私の父。

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かじゅく

ひと

トピを開いて頂いてありがとうございます。

私の父は研究者肌で人付き合いが不器用。そして自己中心的で怒ると半端なく怖いし、家族としてはとても気遣いで接しにくい、厄介な人柄です。
教育方針も「子どもは褒める事は必要なし。道を誤った時に修正するのが親の役目。」という考えだったので、褒められた事はありません。
母の料理が少しでも気に入らないと一気に機嫌が悪くなり、険悪なムードに包まれ一方的に母が怒られます。それも頻繁なので、一刻も早く食べて自室に行こうと毎日思っていました。

そんな父ですが、私が×1子持ちを理由に結婚を反対された時に父が取った一連の行動が私にとって忘れられない想い出となりました。

私は同じ職場の男性から結婚を前提に告白を受け、彼はご両親にも伝えた所、大反対でした。男性が出張で遠方の時を狙い、「職場を辞めろ・息子と会うな・誘惑するな」との電話が数日間かかってきました。そしてついには親同伴で呼び出され、一方的に話をされる事になりました。その際父は事前に「お前は何にもいうな」と私に指示をしていました。
離婚理由を問われDVだと分かると「どうせお前が殴りたくなるような事をしたんだろう!」と言われました。すると父はとても穏やかに「そうですね。こいつも気が強いとこがありますしね。でもお宅の息子さんも反対されているのに親の言う事を聞かれないので、お互い子どもは思うようには育ちませんな。」と苦笑。相手は何も言い返せず。そしてあまりに私が誘惑する悪女のように言われるので、「うちのはお宅の息子さんが選んだ結果に従います。な?」私頷く・・・という風に「自分の息子次第ですよ。」と責任を相手方に持たせる形でやんわり反撃。

私はこの時ほど父という人を魅力的に感じた事はなく、思い出す度、父の娘で良かったと思います。
皆さんの家族のそんなエピソード教えてください。

ユーザーID:6366480731

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  • 職人の父

    私の父は職人です。
    子供の頃から、嫌で嫌でたまりませんでした。
    どうして家は普通のサラリーマンじゃないのかって。

    でも、長く海外におりまして、最近帰国したのですが
    家を借りるにも日本は連帯保証人が必要。
    私の暮らしていた外国では、そんなの不要でしたので
    日本社会の面倒くささを思い出して、また、自分ひとりでは
    何も出来ないと思い知らされました。

    あれだけ嫌だった職人の父ですが、七十代でまだ現役!
    なので、保証人はあっさり通り、無事に家が借りられました。

    父よ、ずっと小馬鹿にしていたけれど、現役に勝る仕事は無いと
    心から思い改め、また、そんな父を初めて尊敬しました。
    ずっと元気で働いて下さいね。

    ユーザーID:3056376391

  • トピ主です。

    補足させてください。
    本文を読み返したら余りに父の欠点ばかりを羅列してしまい、反省です。
    『研究者肌』とは、人と接するより、物とじっくり向き合う事が得意という意味です。実際に研究職でした。

    後々になって母に聞いたのですが、私の思春期の頃の父は、会社での役職上、人としてとても辛い選択を任されていた立場でした。
    私が働く事や社会生活を経験した事で、父が精神的にどんなにか辛く、家族の前で怒りっぽくなってしまっていた事への理解が持てるようになりました。
    私だったら病に陥るか、精神的に壊れてしまっていたと思います。
    ずるいことが嫌い、正義感の強い人です。

    それから、その時の男性と私は結婚していません。
    男性のご両親の気持ちも素直に理解していました。ただ、あまりに表現方法が常識的ではなかったので、困りました。

    私はそれからさらに数年後転職し、職場の男性と結ばれ、幸せに暮らさせて頂いております。
    ご両親からの反対は、あっけないくらいありませんでした。いろいろと思う事もあられたと思うのに、ありがたい事です。本当に。

    ユーザーID:6366480731

  • 忘れられないこと

    どうしようもない父です。
    お金にだらしなく、自分に甘く、大病してもお酒もタバコもやめられない。
    自分を犠牲にすることなど考えられない。
    そんな父です。

    でも私が小学生のとき。
    ある日私は、ドレスを着た女の子が微笑みながら泣いている絵を書きました。
    母は、「きれいなドレスを着てるのに何で泣いてるの?」と不思議そうに聞きました。
    私はその時、うまく説明できなかったのです。
    黙りこんだ私に、絵を覗きこんだ父が一言、「ああ、パパは何故だか分かるよ。」
    あの一瞬にして陽が差し込んだような気持ち、30年たっても忘れられません。
    きっとこの一言だけで、ずっと父に感謝し続けると思います。

