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「赤穂浪士」についてお教えいただけますか

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  • 運命とはいかに過酷なものか・・

    じんべえ様のレスを読んで、武士の家に生まれたが故に16歳の命を散らせねばならなかった、
    大石主税の心境は、いかばかりだったのかと考えますと、胸ふさがれる思いです。

    「赤穂義士」との出会いは小学校高学年の時でした。自分と幾つも歳の違わない人たちが、
    大人に交じり戦い命果てて行く・・太平の世に生まれた自分との違いに、愕然としたものでした。

    「散り行くものの美学」と言うにはあまりにも残酷な定め・・

    討ち入りから切腹までの2か月は、様々な思惑に彩られた日々で、
    最後は各々の体面が保たれた結果となったのですが、
    只吉良義周は、改易諏訪蟄居となり数年後に亡くなり、
    寂しい一生となりました。

    私は、10代の若かりし頃、何時も焦燥感に駆られていました。
    何も考ず只周りに流され、生きて行く事の虚しさ貧しさに辟易
    そんなことを言えば、「変わっている」と言われそうで
    心に封印・・

    今は誰はばかることなく「赤穂義士」について、皆様との交流が出来ます事
    嬉しく存じます。

    ユーザーID:2132250296

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  • 武士に生まれてしまったがゆえの運命

    「あら楽し、思いは晴るる身は捨つる、浮世(憂き世)の月にかかる雲(苦も)なし」     内蔵助 辞世
     主君がおこした事件からおよそ二年のあいだ、内蔵助の心境はまさに悩みと決断の連続だったと思います。たとえ切腹を命じられたとしても、彼らにとっては想定内のことなわけで、辞世には日々の憂いからやっと開放されるという安堵の思いがこめられています。しかも浪人の身でありながら主君のそばに葬られることが認められたことは、犯罪者ではなく赤穂浅野家家臣として死ぬことを意味しており、彼らにとっては十分に納得のいく裁きだったことでしょう。各藩から助命の嘆願があったにも関わらず、「武士として死なせることこそが彼らのためであり、世の中のためにもなる」という荻生徂徠の考えは、武士は死ぬときも武士らしい責任の取り方をするのだという点で、とてもよい判断だったと思います。

    ユーザーID:1906091897

  • 新年を迎えて

    討ち入りから、早ひと月・・・
    新年を、義士たちはどのような心境で迎えた事でしょうか。
    細川家他4家にお預けになった義士たち・・

    衣食住には、恵まれてはいたものの、その心中は・・
    大義を果たした、使命感と命長らえている事への複雑な心境、
    自分に置き換えてみましたら、一日ごとに生への執着が湧きでて
    悶々としそうで・・

    当時、識者の間でも意見が割れ、処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣・浅見絅斎などが賛美助命論を展開、徂徠は義士切腹論を主張し、最終的に切腹となったのですが、その間の2か月の心境を毎日考えています。

    寒い毎日で、外出もままならず、庭には咲く花とてない、モノトーンの世界・・・
    残した家族を思い人知れず涙していたのではなどと考えますと、
    やるせない思いでいっぱいになります。
    切腹まで、あとひと月・・・

    非日常的な生活など、考えも及ばずにいますが、
    自分がその立場に置かれたらと思いますと、一日一日を無駄に出来ない・・

    こんな風に、穏やかな日々を送れる事を、素直に喜ばなければいけませんね。

    ユーザーID:2132250296

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  • 武士って大変

    何かの本の受け売りですが、当時の身分制度は庶民を押さえ込むためのものではなく、武士たちに責任を持たせるためにできたらしいです。
    農工商のうち農民と職人が上なのは、社会にとって必要なものの生産に関わるから。商人は身分が低いかわりに流通や金融で実利を得られるから下。
    では、年貢を取り立てるだけで何も生産せず、流通や金融で利益を得ることもない武士がどうして一番上なのか? それは世の中を治め、社会の安全を守る責任を負っているから。武士にとって何より大事なのは、お家と自分の面目。これを汚されたときに彼らはメンツを守るために大刀を抜きます。そしてもうひとつの小刀のほうは、自らが責任をとらねばならなくなった時、つまりは切腹のときに使うもの。武士は世の中に対して重い責任を持つ立場であることを自覚させるために腰に大小を差すことを許されていた。そして、そのことをしっかりと身に着けさせるために、子供のころから徹底して論語を暗記させたのだそうです。そうでもしないと、戦国時代のように「力には力をもって対抗する」ような時代に逆戻りする恐れがあったのでしょう。武士って思ったより大変な職業だったんですね。

