玉音放送

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  • 識字率は高かったみたいですよ

    大野晋先生の本(今手元にないので詳細は違っているかも)に書いてあったと思うのですが、戦後、GHQは「日本が無茶な戦争をしたのは、三種類もの文字が存在し、識字能力のある国民が少ないために、情報が正しく伝わらなかったからではないか、漢字は廃止した方がいいのではないか」と考え、識字率調査をしたそうです。結果、かなり田舎の高齢者もある程度字が読めたという事だったそうです。

    田舎の高齢者でも読み書きができる人物が少なくなかったのは、農業指導書などを読む機会があったからだとか。あと『カムイ伝講義』(田中優子/ちくま文庫)によると、江戸時代は書類に左右される法治国家で、一揆をおこすにも書類での許可が必要であり、訴訟を有利に運ぶためにも識字能力や文章能力、知識が必要であったために、村落にも寺子屋が増加した・・・とあります。

    ということで、読み書きに関する知的レベルは高かったのではないでしょうか。

    ユーザーID:0005293551

  • ああ玉杯に花うけて

    戦前戦中の子どもは漢学の素養がありました。

    絶大な人気を誇った佐藤紅緑(作家の佐藤愛子さんのお父さん)の少年少女向けの小説は
    振り仮名つきですが、漢字・漢字熟語も多く、文章も文語調の
    ものがあり 当時の子どもの国語力を知るには いい資料になると思います。

    是非ご覧になってください。

    ユーザーID:4190044359

  • 難しい言葉

    と、聞き慣れない・今は使わない言葉は違います。
    トピ主さんは自分が見知らぬ言葉だからと、難しいく感じているだけではないでしょうか。
    40代の私は、昔はそんな言い回しをしていたんだなあと思うだけで、意味はわかるし難しくも感じません。

    ユーザーID:5760008726

  • 漢文読解力。

    日本人初のノーベル物理学賞受賞者、湯川秀樹先生は、幼少期に家庭で「論語」などの漢文を徹底的に教え込まれた、というより叩き込まれたそうです。
    明治維新期の要人の日記や書簡は、ほとんど漢文混じりの候文(そうろうぶん)で書かれており、あの文体は日常茶飯に用いることができました。
    漢文読解能力面では、現代日本人は退化していると言って過言ではありません。

    ユーザーID:1561611682

  • 堪え難きを堪え

    堪え難きを堪え、忍び難きを忍び。

    これだけで、何を伝えたいかは、わかるのではないですか。

    >そう考えると、戦前の方たちはとても難しい日本語を使っていたのでしょうか?

    このような問題ではありません。

    トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?

    でも、そんなものは、だめだと思います。

    ユーザーID:4579729684

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  • 解らなかった

    私が聞いた話では、ラジオの音が悪かったのとお言葉が普通の言葉では無かったので聞いて解った人は一握りだったとか。
    その心配があったので主だった人に内容を教えてあったとか…

    ユーザーID:9136367220

  • 難しく感じるだけなのであります

    まあ、古文ですよ。古文のようなもので現代人にわかりにくいだけです。大正時代の新聞の身の上相談の投稿もあのような難解な文章ですよ。でも私、玉音放送は言ってることわかりますよ?

    ユーザーID:3902855581

  • 難しいのではなく、

    時代によって使っている言葉が違っているだけです。

    逆に戦時中の人たちが今日の言葉聞いたらわからないんじゃないのかな?

    ユーザーID:2693755025

  • 同じ事を考えていました。

    私も同じ事を考えていました。
    英会話教室の後の雑談でそう言ったら、
    「終戦の詔(みことのり)」のあの格調高い漢文調は、ラジオの側で一般大衆に解説した教養人がいたはずと言われました。
    私よりも年配の方々が揃ってそう仰るのでそうなのかと。

    当時少年だった亡父によるとラジオ放送は雑音ばかりで何も聞こえなかったそうです。最初は皆きょとんとしていて、そのうち何処からか正確な内容が伝えられ、口伝てで広がったと言っていました。

    確かに当時の知識人は、教育が大衆化した現代の私たちよりはるかに高度な教養(とりわけ古典、漢文、歴史)があったと思います。
    しかし学校に行けない人も大勢いたわけで、教育格差も今とは比べ物にならないほどひどかったでしょう。
    それでも一般大衆が現代より教養があったとしたら、彼らは講談、芝居、落語、歴史読み物などから知識を得ていて、それらの言葉使いが格調高かったからではないでしょうか。

