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食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

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生活・身近な話題

おにぎり

 医療関係の仕事をしている男性です。

 私の病院には寝たきりで重度の認知症を伴う高齢者が多くいらっしゃいます。80歳を越え、一年365日ずっと天井だけをみて点滴や胃ろう、鼻管から栄養を補給されている患者さんが何十人も。もちろん家族は自宅に引き取ろうとしませんし、お見舞いに来ることも稀です。家族負担が増えるという理由で介護施設への転出さえ拒否します。一方栄養がしっかり補給され、肺炎などになればすぐに治療が行われるため、何年もこのまま生き続けるのです。入院患者一人当たりに最低でも年間400万円の医療費が支払われていますが、本人負担は数万円から多くて1割です。

 これが「世界一の長寿国家」の現実です。正直、このような人々を生かし続ける意義がわかりません。日本人に今最も必要なもの、それは(重度の障がい者を除いて)生理機能の低下により食べられなくなったら寿命と考えるべき、という倫理観ではないでしょうか。このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

 毎日自問自答しながら仕事をしています。納得できる反論などをいただけないでしょうか。

ユーザーID:6839394959

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  • 医療の進歩

    医療の進歩により、納得いきませんよね。機械をつけて 無理矢理生かして なんの意味があるんでしょう

    ユーザーID:5677577303

  • 最後

    こんにちは 
    私の父も認知症の症状がありましたが、体調の不調も有り病院に入院。
    体調不調が落ち着いたら介護施設へ・・と思っていて、施設も決まっていましたが入居前に79歳で亡くなりました。
    入院中、父がいよいよ口から摂取出来なくなったとき、母と相談し、胃ろうや鼻からの栄養摂取は断りました。
    今は医療の技術が進んで延命は出来て生き続けても、父のような認知症で会話はままならなくても、意思疎通は出来ない「生きているだけ」で数年も長生きする事って父には酷ではないか・と思ったからです。

    父は最後の方では、水分も取れない(取らない)状態でした。だんだんと痩せて、枯れていくように亡くなりました。
    寿命ってあると思います。
    飲み食い出来なくなり、意思疎通が出来なくなった時には、自然に任せて父親のようでありたいと思いました。

    ユーザーID:0046157885

  • 生きておられるのですから。

    トピ主さんの病院の患者さんのような状態になられると、その時点ではトピ主さんの言われるような倫理観では判断できなくなりますから、それを働かせるのは、例えば『胃ろうを作りましょうか』という治療方針を提示され、家族が判断を求められた時点になるかと思います。
    トピ主さんは、実際にそのような立場に立たれたことがありますか?私は義父がそうなったときに、色々な事情から、ある程度の判断を求められました。自分のことであれば私は拒否しますが、そのときは何の疑問もなく、それを受け入れました。私は元看護師ですので、主治医がとりあえず言われるような『栄養状態が改善されれば…』ということが実際に起こることは、ほぼないと分かっていました。でも義父は目の前で生きているのに、『これが寿命なんだから、もういいよね』とは到底言えませんでした。それは家族としての愛情なのか、逃避なのか、今でも分かりません。
    でも、どんなに高齢になっても、認知症で家族のことすら分からなくなっていても、今、現に生きておられるということと、一縷の望みはあるということは事実です。それを致命的な病気もないのに、本人以外が否定することは出来ないと思います。

    ユーザーID:7417295327

  • 反論なんてできません

    悩ましい問題です。

    本人が何を望んで、どうしたいかのかが確認できない中で、家族は死なせてあげて下さいとは言いづらいものです。
    病院に運ばれた時は、取り合えず助けて下さいといことだったのだと思います。
    家族としては当然な心情だと思います。

    延命治療の拒否。
    家族が決断できる問題ではありません。

    やはり本人が元気な内に、意思表示しておくおことでしょうね。
    認知症になり食えなくなっても機械に繋ぐな・・・
    まだ分かりやすいからいい。

    でも、事故等で「救急医療」と「延命治療」の境目が分かりにくかったどうでしょう?
    元気になれると信じて賢明に治療した結果、不幸にも植物状態になってしまった。
    本人は延命治療しない意思表示をしていた。
    生命維持装置ははずす?誰が?

