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食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

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(トピ主2
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おにぎり

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  • 家族の目線ではどうでしょうか?病気で食べられなくなった人は?

    私の父は癌で亡くなりました。
    術後の経過が思わしくなく、口から食事が摂れなくなりました。
    私はそれでも、父に生きて居てほしかったです。
    癌さえなくなれば、回復すると思っていたからです。
    あんなに壮絶な死に方をした父に対して
    「食べられなくなったら死ぬのは仕方ない」とは絶対に言えません。
    ご長寿の方に対しても、同じ事が言えると思います。
    命の尊厳を前に、線引きするのは難しい問題だと思います。
    あなたはご自分の親族で、口から物が食べられなくなった人がいますか?
    それを見て、どう思いましたか?
    もしかして、いつか食べられる日が来るかも知れない、
    と少しでも思いませんか?
    あなたの親だって、いつかは亡くなるのですよ。

    ユーザーID:0764312435

  • その「現実」は徐々に少なくなっているのでは?

    私は、ケアセンターに入所している母のところに食事介助に通っています。今の状態になったのは1年ほど前ですが、カンファレンスの際に「今後どうするか?」を聞かれます。

    現在は噛む・飲み込むが困難になっていて、ペースト食ですが、その時々で食べられる量も違い、栄養を補うために点滴をしています。認知症ではないものの、口の動きが悪いので、声が出るかどうかで会話も難しいので、「今後どうするか?」は私が決めることになり、「胃瘻や鼻から管で栄養補給する方法は選びません」と答えました。

    母は左半身麻痺の他はとても元気で、一昨年に体調を崩すまではリハビリも熱心で、他の入所者とも職員さんとも仲良く楽しく過ごしていたので、動けないまま生命維持されても楽しくないし、そんな日々を無理に延長するのは可哀想だから。死なれるのは嫌だ!という気持ちはモチロンありますが、それは私のエゴですし。

    ケアセンターの医師・看護師との話では、併設クリニックで生命維持の人はいくらかいるけど、殆どの場合は私と同じ結論だそうです。病院の場合はまた違うのでしょう。「納得できる反論」でなくてごめんなさいね。

    ユーザーID:5821795444

  • 同意します

    最近同様の記事を読んだばかりでした。

    日本では「見殺し」には出来ないので、入院している状態であれば医者はとにかく胃ろうをする、どんな状況であれ生きながらえさせる処置(治療?)をする。
    選択肢は医者にはありません。

    それに比べて、欧米では寿命延長のための胃ろうという状態が滅多になく、古き良き日本がそうだったように
    食事がとれなくなり、自然と寿命をまっとうされる方が多いそうです、もちろん自宅で。

    昨年大正生まれの祖父がなくなりました。
    色々な機能が低下していきました、だれが見ても寿命です。
    私の家族も胃ろうの選択はしませんでした。

    最後は自宅で穏やかに息をひきとりました。
    「食べることは生きること」全くその通りだと思います。

    ユーザーID:4432284356

  • びっくりな話

    数年前に義母が入院した際、4人部屋で義母以外がそのような状態の方でした。
    知人に「親があんな風になったら家に連れ帰って自宅で死なせたい。」と話したら、知人「年金が入る[年金−医療費=黒字]からよ。(知人の事ではありません)」

    びっくりしました。全員ではないかと思いますが、そんな家族もいるようですね。

    私もおにぎりさんの意見に賛成です。
    国の借金がすごいことになっているのに、もっと議論があってもいいと常々思います。

    でもこれを正面きって言うと冷血漢って言われるんでしょうか。

    逸れますが、同居の義母がそんな状態になった時、義母の遠方の子供達が人工栄養を望めば同居嫁の私に拒否権ないよな〜。

    ユーザーID:6970454020

  • 反論はありません

    祖父母は随分長い間病院でただ生かされている状態で、最後は栄養も吸収できなくなり亡くなりました。その間10年くらいです。私は小さいながらも何故家族が点滴をやめさせないのか不思議でなりませんでしたが、点滴のみで生きている状態だったので、それを止めれば殺すことになると誰もが恐れていたせいかも知れません。

    もし私だったら天井を見たまま(あるいは目も開けられないまま)同じ姿勢で何年も横たわっているなんて地獄です。早く逝きたいと思っても口に出すこともできず、ただ生きているだけなんてどんな気持ちでしょうか。
    自分で生命を維持できなくなった時点で死を受け入れる覚悟をするべきだと思います。

    ユーザーID:4839443270

  • 自分はすぐに死にますので

    ただ、身内は出来ませんでした。
    ずっと、一緒の祖母にはできませんでした。

    90歳過ぎて亡くなりました。
    十分生きました。
    よくやっと、みんなが言いました。

    5年自宅介護し私の体は今でもボロボロです。

    三回忌が終わっても
    心身共にまだダメです。
    医者に通っています。

    だから、私は介護はしてもらいません。
    延命もしません。葬儀もしません。
    残った母親の介護した後は、そうします。

    それで、チャラじゃいけませんか?

