七五三をしてもらいましたか

レス25
(トピ主1
お気に入り28

家族・友人・人間関係

さなえ

40才女性、田舎市出身。子供の頃は、親がギャンブル好きで、裕福な家庭ではありませんでした。

先日サザエさんで七五三の話題をしていましたが、私はお祝いをしてもらいませんでした。

三姉妹ですがひな祭りのお祝いも無し。誕生日のお祝いも無し。

お年玉は、親戚からもらったものを親が回収し、そこから数千円渡されました。

クリスマスは母がなぜが好きだったようで、大きなクリスマスツリーを飾り、ケーキもごちそうもありました。プレゼントは缶ペンケースなどで、隣の家の子がドールハウスをもらったのを羨ましく思ったのを覚えています。

大人になって政令指定都市に住んでいます。育った環境もみなさん様々。私と似た家庭環境だった人もいれば、驚くくらい裕福な環境を「普通だよ」という方もいます。

皆さんは七五三などのお祝いをしてもらいましたか。
幸せな家庭環境だった方、そうではないと思う方、どちらのお話も聞きたいです。

ユーザーID:9228017631

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア facebookでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

レス

レス数25

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 七五三って祝うもの?

    お祝いといえばお祝いなのですが、誕生日やひな祭りとは祝い方が違う気もします。
    七五三で一番大事なのは神社にお参りすること。
    無事の成長を神前に感謝し、今後の成長をお願いすることです。

    私の子ども時代は親が着物を着せてくれて、神社にお参りして、
    写真館で写真を撮り、
    同居の父方祖父母に挨拶をして、お赤飯を持って車で40分の
    母方祖父母に挨拶に行っただけです。

    特別にごちそうを食べた記憶もありません。
    千歳あめが歯にくっついて銀歯がとれたのは覚えてます。

    正直連れまわされて、大変だったという意識しかなく、
    祝ってもらった意識はないです。

    でも、成長儀礼ってそんなものかも知れませんね。
    お雛様だって子供の頃は
    人気キャラクターのお人形の方がいいのに・・・と
    思っていましたから。

    ユーザーID:2829299086

  • 京都は十三参りも盛んです

    2人の娘達は、七五三はもとより、十三参りも滞りなく行いました。
    関西では比較的盛んなこの行事ですが、京都は特に嵐山法輪寺でのお参りがよく行われます。
    数え年13歳の時に息災を祈願をするのですが、同時にこの頃から本断ちの着物を着せて、着物への嗜みを養うとも言われる行事です。

    生まれてから、丁寧に慈しんで育てた娘が、女の子から大人の女性への入り口に立った事を喜び、
    その年まで健康に過ごせたことを感謝し、さらに将来の息災も祈るという大切なこの行事は、いろんな事を考えさせる貴重なものだと感じます。

    幼児期から親が心を寄せて丁寧に育てた子供は、自然に自分の人生を大事に扱うようになり、同時に他者への配慮の気持ちも育ちます。
    自分の可能性の限り努力する意志、身綺麗にする女性としての心がけ、他者と和む鷹揚さ。
    そうしたものを身に着けて、本当の大人の女性になってくれるようにという、親の気持ちのこもった大切な行事です。

    ユーザーID:5232601287

  • 形として

    それなりに何でもしてもらい、子どもにもしてきました。
    だからといって、良いも悪いなく、どうでもいいもののように感じています。
    成長過程ではやった方が良いような気もします。
    季節や成長を感じる意味で、写真やお料理やお菓子や贈り物、目に見える喜びは心が暖かく豊かになります。
    特に和菓子が日本人の美しさを感じます。
    和のものでお祝い事を心がけ文化として楽しんでいます。形として形から。
    九州の大分佐伯市の「城山堂」のお菓子は美味しいです。地方の店でレア好みにはいいです。
    高級有名店では「たねや」も誰からでも好評でおすすめです。

