十代の頃のバカな自分を振り返るトピ(駄)

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ジョセフィーヌ

話題

私は中学生の頃、なぜか欧米風のミドルネームやクリスチャンネームがある名前に憧れたことがありました。
しかし、純日本人&仏教徒の両親をもつ私、山田花子(仮)に生まれながらのミドルネームなどなく、自分で勝手に「ジョセフィーヌ」と命名し、同級生に「私のことジョセフィーヌって呼んでほしい」と言って回っていました。
そのうち「長くて呼びにくい」とクレームがつき「ジョセ」と短縮形で呼ばれるようになりました。

学校への提出物やテスト答案の名前欄にも「山田ジョセフィーヌ花子」と書いていましたが、英語のテストでジョセフィーヌの綴りが書けず、先生に「もう中学生なのだから、自分の名前くらいは正しく書けるようになりましょうね」と注意されました。

やがてこのミドルネームにも飽き、1年もたたずに自分では名乗るのをやめたのですが、中高一貫校だったため「ジョセ」呼びが学校内で定着したままとなってしまいました。
新しくできた友達には毎回「山田花子なのに、なんでジョセって呼ばれてるの?」と聞かれ続けるのがお約束でした。

今はアラフォーですが、きょう当時の同級生から「ジョセ元気?」とメールが届き、自分のバカな言動を久々に思い返した次第です。

皆さんにもそんな十代の頃の黒歴史はありますか?

ユーザーID:9239386741

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  • 高2の秋

    2時間目と3時間目の間だったかな、
    「タバスコを鼻の穴に全部流し込む」って1人ガマン大会をやり
    教師3人によって病院に担ぎ込まれ
    学校では一躍有名になり、後輩には尊敬されました。

    昨年の結婚式の時に友人たちにバラされました。

    主人と義家族引きまくり。
    ウチの両親うすら笑い(目が笑っていない)。
    我が妹は抱腹絶倒(楽しんで頂けて何より)。
    ウェディング姿の私、どや顔で乗り切りました。

    ユーザーID:4074328945

  • 私も。。。

    同じような理由で、カーラと呼んでもらってました。
    当時の自分にアホですか?と問いたいですよ。

    ユーザーID:9248638609

  • 好きな俳優や歌手のことを

    たがいに「彼」「彼」と言っていました。 親しい女友達のグループの中だけですが。 男の子と付き合っている人など誰もいないという時代の中学、高校時代の話です。 ささやかな疑似恋愛ですね。

    ユーザーID:2357709849

  • おもしろい

    面白いのボタン連打したいくらいです。

    わたしもあります、黒歴史。でも恥ずかしすぎて書けません。
    ポエムは書いていませんが、友達とやりとりした手紙がまだ実家に残っています。
    あれを処分してからでないと、おちおち死ねません。

    ユーザーID:0246422359

  • 私は

    主さんほどのおもしろいエピソードじゃありません。

    大学生になったばかりのころ、好んでミニスカートをはいていました。子供のころガリガリだったので、自分の足が太いことにまったく気づかず、人様の目にさらしていました。ちょっと太いどころではなく、ものすごく太いのに。
    いまさらながら周囲のみなさま、お目汚し失礼しました。

    あと、大学に入ると周囲の子たちがみんな華やかで、彼女たちを見ながら「こういう服を着るとあんな華やかな雰囲気になるんだぁ」と真似して着たりもしていましたが、どう考えても私とは人種が違う。私は地味!地味な私がキラキラした服を着て、今思えばイタかったです。

    若気の至りだな・・・。

    ユーザーID:3680679517

  • 面白い

    すみません、すごく面白かったです(笑)

    私は、バイト先の近所のお店の店長に惚れてしまい、
    あんまりガン見しまくって、みんなにバレてました(笑)

    ユーザーID:0366672544

  • 10歳のとき

    半世紀も前の子供なので、歯磨き粉の空き缶を引き裂いて、お皿やコップなどを作って、得意になって仲間に知らせ、これでままごとしようと誘い込んだものです。
    ところが、そのお皿を出したとき、みんなに怖がられてショックでした。
    手を切るおそれが有るからです。
    私自身も手を切っていながらそれには気付いてなかったんです。
    後になって、なんてばかなことしてたんだろうと自分で呆れましたよ。

