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食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

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    ちょうど義母から、「胃ろうってどう思う?」と聞かれたばかりです。
    親戚で10年以上?胃ろうで生きている人がいるんだとか。
    「私の時は延命治療なんてせんといてな」と
    言われました。
    私も、自分の時はそこまでして生かして欲しいとは思わないです。
    家族で話し合っておくのは大事ですね。

    ユーザーID:2211966946

  • 食べられなくなったら死ぬのは当たり前だと思う

    ライオンだってトラだってすべての生き物は自分で食べられなくなったら死ぬは自然の摂理だと思う。

    なぜ人間だけがそこまで生きる事に執着するのでしょうか?

    食べる事も出来なければ自分の意思をも示せないただ寝たきりの人間を強制的に生かし続ける事こそ拷問であり犯罪だと思う。

    そんな事して欲しい人間って本当にいるのでしょうか?

    ユーザーID:5764595700

  • 一番いいのは

    後期高齢者の延命治療に関しては、100%自費診療に切り替えること。
    そうすれば、財産つぎ込んでも親に長生きしてほしい家族はお金を出しますし、年金目当てで延命治療をしている不届き者はオミットすることができます。
    もちろん、医療費の削減にもつながります。ガン治療と同じですね。

    ただ、若い人で障害があり、胃ろうでないと食事ができない場合や、脳こうそくの急性期で一時的に胃ろうでないと対応できない場合の人の場合は、保険診療でいいと思います。

    今の日本、無駄に長生きしている人が多いような気がしています。
    私は延命治療は望みません。

    ユーザーID:1364922972

  • もっと生きていたい、もっと生きていてほしい

    思うのは自由だけど、自分のお金ですべきですよ。
    高齢者はほとんど医療費自己負担ないじゃないですか。
    保健医療はせめて若者と同負担でできる範囲にしてほしいです。
    高度な医療で延命はご自分や家族のお金でどうぞ。
    そこまでお金がかかるんだったら、家族も「尊厳ある死を」って言うんでしょう。
    生かしてあげたいんだったらお金に糸目はないはずですよ。
    他人のお金だからっていくらでもじゃぶじゃぶ使って、それってどうなの。
    お金も労力もどこかから降って湧いて出てくるわけじゃないよ。
    限りある社会的資源を高齢者が使い切って、若者は雑巾絞られるように労力を搾り取られ
    疲れ切っても医療は受けられない、もういい加減にしましょう。

    あ、でも自分の費用で好きなだけ延命するのは否定しませんよ。

    ユーザーID:5508238034

  • 答えのない会話のようですが。

    一つの方法として、我々は皆んな若くて元気な時から、
    遺書を書いておくのがいいのではないでしょうか?
    絶対作ではないけれど、少しは救われるかもしれませんね。
    家族で揉めるのは辛いですよね。毎年とか、数年ごとに、
    生活や状況に変化がある度に自分で検討する事はどうでしょうか。
    自分で決める事が出来る限り、その方がいいですよね。
    やはり、得策はないですね。

    ユーザーID:1736439757

  • あなたに同意

    先週父が亡くなりました。81歳でした。
    5年前に大動脈流解離で倒れ、それまで患っていたパーキンソン病もあり、認知症が酷くなり
    寝たきりでした。
    まさに365日天井を見つめて栄養を補給されて生きた次第。

    最後は肉体も枯れて脳死状態で心臓死を待ちました。
    死に顔に父の面影はなく、植物が枯れるが如くの状態でした。
    そりゃ、生きている人を殺せないですし、かといって、高齢な母の元での介護は無理でしたので、
    病院付きの介護施設に入りお世話になりましたが、あなたの思う疑問は御尤もだと思います。

