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「赤穂浪士」についてお教えいただけますか

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生活・身近な話題

アジサイが好き

トピを開いて頂きありがとうございます。

「赤穂浪士討ち入りの日」が近づいてきました。
12月は「忠臣蔵」のドラマや本を見ないと落ち着きません。

ドラマは、おおよそストーリーが決まっており、新鮮味もないのですが
何故か見てしまいます。
判官びいきの日本人という事でしょうか。

大石主税が、母と別れる所や、僅か16歳で命を果てる所
では涙腺全開・・

しかし、事の事実はどうだったのかは、定かでは無く
お芝居本の通りでない、裏事情があった事と思います。


そこで皆様にお聞きしたいのですが、
「赤穂浪士」に関する様々な言い伝え等ご存知でしたら、
お教えいただけますか。

そして、赤穂市と吉良町を巡る関係はいかがなのでしょうか。

様々なご意見お待ちしております。

ユーザーID:2132250296

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  • 確か

    浅野家と吉良家の末裔同士 結婚してるんじゃ無かった? 違ってたらゴメンなさい

    私も赤穂浪士大好き

    ユーザーID:8436529950

  • 末裔の方は演歌歌手

    私も忠臣蔵ファンですよー。赤穂、泉岳寺、吉良邸全部行きました。

    さて、私の知ってるネタは大石さんの直系の子孫の方は演歌歌手で
    ステージでは、「我が家はずっと奈良です」とおっしゃっていました。
    世間の話では京都になってますよね。

    ユーザーID:0511918342

  • 徳川が便乗

    1浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた動機は仮説ばかり。
    247士のうち17名も幕府枢要地点の麹町に潜伏できた。
    3松の廊下後、吉良家は警護盤石の呉服橋を追い出され、
     警備不備の本所に移された。こんなこと可能なのは徳川しかない。
    3吉良を討ち取ったあと徳川ゆかりの泉岳寺に入った。墓も。
    4その後名門吉良家は徳川によって抹殺された。
    5これらについてそもそも矢作川干拓がらみで徳川は吉良
     を疎んじていたとか。徳川からみれば忠臣蔵は吉良潰し
     のきっかけであった。
    とはいえ忠臣蔵は国民の大きなアイデンティティを得ている。
    とまあこれらは、竹村公太郎氏の「日本史の謎は地形で解ける」
    で説得力をもって記載されている。

    ユーザーID:2382804501

  • 知っている範囲で

    浅野内匠頭(漢字に自信なし…)は、
    実は持病持ち(気の病)で、だから子供もなく、大石内蔵助も江戸での生活を心配していて、それが現実となってしまったと何かで知りました。
    吉良上野介はお国元ではかなりいい領主であり、家臣や民から慕われ、尊敬されていたことは有名です。

    ユーザーID:6631364690

  • 言い伝えが知りたいのですか?

     質問が明快ではないので困りました。

     赤穂浪士事件については、かなり真実に近いところがわかっていますよ。
     「歌舞伎・芝居・テレビドラマ・映画」の、面白くするために創作した部分を全部洗い流し、「あんなことはなかった」とそぎ落として、事実だけを調べて書いている本が沢山あります。

     そういう方面にご興味があるなら、一度図書館へ。

     一般のテレビドラマは、ほぼ嘘です。いや、創作です。
     大体、あの夜は雪は降っていないし、討ち入りした時には吉良家の家の周辺で見ていた人が沢山いるのですよ。前夜の雪が残っていたのでした。
     相手に悟られないように討ち入るのに陣太鼓を叩くのも変でしょ?

     わからないで困っているのは、上野介に斬りかかった浅野内匠守の「日頃の恨みおぼえたか!」の「恨み」が何かということですね。

    ユーザーID:7464141724

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  • 現代にそぐわないフィクション

    仇討といってももうピンとこないでしょう。時代劇も見られなくなり、儒教も朱子学もなじみがありません。
    そもそもこれが仇討かどうかも定かではなく、一方的な逆恨みによる大量殺人事件とも言えます。
    当時は幕府にたいする反感があり、赤穂浪士の行動に快哉を叫んだのでしょうが、現代からみれば、お涙ちょうだいの脚色演出過多にしか思えません。
    テーマは主に対する忠誠心でしょうか。どんなバカ殿でも法的に認められなくても忠誠を尽くすことが褒められるという話ですね。会社に対する忠誠心とシンクロしている時代は良かったのかもしれません。

    今の私には、一方的な逆恨みから吉良を討つ様々な努力が異様で残虐に見えます。
    もう現在にはそぐわないフィクションだと思います。

    ユーザーID:2540874786

  • 怜です。またまたお邪魔します。

    どうもアジサイが好きさんとは好みが似ているのかな?と勝手に思っています(笑)

    さて、赤穂浪士ならいくらでも語れる私です。
    諸説には本当に様々あって、中にはそれが史実ならちょっとさびしいな…と思う事柄もあります。

    例えば、討ち入りの日の装束はあの有名な火事装束ではなく、普通の着物であったこと、
    また映画やドラマのように浪士一人々に名前入りの襷など付けなかった、討ち入りの際の陣太鼓など打つ筈がない
    (打つと夜襲の意味がない)等々。

    なので私は自分の好きな「マイ忠臣蔵」像を持っています(笑)。
    これまで沢山の物語が放映、上映されてきましたが、私が秀逸と思っているのは(と言っても1980年以降のものになりますが)
    1985年、読売テレビで放映された里見浩太郎さん内蔵助、風間杜夫さん浅野長矩、多岐川裕美さんあくり…のものです。
    各人物のキャラクターと俳優さんが見事にマッチしている逸品だと思います。

    尚、赤穂市と吉良町の関係ですが、ごく最近友好関係が結ばれたというニュースを見ました。
    吉良町の人々にとっては、名君を賊扱いされて長く苦しい年月だったようです。

    ユーザーID:2334435784

  • レスします

    忠臣蔵はフィクション、芝居の「仮名手本忠臣蔵」の通称です。
    元禄赤穂事件は史実。その辺を分けて考えましょう。

    ユーザーID:9796925800

  • 神崎与五郎の詫び状!

    箱根の旧街道に、甘酒茶屋というお店があります。
    赤穂浪士の神崎与五郎が馬子に言いがかりをつけられた時、大事の前の小事として我慢し、詫び状を書いた茶屋です。
    箱根にお出かけの際はぜひ立ち寄ってみてください。

    忠臣蔵、いいですよねぇ。
    私も大好きです。
    「徳利の別れ」「日野家用人・垣見五郎兵衛」「天野屋利兵衛は男でござる」等々・・・
    フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。

    私も今までいろいろ見ましたが、里見浩太郎さんの忠臣蔵が一番好きです。
    一番心に響いています。
    トピ主さん、もしまだご覧になっていなければぜひ!

    ユーザーID:6280349764

  • 人間ドラマ

    アジサイが好き様、おはようございます。

    今朝も調べもので、この時間になりました。

    このレスを書いたら、4時間程寝ようと思っています。
     

    さて、「忠臣蔵」。
    私も好きです。
    私は「人間ドラマ」として捉えています。
    浪士とそれに関わった人々の苦悩と決断。
    それはどんな時代になろうと見るべきものがあるだろうし、深い感動も生まれてきます。
    アジサイが好き様が、「忠臣蔵」がお好きなのは、そういう意味もあろうかと思います。

    怜様の「マイ忠臣蔵」、アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」というレスに共感します。


    どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。

    心豊かなアジサイが好き様だからこそ、様々な場面で感動されるのでしょうね。

    ユーザーID:0513908108

  • 各々がた様  忠臣蔵ファン 様へ

    お二方、レスありがとうございます。

    そういう事実があったなんて、知らずにおりました。

    直系のご子孫様の事わかりました。
    ありがとうございました。

    お二方とも熱心なファンとお見受けいたしました。
    これから、寒い日が続きますが、
    お身体を大事にしてくださいね。
    レス、本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • 頑固堂さま、たまに様 Mr.ますりん さま

    お3人様レスありがとうございます。

    「忠臣蔵はフィクション、芝居の「仮名手本忠臣蔵」の通称です。
    元禄赤穂事件は史実。」・・
    この件は存じておりまして、中学生の頃百科事典で調べました。
    その後もおりに触れテレビや新聞本などで触れてきました。

    「日頃の恨みおぼえたか!」、この点が釈然としませんね。
    とても気にかかる事です。

    「現代にそぐわないフィクション」かもしれませんが、
    時を超え時代を超えてなお多くの大衆に支持されるのは
    どう云う事なのでしょうか・・

    確かにお涙ちょうだいの「大衆迎合」の物かもしれませんが、
    高い所に鎮座している人よりも、大衆の方が事の真実を
    つかんでいたかもしれませんね。・・

    何の詮議も受けることなく自刃に追い込まれた、
    不正義はいかがなものでしょうか・・
    御定法に乗っ取った裁きがされていれば、
    後の事件は起こらなかったかもしれませんね。

    そこの「不条理」が多くの貧しき人間の心を
    つかんだのではないでしょうか。

    「忠誠心」「真心」に人々は感動するのではないでしょうか。

    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • 別の見方

    忠臣蔵の浅野家側からだけでなく吉良家側の立場からも
    見てみると面白いと思います。

    他の方も書かれていますが、吉良上野介は地元では名君
    だったそうです。

    しきたりや作法の分からない人間(しかも石高は断然上)
    に手取り足取り教えているのに、飲み込みが悪すぎる
    バカ殿様に逆ギレされたらたまったものではない。

    この様な別の観点から書かれたドラマがあっても良いのに
    と毎年思っています。

    ユーザーID:9075985738

  • ヨコですが

    旧吉良町の映画館では、平成まで『忠臣蔵』ネタの映画がかからなかったと聞いたことがあります。
    吉良上野介は正室一筋の名君だったそうですしね。

    忠臣蔵ネタではいろんな小説がありますが、
    わたしが好きなのは山田風太郎先生の『忍法忠臣蔵』と
    藤沢周平先生の『用心棒日月抄』かな?
    すたれたとはいえ、絶対毎年忠臣蔵ネタの小説が出ますよね。
    あー、そういう解釈があったのかって。
    興味は尽きません。

    ことしの赤穂の義士祭では、祭を始めて110周年記念で
    内蔵助に松平健氏、実況に浜村淳氏(関西で知らぬ人はいないパーソナリティ)が出演されるそうですよ!

