玉音放送

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  • 識字率は高かったみたいですよ

    大野晋先生の本(今手元にないので詳細は違っているかも)に書いてあったと思うのですが、戦後、GHQは「日本が無茶な戦争をしたのは、三種類もの文字が存在し、識字能力のある国民が少ないために、情報が正しく伝わらなかったからではないか、漢字は廃止した方がいいのではないか」と考え、識字率調査をしたそうです。結果、かなり田舎の高齢者もある程度字が読めたという事だったそうです。

    田舎の高齢者でも読み書きができる人物が少なくなかったのは、農業指導書などを読む機会があったからだとか。あと『カムイ伝講義』(田中優子/ちくま文庫)によると、江戸時代は書類に左右される法治国家で、一揆をおこすにも書類での許可が必要であり、訴訟を有利に運ぶためにも識字能力や文章能力、知識が必要であったために、村落にも寺子屋が増加した・・・とあります。

    ということで、読み書きに関する知的レベルは高かったのではないでしょうか。

    ユーザーID:0005293551

  • ああ玉杯に花うけて

    戦前戦中の子どもは漢学の素養がありました。

    絶大な人気を誇った佐藤紅緑(作家の佐藤愛子さんのお父さん)の少年少女向けの小説は
    振り仮名つきですが、漢字・漢字熟語も多く、文章も文語調の
    ものがあり 当時の子どもの国語力を知るには いい資料になると思います。

    是非ご覧になってください。

    ユーザーID:4190044359

  • 難しい言葉

    と、聞き慣れない・今は使わない言葉は違います。
    トピ主さんは自分が見知らぬ言葉だからと、難しいく感じているだけではないでしょうか。
    40代の私は、昔はそんな言い回しをしていたんだなあと思うだけで、意味はわかるし難しくも感じません。

    ユーザーID:5760008726

  • 漢文読解力。

    日本人初のノーベル物理学賞受賞者、湯川秀樹先生は、幼少期に家庭で「論語」などの漢文を徹底的に教え込まれた、というより叩き込まれたそうです。
    明治維新期の要人の日記や書簡は、ほとんど漢文混じりの候文(そうろうぶん)で書かれており、あの文体は日常茶飯に用いることができました。
    漢文読解能力面では、現代日本人は退化していると言って過言ではありません。

    ユーザーID:1561611682

  • 堪え難きを堪え

    堪え難きを堪え、忍び難きを忍び。

    これだけで、何を伝えたいかは、わかるのではないですか。

    >そう考えると、戦前の方たちはとても難しい日本語を使っていたのでしょうか?

    このような問題ではありません。

    トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?

    でも、そんなものは、だめだと思います。

    ユーザーID:4579729684

  • 生活・身近な話題ランキング

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  • 解らなかった

    私が聞いた話では、ラジオの音が悪かったのとお言葉が普通の言葉では無かったので聞いて解った人は一握りだったとか。
    その心配があったので主だった人に内容を教えてあったとか…

    ユーザーID:9136367220

  • 難しく感じるだけなのであります

    まあ、古文ですよ。古文のようなもので現代人にわかりにくいだけです。大正時代の新聞の身の上相談の投稿もあのような難解な文章ですよ。でも私、玉音放送は言ってることわかりますよ?

    ユーザーID:3902855581

  • 難しいのではなく、

    時代によって使っている言葉が違っているだけです。

    逆に戦時中の人たちが今日の言葉聞いたらわからないんじゃないのかな?

    ユーザーID:2693755025

  • 同じ事を考えていました。

    私も同じ事を考えていました。
    英会話教室の後の雑談でそう言ったら、
    「終戦の詔(みことのり)」のあの格調高い漢文調は、ラジオの側で一般大衆に解説した教養人がいたはずと言われました。
    私よりも年配の方々が揃ってそう仰るのでそうなのかと。

    当時少年だった亡父によるとラジオ放送は雑音ばかりで何も聞こえなかったそうです。最初は皆きょとんとしていて、そのうち何処からか正確な内容が伝えられ、口伝てで広がったと言っていました。

    確かに当時の知識人は、教育が大衆化した現代の私たちよりはるかに高度な教養(とりわけ古典、漢文、歴史)があったと思います。
    しかし学校に行けない人も大勢いたわけで、教育格差も今とは比べ物にならないほどひどかったでしょう。
    それでも一般大衆が現代より教養があったとしたら、彼らは講談、芝居、落語、歴史読み物などから知識を得ていて、それらの言葉使いが格調高かったからではないでしょうか。

    ユーザーID:5507149683

  • ひたすら

    私は、旧制一中と旧制一高女が合体した新制高等学校第13期の卒業生です。戦後10数年のことですね。手前味噌ながら成績優秀な生徒(単なる受験秀才!)であったと思います。

    例えば私が「天網恢々」という表現を知っていても、旧制の人々(新しい学制であれば中学生に過ぎません!)であれば、そのあとの「疎にして漏らさず」がいとも簡単に出てくるものでした。

    ところが、旧制の中学や高女の出身でなくても、尋常小学校とか高等小学校の出身者であっても、「天網恢々疎にして漏らさず」の言葉が出てくるものでした。家庭環境の違いがあったかもしれません。

    思うに、当時は「読んで読んで読んで」読み尽くすように教育された成果であろうかと思います。

    余談になりますが、既にお亡くなりになった国弘正雄氏(月面着陸時の同時通訳、日本の大学教授、国会議員、英国の大学教授)は、旧制中学のときに英文を読んで・読んで・読み尽くすことで英語力を身につけたと書いておられました。そのことを、禅宗の言葉をもじって、「只管打読」と表現しておられました。禅宗本来の言葉と、彼がもじった表現の読みと意味がお判りになりますでしょうか。

    ユーザーID:1678818646

  • 玉音放聞きました

    小学校5年生で、疎開先の田舎で聞きました。天皇陛下のお声がラジオで聞けるそうだ、という当時としては前代未聞の(何しろ天皇陛下は現人神、生きている神様、と教えられた時代です)ことが起こるそうだ、という話で、家中がラジオの前に正座して、聞きました。

    君が代の後に、男性らしいお声が途切れ途切れに聞こえましたが、何しろ雑音が多くて意味なんてわかるどころではないうちに放送は終了しました。大人たちもみんな顔を見合わせて、今なんておっしゃったんだろう?と言っていました。

