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「赤穂浪士」についてお教えいただけますか

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  • 各々がた様  忠臣蔵ファン 様へ

    お二方、レスありがとうございます。

    そういう事実があったなんて、知らずにおりました。

    直系のご子孫様の事わかりました。
    ありがとうございました。

    お二方とも熱心なファンとお見受けいたしました。
    これから、寒い日が続きますが、
    お身体を大事にしてくださいね。
    レス、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • 頑固堂さま、たまに様 Mr.ますりん さま

    お3人様レスありがとうございます。

    「忠臣蔵はフィクション、芝居の「仮名手本忠臣蔵」の通称です。
    元禄赤穂事件は史実。」・・
    この件は存じておりまして、中学生の頃百科事典で調べました。
    その後もおりに触れテレビや新聞本などで触れてきました。

    「日頃の恨みおぼえたか!」、この点が釈然としませんね。
    とても気にかかる事です。

    「現代にそぐわないフィクション」かもしれませんが、
    時を超え時代を超えてなお多くの大衆に支持されるのは
    どう云う事なのでしょうか・・

    確かにお涙ちょうだいの「大衆迎合」の物かもしれませんが、
    高い所に鎮座している人よりも、大衆の方が事の真実を
    つかんでいたかもしれませんね。・・

    何の詮議も受けることなく自刃に追い込まれた、
    不正義はいかがなものでしょうか・・
    御定法に乗っ取った裁きがされていれば、
    後の事件は起こらなかったかもしれませんね。

    そこの「不条理」が多くの貧しき人間の心を
    つかんだのではないでしょうか。

    「忠誠心」「真心」に人々は感動するのではないでしょうか。

    ユーザーID:2132250296

  • 怜様へ

    怜さまお久しぶりです。
    本当に怜さまとは好みが似ていますね。
    真っすぐで、融通がきかず、ボーとしてませんか。
    そして、神経質で頑張り屋さんの様な気がします。

    「討ち入りの日の装束はあの有名な火事装束ではなく、普通の着物であったこと、
    また映画やドラマのように浪士一人々に名前入りの襷など付けなかった、討ち入りの際の陣太鼓など打つ筈がない
    (打つと夜襲の意味がない)等々。」・・・
    確かに・・寝ている子も起きてしまいます。

    恰好はともかくとして、討ち入りは間違いなく会った事実ですね。
    怜さまの「なので私は自分の好きな「マイ忠臣蔵」像を持っています」・・
    というお気持ち解りますよ。


    「1985年、読売テレビで放映された里見浩太郎さん内蔵助、風間杜夫さん浅野長矩、多岐川裕美さんあくり…のものです。」
    私も観ておりましたが、丁寧に描かれていたという印象でしたね。

    私のお勧めは「女たちの忠臣蔵」・・愛する夫・恋人・息子との別れの中で、耐え忍んでゆく女たちの生きざまに
    涙しました。

    怜さま、他の話もお願いします

    ユーザーID:2132250296

  • アンマンマン様へ

    アンマンマン様「神崎与五郎の詫び状!」のお店、ぜひ行ってみたいです。
    それにしましても、箱根は今でも往時の雰囲気のままというような所もあって、
    何だかタイムスリップしそうです。

    「「徳利の別れ」「日野家用人・垣見五郎兵衛」「天野屋利兵衛は男でござる」等々・・・
    フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」・・

    私も同感です。史実をある程度わきまえたうえで冷静な目でみれば、
    何ら問題ないと思うのです。
    討ち入りに至るまでの葛藤・・お芝居以上に凄まじいものが、あったかもしれません。
    様々な角度で想像して描かれる事により、より身近に感じる事が出来ます。
    大石主税の若すぎる死は、年を経るたびに悲しく辛いものになります.
    私など、只命を長らえただけで、何ら進歩もしていないと言う自負にかられています。