    ユーザーID:1094981318

  • ご定法?

    ご定法? 
    殿中で刀を3寸抜いたら、領地没収の上、切腹がご定法でしょう。
    井沢元彦著「逆説の日本史第14巻」に詳しく出ていますよ。
    今日、図書館で借りてきて読んでいます。

    ユーザーID:9796925800

  • 混同

    忠臣蔵を史実として捉えられているようですが、殿中後ろから切りかかった浅野長矩に理はないわけで、喧嘩両成敗の喧嘩にもなっていません。
    「不条理」さは感じられず詮議のあるなしにかかわらず切腹は免れません。浅野長矩自身が幕府に思うところはなく吉良への「個人的遺恨」と言っています。
    吉良義央への仇討というのも変な話で、訳のわからない「個人的遺恨」を家来がかわって私的制裁を加えることは仇討ではないでしょう。
    ときに憎々しげに演出される吉良義央ですが、刀傷を多数受けて倒れていて探し回ってようやく確認できたという話もあり、討ち入りに際し隠れていたのではなく精一杯応戦していたという話もあります。
    わけのわからない「個人的遺恨」で切り付けられ、一方的に追い詰められ討たれた吉良義央こそ最大の被害者です。
    しかし話作りの演出で勧善懲悪のお涙ちょうだい物語になり、合理的精神を欠いた話を繰り返し見せられてきたことは少なからぬ悪影響もあったことと思います。情に訴えられればどんな行為でも美談になると。

    ユーザーID:1130163179

  • 怜様へ

    怜さまお久しぶりです。
    本当に怜さまとは好みが似ていますね。
    真っすぐで、融通がきかず、ボーとしてませんか。
    そして、神経質で頑張り屋さんの様な気がします。

    「討ち入りの日の装束はあの有名な火事装束ではなく、普通の着物であったこと、
    また映画やドラマのように浪士一人々に名前入りの襷など付けなかった、討ち入りの際の陣太鼓など打つ筈がない
    (打つと夜襲の意味がない)等々。」・・・
    確かに・・寝ている子も起きてしまいます。

    恰好はともかくとして、討ち入りは間違いなく会った事実ですね。
    怜さまの「なので私は自分の好きな「マイ忠臣蔵」像を持っています」・・
    というお気持ち解りますよ。


    「1985年、読売テレビで放映された里見浩太郎さん内蔵助、風間杜夫さん浅野長矩、多岐川裕美さんあくり…のものです。」
    私も観ておりましたが、丁寧に描かれていたという印象でしたね。

    私のお勧めは「女たちの忠臣蔵」・・愛する夫・恋人・息子との別れの中で、耐え忍んでゆく女たちの生きざまに
    涙しました。

    怜さま、他の話もお願いします

    ユーザーID:2132250296

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  • アンマンマン様へ

    アンマンマン様「神崎与五郎の詫び状!」のお店、ぜひ行ってみたいです。
    それにしましても、箱根は今でも往時の雰囲気のままというような所もあって、
    何だかタイムスリップしそうです。

    「「徳利の別れ」「日野家用人・垣見五郎兵衛」「天野屋利兵衛は男でござる」等々・・・
    フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」・・

    私も同感です。史実をある程度わきまえたうえで冷静な目でみれば、
    何ら問題ないと思うのです。
    討ち入りに至るまでの葛藤・・お芝居以上に凄まじいものが、あったかもしれません。
    様々な角度で想像して描かれる事により、より身近に感じる事が出来ます。
    大石主税の若すぎる死は、年を経るたびに悲しく辛いものになります.
    私など、只命を長らえただけで、何ら進歩もしていないと言う自負にかられています。

    やはり、里見活太郎さんの物が秀逸という事ですね。

    こういう風に支持して頂けるお芝居に関わった方々も、
    役者冥利に尽きますね。

    アンマンマン様、ありがとうございました。 

    ユーザーID:2132250296

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  • 案山子様へ

    案山子様レスありがとうございます。
    私の思いを見事表現してくださいました。

    「私は「人間ドラマ」として捉えています。
    浪士とそれに関わった人々の苦悩と決断。
    それはどんな時代になろうと見るべきものがあるだろうし、深い感動も生まれてきます」・・

    これ以外にありませんね。
    事実を踏まえたうえでの、様々な角度からの見方というものがあって良いのではないですか。
    但し一方的に決め付ける事は、狭量になってしまうと思いますし、不遜な物言いは、
    様々な状況に鑑み失礼にあたると存じます。

    「怜様の「マイ忠臣蔵」、アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」というレスに共感します。

    どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。」・・

    案山子様の思いに深く共感いたします。

    読んだり観たりする人の心根が優しければ、良きものはより良く感じられるでしょうし、その逆であれば何の意味も持たなくなる・・

    世の中の営みでも同じことが言えますね。



    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • 小説だけれど著者の意見が面白い

    五味康祐著「薄桜記」おすすめです。
    小説なのですが、浅野の殿様の気質や他の人物の置かれていた立場などを著者がリサーチの上での推測と説明に多くのページ数をさいてあり、ただの小説という以上に面白いです。
    昨年放送されたNHK BS時代劇「薄桜記」は、恋愛系切なさ満載であれはあれで良かったけれど。
    ぜひ小説をお読みくだされ。

    ユーザーID:1487991540

  • レスします

    フィクションの方ですが、吉良さんは悪者でなければ意味がないですね。賄賂をがっちりもらって鮒侍をイビッてもらうと盛り上ります。

    今月、有料のBS放送で昔の忠臣蔵の映画を放映するそうで楽しみです。

    ユーザーID:9796925800

  • maxさまへ

    maxさま、別の見方という事に共感いたします。
    立場変わればという描かれ方も観たいですね。
    そして、討ち入りに加わらなかった他の赤穂藩士
    から観た討ち入りについて・・

    幕府内部からの描かれ方などがあれば、より一層
    討ち入りについて見てみればと思います。

    つい最近の記事で、「討ち入り」の様々な文書が公開されるとありました。
    事実は事実として受け止めた中で、表現者の様々な思いも受け止めたいですね。

    余りにも、偏った一方的な見方は慎みたいと自戒です。

    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • 赤穂藩士

    赤穂浪士といえば四十七士ばかりが取り上げられがちですが、当然それ以外にも主を失った多くの浪人たちがいます。
    その者たちの一部か多くかはわかりませんが、この地に落ちて参りました。
    一説によりますと、内蔵助率いる一軍の四十七士が吉良を討ち損じた時には、再度討つため密かに準備を進めていた二軍のグループがありました。
    そのリーダーもどういう縁戚かわかりませんが大石氏といい、今でもこの地に大石さんは住んでいらっしゃいます。
    幸か不幸か一軍が思いを遂げることができたので、流れて来たその者たちはこの地に安住し、赤穂秘伝の塩づくりを始め、製塩の環境もよかったこともあって、その後この地は全国一の製塩業の町となりました。
    かく言う我が家も、討ち入りしなかった赤穂浪士の末裔と聞いています。

    ユーザーID:1738546699

  • 語感の及ぼす影響

    史実としての「赤穂事件」及び吉良、浅野両者の間に存在した真実など、専門の学者によっても諸説あり、
    まして一般の読者視聴者に過ぎない私達が聞きかじりの知識であれこれ論じた所で、所詮身びいきの方に肩入れするよりほかなく不毛な事だと思います。
    仮に両者にここで経緯を聞けたとしても、その2人にさえ受け止め方やそれまでの双方の中の常識等に左右されて
    齟齬が生まれていたのでしょうから、結局自分の好きな「赤穂事件」として収めるしかないのだろうと思うのです。

    そういう中にあって、私は吉良という名前を聞くと自動的に他国の妃、「マリーアントワネット」を連想するのです。
    彼女もまた、あまりにも有名な実在した人物であって、尚悪評高い事で吉良と似たようなイメージを持つ人です。
    そこで思うのですが、吉良にしてもアントワネットにしても、悪役として定着した理由の一つに、名前の語感から来るものもあるのでは?と思いました。

    「キラ」「アントワネット」共に独特の響きがあり、仮に吉良がもっと別の平凡な姓であり、仏妃もオーストリア発音の「アントニア」であったら後世のイメージも違ったのでは?と思うのです。

    ユーザーID:2334435784

  • 続き

    先に述べた「登場人物の名前の語感によるイメージ」という、私の独断に満ちた考え方にもう少しお付き合い頂きたいのですが、
    赤穂事件最大の争点である「松の廊下に於ける刃傷事件」の際に関わった徳川将軍が、あの綱吉であった事も
    事件が過剰に浅野側への同情を惹いた一因になったのでは?とも考えています。

