しみじみ泣けてくる母の味

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家族・友人・人間関係

ゆき

38歳女性です。よろしくお願いします。

最近、年齢のせいか、ようやく母の愛情や娘を思う気持ちに寄り添えるようになり、しみじみ子供時代の母との事を思い出し、しんみり温かいような気持ちになります。

私の母は大変な山奥の出身で、貧しい育ちの上にお肉やバターを使った西洋料理や洋食がダメな人でした。
ですから、家のご飯は焼魚、煮魚、刺身に畑でとれる野菜を鍋いっぱいに煮たものばかり。
夏はナスとピーマンの天ぷら、冬は白菜と大根ばかり。

小さな頃はそれが不満で不満で…。

遠足ではゆかりご飯にタクアンの海苔巻き。
おにぎりなら具は紅しょうが。
そして、チャーハンなら具は卵とゴマだけ。
卵丼にはじゃがいも、人参、椎茸、玉ねぎ、油揚げ。
パスタはいり卵にケチャップ。

そんな田舎くさい、今でいうキャラ弁や、レシピサイトに出てくるのとは無縁の母の料理。

当時でも他所の家とのギャップがあり、ダサくて恥ずかしくて、母にずいぶん文句も言いました。
可愛いお弁当がいいと駄々を捏ねたら、翌日バナナに黒マジックで、「ゆきちゃん頑張って」と書かれており、そのズレた感覚にずっこけた事もありました。

でも今、母の世間と違う料理を食べると、なぜかジーンとしてしまうんです。
当時の母の年齢に近づいて来たせいでしょうか。

19で山奥からお嫁に来て、母なりに一生懸命にだったのだと思うと愛しくなります。

小町の皆様はどんな料理に胸が疼きますか?
懐かしくなったり、涙が出そうに切なくなったり…。

皆様のエピソードから、幸せ気分をお裾分けして貰えたら幸いです。

ユーザーID:4892773597

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  • おにぎり

    具無しの味付け海苔が巻かれたシンプルなもの。

    別に貧乏とかではなかったけど、共働き家庭で親は本当に忙しかった。
    母親の作ってくれたおにぎりが最高の好物です。
    今でも思い出します。

    ユーザーID:4417483902

  • あーー、わかるわかる

    私もかなりの大人になってから、母への思いがこみ上げてくるようになりました。
    うちの母は割と料理上手ですけど、昔の人なんですね、和食一辺倒でした。まあ、カレーとかシチューくらいは作りましたけどね。
    子供のころの私はトピ主さんと一緒で、やれハンバーグを作れだの、お友達の誰それちゃんのお母さんはオムライスを作ってくれただの、わがまま三昧なこと言ってましたね。
    子供の時はその味が当たり前になっていたので気付かなかったけれど、大人になってから「うちのお母さんって結構料理が上手だったんだ」と、いろんな所に食べに行ったりして気付きました。
    天ぷらとか茶碗蒸しとか、煮物、酢の物。何でもないものだけど、うちの母のが一番だなんて、親ばかならぬ子ばかですかね。
    茶碗蒸しの味が母の味に似ていると、胸がギュッとなりますよ。
    ししとうの味噌煮みたいなのとか、カブを柔らかく煮たのとか、懐かしいです。

    ユーザーID:5004398181

  • 毎週日曜のカレー

    毎週日曜日がカレーでした。

    私「今日の晩御飯なに?」
    母「カレー」
    私「またあ〜?」

    当時4歳だった私を筆頭に2歳1歳の子ども3人の育児に家事、実家の母の介護に自分の仕事。その時は気づきもしませんでしたが目の回る忙しさだったんでしょう。平日は仕事終わりに三品、四品当たり前に作っていた母、日曜くらいは楽をしたかったんでしょうね。あの時のカレー、懐かしいなあ。

    ユーザーID:0177990550

  • おふくろの味

    それが 染み付いた おふくろの味です 昔の女性は 働き者で 料理でも
    無駄のない材料の使い方で 家事全般を取り仕切ったものです
     今の様に(〇〇のたれ)と言われるものはなくても 醤油 味噌 塩だけで 色々な味を付けた お惣菜を造りました 絶品の おふくろの味でした

    ユーザーID:0015206626

  • おばあちゃんの味だけれど....

