。手に涙でびしょびしょになったハンドタオルを持っていたので、「そのタオルはどうしたの?」と聞くと、「駅で泣いてたら知らないお姉さんがくれた。」とのこと。
泣いてる子どもに気遣って下さったのですね。

結局お礼も言えないままですが、怪我で動けない私の代わりに子どもを気遣って下さって本当に有難かったです。

子どもも今では元気な高校生になりました。
この場を借りて、本当にありがとうございました。

ユーザーID:3791706871
周りから
ゆずっこ
2011年2月9日 10:11

高校3年生の頃、いろんなことがイヤで不登校を起こしました。
親も友人も先生も頼りたくない。でも自分では何も現実を変られないと呆れ、登校しても授業に出ず、人のいない教室などで泣いていました。

見かねた先生方が代わる代わる傍にいてくれたのですが、その時ある先生が、
「人は泣いた分、笑うことが出来るんだから、今は泣きなさい」
と声をかけてくれました。
その言葉に、いつか笑えるように頑張ろうと思い、高校に無事通えるようになっていました。
単位も足りなかったはずなのに、全教科の先生方が示し合わせ、出席したことにしてくれ、卒業も無事出来ました。

何気ない言葉だけど、あの言葉は今でも旨に突き刺さってます。
そして、この場を借りて、あの時のお礼を先生方に言いたいです。
ありがとうございました。

ユーザーID:2041544551
趣旨違うのですが・・・
ゆんかーす
2011年2月9日 10:27

趣旨が違うのですが、夫に言われて助けられた言葉を投稿させてください。

以前、一方的に友人から無視をされ、私の何が悪かったんだろうと悩んでいたとき、どうすればいいか分からず、1ヶ月近くたっていました。
それを何かの折に、ふと主人に漏らしたんです。そしたら、夫がこんなことを言ってくれました。

「悩むだけ悩めばいいじゃん。悩んだ分、人間は経験という引き出しが増えるんだから。俺も支えてやるから」

悩むことは苦しかったけれど、その言葉に支えられて、友人との関係のことをじっくり考えられました。

結局、私の何が悪かったわけではないと判明しましたが、あの時の主人の言葉、今でも大切な宝物です。

ユーザーID:2041544551
弟から
ちーす
2011年2月9日 11:09

家族からなのでちょっと違うのですが、皆さんの素敵な言葉に涙が止まらなくて、つい投稿しました。

私が結婚するとき、遠くに嫁ぐことになったので、両親や家のことが心配でなりませんでした。
式前日、弟と夜話していて、そのことをポロっと話したんです。そうしたら、
「姉ちゃんが育ったこの家は俺が守るから、安心して嫁に行きなよ」と。
その言葉に、安心して嫁ぐことが出来ました。

その弟が先日結婚しました。
ケーキ入刀で写真を撮ってあげようと先陣を切って進もうとしたら、「新郎のお姉さまご夫妻、壇上にどうぞ」と呼ばれるではないですか。
弟から、私たち夫婦へのケーキカットのプレゼントでした。
私はわけあって、結婚式でケーキカットができず、それが少し悔やまれていました。
それを知ってか、弟夫婦が一緒にケーキカットすることを計画してくれていたのです。結果、二組の夫婦でケーキカットするという、異例の結婚披露宴でしたが、私には何よりも素敵な思い出です。

言葉ではないですが、その配慮に涙が出ました。

ユーザーID:0063487335
うれしいです
やっぽい
2011年2月9日 11:23

このトピック、1も2もずっとお気に入りに入れて何度も読み返して涙しています。今度本になったとの事で買おうと思っていたらまたランキングに入ってきていたので、きちゃいました。

私は子供の頃、正義感が強く、イジメている子にも注意するような子でした。小学校高学年の頃、班分けする時、先生が「好きな者同士3人で」と言い、いつも一人で居る子がやはりあぶれてしまったので、そんな決め方は良くない、他の方法で決めるべきだと発言した事から私がクラス中より無視されるように。挙句、先生まで「なぜ皆と一緒に出来ないの。一言謝れば済むでしょう?」と。信じられませんでした。
そして中学に入ってからも同じ様な事があり、庇った故に私が無視の対象となった時期がありました。でも私は何も悪くない!と頑なでした。
そんな様子を見ていた幼馴染のお母さんの一言が忘れられません。
「やっぽいは立派だね。自分ならめげて折れてしまう。でもこんな時期、たかだか1,2年。自信を持って。正しい事を曲げる理由は微塵もない!」と。この一言で私は本当に救われました。

ユーザーID:3050339255
通りすがりに
ma-
2011年2月9日 12:07

子どもがまだ幼稚園に上がる前主人の転勤で遠方に引っ越しました。
だれも知り合いにいない町で話す相手はまだ言葉がたどたどしい娘と買い物に行った際のレジの人、そして主人だけでした。
孤独を感じ精神的にもいっぱいいっぱいだったある日、娘と買い物に出かけました。その時、通りすがりのおじさんに娘が「おはよ」と挨拶をしました。おじさんは「おはよう、かわいいね」と返してくださりました。娘はなんていうの?という顔で私を見上げたのでちょっと悩みながら「ありがとう」って言いました。娘はその通りおじさんに「ありがとう」とこれ以上ない笑顔で返しました。するとおじさんは私に向かって「いい、子育てしてるね」とおっしゃってくださったのです。この言葉に私は今まで張り詰めていたものがあふれだし「ありがとうございます」というのがやっとで泣くのを我慢しながら家に戻りました。家に着いた途端涙が止まらなくなり娘は私に「痛いの痛いのとんでけ!」ってさすってくれました。さらに涙です。

このことがきっかけで前向きになれました。おじさん、ありがとう!!

ユーザーID:3665353798
綺麗な目
rumo
2011年2月9日 12:37

私は昔から自分の目がコンプレックスでした。
幼稚園・小学校・中学校といじめられていて
『目が気持ち悪い・でめきん』
 にらんでいないのに『にらまないでよ!!きもい』
などと言われ、私は自分の大きな目が大嫌いでした。
親類や美容室のおばちゃんは
『くりくりのおめめで可愛いわねぇ』と
言ってくださるものの自分の目が大嫌いな事実は
変わることはありませんでした。
それから年月が経ち、18歳頃になると
目を大きく見せるメイクが流行し、【現在もですが】
メイクをしなくても大きな自分の目に
少しは自信がもてるようになりました。
程なくして19歳で結婚し、主人と二人
お店をオープンさせました。
5年経ち忙しさの中、主人とは全くのすれ違い生活
いっこうに子供も授からず
姑ともうまくはいかず、ストレスも最高潮の状態でした。
そんなある日、姑がお店に来たので
姑を見て挨拶をしました。
すると姑に言われました。
『そんな大きな目でにらまないでよ!!』
もちろん私はにらんではいません。
あの頃の記憶が一気に蘇りました。

長くてすみません。続きがあります。

ユーザーID:3089729721
綺麗な目の続きです。
rumo
2011年2月9日 13:04

それ以前にも姑には目のことで
ただマスカラをしていただけの私に
『大きな目をそれ以上大きくしてどうするの!!
 気持ち悪いからやめなさいよ。』
『あんたの目は太くて気持ち悪い。』
目以外でも白いスキニーを履いていたら
『あんたは肌の色が黒いから白は気持ち悪い』
『あんたは胸が小さい女は大きくないと魅力がない』
など色々傷つくことを言われていました。
だからその瞬間に
生まれ持ったものは私のせいではではないのになんで・・・
という思いがこみ上げ、悔しくて胸が苦しくて
でも仕事中でしたので
それを堪えながらレジをしていました。
すると70歳くらいのお婆ちゃんがレジへ来ました。
にこっと笑い『あなたはとっても綺麗な目をしてるね』
『ほんと綺麗。澄んだ目をしてる。心がとても綺麗なのね。』
と言ってくださいました。
このタイミングで何も知らないみずしらずの
お婆ちゃんがそういってくれたことに
緊張の糸が切れ、号泣してしまいました。
すると『何があったか知らないけれど悲しみの後は
必ずいい事があるからね』と。

今でも心から感謝しています。

ユーザーID:3089729721
は〜い、どうぞ〜
たまね
2011年2月9日 16:16

娘が3歳の頃。
所用のため仕事をあたふた切り上げ、保育園にお迎えに行き、
たくさんの荷物とお昼寝ふとんと、娘を引っ張るように慣れないバスに駆け込みました。
普段おとなしい娘ですがバスに乗れた嬉しさで、ご機嫌。
降りるのはたった二つ目。カードが無く小銭をやっと探し当てた私は(後払いのバスです)
「次は○○」のアナウンスにあわててボタンを押しました。

娘が固まっています。
しまった〜!
うっかりしました。娘が押すお約束です。
目にはじんわり涙が。
ごめんごめん。とっても楽しみにしてたのにね。

そのとき
「は〜い、どうぞ〜」
と、歌うようなおじさんの声と同時に、ランプがいっせいに消えました。
そうです。運転手さんが、リセットして下さったんです!
やりとりが聞こえていたんですね。

娘とお礼を言って、抱き上げて、娘、渾身のひと押し。
ピンポン、の音とともに車内中にピンクのランプ点灯。「次、とまります」
涙目にっこり。
ふと気づいて振り向けば、乗客のみなさま、よかったねオーラの微笑み。

やさしい笑顔の運転手さん、あの時はありがとう。

ユーザーID:4262164529
学生の頃
電気くらげ
2011年2月9日 16:47

先生に叱られ号泣していた女子。
あまりの泣きっぷりに、いやーな空気が教室に漂っていました。
すると突然クラス一のお調子者の男子がその女子に近づき、
「キミには涙は似合わないぜ」
と、ドラマでも言わないセリフを教室に響き渡る大声で言いました。

その女子どころかクラス中が大爆笑!
一気に明るい雰囲気に変わりました。

青春ってイイネ!

