お世話になります。
皆様の身に起こった奇跡のような実話をお聞かせ頂けますか?
又聞き等ではなく、ご自身が経験された実話をお願いいたします。
ユーザーID:0492139111
男性から発信するトピ
ヒマラヤ
お世話になります。
皆様の身に起こった奇跡のような実話をお聞かせ頂けますか?
又聞き等ではなく、ご自身が経験された実話をお願いいたします。
ユーザーID:0492139111
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レス数137
アイアン
私には、奇跡のように思えるのが以下です。
30数年前、大学新卒である会社に入って、数年間現場業務、ここよりあそこの
職務がいいと勝手に思っていたら、1年ほどしてそこに異動。
数年後、そろそろあそこに行きたいなと思っていたら、1年ほどして異動。
更に10年後、本社のあそこに呼ばれないかなと思っていたら、1年ほどして
その部門に呼ばれました。
そして、数年後、単身赴任もういいなと思っていたら、1年ほどで解消。
数年間、家にいて、妻がうるさいな、と思っていたら、1年ほどでまた単身、
それも土地勘がある希望の町でした。
そしてまた何年か経過し、定年退職後の仕事の有無を、心配し始めて、結局、
定年後、1年でお呼びがかかりました。
この40年、勤務先・場所に関して、こうならないかなと考えて1年ほどすると、
何故か、そうなるんです。
3回目あたりで気になりだして、ずっと自分をそういう目で見ていたら、どうも
たまたまにしては当たり過ぎ、本当に不思議というか、自分の人生にとっては
奇跡的な動きだったなと思います。
さて、これから老後はどうなるのかな。
ユーザーID:7289142988
抹茶味
私は地方出身者です。
大学生の時から東京に住み始め、はや十数年。そのまま東京で就職、結婚、出産をしました。
子供が小学校に行きだし、時間に余裕が出来た為、パートを始めました。
そのパート先に大学生でアルバイトの女の子がいたのですが、その女の子の実家が私の実家のお隣さんでした。
私が結婚した頃引越して来たらしいので、お互い知らなくても無理はないのですが、
その子とのふとした会話から発覚した事実でした。あの時はびっくりしたなあ。
ユーザーID:0561357567
さだーる
夫は犬(以下pちゃん)を飼っていましたが、海外出張が多くなり
私たちが出会う前にpちゃんは既に夫の実家にいました。
pちゃんをこちらに戻す事はしませんでした。
16歳の老犬だし、夫のご両親が孫みたく可愛がっている姿をみると
空気も良い田舎での生活が一番と思ったからです。
pちゃんは2年前にガンの手術を受け余命半年でした。
いつも田舎に行くと夫に近寄り一緒に寝していました。
最後に行った時は歩くのも一苦労といった感じで
夫の両親も、もう長くないと言っていて私たちもとても心配していました。
しかし、今年1月に結婚式をあげたので、準備でバタバタしており
会いに行くことができませんでした。
式も無事に終わった2日後の朝、夫が『なんか手が犬臭い』と言い
『なんでー?笑』と気にもしていなかったのですが
その夜、義弟から『pちゃんが、危ない』という連絡をもらい
夫も私も『朝のはpちゃんだったんだ』と気づき、慌てて田舎に向かいました。
田舎に着いて20分後pちゃんは息を引き取りました。
私たちがバタバタしているのを察してここまで我慢してくれたのか
最後に挨拶に来てくれたのか。私は奇跡だと思いました。
ユーザーID:4519766292
とっく(り)めい子
小6の新学期に転校しました。
3クラスの内、それぞれ2〜3人の転校生がいて
私のクラスは私とAくん、Bくんの3人でした。
その内Aくんとは家が同じ町内で50歩ほどの距離でしたが
6年生の間に会話をした事があったかどうかも不明なくらいのお付き合い。
全員が同じ中学に進みますが7クラスあったので一度も同じクラスにならず。
高校は当然別で社会人になってから時々駅や家の近くで
Aくんを見かけた位で会釈する事すらありませんでした。
が。
30才を目前に私が借りてる駐車場の
隣の車が真っ黄色のスポーツカーに変わったと思ったら
持ち主は何とAくんでした。
そこからトントン拍子に話が進み今は結婚16年目です。
早いなぁ…
申し訳ない事に主人も私もBくんの名前すらうろ覚え…
今は母校に子どもが通っていて何と当時の担任が嘱託で通われてて
奇跡の再開を果たしました。
小6のクラスメイトだと言うと
「ずっと付き合ってる」もしくは「同窓会で再会」と思われるので
説明がいちいち面倒です(笑
ユーザーID:2260504168
文月
子供が幼稚園の時のことです。自転車の後ろの荷台に乗せて、坂がたくさんある道を送り迎えしていました。
ある日、めったによらない大きな坂の途中の薬屋へ寄りました。買い物して出発しようとしたら自転車が進みません。思わず後ろを振り返ったら、子供が仰向けになって倒れていて、手で道路の脇の柵につかまっていました。
なんと!自転車の後ろの荷台がぽっきり折れてしまっていたのです!!