    私達家族は、5年前に父は死んだも同然だと思っています。
    この5年は、果たして父にとっても望んだ時間だったのか、亡くなった今も疑問に思います。

    寝ていても意識がはっきりしているなら兎も角・・・・
    天井を見つめて栄養を入れているだけで生きながらえる時間を「生きている」と言えるのか。

    それが無駄だと一言で言えないのが葛藤です。

    毎日、その現場にいらっしゃる貴方様の問題提起は御尤もだと思います。
    私にも答えはわかりませんが。。。

    ユーザーID:8920115245

  • とぴ主さんに同感です全くその通り。

    私は、入院中です。 足首骨折です。73才 至って健康ですが、 私は尊厳死を希望しています。 以前から、母親を介護していた時、回りの患者を見て切実に感じました。 母が生命維持装置が必要になった時、お断りしました。辛かったです。 決して母を見捨てた訳でなく、これが母の為でもあると信じ決断しました。 そして今私は、主治医に言われた言葉が胸に刺さり苦しんでます。 湿布の追加を頼んだ時、 主治医が発した言葉! 貴女は1割で入院中です! 9割国の負担です、国民の税金です二週間以内は出せませと言われました。 直ぐにも退院したいが歩けません。後10日程で退院しますが! 私は国に負担をかけて生きに値するのか? 死を考えています。が一度退院し身の回りの整理したいと思います。 物が食べれない 生命維持装置着用して 無意識で生きかして、本当に国は崩壊します。何とかしないと! その金で未来ある人の為有効活用して貰いたい。 本気で考えています。 [私の主治医の言葉は此とは又違います]此にも意見頂きたいです。

    ユーザーID:9945603456

  • 重度の障害についてはどうお考えですか

    生まれながらにして、また後天的に重い障害を負って、意思疎通も困難であったり経口摂取が困難な若者、子どもたち。

    そういった方々と高齢者の違いは?
    食べられなくなったら寿命。若者は駄目で高齢者なら死んでもいいという、命の選別の基準はなんでしょうか。

    これまでの私の働いてきた環境の基準では、救える命は全力で救う、それが原則です。
    医療従事者はまずそこは揺らいではいけないと私は考えます。

    もちろん国民の価値観が変わってくれば、自ずと医療に求められるものが変わってくるのは当然ですし、実際今は変わりつつあります。

    でも、何があっても医療従事者は目の前の命が消えてもいいのではなんて考えない。延命拒否を明示されている患者さんやご家族だったら、もちろん尊重は必要です。でも大原則は目の前の命を消さないこと。

    医療にはお金もかかりそれは有限です。それに対する議論は求められますが、まずわれわれは目の前の患者さんにできることを一生懸命やりましょうよ。長い人生を歩まれた大先輩の方々です。その方々に最大限の敬意を払って。

    ユーザーID:7167562863

  • 年金のための話はよく聞きます

    義母も、自分の父も年金のためにそのようにし、
    今は義父の母をそのようにしています。

    理由は、死んでもらうと困る(年金がもらえなくなると困る)

    それだけです。

    お見舞いにも、一切行きません。

    私たちも私の子どももも、
    寝たきりの生活の義父の母を一度しかお見舞いに行ったことがありません。
    それは、いよいよ危篤と言われて集まった時、奇跡的に持ち直しましたが、
    今も、植物状態です。
    その時は、枯れ枝のような姿で、
    意識は一切なく生きているか死んでいるかもわからないその姿に衝撃をうけました。義母が贅沢している生活の裏で、このような状態に追い込まれてるなんて
    しかし、私が、可哀想だと意見できる立場ではありません。

