子供に手をあげる教育

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トピ主のみ1

バコーン

話題

子供に手をあげる教育ってどう思いますか?
テレビでも教員の体罰が問題になったりしていますが、私が子供の頃は
先生が生徒に手をあげるのは日常的にありました。忘れ物をしたら出席簿で
頭をバコーン、部活でミスったらラケットでバコーン、口答えしたら足蹴り
バコーンとか、そんな光景は本当によく見ました。私の育った家は短気な
父親の影響もあって、怒鳴る、叩くが当たり前でした。父親が見ている
テレビの前を取ったらバコーン、足元に置いてあるコップの水をひっくり返し
たらバコーン、バコーンの毎日でした。父親もすぐに手を出す親(私からみると祖父母)
育てられた為、瞬間的に怒りやバコーンが発動する人で、家族に短気者しか居ないのですが
元々、性格が穏やかで静かな母親までもが短気人間へと変わっていき、いまでは
母親もすぐキレるようになりました。

最近の親は子供を叱らない、手をあげないと言いますが
手をあげない教育に関しては大賛成です。なぜなら、子供が真似したり
そのような教育で育って子供が良い風に育つとは思わないからです。
私の父親は手をあげたほうが子供の為にもなるし、嫌でも上下関係を
わきまえるようになるから叩く教育はむしろ必要だと、時代錯誤なことを
言いいますが、世代によっても違うんでしょうか?

小町の皆様は子供に手をあげる教育どう思われますか?
また、ご自身は手を出されない家庭に育ちましたか?それとも手を出される家庭に
育ちましたか?後者の場合、子供に反射的に手をあげてしまうことはありますか?

ユーザーID:7954576764

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  • 手をあげないからには、工夫も我慢も要りますけどね

    叱らない育児、手をあげない育児を放置と思ってる人がいて、甘いな〜と思ってます。
    叱らない、手をあげない、だったら、他の工夫も我慢も色々付随してくるんですよね
    親も本当に辛抱強くないとダメだし、外出先だって制限されます。

    私自身は、子供の頃、全く手を上げられなかった訳じゃないけど、数えるほどだと思う。
    父が怒鳴るので、あれが嫌でしたね〜
    嫌味を言う家庭で自分も言っていたけれど、結婚する時に、嫌味は結婚生活にいいことないな、と思って
    自分で嫌味を封印して結婚しました。次第に、嫌味を言わない事に慣れます。
    だから、叩かない育児も、初めは意識が必要でもなれると思いますよ。

    私は今、5歳児を育児中ですが、3歳くらいまで叱らない育児
    4歳くらいから、叱りも入る育児になってきました
    手をあげることは、この先もないと思います。

    ユーザーID:8671376274

  • 私の学生時代もそうでした。

    私は40才半ばの主婦です。
    中学時代は、ビンタや、モノで叩くってわりと日常にありました。
    土砂降りの中、隣のクラス全員が制服で走らされていた事もありました。
    でも何でしょうね、叩かれたからって、心が傷付く事はなかった気がします。
    次の日もみんな普通に登校してましたし。

    昔と今では環境も変わってきましたが、
    何より親が先生に対する思いが変わってきていると思います。

    それと、
    私は親に叩かれた記憶がありません。
    私も息子達を叩いた事は無いです。

    叩く=しつけ

    って難しいと思います。
    叩かれた方が「これは愛のムチだ。自分のためだ」
    って心底理解していたらいいですが、
    ほとんどの場合、負の感情しか湧かないと思うからです。

    叩いている方も怒りが収まらないから叩く。
    が、大部分じゃないかな?