ユーザーID:9903363446
トピとはずれているかも
とわ
2011年2月9日 20:39

看護師をしています。
とあるターミナル期の患者さんが一昨年の6月に入院してきました。
息子さんを、5月に亡くし、「早く死にたい。早く息子のところへいきたい」と、主治医や私たちに話していました。

そんな患者さんに、いまなにがしたい?と聞いてみました。
すると病院近くの、某蕎麦屋の温かいラーメンが食べたいといいます。
何ヶ月も入院していて外に出られなかったのです。

リハビリの先生に話すと、連れて行ってくれるとのこと。
主治医にも話すと、なんと「俺もいくかな」と。
主治医自ら車を出して、その蕎麦屋に連れていってくれました。
嬉しそうに、写真を患者さんがみせてくれたこと、思い出します

9月に亡くなりましたが、亡くなる前の日、リハビリの先生に
「あの時じゃないと、いけなかった。ありがとう」
と、言い遺して、旅立ちました。


たかがラーメン一杯ですが・・美味しかったことでしょうね。
忘れられない思い出です

ユーザーID:1043484380
家族でも他人でも嬉しいものは嬉しい!
ポンタ
2011年2月9日 20:42

他人から受けた何気ない一言ではありません。しかし皆さんと分かち合いたい!

子供二人がおむつをしていた頃、突然にある仕事を依頼されました。自宅でも出来ることだったので引き受けたのですが、「本業じゃないんだから、そこそこの物を納入できさえすればいいや」と甘く考えていました。

すると夫からキビシ〜イ一言。

「仕事を受けたのなら、責任を持って最高の物を相手に提供するのがプロというものだ。それが出来ないのなら、さっさとやめろ!」

普段絶対に声を上げない人なんです。だからビックリしましたが、飲み込んで、そりゃもう必死でやりぬきました。

以来、同じような仕事がちらほら舞い込み始め、気付くと本当にプロになっていました。

あの時の夫の一言、気持ちは救われなかったけど(笑)人生が救われました。

ちなみに成人した子供二人は「ポンタ母さんの背中を見て育ったから、私たちは大丈夫」と言ってくれています。親孝行までもらっちゃいました。

ユーザーID:6806739474
心が温かくなりますね
クレア
2011年2月9日 21:54

辛い時に声をかけて下さる方がいると、それだけですべてが救われると思います。

大学2年目から一人暮らしを始めました(1年目は大学寮で生活していました)。6月くらいだったかな?苦手という訳ではでは無かったのですが、総ての家事をこなすうえに、生活環境が変わって辛かった時期の話です。
年子の妹が地元の短大に合格し、自宅通いで楽な思いをしていることに内心憤りを感じていました。でも、私の希望で県外で一人暮らしをさせてもらっていることから、我儘な考えだと思い、どうすることもできずにストレスを貯めて精神的に疲れていました。
そんな時偶々用事があり、半年間寮のルームメイトだった友人に電話をした際、安心感を憶えて、声を聴いたとたん糸が切れたように泣き出してしまったのです。その友人は夜中だったにも拘らず、すぐに私の家まで駆けつけて話を聴いてくれました。
聞き終わって一言、「クレアはよく頑張ってるよ。私が解ってるよ。」と。
その一言で今でも一人暮らしを続けられているなぁ、と感じます。

ユーザーID:0694702585
ありがとう
モア
2011年2月10日 0:52

私が看護師になって1年目のときのこと☆

毎日、遅くまでの残業&仕事が遅いしミスするしで、同期より出来が悪くって、疲労と劣等感でいっぱいで毎晩泣いてたとき、

病気が末期で、体を起こすのもしんどい患者さんが、ふとした時に、「看護婦さんに大切なのはね、思いやりだからね、あんたはいい看護婦さんになるよ。その笑顔を忘れちゃだめだよ。」

って言ってくださいました。
自分がすごくしんどいであろうに、そんな優しい言葉をかけられる、その人のすばらしさと優しさに涙しました。

また、同時期に、違う患者さんですが、何気ない会話の中で、「○○先輩みたいなナースになりたいです」と言うと「自分が将来どうなるかは、自分の意識次第でしょ」

と言われ、がんばろう!って思えました。

天国で、2人にお会いしたときに、胸張ってられるよう、
素敵なナース目指してがんばってます。
あの時は、ありがとうございました!

ユーザーID:4375221284
このトピに出会えて感謝
なっちん
2011年2月10日 1:41

ほんとに素敵なトピです。

私も参加させて下さい。

長男の嫁として嫁いだ私でしたが、
3年間子宝に恵まれず、
夫の叔母から会うたびに
「まぁ〜自分の仕事もろくにできんのに、(男の子を産む事)嫁にもろてもらえてあんたは幸せやね!」
と嫌味を言われて辛かった日。

電気を消して、寝てるかどうかも知れない私に

「大丈夫。なぁ〜んにも心配いらない。

いってらっしゃい おかえり それをずっと続けてくれればいい」

その言葉で凄く救われました。

あれから9年。
5年前、かわいい長男にも恵まれました。

夫は少しハゲ散らかり、
お腹もぽっこりしてお世辞にもかっこいいとは言えませんが、
私にとってはとても大事な
愛すべき人です。



ありがとう。

ユーザーID:1572460712
つい・・・
blue
2011年2月10日 2:45

読んでいたら やっぱり書きたくなってしまいました。

自営業を始めて ○年。仕事については真剣に取り組んできましたが 経営については全くの素人。なかなか経済状態も良くならず ストレスが溜まることも重なり 結構に詰まっていたんだと思います。

ある日買った本のしおりにかいてあった言葉。
「今日まで自分を導いてきた力は 明日も自分を導いてくれるだろう。」
涙がどっと出て 「そうだ。まがりなりにも 今日までこうやって やってこれたんだ。きっと進んで行ける。」と思いました。

つらいときには つぶやいています。

皆 皆 幸せでありますように。

ユーザーID:4915869154
バスの運転手さん
ウィット
2011年2月10日 11:10

何気ない一言ではないのですが…このトピを読んで感動した出来事を思い出しました。
ある三連休でたまたま友人の結婚式が二日立て続けにあり、一日目は宮崎、二日目は福岡でした。二日目の午前の飛行機を予約し、乗り遅れたら遅刻してしまうので朝は早めに出てバスに乗りましたが、渋滞で動きません。どんどん時間だけが過ぎていき不安になった私は運転手さんに何時に着くのか聞きにいったら「普段ならとっくに着いているが、昨日ダイエーが優勝したためこの先にあるダイエーで非常に渋滞している。何時の飛行機ですか?次のバス停で降りてタクシーに乗り換えた方がいい」と言われました。その後もほとんど動きません。すると運転手さんが窓を開けて反対側のタクシーに「すいませ〜ん、ここにタクシー呼べませんか?」と叫んでいました。「無理です」と言われていましたが「なんとかなりませんか」と…やっとダイエーのバス停に着いたので降りようとしたら「ここからは空きますから」と言ってマイクで「空港まで飛ばしますが降りる方いらっしゃませんか」と言ったら乗客の皆さんも「いませ〜ん」と。そして無事間に合いました。運転手さんありがとう!

ユーザーID:1158303421
二股をかけられて・・
葉月
2011年2月10日 13:25

10年近く前の事です。20代半ばでそろそろ結婚したいと考えていた頃。
紹介で知り合った彼と付き合う事に。彼は他県から働きに来ている人でした。
毎日会い交際も順調で1ヶ月過ぎた頃。
彼の知人から衝撃的な告白・・何と3ヶ月後に地元の彼女と結婚する、二股をかけられていると。
言葉も出ないくらい目の前が真っ暗になりました。

応援していてくれた既婚の友達に泣きながら電話をし、気が付けば6時間程過ぎていました。
何時間も話しを聞いてくれて、その時に言ってくれた言葉。

「幸せの陰で、泣いている人がいる」

私の気持ちを代弁し、そして彼女から奪ってしまいたいと思っていた私にストップをかける言葉でした。
今度は私が奪って、人を傷つけてまで幸せになっても、また陰で泣く人が出来る・・。
そう諭す深い言葉でした。

それから何年かはその事で精神を病んでしまい、通院しましたが、少しづつ元気になり、2年前に結婚も出来ました。
今は通院もせずに過ごせています。

あの時の言葉で奪おうとしたのを止めてくれて本当に良かった。
今でもずっと感謝しています。

ユーザーID:6959709909
お医者様に
poco
2011年2月10日 14:31

 娘は今7歳です。

 生まれたときは標準だったのに、3ヶ月検診ではもう標準体重を大きく下回っていて、あかちゃん特有のふっくら感が無いまま、ほっそりとした子どもになりました。食が細く、食べることに全く興味が無いです。

 つねに「痩せてるね〜」「ちゃんと食べてるの?」といわれ続け、5歳になったある日。
 連休中に熱を出し、発疹もでてきたので、大きな小児科の病院に行きました。
 そこでお医者様に生まれたときからのことをいろいろ聞かれ、普通分娩で生まれ、入院経験が無く、喘息もアレルギーもアトピーも無い。大きな病気になったこともなく、ひきつけも起こしたことが無い。などと聞かれたことを答えました。問診中「丈夫なお子さんですね。本当に丈夫なんですねえ。」と何度も言われ「本当に健康なんですよ。こういう子は、ちょっとくらい熱があっても、かぜをこじらせても、大丈夫なんですよ!」と言って下さいました。

 なんとなく、やせて小さい子を育てているコンプレックスがあったのですが、その日から、この子は丈夫で頑丈な子だ、と自信を持つことができるようになりました。
 

ユーザーID:1490651429
祖父母の言葉
中年男
2011年2月10日 17:28

私は、専門職をしております。30年も前のことですが、私が社会人生活を始めたときのことです。
私はすでに20代後半でしたが、専門家としては何も知らず、専門家集団の中に混じってやっていけるのかとても不安でした。

その時に、母方の祖父が、「大丈夫、あんたのおじいちゃん(父方の祖父)の頭の良さとあんたのおかあさんの
明るさがあるから、心配しられんな(方言で、心配しなくていいという意味です)」と言ってくれました。

また、母方の祖母は、「大丈夫、強い心があれば、何があってもやっていける」と励ましてくれました。

その時は、ふーんと思って聞いていただけでしたが、後からじわじわと効いてきました。

今は、祖父も祖母も他界しています。この言葉は、今でも思い出すと涙が出ます。

私の大切な宝物です。

ユーザーID:1208551452
先生からの、
帽子屋
2011年2月11日 21:10

 去年の夏からわたしの数学の添削をしてくれている先生からの言葉です。

志望がちょろちょろと変わり、内容もそれに合わせて変わる中、
それでも見放さずずっと添削してくれた先生。
でも私は裏切るように数学のないところを受験することになりました。

