歴史上の裏切り者といえば誰?

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将軍

 何気に「歴史上の裏切り者といえば、だれが有名か?」疑問に思いました。日本でいえば、やはり小早川秀秋ですかね? 海外ではユダ・ブルータス・安禄山などが思い浮かびまず。

 みなさまの印象に残る「歴史を変えた裏切り者」は誰ですか?

 なお、裏切り者という表現を使ってますが、ブルータスのように立場を変えれば「正義」だった人物もいるわけで、その人物に十分な敬意を払いつつ、語り合いたいと思います。

 この話題を家で夕食時に妻と子供たちになげかけたところ、「会社でなにかあったの?」と真剣に心配されました。深い意味があってのことではありません。

 また、有名ではないけど、大きく歴史を変えた事件などもお聞かせいただければと思います。
 

ユーザーID:8212406902

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  • 白河院

    裏切りの影響という点では、それなりに大きいんじゃないかなと思うのは、白河院です。

    父の後三条院や、祖母の陽明門院が、皇統は白河院の弟の実仁親王か輔仁親王に伝えるように言い置いて、実際に実仁親王を皇太弟にしていたのに、後三条院の死後に実仁親王が即位前に死ぬと、自分の子を皇太子にして、さらに輔仁親王には謀反の疑いをかけて、幽居に追いやってしまっています。

    もし後三条院の遺言通りに、皇統が伝承されていたら、保元・平治の乱はなかったでしょうし、その後の歴史も大きく変わっていたんだろうなーと思います。

    ユーザーID:7876939190

  • イメージでは

    私のイメージでは、「明智光秀」です。
    でも織田信長が生きていたら、歴史はどうなっていたのでしょう?

    ユーザーID:7607277819

  • 光秀かな...

    主君殺し、恩人殺しと言う意味の裏切りでしたら、明智光秀、マムシの道三、松永久秀、陶晴賢らが思い浮かびます。

    彼らは下克上の世の中で、生き延びるため、世に出るため、いっそアッパレとも思えるのです。
    信長の「天下布武」をさえぎり、結果秀吉に天下人の地位を譲り渡したと言う点では、貧乏くじを引きながらも歴史に楔を打ち込んだ光秀が異彩を放つと思います。

    どうしても「卑怯...」という感が拭えないのが信長に反旗を翻した荒木村重。家族や家臣を見捨てて自分だけ生き残り、利休七哲にまでなっている。信じられへん。
    心情的に「そりゃ、ないやろ〜」と思うのは、武田勝頼を裏切った穴山梅雪。これで武田家は滅亡を見たのかと思います。

    ユーザーID:2342852332

  • 聖書から

    人類史上有名な裏切り者といえば、イエスキリストの弟子である、イスカリオテのユダだと思います。

    もし彼がイエスを金で売らなかったら、イエスの処刑されず、その後の歴史も大きく変わったんじゃないかと思います。

    ユーザーID:5772634027

  • 関ヶ原の

    日本人ですからどう考えても印象に残るのは小早川秀秋ですねぇ〜やっぱり。
    500年経っても語り継がれるってめちゃめちゃ悲しいです。

    ユーザーID:4786645093

  • 日本と言えば!

    明智光秀を思い浮かべたり…。

    本能寺の変が無かったら、豊臣は天下を取れなかったかもしれないし…。

    ユーザーID:0928306914

  • 呂布とか…

    三国志好きなので(笑)かなり脚色入ってるんでしょうが…

    あと、明智光秀…

    源義経をかくまった奥州藤原氏も最終的には当主の息子の裏切りで攻めこまれてますよね。

    意外と思い浮かばないですね〜
    歴史に裏切りはつきものなのに。

    ユーザーID:0159934477

  • そりゃあ秀吉ですよ

    戦国時代好きなら「明智光秀」を出すでしょうが、私は豊臣秀吉も光秀と同じぐらいの裏切り者だと思います。秀吉は織田信長にさんざん世話になっておきながら、信長がいなくなったとたんに態度を豹変させました。信長の孫を利用し、いったんは織田家に権力を継承させると見せかけて自分が権力を横取りしたわけですからね。そのやり方はとても計画的で姑息。織田一族から見れば最大の裏切り者でしょう。