    これから嫌でもそうなりますよ。
    だって、祖母の時だって
    意識のある祖母の横で
    延命は止めましょう。
    なんて医者が平気で言うんですから

    法律で延命禁止にすればいいんですけどね。

    ユーザーID:6010725769

  • 選択肢がありませんでした

    胸が痛くなる思いで読ませていただきました。

    わが家の場合、夫(30代)が、突然の脳出血で倒れ、緊急手術により、一命を取り留めました。

    その後、意識が1度も戻らないまま、1年半が過ぎようとしています。

    遷延性意識障害、いわゆる「植物状態」と診断を受け、急性期の病院から、療養型病院へ転院をしました。

    急性期の病院にいた時は、「経鼻栄養(鼻から注入食)」でしたが、療養型病院に転院する時に「胃ろう」に切り替えました。

    でも、経鼻栄養は感染症のリスクから長く続けることができない、また療養型病院への転院をスムーズに進めるためには、「胃ろう」にするしか無かった。

    「胃ろうをしない」という選択肢はありませんでした。

    本人が意識があったら、絶対にこんな状態で生きたくない、と言うと思います。

    ユーザーID:0613089800

  • 納得できる反論はありません

    だって、私もトピ主さんと全く同じ意見だから。

    老いた体にただ栄養を流し込んで治療して何のために生きているのか、生かしているのか、意味わかんないと思ってます。
    自分はそんなもの真っ平御免ですし、寝たきりになっても経管栄養は絶対拒否すると家族にも強く伝えてあります。

    ただいろんな人と話していて気づいたのですが
    「意識がなくてもなんでも死ぬのは嫌だ、経管栄養でも臓器移植でもなんでもしてひたすら生き延びたい」という人と、
    「意識もなく自分でご飯も食べられない状態になったらおわり、周りに迷惑かけるのも嫌だし安らかに死んでいきたい」
    っていう人と、大雑把ですが二種類いるんですよね。

    前者の人は、365日天井を見るような日々でも生きているってだけで望み通りってことなんでしょうね。

    ただそういう人たちの介護に未来を潰される若い身内や、無駄にかかってくる莫大な医療費を思うと暗澹とした気持ちになりますね。
    まぁそのうちこんな医療費の使い方も破綻して、トピ主さん的倫理が主流にならざるを得ないとは思いますが。
    そのときは、自分で使える医療費を使い果たしたらそこが寿命なんだってことになりますね。

    ユーザーID:8290635690

  • 点滴いらない!

    海外に視察に行かれた医師が、その国の高齢者が治療法のない末期ガンでも在宅看護で何とかなるのは、点滴で栄養をとることをさせず口に出来るものを患者が食べて、食べられなくなったら衰弱して息をひきとるからだ…ということを記事か何かに書いていました。当然介護の期間も短く家族の負担も日本ほどでもなく、患者さんも褥瘡など出来る前に亡くなるそうです。
    末期ガンの母が亡くなるまで、本当に辛かった。どんなに体位移動をしても腰に褥瘡が出来ました。どんなに乾燥しても荒れなかった人なのに、手足はカサカサになり、治療法も既になく、意識が次第に混濁し、ただただ天井を見て過ごし、時折人が変わったように嵐のような感情をぶつけられ、痛いと3日間言い続けて亡くなりました。病院も再診察に何時間も待たせ、1か月もすれば退院の繰り返し。在宅看護を推奨する国に疑問を持ちました。
    私は点滴なんて不要です。治療法もなく死ぬのを待つだけなのに、なぜ衰弱死するのはダメなんでしょうか。衰弱出来ないから痛みに悶絶し、死ぬかもしれないから痛み止めも弱い効き目のものから投与…家族にも患者にも辛いだけです。

