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「およげ!たいやきくん」の歌詞について

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生活・身近な話題

たいやき

「およげ!たいやきくん」という歌の歌詞で、

まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ

という部分があります。

1つのたいやきで考えた場合、てっぱんで焼かれるのは1回です。
なぜ1回しか焼かれないのに、いやになってしまうのでしょうか?
そもそもこのたいやきは、何に対していやになっているのでしょうか?
また、これはユングの言う、『集団的無意識』と何か関係があるのでしょうか?

よろしくお願いします。

ユーザーID:4798400920

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  • 歌詞をよく見ましょう

    『ぼくらはてっぱんの… 』って 『ぼくら』の『ら』がありますよね。

    自分だけではなく 仲間全部を指してます。

    『ぼく』は確かに1回しか焼かれないけど 毎日、次々 仲間が焼かれていく という意味ですよ。

    焼く事しかされない = 退屈 = 嫌になる。ですよ。

    たい焼きを擬人化しての唄です。
    その後の『けんかして うみに にげこんだのさ』を『たい焼きが 喋れるの?』なんて聞かないでね。

    ユーザーID:5912066803

  • 子どもの頃から考えていました

    当方心理学には詳しくなく、ユングもフロイトも名前程度しか知りません。
    ですが子ども時代からそれを真剣に考えていたので、私なりの考えを書きます。

    あれは『個人のストーリーとしてのたいやき(近年ならだんご3兄弟はこっち)』の歌ではなく『集合体としてのたいやき的存在の意識(イメージは水族館のイワシ群に感じるひとまとまりの意識)』の歌であり、『いやになる』のは『焼くという行為により魚の形を与えられど与えられどその存在が本来在るべきように在れない(ここでは『魚=泳ぐ』が叶わない)からだと思っています。
    最初の最初に焼かれたたいやき1個には意志がなくとも、連綿と続く行為の中でたいやき的集合体の意識が育ったのではないでしょうか。
    ですので、曲名も『およげ!』と付くのです(集合体としてのたいやき的存在の生まれた根本理由の提示、その発露のエピソードとしての曲)
    しかし歌詞の最後ではその冒険を通して魚を模してはいても魚ではなくたいやきである己、という所に着々しているので、多分第二の『たいやきくん』は発現しないのでしょうね。

    ユーザーID:3358833826

  • 多分同じようなレスがつくと思いますが…

    この歌が大ヒットした時、理由としてサラリーマンの心情に重なるからだと言われていました。
    毎日鉄板で焼かれるたい焼きは毎日つらい仕事を繰り返すサラリーマンであり、店のおじさんとは上司であると。
    他の歌詞もたい焼きがサラリーマンだと考えるとなんとなく納得がいきました。
    くわしい解釈は検索すると出てきます。

    ユーザーID:0003405358

  • 私も子供の時にそれは思いました

    >なぜ1回しか焼かれないのに、いやになってしまうのでしょうか?
    この曲を聴いた当時幼稚園だった私は、このように考えていました。

    たい焼きが焼かれたけど、売れ残った

    翌日にもう1回焼かれている(温められている)

    でも、また売れ残ってしまう…から、毎日焼かれている

    そのうち見せのおじさんが「お前だけいつまでも売れ残りやがって!」と怒る

    ケンカになって、海に逃げ込んだ…。

    30年経った今でもそう思っていたんですけど、違うのかしら!?

    このように思っていたので、私の中でおよげ!たいやきくんは悲しい歌です。
    たいやきくんがかわいそうで、たい焼きを買いに行って1匹だけ残ったら「かわいそうだから買ってあげて」と母に言ったこともあります。
    私はアンコ嫌いでたい焼き食べないんですけどね(笑)。

    っていうか、ユングって何だろう…。
    たい焼きを掴むやつ?(それはトング!)