    法的な整備と、確実な意思表示伝達方法が必要でしょうね。
    今の所、どんな法律が良いのか?どんな伝達手段があるのかサッパリ分かりません。

    ピンピンコロリと逝けることを祈るばかりです。

    ユーザーID:1794071788

  • 自分のために姥捨て山を再来させたいんだね

    各家庭それぞれに事情があります。
    引き取りたくても引き取れない、引き取っても面倒を見れない。
    実家近くの病院だから遠方に住む子世代は見舞いにも滅多にこれない。
    だけど、生きてて欲しい。

    そう願うのは悪いことですか?

    身動きできなくなったら無用の長物だから殺せと?
    ではトピ主さんはご自身が明日事故に遭い、意識はあるけど指一本、言葉一つ発せなくなったら自殺しますか?
    それがトピ主さんの親や妻、子どもでも、「殺せ」と言いますか?
    重度の障がい者と重度の認知症患者と、なにが違う?

    老人への医療費を若者に回せと書かれてますが、こんな無慈悲で傲慢でおろかなことを考える「若者」にお金を掛ける意味なんてないでしょう。
    それこそ無駄遣いです。
    自分のことしか考えられず、それも自分で立身するのではなく他人に養ってもらうことばかり考えて、労わりの心も持たないような若者にお金を掛けても、無慈悲で傲慢でおろかな中年・老人になるだけでしょう。

    そんな大人を生産するくらいなら、今まで頑張って生きてきて税金を納めてきたお年寄りに手厚い看護をしてもらったほうが税金が生きますよ。

    ユーザーID:1930948978

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  • 支持しますが、言動に留意されますよう

    トピ主さんの主張を支持します。が、世の中には、様々な考えを
    持った人達がゐます。

    トピ主さんは、この課題が世の中で広く支持を受けるまで静かに
    時を待たれることが必要です。過激な言動を抑制される事を望み
    ます。

    また、このような主張を考え続けていると自己の主張を正当化し、
    犯罪に手を染めかねません。トピ主さんは、否定されると思いま
    すが、そうした事案が眼前に迫った時に強引になりかねません。

    北欧の方の話を紹介します。一般論ですから、個別には様々な
    ケースがあるのではないかと思います。
    本人が食べられなくなったり、呼吸することが困難になった時は、
    特別の事をしないで、痛み止めと水分補給に限定すると話されて
    ゐました。

    先日は、ベトナムの医療関係者の方の紹介がありました。ベトナ
    ムでは、70歳を超えたら手術をしないと言われてゐました。日本
    では、90歳を超えても手術をしていることを聞き驚いたそうです。

    本人の意識がなく、食べられなくなったり自発的呼吸ができなく
    なったら、積極的な治療はしないように日本の社会が変わって行
    くと良いですね。

    ユーザーID:1515174520

  • 同意

    実際に年をとってみないとわからない事もあるかもしれませんが、基本的に同意します。

    人間も動物なのだから、動物として限界が来たら(ある程度の治療を受けても、自力で生活できなくなったら)終わりにしたいと思っています。

    子供達にも、お母さんはこういう考えだからねと、昔から伝えてあります。
    私はケチなので、無駄に医療費を掛けるくらいなら子供達にお金を残したいです。

    決して、人様の考えを否定するわけではなく、私はこういう考えだ、という話ですが。

    ユーザーID:2092639339

  • 寿命とは。。。。

    英語圏海外在住です。
    日本の平均寿命が世界一という話を聞く度に、おっしゃるような事実を知っている身としては複雑です。
    こういう状態で生かされている方たちもカウントに入れてですからね。

    私自身は子供も大きいし、やりたいことやるべきことはやったし、口から食べられなくなって、自分の意志で自由な行動ができなくなったらもう良いです。
    これは社会経済貢献の為というより、自分の人間としての尊厳の問題と考えています。
    できることなら、いつ逝くか自分で決めたいくらいです。