    綱吉は言わずと知れた天下の悪法、「生類憐みの令」を発令した徳川15人の中でも悪役のイメージが強い将軍です。
    これが関与したという事で余計に浅野への同情が大きく票を獲ったのであり、これがもっと賢君として名高い将軍、
    例えば6代家宣などであれば、世論も違ったのでは?と勝手に想像しています。

    その綱吉も、見方によっては学問を推奨し、文化の発展に大いに寄与したという事で評価する向きもある位なので、
    後世の人間がダメ将軍というレッテルを貼っている割には長所もあった可能性も大いにあります。
    つまり、赤穂事件は良くも悪くも余りに登場人物がよく出来ており、故に世間の関心も根強く高いものを保ったいわば「稀有な事件」とも言えるのでは?と思っています。

    ユーザーID:2334435784

  • お話

    >お芝居本の通りでない、裏事情があった事と思います。
    当たり前だけど
    仮名手本忠臣蔵と元禄赤穂事件は違うし、
    仮名手本に出てるのは、「大星由良助義金、塩冶判官高定、高師直」ですよ。

    で、元禄赤穂事件があったのは1703年1月30日で12月ではありません。

    12月は「仮名手本忠臣蔵」ね。

    ユーザーID:1728627762

  • 平成の世に…

    吉良さんは悪者でないと許されない風潮ですよね。
    でも平成になった今でも、吉良の町の方たちは菩提寺である華蔵寺のお墓を欠かさずお掃除されています。子孫、家臣ではなく、領民によって墓守を今でもされているって、それだけでお人柄、家柄が偲ばれると思うのですが…。
    かく言う私の親戚もその地に嫁いで以来、欠かさずお掃除をしています。

    ユーザーID:5979955564

  • 私も好きです

    私も「忠臣蔵」好きです。

    一時ハマって色々読みまして、
    綱吉の側近、「柳沢吉保」の陰謀説が
    面白かったです。
    吉良は吉保にとって、目の上のタンコブだったようです。
    なるほど〜 
    吉保ならこの位するかも・・な〜んてね。

    ぜひ大河で吉良方から見た忠臣蔵をやってほしいです。
    吉良家の家老、色部又衛門・・又四郎・・だったかな?
    (すみません、忘れました)

    最も最近の大河は薄っぺらいですが。
    脱線失礼いたしました。

    ユーザーID:0842674839

  • アラフォ振袖さま

    レスありがとうございます。

    12月になりますと「忠臣蔵」「赤穂浪士の討ち入り」が頭をよぎります。
    憶測ばかりではなく「真実は・・」と気になる所です。

    「あー、そういう解釈があったのかって。
    興味は尽きません。」・・

    アラフォ振袖さまと、同じ感想を持っております。


    「ことしの赤穂の義士祭では、祭を始めて110周年記念で
    内蔵助に松平健氏、実況に浜村淳氏(関西で知らぬ人はいないパーソナリティ)が出演されるそうですよ」・・

    華やかな「義士祭」になる事でしょうね。
    浜村淳さん、軽妙な語り口で素敵な方ですね。
    各地に様々な時代祭りがありますが、
    「義士祭」は格別な思いの中に
    行われるのでしょうか。
    何時か、行ってみたいです。






    ユーザーID:2132250296

  • トピ主のコメント(31件)全て見る
  • マサ様へ

    レスありがとうございます。

    何だか感無量です。

    「四十七士がスポットを浴びているが、その陰に多くの浪士、家族がいたはず」
    「上級武士や、仕官で来た人は良いが、そのほかの人はどうなったのだろう」
    気になっておりました。
    「一説によりますと、内蔵助率いる一軍の四十七士が吉良を討ち損じた時には、再度討つため密かに準備を進めていた二軍のグループがありました。」・・
    この話は有名のようですね。

    調べましたら、、群馬、山梨、山形に家老、大野九郎兵衛の御墓や供養塔があります。
    事の真贋はわかりませんが、驚かされました。

    「善光寺一山の景勝院の中庭は『忠臣蔵』赤穂浪士の1人大高 源五(子葉)による作庭だと伝えられています。

    赤埴 源蔵の父は塩山十左衛門といって、飯田藩5万5千石・脇坂家に仕えていた。
    その脇坂家が寛文12(1672)年、転封で播磨(兵庫県)龍野藩へ。
    そして源蔵は隣藩の赤穂・浅野家の赤埴家養嗣子となった。」・・

    このような記事を見つけ、ドキドキし、

    世間は狭いという事を実感しております。





    ユーザーID:2132250296

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  • SS様へ「赤穂浪人御預之記」

    レスありがとうございます。
    「討ち入り事件」は、江戸城内で吉良上野介に切りかかり切腹となった赤穂藩主浅野内匠頭の敵討ちのため、

    大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂浪士47人が翌年の元禄15年12月14日(1703年1月30日)・・

    昨日宮内庁より公開されました「赤穂浪人御預之記」」(浪士10名を預かった大名毛利家の記録)にも、

    「元禄15年12月15日・・」とあります。討ち入り直後から切腹に至るまでの記録が詳細に書かれております。

    出された食事から、病気の事、風呂の事、切腹の場所の図などがのっています。

    「朝夕2汁5菜」「菓子」「夜食」食事面から始まり、事細かな事が書いてあります。

    SS様、お詳しいようですので、是非現代文に訳してお教えいただけないでしょうか。

    難しい文言で戸惑っておりますので、よろしくお願いいたします。

    ユーザーID:2132250296

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  • 「赤穂義士について」と言えるのか

    ちょっとビミョーなんですが、京都・祇園に原了郭という薬味の店があります。
    義士の一人である原惣右衛門元辰の一子・原儀左衛門道喜が、討ち入りの翌年(元禄16年)に開いた店だそうです。
    この店の「黒七味」というのが、辛いだけでなく深みがあって香りがよく、非常に美味しい。
    材料を乾煎りしているので、七味なのに赤くなくて黒っぽいのです。
    焼き鳥、揚げ物、味噌汁、卵かけご飯など、どれも美味しくなりますよ。

    京都まで行かずとも、三越などのデパートやスーパーの紀伊国屋でも買えますので、ぜひお試しください。

    ユーザーID:9211277608

  • 赤穂の人ばかりではない

    赤穂浪士といえばわが殿の敵討ちを…!ってな話しではありますが、実は赤穂の人たちは半分程度、旧常陸国の浪士などもたくさん混じってたとか。現在の茨城県真壁郡や笠間市などの出身で、実は笠間市には大石内蔵助や赤穂浪士の銅像が立ってます。
    なんでも大石内蔵助の祖父が水戸藩の家老だったとか。

    水戸藩と言えば有名なのが黄門様の水戸光圀ですが、この方は赤穂浪士を裁いた将軍綱吉の目の上のタンコブ的存在。普段から朝廷>将軍という態度だし生類憐みの令には猛反対、水戸藩屋敷は江戸にあり、嘘か真かは知りませんが、将軍宛てに犬の毛皮を送りつけた、なんて話しもある人なので、もし赤穂浪士の裁きの件が耳に入っていたら興味深いことになったかもしれません。
    まあ松の廊下の件の前に亡くなっているので耳に入りようがないのですが。
    大石内蔵助の祖父が水戸藩家老であったなら、面識はあったかもしれませんね。

    というわけで、討ち取った後は太鼓叩いてパフォーマンスしてることから、参加した浪士の半分くらいは就職活動だったんじゃないかなぁと思ってます。実際、引き取りたいって話しもあったようですし。

    ユーザーID:1633539841

  • 横になりますが

    宝塚の忠臣蔵も最高に素敵でした♪

    当時の雪組トップの杜けあきさんが大石内蔵助を演じました。

    宝塚ならではの華やかさ、繊細さ、また討ち入りのシーンの音楽、群舞の素晴らしいこと!
    そして力強い杜さんの内蔵助にクラクラしました。語れば長くなります・・

    里見幸太郎さんの内蔵助が私がテレビで見た最初の忠臣蔵でした。
    このシリーズの白虎隊や、田原坂もこの季節に放送されてましたよね。

    完全に横ですみません。

    ユーザーID:9910829284

  • だび様へ

    だび様のおっしゃる事、良く解ります。

    「小説なのですが、浅野の殿様の気質や他の人物の置かれていた立場などを著者がリサーチの上での推測と説明に多くのページ数をさいてあり、ただの小説という以上に面白いです。」・・

    一方向でなく多方面から考察という事は、非常に重要ですね。
    良くも悪くも固定観念を持ってしまいがちです。
    それを、払拭しなければ前に進みません。

    以前より、世界が広がった現在人は多方向から物の本質を見る、
    事が可能になりました。
    各々選択して「それぞれの赤穂浪士像」「吉良像」「浅野象」を創られ
    てはいかがでしょうか。

