昔は貧しかったんだな〜 やっぱり(駄)

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かちかちやま

話題

昭和二十年代生まれですが、今から思えば
昔はやはり貧しかったんだな、と思います。
今の若い方々には想像もつかないでしょう。

例えば
1 バターなんて食べたことなかった。
  まっ黄色なマーガリンを市場で量り売りしていて、
  それを食べてた。
  悪玉コレステロールなんて、誰も知らなかった。
2 テレビがない家も沢山あり、私の家に近所の
  人がテレビを見に来ていたことあり。
  ただし皇太子(現天皇)ご成婚をきっかけに、
  テレビを買う家が激増した。
3 電話もない家があり、電話のある近所の家に
  「電話の呼び出し」をして、相手に連絡していた。
4 髪を洗うのは固形石鹸で、シャンプーもリンスも
  知らなかった。

・・・後戻りする自信ないです。
それでも、昔はこれが普通だから、
別に貧乏だなんて思ってなかったなあ。

ユーザーID:6821764611

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  • 質素で静かで平和だったね。独特の時間が流れていた。

    そうですね。

    別に貧しい家では無かったけど、家には物があまりなかった。衣服も小さな商店で少ない品物の中から選んで買ってた。案外高かった。

    小学校の頃、冬物の厚手のソックスが、自分の物は2枚しかなくて、

    足の裏のところが擦り切れて薄くなって穴が開くと、他のあまり布で裏から自分でツギを当てて、寝る前に縫って、翌日それをはいて学校に行ってた。

    正月なんかも、今のような豪華な難重箱のおせち料理などは作らず、ほとんどの家が農家だったから、自分の家で作った芋やレンコンなどを煮物にして、自分の家で作ったもち米で年末に持ちをたくさんついて、お飾り餅やお雑煮持ち、などを作り、それで正月を過ごした。火鉢で役お持ちは惜しかったし、子供のおやつ用の薄い餅もあ理、火鉢で焼いて食べてた、質素だった。

    クリスマスホールケーキも存在せず、ある時期に世に登場して驚いた。「家の光」や「主婦の友」などの雑誌で広まった。

    道路には車が少なく、普通の住宅道路では、毎日子供が道路に絵をかいて遊び、車がいないので、翌日は、その絵でまた続きを遊んだ。近所の色々な年齢の子が毎日、周辺の道で日が暮れるまで集団で仲よく遊んだ。

    ユーザーID:0973206336

  • アパートにお風呂が一つ

    私の子供の頃最初は六畳一間の掘っ建て小屋で、お風呂どころかトイレが玄関の外にありました。
    雨の日には傘をさしてトイレに行ったんだ。
    その後引っ越してアパートに住んだのですが、8部屋に対してお風呂が一つしかなく、誰それさんが入っているから次声掛けてねーなんて。
    シャワーなんて洒落たものはありませんでしたよ。

    ユーザーID:5985575163

  • 夫が20年代生まれです

    夫が子供のころの話を聞くと時代の差を感じます。

    ・風呂は水道がないから水は井戸から桶で1杯ずつ入れた。もちろん薪で焚く。→そりゃ湯をザブザブ使ったら叱られたわけです。昔の人は時々しか洗髪しなかったけど不潔なんてけなす気になれない。