    ユーザーID:5058831651

  • 講釈師は見た

    お言葉ですが、小早川秀秋なんぞは五流以下の人物で家康に籠絡され、彼の書いた筋書どおりのことをやったにすぎないのではないでしょうか。
    おっしゃるようにその人物、識見、力量に充分の敬意をはらった上での行為というなら明智光秀を挙げます。
    明智光秀は織田信長麾下の軍人としての抜群の能力のみならず、深い文雅の教養を備え口うるさい京都の禁裏サロンの公家衆とも充分渡りあえる外交能力を持ち、領民にも慕われる優れた内政家でもありました。
    光秀がそのまま織田軍団に留まったまま、信長が天下をとって没した後、光秀、秀吉、家康、が割拠する「三国時代」を迎えたかもしれません。そして、天下を制するのはやはり、光秀ではなく、秀吉か家康だったのだろうなと思います。

    ユーザーID:5470847807

  • 興味あるトピありがとうございます

    タイトルみて一番にうかんだ人は…明智光秀ですね。

    でも確かに小早川秀秋もかなり罪深いですね。

    ユーザーID:2367793834

  • 会津藩・新撰組以外

    幕末維新の主要人物は、まあ裏切りものは言い過ぎかもしれませんが少なくとも変節しています。いわゆる志士と言われる人の多くは攘夷を叫んでいたのに、明治以降は西洋文化の導入で国家を建設し、公武合体派だった薩摩藩は秘密裏に倒幕派に転じ、倒された方の徳川慶喜にしても大阪城からの敵前逃亡を図っています。

    ユーザーID:6727021400

  • う〜ん

    明智光秀 ですかね。


    信長がもしその後も生きていたら…。

    徳川の時代は来なかったかもしれないし、そしたら今の日本は大きく変わっていたかもしれませんから!

    ユーザーID:5023358596

  • 足利尊氏

     時代の波の中で必死に生き抜こうとした行動を、後世の机上の倫理観で裏切りとか言うのも何だか失礼な気もしますが、まあ、そこはトピ主さんの言う通り敬意を払いつつ、私は足利尊氏をあげようかな。
     主君である鎌倉幕府を裏切って滅ぼし、後醍醐天皇を裏切って建武の新政をおじゃんにし、成り行き上仕方ないとはいえ直前まで僚友だった楠木正成、新田義貞を殺し、自分で幕府を開くと開府の功労者の弟足利直義、側近高師直を死に至らしめる。
     しかもこの人は後世に残した影響が大きい。水戸学派から逆賊の汚名を着せられて以降、太平洋戦争敗戦に至るまで皇国史観における不動のアンチヒーローとして君臨しました。最後の将軍徳川慶喜に「足利尊氏になりたくない」と700年の武家政権の幕引きを決意させ、結果的に最初と最後、2つの幕府を潰したのはこれぞ裏切り者の鑑!という気がします。

    ユーザーID:1867997617

  • 明智光秀

    全国制覇を目指す織田信長を裏切って本能寺の変を起こした人です。
    その後、羽柴(豊臣)秀吉に討たれるのですが、非常に短い期間しか権力を握れなかったことから三日天下のことわざの元にもなってます。

    信長があのまま生きてたら江戸時代ってあったのかな・・・

    ユーザーID:4018138203

  • やはり小早川秀秋

    歴史上というと小早川秀秋しか浮かびません。
    事情はよくわかりませんけれど
    他にもいたかもしれませんが、なぜか小早川秀秋だけが有名ですよね。
    合戦のさなかだったからでしょうか?
    しかし、彼のせいで西軍が負け、石田三成たちの悲劇がありますが、
    石田三成は今でもファンが多いしヒーロー扱いに引き換え、
    小早川は永遠に裏切り者として名を残す
    裏切った罰は充分すぎるほど受けているといえるでしょう
    子孫にとってはいい迷惑かもしれませんが
    やはり裏切りはいけないという教訓でもあるような気がします。

    ユーザーID:7442611590

  • 明智光秀

    本能寺の変で主君である織田信長を討った明智光秀に一票!

    ユーザーID:9907433093

  • 明智光秀

    裏切者とは違うかもしれませんが、なんとなくこの人の名前が浮かびました。

    もし光秀が謀反を起こさなかったら、信長は天下を統一できてたのかな。
    それとも、やっぱり他の誰かに謀反を起こされて同じような結末をたどったのかもしれないし。

    光秀は基本的に真面目で、プライドも高かっただろうから、信長からのひどい仕打ちは許せなかったんだろうな。
    ちょっと可哀想な人だったと思います。

    ユーザーID:3778955991

  • 私も同じ

    トピ主さんと同じく、小早川秀秋かな?

