日本の昔はどうだったのでしょうか?

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  • 日本の象徴 富士山

    は世界遺産でありながら、麓の樹海はゴミの山です。
    わざわざ遠方より粗大ゴミを捨てに来る不届き者がいるからです。
    日本人も自分さえ良ければのグローバル化が始まっているのかもしれません。
    若者の手本となるべき年長者の公共マナーの悪さも残念です。

    ユーザーID:9524696721

  • 日本人にはごみを循環させる文化があります

    まず昭和中期まではプラスチック製品が存在していませんでした。だから永久に残るごみがありませんでした。生理用品もなかったですよ。脱脂綿をあててました。トイレは水洗でなく、汲み取り式なので、ちり紙をおとして、紙ごと吸引します。(私の時代にはバキュームカーでした。それ以前は肥え汲み屋さんがきて、すくいとってくれたようです。)田んぼには必ず肥溜めがあって、糞尿のたまった池みたいなのがありました。道路にあるわけではないので、通行の邪魔にはなりません。その時代にはあるのがあたりまえなので、不潔だとか思う人がいません。
    食べ物のごみも肥料になります。それを収集する人もいました。
    掃除は埃をはたきで叩き落して、ほうきで掃いて縁側から捨てればOKです。物が少ないので、埃以外のごみはあまりでません。粗大ごみは修繕して使うし。
    着物は代々伝えていくし、ニットは毛糸に戻して編みなおします。私のセーターは、以前は兄のニットコートだったそうです。

    ユーザーID:8313142062

  • 昔から綺麗好きです。日本人は。

    こんにちは。中野・・・?忘れましたが、清貧というタイトルで日本の昔の人はすごかった(うまくいえなくてすみません)ことを書いております。

    だからあなたの見た外国での出来事なんて昔の人には考えられない事でしょう。
    今は日本も人間の質そのものが落ちてますが、それでも、日本人は清潔感は軍を抜いている民族だと思います。その証明として、なんとかまだ行儀はいい。(異国と比べてですけど)そっからして違います。

    日本の江戸あたりの人間の質は、現代人とは全然違います。

    私はボキャブラリーが乏しいし、伝える文章もうまくない。だから、図書館で一度昔の人の本を読んで見てください。林望さんとかも昔の偉い人を紹介した本を出してます。答えがあります。


    現代のテレビ番組にはに不安をよく感じます。でも昔の人の生き様を書いた本を読んで勇気や生きる指針になるように気持ちの充電をはかっております。


    読書デビューは遅かった私です。
    が、昔の人の「人としての強さを知ることで安らぎを覚え」読書には拍車がかかりました。
    読んだ後はポパイがほうれん草を食べて元気が出たという感じです。

    ユーザーID:3854328771

  • 東京オリンピック

    最近、テレビで見ました。

    1964年に開催される事になった東京オリンピックに向けて、
    東京都が町の美化運動に、すごく力を入れていた当時のフイルムです。

    酷いところばかりを撮影したのかどうかわかりませんが、
    公園も道路も川もゴミだらけでした。

    道路にゴミを捨てに行く人達が撮影されていて、ゴミの山が出来ていました。
    多摩川が綺麗になって、魚が戻って来たのは、けっこう最近ですよね。

    今でも、高速道路の出口とか、ゴミがいっぱい捨ててあるのを見ますが・・・
    そういえば、富士山もゴミだらけでしたね。

    綺麗にするのは、自分の家の周りだけの人が、
    まだまだ日本人には多いのでしょうか?

    ユーザーID:7311927333

  • 昔話さんへ・・・

    痰つぼは駅に設置されていました。勘違いではないと思います。

    あの痰つぼって、今から考えるとすごいですね。中に入っている痰が見えないようにロート型のふたがあり、私は小さい頃、どうやってあの痰つぼに痰を入れるのか、誰がそれを処理するのか、疑問だらけでした。駅員が処理していたのでしょうか。子供心に不気味な存在でしたね・・・。

    日本はモラルも低く、マナーにおいてもあまり自慢できる国ではありませんでした。昔、道徳の時間にドイツ人の綺麗好きな話やイギリス人の紳士の話を勉強しました。学校には「ゴミはゴミ箱へ」という張り紙がやたら沢山貼ってありましたね。道には吸い殻も沢山あって「たばこの温度は700度」という啓発ポスターが貼ってあったのも覚えています。

    ユーザーID:9757476721

  • はい、ゴミはたーーくさんありました!