    数日後に近所の人が、”戦争が終わったそうだ、広島と長崎に落ちた新型爆弾(原爆は初めはこう呼ばれていました)があまりにひどいので、天皇陛下が、これ以上国民が苦しまなくて済むように戦争を終わらせてくださったんだ”、と教えてくれました。

    戦前の文章について一言: 戦前は文章を読み書きできる人は自他共にエリートと認められ、漢字をたくさん使った、ふりがな無しの文語体の文章が普通でした。玉音放送も、当時の天皇の威厳を維持するにふさわしい文語体だったと思います。

    戦後の民主化改革の一つに、文章を口語体にする、というのがありました。

    ユーザーID:0637438383

  • 祖母から聞いた話です

    当時、師範学校にいました。教員になるための学校です。
    天皇陛下のお言葉を頂くのは極度の緊張に包まれ一言一句聞き逃さないようにしていたのに、
    言い回しが回りくどかったみたいで、戦争に負けたのと終戦を迎えたのははっきり分かったと言います。
    余談ですが、お腹が空いたのと憲兵が怖くて、
    「終わった!ああ良かった」と万歳したいぐらい嬉しかったけど、周りに泣いている人がいたり、
    叩かれるんじゃないかと思って、確定するまでじっとしていたと言います。

    学力レベルは分かりません。
    ただ参考になるか分かりませんが当時の話として、祖母が言うには女学校は教師から進学せよと言われた人だけが受験できたと聞いています。
    命令みたいで有無も言わさず受験したと聞いています。
    達筆な理由は、書道は放課後に居残りをして練習させられたと聞いています。
    幼少期、祖母は軍港(呉市と要港があった徳山の二ヶ所)の近くに住んでおり、自宅の二階は軍人が間借りしていて、自然と難しい言葉を覚えたと言います。

    ユーザーID:5733480726

  • お尋ねの知識はありませんが

    先日、昭和22年に録音された「街録」、つまり、街の人の声をラジオで聞きました。
    録音されているのは、かなり低所得の人の住む古アパートの、二人の子どものいる未亡人の声でした。

    アナウンサーが「ご主人、いつ亡くなったの?」と聞くと、未亡人は「今年の5月でございます」と答えます。

    「あなた、体の具合、悪くしてらっしゃるのですか」との問いには
    「7月に盲腸で20日間入院しまして、それが、もう手遅れの気味だったものですから入院が長引いてしまいまして。今はそこの○○につとめておりますが、仕事は体にさわりませんので」

    子どもの事を聞かれると、
    「事情がありまして上の子は外に出しておりましたものですから、また一緒に暮らすことになりまして、学校も間があいてしまいまして、勉強がわかりませんから行きたくないと……」

    そのままではありませんが、こんな感じでした。
    所得の低い(おそらく学歴も?)女性です。
    今の若い母親でしたら「ダンナ死んじゃってマジヤバイです。子ども学校行かないしー」…ここまでひどくはないでしょうか。

    昔の方が、言葉が丁寧かつ優雅であったのだな、と思った次第です。

    ユーザーID:8922836770

  • レスします

    玉音放送のキモは「米英支蘇四国の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」つまり「ポツダム宣言を受諾した」日本が無条件降伏を受け入れたという点だと思います。また、放送に続いて解説放送が行われて、その内容が皆に伝わるように配慮されていました。

    大本営発表で「勝った勝った」と言われても、食物や生活用品にも事欠き、地域によっては毎日、敵機の襲来がある状況、また、ポツダム宣言は無視すると報道されていて、国民からすれば来るものが来たというところではないでしょうか。

    当時より今のほうが識字率が高く、今は、読み書きできるのが当たり前の時代です。ですので、当時の人の学力が高かったわけではないと思います。

    ユーザーID:2335458201

  • 良いものだけが、後世に残る

    資料館に展示されている手紙は、遺族がその内容に胸をはれるから、展示用に提供しています。
    この時点で、良いものだけがセレクションされます。
    あと、当時は手紙に検閲がありましたので、ふざけた表現の手紙を出すことはできませんでした。

    玉音放送については、聞いても意味がよく分からなかったが、周囲の人の反応で日本が負けたことを察した、との述懐を何度か目にしました。(音声が非常に聞き取りづらかったこともあるのでしょうが)
    日本が負けたことを理解した人の中でも、逐語的に、全て意味を理解していた人は、少ないのではないでしょうか。

    ユーザーID:5145950124

  • 皆が皆理解できてたわけではないらしい

    母に玉音放送の話を聞いたことがあります。
    当時母は女学校の1年生。
    学校のグラウンドに整列して放送を聞いたそうです。

    ドラマなどで放送を聞いて全員が泣き崩れるシーンがあると、「これが普通だったわけじゃない」と言ってました。
    意味がわからず途方にくれてる人も多い中、理解できる人もいて「解説」してくれていたようです。
    敗戦という内容ももちろんショックだったのでしょうが、それより当時は天皇陛下の肉声を耳にできること自体が大ニュースだったようです。
    今なら全然珍しくないのですけどね。

    ちなみに母本人の反応を聞いたところ、「ラジオの音質が悪くてガーガー雑音ばっかりでちっとも聞き取れなかった」そうです。
    敗戦の事実は後で先生から聞いたようです。

    ユーザーID:3909765826

  • 当時の国語力

    明確な回答にはなりませんが、戦後日本の公用語は英語にする方針だった。
    けれども調査をすると、識字率が非常に高く優れた文学もあることがわかり、国語を奪ってはならないという結論に達し日本語が残されたと読んだことがあります。
    日本人の教養の高さに驚いたと。
    そこから考えると玉音放送も理解できたんじゃないでしょうか。

    英語教育に関する話題に触れると、私は英語教育は必要だと思うのですが国語教育をおろそかにすることはあってはならないと、この話を思い出します。

    ユーザーID:9833140410

  • 理解できなかったようです。

    うろ覚えですが、当時の話を聞いた覚えがあります。
    当日は、何か大事な放送があるとラジオの前に集められたそうです。
    玉音放送が流れたそうですが、音質が悪く、その時は、ほぼ聞き取れなかったそうです。
    そもそも、天皇陛下の声を聞く機会もなく、後日、敗戦を知ってから、玉音放送だったと気づいたそうです。

    国民全体の教育水準は、現代の方が高いでしょう。
    国語は時代で変化しますから、どの時代が美しいと感じるかは個人差があります。
    当時は格差も大きく、今も残る文書を書いた人は、ある程度以上の立場にあったのではありませんか?

