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「赤穂浪士」についてお教えいただけますか

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生活・身近な話題

アジサイが好き

トピを開いて頂きありがとうございます。

「赤穂浪士討ち入りの日」が近づいてきました。
12月は「忠臣蔵」のドラマや本を見ないと落ち着きません。

ドラマは、おおよそストーリーが決まっており、新鮮味もないのですが
何故か見てしまいます。
判官びいきの日本人という事でしょうか。

大石主税が、母と別れる所や、僅か16歳で命を果てる所
では涙腺全開・・

しかし、事の事実はどうだったのかは、定かでは無く
お芝居本の通りでない、裏事情があった事と思います。


そこで皆様にお聞きしたいのですが、
「赤穂浪士」に関する様々な言い伝え等ご存知でしたら、
お教えいただけますか。

そして、赤穂市と吉良町を巡る関係はいかがなのでしょうか。

様々なご意見お待ちしております。

ユーザーID:2132250296

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  • 確か

    浅野家と吉良家の末裔同士 結婚してるんじゃ無かった? 違ってたらゴメンなさい

    私も赤穂浪士大好き

    ユーザーID:8436529950

  • 末裔の方は演歌歌手

    私も忠臣蔵ファンですよー。赤穂、泉岳寺、吉良邸全部行きました。

    さて、私の知ってるネタは大石さんの直系の子孫の方は演歌歌手で
    ステージでは、「我が家はずっと奈良です」とおっしゃっていました。
    世間の話では京都になってますよね。

    ユーザーID:0511918342

  • 徳川が便乗

    1浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた動機は仮説ばかり。
    247士のうち17名も幕府枢要地点の麹町に潜伏できた。
    3松の廊下後、吉良家は警護盤石の呉服橋を追い出され、
     警備不備の本所に移された。こんなこと可能なのは徳川しかない。
    3吉良を討ち取ったあと徳川ゆかりの泉岳寺に入った。墓も。
    4その後名門吉良家は徳川によって抹殺された。
    5これらについてそもそも矢作川干拓がらみで徳川は吉良
     を疎んじていたとか。徳川からみれば忠臣蔵は吉良潰し
     のきっかけであった。
    とはいえ忠臣蔵は国民の大きなアイデンティティを得ている。
    とまあこれらは、竹村公太郎氏の「日本史の謎は地形で解ける」
    で説得力をもって記載されている。

    ユーザーID:2382804501

  • 知っている範囲で

    浅野内匠頭(漢字に自信なし…)は、
    実は持病持ち(気の病)で、だから子供もなく、大石内蔵助も江戸での生活を心配していて、それが現実となってしまったと何かで知りました。
    吉良上野介はお国元ではかなりいい領主であり、家臣や民から慕われ、尊敬されていたことは有名です。

    ユーザーID:6631364690

  • 言い伝えが知りたいのですか?

     質問が明快ではないので困りました。

     赤穂浪士事件については、かなり真実に近いところがわかっていますよ。
     「歌舞伎・芝居・テレビドラマ・映画」の、面白くするために創作した部分を全部洗い流し、「あんなことはなかった」とそぎ落として、事実だけを調べて書いている本が沢山あります。

     そういう方面にご興味があるなら、一度図書館へ。

     一般のテレビドラマは、ほぼ嘘です。いや、創作です。
     大体、あの夜は雪は降っていないし、討ち入りした時には吉良家の家の周辺で見ていた人が沢山いるのですよ。前夜の雪が残っていたのでした。
     相手に悟られないように討ち入るのに陣太鼓を叩くのも変でしょ?