しかし、自転車は走らせていなかったことと、たまたま柵のある場所だったので、子供はかすり傷一つおいませんでした。
しかし、もしいつものように走っていて荷台が折れていたら・・・と思うとぞっとします。車も多い通りでしたし、子供は怪我だけでは済まされなかったかもしれません。
・・・なのに、たまたまいつもは寄らない薬屋へ寄った、出発しようとしたときだった、その場所にだけ柵があった・・。
つくづく何かが(誰かが?)守ってくれたとしか思えませんでした。心から感謝しています。
ユーザーID:8118197083
私は
こんな話でもいいですか?三年位前に亡くなった祖父の話なのですが…。亡くなってしばらくしてから私の夢に出てきてこう言いました。仏様にあがってるお茶が熱くてのめないからぬるくしてくれ…と。それを、まだ元気な祖母に話したら祖父は熱いお茶が本当に苦手だったみたいです。それから、私が地震の後に家を建てる事になって引っ越し近くの頃に、新築おめでとうと言われました。それ以来、最近は夢に出てきませんがよく考えたらそろそろ命日が近づいてました。トピ主さん、思い出させていただきありがとうございます。
ユーザーID:6899061600
もと正社員(笑)
若い時結婚し子育てをしながらパートしていました。パート先へ行くときにとある大手の会社の前を通っていていつも「こんな大会社に勤められたらいいな」っておもっていました。そしたらひょんなことからその大会社に正社員で採用になりました。10数年勤めました。その会社で多くのことを学ばせてもらい辞めたあともいろいろ有利です。
ユーザーID:4294579360
Kanadara
3年前の冬、CS放送で韓国のドキュメンタリー番組を見ました。 陶芸家として
独立したばかりの若いご夫婦の話でした。
その年3月、娘とソウルに旅行し、仁寺洞を歩きながらお茶を飲もうと行ったところは
ギャラリーが併設してありました。
お店に入ろうか迷っていたら、そのギャラリーから出てきた人に見覚えが…。
どこで会ったのかとよくよく考えてみたら、先のテレビ番組でした。 その番組では
個展を開くために作品を作っていることが紹介されていました。
あまりの偶然に驚き、ロクに話せない韓国語で日本でテレビを観たと言うと、驚き
作品を見て行くようにと言われました。 これが件の個展だったのです!
ギャラリーでは、これまたテレビで見覚えのある彼の奥さまがお茶を入れて下さいました。
前日にガイドさんの案内で来た仁寺洞でしたが、娘がもう一度行きたいと言うので再訪した
ものです。
観光案内図を見ながら行き当たりばったりで行った場所でしたので、信じられない偶然に
とても驚きました。
翌日帰国して旅行中の洗濯が終わったところで、あの大震災に襲われました。 これも、
その日程でしか行けない旅行でした。
ユーザーID:2691543606
あっちゃんの母?