    ユーザーID:0523113724

  • してもらっていません

    44歳横浜在住。関東他県出身。
    北海道出身の両親です。

    父は普通の収入の会社員ですが、家計を任された母が浪費家です。
    だから家も持てず古い団地住まいで、父は76歳なのに今も働いています。

    1歳半下の妹と共に塾や習い事もさせてもらえず、高卒で就職が当然でした。
    4畳半に妹と一緒なのが嫌で早く出たくて、結婚相手を探しました。

    七五三、してみたかったですね…
    何の得にもならないイベントなんか、母が計画するわけないのです。

    幼稚園の卒園式も悲しい思い出です。
    女の子は赤や黒のお祝い的なエナメル靴をみんな履いていましたが、私だけいつものくたびれた運動靴。
    数日前から履いてみたいと訴えていたけど、当然却下。
    母に知られぬよう密かに泣いたのを覚えています。
    雛人形も当然ありません。従姉は0歳で買ってあったのに。

    現在私は、大学生の娘に好きなことをさせてやりたく、いろいろ頑張っています。
    住宅ローン返済はきついですが、いずれ娘の財産になるし。

    ちなみに母の浪費の原因は買物と飲食代です。
    専業なのに万単位の財布や鞄、昼食は外食するなど。

    ユーザーID:6389202147

  • ???

     七五三は、3歳の時はお宮参りに行った写真が残っていますが、自分自身はまったく記憶無し。写真も普通のスナップですし、普通にお参りに行っただけの感じで、凝った衣装などは身につけてないですね。

     誕生日もプレゼントといっても本を1冊買ってくれるだけでしたね。クリスマスは一切なし。

     金銭的には裕福でしたけど、子どもにぜいたくをさせる親ではなかったのと、めんどくさがりで行事は不要というタイプでしたので、子ども自身は特に実感はしてなかったですねぇ。簡素なのが普通でした。でも、学費だとかは何も不自由させなかったし、留学して留年した時も何も言わずに余分な1年分の学費は出してくれました。給付奨学金はもらったので、日本側の在学校の学費以外はかかりませんでしたけど。

     必要なものには使い、「よそはよそ、うちはうち」が徹底されていたので、「そんなもんか」という感じでしたね。

    ユーザーID:5825868355

  • 家族・友人・人間関係ランキング

    一覧
  • 55歳女性です

    地方の県庁所在地出身です。10歳上の姉がいます。

    姉の場合は、きちんと着物を着て写真館で撮ったきれいな写真が残っています。妹の私はというと、一応着物の写真はあります。でも、写真館で撮ったポートレートではなく、自宅の前で取ったあまりにも適当なスナップ写真。足元は草履ではなく、なぜかナイロンのつっかけ(笑)

    普段の食事内容も、ハンバーグやコロッケなど母の手作りのおかずは姉が大学入学で家を出て行ってしばらくしたら、段々と消えていきました。誕生日のおかずやケーキなども、特に記憶はなく、ある年はちょうど土曜の丑の日だったので鰻が余分にあっただけでした。鰻は母の好物です。

    クリスマスだけは、ケーキ三昧でした。24日に母の好きな生クリームのケーキを食べ、25日には値下げされた生クリームのケーキをまた買って食べていました。父はほとんど食べなかったので、母と2人で食べていました。私は少食だったので、圧倒的に母が食べていたと思いますが。その上、その頃は、なぜか親戚の叔父さんなどがクリスマスケーキを手土産にくれることがよくあったので、毎年3個くらいはケーキを食べていました。

    ユーザーID:8212036270

  • 関東の行事

    元々、七五三は関東地方の行事です。着物で儲かるので関西にも広まり、その他の都市にも広がったと聞いています。デパートがそれを広げたのだとも。サザエさんでその話題が出るのは不思議ではありません。40才の方なら子供の頃には広まっていた筈ですが、お母様の時代には浸透していなかったとは思います。