     わからないで困っているのは、上野介に斬りかかった浅野内匠守の「日頃の恨みおぼえたか!」の「恨み」が何かということですね。

    ユーザーID:7464141724

  • 現代にそぐわないフィクション

    仇討といってももうピンとこないでしょう。時代劇も見られなくなり、儒教も朱子学もなじみがありません。
    そもそもこれが仇討かどうかも定かではなく、一方的な逆恨みによる大量殺人事件とも言えます。
    当時は幕府にたいする反感があり、赤穂浪士の行動に快哉を叫んだのでしょうが、現代からみれば、お涙ちょうだいの脚色演出過多にしか思えません。
    テーマは主に対する忠誠心でしょうか。どんなバカ殿でも法的に認められなくても忠誠を尽くすことが褒められるという話ですね。会社に対する忠誠心とシンクロしている時代は良かったのかもしれません。

    今の私には、一方的な逆恨みから吉良を討つ様々な努力が異様で残虐に見えます。
    もう現在にはそぐわないフィクションだと思います。

    ユーザーID:2540874786

  • 怜です。またまたお邪魔します。

    どうもアジサイが好きさんとは好みが似ているのかな?と勝手に思っています(笑)

    さて、赤穂浪士ならいくらでも語れる私です。
    諸説には本当に様々あって、中にはそれが史実ならちょっとさびしいな…と思う事柄もあります。

    例えば、討ち入りの日の装束はあの有名な火事装束ではなく、普通の着物であったこと、
    また映画やドラマのように浪士一人々に名前入りの襷など付けなかった、討ち入りの際の陣太鼓など打つ筈がない
    (打つと夜襲の意味がない)等々。

    なので私は自分の好きな「マイ忠臣蔵」像を持っています(笑)。
    これまで沢山の物語が放映、上映されてきましたが、私が秀逸と思っているのは(と言っても1980年以降のものになりますが)
    1985年、読売テレビで放映された里見浩太郎さん内蔵助、風間杜夫さん浅野長矩、多岐川裕美さんあくり…のものです。
    各人物のキャラクターと俳優さんが見事にマッチしている逸品だと思います。

    尚、赤穂市と吉良町の関係ですが、ごく最近友好関係が結ばれたというニュースを見ました。
    吉良町の人々にとっては、名君を賊扱いされて長く苦しい年月だったようです。

    ユーザーID:2334435784

  • レスします

    忠臣蔵はフィクション、芝居の「仮名手本忠臣蔵」の通称です。
    元禄赤穂事件は史実。その辺を分けて考えましょう。

    ユーザーID:9796925800

  • 神崎与五郎の詫び状!

    箱根の旧街道に、甘酒茶屋というお店があります。
    赤穂浪士の神崎与五郎が馬子に言いがかりをつけられた時、大事の前の小事として我慢し、詫び状を書いた茶屋です。
    箱根にお出かけの際はぜひ立ち寄ってみてください。

    忠臣蔵、いいですよねぇ。
    私も大好きです。
    「徳利の別れ」「日野家用人・垣見五郎兵衛」「天野屋利兵衛は男でござる」等々・・・
    フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。

    私も今までいろいろ見ましたが、里見浩太郎さんの忠臣蔵が一番好きです。
    一番心に響いています。
    トピ主さん、もしまだご覧になっていなければぜひ!

    ユーザーID:6280349764

  • 人間ドラマ

    アジサイが好き様、おはようございます。

    今朝も調べもので、この時間になりました。

    このレスを書いたら、4時間程寝ようと思っています。
     

    さて、「忠臣蔵」。
    私も好きです。
    私は「人間ドラマ」として捉えています。
    浪士とそれに関わった人々の苦悩と決断。
    それはどんな時代になろうと見るべきものがあるだろうし、深い感動も生まれてきます。
    アジサイが好き様が、「忠臣蔵」がお好きなのは、そういう意味もあろうかと思います。

    怜様の「マイ忠臣蔵」、アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」というレスに共感します。


    どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。

    心豊かなアジサイが好き様だからこそ、様々な場面で感動されるのでしょうね。

    ユーザーID:0513908108

  • 各々がた様  忠臣蔵ファン 様へ

    お二方、レスありがとうございます。

    そういう事実があったなんて、知らずにおりました。

    直系のご子孫様の事わかりました。
    ありがとうございました。

    お二方とも熱心なファンとお見受けいたしました。
    これから、寒い日が続きますが、
    お身体を大事にしてくださいね。
    レス、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • 頑固堂さま、たまに様 Mr.ますりん さま

