現在位置は
です

発言小町

新しいトピを作成
本文です

他人の何気ない一言に助けられた<2>

みみずく
2010年5月7日 11:40
古いレス順
レス数:302本

このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました。
タイトル 投稿者 更新時間
父の言葉
もんち
2010年5月11日 1:03

出版関係の仕事で徹夜勤務も当たり前という日常を送っている私。
それでも子どもの頃からの夢だった仕事という想いが私を支えてくれて、愚痴も不満も感じていませんでした。
しかし大失敗。先方を激怒させ、上司にも迷惑をかけてしまいました。一気に自信喪失。かといって仕事を投げ出すこともできずに、深夜まで仕事を続けていました。
その時、普段は電話なんて掛けてこない父から一本の電話。
大した用事ではなかったのですが、声を聞いて、一気に緊張の糸が切れてしまい、非常階段で泣きながら「私には不相応な仕事なんだ。責任を取って辞める!」と言ってしまいました。
父は、黙って私の話を聞いていました。
「辞めるのはいつでもできる。頑張るのは今しかできんやろ。お父さんは、お前が逃げ出す子やないことを知っとる。目の前の石を頑張って退けたら、逃げんでも道は開けるんやから。それでも無理やと思うなら、いつでも帰ってきたらよか」
九州男児で口下手な父の言葉は、どんな慰めよりも心に届きました。
今も仕事に誇りを持ち頑張っているのは、父の言葉のおかげです。
ありがとう、お父さん。

ユーザーID:7356212326
母親の手紙
人生楽笑
2010年5月11日 2:53

先日、兄の結婚式での事。
2次会で母から兄への手紙が読まれました。
兄は知らされておらず、幹事さんがコッソリ母に頼み書いてもらったそうなのですが、
その手紙に心打たれました。

僕の家族は、母と兄と僕の3人。
父は母が27歳。兄4歳。僕2歳の時に病気で他界しました。
その頃、父の病気をどうにか治せないか母は毎日電話していたそうです。

しかし、それもむなしく父は逝きました。
母は27歳という年齢で僕らを育てて行くことになり、
お葬式でもどうしたら良いか分からなかったそうです。

出棺の時、何も分かってない4歳の兄が母親に
「お父さん天国に電話持っていったらええのに。そしたらお母さんの好きな電話で毎日お話できるやん」
と、無邪気に言ったそうです。毎日電話していたのを子供ながらに覚えていたのでしょう。

母は、その兄の無邪気ながらも優しい言葉を聞いて、頑張ってええ子に育てようと決心したそうです。

ユーザーID:9565976745
父の言葉、の続きです。
もんち
2010年5月11日 2:56

身内ごとで恐縮ながら、父親からの言葉を書かせて頂きました。
そこには続きがあって、それをどうしてもお伝えしたかったので、
続きを書かせて頂きます。

父親との電話からしばらく経って、元気になった私はまた仕事人間に戻っていました。
母親と電話でおしゃべりをしていた時に、教えてもらったことです。

「お父さんね、あの時夜勤中に電話してたんよ。電話切った後、ああは言ったけど娘はちゃんと頑張れるやろかって不安やったみたい。そしたら、あんたの声が大きくて電話の外に聞こえたんやろね、職場の人が声かけてくれたんやって。大人になった娘さんが泣き言言ってくれるなんて、幸せですねって。お父さんも嬉しかったみたい」

心がほっこりしました。

ユーザーID:7356212326
郵便局での出来事
よっくんママ
2010年5月11日 4:11

先日郵便局に行きました。とても長い列が入り口まで続いていました。
ぼーっと自分の番を待っていたところ、私の前にいた方が紙で指先を切ってしまったようでした。
私はいつもお財布に絆創膏を持ち歩いているので、良かったらどうぞ。
と一つ差し上げました。
その方はとても嬉しそうに、「今日は本当についていないと思ったの。でも貴方のおかげでいい日になったわ。ありがとう。この絆創膏、とても質がいいのだけれど、どこで買えるの?」と聞いてきたので、
「日本で買ってきたものなんですよ。」とだけ答えると、
「日本のものは本当にいいものばかりよね。貴方もいい人。」とおっしゃってくださり、お世辞でも嬉しかったのですが、それから列の後ろに並んでいる人たちも口をそろえて、
「日本製は何でも良いものばかりだよ!」と皆さん笑顔で言ってくれました。
他愛もないことかもしれませんが、私はアメリカに住んでいて人種差別を受けることも多々あります。そんなとき、日本人である私、日本の製品をこれだけ認めてくれる方々に会えたことが嬉しく感じました。