    ユーザーID:9118168362

  • 私も

    当時流行っていたころ幼稚園児でしたが、タイヤキは各一回しか焼かれないのに、それぞれが何回も焼かれているような表現はおかしいと思っていました。いろんな人に聞いてみても、「子供向けの歌やから適当なんじゃない?」とあまり同調してもらえず、解決にも至りませんでした。

    ユーザーID:5800125547

  • ユングは知りませんが

    たい焼きを擬人化した歌ですよね。
    子ども向けの歌なのに、「ドナドナ」的な「可哀想」な雰囲気も込められているところがウケたのでしょう。

    試しに少年マンガの「NARUTO」で考えてみましょう。
    忍者ナルトは「多重影分身の術」でたくさんの人数に分身できます。
    分身しても一人ひとりはそれぞれ「個」としての意識を持っています。
    分身化したナルトA、B、Cがそれぞれ体験した事を、「本体」のナルトは、テレパシー状態でA,B,Cと意識を共有化できます。

    つまり「あんこ」と「小麦粉」は、それぞれ「元々はひとつの存在だった」と考えれば良いのです。
    それが一口サイズに分けられて、それぞれたいやきとして作られる。
    例えば100個のたいやきが焼かれる。
    1つのたい焼きが焼かれるのは1回。
    でも100個分の「焼かれる」イメージが「本体」に100回分伝わる。
    だから「本体」の「あんこ」と「小麦粉」は100回焼かれた気分になってしまう。
    それが「毎日毎日続いている」から、「本体」が「いやになっちゃった」のではないでしょうか。

    ユーザーID:3089462173

  • 同感!

    その、集団的無意識〜とやらはわかりませんが、子供ながらにヘンな歌詞だなぁと思ってました。
    世界観が不明すぎます。
    しかも、最後は釣り人が海水でふやけたたい焼きを食べちゃう…

    ユーザーID:5953896917

  • あはははは

    さ、召しあがってくださいな


    最近、チーズ入り カスタードクリーム入りと
    ありますが、やはり、あんこが一番おいしい

    あ、ぼくらといってます、つまり、みんなの
    ことも含めて...でないの?

    ユーザーID:7408665239

  • およげたいやきくんの歌詞を 最後まで、

    この唄に出てくる たいやきくんは、

    自分の事を、本当は海で泳ぐタイになりたいと思ってるんですよ。

    だから、

    ♪店のおじさんと喧嘩して

    海に逃げ込んだのです。


    鉄板で毎日焼かれるより

    広い海で自由に泳いでいたい

    自由になりたいと言う そんな唄ではないのでしょうか?

    ユーザーID:8725955381

  • 疑問

    「1回しか焼かれないのに」って私なら1回でも焼かれたら嫌になりますが・・・。

    件のたいやきくんは、何度か焼かれて、その後はじめて海ににげこんだと解釈できるので、輪廻転生と関係があるのではないかと私は考えてます。

    ユーザーID:0573467635

  • たしかに

    でもほら、あれじゃないですか?「ぼく」じゃなくて「ぼくら」だから。

    私どもたい焼きというのは、毎日毎日鉄板で焼かれて量産されております。
    ってことじゃないですか?

    たいやき界のドンみたいなのが(こいつはすでに霊的存在)、焼かれていくたいやき労働者の気持ちを代弁したというか。

    ユーザーID:2488041991

  • え〜と

    どうでもいいですわ・・・

    ユーザーID:8352634816

  • 何をそんな

    真正面からお考えなのですか?

    あくまで幼児番組で流されていた歌である,という前提を置かないと,

    ・どうして店のおじさんと喧嘩ができたのか
    ・どうやって海まで行ったのか
    ・あの衣でどうして泳げたのか
    ・水圧に耐えてどうやって海の底まで行ったのか
    ・桃色サンゴが振ったという「手」とは

    ・サメより速く泳げるという根拠は何か
    ・腹が減り,えびを食べようとしているができるのか
    ・釣り針で貫通しない体なのか,のどはあるのか
    ・釣ったおじさんは驚かなかったのか
    ・最後に食べられるが,ふやけていなかったのか

    など,突っ込みどころなんていっぱいあります。

    という前提の上で回答しますが,あれは集合的な意味で,たまたまそのうちの1つが意思を持った,
    と解釈すればよいのではないですか? だから「ぼくら」と「ぼく」なんでしょう。