    とはいえ、文語と口語の区別は、今よりしっかりしていたでしょう。
    字を書く機会が多かったり、字が綺麗なことが評価されたので、文字の美しさは適わないと思います。

    ところで、偉人で悪筆もいますから、トピ主さんも興味があったらみてください。
    文豪の中には、限られた編集者しか解読できない文字を書く人もいたようですよ。

    ユーザーID:0451661218

  • 当時の人も理解していなかった

    当時の人も玉音放送の内容は理解できなかったそうですよ。
    そもそもラジオの音質が悪く、何を言っているのかサッパリ分からなかったそうです。

    あまり知られていませんが、玉音放送の後にNHKのアナウンサーが「現代語」で解説をし、玉音放送の後に「朝刊」が配られ、そこに敗戦の事実が書かれていたので皆そこで敗戦を知ったそうです。

    勘のいい人は、大事な発表があるから朝刊の配達が遅れること、国民全員がラジオを聴くこと、と聞いて「あー負けたんだな」と分かったそうです。

    という事で、玉音放送の内容を聞いて敗戦を知ったわけではないそうです。

    ユーザーID:5311847456

  • 意味はわからなかった、らしい。

    実際に聞いた人達へのTVインタビューで、
    「話の内容は全然わからなかった。周りの反応で、負けたらしいという事がわかった」
    て感想が延べられるのをニュースで見ます。

    以前、公共放送の「時事公論」だったかで、
    永六輔さんが戦時中の子供達の作文を紹介されていて、
    その内容があまりに高度なものだから、随分驚かされました。

    そして永六輔さんが、
    「いいですか? 皆さんこれ、小学校低学年の子供達の作文なんですよ。
    こんな高度な文章を書いてる事に非常に驚かされます」
    とおっしゃっておられました。

    国語教育は相当厳しかったのではないでしょうか?

    それに作文の見本も教科書のみでしたから、
    教科書のみで純粋培養された、という印象です。

    雑多な文章や言葉が目や耳に入る事も無かったんでしょう。
    外からの情報はラジオと新聞だけの時代でしたから。

    貧しい家庭ではラジオすら無く、新聞を購入出来る家庭は余程余裕のある家庭だったと思われます。

    私の家では、父が戦地から帰還して初めてラジオを購入し、新聞を購読し始めました。

    ユーザーID:8256268395

  • ん?

    一つは、その頃がそう言う言い回しだっただけでしょう。
    漢字も旧字体ですから、そのまま覚えているのです。
    言葉は生き物で変わっていきます。
    今の言葉は、昔の人が聞いたら理解不能でしょう。

    また、この放送に付いて私の祖母は「理解できんかった」と言っていますよ。
    ただ、戦争が終わった事は理解できたそうです。
    周りの沢山の子供や人は、戦争が終わった事を理解し、
    後で言葉の意味を知ったそうです。

    勿論、聞きとれた人もいるでしょうね。

    ユーザーID:1482417131

  • 理解できたのは、一部の高学歴者だけ

    大変難しいトピで、レスがしにくいですが。

    >特に国語に関しては、多くの人が高いレベルに達していた・・・

    多分それは違うと思いますよ。
    当時の一般国民は義務教育が精一杯、
    その義務教育すら満足に受けられなかった人も沢山いたと云われています。
    上の学校(高校・大学)に進めた人は、全体の極一部であったと思います。
    従って理解したのも、ごく一部の人であったと思います。

    そのごく一部の人の書いた物が現在残っているのだと思います。
    多くの一般国民は後世に残る文章を残す事は無かったと思います。

    又、当時は「書き言葉」と「話し言葉」は明確に区別されていたようです。
    義務教育だけの一般人がそれ程文章に造詣があったとは思えません。

    玉音放送が有った時は、殆どの国民はラジオの前に直立不動の姿勢で聞いたはずです。
    天皇陛下の言葉を座って聞く事、ましてや寝転んで聞く事等考えも及ばない事だったでしょう。

    放送の内容が、戦争が終わった、戦争に負けた、と云うことは理解したと思われます。
    但し、その場で言葉の意味を正しく理解した人はそんなに多くなかったと思います。

    ユーザーID:7765634987

  • んなこたない

    語彙数はたぶん現代と変わらないでしょうけど、使われる言葉自体が変化してるから、逆にその頃の人がいきなり現代の女子高生の会話を聞かされても理解できないのと一緒です。
    これ鬼ウマ!マジヤバくね?とか言われてもわかんないと思いますよ。
    いや・・・女子高生じゃないから例文が既に古かったらごめんなさい。

    達筆なのは、書くという行為を現代よりもたくさんしていたからでしょう。
    だって、携帯やパソコンなんて当たり前だけどないし、電話だってそんなに一般的じゃなかったから、そうなれば通信手段は手紙かはがきですからね。
    記録もすべて手書きだから、書き続けていれば上手にもなります。
    身分というか、立場の違いで相手に使っていい言葉とかも明確に線引きされてたからってのもあるでしょうね。
    今と違って学校の先生に対してタメ口なんてご法度だったでしょう。
    そんなに不思議に思うほどのことでもないかと。

    ユーザーID:9919000184

  • そもそも

    当時のラジオは電波状況が悪く、録音された音も質が悪くて、よく聞き取れなかったと何かで聞きました。
    でも雰囲気で、何だかよく分からないけど戦争が終わったんだなと察したらしいです。

    ユーザーID:1999023516

  • 文語体・口語体?