ユーザーID:9168475447
目頭アツいです。。。
らくだ
2010年5月11日 5:37

ネットをうろうろして偶然見つけましたが、
皆様の話しを読んでるだけで胸がきゅー!ってなりました♪

恥ずかしながらですが、自分の価値観を変えてくれた話を。


小・中といじめや嫌がらせを受けてたりで
そこそこ人間不信になり、上辺の付きあいで人との距離を
とるようになっていた高校時代。

誰にも頼らず自立したくて初めてバイトを始めました。
もちろん(?)そこでも最低限の仕事上での関わりしか持ちませんでした。

普通の人ならそういう人と割り切るんでしょうが、
そこの人達は真逆で、正面から説教してくれました。
『そんなんじゃ楽しくないだろ!○○ちゃんは俺らが変える!』って。

暑苦しいくらい熱く、『止めてくれっ』って思う程からんできたり。

でもそれがとても嬉しくかったんです。
そして人を頼ろうとしない自分に
『迷惑はかけるから迷惑っていうんだよ。だからもっと頼って迷惑かけてね♪』
あの時の自分には一番欲しかった言葉だったと思います。
夜とはいえ、街中で泣きました。

今でも感謝してふとあの時の人達を思い出します。

ユーザーID:6575596647
高校生の時
2010年5月11日 8:49

いいトピですね。どの話も泣けます。
わたしもありました。高校生の時、部活動でごたごたが続いていた時、何故かご飯が食べられなくなりました。まず、食欲がわかない。食べても吐きそうになる。

そんな日が2か月ほど続きました。

ある日、部員とご飯を食べに行った時、(あいかわらず食欲はありませんでしたが…)列の最後尾を歩きながら、部活のOBの先輩とメールをしていました。

私「なんか最近おかしいんですよね。ご飯が食べれないんです。」

そこでこれまでのことをメールしました。すると

先輩「そうか、お前、辛かったんやな。」と。

このメールを見たとき、初めて自分が辛かったことに気がつきました。辛いことに気がつかないほど自分はおかしくなっていたのだと。

その後、街中の道路だったにも関わらず(人通りはほとんどありませんでした)うずくまって泣きました。

泣いて、泣いて、そしたらすっきりしてもとに戻ることができました。

この場を借りて、先輩、ありがとうございました。

ユーザーID:0126172593
隣のおばあちゃん
ちーこ
2010年5月11日 12:21

一言、では無いのですが…

数年前、乳幼児の育児の大変さを痛感していました。
自由も利かず、元気な子供達。
若い母親だからとバカにされないよう、躾も大事だと気負いすぎ、
いつしか、叱るが怒るに変わり…話し方も怒鳴り口調に…手も出す始末。
育児ノイローゼ気味だったと思います。
そんなある時、隣のおばあちゃんに回覧板を渡しに行きました。

「あら、こんにちは。おちびちゃん達は?」
「昼寝した所です。」
「そう、あなた偉い偉い、子供達もいい子いい子。偉い偉い」
「いやいやいや!いつも怒鳴り声聞かせてしまってすいません」
「えっ?何も聞こえない聞こえない。そんなの気にしない気にしない。」
「ホントすいません(絶対そんなはず無いのに…)」
「あなた達大好きよ、今度お茶でも飲みにいらっしゃいね。
 もちろんおチビちゃん達も連れてね。コレ、お口汚しに貰って頂戴?」

と、近所で並んで購入したであろうお菓子をくださいました。
子育てに自信喪失し、迷走していた私を心身共に元気にしてくれました。
今はこちらが近所に引越したのですが、敬老の日には必ずお土産を持って
遊びに行くようにしています。

感謝!