    ユーザーID:5507149683

  • ひたすら

    私は、旧制一中と旧制一高女が合体した新制高等学校第13期の卒業生です。戦後10数年のことですね。手前味噌ながら成績優秀な生徒(単なる受験秀才!)であったと思います。

    例えば私が「天網恢々」という表現を知っていても、旧制の人々(新しい学制であれば中学生に過ぎません!)であれば、そのあとの「疎にして漏らさず」がいとも簡単に出てくるものでした。

    ところが、旧制の中学や高女の出身でなくても、尋常小学校とか高等小学校の出身者であっても、「天網恢々疎にして漏らさず」の言葉が出てくるものでした。家庭環境の違いがあったかもしれません。

    思うに、当時は「読んで読んで読んで」読み尽くすように教育された成果であろうかと思います。

    余談になりますが、既にお亡くなりになった国弘正雄氏(月面着陸時の同時通訳、日本の大学教授、国会議員、英国の大学教授)は、旧制中学のときに英文を読んで・読んで・読み尽くすことで英語力を身につけたと書いておられました。そのことを、禅宗の言葉をもじって、「只管打読」と表現しておられました。禅宗本来の言葉と、彼がもじった表現の読みと意味がお判りになりますでしょうか。

    ユーザーID:1678818646

  • 玉音放聞きました

    小学校5年生で、疎開先の田舎で聞きました。天皇陛下のお声がラジオで聞けるそうだ、という当時としては前代未聞の(何しろ天皇陛下は現人神、生きている神様、と教えられた時代です)ことが起こるそうだ、という話で、家中がラジオの前に正座して、聞きました。

    君が代の後に、男性らしいお声が途切れ途切れに聞こえましたが、何しろ雑音が多くて意味なんてわかるどころではないうちに放送は終了しました。大人たちもみんな顔を見合わせて、今なんておっしゃったんだろう?と言っていました。

    数日後に近所の人が、”戦争が終わったそうだ、広島と長崎に落ちた新型爆弾(原爆は初めはこう呼ばれていました)があまりにひどいので、天皇陛下が、これ以上国民が苦しまなくて済むように戦争を終わらせてくださったんだ”、と教えてくれました。

    戦前の文章について一言: 戦前は文章を読み書きできる人は自他共にエリートと認められ、漢字をたくさん使った、ふりがな無しの文語体の文章が普通でした。玉音放送も、当時の天皇の威厳を維持するにふさわしい文語体だったと思います。

    戦後の民主化改革の一つに、文章を口語体にする、というのがありました。

    ユーザーID:0637438383

  • 祖母から聞いた話です

    当時、師範学校にいました。教員になるための学校です。
    天皇陛下のお言葉を頂くのは極度の緊張に包まれ一言一句聞き逃さないようにしていたのに、
    言い回しが回りくどかったみたいで、戦争に負けたのと終戦を迎えたのははっきり分かったと言います。
    余談ですが、お腹が空いたのと憲兵が怖くて、
    「終わった!ああ良かった」と万歳したいぐらい嬉しかったけど、周りに泣いている人がいたり、
    叩かれるんじゃないかと思って、確定するまでじっとしていたと言います。

    学力レベルは分かりません。
    ただ参考になるか分かりませんが当時の話として、祖母が言うには女学校は教師から進学せよと言われた人だけが受験できたと聞いています。
    命令みたいで有無も言わさず受験したと聞いています。
    達筆な理由は、書道は放課後に居残りをして練習させられたと聞いています。
    幼少期、祖母は軍港(呉市と要港があった徳山の二ヶ所)の近くに住んでおり、自宅の二階は軍人が間借りしていて、自然と難しい言葉を覚えたと言います。

    ユーザーID:5733480726

  • お尋ねの知識はありませんが

    先日、昭和22年に録音された「街録」、つまり、街の人の声をラジオで聞きました。
    録音されているのは、かなり低所得の人の住む古アパートの、二人の子どものいる未亡人の声でした。

    アナウンサーが「ご主人、いつ亡くなったの?」と聞くと、未亡人は「今年の5月でございます」と答えます。

    「あなた、体の具合、悪くしてらっしゃるのですか」との問いには
    「7月に盲腸で20日間入院しまして、それが、もう手遅れの気味だったものですから入院が長引いてしまいまして。今はそこの○○につとめておりますが、仕事は体にさわりませんので」

    子どもの事を聞かれると、
    「事情がありまして上の子は外に出しておりましたものですから、また一緒に暮らすことになりまして、学校も間があいてしまいまして、勉強がわかりませんから行きたくないと……」