    ユーザーID:2278692527

  • 吹き出した

    同じ様な中学生がいるんだと、吹き出しました。

    大阪生まれの私は中学生の時、これは笑いをとる為に
    「やまだはなこ・ナタリー」
    と名乗りました。そうです、某漫画家さんの「砂の城」の読みすぎです。
    私の風貌は、チビデブでドラム缶と言われる方がふさわしく、
    純日本人で、ナタリーのナの字もイメージはありません。

    案の定、大うけでした。
    大うけ過ぎて、ナタリーが定着しました。
    すぐに、もう後悔と言うか自分のバカバカしさに打ちのめされましたよ。

    超ショートカットに運動部で真っ黒に日焼けした、ビール瓶みたいな顔。
    お尻とお腹がぽよんぽよんの私に、皆「ナタリー♪」。
    男子もナタリーと言う響きが呼び捨てにしやすかったらしく、
    もう本当に普通にナタリーと呼ばれて、死にたい日々でした(笑い)。

    でも、今考えると、楽しかったですね〜!!黒歴史の中学生〜。
    あんなに無条件に楽しい日々は無かったと今も思っています。

    今は私の娘が中学生で、某漫画にはまっています。
    部屋には、服からタオルからポスター、自分で描いた恥ずかしい絵とか。
    きっと私の年になった時に、自分の黒歴史を思いだして悶絶する事でしょう。

    ユーザーID:3753633887

  • バンドブームの遺産

    高校の頃田んぼに囲まれた田舎に住みながらロックンロールに心酔し真夏でも素肌の上に革のライダースジャケットを着て自転車で外出していた私の事を呼びましたか?
    今のようになんでも写真に残る時代でなくてよかった。。。

    ユーザーID:3734513207

  • 名曲シリーズ

    自転車通学の時、自作の歌を熱唱し涙していましたね。山道を大声で。
    たいていは片思いの先輩への歌です。
    泣きながら猛スピードで帰り、家の近くまで来ると「お?カレーかな?」なんて言って。涙はどこへやら。
    歌は二度と歌えない思い出せない名曲ばかりです。
    おバカなりに一生懸命生きていましたね。

    ユーザーID:1355361625

  • ヨコですが

    >学校への提出物やテスト答案の名前欄にも「山田ジョセフィーヌ花子」と書いていましたが

    これやって本気で怒らない学校て、、、凄いびっくり。

    ユーザーID:3082988743

  • 私は美人

    親のせいなんです!!が、
    親がずっと「○○(私)はかわいい、かわいい」って言ってたんです。
    なので、ずっと自分はかわいい、美人。と思っていました。

    中学の時、自己紹介にも「美人」と自分で書きました。
    初めて原宿に行った時は、スカウトされたらどうやって断ろう。って考えてました。

    勉強しなくてもできる子だと思ってました。
    スポーツも万能だと思ってました。
    庶民のあなたたちとは合わない。と思って友達もいませんでした。


    ええ、実際は凡人の中の凡人です。

    高校卒業までの知人とは会いたくないです。
    小中高の同級生のアルバムを全て回収したい。

    私のミドルネームは 「エリザベス」です。

    ユーザーID:7775836000

  • 髪型が決まらないと登校しなかった

    うまくセットが決まるまで、洗面台で格闘。学校遅刻したこともあり。

    40代になった今、中学生の自分の肩を揺さぶって言ってやりたい!

    「さっさと学校に行けー! 誰もお前の髪なんぞ見てなーい!」

    ユーザーID:4372499237

  • 給食は残すな!と言われる小学時代

    それでやらかしたのは
    パンを隠して持ち帰る事でした。
    小食で全部を食べきれないのが辛かった

    持ち帰って途中で捨てるのが定番でした。
    残してはならない給食のパンを入れる袋もないため
    裸で机に放り込み、また帰りにこっそりランドセルに

    ある日、どうしてもランドセルに入らず置いて帰りました。
    翌日は固くなっており、ボロボロになりました。
    ランドセルの中でボロボロになるのがイヤで机の中の引き出しの奥に詰め込んだまま放置
    数日後に出してみるとカビ・・
    それを近くの机の男子に見られました。

    それからは「カビパン」と呼ばれるようになりました。
    中学では言われなくなりましたが・・黒歴史です。

    ユーザーID:1471255634

  • ありますあります。

    ありますよ。そんなの。
    今思うと、ギャーーーと叫びたくなるようなことの数々。
    大人になってから実家の自分の部屋を整理しにいったとき
    出てきた、当時の片思いの恋の日記とか、読んでみたら
    鳥肌もので身震いしましたよ。当時はそんなものを
    自室とはいえ鍵もかからない机の引き出しにポンと入れていただけなんて
    恐ろしいです。もしや親や姉はこっそり読んで爆笑していたのではないかと?