夫とパン屋を営んでおります
昨年長女を40歳で出産しました
仕事・家事・育児 そして自分(不整脈とうつ病で通院中)
もう限界でした(今も、ですが)
ある日 近所の奥さん(常連のお客様)が
レジ横のベビーラックにいた長女(2ヶ月?)を
「おじいちゃんに見せてくる!」と言い
ご自宅(当店の4軒隣り)へ連れていかれました
私 外出中 夫 厨房にて作業中
夫いわく 一瞬の出来事だったそうです
2時間ほどで帰っては来ましたが
それから1年
「奥さん」が「お母さん」になり 「ご主人」が「お父さん」になり
毎日保育所に行く前に「行ってきます」のご挨拶をするようになり
毎週日曜日(店は営業日)には「おじいちゃんとおばあちゃんの家」で
ほぼ一日中お世話になっています
公園デビューも
こちらの「おじいちゃんおばあちゃん」と でした
お父さん お母さん お姉さん(同居の娘さんにもお世話になっています)
いつもありがとうございます
ちなみに 実のお孫さんは娘と同い年で1/7 おじいちゃん(?)は1/8 娘は1/9 生まれです
ユーザーID:2590650660
みかん
長女が2才の時に2人目を流産しました。悲しくて毎日泣いて手術の日を迎えました。ある日長女が保育園で「昨日トラックに乗って赤ちゃんとじいちゃんと遊んだ」と保育園で話したそうです。保育士さんが話してくれましたがそんな事実はありません。もちろん流産の事も知りません。実は私の亡くなった祖父はトラックの運転手でした。私が1才の頃に亡くなったので記憶にはありませんがとても私を可愛がってくれたようです。その祖父が流産した赤ちゃんと天国に一緒にいると思ったら安心出来ました。結局は娘が見た夢らしいのですが不思議な体験でした。奇跡ではなくて申し訳ありませんが…。
ユーザーID:3864438838
Gurken
1 昨日某国の市場で落とした財布が無事手元に戻ったこと。比較的観光地なのでほぼ100%諦めていたのですが、買ったばかりの財布、銀行カード、滞在許可証等がすべて無事手元に戻ってきたときは「奇跡だ!」と震えてしまいました。
2 20年ぶりの高校の同窓会で、憧れのクラスメートが話しかけてくれたこと。名前も覚えてくれていて、「奇跡だ!」とうれし泣きしそうでした。
小さなことですみません。
ユーザーID:3192433488
そら
この町に有名レンタル店が出来ればな〜…………。
(数年後何故か田舎町に有名レンタル店が!)
コンビニも駅前に欲しいし。
(でました!コンビニ)
あのマンション可愛いよな〜、だけど高そう。
(10年後に手の届く値段になり入居)
だぁー…………、今月ピンチ!
(誰にも金欠と伝えていないのに、競馬で50万当てた友達から連絡がきて、自慢話に2時間付き合ったら、ありがとう!と何故か5万円もくれた)
私の場合特徴があり、
全くの無欲状態で「もう…………、ダメだ。」にはチャリーンとお金が舞い込み、
ここにこれが有ればな〜♪とウキウキ都合の良いことを考えていると、物欲が叶います。
中学生の時も
好きな人を取り合うドラマを見て「経験してみたーい」と考えてた矢先、
好きな人が出来て告白したけど振られ、たまたま私を好きな男性Bが、私にちょっかいだして、振られたばかりだし、嫌がっていたら、私を振ったAがBに「やめろよ!」バシッって喧嘩はじめて!
うっわードラマじゃん?コレ!これだよ!これ!
