玉音放送

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  • 今頃すみません

    母に玉音放送について聞いたことがありますが。母が女学校時代の時で、
    どこで聞いたのかはそこまで聞かなかったのでわかりませんが。

    書かれている方が多数おられるように、雑音がひどくて何を話されているのか、全然わからなかったらしいです。国民皆でもっとがんばれということなのか?など解説する人もいたらしいですが。

    戦争に負けて泣いている映像を見ますが実際は、戦争が終わる、良かったと周囲では大喜びだったらしいです。

    ユーザーID:5927131605

  • 亡き父母のお姿

    心が痛みますので、書きたい事だけを書かせて頂きます。

    「玉音放送」自身は覚えておりません。 受信されなかった、と考えます。 其の様な放送があり、内容に関する簡単な説明があった事は良く覚えております。

    何時もの皇居遥拝の儀に続いて、特別に述べられた報告の内容でした。 何やら何時もの状況とは違う、と子供心に感じておりました。

    当時から旧かな聖書に目を通しておりましたし、主なる文章は暗記しておりましたので、所謂古体、文語体には苦労は致しませんでした。

    今でも心の中では旧仮名で文章を綴っております。 それが本当の日本語だからです。 新仮名は正しい日本語ではありません。

    其の点、旧態聖書は心に染みます。 新態はさっぱりです。 英語で言ふところの King James 版です。 

    ミサもそれに付随して、羅典語でないとピンときません。 教区本部からの羅典祭典のお知らせには欠かさず出席する態度でおります。 今でも丸暗記しておりますので、何の苦労も感じません。

    このたびウエブサイトで聞いた「玉音放送」。 心が痛みました。 幼ない頃の父・母のお姿です。 

    ユーザーID:4640484214

  • きく姿勢からして、変です。

    いろはにほへと ちりぬるを わがよ たれそ つねならむ

    源氏物語で、徹底した無常観でそれって平家物語だろって、仏教思想です、高名な方の奥様は、法華経だった、と。
    紫式部は、どうも清少納言に手厳しい、みんなそうだと思うし、「おうさかのせきはゆるさじ」うー それが人というもの。

    式部は正しいでしょうね、大好きですが、ふゆはつとめてを嫌いな人いないと思うので、す。

    原文の現代語表記でも、三回位お読みになってはいかがでしょうか。
    海外の教授等、お読みになるそうで、あなたは何というか・・・
    研究の一環も兼ねてでしょうけど、筆者の人柄がそうさせるんでしょうね。

    随分基礎を作って、玉音云々とお書きになっては・・・

    今を生きる人にも、畏敬の念畏怖の念は宿っています、天皇が云々ではなく、国家の一大事です。
    お言葉があってしかるべきでしょう。

    かわいそうですかね、生まれは誰も決められません、いとはかなし、私は皮肉屋ですので、せんなし、意味をなさない。


    天皇は国民側に居てくれたでしょう、おわす、いらっしゃいます、ですが、軍部政府でしょ横暴だったの。
    あなた原文の現代語訳ちんぷんかんぷんだよ。

    ユーザーID:7998130830

  • あさきゆめみし

    です、ます、ございます、だと、高校の授業でしたか・・・

    日本語は、のる、だと、その先生は仰っていました、源氏物語がいろんな方に批評をされ、そうそうたる顔ぶれです。
    本居宣長等、ようは、日本語が由来している漢語より、日本語になったと云った方がいいです。

    尊敬・謙譲・丁寧、だそうで、その、今流行りそうな映画もいいでしょうが、ナンセンスですね。順番は、重要なんです。

    きっとここに書いてる人、トピ主に何書いてもと、みんな感覚で解っていてもテストの成績は様々でしたから、そっちが疑問で、あなたは自分の解釈で、恐いです。
    担任でしたが、とても丁寧に清少納言の「はるはあけぼの〜」を解説してくれ、みんな大好きそうでした。

    暗記を冒頭はいくつかしますよね。
    マンガで、ガラスの仮面の方のアマテラス、や、あさきゆめみしは読まれているでしょうから、推古天皇を題材にしたものなどは、いかがでしょうか?
    日本語離れが進んでるような事を時々、新聞の諸説や学生時に聞いたり、あなたトピで、ここまで来たか、と、知りました。

    もうちょっといいですか?