    昭和34年生まれ、まさしく高度経済成長の申し子です。オリンピックは幼稚園時。当時は東京も田舎もゴミだらけでした。よく覚えています。

    富士山へ旅行した時、ティッシュ類や空き缶、果物の皮など沢山捨ててあって、小学生だった私は学校で「ゴミは捨ててはいけない」と習ったのに、どうして大人はこんなにゴミを捨てるのだろうかと疑問に思いました。恥ずかしい話ですが、現在ティッシュ箱の取り口のビニールまできれいに取って再生紙と分別している几帳面な父(88歳)ですら、車の窓から空き缶を投げ捨てたのを見たことがあります。「皆捨ててるからいいや」と言ったのも記憶しています。勿論、今は絶対にそんなことはしません。

    更に、私は今でも寝ている時に、汚いトイレに入れずオロオロしている夢を見ます。とにかく、公共のトイレは大抵ひどいものでした。気持ち悪くて足を踏み入れられず・・・。東南アジアをとても非難できません。

    変化したのは、昭和40年代半ばからです。恐らく40年代生まれの方は幼すぎて、ゴミだらけの日本はそれ程記憶に残っていないでしょう。日本が変わった理由は、ひとえに教育と日本人の生真面目さからだと思っています。

    ユーザーID:0759739047

  • 東京オリンピック前に東京に居ました

    小学校の時に東京に居ました。あの頃は醤油は瓶詰でビンを持って買いに行ってましたし、お味噌なども薄い紙に新聞紙の包装で測り売りだったし、お菓子なども測り売りの物が多くゴミ自体が少なく、町内にゴミ箱が置いてあって区の人が回収に来られていました。東京ではお惣菜はよく売ってましたけど薄い木の舟のような形の容器でお刺身などもそれにパックされていました。あの容器は水分を適当に吸ってくれるし便利でした。野菜なども個人商店では新聞紙でくるんでくれました。お肉は確か竹の皮に測り売りでした。ほとんどがお風呂に燃やしたり出来るものばかりでした。ゴミは少なかった筈なのに隅田川は汚く遠足であの辺りを通ると「バスの窓を閉めましょう」と先生に言われたのを覚えています。とても臭かったからです。「春のウララの〜」の歌などその時はいつの時代の詩?と思いました。

    ユーザーID:1945435600

  • とても興味深い経験ありがとうございます

    昔の日本と行っても、どれくらい昔か?どこの地域か?によるんですね。
    特にトップバッターで答えて下さった空飛ぶ豚さんの「衣食足りて礼節を知る」
    の一文は全てのご意見をカバーしていると思いました。

    アジアを回って「どうして?どうにかしたら?」と上から目線で見ていましたが、日本だって昔はそうだった。
    明日食べること、正月が来たらどうしようか?と必死だった時代は一緒だったんですね。
    自分が豊かで良い時代に日本で生まれたことに感謝しました。
    でも一方豊かな時代だといっても、ごみ処理やリサイクルのシステムが格段に向上しても
    本屋で付けてくれるブックカバー、デパートでくれる頑丈な紙袋、雨の日はその上にナイロンのカバー。。。。
    そんな物を貰っても豊かだとちっとも思えません。世の中は本当に矛盾がいっぱい。

    ユーザーID:1011445720

  • 今でもたまに見かけますよ

    車の窓から タバコの吸殻やゴミを放り出す人。

    昔の日本がどうとかいう問題じゃないですね。

    シンガポールのように罰金刑を設定すればいいのに。

    ユーザーID:6416796015

  • 30数年前

    日本からアメリカ(カリフォルニア)に旅行に行ったとき、
    道端にごみがなく清潔なのでびっくりしました。
    ところどころに、ゴミを捨てると罰金($500くらいだったか?現在は$1000です。)という看板がありました。
    そのおかげもあると思うが、(アメリカってちゃんとしている)と思いました。

    その当時日本(私の住んでいた小都市)では道端にゴミが落ちているのが普通だという感じだったと記憶しています。
    そして、観光地には平気で落書きがあちこちにあったと思います。