    「怜様の「マイ忠臣蔵」、
    アンマンマン様の「フィクションでいいんです。それを含めて、大好きなんです。」

    そして、案山子様の「どんな名作であろうと、それを見たり読んだりする人の心が貧しければ、それはその人にとって駄作となってしまいます。」・・

    お3人様の思いに、深く共感いたします。

    そして、だび様の思慮に富んだ文言に感謝いたします。

    ユーザーID:2132250296

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  • 江戸時代の空気

    五十路の私の同年代でも忠臣蔵を理解できない人は多い。近代刑法に照らし合わせれば、江戸城で殺人未遂を起こし処分された加害者の部下が、武装集団化して被害者の邸宅を夜分に襲撃し、その被害者を始め多くの人を殺害したテロと捉えるべきだろう。とくに多くの現代人に理解不能なのは、事件後テロ被害に会い、自らも重傷を負った被害者たる吉良義周が政府により処罰され、犯罪者として流刑に処されたことだろう。現代に生きる我々には、どう逆立ちしてもテロの被害者が罰せられるのは不合理としか思えない。

    それが江戸時代なのだと言ってしまえばそれまでだが、一つ言えることは喧嘩は両成敗であって、どちらがより大きな被害を受けたかという結果ではなくその原因を作った方が罰せられるべきという考え方だったことと、武士はその特権と引き換えに常に強くなければならない、被害者となることは許されないという思想があったということか。

    いずれにしても非常に遠い世界のことと感じられる。

    ユーザーID:5679062134

  • 理由のひとつは「武士の面目」

    刃傷事件は、綱吉の母親に対して朝廷から階位が与えられるという重要な儀式の当日におこりました。徳川家にとってもっとも重要な日に江戸城内で刃傷沙汰をおこした内匠頭に対して、綱吉は激怒したといわれています。
    しかし、その後の幕府決定に対して反発したのが浅野の家臣たち。
    外様とはいえ、浅野はかりにも五万石の大名。事件をおこしたことは確かに悪いが、通常ならば身柄をいったん他の大名家に預け、本当に個人的怨恨だったのか、あるいは後ろから吉良に切りつけたのかなどなど、大目付あたりが十分に調査をしてから処分を下すのが常道。場合によっては「喧嘩両成敗」になる場合もあるからです。それにも関わらず、幕府はまったく調査をすることなく乱心扱いにして「即日切腹、お家取り潰し」を命じました。しかも庭先での切腹。まったくの罪人扱いです。これは大名家にとって最大の恥辱。
    赤穂浅野家の源流は美濃の戦国大名土岐氏。しかも軍学については山鹿素行の教えを受けるという、天下泰平だった当時としては古いタイプの大名家だったことも、家臣たちが立ち上がった理由でしょう。

    ユーザーID:1906091897

  • 独り言様へ  新たな思いへの第一歩

    レスありがとうございます。

    吉良だけでなく、大野九郎兵衛、討ち入りに参加しなかった浪士も同じような扱いですね。
    そして「赤穂浪士」は「一方的な逆恨みによる大量殺人事件とも言えます。」と、とらえる方もいます。


    「つい最近の記事で、「討ち入り」の様々な文書が公開されるとありました。
    事実は事実として受け止めた中で、表現者の様々な思いも受け止めたいですね。

    余りにも、偏った一方的な見方は慎みたいと自戒です。

    但し一方的に決め付ける事は、狭量になってしまうと思いますし、不遜な物言いは、
    様々な状況に鑑み失礼にあたると存じます。」・・

    私の思いは上に記したものですし、このトピを見た吉良・赤穂にゆかりのある方々の心境をお聞きする事により、新たな意識を持ってほしいと言う願いも根底にあります。

    吉良家地元の方々の、墓掃除の件もレスを頂かなければわからない「真実」でした。

    草の根でもこういう意見交流を通して、互いの思いを吐露すると言う事も必要だと思います。

    独り言様、貴重なご意見ありがとうございました。








    ユーザーID:2132250296

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  • 佐藤さまへ

    レスありがとうございます。

    様々な本を、読んでいらしたのですね。

    書かれた方による思いの違いが解り、
    読んで楽しいでしょうね。

    「吉良方から見た忠臣蔵をやってほしいです。」・・

    佐藤様だけでなく、他にもその思いの方がおられ、
    私もそのように願っています。

    一方の見方では無く、多方面からの考証も是非叶えて欲しいものです。
    それにより、今までとは違った感じ方ができるかと思います。

    ユーザーID:2132250296

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  • しろねこ様 良い情報ありがとうございます。


    「京都・祇園に原了郭という薬味の店があります。
    義士の一人である原惣右衛門元辰の一子・原儀左衛門道喜が、討ち入りの翌年(元禄16年)に開いた店だそうです。
    この店の「黒七味」というのが、辛いだけでなく深みがあって香りがよく、非常に美味しい。
    材料を乾煎りしているので、七味なのに赤くなくて黒っぽいのです。」

    はじめてお聞きしました。
    脈々と繋がってこられたのですね。

    武家育ちでいらしたのが、いきなり別世界に入られ苦労する事も多かったのでは・・
    商いを300年も続けて来られたのは、きちんとした仕事をされた賜物に他なりません。
    一度、味わってみたいものですね。

    こういう、お話を聞きますと何故かほっといたします。
    しろねこ様、ありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

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  • kai様・・内蔵助の銅像が笠間市にあるとは知りませんでした。

    kai様詳しく様々ご紹介いただきありがとうございました。

    私など門外漢からしますと、閉鎖的な江戸時代は、人間の動きは少ないと思っていましたが、
    武家社会では「改易」「移封」となれば当然藩故、各地へ赴いたわけですね。
    今でいいますと、「事業所が閉鎖になり移転した所に新しい企業が従業員ともども移転してくる」
    そんな感じでしょうか。

    水戸の徳川家と綱吉との関係というのも、とても興味深いものがありますね。

    討ち入りを果たした後、各大名家にお預けになった後、助命の動きもあったようですが
    荻生徂徠の意見が通り浪士には切腹が命じられました。

    その間の心の葛藤は、いかばかりだったかと思いますと、
    胸に迫るものがあります。

    今こうして普通に生きれる事の幸せを、
    大切にしなければ・・

    「命」「心」「親」「子」「誠」「忠」「儀」
    時代は変わっても、変わらないでほしいもの・・

    ユーザーID:2132250296

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  • あまなつ様、宝塚は最高ですね。

    オー・タカラズカ・・
    まだ一度も舞台を見た事はありませんが、
    夢の舞台に挑戦する少女のドキュメンタリー番組
    も観たり、「ベルばら」大ファンです。

    一つの事にひたむきに挑戦する姿・・・
    ある意味「赤穂浪士」の大石主税の姿にダブります。

    「宝塚ならではの華やかさ、繊細さ、また討ち入りのシーンの音楽、群舞の素晴らしいこと!
    そして力強い杜さんの内蔵助にクラクラしました。語れば長くなります・・
    里見幸太郎さんの内蔵助が私がテレビで見た最初の忠臣蔵でした。
    このシリーズの白虎隊や、田原坂もこの季節に放送されてましたよね。」・・

    生の舞台に感動された事でしょうね。
    私もクラッシックコンサートには、良く出かけます。
    CDでも聴けますが、あの会場の独特の雰囲気、
    病みつきになります。

    特に「小澤征爾 」、「五嶋みどり」さんのステージは、
    一生忘れられないと思います。
    最後「ブラボー」の声と拍手・・
    これは、あの場所にいないと味わえませんね。

    これからも良き舞台、映画、読書で素敵な毎日を
    お送りくださいね。

    レスありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

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  • 吉良生まれ吉良育ち

    吉良町で生まれ育ちました。

    18歳で吉良町を出てしまいましたが
    吉良さんは悪者ではなく
    人々のために尽力してくれた名君と教えられました。

    華蔵寺は小学校の遠足でいきますよ。
    お墓参りもしました。


    ちなみに忠臣蔵はきちんとテレビで見たことがありません。
    ですので史実も詳細はお恥ずかしながら知りません。
    祖父母と一緒に住んでいましたが
    忠臣蔵について、教えてもらうことはありませんでした。
    吉良さんはいい人だったということしか、教えられませんでした。

    皆様のほうのが色々小説等を読まれて詳しいかもしれませんね。

    ユーザーID:4163696403

  • パタリロで

    パタリロで読んだ話で、今もなお探しているのがあるのですけれども。
    福内鬼外こと平賀源内が書いた浄瑠璃の台本を探しています。

    「殿中でござる」と浅野を羽交い絞めにした人が主人公で、
    将軍様より「天晴である」との仰せのあと、
    武士ならばせめて一太刀でも浴びせるのを待っても良かったのではないか、家がつぶれる藩へのその情理があっても良かろうと言われて、考え込んで出家。
    その出家した僧が、あれこれ、みたいな。

    子供の頃、人形浄瑠璃でそれを見た覚えもあって、全体が知りたいのですね。

    ちゃんと、吉良が名君であったことも、浅野が藩主として愚かであったことも描かれていた気がするのです。

    ユーザーID:5143930885

  • せいうち様へ  真実はどこに 

    レスありがとうございます。

    現代に生きる私どもが知りえるのは、多種多様な文献や識者の意見・・
    それも、賛否両論があり読めば読むほど、知れば知るほど
    「真実はいかに」という事になります。

    此処に、レスを寄せた方々の意見も、「吉良方」「浅野方」・・
    「せいうち」様と「じんべい」様のレスが、対象的な例ですね。

    「たまに」様に至れば「わけのわからない「個人的遺恨」で切り付けられ、一方的に追い詰められ討たれた吉良義央こそ最大の被害者です」・・
    と、言いきっておられます。

    しかし、浅野長矩に一切の調べを行わないうちに、即日切腹という「不条理」だけはぬぐえず、
    もし、自分の愛する家族がその様な目にあったとしたら、どうなのかと考えさせられます。