    お3人様レスありがとうございます。

    「忠臣蔵はフィクション、芝居の「仮名手本忠臣蔵」の通称です。
    元禄赤穂事件は史実。」・・
    この件は存じておりまして、中学生の頃百科事典で調べました。
    その後もおりに触れテレビや新聞本などで触れてきました。

    「日頃の恨みおぼえたか!」、この点が釈然としませんね。
    とても気にかかる事です。

    「現代にそぐわないフィクション」かもしれませんが、
    時を超え時代を超えてなお多くの大衆に支持されるのは
    どう云う事なのでしょうか・・

    確かにお涙ちょうだいの「大衆迎合」の物かもしれませんが、
    高い所に鎮座している人よりも、大衆の方が事の真実を
    つかんでいたかもしれませんね。・・

    何の詮議も受けることなく自刃に追い込まれた、
    不正義はいかがなものでしょうか・・
    御定法に乗っ取った裁きがされていれば、
    後の事件は起こらなかったかもしれませんね。

    そこの「不条理」が多くの貧しき人間の心を
    つかんだのではないでしょうか。

    「忠誠心」「真心」に人々は感動するのではないでしょうか。

    ユーザーID:2132250296

  • 別の見方

    忠臣蔵の浅野家側からだけでなく吉良家側の立場からも
    見てみると面白いと思います。

    他の方も書かれていますが、吉良上野介は地元では名君
    だったそうです。

    しきたりや作法の分からない人間(しかも石高は断然上)
    に手取り足取り教えているのに、飲み込みが悪すぎる
    バカ殿様に逆ギレされたらたまったものではない。

    この様な別の観点から書かれたドラマがあっても良いのに
    と毎年思っています。

    ユーザーID:9075985738

  • ヨコですが

    旧吉良町の映画館では、平成まで『忠臣蔵』ネタの映画がかからなかったと聞いたことがあります。
    吉良上野介は正室一筋の名君だったそうですしね。

    忠臣蔵ネタではいろんな小説がありますが、
    わたしが好きなのは山田風太郎先生の『忍法忠臣蔵』と
    藤沢周平先生の『用心棒日月抄』かな?
    すたれたとはいえ、絶対毎年忠臣蔵ネタの小説が出ますよね。
    あー、そういう解釈があったのかって。
    興味は尽きません。

    ことしの赤穂の義士祭では、祭を始めて110周年記念で
    内蔵助に松平健氏、実況に浜村淳氏(関西で知らぬ人はいないパーソナリティ)が出演されるそうですよ!

    ユーザーID:1094981318

  • ご定法?

    ご定法? 
    殿中で刀を3寸抜いたら、領地没収の上、切腹がご定法でしょう。
    井沢元彦著「逆説の日本史第14巻」に詳しく出ていますよ。
    今日、図書館で借りてきて読んでいます。

    ユーザーID:9796925800

  • 混同

    忠臣蔵を史実として捉えられているようですが、殿中後ろから切りかかった浅野長矩に理はないわけで、喧嘩両成敗の喧嘩にもなっていません。
    「不条理」さは感じられず詮議のあるなしにかかわらず切腹は免れません。浅野長矩自身が幕府に思うところはなく吉良への「個人的遺恨」と言っています。
    吉良義央への仇討というのも変な話で、訳のわからない「個人的遺恨」を家来がかわって私的制裁を加えることは仇討ではないでしょう。
    ときに憎々しげに演出される吉良義央ですが、刀傷を多数受けて倒れていて探し回ってようやく確認できたという話もあり、討ち入りに際し隠れていたのではなく精一杯応戦していたという話もあります。
    わけのわからない「個人的遺恨」で切り付けられ、一方的に追い詰められ討たれた吉良義央こそ最大の被害者です。
    しかし話作りの演出で勧善懲悪のお涙ちょうだい物語になり、合理的精神を欠いた話を繰り返し見せられてきたことは少なからぬ悪影響もあったことと思います。情に訴えられればどんな行為でも美談になると。