    父は終戦(敗戦)当時、小6。玉音放送は雑音が多くて
    聞き取りにくかったと言っていますね。
    国語や文章関係・・・
    「書く」ときは、まだ文語体も使われたのかな?
    明治以降は「書く」ときも口語体でとなったのかな?
    歴史的な事は詳しくは私も分からないけど、
    漢文的・文語体的なものも(古い言い回し)
    まだ(現在より多く)使われてたのでしょう。
    父の文章は古い言い回しや仮名遣いも出てきます。
    横書きは、たまに右からです。
    言葉が移り変わっていき当時はそんなに難しくなくても
    今では難しく感じる面もあるかな?
    それから、達筆なのは習字(筆文字)は仕方ないですよ。
    当時は日常的に使われていたのでしょうから。
    履歴書(だったか?何かの書類)を筆で書いたことがあるそうです。

    ユーザーID:9932547032

  • 2回目です

    思い出したことがあるのですが、
    祖母の妹しーちゃんは女学校の生徒で学徒動員で労働していたのですが、
    玉音放送を聞いた場所を忘れましたが、
    しーちゃんの居た場所では玉音放送の内容が分からなくて、分かりそうな人に聞いたそうなんですよ。
    そうしたら「日本は勝った」って言われたって。
    聞き取りにくかったのか、本当に理解できなかったのか。
    学力の話と逸れましたが、
    こんなことがあったみたいです。
    因みに当時しーちゃんは関東にいました。

    ユーザーID:5733480726

  • なんとなくでしょう

    細かいところまではわからなかったようですね。
    皆正座をしてラジオからの声に耳を傾けてはいても
    理解できたのは少数だったようです、
    誰が言い出すともなく戦争は終わったんだ
    どうも日本は負けたらしいと
    徐々に理解が進んだようです。

    ユーザーID:6702762825

  • 音声が悪かった

    大学教授だった父の話では、ラジオの音声が悪く受信状態も悪かった為、日本語の文章以前に何を言っているかよく聞き取れなかったそうです。もっとも当時の日本人の識字率は先進国と比べても高かったのは事実で、戦後進駐軍がやってきて靴磨きの子供などが新聞を読んでいるのを見て驚いたと聞きます。

    ユーザーID:3298495341

  • 難しい漢字を知らなくても表現が出来るのは素晴らしい事です

    「白銀母 金母玉母 奈爾世爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母」
    「しろがねも こがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」

    よく知られている山上憶良の歌です。

    「母=も」のように、音に漢字を当てて表記しています。万葉仮名です。

    このようにして、日本語の表記が始まる訳ですが、いわゆる公文書は、江戸時代までは、漢文であったようです。

    尚、明治時代からは、日本帝国憲法がカタカナまじりの文章ですから?漢文ではなく日本語の文章と言えるのではないでしょうか。

    カタカナとひらながの使い分けに関しては、カタカナは、音を写し取る(意味は分からなくても聞こえたままを記録する)ために用いられていたそうで、外来語がカタカナなのは、その名残だそうです。明治時代の文章がカタカナ交じり文なのも、素読(内容の理解は二の次にして文字を声に出して読むこと)が学問の伝統的なスタイルだったからかも知れません。

    ですから、現在のひらがな交じり文は、進化した文体だと理解すべきだと思います。

    難しい漢字を知らなくても表現が出来るのは素晴らしい事だと思います。

    ユーザーID:0430675076

  • トピ主です

    貴重なご意見、まことにありがとうございました。
    天皇のお言葉を理解する前に、雑音が多く聞き取れなかった事もあったのですね。
    理解していた人もいれば、そうでない人もいたということでしょうか。

    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。

    私の祖父母はすでに他界しております。
    両親は戦後生まれです。
    私は30代後半で2児の親でもあり、小学生の子供と資料館などで勉強に行ったりします。
    子供に教えなければならない立場ですが、昔のことが分からないことも多くあります。
    分からないからこそ、昔を知ろうとすることがそんなにいけない事なのでしょうか?

    ユーザーID:5638414939

  • そもそも

    ラジオの雑音が酷くてよく聞こえなかったという話や、
    子供だと何を言っているのか解らないけど、大人が泣いていたから何となく察したという話もあります。
    しかし、例えば戦地から実家に出した手紙や特攻隊で出撃した人達の遺書などを読むと、格調高く流麗な文字で書かれていたりして、
    20代前半でこの教養かと自分(および現代の日本)が情けなくなる事はありますね。

    ユーザーID:3251584991

  • 日本で一番長い日

    平成生まれの女子です。

    私は、何度か、テレビで玉音放送を聴いた事が有りますが、理解不能。

    この間、レンタルビデオ店で「日本で一番長い日」と言う映画のDVDを借りて見ました。

    解らない点が幾つか出て来たので、母に訊くと、「あんた、そんな古い映画を観て面白いの?」
    「変わった子ね〜!」と一言、おじじかおばばに訊いてみなと言うので、早速、訊いてみました。

    おじじ、「私も当時は、ほんの子供だったから、良く解らない、ただ、カボチャや芋やコーリャンばかり食べていた」との事

    おばば、「学校の校庭で玉音放送を聴いたよ、でも、ラジオの調子が悪くて、校長先生がラジオを引っ叩いていた事を良く憶えている」との事

    もうじき、終戦記念日だと言うのに、我が家族はこれで良いのでしょうか?

    ユーザーID:2246717683

  • 口語文がまだ揺れてたしね1

    二葉亭四迷が明治20年に『浮雲』で画期的な「言文一致体」を「発明」するまでは書き言葉と言えば文語で、
    各文学者がそれぞれ新しい文体を試行錯誤していました。
    浮雲後だって書き言葉と言えば文語がフツーだったわけで、今見て難しけりゃ偉いってもんでもないですよ。
    一葉の『たけくらべ』が明治28、漱石の『坊つちやん』が明治39。
    たった11年違いですが、たけくらべはあの独特の雅文体なのに対し、
    坊っちゃんは、現代仮名遣いにしてありゃ今でも小学生が読める口語文体。
    一葉の文体は素晴らしいですが、でも、「雅文体だから」たけくらべの方が高度かっつったらそんなこともない、
    文体だけの話なら、漱石こそ、よくまあ明治期にこんな文出してきたなと感心することになる。

    戦前は基本的にまだ口語文は揺れ動いている状態で、
    学校では文語文を教える方がやりやすかった。
    いやもちろん、明治期の小学校でも、棒引き仮名遣運動とか、かなり先進的な表記教育もしてみたりして、
    色々と「言」と「文」のバランスには苦労していたんですが。

    ユーザーID:2367848137

  • 口語文がまだ揺れてたしね2

    で、当時の一般の感覚ですが、んー、例えば、尋常小学校の唱歌って文語ですよね。
    「われは海の子」なんて、1968年生まれの私でも、
    父母が風呂で歌ってくれるもんで未就学時に3番まで丸覚えしてましたが、
    係り結びあるし、苫屋とか語彙もなかなかなもの。
    それを尋常の間に7番まで全員覚えてた。文語唱歌は他にも山ほどあった。