    ・・・

    ユーザーID:7998130830

  • このトピ何をきいているか判んない


    高校まではわりかし基礎ですが、大学で国学を学ぶ人以外は、文系理系では。

    日本語は独自の文化です、どこの国にもない優れた表記体です。

    私は先生のあたりが良かったので、好きな作家や文章があり、選択の書道で、かな、印を掘らせて貰ったり画をやったり。

    漢字自体は中国に敵わないと思いますが、まるっきり、かなは日本古来にも近い伝統を誇っていますね、



    斉藤に沢山の漢字をあてますよね。

    かなだって、時々読めないし好く毛筆では、つなげて省略していて、ここまでくると天賦の才を、同級生に感じましたよ。




    もうちょっと簡単に説明出来ませんか?

    ユーザーID:7998130830

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  • うーん・・・

    センスかな、画、数、料理、文体、色彩、等々、空間や、速度。

    理解力は、読解力の速さだよ。

    このトピよくよくわからんわ。

    実家の父の書籍に、小説で、自分が買い集めたのと、同じく現代語訳のモノがあります、筆者からの贈呈です、押印があります。

    私は初版のはなかなか読みにくくて、難解に感じ、世界文学で読破したけど同じ表記で嫌になり、なれました。マンガ世代でこっちをわりかし読破。


    表記が違うのは、戦前戦後とか、敗戦の陛下の〜ではなく、識字率!!読み書きできない人間がごまんと居ても!?いつの時代も同じ。

    医者はドイツ語カルテ等、どうして得意でない人間がドイツ語を医学の為だけに!!

    なれは正確さが命ですが必要です。

    教科書の桃源郷の記が好きでした、レ点が無いとちんぷんかんぷん、杜甫が地味で私好みです。

    悠久の中国の当時の舟に、自分が乗っているような気分に浸れます、それにルールが明快で漢詩が大好きになる、中国の知恵は奥深い。


    今の現代語表記は、現代にそわせたものになっていると思います。

    時々、漢字をJISで付け加えています。常用漢字、と、いいます。

    ユーザーID:7998130830

  • 聞こえて居れば理解したと思います

    前のレスで書いたとおり、私が聞いた玉音放送は、雑音が混じるどころか、音が途切れ途切れなので、時々聞こえてくる単語が文章として続かない状態でした。ですから、私の周りの大人達も(私の母は東京の旧制女学校を出て居ましたから、当時としては学歴のある方でした)、誰一人として放送の内容を理解した人はいませんでした。

    もしちゃんと聞こえていれば、5年生だった私でも理解して居ただろうと思います。その理由は、玉音放送の文章はその後数回読んだことがあるだけなので覚えていませんが、教育勅語は丸暗記していただけでなく、その意味も良くわかって居ましたから、同程度の文語体だったら、当時の義務教育(小学6年)を受けた人なら殆どが理解したと思います。

    日本全国の放送局の中には、私が聞いたのより、少しは性能の良い放送をした局もあったとは思います(戦争末期には、妨害放送を遮るために、どの局もわざわざ雑音を入れて放送していました)。でも、玉音放送が理解されなかった主な理由は、言葉が難しかったからではなく、放送のクオリティーの問題だったのではないかと、経験者の一人として思います。

    ユーザーID:0637438383

  • 矛盾した思考

    >国民に向けた詔書なので、当時の言葉で伝えていると思われます。

    そのとおりです。

    >そこを踏まえ、国民がその文章を理解しているとするならばとても語学力が高いと感じますがどうでしょうか?
    >戦争の資料館には、一般の人が書いた手紙も多数あります。
    >どの手紙も達筆且つ、とても難しい言葉が用いられています。

    その当時は、それが普通の言葉だったのです。「とても難しい言葉」ではなく日常の言葉(但し、手紙は文語体)だったのです。玉音放送はあらたまった言葉使いなので文語体に近いのです。

    トピ主が「とても難しい言葉」と感じるのは、現代語との乖離にすぎません。

    また「達筆」についても、当時は当然とされる教養でした。現代は、そんなことよりも「タッチタイピング」とか「外国語の能力」の方が価値があります。学校でも「書」より「英語」の授業の方が多いですよね。

