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食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

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  • そう思います

    予想以上に少子高齢化、核家族化が進んで、リタイア後の生活を最後まで自分で全うすることが難しくなっているとおもいます。

    そろそろ限りある財源を湯水のように高齢者の医療費(福祉)に使っていいのか考えるときだと言いたいです。しかし政治に関わる人は本人も高齢者に近いですし、有権者に占める割合の多い高齢者に媚を売る政策を進めます。

    とりあえず望まない延命を避ける、場合によっては安楽死も可能なように法律を変えるべきです。そもそもこの問題について国民は危機感をもたないと、本当に子どもや若者のいない、中高年ばかりの国になってしまいます。

    ユーザーID:4022357932

  • 反論ではなく共感

    食べられなくなった時が死期なのだと思います。
    少なくとも私がそうなったら死にたいです。
    安楽死がいいな。
    でも日本では、政治家が安楽死を口にしただけで非難され、議論する事さえ許されませんね。
    社会保障制度への影響も大きいですけれど、
    そもそもそんな風に「生かされる事」を望む人が多いとは思えません。
    毎日そういう人達のお世話をするトピ主さん、お辛いでしょうね。

    ユーザーID:6504065364

  • タイミングとお金

    終末期の高齢者に対して濃厚医療が非倫理的だという考えは広まってきていると思います。欧米ではすでに数十年前からそういう考え方だそうですね。
    日本では少し前までなによりも命が大切という意識で延命治療をしてきたのですから、本人にとっても苦しみを与えているだろう延命治療をやめるタイミングがないままになっているということがあるでしょう。
    ある一部の人にとっては、お金の問題があります。本人負担が数万円なら生きている限り年金で得だと考えること。家族がそう思う場合もあるでしょうし、家族のことを考えて本人があらかじめ意思表示をしていることもあるでしょう。医療側ではどうなのですか。終末期の高齢者に濃厚医療をすることが経営上必要だということはないのですか。

    私は医療関係の仕事をしている人にこそ、何年も管につながれ意識もなく生命を維持されている高齢者が幸福なのか、食べれなくなったら自然に枯れていくように亡くなる方が幸福なのか、教えて欲しいと思います。
    一般には胃ろうを知らない人も多いですよ。

    ユーザーID:8111537692

  • おっしゃる通り

    諸外国では、胃ろうや、チューブをつなぐことは老人虐待との認識になるそうです。
    したがって、寝たきり老人なるものは存在しないのだと。。。


    私は、食べられなくなった時、その時こそが神様の決めた寿命なんだと思っています。
    それを人智や技術で無理に引き延ばしているだけだと・・・。

    先日、我が家の大切な大切なペットが虹の橋を渡りました。
    動物と人間を比べるなぞ何事か!とお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。

    でも食べられなくなり、動けなくなり自然に呼吸が止まり、
    自然の摂理に基づいてこの世を去っていく彼を看取りながら、これが正しい形なのだと思わずにはいられませんでした。

    ユーザーID:8558601381

  • 同意です

    胃ろうは延命治療だと思っています。
    生かされている人たちは幸せなのかと。うちの母も胃ろうを勧められました、がわたしは賛成しませんでした。母はどこにも行けないし自由に動けないのに生きていたくないと言います。
    誰しも年を取ります、決して他人事ではありません。わたしは胃ろうや点滴等で長生きしたくない。寿命を伸ばす意味がわかりません。

    ユーザーID:0715333784

  • 延命処置して良かった。

    指も動かすこと無く、呼吸はしているが意識は無いのだろうと思っていた
    母の状態、ある日病室に行って、「来たよう」と話しかけて、何時もですが
    反応が無いので「かあさんは、話しかけても返事をしないんだから!」と
    言ったら私の方に振り向いたんです、嬉しかった。と同時に反応が無くても
    聞こえていたのか意識はあった、延命処置して良かったと思った瞬間です。
    その3日後に無くなりました。
    母は日頃からまだ死にたくないと言ってたので、意識のある内に命を絶つことを
    しなくて良かった。

    介護をしていく過程で医療機関にはかなりお世話になりました。
    後半には障害1級に認定されましたので、医療費は無料でしたが
    可能な限り自宅介護に勤めました、訪問看護や在宅介護支援を受け
    ながら。
    最後は病院で亡くなりましたが、今でも延命をして貰って良かったと
    思っています。

