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【駄】初めて乗った航空路線は、どこですか?

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生活・身近な話題

空港第三

こんにちは

私は飛行機に20歳を過ぎるまで搭乗した事がありませんでした。

国内線と国際線・それぞれ松山→大阪と成田→マドリードです。

松山は車で行くと遠く感じるのに、早くてびっくり。もう、着いたの?って感想でした。

マドリードは、機内食とか初めてで、レストランみたいだなって、感心しました。

皆さんはいかがですか?

ユーザーID:8790237956

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  • 東京から鹿児島へ

    東京で働いていた70年当初、お正月だったかお盆だったかの休みに、何と飛行機で帰った事があります。羽田から鹿児島まで。どうやって乗ったかも今は思い出しませんが、帰りも飛行機で。でも、帰りは大阪で勤めてた弟が一緒だった事もあり。飛行機では大阪まで、大阪からは新幹線で帰ったのですが、なぜ料金の高い飛行機など利用したのかさっぱり覚えていません。でも、これが初飛行機乗りでした。日本航空だったはずです。

    あまりにも懐かしくて、レスしてしまいました。

    ユーザーID:3041037400

  • 今は昔。…

      ハイ、1973年に乗った、大韓航空の羽田〜ソウルの金浦空港でした。

    今は昔、むかーしの羽田空港です。 国際線ターミナルと国内線ターミナルが離れていたし、ゲートからバスに乗って遥か遠くに停まっている飛行機まで行き乗りました。

    飛行機はこれまた昔、むかーしのDC8.

    国内は、やはり羽田から札幌へ、全日空のトライスターでした。 な、懐かしすぎる。。。

    ユーザーID:6037304605

  • イギリスへ

    国内線は乗ったことがなかったのに、18歳の時、いきなりヨーロッパへ行くために国際線に乗りました。
    英国航空でヒースロー空港(だったと思う)。
    イギリスからイタリア、ドイツ(当時は西ドイツ)、フランスなど1ヶ月くらい滞在しました。
    その間、ヨーロッパの小さな飛行機にも乗りました。

    今から40年以上前なので、まだ成田空港はなく、羽田。
    ヨーロッパへは北回りと南回りがあって(ソビエトの上空を飛行できなかったため)
    南だと24時間、北でも18時間ほどかかりましたね。
    途中、アンカレッジに立ち寄りました。

    帰りは愉しかったけれど、行きは初めての飛行機と長時間のフライトでずっと気分が悪く、機内食もほとんど残してしまった。


    でも、今では懐かしい思い出です。

    ユーザーID:1422167519

  • 恐怖のフライト

     羽田-新千歳
    この航路は旅行で7〜8回利用してます。

    1月か2月だと記憶していますが、羽田を飛び立った私達の搭乗した飛行機は悪天候の為、新千歳空港の上空で旋回し着陸の機を伺うも燃料切れで羽田にUターン。

    羽田で給油後、再度新千歳空港に飛び立つのですが、この時点で3組がリタイヤ(新千歳空港上空でかなり揺れた恐怖からだと思われます)。
    またも新千歳空港の上空で30分程旋回するのですが、その間にストン!ストン!と5メートル位おしりが墜ちる感覚が十数回、無事着陸した時には機内の乗客から軽い拍手が…。

    その日、新千歳空港に降りた飛行機は、私達の1機だけと聞いてけっこうゾッ!としました。

    余談が長くなりました、国際線は
    成田-ソウル(仁川空港)ですが、搭乗した時間帯により機内食が出たり、出なかったりだったと記憶してます。

    ユーザーID:5990845473

  • 1963年

    初めて乗った飛行機は、セスナの遊覧飛行で1963年。
    今はなき「船橋ヘルスセンター」(千葉県船橋市 現ららぽーと)から
    東京浅草上空までの往復でした。
    落ちるからいやだと泣いて抵抗したのに、結局乗せられました。


    本当の航空ルートの飛行は、1974年7月に羽田からグアムまで。
    当時は成田空港がまだなく、国際線もすべて羽田空港からでした。
    これも今はなき「パンアメリカン航空」でした。

    そのころは個人モニターなんて発想もなく、機内の映画上映も
    ありませんでした。
    1米ドルが約300円。 100ドルのお小遣いを捻出するのが
    大変でした。