    家庭内の恥で済んだらまだいいですが、高校生の時には
    これまた片思いの相手に、ストーカーのような遺書のような
    ラブレターを書いて出したことがあります。
    結局ご丁寧なお断りの返信手紙をいただいたのですが、
    そのお相手が、あれをすぐ破棄し、
    私の名前など完璧に忘れてくれているよう祈るのみです。
    控えを残しているわけではないので現物を見ることはできませんが、
    おそらく相当イッテしまってたように思います(笑)
    10代だけでなく20代でも社会人デビューしたてのころは
    若気の至りでいろいろ恥ずかしい言動してましたよ。
    そういうの穴掘ってガチガチに全部埋めたいです。

    ユーザーID:0379082344

  • 消えてしまいたい。

     小学生の頃、少女漫画が流行っていました。 真似をして下手な漫画をノートに鉛筆でかいていました。成人したときに古いものは、捨てようとして仕分けをしていました。その頃に書いたノートがでてきました。読みながら顔がみるみる赤くなっていきます。「は、早く誰にも見られない内に焼いて抹消しなければ。ゴミに出して誰かにみられるなんて死んでも嫌。」

     と、そこへ、母親が来て一言。「○○ちゃんは、漫画をかくのが好きだったんだね。」ガ〜〜ン!!! そう、読まれていたのです。顔から火がでそうでした。

     似合わないのに、雑誌オリーブのような洋服を着て、子供の頃からナイスバディなラテン系や白人にしか似合わないって。その頃の自分を記憶から抹消したいですわ。

    ユーザーID:0708297109

  • 中学生のころ

    友達と3人で文化祭の買いだしに行くのに、担任の自転車を借りました。

    一人が運転、一人が後ろに乗り、私は一番ちびだったのでカゴに乗りました。
    その時点で相当バカですが。

    その後私服警官に補導されました。

    でも補導理由は、3人乗りじゃなくて、あまりにもボロい担任の自転車(鍵壊れてる)を盗んだと思われたためでした。

    警察が担任に電話して汚名は晴れましたが、3人で戻ると担任爆笑。

    ユーザーID:5205410754

  • カールおじさん

    中学3年生の時、夕食後うちでくつろぎながらなんとなしに

    湯呑み茶碗を口にあてがい、中の空気を吸って真空状態にして

    遊んでおりました。

    しばらくたってから外すと、鼻の下から顎にかけて真っ青に

    なっているではありませんか。

    真空状態になった事によって口の周りの皮膚の毛細血管が破れ、

    内出血を起こしていたのです。

    キスマークの大きいやつです。

    クラスに好きな男子もいるのにこの顔でどうして登校出来よう・・・。

    あ、マスクして行けば、でも給食の時間は?

    受験勉強よりも必死で考え、しばらくの間、母のリキッドファンデーションを塗って登校しました。

    バレませんでした。

    ユーザーID:0135775308

  • 今すぐ息の根止めてぇ!

    中学生のころ、真っ黒いノートに銀色のボールペンで小説を書いておりました
    同好の士にはそこそこ評判が良かったので密かに回し読みされてたんですね

    ある日その中の一人が青くなって「ヤバい、理科室に忘れて来た」と一言
    ダッシュで引き返すもドアを開けたら理科の先生(男)がじっくり読んでいるところでした

    それは今で言うBLネタ
    リアルで連載されていたポーの一族や風と樹の詩に影響されていた年代の頃の話です

    ご丁寧にもイラスト付きで、小道具はレースやバラ、秘密の部屋へと続くドアには赤いリボンのついた銀の鍵
    流れる涙、点描に彩られた主人公の愛と悲しみ、そして死をもって別れ行く恋人たち

    黙って返された時「フッ、、」と笑われました

    ユーザーID:9682967090

  • 黒すぎて・・・もう・・

    数々の黒歴史はありますが
    中でも一番強烈だったのは10代後半のことです。

    高校時代は運動部ではありましたが、明るい子に混ざったおとなしい地味な子だった私。
    高校卒業後、就職した会社を3ヶ月で辞めた後フリーター。
    なぜかそこで突然、思春期?反抗期?がやってきた。