    割とそういう丸覚えで、普通の文語は何となく分かっちゃうようになってた。
    あと、「漢文素読・暗唱」もよく効いたはず。
    私らでも、文語の歌…『仰げば尊し』『蛍の光』くらいなら小学校卒業式で全員覚えましたし、小学校の間に論語も(短文ですが)かなり暗唱しましたし。

    大日本帝国憲法やら旧民法やらの条文見たら漢文訓読体で一見引きますが、実はまあ(私らでも)結構読める。
    分からなきゃ「小学校の先生」や「村長」に聞きに行けばいい
    (そういう意味で昔は田舎の小学校の先生は地域との密着が強かったし尊敬もされていた)。
    日本国憲法で法律文体のコペルニクス的転換がなされるまでは、法律はああ書き表すしかなかったわけで、
    皆そういうのに付き合って生活してたわけで。

    ユーザーID:2367848137

  • 簡単に考えてみてください

    >分からないからこそ、昔を知ろうとすることがそんなにいけない事なのでしょうか?

    陥りやすい例だと思ったので、そのように書きました。

    言いたいことは、2015年8月13日 9:47のレスに書いたつもりです。

    日本人で、まともな漢詩が書けたのは、夏目漱石が最後だそうです。

    でも、その事を、過大に評価する事はないと思います。

    簡単に考えてみてください。

    明治の人間が、現代の人間の幅で、物事を考える事が出来たとお考えになりますか。

    文語調のもったいぶった表現に、だまされてはいけません。

    私の言いたいことは、それだけです。

    ユーザーID:4579729684

  • 言文一致

    明治時代からその傾向にはありましたが,はっきりと変わったのは戦後だと思います。

    戦前は漢文の素養が必要とされたので,現在ではあまり使われない熟語が結構日常的に使われています。
    私たちが馴染みを失ってしまったというだけで,取り立てて難しい日本語というわけではないと思います。
    当時は国語のほかに「綴り方」という科目があり,作文を学んでいました。高い文章力はそこで培われたと思います。また軍人さんは「軍隊手帳」にその日あったことを記録していました。書くことが現在よりももっと当たり前で,なおかつ書き言葉は文語調なので非常にレベルの高い印象を受けると思います。

    ちなみに…私の祖母は山間部で育ち,家の場所的にラジオが入らなかったため玉音放送は聞いていないそうです。重要な情報はすべて回覧板で回ってきていたとか…。

    ユーザーID:6547934353

  • 昔のインテリ層の国語力は相当なもの

    昔のことを知ろうとするトピ主さんの姿勢は素直に拍手したいと思いますね。

    私の母の実家は江戸時代から続いた旧家で、蔵から昔の書簡などが出てくることもありました。
    おそらく曾祖父が10代のころ書いたであろう書簡など絶賛ものでしたよ。

    その時代にしては曾祖父は高学歴でしたが、今の大学生でもここまで書ける人はそういないだろうというほどでした。
    時代が違うと言われればそうかもしれませんが、それにしても、が正直な感想でした。
    国語以外のことはわかりません。

    学力とは関係ないですが、昔の子供は今よりずっと早く大人になりましたね。
    15、6になったころにはすでに一人前の男、女。
    40過ぎたら老境に入ったらしいです。
    人生50年の時代ならそれも必然かもしれません。

    ユーザーID:3909765826

  • 噛み合ってないような。笑

    トピ主さんは恐らく私と同世代だと思います。
    祖父母が他界し、質問できる相手が少なくなった。
    私たちには玉音放送の内容が当時の方々に本当に通じたの?
    昔の国語のレベルって相当高かったのかな?
    こんな単純な疑問がありますよね。
    >堪え難きを堪え、忍び難きを忍び。
    分かるような分からないような。
    今は「凄く堪えて凄く我慢した」って言いますもんね。笑

    だったら、どのくらい高かったのだろう。
    小町の方々、教えて!
    という。
    でも、
    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。
    こんなことを言われたら驚きますよね。

    トピ主さんは親として子供に教え伝える役目があるんですもんね。
    昔の背景を知りたいですよね。
    何でダメなんだろうかと思いますよね。

    ユーザーID:5733480726

  • 万世の為に太平を開かむと欲す

    「万世の為に太平を開かむと欲す」

    が、儒教が出典である事を最近知りました。

    せっかくなので、このトピをきっかけに調べてみたところ、北宋の儒学者「張載」の

    「天地の為に心を立つ、生民の為に命を立つ、往聖の為に絶学を継ぐ、万世の為に太平を開く」

    の結語を採ったものであるようです。

    儒教は、為政者の学問と言われますので、玉音放送の言葉の意味は分かっても、そこまで理解できた人は、一般国民にはほとんどいなかったのではないでしょうか。

    もちろん、現代人でそれが理解できるのは、専門家以外にはいないと言える程まれにしかいなく、やはり、戦前というその時代、今からの隔たりという意味での時代の2重の意味での時代というしか無い気がします。

    ヨーロッパでも、長く、ラテン語が学問の言語だったのを、母国語に改めたのは、そんなに古い話ではなかったと思います。

    ユーザーID:4579729684

  • 70年前の世界を見ているのです。

    いま90歳以上の人は別として、自分の祖父母や父母の話からその当時の世界を正確に知るのは無理であると、これを自覚する必要があります。
     これを前提として当時の国語力ですが、今の英語力程度と考えた方がいいです。
    当時の学歴は義務教育は尋常小学校まででその上に高等小学校があり、多くの人はここまでです。レスの旧制中学出身や師範学校、高等女学校出身の祖父母は当時としては高等教育を受けた階層にあたります。今の大学出身より少ないです。この人達は漢文や英語を習いますからかなりの国語力があったと言えます。しかし、大部分の国民は読み書きのできない人も多く、落語の代書屋のような世界が普通でした。当然そんな人は達筆で手紙なぞ書けませんから博物館で展示されるような資料にはなりません。この当時の資料が残せるのは教養がある人だけなのです。大多数の人は方法がないのです。今なら映像や録音等がありますが、文字で残せる資料は
    その世界の全体を示すものではないのです。
     尚、玉音放送のことですが、レスにあるように雑音が酷くて多くの人には何のことか理解できなかったようです。