    そのままではありませんが、こんな感じでした。
    所得の低い(おそらく学歴も?)女性です。
    今の若い母親でしたら「ダンナ死んじゃってマジヤバイです。子ども学校行かないしー」…ここまでひどくはないでしょうか。

    昔の方が、言葉が丁寧かつ優雅であったのだな、と思った次第です。

    ユーザーID:8922836770

  • レスします

    玉音放送のキモは「米英支蘇四国の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」つまり「ポツダム宣言を受諾した」日本が無条件降伏を受け入れたという点だと思います。また、放送に続いて解説放送が行われて、その内容が皆に伝わるように配慮されていました。

    大本営発表で「勝った勝った」と言われても、食物や生活用品にも事欠き、地域によっては毎日、敵機の襲来がある状況、また、ポツダム宣言は無視すると報道されていて、国民からすれば来るものが来たというところではないでしょうか。

    当時より今のほうが識字率が高く、今は、読み書きできるのが当たり前の時代です。ですので、当時の人の学力が高かったわけではないと思います。

    ユーザーID:2335458201

  • 良いものだけが、後世に残る

    資料館に展示されている手紙は、遺族がその内容に胸をはれるから、展示用に提供しています。
    この時点で、良いものだけがセレクションされます。
    あと、当時は手紙に検閲がありましたので、ふざけた表現の手紙を出すことはできませんでした。

    玉音放送については、聞いても意味がよく分からなかったが、周囲の人の反応で日本が負けたことを察した、との述懐を何度か目にしました。(音声が非常に聞き取りづらかったこともあるのでしょうが)
    日本が負けたことを理解した人の中でも、逐語的に、全て意味を理解していた人は、少ないのではないでしょうか。

    ユーザーID:5145950124

  • 皆が皆理解できてたわけではないらしい

    母に玉音放送の話を聞いたことがあります。
    当時母は女学校の1年生。
    学校のグラウンドに整列して放送を聞いたそうです。

    ドラマなどで放送を聞いて全員が泣き崩れるシーンがあると、「これが普通だったわけじゃない」と言ってました。
    意味がわからず途方にくれてる人も多い中、理解できる人もいて「解説」してくれていたようです。
    敗戦という内容ももちろんショックだったのでしょうが、それより当時は天皇陛下の肉声を耳にできること自体が大ニュースだったようです。
    今なら全然珍しくないのですけどね。

    ちなみに母本人の反応を聞いたところ、「ラジオの音質が悪くてガーガー雑音ばっかりでちっとも聞き取れなかった」そうです。
    敗戦の事実は後で先生から聞いたようです。

    ユーザーID:3909765826

  • 当時の国語力

    明確な回答にはなりませんが、戦後日本の公用語は英語にする方針だった。
    けれども調査をすると、識字率が非常に高く優れた文学もあることがわかり、国語を奪ってはならないという結論に達し日本語が残されたと読んだことがあります。
    日本人の教養の高さに驚いたと。
    そこから考えると玉音放送も理解できたんじゃないでしょうか。

    英語教育に関する話題に触れると、私は英語教育は必要だと思うのですが国語教育をおろそかにすることはあってはならないと、この話を思い出します。

    ユーザーID:9833140410

  • 理解できなかったようです。

    うろ覚えですが、当時の話を聞いた覚えがあります。
    当日は、何か大事な放送があるとラジオの前に集められたそうです。
    玉音放送が流れたそうですが、音質が悪く、その時は、ほぼ聞き取れなかったそうです。
    そもそも、天皇陛下の声を聞く機会もなく、後日、敗戦を知ってから、玉音放送だったと気づいたそうです。

    国民全体の教育水準は、現代の方が高いでしょう。
    国語は時代で変化しますから、どの時代が美しいと感じるかは個人差があります。
    当時は格差も大きく、今も残る文書を書いた人は、ある程度以上の立場にあったのではありませんか?

