〔昭和〕の思い出

レス98
(トピ主17
お気に入り95

生活・身近な話題

案山子

トピを開いて頂き、ありがとうございます

北国の寒い冬の朝、ぬくぬくした布団の中で、一番最初に聞こえてくる音は、母の包丁のトントンという音。じきに父のしわぶきが聞こます。
もう起きなければいけない時間なのだが、もう少しこの暖かさに浸っていたい。何でもない日常の始まりです。

私の「昭和」への思いもここから始まります。
昔が全て良かったなどとは、勿論思っていません。嫌な事、辛い事も沢山ありました。
でも、どうしても昭和」が懐かしくてたまらなくなる時があります。
世の中全体に温もりと活気があり、明日を信じる事ができた。今日がどれほど辛い日でも、明日になれば何とかなるさ。
そう思えた時代だったように思います。

・毎週楽しみにしていたアニメ巨人の星とタイガーマスク
・クリスマスの夜、父がケーキを買って帰って来る待ち遠しさ。
・ジンギスカンを一家六人で囲み兄弟姉妹で奪い合いのようにして食べた夕食。
・ボクシング具志堅用高の恐るべき強さ
・巨人・大鵬・卵焼き

宜しかったら、皆様の「昭和」の思い出をお聞かせ下さい。

ユーザーID:8711443859

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア facebookでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数98

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 懐かしいですね

    公衆電話、テレホンカード千代の富士ついこないだまであったアナログテレビ、ダイヤル黒電話…101回目のプロポーズ見てました…
    レッツゴーヤングなど… 懐かしき昭和…

    ユーザーID:5516769079

  • 土曜日のテレビ

    学校が週休二日ではなかった時代、次の日が休みの土曜日の夜だけ、いつもより夜更かしすることが許された我が家。
    「全員集合!」のあと「Gメン75」というゴールデンコースを観られるのが楽しみだったなぁ。

    ユーザーID:9872766161

  • 機械編みの母の手作りセーター

    子供の頃を思い浮かべると、洋服はほとんど母が作ってくれたなということです。

    セーターは機械編み、冬になると手編みの帽子に手袋、スキーの時の靴下も母の手編みでした。

    それ以外で思い出すのは、ストーブのある生活ですね。
    幼いころは石炭ストーブで、家には石炭小屋があった。
    それが石油ストーブに変わった時は、すぐに火がついてあたたかくなるってすごいと思いましたけど、それも家の建て替えをした時に集中暖房になって炎が見えない生活になりました。

    最後に昭和の思い出で忘れられないのが停電です。
    楽しみにしていたアニメの最終回の時停電になたら、もう見られなかった。

    今から思うと貧しかったのでしょうけれど、いい時代だったかもしれません。

    ユーザーID:1057021470

  • 私が小さな頃の遊び

    今朝、出勤途中のバスのなか子供の頃遊んだ遊びを思い出していました(何故かきっかけは無いのですが)。

    陣地取り、はないちもんめ、だるまさんが転んだ、かくれんぼ、何もいらない、沢山の友達と小学校の校庭(家にいったん帰ってから)。
    夕飯時になるとおかあちゃんが畑の向こうからご飯だよって呼びます。
    ただただ遊んでた、幸せだった、宿題なんてあの頃出てたのかな、記憶なし。


    庭先では平たい石を見つけてくらたて、おはじき、ゴム飛び、遊んだなぁ〜。


    私の「昭和」、幸せだった子供時代と青春時代そのもの。

    ユーザーID:5054897696

  • 昭和41年生まれ 男

    ・べったん(めんこ?)
    ・ゲイラカイト
    ・超合金マジンガーZ
    ・ローラースルーGOGO
    ・ゴジラ&メカゴジラ&キングギドラ
    ・ザリガニ捕り
    ・秘密基地
    ・マルシンハンバーグ

    主に小学生の頃
    他、いろいろありますが… 楽しいですね。

    同じく小学生の頃に、近所の悪ガキ共が集まり空き地でイカダを作った
    思い出があります。近くの川で乗る予定でしたが重くて運べず皆で
    ボー然とした事を鮮明に覚えています。