    本人も、死なせてほしいと言える状態でもなく、
    ただ、息をしているだけです。

    本当に元気なうちに、ボケないうちに、文書で、延命処置をとらないことを残しておかないと、いけないと思いました。

    ユーザーID:2358163001

  • 生きている実感がわきませんよね


    私は生前に延命治療はしないように、臓器提供カードに記載しています
    健康寿命が本当の寿命だと思っています

    なので、胃ろうもしてほしくありません
    そこまでして生きていたくないのです

    娘たちには今から延命治療はしないようにと言っています

    みなさん、生きているうちから、家族には意思を伝えておくのが良いと思うのです

    生きているっていう実感が本人にない状態では、本当に生きているとは言えないです

    ユーザーID:1539245051

  • 同意

    トピ主さんに全て同意です。

    老衰と障害/認知症を混同されている方が一部おりますが…
    『生きている』と『死んでない』とは全然意味が違いますよ。

    食えなくなったら 命の終わり です。

    ユーザーID:6736353362

  • 二度目のレスです。意識があるからこそ

    寝たきりで意志表明できなくても、意識があるのだから命を断つことはできないというご意見がありますが…

    私だったら、意識があるからこそ、生き続けるのは辛いだろうと思います。

    皆さん、さまざまな考え方があると思いますが、私自身は延命治療、してほしくないです。
    これは、現に延命治療されている親を見て感じたことです。

    ユーザーID:0750955754

  • じゃあ、何で胃ろうを勧めるの?!(1)

    5年前、何で先生も看護師も胃ろうを勧めたの?!

    母はパーキンソンと認知症を発症して介護施設に居ましたが、会話や体は不自由でも元気でパンなんかパクパク食べてました。
    ある日突然、食が細くなり、出血もあるので病院に受診すると、重度の膀胱炎で膀胱の中は血の海でした。入院して膀胱炎は治ったものの、細くなった喉から食べ物を摂れなくなり、このままでは衰弱死すると。「貴女は娘さん?なら親身になれるね」と前置きの上医師から胃ろうを説明されました。「胃ろうするなら内科に紹介する。しないなら、このまま退院してもらいます。」と

    ユーザーID:7386912485

  • じゃあ、何で胃ろうを勧めたの?!(2)

    決断はすぐにしてくれと。とても悩みました。でも、たった10日程前までパクパク食べてた母を「もういいです」とは出来なかった。先生も「元気になれば、経管と口と両方も可能」と言いましたし、看護師さんにも「にこやかに」勧められました。その時はそれが病院の方針だったのでしょう。
    今、こういう風潮になり「胃ろうは可哀想でできないわぁ」と言われたりします。医療従事者の方も否定的意見ですしね。
    私は、仕事や家事の合間に時間が有る限り、施設に行って、手を握って母に話しかけてます。母も時たまニコッとしたり、瞬きで応えてくれます。

    ユーザーID:7386912485

  • 法で強制できるものではないと考えます

    個人的には全てを画一的に法として定めるにはまだ無理があると思います。

    死を決定できるのはまず本人、本人が決定できなければ家族。
    今の日本では、ここまでではないかと。

    医療従事者はあくまで状況を説明できるだけの立場ではないでしょうか。
    法で強制してしまうと、医者にとっては辛い選択なってしまいますし。

    こういう話は医者の間でかなり議論されているはずです。
    既に老人に関してはガイドラインも出ています。
    ただ、あくまでガイドラインで私の場合はまったく相手にしてもらえませんでしたが。

    私には本人や家族の意思を無視して延命(医者には意識の回復が見込めない状況であっても経管栄養は延命でないと言われましたが)するのは非人道的だと考えます。

    ユーザーID:0888064752

  • 最終的に「姥捨て」を正当化する論理にしかならない

    トピ主さんのおっしゃりたいことは、生死の狭間での人間の人間としての尊厳という意味ではわかるような気がしますけど、技術の許すぎりぎりのところ以前で、つまりどうあっても生命維持できない状況に至らないうちに、人が人の死を決めるというのは、なかなか難しいことです。

    それを許せば、いずれ「姥捨て」が正当化される時代が来るでしょう。
    「姥捨て」がトピ主さんの趣旨とは違うことは確かですが、生きた人間が技術力とは無関係に人の死を決定するという点では同じです。

    ただ、尊厳死法案が成立すればいいなとは思います。
    つまり他人や法律が一義的に決めるのではなく、本人の意思が明確であるならば、という条件つきであれば、トピ主さんに同意します。

    ユーザーID:9584068527

  • 食べられなくなったら・・・の定義

    食べられなくなったら…の対象に、トピ主さんは高齢者をおっしゃっています。
    それに、それに対するコメントも、ほとんどが高齢者を対象にしています。
    それについては反対意見はありません。
    自分でも、ある程度になったら延命処置についてはしてほしくないと考えています。