    当地では日本のニュースが見られます。夏に熱中症で人が亡くなると大きなニュースになっていますよね。しかしよく聞くと80以上の高齢の方々のことが多い。
    当地の夏は日本の比じゃありません。でも熱中症による高齢者の死のニュースは聞きません。
    こちらのお年寄りは高温に強いのか?現地の友人に聞いてみましたところ、もちろん高齢者が真夏に死亡することは多いが、それは自然な高齢死なので、ニュースにはならないと言っていました。
    災害等の異常な条件下ではない死なら、それは事故死でなくて自然死、と言う考えのようです。

    私もそう扱ってもらっていいです。

    ユーザーID:3157825776

  • 辛いです

    こういうお話、まだ私の身近ではいない、聞かないので、聞くだけでとてもつらい気持ちになります。
    高齢者を預けてらっしゃるご家族、自分たちだけで介護は大変でしょう。想像つきます。でも、病院や施設に面会にも来ない、お金だけ負担してただ生かしておく…どういう心理でこういうことされるのでしょうかね。
    元気なうちに自分がどうしてほしいのか、きちんと家族に伝えておこうと思います。

    ユーザーID:7377042609

  • そのとおりです

    肉体が動けなくなっても栄養点滴などで生かし続けるのは

    当人にとっても迷惑なのです。

    肉体はただの入れ物で意識体(霊魂)の方が本当の体です。

    その入れ物が活動できなくなったらあの世に帰してあげるのが正しいのです。

    法律を変えてもらいたいと思います。

    延命治療は先がある若い人だけにしてもらいたいですね。

    ユーザーID:6722432755

  • 大変なお仕事ごくろうさま。豊かなケアラーになって下さい

    捻れた所のない、まじめな若者という印象です。
    これは大切な問題で色々な人達が考えてきました。
    先人達と一緒に一歩一歩考えていきませんか。

    哲学風に〜

    まず適切な枠組みを選択する

    1.命を対象としたテーマを考える枠組
      一括りか、個別にか
    2.命と経済の関係は、誰がどうどこまで論じるのが適切か

    法哲学風だと〜

    ア.命の扱いは、本人のみに決定権がある
    イ.思想の決定も、本人の意思にのみ
      (倫理観としても他者が強要はNG)
    ウ.財産の処分も。ただし、公共の福祉の範囲で限定は受ける。



    社会学風だと〜

    日本人は、自他の区別が曖昧で現状維持指向が強い

    触らぬ神にたたりなし、
    誰も現状を踏み越えて自分が人殺しかもというもやもやを引受けたくない

    等々から結論例

    本人の延命意思が不明な命を
    他者の財産権を過剰に犠牲にしている点が問題

    健康なうちに終末期治療、延命の意思を確認するしくみと
    回復の見込みあるいは定型治療行為によって、自己負担額の修正が必要

    尻切れですが

    ユーザーID:6224925924

  • どこで線を引くかが難しい

     ご意見はごもっとも。お悩みも非常にわかります。
     しかし、誰を生かして、誰を生かさないかの線引きが難しいのです。たとえば、トピ主の言う、生理機能の低下により食べられない人と病気で食べられない人を区別できますか。肺炎になりました、元気がなく食べられません、はい、それまで、ですか。その発想は、「働けなくなったら、生きる資格はない」あるいは「おばすて」に繋がりませんか。
     さらには、本当に、「お金が若者に回れば社会が活力のある方向へ進む」のでしょうか。単に若者が楽が出来るようになるだけかもしれませんよ。例えば、介護を上手に仕事に結びつける、また、仕事を作り出すなどが得策かと思いますが、なかなか難しい。

    ユーザーID:0373806054

  • その通りだと思います

    父はすでに亡くなりました。心臓発作でしたので、延命治療はせずに済みました。
    残された母は、延命治療は必要ないという届けを主治医に出しています。
    そして、私も延命治療は必要ないということを遺言に残しました。

    アメリカの一部の州(ワシントン、オレゴン、バーモント州)は尊厳死が認められていて、本人の意思により、延命治療の中止と致死量の薬物を自己投与することが許されています。