    最後までどちらにつくか迷い、小高い場所から情勢を見渡して有利な方につこうと言う姑息さ。
    自分の考えなどないものだから、戦後他の大名から総スカン。
    挙句には重臣たちにまで見捨てられて、最後は大谷義継の亡霊に呪い殺されてしまった(と言われています)。

    若かったから(20歳そこそこ)しょうがないと思うかもしれないけれど、伊達政宗だって家督を継いだのは18歳ですからね〜


    大名の器ではなかったということですかね。


    しかし、もし東軍(徳川)が破れていたらどうなったのかな?と思ってしまいます。そのまま豊臣政権が続いたのでしょうか?

    ユーザーID:1239491441

  • 明智光秀

    日本の歴史だと、明智光秀の印象は強いのではないでしょうか。
    私は嫌いじゃないですけどね

    それから、忠義者の印象が強い、豊臣秀吉ですが、実はそうではないですよねぇ。

    ユーザーID:3006935748

  • 私の生まれ故郷に、利根川の支流で烏川という川があります。
    この川は、坂上田村麻呂の東征の時、敵対する部族を攻めあぐねた時、川沿いを烏に案内してもらい、それで部族を攻め落とすことができたとの伝説から名づけられた、と聞いた事があります。
    つまり、大和朝廷の軍勢に内通することで、一族を滅ぼした裏切り者がいて、それを烏と呼んだ、という伝説です。
    多分、烏と名づけられた地名や場所は、多かれ少なかれ同じような構図であったと推察します。
    その中で一番有名なのが、八咫烏です。
    神武東征の時、熊野から大和へ入る山中を導くため神に使わされた鳥、ということになっていますが、実は熊襲の裏切り者であった、ということなのでしょう。

    とはいえ、せっかく部族を裏切り大和朝廷についたにも係わらず、大和朝廷に裏切られて悪霊化してしまった、ということですが。

    ユーザーID:3002126113

  • やはり「明智光秀」でしょう

    我が国最大の裏切り者、といえば、やはり「明智光秀」でしょう。
    魔がさしたのか…アレがなければ、江戸時代はなかったかもね。

    ユーザーID:1797834368

  • 意外な所では

    意外とイメージが無いですが徳川家康なんかも裏切りと言えば裏切りですよ

    しかも家康の場合凄いのは若い頃から義理堅く律儀な性格で過ごしてきて周りからも絶対裏切りなんてしないであろうと安心させきっていました、そして人生の最後の最後最も重要な秀吉が死んだ局面で初めて裏切りと言える行動を取ったのが凄いです。

    つまりオオカミ少年の逆の行動をとって天下をとりましたやはり凄いと思います。

    因みに裏切りの代名詞として挙げられる小早川秀秋なのですが、名誉回復させてもらうと、秀秋は関が原当日に裏切りを決意したわけではなく最初から(恩のあった)家康に付こうとしたのに色々あって(最も嫌いで過去に遺恨のあった三成の率いる)西軍に強制参加させられたのが裏切りの原因です。

    なので関が原に至るまでも西軍の言うことはろくに聞かない好き勝手動くなどやりたい放題です。

    関が原の松尾山への布陣も最初から(最も戦局を左右するポイントを)狙って布陣したり実はただの裏切り者と一言で切り捨てられない武将だと思います。

    ユーザーID:8010760101

  • 何故

    徳川家康が出ていない?
    豊臣家の家老(立場上だが)だったのに主家を裏切り自ら天下を取ろうとした男ですよ。
    彼が裏切らなければ「天下分け目の関ヶ原」も無かったでしょうし、当然小早川秀秋が寝返るなんて事も無かったワケです。
    そして今の東京の繁栄も無かったでしょうね。

    ユーザーID:2857978034

  • いない

     講釈師さんの意見に賛同と反対意見。

     >>小早川秀秋なんぞは五流以下の人物で家康に籠絡され、彼の書いた筋書どおりのことをやったにすぎないのではないでしょうか。

     確かにその通り。

     でもそういう意味であれば明智光秀も誰かの書いた筋書きに通りに動いたのに過ぎないのではないでしょうか。(謀反前の上杉家への「美味しいご馳走あげちゃうよ」書簡参照)
     しかも私世代の授業では最後が先住民に殺されたらしい、「らしい」ですから本当は生き延びたのではと考えちゃいます。