罪悪感と不甲斐なさ、などで胸がいっぱいいっぱいでしたが
先日、やっと、「もう添削は必要なくなりました」
ということを伝えたところ
その大学について調べて、助言をくれたあと

「後悔だけはするな。後悔しないようにやれ!」

涙腺が一気に緩んでしまいました。

絶対合格したいです。

ユーザーID:6841598542
今は泣く時じゃない
ぽにょ
2011年2月12日 3:34

子供の頃に両親が離婚し女手一つで私達を育ててくれた母が
調子が悪いからと病院で検査したら
「白血病の可能性がある」と医者に言われました。
まったく予想していなかった発言に私の頭は真っ白になり、
でも母の前では平静を装い看病していました。

ただ夫の前ではショックで食事も喉を通らず
不安でメソメソ泣いてばかりいました。
最初の頃は何も言わず見守っていてくれましたが、あまりにも私が泣いてばかりいるから見かねた夫が
「お母さんはまだ死んだんじゃないでしょ。泣くのは亡くなってからにしなさい。今あなたは頑張っているお母さんの為にやらなきゃいけない事が沢山あるでしょ。」と言われました。
その言葉で(そっか。。。今は泣いている場合じゃないんだ!)と気持ちを強く持ち看病を頑張る事ができました。
看病の為に家を空ける事が多くても文句も言わず支えてくれた夫に感謝です。


後日、母は白血病ではなく治療後またいつもの日常に戻っています。

ユーザーID:6907173874
親友の母上
あんりん
2011年2月12日 21:12

皆さんのいい話にすっかりはまって、仕事の休憩時間に、うるうるしながら読んでいます。

私もありました!!10年前、父が亡くなった時の事です。
親不孝ばかりして、勝手に結婚、勝手に離婚。お金もなく実家に転がるように帰ってきた私。だい嫌いだった父は、本当は大好きだったのに。
父の葬儀まで時間が空いて、なんとなく家に居たくなくて、親友の家にお邪魔した時のこと。

私の顔を見た親友のお母さんが、
「あんりん!あんたご飯食べてる?今日混ぜご飯作ったから、食べていきな!」と、ドンと山盛りのご飯が目の前に。
人に心配かけるのが嫌で、絶対人前では泣かないって決めていたのに、そのときは二人の前で号泣してしまいました。

「今は辛いかもしれないけど、必ず意味がある。お父さんの分、あんりんが元気になって長生きする。それが一番の親孝行だよ」

親友と親友のお母さんありがとう!!感謝してもし切れません。
あれから随分たちますが、ふと思い出す救われた一言です。

私も、早く人を救える人間に成長したいです。

ユーザーID:8454841075
「おばちゃん」と呼ばれて…
2011年2月13日 17:58

30歳を過ぎてから転職して介護職についた私。

ある老人ホームで働いていた時の事です。
そこの施設はスタッフの年齢も皆20代と若くて
30を回ったスタッフは私を含め数人いる程度でした。

ある日、お茶の時間に利用者さん達と皆で雑談をしていた時、いつも冗談を言っては
皆を笑わせてばかりいるおじいちゃんが(Aさん)が私に向かって言いました。
「心さんはなんて言うかなぁ、気のいい商店街のおばちゃんっていう感じだよね」と。
「気はいいけどおばちゃんかぁ。まだAさんの年齢の半分もいってないんだけどなぁ」
なんて笑ながらも内心はおじいちゃんにおばちゃんと言われてちょっとガッカリ。

しかしその数日後の夜勤の時、巡回でAさんの部屋をまわった時です。
まだ眠りにつてなかったらしいAさんと一言二言言葉を交わした後
電気を消して部屋を出て行こうとする私にAさんがふと小さく
またとても優しい声で言いました。

「心さんが夜勤の時はねぇ、安心していつもぐっすり眠れるんだ」

不意の事だったのでびっくりして、でも嬉しくて鼻の奥がツンと痛くなりました。
遅いスタートだったけどこれからも頑張るぞ!と思った夜でした。

ユーザーID:9475636998
ありきたりかもしれないけど…
さくら
2011年2月13日 21:55

皆さんのエピソードを読んで、わたしのことも話したくなりました。

進学し、実家を離れたころのことです。
浪人してでも望んだ大学だったのに、いざ引っ越すとなると寂しくて…
そんなわたしに、母は「自分で決めたんだから、早く出て行きなさい!」なんて言っていました。

いざ引っ越して、話す人もいなくて、毎日泣いていました。
そうして1〜2週間たった頃、いつもはメールの母から手紙がきました。
「辛くなったら、何も考えずにいつでも帰っておいで。」という言葉と、最低限の交通費。
実際には授業が忙しくて帰るなんてできないけど、すごく楽になりましたし、何より母がわたしを想う気持ちで嬉しくなりました。

今は寂しいとき頼れる人もいて辛くなることはあまりないけど、その手紙を読み返すといつだって泣いてしまいます。
今年もそろそろ、新生活の時期ですね。

ユーザーID:9456090174
愛犬にまつわる話ですが
くまごろう
2011年2月13日 22:52

わたしからも、父母の経験談を1つお話させてください。

17年間我が家で飼っていた愛犬が天国へ旅立ち、火葬場へお世話になりに行った時の話です。

家族みんなで可愛がっていた犬でしたが、当時わたしは実家から離れて新しい職場で働き始めた
ばかりだったので、父母だけで見送りに立ち会いました。
火葬炉に入る前の最後のお別れの時、職員のおじさんが明るく大きな声でこう言ったそうです。

「今までありがとうな!生まれ変わってまた戻っておいでや!」

その言葉を聞くや、父母は我慢していた別れの悲しさが一気にこみ上げてきて、泣いて泣いて、
そしてさんざん泣いた後は、一転して爽やかな気分で火葬場を後にすることができたそうです。

わたしもその話を聞いた時、同じように心の底に溜まった澱のような悲しみが一気にこみ上げて
きて涙が止まらなかったのですが、そのおじさんの言葉を思い出すことによって、不思議なくらい
早いペースで悲しみが癒されていきました。

今頃何に生まれ変わっているのかしら。どこかで、いっぱい愛されて幸せに暮らしていますように!

ユーザーID:0056406145
通りすがりの人だから
riri
2011年2月15日 1:53

心あたたまるお話、ありがとうございます。

辛そうな人に声をかけるのって、勇気がいるものです。
知り合いでもなんでもないのに、厚かましくないかしら…。
私ならしり込みしてしまいそうです。

声をかけられた人が、こんなに救われるのは、
自分と何の関係もない「通りすがり」の人からの
見返りのない善意を、
その人の苦悩を慮り共感してくれるという思いやりを、
思いがけず、見知らぬ人から受け取ることの奇跡を体験するからだと思います。

親兄弟先生など、知った人の愛情も心打たれるものがありますが、
タイトルにあります、
「他人の何気ない一言に助けられた」

まだまだ聞きたいです!
このトピ応援しています。

ユーザーID:7066277541
今日もうるうる
ポンタ
2011年2月18日 11:21

久しぶりに来ましたら、続々素晴らしい言葉満載で、「やっぱ人間って、全然捨てたもんじゃないな!」って思わせていただきました。古今東西、関係なく。
本も買いましたが、第二弾もお願いします、読売様、中央公論社様。

ちなみに最近、庭いじりが趣味の友人から頂いた何気ない言葉:

「嵐の日にはハラハラするけど、辛抱してりゃまたお日様が出てくれる。自分の心が曇ってると、お日様も照らしようがないってことかね」

救われました。

ユーザーID:6806739474
中学最後の大会
のど飴
2011年2月19日 23:33

素晴らしいトピをありがとうございます

僕は中学3年生です。
サッカー部での最後の大会、僕は少し前にケガをしてしまいました。
大会までには完治したものの、チームメイトとの距離は遠くなっていました
そして大会本番
僕はDFとして試合に出場した時の事でした。
自分のミスから、もう少しで点を入れられそうになってしまいました。
その時うつむいていた僕にチームメイト(H君)が僕に、
「ミスしてもいい、誰かがカバーに行ってくれる。それがチームだ!」
と声を掛けてくれました。
その言葉のおかげで僕は腐ることなく、試合を乗り切ることができました。

彼はこのことを忘れているかもしれないけど、僕にとっては絶対に忘れられないことでした。
だからこの場を借りて言わせてもらいます。 
「本当にありがとう」

ユーザーID:5009701739
妹からいわれた言葉
るる
2011年2月19日 23:37

結婚する予定だった彼氏に二股をかけられた挙句振られて、どうしようもなく落ち込んでいました。
両親には、別れた報告はしたものの、二股をかけられて振られたことが、自分としてのプライドが許さなくてあまり詳しくいえませんでした。
友人にも同じ理由で。

当時遠くへ留学していた妹へはめったに連絡などしなかったのですが、時差も考えず突然電話をしていました。
電話に出た妹に「お姉ちゃん二股かけられててさあ、振られちゃったよ」と突然話し出したら、
なぜか淡々と「そんな男はパンチだね。あたしがいってパンチをしてあげたいけど遠いからいけないわ」と笑ってました。
慰めるわけでもなく怒るわけでもなく。
その妙な淡々具合が、「ああ、彼に振られたことも、二股かけられてたことも、現実なんだ」と冷静になれるきっかけになれました。

だから自分も誰かにそういう重い相談や告白をされたら、妹みたいに淡々と答えるように心がけています。
ちゃんと私は味方だよ、でもこれも現実なんだよっていうのは伝わるように。

ユーザーID:0334032093
「いつでも味方だよ」
ここ
2011年2月20日 0:49

大親友が転校してしまい、ちょっと辛かったとき新しい友達ができました。
その子とも最初は仲良かったんですが、10月頃になると二人の間にはひびが入っていました。
北京にいる親友には迷惑をかけたくないと思い、何も言わないでいつも通りスカイプをしていたとき、その親友が
「なんかあった?あったら言って?いつでも役に立ちたいんだ。・・・なんかあったかわかんないけど、うちはいつでもここの味方だよ?何もできないと思うけど・・・言うだけですっきりするからいってね。がんばって」
といって、そのこは落ちました。
何気ない一言だったけど、何も言わなくても伝わるんだ・・・と思い
泣いてしまいました。
今でもその子とは大の親友です