    ユーザーID:1130163179

  • 怜様へ

    怜さまお久しぶりです。
    本当に怜さまとは好みが似ていますね。
    真っすぐで、融通がきかず、ボーとしてませんか。
    そして、神経質で頑張り屋さんの様な気がします。

    「討ち入りの日の装束はあの有名な火事装束ではなく、普通の着物であったこと、
    また映画やドラマのように浪士一人々に名前入りの襷など付けなかった、討ち入りの際の陣太鼓など打つ筈がない
    (打つと夜襲の意味がない)等々。」・・・
    確かに・・寝ている子も起きてしまいます。

    恰好はともかくとして、討ち入りは間違いなく会った事実ですね。
    怜さまの「なので私は自分の好きな「マイ忠臣蔵」像を持っています」・・
    というお気持ち解りますよ。


    「1985年、読売テレビで放映された里見浩太郎さん内蔵助、風間杜夫さん浅野長矩、多岐川裕美さんあくり…のものです。」
    私も観ておりましたが、丁寧に描かれていたという印象でしたね。

    私のお勧めは「女たちの忠臣蔵」・・愛する夫・恋人・息子との別れの中で、耐え忍んでゆく女たちの生きざまに
    涙しました。

    怜さま、他の話もお願いします

    ユーザーID:2132250296

  • アンマンマン様へ

    アンマンマン様「神崎与五郎の詫び状!」のお店、ぜひ行ってみたいです。
    それにしましても、箱根は今でも往時の雰囲気のままというような所もあって、
    何だかタイムスリップしそうです。

    「「徳利の別れ」「日野家用人・垣見五郎兵衛」「天野屋利兵衛は男でござる」等々・・・
    フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」・・

    私も同感です。史実をある程度わきまえたうえで冷静な目でみれば、
    何ら問題ないと思うのです。
    討ち入りに至るまでの葛藤・・お芝居以上に凄まじいものが、あったかもしれません。
    様々な角度で想像して描かれる事により、より身近に感じる事が出来ます。
    大石主税の若すぎる死は、年を経るたびに悲しく辛いものになります.
    私など、只命を長らえただけで、何ら進歩もしていないと言う自負にかられています。

    やはり、里見活太郎さんの物が秀逸という事ですね。

    こういう風に支持して頂けるお芝居に関わった方々も、
    役者冥利に尽きますね。

    アンマンマン様、ありがとうございました。 

    ユーザーID:2132250296

  • 案山子様へ

    案山子様レスありがとうございます。
    私の思いを見事表現してくださいました。

    「私は「人間ドラマ」として捉えています。
    浪士とそれに関わった人々の苦悩と決断。
    それはどんな時代になろうと見るべきものがあるだろうし、深い感動も生まれてきます」・・

    これ以外にありませんね。
    事実を踏まえたうえでの、様々な角度からの見方というものがあって良いのではないですか。
    但し一方的に決め付ける事は、狭量になってしまうと思いますし、不遜な物言いは、
    様々な状況に鑑み失礼にあたると存じます。

    「怜様の「マイ忠臣蔵」、アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」というレスに共感します。

    どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。」・・

    案山子様の思いに深く共感いたします。

    読んだり観たりする人の心根が優しければ、良きものはより良く感じられるでしょうし、その逆であれば何の意味も持たなくなる・・

    世の中の営みでも同じことが言えますね。



    ユーザーID:2132250296

  • 小説だけれど著者の意見が面白い

    五味康祐著「薄桜記」おすすめです。
    小説なのですが、浅野の殿様の気質や他の人物の置かれていた立場などを著者がリサーチの上での推測と説明に多くのページ数をさいてあり、ただの小説という以上に面白いです。
    昨年放送されたNHK BS時代劇「薄桜記」は、恋愛系切なさ満載であれはあれで良かったけれど。
    ぜひ小説をお読みくだされ。

