音大受験の不思議

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40代女性です。

小町でもたびたび音大受験にかかわるトピが立ちますが、そこで必ずと言っていいほど出てくるコメントが「○大に入るならばまず○大の先生につかなくてはならない」というもの。

小町に限らず、広く一般に言われている事だと思いますが・・・これって、不思議じゃないですか?

受験前から、受験の為にそこの教授につく事って、「入学試験の傾向がわかりやすい」以外の、なにか意味があるのでしょうか?

その生徒の音楽的成長に良い点って、あるのでしょうか?

音大側としても、自学の教授の手の届く範囲内で選ぶよりも、広く一般から選んだ方が、より多様な才能が集まる可能性があるでしょうに、なぜそうしないのでしょう?

教えを受けたい教授が○大にいるためがんばってそこを受験するというのならごく普通の発想ですが、○大に入りたいからそこの教授について受験・・・というのは、本末転倒では?と思うのですが、あまりに多くの音大卒業者が「受験したい音大が決まったらそこの教授について・・」と、当然のように語るので、非常に不思議です。

一般の有名大学に入りたい生徒が、そこの入学試験に特化した予備校に通うのと同じようなものかと、思ったりもしましたが、そもそも個性や自由な表現力が必要となる音大で、そのような方向付けをしてしまうのは・・・入学後には、逆にマイナスの要素となるのではないでしょうか。(学校にとっても生徒にとっても)

前々から不思議には思っていたのですが、最近身内で音大受験を考えている子が現れまして、それで一層この問題を真摯に考えるようになりました。

こういう理由でそういうシステムが必要なのですよ、と、説明して下さる方がいると嬉しいです。

ユーザーID:0061977641

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  • 凄い人は

    絶対的に凄い実力の持ち主は、別に教授さんのレッスンを受けなくとも受かります。残念な事に、多くの学生はドングリの背比べなんですよね。従って教授さんにレッスンして頂いて、各音大の要求に従った演奏を目指す事になります。

    後、生徒のほうとしても、入学後に師事する教授を確保する、という部分もあります。やはり同じ金額を払うなら、無名の先生よりも、有名な先生の方が良いですから。教授のほうも、自分の教えた生徒の中から、どれぐらい合格して、自分の門下が何人になるか分かるので計画立てやすいです。

    何れにせよ、圧倒的な実力の方の場合、別に受験前に教授に習って無くても関係ありません。また、合格後二に師事する教授も、希望通りになると思います。でも、そんな方は本当に少数なので、後のドングリピアニスト達は、一生懸命に教授さんに習いに行くことになります。

    ユーザーID:9385824666

  • 当方ヴァイオリンです

    当方ヴァイオリンで東京芸大卒です。

    その大学の先生に習うと有利になる理由ですが、例えば東京芸大と桐朋の場合は受かりやすい演奏の好みが違うのでその大学の先生に習った方が受かりやすいのです。

    東京芸大の場合、音程がずれたりテクニックに不安のある演奏は受からないので、とりあえず完璧に弾けるということが第一の条件になります。
    桐朋は、多少荒削りでも個性のようなものがある演奏ができれば受かります。
    なので、無難に完璧に弾くよりは少し難ありでもそういうものがある演奏が有利になりやすいので、そういうものを求めてレッスンされます。

    その下の東京音大等のレベルでは、東京芸大に受かるレベルであればその大学の先生に習わなくても受かりますよ。
    芸大でも、誰が聴いても「上手い!!」と思えるレベルでしたら芸大の先生に習っていなくても勿論受かります。

    余談ですが、芸大の場合は公正な審査をするために受験の際に自分の教えたことのある生徒の演奏の採点はできない仕組みになっていますが、私学は自分の教えている生徒の採点にも参加できるようなので、そういった点から力のある先生に習っていると有利になる部分もあるでしょうね。

    ユーザーID:3739634146

  • 多分.....