    ユーザーID:9268854369

  • 私も同じことを思いました。

    この人の娘で良かった、と思えることはすごく誇らしくなりますよね。

    私の父は仕事帰りにいつも付き合いで終電まで逃してタクシー帰宅ばかりでした。
    家事の一つもできず、靴下まで母に履かせてもらっているのを見て
    お父さんって仕事しかできないんだなあ、と小さい頃から思っていました。
    しかし私が大学生の時、母が倒れて半身麻痺になってしまったのです。
    父は早期退職するまで仕事を続けながら、私たち息子&娘と協力して
    介護と家事をするようになりました。
    家のことや人の世話なんて何もしたことなかった父の不満一つこぼさないその姿と
    懸命にリハビリをし、辛いだろうににこにこと笑う母の姿に
    この二人の子で良かった、と心から思いました。

    十数年の介護の末に母を看取った父は、母の「私が先に死んだらさっさと再婚していいよ」の
    言葉の通りに結婚相談所に行ったりもしながら
    「でも彼女(母)みたいに素敵な人なんていないんだよなー」とぼやいています。

    ユーザーID:2627140674

  • 不器用だけど家族を愛してるのですね

    なんだかとてもぐっとくるお話ですね。
    私の父も仕事ばかりで家庭は二の次のような父でした。
    夫婦仲はよかったかな・・・。
    少し裕福な家庭で田舎では目立つ存在だったので母は世間体ばかり気にしていました。
    いい子でないといけない。
    思春期のころ少し反抗したことがありますが母は一方的に私を責めるだけでした。
    でも父はふと私の部屋にきて私の行いが私にとってどれだけ駄目なことをしているか冷静に話してくれました。
    今まで親から怒られて反発の涙しかでなかった私が自分のことを思ってくれている親の気持ちがわかって涙が止まらなかったのを覚えています。
    正直、生まれてから親の無償の愛を感じたことはほぼありません。
    でもあの日の父の私を思ってくれる言葉だけでその後の人生が変わりました。
    やっと愛された気持ちを感じました。
    あの日がなかったらどんな大人になってただろう。
    今でも母にはちょっと疑問が残りますが両親には幸せに老後を過ごしてほしいと思っています。

    ユーザーID:8013257932

  • 私の父

    素敵なお父様ですね。
    私の父も、素敵です。以前、私が離婚するか否かでグズグズしていたとき、客観的な視点で、私のためにとても厳しいことを言ってくれました。普段は私の意見を尊重し、余計な口を挟まないのですが、あのときばかりは見かねたのでしょう。目が覚めた思いがし、気持ちに踏ん切りをつけて離婚し、その後再婚、現在は平和で幸せな日々を送っています。
    残念ながら数年前に亡くなりましたが、父に対する感謝の気持ちは、常に持っています。私にとって、父に優る男性はいないかも。

    ユーザーID:3298557121

  • 中学生の時。。

    仲間内と揉めた時、トイレで一方的に2人から暴力をひどく振るわれた事があります。その後、授業を受けることができず早退しました。もちろん先生も感づいており、夜、家庭訪問された時に私は正直にことを話しました。その時、父は何も言わず横で聞いており、次の日学校に行きたくないという私に、「明日学校を休むと2度と行けなくなるから、頑張っていきなさい」と促されました。次の日学校に行きましたが、凄く行きづらかったです。

    そして、HRの時間と1限目がいきなり学校全体が自習になったんです。私含め皆おかしいなと思った時に、知ったのが父が仕事を遅らせて、朝校長室に来ていたんです。そこで先生全てで会議が開かれていました(私の父も教育従事者です)。その後私に暴力を振るった子も皆反省してくれて、私もいつものように学校に通うことができるようになりました。

    父から、「いろはの親は怒らせると厄介だ」といじめっ子に思わせるのが大切だった。と言われた時に守ってくれた親に感謝しました。この親の子で本当に良かったなと思いました。今ではモンスターペアレンツといわれるかも知れませんが、こういう行動も時には子供を守るために大切だと思っています。

    ユーザーID:1840909536

  • 私の妹夫婦の例

    このトピを読み、妹夫婦の事を思いだしました。

    何年か前妹の夫は株で500万円ほどの損失をだしました。それが発覚し、妹は荒れ狂い泣きながら父に電話したそうです。泣き叫ぶ妹に父は「もういいよ〇〇、男ならそのくらいの度胸がないとだめだ、もうゆるしてやれ」妹は父に諭されたそうです。父が亡くなった時、そのときの言葉が忘れられないと妹は泣きながら話していました。
    そんな父でした。