    やはり、里見活太郎さんの物が秀逸という事ですね。

    こういう風に支持して頂けるお芝居に関わった方々も、
    役者冥利に尽きますね。

    アンマンマン様、ありがとうございました。 

    ユーザーID:2132250296

  • 案山子様へ

    案山子様レスありがとうございます。
    私の思いを見事表現してくださいました。

    「私は「人間ドラマ」として捉えています。
    浪士とそれに関わった人々の苦悩と決断。
    それはどんな時代になろうと見るべきものがあるだろうし、深い感動も生まれてきます」・・

    これ以外にありませんね。
    事実を踏まえたうえでの、様々な角度からの見方というものがあって良いのではないですか。
    但し一方的に決め付ける事は、狭量になってしまうと思いますし、不遜な物言いは、
    様々な状況に鑑み失礼にあたると存じます。

    「怜様の「マイ忠臣蔵」、アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」というレスに共感します。

    どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。」・・

    案山子様の思いに深く共感いたします。

    読んだり観たりする人の心根が優しければ、良きものはより良く感じられるでしょうし、その逆であれば何の意味も持たなくなる・・

    世の中の営みでも同じことが言えますね。



    ユーザーID:2132250296

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  • maxさまへ

    maxさま、別の見方という事に共感いたします。
    立場変わればという描かれ方も観たいですね。
    そして、討ち入りに加わらなかった他の赤穂藩士
    から観た討ち入りについて・・

    幕府内部からの描かれ方などがあれば、より一層
    討ち入りについて見てみればと思います。

    つい最近の記事で、「討ち入り」の様々な文書が公開されるとありました。
    事実は事実として受け止めた中で、表現者の様々な思いも受け止めたいですね。

    余りにも、偏った一方的な見方は慎みたいと自戒です。

    ユーザーID:2132250296

  • アラフォ振袖さま

    レスありがとうございます。

    12月になりますと「忠臣蔵」「赤穂浪士の討ち入り」が頭をよぎります。
    憶測ばかりではなく「真実は・・」と気になる所です。

    「あー、そういう解釈があったのかって。
    興味は尽きません。」・・

    アラフォ振袖さまと、同じ感想を持っております。


    「ことしの赤穂の義士祭では、祭を始めて110周年記念で
    内蔵助に松平健氏、実況に浜村淳氏(関西で知らぬ人はいないパーソナリティ)が出演されるそうですよ」・・

    華やかな「義士祭」になる事でしょうね。
    浜村淳さん、軽妙な語り口で素敵な方ですね。
    各地に様々な時代祭りがありますが、
    「義士祭」は格別な思いの中に
    行われるのでしょうか。
    何時か、行ってみたいです。






    ユーザーID:2132250296

  • マサ様へ

    レスありがとうございます。

    何だか感無量です。

    「四十七士がスポットを浴びているが、その陰に多くの浪士、家族がいたはず」
    「上級武士や、仕官で来た人は良いが、そのほかの人はどうなったのだろう」
    気になっておりました。
    「一説によりますと、内蔵助率いる一軍の四十七士が吉良を討ち損じた時には、再度討つため密かに準備を進めていた二軍のグループがありました。」・・
    この話は有名のようですね。

    調べましたら、、群馬、山梨、山形に家老、大野九郎兵衛の御墓や供養塔があります。
    事の真贋はわかりませんが、驚かされました。

    「善光寺一山の景勝院の中庭は『忠臣蔵』赤穂浪士の1人大高 源五(子葉)による作庭だと伝えられています。

    赤埴 源蔵の父は塩山十左衛門といって、飯田藩5万5千石・脇坂家に仕えていた。
    その脇坂家が寛文12(1672)年、転封で播磨(兵庫県)龍野藩へ。
    そして源蔵は隣藩の赤穂・浅野家の赤埴家養嗣子となった。」・・

    このような記事を見つけ、ドキドキし、

    世間は狭いという事を実感しております。





    ユーザーID:2132250296

  • SS様へ「赤穂浪人御預之記」

    レスありがとうございます。
    「討ち入り事件」は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主浅野内匠頭の敵討ちのため、