ユーザーID:8827504570
生き方が変わりました
yoshi
2011年2月20日 0:52

私は、養護施設で育ちました。中学を出て就職をするのが当たり前の環境で育ったので、私もそうしようと心に決めていた時に、涙を流して「高校へ行きなさい」と言ってくれた先生がいました。
親にも愛されていないと感じて育った自分でしたが、その時は、びっくりして「僕の為に泣いてくれている人がいる、なぜなんだろう」という思いと「愛さているんだ」という思いに気付かされ、その事が嬉しくて嬉しくて、まるで、何かに温かく包まれた感覚になった記憶があります。
医療従事者として働き、疲れもピークに達し「もう駄目だ」と感じた時、、この言葉を思い出して、何とか頑張ってます。
先生、ありがとう。

ユーザーID:7443235659
たった一言
アイアイ
2011年2月20日 0:53

19歳の時に交通事故に遭いました。
青信号を歩行者として渡っていた私は、246を居眠り運転で突っ込んで来たトラックに跳ねられたのです。
気がつくと道路に横たわり、おかしな方向にぐにゃりと曲がった手首、激痛、衝撃を覚えています。
ただ不思議と凄く冷静で、救急隊員の方にも色々自分で説明出来たし、
病院に着いてからも先生達の迅速な対応のおかげですぐに自分の怪我の度合いが分かりました。

そんな中、ひたすらぼーっと何が起きたのか考えていた私に
救急隊員から事故だったと聞いた若い看護師さんが
「恐かったですね」と一言声を掛けて下さったのです。

その途端涙が止まらなくなりました。

あぁそうか、私恐かったんだ。
そう実感しました。

たった一言ですが、私には必要な「言葉」だったんだと思います。

ユーザーID:2069664468
先輩の言葉
ピグ
2011年2月20日 1:07

寝る前の少しの時間に感動しています。皆さまありがとうございます。

10年前、厳しく指導してくれた先輩へ。
新入社員で、右も左も分からず、ただ不満ばかりが募っていた頃、
ご自分の妊娠が発覚しながらも、新入社員だった私を面倒みてくださってありがとうございました。

「馬〜鹿」「嘘つき」「何言ってるか分からない」

ひどい罵声にもとれる言葉ですが、鏡のように、即座に正してもらいました。34歳になっても未だに先輩の影を追いながら、気を付けて過ごしています。

先輩は愛のある方でした。ありがとうございました。

ユーザーID:8396799737
友達の一言
shamumix
2011年2月20日 1:11

21歳の時、お金もないのに当時付き合ってた
彼氏と子供を作ってしまい(彼氏も同い年)
親たちにとても迷惑をかけました。
でも絶対産んであげたかったので
その思いを伝え、結婚を許してもらいました。
でもやっぱり若いだけに周りの友達はみんな遊び盛り。
みんな「21で子育てするとか絶対無理」とか
「自分の時間ないとかかわいそう」など
なにげない言葉ですが私には嫌味にしか聴こえませんでした。
妊婦で情緒不安定になり毎日落ち込んでました。
でも子供がいる友達と遊んでいるとき
その友達が私に
「こんな歳で我が子に逢えるうちらって幸せやな!!」
と言いました。
その一言で私の心が一気に晴れました。
もうすぐ3歳になる我が子。

私をママに選んでくれてありがとう。

長々と失礼しました。

ユーザーID:7851910913
時間なんて関係ない
ペンギン
2011年2月20日 1:16

こういう経験たくさんあるので、まとめて書かせてもらいます。

・好きな人に裏切られ、友達にも裏切られ精神的におかしくなっている今いつも私の相談に乗ってるTくんに「Tはうちの事裏切らないよね?」ってきいたら「うらぎらねぇよ」って短い一言だったけどこの一言で涙が止まりませんでした。

・この間の金曜日、私は↑にかいてある好きな人の顔を見た瞬間涙が止まりませんでした。周りの人もびっくり。そこが学校だってことも知ってるはずなのに・・・涙は滝のように流れてきます。すると、友達が「もっとなきな。ペンギンはずうっと我慢してたんだからないちゃいな」といわれ、ジーンと来ました。

・後輩とうまくいっていなくて同じ学年の人にも迷惑をかけてしまってみんなに「ごめんね」と謝っていたときある男子は「別に気にしてねぇし。」と、半分キレ気味でいわれました。それから一週間がたって私の耳に「あの男子、後輩のところ行って『これ以上なんかしたら潰すよ』っていったんだって!」といわれ、こんな同級生をもってよかったなと思いました。

長くなってすみません・・・

ユーザーID:8827504570
失敗してもいい 後悔はするな
かなた
2011年2月20日 1:39

今回は私の父に言われた一言です。

昨年就職活動した私は、希望の職に就けず、でもどうしても諦めきれず、地元の企業に内定を頂いていたのですが、就職留年することに決めました。
母は私が地元に帰るのを喜んでいたので言い出せず、まずは父だけに、と思い、迎えに来てくれた車の中で父に告げました。
「もう一年チャレンジしたいんだ」と理由を話している間、父は何も言いませんでした。涙で嗚咽がひどくなっても、父は最後まで話を聞いてくれました。

話が終わると、「そうか…母さんは俺が説得しておくから。がんばれ」とたった一言。
あまりのあっさりさに私が逆に心配になり、「いいの?失敗するかもよ?」と聞いてしまいました。
すると「失敗はしてもいい。だけど、後悔だけはするな。お前が自分で決めたことなら、腹くくって進め。そして結果を出してこい」
運転しながらだったので、父の表情はよく見えませんでした。

でもきっぱりそう言ってくれた父の言葉は、今の私の原動力です。
くじけそうになった時は「腹をくくれ自分!」と喝を入れて踏ん張っています。

ユーザーID:1740491440
クリスマス
mmmo,
2011年2月20日 1:41

こんな夜中に、ついつい。

私は高校生なんですが、
クリスマスにバイトをしていた時のことです。
そのバイトは楽しいことが全然なく、(人間関係など)
ただ早く時間が過ぎればいいのに、
と淡々と仕事をこなしていました。
すると外国人と日本人のカップルの方が来て、
接客をしていた私に沢山「ありがとう、Thank you」 と言い、
帰り際に「Merry Christmas!」と笑ってくださいました。
その一言に笑顔になれました。
あと少しがんばろうと思えたことに感謝です。
ありがとうございました!

ユーザーID:6918627136
可愛くない女
komako123
2011年2月20日 1:44

私は昔から要領がいいと思われがちで、何をやっても「さすが!」だの「生まれつき頭がいいと得だな」と、あまり努力として評価された事はありませんでした。
努力している姿を見せない/アピールをしない、という無駄にストイックで可愛くない(笑)自分の強がりのせいだとは分かっているので、別にそれを気にはしていないつもりでした。

が、ある時打ち合わせの場で、同期の友人に「お前みたいな恵まれた女には簡単だろうよ!」と大声で言い捨てられ、恥ずかしくて居た堪れなくて、また自分がその発言にショックを受けている事を周りの人に知られたくなくて、頭が真っ白のままとにかくPCに向き合っていると、横に座っていた事務の女の子が突然、「私、先輩ほどカッコよくて男前な人見た事ないです」と言いました。
キョトンとしてると、周りの人達も「確かに!」と言い合って笑っていました。極めつけは「ま、損なヤツだよな、お前は」という課長の一言。ちょっと泣きそうでした。
私のしょうもない強がりは、職場の諸先輩にはおろか3才下の女の子にも通じていなかった、というお話でした。

ユーザーID:7746708113
最後のバッター
たろう
2011年2月20日 1:48

甲子園を目指してむかえた準々決勝

事実上の決勝戦とささやかれた試合

私は最後のバッターとして三振しました
ボール球を振って・・・

泣きじゃくりながらロッカールームで皆に謝っていると
一人のチームメイトが

最後のバッターがお前なら仕方ない!

と言って抱きしめてくれました

本当にあの言葉に救われました


その言葉を胸に今は高校野球に関わる仕事をしています。

ユーザーID:4750858106
人ってあったかい
ひとみ
2011年2月20日 1:58

高校三年間、必死に勉強して練習して念願の音大に入学したものの、鬱病になってしまいました。
一人暮らしでしたが対人恐怖もあり、学校にも買い物にも行けなくなり、拒食症まで発症。
心療内科に通い始めましたが、死ぬことばかりを考えて泣いて暮らす毎日が一年以上続き、学校側から退学か復学するよう求められました。

病状も悪く仕方なく退学することになり、師事していた教授にさようならの挨拶に行ったとき、私はそれまで何年も音楽だけに注ぎ込んできた時間や努力、親が払ってくれた多額の学費を全て無駄にしてしまった、こんなに頑張っても何一つうまくいかない生きている価値のない人間だという思いがこみ上げて、先生の前で号泣してしまいました。

そんな私に、先生が、
「僕はあなたがもっとやれると信じていたから、成長を見届けられないのはとっても残念だけど、あなたが元気でいてくれるならそれが一番だから、もう前を向いて歩いて行きなさい」
と少しさみしそうに言って下さって。

その言葉に救われて、今は演奏からは離れましたが優しい主人とかわいい2人の娘に恵まれて幸せです。死ななくて本当に良かった。先生にお手紙書いてみようかな?