    ただ、以前こんなシーンを見ました。
    事故で救命病棟に搬送された友人を見舞いに行きました。
    その時はもうすでに安心できる状況になっていて、ほっとしました。

    何回目かの時に、病棟内で若い女性を見ました。
    友人に聞くと、ご主人が救命病棟にいるとのことでした。
    まだ若く、お子さんも生まれたばかりで、2,3か月毎日来ているとのこと。
    ご主人は意識が戻らず、おそらくこのまま戻ることはない、という話を、
    友人のお母さまが、その女性から聞いたそうです。

    友人のお母さまは「ただ頑張ってとしか言うことはできないけれど、頑張って」
    と伝えたそうです。

    私も友人も何も言うことはできませんでした。

    そのあとどうなったかは知りません。気にはなるけれど、口に出すことはできません。

    「食べられなくなったら・・・」という定義について考えてしまいました。

    ユーザーID:1549765583

  • この場をお借りして質問したいのですが

    トピ主さんでも他の方でも結構なんで答えていただけると幸いです。

    私の母が今まさに意識不明で口から食事はとれなくなり点滴で生き延びています。
    総合病院に入院、その前は施設にいました。
    80歳、持病も色々あります。こうなったのはまだ1週間前からですが、その前から嚥下が困難になりつつありました。
    意識も戻らず口からの栄養もとれなくなると施設に帰るのは難しくなりそうです。

    2か月くらいはこの病院にもいられるでしょうが、そのうち転院、退院を迫られますよね。
    そうなったら私は看取るつもりで母をうちに連れてきたいのですが、以下の条件だと病院はなんと言うでしょうか?
    *私は夫と二人暮らし
    *共働きなので日中は無人
    *往診してもらえる医師を頼む
    *点滴など延命措置はしない

    数週間で亡くなるのは目に見えていますが最後の時間を娘の家で過ごして看取ってあげられるなら私はそうしたいのですが
    でも日中留守の間に亡くなってしまうこともありますよね。
    そういうことは問題になるのでしょうか?
    死なせるためにうちに連れてくるようなものですが延命拒否は元気なころの母に聞いてます。

    ユーザーID:6274547374

  • 母を亡くしました

    末期がんだった母が、脳梗塞で倒れました。
    咀嚼嚥下、言語障害、右麻痺・・・

    胃瘻、鼻チューブからの栄養補給をどうするか
    医師から判断を迫られました・・・
    保水点滴だけで、胃瘻等はお断りしました。

    仕方が無かったと思ってもみますが
    本当にそれで良かったのだろうかと
    母はまだもう少し生きて居たかったのではないだろうかと。
    私が母の死を決断してしまったのだと
    未だに苦しくなる時が有ります。
    持っても三か月だったのかもしれない
    チューブで繋がれ、言葉も発せない状態は、切なかったかもしれない
    それでも、生きて居たかったかもしれません。

    如何するべきだったのか・・・未だに分らない私が居ます。

    でも・・・社会的にはそれで良かったのでしょうか・・・・

    ユーザーID:6746643543

  • 望んで生まれて来る人はいませんが

    多くの場合、誕生を望まれたり喜ばれる。
    死ぬ時も、本人はもういいと思っても
    親しい者がまだ生きていてほしいという気持ちが0でないことも多い。
    命の始めと終わりは本人と関係者の意思の齟齬がよくあるこのことが
    命と物の違いをよく表していると思います。

    国家については、その行為と構成を決めている憲法の根本は、個人の尊重です。
    権力は、個人の意思になるべく立ち入らない。
    刑法も、介入条件を明記して、謙抑性の原理をうたっています。