    ユーザーID:9156397969

  • 物売りが多かった。

    還暦を過ぎた者です。子供の頃は、物売りの声をよく聞きました。物売りの声も色々あるでしょうが、
    実家(東京)の近くは以下の様なものでした。

    「さおや、さおだけ〜」竿竹売りです。昔の洗濯の物干さおは本物の竹を使っていました。

    「きんぎょ〜、え〜きんぎょ〜」金魚売りです。風鈴も一緒に売っていました。

    「おいもや〜、おいも〜、石焼い〜も〜」 石焼き芋売り。 独特な節回しがあるのですよね。それもテープの録音ではありません。
                        ラッバを吹くおじさんもいた。  

    「ピ〜ポ〜」これは豆腐売りのラッパの音。「とーふー」と吹いている様に聞こえた。      

    もっと後年になってからは、
    「ちり紙交換」     古新聞、古雑誌をちり紙に交換してくれる。
    「古い物の買い取り業者」  要らなくなったガスコンロとか鉄製品など買い取
                ってくれた様な記憶があります。売り声は忘れました。

    それから、また実家の前に「どぶ川」と呼ばれる水路(あまりきれいでなかった)があり、子供が時々落ちた。

    ユーザーID:7612384247

  • トピ主です

    皆様レスまことにありがとうございます。

    疲れたよパトラッシュ様まで拝読しました。

    皆様の昭和の思い出、懐かしく読ませて頂いています。


    本当に昭和が遠くなって行く感じがします。


    思えば平成はバブルからの始まりでした。
    あの時代を経て、私達日本人はとても大切なものを無くしてしまったように思います。

    世界の中でも日本人しか持っていなかっただろう
    勤勉・礼節・慎ましやかさ・高潔・寛容・道義・恥の心・当たり前の親切・人の為に尽くす等々…


    いつの間にか、自分の権利だけを声高に叫ぶ人の群れになってしまった。


    もう一度昭和の心を振り返りたいと思う昨今です。

    ユーザーID:8711443859

  • 昭和の遊び

    私は稲刈りが終わった冬の田んぼで近所の子供たちとだるまさんが転んだをやるのが好きでした。いつまでたっても終わらない(笑)田植えシーズンには田んぼに入ってカエルを捕まえていたら田んぼのおばちゃんにこっぴどく叱られたなぁ。「足が腐ったらどうするんだ!」って言葉に子供心にびくびくしたのを覚えています。

    楽しい遊びも近所のおじさんおばさんに怒られたことも良い思い出。

    大人の都合に関係ないことなら温かく放置してくれたおじさんおばさんたちのおかげでのびのび育ちました。

    学校の名物先生も、児童たちの間で「あの先生を怒らせたら3メートルビンタされる」なんて良くも悪くも恐れられていました。そんな先生たちを親も信頼していた時代だったと思います。で、親以上に子供たちが信頼して慕っていたんですよね。

    親に怒られて「出ていけー!」って。で、玄関の外で母が開けてくれるまで立っていたり。

    そんな昭和が懐かしいなぁ。

    今は、あれ駄目これ駄目うるさい虐待って言われちゃいますね。

    ユーザーID:1207827879

  • うんうん、そうそう

    主さん、みなさんの昭和の思い出をよませていただきながらうんうん、そうそうとうなずきながらうれしくなりました。どなたかものせていらっしゃいますが'マルシンハンバーグ”はみかん缶と同じく病気になったときにわたしの好物だったので母が食事に出してくれました。なぜか最近自分が昭和生まれでよかったなーと感じています。東京へ行くということが海外へでも行くような旅行だった。電話をかけるときは公衆電話からでやっと家にもダイアル式電話が設置され、そして次にプッシュホーンにかわりすごいなんて感動していました。家族共同なので男の子からの電話がみんなに聞かれていたから父が不機嫌になっていました。友達が住んでいた新築のアパートに洋式トイレがあってでも上手に使えなくて怖かった。平成とはちがう時代の流れは大切な思い出と自分への力になっています。