ユーザーID:6563450704
電車のホームで
coco
2010年5月11日 13:25

素敵なトピ、私も参加させてください。

看護師として就職して間もない頃、仕事で辛いことがあり落ち込んでいました。一人じゃどうしても心を支えきれなくて当時付き合っていた彼の部屋へ向かおうと電車に乗りました。休日の朝早い時間、電車も人がまばらです。
ホームで彼に電話をかけるも、「ごめん、今来られても困る。」と拒絶。
ただそばにいたかっただけなのにやっぱり迷惑だったかな、とその場で泣き崩れてしまいました。
どうにも心細くて周りに人がいないのをいいことに、一人うずくまっていたんです。10分くらいしていつまでもそうしていられないと立ち上がったときでした。

スーツをきたおじさんがペットボトルのお茶を私に差し出して、「明日はいいことあるよ!」と言って、手を大きく振り立ち去っていきました。寒い日の朝、お茶は「温」でした。
温かいお茶と一緒に、温かい気持ちをいただきました。

私もさりげなく人を励ませることができたらいいな。

ユーザーID:4448125321
祖母と交わした最期の言葉
やっこちゃん
2010年5月11日 13:33

身内のお話で僭越ですが祖母のお話です。
私は事情で親がおらず祖母には母代わりで育ててもらいました。
自営をやっている祖母宅には先住の長男夫婦(私の叔父夫婦)が住んでいて
叔父嫁が私を気に入らなかったようでイビリ倒されていました。
「あんた(私)は幸せになれない、親がいないんじゃ結婚も無理、
お可哀想だこと、ふん」と嘲笑いされました。
1人暮らしを初めて23歳の時、電話で祖母に「将来、私なんて結婚無理だよね、親がいないし実家もないし。身の上話打ち明けたら逃げられるね」と聞きました。
祖母は「そんな事ない。やっこちゃんを愛する人は必ずいる。逃げて行く人は本当の愛じゃないよ」と言ってくれました。
それが最期の会話でした。
祖母亡き後、数年して、祖母の言う通り、身の上話をした時に私の目を見てプロポーズしてくれたのが今の夫です。
私側の親族列席者ゼロで彼と彼親族に見守られ結婚をしました。
祖母が天国から祝福をしてくれていたと思います。

ユーザーID:4200073564
若い頃
みか
2010年5月11日 13:37

嫌で嫌でしょうがなかった職場を、それでも何とか2年勤め退社し、その後働くのが怖くて4ヶ月ほど無職で過ごし、そろそろ仕事探さなくちゃと派遣登録に行きました。

簡単なテストを受け、早速紹介したい仕事があるということで話をしていると、その係の女性が
「あなたがいるだけで、そこがパア〜ッと明るくなるわね。」
と言ったんです。

その頃の私は自分に自信がなく、苦手なサービス業で2年働いた反動で人には会いたくなくて半分引きこもりのようになっていた時期だったので、その言葉は本当に意外で、でも暗くていてもいなくてもどうでもいいんだろうなと思っていた自分を、そんな風に見てくれる人もいるんだとなんだかうれしはずかしの気持ちでした。
暗い気持ちを打ち明けて励ましてもらったというのではなく、本当に何気ない一言だっただけにうれしかったです。

結局その仕事はお受けしなかったんですけど、その言葉を支えに自分にぴったりの職場を見つけることが出来、今ではお局になってます。
仕事に行くのが楽しいと思える職場に出会えたのは、あの時の一言のおかげだと、今でも感謝しています。

ユーザーID:7867139031
50歳からの就活
ボム
2010年5月11日 14:30

20年経営していた会社が倒産しました(家族経営)
家も車も売り少ない預金も借金返済にあてました
倒産のゴタゴタで家族はバラバラになり母は私が引き取ることになりました。

でも悲しんでる暇はなく働かないと食べていけません
幸い私は専門職の資格を持っていたのですぐに仕事がみつかると楽観してました
女50歳独身・・・どこにも居場所はありませんでした
履歴書を送っても送っても返送され電話で年齢を言うと「はぁ?」と聞き返されます(泣)
どの業界でも30代が1番ほしい人材だったのです私も人を雇う立場だったので解っていたはずなのに甘すぎました
そのころ母ともうまくいってなく疲れた体で家に帰て母の顔をみるのも苦痛でした

希望の職種は諦めて派遣社員として働くことにしました
面接に行った時の事 派遣会社の30代男性は履歴書をみて顔を上げ一言「若く見えますね」とニッコリ
面接の帰り道夜空を見上げ「負けるもんか」と叫びました(笑)

