以前から気になっていたのですが、震災後に更に耳にする機会が増えたので皆さんのご意見を伺いたくてトピ立てしました。
元気とか勇気を「もらう」のはまだわかるんです。受ける側の感じ方の問題なので。しかし「与える」って言い回しが何だか一方的な上からの発言みたいで違和感があるんですよね。
元気とか勇気など目に見えないものを「与える」って傲慢な気がします。例えば同じように目に見えない「愛」を与えると言われたら「神様かよ!?」って思いませんか?
ユーザーID:0048141270
生活・身近な話題
忍者
以前から気になっていたのですが、震災後に更に耳にする機会が増えたので皆さんのご意見を伺いたくてトピ立てしました。
元気とか勇気を「もらう」のはまだわかるんです。受ける側の感じ方の問題なので。しかし「与える」って言い回しが何だか一方的な上からの発言みたいで違和感があるんですよね。
元気とか勇気など目に見えないものを「与える」って傲慢な気がします。例えば同じように目に見えない「愛」を与えると言われたら「神様かよ!?」って思いませんか?
ユーザーID:0048141270
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レス数43
なつ
そんなに深く考えるもんじゃないと思いますが(笑)
それよりも被災地の方は《軽々しく頑張れと言わないでほしい》と言ってます。
私も先日知人のいる被災地に行きましたが、あの状況で頑張れって言われても、一体何を頑張ればいいの?と思いますね。
ユーザーID:0885546935
火龍
確かに芸能人やアスリートが「元気を与えたい」「勇気を与えたい」「感動を与えたい」と言うのは以前から不快感を感じていました。
嫌いな人だと「いらねーよ」と思ってしまいます。
謙虚を美徳とする日本人には受け入れがたい筈だけど…。
でも被災した人たちを勇気づけたい気持ちは分かるので、何かしっくりくる言葉があればいいんですけどね。
ユーザーID:0260015954
ぴぴ
非常にわかります。受取手が決めることでしょうね。
『与える』という言葉には図々しさも含まれているかもしれません。
せいぜい言葉にするなら『与えたいと願う』ということぐらいでしょうね。
ユーザーID:0162610440
ええ〜
そんな目くじら立てなくても・・・
こういった場合の言葉って表現のニュアンスが違うだけで大事なのは
「優しい気持ちを持っている・助けたい」って事なんじゃないのかな?
ボキャブラリーが少なくて、上手く表現出来ない人だっているし。
そこまで厳格にならなくてもいいと思います。
傲慢でもいいじゃないですか。無関心よりはいいです。
ユーザーID:4034748052
みー
元気や勇気ももらうものじゃなく、出る(出す)ものです。
「元気が出る」「元気を出してね」「勇気を出してやってごらん」とかです。
最近の日本語の使い方は、本当におかしいと思います。
本来「感動しました」という場面で、「勇気(元気)をもらいました」と言う人が多いですね。
まして、与えるものではないと思います。
トピ主さんじゃないけど、「お前は神様かよ?」と茶々を入れたくなります。
深く考えないで安易に言葉を使う人って、ある種軽率だと思います。
ユーザーID:2435567434
日蔭
たしかに、そう言われれば傲慢な響きがしなくはないですね。
「元気になってもらえるように」とか「勇気を少しでも出すきっかけになってもらえれば」とかなら違う気がしますが。
被災している方々はもちろん物心ともに助けを今、必要としているけれど、同じやり方で全ての被災している方が元気になれるとは限らないし。
悪気がなくて助けたい気持ちが本当だとしても、ちょっとした言葉や表現のデリカシーって大切ですね。
ユーザーID:4130003195
バン
うんざりしていました。一度、気になるともうダメ。
「与える与える」って何様ですか、本当にもう。
気を付けて聞いていると、スポーツ選手でも何でも頭のよさそうな方は言葉を選んでいるようで「与える」とは言いませんね。
ユーザーID:9442901535
花火
そうそう、激しく同意します。
私もかねがねそう思っていました。
例えば、中・高校生や大学生の人たちが
競技とか楽器の演奏の本番前に