    ・まだ給食がなかった。お昼はお弁当、家が近い子は家に帰って食べた。母親たちに「味噌汁当番」なるものがあって交代で学校で作っていた。

    ・川で洗濯していた。汚れ具合で洗濯場が決まっていた。オムツは一番シモ。雨が降ろうが雪が降ろうが手を真っ赤にして洗っていた。

    ちなみに住んでいたのは都市近郊の農村です。
    今は住宅地になってびっしり家が建て込んでます。

    ユーザーID:9820706453

  • バターとマーガリン

    一人暮らししてた頃、節約のために業務用のマーガリンを買ってバターの代用品として使ってました。バターはあまり買っていませんでした。
    一応、平成生まれです。

    ユーザーID:4899923852

  • 毎日午後は停電

    私(59・男)の子供時代ですと盛夏の午後は夕方まで停電(供給停止)でした。

    我家(名古屋市内)ではテレビ・ラジオもなかった。伊勢湾台風の時も新聞の天気予報だけだった。あれだけ我家はよく助かったものだ。

    冬季の暖房は正月だけ火鉢を使った。当時の子供達は風邪をひいて鼻水を垂らしているのが普通で、鼻水垂らしていない子供は上流家庭の子と誤解された。

    我家はたまたま乳酸菌飲料販売店をしていたので、1960年代当時から冷蔵庫はあったものの、木製で氷で冷やす冷蔵庫だった。

    国道並みの幹線道路でさえ舗装されていなかった

    盛夏は干天続きになると土木事務所から散水車が出動し、砂塵を抑えた

    トイレは汲取式

    冷房があるのは近所の医院だけだったので盛夏に医者へ行くのが楽しみなこともあった

    自家風呂はなく銭湯利用なるも盛夏でも週に1回しか行けず、我家では「行水」をした

    当時は近所の商店街が活気ついていた。現在は大規模小売店舗ができて商店街はなくなり徒歩で買物に行けず、50年前のほうが便利だった。近年はコンビニエンスストアがアチコチにできて50年前の便利さがもどりつつあります。

    ユーザーID:8108370008

  • 井戸で水を汲んでいた

    それでも井戸のある家は恵まれた家でした。もらい水していた家も沢山ありました。
    夏休みの宿題に手伝いと言うのが有り、水汲みが有りました。何回もお風呂に運びました。
    電話のある家は近所で家くらいで、かなり遠くの家まで呼び出しを頼まれました。今では考えられません。何軒も先の家に「電話ですよ」と呼びに行くのは子供の役目でした。考えて見たら変ですよね。「東京の山田さんから電話ですよ」等と近所の人を呼ぶんですから。電話を持っているだけで用が増え、夜でも朝でもお構いなしでした。
    夜になると近所の子共がテレビを見に集まりました。ハリマオとか恐怖のミイラとかジャガーの目とか。するとおしっこを漏らす子なんかがいて「どこの子だろう」と母があわてて親を呼びに行きました。
    悪い事ばかりではありませんでした。人がいっぱいいて助け合いました。お葬式も助け合って家から出せました。子供が沢山いて近所は賑やかでした。
    美味しい物なんかなくてもおにぎりを食べて元気に遊びました。
    昔、もらい水をしていたおばあさんのいう事にはトイレの水をザーと流すのも気が痛むそうです。何か分かるなあ。

    ユーザーID:1655721814

  • 私の子供時代は

    昭和47年生まれです。子供の頃は家にシャワーがなくて、風呂釜のバスクリンのお湯をすくって洗髪してたなぁ。

    テレビも普通にダイヤルみたいのを手で回してた。
    電話もダイヤル式の黒電話。

    懐かしいな…

    ユーザーID:5331607096

  • 昭和四十年代生まれです

    何回か引っ越しています。

    最初に記憶に残る家の柱に『米穀通帳』なるものがぶら下がっていたのを覚えています。敗戦後の食糧難の時代の名残でしょう。使用されていたかは解りませんが。

    そこには電話がなく、隣の大家さんにお借りしていました。程なく電話がきましたが、四十年代でも電話がない家は案外多かったです。幼稚園の名簿の電話番号のところに(呼)マークがついている家は珍しくありませんでした。うちも次に住んだ家のお隣さんに電話をお貸ししていました。

    最初の洗濯機は脱水槽がなく、ローラーに洗濯物を挟み、ハンドルを回してローラーで絞るというものでした。今なら全自動や乾燥機付が普及して、脱水槽って何?の世界でしょうか?

    近所のお友達のお母さんがせっせと盥に洗濯板で手洗いしていました。今思うと姑さんが洗濯機を許してくれなかったのかも。お友達から、お母さんがおばあちゃんにいじめられていると聞いたことがあります。

    リンスを知ったのは幼稚園の頃。若い叔母に銭湯で教えられました。そういえばお風呂がない家もありました。今ならお風呂シャワーなしは考えられないし、乾燥機付洗濯機もなくなったら私は泣きます…

    ユーザーID:8826194504

  • 3杯注いでまだ余る!

