カラーボックスの思い出

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生活・身近な話題

あま

 先日、長く使ったカラーボックスを廃棄しました。三段のありふれたカラーボックスです。
 20年以上前、東京の大学に進学するため田舎から出てきて、一人暮らしを始めたときに買ったものでした。
 当時、両親は二歳上の兄の世話をして、私にはお金を出してくれましたが、後は放置でした。入学やアパート入居の手続き、生活用品の購入など、一人でやりました。
 疲労と空腹と心細さでボロボロ涙を流しながら、ドライバー片手にカラーボックスを組み立てたことを思い出しました。
 兄は二浪して同じ時期に東京の別の大学に進学、なぜか母は兄のアパートの掃除やら世話しに行ってました。父はノータッチでした。
 今、私は当時の母と同じ年齢です。まだ中学生ですが同じく二歳違いの兄妹の子供がいます。
 もしタイムマシンがあるなら、過去の私に会いに行って一緒にカラーボックスを組み立てて温かいご飯を食べさせてあげたい。頑張ったねって言ってあげたい。
 カラーボックスを見てたら、そんな切ない気持ちになって涙が出てきました。
 昔の自分を思い出すような思い出のある物ってありますか。良ければお聞かせください。

ユーザーID:6754155295

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  • 私はオセロ

    主さんの話、涙ながら読みました。

    私も子供がいますが、およそ、30年前に買ってもらったオセロを小学生になった子供とやる瞬間は、今は亡き親とやった思い出が甦りました。

    実家にいると、子供時代に過ごした自分と、小学生の子供が被り幸せでもあり、親がいない寂しさもあります。

    物にも物語がありますよね。

    それと、昔の物って丈夫なんですよね。なかなか捨てられないです。

    ユーザーID:0548224628

  • 児童書の想い出

    子供の頃、親が買い与えてくれた児童書がありました。
    世界の童話や物語が国ごとに全集になったもので確か十巻ありました。
    それぞれの話も挿絵も素敵で、私の大のお気に入りでした。
    多分、本の選択センスからいって母親が選んでくれたのだと思います。
    母は優しく深い愛情で私を育ててくれました。

    反対に父親は反りが合わない人でした。
    外面ばかりよく家族には我儘で自分勝手な人。
    私のお気に入りのその全集も、私に断りもなく知らない間に誰かにあげてしまいました。
    大切に扱っていつか結婚するときは一緒に持って行って、自分の子供にも読ませようと思っていたのに。

    月日が経ち、実家の父から私の子供に本が数冊送られて来ました。
    いずれも過去に父が私に買い与えた本です。
    いわゆる名作であったり、推薦図書とされるような本ばかり。
    どれも思い入れなど無いから結婚して家を出る時も置いていったのに。

    ずっとそうだったんです。
    私の価値観は否定され、父の理想ばかり押し付けられる。
    もう沢山です。
    送られてきた本はカビ臭いのもあって全部処分しました。

    あの児童書の全集、もう一度読みたいな…
    子供達にも読ませたかったな…

    ユーザーID:5657489620

  • 本箱 テーブル

    私は還暦過ぎていますが
    大学に入り、下宿生活をしていた若い頃の話です

    私の母は冷たくて、父母も良い関係ではなかったので
    私は家を出るために遠くの大学を受験し、
    合格した後は下宿生活を送っていました。

    一年ほどたって、父が私の下宿(アパート)にやってきたのですが
    「お前、女の子がこんな暮らしをしていてはいかん」と
    即、近所の家具屋に連れて行かれ、
    本箱とテーブル、小さな食器棚を買ってくれました。
    (カードの普及していない時代なので、現金払いで)
    「まったく、あいつ(母)は、少しも娘を世話しないから・・・」
    と父の嘆くこと。
    後日、小型の冷蔵庫と照明器具も送られてきました。
    (それまで裸電球を釣っていたのです)

    母からはカーテンが送られてきました(父に叱られたようで)

    当時の私は、娘の私に興味のない母を、
    そんな人だと受け入れていましたが
    やさしかった父の親心が、やっぱり嬉しかったのですね

    食器棚は結婚後、処分しましたが
    小さいテーブルと本棚は、なんと今も持っているのです。

    捨てられません。
    (テーブルはこのパソコンの隣に置いてます)

