邪馬台国は何処に?

レス128
(トピ主35
お気に入り124

趣味・教育・教養

ぴこた

邪馬台国に夢中な40男です。

邪馬台国ってどこにあったんでしょうか。
卑弥呼ってどんな女性だったのか。

寝ても覚めても考えてしまいます。

邪馬台国の謎を一緒にゆる〜く話しませんか?

ユーザーID:7612843993

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア facebookでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数128

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 邪馬台は『ヤマド』と発音するらしい

    魏志倭人伝の書かれた時代の発音では、『邪馬台』は『ヤマド』と発音するらしいです。ということは、邪馬台国=原始の大和朝廷では?

    この時代、文化や技術は、中国や朝鮮から流れて来てましたから、原始の大和朝廷は九州にあったと考えても不思議ではないと思います。その後、東へ進出し、その間に国譲りの神話の様な話もあって、奈良に落ち着いたのかと思います。

    と、なんかの本に書いてたのですが、私にとっては、しっくりしました。

    ユーザーID:0498990025

  • 東遷説支持

    お悩みトピが多い中で、こういうトピに出会えるとホッとします。

    私も邪馬台国には入れ込んでますよ。
    私は森浩一さん(最近亡くなられたとのことで非常に残念です。ご冥福をお祈りします)を信奉しているので(ちょっとおおげさ)、圧倒的に九州説です。
    でも最近の歴史学会は近畿大和説に大きく傾いていますね。
    素直に「魏志倭人伝」を読めば、どう考えても九州説だと思うのですが。
    「魏志倭人伝」には九州のことは事細かに書かれている一方、近畿地方のことは一切触れられていないですから。

    九州説の中でも私は「大和東遷説」を支持しています。
    学説としてはマイナー中のマイナーのようですが、この説が一番説得力があると私は考えています。
    詳細は次回以降のレスで。

    トピ主さんのお考えも聞かせてください。
    でもこのトピが、よくある九州説と近畿説の対立の場になるのは嫌ですね。
    皆様、楽しいトピにしましょう。

    ユーザーID:4581044021

  • 「邪馬台国は何処に」をインターネット検索に聞く

    インターネット検索で「邪馬台国は何処に」を検索すると、回答が沢山見つかります。

    ブラウザーの何処かに「虫眼鏡」アイコンがあるはずです。そこで検索します。

    答えは約 178,000 件のホームページに有ります。

    現在、北部九州説と畿内説(近畿地方説)が有力です。

    ユーザーID:5647189423

  • どこなのでしょうね?

    昔ですが、高木彬光さんの『邪馬台国の秘密』を読んだ時は、絶対、九州説支持! と思いました。
    『まぼろしの邪馬台国』読んでも、やっぱり九州。
    具体的な場所は宇佐神宮かもしれないし島原かもしれないし、わからなーい!

    でもでもでも、畿内にあるいまだ調査されていない大規模な古墳は、ものすごく卑弥呼っぽい気がするのです。
    周辺出土品から、箸墓は可能性があると思っているので、継続調査望む!

    でもそうすると、私が圧倒的に信じた九州説はどうなっちゃうの??

    ユーザーID:5913449873

  • 私も好きです

    古代神話とか、興味があり、読みあさっています。

    卑弥呼の謎って本もありますよね。

    私の見解としては、一ヶ所に居たわけではなく、九州や奈良など、色々なところに、同時にいたのではと思います。

    卑弥呼という、巫女が何人もいたとか、それはやはり皆とは違う、神様との交信する感じでしょうか。

    卑弥呼は、中国からの倭人伝からでしょうから、本当は違う役割や意味があったのだと思います。

    とにかく、古代は楽しいですね。

    ユーザーID:4413400127

  • 趣味・教育・教養ランキング

    一覧
  • やっぱ、九州?

    いろんな説があるけどわたしはやっぱり九州だと思うな。卑弥呼がスターウォーズのアミダラ女王みたいな美女だったらロマンチックでしょうね。

    男性からみたらどういう女性だったら統治されて服従してもいいと思いますか?

    卑弥呼はいっさい姿を現さず弟が口伝えで民衆に伝えてたんですよね。本当は弟が
    統治してたのかもしれないですね。

    ユーザーID:0961216911

  • 吉野ヶ里!

    邪馬台国の匂いがプンプンします!