と感動後したのもつかの間………。
「庇うくせに何故振った??」と謎でした。
ユーザーID:2881852075
はな
私が小さいころから可愛がってくれていた祖母。
私が大人になっても色々と心配してくれてたようでしたが、決して私の前では口に出しませんでした。
私の結婚式では、司会の方から一言を求められても、泣いて言葉にできないくらい私のことを思っていてくれた祖母でした。
そんな祖母がひ孫が産まれてお宮参りが終わった翌週、散歩中に車にひかれてそのまま意識が戻らず、数日後に息を引き取りました。
祖母が亡くなった日は私の誕生日でした。
秋晴れの日に逝った祖母の人生は幸せだった、私が生きている間は決して祖母のことを忘れないよ、
。。。という思いをもって毎年誕生日を迎えます。
誕生日の度に祖母のことを思えて幸せな気持ちになります。
ユーザーID:4682000241
おっちゃん
学生の時、男子寮に住んでいて、学園祭で女の子を呼ぼうという話になりました。皆、地方から出て来ていて、女の子を呼べる甲斐性?がある者がなかなかいません。
そんな中、ある同級生が「親戚にモデルをやっている子がいる」とボソッと言ったので、全員一致で彼女を呼べということになりました。
やって来ました。モデル嬢。かわいかったです。大学生くらいを対象にしたファッション雑誌のモデルだったようです。部屋で一通りもてなして、帰り際に「サインして上げる」と予想外の一言で皆、言葉を失いました。サインしてもらおうなんて考えてもいないので、色紙なんかありません。
仕方がないので、ノートにサインしてもらい「大切にしてね。将来お宝になるから」と言い残して彼女は帰りました。その後、ノートは使ってしまい、もちろんサインは消えてしまいました。
卒業十周年で集まった時、その話が出て、彼女がどうなったのか、同級生に聞きました。ビックリ!大スターになっていました。芸能界でのし上がって行くには、あれくらいの根性(思い込み?)が必要なんだなと思いました。
ユーザーID:1082055538
セーロフ
独身時代、勤務地の東京から大阪の実家に帰っていて、ばったり中学校の友達に会いました。飲み会に誘われ、そこで友達の奥さんの同僚と紹介されたのが今の奥さんです。
その時に(携帯のない時代)電話番号を聞いて、当時一部で使われていたカード式電子電話帳に登録。その後、特に連絡してなかったのですが、友達の奥さんに「電話しなよ」といわれ、電子電話帳を見るとなんと壊れてほとんどの番号が消えてました。
あせっていじっていると、なぜか彼女の電話番号だけくっきり出てきました。
これは待っているということだ・・・・とすぐに電話を掛けました。私のことを思い出させるのに少し時間かかりましたが、いまや連れ添って20年になります。
ユーザーID:5914861443
腰痛持ち
とあるライブハウスで、誰でも歌えるオープンマイクデーに歌いに行きました。
その時、地味で暗い男性の歌が、ものすごく味があって気に入り
終演後に声をかけて、持っておられた音源CDを買いました。
後でネットで彼を調べたら、ブログが出てきて、実はあの時、財布を忘れた事に気づき
あまり馴染みのない店だったので、会計をどうしようか悩んでいたそうです。
私が払ったCD代で、無事に飲食代(コーヒー1杯ですが)を払えて助かったと書かれて驚きました。
思わぬ形で人助け。神様ありがとうという感じだったでしょうね。(笑)
ユーザーID:9222206550
柿の種
32歳の誕生日、所詮寂しい人生なので、祝う気にもなれず一人で家にいたら、テレビで誰かが「僕今日誕生日なんです」…ふーん、偶然だね。しばらくしてドラマ見てたら「○○ちゃん、誕生日おめでとう!」のシーンが。あまりに寂しそうだから、神様がお祝いしてくれたのかしら?
ユーザーID:4626941430
こんにゃくお玉
20代に勤めていたデパートで、仲良くなった違うショップの女の子と一緒に昼食をとっていた時、ふとしたきっかけで本籍の話になり、私は「岩手の盛岡と花巻の間くらいのところだよ」と言ったらその子も「私も岩手のその辺だよーー」と。
さらに「どこどこーー?」と盛り上がり、詳しく「○○郡の××で、近くに農協があって……」とまったく同じことを話し出して…。
で、そこでハッと気付いたのですが、私の祖母の結婚前の姓と同じなんです彼女。するとどんどん私の記憶もよみがえり、そういえば「子供のころ祖母の実家だよ」と両親に連れて行ってもらったことがあった!と思いだしました。車で5分くらいのところの彼女の実家があるんです。すると彼女も親に私の姓と同じ姓の親戚がいるときいたことがあると思いだして……。