    その後、「元禄16年2月4日(1703年3月20日)、幕府評定所に呼び出された結果、義周の当日の対応は「不届き」として改易の上、信濃諏訪藩主諏訪忠虎にお預けを言い渡される。なお、同日に赤穂浪士たちが切腹している。」・・
    という、裁定になった事の裏に、真実が隠されている気がします。

    ユーザーID:2132250296

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  • じんべえ様へ

    レスありがとうございます。
    せいうち様へのレス中、お名前を「じんべい」とミスプリンした事をお詫びいたします。

    ・徳川家にとってもっとも重要な日に江戸城内で刃傷沙汰をおこした内匠頭に対して、綱吉は激怒した

    ・浅野はかりにも五万石の大名。事件をおこしたことは確かに悪いが、通常ならば身柄をいったん他の大名家に預け、本当に個人的怨恨だったのか、あるいは後ろから吉良に切りつけたのかなどなど、大目付あたりが十分に調査をしてから処分を下すのが常道。場合によっては「喧嘩両成敗」になる場合もある。幕府はまったく調査をすることなく乱心扱いにして「即日切腹、お家取り潰し」を命じた。庭先での切腹。まったくの罪人扱い。これは大名家にとって最大の恥辱。・・

    この辺の解釈が「たまに」様「せいうち」様と、真っ向対立する所ですね。

    「事の真実は300年前の闇に消えた」

    たとえば「冤罪」という「不条理」な形で、日常生活上、起こり得る可能性があると考えた時、
    「浅野事件」は遠い日の出来事ではないと感じ、それで苦しむ人、家族がいない社会にしたいものです。







    ユーザーID:2132250296

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  • 吉良っ子様へ  良い 祖父母様ですね

    レスありがとうございます。

    「忠臣蔵について、教えてもらうことはありませんでした。
    吉良さんはいい人だったということしか、教えられませんでした。」・・

    普通なら、相手の事を悪く言いそうなものですが、
    言わなかった、祖父母様素晴らしい方たちですね。
    ご自分の地元の先人に対する畏敬の念と、
    他者に対する礼儀をわきまえておられたのですね・

    吉良っ子様も、既成概念亡なくして物事を見れますね。

    私なども、本や、ドラマ、ネットでの知識しか持ち合わせておりません。
    一体真実はいかにという思いが募りますが「真実は闇の中」状態です。

    レスを寄せてくださった中にも、様々な立場の方々がいる事がわかり、
    勉強になりました。

    吉良っ子様、貴重なお話ありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

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  • 不条理かなあ・・

    あまり詳しくはないのですが・・

    >浅野長矩に一切の調べを行わないうちに、即日切腹という「不条理」だけはぬぐえず

    元禄時代ともなると武士とは名ばかりで(言い過ぎ?)
    刀など抜くことは滅多になかったと歴史家に聞きました。

    城中で長い袴を引きずって歩くのも、早く歩かせないため。
    つまり「刀を抜いてはならん」「走ってはならん」の場所でした。

    だから城内で刀を抜き、人に斬りかかるなど、問答無用の重罪。
    浅野を止めた梶川与惣兵衛のセリフは「何をなさる」でも「おやめなされ」
    でもなく「殿中でござる」。つまり城内だから駄目。
    もし城外だったなら、詮議される余地があったかも知れないですね。

    仮名手本忠臣蔵は、討ち入りの約50年後に、三人の作家によって書かれた
    人形浄瑠璃の物語。つまり、それだけよくできた「お話」なのだと思います。

    クラシックといえば、三枝成彰さんがオペラで忠臣蔵やりましたね。
    私が「なるほど〜」と思ったのは、立川志の輔さんの「中村仲蔵(の前説?)」と
    よしながふみのコミック「大奥」に出てくる綱吉、浅野、吉良の人物像です。
    「大奥」はほんの数ページですが、妙に説得力あります。

    ユーザーID:4797565604

  • 即出ですが

    10年ほど前から、勤めの都合で墨田区に住んでいます。

    ここに来るまで知らなかったのですが、地元では吉良さんを悪く言う人はいませんね。
    下町で老いも若きもここで育った人は例外を見たことがありません。
    言うとしたらよそから来た人です。

    私自身はヨソモノですから、ずっと誤解していたことになります。
    行ったことはないのですが、ゆかりの日に吉良祭なるものもあるとか。

    吉良邸は今も観光スポットとしてあります。

    両国に近く、スカイツリーや浅草にもバスですぐ行けますから(歩いても行けます)観光の際には寄ってみてください。

    赤穂浪士のお墓のある泉岳寺ー吉良邸までのウォークイベントもあるそうですよ。

    ユーザーID:2058203842

  • My忠臣蔵

    アジサイが好き様お久しぶりです。

    忠臣蔵は私も好きです。
    私のMy忠臣蔵は 三船敏郎主演の民放で一年かけて放送されていた「大忠臣蔵」です。
    古い作品ですが、DVD上中下巻の三巻セットで販売されています。

    制作費をかけて作られたようで、オープニング曲は冨田勲さん。
    各エピソードが丁寧に描かれ、今はそうそうたる役者のまだ若い頃が見られます。田村正和さんなんか紅顔の美少年で出ています。

    単なる赤穂vs吉良の仇討ち話というだけでなく、幕府や上杉の思惑が絡みそれらの間者が暗躍します。

    私が一番惹かれたのは三船敏郎演じる大石の男っぷりです。
    腕が立つだけでなく、妻にも優しく、部下思いでもあります。
    そうした人柄は敵方の間者にも一目おかれました。
    「世界の三船」と言われていた時代を知りませんが大物俳優だと思いました。

    もうひとつ、変わり種の忠臣蔵は、バレエ界鬼才の振付師モーリス・ベジャールが東京のバレエ団に振り付けた仮名手本忠臣蔵です。

    モチーフはもちろん仮名手本忠臣蔵で、着物や背景の使い方が素晴らしく、何と言ってもピシッと三角形に揃っての男性群舞が圧巻です。

    ユーザーID:1006746887

  • 浅野長矩の「この間の遺恨覚えたか」について

    刃傷の理由について

    「浅野長矩の「この間の遺恨覚えたか」という発言に関しては、『梶川筆記』にも『多門筆記』にも『内匠頭お預かり一件』に長矩が「遺恨あり」と証言していることが記されている。いずれの書物も長矩が遺恨を主張していることについては触れているが、刃傷の原因となった「遺恨」の細かい内容については記していない。 当事者が語っていないからであり、刃傷の動機は「永遠に謎」であり、語られる動機は全て推測・創作である。」・・
    このような記述から観ても、「不条理」という感は否めません。

    そして尚大名が即日切腹という事に関しても「多門重共も遺恨の内容などについてもっと慎重な取調べが必要だと訴え、若年寄加藤明英・稲垣重富を通じて再度言上されたが、柳沢吉保によって退けられた。綱吉が異例とも言える決定と下したのは、勅使や院使たちに対して自らの天皇への忠誠心をアピールして、母である桂昌院最大の念願である従一位叙任を取り消されないようにするためだったといわれている。」・・

    という記述に至っては・・・

    ユーザーID:2132250296

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  • エスト様「吉良祭」お教えいただきありがとうございました。

    エスト様、よい情報をありがとうございました。

    こういう事も遠隔地に住んでいるものには知る事が出来ず、
    はじめてお聞きした事で、早速調べて見ました。
    地元の方々が、一生懸命動かれているのですね。

    そして何より驚かされたのは、吉良邸を守り死んでいった人たちの、
    御魂を守られているとの事に、驚かされました。

    「47士」の陰に埋もれてしまった、多くの方々の事も忘れてはいけませんね。
    そして、その方々の御魂を守られてこられた近隣の方々の温かいお気持ちも・・

    300年という時代の流れの中で失われなかったものは、「人の真心」ですね。

    エスト様、良き事をお教えいただき本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2132250296

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  • 命ぎりぎりの選択

    大名家が断絶になれば家臣たちは当然失業します。特に江戸時代の前半は、幕府による大名の取り潰しが続いたために大量の浪人が出ており、主君が事件をおこしてつぶされた赤穂の家臣が他藩に再雇用される可能性はとても低かった。だから当初、内蔵助は浅野大学を立てて赤穂藩を再興しようと動いたわけです。映画やドラマでも描かれているので改めて説明しませんが、「金もうけ」が下手な浪人たちの生活はとてもみじめなもの。そんな彼らにとって将来の選択肢は限られます。討ち入りに加わって吉良に報復できれば一番いい。その結果討ち死にするか、あるいは処罰されたとしても、このまま貧しい暮らしの中で野たれ死にするよりはよほどましなのです。
    また、徳川幕府になって以降、取り潰しになった大名家の家臣が主君の仇を討つというのは前例がなく、たとえ吉良殺害に成功しても再び罪人として処罰される可能性もある。家族にも類が及ぶであろうことを考えると、討ち入りに加わる人数はできるだけ少ないほうがいい。あだ討ちに二年近くもかかってしまったのは、あだ討ちを成功させることと、その後のあらゆる可能性を考えて対策を練った結果であろうと思われます。

    ユーザーID:1906091897

  • 勉強になります

    私も忠臣蔵が好きな40歳主婦です。

    みなさんのお話を聞いてとても勉強になります。
    映画やドラマの忠臣蔵は「お話」として脚色されているとは
    わかっていてもじーんとしたり、涙が出てきてしまったり
    何度も見ずにはいられないものです。