    ユーザーID:1483392104

  • トピ主さんと同じ思いです。

    私も無理やり生かすことに反対です。トピ主さんと同じ思いです。

    一方で、胃ろうやなんやらで無理やり生かされている状況は、違う意味で家族に見放されたというものなんでしょうね。

    家族が重い選択、自然に死なせてあげるというという判断さえ放棄し現状維持に甘んじて、生死が曖昧な人間をただただ作り出しているように思います。
    「面倒は見ません。ただただ、面倒なことを先延ばしにしている」という人が多いという事でしょうか。

    ユーザーID:4045140365

  • 死に方も自分で決める時代

    トピ主さんのような考え方が増えているそうです。
    特に昭和生まれはその傾向が強くなっていて、老衰死の割合が増えているという記事を読みました。
    ただ、自分の意思を示しておかないと、今の制度だと命を永らえる措置は取られるのでしょう。
    フランスや北欧では法整備が進んでいるようですし、自分で食べられなくなったら死ぬという考え方が広まっているそうです。
    フランスでは高齢者への胃ろうは虐待の一種とみなされるそうです。
    日本もそうなっていくのではないでしょうか。

    ユーザーID:2136459292

  • 30年くらい前までそうでしたよね。

    私の記憶にある最後の土葬のひいおじいちゃん。
    亡くなるしばらく前から、水差しの水しか摂らなくなって、その水をなくならないようにくむのが子どもの私の仕事でした。
    りんご食べてと言っても、もう、いいんだとしか言わずに、テレビを寝ながら眺めたり、そよそよとして、日陰から日なたの様子を眺めたり、だんだん影が薄くなって、
    緩やかに穏やかに、裏庭の木陰に紛れていくように亡くなりました。
    そうやって死を受け入れる様子は全然怖ろしいものじゃなかったですけど、
    最近の老人施設や病院のそれは、何度か立ち会っても少し怖くて、自分の順番が来るのが、おとなになって恐ろしくなってしまいましたね。

    ユーザーID:7807465399

  • 賛同します

    トピ主さんの仰る通りだと思います。

    ユーザーID:8082860104

  • そのとおり

    同じ読売新聞オンラインの医療欄でもしばしば医師の立場から問題提起されています。
    確かスウェーデンなど諸外国では食べられなくなったら人工的な栄養摂取はせず
    安らかな死を迎えるのが普通と聞きます。

    実は私の母もほぼ老衰の形で永眠しましたが、以前から目に見えて食が細くなり
    死期が迫っていると感じていましたので、最後の入院の際に担当医に対して余計な延命措置を
    しないよう申し入れました。
    結局鼻からの経管チューブはありましたが、気管切開などの措置もとられず2ヶ月で
    正に枯れるように安らかに逝きました。

    これができたのも、母が父を介護した苦労から自分は同じ苦労を子供にさせたくないと
    延命治療を望まない旨を意思表示しており、老人ホーム入居の際にも誓約書を書いて
    いたためです。
    また、親戚に医者がいて、家族の要望をキチンと担当医に伝えることができたことも
    幸いでした。

    諸外国では尊厳死として余計な延命治療をしない方針と聞きます。
    医療財政というお金の面だけでなく、是非とも人間の終末について今の悪しき考え方、
    死を少しでも延ばせば良いという考えを改めて欲しいものです。

    ユーザーID:7821625197

  • 同感です

    そこまでして生かす意味がわかりません。家族にとっても社会にとってもお荷物以外の何ものでもないでしょうに。何よりも、本人が一番しんどいはずです。
    私がその状態になれば、安楽死させて欲しいです。法律で禁止されていますけど。

    また、食べられなくなったら、だけでなく、認知症などでおかしくなった場合にもヘタに長生きさせないで欲しいです。自我が保てなくなれば、死んだも同然です。それが例え自分や家族であっても。死にゆく状態の人間に税金や労力を費やすくらいなら、未来ある若者達のために使って欲しいと願います。

