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食べられなくなったら死ぬのは仕方ない?

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  • 医療の進歩

    医療の進歩により、納得いきませんよね。機械をつけて 無理矢理生かして なんの意味があるんでしょう

    ユーザーID:5677577303

  • 最後

    こんにちは 
    私の父も認知症の症状がありましたが、体調の不調も有り病院に入院。
    体調不調が落ち着いたら介護施設へ・・と思っていて、施設も決まっていましたが入居前に79歳で亡くなりました。
    入院中、父がいよいよ口から摂取出来なくなったとき、母と相談し、胃ろうや鼻からの栄養摂取は断りました。
    今は医療の技術が進んで延命は出来て生き続けても、父のような認知症で会話はままならなくても、意思疎通は出来ない「生きているだけ」で数年も長生きする事って父には酷ではないか・と思ったからです。

    父は最後の方では、水分も取れない(取らない)状態でした。だんだんと痩せて、枯れていくように亡くなりました。
    寿命ってあると思います。
    飲み食い出来なくなり、意思疎通が出来なくなった時には、自然に任せて父親のようでありたいと思いました。

    ユーザーID:0046157885

  • 生きておられるのですから。

    トピ主さんの病院の患者さんのような状態になられると、その時点ではトピ主さんの言われるような倫理観では判断できなくなりますから、それを働かせるのは、例えば『胃ろうを作りましょうか』という治療方針を提示され、家族が判断を求められた時点になるかと思います。
    トピ主さんは、実際にそのような立場に立たれたことがありますか?私は義父がそうなったときに、色々な事情から、ある程度の判断を求められました。自分のことであれば私は拒否しますが、そのときは何の疑問もなく、それを受け入れました。私は元看護師ですので、主治医がとりあえず言われるような『栄養状態が改善されれば…』ということが実際に起こることは、ほぼないと分かっていました。でも義父は目の前で生きているのに、『これが寿命なんだから、もういいよね』とは到底言えませんでした。それは家族としての愛情なのか、逃避なのか、今でも分かりません。
    でも、どんなに高齢になっても、認知症で家族のことすら分からなくなっていても、今、現に生きておられるということと、一縷の望みはあるということは事実です。それを致命的な病気もないのに、本人以外が否定することは出来ないと思います。

    ユーザーID:7417295327

  • 反論なんてできません

    悩ましい問題です。

    本人が何を望んで、どうしたいかのかが確認できない中で、家族は死なせてあげて下さいとは言いづらいものです。
    病院に運ばれた時は、取り合えず助けて下さいといことだったのだと思います。
    家族としては当然な心情だと思います。

    延命治療の拒否。
    家族が決断できる問題ではありません。

    やはり本人が元気な内に、意思表示しておくおことでしょうね。
    認知症になり食えなくなっても機械に繋ぐな・・・
    まだ分かりやすいからいい。

    でも、事故等で「救急医療」と「延命治療」の境目が分かりにくかったどうでしょう?
    元気になれると信じて賢明に治療した結果、不幸にも植物状態になってしまった。
    本人は延命治療しない意思表示をしていた。
    生命維持装置ははずす?誰が?

    法的な整備と、確実な意思表示伝達方法が必要でしょうね。
    今の所、どんな法律が良いのか?どんな伝達手段があるのかサッパリ分かりません。

    ピンピンコロリと逝けることを祈るばかりです。

    ユーザーID:1794071788

  • 自分のために姥捨て山を再来させたいんだね

    各家庭それぞれに事情があります。
    引き取りたくても引き取れない、引き取っても面倒を見れない。
    実家近くの病院だから遠方に住む子世代は見舞いにも滅多にこれない。
    だけど、生きてて欲しい。

    そう願うのは悪いことですか?

    身動きできなくなったら無用の長物だから殺せと?
    ではトピ主さんはご自身が明日事故に遭い、意識はあるけど指一本、言葉一つ発せなくなったら自殺しますか?
    それがトピ主さんの親や妻、子どもでも、「殺せ」と言いますか?
    重度の障がい者と重度の認知症患者と、なにが違う?

    老人への医療費を若者に回せと書かれてますが、こんな無慈悲で傲慢でおろかなことを考える「若者」にお金を掛ける意味なんてないでしょう。
    それこそ無駄遣いです。
    自分のことしか考えられず、それも自分で立身するのではなく他人に養ってもらうことばかり考えて、労わりの心も持たないような若者にお金を掛けても、無慈悲で傲慢でおろかな中年・老人になるだけでしょう。

    そんな大人を生産するくらいなら、今まで頑張って生きてきて税金を納めてきたお年寄りに手厚い看護をしてもらったほうが税金が生きますよ。

    ユーザーID:1930948978

  • 支持しますが、言動に留意されますよう

    トピ主さんの主張を支持します。が、世の中には、様々な考えを
    持った人達がゐます。

    トピ主さんは、この課題が世の中で広く支持を受けるまで静かに
    時を待たれることが必要です。過激な言動を抑制される事を望み
    ます。

    また、このような主張を考え続けていると自己の主張を正当化し、
    犯罪に手を染めかねません。トピ主さんは、否定されると思いま
    すが、そうした事案が眼前に迫った時に強引になりかねません。

    北欧の方の話を紹介します。一般論ですから、個別には様々な
    ケースがあるのではないかと思います。
    本人が食べられなくなったり、呼吸することが困難になった時は、
    特別の事をしないで、痛み止めと水分補給に限定すると話されて
    ゐました。

    先日は、ベトナムの医療関係者の方の紹介がありました。ベトナ
    ムでは、70歳を超えたら手術をしないと言われてゐました。日本
    では、90歳を超えても手術をしていることを聞き驚いたそうです。

    本人の意識がなく、食べられなくなったり自発的呼吸ができなく
    なったら、積極的な治療はしないように日本の社会が変わって行
    くと良いですね。

    ユーザーID:1515174520

  • 同意

    実際に年をとってみないとわからない事もあるかもしれませんが、基本的に同意します。

    人間も動物なのだから、動物として限界が来たら(ある程度の治療を受けても、自力で生活できなくなったら)終わりにしたいと思っています。

    子供達にも、お母さんはこういう考えだからねと、昔から伝えてあります。
    私はケチなので、無駄に医療費を掛けるくらいなら子供達にお金を残したいです。

    決して、人様の考えを否定するわけではなく、私はこういう考えだ、という話ですが。

    ユーザーID:2092639339

  • 寿命とは。。。。

    英語圏海外在住です。
    日本の平均寿命が世界一という話を聞く度に、おっしゃるような事実を知っている身としては複雑です。
    こういう状態で生かされている方たちもカウントに入れてですからね。

    私自身は子供も大きいし、やりたいことやるべきことはやったし、口から食べられなくなって、自分の意志で自由な行動ができなくなったらもう良いです。
    これは社会経済貢献の為というより、自分の人間としての尊厳の問題と考えています。
    できることなら、いつ逝くか自分で決めたいくらいです。

    当地では日本のニュースが見られます。夏に熱中症で人が亡くなると大きなニュースになっていますよね。しかしよく聞くと80以上の高齢の方々のことが多い。
    当地の夏は日本の比じゃありません。でも熱中症による高齢者の死のニュースは聞きません。
    こちらのお年寄りは高温に強いのか?現地の友人に聞いてみましたところ、もちろん高齢者が真夏に死亡することは多いが、それは自然な高齢死なので、ニュースにはならないと言っていました。
    災害等の異常な条件下ではない死なら、それは事故死でなくて自然死、と言う考えのようです。

    私もそう扱ってもらっていいです。

    ユーザーID:3157825776

  • 辛いです

    こういうお話、まだ私の身近ではいない、聞かないので、聞くだけでとてもつらい気持ちになります。
    高齢者を預けてらっしゃるご家族、自分たちだけで介護は大変でしょう。想像つきます。でも、病院や施設に面会にも来ない、お金だけ負担してただ生かしておく…どういう心理でこういうことされるのでしょうかね。
    元気なうちに自分がどうしてほしいのか、きちんと家族に伝えておこうと思います。

    ユーザーID:7377042609

  • そのとおりです

    肉体が動けなくなっても栄養点滴などで生かし続けるのは

    当人にとっても迷惑なのです。

    肉体はただの入れ物で意識体(霊魂)の方が本当の体です。

    その入れ物が活動できなくなったらあの世に帰してあげるのが正しいのです。

    法律を変えてもらいたいと思います。

    延命治療は先がある若い人だけにしてもらいたいですね。

    ユーザーID:6722432755

  • 大変なお仕事ごくろうさま。豊かなケアラーになって下さい

    捻れた所のない、まじめな若者という印象です。
    これは大切な問題で色々な人達が考えてきました。
    先人達と一緒に一歩一歩考えていきませんか。

    哲学風に〜

    まず適切な枠組みを選択する

    1.命を対象としたテーマを考える枠組
      一括りか、個別にか
    2.命と経済の関係は、誰がどうどこまで論じるのが適切か

    法哲学風だと〜

    ア.命の扱いは、本人のみに決定権がある
    イ.思想の決定も、本人の意思にのみ
      (倫理観としても他者が強要はNG)
    ウ.財産の処分も。ただし、公共の福祉の範囲で限定は受ける。



    社会学風だと〜

    日本人は、自他の区別が曖昧で現状維持指向が強い

    触らぬ神にたたりなし、
    誰も現状を踏み越えて自分が人殺しかもというもやもやを引受けたくない

    等々から結論例

    本人の延命意思が不明な命を
    他者の財産権を過剰に犠牲にしている点が問題

    健康なうちに終末期治療、延命の意思を確認するしくみと
    回復の見込みあるいは定型治療行為によって、自己負担額の修正が必要

    尻切れですが

    ユーザーID:6224925924

  • どこで線を引くかが難しい

     ご意見はごもっとも。お悩みも非常にわかります。
     しかし、誰を生かして、誰を生かさないかの線引きが難しいのです。たとえば、トピ主の言う、生理機能の低下により食べられない人と病気で食べられない人を区別できますか。肺炎になりました、元気がなく食べられません、はい、それまで、ですか。その発想は、「働けなくなったら、生きる資格はない」あるいは「おばすて」に繋がりませんか。
     さらには、本当に、「お金が若者に回れば社会が活力のある方向へ進む」のでしょうか。単に若者が楽が出来るようになるだけかもしれませんよ。例えば、介護を上手に仕事に結びつける、また、仕事を作り出すなどが得策かと思いますが、なかなか難しい。

    ユーザーID:0373806054

  • その通りだと思います

    父はすでに亡くなりました。心臓発作でしたので、延命治療はせずに済みました。
    残された母は、延命治療は必要ないという届けを主治医に出しています。
    そして、私も延命治療は必要ないということを遺言に残しました。

    アメリカの一部の州(ワシントン、オレゴン、バーモント州)は尊厳死が認められていて、本人の意思により、延命治療の中止と致死量の薬物を自己投与することが許されています。