    あんなに恨まれている吉良上野介も地元では
    民衆思いのお殿様だという話は聞いていました。

    どのような事柄にもいろいろな側面があるのですよね。

    12月に入る頃から私の忠臣蔵コレクションDVDから
    その時の気分で選んだ忠臣蔵を見るのが年末の楽しみです。

    やっぱり里見浩太朗さんのが初めてきちんとみた忠臣蔵で
    感動しまくりました。
    ですが一番は94年の松方弘樹さんの大忠臣蔵!
    マッチが片岡源五右衛門の作品です。

    これはDVD化もされていないし、再放送もあまりされていないですよね。
    録画したものがうちの中にあるはず!と探しているんですがないんですよ。
    無いと思うと見たくてしょうがないです。
    TBSさんにも再放送のリクエストをしているのですが…

    今晩は皆さんのお話を思い出しながら
    松平健さんの忠臣蔵を見ることにします。

    ユーザーID:9961186558

  • 2度目の投稿です

    以前、討ち入りをしなかった赤穂浪人の末裔であると投稿した者です。
    特に「忠臣蔵」やそれにまつわる話に興味があった訳でもなく、詳しい訳でもありませんでしたが、じんべえ様の「命ぎりぎりの選択」を読んで、我がご先祖さまは失業の中、よくぞ生き延びてくださった!という思いでいっぱいになりました。良い選択だったわけですね。
    武士という身分を捨て、罪人にもならず、のたれ死ぬことなく、この地に塩田を広めてくださった。
    吉良と揉めたのは、その塩の製法を教えなかったからというのも理由の一つと聞いたこともあります。
    ご先祖さまが赤穂浪人というのも、どこまで信じていいのかはわかりませんが、つかの間ロマンに浸れました。

    ユーザーID:1738546699

  • デホラ・カー 様  こんにちは

    デホラ・カーと言えば、「めぐりあい」ですね。レベッカ・デュー様が
    お好きと他トピで書かれており、意志の強い方で、とても強く胸に残っています。


    「大忠臣蔵」ネットで、何話かアップされていましたので、見てみました。
    大河ドラマと同じで1年かけて放送されていたのですね。
    確かに、すごい俳優さんばかりが出ておられますね。
    本当に、田村正和さんのお若い事・・
    切腹の前日吉良義周が諏訪に蟄居を命じられたことを聞き、
    「喧嘩両成敗ですな」と笑みを浮かべる、内蔵助・・
    胸に迫るものがありました。
    様々な角度から描かれた「忠臣蔵」でしたね。

    デボラ・カー様はバレエに造詣が深くていらっしゃるのでしょうか。
    門外漢の私も「バレエ界鬼才の振付師モーリス・ベジャール」という、
    お名前だけは存じております。
    ネットの写真で観たのですが、「何と言ってもピシッと三角形に揃っての男性群舞が圧巻です。」
    とデボラ・カー様がおっしゃつている通りだと思いました。

    是非一度、本物を見てみたいものです。
    映画でも、「忠臣蔵」を扱ったものが公開されますね。
    それも、楽しみです。

    ユーザーID:2132250296

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  • 吉良のお殿様はいい人だったそうです。

    すっかり悪者の吉良上野介。
    今でも地元では愛されてるそうです。

    ユーザーID:5509883812

  • 討ち入り直後の手紙

    昨日の讀賣新聞記事に、討ち入り直後の様子を書いた商人の手紙が出ていました。

    潔いとの評判だ…赤穂浪士討ち入り直後の手紙
    http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20131209-OYT8T00676.htm

    討ち入り直後の手紙というものがあると言う事を、はじめて知りました。
    こういう、生々しい証言が300年の時を超え解析された事に敬意を表します。

    私の読んだ本に、「当時の世相として「生類憐みの令」により、蝿一つ殺すのもはばかられ、野良犬を養うための税金も取られその餌は「白飯」「棒たら」何れも庶民の口に入らず、庶民はフラストレーションがたまっていた。江戸市中では赤穂浪士による仇討が決行されるに違いないともるぱらの噂になっていた」そういう中「仇討待望論」があったとあります。本の記述と、新聞記事がクロスしておりドキドキしております。

    ユーザーID:2132250296

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  • じんべえ様 命の重み 

     江戸時代の武家の心得などテレビや映画でしか、伺い知ることはできませんが
    浪士の「萱野三平」が「二君に仕えず」として、大石内蔵助に遺書を残し自害しています。
    浪士の中で討ち入りに参加せず、最後に姿を消したのは、
    討ち入り直前12月11日の「毛利子小平太」と言われています。

    あだ討ち派の急先鋒「堀部安兵衛」と「御家再興」の「大石内蔵助 」・・
    「大石自身が、この事件の8年前に急死した、松山藩主の城地明け渡しを受け城使として体験し、、自らの尽力でその後同家の旗本としての御家再興を実現している」・・こういう記述にあります様に、「御家再興」に尽力していたのでは無いでしょうか。

    「御家再興」=家臣の命、家族の生活を守ること


    大石内蔵助は最後まで「御家再興」にこだわっていたが、叶わずあだ討ちに・・
    浪士の生活も困窮し脱名者も出ており「生き恥を晒したくない」、
    最後は、「武士としての意地、誇りを持って死んでゆきたい」・・

    「昼行燈」と謂れた「大石内蔵助」は誰よりも「思慮分別」に富んだ人だった。
    そんな気がいたします。

    ユーザーID:2132250296

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  • りんご様へ  

     りんご様、レスありがとうございます。
    「映画やドラマの忠臣蔵は「お話」として脚色されているとは
    わかっていてもじーんとしたり、涙が出てきてしまったり
    何度も見ずにはいられないものです」・・
     このお気持ち、私も同じでのでよく解りますし、
    知人にもそういう家族がおります。

     事実は事実として受け止め、且、物事を多方面で観るように
    心がけて行く事が必要ですね。

     様々なコレクションをお持ちとは、本当にお好きなのですね。

    私の、お勧めは「女たちの忠臣蔵」です。

     討ち入りの陰に隠された、妻や恋人の苦悩と別れ・・
    同じ女性として、胸に迫るものがありました。
     いつの時代も、陰で泣く女性が後を絶つ事はありませんでしたが、
    ここ日本では、「昭和元禄」という言葉があったように、
    太平の世の中が続いております。
     女性や子供が泣く事などない時代が、ずっと続くようにしたいものですね。

    ユーザーID:2132250296

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  • マサ様 

     マサ様の、レスを読んで心に温かい気持ちがこみ上げてきました。
    「我がご先祖さまは失業の中、よくぞ生き延びてくださった!
    良い選択だったわけですね。武士という身分を捨て、罪人にもならず、のたれ死ぬことなく、この地に塩田を広めてくださった。」・・・
     当時は、様々な葛藤の中におられた事と拝察いたします。
    丁度、江戸幕府が倒れ武士階級が没落してゆく状態に似ていますね。
     昨年、その当時の事を調べる機会があり「「禄」を食んでいた武士階級が経済的にひっ迫して、
    僻地の開墾や屯田兵として蝦夷地に渡った人、商人になった人もいる」・・・
     この「小町」の中にも屯田兵の末裔の方がおられ、想像を絶する苦労だったと聞いております。

     マサ様の、ご先祖様もきっと同じような思いをされたのではないでしょうか。
    その先達の方々のご苦労の元、今の自分がいるという感謝のお気持ちが
    読む者に伝わり胸がいっぱいです。

     じんべえ様やマサ様そして多くの方々と、このような機会に巡り合えましたこと、
    感謝しております。

    ユーザーID:2132250296

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  • 泣けますよね

    じんべえ様のレスが説得力あるなあと感じます。

    トピ主様のお気には召さないかも知れませんが、
    赤穂浪士は「短慮な上司を持った部下の悲哀」と感じます。
    赤穂浪士が吉良を討ったのは義であり忠でしょうが、浅野の刃傷沙汰は私怨。
    その違いは非常に大きいです。

    将軍は天子様、江戸城は天子様の住まい。
    そんな場所で天子様の母君の大事な日に、私怨から刃傷沙汰を起こしてしまった上司。
    現代でも嫌な上司、憎い上司は多々あれど、社長宅で上司に殴りかかる部下はいません。
    江戸っ子は(侍も)、田舎侍(というか田舎ふう気質)を嫌う風潮があったので、
    生真面目な浅野が吉良の嫌味?に耐えかねて…はあったのかも知れませんが。
    年月を経るにつれ、吉良の功績、人となりが再評価されつつあるのが、興味深いです。

    私はドラマはあまり見ないのですが、歌舞伎は大好き。
    今年も先月今月と、新歌舞伎座の芝居は忠臣蔵。トピ主さんはご覧になりましたか?
    吉右衛門の大石が、私は好きかなあ。

    討ち入りの日、本当に近づいて来ましたね。
    皆さんのレスにある多彩な忠臣蔵に興味津々です。

    ユーザーID:7678642424

  • 甘酒の思い出

    むかーし、両国に通勤してました。
    吉良邸跡があり、中に首洗った井戸と言われている物がありました。
    吉良祭りのニュース映像見ると今はすごく派手だけど、当時はしょぼかったような記憶があります。市もそんなに数出てなかったし。
    それでも年一回のお楽しみで、他の日だったら休日出勤なんてしないけど、その日はしちゃったりしました。
    お昼食べた後、お茶買って吉良邸跡に入ってまったりしてました。小さい公園って感じでした。最初は首洗ったところでまったりなんてと思ってたけど、慣れました。

