「勇気をもらった」「元気を貰った」

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生活・身近な話題

arata

はじめまして,駄トピかも知れませんがお願いします。

最近,テレビなどで「××選手の活躍に元気をもらった」
「●●の勝利に勇気をもらった」という表現が
よく聞かれるようになりましたが,
実際に何かを見て,「勇気をもらった」「元気をもらった」と
実感したことはありますか?

私は思い出す限り,ないと思います・・・。
野球で日本が優勝したり,サッカーで健闘したり,
オリンピックでメダルを取っているのを見ると
もちろん嬉しいのですが,それで「勇気を貰った」と
思うことはあまりない気がします。
夫に同じ事を聞いたら,悩んだ末に「ないかも」と言っていました。

皆様はどのような場面で
誰かから「勇気を貰った」と感じた事がありますか?

ユーザーID:2225569749

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  • わかります

    本当に…「勇気をもらった」「元気をもらった」、典型的な紋切り型ですよね。
    よくよく考えると何の意味もない空疎な言葉ですが、なんとなく便利なのでメディアで多用されているうちに、一般の人も使うようになっているんでしょう。
    もちろん、私も日本代表が勝てばうれしいです。でも、日本代表が活躍したからって、私の手柄でもなんでもないし、我が身に関連づけて考える事はありません。
    日本代表チーム=私ではありませんからね。
    あと「感動をありがとう!」っていうのもすごく陳腐です…。

    ユーザーID:7438617095

  • 「もらった」と思い込むことが大事なんでしょうね。

    「ありますか?」というトピで恐縮ですが、
    私もトピ主さんの同じく、ないです。

    だって、その人達が成功したからって、自分が成功するわけじゃないし。
    別人なんだから。

    それに「あの人が成功できたんだから、私も成功できるはず」って、
    なんだかその人をバカにしてるような気もします。

    「勇気をもらった」「元気をもらった」って、
    意味のないあいさつ語みたいなものか、
    言ってる人がそう思い込みたいだけなんでしょうね。
    まあ、そう思い込めるなら、当人の役には立ってるので
    ほっとくことにしてます。

    ユーザーID:5017848657

  • 絶対にないです!

    勇気とか元気は自分で出すもので、人から貰うものではありません。

    ましてや、あげるとも言われてないのに勝手に「もらった!」りしていいのか?

    ユーザーID:8118202550

  • もらったことない

    ご質問の趣旨から外れるかもしれませんが
    「元気をもらう」「勇気をもらう」「感動をもらう」
    最近よく耳にしますがムズムズするんです。

    スポーツや映画を見て元気になるし感動もするけど
    元気を出すのも、感動するのも、自発的なことですよね。
    「もらう」には違和感があるのですが・・・
    文法的(?)には問題ないのかな。誰か詳しい人教えて〜。

    ユーザーID:0667337616

  • ・・・無いですねえ。

    個人的には、この言葉には「全米が泣いた」「自分へのご褒美」「感動をありがとう」「感動をもらう」やらと同じ匂いを感じます。うまく言えませんが、自分の日常会話であまり使いたくない言葉というか・・。冷めててすみません。

    ちなみに、スポーツ等で活躍している方達を見て、勇気や元気をもらった事はありません。浅田真央選手には死ぬほど感動しましたが。

    何となく、故ナンシー関さんのコラムを思い出してしまいました。

    ユーザーID:0589583991

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    一覧
  • ありません

    私もプロスポーツ選手の活躍には単純に「頑張ってるな、凄いな」と思うだけです。
    他人がボールを追いかけ回していたり、氷の上で回っている姿を見て何かをもらったことはありません。
    人にそう言うと「ひねくれてるね」と軽蔑したように言われます。
    でも本当に何ももらおうとできないし、何ももらえないんです。
    選手も自分の為に頑張っているのであって、特に国民に何かを与えようとは思っていないのではないでしょうか。

    歌や映画、本などで感動して涙することはよくあります。
    そこには作り手のメッセージがあり、伝えようとしてくる物であるから心に響きやすいのかもしれません。

    それよりも日常の生活の中で十分元気や勇気はもらえると思うのです。
    落ち込んでいる時、見知らぬ人にちょっとした気配りをしてもらえた時とか、暑い中、外で一生懸命働いている人の姿を見た時とか。
    多くの人はそれでは満足できないものなのでしょうか?
    本当に理解できません。