    私も40代、音大卒です。私の時代でも、その大学の教授につかなくては入れないと言われており、実際、入試では周りは飛行機で毎週、教授のレッスンに通った、という人達で溢れていました。が、私は大学教授にはついてはいませんでした。
    もちろん、主科についてはその指導法に定評のある先生についてはいました。大学入学後もプライベートの先生が主で、学校のレッスンはおまけのような感じでした。私大の中ではトップクラスの大学でしたが、特に「この先生につきたい」という希望がなかったからです。その大学を選んだのは私の場合、大学名というブランドを手に入れるのが目的でした。

    個人レッスンですから、門下生の数には限りがあります。学内で入門希望者が多い教授の場合、優先順位は当然ながら、入学前から自分が教えていた生徒、余裕があれば入試で「自分が育てたい」と思った生徒、その次が外部から来た生徒側からの希望です。つまり、教えを受けたい名教授がそこにいても、入学前からついていなければ門下生になれないリスクが高いのです。
    その大学の傾向、嗜好を知る、というのも確かにありますが、誰もが認める実力があれば入試にはパスします。

    ユーザーID:6225884907

  • 学生の雰囲気とか傾向もあるから

    音大に限らないと思いますが。

    大学ごとに学生の雰囲気が違うのは分かりますか?○○大学はおとなしい堅実な子が多いのに対して△△大学は派手な子が多きを占める。1年生で入っても、朱に交わればと言えば何とやらで、派手な子が多ければ、1年次に派手じゃなくても、派手になって行きます。

    学生じゃなく先生方もその傾向がありますよ。
    先生は、その学部や大学の雰囲気に合う子、授業の雰囲気について来れそうな子を選ぶ傾向が多いように思います。特に面接などがあると。

    そのため、その大学に行きたいならその大学の先生に教わり、その大学で受け入れてもらえるような傾向(雰囲気)をつかむのが大切なのかなと思います。

    ユーザーID:7567942739

  • 一般的な大学ではないでしょう

    専門的な知識を大学に入ってから
    始めるのが普通の大学です。

    前もって、専門的な能力がある人を取るのが、芸術系(
    美大もそうです)です。

    芸術分野には傾向もあるし答えがあってないような所もあります。
    先生によって考え方が異なる事もあります。

    一般的な答えが1つの学問とは違います。

    私の出た音大では、いくら上達とている方でも門下生ではなく
    合格した人はいませんでした。
    また、音大に入る前に付いてこられるのか、試す為でもあると思います。
    実際、高校のレッスン中に音大挫折する人は割と多いですよ。
    それから、音大は他の大学と違う点は、試験の時のみ勉強すれば
    良いわけではありません。
    毎週、数曲の課題をこなして行かなければ、付いて行けなくなります。
    意外と退学者も多いです。
    それから努力の部分だけでは、どうしようもないものもあります。
    例えば聴音や即興演奏。ある程度は努力で補えますが、元々の
    才能が無ければ、付いていけなくなります。
    見極める意味でも、入る大学に付いていけるのか
    教授師事は長年やってきた事と思います。
    美大も同様ですよ。

    ユーザーID:8547000958

  • レスをありがとうございました。

    すみません、すごく下世話な表現になるかもしれないのですが、頂いたレスやこれまで私が聞いた話をまとめると・・

    あくまで、すごく優れた人を除いた場合。

    ・どんぐり受験生が並んだ場合は、事前に面識のある生徒を優先させる。
    ・音大とは、決まった方向性の生徒しか育てない機関。
     たとえ違った方向性を持っている生徒であっても、受験時に同一の方向を向くよう軌道修正させる。
     
    この様に受け取れてしまいます。

    これであっているとすれば、教育機関という観点から見ても、芸術家を育てる場という観点から見ても、相当におかしい組織なように感じてしまうのですが・・・でも皆さん、あまりに当然のようにお話されますよね・・・

    普通に考えたら、出来るだけ多彩、多様な生徒を広い範囲から集め、さらに伸びるよう育てるべきではないか?それこそ音楽教育のあるべき姿ではないか?と思うのですが・・・違うのかなあ?
    学校ごとにカラーがあるのは理解できますが、選考前の段階からそのカラーに合わせて当然?みたいな風潮は、演奏家(卒業生)のレベルを下げる行為に思えるのですけど・・・。

    あ、私、すごくとんちんかんな事を言っていますか?