    ユーザーID:1946581774

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  • 初めての飛行機

    あれはそう、幼稚園の頃に、羽田〜福岡空港まで乗りました
    今から42年ほど前だと・・・
    よく覚えていますが、全日空ですよ
    うちの母親の実家が博多だったので、毎年のように夏休みは帰省していて、今では懐かしい思い出です
    私は客室乗務員さんから、お絵かきの小さなセットだったかな
    弟はビニール製で、空気を入れて膨らませる飛行機をもらいました
    客室乗務員のお姉さんがとても奇麗だったのを覚えています

    ここ最近は飛行機のお世話になっていません
    もう10年以上乗っていないです
    13年前に、グアムに行って以来、乗っていません

    ユーザーID:0148871671

  • 40年以上前

    国内で乗ったのは、はとバスに乗って東京上空遊覧飛行。
    飛行機に乗ったらタダでアメがもらえる、それは気圧の関係で耳が痛くなるのを防ぐためなんだよと聞いていたけど、もらったんだっけなあ。忘れてしまいました。
    国際線は、南回りでギリシャへ。途中、バンコクやらデリーやらベイルートやらにいちいち降りて24時間くらいかかりましたが、うれしかったので苦とも思いませんでした。
    今は24時間かかるなんて聞いただけで乗りたくありませ〜ん!
    あのころは若かった!機内食も何回も出たけど、全部食べちゃったような記憶が・・・。

    ユーザーID:1002439258

  • 大学受験のため初搭乗

    18歳になるまで飛行機には乗ったことが無かった私。

    大学受験のため旭川空港から羽田空港へ。今はJALと経営統合したJASの前身のTDA(東亜国内航空)に乗りましたっけ。

    初のフライトに緊張しましたけど、偶然同じクラスの子も乗っていて何となく安心しましたね。

    今は頻繁に飛行機を利用して乗り慣れてはいますけど、時々初めて飛行機に乗った時のことを思いだしますよ。

    ユーザーID:9588668610

  • 青森から羽田

    1983年位でした。青森で親戚の結婚式があり、当時の母は、12歳の私を連れて行きは寝台特急、帰りは飛行機という旅程を組みました。
    キャリアは東亜国内航空、機体はYS11でした。プロペラに近い席だったせいか、気分が悪くなったのですが、飲物サービスで出たコンソメスープの味はよく覚えています。
    お子様にはビニールの飛行機のおみやげがもらえました。
    青森空港があまりに殺風景で空港らしさがなく、どこかのバスターミナルみたいだと思いましたっけ。ゴメンナサイ。

    ユーザーID:7656805896

  • 懐かしのプロペラ!

    懐かしいですね〜。
    生れて初めて乗った航空路線は、昭和54年(1979年)の青森(三沢空港)−羽田路線でした。
    東亜国内航空、"骨董モノ"のYS11だったはずです。
    当時小学校4年生、祖父が自動車事故で緊急手術となり、赴任先の青森から急ぎ家族で戻った
    時でした。ほとんど憶えていませんが、とにかく「プロペラだぁ!」と感心してみていたような
    記憶は残っています。
    それ以降就職してから国内線はよく乗りましたが、プロペラ機に乗ったのはあの時だけでした。

    時は移って現在の赴任先(ドイツ)からよくUKのマンチェスターに出張するのですが、Flybeを
    使うとこの路線はプロペラ機が多いんですよ。
    今改めて乗ると「結構プロペラってうるさいんだな・・・」という感じですね(笑)。

    長距離(日本行きの時など)でB787を使うとやっぱり快適です。
    B787ならヨーロッパは近過ぎる!といつも思います。
    正直エコノミークラスで全く問題なく11時間でも12時間でも過ごせそうな感じですね。

    ユーザーID:4291469503

  • 日本航空欧州路線

    1971年
    羽田発ロンドン行き、DC8(はっきりとは憶えていません)
    羽田は夜、アンカレッジは朝、コペンは夜明け前、ロンドンは朝、と、明暗、明暗の入れ替わりで、機内では寝て、飲み、食いの連続で、皆さん「メートル」をあげていました。
    初めてのプロペラ機はヒースローからスコットランド、「ヨイショ、ヨイショ」と上昇してゆく感じ、「ユーラ、ユーラ」と翼を上下に振りながらの着陸、パイロットの素晴らしい技倆でした。

    ユーザーID:5421036516

  • 東京の魅力は永遠?