    ユーザーID:1487991540

  • レスします

    フィクションの方ですが、吉良さんは悪者でなければ意味がないですね。賄賂をがっちりもらって鮒侍をイビッてもらうと盛り上ります。

    今月、有料のBS放送で昔の忠臣蔵の映画を放映するそうで楽しみです。

    ユーザーID:9796925800

  • maxさまへ

    maxさま、別の見方という事に共感いたします。
    立場変わればという描かれ方も観たいですね。
    そして、討ち入りに加わらなかった他の赤穂藩士
    から観た討ち入りについて・・

    幕府内部からの描かれ方などがあれば、より一層
    討ち入りについて見てみればと思います。

    つい最近の記事で、「討ち入り」の様々な文書が公開されるとありました。
    事実は事実として受け止めた中で、表現者の様々な思いも受け止めたいですね。

    余りにも、偏った一方的な見方は慎みたいと自戒です。

    ユーザーID:2132250296

  • 赤穂藩士

    赤穂浪士といえば四十七士ばかりが取り上げられがちですが、当然それ以外にも主を失った多くの浪人たちがいます。
    その者たちの一部か多くかはわかりませんが、この地に落ちて参りました。
    一説によりますと、内蔵助率いる一軍の四十七士が吉良を討ち損じた時には、再度討つため密かに準備を進めていた二軍のグループがありました。
    そのリーダーもどういう縁戚かわかりませんが大石氏といい、今でもこの地に大石さんは住んでいらっしゃいます。
    幸か不幸か一軍が思いを遂げることができたので、流れて来たその者たちはこの地に安住し、赤穂秘伝の塩づくりを始め、製塩の環境もよかったこともあって、その後この地は全国一の製塩業の町となりました。
    かく言う我が家も、討ち入りしなかった赤穂浪士の末裔と聞いています。

    ユーザーID:1738546699

  • 語感の及ぼす影響

    史実としての「赤穂事件」及び吉良、浅野両者の間に存在した真実など、専門の学者によっても諸説あり、
    まして一般の読者視聴者に過ぎない私達が聞きかじりの知識であれこれ論じた所で、所詮身びいきの方に肩入れするよりほかなく不毛な事だと思います。
    仮に両者にここで経緯を聞けたとしても、その2人にさえ受け止め方やそれまでの双方の中の常識等に左右されて
    齟齬が生まれていたのでしょうから、結局自分の好きな「赤穂事件」として収めるしかないのだろうと思うのです。

    そういう中にあって、私は吉良という名前を聞くと自動的に他国の妃、「マリーアントワネット」を連想するのです。
    彼女もまた、あまりにも有名な実在した人物であって、尚悪評高い事で吉良と似たようなイメージを持つ人です。
    そこで思うのですが、吉良にしてもアントワネットにしても、悪役として定着した理由の一つに、名前の語感から来るものもあるのでは?と思いました。

    「キラ」「アントワネット」共に独特の響きがあり、仮に吉良がもっと別の平凡な姓であり、仏妃もオーストリア発音の「アントニア」であったら後世のイメージも違ったのでは?と思うのです。

    ユーザーID:2334435784

  • 続き

    先に述べた「登場人物の名前の語感によるイメージ」という、私の独断に満ちた考え方にもう少しお付き合い頂きたいのですが、
    赤穂事件最大の争点である「松の廊下に於ける刃傷事件」の際に関わった徳川将軍が、あの綱吉であった事も
    事件が過剰に浅野側への同情を惹いた一因になったのでは?とも考えています。

    綱吉は言わずと知れた天下の悪法、「生類憐みの令」を発令した徳川15人の中でも悪役のイメージが強い将軍です。
    これが関与したという事で余計に浅野への同情が大きく票を獲ったのであり、これがもっと賢君として名高い将軍、
    例えば6代家宣などであれば、世論も違ったのでは?と勝手に想像しています。