    ユーザーID:3986938083

  • 一部の人はできると思います

    60歳の主婦です 

    先日NHKのドラマ玉音放送を見ました、私も戦後生まれですので、詳しくは知りません、
    ただ年齢をかさねることによって知ることもあります
    今までは耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び・・いつもここだけ使われますよね

    NHKのドラマ玉音放送は大臣の方が天皇陛下の玉音放送を録音した方のお話でした。  

    一昨日映画・・日本で一番長い日 を観に行ってきました
    こちらは戦争をいかにして終わらせたかと言うお話で、この中で玉音放送で流す分章は大臣、外務省、通訳、陸軍、海軍他10人くらいいたかな?
    一語一句何日も検討し、アメリカのポツダム宣言をいかにして受け入れ、日本の国をいかにして守るかと話し合いを重ね
    文章を書き、玉音放送にいたるお話でした。

    今回NHKドラマを見てから映画を観たので、戦時中の天皇陛下の苦しみがすごくよくわかり、涙が止まりませんでした。

    話がそれましたが、学識ある方々が検討して書いたので、理解できた人はいただろうし、理解できない人もいたと思います。

    是非トピ主も機会がありましたら、映画やNHKのドラマを見てください

    ユーザーID:6586115444

  • 最後です 長文すみません

    それが段々と会話になれてより身近な会話をされるようになっていったそうです。それと同時に国民自身も最初の映像では誰も目をあわせずうつむいてほとんど返事もできない状況だったのが、陛下が訪問される聞くと群衆自らが押し寄せて万歳三唱するほどになります。

    どうまとめていいかわかりませんが…やはり当時にあの放送を誰もが理解できたは誤りではないのかなと漠然と思うということです(笑)

    ユーザーID:4990926957

  • 続き

    おやじ様のいう「堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び」この言葉を聞くだけでも私にはなんとすばらしい言葉だと思いますよ。
    これほど国民の気持ちに寄り添った言葉はないと思います。またこの言葉と天皇陛下のお人柄はとてもよく合っているなと昭和ぎりの世代の私は感じます。
    しかしながらこの言葉で敗戦を理解するのは無理だと私には思います。
    それを超えて勝利したという風になってもおかしくないと私などは思うので。
    事実、たくさんの敗戦の日に関連するノンフィクションを読みましたが、大半の本では雑音と難しい言葉で何をいっているか理解できなかったが、理解した一部の人の反応で敗戦を知ったというのが多かったように思います。

    横になりますが、最近BSで放送された「象徴としての天皇」の特集を見たかたいますか?
    戦後現人神から象徴となった天皇陛下として、慰問をする姿が残されています。そこで関係者から語らえた話しとして陛下は戦前はごく一部のおつきの人としか会話をすることはなかったため戦後一般の市民との会話をするときにはとてもとまどわれたそうでそれゆえあの有名な「ああそう」という言い回しとなったそうです。

    ユーザーID:4990926957

  • 私も興味あります

    戦中から戦後というのはとても興味ある時代です。

    私はアラフォー。
    子供時代にはまだ祖父母が生きており戦争についての体験を聞いたりすることも多かったのですが、祖父母が他界していくにつれてそういう話しを聞くこともなくなりわからないことも多いです。

    なのでトピさんの気持ちよくわかります。そして子供を持つ世代として伝えていかなくてはいけないのにわからないというジレンマもよく感じています。

    私が子供時代はこの時期になるとテレビで特集がくまれてそれを見ていると、後ろで祖父母が「そういえばあの時代は…」と語りだし、まさにその時代のリアルな姿を身近に感じることができたものです。激動の時代の祖父母の会話には、たくさんのドラマがあり子供心に胸あつくなる物語もありました。
    なので私の場合は確かに昔への憧れみたいなものもあるのでおやじ様の意見は多少耳がいたいところですが(苦笑)