    ユーザーID:1483392104

  • トピ主さんと同じ思いです。

    私も無理やり生かすことに反対です。トピ主さんと同じ思いです。

    一方で、胃ろうやなんやらで無理やり生かされている状況は、違う意味で家族に見放されたというものなんでしょうね。

    家族が重い選択、自然に死なせてあげるというという判断さえ放棄し現状維持に甘んじて、生死が曖昧な人間をただただ作り出しているように思います。
    「面倒は見ません。ただただ、面倒なことを先延ばしにしている」という人が多いという事でしょうか。

    ユーザーID:4045140365

  • 死に方も自分で決める時代

    トピ主さんのような考え方が増えているそうです。
    特に昭和生まれはその傾向が強くなっていて、老衰死の割合が増えているという記事を読みました。
    ただ、自分の意思を示しておかないと、今の制度だと命を永らえる措置は取られるのでしょう。
    フランスや北欧では法整備が進んでいるようですし、自分で食べられなくなったら死ぬという考え方が広まっているそうです。
    フランスでは高齢者への胃ろうは虐待の一種とみなされるそうです。
    日本もそうなっていくのではないでしょうか。

    ユーザーID:2136459292

  • 30年くらい前までそうでしたよね。

    私の記憶にある最後の土葬のひいおじいちゃん。
    亡くなるしばらく前から、水差しの水しか摂らなくなって、その水をなくならないようにくむのが子どもの私の仕事でした。
    りんご食べてと言っても、もう、いいんだとしか言わずに、テレビを寝ながら眺めたり、そよそよとして、日陰から日なたの様子を眺めたり、だんだん影が薄くなって、
    緩やかに穏やかに、裏庭の木陰に紛れていくように亡くなりました。
    そうやって死を受け入れる様子は全然怖ろしいものじゃなかったですけど、
    最近の老人施設や病院のそれは、何度か立ち会っても少し怖くて、自分の順番が来るのが、おとなになって恐ろしくなってしまいましたね。

    ユーザーID:7807465399

  • 賛同します

    トピ主さんの仰る通りだと思います。

    ユーザーID:8082860104

  • そのとおり

    同じ読売新聞オンラインの医療欄でもしばしば医師の立場から問題提起されています。
    確かスウェーデンなど諸外国では食べられなくなったら人工的な栄養摂取はせず
    安らかな死を迎えるのが普通と聞きます。

    実は私の母もほぼ老衰の形で永眠しましたが、以前から目に見えて食が細くなり
    死期が迫っていると感じていましたので、最後の入院の際に担当医に対して余計な延命措置を
    しないよう申し入れました。
    結局鼻からの経管チューブはありましたが、気管切開などの措置もとられず2ヶ月で
    正に枯れるように安らかに逝きました。

    これができたのも、母が父を介護した苦労から自分は同じ苦労を子供にさせたくないと
    延命治療を望まない旨を意思表示しており、老人ホーム入居の際にも誓約書を書いて
    いたためです。
    また、親戚に医者がいて、家族の要望をキチンと担当医に伝えることができたことも
    幸いでした。

    諸外国では尊厳死として余計な延命治療をしない方針と聞きます。
    医療財政というお金の面だけでなく、是非とも人間の終末について今の悪しき考え方、
    死を少しでも延ばせば良いという考えを改めて欲しいものです。

    ユーザーID:7821625197

  • 同感です

    そこまでして生かす意味がわかりません。家族にとっても社会にとってもお荷物以外の何ものでもないでしょうに。何よりも、本人が一番しんどいはずです。
    私がその状態になれば、安楽死させて欲しいです。法律で禁止されていますけど。

    また、食べられなくなったら、だけでなく、認知症などでおかしくなった場合にもヘタに長生きさせないで欲しいです。自我が保てなくなれば、死んだも同然です。それが例え自分や家族であっても。死にゆく状態の人間に税金や労力を費やすくらいなら、未来ある若者達のために使って欲しいと願います。

    ユーザーID:6451268839

  • 事前指示書(リビング・ウィル)を書いておくと良い

    これは日本だけの問題ではなく、医療が進んだ民主国家である世界の国々で
    共通する問題です。

    この問題は、「発言小町」や他の意見交換の場で討論して、大多数の意見を
    時間をかけて作り上げていく問題だと思います。

    高校・大学などの「倫理」や「社会学」のクラスで、慎重に討論するのに
    適切なテーマの一つでもあると思います。

    ・倫理・命の問題の側面
    ・社会資本の配分の問題
    など多面的に見るべきです。

    この問題を回避するのが一番大事ですが、元気な頃から本人が
    「事前指示書(リビング・ウィル)」を作成しておくと
    問題がかなり回避できます。

    あらかじめ「事前指示書(リビング・ウィル)」を書いておき

    ・ふつうの危機回避の医療措置はしてもらいたいが
    ・一般的に延命して欲しいのか
     (胃ろうを作るか、点滴は?)
    ・まったくの植物状態になった後の、人工的な
     延命措置は、してほしいのか?
    細かく自分の意志を指定できます。

    特に、残った子供世代に、もし過大な金銭的負担を掛けさせる
    場合も、親として心苦しいので、その分の考慮もするはずですから。

    事前指示書(リビング・ウィル)用紙は医療機関で。

    ユーザーID:8099426529

  • 完全同意です。

    自分自身で考えると、自分でご飯が食べられなくなったら、少しずつ枯れていきたい。
    介護を子供にさせて、子供の時間やお金を苦しむまで使わせたくない。
    これから食糧難の時代になっていったとして、子供と食べ物を奪い合うなんて嫌です。

    子供の教育費を何とか出して、健康志向で長寿家系の親の面倒を見たらたぶん自分たちの老後のお金を貯める余裕は恐らくありません。

    胃瘻もいらない。さらにいうと下のお世話までされたくない、絶対。

    ユーザーID:1953775223

  • 同じ意見です。

    医療関係者が倫理として主導してほしいです。
    死にめったに直面しない一般人では、助かると言われれば、それを選択せざるをえません。

    ユーザーID:3120187425

  • 反論が難しい。。

    主さまの仰る通りだと思います。

    年間400万円。。。国立大生2名の4年間の学費くらい払えますね。

    この金額で貧困家庭の子どもの何人が高校に通えるでしょうか。

    私自身は延命措置での長生きに反対の立場です。

    自分がそのような状況になったら、自然に逝きたいと思っています。

    でも、身内の死の場面にあった時のことを思い出すと、どんなに苦しそうにしていてもできれば生きていてほしい、本人がそれを希望するのであれば、少なくとも自分から死の宣告をすることは憚られる、という気持ちでした。

    そういう家族は多いのではないでしょうか。

    でも主さまの仰る通り、生命観、「生きる」とは何なのかについて、超高齢化社会の私たちは考えなければならないのでしょうね。

    ユーザーID:9195628743

  • 自分の足で

    歩けなくなった時点でもうお暇したいなあ。女性だからかもしれないけど自分が調達した食材で自分の作った食事ができなくなったらアウト。

    ユーザーID:1516840019

  • 医療の進歩の賜物

    あなたは全く医療に従事る人の資格を持っていませんね。
    無意味だと思っているのですか?
    これほど有意義で、素晴らしいことはないのに。
    1日中天井を見ている?そういう風にしか見えないのでしょう。
    時々しか家族が来ない?彼らはその一瞬の時間を心待ちにしているのですよ。

    家族にどんな変化があると思っているのですか?
    覚悟が出来るのですよ。お別れの。
    その後を想像しない?急死と違い、徐々に覚悟が出来るのです。
    そしていろいろな準備もできます。

    法律面で言えば、医療技術があるのに施行しないのは未必の故意の殺人と
    同じになります。法律上、本人や家族の同意がない限り治療を中止することが
    出来ないのです。
    文句あるなら、「治療中止の同意書」をもらえばいい。

    生理機能が低下しているから、回復するのを期待して治療をするのでは
    ないのでしょうか?
    回復する見込みが0.0001%でもあれば、そこに期待するのが人間です。
    若者が医療関連の仕事につけばお金は回りますよ。
    その程度が理解できないで人の命をモノと同じに考えてはいけません。

    ユーザーID:3046035758

  • 反論を、とありますが激しく同意です

    40代女、既婚子ども無しです。子育てがないので、自分がこれからをどう生き、どう死ぬのかを日々考えています。その前に親の介護などが来るのでしょうが、自分の親の最後に対する価値観もトピ主様と同意見です。
    「理性を欠いた長寿信仰」。本当に言い得て明だと思います。
    作家の曽野綾子さんが、高齢者に高度医療を導入することの是非を問われておられ、話題になっていましたが、私は自分で自分の身体がコントロールできなくなる時点で潔く退けることができるようにありたいと思います。ただ、今はそう思っていても実際年をとったら生にしがみつくのか・・。
    それが分からないので、今後を考える上で一番不安です。
    だからこそ、国の医療の一定基準で「退く覚悟」を後押ししてもらえる制度ができて欲しいと願っています。

    ユーザーID:4395479167

  • 今は過渡期です。

    私も、食の専門家である管理栄養士有資格者です。
    現場経験は残念ながらご縁がなかったですが。

    高齢者の延命に関する問題は、今が過渡期だと思います。

    これまでは、医師の職業倫理上、見殺しにしてはいけなかったため
    寝たきりだろうが、認知症だろうが胃ろうや何やかやで延命してきました。
    しかし、最近は既出レスにもありますように
    延命治療を本人、または家族が選択できるようになってきました。
    今後は延命治療を選択しない人も増えてくると思いますので
    今がその過渡期ではないかと思います。
    しばらくはつらいとは思いますが、辛抱です。

    ユーザーID:0926894702

  • 知らなかった。

    私の祖父母も父も長患いせずに亡くなったので、トピ主さんがお書きになったような実情を全く知りませんでした。

    私もそうですが、自分自身のことなら延命なしでという人は少なくないと思います。でも家族のこととなると、そして、その先どうなるかということを知らないと延命措置をお願いするケースにつながるのかなと思いました。誰だって1日でも長く家族には生きていて欲しいですからね。

    トピ主さんの問いに答えるようなことは何も申し上げられないのですが、現場の方々や、経験者の方々のこういった問題提起がとても大切なのではないかと思いました。まずは私のように「知らない」人たちに知らしめて、考えさせないといけないですよね。

    医療現場の方としてお書きになりにくいであろう思いをはっきりお書きくださって、ありがとうございました。考えるきっかけになりました。

    ユーザーID:7318541384

  • よく、聞きますね

    日本では延命といって、ただただ生かしておくことを目標とする。

    ここに問題があることはよく言われてます。

    自分の意思で人生の終焉を決めることである尊厳死でさえ、反対する人がいるのは何故だろうと、私も思います。

    日本は戦争の記憶が強すぎて、死ぬことのつらさ、とにかく命を守ることの大切さを大事にしすぎて、死を受け入れにくい社会性があるのではないかと思いますね。
    死ぬって当たり前のことで、悪いことではないのにね。
    とはいえ、家族として死に抵抗する手段があるなら抵抗したくもなる。
    介護はしたくないけど、もうやめてください、という勇気をもてない人たちもいるでしょう。

    医療関係者は、もうやめたほうがいいですよ、と言えますか?
    言えないですよね…
    難しいです。

    ユーザーID:1610260064

  • 同意

    全くそう思います。
    以前家族の一人が寿命を迎えようという時に同じことを思いました。
    もちろん生きてほしい気持ちはあるので悔しくて仕方無かったですが、同時に天からの手とでも言うのか、不思議な力を感じて…
    延命治療を断り、自宅で看取りました。

    それともうひとつ、高齢者だけでなく全年齢に言えることですが、これ以上の医療は必要ないと私は強く思います。
    もう人間が手を出していい領域は全て見尽くしたように思います。
    この先は、触れることで大きなしっぺ返しがあるでしょう。

    ユーザーID:8570192165

  • 家族の目線ではどうでしょうか?病気で食べられなくなった人は?