    大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)・・

    昨日宮内庁より公開されました「赤穂浪人御預之記」」(浪士10名を預かった大名毛利家の記録)にも、

    「元禄15年12月15日・・」とあります。討ち入り直後から切腹に至るまでの記録が詳細に書かれております。

    出された食事から、病気の事、風呂の事、切腹の場所の図などがのっています。

    「朝夕2汁5菜」「菓子」「夜食」食事面から始まり、事細かな事が書いてあります。

    SS様、お詳しいようですので、是非現代文に訳してお教えいただけないでしょうか。

    難しい文言で戸惑っておりますので、よろしくお願いいたします。

    ユーザーID:2132250296

  • だび様へ

    だび様のおっしゃる事、良く解ります。

    「小説なのですが、浅野の殿様の気質や他の人物の置かれていた立場などを著者がリサーチの上での推測と説明に多くのページ数をさいてあり、ただの小説という以上に面白いです。」・・

    一方向でなく多方面から考察という事は、非常に重要ですね。
    良くも悪くも固定観念を持ってしまいがちです。
    それを、払拭しなければ前に進みません。

    以前より、世界が広がった現在人は多方向から物の本質を見る、
    事が可能になりました。
    各々選択して「それぞれの赤穂浪士像」「吉良像」「浅野象」を創られ
    てはいかがでしょうか。

    「怜様の「マイ忠臣蔵」、
    アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」

    そして、案山子様の「どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。」・・

    お3人様の思いに、深く共感いたします。

    そして、だび様の思慮に富んだ文言に感謝いたします。

    ユーザーID:2132250296

  • 独り言様へ  新たな思いへの第一歩

    レスありがとうございます。

    吉良だけでなく、大野九郎兵衛、討ち入りに参加しなかった浪士も同じような扱いですね。
    そして「赤穂浪士」は「一方的な逆恨みによる大量殺人事件とも言えます。」と、とらえる方もいます。


    「つい最近の記事で、「討ち入り」の様々な文書が公開されるとありました。
    事実は事実として受け止めた中で、表現者の様々な思いも受け止めたいですね。

    余りにも、偏った一方的な見方は慎みたいと自戒です。

    但し一方的に決め付ける事は、狭量になってしまうと思いますし、不遜な物言いは、
    様々な状況に鑑み失礼にあたると存じます。」・・

    私の思いは上に記したものですし、このトピを見た吉良・赤穂にゆかりのある方々の心境をお聞きする事により、新たな意識を持ってほしいと言う願いも根底にあります。

    吉良家地元の方々の、墓掃除の件もレスを頂かなければわからない「真実」でした。

    草の根でもこういう意見交流を通して、互いの思いを吐露すると言う事も必要だと思います。

    独り言様、貴重なご意見ありがとうございました。








    ユーザーID:2132250296

  • 佐藤さまへ

    レスありがとうございます。

    様々な本を、読んでいらしたのですね。

    書かれた方による思いの違いが解り、
    読んで楽しいでしょうね。

    「吉良方から見た忠臣蔵をやってほしいです。」・・

    佐藤様だけでなく、他にもその思いの方がおられ、
    私もそのように願っています。

    一方の見方では無く、多方面からの考証も是非叶えて欲しいものです。
    それにより、今までとは違った感じ方ができるかと思います。

    ユーザーID:2132250296

  • しろねこ様 良い情報ありがとうございます。


    「京都・祇園に原了郭という薬味の店があります。
    義士の一人である原惣右衛門元辰の一子・原儀左衛門道喜が、討ち入りの翌年(元禄16年)に開いた店だそうです。
    この店の「黒七味」というのが、辛いだけでなく深みがあって香りがよく、非常に美味しい。
    材料を乾煎りしているので、七味なのに赤くなくて黒っぽいのです。」

    はじめてお聞きしました。
    脈々と繋がってこられたのですね。

    武家育ちでいらしたのが、いきなり別世界に入られ苦労する事も多かったのでは・・
    商いを300年も続けて来られたのは、きちんとした仕事をされた賜物に他なりません。
    一度、味わってみたいものですね。