    中1の時、東京に遊びに行ったのが、初飛行機に乗ってだったと思います。
    福岡から羽田、原宿、はとバス観光、母親とのいい思い出です。
    それまでは新幹線で大阪や京都には遊びに何でも行ってましたが、東京に行ったことがなく、原宿に憧れ、母親に頼んで連れて行ってもらいました。
    今私が40代、小学生の子供がライブ行きたがり同行、教えるわけでもなく似てしまう遺伝子恐ろしいです。
    それを一緒に楽しんでいいのかどうか、悩み苦しくなっています。
    東京、若い子が憧れる町、華やかな都市、何でもある東京。
    これまでも、これからも日本一の大都市、エネルギーと刺激をもらえる東京、これからも行けるように頑張りたいです。
    飛行機の旅、心が豊かになれます。
    今も昔も離陸の瞬間、心の中で拍手するくらい好きな瞬間です。
    滑走路をぐんぐん加速して、ふわぁっと空へ飛び立って行つ高揚感、これも飛行機で旅をする楽しみの一つです。
    国際線、国内線、空港内の面白さを知り、飛行機プラン以外興味を持てなくなってしまいました。

    ユーザーID:5320083096

  • パキスタン航空

    初めての空の旅は、1980年代、成田発、ラワルピンディー経由で、欧州着でした。途中ダマスカスでも給油のために着陸しましたが、眠ってました。28時間くらいかかったと思います。

    食事の時間は、機内にカレーの匂いが充満し、近くの座席の人といっぱいおしゃべりしました。
    みんな、シートベルトを着けずに、機内をウロウロし、「ヒマラヤが見える」と誰かが言うと、一斉に窓際に殺到しました。

    空席が多く、横になって寝てる人もいました。

    安いので、学生には人気のパキスタン航空でした。
    まるで、立ち歩き自由の観光バスみたいで、安っぽいけど気軽な空の旅でした。

    もっと安っぽかったのは、欧州から乗り継いだ某アフリカ国営航空です。

    機内にハエが飛びかい、座席がちゃんと倒れません。

    でも、短い飛行時間だったから、あまり気にならず、それより、生まれて初めて見る地中海とアフリカ大陸の景色に見とれてました。

    ユーザーID:7780888221

  • 45年くらい前かな

    小学生のとき大阪→福岡JALに乗ったのが初めてです。
    いつも新幹線移動の帰省なのになぜか一度だけ飛行機でした。
    客室乗務員さんが優しくて、アイスクリームやお菓子が出てきて、
    とってもうれしかったのを覚えています。
    乗ってる人も少なかったような。
    なんだか特別な感じがしました。
    今じゃ新幹線の方が運賃高かったりしますね。

    ユーザーID:6542267586

  • 嬉しすぎて、涙出そう〜

    楽しいトピを、ありがとうございます。

    DC8、TDA(東亜国内航空)、パンアメリカン、アンカレッジ経由、懐かしすぎて、目頭がツンと熱くなりそうです。

    飛行機(機材含め)好き、乗るのは勿論、空港も大好きです。
    なので、皆さまのレスを拝見するのがとても楽しいです。

    私の初飛行は16歳のとき。仙台→大阪(伊丹)です。
    両親が関西の出身で、親戚一同関西在住のため、高校生になったら一人で遊び&手伝い?に行くのが長期休暇の恒例でした。

    全日空のスカイメイト会員(対象22歳以下)、というのに入会していて、予約できない代わりに割引運賃、というものですが、搭乗20分前まで、乗れるかどうかわからない、というもの。
    当時(80年代半ば)予約状況を探る手段など無く、行ってみないとわからない、というものでしたが、仙台→伊丹路線は便数も多かったので、大抵乗れました。
    機材は、当時としては新しい、B767でした。

    初国際線は成田→エジプトのカイロで18歳のとき。
    短大の研修旅行でした。
    JALで機材はB747。

    昔は全日空は国内線のみだったんですよね〜。
    ダヴィンチのへり、懐かしいな〜。
    帆船に見えた。

    ユーザーID:0777559074

  • アンカレッジ、フランクフルト経由アテネ

    今は無きアンカレッジ経由の最終期かな。
    1年後輩がもうなかったと言ってましたから。
    もうね、雪と氷に覆われた空港に着陸するときのスリルと言ったら。
    無事停止した時は機内に拍手が起こりましたよ。
    帰りはパリから安い南周りで。早朝6時にバンコクに着いて、夜中の11時の出発まで自由にしてよかったので、中国人団体客のバスツアーに(無料で)混ぜてもらっていろいろなところを観光しました。皆さん優しかった(笑顔)。
    ただ、真冬の服しか持ってなかったので、下着代わりの薄いTシャツで過ごしました。
    ああ懐かしい。

