• ホーム
  • 話題
  • 食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

レス322
(トピ主2
お気に入り899

生活・身近な話題

おにぎり

レス

レス数322

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • まったく同感です

    私もそう思います
    神様が寿命と言ってるのです

    確かに医療の進歩により
    助かる命は増えました
    でもそれとは又違う問題だとおもいます

    私は親がそうなった時は
    静かに寄り添い
    最後の時を見送るつもりです
    じぶんの子供にもそう伝えています

    医療現場にいますが
    結構皆さん同じ意見です

    医療費とか関係なく
    人間は食べれなくなったら寿命と思ってます

    例外として
    色々な病気があるので
    口からとれなくても
    別な方法で栄養をとり
    元気に生きてるひとはいますので
    それを否定してるわけではありません

    しかし
    家族として
    選択をせまられると
    拒否できないのかもしれませんね
    難しい問題です

    ユーザーID:9452856728

  • 素人からの質問

    医療・介護に関して素人なので想像でしかわかりません。
    私の祖母は認知症で最後の10年ほどは寝たきりでした。
    トピ主の文面を読むと、ホームの介護士さんたちがその間命をつないでいてくれたことになりますね。

    そこで、素人なりの疑問です。
    >生理機能の低下により食べられなくなったら寿命と考えるべき
    これは「餓死」という事になるのでしょうか?
    確かに、認知症が進んで、死んだように横たわってるだけの祖母でした。
    多分、食事してる・してないもわからないでしょう。
    でもだからといって、点滴などせずに餓死するなら人間の尊厳はどこへ行くんでしょう?

    そして、ゆっくりとゆっくりと餓死していく高齢者を見ながら、介護士さんたちは仕事を続けるんですか?
    脳死などの延命治療を外して、数分で死を迎えるのと違いますよね?
    看護師さんたちの精神が持つのでしょうか?


    もちろん、「いや、餓死ではなくちゃんとした方法で」、という事なら別ですが。
    すみません。素人なので、単純にそんな疑問が浮かんでしまったものですから。

    ユーザーID:0727028728

  • 難しい問題ですね。

    私の祖父は認知症ではありませんでしたが、誤嚥による肺炎で食事が摂れなくなり、胃ろうの処置などする間もなく、あっという間に亡くなりました。ですから、家族は介護という介護はしていません。ほとんど、ぽっくりと逝ってしまった祖父を、皆「大往生で理想の最後だね」と言います。でも、祖父の娘である母は、「ちゃんと介護がしたかった。面倒見させて欲しかった。もっと一緒にいたかった」と今でも悔やんでいます。

    私は誰にも迷惑をかけずに逝ってしまった祖父を、最後の最後までしっかりとしていた祖父らしく素晴らしいとも思いますし、大好きな祖父でしたからもっと孝行したかったとも思います。例え、認知症になって私のことがわからなくなっても…。胃ろうをして沢山の管に繋がれてでも生きてほしかったと思う母の気持ちもわかります。

    だから、死を間近に迎える人と残される人、両者の気持ちを考えると難しい問題だと思うのです。そもそも医学は死を避けるために発展してきたものです。理想の死に方とは誰のためにあるべきでしょうか。命とは誰のものでしょうか。人間の尊厳とは何でしょう。
    生きるか死ぬかを決めるのは、決めて良いのは誰ですか?

    ユーザーID:9326915182

  • 私はそれでも生きたいです

    私はたとえどんな姿になっても生き続けたいです。

    お金がかかるから死んだ方がいいって言うんですか?


    トピ主さん。

    ご本人の気持ちはどうなんでしょう?
    あなたの気持ちじゃないですよ。

    人はみんな違います。
    考え方だって違う。

    たとえば、私は心臓が停止し、動かなくなってしまった時が人の死だと思っています。
    脳死移植反対論者です。
    今の法律では、本人の意志が不明でも家族の同意があれば移植できますよね。
    私はあの法律に反対の立場です。

    何よりも本人の意志が重要です。


    今、ベッドで寝ている方の気持ちと、あなたの意志は同じだと言えるのですか?