    人間というものははかり知れない。
    なので、本人の価値処分は本人意思のみによる。
    それがない場合は、後見者が補う。

    脳死判定も本人意思か後見者の判断であることも
    上記から説明できると思います。

    林檎さんのケースは王道の、幸せなケースだと思います。

    議論に仮説は必須で、それに一定の傾向があるのは当然として
    問いを簡単に片づけず、オープンに議論されている点がすばらしいと思います。

    医療者が生かしているのではなく、本人が生きている
    探る方向は国家の前に本人、次にその後見人の意思
    と思ってもらいたくて反論してみました。

    ユーザーID:4445197272

  • 自分は拒否だけど親は可という意味

    自分は延命拒否だけど親とは意識のあるうちにそういう話をしなかったので延命措置をしたというのがイマイチ理解できません。

    素朴な疑問なんですが
    自分がされて嫌なことは他人も嫌だと思うのが普通だと思うのだが?
    延命治療を拒否することは悪、親不孝という発想があるのかな?
    自分が悪、親不孝者という悪者になりたくないから、自分は延命治療なんて嫌だけど親にはするということなんだろうか?

    どちらにせよ、本人ではない家族にそのような命の決断を迫るのは酷だと思うね。
    未成年者ならともかく、例えば60歳以上の人には健康保険証やマイナンバーカードを渡すときに裏にそういうの記載する仕組みにするとかすればいいのに。

    ユーザーID:6979856716

  • 仕方ないと思う

    自発的に食事が出来なくなった時点でその方の定命は尽きています。
    徒に延命させることは望ましくありません。
    つい最近母を見送りました。自分もかくありたいと思います。

    ユーザーID:5111535613

  • 基本同意ですが

     脳死問題と同様、国民的議論も必要と思います。
     小生としては、延命治療不要の要件として、経口で食べられない事の他に、年齢(後期高齢者以上)、認知能力(身内の識別の可否)を加味して、判断すべきと思います。
     この辺の交通整理をしないと、若年の障害者の人権問題など絡まり、議論が拡散するように思います。

    ユーザーID:4056546322

  • 寝たきりの高齢者が多すぎます

    医療関係の文献や雑誌を目にする仕事をしています。先日ある記事を見ました。
    欧米には寝たきりの高齢者がほとんどいないというものです。
    欧米では食べられなくなった高齢者に基本的に胃瘻は行わないというものでした。
    もちろん、以前は胃瘻をしていたそうですが、現在では意味のない治療とのこと。
    回復の見込みがある患者には一時的な胃瘻は当然行われますが、認知症などで
    食べられなくなった患者には胃瘻はしないそうです。
    日本では、命が助かるはずの高齢者も胃瘻はせずに自然に亡くなっていくそうです。
    亡くなった私の父も、一時胃瘻を勧められましたが、家族で話し合いの結果
    胃瘻はしないことにしました。それでも退院後、施設に戻ってから施設のスタッフの
    努力により、なんと食べられるようになり、ケアマネも驚いていました。
    その後、何度か肺炎を起こし父はなくなりましたが、胃瘻は最後までしませんでした。

    ユーザーID:2753508261

  • 全く同論です。

    医療が発達して、なかなか死ねない世の中になってきましたよね。
    昔なら自宅で看取るのが主流でしたけど、現在はそれすら難しい時代。
    生きているというより生かされているのいう延命治療に違和感を覚えます。
    なんとか国として対策を打つべきではないかと日頃から思って
    おります。

    ユーザーID:4902908933

  • トピ主に同意します

    冷たいと言われてもかまいません。

    私も、「おじいちゃんに死んでもらうと困る。年金が入らなくなるから」と、はっきりおっしゃる方を存じ上げています。
    もう何年も寝たきりです。

    こんなことが続くと国の医療費がいくらあっても足りません。
    反対される方は、最終的に自分達の首をじわじわと絞めているのと同じですよ。(増税)

    ある程度のクッション期間を設けて、○歳以上、○年以上寝たきり、回復の見込みが薄い、等の複合理由を元に区切り、胃ろうを打ち切る制度を検討するべきだと思います。

    私が同じ立場の患者なら、ゆっくり死なせてほしいです。

    ユーザーID:4347434896

  • 生きてるってどういうこと?