    母は田舎から出てきた人でしたが、料理はさまざま工夫する人で した。自営業で、祖母もよくご飯を作ってくれました。祖母はおとなしい人で、叔母たちから
    田舎料理しか作れないと少し小馬鹿にするように言われても、黙っている人でした。母も祖母は料理がヘタとよく言っていました。父は黙って出されたものを食べていました。祖母の作る料理で最もキライだったのが、人参の煮物。お醤油とお砂糖だけで煮るんです。人参の味しかしない。マクドナルドのポテトフライが食べて見たいと言ったら
    おやつに作ってくれました。砂糖まぶしのポテトフライでした。笑
    でも何故か、その人参の煮物、私しばしば作るんです。祖母は、料理が下手だったんじゃなくて、貧しい寒村で育ったから、それがご馳走だったんだって30代の頃に気づきました。そして、なぜか美味しいと思うんですよ。子供達や夫には、この話をして、一緒に食べてもらっています。マックの看板をみると、時々、一生懸命孫の気持ちに応えてくれた祖母の気持ちを思って泣けてきます。いつも黙って、娘や嫁にも好きにものを言わせていた、明治生まれの祖母。人間の鑑と思っています。

    ユーザーID:3725739025

  • しみじみ

    わたしの母が亡くなってもう10年以上経つのですが、
    どんどん母の味が恋しくなってきます。

    ウマさんと同じで、おにぎりはいまだに母以上のものにはめぐりあえないし、こればっかりは自分で握っても、
    イマイチなんですよね・・・。

    あとは、おでんとか、煮豚とかの茶色い食べ物(笑)。

    あ、卵焼きやおひたしなんかも懐かしいです。

    あ〜食べたい!
    会いたいよ〜

    ユーザーID:9201603817

  • 全部

    母は三歳の頃両親を亡くし、親戚や知人の下で育ちました。学校にお弁当を持っていくことができなかったと聞いております。そんな母は、自分が食べなくても子どもたちにはおいしいものを食べさせようと限られた予算のなか、手間ひまかけていろいろな料理をつくってくれました。三人の子どもが結婚した後は、暮れには餅つきをし、おせちをそれぞれの家族ぶんつくってくれました。七年前の一月二日に母は急逝しました。家にはそれはそれはたくさんのおせちが残されており、葬儀の日まで食事に困りませんでした。手作りの梅干、鮭の麹付け、らっきょう、野菜の煮物、ちらしずし、魚屋を何軒もまわって手に入れた大きな牡蠣のフライ、粉を取り寄せて打った蕎麦等どれもこれも子を思う母の気持ちが感じられ、その味は忘れられません。

    ユーザーID:7140474653

  • 母の味??

    私の母は料理が下手で、未だに兄弟姉妹が集まると
    まずかったごはんの話で盛り上がります。
    料理が下手で嫌いな割に、出来合いのお惣菜や
    冷凍食品を”体に決してよくない”と決めつけ、
    アジの干物を焼いたもの(しかも焦げてて苦い)
    と漬物、海苔、味噌汁(わかめと豆腐と決まっていて
    いつもわかめがくてくてに煮えて黒くなってまずい)
    をほぼ一年中食べさせられていました。
    中学校の時の弁当は、ごはんの上一面にそぼろが
    敷き詰めらていて、おかずはなし。とか当たり前でした。
    弁当から”面倒で仕方がない”という母の声が聞こえてくる
    ようでした。途中でパンを買ったり、学校の食堂で済ませる
    こともできたのに。意地でも弁当持たされ続けました。
    少しでもましなものを食べたいと考え中学生の頃には
    夕食を週3回は作ってました。結婚して家を出た後は
    弟や妹が夕食目的に遊びに来るくらいでした。
    相変わらず料理は好きではありませんが、あの不味かった母の
    ごはんをバネに家族のためにせっせと食事を作っております。
    幸い家族は私の手料理を楽しみに毎日帰ってきます。