    ユーザーID:1906091897

  • 年の瀬の忠臣蔵

    昨日のテレビ番組に黒鉄ヒロシさんが出ておられ
    「忠臣蔵」について語っておられました。

    黒鉄さんは「大石内蔵助」は「自分に恥ずかしくない生き方をされた方」
    そして、計画性・資金管理能力・情報収集能力に極めて長けていたとおっしゃられました。

    討ち入り前の出納帳には691両、現在の金にして1億3280万円の支出があったと記載されています。

    そして、討ち入りは徳川幕府が出来て100年たっての頃で、
    太平の世で武士道精神が揺らいでいた時に起こった・・
    そしてその130年後に「大塩平八郎の乱」が起こったとおっしゃられ、
    今まで知らずにいた事を学ぶ事が出来ました。

    そのテレビ番組を見ながら、家族とも話したのですが、
    最初何の調べもせずに、いきなり切腹というのはおかしい、
    「冤罪」の可能性だってあるのではないか。

    「テロ」云々は後付けであって、

    そこで、きちんとした調べが行われており、
    両者の話をきちんと聴いいた上での、正当な判断であれば
    後の悲劇も防げたのではないか、という所に行きつきました。

    「命の重みは皆同じ」

    ユーザーID:2132250296

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  • 年の瀬に往時をしのび考えた事

    本年も押し迫ってまいりました。

    赤穂義士の事を調べれば調べるほどに奥が深いものがありますね。
    当時から、真っ二つに割れた意見が現在も尚続いている・・

    それだけでない様々な事象を目にするにつけますと、
    事の重大性を再確認しています。
    たとえば、明治天皇の「宣旨」に至っては驚きの一言でした。
    それぞれの思いの中の「赤穂義士」・・・

    それにしましても、初動での対応が違っていたらという思いが
    改めて強く感じます。

    「多くの命と悲嘆にくれ路頭に迷った家族」の事を考えますと
    余計その思いが募ります。
    そして、諏訪に流され若い命を散らした吉良義周・・

    討ち入りの後、大名家にお預けとなっていた46人は年の瀬を
    どのような思いで、過ごしていた事でしょう。
    そして、住む地を追われ流浪の民となった「旧赤穂藩士の家族」は、
    吉良公傍に仕え亡くなられた方々のご家族は・・

    歴史の片隅に、悲嘆にくれての生涯を終えていった方々が
    いるのではないかと考えますと、胸が痛みます。

    ユーザーID:2132250296

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  • 堀部安兵衛

    堀部安兵衛は新潟県新発田市出身です。
    高田馬場で仇討ちの助っ人をして
    浅野家家臣の家に婿入りして。
    高田馬場での事がなかったら堀部安兵衛の一生は変わってたのでしょうね。
    地元の新発田市では堀部安兵衛は英雄です。

    ユーザーID:9504857232

  • あの日、松の廊下で

    ここで様々な知識や考察を拝見することができて
    興味があるものとしては
    発見が多いトピです。

    ですが、
    私はどこかで読んだこの一文がツボに入っています。
    「忠臣蔵?ひとりのじーちゃんを47人かかって
    ボコボコにした究極のイジメだよね」
    た、確かに…
    実は討ち入りの日に泉岳寺にお参りに行ったこともありますが、
    (すごい人と線香の煙で大変でした!)
    若くして死んだ方の墓をみて
    大石さんこそがヒドいオヤジだなと思いました。

    47人かどうか、動機は、はどうでもいいです。
    結果として死者が大勢出てしまった。
    それに何だか興ざめしてしまいました。
    気に入らなかったら呪い殺そうぜ!江戸時代なら!
    とか、ポップに思ってしまった私は
    バチあたりで軽すぎなんでしょうか…