    ユーザーID:2861081677

  • 叩く教育は不要

    親に叩かれた事もないし、教師にも叩かれた事はありません。


    叩くがどの程度のものかにもよりますが、叩かないと教育が出来ないと言うのなら、それは教える側が未熟であり、力で抑えつけた事を成功したと錯覚してしまうから繰り返すのです。


    叩いて力で押さえ付ける行為は、一時的な抑止力にはなっても、そこには歪みが生まれて二次的要因に繋がり兼ねません。


    人の顔色をうかがい、自己肯定感が希薄だったりと、個々もまちまちです。

    ユーザーID:2784999889

  • 叩かない代わりに知能体力を限界まで使う。

    自傷他害のおそれ、生命財産の危機、万引きや虐めなどの犯罪行為、に関しては叩いても仕方ないと思います。

    片付け、勉強、口ごたえなどで叩くのは親の能力不足だと思います。
    言葉と労力と気力で子供を納得させられないことの証だからです。

    夫も私も叩かない・殆ど叩かない家で育ちました。
    二人とも、子供に手はあげません。

    ユーザーID:3596455583

  • しっかりして下さい

    >子供に手をあげる教育

    教育とは言いません。

    暴力です。

    >私の父親は手をあげたほうが子供の為にもなるし、嫌でも上下関係を
    >わきまえるようになるから叩く教育はむしろ必要だと

    こんな言葉に惑わされるなんて、

    >性格が穏やかで静かな母親までもが短気人間へと変わっていき

    そのうち、トピ主様まで、そうならないとも限りませんよ。

    しっかりして下さい。

    ユーザーID:1761013543

  • 手を上げるのは教育ではないでしょうね。

    よく、昭和の頃は体罰が当たり前だったという話を聞きますね。
    でも、私は昭和半ば生まれですが、先生や親を見ていて「手を上げる」が当たり前ではありませんでしたよ。

    地域性でしょうか。

    子どもは小さくても人間です。
    言葉が通じる生き物です。

    言葉が通じるのになぜ暴力に訴えないといけないのでしょうか?

    手を上げる=暴力、虐待
    でしょう?

    ちっとも「教育」なんかじゃないです。

    ユーザーID:0829852732

  • 体罰は必要

    私は体罰は必要との考えです。
    中学生までの子供には動物的な面が残っています。人間として言語能力面、精神面で未成熟なのです。だからこそ、子供には選挙権がなく、人権が制限されているのです。

    言葉でわからせることが一義的に不可欠であることが大前提ではあるものの、言葉で諭しても言うことを聞かず、親や先生を馬鹿にしている場合はどうするのでしょうか。最近、この手の子供が増えているように思えますし、そのまま成人したらどんな人間になるかとても心配です。

    最近、公共の場で奇声を上げて走り回る子供が増えたこととも、このことは無関係ではないでしょう。子供が迷惑行為を行っても、親は口頭で「だめよ」とか「やめなさい」と言うだけです。私にも息子がいますが、公共の場で迷惑をかけた上、親の言うことを聞かない場合は、躊躇なく体でわからせます。

    何も言わずに体罰をふるうのはよくありませんが、手段として放棄するのは如何なものかと思います。

    ユーザーID:8630270409

  • 必要な局面もある

    昔は家でも学校でも何かとブッ飛ばされてましたね(笑)

    >子供は小さくても人間です。
    >言葉が通じる生き物です。

    最近は「言葉の通じない子供」が増えています。
    昔の悪ガキと今の問題児は質が違うのです。
    殴られない、怒鳴られないことを知っているから大人が怖くないのです。
    親が後ろ盾になってくれるから先生なんか怖くないしリスペクトもしない。

    決して暴力を肯定するわけではありませんが、現在の最悪な状況を見ると昔の様に多少手を上げようが子供にとって理不尽であろうが、それが一定の秩序を維持するのに必要であることを教えるべきではないかと感じています。
    それには先ずは親が子供から嫌われるのを恐れないようにしなければいけないと思います。