    ユーザーID:4134384969

  • 日本人が清潔好きと言うのは嘘です。

    江戸時代にゴミをのポイ捨てがなかったわけではなく、江戸初期には、河川等にゴミを捨てていました。しかし、当時の基準から見ても、世界的な大都市であった江戸では、ゴミ問題によって埋め立てが必要になってきた事や、資源物質が安価に供給できる体勢でもなかった事、リサイクルによる労働者の創出によって、ゴミの再資源化システムができたのです。

    しかし、明治に入ると産業革命による商品生産の近代化によって、ゴミのポイ捨てが復活するのです。夏目漱石の小説『三四郎』を読むと、主人公である三四郎が九州から上京してくる冒頭のあたりで、後に再会することになる広田先生と汽車の中で食べたお弁当の空容器を汽車の窓から、投げ捨てる件があります。三四郎も広田先生も、当時としては学識の高いクラスの人々ですから、この時代のゴミモラルってこの程度だったんですよ。

    時代が下って、高度経済成長期は、使い捨てが当たり前になり、河川にはゴミが散乱していました。タバコのポイ捨ては当然のように考えられており、当時の映画やテレビのシーンでも見ればそれは明らかです。

    結局、環境が悪化するとモラルが叫ばれるようになるんですね。

    ユーザーID:2857799816

  • 日本人は綺麗好き

    昭和30年代後半生まれです。
    東北育ちですが、道端にはゴミは何もありませんでした。

    仙台も、他の東北も。

    道徳の時間に『僕らの街は河っぷち〜煙突だらけの街なんだ〜』というドラマがありましたが、舞台は川崎あたりの街。。。。。高度成長期でしたので海、河、空は汚れていたようです。
    都会は違うんだな。。。。と思った記憶があります。

    田舎では友人の農家の家へ行くとトイレは別の小屋があり、その糞尿を農作物の肥料にしていたようです。

    道が汚れていたのは子供が渋柿を齧ってペッと捨てたくらいのもの。
    プラスチックなんてありませんでしたし、ビニールはゴミ箱へ。

    ベルマークというのがあって三ツ矢サイダー等についているベルマークを集めては学校へ持っていき、先生方が図書館に本と交換していました。

    母が子供の頃の戦前もトイレの肥溜めは農家の人が買いに来て野菜をいくばくか置いて行ってくれていたとのこと。無駄のないリサイクルができていたようです。

    他の方も書かれていましたが、江戸時代の終わりに日本に来た外国人が日本の清潔さ合理性に驚いたというのは本当のことです。

    ユーザーID:6843308008

  • 地域によるのかな

    アラフィフです。地方都市の新興住宅地育ちです。
    子供の頃の記憶だと今ほどではないですが「生ゴミ」「その他」に分別し、ゴミの回収車が回収していました。
    道にゴミが落ちていることもなく、どこもとても綺麗でしたよ。
    たぶん新しい住宅地で、住民は平均的な核家族がほとんどだったので、そういったことをシステム化、習慣化するのが難しくなかったんでしょう。

    大都会は戦後さらに人口密度が高くなりゴミも急激に増えて、そもそも捨てる場所が少なかったとか、いろいろな種類の人に同じルールを守らせるのが難しいとか、建物や道路の構造上ゴミの収集場所や、当然ゴミの処理方法の研究など、まだまだ準備不足だったのかもしれません。

    それでも数十年で公害もゴミの収集処理システム・ゴミへの意識をここまで改善させた日本はやはり立派だと思います。

    ユーザーID:7170512783

  • ごみと公害は別に考える

    紙の箱や缶や瓶、古着など今はごみになってるものは
    昭和の40年ぐらいまでなら普通に再利用してました。
    100均なんてないから空き瓶やお菓子の箱で小物を入れたりしてました。
    店で食べ残したものは折につめてもらったり。
    そのころは食中毒とかきにしてませんでしたし。
    今のコンビニとかになって何だって食べ物は廃棄してる感じです。
    新聞紙はトイレットペーパーに交換してませんでしたか?
    生ごみも庭に埋めてました。
    一方企業活動のごみともいえる廃棄物、いわゆる公害は今よりすごかった。
    空気は汚いし汚水は流し放題。