    ユーザーID:1250285607

  • 9歳の時に乗ったのは

    今から56年も前の1959年3月、小学校3年を終わり、転勤した父を追うようにして乗ったのが全日空の羽田-札幌線でした。札幌なんか行きたくない、とごねた東京生まれの私たち子供を宥めるために父が会社に頼んでお金を余分に出して貰ったそうです。

    機材はもう日本の空には飛んでいないダグラスDC-3という双発のプロペラ機。よく晴れた羽田を飛び立つとやがて左側に筑波山が見えて来ました。途中は米軍基地のあった青森県の三沢経由でした。4時間という飛行予定がエンジンの不調で引き返したこともあり、8時間近く掛かった記憶があります。

    夕刻に到着した千歳空港は遠くにカマボコ兵舎が並ぶ暗い雰囲気の空港でした。今の新千歳空港とは別ものです。

    当時の北海道行きなんて上野発の常磐線+東北本線(非電化)+青函連絡船+函館本線(蒸気機関車)で24時間余りが当たり前。飛行機なんて金持ちか、大会社の社長さんが乗るものでした。

    初めての国際線は1974年12月の羽田-ホノルル線でした。今はなくなってしまったパン・アメリカン航空。機材は就航間もないB-747でした。

    ユーザーID:8119956387

  • 高知ー宮崎間

    1984年頃、ANA高知ー宮崎間が初フライトです。
    家族旅行で乗りました。
    しかし、高知ー宮崎間って?
    よくわからないけど、
    むかーし宮崎が新婚旅行のあこがれの地だったから
    開設されたんでしょうか? この路線。

    機種はYS11。
    のちに私は関西に移り住んだので、
    YS11にはめっっちゃお世話になりました。
    確か64人ぐらいしか乗せられないため、
    高知ー大阪間は、40分〜1時間に1本飛んでいて、
    なかなか便利でした。
    21歳まではスカイメイトを使うと
    6000円ぐらいで乗れたのも嬉しかったなぁ。

    ユーザーID:1284388224

  • 小学生だったかなぁ

    父が、私と弟を飛行機に乗せてあげたいと言う理由で乗りました。
    長崎に住んでいました。
    大村ー五島(福江)間です。
    「飛行機に乗る」のが目的なためだったからか、滞在時間わずか!
    当時の感覚では5分くらい?・・・降りたと思ったら、「帰るぞ!」と父。

    何が何だかわからないうちに、旅は終わりました・・・
    でも当時は飛行機に乗ったというだけでかなり自慢な出来事でした。
    プロペラ機だったと思いますが、乗るのが目的ってのも贅沢だなって今になって
    思います。
    でも、乗った記憶はないんですよね・・・すぐ帰った衝撃が強過ぎてそこだけが
    いつまでも忘れられない思い出?です(笑)

    今は私は大阪に居ますが、まさかその後数えきれないくらい飛行機に乗るなんて
    思いませんでしたね。
    父が大阪に来てくれる時は必ず新幹線。飛行機は嫌いらしいです・・・

    ユーザーID:5842148640

  • 広島−大阪のYS−11です。

    当時はまだフィンガーデッキなどというしゃれた物は無くて、
    雨が降ると乗客は皆出発ゲートから飛行機のタラップまで
    空港が用意している傘を差して歩いて行ったものです。

    あれから数十年、公用・私用で国際線・国内線ともども
    地球数十周分は乗りましたかねぇ。(ドヤ顔)

    マイレージも始まった当初はKm単位で、1万〜4万Km貯まると
    天体望遠鏡とか自転車とかと交換してくれるシステムでした。

    マイレージになってからは航空券としか替えた事はありませんが、
    お蔭様で随分とタダで旅行もさせて戴きました。

    夕焼け雲の中を飛んだ事もあります。本当に巨大なピンクの綿飴です。
    但し裏側は普通の灰色ですけどね。

    台風の上を飛んだ事もあります。テレビで見る通りの巨大な渦巻きです。
    現在の飛行機は概ね1万m位の上空を飛ぶので全く安全です。
    YS−11の時は高度3千m位の所を飛ぶので煽られまくって大変でした。