    ユーザーID:0061977641

  • 違った方向性というか・・・

    あくまで、受験の時に何を大学側が求めているかです。

    その先に(大学に入ってから)求めていくものは「人を感動させる音楽」ただそれだけです。
    「人を感動させる音楽」ができるようになるために、「大学受験の時点では少なくとも無難に完璧に弾ける技術が必要」と思うのか、「荒削りでも個性豊かな演奏が必要」と思うかの違いです。

    そういう受験体制の大学を出て、その後も勉強を続けて世で活躍している音楽家達の演奏を主さんが聴かれて「レベルが低いな」と思われるのでしたら、この体制は間違っているのでしょうね。

    音楽は一生かかって勉強していくものです。
    大学で習えることなんて限られています。
    はっきり言って「どこで勉強したか」なんて関係ないのです。

    ユーザーID:0727662202

  • それは

    もともと、クラッシック音楽と言うのは大学で勉強するものでなく、師弟関係の中で習得するものだったのです。日本伝統芸術では今でもありますよね。

    19世紀にリスト等が大学システムを作り、一般社会に倣って学士とかの経歴がつく様になったのです。

    音楽家の間では、何々大学を卒業しましたということより、何々先生に師事しました、と言う方が大事です。その先生が、何々大学に席をおいているから、何々大学に入りたい、ということになります。

    なので、何々大学に入りたいからそこの先生についた方が有利、というのは本来は邪道で、まだ自己を獲得していない、クラシック音楽界に憧れている人が言うせりふです。

    でも、結局、日本一くらいの腕前ではリサイタルだけでは食べていけないので、先生も大学の教授になって入試の為のレッスンで儲けるのが必要なのです。自分もすごくお金かけてそこまで到達したのだから、その位しないと元取れません。

    で、レッスン代取ったのだから、その生徒を入試でも優遇するのです。というか、そういう先生のレッスン代はコネ代を含み、それだから高いのです。

    音大では個性は求められません。

    ユーザーID:2833334453

  • それは・・・続きます

    なので、そういうシステムが「必要」なのは、教授の経済的理由からです。

    実技演奏の評価は聴く人によってさまざまなので、入試でも「私はあなたの生徒にいい点つけるから、私の生徒もよろしくね」みたいなこともあるわけで、「やり手教授」の生徒は演奏がどうであれ有利だったりするわけです。

    で、どうしても、その音大に入りたい生徒は、高い月謝を払ってその「やり手教授」について、お歳暮など付け届けして気に入られるようにして、そうすると、入試の時には先生が教授会で頑張って票を集めてくれるわけです。

    はっきりいって、汚いです。音楽とは関係ないです。幻滅しますよ。

    ユーザーID:2833334453

  • それは・・・レスへの答え

    「音大とは、決まった方向性の生徒しか育てない機関。」

    トピ主さんのレスのこれのことですが、先生の方も、その大学の講師や教授になろうと思ったら、先輩教授に気に入られないといけないので、必然的に同じような傾向の講師が集まります。

    演奏がいくら上手くても、いくら教え方が上手くても、その大学の先輩教授に合わない講師は、採用されませんので。

    ユーザーID:2833334453

  • 2度目です

    トピ主さんの感覚は正しいと思いますよ。
    ですが、日本の音大は芸術家を育てる場ではありません。ごく一部を除いて、教師自体が芸術家としてのクオリティーを満たしていませんから。有名無名を問わず、聴衆を魅了し「次のこの人の演奏会は逃さないぞ」と思わせる演奏をする人は僅かです。
    そして、個人レッスンだけでは網羅できない多方面からの音楽アプローチを受けられるところではありますが、主科の演奏に関しては既に「ほぼ育った」生徒が入学します。

    私は国際結婚で欧州にいます。そして、日本では副科だったピアノを大学院で主科として専攻しています。今思うのは、高卒後日本の音大には行かずに直接こちらに来ていれば無駄がなかった、ということです。日本で入試準備で身につけた楽典、聴音等は役立っています。ですが、入ってからの勉強は...

    また、こちらの教育機関は生徒を「育て」ます。ピアノなら、バイエルを弾いて入学した子が10年後にはPコンの他、バロックから近代の各時代の曲を組み合わせた1時間近いプログラムを弾いてディプロマを取得します。
    もちろん、全員がここまでたどり着けるのではなく、その数は1割未満です。

    ユーザーID:6225884907

  • トピ主さんはそういう考えでも

    現に音楽大学がそういう考えではないという事ですよね。
    いいか悪いかはわかりませんが。
    ちなみに知り合いの娘さんは某音大の某先生に師事していて、その音大に無試験で通ったそうです。
    これこそ、その音大の先生に習ってこそって事でしょう。
    まあ、音楽って「師事」が重要という事もあるので(プロフィールに延々先生の名前が書いてありますよね)。
    「師事」それ自体が「音楽の系譜」という事にも繋がるようです。