    ユーザーID:6438138681

  • 全面同意です。

    私としては、自分が自分らしく生きられないのであれば、生きている意味が無いと思います。
    医療はその人の生活の質を高めるための手段であって、医療によって人間らしい生活が維持出来ないのであれば、本末転倒だと思うからです。
    だからこそきちんと自分の意思を家族等近い人に伝えておくことが必要だと思います。
    価値観としてはどの様な状況でも長生きしたいと思う方もいるでしょうから。
    こういった場合、問題になるのは周りの意見です。家族の思いで延命を望まれることもあるでしょう。
    それは良いのですが、それ以上に医師の説明一つで、どっちにも転ぶでしょうね。
    医療関係者や自分の死生観がキチンとある方でなければ、医師の言うとおりにしてしまうでしょう。
    医師に胃ろうを作らないと生きられないと言われて、ノーと答えられる方は少ないのでは無いでしょうか。
    また生活保護の方、身寄りの無い方なども、よっぽどしっかりされていない限りは、最後の最後までガッツリ治療されてしまいます。
    まずは、医師が倫理感を見つめ直し、病気だけではなく人の人生を考えて治療方針立ててもらうのが一番と思います。
    自然に死ぬ事が普通な世の中になりますように。

    ユーザーID:8797954522

  • そうですね

     大っぴらには言いませんが、国だって同じこと考えてますよ。
     だから高齢者への予算はどんどん削ってるじゃないですか。
    「後期高齢者」という言葉を作ったこと自体、それを物語っていると思います。

    ユーザーID:8523521640

  • んじゃ、何でその仕事をしてんのさ

    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    では、何故貴方はその仕事を続けているんですかね。
    貴方のやっている事はいわば、国を滅ぼす手助けでしょうよ。
    貴方の説に準えていうなら。

    高齢者を病院に預けて延命させる家族と、
    自分の生活のために延命を手助けする貴方と
    一体何処が違うんでしょうか?
    自分の生活の事しか考えていない点では同じ事です。

    行動の伴わない貴方に、人をとやかく言う資格は無いと
    思いますがね。

    ユーザーID:9921230752

  • 反論なんてできません

    栄養剤の点滴だけでも生きていてますからね…
    意識もしっかりして、会話もできます。

    面会に来られない方の方が圧倒的多数だと思います(来ても年に数回)
    もともとうまくいってない場合もあるでしょうし、自分の生活がいっぱいでそれどころではない。老いてゆく親を見たくない…等

    熱中症対策か、水分補給も結構強制的です。
    「あんなに飲めない」「飲みたくない」「おなかがぼがぼ」と言ってます。

    老いてゆく様を目の当たりにしてるからこそ、きれいごとでは片づけられないと思います。が
    実際には施設等に預けて日頃の様子を知らない事がほとんどでしょう。
    あんな様子を毎日見てたら「生きていれさえすればいい」とどこまで思うでしょうか。親は基本自分よりも先にいなくなるけど、それはいつ?
    自分が死ぬまでその状態でいて欲しいのでしょうか?

    毎日世話をして、毎日会って、その変化を目の当たりにしてないと
    結局は若い時のイメージのままなのでは?
    だとすると、自宅で介護というのは「きれいごと」ばかりではないと実感できる一つのいい方法なのかもしれません。

    ユーザーID:7360693129

  • 死について議論を避けている。

    日本は「死」について議論を避けていると思います。
    忌み嫌うばかりで真剣に向き合っていない。自分もいつか必ず死ぬのに、考えない
    ようにしている風潮があります。
    その結果、延命措置についてどうして欲しいも意思表示しないし、なすがままに
    なってしまっている。
    自分で死を考えたくないために、医療者に判断をゆだねて医療者を苦しめている、
    そういうこともあると思います。

    わたしは、主さんの思うような状態になった時に死ぬべきかどうするかを考える前に、
    まず、「死とは何か」「自分が死ぬ時どうしたいか」「人間は死についてどうある
    べきか」など、基本的な問題をじっくり討論すべきだと思います。

    死を考えると生がどうあるべきかも考えるでしょう。どう死ぬかはどう生きるかに
    つながってきます。生きていることばかりが尊いわけではなく、尊い死もある
    はずです。
    樹木希林さんがコマーシャルで「死ぬ時くらい好きにさせて」ということを
    おっしゃってました。
    日本人は死について真剣に向き合うときが来ていると思います。

    わたしは50代ですが、エンディングノートを書き始めました。
    自分がどう死にたいか、考えています。

    ユーザーID:0667266559

  • 同意します

    私の両親は病院で亡くなり、最後は意識もなく助かる見込みもないのに死ぬためだけに長い間管に繋がれ意識が戻ることもなかったです。会いに行っても苦しそうな息づかいを聞いてるだけでした。