    13年の介護で私の心身共に崩壊しました、母の後を追おうかと考えたが
    やり残したことが有ったので留まりました、やり残しも今日で終わったので
    私の決心次第になりました。
    母の医療で掛かった分は私の分を先に使ったという事で相殺して貰えれば嬉しいです。

    ユーザーID:9767518909

  • 看護師ですが同意です

    私も日々悶々としながら同じことを考えて仕事してます。
    自分で経口摂取ができなくなったらそれまでの寿命で、経管栄養なんてしないでもらいたいですね。
    若い人など病気で一時的に経口摂取できない場合にのみ、経管栄養を使ってほしいです。

    ユーザーID:3929626855

  • 主さんに同意です

    医療・介護従事者や(重度の)介護経験を経た人ほど主さんと同じ感覚を
    持つと思います。

    母が自分のオムツの中から汚物取り出してむしゃむしゃ食べてる姿を見た
    時は「ああ、もう人間じゃないな」と思ったのが正直な感想です。

    生存本能のみで生きている生物でしかありません。
    かといって他の動物のように自力で狩りができない、栄養摂取ができない、
    動くことができない、といった状態で自然淘汰されるような存在でもない。

    実に歪で不自然な生だと思います。

    どんな状態でも生きていて欲しい、と願う子供や親の願いを否定する
    つもりはありません。

    ですが、それは「事情」を盾に他人様に丸投げし、9割の税金を使った
    状態で声高に訴えるものではないと思います。

    実際問題、そのような状態で生きていて嬉しいのは、それを希望して
    いる本人とその身内だけですから。

    なので主さんもご自分の家族が寝たきりになったらひょっとしたら
    気持ちが変わるかもしれませんね。

    ユーザーID:8381965201

  • 本音を言うと

    胃ろうをしても、普通に生活できるなら、いいと思いますが、病院の入院代ベット代 胃ろうの代金 年間すごくかかります。意識がなく、管で繋がれ生きているなら。 その代金未来の、若者たちの年金に回してほしいです。自分が、患者でも、そう思います。あと 老人ホームは何百万も負担するのに 入院は一割負担。老人の入院は3ヶ月まであとは自宅介護にしてほしいです いくら税金あっても、なくなる一方でしょう。

    ユーザーID:5677577303

  • 同感です

    私もその業界に携わる者です。最初は仕事を覚えるので精一杯で考える
    余裕ありませんでしたが、トピ主様と同じ様な疑問と考えを持った次第です。

    お子さんが入院してみるみる元気になる訳ではないので、切ないです。

    ふと思いましたのは、患者様ご本人のご親族や関係者にだけは意味が
    有るのかな、と(精神的・金銭的)寝たきりだけど、
    ご本人と近しい人にはそれでも一緒に生きてる実感を維持したい一心
    なのでしょうが、本当にご本人が望んでいる状態なのかは疑問です。

    しかし、これから日本を背負う人を思う所は有りますが、
    病院に勤務する大勢の従業員とその家族も有ります。

    済みません、ちゃんとした回答には至りませんが、潔くどこかで
    区切りを付けて欲しいと思いつつ、誠心誠意できる事を尽くすことしか
    自分には出来ない事にもどかしさを思います。

    ユーザーID:5898109175

  • 同意します

    お金の事を書くと批判を受けるでしょうが、高齢者の「治療」ではなくて「延命措置」に関しては、保険の制限をかける方が良いと思います。

    誰も自分の一言で人の命を終わらせる事は難しいです。

    どこかで病院の方から「ここまでです」と言われる方が、家族も納得するのでは。

    最後まで延命して欲しい人は、「自分の財産を使い切るまで徹底的に延命して下さい」と意思表示しておけば良いです。

    ユーザーID:3084218491

  • 一部に反論します

    54歳です。この春、末の子供が無事に独り立ちしました。
    私も胃ろうはまっぴらですね。延命治療も望みません。その意思をリビングウィルとして文書にして、子供たちにも確認させてあります。

    しかし、
    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。
    これには断固、反論します。
    いかなる理由があっても、国のために死ぬことを推奨すべきではありません。違う種類の「お国のための名誉の死」に道筋をつけることになります。
    そもそも、国民の医療費に圧迫されて滅びる程度の国家じゃ困ります。

    また、理性を欠いた長寿信仰というのも当たらないと思います。
    別に長寿信仰に沿って医療が行われているわけではなく、医療技術を追求していく過程でQOLの思想が置き去りにされたらこうなった、ということでしょう。
    この状況はこれから変わると思いますよ。受身ではなく、個人が医療を選ぶのが当たり前になれば。

    今後は、リビングウィルの運用に関する法整備が進んで欲しいですね。

    ユーザーID:0202605599

  • 胃ろうについて・・・

    胃ろうを一度始めたら、その人が亡くなるまで医師は外せない訳で、そうなると患者も患者の家族もいろいろ後からこまることになるかもしれませんが、反面で胃ろうをして療養してるうちに経口でも食事がとれるケースもあるんではないですか?