    ユーザーID:0112863926

  • 63才主婦です

    当時私は東京に住んでいました。
    写真が残っています。振袖を着て頭に大きなリボンを付けて両親に連れられてお参りに行く写真です。
    実は一足先に父方の祖母から着物が送られて来て、それが人絹の粗末な着物で母方の祖母はとても嘆いたそうです。「こんな着物を着せるなら家で用意したのを着せたい」。一足違いで遅かったらしいです。
    しかし私はその粗末な着物を見て「きれいねえ」と大変喜んで離さなかったと言います。その結果、私は2枚の着物を持ちながら粗末な人絹の着物でお参りしたとのことです。セピア色の写真の私は無邪気に笑っていました。
    御雛祭りも母のお雛様を飾ってもらいお祝いしました。食いしん坊の私は雛あられや、菱餅が気になりたぶん煩かったと思います。
    幸せは長くは続きませんでした。両親が結婚した時、東大病院で父は余命一年の宣告を受けて居たそうで、母は二十歳でした。
    父は重い病気で妻子を連れて帰省し、坂道を転がるように悪くなり、私が7歳で倒れました。私を置いて出て行きなさいと祖母に言われた母は今でもこの家に居ます。
    医学の進歩に支えられ、父は私が21才まで生きてくれました。闘病の毎日でした。

    ユーザーID:9931628753

  • 半々かな?

     還暦近いおばさんです。
     三才の時は。よそいきのワンピース着て。
    頭にリボン付けて。自宅庭で千歳あめの袋を
    持った写真があります。
     七歳の時は。姉二人は。着物を着た写真屋さんで
    撮影したであろう写真がありますが。私はありません。
     母にどうすると聞かれて。断った記憶はあります。
    言いわけをすれば。どうすると聞いた母の言外に。
    面倒なのよねという思いが感じられたから。母の顔色
    伺ったわけで。有無を言わせず、とってほしかったかな
    との思いはずっとありましたけど。
    クリスマス・・という家庭でなかったし。親戚少なかったので。
    お年玉もそんなにいただいた記憶はありません。
     でも、娘三人。高等教育を受けさせで。老後資金や介護資金を
    子供に負担させたわけでもなしですので。

     自身の子の時。半分面倒・・という思いがよぎったので。
    母のことをとやかく言えないなと思いました。
    (着物を着せ、写真も撮り。お参りもしました。)

     子をもって知る親の恩と言いますが。今では過ぎたことと
    思っております。

    ユーザーID:4566175081

  • 40後半

    40後半、中国地方でたぶん普通の家庭育ち。
    七五三はしていないです。3歳、5歳?お正月に着物を着て写真屋さんで撮った写真があります。
    氏子でもなく神社にまったくお参りする家ではなかったので何とも思わず。

    私は子供がいないので縁がないのですが、今年、弟の初めての子供が三才、着物を買う買わない、写真館、神社の予約、両家で食事をするしないで 大変だな〜と 遠くから見ています。弟も僕達の頃はしなかったのに 今は、無頓着な家ではないかぎり、ほぼ友人もしているので、大変だと言っていました。

    昔は家の考え方次第、平成はほぼ、何かしらしている感じがします。

    ユーザーID:3480574293

  • してもらっていません

    家庭環境として、父が40才を過ぎ家庭をもっているにもかかわらず、定職にもつかずある資格を目指して勉強中。
    アルバイトみたいなこともしてたけど、ギャンブルもするみたいな感じ。
    母もパートをしてたけど、父は母が働くのはイヤだったみたい。
    だからキツキツの生活だよね。

    それでも母は七五三とかひな祭りとかやりたかったみたいだけど、子どもが元気に育っていればやる必要はないって考えだったからなし。
    でも誕生日は祝ってくれたような気がする。

    成人式の着物は社会人だったから自分で買いました。

    ユーザーID:9518408323

  • 50歳

    女性。九州出身ですが、七五三はしてもらっていません。
    誕生日、プレゼントと、クリスマスプレゼントは、時々
    あったかもしれません。よく覚えていません。
    お年玉は、親の元へいきました。

    ユーザーID:7270829000

  • 京都ですが

    十三参りは盛んでしたが、七五三はそれほど皆がしていたようには思えない。

    先日電話で、母から七五三はした?と聞かれて、うーん、祈祷くらいしてもらおうと思ってるが着物は着せないと答えると、それでいい、小さい子なんて本人は窮屈なだけだから十三参りで着せたらいいと言ってました。
    貧乏じゃないですよ大学院も出してもらってるし。お決まりのスタジオで前撮り、七五三の恰好をさせて満足みたいなのは本質と思えないので。