    その綱吉も、見方によっては学問を推奨し、文化の発展に大いに寄与したという事で評価する向きもある位なので、
    後世の人間がダメ将軍というレッテルを貼っている割には長所もあった可能性も大いにあります。
    つまり、赤穂事件は良くも悪くも余りに登場人物がよく出来ており、故に世間の関心も根強く高いものを保ったいわば「稀有な事件」とも言えるのでは?と思っています。

    ユーザーID:2334435784

  • お話

    >お芝居本の通りでない、裏事情があった事と思います。
    当たり前だけど
    仮名手本忠臣蔵と元禄赤穂事件は違うし、
    仮名手本に出てるのは、「大星由良助義金、塩冶判官高定、高師直」ですよ。

    で、元禄赤穂事件があったのは1703年1月30日で12月ではありません。

    12月は「仮名手本忠臣蔵」ね。

    ユーザーID:1728627762

  • 平成の世に…

    吉良さんは悪者でないと許されない風潮ですよね。
    でも平成になった今でも、吉良の町の方たちは菩提寺である華蔵寺のお墓を欠かさずお掃除されています。子孫、家臣ではなく、領民によって墓守を今でもされているって、それだけでお人柄、家柄が偲ばれると思うのですが…。
    かく言う私の親戚もその地に嫁いで以来、欠かさずお掃除をしています。

    ユーザーID:5979955564

  • 私も好きです

    私も「忠臣蔵」好きです。

    一時ハマって色々読みまして、
    綱吉の側近、「柳沢吉保」の陰謀説が
    面白かったです。
    吉良は吉保にとって、目の上のタンコブだったようです。
    なるほど〜 
    吉保ならこの位するかも・・な〜んてね。

    ぜひ大河で吉良方から見た忠臣蔵をやってほしいです。
    吉良家の家老、色部又衛門・・又四郎・・だったかな?
    (すみません、忘れました)

    最も最近の大河は薄っぺらいですが。
    脱線失礼いたしました。

    ユーザーID:0842674839

  • アラフォ振袖さま

    レスありがとうございます。

    12月になりますと「忠臣蔵」「赤穂浪士の討ち入り」が頭をよぎります。
    憶測ばかりではなく「真実は・・」と気になる所です。

    「あー、そういう解釈があったのかって。
    興味は尽きません。」・・

    アラフォ振袖さまと、同じ感想を持っております。


    「ことしの赤穂の義士祭では、祭を始めて110周年記念で
    内蔵助に松平健氏、実況に浜村淳氏(関西で知らぬ人はいないパーソナリティ)が出演されるそうですよ」・・

    華やかな「義士祭」になる事でしょうね。
    浜村淳さん、軽妙な語り口で素敵な方ですね。
    各地に様々な時代祭りがありますが、
    「義士祭」は格別な思いの中に
    行われるのでしょうか。
    何時か、行ってみたいです。






    ユーザーID:2132250296

  • マサ様へ

    レスありがとうございます。

    何だか感無量です。

    「四十七士がスポットを浴びているが、その陰に多くの浪士、家族がいたはず」
    「上級武士や、仕官で来た人は良いが、そのほかの人はどうなったのだろう」
    気になっておりました。
    「一説によりますと、内蔵助率いる一軍の四十七士が吉良を討ち損じた時には、再度討つため密かに準備を進めていた二軍のグループがありました。」・・
    この話は有名のようですね。

    調べましたら、、群馬、山梨、山形に家老、大野九郎兵衛の御墓や供養塔があります。
    事の真贋はわかりませんが、驚かされました。

    「善光寺一山の景勝院の中庭は『忠臣蔵』赤穂浪士の1人大高 源五(子葉)による作庭だと伝えられています。

    赤埴 源蔵の父は塩山十左衛門といって、飯田藩5万5千石・脇坂家に仕えていた。
    その脇坂家が寛文12(1672)年、転封で播磨(兵庫県)龍野藩へ。
    そして源蔵は隣藩の赤穂・浅野家の赤埴家養嗣子となった。」・・

    このような記事を見つけ、ドキドキし、

    世間は狭いという事を実感しております。





    ユーザーID:2132250296

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