    ユーザーID:7435425385

  • 人間性は人間性でもってしか導き大きくすることが出来ない

    >中学生までの子供には動物的な面が残っています。人間として言語能力面、精神面で未成熟なのです。だからこそ、子供には選挙権がなく、人権が制限されているのです。

    愚かな考え方だと思います。

    大人が、なぜ、手を上げると思いますか。

    カッと来て、無意識に、手を上げるのだと思いますよ。

    どこに人間性が見られますか。

    おとなでも子どもでも、人間が動物である事にかわりはありませんし、当然動物性もちます。

    子どもは、意識的である事が弱い分、無邪気(無意識的)です。

    でも、子どもに人間性(意識性)がない訳ではないのは、誰もが知っていることです。

    子どもが動物的(無意識)で、大人が人間的(無意識)と二元論で片付ける事はできません。

    大人は、力を持つ分、動物的(無意識)も、人間的(意識的と同様に大きくなると考えるのが妥当だと思います。

    そして、人間性は、人間性でもってしか導き大きくすることが出来ない事も。

    ユーザーID:1761013543

  • 一方的な正義

    >最近は「言葉の通じない子供」が増えています。
    >昔の悪ガキと今の問題児は質が違うのです。

    そんな社会を作り出したのは、私たち大人です。

    古代文字を解読したら、「昔は良かった」と書いてあった話は有名ですよね。

    >それが一定の秩序を維持するのに必要であることを教えるべきではないかと感じています。

    どこかで耳にした「一方的な正義」なるものと同じだと思います。

    ユーザーID:1761013543

  • なぜ極端に走るのかねえ

    「殴られもせずに一人前になったヤツがどこにいるものか!」という某有名アニメ内の台詞は真実だと思っているアラフォーですが、トピ本文にある環境が好ましいとは思いませんねえ。私が親に叩かれたのは片手で数えるほどしかありません。今思えば、あの時殴られて良かったなと思える場面でだけです。

    そもそも、体罰肯定派でも、日常的に体罰を加えるべきなんて考えている人はほとんどいないと思います。肯定派と言いつつ、本当に必要な時だけにバシッとやる、数年に一回あるかないか、位に考えている人がほとんどだと思うのですが。体罰否定派でも同じように考えている人たくさんいると思います。

    とにかく体罰は駄目である、子供だって話せばわかる、という考え方は高尚なものかもわかりませんが、仕事柄かなりの数の親子を見てきましたけど、ぶっちゃけそれで本当にうまくいっている人は見たことありませんねえ。

    ユーザーID:5146093426

  • 暴力の思い出

    40代の者です。
    中学の時、間違えで頬を思い切り叩かれました。
    林間学校で宿泊中、先生は酒臭かった。普段大人しい理科の先生が
    酔った勢いという感じでした。
    ショックで、間違いだということを言えませんでした。

    他の先生にも叩かれたことありますが
    怒りに任せてという感じ。

    相手が強い大人であったら叩かないでしょう。
    教育という庇護の元、実は
    女子供を選んで襲いかかる犯罪者と同じ心理なんじゃないのと思います。

    私の父は、よく母を叩きます。(子供には手を出しません)
    口で言っても分からないからという理由でもう40年は叩いていますが、
    母は変わることなく父をおこらせています。
    叩いても何も変りません。
    そのかわり、それを見て育った私は両親を避けるようになりました。
    両親の喧嘩を子に見せることは、現代では虐待とみなされるようですね。
    暴力は、誰も幸せにはしてくれませんでした。

    夫や子供とは話し合いで決着がつきます。楽しい家庭です。
    手を出す事は我が家では一度もありません。必要ありません。

    先生からの暴力を愛情と思ってしまう子供は、家庭でどのように育てられたのかと
    胸が痛くなります。

    ユーザーID:2949864979

  • 貴重なご意見ありがとうございました(トピ主)

    皆様のご意見の多くが「子供の教育に暴力は不必要」ということですよね。本当にその通りだと思います。
    昨日、たまたま父親の知り合いが家に遊びに来たのですが、その方には現在6歳と4歳のお子さんがいて
    昔はよく家にも来ていたので、私が「○○ちゃんたちだいぶ大きくなったじゃないですか?」と何気なく言ったら
    、その方が「生意気でダメだ。だから俺も本気で叩くし、殴ってる」と言うじゃありませんか。横で話を聞いて
    いた私の母親もギョっとした顔をしていました。私が「○○さん、暴力は良くないですよ。子供も萎縮しますし」と
    言ったら、彼が「うん子供は萎縮はしてるね。でもそれが大事、俺も親父にそうやってボコボコにされて育って
    きたし、嫁は子供を叩くなって言うけど、うるせーって言って黙らせてる」と。もうそれ以上は何も返答しません
    でしたが、結局そうなるんですよね。うちの所と同じです。負の連鎖がずっとそうやって続くんですよね。