見ている人たちに勇気や感動を与えたいとか話しているのを聞くと
『何様ですか?』って、思ってました。
プロの選手や演奏家が同じことを話していても
やっぱりおかしい、傲慢だと感じてました。
使い方、間違ってるんですよね、きっと。
与えるという言葉を、他人に対して自分から口にしちゃうことが
どういうことかまるでわかっていないんじゃないのかなあ。
ましてや勇気や元気や感動って受け手の感情な訳で
発信者が狙ってその受け手の感情を呼び起こせるわけじゃないと思います。
自分は精一杯パフォーマンスをしたその結果、もし勇気を貰いましたと言われた時に
『そんな風に思って下さってどうもありがとうございます。』という流れなら
全く違和感はないんだけれどもね・・・。
ユーザーID:8707439986
かばりん
私もずっとそう思っていました。
「元気・勇気を与える」。「感動を与える」なんかもありますね。
私は、「〜もらう」方も、あんまり好きな表現ではないんですけどね。
でも、おっしゃるとおり受ける側の感じ方の問題なので、敢えて流していました。
ちょっとヨコになりますが、
「感動」も最近は安易に使われるようになっていて、個人的には好きではありません。
「感動しに来ました」とか「感動できたらいいな」なんて。。。
「感動って、自身で予期して能動的にするものではなく、あくまで受動的なもので、
しかも、そうそう頻繁に起こるものではないような気がして。
「感心する」→「共感する」→「心を動かされる」の上のほうに「感動」があるような。
というわけで、
「勇気・元気」でもおこがましいのに、「感動を与える」なんでハイレベル過ぎ。
ただ、立派な(私も好感を持っている)スポーツ選手なども
「感動を与えられたら・・・」みたいなことを言っているので、
私個人で目くじら立てても仕方ないな、と思っていました。
あ〜スッキリしました!
トピ主さん、ありがとうございました。
ユーザーID:4314763230
与えたもう
同じく以前から、そう感じていました。
「もらう」ものであっても、「与える」と言うのは傲慢だと。
コメントで、「与える」という言葉を使っている人は 国語力が低いか傲慢な性格をアピールしているように思います。
せめて「元気を分けてあげたい」とか言ってくれたらよいのに。
ユーザーID:7726315721
ふむむ
「元気や勇気を受け取って欲しい」ですかね。
あくまで、相手の立場に立った言い方が良いと思います。
ユーザーID:8554871611
みてみて
テーマをはじめ、同感レスの皆様に全く同感です。
特にみー様。私もかねがねそう思っていました。
テレビ番組などで、不眠不休で走り続けたりして勇気や感動を与えたい。
という主旨のものがありますが、理解できない感覚でした。
「お疲れ様‥」と思うだけです。
でもそれを口にすると、無感情なひねくれ者だと思われかねないと思い黙ってました。
同じ内容でも、「私の勇気を見てくれ!褒めてくれ!」というスタンスであれば、むしろ何か触発されるものを感じて、勇気のきっかけになりやすいような気もします。
褒めてくれとまではいかずとも、「見てください」で充分だと思います。
ユーザーID:8930453174
さてと
みんな同じ言い方をしているだけだと思いますが
何様なんだかってのか感想ですね。
何を感じるのかは相手の受け取り方で変わりますから
右と同じの言葉を言うのではなく自分の言葉で話してくれたらいいのにね。
何かの感想を聞かれてみんな
「楽しかったです」「面白かったです」
としか言えないのと同じようなもんだと思って聞かないようにしてます。
ユーザーID:1681848088
power
元気や勇気を与えられたかどうかは、それを見た人がどう感じたかということによるので、なんとも言えませんが、少なくとも、それを見た人が元気や勇気が出るよう、一生懸命に全力で自分のできることをやり遂げるということだと思います。
なので、“与える”という表現に間違いはないと思います。
ユーザーID:6131546269
Pon
いつ頃からこんな言い方が出てきたのでしょうね。
本人はもちろん、精一杯の励ましとして使っているのでしょうけど。
言葉に鈍感なんだなあ・・・って思います。
「感動を与えたい」と言っているのを聞いただけでその人がイヤになるくらい、私も気になっていました。