    昔、コカ・コーラの500mlの瓶が発売された時には「ホームサイズ」と銘打って、そのテレビCMでは「3杯注いで、まだ余る!」と言ってましたっけ。家族でチビチビ分けて飲んでたなぁ。
    今では500mlのペットボトルなんて1人で飲んじゃいますよね。

    そんな時代を知っているせいか、今でもコカ・コーラが大好きで、500mlを1人で飲み干しては「良い時代になったなぁ」と満足です(笑)。

    ユーザーID:5607269042

  • 今もそんなに変わらない

    昭和30年代後半生まれですが
    1)マーガリンだけで、バターは家でつかった覚えは無い。
    2)子どものこりテレビ無しでした。(友達のところに見に行った)
    3)小学校ぐらいまで、電話なかった。(近所や友達宅からの呼び出し覚えてます)
    4)これも小学校までは固形石鹸でした。

    ということで、同じようでしたね。

    1)マーガリンしか買えない。
    2)節約のため、家電無しで、携帯だけ。中学1年こどもも携帯無し。
    3)経済的に苦しくて、テレビもずっと無いまま。でも、一家に一台のコンピュータ(自営)でYoutubeでこどもは時々みてる程度。
    4)子どもの頭は今でも固形石鹸オンリー

    あれ?少なくとも、2015年の12歳の家の子、あまり変わりない生活してます。ちょっとショック。

    学習机も、ダイニングテーブルも、コーヒーデーブルもいまだに買えません。
    子ども部屋もなくて、勉強は小さなソファの上。プライバシーが欲しいときはお風呂場の椅子で、本読んだり、私の携帯でネットしてます。いいのか?

    ユーザーID:1758677361

  • 貧しかった?いやいや、、、

    それ、どれを読んでも「貧しかった」じゃなくて、時代が変わっただけじゃないです?

    スマホが出だした直後は「誰もスマホなんて持ってなかったなあ」ってなるだろうし、、、

    ユーザーID:2031014828

  • かちかちやまさんの

    思い出話に、でした!でした!と膝を打つほど全く同じ思い出を持つ21年生まれです。
    おっしゃいますように私もあの頃に還りたいと思ってる訳ではありませんがあの頃は本当に沢山の時間があってとっても充実していたような、、。

    学校への往復は友共と尽きぬ夢や思いを語り合いペコペコお腹をすかして帰宅するとコンビニなんてなかったし素敵なケーキなんて見た事も無かったけど何時もの所にいつもの母親が用意してくれた素朴なおやつがありました。偶にはおやつと呼ぶには不恰好過ぎる(?)お芋さんだったり、、、

    勿論母親の姿は見えなかったけど母親の思い(愛なんてそんな素敵な言葉など知らなかったみたい)と一緒にそれを頬張ってとっても満ち足りた気持ちになっていた事を思い出します。

    そして今、
    欲しいものはいつでも何でも買い与えられクリスマスにさえ欲しい物もなさそうな様子の孫達、、

    そして又お正月に買ってもらった真新しい下駄を縁側で履いて怒られおろす元旦迄枕元において寝ていた自分の姿と重ねほんの少し侘しい様な気持ちになったりのババです。

    考えてみると豊かさって一体なんなんでしょうね、、、

    ユーザーID:8202248699

  • そうですか?