    ユーザーID:7190077223

  • その昔音大生でした

    トップクラスの音大卒ではありませんが、一応音大卒です。
    私も普段のレッスンの先生とは別に受験予定の音大の教授に小学4年生頃からみていただきました。
    総合的に「音楽的なセンスがあるかどうか」を時間をかけて観察されていたようです。

    だから、音大卒さんの
    >元々の才能が無ければ、付いていけなくなります。
    >見極める意味でも、入る大学に付いていけるのか
    >教授師事は長年やってきた事と思います。
    というご意見には、私も同意します。

    演奏に必要な基本的な知識や技術は、バレエと同じで年齢が小さいうちに身につけないといけません。
    身体能力が大きく関わるので(指が早く回るとか、広い範囲の音が掴めるとか)、その人によって限界点が異なります。
    何とか合格できても音大に入ってからついていけない可能性がある人の場合、その教授は難色を示されたようです。

    音大って「育てる」という感じじゃないような…。
    身につけた能力を使ってレパートリーを増やし、芸術性を高める場所だと思います。
    評価の高い教授には成績上位者や受験前からの門下生しかつけません。
    自分とあわない教授や講師につくと地獄の4年間が待っています。

    ユーザーID:6626461585

  • 大体それで合ってます

    トピ主さんのまとめを読みましたが、大体それで合ってると思います。世間一般から考えると閉じた世界です。

    茶道とか日本舞踊とか、そういうのの門下生がどうとか言う話にも似たものがある気がします。

    でも、プロで活躍している有名な人って大抵小さい頃から有名ですよね・・・結局、才能なんだと思います。芸術ですもの。

    ユーザーID:9642267461

  • 私も不思議に思ってました。

     トビ主さんの疑問は私も思ってました。何となくそうじゃないかな―と思ってましたが「ぴあにすと」さんや「東京芸大卒です」さんのレスでおおよそ納得しました。それできれいな音で正しいだろう旋律のみの演奏が多いのでしょうか?よくコンサートに出かけるのですが、本当につまらないのが多いのです。声が少々ひっくり返っても、間違いがあっても心に届く演奏を私は期待しているのですが、ただきれいで正しいだけの音楽会ほど時間も経費も惜しくてたまりません。大きなコンクール以外の入賞や師事した先生の名前の掲載もだからなに?って思います。実力でのみ演奏を評価したいです。
     マニュアル通りに歌っているだけ、弾いているだけの演奏はそろそろ卒業してほしいです。それでないとクラシックやバロックは本当に退屈でつまらない音楽と思われてしまう気がします。
     伝えるための技術も必要と思いますが、その伝えたいものがない状態の技術や理屈は意味をもたないですよね。
     音大を受験される方は是非、必然性を持って音楽を学んでほしいなーと思います。

    ユーザーID:1919169565

  • ○○音大卒

    タイトルのお免状が欲しいだけの人も大勢いるのです。
    それに音大はCollegeですから。総合大学における教育学部のような「音楽教育」を目的とはしていないのでは?
    音大・美大を他の教育機関と一緒に考えるのは少し違うと思います。かなり特殊なところでしょうね。
    門下生(弟子)を選ぶのは教授と言う名のお師匠さんなんですよ。この辺の感覚が他と大きく異なるのだと思います。
    スポーツや他の世界にも言えることですが「あくまで優れた人」の為に「どんぐり達」が必要なんです。音大・美大はそこがはっきりしている場所だと思っていただければよろしいかと思います。

    私は音大を卒業しましたが、我が子が行きたいと言ったら多分反対します。

    ユーザーID:2011329484

  • 海外でもおなじようなもの

    海外でも同じような物ですよ。

    私の通った大学は、国際的にも名がありますが、世界トップ10に入るであろう音楽家を教授に採用しなかったです。演奏活動で忙しくてどうせあまりレッスンしないのだろうし、足並みを乱されるだけだ、という理由で。

    美蘭さんの、バイエルをひいて入学した生徒が10年後にはディプロマって・・・これは有名音楽大学の話ではないでしょう、いくらなんでも大学ピアノ専攻にバイエルで入れるわけありません。イギリスなのでは、大学が子供教育用のカリキュラムを作ってグレード試験と行っていますので、そういうことではないですか。これは、日本ではピティナとかの音楽教育協会がやっていることと同じです。