    ユーザーID:3105927352

  • 教育勅語はとにかく全員覚えてた

    昨日は何だか寝ぼけて肝心な事の周辺をウロウロウロウロしてるだけのレスをつけちゃいましたが、
    今朝起きて一番肝心なことを思い出しました。

    大正頃まではそうでもなかったようですが、
    昭和に入ると教育勅語は教育現場ではそれはそれは神聖化されていきました。
    勅語の写しはご真影とともに校内の奉安殿に安置され、
    祝祭日には全校生徒が登校し、校長が厳粛に勅語を奉読するのを、直立不動でこうべを垂れて拝聴しなければなりませんでした。
    そして、どんなにできの悪いハナタレ坊主でも、国民学校初等科(尋常小から制度が変わった)では、
    直立不動での教育勅語の暗唱だけは、必ず完璧にできないといけませんでした。
    私の両親も終戦時は国民学校生でしたから、勅語の暗唱はできます。
    「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ■ヲ樹ツルコト深厚ナリ……」
    ですね。

    ですから、
    「陛下の詔勅に使用される文体」には非常になじみがあったんです。
    法律の条文とか唱歌の話とか出す以前の前提でした。

    ユーザーID:2367848137

  • 時代を遡るにつれ、文系知識の重要性は高かった

    >そう考えると、戦前の方たちはとても難しい日本語を使っていたのでしょうか?
    >特に国語に関しては、多くの人が高いレベルに達していたのでしょうか?

    そうです。
    もっと昔、江戸時代や、更に昔、古いほど、文学的知識は重要視されていました。知識人は、和歌や中国の古典などにも長じていました。

    しかし、時代と共に科学が発達し、科学的な分野は従前より重要視されその知識が大きく必要となったのです。
    ところが、人間の持ち時間(生物学的寿命)も持っている脳力(ミスプリではなく)は大きく変化していません。なので、文系知識の習得努力を下げざるを得ないのです。毛筆で美しい字が書けるより、英語や数学や科学の知識を増やした方が重要な時代なのです。決して、昔の人が偉かったのではありません。

    ユーザーID:3986938083

  • そんなものはダメだと思います。のレス

    主の疑問は私も感じています。

    それを一言で、そんなものはダメと切り捨てる。
    私も驚きました。

    まだ送り仮名がカタカナだった時代の言葉、主の疑問は至極全うで、私も現代文に直したものを最近読んで、初めて天皇陛下の苦しさ、思いを感じましたよ。

    凄く堪えて、凄く辛抱した。
    こんな簡単なものじゃ無いわ。

    堪えられない程の苦しさを堪えて、辛抱仕切れ無い程の辛抱をした。
    当時の方々の苦しさを思うと、堪え切れない思いが溢れて来ます。

    ユーザーID:6318431365

  • 確かに…

    玉音放送を以前特番で聞いたとき、
    こんなの普通の人が聞いて意味分かるのかな? と思っていたので
    とても興味深いトピです。 ありがとうございます。

    きちんと聞こえるかという雑音問題もあったことは驚きましたが、
    実際どのくらいの庶民が理解できたのかテレビで扱ってほしいですね。
    おそらく、負けた、戦争は終わりということは分かったか
    後から噂で知ったのかなぁと思います。
    (他の方のレスを読んでいませんので外れていたらすみません。)

    以前、特攻隊の潜水艦版である人間魚雷回天の資料館に行ったことがあります。
    突撃前に母親や家族に宛てた遺書が展示してありましたが、
    とても10代、20代前半とは思えない達筆で
    とてもしっかりした文章(ところどころ解読不可能)だったのに驚いたことがあります。


    >トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >でも、そんなものは、だめだと思います。
    こんなことを考える方もいらっしゃるのですね。
    理解しておくことは必要だと思います。

    ユーザーID:1293142338

  • 教育勅語

    ソラリスさんのおっしゃる教育勅語の話で思い出しました。小学校(戦時中は国民学校と呼ばされました)4年生になると、教育勅語を暗記させられました。私は終戦の時5年生でしたから、もちろん丸暗記していました。

    数年前に、ふとその事を思い出して、覚えているかどうか ”朕思うに我が皇祖皇宗国を黎る事高遠に〜” と唱えてみました。途中思い出せなかった所も、数日かけて考えたら、全部覚えていました。子供の時の記憶って強烈なんですよね。

    覚えていた事が嬉しくて、昨年、91歳になる叔父に会った時に、自慢げにその話をしました。叔父曰く、旧制中学では、教育勅語を漢字ごとソラで全部覚えさせられて、テストで紙に書かされたそうです。”暗唱するぐらい、簡単じゃないか!” と鼻で笑われてしまいました。

    この叔父は理系のの旧制高校にいたので、終戦間際に召集令状をもらって入営した頃には、日本軍には船がなくて、外地に送られないうちに終戦を迎えた、あの世代の中で数少ない生き残りの一人です。理系ですから、英語の読み書きも出来ますが、漢文の知識はすごいです。学徒出陣して死んで行った文系の人たちは、もっとすごかったのでしょう。

    ユーザーID:0637438383

  • 昔の方がよかったと考えがちなのをだけだと言っているだけです

    >>トピ主様の中に、昔への回帰の気持ちがあるのではないですか?
    >>でも、そんなものは、だめだと思います。
    >こんなことを考える方もいらっしゃるのですね。
    >理解しておくことは必要だと思います。

    誤解があるようなので、一言、お断りしておきます。

    私は、昔の事を知ろうとする事をだめだと言っているわけではありません。

    やたらと、昔の方がよかったと考えがちなのをだけだと言っているだけです。

    事大主義に陥りやすいと考えるためです。

    ユーザーID:4579729684

  • 私もちょうどそのように思っていました。

    昔の市井の人々は教養が高かったと、私も思います。

    私は年齢のわりに歌舞伎が好きなのですが、歌舞伎の舞台とは、観客に一定の教養があることが前提で初めて成り立つ作りになっています。
    けれど、その昔、歌舞伎とはあくまでも庶民の娯楽だったのです。
    昔の人たちが皆、大学まで行っていたわけではないことを思うと、昔は、日々の生活の中に教養が染み込んでいたのだなあ、と感じます。