     裏切るような人は歴史上名を残せない、小物に過ぎないということを言いたいです。

     しいて言えば『四面楚歌』の源となった項羽の城を囲んで楚の歌を歌った兵士一同。

     ちゃっかりいつの間にか劉邦軍に願える所が、熟語として残っている所が歴史的です

    ユーザーID:1535324483

  • 徳川家康

    タヌキじじいの異名のとおり、豊臣家に対する裏切りっぷりは凄いです。方広寺の鐘は未だに書き直されていませんよ。よくもあんなことが言えたものだと。
    石田三成や淀殿のイメージが悪いのは、この人のおかげ、後世に至るまでの悪行の数々は誰にも負けません。

    ユーザーID:5020008411

  • 明智光秀

     有名だし、よくやってくれたとも言えます。信長一族があのままでいたら、私が存在しないから。
     と言っても、私の先祖は攻められた側にいて、危うく討たれるところだったようですが。

     家康も立派な裏切りをしていますから、幕末にやられても文句は言えません。関が原や大阪の陣のことを良く調べれば、ホメられたものではありません。幕末にどう扱われようと、幕府は文句が言える立場ではありません。悪質なやり方を後にやり返されただけです。
     もっとも、その家康様は私の命の恩人でもあります。
     裏切り、逃亡、・・・他人の悪行もすべてがあっての今の私です。
     自家の歴史を古くさかのぼれるなら、調べればよく分かります。みんなあっての自分なのだと。

    ユーザーID:1242353068

  • 薩摩藩

    人ではありませんが、幕末の薩摩藩でしょう。

    ユーザーID:8794980238

  • 源頼政

    平治の乱では、同じ源氏の源義朝でなく平清盛に与した源頼政が以仁王と平家に叛旗を翻す。
    平家からすれば裏切りでしょうね。

    ユーザーID:8874777914

  • 豊臣秀吉

    織田信長の死後、織田家を乗っ取り、天下人になった秀吉が一番の裏切り者でしょう。信長が生きている間は、有力武将として天下統一にむけて活躍し、信長が明智光秀に殺されると、跡目をねらって様々な陰謀を働いて最後に天下人になりました。
    信長の嫡男信忠は本能寺の変で戦死したので、秀吉は幼い信長の孫をかついで後見の地位に付き、いつの間にか柴田勝家らの競合相手を滅ぼして天下人になりました。
    織田家から見れば、最大の裏切り者です。しかも天下まで手中にした。

    こんな秀吉でさえ、徳川家康には一目も二目も置かざるを得なかったのは何回か家康と交戦して実力をよく知っていたからです。それで天下統一ののち家康を五大老の一人として政権内に取り込んだのでしたが、秀吉も後継者に恵まれず、豊臣家はほぼ一代で滅びたのです。

    そのあとに家康が出てきて日本を統治したのは歴史の流れとして当然です。
    信長以外に当時の武将で秀でていたのは家康であり、三河の大名として着実に力をつけてきて、信長に次ぐ位置を占めていましたから、秀吉亡き後に幕府を開いたのは順当なものであったと思います。家康は裏切り者ではありません。

    ユーザーID:1858094217

  • トピ主です。

     多くの方々からレスいただき、ありがとうございます。

     なによりもうれしいのは、このトピが歴史上の裏切り行為を単純に批判するのではないことを皆様ご理解いただいていることです。

     明智光秀が多いですね・・・・・確かに素浪人から信長に拾いあげられて、数ヶ国の大名にしてもらいながらの「謀反」です。これで織田政権がなくなったことを考えると、まさしく歴史を変えた人物ですね。同情の余地はありますが、「謀反」という言葉の代名詞みたいな存在ですね。
     
     徳川家康は、秀吉生存中は大事にされながら、死後は態度を変え、挙句に秀吉の血統を絶えさせましたね。織田の血統は残ったのに・・・・

     小早川秀秋はそれほどの人物でもないのに、血筋で大大名にされて、兵力があったがために印象が強くなったのが気の毒ともいえます。一緒に裏切った脇坂・朽木などの小大名は目立ってないのに・・・

     八咫烏は日本史上、最古の裏切り者かもしれませんね。
     
     白河院・・・権力はひとを惑わすのでしょうか・・・・・

     

    ユーザーID:3956914575

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