    ユーザーID:8564907411

  • 私も興味があります

    魏志倭人伝に登場する卑弥呼という女王は、一体どんな人物だったんでしょうね

    それに邪馬台国は一体どこにあったんでしょう
    畿内説、九州説ありますよね

    それに大和朝廷との関係も気になります

    卑弥呼はもともとシャーマンなので、女王になれたんでしょうね
    やはり、ご神託を受けとったり、呪術に長けていたんでしょうね
    卑弥呼=アマテラス
    ととらえる人もいるようですし

    卑弥呼は鏡がお好きだったようで、三角縁神獣鏡が多く出土した地域が、邪馬台国だったのではないかとも言われています

    私はよく図書館で本を借りてくるのが好きですが、また邪馬台国関係の本を借りてこようと思います

    ユーザーID:3939691964

  • 日本じゃないと思っています

    邪馬台国は冬でも暖かい所だと書いてあるとか。

    となると奈良ではないですね。九州ならせいぜい鹿児島、宮崎、熊本あたり。

    そのころの地図はめちゃめちゃ不正確だし、実は台湾かフィリピンじゃないかと思います。

    個人的には日本国内であってほしいですけど。

    ユーザーID:4547667476

  • どうでしょう

    邪馬台国は九州でその次に出雲地方が栄えて、畿内の大和朝廷に権力が移った。
    とかかな?

    奈良の箸墓古墳が卑弥呼の墓という説もロマンがありますよね。

    ユーザーID:0780111616

  • 福岡でしょうか。

    やはり、アジア大陸に近いということと、志賀島の金印が邪馬台国は、福岡に?と思ってしまいます。

    ユーザーID:3068917554

  • 箸墓 纒向古墳群

    奈良県在住です。関西で生まれ育った為、子供の頃から邪馬台国は畿内にあったと信じていました。
    奈良は住宅街の中にも古墳が普通にあります。古代史が生活の中にそのまま入っているという感じです。

    主様は奈良県桜井市の纒向古墳群をご存知でしょうか?
    長閑な田園風景の中に大小の古墳が点在する美しい場所です。
    一番巨大な箸墓古墳は昔から卑弥呼の墓ではないかと言われています。
    魏志倭人伝に記されている卑弥呼の墓の形状に箸墓が似ている事や最近の年輪年代法で卑弥呼が亡くなったとされる時期に箸墓が造られた可能性が出て来ました。いずれにせよ被葬者は高貴な身分の女性である様で、宮内庁の管理下におかれています。

    もし行かれた事が無いようでしたら一度お出かけ下さい。
    イマジネーションが膨らみますよ♪

    ユーザーID:9104775744

  • レスありがとうございます!

    楽しく楽しくレスを拝見しております。

    周りに語れる人がないので、まったくもって嬉しい限りです。
    ありがとうございます!
    後ほどのんびりじっくりお返事したいと思ってます。

    卑弥呼好きが高じて、先ごろは朝倉市の卑弥呼ロマンの湯に入り、
    HIMIKO号(甘木鉄道)に乗ってきました。
    甘木鉄道の卑弥呼はなんとも可憐な乙女でした。

    家族は、
    「卑弥呼の湯もあるし、ここに邪馬台国があったってことでもういいじゃない。」などと乱暴なことを言います。
    「いやいや順番が逆でしょ。そもそも・・・」と私が話してる途中でどこかに行ってしまいました。

    卑弥呼は調べれば調べるほど、謎が深まり興味がつきませんね。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • 「邪馬台国はなかった」という本が

    あります。
    これは何も「卑弥呼」の国がなかったというのではなく
    邪馬台ではなく邪馬「壹(イチ)」国のだったという内容です。

    大和(ヤマト)と同じ響きになるよう「壹」が「臺」の間違いと
    伝わっていったというような内容です。

    この本に反発する本もあるようですが、そちらは読んでいないので
    両方を読んでからの方が説得力が出るのでしょうけど…

    最近淡路島で銅鐸が発見されましたね。
    近畿圏は銅鐸文化だったのに、「記紀」には銅鐸に触れた所が無い

    魏志等の倭人伝や三国史記などに
    朝鮮半島の九州側の一部も「倭」と認識されていたことも含め
    九州邪馬壹国とそこからの東遍説が
    わたしにとっては有力な説になっています。