    まだ生きられる人を、人がもう社会の役に立たないからみたいな理由で「もう生きてくれなくていいから」と言われているような処置をしてしまう、あるいは処置をやめておくという判断はむずかしいです。


    70代後半の両親、どちらも未だ検診にひっかかることもなく、元気で病院にも通うことないまま父は今年80になります。
    一時的に胃ろうにした場合、また自力で食べられることもあるのでしょうか?

    もっと高齢の家族がいる場合は知っておくべきことを知らないことが多いのでしょうね。
    急に判断を求められたとき、あわてて決めるようでは、くいの残ることになりますよね。

    でも、死んでも仕方ない、もう十分生きたからなんて、だれがそんな大それたことを判断できるのでしょうか?本人以外に・・・。

    ユーザーID:3452624030

  • 賛成です。延命措置の意思表示カードなど作ったほうがよい

    医療費がかかるという理由ではないのですが、
    食べる楽しみがなくなった後は生きるのが辛いという意見がありますよね。
    年をかさねても人間は人間。食事もせずに自由に身動きできずベッドの上でただただ毎日を過ごすなんて牢屋にいるより辛いです。

    医者も胃ろうやむやみな延命治療をする場合はそれから先の生活がどうなるのかきっちり話すべきと思います。
    私達も延命措置に関する意思表明カードなどもったほうがいいと思います。

    ユーザーID:6335737038

  • 横ですが。

    >終末期医療にかけている税金を未来ある子供や若者に回せたら、、、と思うけれど。

    これは、とてもいいことを書かれているようで、とっても怖い事を言われているように思うのです。

    まず、私たち人間の頭で、高齢者はもう社会の役にたたないので、若者のために・・・なんて、決めていいものではない気がします。

    そして、いくらでも他に税金の無駄があるでしょうに、高齢者の終末医療をどうでもいいと国民が言い始めたら、その分節約?になった財源が子供や若者の福祉に使われるでしょうか?単に姥捨て山的社会がやってくるだけではないでしょうか?
    ただ、高齢者が気持ちよく、最後の時間を過ごせる医療、医療の質にこだわるのは大事ですが、高齢者には生きなくていい、そこに回す財源がもったいないなんて、やはりどうどうと言える世の中になるのは怖いです。大事ななにかを失くしています。

    ユーザーID:3452624030

  • それはつらい現実ですね

    大学の卒業論文に尊厳死のテーマを選びました。

    自身の意思で決定できない状態を生きていると言えるのか
    という大きなテーマで様々な角度から死について調査研究
    しました。

    私が出した結論はやはり、意識がはっきりしている間に
    こうなった場合はこうしてほしいという取り決めができること。
    それこそが、自分の人生を全うすることになるという感じです。

    医療が発達してきた今、昔ならとうにお迎えが来ている
    状態の人を生きながらえさせることができるようになっています。
    また、そのような状態を続けることが国の財政を圧迫しています。

    まとめていくのは難しい問題ですが、少子化と共に、
    早急に過剰な医療について議論すべきだと思います。

    当時話を聞いたお年寄りの皆さんは、自分たちが知らないところで、
    栄養を入れられ生かされ続けることを望んではおられませんでした。
    そして、私自身もそのような状態でいることは望みません。

    ユーザーID:9772597785

  • 同意したくはありますが

    トピ文の内容は
    「自力で食べられなくなったら寿命、病院での延命治療はお金の無駄」ということですよね。

    では(重度の障がい者を除いて)というのは何故ですか?