ユーザーID:4460383774
妻に…
AlligatorP
2011年2月20日 2:14

私は一人の女性に一生に一度と思う程の恋をしました。
何もかもその女性の為と思い、自分の時間もその女性の為に使いました。
今思えばそれも私の自分勝手な思い込みかも知れませんが…。
その女性から別れを告げられた後、しばらくの間何も手につかずいつも死ぬことを考えていました。
数年が経ち、一人の女性と出会いました。それが今の妻です。
女性を信じられなくなっていた私に手を差し伸べてくれた彼女に私は、
「結婚する気が無いなら付き合わない。」と、ハッキリ言いました。
それでも彼女は付き合ってくれました。
私は彼女よりもずいぶん歳上ですし(8つ)、収入も多い方ではありません。彼女の実家は名家と言っていい家です。
望めばもっと良い条件の結婚もできたはずです。
でも、彼女は卑屈になっていた私に笑って言ってくれたのです。

「少なけりゃあ二人で働けばええが。」

その言葉で私は彼女と結婚する事を決意しました。
今年で8年経ちました。3人の子供を私に与えてくれました。
死のうと思う事もありません。妻の一言が私に命と感謝する心をくれました。

ユーザーID:1783373382
双子1歳の育児中に
elenjin
2011年2月20日 2:29

只今5歳5カ月のミックスの双子の母です。

双子が1歳の頃の話です。
お友達と公園に行って遊んでた時。
ヨチヨチ歩きで、あちこち違う所に行きたがる二人の後を追っていると後ろから
初老の上品なご夫婦が声をかけて下さいました。
「育児大変ですね。 双子ですか。 それは尚更大変。」
その他ちょこっと話をした後、
「大事に、大事に育ててあげてくださいね」
と優しく微笑みながら、仲良く去って行かれました。
この最後の言葉がとーっても温かく、すごく心に響きました。

ユーザーID:7445665247
あんったぁ!
didi
2011年2月20日 4:38

18歳。生まれて初めて選んだバイトの店長は女性。おまけにキレイ!

ただし…元レディース。

先輩に気をつけてと言われましたが
田舎からでたばかりの僕はミスを連発。
その度に「あんったぁ!」と怒られてました。

そんなミス続きなある日、不注意で機械を壊し
ガラスが飛び散る大惨事を起こしてしまいました。

店長は現場におらず電話しないといけなかったのですが正直すごく嫌でした。
30分ほど悩み、意を決し事情を伝えると
「あんったぁ!」といつもの怒号。
また怒られる…クビかな…そう思っていると
「あんたはケガないん!?みんなは!?」

聞こえてきたのは予想外の言葉。

突然の問いに驚き、大丈夫ですとだけ応えると
「良かった!後片付け気をつけてな」と言うので、それだけ?と思い
「あの、僕壊したんですよ!?」と聞き返すと
「そんなん買ったらええやん。あんたらは一人やろ!みんな無事ならええねん」と。

自分のことばかり考えていた愚かさと
普段厳しい人の、誰よりも人を大切に思う温かさとで涙と嗚咽がとまらず
「はい」
と発するのが精一杯でした。

今自分がいるのは、まぎれもなくこの店長のおかげです。

ユーザーID:4580160568
無理してでも
てりやき
2011年2月20日 5:14

一気に読んで六時間もロムってしまいました。

中学教師をしています。
中1の担任中に上の子を妊娠。
2月になり安定期に入りかけたころ、不正出血が続いていました。

それでも、あと少しでちょうど年度が終わるし、
第一、妊娠をナメてましたので、
「何とかなる」と思いながら毎日普段どおり勤務していましたら、
あるとき勤務中に大量出血をしてしまい、
そのまま入院する羽目になってしまいました。
子ども達の大事な区切りをつけられず、
とても無念な思いでベッドに横たわっていました。
入院の翌日、副担任の先生が、生徒達から手紙を預かってきてくれました。
その中の、ある男の子からの言葉にハッとさせられました。

先生は頑張りすぎる。無理してでも無理しないで。

今思えば、お腹の子にも妊娠という大仕事にも、担任としての責任にも傲慢でした。
13、4歳の子どもに諭され、やっと、物事の優先順位を理解できたような
気がしました。
あれから10年経ち、2人の子どもを育てながらも
アクセル底踏みのワーカホリックになりがちな自分にとって、
その子の言葉は良いブレーキです。

ユーザーID:6817619094
母からの言葉です。
もも
2011年2月20日 7:21

前回のトピを全て読みとても感動しました。私も参加させていただきたいです。
他人ではなく、母からの言葉です。
私は実家を離れ短大を卒業し、就職した先で人間関係に悩み半年ほどで辞めてしまいました。
そして新しい環境に飛び込むのが怖くなり、転職活動も真剣にせずに数か月が経ちました。せっかく採用されても断ったり、辞めてから両親は資金的に援助をしてくれていたので甘えていました。
そんな私に、母から電話がありいつも優しく応援してくれる母にきつく叱られ号泣してしまいました。
すると母は笑い、「離れてたらあんたの気持ちとかがんばりとか見てあげれんけん…近くにおれたらおしりひっぱたいて、行け!!って言ったげれるのに。」
「母ちゃんは帰ってきてほしいけど、でもあんたはまだそっちにいたいんやろ?やったら最低限のことはしなさい。がんばってダメやったら、いつでも戻ってきたらいいんやから。」
長いですが母の言葉で、前に進まなきゃという思い、また申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
早く親孝行ができるよう、来週ハローワークに行きます。

こんな娘でごめんね。もう少し待っててください、母ちゃん。

ユーザーID:0451248288
犬が導いた気がします。
もも
2011年2月20日 8:14

連続で書かせていただいています。
今度は逆に私が何気なくしたことで親友の力になれたことがあります。
親友には長く飼っているさくらちゃんという犬がいました。
私も数回ですが会っていて久しぶりに親友の実家に遊びに行き、さくらちゃんと一緒に携帯で写メを撮ったりとても楽しく過ごしました。10月のことでした。
親友とは離れているので一年に数回しか会えないのですが、その年の大みそかの前日、さくらちゃんが急死し大みそかにさくらちゃんのお葬式をしたそうで、とても辛そうでした。
私は余計寂しくなるかな…と思いながらも、一緒に撮った写メやカメラ目線でかわいいさくらちゃんの写メを親友に送りました。
すると親友から電話があり
「さくらの写真を遺影として家に飾りたかったのに、家族みんなまともな写真がなくて、ブレてるやつを遺影にしたんよ。だから可愛いさくらの写メを送ってくれて家族みんな感動して、母なんか涙流して喜んでお礼言よった。ホンマありがとう。」と言われました。
しかもさくらちゃんが急死したのは私の誕生日の大みそかの前日。さくらちゃんが導いてくれた気がしました。
役に立ててよかった。

ユーザーID:0451248288
気遣いの言葉
Yo-ko
2011年2月20日 14:12

カリフォルニア在住です。
いくつかエピソードがありますが、その中のひとつを。

職場で食べたものに食中りしてしまって帰る頃には少しムカムカ。

運転中にひどくなってきたので、そのまま方向転換して海軍病院へ、車の中で袋にもどしながら額に脂汗をにじませ必死でした。
信号待ちで私が吐いているのを隣のレーンの白人女性が見ていた。

病院の近くまで来て限界に達した私は車から出て木のそばでうずくまっていると、さっきの女性が背中をさすりながらタオルを差し出して「自分の車で病院まで送るからあなたの車はここに置いて後で自分が運転して病院まで届けるから」という。

失神寸前の私は彼女の車で救急棟へ、私から車のキーを受け取った彼女は代わりに自分のIDカードを私に預けてご主人が病院勤務だといい二人で私の車を取りに行ってくれた。

車に入った時も私の服に付いた汚物を嫌がることなく拭いてくれ「苦しいでしょう、分かるわ、大丈夫気にしないでタオルなんていくらでもあるからドンドン汚しちゃって平気!」と・・この言葉で気が楽になりました。

親切な見ず知らずの女性に感謝です。

ユーザーID:1323766449
先生に感謝
ぶたのしっぽ
2011年2月20日 17:45

結婚してすぐにでも子供が欲しかった私たち夫婦。不妊治療に通っても6年妊娠せず、3件目の病院での先生の言葉が忘れられません。

「原因の無い不妊はありません。私たちが原因を見つけられないだけです」
この先生にお任せしたいと思った瞬間でした。1年後妊娠し他の産院で出産を待っていましたが、自然分娩することができず結局先生に産院に来てもらい帝王切開での出産となりました。

14年前の思い出です。

ユーザーID:4445751761
トピ主さん 感謝です
うめたろう
2011年2月20日 21:11

昨日Yahooを見ていたらここに誘導?されました(笑)

もう!なんて素敵なトピなんでしょう!
真夜中、皆さんのレス読みながら涙がとまりませんでした
おかげで今朝顔がむくんでしまいましたよ〜。休みで良かった。
で、今日も覗いてみたら更に沢山のレスで。。。しかもパート2!!
もぉ〜涙涙で読み進めなくて困ってます。

これから先、落ち込むことがあってもここを読めば頑張れそうな気がします。
実例報告は無いのですが、感動してレスしてしまいました

ユーザーID:5976987113
大丈夫!
ti-zu
2011年2月20日 22:24

仕事も恋愛もうまくいかず、自分は何をしてもダメなんじゃないかと卑屈になっていた時です。笑ってはいてもつらくてつらくて、全部捨てて逃げてしまいたいといつも思っていました。

そんな時、職場の先輩が休憩中に、ふと声をかけてくれました。「大丈夫!あなたは大丈夫だから!」

大丈夫じゃないですよ…と思いながらも、ふっと力が抜けて思わずその場で泣き笑いしてしまいました。

ユーザーID:1391681295
トピに参加
田串安丸
2011年2月21日 11:46

いい話で、ぜひとも僕も参加させてもらいます。トピの2を作ってくれた方ありがとうございます。一言ではないかもしれませんがレスします。

僕は、中学時代から母子家庭で育てられてきて、父親は嫌で嫌で仕方ありませんでした。そのため、同じ男になっていく自分自身も嫌で、学生時代は、学校さぼったり、家に帰らなかったり、人と話すことを拒絶していました。
23〜4歳専門学校に行き始めた頃、ある中年男性と出会い「男はもっと度量がおおきくなくちゃいかん。」と言われました。それから、逢う度にその人は何も知らない僕に、酒の飲み方〜人との付き合い方まで教えてくれました。それから、もう6〜7年たちました。
その人のことを今では、「親父」と読んでいます。そして、今では、看護師になって一番人と話さなければいけない職業についています。。。

ユーザーID:7761939970
笑顔が素敵ですね
茶坊主
2011年2月21日 15:07

中学時代、不良が最盛期にいた学校に通っていた私は友達を作る気にもなりませんでした。

ある日、女番長に近い怖いクラスメイトの○○さんが帰り際、私に近づいてきて突然「一緒に帰ろう」と声をかけてきました。

周りが驚いている中、私も驚いて目が点になっていましたが、笑顔で戸惑っていると○○さんが一言「笑顔が素敵ですね。本当ですよ」と笑顔で言ってくれました。それ以来、私が一人でいると○○さんはきさくに声をかけてくれて本当に嬉しかったです。

あの時に笑顔で話しかけてくれた○○さん。「あなたの笑顔も素敵ですね!」と、今でも言いたいです。

ユーザーID:7404545757
いい声してんな
なんちゃん
2011年2月21日 19:31



小学校のころからアニメ声で
中学校の頃はぶりっこと言われていたあのころ。

喋るのが嫌で無口になっていました。

そんなとき体育祭の放送担当をすることになってしまって
すごく嫌で休んでやろうと思ったのですが
担当の先生の一言。

「お前、良い声やな。先生はその声好きやで。もっと喋り。」


先生が私を気遣ってくれての言葉ですが
やはり嬉しくて家に帰ってから泣きました。


Yahooニュースで知りました。
初代のほうも読ませてもらいまして
もう涙腺崩壊です!!