    私の兄は、男の子ということで幼少期から父親に顔を足で踏みつけられたり、顔面殴られたりしていましたが
    自分が受けた傷を子供に負わせたくないというのがあるようで、兄は自分の子供にも絶対に手を

    ユーザーID:8518432400

  • つづき(トピ主です)

    あげません。兄の子供はもうすぐ3歳ですが、兄自身が大人しい性格なのもあってか?
    注意するときも、諭すように優しく注意しています。以前、私が子供に手をあげないんだね?
    って聞くと、兄が「萎縮する。ただでさえ○○は臆病者だから。手出さなくてもでかい声で
    怒れば誰でもトラウマになる」と言ったので、ああ〜兄自身が父親から受けたトラウマは
    今も消えてないんだろうなと、その時に私は思いました。

    私が小学生〜中学生の頃は、男性教師は叩く人、物を投げる人が多かったです。
    先に書いたことを始め、話を聞かず手悪さしてたら黒板消しやチョークが飛んでくる
    テストが赤点だったらゲンコツ、私は昭和の終わりの生まれですが、妹の世代では生徒に
    手をあげることが学内で問題になり、それからは現代の叩かない教育にシフトしていった
    ようです。特に私の通っていた中学校は、不良生徒が多いことで知られていて
    昔は学校の窓ガラスを手当たり次第割ったり、教師を殴ったりの暴挙が日常的だったと
    卒業生や先生から聞くので、それに対抗できる教師が必要だったのかもしれません。
    でも、暴力は何も解決しないし、人格を歪ませますね。

    ユーザーID:7954576764

  • 時代錯誤というくらい、悪いものになってるのか。

    今の時代は本当に悪いことをしていても怒らないでしょ。そしたら極端は極端を生み、手を上げるのもありって人が出てきますね。

    あなたが知っている手を上げるは、最も悪い例ですね。お水をこぼしてはバコーン。子供に向かって大人が足でけるなんて、単純にほっぺをたたく暴力を振る割れるより傷がつく。



    ただ、今の時代の親40までの若い人って本当に過保護なんです。それでこの人たちを教育した人たち大人が「悪い事、怒ったらあかんこと(ピンタもやむをえない)の見極めがわかってない。 それで普通と悪いことを一緒にしてしもた。



    見極めをきちっとつけず。何でも怒ってはいけませんとやった。
    だから、お父さんのやり方も全部間違ってるわけではないが、怒っていいことまで怒ってはいけませんといいだした。なら、お父さん派もでてくるんですよね。
    こうなるのは必然なんです。

    幼稚園児や小学1,2年までは手を上げるのは反対です。が、単に手を上げるなというよりは、親が子供をしっかり躾ているかということも一緒に考えなければ解決しません。

    ユーザーID:0433793121

  • 一度も手をあげられたこと、ありません

    私の世代では珍しいかもしれません。
    よく『甘やかされてきたんだね』なんて言われましたが…実際は逆。
    そういわれる度に『ああ、この人もわかっていないな』って思いましたね。
    叩かれたりは一切しませんでしたけど、厳しかったですよ。
    いうことを聞かなかったり、悪い事をした時は、延々と何時間でもお説教。
    こちらが納得するまで、です。
    親も根気がいっただろうと思います。

    学校もそのような(体罰を与える)教師は皆無でしたね。
    まあ、私立の女子校でしたので、問題をおこす生徒もほとんどいませんでしたが。

    我が家の場合、母方祖父母と同居、母方祖父母も子供に手をあげない人でしたから、その影響も大きかったのではないでしょうか。
    祖父母曰く“子供に手をあげるのは、力で抑えこんでいるだけ”“何故いけないのか、何故悪いのか、自分で理解しなければ何にもならない”“もし、言葉で諭してもわからないようなら、それは子供が悪いのではなく、そのように育てた親の責任”と。