    ユーザーID:9341410712

  • 懐かしい

     読んでいて思わず涙が出そうになりました。
    トピ主さんのおっしゃる通り、楽しいことばかりではなかったし色んな辛いこともあったけど、思い出すのは暖かい家族の思い出。
    大晦日、紅白歌合戦が楽しみで仕方なかった。その日だけは子供でも夜更かししてよかったから。家族みんなでこたつに入って観たことを思い出します。
     
     テレビだって録画機能が無かったから、必死で慌てて学校から帰ったり。それなのに父のプロ野球観戦で台無し。
    電話も今のように携帯なんて無かったから、最初電話に誰が出るかなんて気にしながら電話してました。

    ユーザーID:6627240883

  • 昭和♪

    木の電柱に黒電話(祖母お手製のカバーが掛けられていました)

    土間には練炭火鉢が置いてあり、冬場は其処に煮物の鍋がかけられていて、よくつまみ食いをしていました

    クリスマスケーキと言えば、甘い赤や緑のゼリーみたいな粒が乗っているバタークリームケーキで、やたら大きくて数日かけて食べてました

    お正月。お年玉を貰っても三が日は何処の店も休みで
    初売りを心待ちにしていました。

    近所には駄菓子屋も沢山あり、100円玉を握り締めて
    「今日はどれを買おうか?アレとコレとソレで80円だから残りは・・・」なんて考えながら買い物してた

    テレビはツマミを回してチャンネルを合わせるタイプ

    リヤカーや軽トラに色んな魚や果物を乗せて売りに来る人達が沢山いた

    年に二回、大きな薬箱を背負った薬売りの人が置き薬の交換に来てくれて
    子供の居る家には綺麗な紙風船をプレゼントしてくれた

    小学校では給食の時間に肝油が一粒配られた

    懐かしい思い出が溢れている時代です

    ユーザーID:0070121587

  • 昭和の思い出

    昭和40年代に生まれました。

    私が幼い頃はまだ豆腐屋さんがラッパを鳴らしながらやってきました。
    きょうだいと奪い合ったテレビのチャンネル。
    夕飯時に突然停電して、ろうそくの灯りをともしながら
    食事をしたことも懐かしいです。
    初めて買ったのはCDではなくレコードですし、
    携帯電話がなかったので、新宿駅で友達と待ち合わせて
    何時間も待った挙句に会えずに帰ったこともあります。

    ただ、懐かしいと思いだすことはあっても、
    昔の方が良かったと思うことは一度もありません。

    ユーザーID:9408233086

  • 縁台

    昭和40年生まれです。

    夏が近くなると各家庭が椅子や縁台を、玄関前に出して来るのが習慣でした。
    子供でも、その準備を見ると「夏だ!」と思いました。
    もう少し暑くなると玄関が開け放しになりました。玄関用の網戸はありましたけど鍵はフックのみ。
    今から考えると、よくもあれで強盗騒ぎが起きなかったものです。

    家の周りの排水口と溝が適当な作りなので、昼に食べた素麺の切れ端やネギが溝の中に浮いていました。
    スイカの種なんかも浮いていました。
    夏の光景の一つです。


    とても懐かしいけど、子供や孫に同じ生活をさせたいかと問われたら「絶対ノ―」です。

    ユーザーID:0979467715

  • 井戸

    子供のころ住んでいた家には井戸がありました。
    それで水を汲んで、お風呂に入れていました。
    兄と二人で、代わりばんこに競争のように…

    近所の家にも違う形の井戸があり、
    夏にはそこでスイカを冷やして
    おすそ分けをいただいたりしました。

    忘れていたことを思い出しました。
    ありがとうございます。

    ユーザーID:3311059398

  • 昭和か〜

    1、学校帰りは自宅に帰らず友達の家に行ったり途中で遊んだり、、、。
    1、秘密基地作り。
    1、1日30円の小遣いで駄菓子を買った。
    1、牛乳キャップで遊ぶ。
    1、空き地が多かった。
    1、ピンクレディー。