トピ主さん、ありがとう!

ユーザーID:4873886555
ただの挨拶
あき
2011年2月21日 20:44

末期がんの母が入院中の頃です。
朝食を食べさせて出社し、せん妄状態になった時は病院からの連絡で早退し、
消灯後は付き添い家族の施設で寝泊りする生活を半年していました。

病院から会社までの間に工事区間があり、トラックの出入りを案内する方がいました。

朝は「おはようございます」
帰りも「お疲れ様です」「おかえりなさい」

その方はいつも笑顔なんです。
朝も夜も。
雨の日も風の日も。

当時自分も相当張り詰めていたと思います。

ある時その方に「おかえりなさい」と言われて涙が止まらなくなりました。
ただの挨拶なのに。
それ以来、挨拶されると涙が出るので、その道を避けるようになり
母の退院を迎えてそれっきり。
母も亡くなり今はその場所も大きな施設が建っています。

こちらの都合などおかまいなしの挨拶。
でも不快感は全くなかったです。
むしろなんとも澄んだような、一旦リセットしてくれるような
私にとってはそんな感じでした。
これを書いている今でも涙が出ます。
あの方はどこに行ってもあの挨拶をされてるんだろうなと思います。

ユーザーID:8349296241
『浪漫飛行』携帯からの書き込み
りみ
2011年2月21日 21:29

中学のとき、米米クラブの大好きな友達がいました。
当時、周りのことを気遣うあまり流されがちで自分がなかった私に、彼女が言いました。

『なんでそんなに気をはってるの?周りのことばっかり考えるの?そんなこと気にしなくていいんだよ。あんたはあんただよ。そのままでいいよ。』

魂の救われた瞬間でした。

それから何年かたって、彼女が19の若さで他界したことを知りました。
わけもわからないままお通夜に行き、彼女のお父さんの、『生きたくてもかなわなかった娘のために、どうか精一杯生きてください』という言葉がいまでも忘れられません。

私を救ってくれた人は、もうここにはいないけれど…
でも、私の心のなかに確かに生きています。


いまでも浪漫飛行を聞くと、胸が締め付けられます。

ありがとうって、噛み締めながら生きています。

ユーザーID:3817857629
他人の痛みに敏感な人たち
もも
2011年2月21日 23:40

ステキなトピです。私も落ち込んでいたからかな…。
それで、思い出しました。

先日、ある仕事で、「うまく行かなかったなあ」と落ち込んだまま、事後の懇親会に参加しました。

少々うわの空であることは自覚しながらも、それなりに相槌を打ちながら、輪の中にいたのですが…。

ふと、隣に座られた別の会社の年配の男性が、私の目の前に座った女性を示しながら、

「彼女に励まされると、元気づけられますよ」

とおっしゃったんです。

初め、何を言われているのか、わからなかったのですが、今日、このトピを読んで、ようやく分かった気がしました。

お仕事柄なのでしょうか、考えてみると、みんながみんな、私を気にかけてくださっていたようです。

自分ばっかり辛い、と思っていたことが恥ずかしい…。

私も、他人の痛みに敏感になって、声をかけてあげられる、そんな人間になりたいです。

ユーザーID:2766338725
母のやさしさ
タカタン
2011年2月22日 19:45

なにげなくネットを見ていたらこのサイトにたどり着きました。

そして何気なく読んでいて目頭が熱くなりました。

それでもこのレスに対して家族の事はどうなの?なんていうレスがあることに寂しさを感じます。

それでも私は母について書かせていただきます。

16年前、大学を卒業して配属先が大阪に決まり一人大阪に行く日の朝いつもは玄関先で見送ってくれる母が駅まで来てくれました。
そして改札口を通る時に「お父さんには内緒だけど困った時に使いなさい」と言って封筒を渡されました。

その時は何も気にしなかったのですが、新幹線の中で中を見ると手紙が入ってました。
内容は生まれてから今日までの俺の事がいろいろ書いてあって読んでるうちに自然と泣いてました。

そして最後に「タカタンの帰る場所はいつでもあるから安心しなさい」の一言

三人兄弟の真中で一番出来が悪くて問題児。
口癖は卒業したら家を出る。
本当に家には帰る気はなかったんですが、この一言で俺は愛されていた事に気が付きました。

こんな俺も今は家庭を持って両親と二世帯暮らしです。

お母さんありがとう。今でもあの手紙持ってるよ。

ユーザーID:6903057588
今 恩返ししています 2/1
ひつじっこ
2011年2月23日 0:07

心温まる皆さんのトビに涙が止まりません。有難う!

今から30年位前に、当時2才の長男を連れ、逃げる様に夫の元を去りました。

仕事や保育園も探さなくては...と思いながらも、長男と電車の旅(短距離)をしようと思い、当時30分に1本しか電車が来ないJRのホームで電車を待っていました。

ホームで電車を待っていたのは、私達親子と60代位のスーツ姿の男性だけでした。

暫くして男性がいなくなったのです。
どうしたのかな? と思っていると....両手にスーパーの袋??
すると息子に「これ、美味しそうな苺だから、お母さんと食べてね」
と言いながら、私に「困った事があったら何時でも電話下さい」と名刺を下さったのです。

某有名企業の専務さんでした。
全てにポジティブな私でも、専務さんから見たら悩んだ顔をしていたのでしょうね

見ず知らずの私達なのに、優しい言葉と心遣いに本当に心が温かくなり、感謝の気持でいっぱいになりました。

ユーザーID:5909176069
今 恩返ししています 2/2
ひつじっこ
2011年2月23日 0:30

続きです....

その後、専務さんに一度も電話をする事なく、仕事にも人間関係にも恵まれ今に至っています。

両親、兄弟、友人、職場の上司等 本当に沢山の人達から「愛」をいただきました。
私が頂いた「愛と優しさ、思いやり」を、一人でも多くの人にお返ししています。
(18歳年下の夫との結婚生活も「16年」の月日が経ちました)

****
 いつものように 笑って

 いつものように 微笑んで

 いつものように そっと泣いて

 涙が微笑みにかわる時 

 あなたの心が 愛でいっぱいになるでしょう

 私にできる

 精一杯の優しさで つつんであげたい
 

ユーザーID:5909176069
某ホテルのフロントのおねえさん
サラスバーティ
2011年2月23日 10:42

泣ける話ばかりですね。
私はちょっと軽いやつをお目汚しで。

先日、某ホテルで夫と久々に美味しいランチを取り、
上機嫌でトイレに行ったところ
個室トイレの荷物置きのカバンがなぜか
「バタリ」と倒れ、見事中身がボチャン!
携帯水没。
真っ青になった私は迷わず拾い上げましたが
すでに後の祭り・・・

しかも最悪なことに、携帯に気を取られ、
キーチェーンまでトイレに落としてきたことに
帰宅するまで気づきませんでした。
せっかくいい日だったのに。
こんなことになって悲しすぎる。
物凄く落ち込みつつ、
「トイレの中じゃない場所に落ちてるかも」と
一縷の望みをかけて、フロントに電話。

「すいません(情けない)。
こういう事情で(恥ずかしい)
確認してもらえますか(申し訳ない)」
と電話したところ、ホテルのお姉さんが一言快活に
「もちろんでございます!」。

営業トークというにはあまりにも頼もしく優しく、
じんわり感動した言葉でした。
結局鍵は流されてたのですが、お姉さんは各トイレを
くまなく探してくれたようでした。ありがとう。

ユーザーID:2285387947
失恋
nao
2011年2月23日 12:20

初めて付き合った人に「重い」と言われて振られました。

その帰り、毎日通っていたコンビニでレジに並んだときに、いつも話しかけてくれる店員のおばちゃんに「いつもありがとう」とにっこり笑いかけられ、その笑顔のあまりの優しさに涙が溢れました。

泣きながら振られたことを伝えるとぎゅうーっと私の手を握って、「縁が無かったのよ。あなたみたいな素敵な子にはもっと素敵な男の人が似合うの。その子はあなたに釣り合わなかったの。」って言ってもらえてさらに涙が溢れました。

ユーザーID:1685850427
バス通勤で
なみ
2011年2月23日 13:48

いつものようにバスを降りました。
私と入れ替りに1人のおじいちゃんがバスに乗ろうとしました。
すれ違う時に気がついたのですが、おじいちゃんは白い杖を持っていて目が見えず、乗車口が上手く認識できないようでした。
慌てて振り返り、おじいちゃんの背中に手を添えておじいちゃんの身体を寄せて、杖を持っていない方の手を取って乗車口の手すりを握らせました。
足はしっかりしているのでステップは簡単に昇りました。
おじいちゃんは肩越しに振り返って「ありがとう」と小声で言いました。
その後バスの運転手さんが「恐れ入ります」と言ったのです。

どうってないこと事ですが、運転手さんにまでそんな風に言われて、なんとなく心が温まった出来事でした。

ユーザーID:5549036937
親友の言葉
みみりん
2011年2月23日 16:42

1と2を長〜い時間かけて読み終えました。目は腫れていますが清々しいです(笑)