    男性との経験豊富なのがカッコイイ〜と勘違いし、あらぬ方向へ・・・
    実家の自室で男性との電話のやり取りを家族に聞こえるように大き目の声でアピったり・・
    今思うとほんとうに顔が爆発しそうなくらい恥ずかしいです。
    しかも、家族全員に男好きの印象をバッチリ与えてしまった私は
    30すぎて家族(夫、子供)以外に興味なし、出不精という所帯じみたおばちゃんになった今でも
    「男遊びはするなよ」「浮気はするなよ」「旦那の兄弟に手を出すなよ」
    と実家に帰るたびに母や弟から釘を刺されます・・(涙)
    心の底からどうでもいいのにそういうこといわれ続けるのもすごくストレスで・・

    まぁ自分が蒔いた種。
    あの頃の自分を殴ってでも目を覚まさせてやりたいけど
    それで歴史変わっちゃって夫と出会わなかったら我が子が存在しない
    やっぱ黒歴史も私の大事な一部かな(笑)

    ユーザーID:7606770710

  • 爆笑!

    十代…もう地味すぎて地味すぎて 笑
    小学校からずっと片思いの同級生を密かに密かに追っかける日々
    今で言うストーカーの端くれですわ 笑

    ユーザーID:8965623268

  • まっすぐおばかでした。

    中学1年の頃、大好きな先輩が居ました。

    先輩の移動教室は偶然を装い廊下をふらつくなんて当たり前、
    擦れ違いざまによろけてぶつかる(避けられる)、
    ガン見できないから後ろに居る先輩を手鏡で見つめる(こっちも見えてる)、
    放課後先輩の靴を履く(臭いも素敵)。
    先輩の机から使いかけの消しゴムをもらい、同メーカーの新品を入れておく(妖精のよう)

    もう、なんていうかビョーキに近かった 汗

    バレンタイン、「今日こそ!!」と本気チョコを持って
    帰宅途中の先輩の50m後方でチャンスをうかがい、うかがい、うかがい・・・
    結局先輩が無事に家に着いたのを確認しただけに終わり(護衛か?)
    呼び出そうと電話をかけ、「もしもし」と先輩の声を聞いた瞬間ガチャ切り(迷惑)
    何もできない自分のふがいなさに友達と半泣きでチョコを食べた。
    そしてついに卒業式。第二ボタンなんて夢のまた夢、遠くから見送るのが精一杯。
    泣きながら先輩の机を3階から1階に下ろし自分のと交換しました。

    あの頃の私、まっすぐでバカだったわ〜。
    いい思い出です(笑)

    ユーザーID:4134913812

  • とにかくトンガってた

    皆さん、かわいい…!
    本人は一生懸命なんですよね。

    私のバカな話は
    『団体旅行とかダサくてイヤ』という理由で、高校の修学旅行に行かなかったこと。
    結構広い地域から生徒が集まっている学校で(多分親戚の家に下宿したりしてた子もいた)、恐らく財政的な理由で参加できない子もいることから、ウチの高校では修学旅行は自由参加でした。
    とはいえ、行かない生徒はまずいなかった。
    1年の時「参加しますか」というアンケートがあったのですが、迷わず不参加に○しました。
    別に学校が嫌いとか友達いないとかいうわけでもないのに。むしろのびのびしてみんな仲良かったなあ。
    実際に修学旅行の実施された2年の時、クラスでただ一人行かない私のことを気の毒がってみんながお土産買ってきてくれました。
    いい友達ばかりだったなー。

    その代り好きなところに旅行したいと親にお金もらって、小学生の弟と2人で船と寝台車の旅しました。

    ユーザーID:3995366648

  • 忘却の淵から…甦った記憶(汗)

    抱腹絶倒のエピソードが満載ですね!