    玉音放送についても、先ほどNHKで聞いて、同じ感想を持ちました。

    蛇足ですが、

    耐え難きを耐え、忍び難きを忍び

    有名なこのフレーズですが、私はこれを、戦中の国民の苦労を天皇陛下がそのように表現なさり、それなのに負けてしまったよ、ということを告げられたものだと誤解していました。

    正しくは、天皇陛下ご自身が、これから先、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、未来に向かって平和な国を切り開いていこうと思っている。。という文脈であったことを、初めて知りました。

    自分の教養のなさを恥ずかしく思いました(恥)

    ユーザーID:1390233227

  • 私も興味あります

    戦中から戦後というのはとても興味ある時代です。

    私はアラフォー。
    子供時代にはまだ祖父母が生きており戦争についての体験を聞いたりすることも多かったのですが、祖父母が他界していくにつれてそういう話しを聞くこともなくなりわからないことも多いです。

    なのでトピさんの気持ちよくわかります。そして子供を持つ世代として伝えていかなくてはいけないのにわからないというジレンマもよく感じています。

    私が子供時代はこの時期になるとテレビで特集がくまれてそれを見ていると、後ろで祖父母が「そういえばあの時代は…」と語りだし、まさにその時代のリアルな姿を身近に感じることができたものです。激動の時代の祖父母の会話には、たくさんのドラマがあり子供心に胸あつくなる物語もありました。
    なので私の場合は確かに昔への憧れみたいなものもあるのでおやじ様の意見は多少耳がいたいところですが(苦笑)

    ユーザーID:4990926957

  • 続き

    おやじ様のいう「堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び」この言葉を聞くだけでも私にはなんとすばらしい言葉だと思いますよ。
    これほど国民の気持ちに寄り添った言葉はないと思います。またこの言葉と天皇陛下のお人柄はとてもよく合っているなと昭和ぎりの世代の私は感じます。
    しかしながらこの言葉で敗戦を理解するのは無理だと私には思います。
    それを超えて勝利したという風になってもおかしくないと私などは思うので。
    事実、たくさんの敗戦の日に関連するノンフィクションを読みましたが、大半の本では雑音と難しい言葉で何をいっているか理解できなかったが、理解した一部の人の反応で敗戦を知ったというのが多かったように思います。

    横になりますが、最近BSで放送された「象徴としての天皇」の特集を見たかたいますか?
    戦後現人神から象徴となった天皇陛下として、慰問をする姿が残されています。そこで関係者から語らえた話しとして陛下は戦前はごく一部のおつきの人としか会話をすることはなかったため戦後一般の市民との会話をするときにはとてもとまどわれたそうでそれゆえあの有名な「ああそう」という言い回しとなったそうです。

    ユーザーID:4990926957

  • 最後です 長文すみません

    それが段々と会話になれてより身近な会話をされるようになっていったそうです。それと同時に国民自身も最初の映像では誰も目をあわせずうつむいてほとんど返事もできない状況だったのが、陛下が訪問される聞くと群衆自らが押し寄せて万歳三唱するほどになります。

    どうまとめていいかわかりませんが…やはり当時にあの放送を誰もが理解できたは誤りではないのかなと漠然と思うということです(笑)

    ユーザーID:4990926957

  • 一部の人はできると思います

    60歳の主婦です 

    先日NHKのドラマ玉音放送を見ました、私も戦後生まれですので、詳しくは知りません、
    ただ年齢をかさねることによって知ることもあります
    今までは耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び・・いつもここだけ使われますよね

    NHKのドラマ玉音放送は大臣の方が天皇陛下の玉音放送を録音した方のお話でした。  

    一昨日映画・・日本で一番長い日 を観に行ってきました
    こちらは戦争をいかにして終わらせたかと言うお話で、この中で玉音放送で流す分章は大臣、外務省、通訳、陸軍、海軍他10人くらいいたかな?
    一語一句何日も検討し、アメリカのポツダム宣言をいかにして受け入れ、日本の国をいかにして守るかと話し合いを重ね
    文章を書き、玉音放送にいたるお話でした。

    今回NHKドラマを見てから映画を観たので、戦時中の天皇陛下の苦しみがすごくよくわかり、涙が止まりませんでした。

    話がそれましたが、学識ある方々が検討して書いたので、理解できた人はいただろうし、理解できない人もいたと思います。

    是非トピ主も機会がありましたら、映画やNHKのドラマを見てください

    ユーザーID:6586115444

  • 矛盾した思考

    >国民に向けた詔書なので、当時の言葉で伝えていると思われます。

    そのとおりです。

    >そこを踏まえ、国民がその文章を理解しているとするならばとても語学力が高いと感じますがどうでしょうか?
    >戦争の資料館には、一般の人が書いた手紙も多数あります。
    >どの手紙も達筆且つ、とても難しい言葉が用いられています。

    その当時は、それが普通の言葉だったのです。「とても難しい言葉」ではなく日常の言葉(但し、手紙は文語体)だったのです。玉音放送はあらたまった言葉使いなので文語体に近いのです。

    トピ主が「とても難しい言葉」と感じるのは、現代語との乖離にすぎません。

    また「達筆」についても、当時は当然とされる教養でした。現代は、そんなことよりも「タッチタイピング」とか「外国語の能力」の方が価値があります。学校でも「書」より「英語」の授業の方が多いですよね。

    ユーザーID:3986938083

  • 聞こえて居れば理解したと思います

    前のレスで書いたとおり、私が聞いた玉音放送は、雑音が混じるどころか、音が途切れ途切れなので、時々聞こえてくる単語が文章として続かない状態でした。ですから、私の周りの大人達も(私の母は東京の旧制女学校を出て居ましたから、当時としては学歴のある方でした)、誰一人として放送の内容を理解した人はいませんでした。

    もしちゃんと聞こえていれば、5年生だった私でも理解して居ただろうと思います。その理由は、玉音放送の文章はその後数回読んだことがあるだけなので覚えていませんが、教育勅語は丸暗記していただけでなく、その意味も良くわかって居ましたから、同程度の文語体だったら、当時の義務教育(小学6年)を受けた人なら殆どが理解したと思います。

    日本全国の放送局の中には、私が聞いたのより、少しは性能の良い放送をした局もあったとは思います(戦争末期には、妨害放送を遮るために、どの局もわざわざ雑音を入れて放送していました)。でも、玉音放送が理解されなかった主な理由は、言葉が難しかったからではなく、放送のクオリティーの問題だったのではないかと、経験者の一人として思います。

    ユーザーID:0637438383

  • うーん・・・

    センスかな、画、数、料理、文体、色彩、等々、空間や、速度。

    理解力は、読解力の速さだよ。

    このトピよくよくわからんわ。

    実家の父の書籍に、小説で、自分が買い集めたのと、同じく現代語訳のモノがあります、筆者からの贈呈です、押印があります。

    私は初版のはなかなか読みにくくて、難解に感じ、世界文学で読破したけど同じ表記で嫌になり、なれました。マンガ世代でこっちをわりかし読破。


    表記が違うのは、戦前戦後とか、敗戦の陛下の〜ではなく、識字率!!読み書きできない人間がごまんと居ても!?いつの時代も同じ。

    医者はドイツ語カルテ等、どうして得意でない人間がドイツ語を医学の為だけに!!