    ユーザーID:3801692439

  • 最近の週刊新潮で読みました

    週刊新潮で、連載(?)している特集で似たような記事を読みました。海外では胃ろうは回復見込みのある人にはほどこすけれど寿命の人にはしないと書いてありました。いろいろ勉強になるような記事でしたので是非よんでいただきたいです。これから老人が増え、同じような症状になる人が激増しますよね。そうなった場合の全体の医療費のことも考えて社会全体の新しい考え方を構築できるといいのになと思います。個人的には、食べられなくなったら、それが寿命ということなんだと思います。

    ユーザーID:9819966679

  • わからない……

    家族を複雑な気持ちで看取ったものです。
    家族の中でも「これ以上は……」「いやもう少し……」と話しあい……いや、話し合いではありませんでした。
    内容が内容なだけに、今でも亀裂が入ったままです。
    >やはり本人が元気な内に、意思表示しておくおことでしょうね。
    >認知症になり食えなくなっても機械に繋ぐな・・・
    >まだ分かりやすいからいい

    それでも、もしかしたら意識がない部分で(生物の本能の部分で)、生きたいと願うものなのでは?
    もし、もし何かしようとしたら、無意識の部分でものすごく抵抗するのでは?

    とも思うのです。いくら「覚悟してます。ひと思いに」と言ったとしても(戦時中などそうであったように)。

    ユーザーID:5991938689

  • その通りだと思います

    北欧在住です。

    おにぎりさんのおっしゃる通りだし、タイトルの通りだと思います。
    数年前に80代後半の義祖父が亡くなった時は、数日の入院の後、最後は弱って食べなくなり、そのまま亡くなりました。それが自然なことだと思います。
    医者は、自分で食べない人に私たちが強制して食べさせることはできないと言っていました。食欲があって食べようとする患者には看護士がスプーンやストローを口もとに運んであげたりとか食事のサポートはします。

    日本の医療制度や方針が変わることを心から願います。

    ユーザーID:6798456187

  • 父は家で。

    家に連れ帰りました。
    最近は警察に疑われる(死因を)場合があったので厄介でしたが。
    実際、亡くなった時、警察に連絡して調べられました。

    病院から引き取り、3か月。
    お風呂の入浴のお手伝いを頼んだり、手続きが色々終わった辺りです。
    結構生き延びたと思います。

    母と二人、やるだけやったと思えたので、かなり気持ちは楽になりました。
    今になって「あの時、病院に戻していれば・・・」などの後悔に揺れる事もまったくないです。

    病院につなぐかどうか、判断するのは本人以外だと思います。
    その気の毒な人は、家族が冷たいのか・・・その人が生きているだけで受け取れる高額の年金の為か?

    義母の時も兄弟3人で話し合って、延命はやめました。
    やはりそうなった場合、どうするか話し合える家族かどうか・・・ではないでしょうか?

    ユーザーID:0927336859

  • 難しい

    生に関しては個々で考え方が違いますし、同じ方向に向くのは難しいと思います。

    実体験から書かせて頂きますが、母が病気になり術後に半分植物状態になりました。当時の私は20そこそこ。それこそ母を亡くしたくなくて延命を希望しました。気管切開をし、栄養点滴。
    話せないけど、私が言った事に関しては手を握り返してくれました。しかし、急変して心臓マッサージをされる姿を見て、父がもう可哀想だ。ここまで頑張って母が旅立ちを望んでると言われ諦めました。マッサージを続けたり血圧の注射をしたら取り留めたかもしれなかったのですが。

    そんな父が数年後に病に倒れた時は父は延命を希望しない意思を前もって私や兄や姉、医師達にも伝えてました。だから父は延命をせずに亡くなりました。

    あれから10数年経ちますが、やはり身内には生きて欲しいと思いますが、繋がれてる本人はどんな気持ちかとふと思います。

    結婚し、主人の祖母が96歳で介護にもなってませんが、認知症気味のため毎日娘の義母とケンカしてます。その様子を見ると元気なら良いけど、でも余り長生きはしたくないなと感じます。