    ユーザーID:4828956338

  • 行事は一律じゃない

    40歳。うちの娘と同じ歳ですね。

    先年、娘の子供が七五三を祝いました。
    その時に聞いたのですが、娘旦那様の出身地では七五三はないそうです。
    近頃は十三参りも全国的になってきたようですが、最近までは京都を中心に関西の行事でした。

    トピ主様の年齢なら、情報が飛躍的に発達して、全国の様々な物が他地方にも伝わったり、商業的な目的で新たに喧伝されたりした頃です。

    現在一般的に行われている行事を、その頃してもらえなかったからと言って必ずしも、ご両親がそれを無視したとも言いきれません。

    トピを拝見すれば、失礼ながら確かに裕福ではなかったかもしれません。
    ですが、その中でお母様はクリスマスを祝って下さったのです。
    恐らく子供が一番喜び、友達間でも話題に登るであろう行事です。子供にも子供の付き合いはありますものね。
    そこはきちんと押さえて下さったと言う事を忘れないで上げて下さい。

    貴方が御自分がしてもらえなかったと残念なのなら、ご自分のお子さんに、そう思わないようして差し上げれば良いのではありませんか。

    ユーザーID:5986160630

  • 食べ物抜きだった

    七五三は綺麗な着物を着せてもらって、神社にお参りに行きましたが、なぜか千歳あめは無し。
    (多分、お参りだけしてご祈祷はしてもらわなかったのだと思います)
    テレビや漫画で千歳あめなるものを見聞きする度に、いいなあと羨んでいました。

    約30年後、我が子の七五三の時に、ついに実物を見ました。
    神社の神主さんからもらった七五三セットの中に千歳あめがあったのです。
    子どもが食べたがらなかったので、自分で食べてみました。
    素朴な甘みでした…。

    ひな祭りも雛人形は飾るのですが、菱餅やひなあられや白酒は無し。
    今思えば、全国区で有名でも、地方ではマイナーで、近所の商店とかに売られてない物だったんですよね。
    今どきはどこででも手に入りますが、身内に女の子がいないので、これらは未だに実物を飲食したことがありません。
    クリスマスや誕生日やお年玉は十分なことをしてもらいましたが、ひな祭りの食べ物にはかすかな憧れがまだ残っています。

    ユーザーID:8472467725

  • 補足

    自分の時の七五三についての記述が抜けていました。

    現在50代前半ですが、3歳の時、着物を着せられて神社の中で扇を興味深そう拡げて見入っている写真が残っています。
    5歳の時は兄弟のお祝いが優先で私はワンピース、7歳の時に再び着物を着ています。
    この時の着物は、着物好きな親がわざわざ京都から取り寄せた品だと聞かされました。

    自分に限らず、節目節目の行事は出来れば丁寧に執り行いたいと思い、子供達にもそうしてきました。

    ユーザーID:5232601287

  • 昭和39年自治体主催の合同七五三

    昭和34年生まれの北関東育ちです。
    十三参りは地区の子供会単位でバスを仕立てお参りする地方です。着物は少数派でした。
    七五三のご祈祷は小学校の学区単位で「合同七五三」と称するお祝い行事がありました。
    今の成人式の子供版です。
    女の子はツーピースとかフォーマルっぽいワンピース。男の子は半ズボンのスーツで出席。公民館の庭でひな壇に並び撮った集合写真があります。
    世の中が高度経済成長期にさしかかって、我が子に晴れ着を着せる事にことさら喜びが大きいのが私たちの親の世代でした。自分自身は戦中戦後でそれどころじゃなかったと。反物を買い母が仕立ててくれた七五三の晴れ着を着てぽっくりを履き母の実家までバスに乗っていった事、叔父に当時は貴重なカラー写真を撮ってもらった事、大きなリボンの髪飾りに蝶々がバネで飛んでいた事、末広を逆に開いて壊した事…懐かしい思い出です。
    田舎の、特に裕福な家ではありませんでした。そういう行事に価値をおいて頑張る時代、地方だったのだと思います。
    我が家の娘たちの七五三は晴れ着を着せて、写真館で家族写真、近所の神社でご祈祷、父方家族と祝い膳、母親実家へご挨拶というコースでした。