    こういう、お話を聞きますと何故かほっといたします。
    しろねこ様、ありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • kai様・・内蔵助の銅像が笠間市にあるとは知りませんでした。

    kai様詳しく様々ご紹介いただきありがとうございました。

    私など門外漢からしますと、閉鎖的な江戸時代は、人間の動きは少ないと思っていましたが、
    武家社会では「改易」「移封」となれば当然藩故、各地へ赴いたわけですね。
    今でいいますと、「事業所が閉鎖になり移転した所に新しい企業が従業員ともども移転してくる」
    そんな感じでしょうか。

    水戸の徳川家と綱吉との関係というのも、とても興味深いものがありますね。

    討ち入りを果たした後、各大名家にお預けになった後、助命の動きもあったようですが
    荻生徂徠の意見が通り浪士には切腹が命じられました。

    その間の心の葛藤は、いかばかりだったかと思いますと、
    胸に迫るものがあります。

    今こうして普通に生きれる事の幸せを、
    大切にしなければ・・

    「命」「心」「親」「子」「誠」「忠」「儀」
    時代は変わっても、変わらないでほしいもの・・

    ユーザーID:2132250296

  • あまなつ様、宝塚は最高ですね。

    オー・タカラズカ・・
    まだ一度も舞台を見た事はありませんが、
    夢の舞台に挑戦する少女のドキュメンタリー番組
    も観たり、「ベルばら」大ファンです。

    一つの事にひたむきに挑戦する姿・・・
    ある意味「赤穂浪士」の大石主税の姿にダブります。

    「宝塚ならではの華やかさ、繊細さ、また討ち入りのシーンの音楽、群舞の素晴らしいこと!
    そして力強い杜さんの内蔵助にクラクラしました。語れば長くなります・・
    里見幸太郎さんの内蔵助が私がテレビで見た最初の忠臣蔵でした。
    このシリーズの白虎隊や、田原坂もこの季節に放送されてましたよね。」・・

    生の舞台に感動された事でしょうね。
    私もクラッシックコンサートには、良く出かけます。
    CDでも聴けますが、あの会場の独特の雰囲気、
    病みつきになります。

    特に「小澤征爾 」、「五嶋みどり」さんのステージは、
    一生忘れられないと思います。
    最後「ブラボー」の声と拍手・・
    これは、あの場所にいないと味わえませんね。

    これからも良き舞台、映画、読書で素敵な毎日を
    お送りくださいね。

    レスありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • せいうち様へ  真実はどこに 

    レスありがとうございます。

    現代に生きる私どもが知りえるのは、多種多様な文献や識者の意見・・
    それも、賛否両論があり読めば読むほど、知れば知るほど
    「真実はいかに」という事になります。

    此処に、レスを寄せた方々の意見も、「吉良方」「浅野方」・・
    「せいうち」様と「じんべい」様のレスが、対象的な例ですね。

    「たまに」様に至れば「わけのわからない「個人的遺恨」で切り付けられ、一方的に追い詰められ討たれた吉良義央こそ最大の被害者です」・・
    と、言いきっておられます。

    しかし、浅野長矩に一切の調べを行わないうちに、即日切腹という「不条理」だけはぬぐえず、
    もし、自分の愛する家族がその様な目にあったとしたら、どうなのかと考えさせられます。


    その後、「元禄16年2月4日(1703年3月20日)、幕府評定所に呼び出された結果、義周の当日の対応は「不届き」として改易の上、信濃諏訪藩主諏訪忠虎にお預けを言い渡される。なお、同日に赤穂浪士たちが切腹している。」・・
    という、裁定になった事の裏に、真実が隠されている気がします。

    ユーザーID:2132250296

  • じんべえ様へ

    レスありがとうございます。
    せいうち様へのレス中、お名前を「じんべい」とミスプリンした事をお詫びいたします。

    ・徳川家にとってもっとも重要な日に江戸城内で刃傷沙汰をおこした内匠頭に対して、綱吉は激怒した

    ・浅野はかりにも五万石の大名。事件をおこしたことは確かに悪いが、通常ならば身柄をいったん他の大名家に預け、本当に個人的怨恨だったのか、あるいは後ろから吉良に切りつけたのかなどなど、大目付あたりが十分に調査をしてから処分を下すのが常道。場合によっては「喧嘩両成敗」になる場合もある。幕府はまったく調査をすることなく乱心扱いにして「即日切腹、お家取り潰し」を命じた。庭先での切腹。まったくの罪人扱い。これは大名家にとって最大の恥辱。・・