    ユーザーID:4990926957

  • 私もちょうどそのように思っていました。

    昔の市井の人々は教養が高かったと、私も思います。

    私は年齢のわりに歌舞伎が好きなのですが、歌舞伎の舞台とは、観客に一定の教養があることが前提で初めて成り立つ作りになっています。
    けれど、その昔、歌舞伎とはあくまでも庶民の娯楽だったのです。
    昔の人たちが皆、大学まで行っていたわけではないことを思うと、昔は、日々の生活の中に教養が染み込んでいたのだなあ、と感じます。

    玉音放送についても、先ほどNHKで聞いて、同じ感想を持ちました。

    蛇足ですが、

    耐え難きを耐え、忍び難きを忍び

    有名なこのフレーズですが、私はこれを、戦中の国民の苦労を天皇陛下がそのように表現なさり、それなのに負けてしまったよ、ということを告げられたものだと誤解していました。

    正しくは、天皇陛下ご自身が、これから先、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、未来に向かって平和な国を切り開いていこうと思っている。。という文脈であったことを、初めて知りました。

    自分の教養のなさを恥ずかしく思いました(恥)

    ユーザーID:1390233227

  • 昔の方がよかったと考えがちなのをだけだと言っているだけです

    >>トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >>でも、そんなものは、だめだと思います。
    >こんなことを考える方もいらっしゃるのですね。
    >理解しておくことは必要だと思います。

    誤解があるようなので、一言、お断りしておきます。

    私は、昔の事を知ろうとする事をだめだと言っているわけではありません。

    やたらと、昔の方がよかったと考えがちなのをだけだと言っているだけです。

    事大主義に陥りやすいと考えるためです。

    ユーザーID:4579729684

  • 教育勅語

    ソラリスさんのおっしゃる教育勅語の話で思い出しました。小学校(戦時中は国民学校と呼ばされました)4年生になると、教育勅語を暗記させられました。私は終戦の時5年生でしたから、もちろん丸暗記していました。

    数年前に、ふとその事を思い出して、覚えているかどうか ”朕思うに我が皇祖皇宗国を黎る事高遠に〜” と唱えてみました。途中思い出せなかった所も、数日かけて考えたら、全部覚えていました。子供の時の記憶って強烈なんですよね。

    覚えていた事が嬉しくて、昨年、91歳になる叔父に会った時に、自慢げにその話をしました。叔父曰く、旧制中学では、教育勅語を漢字ごとソラで全部覚えさせられて、テストで紙に書かされたそうです。”暗唱するぐらい、簡単じゃないか!” と鼻で笑われてしまいました。

    この叔父は理系のの旧制高校にいたので、終戦間際に召集令状をもらって入営した頃には、日本軍には船がなくて、外地に送られないうちに終戦を迎えた、あの世代の中で数少ない生き残りの一人です。理系ですから、英語の読み書きも出来ますが、漢文の知識はすごいです。学徒出陣して死んで行った文系の人たちは、もっとすごかったのでしょう。

    ユーザーID:0637438383

  • 確かに…

    玉音放送を以前特番で聞いたとき、
    こんなの普通の人が聞いて意味分かるのかな? と思っていたので
    とても興味深いトピです。 ありがとうございます。

    きちんと聞こえるかという雑音問題もあったことは驚きましたが、
    実際どのくらいの庶民が理解できたのかテレビで扱ってほしいですね。
    おそらく、負けた、戦争は終わりということは分かったか
    後から噂で知ったのかなぁと思います。
    (他の方のレスを読んでいませんので外れていたらすみません。)

    以前、特攻隊の潜水艦版である人間魚雷回天の資料館に行ったことがあります。
    突撃前に母親や家族に宛てた遺書が展示してありましたが、
    とても10代、20代前半とは思えない達筆で
    とてもしっかりした文章(ところどころ解読不可能)だったのに驚いたことがあります。


    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。
    こんなことを考える方もいらっしゃるのですね。
    理解しておくことは必要だと思います。

    ユーザーID:1293142338

  • そんなものはダメだと思います。のレス

    主の疑問は私も感じています。

    それを一言で、そんなものはダメと切り捨てる。
    私も驚きました。

    まだ送り仮名がカタカナだった時代の言葉、主の疑問は至極全うで、私も現代文に直したものを最近読んで、初めて天皇陛下の苦しさ、思いを感じましたよ。

    凄く堪えて、凄く辛抱した。
    こんな簡単なものじゃ無いわ。

    堪えられない程の苦しさを堪えて、辛抱仕切れ無い程の辛抱をした。
    当時の方々の苦しさを思うと、堪え切れない思いが溢れて来ます。

    ユーザーID:6318431365

  • 時代を遡るにつれ、文系知識の重要性は高かった

    >そう考えると、戦前の方たちはとても難しい日本語を使っていたのでしょうか?
    >特に国語に関しては、多くの人が高いレベルに達していたのでしょうか?