    日本も選択肢があれば良いのにと私は思います。

    ユーザーID:4141684986

  • 同じ事をおもってました

    私も以前医療にかかわる仕事をしていたときは主さんと同じようにおもってましたよ。
    口から食べれなくなったら寿命だとおもいます。
    胃瘻している方でも回復によって後にたべれる可能性があって
    実際に食べられるようになる方もいますからそう言う方は別ですよ。
    今回の例にでている患者さんのキーパーソンって近くに
    住んでいることがほとんどですが滅多に見舞いに来ない人おおいです。
    生きていてほしいと願っている家族ならこちらにも伝わりますよ。
    けどそのような患者の家族はその患者の年金をあてにして生活していたり
    患者に関心をもってないんだなというのが伝わるんですよね。
    そんな関心を家族にもたれてなくて自力で食事もできず何年もベッドで
    寝たきりになっている患者をみていたら医療とは何だろと考えますよ。
    海外のようにもっと胃瘻などに対する基準を厳しくしてもいいと思ってます。
    借金抱えている国なのに医療費に関してはお金をかける部分に疑問があります。

    ユーザーID:4726366051

  • 胃瘻を始めたのは誰なんですか?

    おっしゃることに全面的に賛成です。
    ただし少々反発を覚えるのは、そういう事態を招いたのは、どなたなのか?ということです。

    胃瘻
    実母が老人施設に入居した際、初めて耳にしました。一般の人はそんなものだと思います。
    回復の見込みのない高齢者に胃瘻を行い始めたのは、医療従事者ではないのですか?
    医療従事者に生命に対する信念、見識がないから、今の事態を招いてしまったのではないのですか?

    このままだと短期間で衰弱死しますが、胃瘻をすれば延命できますと言われれば、家族の多くがお願いしますと口にするのは当然じゃありませんか。
    延命治療に疑問を抱いている人だって、自分の返事が家族の寿命を決めてしまうと思えば、ためらいを覚えるでしょう。

    私は、回復の見込みのない患者に対する胃瘻は保険適用外にすればいいと思っています。

    私自身は、食べられなくなったら死にたいです。
    それが生物として自然の姿ですから。
    母(認知症が進んでいます)についても、その性格はわかっていますから、施設に対し、予め胃瘻は不要とお願いしています。
    義理の父も最近施設に入りましたが、こちらは自分の意思で不要と伝えています。

    ユーザーID:3301709937

  • できることは

    できることは、自分の意志を家族にきちんと伝えるなり
    何かに書いて目につくところにおいておくことですね。

    延命治療をしてほしくないなら、
    本人がそれを望んでないということを、家族にわかってもらうことです。
    本人が望んでいないのだから、やめようと家族が思えることが
    大切なのではないでしょうか?
    少しでも長く生きて欲しいと思ってしまうのが家族でしょうから…。

    もちろん、延命治療をしてほしいなら、そのように伝えておけば
    いいと思います。
    本人の意志が大事ですよね。

    ユーザーID:4024350619

  • 私もそう思います

    親がそのような状態です。
    会いに行く度に、この状態で本人は幸せなんだろうか、と思います。
    意志を表明することができなくても、何か感じているのだと思います。それを表すこともできず、動くこともできないので天井を見つめて毎日過ごす…経験していないからわからないけど、辛いのではないかと思います。
    たぶん私は辛いと思うので、息子には、鼻管や胃ろうはしないように話しておくつもりです。

    ユーザーID:0750955754

  • 変わると思う

    そういう状態の両親を看取る経験をした者は、「そうまでして生かしてくれなくともよい」と感じることが多いのではないでしょうか。
    私の祖母も認知症になって入院、最後はトピ主さんの患者さんと同じ状態でした。
    入院から亡くなるまで6年。
    それを看取った両親も私も、そこまでして生かしてくれなくともよい。胃瘻やチューブでの栄養補給は一切しないでくれと、お互い言い合っています。
    子供が理解できる年齢になったら、子供にもそう話します。
    私の周りはみな同意見です。
    家族が判断するのは難しいですが、本人の希望とあれば延命だけの治療を断る決断できるでしょう。
    日本人の意識は、これから変わっていくのではないでしょうか。

    ユーザーID:5131782746

  • 財源のためより。

    もっと国の財源の中で不要な部分に使われていることはありますよね?
    これまでがんばって生きてこられた方に対して、感情的には長生きしていただきたいです。

    ですが、自然に生理的にまかせていれば楽なケースでも、医療につながれて無理につらい最後の日々を経験する必要があるのか、細かくケースごとに判断していけるようにするのが財源うんぬんより、もっと高齢者のためにやるべきことではないですか?
    もう若いひとより価値がないから、ここに予算を回さなくていいなんて・・・。