    ユーザーID:6451268839

  • 事前指示書(リビング・ウィル)を書いておくと良い

    これは日本だけの問題ではなく、医療が進んだ民主国家である世界の国々で
    共通する問題です。

    この問題は、「発言小町」や他の意見交換の場で討論して、大多数の意見を
    時間をかけて作り上げていく問題だと思います。

    高校・大学などの「倫理」や「社会学」のクラスで、慎重に討論するのに
    適切なテーマの一つでもあると思います。

    ・倫理・命の問題の側面
    ・社会資本の配分の問題
    など多面的に見るべきです。

    この問題を回避するのが一番大事ですが、元気な頃から本人が
    「事前指示書(リビング・ウィル)」を作成しておくと
    問題がかなり回避できます。

    あらかじめ「事前指示書(リビング・ウィル)」を書いておき

    ・ふつうの危機回避の医療措置はしてもらいたいが
    ・一般的に延命して欲しいのか
     (胃ろうを作るか、点滴は?)
    ・まったくの植物状態になった後の、人工的な
     延命措置は、してほしいのか?
    細かく自分の意志を指定できます。

    特に、残った子供世代に、もし過大な金銭的負担を掛けさせる
    場合も、親として心苦しいので、その分の考慮もするはずですから。

    事前指示書(リビング・ウィル)用紙は医療機関で。

    ユーザーID:8099426529

  • 完全同意です。

    自分自身で考えると、自分でご飯が食べられなくなったら、少しずつ枯れていきたい。
    介護を子供にさせて、子供の時間やお金を苦しむまで使わせたくない。
    これから食糧難の時代になっていったとして、子供と食べ物を奪い合うなんて嫌です。

    子供の教育費を何とか出して、健康志向で長寿家系の親の面倒を見たらたぶん自分たちの老後のお金を貯める余裕は恐らくありません。

    胃瘻もいらない。さらにいうと下のお世話までされたくない、絶対。

    ユーザーID:1953775223

  • 同じ意見です。

    医療関係者が倫理として主導してほしいです。
    死にめったに直面しない一般人では、助かると言われれば、それを選択せざるをえません。

    ユーザーID:3120187425

  • 反論が難しい。。

    主さまの仰る通りだと思います。

    年間400万円。。。国立大生2名の4年間の学費くらい払えますね。

    この金額で貧困家庭の子どもの何人が高校に通えるでしょうか。

    私自身は延命措置での長生きに反対の立場です。

    自分がそのような状況になったら、自然に逝きたいと思っています。

    でも、身内の死の場面にあった時のことを思い出すと、どんなに苦しそうにしていてもできれば生きていてほしい、本人がそれを希望するのであれば、少なくとも自分から死の宣告をすることは憚られる、という気持ちでした。

    そういう家族は多いのではないでしょうか。

    でも主さまの仰る通り、生命観、「生きる」とは何なのかについて、超高齢化社会の私たちは考えなければならないのでしょうね。

    ユーザーID:9195628743

  • 自分の足で

    歩けなくなった時点でもうお暇したいなあ。女性だからかもしれないけど自分が調達した食材で自分の作った食事ができなくなったらアウト。

    ユーザーID:1516840019

  • 医療の進歩の賜物

    あなたは全く医療に従事る人の資格を持っていませんね。
    無意味だと思っているのですか?
    これほど有意義で、素晴らしいことはないのに。
    1日中天井を見ている?そういう風にしか見えないのでしょう。
    時々しか家族が来ない?彼らはその一瞬の時間を心待ちにしているのですよ。

    家族にどんな変化があると思っているのですか?
    覚悟が出来るのですよ。お別れの。
    その後を想像しない?急死と違い、徐々に覚悟が出来るのです。
    そしていろいろな準備もできます。

    法律面で言えば、医療技術があるのに施行しないのは未必の故意の殺人と
    同じになります。法律上、本人や家族の同意がない限り治療を中止することが
    出来ないのです。
    文句あるなら、「治療中止の同意書」をもらえばいい。