    とはいえ、文語と口語の区別は、今よりしっかりしていたでしょう。
    字を書く機会が多かったり、字が綺麗なことが評価されたので、文字の美しさは適わないと思います。

    ところで、偉人で悪筆もいますから、トピ主さんも興味があったらみてください。
    文豪の中には、限られた編集者しか解読できない文字を書く人もいたようですよ。

    ユーザーID:0451661218

  • 当時の人も理解していなかった

    当時の人も玉音放送の内容は理解できなかったそうですよ。
    そもそもラジオの音質が悪く、何を言っているのかサッパリ分からなかったそうです。

    あまり知られていませんが、玉音放送の後にNHKのアナウンサーが「現代語」で解説をし、玉音放送の後に「朝刊」が配られ、そこに敗戦の事実が書かれていたので皆そこで敗戦を知ったそうです。

    勘のいい人は、大事な発表があるから朝刊の配達が遅れること、国民全員がラジオを聴くこと、と聞いて「あー負けたんだな」と分かったそうです。

    という事で、玉音放送の内容を聞いて敗戦を知ったわけではないそうです。

    ユーザーID:5311847456

  • 意味はわからなかった、らしい。

    実際に聞いた人達へのTVインタビューで、
    「話の内容は全然わからなかった。周りの反応で、負けたらしいという事がわかった」
    て感想が延べられるのをニュースで見ます。

    以前、公共放送の「時事公論」だったかで、
    永六輔さんが戦時中の子供達の作文を紹介されていて、
    その内容があまりに高度なものだから、随分驚かされました。

    そして永六輔さんが、
    「いいですか? 皆さんこれ、小学校低学年の子供達の作文なんですよ。
    こんな高度な文章を書いてる事に非常に驚かされます」
    とおっしゃっておられました。

    国語教育は相当厳しかったのではないでしょうか?

    それに作文の見本も教科書のみでしたから、
    教科書のみで純粋培養された、という印象です。

    雑多な文章や言葉が目や耳に入る事も無かったんでしょう。
    外からの情報はラジオと新聞だけの時代でしたから。

    貧しい家庭ではラジオすら無く、新聞を購入出来る家庭は余程余裕のある家庭だったと思われます。

    私の家では、父が戦地から帰還して初めてラジオを購入し、新聞を購読し始めました。

    ユーザーID:8256268395

  • ん?

    一つは、その頃がそう言う言い回しだっただけでしょう。
    漢字も旧字体ですから、そのまま覚えているのです。
    言葉は生き物で変わっていきます。
    今の言葉は、昔の人が聞いたら理解不能でしょう。

    また、この放送に付いて私の祖母は「理解できんかった」と言っていますよ。
    ただ、戦争が終わった事は理解できたそうです。
    周りの沢山の子供や人は、戦争が終わった事を理解し、
    後で言葉の意味を知ったそうです。

    勿論、聞きとれた人もいるでしょうね。

    ユーザーID:1482417131

  • 理解できたのは、一部の高学歴者だけ

    大変難しいトピで、レスがしにくいですが。

    >特に国語に関しては、多くの人が高いレベルに達していた・・・

    多分それは違うと思いますよ。
    当時の一般国民は義務教育が精一杯、
    その義務教育すら満足に受けられなかった人も沢山いたと云われています。
    上の学校(高校・大学)に進めた人は、全体の極一部であったと思います。
    従って理解したのも、ごく一部の人であったと思います。

    そのごく一部の人の書いた物が現在残っているのだと思います。
    多くの一般国民は後世に残る文章を残す事は無かったと思います。

    又、当時は「書き言葉」と「話し言葉」は明確に区別されていたようです。
    義務教育だけの一般人がそれ程文章に造詣があったとは思えません。

    玉音放送が有った時は、殆どの国民はラジオの前に直立不動の姿勢で聞いたはずです。
    天皇陛下の言葉を座って聞く事、ましてや寝転んで聞く事等考えも及ばない事だったでしょう。

    放送の内容が、戦争が終わった、戦争に負けた、と云うことは理解したと思われます。
    但し、その場で言葉の意味を正しく理解した人はそんなに多くなかったと思います。

    ユーザーID:7765634987

  • んなこたない

    語彙数はたぶん現代と変わらないでしょうけど、使われる言葉自体が変化してるから、逆にその頃の人がいきなり現代の女子高生の会話を聞かされても理解できないのと一緒です。
    これ鬼ウマ!マジヤバくね?とか言われてもわかんないと思いますよ。
    いや・・・女子高生じゃないから例文が既に古かったらごめんなさい。

    達筆なのは、書くという行為を現代よりもたくさんしていたからでしょう。
    だって、携帯やパソコンなんて当たり前だけどないし、電話だってそんなに一般的じゃなかったから、そうなれば通信手段は手紙かはがきですからね。
    記録もすべて手書きだから、書き続けていれば上手にもなります。
    身分というか、立場の違いで相手に使っていい言葉とかも明確に線引きされてたからってのもあるでしょうね。
    今と違って学校の先生に対してタメ口なんてご法度だったでしょう。
    そんなに不思議に思うほどのことでもないかと。

    ユーザーID:9919000184

  • そもそも

    当時のラジオは電波状況が悪く、録音された音も質が悪くて、よく聞き取れなかったと何かで聞きました。
    でも雰囲気で、何だかよく分からないけど戦争が終わったんだなと察したらしいです。

    ユーザーID:1999023516

  • 文語体・口語体?