    今でも飛行機は大好きです。
    雨の日に離陸して飛行機が雲の上に出た時に太陽の光がパァーと雲の上に拡がる
    あの瞬間が特に好きです。

    ユーザーID:0904930671

  • カナダ

    今から20年以上前に国内線も未経験なのに叔母に誘われ
    シアトルでトランジットのバンクーバーへ行きました。
    しかもダブルブッキングされてのビジネスで。
    生まれてはじめての飛行機だったからエコノミーの様子も知らなくて
    往復のギャップに驚いたものでした。(残念なことに行きがビジネスでした)
    あとにもさきにも飛行機がランクアップしたのはこの時きりですねー。
    飛行機会社はどこだったかなぁ。
    外資だったことは確かです。エアアメリカとかだったよーな・・・。
    今は合併とか統合されちゃってなくなってる会社かも??
    もらったアメニティグッズはかなり重宝してその後何年もの間海外旅行の
    お供でした。
    ふた昔前はちょこっとお給料がたまると有給と連休からめて海外旅行行く
    OLがけっこういましたよね。その一人でした。

    ユーザーID:0741037942

  • 国内、国際とも、今は無き路線です。

    少し前までは仕事で国内外を飛び回っていたので
    飛行機なんて当たり前、日常茶飯事でしたが…
    思い出してみると、新鮮ですね。有難いトピです。

    私の飛行機初乗りは、3歳の時でした。

    当時親戚が八丈島にいて、そこへ遊びに行くため乗った
    名古屋(小牧)-八丈島路線でした。
    天候の悪い日で、なかなか八丈島空港に降りられず
    1時間くらいぐるぐる旋回していたのを覚えています。

    国際線は21歳の時、伊丹‐ヒースローでした。
    当時「機内食はまずい」のが当たり前でしたので
    事前に空港内のレストランでうどんを食べて搭乗。
    出てきた機内食は案の定美味ではなく、うどんを食べておいて良かったなと。
    当時日本ではほとんどいなかった
    男性のフライトアテンダントがいたのでびっくり。
    しかも金髪のハンサムさんだったので、サービスされるのも嬉しくて。

    いずれも今は無い路線です。

    ユーザーID:6534160181

  • 忘れてました!初国際便はアンカレッジ経由でした!

    前のレスで忘れていたので追加です。

    初めての国際便の伊丹‐ヒースローは、今はないアンカレッジ経由でした。
    当時は東西冷戦時代、ロシア上空を飛べなかったんですよね。
    南まわりか、アンカレッジ経由で西ヨーロッパに行っていたんでした。

    アンカレッジ名物のうどんは、空腹でなかったので食べませんでした。
    海外慣れした日本人にとっては「さしておいしくもないけど食べたくなる」のだと後で聞き
    食べておけば良かったと後悔しきり。

    ayh5様、全日空のダヴィンチのヘリ(懐かしい!)ですが
    昨年の今頃、復刻版の飛行機を羽田で目撃しました。
    一瞬今はいつだろう?とくらくらしましたよ。

    ユーザーID:6534160181

  • たぶん、羽田-伊丹-大村-熊本 かな・・・

    飛行機に初めて乗ったのは、たぶん3,4歳頃の筈ですが、覚えているのは
    小学1年夏休み、つまり56年前(1959年)です。

    羽田-熊本の直行便はなく、大阪伊丹空港(伊丹は兵庫県だけど)で乗り換え、
    大村(長崎県)経由(一時着陸、機外に出ずに待機)熊本空港(現在の阿蘇ではなく、熊本市健軍の自衛隊基地付近)着のプロペラ機、ん、機種なんだろう、
    とにかく全日空でした。

    まだ、ジュニアパイロットとかの制度がない時代に小1ひとりの旅行です。
    恐らく全日空関係者もはらはらだったでしょう。
    (叔父が熊本空港までは迎えに来ました。)

    父が航空会社に頼み込んで、小1の息子に冒険旅行させてみたかったようです。
    母は、飛行機の中で読む分と言って、普段買ってくれない漫画を用意したり、
    おやつもふんだんに持たせてくれました。