19の時、前日まで元気だった父が翌日突然亡くなりました。あまりにも急で、泣き崩れる母と、呆然とする妹、弟を支えるのに必死でした。
まだ学生でしたが長女でもあり、社長だった父の会社の方にも、親戚にも、「みみりんがしっかりすること」と言われ、私がしっかりしないとと張り詰めていたのです。

初七日も終わった頃、県外に進学した親友が訪ねてきました。
今までと変わりなくいろんな話をする私に彼女は「先日お父さんを亡くした先輩の話なんだけど」と前置きして「親が亡くなるって一大事だけど、街にでれば電車も動いてるし、お店も開いてる。ああそうか、自分にとってすごい事でも世の中は普通に動いてるんだって思ったんだって」という話をしました。そして静かに
「だから、みみりんも一人で抱え込まなくていいんだよ。とても悲しい事だったけど、普通に生活して泣いたり笑ったりしていいんだよ」と言ってくれたのです。

私が踏ん張らなきゃ、と張り詰めてた心に響いて、号泣してしまいました。

何気ない言葉ではなかったけど・・

ユーザーID:8634878149
患者さんのことば
さくら
2011年2月23日 18:33

私は看護師として働いていた時の話です。

急性期病院のとても忙しい病棟で働いていました。
その頃入院してきた同い年のYちゃん。
Yちゃんは、悪性の疾患でした。

私もYちゃんも、まだ20代前半です。
話が合い、看護師と患者さんという関係ながら、お互いの仕事のこと、恋愛のこと、遊びのこと、家族のこと。。
色々な話をしていました。

Yちゃんは、手術の後、化学療法、放射線治療など長く辛い治療に耐えなければなりませんでした。
長い髪も全て抜け落ち、副作用からどんどん細くなっていくYちゃん。

可愛いニット帽を探そう、ここの医療用ウィッグはすごいんやで、全然カツラってばれへんから、食欲なかったらこんなんが食べやすいよ。。などなど、他の先輩方と一緒に、あれやこれや、あらゆる看護でYちゃんをサポートしていました。

Yちゃんからは、一度もグチ、しんどい、やめたい 等の言葉を聞いたことはなかったです。
辛くても、苦笑いしながら、じっと我慢しているYちゃん。

ユーザーID:3770516464
患者さんのことば 続
さくら
2011年2月23日 18:53

そんな中でもYちゃんのウィッグが完成すれば私:「可愛い〜めっちゃ似合ってる〜全然わからん!」
Yちゃん:「そうやろ〜なかなかいいわあ、カツラも」 などといつも明るく、病気と闘っていました。

Yちゃんの退院が決まりました。
良かったな〜、寂しいな、と思いながら、退院当日にYちゃんに逢えないので、前日の夜勤明けでYちゃんに挨拶をしに行きました。

よかったね、しばらくは無理せんと、ゆっくりしてね。。などと話しながら、自然に「Yちゃんは強いわ。同い年やけどほんまに尊敬する。今まで頑張ってくれて、ほんまにありがとうね」という言葉が出ていました。

するとYちゃんは「さくらさんがおってくれたから、頑張れたよ、いつも励ましてくれてありがとう。退院して、逢えなくなるのがさみしい」とぼろぼろ泣きながら言ってくれました。
Yちゃんは何気なく言ったのかもしれませんが、まだ看護師としてぺ〜ぺ〜で自信のなかった私は、この言葉にとても自信をもらい、助けられました。

治療を乗り越え退院できる嬉しさと、逢えなくなる寂しさで、もう二人で号泣です(笑)
 

ユーザーID:3770516464
患者さんのことば 続 2
さくら
2011年2月23日 18:59

それからYちゃんは外来診察のたびに、きれいなロングヘアーで病棟まで顔をみせにくれていました。

現在、私は退職し、看護師生活を一度リセットして、学生になりました。

またどこかでYちゃんに逢えたらいいなと思っています。

なんだか内容がトピずれだったらすいません。。
このトピ、読むといつも号泣です。。(笑)

ユーザーID:3770516464
学校の先生に見てもらいたい携帯からの書き込み
まるも
2011年2月23日 20:57

私は高校生くらいまで喘息がひどく、学校をよく休んでいました。

小さい頃から体育も見学が多く泳ぎ方もよくわからないまま中学生になり、水泳のテストがあり、何度も足をつきながら、手足をバタバタさせかなりみっともなく25メートル泳ぎました。

そしたら体育の先生が一言「よく頑張った」と言ってくれました。みっともなくて恥ずかしかったのでその一言はとても救われました。


もひとつ。高校生になってもよく体調崩して休んでいました。数学の時間、問題をいくつか解く時間があり、先生はクラスをグルッと周りながら間違えたりしている人に教えてあげたりしながら、私の席にも近付いてきて
私のノートを見て「うん、大丈夫だな。○○は大丈夫」って言ってくれました。何日も休んだ後だったので、授業についていけてるか気にかけてくれたのだと思います。
何気ない一言でも生徒にとっては一生の宝物になります。

どんどん生徒さんたちを褒めてあげてほしいです。
先生に言われる言葉ってすごく特別だったりしますから。

ユーザーID:0381103632
助産師さん…携帯からの書き込み
うぴか
2011年2月23日 22:13

予定外の妊娠で悩んでいた時、出血で入院。「これ以上子育てどうしよう」「上の子供たちが心配」「お金…」と出産に前向きになれずにいました。入院生活で少しずつ気持ちが落ち着いてきて。
そんな時、大量出血!点滴をしながら「病室のみんなはお腹の赤ちゃんを守りたくて必死なのに、私は今だに粗末に考えてたから罰があたったんだ」「やっと頑張ろうって思えたのに」と泣きながら話すと
「辛かったでしょう?気づかなくてごめんなさいね。早く聞いてあげられたらよかったね」と手を握りしめてくれた助産師さん。
「頑張ってしがみついてますよ!どうしてもあかちゃんはうぴかさん一家に入りたいんだね」…涙がとまらなくなりました。
激務の中、こんないたわりの言葉をかけられる彼女たちは、人として素晴らしいと思います。
あの時お腹にいた子は、我が家の中心で誰よりもデカイ態度で日々成長していますよ!

ユーザーID:7135263022
良いトピです携帯からの書き込み
ビタミン
2011年2月23日 22:52

良いトピですね、心が温かくなります。

私が今日、職場の先輩から言われた言葉をひとつ。
最近、家庭でも仕事でもヘマしたり、自分で納得出来ない事が続いたりして精神的に参ってしまいそうでした。
色々な気持ちを抱えて今日も仕事に励んでいました。
すると先輩が突然「毎日ビタミンさんは頑張ってるよ。でも、あんま無理して頑張ったら駄目やよ?疲れるやん」と。
胸の中のものがすーっと解けていくような気がしました。
無理して頑張らなくていいのか…。
たった一言ですが、大きな一言でした。

ユーザーID:2380864665
亡き継母
ぺこちゃん
2011年2月24日 13:19

私が幼稚園の時に父が再婚。
愛情に飢えていたのか、継母をすぐに「おかあちゃん」と呼び
懐いたそうです。
その時、母は「何があってもこの子を守ろう」と思ったそうです。
勿論、母は深い愛情で私を育ててくれました。

その中でも、40年余り過ぎた今でも忘れることが出来ない言葉が
あります。
小学4年生の時、二者懇談会(先生と親との懇談会)から帰って来た
母。私はお世辞にも成績が良いとは言えず、きっと母に叱られるに
違いないと思って母を待っていたのですが、母は満面の笑みで
「先生が、ぺこちゃんは優しくてとてもいい子ですよと褒めて下さった。
 お勉強が出来なくても、そのほうがずっと嬉しいわ」
と何度も褒めてくれました。
その母の言葉は私の自信となり、勉強も頑張ろうと思えました。

生みの親より育ての親という言葉がありますが、本当に素敵な母でした。
昨年、母は亡くなりましたが、きっとまたあの世で再会できると信じて
います。

ユーザーID:7790817908
席替えで
リンドン
2011年2月25日 11:33

中学2年の時の事。男子から相当ないじめを受けていた。そんな中、席替えがあった。

くじで決まった私の隣は、幼稚園からの幼馴染。普段、普通に接してくれてたので「変な騒ぎにならない。よかった」とほっとした。ところが、幼馴染は「あいつの隣なんか嫌じゃあや!」と机ごと教室の後ろまで下がって行った。他の男子は拍手喝采。幼馴染はガッツポーズ。

当然、私の横は誰もいない空間がぽっかり。女子は男子に色々言ってたのに、先生は面白そうに笑って見てるだけ。恥ずかしさと悲しさと女子の温かさがごちゃごちゃになって涙が出るのを我慢するのが精一杯。

すると、それまで黙っていたある男子が「あ、俺、リンドンさんの隣がいいな」と言い、机ごと隣に移動してきてくれた。そして、教室の後ろにいる幼馴染に「いい?」と言い、私の方を見て「よろしくね」と言った。すごく嬉しくて涙が止まらなくなった。

忘れられない、辛かったけど嬉しかった日。
M君の一言で救われました。
あの時はきちんと伝える事ができなかったけど、助けてくれて本当にありがとう。

ユーザーID:8627380382
私の居場所
もん
2011年2月25日 18:30

ほんとにほっこりするトピですね。私も参加させて下さい。

数年前、大学時代からお世話になっていた会社に正社員として採用して頂き働き始めました。
社会人としてどんなことでも頑張らないとと思い、毎日必死で仕事をこなしていました。

でも、深夜までの激務、同期がほとんど辞めて誰にも相談出来ない孤独感でストレスがたまり、
加えてプライベートでもかなり辛い事があり、心身ともにボロボロでした。
私が必要だと社長を含め、みなさんに言って頂いたのに、突然無責任に辞めてしまいました。

それからも毎年年賀状を下さって、私はこれ以上御迷惑はと思い、新しい仕事は全然うまく行っていませんでしたが、元気ですとお返事していました。
それが今年は特にふさぎ込んでたこともあり、少し弱音をはいてしまいました。