    ユーザーID:1148161920

  • 同じく40年代

    >走行中にトイレに入ると線路が見えているのです。用を足すと糞便はそのまま線路に落下。

    そうそう。
    だから親には「電車が動き出してからトイレに行きなさい」って言われてました(停車中にすると、そっくりそのまま残るから)。
    都内でも汲み取り式のトイレがあった時代です。
    空き地では‘立ち○○’の男性もチラホラ。
    歩きタバコ、ポイ捨ても当たり前。
    ペットの放し飼いも普通。
    ガムの噛みクズを踏んでしまった時の悲しさって言ったらもう…っていう感じでしたよ。
    今の日本は相当清潔です。

    ユーザーID:9654076719

  • 日本にはごみはなかった。

     江戸時代位を想像してほしいです。

     江戸時代は今よりリサイクル社会です。

     紙は書き損じても再生紙になり、最悪囲炉裏かまどの焚き付けに使い。

     金属や木片だって専門に回収する生業人がいた。

     食べ物だって余ったら、鳥(家畜)のえさ、人間様の排泄物だって肥料として活用されていた。

     何百年もの間にリサイクル習慣が育ち、一般の人は集めること(再利用されること)を当然と考えていたのです。

     だから今でこそゴミと呼ぶものは当時皆無。

     現代日本もリサイクルに追いつかない物ほどごみとして手に余ってしまうのです。

     リサイクル文化が育っていないところはごみ、不要物としてしか考えられないからその場で処分してしまう。

     どんな発展途上国でもその「ゴミ」と呼ばれるものがそのままグラム幾らで引き取るとなればだれもがこぞって集めて道路に散らばることはない。

    ユーザーID:6196425252

  • 住んでいる地域によるのでしょうけれど

    東京オリンピックの頃はさすがに記憶にありませんが、その2〜3年後からの記憶はあります。地方都市でしたが、各家庭のゴミ箱(きちんと掃除されている)から、直接ゴミが収集されていましたので、現在見かけるゴミ収集日の不快感はありませんでした。

    1960年代に大都市から徐々に各家庭からではなく、ごみ収集場からゴミ回収と変更になったようです。それまで住んでいた地方都市から引っ越して、ゴミの日の惨状(に見えた)を見てビックリした記憶があります。

    家の周りは皆早起きして掃除をするのが近所のどこの家庭でも日課で、出勤前のご主人が家の前を掃除していることもあったな・・・。今時はどうなんでしょうね。

    まあ、東南アジアといってもやはりピンからキリまであるのでしょうから、一概にはいえないかも。ただし、子供の頃にアジア圏の人の集まる公衆トイレを見て、仰天した憶えもありますから、そういう意味で日本人よりも昔からおおらかだったのかもしれません、あちらの方々は。

    ユーザーID:7335689959

  • 衝撃の事実

    今の人には信じられないでしょうが、こういう事もあったのです。

    昭和40年代までは、長距離列車のトイレはタンク式でなく「開放式」笑)

    走行中にトイレに入ると線路が見えているのです。用を足すと糞便はそのまま線路に落下。
    鉄道沿線には点々と大便のカケラや拭いた紙が散らばっていて「黄害」と呼ばれていました。