    ユーザーID:3832996821

  • あ〜。わかるわ〜。

    私も同じようなことがあります。
    兄弟に差をつける親でした。
    わたしは、親に見てもらいたくて、人に見て
    もらいたくて、寂しくて頑張っていたのですが、
    認めてもらえることはなかった。
    弟には、手厚く普通の親子してましたね。母は。
    私には、参観日、親子教室もこなかった。
    私の友達の親の交流一切なしで、役員も一切無視。
    私が何か、よそのお母さんにしてもらったことを母に話しても、
    お礼の電話もしてくれなかった。
    だから、いつも自分で、母が、お礼を言いたいといっていました。
    と、嘘ついていました。
    弟には、私と逆の対応。異性の子供は、かわいいのか。
    私も、当時の母と同じ年齢になりました。小さかった私を抱きしめて、
    存在を認めてあげたい。そして、私を可愛がって下さった先生や友達の
    お母さんにお礼がいいたい。
    そう思ってしまいます。

    ユーザーID:4283506833

  • コールテンくん

    というクマのぬいぐるみのお話の絵本、小さい頃大好きでした。その絵本がきっかけでクマのぬいぐるみコレクションをしていました。子供が生まれて実家から持ち帰り、子供達と読んでみて気が付いたのですが…実はウチの息子コールテンくんにそっくりなんです。絵本を真似てクマの顔をしてくれます。

    ユーザーID:3931683956

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  • カラボよ、ビンボーインテリアの友よ

    トピ主さんの感慨に共感大で、思わず投稿します。
    私は進学で地方から上京、親に無理をさせたのでかなりのバイトが必要な財政状態でした。当時はまだバブル崩壊ちょっと前、富裕層の子女が多い学校で、夏休みは家族でスイスよ〜とか言う同級生を尻目に、毎日バイトに勤しむ苦学生でした。インテリアにお金を掛けるなんてとんでもない。
    ですからカラボはまさに救世主。某オ○ペの特集などを見ながら、ホームセンターの特売980円とかで買い込んだカラボを汗まみれで抱えて運び込み、組立・結合、布やテープを貼ってデコって悦に入ってました。完成後にお茶を一服するのは至福でしたね。
    一工夫の加工で収納以外の使い道があり、社会人になっても重宝してましたが、結婚・引越を期にさすがに一掃。その時に処分したカラボは実に20個!中には、上京時から使っていた20年モノも。

    おしゃれなソファとかキャビネとかちゃんとした書棚を買えない一人暮らしだったけれど、自分、がんばってきたよな、と思いました。
    カラボよありがとう!

    トピ主さん、お互い、これからも楽しんで暮らしていきましょうね☆

    ユーザーID:8069391817

  • 同じ状況でびっくりしました

    私も2歳年上の兄がいて、兄の2年後に地方から上京をしました。
    今から10年前のことです。
    母は二年前は兄のためにせっせと世話を焼いてアパート探しはもちろん、
    身の回りの品を買いそろえたり必要なものを田舎から送ったりしていました。
    対して私の時は、兄と二人でアパートを探しに出かけさせ、お金も私が必要だと申告した分だけ与えてくれました。
    いや、ぜんぜん、幸せだったと思うんですよ。
    上京させてくれて私立の大学の学費をだしてくれて、アパートも与え仕送りももらいましたので。
    虐待されてたわけではないし。
    でも、やはり、今でも悲しい思い出です。
    主さんはカラーボックスがその思い出の象徴なんですね。
    廃棄されて、辛い思い出もなくなるといいですね。

    私は2週間後に結婚式を迎えますが、子供に恵まれた際は自分の子供に同じ思いをさせたくないなぁと今から思っています。
    女親が男の子がかわいく思えるのは仕方ないのでしょうが、子供から言わせればそんなの何にも関係ない話なので。

    ユーザーID:1840338472

  • 頑張ったね

    私もタイムマシンに乗って近所の親切なおばちゃんとして、
    心細いのによく頑張ってるね、とか、声をかけにいきたくなりました。
    涙が出そう。

    物を見ていて当時を思い出すのって、ありますよね。
    私の場合は、庭の塀につけた目隠しです。

    15年近く前、結婚したときにいまのマンションに越してきたのですが、戸建て育ちの夫が庭がある1階にこだわったため、外から室内が見られてしまうんじゃないか、目隠しつけたいけど、コンクリート塀だからつけにくいよねなどと言っていたのです。
    すると手伝いに来てくれたうちの母が、実にてきぱきと目隠しのアイディアを出してくれて、車高の高い車の運転席まで考え、また強風でも大丈夫というところも考慮してくれたお陰で、頑丈な目隠しがつけられました。
    いまもあります。
    庭を見る都度、当時の母を思い出します。