    そうです。
    もっと昔、江戸時代や、更に昔、古いほど、文学的知識は重要視されていました。知識人は、和歌や中国の古典などにも長じていました。

    しかし、時代と共に科学が発達し、科学的な分野は従前より重要視されその知識が大きく必要となったのです。
    ところが、人間の持ち時間(生物学的寿命)も持っている脳力(ミスプリではなく)は大きく変化していません。なので、文系知識の習得努力を下げざるを得ないのです。毛筆で美しい字が書けるより、英語や数学や科学の知識を増やした方が重要な時代なのです。決して、昔の人が偉かったのではありません。

    ユーザーID:3986938083

  • 教育勅語はとにかく全員覚えてた

    昨日は何だか寝ぼけて肝心な事の周辺をウロウロウロウロしてるだけのレスをつけちゃいましたが、
    今朝起きて一番肝心なことを思い出しました。

    大正頃まではそうでもなかったようですが、
    昭和に入ると教育勅語は教育現場ではそれはそれは神聖化されていきました。
    勅語の写しはご真影とともに校内の奉安殿に安置され、
    祝祭日には全校生徒が登校し、校長が厳粛に勅語を奉読するのを、直立不動でこうべを垂れて拝聴しなければなりませんでした。
    そして、どんなにできの悪いハナタレ坊主でも、国民学校初等科(尋常小から制度が変わった)では、
    直立不動での教育勅語の暗唱だけは、必ず完璧にできないといけませんでした。
    私の両親も終戦時は国民学校生でしたから、勅語の暗唱はできます。
    「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ■ヲ樹ツルコト深厚ナリ……」
    ですね。

    ですから、
    「陛下の詔勅に使用される文体」には非常になじみがあったんです。
    法律の条文とか唱歌の話とか出す以前の前提でした。

    ユーザーID:2367848137

  • 70年前の世界を見ているのです。

    いま90歳以上の人は別として、自分の祖父母や父母の話からその当時の世界を正確に知るのは無理であると、これを自覚する必要があります。
     これを前提として当時の国語力ですが、今の英語力程度と考えた方がいいです。
    当時の学歴は義務教育は尋常小学校まででその上に高等小学校があり、多くの人はここまでです。レスの旧制中学出身や師範学校、高等女学校出身の祖父母は当時としては高等教育を受けた階層にあたります。今の大学出身より少ないです。この人達は漢文や英語を習いますからかなりの国語力があったと言えます。しかし、大部分の国民は読み書きのできない人も多く、落語の代書屋のような世界が普通でした。当然そんな人は達筆で手紙なぞ書けませんから博物館で展示されるような資料にはなりません。この当時の資料が残せるのは教養がある人だけなのです。大多数の人は方法がないのです。今なら映像や録音等がありますが、文字で残せる資料は
    その世界の全体を示すものではないのです。
     尚、玉音放送のことですが、レスにあるように雑音が酷くて多くの人には何のことか理解できなかったようです。

    ユーザーID:3105927352

  • 万世の為に太平を開かむと欲す

    「万世の為に太平を開かむと欲す」

    が、儒教が出典である事を最近知りました。

    せっかくなので、このトピをきっかけに調べてみたところ、北宋の儒学者「張載」の

    「天地の為に心を立つ、生民の為に命を立つ、往聖の為に絶学を継ぐ、万世の為に太平を開く」

    の結語を採ったものであるようです。

    儒教は、為政者の学問と言われますので、玉音放送の言葉の意味は分かっても、そこまで理解できた人は、一般国民にはほとんどいなかったのではないでしょうか。

    もちろん、現代人でそれが理解できるのは、専門家以外にはいないと言える程まれにしかいなく、やはり、戦前というその時代、今からの隔たりという意味での時代の2重の意味での時代というしか無い気がします。