    ユーザーID:5219816609

  • この事件の結果は

    二代将軍秀忠のころにはじまった大名家の取り潰しは家光のころがもっとも多く、五代綱吉のころにも続いていました。この間、取り潰しによって浪人となった者のうち、かなりの割合が江戸に流れ込んでいて、赤穂浪士が行動に出れば、それをきっかけに江戸中の浪人たちが決起することを幕府は恐れていたと言われています。
    それを裏付けるように、この討ち入り事件以降、大名家の取り潰しは急速に減っていきました。みずからの命を懸けた赤穂浪士の行動は、結果として幕府の政策に対する抗議にもなり、十分に効果があったことになります。
    彼らには職業選択の自由はなく、武士以外に生きていく道もほとんどなかった。だからこそ討ち入りを実行するしかなかったとも言えます。

    ユーザーID:1906091897

  • 訂正します

    吉良義周は上野介の実子ではなく孫でした。上野介の嫡男は義周の父親の上杉綱憲。上杉家と吉良家は大名と旗本の違いはあるものの、互いに歴史ある名門ということで血縁を深めたようです。
    この義周にはまったく落ち度はないのに、事件への対応がまずかったという理由で改易になり、まだ18歳の身で信州諏訪に蟄居。数年後には病死しています。とんだとばっちりですね。この元禄赤穂事件の最大の被害者といえるのかもしれません。

    ユーザーID:1906091897

  • 討ち入りを傍で観ていた人

    その人の名は、佐藤條右衛門一敞(じょうえもんいっしょう)といい
    堀部安兵衛の従兄弟です。その人が書いた文章『浅野内匠頭殿 御家士 敵討一件』についての要約・・

    ・佐藤條右衛門派討ち入りに同行し、吉良邸の周りを警護していた。
    ・ 義士が戦っている間は、吉良邸の周りを見回り、監視を怠らなかった
    ・討ち入りの真っ只中、地元の夜廻りと見える者が通り、その者たちは、浅野の浪人の討ち込みであることを知っていたという。
    ・討ち入りのさなかの午前4時頃、商人らしい3人がやってくるのを目にした。3人のうちの一人は、厄介事が及ぶのを恐れたのか、吉良邸内での大騒ぎを「年の瀬なので、すす払いでもやってるんですかね」とトボケた。
    ・ 泉岳寺で 夕方になって、佐藤が「これからどうするのか」尋ねると、安兵衛は目的を達成した安堵感からなのか、笑いながら
    「切腹 切腹」と言った。

    町民も討ち入りの最中に、往来しているという、映画などとは違う事実に驚かされると同時に、
    そして、救護班の医者まで待機していた、という事に驚愕し討ち入りに対する、
    感心の高さを感じました。

     

    ユーザーID:2132250296

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  • 赤穂義士の心

    ここ数日、「赤穂浪士」についての様々な文を読んできました。
    莫大の資料を、丁寧にまとめられた郷土史家の方の努力には、
    頭の下がる思いです。

    驚く事にその地元でさえ、郷土史家の方の若い頃は「赤穂浪士」に対するイメージは
    マイナス評価が強く本格的に研究するには気後れする状況だった」と新聞記事のインタビューに答えていらっしゃる事です。
    そういう中で、黙々と研究を続けられ、全国にも調査に行かれ、墓・文章・碑石・などの調査をされています。

    今まで知らなかった事実が解り、毎日ドキドキのしっぱなしです。
    様々な角度からの分析をされた文章を見るにつけ、「こういう考えもあるのか」と改めて、考えさせられる事ばかりです。

    そして、「赤穂浪士」の残された手紙を読ませて頂き、胸に迫るものがあります。
    一度、赤穂市を訪れてみたいと願っています。
    風、山・川・・300年前と変わらないものもあるでしょうね。
    その時、「赤穂義士」の心に触れる事が出来るでしょうか・・

    ユーザーID:2132250296

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  • 意外に知られていない吉良家の断絶

    刃傷事件のあと、隠居を申し出た吉良に対して幕府は江戸城近くから本所松坂町への屋敷替えを命じます。幕府は「もしも」の場合を考えて、やっかい払いをしたのでしょう。当時の本所は江戸の郊外ですから、当然市中よりも警備が難しくなります。吉良としては、この決定に不服もあったでしょうが、みずから隠居を申し出た以上拒否はできません。関係のある上杉家から警護の申し出があったようですが、もしもの場合に名門上杉家に類が及ぶ可能性を考えると、これも受け入れるわけにはいかない。いっぽう世間のほとんどが赤穂の味方なので、腕のいい用心棒を雇うのにも苦労したであろうと思われます。
    赤穂側が比較的容易に吉良邸の図面を手に入れたことや、幕府側が浪士たちの動きをある程度把握していながら黙認していたことなどを考えると、あえて赤穂側に討ち入りをさせることで一連の事件に早く幕を引きたいというのが幕府の本音だったのではないかと思われます。そして討ち入り後に上野介の実子の義周を蟄居させて吉良家を改易にしたことで、実質的に「喧嘩両成敗」という形にしたのではないでしょうか。

