渋谷の恋文横丁をご存知の方

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生活・身近な話題

高原列車は行く

昔々、渋谷に恋文横丁という横丁があったそうです。
ラブレターの代筆屋さんがあったことからその名が
ついたそうです。私が興味を持った頃は既に存在せず、
ビルの谷間に木製の記念日が建っているだけでした。

恋文横丁をご存知の方、これを見ていらっしゃったら
どんな横丁だったのか教えて頂けませんか?

よろしくお願いします。

ユーザーID:2183212194

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  • うん

    ものの本で読んだだけなので、私も知りませんが、渋谷の恋文横丁の言葉を聞くと、ブラジル(?)の映画「セントラルステーション」を思い出すのでレスしました。あの映画を見て、何処の国にも代筆屋は居るのだなと、当時思っものですから。貴女の質問の答えにならずすみません。

    ユーザーID:9873577642

  • お店かと思ってました

    恋文横丁という入り口が郵便局の形の洋食屋さんがありましたが、そちらとは違うのでしょうか?

    そういった道があったのですね?
    もしかしたら、その道にちなんだお店だったのかな。
    オムライスが美味しく可愛い店内で渋谷に行くときに楽しみにしていたのですが数年前なくなってしまいました。

    ユーザーID:4499126557

  • 興味を持ったので探しました

    >渋谷に恋文横丁という・・・
    昭和の匂いがしますね。

    どんな場所か興味を持ったので、インターネットで「恋文横丁 渋谷」を検索しました。

    「恋文横丁此処にありき」という碑が文化村通りに面したヤマダ電機渋谷店の横に存在するそうです。

    小説家 丹羽文雄さんの「恋文」が1953年に映画化され、そこから始まったことを知りました。

    写真を見ると、昭和の飲屋街、飲食街です。 今も大井町にある飲屋街が同じです。

    ユーザーID:7381741311

  • アイドル天使ようこそようこ

    タイトルのアニメで知りました。たしか、ようこが終戦直後の渋谷にタイムスリップする話。
    で、詳しく調べてた当時の同人誌読みまして、それによると進駐軍の米兵相手のラブレターの代筆していたのが由来だそうです。
    機会ありましたら見て下さい。DVD-BOXあり(ちなみに私はLD-BOXで)。

    ユーザーID:3317301290

  • ネーミングがロマンチックなだけですよ。

    東急109の裏手、プライム(当時は緑屋)の裏出口の階段を数段下って(今でも裏出口があるかどうかまでは不明)道玄坂に抜ける小径あたりのことですね。単なる大衆酒場が軒を連ねているだけの場所でしたよ。

    「恋文横町」なんていうとロマンチックですが、普通の若者は立ち寄らないような汚め路地でした。当時の若者は公園通りとかファイア通りの最新のお店とかに流れていたので(文化屋雑貨店とか、ナイロン100%とか)。

    ただし、レトロブームの影響でゴールデン街とか大衆酒場に行く若者が増えているそうなので、今、「恋文横町」があれば、若い人も集ったかもしれませんね。
    バブルの前まで(80年代の初期)は、東京のあちこちに、闇市から発生したと思われる、同様の路地があちこちにありましたね。

    懐かしいと同時に、現時点で書き込んでいらっしゃる方が1人も「恋文横町」の現役時代を知らないという事実に、自分の老いを悟ります。

    ユーザーID:6300865898

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  • 父に聞いた記憶が。

    私が大学生だった頃、ここに恋文横丁というものがあったという看板か何かを見て、父に「あれ何?」と聞いた記憶があります。父は高校時代(昭和20年代)、渋谷が通学経路だった人なので。
    確か「なんかそんなのがあった気がするな。飲み屋がある狭い路地だった」と言っていたような。「ゴールデン街みたいの?」と聞いたら「もっと狭い」。
    渋谷のくじら肉屋さんに行った時に歩きながら聞いたような。。うろ覚えでごめんなさい。

    ユーザーID:2041098024

  • 昭和のふつうの横丁

    すでに書かれている方もいますね。

    戦後にいわゆる進駐軍の兵士と仲良くなって、彼氏が帰国後に手紙を書きたいけど思いをしたためることができない女性のために英語の恋文を代筆している方がいて、そういう目的の女性が多く訪れた場所だったそうです。(彼氏と女性がそもそも会話できていたかは不明…)
    同じような代筆屋さんは所々にあったみたい。

    1980〜90年代に入り口横にあった「レンカ」という洋食屋さんによく行きました。10年くらい前にのぞいてみたら、無くなっていましたね。

    横丁自体は特筆することもない普通のせまい横丁でしたよ。代筆屋さんもそのころ既に「だからこの横丁をそう呼ぶらしい」という感じで存在してなくて、たまに新聞のコラムに載るくらいだったかな。
    昭和一桁生まれの父親は戦後にウワサを聞いてどんな感じか見に行ったらしいけど(ヒマだね)、昼間だったからか「何もなかったし、そういう女性も見なかった」と言ってました。

    昭和な横丁は渋谷には他にもあって、新宿にも、それこそ多くの駅近くにはどこにでもあったけど、もう都市部ではほぼ見ませんね。下町にはまだ残ってるかなぁ。「純喫茶」なんてあるのかしら?