    自力で食べられないという点では先天的な障害も老衰も同じですし
    事故等で後天的に寝たきりになった若年〜中高年層の人の扱いは?
    生かすか殺すか、その線引きは誰がどうやってするのでしょう?
    年齢? 治る見込みがあるかどうか? 面倒を見てくれる人がいるかどうか?
    老衰者も今後もしかしたら医学の進歩で治るかもしれませんし、それは障害者も同様です。

    トピの内容は気分的にはわかります。老衰ならもういいだろう…と思ってしまうのも。
    ですが、障害だろうが老衰だろうが人の命の取捨選択は誰にも出来ないのです。
    私は、現時点では自分が寝たきりになったら安楽死させて欲しいと思っていますが
    いざそうなった時にどう思うのかわかりませんし
    寝たきりでも意識はあるのかもしれないと考えてしまうと
    「助けられるものは助ける」となり、その結果の長寿社会なのだと思います。
    それを「お金の無駄だから死んでくれ」というのは
    それこそ倫理に悖るのではないでしょうか。

    ユーザーID:6409361523

  • もう少し時間が必要でしょうか

    最近は終活もTVで取り上げられることが多くなりました。点滴・胃ろうなどの延命処置についての記事も目にすることが多くなったし、意識が改革されつつあると思います。

    私自身は食べられなくなったら終わりと考えているし、点滴で命を繋がれるのは、真っ平ごめんです。60代の両親も同じです。しかし80代の祖父母には、確認しにくいです。そのような意思確認は非礼と取られる世代かもしれないと思います。祖父母を傷つけるのが本意でないと理解してもらえるのか自信がないです。

    それにいざとなったとき、愛する母が食べられなくなっても、点滴していたら回復して食べられるようになるかもとか、往生際の悪い考えが浮かんできて、点滴を外す決心ができるか自信がないです。トピ様から見たら理性を欠いた国を滅ぼす行動なのでしょうが、肉親とのお別れが近くなったときに、理性を発揮するのは難しいです。

    変革していくには時間がまだかかりそうです。すごく勝手なんですが、生きているだけでいい、どこかの病院で息をしているだけでもというエゴを本当に捨てれるまでは、まだ時間がかかると思います。トピ様の倫理観には反論はないですが、ごめんなさい。

    ユーザーID:9729234236

  • 誰のための延命か

    今まさに父が、ひたすら生かされている状態です。

    最初に倒れた時、選択肢がありました。
    手術をするかしないか。
    すれば命は助かるが、かなりの介護が必要となる。
    しなければ、多分助からない。

    私は冷たいですが、自分なら助けないでほしいと思いました。
    しかし、もしかしたらもう一度話せるかもの誘惑に負けて結局助けてしまいました。

    そして、意識は戻らず経管栄養の日々です。
    もう意識が戻ることは、ほぼないとのことです。

    多くの医者に栄養も治療も止めてくれとお願いしましたが、全て断られました。
    痰を取る時に顔をゆがめ、ゴロゴロと転がされ、おむつもしなければならない。
    本当に父は幸せなのだろうかと、いつも思います。

    主様が医者だったら、昔に出たガイドラインに沿って経管栄養を止めてくれるのでしょうか。
    父は何のために生きているのでしょうか。

    生きてくれているだけで感謝という気持ちにはなれません。
    早く、やすらかな最後を迎えてほしいです。

    ユーザーID:0170498438

  • 同じ様な状態の若い人や子供の場合でも?

    認知症ではなく、例えば事故等でトピ主さんのおっしゃる様な状態になった若い人や子供の場合は?
    患者が若い人や子供でも、同じ事をトピ主さんは主張するのだろうか?
    トピ主さんに同意している人たちもどう考えるのだろう?
    実は、親族に意識のない子供がいます。もちろん、食事できません。自分の意思を示すこともありません。
    目覚める事はたぶんないと診断されてます。
    トピ主さん、どう思いますか?

    ユーザーID:6652071835

  • 話し合いもできません

    死ぬということは誰にとっても決断が難しいのではないですか?
    よっぽど自分の人生に満足している人でないとその決断は難しい。死について向き合えるのは、よっぽど円熟した世の中でないと難しいと思います。
    日本はまだそこまで至っていないんですよ。
    なので、これからゆっくり時間をかけて、世の中の考え方がそこに円熟するのを待つしかないんでしょう。

    私の母は元気ですが70歳過ぎになり、意思を聞いておこうと思うのですが、その話をすると明らかに不機嫌になり、意思を聞くこともできません。
    父は認知症は患っていないですが、ただ生きているだけの日々。本人は「もういい!」と言っていますが、母がせっせと「長生きできる」的なサプリメントや栄養剤をせっせと与えています。
    きっと母の世代の価値観は「長生きするのが勝ち」的な考えなんでしょう。