    モノがないのが貧乏ですか?
    単に「物のない時代」だった、というだけのような・・。

    40歳からパソコンを始めて15年。パソコンない生活は考えられませんが、
    40歳までの私は貧乏だったか?いや全然。

    ユーザーID:7748421827

  • 貧しいという訳じゃないけれど

    母が亡くなり、実家を整理していると沢山の端切れの布地や毛糸が出てきました。
    そう言えば、昔は子供の着るものも既製品でなく、母が縫ったり編んだりしてくれた。
    その他、外食産業もスーパーもないから食事は当然に手料理ばかり。
    何でも自分で作っていた、今の専業主婦よりもっと忙しかったと思います。

    その母とともに時代が過ぎ去って行ったような気がします。

    ユーザーID:1468514145

  • 「貧しい」とは違うと思います

    貧しいというのは、何かと比較した場合の結果であって、
    日本全体がそうであったなら、それが文化です。

    テレビも高価過ぎて庶民には手が届かず、
    電話もそれほど必要不可欠な機器ではありませんでした。

    終戦からわずかな期間で見違えるように進歩した日本は、
    底力がありました。

    現在の贅沢な暮らしと比較する対象ではないと思います。

    ユーザーID:3269434312

  • 後戻りは無理です(駄

    貧しいと言われる若者もスマホは持ってる。

    「マーガリンは体にいい」なんてメディアも言ってたぞ。
    今や「食べるプラスチック」とさえ。

    「今の子は電話で連絡してから遊びに行く」と固定電話が普及したころ
    批判的な言い方も聞いたし。

    これは貧しいとは離れるが、変化するものに脅威を感じるのかね。

    あえて石鹸派、お湯だけ派もいるけど
    わざわざなんですもの。

    みんながそうならなんとも思わなくなる。
    いきなりは非常事態でも無い限りそりゃ戻れない。

    ユーザーID:8005127597

  • 昭和40年代生まれ

    トピ主さんほどではありませんが、私も昔は豊かではなく、バブル景気に乗ってだんだんと生活が豊かになって行ったことは感じていましたよ。
    ファストファッションは存在せず、母の縫った服を着る。
    ケーキといえば、生クリームではなくバタークリーム。
    ジュースは今のように豊富な種類はなくて、お米屋さんのプラッシー。
    米穀通帳を持ってお米屋さんで米を購入。
    レタスにハムを乗せたのがご馳走だったのが、普通に毎日お肉を食べる生活に。
    大学生のころはまだショルダーホンを得意げにぶら下げている人が存在していました。
    今は子どもも携帯電話持ってるんですから。
    この20年はパソコンやタブレットなどの通信機器はずいぶん様変わりしましたが、食生活などはあんまり変化を感じなくなりました。

    ユーザーID:5398712749

  • そうそう

    私は30年代生まれですが、歯磨き粉がチューブではなく「粉」でしたよ。
    ヤクルトが小さくて可愛いガラス瓶に入って売られてましたね。
    どの家庭にも牛乳箱が家の前にあって、そこに牛乳が毎朝配達されてました。
    自転車で運んでくれる牛乳屋さんのガタンガタンという音、懐かしいな〜

    ユーザーID:3870838293

  • なっつかしいですね?

    我が家は九州のさる田舎でしたが、食事のときは板張りに正座、親父とお祖母さん(親父の母)だけ座布団がありました。長方形の食台の奥が親父の席でその隣がお祖母さんでした。今では板張りに座布団無しの正座など剣道の道場くらいですよね。また朝から卵が付くのは親父だけでした。自転車で鐘を鳴らしながら紙芝居が来ていて10円/人でしたが、我が家は貰えず遠くからタダミしていました。やがて親父が転勤になり、母と3人で東京へ出ました。東京へ出てすぐ親父は大病を患い入退院を繰り返し、母は経済的にもずいぶん苦労したと思います。私が家で胡坐をかいて食事をするようになったのもこの頃です。(親父が居ない間に横着になったものです)我が家にテレビが入ったのは、伯父(母の兄)が二台目を買ったときのお下がりでした。丁度その頃、親父は会社を辞めて九州へ帰る引越しの準備をしていました。何となく私はテレビを見ていて、臨時ニュースでアメリカ大統領ケネディーさんが暗殺されたことを知りました。その直前には米ソキューバ危機があり、一触即発核戦争の危機が来て、その一番危ない日の夜はアメリカの偵察機が東京上空を一晩中旋廻していました。