    ユーザーID:6224467132

  • 今の109のところに恋文横丁がありました

    「恋文横丁」という呼び名は、丹羽又雄の「恋文」という小説に由来します。
    映画化されてから有名になりました。
    朝鮮戦争当時、日本に配属された進駐軍のアメリカ兵が停戦後帰国した後、彼らにあて、
    英語のできない女性のために、アメリカ兵相手のラブレタ−を書く代書屋があったことに由来します。
    小説で、主人公はここで代筆を商売にしていました。
    実際の横丁は、昭和40年に焼けて、今は渋谷109が建っています。
    ご覧になった碑は、その記念のものです。
    また、109ができる前は、文化村通りから道玄坂へ100m足らずで抜けられる小路が残っていました。
    渋谷駅のハチ公口を出て、文化村通りがはじまるところです。

    今は、チェーンで閉鎖され、
    通路に見える部分も数メートル先で行き止まりだそうです。

    ユーザーID:7883217296

  • 渋谷村

    「恋文横丁」は聞いた事はありますが、実際に覚えてはおりません。

    渋谷は回りは完全に民家が立ち並んでおりました。 ビルは無かったはずです。 何処かに小川があったかな?  駅は表からは其処が駅なのかは分からない風体でした。 交差点に交通信号は無かった。 大体クルマが走ってなかった。 

    ちんちん電車が道玄坂から降りて来るやつがありました。 青山車庫預かりの車両です。 あれに乗って山の上まで登ると焼け跡のトウキョウが一望できました。 警視庁前を通って、お堀端を伝って、有楽町、銀座、そして築地行きでした。 十円くらいだったはずです。

    当時は省線も一回り十円でしたので同じ金額でした。 何回乗っても十円。 確か原宿は止まらなかった。 駅はあったような気がします。 後、止まらなかったような記憶があるのが秋葉原に品川の次の駅。 大崎? 夫々貨物駅でした。

    駅の切符切りは二人くらい。 恵比寿駅は一人でした。 出る人がいると待たされました。 両駅とも階段はあった記憶です。 

    ユーザーID:1004036089

  • 皆様、ありがとうございました。

    みなさま、レスをありがとうございました。
    お返事が大変遅くなり申し訳ございません。

    普通の飲み屋街だったのですね。ありがとうございました。

    特に与太郎様の戦後すぐのお話は大変貴重でありがたかったです。
    戦後の渋谷を想像する事ができました。

    その頃の物かもっと後なのか分かりませんが、道玄坂に古い建物が幾つか残っていますね。
    (とは言え、最後に出かけたのがもう数年前ですので今も現存しているか不明ですが。。。)
    純喫茶”ライオン”でしたか、時代をタイムスリップしたかのような店内に感動しました。
    今でも営業しているのでしょうか。

    本当にありがとうございました。

    ユーザーID:2183212194

  • そんなタイトルの芝居がありました

    昭和41年だったと思います。渋谷の東横ホール(現在あるのか、それとも別の名前で残っているのかはしりません)で、そんなタイトル(確かそのままの「恋文横丁」)の芝居を上演していました。
    堺駿二や石井均がその公演で出演していましたが、その番組で出ていたかは記憶にありません。(ちなみに、晴乃ピーチク・パーチクが別の番組ででていました)
    セットは、回り舞台にバラックより少しましなような一杯呑み屋の店内があって、舞台が回るとその裏の部屋内といった作りだったように記憶しています。
    ストーリーは、その一杯呑み屋を中心にした主人と客たちのドタバタだったと思いますが、定かではありません。
    このように、その時代にあっても、すでに郷愁の対象になっていた場所でした。

    ユーザーID:5785287010

  • 通いました

    戦中最後の生まれです。
    大学生だった頃の話です。田町から渋谷まで20円でした。
    渋谷恋文横丁には、バラック作りのラーメン屋さんが建ち並んでいました。
    ラーメン25円、タンメン40円、餃子25円。
    美味しかった。味まで思い出しました。

    ユーザーID:6201456590

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