    なれは正確さが命ですが必要です。

    教科書の桃源郷の記が好きでした、レ点が無いとちんぷんかんぷん、杜甫が地味で私好みです。

    悠久の中国の当時の舟に、自分が乗っているような気分に浸れます、それにルールが明快で漢詩が大好きになる、中国の知恵は奥深い。


    今の現代語表記は、現代にそわせたものになっていると思います。

    時々、漢字をJISで付け加えています。常用漢字、と、いいます。

    ユーザーID:7998130830

  • このトピ何をきいているか判んない


    高校まではわりかし基礎ですが、大学で国学を学ぶ人以外は、文系理系では。

    日本語は独自の文化です、どこの国にもない優れた表記体です。

    私は先生のあたりが良かったので、好きな作家や文章があり、選択の書道で、かな、印を掘らせて貰ったり画をやったり。

    漢字自体は中国に敵わないと思いますが、まるっきり、かなは日本古来にも近い伝統を誇っていますね、



    斉藤に沢山の漢字をあてますよね。

    かなだって、時々読めないし好く毛筆では、つなげて省略していて、ここまでくると天賦の才を、同級生に感じましたよ。




    もうちょっと簡単に説明出来ませんか?

    ユーザーID:7998130830

  • あさきゆめみし

    です、ます、ございます、だと、高校の授業でしたか・・・

    日本語は、のる、だと、その先生は仰っていました、源氏物語がいろんな方に批評をされ、そうそうたる顔ぶれです。
    本居宣長等、ようは、日本語が由来している漢語より、日本語になったと云った方がいいです。

    尊敬・謙譲・丁寧、だそうで、その、今流行りそうな映画もいいでしょうが、ナンセンスですね。順番は、重要なんです。

    きっとここに書いてる人、トピ主に何書いてもと、みんな感覚で解っていてもテストの成績は様々でしたから、そっちが疑問で、あなたは自分の解釈で、恐いです。
    担任でしたが、とても丁寧に清少納言の「はるはあけぼの〜」を解説してくれ、みんな大好きそうでした。

    暗記を冒頭はいくつかしますよね。
    マンガで、ガラスの仮面の方のアマテラス、や、あさきゆめみしは読まれているでしょうから、推古天皇を題材にしたものなどは、いかがでしょうか?
    日本語離れが進んでるような事を時々、新聞の諸説や学生時に聞いたり、あなたトピで、ここまで来たか、と、知りました。

    もうちょっといいですか?


    ・・・

    ユーザーID:7998130830

  • きく姿勢からして、変です。

    いろはにほへと ちりぬるを わがよ たれそ つねならむ

    源氏物語で、徹底した無常観でそれって平家物語だろって、仏教思想です、高名な方の奥様は、法華経だった、と。
    紫式部は、どうも清少納言に手厳しい、みんなそうだと思うし、「おうさかのせきはゆるさじ」うー それが人というもの。

    式部は正しいでしょうね、大好きですが、ふゆはつとめてを嫌いな人いないと思うので、す。

    原文の現代語表記でも、三回位お読みになってはいかがでしょうか。
    海外の教授等、お読みになるそうで、あなたは何というか・・・
    研究の一環も兼ねてでしょうけど、筆者の人柄がそうさせるんでしょうね。

    随分基礎を作って、玉音云々とお書きになっては・・・

    今を生きる人にも、畏敬の念畏怖の念は宿っています、天皇が云々ではなく、国家の一大事です。
    お言葉があってしかるべきでしょう。

    かわいそうですかね、生まれは誰も決められません、いとはかなし、私は皮肉屋ですので、せんなし、意味をなさない。


    天皇は国民側に居てくれたでしょう、おわす、いらっしゃいます、ですが、軍部政府でしょ横暴だったの。
    あなた原文の現代語訳ちんぷんかんぷんだよ。

    ユーザーID:7998130830

  • 亡き父母のお姿

    心が痛みますので、書きたい事だけを書かせて頂きます。

    「玉音放送」自身は覚えておりません。 受信されなかった、と考えます。 其の様な放送があり、内容に関する簡単な説明があった事は良く覚えております。

    何時もの皇居遥拝の儀に続いて、特別に述べられた報告の内容でした。 何やら何時もの状況とは違う、と子供心に感じておりました。

    当時から旧かな聖書に目を通しておりましたし、主なる文章は暗記しておりましたので、所謂古体、文語体には苦労は致しませんでした。

    今でも心の中では旧仮名で文章を綴っております。 それが本当の日本語だからです。 新仮名は正しい日本語ではありません。

    其の点、旧態聖書は心に染みます。 新態はさっぱりです。 英語で言ふところの King James 版です。 

    ミサもそれに付随して、羅典語でないとピンときません。 教区本部からの羅典祭典のお知らせには欠かさず出席する態度でおります。 今でも丸暗記しておりますので、何の苦労も感じません。

    このたびウエブサイトで聞いた「玉音放送」。 心が痛みました。 幼ない頃の父・母のお姿です。 

    ユーザーID:4640484214

  • 今頃すみません

    母に玉音放送について聞いたことがありますが。母が女学校時代の時で、
    どこで聞いたのかはそこまで聞かなかったのでわかりませんが。

    書かれている方が多数おられるように、雑音がひどくて何を話されているのか、全然わからなかったらしいです。国民皆でもっとがんばれということなのか?など解説する人もいたらしいですが。

    戦争に負けて泣いている映像を見ますが実際は、戦争が終わる、良かったと周囲では大喜びだったらしいです。

    ユーザーID:5927131605

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