    ユーザーID:8468143362

  • 子供の時は・・・

    「およげ!たいやきくん」が初めて購入したレコードの世代の者です。

    子供の頃は、売れないたい焼きを温め直して販売しているのだと思っていました。
    おじさん(店主?)と喧嘩するほどのつきあいなら一回目に焼かれたものではないだろうと解釈してました。
    昔は電子レンジも一般的ではなかったですし、温め直しは蒸し器か焼き直しかと思ってました。

    海から釣り上げた濡れたたい焼きを食べちゃうような店主ですから、そのような店なのかと。

    くだらない解釈ですみません。
    大人になったら、トピ主さんの疑問を感じた解釈もあるのかなと思います。

    ユーザーID:5935667164

  • たい焼きになるのは鉄板で焼かれたあと

    なので厳密には、

    たい焼きになる前の「生地」の気持ちを表しており、
    毎日同じ作業を繰り返されていることに、「いやになっちゃった」かと…。


    なんちゃって。

    ユーザーID:9528815218

  • 別名

    サラリーマンの歌  とも言われてました。

    たいやきくんのアンサーソング
    山本リンダ 「私の恋人、たいやきくん」

    横山ノック「ガンバレ!たこやきちゃん」

    とかもありますね。

    ユーザーID:0057413416

  • 雑談

    面白いトピですね。自分なりに考えてみました。
    まいにち まいにち ぼくらは
    この歌詞から二つの仮説をたてました。
    1・鯛焼きくんは複数でありながら一つの意識を共有している(クローンのような感じ)
    2・生地の状態から焼き上げられた鯛焼き君は個体として自我を持つ

    ネットで鯛焼きの原料を調べてみたのですが、砂糖・小麦粉・重曹等と記載されています。
    1の仮説はこの主な原料が混ぜ合わさった生地の状態が「鯛焼き君」であり生地が有る限り「鯛焼き君」の意識は共有
    され続ける。(半永久的に焼かれ続け陳腐な毎日に嫌気がさしている)
    集団的無意識はこちらに近いかも。

    2の仮説は別々の個体でありながら脳(があるとして)の構造的に思考が似ている。
    (毎日低賃金重労働で働かされる労働者が愚痴を言いあうような状態?)

    因みにネットに記載されていた俗説では2の仮説のようです。


    嫌になっちゃうよは
    自我がある鯛焼きですからやりたい事が他にあるのでは。
    やりたい事があるのに実際の鯛焼きは身動きが出来ないのでそこに
    ジレンマを抱えているのかも・・・

    ユーザーID:9319236672

  • おもしろい

    ぼく「ら」となっているので、タイ焼きは複数なのだと思いました。

    ユングのことは分かりません。

    ユーザーID:0774404252

  • たいやきの

    代表として、歌ってるのではないのかな。

    ユーザーID:7032903534

  • 童謡にはよくあること

    さいた さいた ちゅーりっぷの はなが
    ならんだ ならんだ あか しろ きいろ

    チューリップが「ならんだ」のではなく
    人が「ならべた」のです。


    それと同じように
    たいやきが「やかれて」嫌になったのではなく
    人がたい焼きを毎日「焼いていて」嫌になったのだと思います。

    ユーザーID:9401999922

  • 疲れる。

    おっさんが毎日たいやき焼いてていやになりそう。そっちのイメージの方が強い。

    ユーザーID:9250788104

  • 今まで気付かなかった

    トピさん すごーい!

    ユーザーID:5013113865

  • この歌って

    人間のことを歌ってると思いました。
    毎日、仕事を含め同じような日常の繰り返しでイヤになっちゃうよって。

    ユーザーID:4799298384

  • 1回ではないのよ

    ダミーたい焼きが何匹かいるんです。

    あまり売れ行きの良くないたい焼きやさん。
    10匹焼けばいいんだけど、鉄板は15匹サイズ。

    あけておくのは見た目が良くないか、鉄板が痛む。
    5匹分は売れ残ったのをまた焼いているんですよ。
    なので、海に入ってもしばらくはふやけないほど、カチカチ。

    何度も焼かれているから焦げ目がついているんです(歌詞より)