    生理機能が低下しているから、回復するのを期待して治療をするのでは
    ないのでしょうか?
    回復する見込みが0.0001%でもあれば、そこに期待するのが人間です。
    若者が医療関連の仕事につけばお金は回りますよ。
    その程度が理解できないで人の命をモノと同じに考えてはいけません。

    ユーザーID:3046035758

  • 反論を、とありますが激しく同意です

    40代女、既婚子ども無しです。子育てがないので、自分がこれからをどう生き、どう死ぬのかを日々考えています。その前に親の介護などが来るのでしょうが、自分の親の最後に対する価値観もトピ主様と同意見です。
    「理性を欠いた長寿信仰」。本当に言い得て明だと思います。
    作家の曽野綾子さんが、高齢者に高度医療を導入することの是非を問われておられ、話題になっていましたが、私は自分で自分の身体がコントロールできなくなる時点で潔く退けることができるようにありたいと思います。ただ、今はそう思っていても実際年をとったら生にしがみつくのか・・。
    それが分からないので、今後を考える上で一番不安です。
    だからこそ、国の医療の一定基準で「退く覚悟」を後押ししてもらえる制度ができて欲しいと願っています。

    ユーザーID:4395479167

  • 今は過渡期です。

    私も、食の専門家である管理栄養士有資格者です。
    現場経験は残念ながらご縁がなかったですが。

    高齢者の延命に関する問題は、今が過渡期だと思います。

    これまでは、医師の職業倫理上、見殺しにしてはいけなかったため
    寝たきりだろうが、認知症だろうが胃ろうや何やかやで延命してきました。
    しかし、最近は既出レスにもありますように
    延命治療を本人、または家族が選択できるようになってきました。
    今後は延命治療を選択しない人も増えてくると思いますので
    今がその過渡期ではないかと思います。
    しばらくはつらいとは思いますが、辛抱です。

    ユーザーID:0926894702

  • 知らなかった。

    私の祖父母も父も長患いせずに亡くなったので、トピ主さんがお書きになったような実情を全く知りませんでした。

    私もそうですが、自分自身のことなら延命なしでという人は少なくないと思います。でも家族のこととなると、そして、その先どうなるかということを知らないと延命措置をお願いするケースにつながるのかなと思いました。誰だって1日でも長く家族には生きていて欲しいですからね。

    トピ主さんの問いに答えるようなことは何も申し上げられないのですが、現場の方々や、経験者の方々のこういった問題提起がとても大切なのではないかと思いました。まずは私のように「知らない」人たちに知らしめて、考えさせないといけないですよね。

    医療現場の方としてお書きになりにくいであろう思いをはっきりお書きくださって、ありがとうございました。考えるきっかけになりました。

    ユーザーID:7318541384

  • よく、聞きますね

    日本では延命といって、ただただ生かしておくことを目標とする。

    ここに問題があることはよく言われてます。

    自分の意思で人生の終焉を決めることである尊厳死でさえ、反対する人がいるのは何故だろうと、私も思います。

    日本は戦争の記憶が強すぎて、死ぬことのつらさ、とにかく命を守ることの大切さを大事にしすぎて、死を受け入れにくい社会性があるのではないかと思いますね。
    死ぬって当たり前のことで、悪いことではないのにね。
    とはいえ、家族として死に抵抗する手段があるなら抵抗したくもなる。
    介護はしたくないけど、もうやめてください、という勇気をもてない人たちもいるでしょう。

    医療関係者は、もうやめたほうがいいですよ、と言えますか?
    言えないですよね…
    難しいです。

    ユーザーID:1610260064

  • 同意

    全くそう思います。
    以前家族の一人が寿命を迎えようという時に同じことを思いました。
    もちろん生きてほしい気持ちはあるので悔しくて仕方無かったですが、同時に天からの手とでも言うのか、不思議な力を感じて…
    延命治療を断り、自宅で看取りました。

    それともうひとつ、高齢者だけでなく全年齢に言えることですが、これ以上の医療は必要ないと私は強く思います。
    もう人間が手を出していい領域は全て見尽くしたように思います。
    この先は、触れることで大きなしっぺ返しがあるでしょう。

    ユーザーID:8570192165

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