    義母は治療しても治らないとわかった時点で治療を中止し退院して自宅で過ごしました。痛みはあったと思いますが、期間は短く意識が無くなってからはあっと言う間でした。

    両方の介護をしてみて、私は治る見込みがなければ治療を中止しようと思ってます。
    でもこれは環境を整える必要があるし、どうするかは自分自信が決めることだろうと思います。
    病院でも尊厳死が認められるといいのになと思います。

    ユーザーID:6753740466

  • 子供や若い人なら治療の意義はあるけど…高齢者ですもんね

    難しい問題ですね。

    子供や妻なら何としても治療するだろうけど、一人残されて、見舞いに来ない(来れない)結婚した子供や孫しかいない高齢者ってことですよね。

    本人の意思はどうなんでしょうね?元気なうちに、本人が意識がなくなったり認知症になってしまった場合困るから、と言って
    「治る見込みがないなら延命治療とかはしないでくれ」
    なんて話を大概はしてると思うんですよね。もしかしたらその方々は、本人の意思で延命治療をしており、周りはそれに従っただけ…に過ぎないのかもしれませんね。

    義兄の母親が長くガンで自宅にいながら治療してましたが、急激に悪化しいよいよとなって、義兄(父親や兄弟は他界しており家族が義兄しかいない)に決断が迫られました。泣きながら延命治療する、と。しかし、本人がずっと痛い思いをし苦しむことがわかっているのと末期ですから、楽にしてあげようとなりました。
    悲しいですがこれも親孝行なのかもしれないと思いました。

    私自身も病気で多額の医療費使ってます。生活はできてますが、どうにもならなくなったら医療費は使わないでってまだ元気だから思うのかな?

    ユーザーID:5845882398

  • 医療関係者だからこそ、自身は平穏死/自然死を望む人が多い。

    その後が見えますからね、黄疸、褥瘡、浮腫み、肺炎、etc…。
    それは望まない人が多いと思います。
    意識がはっきりしなくなれば、私も望みません。平穏死を希望します。

    私達が次の世代に対して出来ることは、明確な意志表示でしょう。
    お金だけでなく、子供に選ばせることも次世代の負担です。
    最期までどんな状態になっても生きたい、と言うか、口から栄養補給出来なくなれば死んでも良いとするか。
    自分の意志で決めて、それを次世代に伝えておくべきだと思います。

    ただ、ケアを劣化させれば「経口補給出来ない状態に追い込む」ことも出来ますから。
    姥捨山を防ぐために、可能であればガイドラインの整備が欲しいところです。

    平穏死の概念は、広まりを見せつつあります。
    10年後、20年後は平穏死が普通の日本になるかも知れませんね。
    平穏死カードが出来たりね。

    ユーザーID:1932283683

  • 人の目 1

    とぴ主さんのおっしゃること、支持します。

    私の母は、同敷地内別居。認知症がありましたが、ヘルパーさんの助けを得ながら一人暮らしをしていました。
    88歳の誕生日を目前に癌が発覚。余命2か月と診断されました。
    自宅で24時間ヘルパーさんについていただき(母には蓄えがありました)、訪問看護の先生に来ていただいて自宅介護を開始しました。
    最初から延命はしないと決めていました。なぜなら、父がとぴ主さんのおっしゃる状態で3年寝たきり入院のあと、亡くなったからです。
    母は父に中心静脈、呼吸器の取り付けの決断をしました。
    そういう時代だったのだと思います。
    「もう何もしなくていいです」と言えない時代。
    25年以上前のことになります。
    聡明でハンサムな父の両足が腐って膝から下は真っ黒でした。
    おっしゃる通りただひたすら耐えるだけの毎日。どれだけの地獄だったのだろう。

    母も床ずれから足先が腐り、痛みをずっと訴えていました。腹水も溜まり、苦しそうでした。だんだん食べられなくなりましたが、当初から延命治療はしないと決めていたのでヘルパーさんにできる範囲での飲食の介助をお願いしていたのです。
    (続く

    ユーザーID:9081154956

  • いずれ淘汰される

    トピ主さんの主張はわかります。
    でも前レスにあったとおりまだ時は熟してないのではないでしょうか。

    少子高齢化がますます進めばもう過度な延命治療を支えきれなくなるのではないでしょうか。
    たとえば本人負担が今より多くなれば「その道」を選ぶ人はどんどん増えるでしょう。
    そう遠い未来の話ではないと思います。