    ユーザーID:6761886131

  • 私もない

    小泉元首相が言ったあたりからよく聞くようになった気がします。

    「感動した」「勇気をもらった」一度もございません。勝手にやってて。だけど他人には強制しないで。

    ユーザーID:3576656518

  • 年を取ると

    これも老化現象なんでしょうかねぇ
    年を取ってくると、若い人の元気な姿を見ているだけで
    なんとなく元気が出てくる気がするんですよ。

    みとさんのおっしゃるような
    あの人が成功できたんだから、私も成功できるはず
    とは思っていないと思います。

    そうだなぁ
    「○○さんが頑張っているんだから、私ももう少し頑張ろう」と
    思う気持ちというんでしょうか。

    私はまだ子供も小さいので、老けてる場合じゃないのですが
    アラフォーになり、体は疲れやすくなるし無理も出来にくくなってきました。

    そんな時に、決勝リーグに進めると信じる人は少なかったであろう日本チームが
    一人の選手を中心に最後まで攻めて勝った試合を見てしまうと
    ありがとう「○○君。君から元気をもらったよ」と
    思ってしまうんですよねぇ。いやぁ今朝は本当に元気が出ました。

    ちなみに、似たような言葉で「感動をありがとう」って言葉もありますね。
    若い時にはこの言葉が大嫌いでしたが、今ではフィギュアの浅田選手や高橋選手を見て
    感動の涙を流してます。

    老化現象なのかもしれませんねぇ・・・。

    ユーザーID:1222199848

  • 同感です。

    この表現は個人的にあまり好きじゃありません。
    この表現は月並みな言い方ではありますが、
    「心ここにあらず(口先だけの)」のような語感を抱きます。

    能動側の人は「別に何か与えたわけじゃないけど」と
    無意識に思うのではないでしょうか。

    現に「お会いできて、元気をもらいました」とメールを頂いたことがありましたが、
    なんか取り繕った社交辞令のような感じを受けたことがあります。

    ユーザーID:1573508786

  • 自己陶酔感がキライ

    人前で講演をしたりする仕事です。
    本当によく言われます。「いやあエネルギーを頂きました」「元気を頂きました」って。

    肯定的な感想ですから、とても嬉しいのですが、「貰った」(頂いたも同じ意味)という言葉に、どうも引っかかりが残ります。
    私なら「お陰さまで、元気が出ました」というだろうと。

    感動を有難う、とか、勇気を貰った、とか、最近当たり前のように言われている言葉ですが、何だか馴染めません。

    誰かの活躍を見て感動することはもちろんあります。
    そして、自分も頑張らなくては、と思うことは多いです。
    影響されることって誰でもあると思います。

    でもね、「自分がなにか美しいものに酔ってる自己陶酔感」を人前に出すのが好きじゃないんですね。これらの言葉には、それを感じるんです。
    勇気が出る時もある、自分ももっとやれそうな気になるときもある、でも、この表現で表したくはないですね。

    ちょっと横気味でした。

    ユーザーID:6506785524

  • 同じです

    そうなんです。
    私も(家族も)ニュースなど聞くたびに「?」です。
    ・勇気をもらった
    もらうものではなく「出す」ものじゃないのって思います。

    犬や猫を見て、可愛いではなく、すぐに「癒される〜」って
    方も多いですよね。
    あの「癒される〜」って言葉も苦手です。

    ユーザーID:2912473011

  • ちょうどサッカー

    先のレスでもあるように私もまた「力をもらった」などなどを陳腐だなぁ、と思っていました。

    ところがところが。
    ちょうど昨夜、どうせ負けるんだろうと思いながら、
    一人でダラダラと夜中にサッカー(W杯デンマーク戦)を見始めました。
    と、日本のチャンスに「行けっ!」とか「うおっしゃーーー」
    とか叫んでいました。いつもの私は理不尽なことをされても声を荒げることなんてないのですが、もう野太いオッサンの声で自分じゃないみたいで自分でも驚きました。
    理屈じゃなくて本能的なことだと思います。

    体調を崩して鬱々とした日々を送っていたのですが、
    体がカーッと熱くなる感覚で、力がみなぎるといいますか、
    たぶん何か脳内ホルモンでもでたのだと思います。
    体調が元に戻ったのではありませんが、気持ちが憑き物が落ちたようにスッキリしました。

    普段サッカーって見ないし、ルールもろくすっぽわかってないのに。

    あぁ、力をもらったってこういうことか〜、と感じました。

    ユーザーID:7560048182

  • 夢をありがとう、も苦手だなぁ。

    テレビのニュースなどで若者が
    「勇気を貰った」「感動を貰った」、あれ確かに違和感あります。
    勇気や感動は自発的なもの、貰うもんじゃありませんって。

    同じ軸線上の言葉、「夢をありがとう」も苦手です。

    ユーザーID:8810809261

  • 言われ過ぎてるものね

    私はでも、ありますよ。スポーツなどを見て感動して、その流れでああそうだ自分も明日から頑張ろう!ってプラスの思いが湧くのは、外から勇気や元気を与えられたというコトでしょ?