    ユーザーID:1906091897

  • 末裔(らしい)です

    他県ではあるものの、赤穂からそう遠くない所に住んでいます。

    父方の祖父は養子なのですが
    その出身の家を辿ると赤穂藩士に行きつくようです。
    そしてどうやら抜け駆け、しかも討ち入りにかなり近い時期にしたようです。

    まあ私としてはよくぞ抜けてくれたと・・・
    だから私がいるわけで(笑)

    初めて忠臣蔵を見たのはNHKの「峠の群像」でした。
    この時子供ながらに思ったのは、「これって単なる逆切れじゃね?」でした。
    逆切れについて仇討ちと言ってもどうもしっくりこないというのは今でもあります。

    吉良さんの描き方にしてもそう。
    峠の群像でも、性悪なお武家さんといった感じで
    ちょっと吉良さんやその子孫の方々に失礼なのではと思います。

    ユーザーID:8395976525

  • 日本人の心の琴線に触れる

    荻生徂徠(おぎゅうそらい)という人の名前はなんとなく聞いたことがあるなという程度だったのですが、ある日テレビをつけたら、たまたま「徂徠豆腐」という浪曲をやっていて、それでどういう人物なのかがおおよそわかった次第。
    また、この忠臣蔵の物語、外伝も含めて、聞く側の心の琴線に触れるような話が多く、どれも実に面白いです。江戸時代の戯作者たちの力量には本当に感心しますし、シェイクスピアの作品と比べても見劣りしないと思います。

    ユーザーID:1906091897

  • 続き

    6浅野匠守がおかしいというのは事件直後から幕閣にもわかっていたこと。
    しかし将軍自ら下した裁断はいまさら取り返しがつかない。
    そこで吉良を徹底的に悪者にすることで将軍、幕閣の下した裁断の間違いを問われぬように筋書きを作り出した。
    吉良は無実であり浅野は単なる精神障害であったのにもかかわらず、
    幕府が下した浅野の切腹の辻褄を問う赤穂浪人の暴挙を利用して仇討物語にすり替えた。

    これ、ものすごく説得力があります。
    状況証拠をすべて合理的に説明できる説です。

    ユーザーID:7043775160

  • 逆説の日本史

    井沢元彦に教えてもらったことです。

    1吉良上野介が浅野匠守をいじめて失敗させることはありえない。
    読み本や歌舞伎のようなことをして、匠守がしくじることは指南役も同罪。

    2匠守が統合失調症だったという兆候が随所にみられる。
    血縁にも精神を崩して障害事件を起こしたモノがいた。

    3大石内蔵助も江戸家老も匠守が刃傷に及んだ理由は知らない。

    4精神障害なら責任を問われないのは現在も昔も同じ。
    大石も精神障害と認めてほしいと幕閣に訴えていた。
    しかし、正常という裁断が下り本人は切腹、お家は断絶。

    5大石たちの真の狙いは将軍や幕閣の恣意的な裁断に対する異議申し立て。
    正常な判断の上の仕儀なら、主君の意思を貫徹してあげるのが家臣の役目。
    精神障害だったなら幕府の祭壇が間違えているという主張。

    続く」

    ユーザーID:7043775160

  • 仮名手本 = 47

    再レスです。

    仮名手本忠臣蔵作者の意図が幕府批判かはわかりませんが、
    幕府批判と取られる芝居を打てば、お上からは罰せられる。
    しかし(暗に)お上批判をすれば、民衆には受けて、芝居は評判になる。
    その時代の空気に「あっぱれ赤穂浪士」があったのは確かでしょうから、
    作者としては、お上に調べられた時に「いえいえこれは討ち入りとは無縁の
    物話でございます」と言い逃れできるように作ってあると聞きました。

    仮名 かなは47文字。つまり47士。
    仮名手本 ひらがな練習帳。いえいえ、子供向けの物語ですよ〜(お上対策)
    大石=大星 塩谷判官=浅野 はバレバレですが、高師直=綱吉説は面白いですね。