    >毎日自問自答しながら仕事をしています。

    それでいいと思います。

    >納得できる反論などをいただけないでしょうか。

    難しいですが、あえて反論するなら「そこに横たわっているのが自分の親だったら配偶者だったら、ましてや自分の子供だったら同じことが言えますか」ですね。

    基本的にはトピ主さんに同意してます。

    ユーザーID:1437947632

  • 自分ならそうしてほしいけど

    私自身が自分で動けない・食事もできないとなったら、延命措置など一切せずにさっさと死なせ欲しいです。
    自分の事ならそう思えます。

    でも、親や夫がそうなったら、果たして延命を拒否できるかどうか?
    その自信はありません。

    元気なうちに家族で話し合っておくのが一番なのでしょうね。

    ユーザーID:6701295983

  • 人の目 2

    続き)ですが、入れ代わり立ち代わり来ていたヘルパーさんの内何人かが、栄養補助のサプリ等を与えるべきだと私に言ってきました。よそで癌患者さんを見ても、皆そうしている。なぜしないのか、と。なぜこのまま死ぬに任せ、見殺しにするのか、というニュアンスだと受け取りました。
    責められたと感じた私はあわててお医者さんに相談しました。
    延命して何か良いことがあるのか?と先生はおっしゃいました。その時の事、先生の言葉詳細は覚えていません。でもそれは私の気持ちに寄り添ったものでした。
    腐った足、苦しいお腹。寝たきりの毎日。その母に延命処置をする意味は?苦しみを長引かせるだけです。
    母に延命のための栄養を、と言ってきたヘルパーさんは年配の方でした。

    認知症は大変な病気ですが、母は幸せだったと思います。
    自分の病気もわからないまま、穏やかに死を迎えられように思いました。自分が母の立場で、認知症を患っていなかったらどう感じるだろう。その結論はまだ私の中で出ていないのです。
    それはそのまま自分の将来への不安につながります。

    昔は人の目が治療をやめさせてはくれませんでした。
    今もあまり変わらないのでしょうか。

    ユーザーID:9081154956

  • 胃ろうは要望がない限りしない医療機関も増えてますよね。

    ご本人とご家族の強い意志で「胃ろうをしてほしい、生かしてほしい」と示さない限り、
    胃ろうは積極的にお勧めしないところも増えているのは、やはりそうなってからの長さや辛さが
    リアルケースで見えてきたからだと思います。

    医療や福祉の世界に「本人の意思尊重」という概念が入ってきて、業界内には浸透してきた気がします。
    あとは、世間の倫理観、というより法整備かなと思います。
    今は、延命治療をせずに自然に任せるやり方は合法でも、寿命を断ち切る形になる尊厳死は罪になるでしょう?

    一時期、海外で尊厳死をさせてくれる医療機関が日本でも話題になりましたが、
    諸費用込みで数百万円かかるにもかかわらず、日本人高齢者が何人も順番待ちをしているそうですよ。

    ごめんさい、ちゃんとした反論はありません。
    ただ、私も福祉に係る仕事をしているものとして、「本人の意思・尊厳の尊重」を突き詰めると
    一定の年齢に達した人に対して、自分の寿命は自分で決められるような法律は必要になってくると
    思ったりもします。条件等を考えていくと、ものすごく難しいですけどね。

    ユーザーID:5146316332

  • 義父はポート(点滴)で生きています

    ずっと療養型病院にいます。
    要介護5です。
    話はしっかり出来ます。
    ポートでないと受け入れられないと言われて、ポートにしました。
    時々肺炎になりますが、薬で持ち直します。
    家族で家で看るのはとてもできないので病院に入院させていますが、
    週に2回は必ずお見舞いに行きます。
    家族はお見舞いに行くだけで、疲れています。
    いつまで続くのかわかりません。
    もう、口から全く食事がとれないのだから、
    終わりにしてあげたいと家族は思っていますが、何もできません。
    病院の方々も見殺しにはできませんから、
    肺炎になって、「薬を使わないでいいです。」とは言えませんしね。

    医療が進み過ぎて、医療費を負担する家族も、国も辛い世の中です。

    ユーザーID:5716598511

  • 個人的には総論賛成

    医療費負担がどうのこうのって部分は賛同しかねますが、尊厳と言う部分において同意します。

    しかし本人または肉親の意志でそのような状態での存命を望まれるなら、それも選択肢としてあるべきでしょう。

    ユーザーID:0879949053

  • 賛同します。しかし、感情がついていかないのです。

    実の父親が脳卒中で倒れ、もう何もわからない状態で
    点滴で生かされている状況です。
    意識がしっかりしているときから「延命はしない」と
    聞いていました。しかし、ちょっと口元がほほ笑んだように
    見えたり、少し手が動いたり、まだ意識があるように
    思えるんです。子供たちを連れて何度もお見舞いに行っています。