    もしくは旧ソ連など、子供の時から楽器は音楽学校で専門教育を受けさせる国(楽しみの為の音楽教育はない)など。これは、日本にも音大付属や幼児科があります。

    海外でも、程度の低い音大は、生徒をそれなりに伸ばす教育をしています。バイエルほどでないにしろ、ソナタレベル弾ければ入れます。ただ、そのくらいのレベルでは町のピアノの先生になるか、カフェの伴奏をするか、位しか使い物になりません。

    ユーザーID:2833334453

  • なので・・・

    なので、個人的には、「伸ばす」ピアノ教育というのは趣味の生徒か、プロ専門養成なら遅くとも中学校位までだと思っています。

    中学校・高校から遅くても大学前半あたりは、自分を殺しても「昔から受け継がれてきたやり方」を習得する時期、教授の言うとおりにする時期。それでも殺せない所、自分らしさが出てしまう所が個性です。

    で、大学を卒業するころになると、進路を決める。今まで通り、教授の言ったとおりに弾くのか(そのほうが就職に有利?)。それとも、教授と喧嘩しても自分らしさを出すのか?

    作曲家だって、大物はみんな「個性を伸ばして貰った」訳でなく、「あんたの作品は対立法に反則している」と叱られたり、喧嘩したり、認められなくて貧乏したりしながら、次の時代の作曲法を開拓したのですから。

    最初から個性そのまま好き勝手にやっていたのでは、流行歌になってしまうのですね。

    (ただ、日本のコンクールの、みんな同じ課題曲を弾く、というのはどうにかならないですかね。)

    ユーザーID:2833334453

  • 一種の徒弟制度だからです

    すごーく、極端に言えば、の話ですけどね。
    まあ、それが悪いかと言われると何とも。

    音楽関係は、例外もありますけど、やっぱり小さい頃からそれなりの先生に就いてみっちり仕込まないと大成しないんです。
    一般大学の受験科目であれば、高校までは成績良くなかったのに、高校に入ってから熱心に勉強しはじめて、見事難関大学に、なんてこともあり得ますけど、音楽関係は中々そうはいかないです。
    「○大に入るならばまず○大の先生につかなくてはならない」というのは、確かに嫌な響きですけど、入学時点でそれなりのレベルに育ってくれてないと、たかだか大学の数年で基礎から鍛え上げてる暇はないですしね。

    ユーザーID:7178305696

  • 少しズレますが 1

    私は音高にも行っていたのですが、そこで最初についていた先生の事情で、途中から卒業までの間、彼のお弟子さんである女性に代わってしまいました。

    地獄でした。
    「個性」どころか「希望大学」も「楽器」も「フェルマータにかける秒」単位までその先生の好み通りにしなきゃいけないんですから。
    「先生がマニュアル」どころか、完全コピーです。
    あと、嫌われたら最後です。成績に反映されます。

    「私の生徒は全員芸大(彼女の言う芸大とは、東京芸大・京都芸大・愛知県芸の3つしかありえない)に入ること」
    「トップでないと、音楽やる意味ない」と公言するような先生でした。

    私は、はっきり言って音高に入れたのもマグレだと思うようなレベルだったから、大学も、のんびり好きな音楽を勉強したいと思っていたし、芸大なんて絶対に入れるレベルじゃなかったから、もっとゆったりした校風の大学を希望していました…(希望大学を聞かれて答えたら、「私に恥をかかせる気!?」と怒鳴られました 苦笑)

    ユーザーID:7735478936

  • 少しズレますが 2

    彼女の門下はみーんな、レッスン日は暗い顔してました(笑)
    好きな勉強しに来てるのに、日に日に嫌いになっていくんですよ。
    私は苦手な副科ピアノの方が、先生は怖かったけれど楽しいと思える程でした。

    ま、あんまりうるさいので京都芸大受けましたが、当然落ちました。
    恥かきに行ったのは私だよ!(笑)って感じです。
    結局、元の希望大学卒業しましたが。

    先生は芸大卒業後海外の音大に留学、首席で卒業された経歴のある先生で、教わっていた男性の先生(この先生の指導法はかなり自由だったのに…)の弟子の中でも一番の有望株だと言う話でした。

    まぁ、私の経験上ここまで強烈な先生は彼女しかいませんが、もし、自分の子が音大受けたいって言い出したら反対すると思います。
    海外はどうか解りませんが、少なくとも日本の音大は反対すると思います。

    残念ながら「個性」を育てる場ではないと思います。

    ユーザーID:7735478936

  • お客様の教育

    バッハ大好きさんの「実力でのみ演奏を評価したいです。」とのことですが、お客様がそうしてくれたら嬉しいですね。でも、その為にはまずお客様を教育しなければいけません。

    だって、本当は実力はすごくあるけど聞いたことも無い名前のピアニストの演奏会、本当は素晴らしい曲だけど知らない曲の演奏会に5000円払って行きますか?