    ユーザーID:0100579844

  • 泣ける…

    トピ主様のエピソードを読んでいたら、涙が出てきました。
    うちはエピソードらしいものではないのですが…

    私は子どもの頃から顔も性格も父にそっくり、「我が家の表札がわり」と言われてきました。
    結婚したあとのある日、私達夫婦の車に同乗した父。
    どんな話の流れか記憶が定かではありませんが、
    「この人(私)は私と性格がそっくりでしてね。そっくりすぎて合わないというか憎たらしいというか…でもぶつかった時にメソメソと泣くから可愛げがあるんですよ。」
    結局、褒められている訳ではないのですが、私のことをこんなふうに見ていたのかと初めて知った思い出でした。

    そしてまた、父の没後しばらくして妹から聞いたこと。
    「私(父)は根が暗いけれど、あの人(私)は明るい。」
    これも褒め言葉かどうかは微妙なところですが、そう言っていたと初めて聞かされて、さびしかった気持ちが少し温かくなった思い出でした。

    ユーザーID:4665259229

  • 頭を下げる

    私が6、7歳の頃のことです。
    虫歯もちの私は夜遅く歯が痛み始め、辛抱もなくわんわん泣いていました。
    そんな時間に歯医者さんが診てくれるわけもなく、
    母は「今日はむりだから明日歯医者さんに行こう」と。
    父は痛がって泣く私を見ていられなくて私の手を取り
    かかりつけの歯医者、近所の歯医者を数件回ってくれました。
    その夜はどこの歯医者さんも留守で断られ、泣き止まない私のために玄関先で父は怒鳴りながらもお願いしてくれました。
    何件かまわるうちに医師会の会合で皆が留守なのだと分かり、
    私も怒鳴りながらも頭を下げてくれる父に申し訳なく思い
    「辛抱するからもう帰ろう」と言って帰路につきました。
    その途中、怒鳴り散らしてしまった歯医者さんに寄り、
    先ほどの非礼を十分に謝る姿を目の当たりにしました。
    自分が大人になった今、あの姿が思い出されてなりません。
    酒飲みでどうしようもないところがままある人でしたが
    尊敬できる人でもありました。

    ユーザーID:7387744895

  • いつも母に怒られる父

    父は朝のウォーキングが大好きで、帰省時に一緒にウォーキングするといつもうれしそうにいいます。「朝のウォーキングは本当に気持ちがいい。これで1日おかあさんに何を言われても大丈夫!」(どんだけ毎日怒られているのか・・・)
    私が30代のとき、父に「東京から帰省して結婚したらどうだろうか」といわれたことがあります。当時、私には父が店を無理やり後継させようとしているという被害妄想があり、「おとうさんは私の意志を無視して無理やりいうことを聞かせようとしている」と抗議しました。すると、父が”無理やりなんてするわけないじゃない”という表情をしたのです。婚期を逃しつつある娘が心配だけど、無理やりいうことをきかせようとか怒ったりは絶対にしない。ただただ見守るしかないけれど、お前のことを心配しているよという父の気持ちが伝わってきて、私がどんな生き方をしても受け入れてくれる覚悟があるんだと納得し、自分の被害妄想をとても申し訳なく思いました。
    今も心配かけていますが、昨年両親を扶養家族にしました。娘の負担にならないように元気老人であろうと努力する両親の老後を、私なりに支えられたらよいなと思っています。

    ユーザーID:8040215570

  • 酒癖の悪い祖父

    数年前90代で亡くなった祖父は酒癖の悪さで有名でした。
    毎晩のように酒を飲み、酔って家族に暴力を振るう。ご近所や親せきとケンカをする。警察を呼ばれたことも何度もありました。
    祖父と父母は折り合いが悪く、家の中は常にギスギスしていました。私は祖父が酒を飲みだすと台所の刃物を隠し、布団をかぶって耳をふさぐ毎日でした。

    そんな迷惑な祖父ですが、私は大好きだったんです。
    私は兄弟が多く、しっかり者の私に父母は無関心。私は両親の気を引くため、テストで満点を取り続けました。父母は最初は褒めてくれましたが、学年2番以下になるとネチネチ叱るように。

    でも祖父は、どんな時でも、私を見ると満面の笑顔になりました。素面の時も泥酔している時も、私には常に笑顔でした。テストの点が良くても悪くても、学校から注意を受けても、常に私を褒め、お菓子や小銭をくれました。

    祖父は私の家族を不幸にした張本人ですが、私は祖父には愛情と感謝の気持ちしかありません。祖父の笑顔を思い出すと涙が出そうになります。家族の誰とも祖父への気持ちが共有できないので、ここに書かせていただきました。トピ主さん失礼しました。