    私の父は癌で亡くなりました。
    術後の経過が思わしくなく、口から食事が摂れなくなりました。
    私はそれでも、父に生きて居てほしかったです。
    癌さえなくなれば、回復すると思っていたからです。
    あんなに壮絶な死に方をした父に対して
    「食べられなくなったら死ぬのは仕方ない」とは絶対に言えません。
    ご長寿の方に対しても、同じ事が言えると思います。
    命の尊厳を前に、線引きするのは難しい問題だと思います。
    あなたはご自分の親族で、口から物が食べられなくなった人がいますか?
    それを見て、どう思いましたか?
    もしかして、いつか食べられる日が来るかも知れない、
    と少しでも思いませんか?
    あなたの親だって、いつかは亡くなるのですよ。

    ユーザーID:0764312435

  • その「現実」は徐々に少なくなっているのでは?

    私は、ケアセンターに入所している母のところに食事介助に通っています。今の状態になったのは1年ほど前ですが、カンファレンスの際に「今後どうするか?」を聞かれます。

    現在は噛む・飲み込むが困難になっていて、ペースト食ですが、その時々で食べられる量も違い、栄養を補うために点滴をしています。認知症ではないものの、口の動きが悪いので、声が出るかどうかで会話も難しいので、「今後どうするか?」は私が決めることになり、「胃瘻や鼻から管で栄養補給する方法は選びません」と答えました。

    母は左半身麻痺の他はとても元気で、一昨年に体調を崩すまではリハビリも熱心で、他の入所者とも職員さんとも仲良く楽しく過ごしていたので、動けないまま生命維持されても楽しくないし、そんな日々を無理に延長するのは可哀想だから。死なれるのは嫌だ!という気持ちはモチロンありますが、それは私のエゴですし。

    ケアセンターの医師・看護師との話では、併設クリニックで生命維持の人はいくらかいるけど、殆どの場合は私と同じ結論だそうです。病院の場合はまた違うのでしょう。「納得できる反論」でなくてごめんなさいね。

    ユーザーID:5821795444

  • 同意します

    最近同様の記事を読んだばかりでした。

    日本では「見殺し」には出来ないので、入院している状態であれば医者はとにかく胃ろうをする、どんな状況であれ生きながらえさせる処置(治療?)をする。
    選択肢は医者にはありません。

    それに比べて、欧米では寿命延長のための胃ろうという状態が滅多になく、古き良き日本がそうだったように
    食事がとれなくなり、自然と寿命をまっとうされる方が多いそうです、もちろん自宅で。

    昨年大正生まれの祖父がなくなりました。
    色々な機能が低下していきました、だれが見ても寿命です。
    私の家族も胃ろうの選択はしませんでした。

    最後は自宅で穏やかに息をひきとりました。
    「食べることは生きること」全くその通りだと思います。

    ユーザーID:4432284356

  • びっくりな話

    数年前に義母が入院した際、4人部屋で義母以外がそのような状態の方でした。
    知人に「親があんな風になったら家に連れ帰って自宅で死なせたい。」と話したら、知人「年金が入る[年金−医療費=黒字]からよ。(知人の事ではありません)」

    びっくりしました。全員ではないかと思いますが、そんな家族もいるようですね。

    私もおにぎりさんの意見に賛成です。
    国の借金がすごいことになっているのに、もっと議論があってもいいと常々思います。

    でもこれを正面きって言うと冷血漢って言われるんでしょうか。

    逸れますが、同居の義母がそんな状態になった時、義母の遠方の子供達が人工栄養を望めば同居嫁の私に拒否権ないよな〜。

    ユーザーID:6970454020

  • 反論はありません

    祖父母は随分長い間病院でただ生かされている状態で、最後は栄養も吸収できなくなり亡くなりました。その間10年くらいです。私は小さいながらも何故家族が点滴をやめさせないのか不思議でなりませんでしたが、点滴のみで生きている状態だったので、それを止めれば殺すことになると誰もが恐れていたせいかも知れません。

    もし私だったら天井を見たまま(あるいは目も開けられないまま)同じ姿勢で何年も横たわっているなんて地獄です。早く逝きたいと思っても口に出すこともできず、ただ生きているだけなんてどんな気持ちでしょうか。
    自分で生命を維持できなくなった時点で死を受け入れる覚悟をするべきだと思います。

    ユーザーID:4839443270

  • 自分はすぐに死にますので

    ただ、身内は出来ませんでした。
    ずっと、一緒の祖母にはできませんでした。

    90歳過ぎて亡くなりました。
    十分生きました。
    よくやっと、みんなが言いました。

    5年自宅介護し私の体は今でもボロボロです。

    三回忌が終わっても
    心身共にまだダメです。
    医者に通っています。

    だから、私は介護はしてもらいません。
    延命もしません。葬儀もしません。
    残った母親の介護した後は、そうします。

    それで、チャラじゃいけませんか?

    これから嫌でもそうなりますよ。
    だって、祖母の時だって
    意識のある祖母の横で
    延命は止めましょう。
    なんて医者が平気で言うんですから

    法律で延命禁止にすればいいんですけどね。

    ユーザーID:6010725769

  • 選択肢がありませんでした

    胸が痛くなる思いで読ませていただきました。

    わが家の場合、夫(30代)が、突然の脳出血で倒れ、緊急手術により、一命を取り留めました。

    その後、意識が1度も戻らないまま、1年半が過ぎようとしています。

    遷延性意識障害、いわゆる「植物状態」と診断を受け、急性期の病院から、療養型病院へ転院をしました。

    急性期の病院にいた時は、「経鼻栄養(鼻から注入食)」でしたが、療養型病院に転院する時に「胃ろう」に切り替えました。

    でも、経鼻栄養は感染症のリスクから長く続けることができない、また療養型病院への転院をスムーズに進めるためには、「胃ろう」にするしか無かった。

    「胃ろうをしない」という選択肢はありませんでした。

    本人が意識があったら、絶対にこんな状態で生きたくない、と言うと思います。

    ユーザーID:0613089800

  • 納得できる反論はありません

    だって、私もトピ主さんと全く同じ意見だから。

    老いた体にただ栄養を流し込んで治療して何のために生きているのか、生かしているのか、意味わかんないと思ってます。
    自分はそんなもの真っ平御免ですし、寝たきりになっても経管栄養は絶対拒否すると家族にも強く伝えてあります。

    ただいろんな人と話していて気づいたのですが
    「意識がなくてもなんでも死ぬのは嫌だ、経管栄養でも臓器移植でもなんでもしてひたすら生き延びたい」という人と、
    「意識もなく自分でご飯も食べられない状態になったらおわり、周りに迷惑かけるのも嫌だし安らかに死んでいきたい」
    っていう人と、大雑把ですが二種類いるんですよね。

    前者の人は、365日天井を見るような日々でも生きているってだけで望み通りってことなんでしょうね。

    ただそういう人たちの介護に未来を潰される若い身内や、無駄にかかってくる莫大な医療費を思うと暗澹とした気持ちになりますね。
    まぁそのうちこんな医療費の使い方も破綻して、トピ主さん的倫理が主流にならざるを得ないとは思いますが。
    そのときは、自分で使える医療費を使い果たしたらそこが寿命なんだってことになりますね。

    ユーザーID:8290635690

  • 点滴いらない!

    海外に視察に行かれた医師が、その国の高齢者が治療法のない末期ガンでも在宅看護で何とかなるのは、点滴で栄養をとることをさせず口に出来るものを患者が食べて、食べられなくなったら衰弱して息をひきとるからだ…ということを記事か何かに書いていました。当然介護の期間も短く家族の負担も日本ほどでもなく、患者さんも褥瘡など出来る前に亡くなるそうです。
    末期ガンの母が亡くなるまで、本当に辛かった。どんなに体位移動をしても腰に褥瘡が出来ました。どんなに乾燥しても荒れなかった人なのに、手足はカサカサになり、治療法も既になく、意識が次第に混濁し、ただただ天井を見て過ごし、時折人が変わったように嵐のような感情をぶつけられ、痛いと3日間言い続けて亡くなりました。病院も再診察に何時間も待たせ、1か月もすれば退院の繰り返し。在宅看護を推奨する国に疑問を持ちました。
    私は点滴なんて不要です。治療法もなく死ぬのを待つだけなのに、なぜ衰弱死するのはダメなんでしょうか。衰弱出来ないから痛みに悶絶し、死ぬかもしれないから痛み止めも弱い効き目のものから投与…家族にも患者にも辛いだけです。

    ユーザーID:3801692439

  • 最近の週刊新潮で読みました

    週刊新潮で、連載(?)している特集で似たような記事を読みました。海外では胃ろうは回復見込みのある人にはほどこすけれど寿命の人にはしないと書いてありました。いろいろ勉強になるような記事でしたので是非よんでいただきたいです。これから老人が増え、同じような症状になる人が激増しますよね。そうなった場合の全体の医療費のことも考えて社会全体の新しい考え方を構築できるといいのになと思います。個人的には、食べられなくなったら、それが寿命ということなんだと思います。

    ユーザーID:9819966679

  • わからない……

    家族を複雑な気持ちで看取ったものです。
    家族の中でも「これ以上は……」「いやもう少し……」と話しあい……いや、話し合いではありませんでした。
    内容が内容なだけに、今でも亀裂が入ったままです。
    >やはり本人が元気な内に、意思表示しておくおことでしょうね。
    >認知症になり食えなくなっても機械に繋ぐな・・・
    >まだ分かりやすいからいい

    それでも、もしかしたら意識がない部分で(生物の本能の部分で)、生きたいと願うものなのでは?
    もし、もし何かしようとしたら、無意識の部分でものすごく抵抗するのでは?