    とぴ主さんの主張に強く賛同します。
    でも、どうしても栄養点滴を外せないんです。
    まだ父親は生きているんです。

    ユーザーID:4277243946

  • ほぼ同意

    トピ主はすべての寝たきり老人を延命すべきでないと言ってるのではないでしょう。
    多くの寝たきりでチューブにつながれて延命されている老人たちの中には、それを望んでいない人や延命がただただ苦痛になっている人がたくさんいるのではないかということですよね。

    私の親は末期がんで余命わずかです。老衰とは違うでしょうが、蘇生も栄養チューブも拒否しています。
    60を過ぎれば自分の考えを家族に伝えておけばよいのではないでしょうか。
    中にはチューブにつながれてでも生きたいと思う人もいるでしょう。

    家族としても延命拒否イコール見殺しみたいに世間に思われそうで決断しづらいのでしょう。

    家族にそのような思いをさせないためにも、私は(40代)夫や子供にきちんと意思を伝え、できれば文書で残しておきたいと思っています。

    ユーザーID:0497109781

  • 同意します。

    その通りだと思います。
    反論はありません。
    人間の尊厳の問題でもあるのですから。

    たくさんの管と機械に繋がれそれなしでは生きていけず、食べる喜びも話す楽しみもなく、ただ牢獄のような生に縛られる。
    愛した家族は遠くなり微笑みあうこともなく、それどころか泣かせて、金銭的にも負担をかけながら、ただただ、生きている。
    そして長くなればいつか必ず疎まれる。
    それは人間にとって地獄ではないですか。

    本人の意思も確認できず、もちろん家族は切り離したりできない。だから生かされる。

    それが自分だったら。

    死にたくはないでしょう。死は恐ろしい。
    だけれど辛い。絶対に苦しい。楽になりたい。
    それゆえに管を外すことを願うでしょう。
    回復は見込めないのなら、生き物が生き物としてあるように、生きて死にたい。

    命がある、ただそれだけが大切なことなのではないはずです。

    ユーザーID:9406761011

  • むずかしい。

    義父が植物状態で14年。胃ろうで生きました。
    横にいる義母はそれでも一緒にいてくれてうれしい。
    すぐにでも目を覚ましてくれそうと疲れた顔をして言っていました。

    最初は急に倒れた義父が目を覚ますかわからず、
    生きていれば動くかもという希望をもとにはじめた胃ろう。
    もう動くことはないとわかっても、止められませんでした

    やめることは、この手で命を止めること。
    そんな選択、できない。

    でも、あまりにも急に倒れた義父、
    もしかしたら起きられるようになったかもしれない義父。
    高校生の弟がいたあの時。
    その先14年も生きていられるのがわからなかったあの時点で
    あきらめるのは。できなかった。

    どうするのがいいのでしょう。

    でも、夫と二人、治療で胃ろうはしないでおきたいと話しています。

    ユーザーID:2462973580

  • 正解がわかりません。

    今年に入ってから父を誤嚥性肺炎で亡くしました。緊急搬送後2カ月入院しましたが、母が延命治療を希望しなかったのと、回復の見込みが無いことから退院させ訪問医療、看護にしました。最期は飲食は何も欲っしずその後自宅で家族に見守られながら息を引き取りました。
    周りの人は家族に見守られながら自宅で亡くなった事を「良かったね」と言います。私も確かにそうは思うものの、父は延命治療してほしかったのでは?まだ生きていたかったのでは?といまだに考えてしまいます。

    自宅に連れ帰ってみてわかった事ですが、例え訪問看護を申し込んでも自宅に常に誰かいなければ無理でした。今回は母がいたので可能でしたが、母の時はどうすればいいのだろうと考えてしまいます。
    現状私達子供はお互い家庭があり働かなくては生活が出来ない状況です。仕事を辞め看護する事が出来ません。したい気持ちはあってもです。

    でも世の中にはただ生かしておくだけで親の年金を目当てにしている人もいると聞きます。またいざとなったら命の尊厳を理解していても、親恋しさで延命治療をお願いしてしまうかもという友人もいます。色々なケースや事情があり私には正解がわかりません。