その後彼が紹介してくれた会社に派遣社員として働き今では小さいながらも自分の店を持てました
あの時の彼の笑顔が忘れられません

ユーザーID:9118754599
よくがんばったね
李すもも
2010年5月11日 15:36

素敵なトピに私も参加させてください
10年くらい前、離婚やらリストラやらで、毎日死ぬことばかり考えている時がありました。
そんな時、ふと目にした本に載っていたカウンセラーさんの笑顔に惹かれ、住所もそう遠くなかったので連絡をとってお会いしました。
カウンセラーさんは私の話を聞いてくださり、「そんな状態で結婚生活送ってたの?よくがんばったね」と言ってくれました。
初対面の他人が私の辛さをわかってくれた、と時間中泣いてしまいました。
そして、つい先日出入りの営業の人に、実は転職先をさがしている。と話したところ「ここはキツイからなあ。いいとこあったらすぐ教えてやるよ。よくがんばったな」と言ってくれたのです。
思わずトイレに駆け込んで泣きました。
二人ともただの商売口だったのかもしれませんが、私はものすごく嬉しかったです。
ありがとうございました。この場でお礼を言わせてください。
ほんとうに、ありがとうございました。

ユーザーID:6481718462
産科医の一言
もう高校生
2010年5月11日 16:04

17年前、3週間早く2000グラム弱の長男を産んだ時。

色々心配でしょんぼりしていたところ・・・

「うちの息子も早産児だったけど、今では僕が見上げる程に大きくなったよ。心配しなくても大丈夫。楽しみにしておいて。」 と、言ってくださいました。

お陰さまで息子も大きく成長しました。痩せてはいますが超元気です。


あの時は先生に助けられました。

そして今日は再び懐かしく幸せな気持ちになりました。

トピ立ててくださって感謝しています!

ユーザーID:1065163332
主人の言葉
まく
2010年5月11日 18:13

私もつい最近に主人の言葉に涙がでました。
私は今年も、手術を勧められています。(別の病気で半年もたたないうちに)
去年は4回も手術をしたので、もう今年はよい年にするぞという矢先でした。今度はかなり落ち込んでいます。
というよりは、去年も去年の手術のことでうなされ状態でしたが、今年になってよけいにうなされ状態にいます。
毎日のように明け方に手術のことで起こされ、うなされ状態なのですが、
いつもそばに主人がいて、主人のほうが大変なのに支えてくれています。(明け方いつも起こしてしまっています。)

私ってよいことないよね。これからどうなってしまうのかな?
いっそう、死んでしまいたい。このままの状態だと死んでしまうのかな?

そしたら主人が、生きていればよいことあるよ。死んではいけないよ。
よいことつくってあげないと・・・とひとりごとのようにいってくれました。

よいことってつくることなんだって・・・
こんなに悪いことがあっても生きていればよいことがあるかもしれないのだと思えてきました。
こんな私でもいやがらずに支えてくれてありがとうと素直に思えた瞬間でした。

ユーザーID:0672831904
となりのベッドに入ったおばさんの一言
まく
2010年5月11日 18:44

昨年に入院して手術をしたのですが、かなりひどい状態で手術が終わって病室に戻るやいなや、麻酔から目が覚めたら、かなりの痛さでころげまわって
痛い痛いの大騒ぎをしていました(我慢ができないほどの痛さでした)。
自分ではわからないのですが、夜中じゅうも大騒ぎをしていたと思います。

丁度、私の手術の日にとなりのベッドに新しく入った年配のおばさんが、
あいさつをしようとしていたのですが、あまりにも私が痛がっていたので、次の日にわざわざ、
「昨日あいさつをしようと思ったのですが、痛がっていたので」と言いにきてくれました。
私が、「昨日は騒いでしまってすみませんでした。入ったばかりなのに寝られなかったでしょう」といったら、
その方が、
「大丈夫です。子守唄のように聞こえましたから・・・」と。
その言葉でなんだか、ホット笑いに変えられてしまい、安心しました。
と同時に何日か入院生活をご一緒させて頂くにあたり、
これからの入院生活が楽しくなるのではないかと思えた瞬間でした。