トピ立ててくださってありがとうございます。
ユーザーID:3067979775
きのこ
私も「与えたい」という言い方には違和感があります。
最近では一流スポーツ選手から体育祭の中高生まで決まり文句のように必ず言うのでもう慣れたと言えば慣れましたが、「おかしいのでは?」という感覚を持ち続けるのは大切だと思います。そして機会があればその発言をした人に一度尋ねてみたいです。「なんで『与える』なの?」と。
トピずれですが、「がんばって」と「○○を与えたい」だったら私でしたら前者の方が嬉しいです。これ以上頑張れるか!と思うことはあっても、「がんばって」からは励ましや応援の気持ちが感じられるからです。反対に「与えたい」からは押し付けがましい印象を受けます。もちろん最近の言葉の流行から「与えたい」という言葉を使っているだけでしょうし、気持ち的には「がんばって」と同じ思いだろうというのは分かるので曲解することはありませんが、分かるだけにあとはもうちょっと言葉を選んでくれればなあと思います。
何でもかんでも「与えたい」を使うのは、小さな子供が何でも「いっこ」と数えるのと同じなのではないでしょうか。物事にはそれぞれに適した言葉があると思います。
ユーザーID:1775582910
りな
「与える」を調べたら「自分の持っているものを下げ渡す」と「相手にとって価値があるものを譲渡する」とありました。
最初の方の意味を強く意識しているという事でしょうかね。
使用してたとして、自分で「与える」を使っている方でも大抵「られれば」など希望の形で言っていることがほとんどだし、後者の意味で言っているととらえます。(自分の行動で希望を与えられればいいなと…のようなコメント等)
第三者的に使っている場合(○○が被災地に希望を与える!等)には「与える」としていても「与えた人」は「その言葉で表現した人」とはまったく別人なので傲慢とは感じません。
個人的にはあまり思わない事ですので、トピ主さんがどのようなシチュエーションをもってそう思われたのか少し興味がありますね〜。
ユーザーID:2270275052
たぬ
1自分の物を目下の相手にやる。授ける。
とあります。
なので、言うまでもなく、対等な相手だとしても間違いです。
ユーザーID:4556294841
マイコン
全レス読んでいませんが、主さんの考えに賛成です。
私もその言葉を聞くたびに違和感を持っていました。
あと、感動を与える、という言葉もとても一方的で好きになれません。
自分から何かを求めて行動して、その結果として元気になったり、勇気がでたり、感動するものであって、
他者や外から一方的に与えられるものでは無いと思います。
一人で地球一周走る人が他者に勇気や感動を与えるかと言えば、必ずしもそうとは思えません。
あの方は自分が感動して自分に自信が持てただけなのでは?・・・と思ってしまいます。
女の子のグループがアラレモない格好で歌って踊っているのを見て、勇気や元気が出る人なんているかしら、と思ってしまいます。
阪神淡路大震災があったあたりからこれらの言い回しが極一般的に使われるようになったかな、と
個人的には思っています。
殊更、勇気や元気や感動を与えたい、なんておこまがしいと言うか、自分よがりな事を言うばかりでなく、
何も言わなくていいから、自分自身も痛みを感じるような額の義捐金を差し出すとか、長きに渡って支援を
続けるとかの行動の方が、受ける側としては元気になれると思います。
ユーザーID:3997581495
忍者
レスを下さいました皆さんどうもありがとうございます。
某辞書サイトで調べてみました。
あた・える[与える]〈下〉 (1) くれてやる. ▼金を〜 (2) あてがう. ▼仕事を〜 (3) こうむらせる. ▼損害を〜
さすがに「くれてやる」というつもりで使う人は滅多にいないと思いますが…
応援する気持ちを表したいゆえの言葉だということはわかります。が、決まり文句のように使うのではなくTPOに応じた適切な言葉を選んで欲しいと思うのです。
ユーザーID:0048141270
ロリポップ
届けたい、って言ってるのが大半ではないか、と。
「与えたい」ってあまり聞きませんが。
ユーザーID:8978529499
金鳳花
何様?神様?
与えられる人は下々の者?