    これからも、いろいろな発見が多方面からあれば
    いつかはココが「邪馬台国」と言える日が来るかもしれませんね。

    ユーザーID:3088702362

  • 阿刀田高「邪馬台国異聞」

    世にあまたある邪馬台国関係の文章の中でも最大傑作だと思います。
    あえてネタばれはしません。私は強烈なショックを受けました。

    ユーザーID:0048776800

  • 再レス

    トピ主さんは九州説でよろしいのでしょうか?
    さて魏志倭人伝では本来は「邪馬ト」と「邪馬イ」という二つの呼び名が書かれているとか。
    二つあるのは両者が似たような文字のため、写本を作る際に写し間違えたのだろうとされています。
    このあとが理解しにくい所ですが、このトとイの文字が日本語になかったため台所の台の字を代わりにあてた。
    つまり魏志倭人伝に書かれている本来の呼び名は「やまたい」ではなく、「やまと」か「やまい」なのだと。
    したがって「邪馬台国」はおそらくは「やまと」と呼ばれる地であった(「やまい」かもしれませんが)。
    北九州にはいまも山門(やまと)という地名があります。
    他方、畿内にはもともと「やまと」という地名はなくて、突然大和朝廷という朝廷の名称として登場してきました。
    さらに北九州と畿内には、いくつかの同じ地名が同じ位置関係で存在する。
    つまりもともとは北九州の「やまと」と呼ばれる地にあった王朝が、何らかの理由で畿内まで移動し、そこに大和朝廷を打ち立て、更にその地に「やまと」を始め北九州と同じ地名をつけたのではないかという説です。
    このように解釈して、私は東遷説を支持しています。

    ユーザーID:4581044021

  • 誰かが

    宇佐神宮は卑弥呼の古墳の上に建っているのだ、と言っていました。

    箸墓は実際どうなのかわかりませんが、被葬者とされている
    倭迹迹日百襲姫命は記紀の記述では明らかに巫女ですし、
    当時の大和朝廷内での権力もかなりあったのだと推定されます。
    そのような政治体制が、大和朝廷以外のあちこちにあったかもしれないですね。

    歴史学者の人が、神功皇后は卑弥呼をモデルに大和朝廷が創作した人物だと言ってました。
    え〜そうなの? あまり似てない気がする〜、と私は思うのですが。

    オカルト方面からのアプローチですが、ある漫画雑誌の編集部が
    箸墓古墳を霊能者の人に霊視してもらうという企画を行い、
    それがマンガになっています。
    それはそれで想像が膨らみ面白かったですよ。

    ユーザーID:1181843299

  • そうか、東遷か!

    再レスです。

    皆様のレスを読んで思い出しました。
    そうです! 東遷したと考えれば、いろいろ辻褄が合うのですね。
    考古学的事実(発掘)と歴史的事実(古文書)の両方で真実を探る古代史は、ロマンの宝庫ですね。

    卑弥呼の湯。。。

    お墓が全国に何か所もある平安時代の歌人、和泉式部の例もありますから、いかにも今っぽい温泉施設はどうかと(笑)

    ユーザーID:6307264041

  • 畿内説を支持

    邪馬台国=大和朝廷だと思いますねぇ。
    卑弥呼=日巫女

    今の日本の原型だと思います。

    ユーザーID:0265064854

  • 邪馬台国は甘木

    古代より日本の玄関は波方(博多)です
    それ以前より住み着いていた人々が大陸との交易で使用した場所です
    歴史に登場する大宰府もその流れ故です
    人々を養う米作は水が必要です 其の水は筑後川です
    邪馬台国は甘木です

    奈良は甘木勢力の東方遠征の結果です

    ユーザーID:5130188775

  • トピ主です。

    皆さんレスありがとうございます!

    トピ主の考えも聞かせてくださいとの話がありましたが,僕自身は考えがまとまってません。
    ある説の本を読むたびに,「うーん,そうかも!あり得るなぁ」と思っている状態です。
    優柔不断なもので…。
    纒向が最有力とは思うのですが,いくつか疑問点もあるんですよね。

    >ヤマド様,地中海様

    邪馬台国が九州から畿内大和に移ったというのは,神話の神武東征にも符合するところがあって,説得力がありますよね!学説ではマイナーなのですか。
    地中海様ご指摘の説は,安本美典先生の説でしょうか。先日,甘木・朝倉地方に行って,邪馬台国に思いを馳せてきました!あぁ卑弥呼様…。

    >検索家様

    今はすごく便利な時代になりましたよね〜。
    僕の場合は,本もいろいろ読みますが,検索も毎晩,晩酌とともに楽しくやってます!
    いろんな方が,いろんな説(畿内説・九州説にとどまらない)を述べていて,とっても楽しいですよね。
    古代を想いながら,気持ち良く酔えます。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • トピ主です。

    レスありがとうございました。
    いろいろ考えさせられます。

    >ミンク様,嫁子様

    宇佐神宮ですか!なるほど。確かに社があるところは小高くなっていて,そこが古墳であってもおかしくないですね。卑弥呼は,祀られている比売大神あるいは神功皇后ということでしょうか。
    武人的な神功皇后と巫女の卑弥呼とでは,かなりイメージが違いますね。
    僕としては巫女の卑弥呼に心惹かれるものがあります。
    マンガがあるんですか。さっそく探して読んでみます!