    とも思うのです。いくら「覚悟してます。ひと思いに」と言ったとしても(戦時中などそうであったように)。

    ユーザーID:5991938689

  • その通りだと思います

    北欧在住です。

    おにぎりさんのおっしゃる通りだし、タイトルの通りだと思います。
    数年前に80代後半の義祖父が亡くなった時は、数日の入院の後、最後は弱って食べなくなり、そのまま亡くなりました。それが自然なことだと思います。
    医者は、自分で食べない人に私たちが強制して食べさせることはできないと言っていました。食欲があって食べようとする患者には看護士がスプーンやストローを口もとに運んであげたりとか食事のサポートはします。

    日本の医療制度や方針が変わることを心から願います。

    ユーザーID:6798456187

  • 父は家で。

    家に連れ帰りました。
    最近は警察に疑われる(死因を)場合があったので厄介でしたが。
    実際、亡くなった時、警察に連絡して調べられました。

    病院から引き取り、3か月。
    お風呂の入浴のお手伝いを頼んだり、手続きが色々終わった辺りです。
    結構生き延びたと思います。

    母と二人、やるだけやったと思えたので、かなり気持ちは楽になりました。
    今になって「あの時、病院に戻していれば・・・」などの後悔に揺れる事もまったくないです。

    病院につなぐかどうか、判断するのは本人以外だと思います。
    その気の毒な人は、家族が冷たいのか・・・その人が生きているだけで受け取れる高額の年金の為か?

    義母の時も兄弟3人で話し合って、延命はやめました。
    やはりそうなった場合、どうするか話し合える家族かどうか・・・ではないでしょうか?

    ユーザーID:0927336859

  • 難しい

    生に関しては個々で考え方が違いますし、同じ方向に向くのは難しいと思います。

    実体験から書かせて頂きますが、母が病気になり術後に半分植物状態になりました。当時の私は20そこそこ。それこそ母を亡くしたくなくて延命を希望しました。気管切開をし、栄養点滴。
    話せないけど、私が言った事に関しては手を握り返してくれました。しかし、急変して心臓マッサージをされる姿を見て、父がもう可哀想だ。ここまで頑張って母が旅立ちを望んでると言われ諦めました。マッサージを続けたり血圧の注射をしたら取り留めたかもしれなかったのですが。

    そんな父が数年後に病に倒れた時は父は延命を希望しない意思を前もって私や兄や姉、医師達にも伝えてました。だから父は延命をせずに亡くなりました。

    あれから10数年経ちますが、やはり身内には生きて欲しいと思いますが、繋がれてる本人はどんな気持ちかとふと思います。

    結婚し、主人の祖母が96歳で介護にもなってませんが、認知症気味のため毎日娘の義母とケンカしてます。その様子を見ると元気なら良いけど、でも余り長生きはしたくないなと感じます。

    日本も選択肢があれば良いのにと私は思います。

    ユーザーID:4141684986

  • 同じ事をおもってました

    私も以前医療にかかわる仕事をしていたときは主さんと同じようにおもってましたよ。
    口から食べれなくなったら寿命だとおもいます。
    胃瘻している方でも回復によって後にたべれる可能性があって
    実際に食べられるようになる方もいますからそう言う方は別ですよ。
    今回の例にでている患者さんのキーパーソンって近くに
    住んでいることがほとんどですが滅多に見舞いに来ない人おおいです。
    生きていてほしいと願っている家族ならこちらにも伝わりますよ。
    けどそのような患者の家族はその患者の年金をあてにして生活していたり
    患者に関心をもってないんだなというのが伝わるんですよね。
    そんな関心を家族にもたれてなくて自力で食事もできず何年もベッドで
    寝たきりになっている患者をみていたら医療とは何だろと考えますよ。
    海外のようにもっと胃瘻などに対する基準を厳しくしてもいいと思ってます。
    借金抱えている国なのに医療費に関してはお金をかける部分に疑問があります。

    ユーザーID:4726366051

  • 胃瘻を始めたのは誰なんですか?

    おっしゃることに全面的に賛成です。
    ただし少々反発を覚えるのは、そういう事態を招いたのは、どなたなのか?ということです。

    胃瘻
    実母が老人施設に入居した際、初めて耳にしました。一般の人はそんなものだと思います。
    回復の見込みのない高齢者に胃瘻を行い始めたのは、医療従事者ではないのですか?
    医療従事者に生命に対する信念、見識がないから、今の事態を招いてしまったのではないのですか?

    このままだと短期間で衰弱死しますが、胃瘻をすれば延命できますと言われれば、家族の多くがお願いしますと口にするのは当然じゃありませんか。
    延命治療に疑問を抱いている人だって、自分の返事が家族の寿命を決めてしまうと思えば、ためらいを覚えるでしょう。

    私は、回復の見込みのない患者に対する胃瘻は保険適用外にすればいいと思っています。

    私自身は、食べられなくなったら死にたいです。
    それが生物として自然の姿ですから。
    母(認知症が進んでいます)についても、その性格はわかっていますから、施設に対し、予め胃瘻は不要とお願いしています。
    義理の父も最近施設に入りましたが、こちらは自分の意思で不要と伝えています。

    ユーザーID:3301709937

  • できることは

    できることは、自分の意志を家族にきちんと伝えるなり
    何かに書いて目につくところにおいておくことですね。

    延命治療をしてほしくないなら、
    本人がそれを望んでないということを、家族にわかってもらうことです。
    本人が望んでいないのだから、やめようと家族が思えることが
    大切なのではないでしょうか?
    少しでも長く生きて欲しいと思ってしまうのが家族でしょうから…。

    もちろん、延命治療をしてほしいなら、そのように伝えておけば
    いいと思います。
    本人の意志が大事ですよね。

    ユーザーID:4024350619

  • 私もそう思います

    親がそのような状態です。
    会いに行く度に、この状態で本人は幸せなんだろうか、と思います。
    意志を表明することができなくても、何か感じているのだと思います。それを表すこともできず、動くこともできないので天井を見つめて毎日過ごす…経験していないからわからないけど、辛いのではないかと思います。
    たぶん私は辛いと思うので、息子には、鼻管や胃ろうはしないように話しておくつもりです。

    ユーザーID:0750955754

  • 変わると思う

    そういう状態の両親を看取る経験をした者は、「そうまでして生かしてくれなくともよい」と感じることが多いのではないでしょうか。
    私の祖母も認知症になって入院、最後はトピ主さんの患者さんと同じ状態でした。
    入院から亡くなるまで6年。
    それを看取った両親も私も、そこまでして生かしてくれなくともよい。胃瘻やチューブでの栄養補給は一切しないでくれと、お互い言い合っています。
    子供が理解できる年齢になったら、子供にもそう話します。
    私の周りはみな同意見です。
    家族が判断するのは難しいですが、本人の希望とあれば延命だけの治療を断る決断できるでしょう。
    日本人の意識は、これから変わっていくのではないでしょうか。

    ユーザーID:5131782746

  • 財源のためより。

    もっと国の財源の中で不要な部分に使われていることはありますよね?
    これまでがんばって生きてこられた方に対して、感情的には長生きしていただきたいです。

    ですが、自然に生理的にまかせていれば楽なケースでも、医療につながれて無理につらい最後の日々を経験する必要があるのか、細かくケースごとに判断していけるようにするのが財源うんぬんより、もっと高齢者のためにやるべきことではないですか?
    もう若いひとより価値がないから、ここに予算を回さなくていいなんて・・・。

    >このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。
    この考えは危険な気がします。
    平和な今の豊かな社会があるのは、今は働けない高齢者が精一杯働いてこられたからではないですか。

    生理的に無理な延命はかえって辛そうなので、そこをもっと考えて行かれる世の中になってほしいです。
    いつか自分たちも通る道です。

    年取ったから死んでくれた方が財源のためなんて・・・個人個人の人の命の尊厳ってそんなにはたから見て簡単に判断できるものでしょうか?
    生まれて来て良かった国といえる国であってほしいです。

    ユーザーID:3452624030

  • 都市伝説さんのレスを読んで

    都市伝説さんのレスを読んで、絶望的な気持ちになりました

    頭が元気な人はイロウしてもいいのではないですかね
    でもその状況にある大抵の人は意識も無く死に行く状態です
    因みに私の周囲では本人の意思で拒否、家族が拒否という例があります
    どちらも家族に大切にされ大切にしていました
    死ねばいいと思っていたわけではないけど、意識も無いのに最期を引き伸ばして何になる
    本人の意識は無くても身体は苦しいのに、苦しみを長引かせるだけ

    でもそういう理性的な考えが通用しない人もいるようですね
    そして親戚に1人でも都市伝説さんのような人がいれば
    家族は責められるわけです

    トピ主さんも、若者も
    >他人に養ってもらうことばかり考えて
    いるわけではないでしょ?税金の使い道の話でしょ?
    そして、若者を圧迫すると次世代が生まれ辛くなるのですよ
    税金を払う人が減少していくのです

    もう少しちゃんと考えてみてはいかがですか?

    ユーザーID:9081332129

  • 仰りたいことわかります。

    ある国家資格をとる為に勉強しています。
    そこの講師が言ってました。

    日本はめちゃくちゃ医療費の無駄遣いが多い。
    何でもないのにすぐ病院、そしてすぐ入院したがる。
    大したことのない病気なのに、大学病院に行ったりする。
    要介護者のいる家族は自分達で面倒を見るのは面倒臭いから、入院させたり施設に入れたりする。
    これがかなり医療費を圧迫する。
    毎年多額の赤字が出ている。
    こんなの先進国で日本だけだと。

    日本人って知ろうとしないんですよね。
    自分達が使う医療費の仕組み、将来もらう年金のことなど。
    毎年毎年大赤字を出してるのに、これからもどんどん高齢者は増えていき、更に財政を圧迫するんでしょうね。
    誓い将来財政破綻するんじゃないかと危惧しています。
    世話をするのが面倒臭いから入院とか本当にやめて欲しいですね。
    全学自己負担だったら入院なんてさせないくせに。

    ユーザーID:4407770535

  • 介護施設か・・・

    私の家族が入居している特養は、胃ろうは受け入れられません。病院に行くか、他の施設を探すか、の選択に迫られます。
    胃ろう受け入れの介護施設となると限られるのでは?色々むずかしいですよ。この問題は。

    ユーザーID:0618922641

  • 支持します

    反論ではなくてすみません。
    自分の両親はまだ健在なので、将来そうなった時にどういう気持ちになるかわかりませんが。
    正直、支持どころか、私の方がより冷たくご老人を見ているかもしれません…
    わからないからこそ、そう感じるのだと思いますが、とても大きい声では言えないです。
    自分自身は、死ぬときはサクッと逝きたいなと思っています。
    無駄に医療費使ったりまわりに迷惑かけたくないですしね。