    何より、その頃は羽田-大阪便に食事(豊中市蛍池の小鯛雀寿司)がついて
    いたのが嬉しかった。

    逆に不安も沢山、飛行場のパネルの漢字が読めない(笑)

    大阪で乗り換える時、本当に心細かったのを覚えてます。

    今となっては、不思議な思い出です。

    ユーザーID:1764335754

  • 東京〜札幌、スキー旅行

    高校時代の仲良しグループの一人が結婚することになり、独身のうちに!とちょっと豪勢に北海道へスキー旅行に行きました。
    当時二十代前半、物心ついてから初飛行機で、隣の友人の手を握ってドキドキしながらの初体験でした。

    ・・・ですが、本当の初飛行機は一歳の時。
    父の会社の社員旅行で東京〜四国へ。
    YS-11(プロペラ機ですね)に乗ったそうです。
    母曰く、「すごく揺れたけど、あなたはニコニコしながらおとなしくしてたわよ。」
    ですって。

    ユーザーID:1832659127

  • カンタス航空

    オーストラリア…懐かしい。
    20年以上前ですね。

    客室乗務員に男性がいて、
    食事や飲み物等のサービスを受けるたびに
    ドキドキしました。

    男性が(昔風に言うなら)スチュワーデスに
    鼻の下を伸ばす気持ちが
    とてもよく理解できた、初フライトでした。

    ユーザーID:2808978649

  • 懐かしい

    1973年の冬です。当時の国際線は羽田空港からでした・・・南回りでアテネまでKLMで行きました。
    まさに「ジェットストリーム」そのものでした。
    アテネからヨーロッパ1ヵ月の学生ツアーでした。本当に懐かしい。

    アテネ・ローマ・インスブルック・ミュンヘン・プラハ・パリ・リスボン・マドリード・ロンドンを巡りました。
    確か、プラハから列車でパリに入った記憶があります。列車から見るパリは雨に濡れていました。

    そして、最後はアムステルダムからアンカレッジ経由KLM北回りで帰りました。

    ユーザーID:2610047577

  • 南回りでアフリカへ

    生まれて初めての飛行機はいきなり海外、エジプトへの一人旅。

    カイロに着いて降りようとしたら男性パーサーが軽蔑した顔で「ここ、エジプトですよ」と一言。
    その飛行機、エジプトの後、確かミラノ経由、ロンドン終着だったんだと思う。パーサーはまさか私がエジプトへ行くと思わず、イタリアかイギリスに行く一人旅の馬鹿な女子学生が寝ぼけて間違えてエジプトで降りようとしてると思い込んだのでしょう。

    むっとして「そうです、私はエジプトで降りるんです!」と言い返して飛行機を降りたのでした。

    ユーザーID:2275680078

  • 1968年が初めてです

    当時、日本の国際線は日本航空だけでして、直行便はありませんでした。
    アメリカへは西海岸がハワイ、東海岸はアラスカが給油の為の中継地点。
    今の様なビジネスクラスはなく、ファーストクラスとエコノミーだけでした。

    乗客もビジネスで渡航する男性客がほとんど、子連れは私達親子だけでした。
    夫の駐在先のロス・アンジェルスへ2歳の息子を連れて渡航したのが最初で、
    ハワイでの4時間の待機中、特別なラウンジで至れり尽くせりのサービスを
    受けてとても有難く、恐縮したのも懐かしい思い出ですね。

    当時 ファミリーサービスのシステムを導入していた航空会社は、
    確か日本だけだったと思います。
    半年後、友達が3歳児を連れて他国の航空機で西海岸のご主人の赴任先へ
    渡航した際、座席は子供と別々、対応さえして貰えず 仕方なく長時間
    膝に乗せて大変だったとか!

    今は孫達が渡航する際、お世話になっていて大助かりです。

    ユーザーID:4329998500

  • JALかな

    43年弱前、広島-大阪伊丹が私の初フライトだと思います。たぶんJALだったんじゃなかったかな。

    自営の父の仕事に便乗しての家族旅行、行きは開通間もない新幹線。しかし当時虚弱体質の私は現地で熱を出し、兄弟たちと母を残し、病気になった私を父が飛行機で連れて帰りました。あまりにも距離が短かったので、飛行機自体は覚えていませんが、伊丹空港は覚えています。

    ユーザーID:6427208582

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