    ユーザーID:7876795077

  • キレイ好きも考えもの

    身の回りを除菌しすぎたせいでアレルギー患者がどれだけ多い事か。
    もちろん公衆衛生は大事ですよ。

    街のゴミは少なくなったかもしれないが、景観お構いナシの看板や公園にでかでかと掲げられる「緑を大切に」なんて横断幕いらないでしょ。

    あれこそ景観破壊だと思いますが。

    日本は統一感がないのよね。

    ユーザーID:5719527035

  • 何だかずいぶんと自画自賛の連続ですが

    今とゴミの質が違うというご意見もありますが、
    昭和46年の「ゴジラ対ヘドラ」を見るとよく解りますが、
    田子の浦の海に浮かんでいるのは今と同じくポリ袋やプラスチック製品ばかり、今より石油化学製品はむしろ多いぐらい。
    同じ頃、東京湾の夢の島では家庭ゴミで溢れかえり、
    大阪でも花博の会場になった鶴見緑地はゴミ捨て場で、
    ゴミが数十メートルの高さの山になってたのを、
    夢の島にしろ鶴見緑地にしろ緑地公園にしちゃいましたが、
    今でも時々硫化水素ガスが地面から発生したり。
    むかし映画館に行けば館内の床はゴミがふんだんに捨てられ今では想像もできない足の踏み場もないほど、
    ちょっと地方の列車に乗れば座席下にゴミ類を平気で捨て放題の状態、川はポイ捨てのゴミと家庭排水によるヘドロ、産業排水で極彩色の悲惨な川が都会周辺ではどこにでも存在。
    住宅地などキレイなところは一見キレイでも新宿や難波等の繁華街ではゴミがそこらじゅうに落ちてるところもあって、
    そういう所は人が捨てるのだから自分も捨ててもいいだろうと、
    モラルなくゴミを捨てる人が続出でした。
    日本には表の顔と裏の顔がありすぎ、自画自賛はやめてほしい。

    ユーザーID:3103595709

  • 今は昔、東京・下町では

    1.昭和20年ごろまでは各家の前、歩道に面してゴミ箱が置かれておりました。
    ときどき大八車(上四方に板囲い)を引いてくるおじさんがゴミを取り出し、積んでどこかへ運んで行っておりました。
    2.当時は今のような車社会ではなく物資の輸送に荷馬車がよく使われていました。川にかかる橋も太鼓橋のような造りで、馬は積み荷の重量に耐えきれず上りきれず滑って横倒しになりハーハーと息をしている場面を見たことがあります。
    馬といえば軍刀を腰に下げた軍人、佐官級以上か、が威風堂々、パカパカと乗りまわしているのを見たことがありました。というわけで下町の車道、よく馬糞が落ちておりました。落ち立てのは湯気が立っておりました。
    国民学校(今の小学校)から馬糞を拾い集め、持参するように達しがあったようで箒と塵とりでかき集めた記憶があります。農家のために肥料として回していたようです。
    3.橋上から川を眺めていると、川上の方からよくオワイ舟が通っておりました。川上の住宅地帯にはまだ下水道が設けられていなかったからでしょう。竿さす船頭さん、さぞかし大変だったことでしょう。

    断片的な思い出、歳が知れますね。。

    ユーザーID:6582076222

  • オリンピック

    東京育ちです。

    オリンピックの準備で、街角のゴミ箱が撤去されました。それまでゴミは、ビニール袋も無いし、分別無しでコンクリート製のゴミ箱(上蓋は木に鉄を被せたもの)に投げ入れられてました。汚い汁が残ってハエがたかってましたね。

    どぶ川は汚く、下水管は次第に整備されて行きました。住宅街でやけに道幅の広いところがあれば、そこは大抵どぶ川が埋められた結果です。

    ユーザーID:3717076518

  • 公害は酷かったですよね

    違う角度からのコメントですが、公害は私が育った昭和40年代は酷かったと思います。光化学スモッグ注意報発令なんて、今では聞きませんもんね。工業が発展する過渡期でした。川も綺麗になって多摩川に魚が戻ってきたということですから(今はそんなことニュースにもならないか)今の方が綺麗でしょう。ゴミはどうかというと、意外と汚かったという記憶がないです。逆に今の方が、東京の繁華街も実家のある郊外山の手地区でも、道路にポイ捨てが多く気になりますね。

    ユーザーID:9061096766

  • 60年代生まれですが

    よく行楽地などに家族で出かけて、お弁当を食べた後
    ジュースの缶とかお菓子の包み紙とか
    そのままなんてことありましたね。

    当時有名な観光地の公園の近くに住んでたので
    家族連れが帰った後の惨憺たる有様を見てよく母が、
    「ゴミをそのままというのは、日本人の悪い癖だ」と話してました。

    公共の場所を、きれいに使うという感覚は、
    現在に比べ薄かったように記憶してます。
    「ゴミは川に捨てないでください」なんて立札があったり
    テレビでもそのように呼びかけていたのを覚えてます。

    ユーザーID:7255150697

  • 記憶は殆どありませんが

     以前見たテレビでは、東京オリンピック前の日本では結構ゴミがポイ捨てられていた、とされていました。当時のビデオも流されていましたが、東京でも家庭ゴミを川にどんどん投げ入れていたようです。
     自分は田舎の出身ですが、町中にはゴミ箱が設置されており、はみ出したり悪臭を放っていたように記憶しています。あの中身は誰が回収していたのでしょうね。
     ただ多くの方が御指摘のように、当時は例え悪臭を放っていても、自然に還るゴミが殆どだったんでしょうね。だから、川に捨てようが、町中のゴミ箱からあふれていようがいつのまにか無くなっていたのではないでしょうか。