    ユーザーID:9968927889

  • 判断を委ねられる家族の、重い責任。

    お気持ち、分かります。

    「殺せ」ではなく、「無理やり生き永らえさせるのはどうなのか?」ということですよね。

    日本が長寿大国である理由、それは「胃ろう」処置が大きい。
    私は、「胃ろう」は「無理やり生き永らえさせる」ものと感じます。
    ですから、自分は拒否したいと考えています。
    (今は元気だからそう思うのかもしれませんが)

    「生き永らえさせて」長寿大国となった結果、高齢化社会ともなり、労働人口が相対的に減って「一億総活躍社会」が必要になり、保育園も老人ホームも足りなくなる。
    まるで負のループだと思っています。

    でも、「延命治療」を提案されたら、断る勇気がどれだけ必要なことか、ということも理解できます。
    「延命治療」をすべきかどうかのガイドライン…難しい問題ですよね。

    ただ、胃に穴を開けてまで栄養補給すること、それはいかがなものか、とやっぱり考えてしまいます。
    植物状態と、老衰は、症状が異なりますからひとくくりにはできませんが、老衰に対する胃ろうだけは、倫理的にどうかと思ってしまいます。

    ユーザーID:3185456611

  • 同意します

    納得できる反論は他のレスにお任せすることにして、私はトピ主さんと同じ考えです。

    私の祖母は84歳で亡くなりましたが、最後の2年は病院のベッドで寝たきりで過ごし、最後の最後は食事も排泄も自力で出来ませんでした。朦朧としたまま管につながれた祖母の姿を見て、臓器は動いているかもしれないが果たして彼女は「生きている」のだろうかと疑問が沸きました。

    北欧のある国には「寝たきり老人」はいないと聞いたことがあります。そういう状態になったら、もう天国に召される時がきたという倫理観があるのだそうです。
    日本もかつては、自分でご飯を食べられなくなる→水分しか取れなくなる→その水分も取れなくなる、、、そうやって人は寿命を迎えることを自然と受け入れていたのではないでしょうか。

    年間400万円の寝たきりの患者さんの医療費の9割以上を国が負担=税金=私達が納めている保険料です。
    終末期医療にかけている税金を未来ある子供や若者に回せたら、、、と思うけれど。

    ユーザーID:7154529081

  • 食べられなくなれば命が終わるのが本来の姿であると思います。

    主さんの仰りたい事は理解できます。出来るだけ自然な形で死を迎えるのが一番望ましい事だと思います。ですが、主さんは医療の現場にいながら、その陰の部分に多く意識を向けられているのかなと感じました。
    私は昨年末に母を、この四月に父を在宅で看取ったのですが、父は最期の1年弱は胃ろうによって食事を取り入れていました。ただ父はまだ69歳で、最期まで自分で全ての日常生活をこなしていたので、主さんが関わられている方々とは少し違いますが、私としては父が1年長く生きられた事に感謝しています。
    父が胃ろう手術を受けた時には、既に母の余命はわずかで、どうしても母を残して自分が先に逝くわけにはいかないとの想いから、胃ろうを選択しました。そのおかげで母を一緒に看取ることが出来て、その4か月後に父も他界しました。二人を看取って思うことは、命が尽きるまでの道のりは、生きるのと同様に簡単ではないということです。ですが同時に胃ろうをしていても、やはり尽きる時には尽きるものなんだとも知りました。
    在宅医療に携わって下さった医師や看護師さん達が最期まで父の命にきちんと向き合って下さったことに感謝しています。

    ユーザーID:3135547960

  • 国家財政の破綻

    日本の国家財政は破綻の危機にあります。経管栄養をする体力は日本にはありません。国債を発行することにより財政破綻を先延ばしにしています。経管栄養にすると、家族が大損をする制度に変更すべきです。
     

    ユーザーID:8759983533

  • 全面的に賛成

    無理やり生かされてるってかわいそう。
    日本は患者のQOLを大切にするべきだと思います。

    本来だったら苦しまずに死ねたはずなのに延命措置で無理やり生かされるなんてぞっとします。

    ユーザーID:5725370742

  • 家族と話してみました。

    様々な患者様と関わる機会がある管理栄養士二年目の娘に、このトピを読んでもらいました。
    彼女曰く、意識があるかないかわからないような状態でも、呼吸や栄養を助ける意味はあるという考えでした。
    なぜなら、『生きているから』。

    年齢や経験や立場によって、いろいろな考えがあると思います。
    例えば、夫は日頃から延命治療には否定的な考えを持っています。
    生きている意味はあるのか、自分がそうなったら生き永らえたくない、だそうです。

    私は、生死を(本人を含めて)人が決めても良いものか、生きる手立てがある限り生きるべきではないか、という考えです。
    ただし、本人が(できれば元気な時に)強く拒否を希望していたら、ぎりぎり許容できるかもしれません。

    医療の話はお金を抜きにして語れないのはわかっています。
    だからと言って回復の可能性が低い延命治療はやめて、そのお金を若者に回せという意見は過激で俄には受け入れ難いものです。
    でも、医療や社会保障、福祉を考える叩き台としては身近でわかりやすい例とも思います。
    その意味において、トピ主さんにはお礼を…ありがとうございます。

    ユーザーID:7487991946

  • まったく同感です

    私もそう思います
    神様が寿命と言ってるのです

    確かに医療の進歩により
    助かる命は増えました
    でもそれとは又違う問題だとおもいます

    私は親がそうなった時は
    静かに寄り添い
    最後の時を見送るつもりです
    じぶんの子供にもそう伝えています

    医療現場にいますが
    結構皆さん同じ意見です

    医療費とか関係なく
    人間は食べれなくなったら寿命と思ってます

    例外として
    色々な病気があるので
    口からとれなくても
    別な方法で栄養をとり
    元気に生きてるひとはいますので
    それを否定してるわけではありません

    しかし
    家族として
    選択をせまられると
    拒否できないのかもしれませんね
    難しい問題です

    ユーザーID:9452856728

  • 素人からの質問

    医療・介護に関して素人なので想像でしかわかりません。
    私の祖母は認知症で最後の10年ほどは寝たきりでした。
    トピ主の文面を読むと、ホームの介護士さんたちがその間命をつないでいてくれたことになりますね。

    そこで、素人なりの疑問です。
    >生理機能の低下により食べられなくなったら寿命と考えるべき
    これは「餓死」という事になるのでしょうか?
    確かに、認知症が進んで、死んだように横たわってるだけの祖母でした。
    多分、食事してる・してないもわからないでしょう。
    でもだからといって、点滴などせずに餓死するなら人間の尊厳はどこへ行くんでしょう?

    そして、ゆっくりとゆっくりと餓死していく高齢者を見ながら、介護士さんたちは仕事を続けるんですか?
    脳死などの延命治療を外して、数分で死を迎えるのと違いますよね?
    看護師さんたちの精神が持つのでしょうか?


    もちろん、「いや、餓死ではなくちゃんとした方法で」、という事なら別ですが。
    すみません。素人なので、単純にそんな疑問が浮かんでしまったものですから。

    ユーザーID:0727028728

  • 難しい問題ですね。

    私の祖父は認知症ではありませんでしたが、誤嚥による肺炎で食事が摂れなくなり、胃ろうの処置などする間もなく、あっという間に亡くなりました。ですから、家族は介護という介護はしていません。ほとんど、ぽっくりと逝ってしまった祖父を、皆「大往生で理想の最後だね」と言います。でも、祖父の娘である母は、「ちゃんと介護がしたかった。面倒見させて欲しかった。もっと一緒にいたかった」と今でも悔やんでいます。

    私は誰にも迷惑をかけずに逝ってしまった祖父を、最後の最後までしっかりとしていた祖父らしく素晴らしいとも思いますし、大好きな祖父でしたからもっと孝行したかったとも思います。例え、認知症になって私のことがわからなくなっても…。胃ろうをして沢山の管に繋がれてでも生きてほしかったと思う母の気持ちもわかります。

    だから、死を間近に迎える人と残される人、両者の気持ちを考えると難しい問題だと思うのです。そもそも医学は死を避けるために発展してきたものです。理想の死に方とは誰のためにあるべきでしょうか。命とは誰のものでしょうか。人間の尊厳とは何でしょう。
    生きるか死ぬかを決めるのは、決めて良いのは誰ですか?

    ユーザーID:9326915182

  • 私はそれでも生きたいです

    私はたとえどんな姿になっても生き続けたいです。

    お金がかかるから死んだ方がいいって言うんですか?


    トピ主さん。

    ご本人の気持ちはどうなんでしょう?
    あなたの気持ちじゃないですよ。

    人はみんな違います。
    考え方だって違う。

    たとえば、私は心臓が停止し、動かなくなってしまった時が人の死だと思っています。
    脳死移植反対論者です。
    今の法律では、本人の意志が不明でも家族の同意があれば移植できますよね。
    私はあの法律に反対の立場です。

    何よりも本人の意志が重要です。


    今、ベッドで寝ている方の気持ちと、あなたの意志は同じだと言えるのですか?

    ユーザーID:6438138681

  • 全面同意です。

    私としては、自分が自分らしく生きられないのであれば、生きている意味が無いと思います。
    医療はその人の生活の質を高めるための手段であって、医療によって人間らしい生活が維持出来ないのであれば、本末転倒だと思うからです。
    だからこそきちんと自分の意思を家族等近い人に伝えておくことが必要だと思います。
    価値観としてはどの様な状況でも長生きしたいと思う方もいるでしょうから。
    こういった場合、問題になるのは周りの意見です。家族の思いで延命を望まれることもあるでしょう。
    それは良いのですが、それ以上に医師の説明一つで、どっちにも転ぶでしょうね。
    医療関係者や自分の死生観がキチンとある方でなければ、医師の言うとおりにしてしまうでしょう。
    医師に胃ろうを作らないと生きられないと言われて、ノーと答えられる方は少ないのでは無いでしょうか。
    また生活保護の方、身寄りの無い方なども、よっぽどしっかりされていない限りは、最後の最後までガッツリ治療されてしまいます。
    まずは、医師が倫理感を見つめ直し、病気だけではなく人の人生を考えて治療方針立ててもらうのが一番と思います。
    自然に死ぬ事が普通な世の中になりますように。

    ユーザーID:8797954522

  • そうですね

     大っぴらには言いませんが、国だって同じこと考えてますよ。
     だから高齢者への予算はどんどん削ってるじゃないですか。
    「後期高齢者」という言葉を作ったこと自体、それを物語っていると思います。

    ユーザーID:8523521640

  • んじゃ、何でその仕事をしてんのさ

    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    では、何故貴方はその仕事を続けているんですかね。
    貴方のやっている事はいわば、国を滅ぼす手助けでしょうよ。
    貴方の説に準えていうなら。

    高齢者を病院に預けて延命させる家族と、
    自分の生活のために延命を手助けする貴方と
    一体何処が違うんでしょうか?
    自分の生活の事しか考えていない点では同じ事です。

    行動の伴わない貴方に、人をとやかく言う資格は無いと
    思いますがね。

    ユーザーID:9921230752

  • 反論なんてできません

    栄養剤の点滴だけでも生きていてますからね…
    意識もしっかりして、会話もできます。

    面会に来られない方の方が圧倒的多数だと思います(来ても年に数回)
    もともとうまくいってない場合もあるでしょうし、自分の生活がいっぱいでそれどころではない。老いてゆく親を見たくない…等

    熱中症対策か、水分補給も結構強制的です。
    「あんなに飲めない」「飲みたくない」「おなかがぼがぼ」と言ってます。

    老いてゆく様を目の当たりにしてるからこそ、きれいごとでは片づけられないと思います。が
    実際には施設等に預けて日頃の様子を知らない事がほとんどでしょう。
    あんな様子を毎日見てたら「生きていれさえすればいい」とどこまで思うでしょうか。親は基本自分よりも先にいなくなるけど、それはいつ?
    自分が死ぬまでその状態でいて欲しいのでしょうか?