    何々コンクールで入賞しました、とか、天才少女です、とかの売込みがあれば、チケットが売れます。

    実力があるかないか、というのは、まずチケットが売れてからの話です。この頃はネットなどで自己宣伝も出来るようになったけど、クラシック業界はポップスとは違うので。

    バッハ大好きさんも、そのつまらない演奏会には行ったのには、それなりの理由があったと思います。もっと面白い演奏会もあったかもしれないのに。

    後、裏話といってしまえば、面白くない演奏会というのは、ギャラが少ないので、他のこと(レッスン等)をして生活費を稼がなくてはならず、演奏会の準備に時間が取れない、という理由も大きいです。本当に面白い演奏をしようと思ったら準備が必要で、赤字になるんです。

    ユーザーID:2833334453

  • むむむ・・そうなのですか・・

    今調度、音大入学後の担当の講師って4年間変わらないのか?というトピが立ってますね。
    そこでも、教授と生徒の間の、入試前からの連綿と続く流れが感じられました。

    何と言いますか、ぶっちゃけてしまうと・・・どんぐりの場合はお金やコネのある生徒が相当有利、という事ですね。
    どんぐりでない天才にしたって、おそらく幼少期から親が相当お金をかけているだろう、と想像できますし、となるとお金がかかるのはもう、必須なのですね。

    音楽家を目指したい普通の家庭の子や、家庭環境はどうでもいいからいい演奏を聴きたい聴衆からにしてみたら、なんとも不幸な話・・・。

    才能なんてどこに眠っているとも限らないのに、わざわざそうやって門戸を狭くしてしまうとは。

    しかし頂いたレスには、わりと冷静な意見が多かったように思います。
    音大卒業された方自身も、色々と思うところがあるのかもしれない。
    すると日本も変わってくるのかしら・・。

    ユーザーID:5817776320

  • 幼少時からの訓練が必須だからでしょうね

    少しヨコ気味かも知れませんが、例えば一般大学の場合、入試のみの点数で合否が判定するわけですね。それも個性的なものは要求されてないですね。
    例えば、医学部、歯学部、あたりでは6年の卒後、国家試験を受け医師や歯科医になれますが、医学博士、歯学博士免許が欲しければ大学院に通い
    教授の下に就いて論文を書かなければなりませんよね。もし担当教授が認めなければ、何時まで経っても博士免許は貰えません。他教授に頼むわけにも
    行きません。
    これは理学博士、工学博士、他も同様ですよね。
    結局は教授の一声で教授に気に入られなければ博士は取れないわけですから。教授の権限たるや海外も同様、物凄いものがあります。
    このシステムは日本に限った事ではありません。世界共通です。
    芸術分野に限っては幼少時から訓練をしなければ、全くおよびになりませんよね。大学はいって3年次から専門を学んでも間に合うような、他の学問では
    ないと思います。
    ですから、そういった教授に見て貰うシステムが早いだけであって、他の学部でも博士クラスになれば、やってる事は音大、美大と同じって事だと
    思いますよ。

    ユーザーID:3527099105

  • 薄々思っていましたが

    嫌な世界ですね。
    外国も似たようなものというなら救いありませんね。

    ユーザーID:9562789983

  • いくらなんでも

    大学は10年制ではありません。誤解を招く書き方をしましたね。
    10年というのは中、高、大学の合計年数と考えて下さい。実際には入学年齢にも幅がありますし飛び級、落第もありますので一概には言えません。そして、私が例を挙げたのは「音楽院」で、国立専門学校に近い性格です。生徒達は他に中、高、大学にも通っています。数県に1校の割合であり、学費も年額数万円相当です。
    高卒資格とディプロマがあれば、「音大」卒資格と同等となり大学院へ進学が可能です。
    バイエルで仮入学できるのは7歳〜10歳くらいの子で、年齢が上がれば相応のレベルが必要です。本入学が認められれば5年後に第一の国家資格試験。内容は3xチェンバロソナタ、3xインベンション3曲、2xイギリス組曲、13xツェルニー50番・クラムマー・ショパンなどの練習曲、古典派ソナタ、ロマン派小曲。これら全てを用意する必要があります。楽譜通りに鍵盤を押さえただけでは(当然ながら)落とされます。この時点で残っているのは入学者の1.5割くらい。入るのは簡単でも続けるには困難が伴います。
    日本と一番違うのは超初級から僅かな費用で専門の教師につけることです。