東京のど真ん中で、まさか遠い親戚と友達になるとは思いませんでした。
ユーザーID:5472586255
blackcat
だいぶ昔ですが、家族でLAに旅行しました。
ディズニーランドに行こうとしましたが、貧乏旅行なのでLAの下町から路線バスを使いました。
行きは終点が「ディズニーランド」のバスに乗ればよかったのですが、
問題は帰りのバスでした。
遊び終わって、とっぷりと日が暮れていざ帰ろうとしたときに、どこ行きのバスに乗ればいいのか分からなくなりました。
自分たちが泊まっているホテルの場所もよく分からず、とりあえず下町に向かうバスに乗りました。
しかし、一緒に乗っていた乗客は途中でみんな降りてしまい、乗っているのは私たち家族のみ。初めてのLAで、バスの外を見てもどこを走っているのか見当がつかず、英語もろくに話せないので、運転手に聞くこともできません。心細くなり、
「次の停留所でいったん降り、場所を確認してタクシーで帰ろう」と家族で相談して降りることに決めました。
そこで奇跡が起こりました。偶然にも、降りた停留所の真ん前が泊まっていたホテルでした。
ユーザーID:7007444612
匿名
大した事じゃないのですが、私には兄、姉がいましてそれぞれ家庭があり、会うのは盆と正月くらいです。
何年か前の夏にたまたま私が実家に帰った所、申し合わせた訳でもないのに兄も姉も実家に来ました。
それで、みんなで携帯換えたんだって見せ合ったら見事に同じ機種の同じ色。
やっぱり好みは似るのかと思った出来事でした。
今ではみんな全く違いますが。
ユーザーID:6154303251
LouLou
何年か前の冬の夜。 前日に降った雪は道路から消えていたように見えました。 ところが車で走っていたら突然滑り始め、コントロールを失いました。 スリップしながら「もうダメかも」と思いました。 車は180度向きを変え、進行方向と逆方面を向いた状態で止まりました。
片側2車線で普段は交通量もけっこう多い道です。 ところが、その時はたまたま、私が走っていた方面は他には車がありませんでした。 反対車線には車が行き来しており、私が滑るのを見ていたドライバーもいたと思います。 あれで後続車が来ていたら大惨事になっていたかも。 こうしてここに書き込みすることもなかったかもしれません。
震える足で車の向きを変え、ゆっくり走り始めると、後ろから車が何台か来て私を抜かしていきました。 しばらく震えが止まりませんでした。
あと、奇跡というかびっくりしたのは、占い師に「来年結婚しますよ」と言われ、当時は付き合っている人さえもいなかったので半信半疑でしたが、その2ヶ月後に夫と知り合い、翌年には本当に結婚しました。
ユーザーID:6354041107
3人ママ
分不相応な広い家を購入。
3人家族だけど当時にしてはあまりない大きい洗濯機を購入。
これまた持て余す大きい車を購入。
この時点で私34歳、長子二歳。
旦那は子供はあとひとりだけ、女の子がいいという。
私はあと2人は欲しいし、男の子がいい。
でもせっかく旦那がその気になってくれたし、年齢的にもあと2人は厳しいかな。
が!
双子を妊娠、しかも2人とも男子!
親族見渡す限り双子はいない中での自然妊娠。
家も車も洗濯機も(笑)大きくしたから奇跡が起きた?
と、思ってます。
その後、旦那の収入激減、家や車を手放すか?まできたとこで私の転職がきまりパート時、年収160から500になりなんとかなった。
旦那の収入も戻り今では余裕ができた。
私の中の奇跡です。
ユーザーID:4209481349
今日は大雪
他人事ですみません。
女子モーグルの上村愛子さん。三位なら、「ストレート・フラッシュ」だったのに。惜しかったです。
ユーザーID:9175002872
kurimam
アクセサリーが一切禁止の職場でいつものようにお尻のポケットに携帯と一緒に入れていた結婚指輪をはずみで落としてしまいました。10周年に買い替えるつもりだったからと主人は許してくれましたが自己嫌悪でかなり落ち込んでいました。しばらくして当時小学生の子供の登校班の旗持ちをして歩いていたところ歩道の敷石の溝にきらりと光るものを発見。落とした指輪でした。溝に挟まっていたおかげで大した傷もなく、内側には確かに二人の記念日とイニシャルが。涙でそうでした。感激して何気に横路に目をやるとそこには小さな教会が。神様っているんだと思った瞬間でした。