    それで、海に入ったからちょうどいい感じにふやけて、おいしく食べられたと言う訳なんです。

    私、こんなストーリーを昔考えた記憶がある!かわいげのない子どもでした。

    ユーザーID:3732064491

  • 鯛焼きは焼き型、流し込まれた生地の一人称でしょ。

    鯛焼きは焼き型の中に生地を流し込んで作ります。

    だからこれは生地の話しです。

    だから ぼく”ら” なんですよ

    まいにちまいにち ぼくらは ”鉄板の上で焼かれて” 

    焼かれてるのは生地です。
    ね?
    生地の一人称なんですよこの歌。

    分裂した1つが海に飛び込んだんですね。

    ユーザーID:2805754497

  • 私しゃこう考えてたよ

    そもそも、この歌は後の歌詞にも出てくる・・
    例えば、♪桃色サンゴが手を降って〜僕の泳ぎを眺めていた・・
    と言うくだりの歌詞があるくらいですから、毎日毎日 僕らは鉄板の上で・・
    の歌詞は抽象的な内容では?


    なので一つ一つ???と考えるのではなく、、あるいは何にいやんなっちゃうかは想像するんですよ!!


    サラリーマンの例えば営業職の連中が毎日毎日まるで熱い鉄板みたいなコンクリートの歩道を歩きながら…社長なり課長の命令に従って仕事をし続ける様を皮肉って歌詞にしメロディーにしたんだと思いますよ
    営業マン大変なんだよ〜


    ある日社長とケンカして桃色サンゴ達(いわゆる水商売)の世界に入り生き抜いて見た男の姿を歌にしたんでしょ。


    残念ながら,ある日やっぱりどこかの社長さんに釣られて、またサラリーマンに戻ったんじゃないですかねぇ(笑)

    ユーザーID:5438369916

  • 私も疑問でしたが・・

    単純に子供の歌だから突っ込んではいけないのかも・・と思ってました

    ただなんとなく、あのたい焼きは他のたい焼きと違い、アナーキーなのかな?と思ってみたり・・

    イメージ的に、昔のサラリーマンは毎日、電車に揺られ、嫌になり、上司と喧嘩して、自由な生活はしてみるが、冒険がたたり、何かに(熊など)喰われてしまい、「やっぱり俺って、この程度だな・・」みたいな感じもしたりして・・でしたね

    たい焼き自身も「やっぱり僕はたいやきさ・・少し焦げあるたいやきさ」のところがかなり自虐的で憐れみを感じもしたり・・・

    確かに考えさせられる歌詞で深読みしてしまいます

    ユーザーID:7300679545

  • その通りです

    まさに、鯛焼きの集合意識を謳っているのです。
    鉄板で焼かれては人に喰われるしかい宿命、性(さが)に抗いたくなったのです。
    しがないサラリーマンや労働階級の人生を謳っているのです。

    ユーザーID:9376947407

  • その通りです

    彼等は一にして全、全にして一。
    元来生物でない物が生物の形を与えられたことに寄り、長い時間の中で
    ついに意識を持つに至ったが、それは同一の焼型から形成されたことにより
    まさに仰る集団的無意識と呼ぶに相応しい一つの意識を共有する事になりました。

    つまり焼型が最初に使用された時から現在までの記憶がそのたいやきが形成された瞬間、
    個々の意識の中で再現されるという事態になってしまったのです。

    その膨大な数の個体の中に本当に偶然特異点として現れたのが、
    あの歌に登場する自我を持ってしまったたいやきです。
    しかし一体でも自我に目覚めたということは意識を共有する彼等は
    全て目覚めてしまったのです。

    恐ろしい事に山本リンダ歌唱による恋人?のたいやきが彼を求めて嘆く歌まで
    存在するらしく、それはつまり雌雄の分化までが起こっている事を示す証拠でも有ります。

    あ、焼型毎に別々の意識体になりますので問題の焼型はもはや市場には出回っておらず、
    同型の物は全て回収され国家機密として厳重に管理されているのです。



    …って、んなわけあるかああ、
    気持ち悪くてたいやき食えん様になるわあああああ!

    ユーザーID:2887629478

  • アナタなら

    アナタなら人生で一回くらいなら鉄板の上で焼かれても良いですか?

    ユーザーID:5746721354

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