    ヨーロッパでも、長く、ラテン語が学問の言語だったのを、母国語に改めたのは、そんなに古い話ではなかったと思います。

    ユーザーID:4579729684

  • 噛み合ってないような。笑

    トピ主さんは恐らく私と同世代だと思います。
    祖父母が他界し、質問できる相手が少なくなった。
    私たちには玉音放送の内容が当時の方々に本当に通じたの?
    昔の国語のレベルって相当高かったのかな?
    こんな単純な疑問がありますよね。
    >堪え難きを堪え、忍び難きを忍び。
    分かるような分からないような。
    今は「凄く堪えて凄く我慢した」って言いますもんね。笑

    だったら、どのくらい高かったのだろう。
    小町の方々、教えて!
    という。
    でも、
    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。
    こんなことを言われたら驚きますよね。

    トピ主さんは親として子供に教え伝える役目があるんですもんね。
    昔の背景を知りたいですよね。
    何でダメなんだろうかと思いますよね。

    ユーザーID:5733480726

  • 昔のインテリ層の国語力は相当なもの

    昔のことを知ろうとするトピ主さんの姿勢は素直に拍手したいと思いますね。

    私の母の実家は江戸時代から続いた旧家で、蔵から昔の書簡などが出てくることもありました。
    おそらく曾祖父が10代のころ書いたであろう書簡など絶賛ものでしたよ。

    その時代にしては曾祖父は高学歴でしたが、今の大学生でもここまで書ける人はそういないだろうというほどでした。
    時代が違うと言われればそうかもしれませんが、それにしても、が正直な感想でした。
    国語以外のことはわかりません。

    学力とは関係ないですが、昔の子供は今よりずっと早く大人になりましたね。
    15、6になったころにはすでに一人前の男、女。
    40過ぎたら老境に入ったらしいです。
    人生50年の時代ならそれも必然かもしれません。

    ユーザーID:3909765826

  • 言文一致

    明治時代からその傾向にはありましたが,はっきりと変わったのは戦後だと思います。

    戦前は漢文の素養が必要とされたので,現在ではあまり使われない熟語が結構日常的に使われています。
    私たちが馴染みを失ってしまったというだけで,取り立てて難しい日本語というわけではないと思います。
    当時は国語のほかに「綴り方」という科目があり,作文を学んでいました。高い文章力はそこで培われたと思います。また軍人さんは「軍隊手帳」にその日あったことを記録していました。書くことが現在よりももっと当たり前で,なおかつ書き言葉は文語調なので非常にレベルの高い印象を受けると思います。

    ちなみに…私の祖母は山間部で育ち,家の場所的にラジオが入らなかったため玉音放送は聞いていないそうです。重要な情報はすべて回覧板で回ってきていたとか…。

    ユーザーID:6547934353

  • 簡単に考えてみてください

    >分からないからこそ、昔を知ろうとすることがそんなにいけない事なのでしょうか?

    陥りやすい例だと思ったので、そのように書きました。

    言いたいことは、2015年8月13日 9:47のレスに書いたつもりです。

    日本人で、まともな漢詩が書けたのは、夏目漱石が最後だそうです。

    でも、その事を、過大に評価する事はないと思います。

    簡単に考えてみてください。

    明治の人間が、現代の人間の幅で、物事を考える事が出来たとお考えになりますか。

    文語調のもったいぶった表現に、だまされてはいけません。

    私の言いたいことは、それだけです。

    ユーザーID:4579729684

  • 口語文がまだ揺れてたしね2

    で、当時の一般の感覚ですが、んー、例えば、尋常小学校の唱歌って文語ですよね。
    「われは海の子」なんて、1968年生まれの私でも、
    父母が風呂で歌ってくれるもんで未就学時に3番まで丸覚えしてましたが、
    係り結びあるし、苫屋とか語彙もなかなかなもの。
    それを尋常の間に7番まで全員覚えてた。文語唱歌は他にも山ほどあった。