    いまの母は認知症です。
    あのときはあんなに明晰だったのだなと寂しく思わなくもないけれど、受け入れた日々にも色々あったので…辛いのかな私は…、でも、母が頼りがいのある人だったことや、感情的にならないで落ち着いてきたというのは嬉しくもあるので、なんだかしみじみしてしまっています。

    ユーザーID:0704308193

  • やさしいのね。

    私の場合のカラーボックスのフル活用術。

    廃棄しません。とっておきます。

    復讐のアイテムに使いますわ〜。

    いよいよ介護を頼まれます、母親がアテにして頼んでいた兄弟達はアテにはならない。してくれるのが当然で普通だったので、いざ重荷で面倒となると去ります。すると、邪険にしていた子供を今度は頼ってきます。その演技力は賞をとるくらいですよ。しかたなく手助ける場合にフル活用のカラーボックス。

    〜このポット、生きているかどうかを確認する機能が付いているのよ凄いでしょう、プレゼントしてあげる〜

    〜この電話機はGPS付で今どこサーチ機能も付いているから、散歩のときは身に着けてね、野垂れ死にしても見つけられるわよ♪〜

    〜大丈夫、兄弟達の掃除洗濯世話を数年間するくらいだから、デイサービスなんてホントは要らないんじゃないの?訪問介護も無しにして位たいくらいだわ通帳預かるね当然〜

    カラーボックスにそれらの品々を納めます。

    これは私が学生時代に使っていたお古だから気にしないでね。自分で組み立てて大変だったわ。お母さんは他の兄弟の世話で大変だったものね!

    ざ復讐の章がこうして始まるんです。

    ユーザーID:0214716712

  • 四角い物置(棚?)

    カラーボックスは私も駐在員家族の方から譲ってもらった事があります。3段になってました。なぜカラーボックスと言うのか、今もって解りませんが。。。

    私が手放すのにほんとに残念だったのは、板を四角く打ち付けた棚です。洗濯場の棚が2段に出来るのに、そのままオープンにしてあったので、ここを2段にしたいと思って、でも、自分では作れず。 お隣のお兄さんが大工道具を沢山持ってるのを、見た事があったので話してみたら、早速作ってあげるからと作ってくれたものです。とても丈夫で。

    引越し先にも持って行きたかったんですが、何しろ重い。何の木材を使ってるのか重いのです。

    女手ではとても持っていけないと判断し、置いて来ましたが、返す返すも勿体無く悲しかったです。今でも思い出すと持ってくれば良かったと後悔の年念にかられます。

    ユーザーID:5095180261

  • 私にもありました(笑)

    約20年前の話ですが、出産の為、帰省した時の話です。
    年末に無事、男の子を出産し、実家に戻り赤ちゃん、どこに寝かせよう?の問い掛けに、母が出して来たのが、カラーボックスでした(笑) その中にバスタオル巻いた座布団敷いて、寝かせんさい。 1ヶ月しか居ないんだし、それで十分よ!と……高さもあるし風よけにもなる!みんな(兄弟)が、分かる(認識)物じゃないと、踏まれるでしょ?それに、持ち運びも楽々!と……(笑)
    母は、私に赤ちゃんと、一緒に横に寝かせたらダメよ!
    寝惚けて潰したら大変と、キツく言い付けられました(笑)
    そんな息子も、もう直ぐ20歳になります。

    ユーザーID:3620180260

  • 切ないような、温かいような気持ちになりますね

    トピ主さんはとても素敵です。
    いつかお子さんが何かでつまずいたりしたら、この話を
    して差し上げてください。

    さて私は、断捨離という言葉が無い時代から、節目節目に
    モノを捨てまくってきました。捨てたい思い出ばかりというか。
    良い思い出にもちょっとは嫌なエピソードがくっついていたり
    するじゃないですか、そういったものを根こそぎ捨てまくってきた人生です。
    頑張っていた昔の自分さえも思い出さない生き方…
    後悔は無いけれど寂しい人生ですよ。