    >ぷりん様

    色々なところに,同時にあったと…。おぉなるほど,それは斬新な説ですね!
    魏志倭人伝に書かれているのは,その内の1人ということでしょうか?
    そういえば,日本書紀とか風土記とかによると,昔はあちこちに女性の首長がいたようですね。
    その首長が神々と交信する巫女のような存在だったとしたら…。
    いやー,なんともミステリアスですね。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • トピ主です。

    レスありがとうございます。
    とっても楽しいです。

    >キンイン様

    どういう女性だったら服従するか…。きっと当時農業にとって天候は大事だったでしょうから,占い(その実はある程度しっかりした知識)で天候とかをズバズバ当てたりして,それでみんなの尊敬を集めていたんじゃないかなと想像します。
    僕自身はいつも妻に服従していますが,時々反乱を起こします(笑)。
    卑弥呼の弟もどんな人だったのか気になります。
    イケメンでカリスマ性があったのか…。はたまた弟じゃなくて妹だったのか…。

    >おっちゃん様

    確かに,環濠とか高床式の大型建物とか,吉野ヶ里公園に行くと,ここかも!と思いますよね!
    想像以上に大きいですよね。でも吉野ケ里が邪馬台国だったとしたら,その後邪馬台国はどうなったのか…。滅びてしまったのか,それとも…ロマンが広がります!

    >のの様

    そうですよね,場所もさることながら,大和朝廷との関係もすごく気になりますよね!
    邪馬台国=大和朝廷なのか,それとも,大和朝廷に滅ぼされたのか…。それから,三角縁神獣鏡も!あれは本当に卑弥呼がもらった鏡なのか,とか。僕も1枚見つけたいものです。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • トピ主です。

    レスありがとうございます。
    週末のひそかなお楽しみです。

    >ロザリウム様

    古代の人たちは,僕たちが想像する以上に広い範囲で交流していたのかもですね!
    車も電車もありませんが,根気はかなりあるでしょうね。
    ロマンは広がりますね。

    >arare様

    ということは,邪馬台国は滅びた,ということになるのでしょうか。それとも,出雲や大和朝廷に吸収されたのでしょうか。それこそ幻の国ですね。
    ちょっぴり切ない気持ちになります。

    >サイダー様

    福岡は古代からアジア大陸への玄関口でしたものね。志賀島で見つかった漢委奴国王印みたいに,親魏倭王の金印か,せめて使者がもらった銀印でも見つかるといいんですが。海の中に落ちてるのかもしれませんね。僕が生きてるうちに見つかって欲しいです。
    もし見つかったら,嬉し泣きしそうです。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • トピ主です。

    レスありがとうございます。
    ワクワクしながら読んでいます。

    >えあ様,嫁子様
    纒向遺跡に箸墓古墳,本やネット等を見ると,今のところ最有力候補のようですね!
    神様と結婚したという倭迹迹日百襲姫命は,夫がいなかったという卑弥呼と重なるものがありますね。
    そしてお恥ずかしながら,纒向には実はまだ行ったことがないんです。
    今度旅行を計画しています。家族には「素敵な温泉があるんだよ」と言っていますが,「どうせ邪馬台国関係でしょ」とバレています(笑)。

    >九州支持説です様

    もしかして古田武彦先生の説でしょうか?
    銅鐸の件は,僕もとてもとても気になります。三種の神器にも入っていませんしね。不思議です。
    新聞記事で「発掘!」の文字があると,切り抜いて「もしかしてもしかして・・・」と考えてしまいます。ヒントが新発見されることを日々願っています。

    >小市民様

    阿刀田高先生の「邪馬台国異聞」は知りませんでした。勉強不足でスミマセン!
    教えていただきありがとうございます。今度読んでみます。楽しみです。
    きっと,ショートショートの名手,アッと驚く結末が用意されているんでしょうね。

    ユーザーID:7612843993

  • トピ主のコメント(35件)全て見る
  • なぜ「やまと」と呼ぶのか

    トピ主さん、返信をありがとうございました。
    とりあえず持論を続けさせて頂きます。
    大和朝廷の「大和」という名称ですが、本来の呼び方は「だいわ」であるはず。
    これをなぜ「やまと」と呼ばせるのか。
    ここから先は私の全くの妄想としてお読み下さい。

    古来日本は、中国からは「倭」と呼ばれていた。
    しかし日本人はその後漢字を学ぶようになって、卑称である「倭」の字を嫌ったというのはどなたもご存じでしょう。
    そこで「倭」の字と同じ音だが意味的には問題のない「和」の字に変えようと考えた者がいた。
    ついでに偉大なるという意味の「大」の字をつけて「大和」とした。
    このままなら読みは「だいわ」です。