    >このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。
    この考えは危険な気がします。
    平和な今の豊かな社会があるのは、今は働けない高齢者が精一杯働いてこられたからではないですか。

    生理的に無理な延命はかえって辛そうなので、そこをもっと考えて行かれる世の中になってほしいです。
    いつか自分たちも通る道です。

    年取ったから死んでくれた方が財源のためなんて・・・個人個人の人の命の尊厳ってそんなにはたから見て簡単に判断できるものでしょうか?
    生まれて来て良かった国といえる国であってほしいです。

    ユーザーID:3452624030

  • 都市伝説さんのレスを読んで

    都市伝説さんのレスを読んで、絶望的な気持ちになりました

    頭が元気な人はイロウしてもいいのではないですかね
    でもその状況にある大抵の人は意識も無く死に行く状態です
    因みに私の周囲では本人の意思で拒否、家族が拒否という例があります
    どちらも家族に大切にされ大切にしていました
    死ねばいいと思っていたわけではないけど、意識も無いのに最期を引き伸ばして何になる
    本人の意識は無くても身体は苦しいのに、苦しみを長引かせるだけ

    でもそういう理性的な考えが通用しない人もいるようですね
    そして親戚に1人でも都市伝説さんのような人がいれば
    家族は責められるわけです

    トピ主さんも、若者も
    >他人に養ってもらうことばかり考えて
    いるわけではないでしょ?税金の使い道の話でしょ?
    そして、若者を圧迫すると次世代が生まれ辛くなるのですよ
    税金を払う人が減少していくのです

    もう少しちゃんと考えてみてはいかがですか?

    ユーザーID:9081332129

  • 仰りたいことわかります。

    ある国家資格をとる為に勉強しています。
    そこの講師が言ってました。

    日本はめちゃくちゃ医療費の無駄遣いが多い。
    何でもないのにすぐ病院、そしてすぐ入院したがる。
    大したことのない病気なのに、大学病院に行ったりする。
    要介護者のいる家族は自分達で面倒を見るのは面倒臭いから、入院させたり施設に入れたりする。
    これがかなり医療費を圧迫する。
    毎年多額の赤字が出ている。
    こんなの先進国で日本だけだと。

    日本人って知ろうとしないんですよね。
    自分達が使う医療費の仕組み、将来もらう年金のことなど。
    毎年毎年大赤字を出してるのに、これからもどんどん高齢者は増えていき、更に財政を圧迫するんでしょうね。
    誓い将来財政破綻するんじゃないかと危惧しています。
    世話をするのが面倒臭いから入院とか本当にやめて欲しいですね。
    全学自己負担だったら入院なんてさせないくせに。

    ユーザーID:4407770535

  • 介護施設か・・・

    私の家族が入居している特養は、胃ろうは受け入れられません。病院に行くか、他の施設を探すか、の選択に迫られます。
    胃ろう受け入れの介護施設となると限られるのでは?色々むずかしいですよ。この問題は。

    ユーザーID:0618922641

  • 支持します

    反論ではなくてすみません。
    自分の両親はまだ健在なので、将来そうなった時にどういう気持ちになるかわかりませんが。
    正直、支持どころか、私の方がより冷たくご老人を見ているかもしれません…
    わからないからこそ、そう感じるのだと思いますが、とても大きい声では言えないです。
    自分自身は、死ぬときはサクッと逝きたいなと思っています。
    無駄に医療費使ったりまわりに迷惑かけたくないですしね。

    ユーザーID:9968927889

  • 判断を委ねられる家族の、重い責任。

    お気持ち、分かります。

    「殺せ」ではなく、「無理やり生き永らえさせるのはどうなのか?」ということですよね。

    日本が長寿大国である理由、それは「胃ろう」処置が大きい。
    私は、「胃ろう」は「無理やり生き永らえさせる」ものと感じます。
    ですから、自分は拒否したいと考えています。
    (今は元気だからそう思うのかもしれませんが)

    「生き永らえさせて」長寿大国となった結果、高齢化社会ともなり、労働人口が相対的に減って「一億総活躍社会」が必要になり、保育園も老人ホームも足りなくなる。
    まるで負のループだと思っています。

    でも、「延命治療」を提案されたら、断る勇気がどれだけ必要なことか、ということも理解できます。
    「延命治療」をすべきかどうかのガイドライン…難しい問題ですよね。