    トピ主さん、勇気をもってよくトピを上げられましたね。

    言葉尻を捕らえて、責める人もいるかもしれないけど、とても
    意義があることだと思います。

    この疑問について、答えられない私はヒューマニストもどきの部分と
    現実的な考えの間で迷っているからです。

    「尊厳死」が認められている国って、実際は政府が日本ほど
    手厚くなくて、病院費用も非常に高く、家族の負担が多い国なんです。

    脳死と心臓停止の線引きもいまだに議論が続いています。

    もう、病気になる以前の本人意思確認に押し付けるしかないのでは、
    と思います。

    誰も自分が猫の首に鈴をつけたくないんです。

    渡辺淳一さんの短編に、瀕死状態の人の胸を切開して手で直に心臓マッサージをする話がありました。
    医師が揉んでいる間は意識のない体には血流がめぐっています。
    数時間後、医師の手がしびれてきて、あるきっかけでマッサージを止めるんです。
    それを責めからる人がいるでしょうか。

    ユーザーID:6896778874

  • 少しだけ思い出してほしい

    医療関係者の方なら、その方々の今の状態がどういう経過をへてそうなったのか、毎日天井を見て過ごすようになったのか想像がつくと思います。

    のまなくていい薬、開けなくていい穴、切らなくていいもの、胃ろう、点滴、輸血、手術…
    あなたなら分かるのではないでしょうか。朝昼晩と薬をあれだけ処方すれば、誰だってそうなっていきます。

    若くて元気な時があったのです。でも様々な理由でそうなった、数々の投薬や治療は本当に必要なものだったのでしょうか。

    ピンピンころりは誰でも望むものです。しかしそれを得られる幸運な人はごくわずかです。むしろ老後を思い(心配をかけまいとして)健康に配慮してきた人のほうが理不尽に不健康になるケースが多い気がします。

    そして彼らもかつてはタックスペイヤーだった時代があったはず。その彼らの納税で多くが恩恵を受けたはず。使えなくなったから、何も生まなくなったから、だから死んでもいい、そう思うとご自身が心寂しくなるかもしれませんよ。

    ユーザーID:8305724611

  • 母が胃瘻栄養で4年生きた後、経口摂取に戻りました

    10年前に母が脳梗塞を患って、食欲中枢が壊れたため食べるということを忘れてしまい、胃瘻造設しました。
    認知症、失語症もあり、意思疎通は困難でしたが、歩けました。
    歩ける要介護5。(介護やっている人にはわかると思いますが、最悪パターンですね。)

    4年経って、壊れたはずの食欲中枢が回復したのか、あるいは脳内に新しいバイパスができたのか、口から食べることを思い出しました。肉体的な嚥下機能は、残存していました。92歳の今は100%経口摂取ですが、胃瘻はそのまま残してあります。風邪などひいて寝込んで何も口にしようとしない時に、水分と薬を入れるのに便利です。

    胃瘻を作らない選択をしていたら、母は10年前に餓死していました。

    胃瘻で生きていた時期も、口から食事を摂れるようになってからも、認知症ではありますが、子や孫は認識します。テレビのお笑い番組を見て、笑います。花屋に連れて行くと、自分の好きな花を選びます。

    胃瘻が嫌いな人は、しなければいい。
    でも、他人に向かって、認知症高齢者への胃瘻造設は無駄な延命だなんて言うのは、やめて欲しいと思います。

    ユーザーID:0690153397

  • 元気な時、介護施設で働いていました

    トピ主さんに同意です。
    私が働いていた施設では胃ろうの患者さんで、意思疎通が出来る方はいなかったです。
    「生きてて欲しい」は分かりますが
    私は働いていた当時は、胃ろうの患者さんは褥瘡が酷く体位変換をしますが、なかなか治りませんでした。経管栄養だけでは栄養状態は良くならないんでしょうね。

    食べられなくて胃ろうで寝たきりで褥瘡が出来て排便排尿はオムツで、親に「生きてて欲しい」とは思いません。そんな負担かけたくないです。

    ユーザーID:2256348047

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