もちろん、この病室の人たちはすべてよい人ばかりで、楽しく、飽きない入院生活が送れました。

ユーザーID:0672831904
バスでの出来事
にゃんこ
2010年5月11日 20:47

本題から少しズレて自分が助けられたわけでなく
どちらかというと「心にジーンときた言葉」なのですが。

都内のバスに乗っていた時のこと。

ここの路線はよく
某有名私立大学付属の初等科の児童が乗車してくるのですが
座席を独占したり、大声でベラベラと
これまでは正直マナーが悪くてイライラし通しでした。

ある日、一人の児童が乗車してくると、定期券をかざす際に
バスの運転手さんに
「お願いします!」
と元気よく伝えたのです。

その後、降車駅に着くとその児童は
「ありがとうございました!」
とこれまた元気よく感謝の気持ちを伝えていました。

なんだかキュンッときましたね。
「今時の子どもは・・」と半ば見下していた
自分に少し反省です。

きっとバスの運転手さんだって
とても心が励まされて
「今後も安全運転で頑張ろうー!」
って気持ちになれたんでしょうね。

ユーザーID:4067025925
暖かい一言携帯からの書き込み
あい
2010年5月11日 21:06

主人が夜中、発作で倒れ、医師から脳腫瘍である事を告げられました‥取り急ぎ着替えをと、
タクシーで自宅へ向かう途中、運転手さんに話しかけられ何げに事情を話したら、
「私の知り合いの方も同じ病気で倒れたんですが、今は社会復帰してます。大丈夫ですよ きっと良くなりますよ また元気になりますから」そう言って帰り際 飴を2つ頂きました。
大丈夫の言葉がすごく嬉しくて涙が止まりませんでした

ユーザーID:6780134741
病院で携帯からの書き込み
ふくろう
2010年5月11日 21:37

みみずく様、トピを引き継いで下さってありがとうございます。今日<2>があるのに気づき、さっそく今あるレス全てを読みました。
前トピでもそうでしたが、やはり皆さんのレスを読んでいると不思議と気持ちが軽くなります。

そこで、私も最近あったことを一つ。
中々子供が授からず、この前意を決して不妊治療専門の病院へ行きました。
自分の不妊を認めたくない…検査は痛いのかな…原因は私かな…等不安いっぱいでした。
そして診察室へ入ると少し怖そうな先生が検査の流れ、一般的な不妊の原因等を説明して下さいました。きっと説明を聞いている時の私は緊張して怖い顔になっていたと思います。
説明が一通り終わった後、真面目な顔をしていた先生はいきなりニッコリ笑って、『大丈夫。しっかり検査するからね。若いのに子供欲しいって偉いね』と言って下さいました。
また泣きそうになりました。
これから治療頑張るぞ!!と思える言葉でした。

ユーザーID:4975592187
上司の言葉
はと胸
2010年5月11日 21:53

先輩に失恋して呆然自失の毎日。

注文を受ければ数を間違える、発注すればサイズを間違える。

私の失敗でお客様に怒られてしまった上司に
申し訳ございませんでした、と頭を下げた時言われた言葉
「俺のこんな軽い頭なんていくらでも下げられるんだから、
 客に怒られる位どうってことない。
 そんな事気にしないで、早く元気になれ!」

部下の手柄は大きく褒めて、失敗は責めずにフォロー・アドバイスする
「どこまでもついて行きます!」と思わせてくれる上司でした。
私の「先輩像」の見本です。
私も後輩を持つ立場になりましたが、後輩から見て
私はどんな先輩なのかな?なんて時々考えます。

ユーザーID:8679889548
タクシーの運転手さん
ねと
2010年5月11日 22:28

 子供の時から私の母は仕事をしていて、いつも家に居ておやつを作ってくれたのは祖母でした。大人になってからも田舎のものなどを送ってくれたり、いつも私を心配してくれ、結婚をだれより喜んでくれました。
主人の仕事でドイツに住むようになってからも日本のものを何かと送ってくれて、寂しくないようにしてくれたものです。
 その祖母の急な訃報に急いで帰国しましたが、成田についてから飛行機、JRとまだ数回乗換えが必要で、遅れると葬式にも間に合わなくなり最後に顔も見られなくなると必死でした。
空港から乗ったタクシーの運転手さんにJRの時刻を言い、葬式に間に合わなくなるので・・と言うと出来るだけ頑張ってみるよと言い、急いでくださり電車の出る数分前に駅に到着しました。支払いを済ませると「私が荷物を持っていってあげるからあなたは走りなさい」といって大きいスーツケースを持って後を追ってきてくれました。出発のベルと同時に乗り込むことが出来、なんとか家に帰り着き最後に祖母と対面することが出来ました。タクシー会社も名前も覚えていなくて御礼も出来ませんでした、運転手さん、あの時は本当にありがとうございました。

ユーザーID:6741360809
 
現在位置は
です