    ユーザーID:5755532189

  • マドレーヌ

    わたしの母も
    主さんのお母さまと同じで
    バターがダメです。

    しかしながら
    わたしの母は
    料理に対して職人気質なところがあり
    自分は食べたくなくても
    いろいろおいしく作ってくれます。

    そんなわたしは
    幼い頃の記憶にあるマドレーヌが
    「おふくろの味」でした。
    どこでも売っているものですが
    なかなか母の味と同じものはなく…

    数年前、
    地元で評価の良いケーキ屋さんの
    焼き菓子詰め合わせをいただく機会があり
    あの
    母のマドレーヌと
    感動の再会を果たしました。

    ただただ、うれしかったです。
    そのお店
    何でもおいしいのですが
    わたしは行くと、ついつい、いつも
    フレッシュケーキではなく
    マドレーヌを大人買いしてしまうのです。

    ユーザーID:1733497050

  • どれも美味しそう

    洋食も好きですし、仕事柄海外で食事する機会もありました。が、トピ主さんが書かれた「田舎くさい母の料理」はどれも本当に美味しそう。私の場合、母の料理というと「胡麻鯖の茶漬け」を思い出します(生まれ故郷がすぐバレますね)。

    ユーザーID:8116054949

  • 炊き込みご飯

    母は十九で結婚しましたが、傷病兵の父が入院生活となって働けず、家計を成り立たせるため母一人がずっと働き詰めでした。母が三十二、私十二のとき、父は三十九歳で亡くなりました。
    私は小学三年生のころから弁当や夕食の準備をしました。私も料理の失敗は数限りなくありますが、母のそれは私以上にひどく、味オンチなうえ、料理のバリエーション
    も貧弱で、豆や南瓜の煮つけ、酢の物ていどは作ってくれましたが、ちょっと凝ったものは全く作れず、町内で買って来たさつま揚げ・コロッケ・野菜てんぷらなどが主菜になることが日常でした。疲れて帰る母に料理は二の次だったのでしょう。
    たまの卵かけご飯や、カレー粉で作る「ライスカレー」はご馳走でした。
    そんな中で母が自力開発したのが「炊き込みご飯」。肉や季節の野菜をたっぷり入れ主食とおかずを兼ねた簡単、豪華?で美味しい料理です。私のしょっちゅう作る生涯の得意料理になりました。いま八十五歳になる母は認知症が進み、一つまたひとつ記憶が遠ざかり寂しく思っていますが、母仕込みの私の炊き込みご飯をいつも「こんなに美味しいご飯初めて」と言ってくれるのを切なく聞いています。

    ユーザーID:4186547627

  • 母の味をじんわりと思い出します。

    自分も、母と離れて20年 結婚して歳をとるにつれて母の味をよく思い出します。

    自分の場合、中学から高校まで
    毎日弁当に入っていたおかず入れ半分を占める大きな卵焼きが一番です。

    あの頃、卵焼きはそれほど好きではありませんでしたが、

    去年の年末に帰省した際、もう何十年振りかに
    リュウマチの痛みの残る手で卵焼きと作ってくれて
    本当に感動しました。

    学生の頃食べた時よりも、若干焦げて形も随分崩れていましたが、
    口に入れたとたん、学生時代に食べた卵焼きの味と母が元気だった時の
    思い出が一緒に噴出し、少し涙が出てきました。

    母の味は一生もんだと思います。

    今は、その卵焼きを毎朝自分で作って弁当箱に入れています。
    同僚からは、いつも大きい卵焼きばかり入っているねと言われますが
    私にとっては、かけがえのない大切な味です。

    ユーザーID:7884566947

  • とってもわかります!

    ゆきさんのお気持ち、とてもよくわかります。自分の子供たちが反抗期に差し掛かっていることもあり、自分が反抗期だった頃を振り返ると、母も私を精一杯大切にしてくれていたこと、それに気づかずに随分とえらそうなことを言って、母を困らせたり悲しませたりしていたんだろうなぁっと後から後から悔恨と感謝の気持ちがこみ上げてきます。私の母も農家の出身で洋食はからきしダメ。おかずはいつもぜんまいと野菜の煮物でした。でも、今ではそれが一番のごちそうです。私も子供たちにいつか、そんなふうに思ってもらいたいな・・・・。っと思いつつ、フルタイム勤務のせいにして簡単な料理ばかり。がんばらないといけませんね(汗)

