忘れられないお爺ちゃんの想い出

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生活・身近な話題

加奈子

こんにちは。私は海外在住、結婚15年目の専業主婦です。
この間大好きだった母方の祖父が夢に出て来たので、懐かしい事を思い出しました。

あれはまだ私が小学生だった頃。
お爺ちゃんが数日我が家に宿泊していた時、大好きなお爺ちゃんに何かしてあげたくて
作った事もないケーキを作ろうと思ったアホな私。
母の本を引っ張り出してきて、簡単なレシピのケーキを選びました。

それでも作るのが大変で、台所はあっと言う間に小麦粉で真っ白。
バターのついた手で、あちこち触ってどこもギトギト。
数時間かけて、四苦八苦しながら作ったのを覚えています。
お爺ちゃんの喜ぶ顔が見たいのと、褒められたくて必死でした。
仕上げにクリームとイチゴで飾ったけど、大人の目からは最悪の出来だったかな。笑

お庭で椅子にもたれて、本を読んでるお爺ちゃんに、
「お爺ちゃーーん!できたよーー!」
と仕上がった超最悪のケーキを持って、勢いよく走って行きました。
がっ!

お庭に置いてあった小さな石につまずいて、私はケーキと共に転倒。
目の前が真っ暗になりました。
泣きそうになっている私が見たものは。。。

お爺ちゃん、ゆっくり立ち上がって地面に落ちたケーキを拾い上げ、パクリ。
「あ〜〜!美味いわぁ〜!」
涙いっぱいで、お爺ちゃんの顔が見えませんでした。

天国のお爺ちゃん、これから見守っていてね!

貴方の忘れられない想い出は何ですか?良かったら教えて下さい。

ユーザーID:1459135731

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  • 小指を引っ張ると。。。

    祖父が「おい、ちょっと小指を引っ張ってくれ」というので引っ張ったら、『ブーッ』とおならが!
    100%の確率で出ました。
    どうやったらタイミングよく出るのか、祖父に聞いてもニコニコするばかりで教えてくれず。
    祖父が亡くなって十数年、未だにモヤモヤと気になっています。

    ユーザーID:4638936255

  • いい話ですね。

    こんばんは。

    今ではいい思い出でしょうね。
    年数経つと、芸術作品ではないけど、もっと価値あがりますよ。

    両親のじーちゃん大好き人間です。
    昔の60といえば本当におじーさんです。(戦争にいってるし、食べ物の無い時代苦労してる) 

    ある日じーちゃんの紫のパンツ姿を目にして「じーちゃんパンツが紫なんて、目茶粋やなー」といって、家族みんなで笑ったことあります。(私小学生)

    普通は白か薄茶。


    若い時は女遊びもしていたみたいです。かといって特別家族を泣かしたわけではなく孫のなかでも私たちは一番お気に入りだったみたいです。母親がじーちゃんが亡くなったあと言っておりました。
    足もちょっと悪かったです。でもじーちゃんは私を自転車の後ろに乗せてくれたことあります。
    小さな子供はどこやか連れて行ってもらえるのは嬉しいです。しかも茶店などにはいって、親が作ってくれない食べなれてないものが食べれるんですからじーちゃんと一緒にいたら。だから母親の実家に帰ったときはじーちゃんと会うことが楽しみでした。

    優しいじーちゃんでした。

    ユーザーID:0011012286

  • 上野動物園

    父方の祖父が胃がんでなくなるまでの数年、週末や長期休みは祖父のお見舞いに行きました。
    調子のいい時は退院し、家で過ごすこともできたのかなと。
    小学校前だったと思います。
    上野動物園にランランとカンカンが着た直後、祖父が私と弟をパンダを見せに連れて行ってくれました。
    人でいっぱいで押し出されるようにパンダの前を通りすぎたことを覚えています。それでも、祖父は弟と私に
    パンダを見せたくて抱っこしてくれてことを覚えています。
    いろいろな出来事があったと思いますが、病気の祖父が連れて行ってくれた上野動物園が心に残ってます。

    母方の祖母は、里帰り出産をした際に、80代後半の年齢で電車でひ孫の顔を見に来てくれました。
    今なら乗り換えが1回で済むけれど、当時は便利になっても2回乗り換えが必要でした。
    祖母が帰る日、ホームまで見送りに行きました。
    「おばあさん、またミントに会えるかな。もう会えないかもしれないけど、元気でね。」と涙を流しながら、何度も何度も。
    その後、1回だけ元気な祖母に会うことができました。