    ユーザーID:3582814102

  • してもらってません

    私が1歳の時、仕事が続かず酒癖が悪く暴力を振るう父から母は着の身着のまま一人で実家に逃げ、私が5歳で父がお酒で命を落とし母に引き取られるまで親戚をたらい回しにされていました。
    その後私が8歳のとき母が再婚しましたが、義父は甲斐性なしでした。

    とてもとても七五三なんてしてもらう余裕はありませんでしたよ。

    お年玉、うちも一緒。結局親戚同士でお札交換してるだけでしたわ。

    ユーザーID:6009719779

  • 都内出身の35歳です

    七五三、3歳7歳共に着物を買ってもらいお参りにお祝いもしてもらいました
    お雛様もその着物をきて毎年両家祖父母が集まりお祝いしました
    弟がいたのですが同じく七五三も端午の節句も小学校卒業までしました

    公務員のごくごく普通の家庭だと思います

    同年代の夫も七五三のお祝いのビデオを見たことがあるのでしています

    子どもが5歳3歳になるので今年お祝いをしました
    両家祖父母を呼んでお参り、お祝いの食事会(お店で済ませてしまいました)
    写真館での撮影

    ママ友の話を聞くと写真だけ撮り終わりという方もいますが、それなら意味はないのではないかなぁ…なんて思いますがお話を聞いたらご自身はしてもらわなかったので写真をとるのが七五三だと思われているようでした

    今でも着物は着なくともお参りしたよという方もいらっしゃいますよ

    トピ主さん親御さんの気持ちが欲しかったのですよね
    七五三の思い出など…
    新しい幸せな思い出で重ねられますように

    ユーザーID:5397342862

  • してもらってないです

    一人っ子でそれほど貧乏ではなかったと思う(母は教員)のですが、
    そういうイベント事は全くしてもらっていません。

    七五三はその行事の存在すら、我が家では完全にスルーされていました。
    お年玉は母が全部回収(親戚はみな子供が複数いて何人分も渡すが、
    うちは一人だから損だ、という意味不明の理由を言われました)し、
    私の手元には一円も残りませんでした。
    もちろん、それを私名義の貯金にしていたなどという美談ではありません。
    クリスマスはカトリック系の幼稚園に通っていたので、
    周りのお友だちもクリスマスプレゼントの話で盛り上がっていましたが、
    母に話すと「うちには煙突がないからサンタさんは来ません!」
    の一言で終わりでした。

    父は娘に甘い人でいろいろしてやりたかったようですが、
    零細企業の営業マンで、経済的にも母が主導権を握っていたため
    手出し口出しが出来なかったようです。
    大人になって父娘二人で飲んでいるときに何度も「すまなかった」と
    涙の謝罪を受けました。

    ユーザーID:3174094696

  • お参りしました

    40代前半です。
    愛知県に住んでました。

    祖母が和裁をしていたこともあり、
    姉も私も3歳と7歳の時、着物を着て神社へお参りしました。
    祖母(母方)と家族4人で食事に行ったと聞きました。
    いとこが祖母ときた事もありますし、
    いとこの七五三について行ったこともあります。


    クリスマスはケーキを食べプレゼントをもらいました。
    ツリーは高さ1mくらいで大きくはありませんでした。

    誕生日は誕生会をするのがはやっていたのか、
    お友達をよんでやってもらったこともあります。


    ひな祭りは7段かざりがありましたが、
    姉が「私のもの」と言います。実家にあります。
    ちらしずし、貝のお吸い物、ひなあられは
    定番だったかもしれません。