    ユーザーID:7080832489

  • じいーんと来ました

    なんでもとにかく思いやりの心のこもったのなら何だっていいんですよね。私は秋田の田舎であのころは、父も母も自家業で忙しくてご飯のおかずといったら、いつも、なすと味噌と砂糖で炒めただけのもの。東京からおばさんが訪ねて来たときもそれで、文句ばかりいわれてました。お手伝いさんやとえだの、料理がへただのって。でも母が10年まえ他界し、いまも娘たちには、しょっちゅう作っています。

    ユーザーID:0779574510

  • ハンバーグ

    母親は昔に鼻の病気をして臭いがしなくてそんなんに料理は上手ではありませんでした。遠足やらたまのお弁当もこれなら自分でもできると思うこともしばしば。でも、母親の作るハンバーグはごちそうで、今でも実家に帰った時は70過ぎの母に親孝行のつもりで作ってくれとせがみます。嬉しそうにハンバーグを作ってくれる母親を見ながら、子供ができてからは土日の晩ご飯はお父さんが晩ご飯を作るのが習慣で、娘たちが成人するまで楽しみながら続けられたのは母の姿を見ていたからだと思います。

    ユーザーID:3531881788

  • 私も・・・

    母は、大分県の山育ちでおかずは魚の煮物と野菜の煮物とか
    煮物ばかりで、ミートソースにはしいたけ入りです。
    若かった時の私は食事のありがたみが分からず
    見てくれのいいものを好んでいましたが、
    今になって母のご飯は美味しくて美味しくて
    泣けてきます。

    ユーザーID:7352790845

  • 母のサンドイッチ

    お弁当に、サンドイッチをいれて欲しいとリクエストしたことがありました。
    わたしが当時読んでいた児童書に、お母さんとフルーツサンドを作る物語があったので、母は、おかずのサンドイッチの他に、生クリームも泡立ててくれて、フルーツサンドまで作ってくれて!とてもうれしかった!!!

    のですが・・・

    なんと、母は、その素敵なサンドイッチたちを販促物のお弁当箱に詰めたんです、無料でもらった、広告が前面にプリントされてるもの・・・
    ちょうどいい大きさだったからと。。。
    見られたら恥ずかしい!こんなの持っていけない!こんなに一生懸命作ったのにひどい!と、朝から大喧嘩になりました。
    そういうところは無頓着な母でした。。。

    でもいま振り返ると、そんな手間のかかることをしてくれた母の愛情に胸がいっぱいになります。

    ユーザーID:0051420314

  • 思わずレス

    お気持ちわかります。自分がご飯を作ってもらってる時は当たり前、その上文句まで言ってしまってました。私の母は起用で料理も何を作っても美味しかったです。そんな母は15年前に病気を発症してから手足が不自由になり、もうあの時の母の味を楽しむ事は出来ませんが、母から教わっていたレシピを私が上手に再現でき、それを自分の子供や友人に喜んで食べてもらえる時は何とも言えない気分です。あと、母の親戚のおばが作って持ってきてくれる煮物、母の味とそっくりで思わず泣けてきます。母の味を味わえた事、今では本当にありがたく思っています。

    ユーザーID:7146397497

  • 母の思い出

    小学生の時に父親に先立たれ母が一人で姉と自分を育ててくれました。
    幼いころは、一生懸命な母の気持ちも知らずわがままを言いたい放題言っては母を困らせていました。
    昨年、母を亡くし貧乏ながらも一生懸命作ってくれた肉じゃがなどの手料理がとても懐かしく思い又、思い出しては泣けてきます。

    ユーザーID:3551844762

  • 肉じゃが、じゃなくて

    わたくしの母は3年前に亡くなりました。
    同じ都内に住みながら、仕事でなかなか会いに行けませんでした。
    でも、ほとんど毎日電話していました。
    「元気?」「元気よ」
    そして他愛もない会話。
    でも、もう電話も出来ません。

    今でも毎日、母を思い出しています。
    一人でいる時は、「お母さん、お母さん」と小さく声に出します。
    こうして書いていても込み上げてきます(涙)。

    母がよく作ってくれたのが、肉じゃがならぬ「あげじゃが」です。
    正直、色は美しくないです。
    でも、ホクホクとしたじゃがいもとあげがよくマッチして素朴な味でした。
    わたくしにはとても美味しかったです。