    ユーザーID:3229734805

  • 仮名手本忠臣蔵に仮託したもの

    「仮名手本忠臣蔵」は単に元禄赤穂事件を室町時代に舞台を代えて書かれたものではなく、幕府・将軍批判の意図があったのではないかと、丸谷才一さんや井沢元彦さんの説があります。

    大星由良之助は大石の語呂合わせ、塩冶判官は赤穂浅野藩=塩のもじり、高師直は高家吉良のもじりで配役されたといわれています。
    しかし、名門とはいえ旗本に過ぎない吉良と室町幕府の最高実力者であった高師直では、立場が違いすぎます。
    高は吉良ではなく将軍綱吉を擬え、「将軍殺し」をテーマにしたフィクションではないか?
    理由は三つ。
    1.作者の一人の並木宗輔は、この作品以前に将軍足利尊氏や将軍源頼朝が殺される作品を書いて、前者は上演禁止になっている。将軍では露骨だし、「仇討ち」が非現実的過ぎるので高にしたのでは?
    2.高の官名は武蔵守。江戸時代に武蔵国の支配者は徳川将軍。
    3.高が塩冶判官の正室(元宮中内侍)に横恋慕したのが伏線だが、吉良は浅野正室阿久里には面識すらない。綱吉は家臣牧野成貞の正室(奇しくも同名)阿久里(綱吉母桂昌院の元侍女)に手を出したといわれている。

    ユーザーID:3474954010

  • 仮名手本 = 47

    再レスです。

    仮名手本忠臣蔵作者の意図が幕府批判かはわかりませんが、
    幕府批判と取られる芝居を打てば、お上からは罰せられる。
    しかし(暗に)お上批判をすれば、民衆には受けて、芝居は評判になる。
    その時代の空気に「あっぱれ赤穂浪士」があったのは確かでしょうから、
    作者としては、お上に調べられた時に「いえいえこれは討ち入りとは無縁の
    物話でございます」と言い逃れできるように作ってあると聞きました。

    仮名 かなは47文字。つまり47士。
    仮名手本 ひらがな練習帳。いえいえ、子供向けの物語ですよ〜(お上対策)
    大石=大星 塩谷判官=浅野 はバレバレですが、高師直=綱吉説は面白いですね。

    取引先の方で、城東地区にお住まいで、「きら」さんがいます。
    おそらく「吉良」さんでしょう。ゆかりのある方なのかなあと想像してます。
    名札が、ひらがなと英字なので、「きら」「kira」で、ちょっと可愛いです(笑)

    ユーザーID:4797565604

  • 逆説の日本史

    井沢元彦に教えてもらったことです。

    1吉良上野介が浅野匠守をいじめて失敗させることはありえない。
    読み本や歌舞伎のようなことをして、匠守がしくじることは指南役も同罪。

    2匠守が統合失調症だったという兆候が随所にみられる。
    血縁にも精神を崩して障害事件を起こしたモノがいた。

    3大石内蔵助も江戸家老も匠守が刃傷に及んだ理由は知らない。

    4精神障害なら責任を問われないのは現在も昔も同じ。
    大石も精神障害と認めてほしいと幕閣に訴えていた。
    しかし、正常という裁断が下り本人は切腹、お家は断絶。

    5大石たちの真の狙いは将軍や幕閣の恣意的な裁断に対する異議申し立て。
    正常な判断の上の仕儀なら、主君の意思を貫徹してあげるのが家臣の役目。
    精神障害だったなら幕府の祭壇が間違えているという主張。

    続く」

    ユーザーID:7043775160

  • 続き

    6浅野匠守がおかしいというのは事件直後から幕閣にもわかっていたこと。
    しかし将軍自ら下した裁断はいまさら取り返しがつかない。
    そこで吉良を徹底的に悪者にすることで将軍、幕閣の下した裁断の間違いを問われぬように筋書きを作り出した。
    吉良は無実であり浅野は単なる精神障害であったのにもかかわらず、
    幕府が下した浅野の切腹の辻褄を問う赤穂浪人の暴挙を利用して仇討物語にすり替えた。

    これ、ものすごく説得力があります。
    状況証拠をすべて合理的に説明できる説です。

    ユーザーID:7043775160

  • 日本人の心の琴線に触れる

    荻生徂徠(おぎゅうそらい)という人の名前はなんとなく聞いたことがあるなという程度だったのですが、ある日テレビをつけたら、たまたま「徂徠豆腐」という浪曲をやっていて、それでどういう人物なのかがおおよそわかった次第。
    また、この忠臣蔵の物語、外伝も含めて、聞く側の心の琴線に触れるような話が多く、どれも実に面白いです。江戸時代の戯作者たちの力量には本当に感心しますし、シェイクスピアの作品と比べても見劣りしないと思います。

    ユーザーID:1906091897

  • 末裔(らしい)です

    他県ではあるものの、赤穂からそう遠くない所に住んでいます。

    父方の祖父は養子なのですが
    その出身の家を辿ると赤穂藩士に行きつくようです。
    そしてどうやら抜け駆け、しかも討ち入りにかなり近い時期にしたようです。

    まあ私としてはよくぞ抜けてくれたと・・・
    だから私がいるわけで(笑)

    初めて忠臣蔵を見たのはNHKの「峠の群像」でした。
    この時子供ながらに思ったのは、「これって単なる逆切れじゃね?」でした。
    逆切れについて仇討ちと言ってもどうもしっくりこないというのは今でもあります。

    吉良さんの描き方にしてもそう。
    峠の群像でも、性悪なお武家さんといった感じで
    ちょっと吉良さんやその子孫の方々に失礼なのではと思います。

    ユーザーID:8395976525

  • 意外に知られていない吉良家の断絶

    刃傷事件のあと、隠居を申し出た吉良に対して幕府は江戸城近くから本所松坂町への屋敷替えを命じます。幕府は「もしも」の場合を考えて、やっかい払いをしたのでしょう。当時の本所は江戸の郊外ですから、当然市中よりも警備が難しくなります。吉良としては、この決定に不服もあったでしょうが、みずから隠居を申し出た以上拒否はできません。関係のある上杉家から警護の申し出があったようですが、もしもの場合に名門上杉家に類が及ぶ可能性を考えると、これも受け入れるわけにはいかない。いっぽう世間のほとんどが赤穂の味方なので、腕のいい用心棒を雇うのにも苦労したであろうと思われます。
    赤穂側が比較的容易に吉良邸の図面を手に入れたことや、幕府側が浪士たちの動きをある程度把握していながら黙認していたことなどを考えると、あえて赤穂側に討ち入りをさせることで一連の事件に早く幕を引きたいというのが幕府の本音だったのではないかと思われます。そして討ち入り後に上野介の実子の義周を蟄居させて吉良家を改易にしたことで、実質的に「喧嘩両成敗」という形にしたのではないでしょうか。

    ユーザーID:1906091897

  • 赤穂義士の心

    ここ数日、「赤穂浪士」についての様々な文を読んできました。
    莫大の資料を、丁寧にまとめられた郷土史家の方の努力には、
    頭の下がる思いです。

    驚く事にその地元でさえ、郷土史家の方の若い頃は「赤穂浪士」に対するイメージは
    マイナス評価が強く本格的に研究するには気後れする状況だった」と新聞記事のインタビューに答えていらっしゃる事です。
    そういう中で、黙々と研究を続けられ、全国にも調査に行かれ、墓・文章・碑石・などの調査をされています。

    今まで知らなかった事実が解り、毎日ドキドキのしっぱなしです。
    様々な角度からの分析をされた文章を見るにつけ、「こういう考えもあるのか」と改めて、考えさせられる事ばかりです。

    そして、「赤穂浪士」の残された手紙を読ませて頂き、胸に迫るものがあります。
    一度、赤穂市を訪れてみたいと願っています。
    風、山・川・・300年前と変わらないものもあるでしょうね。
    その時、「赤穂義士」の心に触れる事が出来るでしょうか・・

    ユーザーID:2132250296

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  • 討ち入りを傍で観ていた人

    その人の名は、佐藤條右衛門一敞(じょうえもんいっしょう)といい
    堀部安兵衛の従兄弟です。その人が書いた文章『浅野内匠頭殿 御家士 敵討一件』についての要約・・

    ・佐藤條右衛門派討ち入りに同行し、吉良邸の周りを警護していた。
    ・ 義士が戦っている間は、吉良邸の周りを見回り、監視を怠らなかった
    ・討ち入りの真っ只中、地元の夜廻りと見える者が通り、その者たちは、浅野の浪人の討ち込みであることを知っていたという。
    ・討ち入りのさなかの午前4時頃、商人らしい3人がやってくるのを目にした。3人のうちの一人は、厄介事が及ぶのを恐れたのか、吉良邸内での大騒ぎを「年の瀬なので、すす払いでもやってるんですかね」とトボケた。
    ・ 泉岳寺で 夕方になって、佐藤が「これからどうするのか」尋ねると、安兵衛は目的を達成した安堵感からなのか、笑いながら
    「切腹 切腹」と言った。

    町民も討ち入りの最中に、往来しているという、映画などとは違う事実に驚かされると同時に、
    そして、救護班の医者まで待機していた、という事に驚愕し討ち入りに対する、
    感心の高さを感じました。

     