そうしたら、
お仕事大変そうですね。私の場所はずっと空けています。いつでも帰ってきて下さいね。
とお返事を頂きました。

普段は代筆を頼むほど文章ベタな社長。
あぁ、私には帰る場所があるんだって思ったら、安心して涙がとまりませんでした。
そのおかげで今もなんとか頑張れてます。
ほんとにほんとに感謝しています。

ユーザーID:0910834016
患者さんの言葉
ロビン
2011年2月27日 2:54

素敵なトピですね。私も参加させてください。

10年以上前の話ですが、新人理学療法士として働いていた頃。仕事は毎日ひたすら同じことの繰り返し、恋愛も上手くいかず。。。
何事にもやる気が起きない状態で何とな〜く日々の仕事をこなしていました。

そんな時、顔面麻痺の患者さんのマッサージをすることになり・・・、
正直、顔面マッサージはあまり施行したことがなく自信が無かったし、ずっと通院されてたこの患者さんも苦手に思ってました。
しかし、やらざるを得ない状況でしたので、患者さんに失礼のないようにという思いだけで治療を行いました。
治療も終盤にさしかかった時、その患者さんにふいに言われた言葉が
「あなた、優しい話し方をするのね。ご両親の育て方が良かったのね。」

その瞬間、一気に両親への感謝の気持ちが溢れ、治療中にも関わらず涙を堪えるのに必死でした。
この言葉のおかげで、自分が両親から愛されて育ったということを改めて自覚し、両親に恥じることがないように生きていこうと思い直すことができました。

そして今、職場は変わりましたが、やりがいを持って理学療法士を続けています。

ユーザーID:0135232693
上司が入れてくれたコーヒー
素敵なトピですね
2011年2月27日 16:52

1、2と熟読させていただきました。
いいお話ばかりで、なんか生きて生活することって
悪くない、と思えます。
みなさん、ありがとう。

わたしも、いろいろ感動することがありましたが、1つだけ。

数年前まで、通販のカタログを制作する会社にいました。
慣れない編集の仕事で、要領が悪く、仕事が平日に片付かなくて
毎週のように土曜日出勤していました。
その日も、出勤していたら自分より2つ上の上司(男性)が
たまたま出勤されていて、「仕事、たいへんみたいやね」と
自然に会話しながら仕事してました。

用事でほかのフロアに行って帰ってきたら、
香ばしいコーヒーの香りがしていて、その上司が
自分のとわたしのマグカップにお湯を入れてあっためながら
丁寧にコーヒーをドリップしてるところでした。
わたしがあせって、「すみません、私が。。」と替わろうとしたら、
「いいからいいから。いつも頑張ってくれてるの知ってるから、
今日ぐらいサービスさせて」
と、わたしのカップを机に置いてくれました。
すごく美味しいコーヒーでした。

いろいろ、しんどくて、夜眠れないくらい参っていたときだったので
泣けてきそうでした。

ユーザーID:3886176703
バスの中で携帯からの書き込み
まり
2011年2月27日 23:54

子供が一歳の頃、バスに乗っていたら、渋滞していてなかなか目的地に着かないので、とうとう子供がグズって泣き出しました。車内は立っている人もおらず、空席もあるくらいでしたが、渋滞で動かない車内で迷惑かけては…と思い、自宅近くのバス停まではあと4駅ありましたがボタンを押しました。
そしたら、後ろに座っていたおばあちゃんが「あなた、もし子供が泣いているのが申し訳ないと思って降りようとしているなら気にしなくていいのよ。こんな小さい子がグズるのは当たり前よ。」と。それを聞いた前に座っていたおばあちゃんが「赤ちゃんの泣き声なんて聞きたくてもなかなか聞けないよ。気にしないでいいの。降りたい駅で降りなさいよ。」と言って下さりました。
でも申し訳なくて手前で降りてしまいました。あの時のおばあちゃんありがとうございました。夜泣きが半年以上続いて疲れ切っていた私にはその思いやりがありがたくてありがたくて、泣きながら帰宅しました。
私もああいう心にゆとりのあるおばあちゃんになりたいです。

ユーザーID:3960565340
涙がとまりません・・・
りりちゃん
2011年3月1日 11:12

数週間前に小町を知り時間があれば毎日見ています。
とても良いトピで涙なくしては読めません。やさしさ、思いやり、勇気をいただいています。
数年前スーパーでの事です。リウマチで足が痛くゆっくり歩きながら買い物をし、清算も済ませ袋を持って車に向かおうとした時
レジの若者がさっと来て「車はどこですか」と言い運んでくれました。
お礼を言うときに涙があふれそうになりました。
病気で気分も落ち込んでいる頃でしたのでその心遣いがとても嬉しく車の中で泣きました。
今でも時々思い出すとうるっときます。あの若者の幸せを祈らずにはいられません。

ユーザーID:7344454849
ある日のバス
わんにゃん
2011年3月1日 23:21

新しい部署に異動したばかり、慣れない業務に緊張し疲れが溜まっていたある日のことでした。

帰路の通勤バスで、降車する停留所に近づいた時。
運転手さんがすこしのんびりと、優しい声で、
「お待たせしましたー次は○○です。
 今日もお仕事、おつかれさまでした。」
とアナウンスしてくれました。

それまでこんな一言を加えてくれる運転手さんは一人もいなかったので、思わず"えっ"と顔を上げました。
そしてその一言で、「ああ今日も私がんばったんだ、無事に帰ってこれた」と安らいだ気持ちが湧いてきたのを今でも覚えています。
すごく嬉しかったです。

ユーザーID:0787055465
職場の上司
yy
2011年3月6日 22:25

子どもがまだ3ヶ月の時に
仕事をしなければいけない状況で
やっとみつけた職場で事務をすることになりました。

女性の上司でしたがよく動く会社に忠実な人だなぁ・・
とかってなイメージでみていました。
ところが偶然ふたりだけで話すことがあり
こんなことをいってくださいました。

「私は母子家庭。できないとはいえないの。
あなたをみていれば私の昔をみているようだわ。
だけど、覚えておいて。
あなたならやれる。」

その一言にどれほどいままで
助けられていることかわかりません。

一度お便りしましたが
何年かして息子が小学校を卒業をむかえたらまた
お便りしようと思っています。

ユーザーID:8421661043
過去
名無し社員
2011年4月4日 21:32

名無し社員がヒヨッ子の頃、もう10年ほど前の話。
新卒で工場に配属となり、学生と社会人の間の違いに苦しみ
仕事がなかなか覚えられず、大卒でこれも知らないの?と
影で散々言われ、恥と無力感で過ぎる日々。
寝汗で目が覚めて落ち込み、金曜が来ると嬉しくなり
日曜が来ると気分が沈む。

できることが見つからない。
でも、皆がやりたがらないような、汚い仕事なら。
油まみれになり、様子を笑われ、今日も無事終わったと安堵。
屈辱を感じないよう、これでいいんだと言い聞かせつつ。
自分の目指した未来って?
粛々と訪れる氷のような現実に毎日平手打ちを食らい
自分と世の中を罵ってました。

ある日、部内で飲み会があり(当然、行きたくない)
宴も進み、上司の言葉をきっかけに、名無し社員の話に。
(きたか。耐えろ耐えろ・・)

「こいつはなー、凄いやつなんだぞ。文句一つ言わず、黙ーーって皆の使い古しを洗って後片付けしてたなんて、知ってたか?」
そこから何を言われたか、覚えてません。
ただ、前が見えませんでした。

今も、その会社にいます。
その上司を目指して。

ユーザーID:9417363229
心が軽くなりました。
ひつじ
2011年4月18日 0:05

最近仕事で失敗しました。

ここ1年の間にバタバタと同僚が退職していき、決して有能ではない私が必然的に1人で仕事を引き継いでやってきました。
そのミスった問題は解決したのですが、急に「今までの自分のやってきた事は間違っていたんじゃないか」とか「これから改善していかなければならない課題は何なのか」とか考え始めたら不安になってしまいました。

誰かに助言してもらいたくて、次の日、寿退社後しばらくしてパートとして復帰された先輩にお話ししました。
その先輩は私が入社した時、かなりお世話になった方なのですが、もう正社員じゃないのに仕事の負担とか迷惑をかけたら申し訳ないと思って今まで何かあっても相談するのを遠慮していました。

アドバイスしていただいた後、先輩に「1人で抱えこまなくてもいいんですよ。たまには吐き出さないと。」と笑顔で言われました。
初めて会社で泣いてしまいました。
知らず知らずのうちに、1人でいっぱいいっぱいになっていたようです。
その先輩の一言で心が軽くなりました。

ユーザーID:7674720447
前スレのとまとさんへ
アリガトウ
2011年4月19日 16:27

ちょっと横になってしまうかもしれませんが・・・

前スレのとまとさんの書き込み

>・過去には感謝を、現在には信頼を、未来には希望を。
>・「命は大切だ」と何千回何万回言われるより、「あなたが大切だ」とだれかが言ってくれたら、それだけで生きていける。

がすごく心にしみました。
もっと過去に感謝して、いつか「あなたが大切だ」と誰かに言ってもらえる人間になりたいです。

ユーザーID:6133144705
おまわりさんから
えさし
2011年4月28日 14:17

素晴らしいトピですね。思いっきり泣かせてもらいました。
このところいろんなことが重なって自分への苛立ちや、今後に対する不安で一杯だったのですが、心が軽くなりました。

私も、4年ほど前に言われた一言を。

母がクモ膜下出血で手術し入院中のことでした。
私は遠方で就職していたため、毎週末に車で3時間かけて帰省していました。
手術後もつきっきりで看病できていたわけではなく、
母は家族が気づかないままに失明してしまいました。
そばにいれば防げたかもしれないという後悔、
近くで世話をしてあげられないもどかしさ。

そんな中、2週連続でスピード違反でつかまったのですが、
年配の警察官から、
“違反で捕まるくらいで済んでよかったぞ。
 お母さんの世話も大事やけど、あんたが事故にでもあったら本末転倒や。
 自分の体も大事にせなあかんで”と。
思わずボロボロ泣いてしまいました。

警察官なんて点数稼ぎの為に捕まえているだけだ(失礼!)と思っていましたが、すごく救われたし、おかげで今でも安全運転第一です!

ユーザーID:2764400139
 
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