    言葉って言われ過ぎたり大げさな言い方が蔓延し過ぎると実感が薄れてしまうのよね。

    ユーザーID:1516169357

  • 疲れてたり悩んだりしている人にはある話かな。

    精神的に疲れてる時はありますよ。
    悩んでいる時とか。
    思いがけず他人からもらうものは案外沢山あります。
    きっかけですね。
    何に感化されるかは人によって違いますが。
    また、それがきっかけだと気付かない人もいると思いますよ。

    その言葉を言っている人が、全てそういう人だとは限りませんが。
    例えリップサービスでも悪くないと思います。

    ユーザーID:8857642489

  • えっ

    元気を出す機会を作ってもらった 

    の略かと私は勝手に解釈してました。

    ユーザーID:6915547882

  • 私もその言い回し大っ嫌いですが

    この間の冬季オリンピックの時、ペカコさんのレスにあるような経験をして
    なんとなくわかりました。

    「元気(を出すきっかけ)をもらった」ってことなのかもしれないな〜、と。
    だって元気や勇気は、結局自分の中から出てくるものですから。

    元気や勇気そのものをもらったんではない、と私は思いました。

    ユーザーID:9897502234

  • どうかなぁ

    ワールドカップサッカーにしろオリンピックにしろ、私はそこまで張り切って観たりしないので『元気/勇気をもらった』や『夢/感動をありがとう』といった感じにはなかなかなりません。
    ただ、あれ以外に連帯感を生み出すような称賛や高揚感のあるフレーズってないのでしょうね。
    ある意味、マスコミもそれさえ言っとけばいいっていう、ラクなお約束フレーズとして多用しているんだと思います。

    今で言えばワールドカップでも好きなひとは、明け方3時で、翌日仕事だとしても、キックオフをTV前で正座でもして待ちたい心境でしょうし、勝ったりなんかすれば狂喜乱舞、例のフレーズも違和感なく耳にすんなり入ってくる気持ちは分からないではないです。
    うらやましいとさえ思えます。

    マスコミの「盛り上げ」づくりに、素直にノれて楽しめるひとたち、確かに過剰なところもあるけど、そんなひとたちに水を注すようなこういうトピみたいなことを言えるひともナンダカネ、と思いますね。

    私は自分の興味あることなら、勇気も元気ももらえたような気がする(くらい楽しい・胸がスッとする)ことありますよ。

    ユーザーID:8682348702

  • 感動を・・・

    テレビニュースで、高校野球地方大会の開会式の様子を放送していました。
    選手宣誓をする球児、「観ている人に感動を与える・・・」と。
    この少年に限らず、各競技の一流選手もそれを言う人いますね。
    「何様のつもりだ」と感じるのは私だけでしょうか。
    練習も大事だけど勉強も必要だよと思ってしまいます。

    ユーザーID:8997849640

  • サッカー

    日本 対 デンマーク戦。
    夫とふたりで早起きして見ました。
    勝ってうれしかった−!
    あれだけダメダメ言われていたのに、よくがんばった。

    とってもうれしかったので、朝から良い気分の1日でした。
    そういう、ちょっとうきうきした感じが生まれたことを「元気をもらった」というのではないかな?と思います。

    「それによって、何かに立ち向かう勇気がでた」とかいうほど大げさなものではないから、トピ主さんの指摘するような言い回しは、確かに言い過ぎかもしれませんね。

    ユーザーID:0928538224

  • 流れをぶった切ってすみません。1

    私はある程度「勇気や元気をもらえるタイプ」です(笑
    「感動をありがとう!」もわかります。参考になれば…

    まず最初に、オリンピックやW杯を見ても、「感動をありがとう」とは思いますが、勇気をもらったりしません。
    なぜなら、私はスポーツには縁がないから、その分野で頑張っている人を見ても、勇気って出ないんですよね。
    感動出来る時間を作っていただく分には嬉しい限りですが。

    で、次。私は仕事であるモノの、研究開発をしています。

    先日、小惑星探査の「はやぶさ」が地球に帰還しました。
    帰還1年前から開発者のブログを読んだりして、集団でモノを作ること、
    ものづくりの抱える問題や、解決までに至る困難な流れ、
    違う業種ながら「そうそうわかる!」「大変だなあ…」などと、共感して見ておりました。

    はやぶさに奇跡が起こるたびに「やった!すごい!私も仕事がんばらないと!!」と素直に思えました。
    それが、「勇気をもらうこと」だと思っています。
    ものづくりって、失敗したらと考えると手が出なくなることもあるんです。
    でも、はやぶさがこんだけやってるんだから私もやらないと…と。

    ユーザーID:6937883952

  • 流れをぶった切ってすみません。2

    と、言うところから考えると、

    トピ主さんの言う「テレビなど」を作る人の仕事って、
    ある意味「感動を作ること」「元気なものを作ること」など、
    人に感情を伝える側面があると考えるのですが、
    そういった人たちの方が、一般の人より、「感動」「元気」「勇気」に敏感なんだと思います。
    だから、「感動をありがとう!」って言いたくなるのかなって。