    ユーザーID:0174614427

  • 同世代です

    本当にそうでしたね。うちは6畳と4畳半二間に家族5人で暮らしていました。
    6畳には一年中置いてあるストーブがあって実質4畳半でした。
    物心ついたときにあった電化製品?は電球と戦前からあるラジオでした。
    お風呂はなく銭湯で家に帰るころにはタオルも髪も凍っていました。
    テレビは30年代の終わりに買いましたがこれは祖父母のためでした。
    電話や冷蔵庫は50年代になって買いました。水道もなくポンプでした。

    今以上の格差社会でお金持ちの家はテレビ、洗濯機、電話、冷蔵庫、自家用車があり
    部屋数も多くありました。
    お金持ちの友達の家で子供部屋を見たときは漫画やおもちゃがあふれていたので驚きました。
    子供部屋も男の子用と女の子用があり子供用の自転車もありました。
    お手伝いさんもいました。そこで初めてチーズを食べて冷たい飲み物をいただきました。

    今も庶民ですがスイッチ一つでストーブ、お風呂をわかすことができストーブや七輪ではなく
    ガスグリルで調理できます。電子レンジで食品を温めなおすこともできます。
    二度と昔の生活には戻れません。

    ユーザーID:8176178886

  • 別に貧乏というわけじゃ

    それなら、江戸時代とかもっと昔の時代の人たちは更に貧乏ですね。電話もマーガリンもテレビも存在しないんですから。

    私は物がないからといって、その時代を貧乏と一括りにするのは違和感です。
    単に市場に出回って無かったから一般的でなかっただけで。無いのが普通だっんでしょ。
    一昔前は、パソコンや携帯も一般的ではなかったけど、それも貧乏だからですか?
    私の祖母の家にはまだパソコンもスマホもありませんが、祖母の家は裕福ですよ。

    ユーザーID:7964064788

  • そうは言っても・・・

    今は親世代が裕福ですよ。

    ユーザーID:3670225380

  • 貧しいというよりも時代でしょう

    その前の明治大正時代や、もっと前の江戸時代、室町、鎌倉時代、遡ればどんどん不便な生活になっていくと思いますが。
    昭和の頃のセレブでも、今の生活は出来るはずはありません。
    そりゃ後戻りはできませんよ。
    私たちは平成の便利な生活に慣れてしまったんだから。

    ユーザーID:7970058526

  • 貧乏なのではなく・・・

    単に文化が今ほどに発達していなかっただけですよ。
    戦後まもなくの時代なのですし、平和が訪れただけでも、皆んなが
    幸せであったという事ですよ。

    その後、高度成長期が訪れて、確かに日本は経済的にも豊かな時代へと
    突入する訳ですが、それに浮かれ過ぎたトピ主さんの世代の人間が
    結局、今の不景気な世の中を作り出しているという自覚はないのでは
    ありませんか?

    今の日本は文化はスッカリ発達し、先進国として名を連ねてはいますが
    実はスッカリ貧乏な国に成り下がっているはずですよ。

    ユーザーID:3407455916

  • 貧しいのかな?

    あげてらっしゃる例って貧しいのですか?
    私にはただたんに科学が進歩しただけって思いますけど。
    バターだって単に酪農産業が進歩効率化したから
    牛乳の生産量が増えて価格が下がっただけでしょ。

    「高校生の私は携帯持ってなかったんです。」って今の高校生にいったら
    「え〜すごい貧乏だったんですか?!」って言われて
    逆に「私のおばあちゃんは毎日着物着てたよ」っていったら
    「お金持ちだったんですね。」って言ってるようなものに思えます。

    ユーザーID:5488997863

  • そうでしょうか?