    ユーザーID:3299274017

  • 私もカラーボックス

    主さんのトピを見てうちにあるカラーボックスのことを思い出しました。

    私は去年結婚しました。その新居にもあるカラーボックスは、中学生から使っています。ちなみに今は31歳です。20年ほど使っています。

    私の親も娘の私には厳しく、新しいものを買ってくれることはなかなかなかったです。

    中学生、高校生、大学生で一人暮らし、社会人になり実家に戻り、また出て一人暮らし、そして結婚してまでの新居にもどこにも必ずいたカラーボックス。

    私の人生をほぼ見ているもの。親よりも私の姿を知っている。

    先々月、娘が誕生しました。

    特別大事に扱った訳ではないけど私の娘にも会ったカラーボックス。

    私の人生、いつまでついて来てくれるかな。

    ユーザーID:1980528098

  • 涙でちゃった

    読みながら涙でちゃった・・・。
    私にも弟がいましたけど、両親は本当に同じにしてくれました。
    同じ愛情を倍にして注いでくれる人達でした。

    私が涙が出てしまったのは、私自身がその愛情を上手く受け止めれらなかった事です。
    トピ主さんと反対で、きっと私の親は何度も涙した事でしょう。
    今になればそれが親の愛だと分かるのですが、
    当時の私はカラーボックスさえ拒否して、買わせない様な強情娘でした。
    親からそうされるのが嫌で。
    自分で買って自分で組み立て、それが自立だと鼻に引っ掛け。
    親に連絡を取らない事が大人になった証拠だと、余計な心労をかけ。
    そんなちっぽけな家具で自立だなんて笑わせる。
    私が結婚する時、目の玉の飛び出る様な家具を用意してくれた両親。
    こんなものは要らないといって、両親を困らせました。

    今なら、地面にひれ伏して謝ります。
    私の為に、無条件でそんな事をしてくれる人は、誰もいません。
    連絡なしに朝帰りしても、ご飯を用意してくれる人はいません。

    馬鹿な自分を、カラーボックスで思いだして泣きました。
    でも、思い出させてくれてありがとう。
    私はあの頃に戻って、自分の頭を殴りたいです。

    ユーザーID:5363899965

  • ダイニングテーブル

    私の父はちょっと暴力的な人で…物を投げたり壊したり暴力ふるったり。

    私が新婚し、新生活スタート!という時に目に入ったのがダイニングテーブルです。

    「ああ、実家のダイニングテーブルは父が暴れて足がポッキリ折れたっけ」と、ふと思い出して、「私はそんな家庭にはしない」と心に強く思ったのでした。

    コタツは父が何度もちゃぶ台返ししたし、ソファは危険だし、テレビが原因でコップ投げつけられたなぁ…カーテンに隠れて泣いてたなぁ…ここには書けないようなこともいっぱいあったなぁ…って最初の頃は思い出してたけど、最近は忘れてたわ(笑)

    夫は優しく、親とは疎遠です。幸せですよ。

    ユーザーID:7497318953

  • バブルのころのジージャン

    実家は裕福な方なのですが、生活面担当の母がお小遣いというものをほとんどくれず、
    「何でも買ってやる」と言われて買い物に連れ出されても、結局は
    私の欲しいものはことごとくケチをつけられ、買ってもらえませんでした。

    「ずっと使えるようなものじゃないと!」と、普通の童顔の女子中高生なのに、
    パーカーとかカジュアルな服はだめで、田舎のアラサーOLでも着れそうな地味服ばかり
    あてがわれ、すっかりオシャレに興味がなくなってしまいました。

    大学は進学させてもらえたけど、仕送りは餓死しない程度といったほうがよく、
    毎日銭湯に通っていました。(弟たちは二人とも風呂付のマンション)

    そんな中で、生活費の足しにバイトを始め、そのお金でファッション雑誌に載っていて
    すごく憧れてしまった、DCブランド?のジージャンを買いました。
    いつも高校生のころの地味服を着ていたので、周囲の人にも「かっこいいな」と驚かれました。

    今見ると生地をふんだんに使った信じられないシルエット(笑)ですが、
    頑張った青春の記念に、当時のものでは一着だけ、今も残してあります。

    ユーザーID:8407161728

  • いまだに解せぬ事

    兄の小学校入学に合わせて買った、白いチェスト。

    兄にはそう、カラーボックスとほぼ同サイズのもの。
    そして一歳下の私には、幅が半分のサイズのもの(たぶん大小ワンセット)

    「お兄ちゃんは片付け上手なのに、どうしてあなたは…」

    そりゃーそうでしょうよー。

    こんな、サザエさん家の電話台程度の収納で収まる訳がなーい。

    でも当時の私はそんな事には全然気づかず、素直に怒られ凹み、努力した。
    お陰で狭い所に極限まで物をキッチリ押し込むのは得意。旅行カバンとか。

    当時に戻れたら一言、「皆、気づけー!」と言ってやりたいです。

    ユーザーID:2777534921

  • 綿入れのねんねこ

    高校卒業して、地元・親元を離れて初めて一人になって専門学校の寮に住んでいた頃。

    bee-aさんと同じ気持ちだったのかな。親がわずらわしくて、それに自由そうに大学生活を送る裕福な友だちが羨ましくて、なんか拗ねていたんです。

    だから連休に地元に帰ってもろくに親に顔も見せずに、勝手に遊んで学校のある町へ戻ろうと駅へ行ったら、、そこに、、

    手に綿入れのねんねこ半纏を持って、父と母が寒そうに改札の横に立っていました。(あ、いたいた)と両親が歩み寄り(寒いだろうからこれ持っていきなさい)と手渡してくれた。