    毎日世話をして、毎日会って、その変化を目の当たりにしてないと
    結局は若い時のイメージのままなのでは?
    だとすると、自宅で介護というのは「きれいごと」ばかりではないと実感できる一つのいい方法なのかもしれません。

    ユーザーID:7360693129

  • 死について議論を避けている。

    日本は「死」について議論を避けていると思います。
    忌み嫌うばかりで真剣に向き合っていない。自分もいつか必ず死ぬのに、考えない
    ようにしている風潮があります。
    その結果、延命措置についてどうして欲しいも意思表示しないし、なすがままに
    なってしまっている。
    自分で死を考えたくないために、医療者に判断をゆだねて医療者を苦しめている、
    そういうこともあると思います。

    わたしは、主さんの思うような状態になった時に死ぬべきかどうするかを考える前に、
    まず、「死とは何か」「自分が死ぬ時どうしたいか」「人間は死についてどうある
    べきか」など、基本的な問題をじっくり討論すべきだと思います。

    死を考えると生がどうあるべきかも考えるでしょう。どう死ぬかはどう生きるかに
    つながってきます。生きていることばかりが尊いわけではなく、尊い死もある
    はずです。
    樹木希林さんがコマーシャルで「死ぬ時くらい好きにさせて」ということを
    おっしゃってました。
    日本人は死について真剣に向き合うときが来ていると思います。

    わたしは50代ですが、エンディングノートを書き始めました。
    自分がどう死にたいか、考えています。

    ユーザーID:0667266559

  • 同意します

    私の両親は病院で亡くなり、最後は意識もなく助かる見込みもないのに死ぬためだけに長い間管に繋がれ意識が戻ることもなかったです。会いに行っても苦しそうな息づかいを聞いてるだけでした。

    義母は治療しても治らないとわかった時点で治療を中止し退院して自宅で過ごしました。痛みはあったと思いますが、期間は短く意識が無くなってからはあっと言う間でした。

    両方の介護をしてみて、私は治る見込みがなければ治療を中止しようと思ってます。
    でもこれは環境を整える必要があるし、どうするかは自分自信が決めることだろうと思います。
    病院でも尊厳死が認められるといいのになと思います。

    ユーザーID:6753740466

  • 子供や若い人なら治療の意義はあるけど…高齢者ですもんね

    難しい問題ですね。

    子供や妻なら何としても治療するだろうけど、一人残されて、見舞いに来ない(来れない)結婚した子供や孫しかいない高齢者ってことですよね。

    本人の意思はどうなんでしょうね?元気なうちに、本人が意識がなくなったり認知症になってしまった場合困るから、と言って
    「治る見込みがないなら延命治療とかはしないでくれ」
    なんて話を大概はしてると思うんですよね。もしかしたらその方々は、本人の意思で延命治療をしており、周りはそれに従っただけ…に過ぎないのかもしれませんね。

    義兄の母親が長くガンで自宅にいながら治療してましたが、急激に悪化しいよいよとなって、義兄(父親や兄弟は他界しており家族が義兄しかいない)に決断が迫られました。泣きながら延命治療する、と。しかし、本人がずっと痛い思いをし苦しむことがわかっているのと末期ですから、楽にしてあげようとなりました。
    悲しいですがこれも親孝行なのかもしれないと思いました。

    私自身も病気で多額の医療費使ってます。生活はできてますが、どうにもならなくなったら医療費は使わないでってまだ元気だから思うのかな?

    ユーザーID:5845882398

  • 医療関係者だからこそ、自身は平穏死/自然死を望む人が多い。

    その後が見えますからね、黄疸、褥瘡、浮腫み、肺炎、etc…。
    それは望まない人が多いと思います。
    意識がはっきりしなくなれば、私も望みません。平穏死を希望します。

    私達が次の世代に対して出来ることは、明確な意志表示でしょう。
    お金だけでなく、子供に選ばせることも次世代の負担です。
    最期までどんな状態になっても生きたい、と言うか、口から栄養補給出来なくなれば死んでも良いとするか。
    自分の意志で決めて、それを次世代に伝えておくべきだと思います。

    ただ、ケアを劣化させれば「経口補給出来ない状態に追い込む」ことも出来ますから。
    姥捨山を防ぐために、可能であればガイドラインの整備が欲しいところです。

    平穏死の概念は、広まりを見せつつあります。
    10年後、20年後は平穏死が普通の日本になるかも知れませんね。
    平穏死カードが出来たりね。

    ユーザーID:1932283683

  • 人の目 1

    とぴ主さんのおっしゃること、支持します。

    私の母は、同敷地内別居。認知症がありましたが、ヘルパーさんの助けを得ながら一人暮らしをしていました。
    88歳の誕生日を目前に癌が発覚。余命2か月と診断されました。
    自宅で24時間ヘルパーさんについていただき(母には蓄えがありました)、訪問看護の先生に来ていただいて自宅介護を開始しました。
    最初から延命はしないと決めていました。なぜなら、父がとぴ主さんのおっしゃる状態で3年寝たきり入院のあと、亡くなったからです。
    母は父に中心静脈、呼吸器の取り付けの決断をしました。
    そういう時代だったのだと思います。
    「もう何もしなくていいです」と言えない時代。
    25年以上前のことになります。
    聡明でハンサムな父の両足が腐って膝から下は真っ黒でした。
    おっしゃる通りただひたすら耐えるだけの毎日。どれだけの地獄だったのだろう。

    母も床ずれから足先が腐り、痛みをずっと訴えていました。腹水も溜まり、苦しそうでした。だんだん食べられなくなりましたが、当初から延命治療はしないと決めていたのでヘルパーさんにできる範囲での飲食の介助をお願いしていたのです。
    (続く

    ユーザーID:9081154956

  • いずれ淘汰される

    トピ主さんの主張はわかります。
    でも前レスにあったとおりまだ時は熟してないのではないでしょうか。

    少子高齢化がますます進めばもう過度な延命治療を支えきれなくなるのではないでしょうか。
    たとえば本人負担が今より多くなれば「その道」を選ぶ人はどんどん増えるでしょう。
    そう遠い未来の話ではないと思います。

    >毎日自問自答しながら仕事をしています。

    それでいいと思います。

    >納得できる反論などをいただけないでしょうか。

    難しいですが、あえて反論するなら「そこに横たわっているのが自分の親だったら配偶者だったら、ましてや自分の子供だったら同じことが言えますか」ですね。

    基本的にはトピ主さんに同意してます。

    ユーザーID:1437947632

  • 自分ならそうしてほしいけど

    私自身が自分で動けない・食事もできないとなったら、延命措置など一切せずにさっさと死なせ欲しいです。
    自分の事ならそう思えます。

    でも、親や夫がそうなったら、果たして延命を拒否できるかどうか?
    その自信はありません。

    元気なうちに家族で話し合っておくのが一番なのでしょうね。

    ユーザーID:6701295983

  • 人の目 2

    続き)ですが、入れ代わり立ち代わり来ていたヘルパーさんの内何人かが、栄養補助のサプリ等を与えるべきだと私に言ってきました。よそで癌患者さんを見ても、皆そうしている。なぜしないのか、と。なぜこのまま死ぬに任せ、見殺しにするのか、というニュアンスだと受け取りました。
    責められたと感じた私はあわててお医者さんに相談しました。
    延命して何か良いことがあるのか?と先生はおっしゃいました。その時の事、先生の言葉詳細は覚えていません。でもそれは私の気持ちに寄り添ったものでした。
    腐った足、苦しいお腹。寝たきりの毎日。その母に延命処置をする意味は?苦しみを長引かせるだけです。
    母に延命のための栄養を、と言ってきたヘルパーさんは年配の方でした。

    認知症は大変な病気ですが、母は幸せだったと思います。
    自分の病気もわからないまま、穏やかに死を迎えられように思いました。自分が母の立場で、認知症を患っていなかったらどう感じるだろう。その結論はまだ私の中で出ていないのです。
    それはそのまま自分の将来への不安につながります。

    昔は人の目が治療をやめさせてはくれませんでした。
    今もあまり変わらないのでしょうか。

    ユーザーID:9081154956

  • 胃ろうは要望がない限りしない医療機関も増えてますよね。

    ご本人とご家族の強い意志で「胃ろうをしてほしい、生かしてほしい」と示さない限り、
    胃ろうは積極的にお勧めしないところも増えているのは、やはりそうなってからの長さや辛さが
    リアルケースで見えてきたからだと思います。

    医療や福祉の世界に「本人の意思尊重」という概念が入ってきて、業界内には浸透してきた気がします。
    あとは、世間の倫理観、というより法整備かなと思います。
    今は、延命治療をせずに自然に任せるやり方は合法でも、寿命を断ち切る形になる尊厳死は罪になるでしょう?