    何度も、何度も祖母の家の近くまで仕事で行っていたのに...。もっと会いに行けばよかった。

    ユーザーID:2251415811

  • 素敵なトピ文 ありがとう

    私は、二歳ぐらいの頃から 両親の仕事の都合で、母方の祖父母に預けられ

    小学校を卒業するまで 祖父母と暮らしてました。

    オッパイは欲しくて泣いてる私を見兼ねて 母のすぐ上の兄の奥さん(当時 私より一つ上の子供がいたから)に頼んで

    『その子が飲み終わってからでいいから この子に、少し飲ませてくれない』


    ばあちゃんは、いつも頼んでいたそうです

    『痛いっ この子はいつも力一杯噛むから』

    そう言って、嫌がってたそうです。

    それを見兼ねたじいちゃんは、

    釜戸で炊くご飯から吹き出る 重湯を茶碗に入れ砂糖を少しだけ入れて 飲みやすくなるまで冷ましてから

    じいちゃんが抱っこして飲ましてくれてたそうです。

    小学生になった頃 小さな舟を持ってたじいちゃんに連れられ 学校をサボっては、魚釣りに。 忘れられないじいちゃんとの思い出 今では、あの頃のじいちゃんより年上になってしまいました。

    ユーザーID:0273134025

  • お散歩

    今から40年以上前、80歳を超えた祖父が亡くなる前の3年、一緒に住んでいました。
    三つ揃いのスーツを着て、帽子をかぶって、ステッキを持って・・・という
    ハイカラでおしゃれなおじいちゃん、大好きでした。
    私が4歳ぐらいの頃かな、一緒に散歩に行くと、いつも途中の喫茶店でアイスクリームを
    ごちそうしてくれました。
    昔の、銀の足付きの器にバニラアイス、ウエハースと赤いチェリー。
    とっても優しいおじいちゃでした。会いたいなあ。

    加奈子さん、素敵なトピをありがとうございます。

    ユーザーID:0946158529

  • おじいちゃん子でした

    子供のころ母も祖母も働いていたので、幼稚園の送り迎えをはじめ、私の子守はほぼおじいちゃんがしてくれていました。おじいちゃんのこと、家族の誰よりも大、大、大好きでした。

    そんなある日、おじいちゃんの部屋で遊んでいたとき、遊びに興奮しすぎた私は窓ガラスを割ってしまい・・・「危ない目に合わせるな」と、祖母に怒鳴られてもじっと黙っているおじいちゃんの姿を見ているのはとても切なかったなぁ・・・
    私のせいでごめんね・・・、って何度も心の中で繰り返していました。

    8歳のころ、遠くの病院に入院することになったおじいちゃん。
    久しぶりにお見舞いに行っても、恥ずかしがり屋だった私はそれまでおじいちゃんが家にいたころのようにおしゃべりすることもできなくて、でも時々送っていた私からの手紙をおじいちゃんはいつも泣きながら読んだでいた、と死後聞かされた時は、「なんでもっとお見舞いに行ったときにおじいちゃんとおしゃべりしなかったのだろう」と沢山後悔しました・・・

    ユーザーID:6257128376

  • おじいちゃん子でした 続き

    そんな大好きな大好きなおじいちゃんが、実は血のつながった本当のおじいちゃんではない、ということを知ったのは二十歳を過ぎた時でした。母が教えてくれました。
    私にとっては初めて聞く信じられな衝撃的な話でしたが、おじいちゃんとのあれこれを思い出しても、血のつながってない私を沢山沢山可愛がってくれたおじいちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。

    今でもこうしておじいちゃんのことを想うと、涙腺が緩みます。この文章も涙をいっぱい目に溜めて書いてます・・・

    おじいちゃ〜〜〜ん、今でもおじいちゃんのこと大、大、大好きだよ〜。
    いつも私のことを見守ってくれてありがとうね!!!
    会いたいから、たまには夢に出てきてよ〜。

    主さん、こんな素敵なトピを立ててくれてありがとうございました。
    久しぶりにおじいちゃんのこと思い出しました。

    ユーザーID:6257128376

  • 大学に合格した日

    私も祖父母に育てられたので、祖父の思い出はたくさんあります。

    祖父は、いつも冷静で自分なりの生活習慣を守るところがありました。

    たとえば、どこかに出かけたときは必ず、帰る前に自宅に電話をかけて
    「何か(食材や日用品)、買って帰るほうがいいか」
    と聞いてくれました。

    ところが、私が大学に合格した日、
    出かけていた祖父がいつも通り、電話を掛けてきたのですが
    「合格したよ!」
    と言うと、
    「そうか、よかったな」
    と言って、そのまま電話を切ってしまったのです。

    普段の祖父を知っている人なら、
    「合格は分かったから、何か買って帰るものはないのか?」
    と言うことを予想していたかもしれません。

    本当に喜んでくれていたんだと、今は分かります。

    ユーザーID:7316596577

  • 涙が・・・

    私も祖父が大好きでした。なので、トピ主さんの書き込みを見て涙が。

    幼稚園の送り迎えはいつも祖父。よく遊んでもらいました。
    とにかく知り合いが多くて、頂き物もたくさんだったり。
    幼いながらにスゴイおじいちゃんだな、と思っていました。