    父は終戦(敗戦)当時、小6。玉音放送は雑音が多くて
    聞き取りにくかったと言っていますね。
    国語や文章関係・・・
    「書く」ときは、まだ文語体も使われたのかな?
    明治以降は「書く」ときも口語体でとなったのかな?
    歴史的な事は詳しくは私も分からないけど、
    漢文的・文語体的なものも(古い言い回し)
    まだ(現在より多く)使われてたのでしょう。
    父の文章は古い言い回しや仮名遣いも出てきます。
    横書きは、たまに右からです。
    言葉が移り変わっていき当時はそんなに難しくなくても
    今では難しく感じる面もあるかな?
    それから、達筆なのは習字(筆文字)は仕方ないですよ。
    当時は日常的に使われていたのでしょうから。
    履歴書(だったか?何かの書類)を筆で書いたことがあるそうです。

    ユーザーID:9932547032

  • 2回目です

    思い出したことがあるのですが、
    祖母の妹しーちゃんは女学校の生徒で学徒動員で労働していたのですが、
    玉音放送を聞いた場所を忘れましたが、
    しーちゃんの居た場所では玉音放送の内容が分からなくて、分かりそうな人に聞いたそうなんですよ。
    そうしたら「日本は勝った」って言われたって。
    聞き取りにくかったのか、本当に理解できなかったのか。
    学力の話と逸れましたが、
    こんなことがあったみたいです。
    因みに当時しーちゃんは関東にいました。

    ユーザーID:5733480726

  • なんとなくでしょう

    細かいところまではわからなかったようですね。
    皆正座をしてラジオからの声に耳を傾けてはいても
    理解できたのは少数だったようです、
    誰が言い出すともなく戦争は終わったんだ
    どうも日本は負けたらしいと
    徐々に理解が進んだようです。

    ユーザーID:6702762825

  • 音声が悪かった

    大学教授だった父の話では、ラジオの音声が悪く受信状態も悪かった為、日本語の文章以前に何を言っているかよく聞き取れなかったそうです。もっとも当時の日本人の識字率は先進国と比べても高かったのは事実で、戦後進駐軍がやってきて靴磨きの子供などが新聞を読んでいるのを見て驚いたと聞きます。

    ユーザーID:3298495341

  • 難しい漢字を知らなくても表現が出来るのは素晴らしい事です

    「白銀母 金母玉母 奈爾世爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母」
    「しろがねも こがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」

    よく知られている山上憶良の歌です。

    「母=も」のように、音に漢字を当てて表記しています。万葉仮名です。

    このようにして、日本語の表記が始まる訳ですが、いわゆる公文書は、江戸時代までは、漢文であったようです。

    尚、明治時代からは、日本帝国憲法がカタカナまじりの文章ですから?漢文ではなく日本語の文章と言えるのではないでしょうか。

    カタカナとひらながの使い分けに関しては、カタカナは、音を写し取る(意味は分からなくても聞こえたままを記録する)ために用いられていたそうで、外来語がカタカナなのは、その名残だそうです。明治時代の文章がカタカナ交じり文なのも、素読(内容の理解は二の次にして文字を声に出して読むこと)が学問の伝統的なスタイルだったからかも知れません。

    ですから、現在のひらがな交じり文は、進化した文体だと理解すべきだと思います。

    難しい漢字を知らなくても表現が出来るのは素晴らしい事だと思います。

    ユーザーID:0430675076

  • トピ主です

    貴重なご意見、まことにありがとうございました。
    天皇のお言葉を理解する前に、雑音が多く聞き取れなかった事もあったのですね。
    理解していた人もいれば、そうでない人もいたということでしょうか。

    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。

    私の祖父母はすでに他界しております。
    両親は戦後生まれです。
    私は30代後半で2児の親でもあり、小学生の子供と資料館などで勉強に行ったりします。
    子供に教えなければならない立場ですが、昔のことが分からないことも多くあります。
    分からないからこそ、昔を知ろうとすることがそんなにいけない事なのでしょうか?

    ユーザーID:5638414939

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