    お年玉は全額母に渡していましたが、中学生くらいの時、
    今までのお年玉。と20万円位入った通帳をもらいました。

    普通だと思ってました。母が貧乏育ちだったので、
    こどもに貧乏な思いをさせたくない。と思っていたようです。
    貧乏話はたくさんあります。

    今回驚いたのは
    「ひちごさん」と入力したら変換できませんでした。
    覚え間違いしてました。
    「しちごさん」なのですね。

    ユーザーID:8440409090

  • 七五三は別

    ごくごく一般的な階層の家族です。

    うちは、
    誕生日やクリスマスは、ごちそうも、ケーキも、プレゼントもありました。


    でも七五三は、誕生日やクリスマスと一緒に考えるのは違うような。
    神社にお参りに行って、祈祷はしてもいましたが、
    特に、お祝いらしきものはしていません。
    祈祷をお願いすると、「榊」と「千歳あめ」くれますので、買ってもらったって幹事ではないですね。


    ただ、うちの両親は一回しか使わないものにお金をかけるのは嫌な人たちなので、
    七五三も、成人式も、入学式も、卒業式も、
    衣装は全部借り物でした。レンタルとかじゃなくて、親戚から借りる。


    私たちもみんな結婚して子を儲けて、
    両親は祖父母になりましたが、誕生日やクリスマスのプレゼントは欠かさずくれます。でも、一回しか着ないものにお金を使うのは嫌な主義は、今も継続してて、
    祖父母に買ってくれなんて頼んでいないのに、
    親の私たちが買うと、愚痴愚痴言ってきます。

    ユーザーID:3506595572

  • してもらいましたよ。普通だと思ってました。

    39年生まれの当時埼玉県にて。 住んでいたのは当時人気だった?公団で父は普通のサラリーマン(一流とか大企業とかでは全然ないです)

    七五三は美容院で髪と着付けをしてもらい、写真館で写真を撮って、神社に行きました。
    帰りの車の中で酔って吐いて着物を汚した、と聞かされました・・。

    お雛様も5段か7段飾りのがあり、団地で3部屋しかないうちの1部屋にデーンと飾ってくれてました。
    お雛さん用の飾られてる重箱?に入れた雛あられをつまんで食べたり、三人官女や家老でリカちゃん人形もどき遊びをしてました。
    なのでみんなそうなのだ、と当たり前と思っていたら義実家では義姉にお雛様はなかったと聞き、よほど貧乏だったのか?と思ってました。

    こうして思い出してみると自分は良くして貰ったんだなぁ・・と今は亡き両親に感謝で一杯です。ここで言わせてね。
    「お父さんお母さん、本当にありがとうね。」

    ユーザーID:9303518952

  • ひもおとし

    紐落としの意味でしょうか?3歳の時です。着物を着て神社にお参り。
    5歳7歳は無かったような…。
    理髪店でおかっぱ(ワカメちゃん)にしてもらい 家でお白粉と口紅塗ったかな?
    6歳下の妹の時は 父の転勤で同じ地方の隣県 少し人口の多い地域。着物はもちろん 美容院で着付けやヘアセット…アップに結って お化粧もフルメイク。千歳飴もありましたね。
    同じ3歳 ひもおとしですが 土地柄で多少差が。
    やはり5歳7歳は無かったです。
    ひな祭りはお雛様飾って ちらし寿司。ただ 転勤で狭い社宅だったのでお内裏様だけ飾ってました。
    特に友達やお客様を招くことも無かったです。

    ユーザーID:8527718837

  • トピ主です

    レスありがとうございます。

    両親は幼い頃に親を亡くしたので、私は「親がいることをありがたく思え。刃向かうな」と育ちました。

    些細なことでも疑問を言うと、暴力をふるわれたので、子供らしい我がままも言えませんでした。

    普通の基準が自分だったので、大人になって他の家庭の話を聞き、普通の違いに驚きました。最初はイライラしたのですが、羨ましいからだと素直に認めたら、楽になりました。そして幸せな家庭の話も聞きたいと思うようになったのです。

    レスで七五三の思い出を読むと、あたたかい光景が浮かびます。大切に育てられたのだなぁと思います。

    モンブランさんのお札交換には、確かにと笑いました。お年玉を親からもらえる家庭があることを知ったときは衝撃でした。

    ユーザーID:9228017631

あなたも書いてみませんか?

  • 他人への誹謗中傷は禁止しているので安心
  • 不愉快・いかがわしい表現掲載されません
  • 匿名で楽しめるので、特定されません
[詳しいルールを確認する]
レス求!トピ一覧