    貧しかったと言えば、確かに社会全体が貧しかったけど、トピ主さんの視点もちょっとずれてるような。

    私も昭和20年代生まれです。
    シャンプーは小学校に入るころに現れました。
    だから、その前は石鹸で髪を洗ってましたね。
    でも、それはシャンプーというものが存在しなかったからです。
    存在しないものは、どんな大金持ちだって買えない。
    リンスなんて、そのまたずっと後です。
    石鹸しかなかったから、シャンプーしかなかったから、それを使ってたのです。
    もうすでに発売されてるけど、みんな貧しくて買えなかったというのとは違います。

    貧しいと言えば、インフラなんかは整備されてなかった。
    それだって、そういう概念もなかった、と言えるけど。
    下水なんかは整備されなくて、道端の排水溝もふたもなくて、そういうのは貧しかったせいかもしれない。

    でも、今あるものが昔はなかったから貧しい、というのは違うと思います。
    今はいろんなものが発明されて、選択肢が多くなったのです。
    トピ主さんの言い分は、テレビがなくてラジオしかない時代が貧しい、というようなもので、ちょっとずれてますよ。

    ユーザーID:2510392554

  • 40年代生まれですが

    トピ主さんよりは若いですが、日本が貧しかった、というより、若い頃自分にお金がなかったです。
    すでにマックはありましたが、ポテトをつけるかつけないかは大問題でした。
    今の若い子にはわからないでしょうね…

    ユーザーID:1047927989

  • 昭和前期

    物の値段が十円単位だった。

    既製服が殆どなかった。 靴下なんてなかった。 革靴も見た事ない。

    女性の多くが和服。 電髪屋。 「パーマつうーの!」。 

    銀座四丁目の交差点の信号機が無かった。 巡査と進駐軍の兵士がやっていた。 交差点の信号なんて何処にも無かった。 自家用車が無かった時代。

    アノ角の三越。 一階のみ営業。 上階は貸していた。 三階が外国人専用の教会。 入り口で食料品を売っていた。 八百屋そのもの。  ぞうりも売ってた。

    外食券食堂。 

    銀座は民家が密集していた。

    省線の始発に乗ると近県からの野菜売りのオバサン達で一杯!  

    統制で日中の電気は停電が殆ど。 ラジオも聞けない。 愛宕山の第一放送だけ。 後はFENT.

    学校に古新聞を持っていった。 ララ物資の乳製品。 粉乳だと思う。 

    教科書は前年のやつの再使用。 今でいうリサイクルとやら。
     

    ユーザーID:2613932352

  • ギリ昭和30年

    1.子供の頃、冷蔵庫とは上の段に氷屋さんで買ってきた
    大きな氷の塊を入れて、それで冷やす真鍮製の金庫のようなものだった。
    それもお金持ちの家にしかなかった。

    2.共同水道が町内にあり、町会費を払っている人は、
    蛇口だけもって、それを共同水道栓に差し込んで使っていた。

    3.バターは栄養補助剤として小さじですくって
    そのままおふくろに食べさせられた。

    4.風呂のない家は親戚や知り合いの家で毎晩「もらい湯」をしていた。
    もちろん有料の銭湯は町々にたくさんあったけど。

    5.カゼをひいて熱を出すとバナナを1人で
    まるごと1本食べてもいいと言われるので嬉しかった。

    6.女のコに電話するときは、家の人にきちんと挨拶しないと
    代わってもらえなかった。

    7.駅には「伝言板」があった。時間に遅れたら、それだけが頼りだった。

    8.「お/を」「が」「え」の発音はそれぞれ2種類あることを
    小学生の国語の時間に習った。

    9.小学生のとき、小遣いは一日10円だった。
    周りの一日5円のコに羨ましがられた。

    10.それでも楽しく幸せだった。

    ユーザーID:7855197999

  • 貧しいというか・・

    社会インフラが今と全く違ったよね。(昭和30年代生まれ)

    生活に関する技術もひたすら乏しかった。

    だいたい、蛇口ひねってお湯が出るなんて〜、
    私が小学校の・・う〜ん?高学年くらいの頃?からだよ。多分。

    だけど、何もかも、安くなったね。

    今じゃ、生活に必要なあれこれが、100円で、揃うんだからね〜。
    びっくりですよん。

    昔は暑かったら軽井沢に行って避暑しないといけないから
    涼しい夏なんて、お金持ちのものだけだったけど

    今は貧乏でワンルームでもエアコンあるでしょ。

    科学技術の進歩は貧乏人を救うよね〜、ありがたや。

    ユーザーID:0411445796

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