    ユーザーID:7417713577

  • 本人の意見が抜けてる

    ご本人はどうお思いなのでしょう?
    現段階では分からないなら、臓器提供カードのようなものも必要かもしれませんね。

    まあ、なってみてやっぱり手厚く治療して生きないっ!と思うかもしれませんけれど…。

    引導は誰にも渡せないと思います。

    それと、現状とおっしゃられますが、医療施設でそのような状態のご高齢者は全体のどれくらいの割合なのですか?
    私はまだ少ないから放置されているのだと思ってます。

    年間四百万円を使いすぎと判断するか、足りないと判断するかは人それぞれだと思いますよ。

    正解はなく自問自答できる人がなるべき職業ですから、色々大変でしょうけれど、頑張ってください。

    ユーザーID:8834364170

  • 皆さま、ありがとうございます。

    いろいろとご返答いただき、ありがとうございます。全て読ませていただいています。

    頭が混乱していて、2つの問題をごっちゃにしていましたね。ひとつは死を選ぶことの尊厳について、もう一つは医療経済上の問題について。

    これを一緒にしてしまったので、姥捨て、のようなご批判が出てきたのでしょうね。私のミスです。結局、私にも回答は見つかっていません。ただ、林檎さんがおっしゃっていた、自分は拒否するけど親にはする、というのは「悪意のない」虐待ではありませんか?

    実際ご家族と話をするとき、既に患者さん本人の意思表示がはっきりあった場合は栄養補給を断る方が多いです。やはり元気な時に意思表示をしておくことが大切なのでしょうね。

    あと、親を少しでも生かしておいてその年金で暮らす子供達もいます。彼らにとっては、親が生きていることが稼ぎの元なのです。もちろん、見舞いになど来ません。そんな家庭も現実には山ほどあることをご承知おきください。

    「先に行っているから、また会おうね。」とご家族に言えるような死生観を持てる社会、死を忌み嫌い、敗北ととらえるようなことのない社会を作りたいものですね。

    ユーザーID:6839394959

  • リビングウィル

    60代です。

    私が一番恐れているのはトピ文にある様な状態になる事です。

    主治医のいる病院で貰ったリビングウィルの書類に記入して家族にも署名してもらってありますから、病気になってその病院に入院できれば何も心配はありません。

    ただ外出先で事故にでもあってどこか知らない病院に運ばれたらどうなるのかと心配です。
    常に身につけていられる携帯用の正式なカードができないかと思っています。

    無理矢理死なせない様にするのでなく自然に最期を迎えられたら幸せだと思います。

    ユーザーID:6142497198

  • 賛成です

    現在40代ですが、20代から難病を患っています。
    医学の進歩のお陰で、現在もほぼ健常人と同じ生活を送ることが出来ています。
    医療・製薬関係者の方の努力には本当に感謝しています。
    ですが、個人的には60歳くらいまで生きられたら十分です。
    入院しても一切の延命処置は断り、その後の治療に掛かるお金は若い方のために使ってもらいたいです。
    高齢化に伴い膨れ上がる医療費を考えたら、80歳以上の方は一切の延命処置はしない、したければ費用は全額自己負担、くらいにしないと現在の日本の皆保険制度は早晩崩壊するでしょう。
    現在の3割負担も5割、7割等に増えていくでしょう。
    そうなれば気軽に病院に行けなくなり、若い助かる命が失われていく可能性が高くなります。
    治療にはお金がかかる、そのお金で救える命は若い世代を優先すべきというのが私の考えです。

    ユーザーID:5246185128

  • そうですね。

    私もそういう状態で生きててなんの意味があるんだろうって思ってました。
    でも以前、ドキュメント番組で全く身寄りがないご老人がそういう状態なのにもかかわらず、意識はしっかりしてるのか、生きたいっていう意思をつよく持っていたんです。
    結構衝撃でした。
    生きていてもしかたないって思うのが当たり前かと思いきや。本人が死にたくないって強く思ってる場合もあるんだって。
    ていうかこの話を母にしたらそんなの当たり前よ、死にたくないわよってあっさり言われたんですが、、そういう状態でいてもそうなんだ、、って忘れられないです。
    自分だったらそんな状態で生きていると言えないって思うし迷惑かけたくないし。
    やはり自分で選択できるといいですね。

    ユーザーID:4288385139

  • お金の使われ方

    >このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    具体的にそのお金がどの様な事に使われれば良いとお考えですか?

    ユーザーID:6927317247

レス求!トピ一覧