ユーザーID:7464921731
ミナミ
内科医院に9年間勤務した中で一番驚いた事は
70代の患者さんのご主人が胃の不調で、来院して検査すると末期の胃ガンでした。
他病院を紹介して詳しく検査したのですが、やはり同じ診断で手術も治療も不可で余命数が月の宣告をされました。
奥様からお話しを聞きお気の毒と思って居ました。
1ヶ月位して奥様が来院して
「治療もして居ないのに末期ガンが縮小して来た」
と報告されました。
その後、ガンは消滅して退院して元気になりました。
「何万人に一人の低い確率で自然治癒する患者が居ると文献に有った。初めての経験で驚いた」
と先生が興奮して居ました。
私も嬉しい驚きで人体は不思議だと思いました。
奇跡の瞬間でした。
嬉しい誤算ですが42才の新婚女性が、胃の不調でレントゲンを希望して検査したのですが、先生が妊娠の可能性に気づき産婦人科への受診を勧めました。
本人も妊娠するとは、思って居なかった様です。
出産まで先生はずっと心配して居ました。
無事に出産して二年後に、二人目にも恵まれました。
その後は全ての女性患者さんに妊娠の有無を聞く事になりました。
ユーザーID:3221519157
なな
数年前に主人の会社が倒産し、次の仕事を探して何社か面接に行きましたがよい結果を得られず落ち込んでいたある夜。
私の夢に亡くなった母方の祖母が出てきて、「今度は大丈夫だよ」と言ったのです。
数日後、会社から採用の連絡が来ました。
そのうえ、その職場には母のいとこが働いていたのです。
奇跡と言うか、縁を感じました。
ユーザーID:3544553102
きりん
小さな話で申し訳ないですが。。。
もうすぐ3歳になる息子の出産時の話です。
里帰り出産で、自宅から電車で2時間の距離にある実家近くの病院で出産予定でした。
夫の希望で立ち合い出産の予定でしたが、初産は陣痛から12時間以上かかるのが普通だし、余裕で間に合うよね、と気軽に考えていました。
妊娠9ヵ月に入り、私は出産に備えて実家で寝泊まり。
そして、出産予定日3週間前のとある金曜日、何となくお腹に違和感を感じ(痛いほどではない)、元々切迫早産気味でしたので念のため病院へ連絡。
夫も駆けつけてくれ、様子見のため夫とともに病院に泊まったものの、結局お腹の違和感も無くなり、翌土曜日に実家に戻りました。
「まだ3週間あるし、気のせいだったのね〜」なんて笑って終わり、土曜日で会社も休みだったので、ついでに夫も実家に泊まって行くことに。
そして日付が変わり日曜深夜3時、突然の破水。
そこからが怒涛でした。
夫を叩き起こし、すぐに車に乗るものの、15分後には数分感覚のとてつもない陣痛。
深夜3時20分頃に病院へ到着し、その1時間後には出産が完了してしまいました。
ユーザーID:3883659820
きりん
(続き)
金曜日の謎のお腹の違和感があったからたまたま夫が実家にいたのですが、夫が自宅や会社にいた時だったら絶対に間に合いませんでした。
息子が知らせてくれたのかな〜、なんて夫と話したのも今となっては良い思い出です。
更に、私の両親は共働きで普段家にはいないので、平日昼間に私一人の時に破水していたかと思うとゾッとします…。
タクシー呼んでもなかなか来ない地方の田舎なので、一体どうなっていたのやら…。
最悪、タクシーの中で産んでたかも…。
ユーザーID:3883659820
もと正社員(笑)
結婚してから団地に住んでいました。そこに不満はありませんでした。
しかしひょんなことからお金が入り、私は新車を購入したかったのですが夫は家を買おうと。まさか夫が家を望んでいたとは思いもしませんでした。新築一戸建てを買いました。
ユーザーID:4294579360
清水中尉
在欧、アラ還の女性です。
伯父(母の兄)は大学に籍を置いたまま、第二次大戦の激戦地に送られ、22歳で「戦病死」しました。その地は連合軍の総攻撃を受け、生還できた兵士は5%足らずです。遺骨や遺品の収集など不可能なジャングルの中です。
10年前、私の50歳の誕生日記念に夫とその国の首都へ旅行することにしました。在住国からは24時間かかる地です。
会社で日頃は、"おはよう"、"良い週末を" 程度の言葉しか交わさない、他部署の米国人の同僚と偶然バケーションの話になり、その旅行計画を告げると、「私の父親はその総攻撃の日にその地に居た。従軍記者だったので写真もある。」と。
彼女がCDに焼いてくれた写真は大事に取ってあります。平和な日々に心より感謝しています。
ユーザーID:8212367097