    その時、私はどうしたんだろう、うんと言ってダサい模様のねんねこを持って特急列車に乗った?忘れてしまった。思い出すのは小雪が降る寒い駅の改札に立っていた二人の姿のみ。

    その時私は19か20歳。落ち着くのにこの後まだ10年ほどかかる。結婚したり離婚したりと親に心配と苦労を味あわせた。そんな中、父は癌で死んでしまった。

    子供って残酷よね。幸い母は健在なので生きている限り何か楽しいことをプレゼントしたいと思っているんです。

    ユーザーID:8984802547

  • その気持ち

    こんにちは
    もちろん例外はあるのですが、母親は男児をより可愛がるのはなぜでしょうか
    弟大事、を隠そうともしない両親には、もう何の感情もないですね。葬式にも行くつもりはないです
    トピ主さんも私も、本当に頑張った。ほめちゃう

    子供を持って気が付くこと、こんなに可愛いのに(娘です)
    なぜ両親は私を邪険にしたのだろう。その事実に暗然とします

    横ですが、霧雨さんの絵本集、母と子の名作絵本、というタイトルでは?と思います
    私もいつも読み返して、その世界に遊んでいました
    全10巻、アメリカのおはなし、からはじまりにっぽんのおはなしで終わる、学研の絵本集かなと
    実家転居の際処分されて、しばらく忘れていましたが、やはり子供に読ませたく
    古書店のオンラインショップで購入しました
    違っていたらごめんなさいね

    ユーザーID:8479535869

  • うちは姉妹間で差が出ました

    わが家の場合、姉がぶきっちょさんで、
    カラーボックスや組み立て式の本棚を
    自力で組み立てるのがやっとです。

    姉は子供のころ大病をわずらい、
    病院も親族一同も手を尽くしてようやく助かったので、
    両親は姉に危ないことをさせませんでした。
    はさみもナイフも針も触らせなかったそうです。

    姉は幼稚園や小学校で、工作と家庭科の時間に、
    授業についていけず苦労していました。
    父母は自分たちの過保護ぶりを反省し、
    姉と私に道具の使い方を特訓しました。

    その結果、妹の私は自分で図面を引いて
    必要な木材やネジの量を割り出して材料を購入し、
    一人でオリジナルの棚を作ることができます。
    立体裁断のぬいぐるみも型紙を起こして縫えます。
    洋服のリフォームもレース編みも刺繍も、
    ビーズのアクセサリーの制作もできます。

    実は私、子供の頃に姉の家庭科の宿題を
    代行したこともあります。
    差がついちゃってごめんね、お姉ちゃん…。

    ちなみに箱ものの収納家具の組み立ては
    対角線上のネジを交互に少しずつ締めるのがツボ。
    1か所だけ全部締めちゃダメです。
    プラスドライバーのサイズを合わせないと
    ネジ穴がつぶれます。

    ユーザーID:2538701147

  • 制服

    2歳上の姉が中学に進学するときは、洋品店で採寸し、制服をしたてました。仕上がった制服を着て写真を撮ったり祖父母に見せに行ったり大騒ぎでした。

    2年後、私の時は、母がふと思いついたように私を店に連れて行き、既成の制服を購入しました。嬉しそうでも何でもなく、支払いでため息。

    家に持ち帰ってしばらくして、姉が「制服少し小さいから新しいのにして」と私の制服を奪いました。
    母は、「我慢して」。
    私は聞き分けのいい子だったので、「それ、私には少し大きめだからいいよ」と笑顔で譲りました。
    姉は癇癪持ちなので、家が荒れるのが嫌だったのです。
    多分、母も同じだったのです。

    姉が卒業し、もともと私の物だった制服が回ってきました。
    「あんたはお古ばっかりね」と馬鹿にされました。制服は、袖が痛んでいました。
     
    6年生だった私にあえたら、「泣いて怒ってもいいんだよ。我慢しなくていい。」と言ってあげたいです。

    ユーザーID:2839126436

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