    ちなみに私は我が子には苦労させたくないので、延命治療は止めてと伝えています。
    これは世代の差だと思います。
    あと数十年たてば変わってくると思いますよ。

    ユーザーID:4937187465

  • 体験して、思うこと

    変な話、健康で元気な人間には、食欲もなく、衰弱して、起きているのも、寝ているのも辛いような状況は、想像しがたいものだと思います。

    自分が病気でだったり、親が衰弱していくのを看取ったりで、経験して、
    私は、自分自身で食べられないほどに衰弱するなら、胃ろうは、拒否して欲しいと、娘には伝えています。

    元気な人間が餓死するのとは違い、衰弱して食べられなくなったという状況では、
    本人自身に食欲云々も感じられなくなってしまうだろうと、実感しました。
    生きたいという意欲があれば、食欲がなくても、食べようともするでしょうし、胃ろうとか、点滴も本人が希望すれば、希望通りで良いとは思いますが、
    衰弱して、意識も戻らず、寝ているだけなら、私はそのまま静かに息を引き取りたいと思っています。

    ユーザーID:1172685333

  • 中村仁一さんの本

    中村仁一さんの終末医療の本を80才の父に薦められて読みました。
    医療に関する知識は予め備えてなければ、と深く思いました。

    胃ろうについてですが、
    50才前に治療法の無いままに筋力の低下で胃ろうになった知人も居ます。
    昨今の医学の進歩で数年すれば治療薬の開発も期待出来るので
    知人は其れに期待をかけて病気とともに生きています。

    老人は自然死の道を進むのでしょうか?
    同じ医療の進歩で老化も止められるのでは無いでしょうか。
    其れに一縷の希望をこめて延命する事も罪ですか?
    医療費の膨大な額をどこで区切るのでしょうか。

    今は 疑問を持つことは良いのですが、
    正しい結論を期待してはいけないと思います。
    こうするべき、と言う基準が一人一人違う事を認めて
    それぞれの悩みを助ける知識と情報をもっと広めるて
    勉強して行く事が大人の宿題です。

    ユーザーID:5141352930

  • 延命治療の善し悪しと国民皆保険の善し悪しは分けて考えるべき

    延命治療の善し悪しと国民皆保険の善し悪しは分けて考えるべきだと思います。
    延命治療するかしないかは、これはもう本人の意思、家族の意思で決めること。
    議論する意味なんて無いですよね。

    国民皆保険制度が本当に良いものなの?という点は、これこそ大いに議論すべきことです。
    健康保険が任意加入で、リスクの高い高齢者は加入するなら高い保険料を払わなければならない、こんな保険制度だったら、他人が延命治療するかしないかなんてどうでもいいじゃないですか?

    おかしいのは延命治療じゃなくて保険制度だと思います。

    ユーザーID:6524267686

  • 都市伝説さんに同意します。

    私も父と義父の両方を燕下障害の末亡くしました。 胃ろうとか径管栄養よりも根本的に何故その燕下障害を治そうとしないんですか?本人達は死の間際迄水が飲みたい。バナナ一本で良いから食べたいと、意識だってしっかりしていたのに、医療関係者ってそんな本人を目の前にしていても心の中では平気でお金勘定ですか? 特にトピ主さん。貴方です。
    家族だって本人だって何とか延命だけじゃなくて早く現役に復帰して医療に頼らない身体になって欲しいのに、何故わざと燕下障害の治療も研究もしようとしない?頭ごなしにすぐに胃ろうの話しされたって最後迄何故治そうとしない?の不信だらけでした。検索すれば遠方で燕下障害を風船を使って回復させてくれる病院もありました。でも地域医療という枠があるからヤブ医者しかいなくても仕方なく通わなくちゃいけないんです。
    最善の医療を目指してとか病院の理念に書いてありましたが燕下障害に関してはあんなに残酷な死なせ方の何が最善の治療なのか疑問です。 トピ主さんがご自分でそう思うから自分とその親戚御一同様にだけそうなさってくださいね。
    もちろん都市伝説さんには全面的に同意です。