    ユーザーID:0820632548

  • 65才です 覚えているのは

    昔は家でお風呂を沸かしていました。ゴミは燃やします。ミカンの皮や 芋の皮は 庭に大きな穴を掘って埋めます。また違う所に掘ります。(土にかえるからね)燃えるごみは家で燃やしていました。その頃プラスチックも無かったし。うんちは畑に お風呂の水も井戸から汲んで入れるんですよ〜〜掃除は箒で こたつは豆炭あんか(石綿使ってたなあ)シャンプーも無かったなあ 固形石鹸で洗ってたなあ。10歳の時にTVが来ました(美智子妃殿下の式を見たいがため)

    ユーザーID:1462527932

  • ゴミはありませんでした

    ゴミは塵・芥(ちり・あくた)と言って埃等の利用出来ないもののことです。徒然草には塵塚と言ってゴミ捨て場の記載がありますからかなり昔から区別があったようです。主に掃除した部屋の埃を捨てる場所です。
     つまりそれぐらいしかゴミはないのです。明治初期まで日本の生活はエコで再生品の山です。よく(竈の灰まで自分の物)と言って強欲な人の代名詞になりますが、
    江戸期には灰買いと言う商売があり、民家の竈の灰を買い集めて火鉢の灰に卸した
    そうです。ですから生活にゴミなぞはないのです。どんな些細な物にも買い取り先や利用先があり、不用品はないのです。
     明治中期以後の我々の生活は昔の生活とは隔絶して物の大量生産大量消費になり
    物に利用価値がなくなって行ったのです

    ユーザーID:7990021508

  • 昭和40年代のこと

    今ほど舗装道路がなかったので、車が走ると砂埃を上げていた。

    野良犬・野良猫が普通にいた。飼い犬の糞を持ち帰るようになったのは、昭和50年代後半からの事と思う。

    たばこの吸い殻が落ちていることが多かった。今はスマホやケータイのながら運転が問題になっているが、その頃はくわえたばこでの運転が問題になっていた。

    ジュースやビールは瓶で、空の瓶は販売店に戻すと10円返してくれた。

    ユーザーID:6693471005

  • 皆さんと違うレスですが

    皆さんのレスでは、往時の日本の公衆道徳のレベルを美化されているようですが、

    私はアラカンでで大阪出身ですが、全く違う印象です。
    当時は東京オリンピックを控え、「日本人の公衆道徳の低さ」が声高に叫ばれていましたし、
    実際に「旅の恥はかき捨て」どころではないレベル。

    大阪は「川の街」だったのですが、川はゴミ捨て場で川沿いの家からは、紙ゴミも生ゴミも、
    すべて川に投棄するのが当たり前。 
    (ゴミ収集が十分でない時代でしたが)繁華街や公園はゴミだらけ。

    小学校で「ロンドンのハイドパークには、紙屑一つ落ちていない」と教えられました。
    二十数年後、ハイドパークを訪れましたが、まあそこまでは言えないもののきれいでしたね。

    ユーザーID:7876795077

  • 昭和39年生まれ

     ゴミのポイ捨ては有り得ないと憤慨する大正元年生まれの祖父母達。
     「お天道様が見ている」「神様が見ている」「ご近所の手前」

     誰かの目を気にして、正しく生きていた人達です。

     生ゴミは土に埋めて肥料に。紙類や落ち葉は燃やす。豊かな家ではありませんでしたが、床の拭き掃除と家の前の掃き掃除と水まきが日課。ドブ掃除もあったそうです。

     昭和40年代の記憶なら私にもあります。家から離れた所では、犬の糞がどこにでも落ちていました。川にはゴミが沢山浮かび、洗剤でしょうか泡立っていました。公害が酷かった頃です。喫煙者も沢山いて、タバコの吸殻が至る所に落ちていました。

     子供を叱る怖い大人は沢山いたのに。今より公共マナーは悪かったと記憶しています。
     

    ユーザーID:3157010605

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