    また思い出したら投稿します。

    ユーザーID:1708876705

  • なるほどバブルかぁ

    『寺内貫太郎一家』?『家族ゲーム』『サザエさん』など、
    必ず、家族全員揃っての食事風景がありましたね。 家族団欒。

    私は今あまりテレビは観ないのですが最近はどうなのでしょうね。
    また、みなさんはどうなんでしょ。

    バブルを期に何かを手に入れ、その為に何かを失ったとすれば
    今の虚しさは、主さんの仰る通りなのかも知れませんね。


    ああ、私が子供の頃のテレビは多少の不具合なら叩けば直ってた
    ナショナルです。

    ユーザーID:9156397969

  • いやいや

    >>世界の中でも日本人しか持っていなかっただろう
    >>勤勉・礼節・慎ましやかさ・高潔・寛容・道義・恥の心・当たり前の親切・人の為に尽くす等々…

     いやいや、んなこたぁない。
     別に昔の日本人だって、今と変わらず、変なことばっかりやってましたよ。
     美化しすぎ。
     戦前からモンペはいたし、子供のことで、学校の先生を地域ぐるみで吊し上げるなんて、今以上にとんでもないこともやってました。

    ユーザーID:2382686376

  • 最初に買ってもらったレコードは


    *ひみつのアッコちゃん
    *黒猫のタンゴ
    *帰ってきた酔っ払い


    遊び物では、

    *仮面ライダーのメンコ
    *初めてこまを回せたときの嬉しかったこと。
    *りかちゃん人形とそのお友達
    *だっこちゃん
    *ゴム弾
    *高鬼
    *かごめかごめ
    *ハンカチ落とし
    *人生ゲーム
    *だるまさんが転んだ
    *ソフトボールを使ったピンポン

    食べ物では、

    *レディボーデンのバニラ
    *プラッシー


    給食では、

    カレーシチューが大好きでした。


    大晦日には、

    *レコード大賞
    *家族でトランプゲームをしながら紅白歌合戦を見る
    *行く年来る年
    *父が作った年越しそばを食べる
    *朝風呂に入る



    相撲観戦では、

    *輪島 vs 北の海   
    *貴乃花
    *高見山

    まだまだたくさんありますが、とりあえずここまで。

    ユーザーID:9272102677

  • たこ焼の思い出(s45)

    買い食いは禁止だったが唯一許されたのが「たこ焼き」
    10円もらって近所のおばちゃんがやっている店に買いに行きました。
    「薄い木でできた舟」に三つ入っていて10円、子供のおやつにちょうどいい感じ。
    この、「薄い木でできた舟」というのも知らない人多いでしょうね。
    それに近いのがささの葉で作る舟(←これも知らなかったりして)、それの木版、ってとこです。

    今やたこ焼きは大きさも大きく食べにくいものになってしまいました。
    昔は一口で入ったのに、今は二本の楊枝で割って熱い気を逃してから食べなきゃやけどしそう。
    でも、それじゃ片っ方にはタコが入ってももう片っ方にはタコ無いよ?…

    「大たこ焼き」の店が有名になったせいですね…。
    小さいたこ焼の方がよかったのに〜。
    たこ焼き屋さんは大きい方が手間が省けてよし、と言うところでしょうが。

    ユーザーID:9752285443

  • なつかしいな

    小学校時代
    夏は裏山で虫取り、竹ざおでフナ釣り、秘密基地作りなど。
    近所の子供集まって草野球、メンコ、こま回し、ビー玉遊び。
    女の子はゴムとびや、リリアン作りとかやってましたね。

    お小遣いは1日10円で、駄菓子を買ってました。100円持ってたら大金持ちの気分。
    カード付き仮面ライダースナック、およげ!たいやきくんやスーパーカーブームなんてのもありました。

    中学高では女子達がみんなピンクレディーの真似をし、男子はブルース・リーの真似に夢中。

    高校になると、松田聖子ちゃんを筆頭にアイドル全盛期時代。
    演歌も優れた作品が多かったな。

    楽しい時代でした。

    ユーザーID:7907686346

  • 老母と話しますと・・。

    昭和40年代生まれです。
    ちびまる子ちゃんと同時期に小学校を過ごしました。

    貧しい自営稼業の手伝いをしたり、
    母の手製のワンピースやセーターを着て、
    小さなテレビを楽しみ、
    レコードを聴かせてもらって。
    夏の夕べはお祭り。