    料理でいえば、小学校低学年の時に作ったコールスローサラダ。
    おいしい、と言ってもらえたのが嬉しくて、何回作ったことか。
    きっと飽きてただろうに。

    小学校5年生の頃に亡くなりました。今でも大泣きしたのを思い出します。

    天国のおじいちゃんがきっと今の私を見ていたら心配しているだろうな。
    ちゃんと生きなくちゃ。

    ユーザーID:5685136750

  • 母方の祖父

     私が小学校にあがった頃に、理由はわかりませんが、同県とは言えど、離れて暮らす祖父母が、数か月、当時の私の実家に滞在していたことがありました。
     今思えば、日頃、母の手料理しか知らなかった当時の私は、明治生まれの祖母の家庭料理に、和食の原点を見ました。

     で、祖父ですが、その頃のCMで、今で言う流行語にもなりそうなフレーズの咳止めを愛用しており、私はどこも悪くないのに、こほんこほんを空咳をして、「おじいちゃん、咳がでるからお薬頂戴」とねだっては祖父に甘えたり。
     祖父と父が将棋で遊んでいるのを見学し、私もわかった気になって、祖父に勝負を申し入れ、案の定全ての駒をとられて、それでもケラケラ笑いながら王将だけで逃げ回っても、辛抱強く相手をしてくれました。

     祖父と一緒にお風呂に入って、「いい塩梅や」と言うのを聞いて、アンバイってなんだ?と思いながら、真似して「いいアンバイや〜」って言ってまたケラケラ笑ったり。
     無口な人でしたが、無償の愛をくれた人でした。

     と、私にとっては美談でも、母に言わせると、気難しく怖かったのよ、と。
    孫の特権ですね。
     

    ユーザーID:5715558207

  • 皆さんありがとうございます!

    沢山のレス、有難うございます!とても嬉しかったです!
    皆さんも素敵な想い出があったんですね。読んでいてウルウルしちゃいました!

    お爺ちゃんの想い出はまだまだあって、私が幼かった頃、お爺ちゃんの大事な盆栽をチョッキンしたり、
    お爺ちゃんの飼っていた猫の髭を切り落としたりして、悪い事ばかりしていたらしいです。
    あー。。。なんであんな悪い事ばっかりして、お爺ちゃんを困らせたんだろう。。。

    お爺ちゃんの死後、遺品の中から戦争時代の若かりし日のお爺ちゃんの写真が出てきました。
    その写真を見た私の目はハートになりました。
    俳優も顔負けのカッコよさ。ビシッと軍服を着てまるで映画のワンシーンのよう。
    ああ、タイムマシンがあったら、当時のお爺ちゃんに会えるのにいいい!と本気で悩みました。

    お爺ちゃん、私は夫と元気で幸せに暮らしています。
    私達をこれからも見守っていてね。

    ユーザーID:7980972425

  • 山菜を持ってきたくれたお爺ちゃん

     毎年、今頃の季節になると、リュックサックに一杯の山菜を持って来てくれました。そして少し談笑した後、きまって「頭痛がするから、休ませて」と言って、懐からケロリンを出して飲み、一眠りして、列車の時刻に合わせて帰って行きました。
     今、考えると、山菜採りとその運搬の疲労による緊張性頭痛だったような気がします。肩くらい揉んであげれば良かったのに、子どもだった私は全く気が付きませんでした。自分の体の不調も顧みず、ただ孫の私たちに食べさせたくて、毎年持って来てくれたことに無償の愛を感じます。
     天国に向かって、大きな声で「ありがとう!」と叫びたいです。

    ユーザーID:9322746636

  • 覚えていないけど

    繰り返し話を聞かされて、忘れられない思い出を。
    祖父母たちとは同居ではないものの、よく来ては数日泊まっていくこともありました。自分の親だけならまだしも、舅姑もそうして頻繁ですから、母の気遣いはたいへんだったろうと思います。
    そんなある日、父方の祖父が、私と留守番しているから、お使いくらい行っておいでと言われた母は近所へ買い物に。小半時して戻ると、祖父と私がふたりで、狭いお風呂場にじっと座り込んでいます。
    おむつはとれていたものの、ウンチをチビってしまった私。祖父はどうしていいかわからず、でも汚れたままではと、私をお風呂場に入れておこうと思いつきます。さらに考えて、独りじゃ泣くだろう、なにかあっても困ると、自分も一緒におこもりしたというしだい。私はそれほどぐずらず、機嫌良く祖父といたそうです。母の帰宅で、祖父と私は無事救い出され、私はオシリもキレイにしてもらって一件落着。
    子どもは妻任せで働き通し、仕事もそろそろ引退という年になり、時間の余裕もできたころ、生まれた孫を、可愛いがりたいけど、どう扱っていいかわからないというオトコのひとは今でもいるのでしょうね。

    ユーザーID:0179888809

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