    昔とか最近とか関係なく、子供を叩くか否かは連鎖するのではないでしょうか?
    何かでそう聞いたことがあります。

    ユーザーID:1271814353

  • 回数

    叩かれ慣れる、叱られ慣れる、がダメなんだと思います。
    最近の呆れる親のパターンはしっかり子供に向き合わず、ダメよ〜を連呼、最悪パターンは○○に怒られるからやめなさいってやつ。
    がっしりと子供を掴み、本気の態度で、目を見て、凄み、やめなさい!となんで言えないのか…
    私は叩く躾もありだと思いますよ。物を盗んだり、誰かに暴力を振るったりしても、言い聞かせれば理解するなんて妄言過ぎます。バシバシ叩くではなく、一度だけ本気で叩き、"やってはいけない事をしたんだ"と一生忘れられない記憶にさせるんですよ。
    私個人の見解ですが、昔よりマナーのなっていない親子(+じいじばあば)が増えたな、と感じます。

    ユーザーID:1658115385

  • 時と場合による

    昔は体罰当たり前だったし、私も「母」からよく叩かれてました。
    体罰と言っても、体や心にずっと傷が残るようなものは暴力になりますので止めるべきでしょう。
    でも、他人に多大な迷惑を書けた場合などはある程度の体罰は必要でしょう。
    その際、道具は使わず、ほっぺやおしりをひっぱたく、といった、痛いけど傷が残らない方法を取ればよいと思います。

    甥っ子が一切体罰を受けずに育ちました。たしかに反抗期もなくとても温和でやさしいのですが、根性がないです。就職してもすぐに辞めてしまいました。
    そういうのを見ると、ある程度の体罰の経験は必要かなと思います。

    ユーザーID:4401903418

  • 言って分かる年頃はだいぶ先

    言っても分からないうちは叩いて躾け(調教)するしかないでしょ。
    義務とか責任とか、そういう事が分かるのは10才以上です。抽象的なものごとの理解が進んだら、もう叩く必要はないでしょう。

    言って分かるようになったら、もう「口で言うだけで分かるよね」と。
    殴られないと、殴ったら他人が痛い思いをすると分からない子もいるのです。

    それまではいくら口で説得しても、子供は説教を聞くのが面倒だから分かった振りをしていることが多いのです。

    叩かない育児の人は、怒るのが苦手な人が多いです。自分を正当化するために、叩く育児の人を批難することもあるのです。
    結局、叩いて育てても叩かずに育てても。どちらでも結構育ちます。――ようするに人の躾けに口出しするなということです。

    ユーザーID:1313591159

  • 言葉の暴力

    言葉の暴力もゲンコツも同じものだと私は思います。
    暴力がいけないと言うなら口で怒ったり注意することも辞めますか?
    そうはならないでしょう?

    子供を傷つけてしまう大人というのはどんな手段をもってしても傷つけるのです。
    ゲンコツを取り上げても言葉で傷つけるだけです。
    言いかえればゲンコツか否かというのは枝葉の問題に過ぎず、
    指導する側の内面的な問題こそが事の本質なのであって、
    指導の手段という目に見える現象に拘っても物事は何も良い方向へ向かわないと思いますね。

    どうも日本人というのは流行りに乗せられてやみくもに突っ走る傾向がある。
    今の「言い聞かせ教育」というのも思考停止の典型であると私は思います。

    ユーザーID:8441784212

  • 「体罰はよくない」で思考停止

    レス2回目です。
    私は体罰をしつけの手段として放棄してはいけないと申しました。
    それに対する反対意見も拝見しましたが、「体罰はよくない」で思考停止しているように思えます。我が子がいかに世間に迷惑をかけずに正しく育つようにするか、その手段として口頭での注意で改善しない場合は、体で分からせることも不可欠なのではないでしょうか。
    体罰反対派の方には、「体罰=感情的に暴力を振るうこと」と勘違いされている方もいますが、いきなり暴力を振るうことや感情的にたたいたりすることは私も反対ですし、実際していません。体罰をそのようにしかとらえられないことも、或る意味思考が停止していることの証左なのだと思います。
    最近、公共の場での子どもの振る舞いを、小学生の親である私自身でさえ苦々しく思う機会が増えました。子供が迷惑だというトピもここでは多く散見されます。親が子供をきちんと制御できていないのです。
    私が我が子に体罰をふるう場合は、悪ふざけをして周囲に迷惑をかけたり乱暴をした場合で、かつ親の注意を聞かない場合です。特に人に痛い思いをさせた場合は、その痛みを理解させることも親の務めなのです。