    ユーザーID:8770593926

  • わたしも忘れられません

    わたしの両親は厳しくて、子供の頃から悪いことをすると、ひっぱたかれて育ちました。父には恐れしか抱いていませんでした。東京の大学に入っても、外泊も一人暮らしも許してもらえず、片道2時間半かけて通学していました。

    20歳の頃、サークルの飲み会でうっかり時間を忘れて終電に乗れなかったことがありました。翌日帰った私に、母は何時間もお説教・・・・閉口しました。夜、仕事から帰った父を玄関で迎えて「心配かけてすみませんでした」と謝ったら、「気をつけろ!」と一言。そして、○○線なら何時まで動いているから、次からはそれに乗るように、と。てっきり怒鳴られるかと思っていた私は救われる思いでした。

    ちょうど数日後、両親と買い物に東京に出たとき「ここから深夜バスに乗れるから。もう外泊はするなよ」と諭すように言われました。ずっと避けていた父の懐の深さを初めて見た思いで、それから父に対する反抗的な態度も和らいでいきました。

    父が出張先で突然倒れてそのまま亡くなったのはその2年後です。最後まで反抗的な娘でなくてよかったと思っています。

    ユーザーID:9202081124

  • 私も

    父はすごく厳しかったし、理不尽なことで怒るので、中学生のころはぶつかってばかりでした。逆に母は明るくておしゃべり、社交的です。

    留学試験の時、親子面接の時。母は緊張して何もしゃべれず。逆に、無口な父が面接官の質問に答えてくれました。頼もしかった。

    私の離婚の時も、「なんとかならないの?」と動揺する母に「しょうがないだろう」とだけ言って、私を責めず、自由にさせてくれました。

    あー、涙が出てきちゃいました。こんなに愛情をたくさんもらって。。。親孝行しなくちゃいけませんね。

    ユーザーID:4486726200

  • あると良いな

    勝ち気で仕切り屋の母、我が家の一大事はすべて母の決断です
    それに対して、口数も少なくのんびりとした父
    中学を卒業してからずっと真面目に働き続けた、穏やかで優しい人です
    母はそんな父が少し物足りないようで、たまに愚痴をこぼしていました


    私は結婚し家を出ましたが、
    里帰り出産で生まれた娘に生後3日で心臓疾患が見つかり、そのまま入院
    その後の手術や治療のことを考えた結果、夫ともども実家に同居させてもらうことになりました

    娘は脅威の生命力を見せてくれましたが、2度目の手術を乗り越えられず…

    危篤状態で体温の下がった娘の手を、温かい自分の手に包み込む夫
    末端冷え性の上、極度の緊張で氷のようになった私の手…

    娘の手を包んで温めるという発想は私にはありませんでした


    娘の旅立ちからしばらくして、夫は残業の為、両親と私の3人で夕食を食べていました
    私はふと冷たい手のことを思い出したのです
    夫の優しさが本当に嬉しかったこと、それに引き換え私はなんて冷たい人間なんだろう…そう呟く私、
    絶句する母

    父はぽつりと言いました「お前にはお前の良いところがある」

    涙が止まりませんでした

    ユーザーID:1804063824

  • 家族のために

    必死に休みなく働いてくれて、家族を大事にしてくれる父。職人気質でとても厳しいけれど、中身は愛情にあふれてます。
    人の親になって初めて気付くまでは、ずーっと反発してて、子連れ離婚しても温かく迎え入れてくれて。当時、相手の親兄弟に散々罵られた事を知ると、すぐに話をつけに行ってくれて。私を100%信じてくれて。
    本当に頼りになる父です。いつまでも家族仲良く助け合いながら生きてきます。息子もそんな父が大好きです。

    ユーザーID:3189451338

  • トピ主です。

    レスを下さった皆様、ありがとうございました。皆様のエピソード内容も素敵です。

    一方で、先にも書きましたが家族の存在を有り難く感じた事柄のエピソードという主旨だったので、結婚に反対された件のやり取りを詳しくは書きませんでした。その為、誤解をさせてしまう内容となり、反省しています。
    主旨に反するので、言い訳がましく長々とは書きませんが、父が自ら血気はやって出向いた訳でもなければ、私が何も自分で出来ず父親を盾にしたような行動をとったというのではありません。お相手からの要望での場なので、相手の出方や話を聞く上で合わした対応をするのは当然です。父が申した言葉の真意は、今までは私が対応していたので、同じ事を繰り返さないために「わめき散らすような今の相手のテンションに何を言っても無理。口答えと生意気に取られるくらいなら相手がある程度落ち着いてから、後日発言せよ。」という事です。私は父がそう言ったのでそうしたのではなく、その父の真意を理解していたので、あえてそのようにしました。

    ユーザーID:6366480731

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