    この辺の解釈が「たまに」様「せいうち」様と、真っ向対立する所ですね。

    「事の真実は300年前の闇に消えた」

    たとえば「冤罪」という「不条理」な形で、日常生活上、起こり得る可能性があると考えた時、
    「浅野事件」は遠い日の出来事ではないと感じ、それで苦しむ人、家族がいない社会にしたいものです。







    ユーザーID:2132250296

  • 吉良っ子様へ  良い 祖父母様ですね

    レスありがとうございます。

    「忠臣蔵について、教えてもらうことはありませんでした。
    吉良さんはいい人だったということしか、教えられませんでした。」・・

    普通なら、相手の事を悪く言いそうなものですが、
    言わなかった、祖父母様素晴らしい方たちですね。
    ご自分の地元の先人に対する畏敬の念と、
    他者に対する礼儀をわきまえておられたのですね・

    吉良っ子様も、既成概念亡なくして物事を見れますね。

    私なども、本や、ドラマ、ネットでの知識しか持ち合わせておりません。
    一体真実はいかにという思いが募りますが「真実は闇の中」状態です。

    レスを寄せてくださった中にも、様々な立場の方々がいる事がわかり、
    勉強になりました。

    吉良っ子様、貴重なお話ありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • 浅野長矩の「この間の遺恨覚えたか」について

    刃傷の理由について

    「浅野長矩の「この間の遺恨覚えたか」という発言に関しては、『梶川筆記』にも『多門筆記』にも『内匠頭お預かり一件』に長矩が「遺恨あり」と証言していることが記されている。いずれの書物も長矩が遺恨を主張していることについては触れているが、刃傷の原因となった「遺恨」の細かい内容については記していない。 当事者が語っていないからであり、刃傷の動機は「永遠に謎」であり、語られる動機は全て推測・創作である。」・・
    このような記述から観ても、「不条理」という感は否めません。

    そして尚大名が即日切腹という事に関しても「多門重共も遺恨の内容などについてもっと慎重な取調べが必要だと訴え、若年寄加藤明英・稲垣重富を通じて再度言上されたが、柳沢吉保によって退けられた。綱吉が異例とも言える決定と下したのは、勅使や院使たちに対して自らの天皇への忠誠心をアピールして、母である桂昌院最大の念願である従一位叙任を取り消されないようにするためだったといわれている。」・・

    という記述に至っては・・・

    ユーザーID:2132250296

  • エスト様「吉良祭」お教えいただきありがとうございました。

    エスト様、よい情報をありがとうございました。

    こういう事も遠隔地に住んでいるものには知る事が出来ず、
    はじめてお聞きした事で、早速調べて見ました。
    地元の方々が、一生懸命動かれているのですね。

    そして何より驚かされたのは、吉良邸を守り死んでいった人たちの、
    御魂を守られているとの事に、驚かされました。

    「47士」の陰に埋もれてしまった、多くの方々の事も忘れてはいけませんね。
    そして、その方々の御魂を守られてこられた近隣の方々の温かいお気持ちも・・

    300年という時代の流れの中で失われなかったものは、「人の真心」ですね。

    エスト様、良き事をお教えいただき本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • デホラ・カー 様  こんにちは

    デホラ・カーと言えば、「めぐりあい」ですね。レベッカ・デュー様が
    お好きと他トピで書かれており、意志の強い方で、とても強く胸に残っています。


    「大忠臣蔵」ネットで、何話かアップされていましたので、見てみました。
    大河ドラマと同じで1年かけて放送されていたのですね。
    確かに、すごい俳優さんばかりが出ておられますね。
    本当に、田村正和さんのお若い事・・
    切腹の前日吉良義周が諏訪に蟄居を命じられたことを聞き、
    「喧嘩両成敗ですな」と笑みを浮かべる、内蔵助・・
    胸に迫るものがありました。
    様々な角度から描かれた「忠臣蔵」でしたね。