    ごめんなさい、私は、はやぶさよりも仕事がそっち寄りなので、
    もっともっと「はやぶさ」で人に感動させられるはずなのに!もったいない!って思いながら見てたクチなので。

    あとひとつだけ。やっぱり、勇気をもらえたって思えるのは、今自分に勇気がないって思ってる人たちなんです。
    たとえば自分とかは、勇気がないです。仕事では答えのないことをやっていることもあり、いつも不安です。
    arataさんは、いい意味で、「勇気」とか要らない日常を送っているのではないでしょうか?「元気」もしかりです。
    「元気を出したい」って思ってる人にこそ響くのかなと。

    考察終わりです。

    ユーザーID:6937883952

  • 大嫌い

    最初に「感動を与える」「感動をもらう」と言いだしたのは,阪神大震災の後の春の高校野球だと思います。

    別会場でやれば良いのに,「それじゃ,甲子園の土を持って帰れない」という本質から外れた議論になって,結局甲子園で開催。
    でも被災地でやるのは,いかがなものか?という意見に応えて(?),「僕たちのプレイを見て元気になってください」ということを言いだした。

    この言葉,大嫌いです。

    ユーザーID:4999857319

  • 2つの視点

    トピ主さんが質問されている、
    >実際に何かを見て,「勇気をもらった」「元気をもらった」と実感したことはありますか?

    これについては、言葉どおりではないですが、あります。
    オリンピックでの北島選手、小児病棟でのご家族の話等。

    でも、「もらった」という表現ではありえません。

    上記でいうなら、
    北島選手の活躍に「感動した」→で、すごい、すごいで1日元気でいられた。

    今までもがんばって乗り越えてきていて、先の見えない治療だっていうのに、お子さんもご家族も懸命で……私もなんとかやっていこう→「勇気づけられた」


    私は、表現の言葉に違和感があるだけです。
    「感動を与えられるよう」というのも「感動してもらえるように」であればいいと思います。
    「感動しました、ありがとう」というところを「感動をありがとう」というのも
    メディア的にみれば、インパクトとか他とは違う、耳障り(これもか)のいいキャッチーな表現なので使いやすいのでしょう。

    ユーザーID:1523621909

  • ありがとうございます

    トピ主です,レスありがとうございます。
    意外と否定的なご意見が多くて驚きました。
    その理由を書いてくださった方もいてナルホドと思いました。
    特におくさん様,色々とお考え頂き,このように詳細にレスして
    くださってありがとうございました。

    でもすいません,自分はこれらの表現を特に嫌だなと思って
    トピを立てた訳ではなかったのです。
    皆が感動して「勇気をもらった」「元気を貰った」と思っているのに
    自分だけそういう思いを実感したことがないというのは
    自分の感受性が低いのかなあ・・・と思ったからです。

    特に結論は無いのですけれども,考えさせていただくことが
    でき,感謝しております。
    皆様ありがとうございました。

    ユーザーID:2225569749

  • はやり言葉

    流行り言葉ですよね。
    そのうちなくなると思います。

    私はスポーツ観戦が大好きなので、自国の選手や贔屓選手が活躍すると
    わくわくします。

    ユーザーID:7415229509

  • みんな不安?

    勇気、元気や感動をもらうあげると言う言葉が流行るのと
    近頃のJ−POPの激励ソング(コブ◯ロ等々の歌)が流行るのと
    根は同じような気がします。
    語彙に乏しい若者や子供が何でも「超々」を接頭語にしていたのも同じかな。
    言葉そのものは軽く、内実は無いけれど
    それでも言葉に頼らなくてはならない、そんな流行語でしょうか。
    みんくさんの言う通りすぐに廃れるでしょうが
    敏感な人がまた新しい言葉を送り出すんでしょうね。

    ユーザーID:3886951470

  • 表現の一種

    医療行為や薬や栄養ドリンクは元気にするのが目的で、それらの効果があったとき「元気が出た」と言いますよね。

    「元気をもらった」は、スポーツ選手には元気にさせてあげようという目的は特にないだろうけど、こちらは元気な気持ちにさせてもらえたよ、というニュアンスを端的に表現したものなんでしょう。
    マスコミで都合よく使われすぎて食傷気味ですけどね。
    薄っぺらい感じがしてしまうのもわかります。

    でも、そういうことはあります。
    あの人はすごく頑張ったんだろうな、自分も真似して頑張りたいなって。
    ちなみに夫は全くないそうです。
    誰かが頑張っててすごいなと思っても、じゃあ自分も頑張ろうとは思わないそうです。
    その元気っぷりに触発されるか、自分とは別と考えるか…思考回路の違いなんでしょうか。

    ユーザーID:8895390172

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