    一時期、海外で尊厳死をさせてくれる医療機関が日本でも話題になりましたが、
    諸費用込みで数百万円かかるにもかかわらず、日本人高齢者が何人も順番待ちをしているそうですよ。

    ごめんさい、ちゃんとした反論はありません。
    ただ、私も福祉に係る仕事をしているものとして、「本人の意思・尊厳の尊重」を突き詰めると
    一定の年齢に達した人に対して、自分の寿命は自分で決められるような法律は必要になってくると
    思ったりもします。条件等を考えていくと、ものすごく難しいですけどね。

    ユーザーID:5146316332

  • 義父はポート(点滴)で生きています

    ずっと療養型病院にいます。
    要介護5です。
    話はしっかり出来ます。
    ポートでないと受け入れられないと言われて、ポートにしました。
    時々肺炎になりますが、薬で持ち直します。
    家族で家で看るのはとてもできないので病院に入院させていますが、
    週に2回は必ずお見舞いに行きます。
    家族はお見舞いに行くだけで、疲れています。
    いつまで続くのかわかりません。
    もう、口から全く食事がとれないのだから、
    終わりにしてあげたいと家族は思っていますが、何もできません。
    病院の方々も見殺しにはできませんから、
    肺炎になって、「薬を使わないでいいです。」とは言えませんしね。

    医療が進み過ぎて、医療費を負担する家族も、国も辛い世の中です。

    ユーザーID:5716598511

  • 個人的には総論賛成

    医療費負担がどうのこうのって部分は賛同しかねますが、尊厳と言う部分において同意します。

    しかし本人または肉親の意志でそのような状態での存命を望まれるなら、それも選択肢としてあるべきでしょう。

    ユーザーID:0879949053

  • 賛同します。しかし、感情がついていかないのです。

    実の父親が脳卒中で倒れ、もう何もわからない状態で
    点滴で生かされている状況です。
    意識がしっかりしているときから「延命はしない」と
    聞いていました。しかし、ちょっと口元がほほ笑んだように
    見えたり、少し手が動いたり、まだ意識があるように
    思えるんです。子供たちを連れて何度もお見舞いに行っています。

    とぴ主さんの主張に強く賛同します。
    でも、どうしても栄養点滴を外せないんです。
    まだ父親は生きているんです。

    ユーザーID:4277243946

  • ほぼ同意

    トピ主はすべての寝たきり老人を延命すべきでないと言ってるのではないでしょう。
    多くの寝たきりでチューブにつながれて延命されている老人たちの中には、それを望んでいない人や延命がただただ苦痛になっている人がたくさんいるのではないかということですよね。

    私の親は末期がんで余命わずかです。老衰とは違うでしょうが、蘇生も栄養チューブも拒否しています。
    60を過ぎれば自分の考えを家族に伝えておけばよいのではないでしょうか。
    中にはチューブにつながれてでも生きたいと思う人もいるでしょう。

    家族としても延命拒否イコール見殺しみたいに世間に思われそうで決断しづらいのでしょう。

    家族にそのような思いをさせないためにも、私は(40代)夫や子供にきちんと意思を伝え、できれば文書で残しておきたいと思っています。

    ユーザーID:0497109781

  • 同意します。

    その通りだと思います。
    反論はありません。
    人間の尊厳の問題でもあるのですから。

    たくさんの管と機械に繋がれそれなしでは生きていけず、食べる喜びも話す楽しみもなく、ただ牢獄のような生に縛られる。
    愛した家族は遠くなり微笑みあうこともなく、それどころか泣かせて、金銭的にも負担をかけながら、ただただ、生きている。
    そして長くなればいつか必ず疎まれる。
    それは人間にとって地獄ではないですか。

    本人の意思も確認できず、もちろん家族は切り離したりできない。だから生かされる。

    それが自分だったら。

    死にたくはないでしょう。死は恐ろしい。
    だけれど辛い。絶対に苦しい。楽になりたい。
    それゆえに管を外すことを願うでしょう。
    回復は見込めないのなら、生き物が生き物としてあるように、生きて死にたい。

    命がある、ただそれだけが大切なことなのではないはずです。

    ユーザーID:9406761011

  • むずかしい。

    義父が植物状態で14年。胃ろうで生きました。
    横にいる義母はそれでも一緒にいてくれてうれしい。
    すぐにでも目を覚ましてくれそうと疲れた顔をして言っていました。

    最初は急に倒れた義父が目を覚ますかわからず、
    生きていれば動くかもという希望をもとにはじめた胃ろう。
    もう動くことはないとわかっても、止められませんでした

    やめることは、この手で命を止めること。
    そんな選択、できない。

    でも、あまりにも急に倒れた義父、
    もしかしたら起きられるようになったかもしれない義父。
    高校生の弟がいたあの時。
    その先14年も生きていられるのがわからなかったあの時点で
    あきらめるのは。できなかった。

    どうするのがいいのでしょう。

    でも、夫と二人、治療で胃ろうはしないでおきたいと話しています。

    ユーザーID:2462973580

  • 正解がわかりません。

    今年に入ってから父を誤嚥性肺炎で亡くしました。緊急搬送後2カ月入院しましたが、母が延命治療を希望しなかったのと、回復の見込みが無いことから退院させ訪問医療、看護にしました。最期は飲食は何も欲っしずその後自宅で家族に見守られながら息を引き取りました。
    周りの人は家族に見守られながら自宅で亡くなった事を「良かったね」と言います。私も確かにそうは思うものの、父は延命治療してほしかったのでは?まだ生きていたかったのでは?といまだに考えてしまいます。

    自宅に連れ帰ってみてわかった事ですが、例え訪問看護を申し込んでも自宅に常に誰かいなければ無理でした。今回は母がいたので可能でしたが、母の時はどうすればいいのだろうと考えてしまいます。
    現状私達子供はお互い家庭があり働かなくては生活が出来ない状況です。仕事を辞め看護する事が出来ません。したい気持ちはあってもです。

    でも世の中にはただ生かしておくだけで親の年金を目当てにしている人もいると聞きます。またいざとなったら命の尊厳を理解していても、親恋しさで延命治療をお願いしてしまうかもという友人もいます。色々なケースや事情があり私には正解がわかりません。

    ユーザーID:7417713577

  • 本人の意見が抜けてる

    ご本人はどうお思いなのでしょう?
    現段階では分からないなら、臓器提供カードのようなものも必要かもしれませんね。

    まあ、なってみてやっぱり手厚く治療して生きないっ!と思うかもしれませんけれど…。

    引導は誰にも渡せないと思います。

    それと、現状とおっしゃられますが、医療施設でそのような状態のご高齢者は全体のどれくらいの割合なのですか?
    私はまだ少ないから放置されているのだと思ってます。

    年間四百万円を使いすぎと判断するか、足りないと判断するかは人それぞれだと思いますよ。

    正解はなく自問自答できる人がなるべき職業ですから、色々大変でしょうけれど、頑張ってください。

    ユーザーID:8834364170

  • 皆さま、ありがとうございます。

    いろいろとご返答いただき、ありがとうございます。全て読ませていただいています。

    頭が混乱していて、2つの問題をごっちゃにしていましたね。ひとつは死を選ぶことの尊厳について、もう一つは医療経済上の問題について。

    これを一緒にしてしまったので、姥捨て、のようなご批判が出てきたのでしょうね。私のミスです。結局、私にも回答は見つかっていません。ただ、林檎さんがおっしゃっていた、自分は拒否するけど親にはする、というのは「悪意のない」虐待ではありませんか?

    実際ご家族と話をするとき、既に患者さん本人の意思表示がはっきりあった場合は栄養補給を断る方が多いです。やはり元気な時に意思表示をしておくことが大切なのでしょうね。

    あと、親を少しでも生かしておいてその年金で暮らす子供達もいます。彼らにとっては、親が生きていることが稼ぎの元なのです。もちろん、見舞いになど来ません。そんな家庭も現実には山ほどあることをご承知おきください。

    「先に行っているから、また会おうね。」とご家族に言えるような死生観を持てる社会、死を忌み嫌い、敗北ととらえるようなことのない社会を作りたいものですね。

    ユーザーID:6839394959

  • リビングウィル

    60代です。

    私が一番恐れているのはトピ文にある様な状態になる事です。

    主治医のいる病院で貰ったリビングウィルの書類に記入して家族にも署名してもらってありますから、病気になってその病院に入院できれば何も心配はありません。

    ただ外出先で事故にでもあってどこか知らない病院に運ばれたらどうなるのかと心配です。
    常に身につけていられる携帯用の正式なカードができないかと思っています。

    無理矢理死なせない様にするのでなく自然に最期を迎えられたら幸せだと思います。

    ユーザーID:6142497198

  • 賛成です

    現在40代ですが、20代から難病を患っています。
    医学の進歩のお陰で、現在もほぼ健常人と同じ生活を送ることが出来ています。
    医療・製薬関係者の方の努力には本当に感謝しています。
    ですが、個人的には60歳くらいまで生きられたら十分です。
    入院しても一切の延命処置は断り、その後の治療に掛かるお金は若い方のために使ってもらいたいです。
    高齢化に伴い膨れ上がる医療費を考えたら、80歳以上の方は一切の延命処置はしない、したければ費用は全額自己負担、くらいにしないと現在の日本の皆保険制度は早晩崩壊するでしょう。
    現在の3割負担も5割、7割等に増えていくでしょう。
    そうなれば気軽に病院に行けなくなり、若い助かる命が失われていく可能性が高くなります。
    治療にはお金がかかる、そのお金で救える命は若い世代を優先すべきというのが私の考えです。

    ユーザーID:5246185128

  • そうですね。

    私もそういう状態で生きててなんの意味があるんだろうって思ってました。
    でも以前、ドキュメント番組で全く身寄りがないご老人がそういう状態なのにもかかわらず、意識はしっかりしてるのか、生きたいっていう意思をつよく持っていたんです。
    結構衝撃でした。
    生きていてもしかたないって思うのが当たり前かと思いきや。本人が死にたくないって強く思ってる場合もあるんだって。
    ていうかこの話を母にしたらそんなの当たり前よ、死にたくないわよってあっさり言われたんですが、、そういう状態でいてもそうなんだ、、って忘れられないです。
    自分だったらそんな状態で生きていると言えないって思うし迷惑かけたくないし。
    やはり自分で選択できるといいですね。

    ユーザーID:4288385139

  • お金の使われ方

    >このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    具体的にそのお金がどの様な事に使われれば良いとお考えですか?

    ユーザーID:6927317247

  • そう思います

    予想以上に少子高齢化、核家族化が進んで、リタイア後の生活を最後まで自分で全うすることが難しくなっているとおもいます。

    そろそろ限りある財源を湯水のように高齢者の医療費(福祉)に使っていいのか考えるときだと言いたいです。しかし政治に関わる人は本人も高齢者に近いですし、有権者に占める割合の多い高齢者に媚を売る政策を進めます。

    とりあえず望まない延命を避ける、場合によっては安楽死も可能なように法律を変えるべきです。そもそもこの問題について国民は危機感をもたないと、本当に子どもや若者のいない、中高年ばかりの国になってしまいます。

    ユーザーID:4022357932

  • 反論ではなく共感

    食べられなくなった時が死期なのだと思います。
    少なくとも私がそうなったら死にたいです。
    安楽死がいいな。
    でも日本では、政治家が安楽死を口にしただけで非難され、議論する事さえ許されませんね。
    社会保障制度への影響も大きいですけれど、
    そもそもそんな風に「生かされる事」を望む人が多いとは思えません。
    毎日そういう人達のお世話をするトピ主さん、お辛いでしょうね。

    ユーザーID:6504065364

  • タイミングとお金

    終末期の高齢者に対して濃厚医療が非倫理的だという考えは広まってきていると思います。欧米ではすでに数十年前からそういう考え方だそうですね。
    日本では少し前までなによりも命が大切という意識で延命治療をしてきたのですから、本人にとっても苦しみを与えているだろう延命治療をやめるタイミングがないままになっているということがあるでしょう。
    ある一部の人にとっては、お金の問題があります。本人負担が数万円なら生きている限り年金で得だと考えること。家族がそう思う場合もあるでしょうし、家族のことを考えて本人があらかじめ意思表示をしていることもあるでしょう。医療側ではどうなのですか。終末期の高齢者に濃厚医療をすることが経営上必要だということはないのですか。