    「でもなんだか楽しかったなあ。。」、
    と老母に申しましたら、
    その頃が母にとっては、
    嫁として暮らして、
    一番キツかった時期と申します。

    母にとっても、
    やはり「子供の頃」が一番良くて、
    例によって
    「家が貧乏で苦労して苦労して」から始まるんですが(苦笑)、
    「でもいろんな遊びをして楽しかったよ〜」
    と当時夢見た職業までニコニコ語ってくれます。

    母の昭和と、
    私の昭和と、
    ちょっと違います。

    そして、
    トピ主さんの昭和も、
    きっとちょっと違うんですが、

    ひとつだけ共通するのは、
    幼い日。

    遠い日は美化してしまうというリアリストな自分もついつい顔を出しますけど(苦笑)、

    幼い日はいつも、
    夕焼けのように美しい。

    平成の人が慎ましくないかどうかは私にはわかりません。
    昭和の心がどういうものかもわかりません。

    私はきっと良き人に恵まれているようです。

    ユーザーID:5018201636

  • 人と人との距離が近かった

    夏の夜にはどこの家の窓も開けっ放し。
    ステテコ姿のお父さんがナイター見てたり、小学生の兄弟が派手にケンカしてたり、結構筒抜けだった。

    昼間の玄関はどこも開いていた。
    主婦の在宅率が高かったので、いつ行っても留守な家は少なかった。
    専業主婦も多かったけど、内職とか自宅自営業も多かったから、お母さんは常に家にいた。

    道路にチョークで絵をかいて遊んでもだれも怒ったりしなかったなぁ。
    私は下町育ちだから、夕方になると道路でキャッチボールしたりする親子なんかよく見かけた。
    今だったら怒られてしまうのかしら。

    世の中のルールやマナーが今よりゆるくていい加減だった分、人はおおらかだった気がする。

    ユーザーID:6223831713

  • これも昭和

    ・墜落式トイレ(ボットン便所)
    ・バキュームカー
    ・光化学スモッグ
    ・合成着色料
    ・押し売り
    ・先生からのゲンコツ
    ・野球部の先輩からのケッパン
    ・路上やホーム線路上の吸い殻の数
    ・自宅周りの路上駐車

    ユーザーID:9156397969

  • 案山子さんは

    昭和30年代前半生まれの北海道出身かなとプロファイリングしてみました。
    東京生まれの私ですが、当時は都内でも氷が張るくらい寒かった憶えがあります。
    白黒のブラウン管TVがトランジスターのカラーになって、ロータリーチャンネルが
    ボタン式に変わりました。TVからチャンネルが外れて火燵から出ずに番組を変えられる
    ようになりました。リモコンチャンネルの登場です。ステレオ放送になって画面が
    大きくなりました。そして液晶TVの登場。放送はデジタルになってインターネットと
    融合して。。。。テレビ受像機だけをみてもこれだけの進化を実体験して来ています。
    不便であったから便利にしようと一生懸命頑張って工夫をして来たのですが、便利に
    なった分大事なモノを失って来た事も事実だと思います。
    温故知新は今こそ必要なのかも知れません。

    ユーザーID:8597842924

  • ボンネットバスは

    50のオッサンです。
    ボンネットバスはもうほとんどなかったけど、運転席のすぐ横にエンジンルームがあり、フロンドガラス下から室内に1.5mくらい楕円形のカバーが付きだした形のバスが多かったです。熱を出す度に町の小児科医へバスで連れて行かれてました。
    苦しそうにうなるエンジン音が好きで、積み木をバスに見立てて「ヴゥーっ」とうなりながら遊んでました。
    また方向指示器も電球じゃなく前方左右に槍の穂先型の指示器があり、運転手が操作するとピコッと90度起き上がってました。OFFにするとカバーの中にストンと戻るんですが自重落下のようでカバーに入りきらず半分はみ出して止まっているのが子供心にイラッとしてました。押して中へ入れたいっ
    車掌さんが配る乗車整理券が、赤くてぺらぺらに薄い紙に番号が印刷してあるものでした。