    デボラ・カー様はバレエに造詣が深くていらっしゃるのでしょうか。
    門外漢の私も「バレエ界鬼才の振付師モーリス・ベジャール」という、
    お名前だけは存じております。
    ネットの写真で観たのですが、「何と言ってもピシッと三角形に揃っての男性群舞が圧巻です。」
    とデボラ・カー様がおっしゃつている通りだと思いました。

    是非一度、本物を見てみたいものです。
    映画でも、「忠臣蔵」を扱ったものが公開されますね。
    それも、楽しみです。

    ユーザーID:2132250296

  • 討ち入り直後の手紙

    昨日の讀賣新聞記事に、討ち入り直後の様子を書いた商人の手紙が出ていました。

    潔いとの評判だ…赤穂浪士討ち入り直後の手紙
    http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20131209-OYT8T00676.htm

    討ち入り直後の手紙というものがあると言う事を、はじめて知りました。
    こういう、生々しい証言が300年の時を超え解析された事に敬意を表します。

    私の読んだ本に、「当時の世相として「生類憐みの令」により、蝿一つ殺すのもはばかられ、野良犬を養うための税金も取られその餌は「白飯」「棒たら」何れも庶民の口に入らず、庶民はフラストレーションがたまっていた。江戸市中では赤穂浪士による仇討が決行されるに違いないともるぱらの噂になっていた」そういう中「仇討待望論」があったとあります。本の記述と、新聞記事がクロスしておりドキドキしております。

    ユーザーID:2132250296

  • じんべえ様 命の重み 

     江戸時代の武家の心得などテレビや映画でしか、伺い知ることはできませんが
    浪士の「萱野三平」が「二君に仕えず」として、大石内蔵助に遺書を残し自害しています。
    浪士の中で討ち入りに参加せず、最後に姿を消したのは、
    討ち入り直前12月11日の「毛利子小平太」と言われています。

    あだ討ち派の急先鋒「堀部安兵衛」と「御家再興」の「大石内蔵助 」・・
    「大石自身が、この事件の8年前に急死した、松山藩主の城地明け渡しを受け城使として体験し、、自らの尽力でその後同家の旗本としての御家再興を実現している」・・こういう記述にあります様に、「御家再興」に尽力していたのでは無いでしょうか。

    「御家再興」=家臣の命、家族の生活を守ること


    大石内蔵助は最後まで「御家再興」にこだわっていたが、叶わずあだ討ちに・・
    浪士の生活も困窮し脱名者も出ており「生き恥を晒したくない」、
    最後は、「武士としての意地、誇りを持って死んでゆきたい」・・

    「昼行燈」と謂れた「大石内蔵助」は誰よりも「思慮分別」に富んだ人だった。
    そんな気がいたします。

    ユーザーID:2132250296

  • りんご様へ  

     りんご様、レスありがとうございます。
    「映画やドラマの忠臣蔵は「お話」として脚色されているとは
    わかっていてもじーんとしたり、涙が出てきてしまったり
    何度も見ずにはいられないものです」・・
     このお気持ち、私も同じでのでよく解りますし、
    知人にもそういう家族がおります。

     事実は事実として受け止め、且、物事を多方面で観るように
    心がけて行く事が必要ですね。

     様々なコレクションをお持ちとは、本当にお好きなのですね。

    私の、お勧めは「女たちの忠臣蔵」です。

     討ち入りの陰に隠された、妻や恋人の苦悩と別れ・・
    同じ女性として、胸に迫るものがありました。
     いつの時代も、陰で泣く女性が後を絶つ事はありませんでしたが、
    ここ日本では、「昭和元禄」という言葉があったように、
    太平の世の中が続いております。
     女性や子供が泣く事などない時代が、ずっと続くようにしたいものですね。