    ユーザーID:8630270409

  • 訳がわからず・・・

    小5.6の時の担任が手を大きく振って私を叩こうとしていました。
    多分叩かれてはいないと思うのですが
    40年経ってもあの時の先生の顔と手を振り上げた姿と
    私の恐怖心は鮮明に残っています。

    その先生に会いたくなくて同窓会には一度も参加したことがありません。

    何故、先生に叩かれそうになったのか理由を思い出しません。
    怖いという恐怖しか残っていません。

    違う学年の時や違う先生から叱られた記憶と共に何で叱られたかも覚えています。
    自分が悪いことをしたからです。

    きっと理不尽なことで叱られた記憶は先生が怒ってる姿と恐怖しか残っていないんでしょうね。

    子どもたちも私に叩かれた記憶+叱られた理由 という物を覚えています。

    ただただ感情的になって叩いていたら叩かれた理由はわかっていないと思う。

    何故叩かれるほど叱られているのかという事を本人がちゃんとわかっていないと駄目なんですよ。

    叩いてまで叱るという事をちゃんと教えてあげなくっちゃね。
    子どもたちの為に。

    ユーザーID:2760714361

  • 言いたいことはよくわかる。

    そうであるべきですし、そうしなきゃいけないのも確かです。

    単にそういった時代に育ったからなのでしょうか?
    自分は叩かれたことは沢山ある。
    でも信頼関係によって、印象は全く違う。

    親に叩かれたのは、記憶にある範囲では
    「どうみても自分が悪いこと」だった。

    学校の先生は、1人は最悪。でももう1人は違ったな。
    何か特別に目をかけてくれてる感のほうが大きかったから。

    でも結果論であって、双方が既に納得できている関係以外では無理だろうし幼少期ではありえない。
    中学・高校で偶然出会った気持ちが通じ合う人だっただけなんだろう。

    昨年の大晦日のある番組で金八先生のパロディがあった。(GWで暇だったので、久しぶりに見てた)
    それで思い出したのだが、
    『腐ったみかんの方程式』
    これって、今の子が見たらどんな印象・感想をもつのかな。

    別にこの行為に対して賛同も非難もしない(はるか過去の作品だし)
    純粋に今の子はどう思うか知りたいな。

    ユーザーID:3378764322

  • 時と場合によっては手をあげる必要がある

    子供自身や、他人に危害を加えかねない行為については、
    「これをやってはいけない」を憶えさせるべきです。

    言葉で分からないなら、体で憶えさせる。

    そうでもしないと、取り返しのつかない事になりかねませんから。

    ユーザーID:8436735168

  • 必要でしょうね

    ただし、バコーンさんのまわりで行われていることはちょっと違うと思います。

    私のは親の方針で、ベルト線より上には絶対に手を出しませんでした。
    また、通常レベルの悪いことでは一つの事象で(同じ事を複数回別の場所ではなく)複数回行っても言うことを聞かなかった場合です。

    たとえば、同じ電車の中で走り回って数回注意されてそれでも言うことを聞かなかった時などです。違う電車の場合はリセットされますが注意回数がだんだん減っていきます。免許の反則と罰則の関係みたいな感じです。

    あ、字数が、続く
    瞬間的に怒りが発動して手を出すのとは明らかに性格を異にする手出しだと思います。

    人に危害を加える、自分の生命の危険にさらす行為は叩かれます。ただし、その時も叩く場合はおしりです。噛んだりしたら口をつねられますが。
    これも理性的な体罰です。