    ユーザーID:4718158963

  • おそらくすでに消滅した習慣 −食事中の方、御免なさい

    それまでは街中の水洗化された家で暮らしていたのが、父の転勤の為田舎(・・・に思えた)に引越し。庭付き新築一軒屋(社宅)でありましたが、お手洗いは汲み取り。母はいつも文句をいっていました。

    そんなある日、3歳になったばかりの私が、お手洗いを使用後、どうしたわけか足元が狂い、便器の中へあわや墜落。

    とっさに両手を床につけて体を支え、宙吊りのまま母を大声で呼びました。子供向けの本で読んだ、体操の小野選手の吊り輪の十字の姿勢で頑張るんだ・・・なんて思っていたことを記憶しています。

    母がすぐに飛んできて、事なきを得ましたが、残念ながらお気に入りの紅いトイレ用スリッパ(確かウランちゃんの絵がついていた)は片方墜落。くやしかったなあ。

    その後興奮冷めやらぬ母が、離れて暮らす私の祖母に電話でその話をしたところ、「そういう時はお赤飯を炊いてお祝いするものです。」といわれ、その日の夜はお赤飯でありました。

    その昔はやはりその手の事故も多かったんだろうなあ・・・と思わせる、恐らく今では消滅した昭和(明治、大正かも)の習慣でありました。

    ユーザーID:1223509359

  • チョコレート

    昔のチョコレートは、まずかった。
    いや、今のほうがチョコレートを造る技術が向上したのだろう。

    夏になるとチョコレートが溶けるので、冷蔵庫に入れた。
    すると、表面が粉をふいたように白くなった。
    それはおいしくなかった。

    ユーザーID:3311059398

  • トピ主です

    皆様、レスまことにありがとうございます。

    Will様まで拝読しました。
    馬の尻尾様ご明察の通り、私は昭和30年代前半生まれの道産子です。


    皆様のレス、楽しく興味深く読ませて頂いています。

    人の数だけ、様々な昭和がありますね。
    また、昭和に対する認識も各々で、どれが正しいとかではなく
    個々に違う、それで良いと思っています。


    読んでいて、子供の頃好きだった食べ物を思い出しました。

    ・母が摘んで作ってくれたヨモギ餅
    ・カツゲン
    ・味噌パン
    ・ガラナ
    ・ビタミンカステラ
    ・マルチャンダブルラーメン
    ・ほくほくのジャガイモにバターをのせて
    ・今ほど甘くはなかったけれど、何本でも食べられたトウキビ
    ・3時のおやつに出て、饅頭が食べたいと言って怒られた(泣)、毛蟹…等々

    ユーザーID:8711443859

  • 全力な昭和に思いを…

     おじいちゃんがいておばあちゃんがいておとうさんおかあさん、お姉ちゃんに優しい従姉にちょっと怖い従兄弟。
     末っ子だった私は、いつも甘ったれてわがままばかり言っても許されていたいい時代?でした(苦笑。

     アニメではあっこちゃんにサリーちゃん、メグちゃんなんかもいましたね。リボンの騎士って、今思ってもモダンです。
    けんけん、縄跳び、ゴム飛び。雨の日は家でお手玉、トランプ、紙でできた着せ替え人形。祖父に習った将棋。全力で取り組んでいました。

     夏休み、ラジオ体操の出席のハンコをもらうのが嬉しくて、皆勤目指してこれまた全力で取り組みましたが、ある日うっかり寝坊し、母に何故起こしてくれなかったと、涙とともに全力で訴えたことも。

     寒い時季、そろばん塾での帰り道、パン屋兼駄菓子屋さんで、肉まんやあんまんをはふはふ食べて幸せでした。

     私も、昭和とは、幸せな子供時代、青春時代そのものです。
    実家には、まだ当時のレコードにカセットテープが残っています。今はそれらを聴く術を持ち合わせていません。

    ユーザーID:0701146259

  • 合格発表

    合格発表の光景は様変わりしましたよね。
    昔はかならず、テレビのニュースで合格発表の風景が放送されていましたけど、今はどうなんでしょうか。

    私がおぼえているのは、電話ボックスに並んでいる長蛇の人の列。
    早く結果を知らせたくて、ウズウズしている様子が伝わってきました。

    ユーザーID:3311059398

レス求!トピ一覧