    ユーザーID:2132250296

  • マサ様 

     マサ様の、レスを読んで心に温かい気持ちがこみ上げてきました。
    「我がご先祖さまは失業の中、よくぞ生き延びてくださった!
    良い選択だったわけですね。武士という身分を捨て、罪人にもならず、のたれ死ぬことなく、この地に塩田を広めてくださった。」・・・
     当時は、様々な葛藤の中におられた事と拝察いたします。
    丁度、江戸幕府が倒れ武士階級が没落してゆく状態に似ていますね。
     昨年、その当時の事を調べる機会があり「「禄」を食んでいた武士階級が経済的にひっ迫して、
    僻地の開墾や屯田兵として蝦夷地に渡った人、商人になった人もいる」・・・
     この「小町」の中にも屯田兵の末裔の方がおられ、想像を絶する苦労だったと聞いております。

     マサ様の、ご先祖様もきっと同じような思いをされたのではないでしょうか。
    その先達の方々のご苦労の元、今の自分がいるという感謝のお気持ちが
    読む者に伝わり胸がいっぱいです。

     じんべえ様やマサ様そして多くの方々と、このような機会に巡り合えましたこと、
    感謝しております。

    ユーザーID:2132250296

  • 赤穂義士の心

    ここ数日、「赤穂浪士」についての様々な文を読んできました。
    莫大の資料を、丁寧にまとめられた郷土史家の方の努力には、
    頭の下がる思いです。

    驚く事にその地元でさえ、郷土史家の方の若い頃は「赤穂浪士」に対するイメージは
    マイナス評価が強く本格的に研究するには気後れする状況だった」と新聞記事のインタビューに答えていらっしゃる事です。
    そういう中で、黙々と研究を続けられ、全国にも調査に行かれ、墓・文章・碑石・などの調査をされています。

    今まで知らなかった事実が解り、毎日ドキドキのしっぱなしです。
    様々な角度からの分析をされた文章を見るにつけ、「こういう考えもあるのか」と改めて、考えさせられる事ばかりです。

    そして、「赤穂浪士」の残された手紙を読ませて頂き、胸に迫るものがあります。
    一度、赤穂市を訪れてみたいと願っています。
    風、山・川・・300年前と変わらないものもあるでしょうね。
    その時、「赤穂義士」の心に触れる事が出来るでしょうか・・

    ユーザーID:2132250296

  • 討ち入りを傍で観ていた人

    その人の名は、佐藤條右衛門一敞(じょうえもんいっしょう)といい
    堀部安兵衛の従兄弟です。その人が書いた文章『浅野内匠頭殿 御家士 敵討一件』についての要約・・

    ・佐藤條右衛門派討ち入りに同行し、吉良邸の周りを警護していた。
    ・ 義士が戦っている間は、吉良邸の周りを見回り、監視を怠らなかった
    ・討ち入りの真っ只中、地元の夜廻りと見える者が通り、その者たちは、浅野の浪人の討ち込みであることを知っていたという。
    ・討ち入りのさなかの午前4時頃、商人らしい3人がやってくるのを目にした。3人のうちの一人は、厄介事が及ぶのを恐れたのか、吉良邸内での大騒ぎを「年の瀬なので、すす払いでもやってるんですかね」とトボケた。
    ・ 泉岳寺で 夕方になって、佐藤が「これからどうするのか」尋ねると、安兵衛は目的を達成した安堵感からなのか、笑いながら
    「切腹 切腹」と言った。

    町民も討ち入りの最中に、往来しているという、映画などとは違う事実に驚かされると同時に、
    そして、救護班の医者まで待機していた、という事に驚愕し討ち入りに対する、
    感心の高さを感じました。

     

    ユーザーID:2132250296

  • 年の瀬に往時をしのび考えた事

    本年も押し迫ってまいりました。

    赤穂義士の事を調べれば調べるほどに奥が深いものがありますね。
    当時から、真っ二つに割れた意見が現在も尚続いている・・

    それだけでない様々な事象を目にするにつけますと、
    事の重大性を再確認しています。
    たとえば、明治天皇の「宣旨」に至っては驚きの一言でした。
    それぞれの思いの中の「赤穂義士」・・・