    取引先の方で、城東地区にお住まいで、「きら」さんがいます。
    おそらく「吉良」さんでしょう。ゆかりのある方なのかなあと想像してます。
    名札が、ひらがなと英字なので、「きら」「kira」で、ちょっと可愛いです(笑)

    ユーザーID:4797565604

  • 仮名手本忠臣蔵に仮託したもの

    「仮名手本忠臣蔵」は単に元禄赤穂事件を室町時代に舞台を代えて書かれたものではなく、幕府・将軍批判の意図があったのではないかと、丸谷才一さんや井沢元彦さんの説があります。

    大星由良之助は大石の語呂合わせ、塩冶判官は赤穂浅野藩=塩のもじり、高師直は高家吉良のもじりで配役されたといわれています。
    しかし、名門とはいえ旗本に過ぎない吉良と室町幕府の最高実力者であった高師直では、立場が違いすぎます。
    高は吉良ではなく将軍綱吉を擬え、「将軍殺し」をテーマにしたフィクションではないか?
    理由は三つ。
    1.作者の一人の並木宗輔は、この作品以前に将軍足利尊氏や将軍源頼朝が殺される作品を書いて、前者は上演禁止になっている。将軍では露骨だし、「仇討ち」が非現実的過ぎるので高にしたのでは?
    2.高の官名は武蔵守。江戸時代に武蔵国の支配者は徳川将軍。
    3.高が塩冶判官の正室(元宮中内侍)に横恋慕したのが伏線だが、吉良は浅野正室阿久里には面識すらない。綱吉は家臣牧野成貞の正室(奇しくも同名)阿久里(綱吉母桂昌院の元侍女)に手を出したといわれている。

    ユーザーID:3474954010

  • 甘酒の思い出

    むかーし、両国に通勤してました。
    吉良邸跡があり、中に首洗った井戸と言われている物がありました。
    吉良祭りのニュース映像見ると今はすごく派手だけど、当時はしょぼかったような記憶があります。市もそんなに数出てなかったし。
    それでも年一回のお楽しみで、他の日だったら休日出勤なんてしないけど、その日はしちゃったりしました。
    お昼食べた後、お茶買って吉良邸跡に入ってまったりしてました。小さい公園って感じでした。最初は首洗ったところでまったりなんてと思ってたけど、慣れました。

    ユーザーID:3229734805

  • 泣けますよね

    じんべえ様のレスが説得力あるなあと感じます。

    トピ主様のお気には召さないかも知れませんが、
    赤穂浪士は「短慮な上司を持った部下の悲哀」と感じます。
    赤穂浪士が吉良を討ったのは義であり忠でしょうが、浅野の刃傷沙汰は私怨。
    その違いは非常に大きいです。

    将軍は天子様、江戸城は天子様の住まい。
    そんな場所で天子様の母君の大事な日に、私怨から刃傷沙汰を起こしてしまった上司。
    現代でも嫌な上司、憎い上司は多々あれど、社長宅で上司に殴りかかる部下はいません。
    江戸っ子は(侍も)、田舎侍(というか田舎ふう気質)を嫌う風潮があったので、
    生真面目な浅野が吉良の嫌味?に耐えかねて…はあったのかも知れませんが。
    年月を経るにつれ、吉良の功績、人となりが再評価されつつあるのが、興味深いです。

    私はドラマはあまり見ないのですが、歌舞伎は大好き。
    今年も先月今月と、新歌舞伎座の芝居は忠臣蔵。トピ主さんはご覧になりましたか?
    吉右衛門の大石が、私は好きかなあ。

    討ち入りの日、本当に近づいて来ましたね。
    皆さんのレスにある多彩な忠臣蔵に興味津々です。

    ユーザーID:7678642424

  • マサ様 

     マサ様の、レスを読んで心に温かい気持ちがこみ上げてきました。
    「我がご先祖さまは失業の中、よくぞ生き延びてくださった!
    良い選択だったわけですね。武士という身分を捨て、罪人にもならず、のたれ死ぬことなく、この地に塩田を広めてくださった。」・・・
     当時は、様々な葛藤の中におられた事と拝察いたします。
    丁度、江戸幕府が倒れ武士階級が没落してゆく状態に似ていますね。
     昨年、その当時の事を調べる機会があり「「禄」を食んでいた武士階級が経済的にひっ迫して、
    僻地の開墾や屯田兵として蝦夷地に渡った人、商人になった人もいる」・・・
     この「小町」の中にも屯田兵の末裔の方がおられ、想像を絶する苦労だったと聞いております。