    ユーザーID:2132250296

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  • 訂正します

    吉良義周は上野介の実子ではなく孫でした。上野介の嫡男は義周の父親の上杉綱憲。上杉家と吉良家は大名と旗本の違いはあるものの、互いに歴史ある名門ということで血縁を深めたようです。
    この義周にはまったく落ち度はないのに、事件への対応がまずかったという理由で改易になり、まだ18歳の身で信州諏訪に蟄居。数年後には病死しています。とんだとばっちりですね。この元禄赤穂事件の最大の被害者といえるのかもしれません。

    ユーザーID:1906091897

  • この事件の結果は

    二代将軍秀忠のころにはじまった大名家の取り潰しは家光のころがもっとも多く、五代綱吉のころにも続いていました。この間、取り潰しによって浪人となった者のうち、かなりの割合が江戸に流れ込んでいて、赤穂浪士が行動に出れば、それをきっかけに江戸中の浪人たちが決起することを幕府は恐れていたと言われています。
    それを裏付けるように、この討ち入り事件以降、大名家の取り潰しは急速に減っていきました。みずからの命を懸けた赤穂浪士の行動は、結果として幕府の政策に対する抗議にもなり、十分に効果があったことになります。
    彼らには職業選択の自由はなく、武士以外に生きていく道もほとんどなかった。だからこそ討ち入りを実行するしかなかったとも言えます。

    ユーザーID:1906091897

  • あの日、松の廊下で

    ここで様々な知識や考察を拝見することができて
    興味があるものとしては
    発見が多いトピです。

    ですが、
    私はどこかで読んだこの一文がツボに入っています。
    「忠臣蔵?ひとりのじーちゃんを47人かかって
    ボコボコにした究極のイジメだよね」
    た、確かに…
    実は討ち入りの日に泉岳寺にお参りに行ったこともありますが、
    (すごい人と線香の煙で大変でした!)
    若くして死んだ方の墓をみて
    大石さんこそがヒドいオヤジだなと思いました。

    47人かどうか、動機は、はどうでもいいです。
    結果として死者が大勢出てしまった。
    それに何だか興ざめしてしまいました。
    気に入らなかったら呪い殺そうぜ!江戸時代なら!
    とか、ポップに思ってしまった私は
    バチあたりで軽すぎなんでしょうか…

    ユーザーID:5219816609

  • 堀部安兵衛

    堀部安兵衛は新潟県新発田市出身です。
    高田馬場で仇討ちの助っ人をして
    浅野家家臣の家に婿入りして。
    高田馬場での事がなかったら堀部安兵衛の一生は変わってたのでしょうね。
    地元の新発田市では堀部安兵衛は英雄です。

    ユーザーID:9504857232

  • 年の瀬に往時をしのび考えた事

    本年も押し迫ってまいりました。

    赤穂義士の事を調べれば調べるほどに奥が深いものがありますね。
    当時から、真っ二つに割れた意見が現在も尚続いている・・

    それだけでない様々な事象を目にするにつけますと、
    事の重大性を再確認しています。
    たとえば、明治天皇の「宣旨」に至っては驚きの一言でした。
    それぞれの思いの中の「赤穂義士」・・・

    それにしましても、初動での対応が違っていたらという思いが
    改めて強く感じます。

    「多くの命と悲嘆にくれ路頭に迷った家族」の事を考えますと
    余計その思いが募ります。
    そして、諏訪に流され若い命を散らした吉良義周・・

    討ち入りの後、大名家にお預けとなっていた46人は年の瀬を
    どのような思いで、過ごしていた事でしょう。
    そして、住む地を追われ流浪の民となった「旧赤穂藩士の家族」は、
    吉良公傍に仕え亡くなられた方々のご家族は・・

    歴史の片隅に、悲嘆にくれての生涯を終えていった方々が
    いるのではないかと考えますと、胸が痛みます。

    ユーザーID:2132250296

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  • 年の瀬の忠臣蔵

    昨日のテレビ番組に黒鉄ヒロシさんが出ておられ
    「忠臣蔵」について語っておられました。

    黒鉄さんは「大石内蔵助」は「自分に恥ずかしくない生き方をされた方」
    そして、計画性・資金管理能力・情報収集能力に極めて長けていたとおっしゃられました。

    討ち入り前の出納帳には691両、現在の金にして1億3280万円の支出があったと記載されています。

    そして、討ち入りは徳川幕府が出来て100年たっての頃で、
    太平の世で武士道精神が揺らいでいた時に起こった・・
    そしてその130年後に「大塩平八郎の乱」が起こったとおっしゃられ、
    今まで知らずにいた事を学ぶ事が出来ました。

    そのテレビ番組を見ながら、家族とも話したのですが、
    最初何の調べもせずに、いきなり切腹というのはおかしい、
    「冤罪」の可能性だってあるのではないか。

    「テロ」云々は後付けであって、

    そこで、きちんとした調べが行われており、
    両者の話をきちんと聴いいた上での、正当な判断であれば
    後の悲劇も防げたのではないか、という所に行きつきました。

    「命の重みは皆同じ」

    ユーザーID:2132250296

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  • 武士って大変

    何かの本の受け売りですが、当時の身分制度は庶民を押さえ込むためのものではなく、武士たちに責任を持たせるためにできたらしいです。
    農工商のうち農民と職人が上なのは、社会にとって必要なものの生産に関わるから。商人は身分が低いかわりに流通や金融で実利を得られるから下。
    では、年貢を取り立てるだけで何も生産せず、流通や金融で利益を得ることもない武士がどうして一番上なのか? それは世の中を治め、社会の安全を守る責任を負っているから。武士にとって何より大事なのは、お家と自分の面目。これを汚されたときに彼らはメンツを守るために大刀を抜きます。そしてもうひとつの小刀のほうは、自らが責任をとらねばならなくなった時、つまりは切腹のときに使うもの。武士は世の中に対して重い責任を持つ立場であることを自覚させるために腰に大小を差すことを許されていた。そして、そのことをしっかりと身に着けさせるために、子供のころから徹底して論語を暗記させたのだそうです。そうでもしないと、戦国時代のように「力には力をもって対抗する」ような時代に逆戻りする恐れがあったのでしょう。武士って思ったより大変な職業だったんですね。

    ユーザーID:1906091897

  • 新年を迎えて

    討ち入りから、早ひと月・・・
    新年を、義士たちはどのような心境で迎えた事でしょうか。
    細川家他4家にお預けになった義士たち・・

    衣食住には、恵まれてはいたものの、その心中は・・
    大義を果たした、使命感と命長らえている事への複雑な心境、
    自分に置き換えてみましたら、一日ごとに生への執着が湧きでて
    悶々としそうで・・

    当時、識者の間でも意見が割れ、処分裁定論議では、林鳳岡をはじめ室鳩巣・浅見絅斎などが賛美助命論を展開、徂徠は義士切腹論を主張し、最終的に切腹となったのですが、その間の2か月の心境を毎日考えています。

    寒い毎日で、外出もままならず、庭には咲く花とてない、モノトーンの世界・・・
    残した家族を思い人知れず涙していたのではなどと考えますと、
    やるせない思いでいっぱいになります。
    切腹まで、あとひと月・・・

    非日常的な生活など、考えも及ばずにいますが、
    自分がその立場に置かれたらと思いますと、一日一日を無駄に出来ない・・

    こんな風に、穏やかな日々を送れる事を、素直に喜ばなければいけませんね。

    ユーザーID:2132250296

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  • 武士に生まれてしまったがゆえの運命

    「あら楽し、思いは晴るる身は捨つる、浮世(憂き世)の月にかかる雲(苦も)なし」     内蔵助 辞世
     主君がおこした事件からおよそ二年のあいだ、内蔵助の心境はまさに悩みと決断の連続だったと思います。たとえ切腹を命じられたとしても、彼らにとっては想定内のことなわけで、辞世には日々の憂いからやっと開放されるという安堵の思いがこめられています。しかも浪人の身でありながら主君のそばに葬られることが認められたことは、犯罪者ではなく赤穂浅野家家臣として死ぬことを意味しており、彼らにとっては十分に納得のいく裁きだったことでしょう。各藩から助命の嘆願があったにも関わらず、「武士として死なせることこそが彼らのためであり、世の中のためにもなる」という荻生徂徠の考えは、武士は死ぬときも武士らしい責任の取り方をするのだという点で、とてもよい判断だったと思います。

    ユーザーID:1906091897

  • 運命とはいかに過酷なものか・・

    じんべえ様のレスを読んで、武士の家に生まれたが故に16歳の命を散らせねばならなかった、
    大石主税の心境は、いかばかりだったのかと考えますと、胸ふさがれる思いです。

    「赤穂義士」との出会いは小学校高学年の時でした。自分と幾つも歳の違わない人たちが、
    大人に交じり戦い命果てて行く・・太平の世に生まれた自分との違いに、愕然としたものでした。

    「散り行くものの美学」と言うにはあまりにも残酷な定め・・

    討ち入りから切腹までの2か月は、様々な思惑に彩られた日々で、
    最後は各々の体面が保たれた結果となったのですが、
    只吉良義周は、改易諏訪蟄居となり数年後に亡くなり、
    寂しい一生となりました。

    私は、10代の若かりし頃、何時も焦燥感に駆られていました。
    何も考ず只周りに流され、生きて行く事の虚しさ貧しさに辟易
    そんなことを言えば、「変わっている」と言われそうで
    心に封印・・

    今は誰はばかることなく「赤穂義士」について、皆様との交流が出来ます事
    嬉しく存じます。

    ユーザーID:2132250296

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