    それにしましても、初動での対応が違っていたらという思いが
    改めて強く感じます。

    「多くの命と悲嘆にくれ路頭に迷った家族」の事を考えますと
    余計その思いが募ります。
    そして、諏訪に流され若い命を散らした吉良義周・・

    討ち入りの後、大名家にお預けとなっていた46人は年の瀬を
    どのような思いで、過ごしていた事でしょう。
    そして、住む地を追われ流浪の民となった「旧赤穂藩士の家族」は、
    吉良公傍に仕え亡くなられた方々のご家族は・・

    歴史の片隅に、悲嘆にくれての生涯を終えていった方々が
    いるのではないかと考えますと、胸が痛みます。

    ユーザーID:2132250296

  • 年の瀬の忠臣蔵

    昨日のテレビ番組に黒鉄ヒロシさんが出ておられ
    「忠臣蔵」について語っておられました。

    黒鉄さんは「大石内蔵助」は「自分に恥ずかしくない生き方をされた方」
    そして、計画性・資金管理能力・情報収集能力に極めて長けていたとおっしゃられました。

    討ち入り前の出納帳には691両、現在の金にして1億3280万円の支出があったと記載されています。

    そして、討ち入りは徳川幕府が出来て100年たっての頃で、
    太平の世で武士道精神が揺らいでいた時に起こった・・
    そしてその130年後に「大塩平八郎の乱」が起こったとおっしゃられ、
    今まで知らずにいた事を学ぶ事が出来ました。

    そのテレビ番組を見ながら、家族とも話したのですが、
    最初何の調べもせずに、いきなり切腹というのはおかしい、
    「冤罪」の可能性だってあるのではないか。

    「テロ」云々は後付けであって、

    そこで、きちんとした調べが行われており、
    両者の話をきちんと聴いいた上での、正当な判断であれば
    後の悲劇も防げたのではないか、という所に行きつきました。

    「命の重みは皆同じ」

    ユーザーID:2132250296

  • 新年を迎えて

    討ち入りから、早ひと月・・・
    新年を、義士たちはどのような心境で迎えた事でしょうか。
    細川家他4家にお預けになった義士たち・・

    衣食住には、恵まれてはいたものの、その心中は・・
    大義を果たした、使命感と命長らえている事への複雑な心境、
    自分に置き換えてみましたら、一日ごとに生への執着が湧きでて
    悶々としそうで・・

    当時、識者の間でも意見が割れ、処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣・浅見絅斎などが賛美助命論を展開、徂徠は義士切腹論を主張し、最終的に切腹となったのですが、その間の2か月の心境を毎日考えています。

    寒い毎日で、外出もままならず、庭には咲く花とてない、モノトーンの世界・・・
    残した家族を思い人知れず涙していたのではなどと考えますと、
    やるせない思いでいっぱいになります。
    切腹まで、あとひと月・・・

    非日常的な生活など、考えも及ばずにいますが、
    自分がその立場に置かれたらと思いますと、一日一日を無駄に出来ない・・

    こんな風に、穏やかな日々を送れる事を、素直に喜ばなければいけませんね。

    ユーザーID:2132250296

  • 運命とはいかに過酷なものか・・

    じんべえ様のレスを読んで、武士の家に生まれたが故に16歳の命を散らせねばならなかった、
    大石主税の心境は、いかばかりだったのかと考えますと、胸ふさがれる思いです。

    「赤穂義士」との出会いは小学校高学年の時でした。自分と幾つも歳の違わない人たちが、
    大人に交じり戦い命果てて行く・・太平の世に生まれた自分との違いに、愕然としたものでした。

    「散り行くものの美学」と言うにはあまりにも残酷な定め・・

    討ち入りから切腹までの2か月は、様々な思惑に彩られた日々で、
    最後は各々の体面が保たれた結果となったのですが、
    只吉良義周は、改易諏訪蟄居となり数年後に亡くなり、
    寂しい一生となりました。

    私は、10代の若かりし頃、何時も焦燥感に駆られていました。
    何も考ず只周りに流され、生きて行く事の虚しさ貧しさに辟易
    そんなことを言えば、「変わっている」と言われそうで
    心に封印・・

    今は誰はばかることなく「赤穂義士」について、皆様との交流が出来ます事
    嬉しく存じます。

    ユーザーID:2132250296

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