     マサ様の、ご先祖様もきっと同じような思いをされたのではないでしょうか。
    その先達の方々のご苦労の元、今の自分がいるという感謝のお気持ちが
    読む者に伝わり胸がいっぱいです。

     じんべえ様やマサ様そして多くの方々と、このような機会に巡り合えましたこと、
    感謝しております。

    ユーザーID:2132250296

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  • りんご様へ  

     りんご様、レスありがとうございます。
    「映画やドラマの忠臣蔵は「お話」として脚色されているとは
    わかっていてもじーんとしたり、涙が出てきてしまったり
    何度も見ずにはいられないものです」・・
     このお気持ち、私も同じでのでよく解りますし、
    知人にもそういう家族がおります。

     事実は事実として受け止め、且、物事を多方面で観るように
    心がけて行く事が必要ですね。

     様々なコレクションをお持ちとは、本当にお好きなのですね。

    私の、お勧めは「女たちの忠臣蔵」です。

     討ち入りの陰に隠された、妻や恋人の苦悩と別れ・・
    同じ女性として、胸に迫るものがありました。
     いつの時代も、陰で泣く女性が後を絶つ事はありませんでしたが、
    ここ日本では、「昭和元禄」という言葉があったように、
    太平の世の中が続いております。
     女性や子供が泣く事などない時代が、ずっと続くようにしたいものですね。

    ユーザーID:2132250296

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  • じんべえ様 命の重み 

     江戸時代の武家の心得などテレビや映画でしか、伺い知ることはできませんが
    浪士の「萱野三平」が「二君に仕えず」として、大石内蔵助に遺書を残し自害しています。
    浪士の中で討ち入りに参加せず、最後に姿を消したのは、
    討ち入り直前12月11日の「毛利子小平太」と言われています。

    あだ討ち派の急先鋒「堀部安兵衛」と「御家再興」の「大石内蔵助 」・・
    「大石自身が、この事件の8年前に急死した、松山藩主の城地明け渡しを受け城使として体験し、、自らの尽力でその後同家の旗本としての御家再興を実現している」・・こういう記述にあります様に、「御家再興」に尽力していたのでは無いでしょうか。

    「御家再興」=家臣の命、家族の生活を守ること


    大石内蔵助は最後まで「御家再興」にこだわっていたが、叶わずあだ討ちに・・
    浪士の生活も困窮し脱名者も出ており「生き恥を晒したくない」、
    最後は、「武士としての意地、誇りを持って死んでゆきたい」・・

    「昼行燈」と謂れた「大石内蔵助」は誰よりも「思慮分別」に富んだ人だった。
    そんな気がいたします。

    ユーザーID:2132250296

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  • 討ち入り直後の手紙

    昨日の讀賣新聞記事に、討ち入り直後の様子を書いた商人の手紙が出ていました。

    潔いとの評判だ…赤穂浪士討ち入り直後の手紙
    http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20131209-OYT8T00676.htm

    討ち入り直後の手紙というものがあると言う事を、はじめて知りました。
    こういう、生々しい証言が300年の時を超え解析された事に敬意を表します。

    私の読んだ本に、「当時の世相として「生類憐みの令」により、蝿一つ殺すのもはばかられ、野良犬を養うための税金も取られその餌は「白飯」「棒たら」何れも庶民の口に入らず、庶民はフラストレーションがたまっていた。江戸市中では赤穂浪士による仇討が決行されるに違いないともるぱらの噂になっていた」そういう中「仇討待望論」があったとあります。本の記述と、新聞記事がクロスしておりドキドキしております。

    ユーザーID:2132250296

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  • 吉良のお殿様はいい人だったそうです。

    すっかり悪者の吉良上野介。
    今でも地元では愛されてるそうです。

    ユーザーID:5509883812

  • デホラ・カー 様  こんにちは

    デホラ・カーと言えば、「めぐりあい」ですね。レベッカ・デュー様が
    お好きと他トピで書かれており、意志の強い方で、とても強く胸に残っています。


    「大忠臣蔵」ネットで、何話かアップされていましたので、見てみました。
    大河ドラマと同じで1年かけて放送されていたのですね。
    確かに、すごい俳優さんばかりが出ておられますね。
    本当に、田村正和さんのお若い事・・
    切腹の前日吉良義周が諏訪に蟄居を命じられたことを聞き、
    「喧嘩両成敗ですな」と笑みを浮かべる、内蔵助・・
    胸に迫るものがありました。
    様々な角度から描かれた「忠臣蔵」でしたね。