    ユーザーID:1301107073

  • 分かります。

    おそらく高齢者に対して延命治療をしているのは日本だけだと思います。欧州でも私が住んでいるアメリカでも、寝たきりの高齢者で自分で食べれなくなった人の為に点滴はしてくれません。それが寿命だと考えるからです。それに日本よりも医療費がかなり高額なので。そして家族も結構あっさりと諦めています。私はこちらで高齢者の介護士をしていますが、以前私のクライアントで99歳の女性で意識が無くなり、係り付けの医者が来ましたが、何も治療をせず見ているだけでした。それだけでも家族は診察料として大きな額を払ったと思いますが。家族の人が何度かストローで口から水を入れていましたが、何も食べなくなって2週間後に亡くなりました。家族もその間に覚悟も気持ちの整理も出来ていたようでした。文化の違いかもしれませんが、よその先進国はあっさりしたもので、病気ではなく老衰に関しては、自分で食べられなくなったら寿命と考えているようです。だから平均寿命が日本より短いんだと思います。日本は家族が治療費を払い続けることができるからかもしれないですね。

    ユーザーID:7389084403

  • 従事者です。

    私が常に生徒に伝えること、人の生き方、死に方については仕事中には考えないことです。

    このような疑問は、従事者は誰もが感じることです。ただ、特殊な立場にあることを忘れないで欲しいのです。その中にいると、感覚がマヒし、意思疎通が出来ない人は物に見えてくることがあります。これは本当に危険な事なのです。

    この手の問題を考える時、人は自分に置き換えます。次に家族に置き換えます。そして、自分なら「こういう生き方は望まない」と考えた時、きっとこの人も、と、その人の声を聞いたかのように錯覚し、医療事故を起こしてしまうことがあるのです。

    このトピを見て感じるでしょう。多くの方があなたの意見に賛同しています。これも自分・家族に置き換えるからでしょう。そして従事者は錯覚します。「やっぱり自分の考えは間違ってなかったんだ」と。従事者にとって、これは本当に怖い事です。この仕事を志すものは、どのような状況にある人であっても、明日があり、今、この時を生きていると信念を持たなければなりません。知らず知らずのうちに「生かされている」=「本当は死にたいのに死なせてもらえない」と錯覚してはダメなのです。

    ユーザーID:5153471814

  • 完全に同意

    トピ主様に完全に同意です。

    ”病気”を治すのが医療なはずなのに、日本人は”老化”も治してくれると勘違いしてしまっているように思います。

    本来であれば寿命をまっとうしているはずの高齢者をただただ生かし続けるために、

    働く世代は莫大な社会保障費を負担しています。

    そして、この負担は今後もっとも増えていきます。

    儒教の教えが根強い日本では難しいことですが、感情論に走らずに、

    みんなでこの問題についてまずは議論することが必要かと思います。

    ユーザーID:5766342958

  • 近年は 考え方が変わってきた ハズ

    出典は 忘れましたが、こんな話を聞いたことががる。
    『 かつて、医療の使命は 患者の生命を救うことであったので、
    延命医療は当然だったが、
    近年は、緩和ケアが重視されるようになってきた 』

    ちょっと調べてみた
    (日本ホスピス緩和ケア協会 HP )
    緩和ケア病棟 病床数の推移
    1990年 117 → 2015年 7184
    約 60倍だ。
    最近の数年間は 加速的に増加している。

    トピ主さん曰く
    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    いえいえ 心配御無用。長寿信仰は是正傾向ですよ。

    ユーザーID:7736431596

  • 家族の判断だから

    認知症や脳障害で治る見込みがないのに科学の力で生かし続けるか
    尊厳ある死か、確かに悩ましい問題ですね。
    母方の祖母は心臓病を患い最後は点滴につながれて身動きできない状況の中なくなりました。
    死というものに直面するのがつらく、なかなかお見舞いには行けませんでした。
    亡くなった時に母がこぼした涙と「お母さん」という一言は忘れられません。
    同居してた叔父妻はせいせいしたっぽかったけど。

    父方の祖父は体調不良で診察を受けた時にガンが発覚。
    そのまま入院して3か月ほどでなくなりました。この時も病院へは怖くていきたくなかったです。
    かわいがってくれた祖父だったのに不義理をしたと後悔しています。

    なにが言いたいかというと人にはいろいろな想いがあって
    お見舞いにこないから、機械につないで無為な生をつなぐから
    逆に延命治療をしないから、といって情がないというわけではありません。
    どういう最期を迎えるかは本人とご家族の決めることで
    トピ主さんはその意思に従ってご自分の責務を全うされればいいと思います。
    どうでもいい人のために年間何十万もの医療費は払えませんよ。

    ユーザーID:1941522482

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