    それとカブの味噌和え。
    ほんのり甘く柔らかいカブと味噌がよく合って美味しかったです。
    いずれも母の味なので、母が作ってくれたものでなければ食べたくないので、今、自分で作ることはしません。
    お母さん、お母さん、また食べたいよ(涙、涙)。

    ユーザーID:3293771307

  • 鳥天

    母はほとんど身寄りのない状態で幼女期、少女期を過ごし
    カトリックの修道院に入り、しかし最終誓願をたてずに還俗したという青春時代を過ごしました。
    普通の家庭に暮らしていれば、母親から料理や裁縫、その他家事全般を受け継ぐことができたでしょうけれど、母にはその経験がなく、料理はそんなに得意ではなかったようです。
    トピ主さんのお母様と一緒で、ちょっと感覚的にズレていたところもあり、私が子供のころはそれが苦になっていることもありました。
    他のお母さんのように普通の感覚で、料理もいっぱいおいしいものを作ってくれればいいと、子供の私は母にそういったことが何度もあります。
    母がどれほど傷ついたことか・・・
    今、ときどき思い出すのは、土曜日、学校から帰ってきたときのお昼御飯です
    私がなぜか、弁当が好きで、母は土曜日の昼は弁当箱に昼ご飯を詰めて出してくれました。私のために、精一杯の工夫をしてくれていたのです
    その時のおかずはきまって、大分名物「鳥天」のカレー味
    今、どの店でもこんな美味しい鳥天はありません
    私への済まないという切ない母の思いというスパイスが、よそにはないからです。

    ユーザーID:2551432903

  • 巨大おにぎり

    兄弟が多く遠足のお弁当作りも大変だったのでしょう。普通のおにぎり2個分を超える大きさのまん丸のおにぎりを、のり一枚で大胆に包み込んだもの。
    家族では懐かしい思いでの巨大おにぎり。年齢が上がると恥ずかしいから小さくしてとお願いしました。
    今では子供を連れて帰省した時に、また逆にお願いして大きいの作ってもらいます。子供もびっくりです。

    あと母の味で好きなのはやっぱりお雑煮、ぼたもち、栗おこわ、、考えると季節のもの折々に作ってもらってましたね。改めてありがたいです。

    ユーザーID:5362169599

  • すいとん汁かな?

    50代、男性です。

    懐かしいおふくろの味というと、
    「すいとん汁」が直ぐに頭に
    浮かんで来ます。話しに聞く戦中
    戦後のもの程、素朴ではありませ
    んが。。、ジャガイモや人参、玉ねぎ、
    それから何故かトウモロコシが入って
    いて、味付けは塩だけ?仕上げに、
    メリケン粉(笑)と水だけで作った
    団子を加えて完成。

    ふと目にしたこのトピのお陰で、とても
    懐かしい思い出が甦りました。
    ありがとうございます♪

    ユーザーID:7914450646

  • 母の料理は後年、切なく効いてくる。

    夫のことです。
    夫は実の母親と合わず、疎遠気味なので、
    私にも、
    「仲良くしろ」とか言いませんし、
    嫁である私にとっては、
    姑とは距離を持って付き合えるありがたい感じです。

    今年の正月に、
    夫の実家に伺ったのですが、
    帰宅したのち、夫は一人私に隠れて泣いていました。
    男泣きですから、触れず、
    最近、ちょっと話を持っていったら、
    お義母さんのお雑煮が懐かしかったと。
    そして味付けが昔と微妙に変わっていたということ。
    とても美味しかったのですが、
    息子である夫には敏感に感じた「母の味」、
    老母に起こった味覚の変化。