    ただ、胃に穴を開けてまで栄養補給すること、それはいかがなものか、とやっぱり考えてしまいます。
    植物状態と、老衰は、症状が異なりますからひとくくりにはできませんが、老衰に対する胃ろうだけは、倫理的にどうかと思ってしまいます。

    ユーザーID:3185456611

  • 同意します

    納得できる反論は他のレスにお任せすることにして、私はトピ主さんと同じ考えです。

    私の祖母は84歳で亡くなりましたが、最後の2年は病院のベッドで寝たきりで過ごし、最後の最後は食事も排泄も自力で出来ませんでした。朦朧としたまま管につながれた祖母の姿を見て、臓器は動いているかもしれないが果たして彼女は「生きている」のだろうかと疑問が沸きました。

    北欧のある国には「寝たきり老人」はいないと聞いたことがあります。そういう状態になったら、もう天国に召される時がきたという倫理観があるのだそうです。
    日本もかつては、自分でご飯を食べられなくなる→水分しか取れなくなる→その水分も取れなくなる、、、そうやって人は寿命を迎えることを自然と受け入れていたのではないでしょうか。

    年間400万円の寝たきりの患者さんの医療費の9割以上を国が負担=税金=私達が納めている保険料です。
    終末期医療にかけている税金を未来ある子供や若者に回せたら、、、と思うけれど。

    ユーザーID:7154529081

  • 食べられなくなれば命が終わるのが本来の姿であると思います。

    主さんの仰りたい事は理解できます。出来るだけ自然な形で死を迎えるのが一番望ましい事だと思います。ですが、主さんは医療の現場にいながら、その陰の部分に多く意識を向けられているのかなと感じました。
    私は昨年末に母を、この四月に父を在宅で看取ったのですが、父は最期の1年弱は胃ろうによって食事を取り入れていました。ただ父はまだ69歳で、最期まで自分で全ての日常生活をこなしていたので、主さんが関わられている方々とは少し違いますが、私としては父が1年長く生きられた事に感謝しています。
    父が胃ろう手術を受けた時には、既に母の余命はわずかで、どうしても母を残して自分が先に逝くわけにはいかないとの想いから、胃ろうを選択しました。そのおかげで母を一緒に看取ることが出来て、その4か月後に父も他界しました。二人を看取って思うことは、命が尽きるまでの道のりは、生きるのと同様に簡単ではないということです。ですが同時に胃ろうをしていても、やはり尽きる時には尽きるものなんだとも知りました。
    在宅医療に携わって下さった医師や看護師さん達が最期まで父の命にきちんと向き合って下さったことに感謝しています。

    ユーザーID:3135547960

  • 国家財政の破綻

    日本の国家財政は破綻の危機にあります。経管栄養をする体力は日本にはありません。国債を発行することにより財政破綻を先延ばしにしています。経管栄養にすると、家族が大損をする制度に変更すべきです。
     

    ユーザーID:8759983533

  • 全面的に賛成

    無理やり生かされてるってかわいそう。
    日本は患者のQOLを大切にするべきだと思います。

    本来だったら苦しまずに死ねたはずなのに延命措置で無理やり生かされるなんてぞっとします。

    ユーザーID:5725370742

  • 家族と話してみました。

    様々な患者様と関わる機会がある管理栄養士二年目の娘に、このトピを読んでもらいました。
    彼女曰く、意識があるかないかわからないような状態でも、呼吸や栄養を助ける意味はあるという考えでした。
    なぜなら、『生きているから』。

    年齢や経験や立場によって、いろいろな考えがあると思います。
    例えば、夫は日頃から延命治療には否定的な考えを持っています。
    生きている意味はあるのか、自分がそうなったら生き永らえたくない、だそうです。

    私は、生死を(本人を含めて)人が決めても良いものか、生きる手立てがある限り生きるべきではないか、という考えです。
    ただし、本人が(できれば元気な時に)強く拒否を希望していたら、ぎりぎり許容できるかもしれません。

    医療の話はお金を抜きにして語れないのはわかっています。
    だからと言って回復の可能性が低い延命治療はやめて、そのお金を若者に回せという意見は過激で俄には受け入れ難いものです。
    でも、医療や社会保障、福祉を考える叩き台としては身近でわかりやすい例とも思います。
    その意味において、トピ主さんにはお礼を…ありがとうございます。

    ユーザーID:7487991946

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