    割とそういう丸覚えで、普通の文語は何となく分かっちゃうようになってた。
    あと、「漢文素読・暗唱」もよく効いたはず。
    私らでも、文語の歌…『仰げば尊し』『蛍の光』くらいなら小学校卒業式で全員覚えましたし、小学校の間に論語も(短文ですが)かなり暗唱しましたし。

    大日本帝国憲法やら旧民法やらの条文見たら漢文訓読体で一見引きますが、実はまあ(私らでも)結構読める。
    分からなきゃ「小学校の先生」や「村長」に聞きに行けばいい
    (そういう意味で昔は田舎の小学校の先生は地域との密着が強かったし尊敬もされていた)。
    日本国憲法で法律文体のコペルニクス的転換がなされるまでは、法律はああ書き表すしかなかったわけで、
    皆そういうのに付き合って生活してたわけで。

    ユーザーID:2367848137

  • 口語文がまだ揺れてたしね1

    二葉亭四迷が明治20年に『浮雲』で画期的な「言文一致体」を「発明」するまでは書き言葉と言えば文語で、
    各文学者がそれぞれ新しい文体を試行錯誤していました。
    浮雲後だって書き言葉と言えば文語がフツーだったわけで、今見て難しけりゃ偉いってもんでもないですよ。
    一葉の『たけくらべ』が明治28、漱石の『坊つちやん』が明治39。
    たった11年違いですが、たけくらべはあの独特の雅文体なのに対し、
    坊っちゃんは、現代仮名遣いにしてありゃ今でも小学生が読める口語文体。
    一葉の文体は素晴らしいですが、でも、「雅文体だから」たけくらべの方が高度かっつったらそんなこともない、
    文体だけの話なら、漱石こそ、よくまあ明治期にこんな文出してきたなと感心することになる。

    戦前は基本的にまだ口語文は揺れ動いている状態で、
    学校では文語文を教える方がやりやすかった。
    いやもちろん、明治期の小学校でも、棒引き仮名遣運動とか、かなり先進的な表記教育もしてみたりして、
    色々と「言」と「文」のバランスには苦労していたんですが。

    ユーザーID:2367848137

  • 日本で一番長い日

    平成生まれの女子です。

    私は、何度か、テレビで玉音放送を聴いた事が有りますが、理解不能。

    この間、レンタルビデオ店で「日本で一番長い日」と言う映画のDVDを借りて見ました。

    解らない点が幾つか出て来たので、母に訊くと、「あんた、そんな古い映画を観て面白いの?」
    「変わった子ね〜!」と一言、おじじかおばばに訊いてみなと言うので、早速、訊いてみました。

    おじじ、「私も当時は、ほんの子供だったから、良く解らない、ただ、カボチャや芋やコーリャンばかり食べていた」との事

    おばば、「学校の校庭で玉音放送を聴いたよ、でも、ラジオの調子が悪くて、校長先生がラジオを引っ叩いていた事を良く憶えている」との事

    もうじき、終戦記念日だと言うのに、我が家族はこれで良いのでしょうか?

    ユーザーID:2246717683

  • そもそも

    ラジオの雑音が酷くてよく聞こえなかったという話や、
    子供だと何を言っているのか解らないけど、大人が泣いていたから何となく察したという話もあります。
    しかし、例えば戦地から実家に出した手紙や特攻隊で出撃した人達の遺書などを読むと、格調高く流麗な文字で書かれていたりして、
    20代前半でこの教養かと自分(および現代の日本)が情けなくなる事はありますね。

    ユーザーID:3251584991

  • トピ主です

    貴重なご意見、まことにありがとうございました。
    天皇のお言葉を理解する前に、雑音が多く聞き取れなかった事もあったのですね。
    理解していた人もいれば、そうでない人もいたということでしょうか。

    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。

    私の祖父母はすでに他界しております。
    両親は戦後生まれです。
    私は30代後半で2児の親でもあり、小学生の子供と資料館などで勉強に行ったりします。
    子供に教えなければならない立場ですが、昔のことが分からないことも多くあります。
    分からないからこそ、昔を知ろうとすることがそんなにいけない事なのでしょうか?

    ユーザーID:5638414939

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