    20年近く忘れていたのに、思い出してしまいました…

    小学生時代、チーズケーキを作ったら、レシピ通りの筈なのに、何を間違ったのかとんでもなく不味く、飼い犬に与えたら、2口目は後退りしました。

    時は流れて高校時代。
    同じ部活の男子に恋しました。
    バレンタインデーに止せば良いのにチョコレートケーキを作成。
    確か市販のスポンジ台を利用したとは思うのですが、もちろん恋は実らず。
    絶対に私とは無関係だと思いますが、彼は進学校にもかかわらず、学校に来なくなりました。

    その後、バレンタインデーは市販品を購入し、アレンジすることなく渡すと決めております。

    余談ですが、私の大学時代のミドルネームは「ビアンカ」でした。
    「何かそれっぽい」という理由で、友人の命名です。

    また、忘れたいと思います…

    ユーザーID:4136237038

  • 私は松の葉

    リンダさんの鼻の穴にタバスコで思い出しました。
    私は松の葉(あの細長くて先が尖っている葉)を鼻の穴に何十本も詰め込みました。
    葉の尖った先端が鼻孔の奥をチクチクと刺激する感覚が面白かったのだと思います。
    松の枝から1本また1本とブチブチ抜いては無心に鼻の穴に差し込みました。

    ・・結果、鼻の奥に細菌が入り炎症を起こして耳鼻科へ駆け込むことに。
    医者と親が「なんでこんな炎症がおきたのかわからない」と首をかしげていました。

    ユーザーID:2836405301

  • モガ

    10代、といっても限りなく20歳に近い頃まで、悶絶の歴史を引きずる者です。

    小学5年生ごろのある夏、早めのお風呂にはいった私は、もっと美しくなりたいと切望して、なぜかそこにあったたわし(あの茶色いとげとげのやつです)で顔をこすりました。出てきた私の顔は真っ赤。唖然として私を叱責するする両親。ちょうど訪問中だった優雅な親戚のおばあさまに「女性ですもの、きれいになりたいわよねえ」とまじめな顔で言われたことをまだおぼえています。

    18歳ごろかな、母とクラシックのコンサートに行きました。モガに憧れていた私。でもあんな帽子持っていなくて、なんとか頭を小さくまとめる方法がないかと考えました。ひらめいたのが黒いタイツ。くるくると頭に巻きつけて出発。会場で衆目を集めたのはすごく粋だったからと信じていました。。。

    ユーザーID:0043803387

  • ナスター者

    申し遅れましたが、私のミドルネームはナスターシャです。ナスターシャ・キンスキーに憧れておりました。もちろんあんな妖艶で彫りの深い顔ではありません。。ですので、さすがにテストの答案には書けませんでした。

    一度だけ「ナターシャ」と呼ばれたことがあります。海外で働いていたときの取引先の男性。おそらくはNで始まる私の日本名を覚えていなかったからでありましょう。満面の笑みで「ナターシャ!!」と叫んでくれました。

    ユーザーID:0043803387

  • ジョゼ

    >自分で勝手に「ジョセフィーヌ」と命名し、同級生に「私のことジョセフィーヌって読んでほしい」と言って回っていました。
    >そのうち「長くて呼びにくい」とクレームがつき「ジョセ」と短縮形で呼ばれるようになりました。

    それは、ふつう「ジョゼ」と濁った発音になるんじゃないですかね(ジョセフィーヌはフランス語だから)。惜しい!!

    ユーザーID:6239089979

  • 穴があったら入りたい

    1.小学校の頃。何かの漫画をマネして、当時好きだった沢田研二さんと恋人同士と仮定して
     日記を書いていた。「今日はジュリーが手を握ってくれた」とか・・(恥
     
    2.高校生の頃、好きだった先輩の事を綴ったポエムが大学ノート2冊ほどあった。
     詮索好きの父親に見つかった時は怒るしかなかった(大恥

    3.同じく高校生の頃。憧れていた先輩(上記とは別人)を一目見ようと
     毎日早めに登校し、靴箱の前で立っていた。挨拶しただけだったけど(笑)

    お蔭様で、高校までは進学校でしたが、勉強どころではなく
    なんとテストで最下位をとり、大学は三流私大です。

    あの頃先輩に現をぬかしていないで勉強していたら今頃は・・・。

    ユーザーID:4640683939

  • もちろんありますよ

    実際にクリスチャンネームを持ってます。
    そうか、これに憧れたんですね。なんか可愛いです。

    さて私の黒歴史ですが・・・
    自分はシリウスという星の王女様で、修行のために地球に落ちてきたと信じてました。
    いつか迎えに来てくれるはずの冬の星、シリウスを窓から眺め、手を差し伸べて待ってました。

    それにポエムと日記。
    これらは結婚と同時に焼き捨てました。



    他にもいろいろありますが、恐ろしくて書けません。

    ユーザーID:5255855924

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