    デボラ・カー様はバレエに造詣が深くていらっしゃるのでしょうか。
    門外漢の私も「バレエ界鬼才の振付師モーリス・ベジャール」という、
    お名前だけは存じております。
    ネットの写真で観たのですが、「何と言ってもピシッと三角形に揃っての男性群舞が圧巻です。」
    とデボラ・カー様がおっしゃつている通りだと思いました。

    是非一度、本物を見てみたいものです。
    映画でも、「忠臣蔵」を扱ったものが公開されますね。
    それも、楽しみです。

    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • 2度目の投稿です

    以前、討ち入りをしなかった赤穂浪人の末裔であると投稿した者です。
    特に「忠臣蔵」やそれにまつわる話に興味があった訳でもなく、詳しい訳でもありませんでしたが、じんべえ様の「命ぎりぎりの選択」を読んで、我がご先祖さまは失業の中、よくぞ生き延びてくださった!という思いでいっぱいになりました。良い選択だったわけですね。
    武士という身分を捨て、罪人にもならず、のたれ死ぬことなく、この地に塩田を広めてくださった。
    吉良と揉めたのは、その塩の製法を教えなかったからというのも理由の一つと聞いたこともあります。
    ご先祖さまが赤穂浪人というのも、どこまで信じていいのかはわかりませんが、つかの間ロマンに浸れました。

    ユーザーID:1738546699

  • 勉強になります

    私も忠臣蔵が好きな40歳主婦です。

    みなさんのお話を聞いてとても勉強になります。
    映画やドラマの忠臣蔵は「お話」として脚色されているとは
    わかっていてもじーんとしたり、涙が出てきてしまったり
    何度も見ずにはいられないものです。

    あんなに恨まれている吉良上野介も地元では
    民衆思いのお殿様だという話は聞いていました。

    どのような事柄にもいろいろな側面があるのですよね。

    12月に入る頃から私の忠臣蔵コレクションDVDから
    その時の気分で選んだ忠臣蔵を見るのが年末の楽しみです。

    やっぱり里見浩太朗さんのが初めてきちんとみた忠臣蔵で
    感動しまくりました。
    ですが一番は94年の松方弘樹さんの大忠臣蔵!
    マッチが片岡源五右衛門の作品です。

    これはDVD化もされていないし、再放送もあまりされていないですよね。
    録画したものがうちの中にあるはず!と探しているんですがないんですよ。
    無いと思うと見たくてしょうがないです。
    TBSさんにも再放送のリクエストをしているのですが…

    今晩は皆さんのお話を思い出しながら
    松平健さんの忠臣蔵を見ることにします。

    ユーザーID:9961186558

  • 命ぎりぎりの選択

    大名家が断絶になれば家臣たちは当然失業します。特に江戸時代の前半は、幕府による大名の取り潰しが続いたために大量の浪人が出ており、主君が事件をおこしてつぶされた赤穂の家臣が他藩に再雇用される可能性はとても低かった。だから当初、内蔵助は浅野大学を立てて赤穂藩を再興しようと動いたわけです。映画やドラマでも描かれているので改めて説明しませんが、「金もうけ」が下手な浪人たちの生活はとてもみじめなもの。そんな彼らにとって将来の選択肢は限られます。討ち入りに加わって吉良に報復できれば一番いい。その結果討ち死にするか、あるいは処罰されたとしても、このまま貧しい暮らしの中で野たれ死にするよりはよほどましなのです。
    また、徳川幕府になって以降、取り潰しになった大名家の家臣が主君の仇を討つというのは前例がなく、たとえ吉良殺害に成功しても再び罪人として処罰される可能性もある。家族にも類が及ぶであろうことを考えると、討ち入りに加わる人数はできるだけ少ないほうがいい。あだ討ちに二年近くもかかってしまったのは、あだ討ちを成功させることと、その後のあらゆる可能性を考えて対策を練った結果であろうと思われます。

    ユーザーID:1906091897

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