    しかし恐らくこれらの変化は、九州王朝(邪馬台国)が畿内に移る過程で起きたと思われる。
    元々は北九州の「やまと」と呼ばれる地にあった王朝が、何かの理由で東に大移動を余儀なくされた。
    畿内に王朝を移し、国名も新たに漢字は「大和」としたが、読みは遠く離れた北九州の故郷をしのんで「やまと」とした。
    これが「大和」と書いて「やまと」と読ませる理由だと考えます。
    以上が私が長年抱いている妄想ですが、いかがでしょうか?

    ユーザーID:4581044021

  • やっぱり九州かな?

    前回は箸墓のことばかり書きましたが、私は邪馬台国は九州だと思っています。
    魏志倭人伝にある倭人の風習…海に潜って魚を捕る、男はみな黥面の入れ墨をするなど、
    海洋民族としての傾向が高いですから、内陸の機内っぽくはないな〜って。

    神武天皇の皇后は三輪山の神の娘ですから、この土地の人です。
    神武天皇が求婚の使者を出した時、この使者が入れ墨をしていたので、
    このお姫様は驚かれています。
    大和政権の祖は記紀通り、きっと九州出身なんでしょうね〜。
    九州と機内では、共通する地名も多いですし。

    卑弥呼のいた時代は、大和朝廷だとだいたい崇神天皇前後と言われますね。
    纏向遺跡もありますし、当時すでに邪馬台国と大和朝廷は別々に存在していた…のかも?

    しかし大和朝廷は九州から発してますから、邪馬台国の中での、
    もしくは九州の国々との覇権争いに敗れて本州に移って行った集団が、
    ちょうど卑弥呼の時代に纏向あたりで大きな政権を作ったのかもしれないですね。

    妄想が膨らんで楽しいですね!

    ユーザーID:1181843299

  • 三角縁神獣鏡は100枚はあるはずなのに

    魏志倭人伝には三角縁神獣鏡は100枚とかいてあったはずなのに、一枚だけしか見つからないのはなぜでしょう?と、記憶しております。

    『ふん!なんだよ〜こんなものっ!!』パリーン!!師視野が返った後は、ごうごう燃えている暖炉などの火に銅鏡を投げ込み清々する各豪族たちや族長たち、そんな想像をしてしまいます。もっと野蛮でワイルドで簡単には納得しなかったろうし、およそ300年とか200年の間は不作続きだったというし、みんなギスギスしていたんじゃないでしょうか。人工衛星で地球の気象とか自然災害とか予想も出来ませんでしたから、今まで信仰していた神を変えたり、あったとかテレビでやっていました。

    ユーザーID:1066147709

  • 私も東遷説で。

    箸墓古墳を横目に、通勤してた日々もある近畿育ちなので
    やまた(いこく)=やまと(ちょうてい)が当然でしょ?と
    小さい頃から思ってきましたが、色々と本を読むと
    九州に渡来した朝鮮由来の人々が吉野ヶ里あたりにムラを作って、
    ちょいちょい耳にする出雲を脅威に思って、滅ぼしに遠征したついでに
    「ここって天災(主に台風・火山)が多いよな」と九州を出て近畿に移り、
    巻向にクニを作ったんだろうなと思っています。

    海がない代わりに、大きな天災は少ない地域ですからね。

    記紀に銅鐸の記述がないのは、敵勢力(出雲)の力の象徴だったからじゃないでしょうか。
    勝者の力を誇示するものですから、昔の書物は。

    東遷説なら、朝鮮からは遠い近畿の、大和朝廷以後奈良時代にも
    クニ(都)に渡来人が多かった説明もつきやすいですし。

    ・・・で、引っ越す時に「ここはこれからお前が治めろよ」と
    九州に残した部下に、今後の権力の象徴としてあの金印を渡してきた。
    だから金印は九州から見つかったんだろう、とこれは私の推測ですけど。(笑)

    ユーザーID:8076581141

  • 移動の理由は

    阿蘇山の噴火で空が暗く火山灰がふりつもってきたからです。

    天候不良とあと、朝鮮半島の方から渡ってくる人が増えてきて

    それで本州のほうへ少しずつ広がり移動していったのです。

    ユーザーID:1713984336

あなたも書いてみませんか?

  • 他人への誹謗中傷は禁止しているので安心
  • 不愉快・いかがわしい表現掲載されません
  • 匿名で楽しめるので、特定されません
[詳しいルールを確認する]
レス求!トピ一覧