    こみ上げたものがあったのでしょう。
    あの時は泣きたくてたまらなかったということでした。

    これからは、
    恩讐の彼方に?でも、
    親孝行しようねと話したものでした。

    ユーザーID:2668034501

  • 料理上手な母でした

    和洋中なんでもござれの母でした。お友達が来ると夕食を食べて行ってもらい
    ました。友達で卵のコロッケを覚えていてくれる人います。ゆで卵を砕いて
    クリームコロッケにするのです。彩も考えて。こんな手のかかるの買っちゃい
    ますよね。でも、卵のは売ってない気がします。安い食材で工夫してたんで
    しょうね。遠方なので暮れからお正月に両親で来てくれたことがありました。
    旨煮を作りました。なんかね〜。お雑煮を作りました。とうとう父が不味い、
    お母さんの味とは違う!そこで夫までが、この際教わりなさい。そこで、緊張
    しちゃうなと言いながら作った雑煮の調味料は全く同じ。わあ、これが塩梅と
    いうものなのだ。毎年旨煮とお雑煮を食しながら夫はお義母さんのは美味しかった
    なあ。嬉しいのと不甲斐ないのと複雑な気持ちです。父にとってあのお雑煮は
    最後だったかもしれません。その年か翌年に亡くなりました。雑煮大好きの夫に
    お正月でなくても作ってあげようかな。

    ユーザーID:1992679292

  • 母の味かぁ。。

    毒親だったので、あまり思い出したくはありません。でも、子供の頃大好きで、今も食べたいと思うものはいくつかあります。

    ひとつは、しそごはん。梅干をつけた赤シソをよく搾って刻み、ご飯にまぜます。お砂糖も多めに入れるので、かなり甘めの梅酢の寿司飯といった感じでしょうか。これをおにぎりにしてくれて、よく兄弟で奪い合って食べました。

    もうひとつは、豚味噌。豚のひき肉をそぼろにして、お砂糖と味噌で味付け。甘い肉味噌がご飯によくあいました。

    甘いご飯ばっかりですね。南九州出身なので、仕方ないかも。

    ユーザーID:7217089638

  • ちょっとヨコですが

    私が幼稚園児だった頃、両親が夫婦喧嘩して、母親が私を置いて実家に帰りました。

    困った父親はお腹を空かせた私にやきそばを作ってくれました。
    今と違ってあまり男が料理しない時代。初めての父の料理でした。
    薄っすらとした記憶しかありませんが、置いていかれたことより、ふたりで食べたやきそばが美味しくて楽しかった。
    たぶん男の料理って感じで、雑なやきそばの記憶です。

    もう両親共に他界しましたが、なぜかいつまでも記憶に残っています。
    父の味でごめんなさい。

    ユーザーID:2315959816

  • 皆さんのお母さま

    素敵な思い出ですね。

    私も母の作るご飯が大好きでした。

    病気を抱え辛い中、仕事もしていたので手抜き弁当でしたが、それでも嬉しかった。学校で辛い事があったとき、お昼のお弁当で勇気づけられました。

    今は父と二人なので、たまに実家へ帰ると外食です。だけど本当はお母さんのご飯が食べたい。

    今、おなかに赤ちゃんがいますが、今度は私が皆さんのお母さまみたいに素敵な思い出を作ってあげたいなと思いました。

    ユーザーID:1027686443

  • 全員反則

    どれ読んでも泣けてくる……。
    うちの母親は台所は汚いけど料理はなにもかにもが美味しくて(逆が私)
    他人の前でも絶賛しては恥じ入らせていた。
    今は別々に暮らしているため味わえるのは年2回、貪り喰らうことであるよ。
    旨いんだもの。
    以前母親のまぜ寿司をいざ食べる直前に……目が覚めた。
    その話をしたら夢のまぜ寿司を再現してくれて。
    作成中「ハスは別途酢と塩と砂糖で煮よう。
    夢でまっ白で綺麗だったんでしょ」と美しく完成。
    夢で見るまでことさら想いがなかったのに目が覚めてから5年ずっとまぜ寿司が好き

    ユーザーID:6023697917

  • 泣けてきました…

    私の母は少し前に他界しました
    洋風のオシャレな料理は苦手なようでしたが、和食特に煮物や汁物など天下一品でした
    いま何かひとつ願いがかなうとしたら母の作った温かい料理を家族みんなでわいわい言いながら食べたいですね☆

    トピ主さんのバナナのくだりは涙が出ました
    私も可愛いお弁当がいいとよくわがまま言ったものです

    母親の愛は海より深く宇宙より広いのでしょうね
    もう一度お母さんの手料理が食べたいよ〜

    ユーザーID:3843245542

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