仕事もなく、時間をもてあましながら妻と二人で炬燵に入っていると妻が何を思ったか「友達がね、子供もいないし親戚もないし、自分たちが死んだあとはどうなったって関係ないねって言うんだけど、なんだかなーって思ったの」と言うんです。
そのことから始まって、人は一人で生きているのか、他人と自分という人間はどういう関わりがあるのかというような話になりました。
(難しい話をするつもりではなく、話すこともないので時間つぶしに話しただけです)
長い時間話したので要約すると、
**生きるために何かを消費しているが、お金と交換に手に入れるとはいえ、すべて他人が作っている。自給自足と言ったって着る物から道具まで作っているわけではない。
**物だけでなくサービスや映画などの文化もすべて他人が作っている。
**流行や自分の美的感覚と思われるものも、考えてみれば他人が作ったものを自分の中に取り入れているに過ぎない。
**科学・言葉などは現在生きている他人だけでなく、亡くなった過去の他人が作ったものを受け継いでコミュニケーションをとっている。
結局他人(社会)がいなかったら、自分という自我もないし、そもそも人間ではなく人という野獣でしかなかった。言い換えると自分という人間は目に見えない社会が人という形をとったものに過ぎないという結論になりました。
だから、私たちは自分の死後も続く人類に思いと歴史を託し、立つ鳥後を濁さないようにしなければならないということになりました。
時間つぶしの論議で初めは「なんだかなあー」と思っていた理由がわかったようで二人で日本酒で祝杯をあげました。
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