使い方を間違えてるのでしょうが、傲慢な言葉です。
ユーザーID:6274170591
minmin
時折耳にしてましたが、今回の震災では本当に良く聞くようになりました。
「与える」は目下の人に対する言葉使いです。
インタビューなどでこの言葉を使っている方が、人を下に見ている訳ではないのは分かるのですが(むしろ元気な気持ちなって欲しい、と謙虚な様子ですよね)、私は「与えてなんか貰わなくて結構」とか思ってしまいます(苦笑)
言葉は時代や文化と共に変化するものとはいえ、言葉がの機微やニュアンスを感じなくなっているという変化を残念に思います。
「ご苦労様です」という言葉も物議を醸しますが、相手を労る気持ちなのに、目下に使う言葉ですよね。
同じ事だと思います。
ユーザーID:6790026025
外国村
これって、外国語の訳ではないか、と思うのです。<give>と言う言葉には、見下した感じがありません。自分の持っているものを分かち与えると言う感じです。お菓子、はんぶんこしようね、と言うようなものです。
踊っている人などは、自分がその時に感じている勇気や感動を見ている人も感じてくれて、それで元気になってくれたらいいな、ということだと思います。私自身は、そういうパーフォーマンスは挨拶抜きでやればいい、と思っているのですが(だって、挨拶に感動するのではなく、踊りに感動するのでしょう?)、それでは募金集まらないですからね。
ちなみに、私は、海外在住で、今回地震の関係で小町に顔を出すようになったのですが、<日本に行く>という言い方が普通になっていてびっくりしました。昔は、そういう言い方したら、怒られました(私は、海外で育ったので、日本に行くという方が気分的にぴったりしていたのですが)。日本語では、自分がどちらの国をメインに捉えているかに関わらず、<日本に帰る>又は<帰国する>という言い方が由緒正しく、日本に行くというのは外国語の翻訳です。
ユーザーID:0227589363
ルナ子
「与える」「もらう」
についての解釈はよく理解出来ます。まさにそう思います。
しかし、どなたかも言ってらしたと思いますが、そんなに巷で「与える」と使われていますか?
話は少しそれますが、我が社によく「ついでだから、これやっといて」と言う人がいます。
もちろん依頼主の貴方がやるべき内容なのにです。
依頼する側が申し訳なさげに頼んだ時に、頼まれた側が「ついでだからやりますよ、気にしないで」…という感じで使って欲しいなといつも想ってます(笑)。
横道にそれてすみません。
ユーザーID:6919089684
まりこ
一番顕著だったのが、日本代表とJリーグ選抜のサッカーの試合でしたね。
“勇気”や“元気”や“感動”を与えてくれるとのことでしたが、言った人からは全く感じませんでした。
(私が被災者ではないからでしょうか?)
選手の中でも「試合を見て一瞬でも笑顔になってくれれば」には、好感が持てました。
試合としては、カズ選手の活躍はとても楽しませて貰いました。
ユーザーID:3279246242
しろ
主に、スポーツ選手が連発してますよね。
しかも「与えてあげたい」って、どれだけ上から目線なんだか・・・とすら思ってしまいます。
これでも納得いきませんが、100歩譲っても、「届けたい」でしょうか。
私にとっては、こんな時のスポーツ・歌などのエンターテイメントは、気分転換にしかなりません。
ユーザーID:5207274283
避けるチーズ
感動(元気・勇気)って与えてもらうものなの?と。
感動は自分でも気付かないうちにするものだし、元気・勇気は自分が出すものだと思っています。
先日の高校野球で、被災地の代表校の子たちが頑張っている姿(出発直前までボランティア活動をしていたとか)、そして現地から応援に来られる人が少ないだろうと他県より応援にかけつけた姉妹校の生徒さんたちの姿に感動しました。
実際、彼らの頑張る姿は被災地の方々にも元気を与えたのではないかと思います。
このような子たちの発言であれば素直に受け取れますが、被災地から離れたところに居る芸能人やスポーツ選手が言うことではないかなと思います。
「僕の(私の)○○(歌やプレー)で感動(元気・勇気)を与えられたら」なんて聞くと「おこがましい」と思ってしまいます。
発言した人に対してもいい感情が持てなくなります。
「僕の(私の)○○が皆さんの元気・勇気になればと思います」くらいにしておけばいいのに。
(感動は、してもしなくても受け手の勝手だから、発する側が言うことではない)
感動(元気・勇気)の押し売りはご免です。と言いたい。
ユーザーID:5352907750
くり
私も、「○○を与えたい。」は気になります。気持ちはわかりますが、言葉の使い方としておかしいですよね。勇気、元気、感動…すべてダメです。
ユーザーID:3453095732
ぴぴこ
私も常々そう思っていました。
元気、勇気は自分の中から出てくるもので、人にもらったり与えたりするものじゃないですよね。
みーさんや日陰さんのレスにあるような言い回しなら納得できます。
もっと嫌なのは「感動を与える」ですね。
傲慢というかおこがましいというか…。
たぶん、みんなが言ってるからつい同じ表現を使ってしまうんだと思いますが、
もうちょっとデリカシーのある言葉を使ってほしいです。
ユーザーID:5464397826