    片付け、勉強、口答えで叩かれたことはないですね。
    家の中で大騒ぎしていても叩かれたことはないです。

    curtainさんの仕方がないに、他人に迷惑を繰り返し行うを加えた辺りがボーダーラインですか。

    ユーザーID:2872684716

  • つづき

    つまり、口頭注意の回数とおしりを叩かれることによって、悪さの程度を覚えます。そうやって覚えたことは、一時的な抑止力ではないと思います。

    親が虹色さんのいうとおり、外出先を制限してくれるのであれば良いです。電車の中で大騒ぎする子がいれば電車には乗らない、乗らせないと言うことですよね。口で言ってわかるようになるまで。そうじゃないと周りは迷惑ですもんね。ただし、私は電車に乗らせない方(これは例です)が虐待に近い気がします。少なくとも子供の機会を奪うと思います。

    私の場合は母の方が手が早かった(回数が少なかった)です。逆説的ですが、そのため父に注意された方が重かったですし、父に叩かれたときは自分がどんなに悪いことをしたか、重々反省しました。これも、両親の棲み分けです。

    悪い行為にも軽重が有り、言葉だけでは軽重まで伝えきらないと思います。また、反射的に叩く、かっとなって叩くではやはり軽重が伝えられないと思います。

    どんなにかっとなっても、ベルトよりは上は絶対に叩かないと決めていればそこでいったん理性が働きます。反射的には叩けません。

    子にも同じ方針でいます。

    ユーザーID:2872684716

  • 開き直りとしか思えません

    >結局、叩いて育てても叩かずに育てても。どちらでも結構育ちます。――ようするに人の躾けに口出しするなということです。

    人の躾に口を出したい訳ではないでしょう。

    議論にも何にもなっていませんよね。

    >殴られないと、殴ったら他人が痛い思いをすると分からない子もいるのです。

    分かる子もいると言う訳ですね。

    それは、何処で見分けるのですか。

    おばはんさんの主観ですか。

    それでは、結局、殴ってみることになりませんか。

    おばはんさんの論拠には、殴られる側への考慮が全くありませんね。

    大人の(親の)気ままに振る舞って、何が悪いのだと開き直っているとしか思えません。

    ユーザーID:1761013543

  • びくびくして生きていく事になります

    >言葉の暴力もゲンコツも同じものだと私は思います。

    言葉の暴力を大きくとったり、肉体への暴力を小さくとったりの操作をすれば、一見成り立ちそうですが、全く次元の違うものだと思います。

    どんなに酷い言葉が口をつきそうになっても、人を殴ろうとは思わないものだと思いますが、それがその証拠のように思います。

    >どうも日本人というのは流行りに乗せられてやみくもに突っ走る傾向がある。
    >今の「言い聞かせ教育」というのも思考停止の典型であると私は思います。

    未だに、愛の鞭か暴力かが問題になるほうが、どうかしていると思います。

    簡単な事です。

    自分が子どもに戻ったとして(子どもの頃の自分を思い起こしてみて)、悪いことをしたら、殴られても仕方がないと思いますか。

    子どもは判断力が乏しいとしたら、余計、訳もわからないのに殴られることになりますね。

    また殴られるのではないか、大人の顔色をうかがいながら、びくびくして生きていく事になります。

    ユーザーID:1761013543

  • 極論がダメ

    何があっても絶対に手をあげないとか、なんでもかんでも手加減無しに拳骨で殴るとか、極論はよくないですね。

    極端なのが、未成年は少年法で捕まらないとタカをくくり犯罪を犯したり、学校で傍若無人の限りを尽くして「教師が生徒に手をあげたらクビだ!」と意気がる生徒やモンペだったり、虐待ですから。


    状況に応じて、諭す、平手、拳骨を使い分ければ良いと思います。

    ユーザーID:3414687395

  • 必要ないと思います

    私は手を上げる時点でそれは教育ではなくなっていると思います。

    自身は口答えをして母に数回だけほうきでぶたれた記憶がありますが、その時母が父と喧嘩していた時だったので冷静に「ヒステリックに人に八つ当たりしているだけ」と考えていたのを覚えています。

    自分は人に手をあげたことは一度もありません。

    ただ手をあげなければそれでいいのかといいますと、ぶちきれて暴言を吐くというのは手を上げるのと同等に乱暴な行為だと思います。
    私はこの暴言を吐く行為を目にすることが多く非常に懸念を抱いています。

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