    ユーザーID:6225884907

  • 興味深いトピですね

    トピ主様私も疑問に思っていました!いいトピを立ててくださりありがとうございます。トピ主様のレスにも非常に共感します。

    米国の例で恐縮ですが、受験前に大学の先生にアポを取って見てもらうというシステムはあります。高校レベルでうまくても世界中から上手な人が集まってきます。例えば、うちの子は本当はどのくらいのレベルなのか?音大でやっていけるのか?何が必要かまったくわからない状態だったりします。1回限りが多いのですが、アドバイスももらえますし無料で見てくれます。アポを取るのがとても大変で実際返事ももらえないことも多いです。そこで何が必要か、どんな練習したら良いかなど教えてもらい、とても参考になりました。またこちらも大学選びでどの先生に習いたいか、学校がどんな雰囲気か知るいい機会にもなります。

    定期的にレッスンを受けているとしたらたぶん美蘭さんのおっしゃる「プレカレッジ」だと思います。大学が年少児向けの教室を開いている場合ですね。ただ、教え子がいる場合は合否に関わってはいけないことになっているはずです。

    「型にはめる」タイプの教育とはかなりかけ離れているように思います。

    ユーザーID:9236871124

  • 字数が足りなかったので続きです。

    音楽は特に基礎が出来ていないと、どんなに才能があっても上達が限られてしまいます。基礎訓練は大事ですね。それに音楽では伝統的な「型」は出来上がっているので、それが出来てその上に初めて自由な個性が出せるものと思っています。ある程度型にはめるのは必要なのかもしれません。

    しかし個性のない演奏者になってしまっては本末転倒ですね。「私もバッハ大好き」さんの意見に同感です。

    日本人はもともと感情表現が得意な民族ではないので、どうしても型の訓練みたいになってしまうのでしょうか。でも日本人で優れた演奏家もたくさんいますので、「本人の求める力」が大事なのかも知れません。

    ユーザーID:9236871124

  • 確率の問題ですが・・・

    >出来るだけ多彩、多様な生徒を広い範囲から集め、さらに伸びるよう育てるべきではないか
    とんでもないババを引く確率が高いから先生方は嫌がります
    ババよりも安パイなんですよ
    ババはレベルを下げる云々以前の問題なんです
    ババだったときものにならない確率も当然高いわけで
    自分の息のかかった『駒』が減ってしまうということにもなります
    >決まった方向性の生徒しか育てない
    少なくとも今までの自分の指導である程度できるからです
    ある程度自分好みの演奏が出来ると指導が楽ですし
    多彩な生徒をとっても指導する側が多彩な指導が出来ません
    結局自分の型にはめる指導しか出来ないので
    最初からそういう生徒しかとらないんですね
    徒弟制度っちゃ〜徒弟制度です

    ユーザーID:5789119054

  • 勝手に作曲されても困る

     聴衆の立場に立たせていただくと。
     客は、○○作曲の△△という曲をききにきているのです。つまり、作曲家の書いた譜面通りに演奏されることを期待しています。
    「個性」という名前の勝手な解釈で、譜面と違う演奏をされても困ります。

     オリジナルを演奏するなら、堂々と、ご自分の作曲でやっていただきたい。
     わたしたちが愛している名曲を、かってに台無しにしないでいただきたいのです。

     たとえば現在、モーツアルトの交響曲はどんどんテンポが速まっていますが、あれは指揮者が「その方ががカッコイイから」「その方が気持ち良いから」などと思いつきで決めたものではありません。
     近年の研究で、モーツアルトが作曲した当時の演奏テンポがわかってきて、その本来の姿に合わせようとしたものです。

     こういったことは、落語や歌舞伎などの伝統芸能でも言えます。
     お客は、あなたの解釈を聴きに、見に、来るのではない。とは、師匠がまず弟子に厳しく言うことです。

     そもそも、たかが音大受験生程度の演奏家が思いつきで変えたテンポや音程が、大作曲家の本来の作品より良い物でしょうか?

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