    私は医療関係の仕事をしている人にこそ、何年も管につながれ意識もなく生命を維持されている高齢者が幸福なのか、食べれなくなったら自然に枯れていくように亡くなる方が幸福なのか、教えて欲しいと思います。
    一般には胃ろうを知らない人も多いですよ。

    ユーザーID:8111537692

  • おっしゃる通り

    諸外国では、胃ろうや、チューブをつなぐことは老人虐待との認識になるそうです。
    したがって、寝たきり老人なるものは存在しないのだと。。。


    私は、食べられなくなった時、その時こそが神様の決めた寿命なんだと思っています。
    それを人智や技術で無理に引き延ばしているだけだと・・・。

    先日、我が家の大切な大切なペットが虹の橋を渡りました。
    動物と人間を比べるなぞ何事か!とお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。

    でも食べられなくなり、動けなくなり自然に呼吸が止まり、
    自然の摂理に基づいてこの世を去っていく彼を看取りながら、これが正しい形なのだと思わずにはいられませんでした。

    ユーザーID:8558601381

  • 同意です

    胃ろうは延命治療だと思っています。
    生かされている人たちは幸せなのかと。うちの母も胃ろうを勧められました、がわたしは賛成しませんでした。母はどこにも行けないし自由に動けないのに生きていたくないと言います。
    誰しも年を取ります、決して他人事ではありません。わたしは胃ろうや点滴等で長生きしたくない。寿命を伸ばす意味がわかりません。

    ユーザーID:0715333784

  • 延命処置して良かった。

    指も動かすこと無く、呼吸はしているが意識は無いのだろうと思っていた
    母の状態、ある日病室に行って、「来たよう」と話しかけて、何時もですが
    反応が無いので「かあさんは、話しかけても返事をしないんだから!」と
    言ったら私の方に振り向いたんです、嬉しかった。と同時に反応が無くても
    聞こえていたのか意識はあった、延命処置して良かったと思った瞬間です。
    その3日後に無くなりました。
    母は日頃からまだ死にたくないと言ってたので、意識のある内に命を絶つことを
    しなくて良かった。

    介護をしていく過程で医療機関にはかなりお世話になりました。
    後半には障害1級に認定されましたので、医療費は無料でしたが
    可能な限り自宅介護に勤めました、訪問看護や在宅介護支援を受け
    ながら。
    最後は病院で亡くなりましたが、今でも延命をして貰って良かったと
    思っています。

    13年の介護で私の心身共に崩壊しました、母の後を追おうかと考えたが
    やり残したことが有ったので留まりました、やり残しも今日で終わったので
    私の決心次第になりました。
    母の医療で掛かった分は私の分を先に使ったという事で相殺して貰えれば嬉しいです。

    ユーザーID:9767518909

  • 看護師ですが同意です

    私も日々悶々としながら同じことを考えて仕事してます。
    自分で経口摂取ができなくなったらそれまでの寿命で、経管栄養なんてしないでもらいたいですね。
    若い人など病気で一時的に経口摂取できない場合にのみ、経管栄養を使ってほしいです。

    ユーザーID:3929626855

  • 主さんに同意です

    医療・介護従事者や(重度の)介護経験を経た人ほど主さんと同じ感覚を
    持つと思います。

    母が自分のオムツの中から汚物取り出してむしゃむしゃ食べてる姿を見た
    時は「ああ、もう人間じゃないな」と思ったのが正直な感想です。

    生存本能のみで生きている生物でしかありません。
    かといって他の動物のように自力で狩りができない、栄養摂取ができない、
    動くことができない、といった状態で自然淘汰されるような存在でもない。

    実に歪で不自然な生だと思います。

    どんな状態でも生きていて欲しい、と願う子供や親の願いを否定する
    つもりはありません。

    ですが、それは「事情」を盾に他人様に丸投げし、9割の税金を使った
    状態で声高に訴えるものではないと思います。

    実際問題、そのような状態で生きていて嬉しいのは、それを希望して
    いる本人とその身内だけですから。

    なので主さんもご自分の家族が寝たきりになったらひょっとしたら
    気持ちが変わるかもしれませんね。

    ユーザーID:8381965201

  • 本音を言うと

    胃ろうをしても、普通に生活できるなら、いいと思いますが、病院の入院代ベット代 胃ろうの代金 年間すごくかかります。意識がなく、管で繋がれ生きているなら。 その代金未来の、若者たちの年金に回してほしいです。自分が、患者でも、そう思います。あと 老人ホームは何百万も負担するのに 入院は一割負担。老人の入院は3ヶ月まであとは自宅介護にしてほしいです いくら税金あっても、なくなる一方でしょう。

    ユーザーID:5677577303

  • 同感です

    私もその業界に携わる者です。最初は仕事を覚えるので精一杯で考える
    余裕ありませんでしたが、トピ主様と同じ様な疑問と考えを持った次第です。

    お子さんが入院してみるみる元気になる訳ではないので、切ないです。

    ふと思いましたのは、患者様ご本人のご親族や関係者にだけは意味が
    有るのかな、と(精神的・金銭的)寝たきりだけど、
    ご本人と近しい人にはそれでも一緒に生きてる実感を維持したい一心
    なのでしょうが、本当にご本人が望んでいる状態なのかは疑問です。

    しかし、これから日本を背負う人を思う所は有りますが、
    病院に勤務する大勢の従業員とその家族も有ります。

    済みません、ちゃんとした回答には至りませんが、潔くどこかで
    区切りを付けて欲しいと思いつつ、誠心誠意できる事を尽くすことしか
    自分には出来ない事にもどかしさを思います。

    ユーザーID:5898109175

  • 同意します

    お金の事を書くと批判を受けるでしょうが、高齢者の「治療」ではなくて「延命措置」に関しては、保険の制限をかける方が良いと思います。

    誰も自分の一言で人の命を終わらせる事は難しいです。

    どこかで病院の方から「ここまでです」と言われる方が、家族も納得するのでは。

    最後まで延命して欲しい人は、「自分の財産を使い切るまで徹底的に延命して下さい」と意思表示しておけば良いです。

    ユーザーID:3084218491

  • 一部に反論します

    54歳です。この春、末の子供が無事に独り立ちしました。
    私も胃ろうはまっぴらですね。延命治療も望みません。その意思をリビングウィルとして文書にして、子供たちにも確認させてあります。

    しかし、
    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。
    これには断固、反論します。
    いかなる理由があっても、国のために死ぬことを推奨すべきではありません。違う種類の「お国のための名誉の死」に道筋をつけることになります。
    そもそも、国民の医療費に圧迫されて滅びる程度の国家じゃ困ります。

    また、理性を欠いた長寿信仰というのも当たらないと思います。
    別に長寿信仰に沿って医療が行われているわけではなく、医療技術を追求していく過程でQOLの思想が置き去りにされたらこうなった、ということでしょう。
    この状況はこれから変わると思いますよ。受身ではなく、個人が医療を選ぶのが当たり前になれば。

    今後は、リビングウィルの運用に関する法整備が進んで欲しいですね。

    ユーザーID:0202605599

  • 胃ろうについて・・・

    胃ろうを一度始めたら、その人が亡くなるまで医師は外せない訳で、そうなると患者も患者の家族もいろいろ後からこまることになるかもしれませんが、反面で胃ろうをして療養してるうちに経口でも食事がとれるケースもあるんではないですか?

    まだ生きられる人を、人がもう社会の役に立たないからみたいな理由で「もう生きてくれなくていいから」と言われているような処置をしてしまう、あるいは処置をやめておくという判断はむずかしいです。


    70代後半の両親、どちらも未だ検診にひっかかることもなく、元気で病院にも通うことないまま父は今年80になります。
    一時的に胃ろうにした場合、また自力で食べられることもあるのでしょうか?

    もっと高齢の家族がいる場合は知っておくべきことを知らないことが多いのでしょうね。
    急に判断を求められたとき、あわてて決めるようでは、くいの残ることになりますよね。

    でも、死んでも仕方ない、もう十分生きたからなんて、だれがそんな大それたことを判断できるのでしょうか?本人以外に・・・。

    ユーザーID:3452624030

  • 賛成です。延命措置の意思表示カードなど作ったほうがよい

    医療費がかかるという理由ではないのですが、
    食べる楽しみがなくなった後は生きるのが辛いという意見がありますよね。
    年をかさねても人間は人間。食事もせずに自由に身動きできずベッドの上でただただ毎日を過ごすなんて牢屋にいるより辛いです。

    医者も胃ろうやむやみな延命治療をする場合はそれから先の生活がどうなるのかきっちり話すべきと思います。
    私達も延命措置に関する意思表明カードなどもったほうがいいと思います。

    ユーザーID:6335737038

  • 横ですが。

    >終末期医療にかけている税金を未来ある子供や若者に回せたら、、、と思うけれど。

    これは、とてもいいことを書かれているようで、とっても怖い事を言われているように思うのです。

    まず、私たち人間の頭で、高齢者はもう社会の役にたたないので、若者のために・・・なんて、決めていいものではない気がします。

    そして、いくらでも他に税金の無駄があるでしょうに、高齢者の終末医療をどうでもいいと国民が言い始めたら、その分節約?になった財源が子供や若者の福祉に使われるでしょうか?単に姥捨て山的社会がやってくるだけではないでしょうか?
    ただ、高齢者が気持ちよく、最後の時間を過ごせる医療、医療の質にこだわるのは大事ですが、高齢者には生きなくていい、そこに回す財源がもったいないなんて、やはりどうどうと言える世の中になるのは怖いです。大事ななにかを失くしています。

    ユーザーID:3452624030

  • それはつらい現実ですね

    大学の卒業論文に尊厳死のテーマを選びました。

    自身の意思で決定できない状態を生きていると言えるのか
    という大きなテーマで様々な角度から死について調査研究
    しました。

    私が出した結論はやはり、意識がはっきりしている間に
    こうなった場合はこうしてほしいという取り決めができること。
    それこそが、自分の人生を全うすることになるという感じです。

    医療が発達してきた今、昔ならとうにお迎えが来ている
    状態の人を生きながらえさせることができるようになっています。
    また、そのような状態を続けることが国の財政を圧迫しています。

    まとめていくのは難しい問題ですが、少子化と共に、
    早急に過剰な医療について議論すべきだと思います。

    当時話を聞いたお年寄りの皆さんは、自分たちが知らないところで、
    栄養を入れられ生かされ続けることを望んではおられませんでした。
    そして、私自身もそのような状態でいることは望みません。

    ユーザーID:9772597785

  • 同意したくはありますが

    トピ文の内容は
    「自力で食べられなくなったら寿命、病院での延命治療はお金の無駄」ということですよね。

    では(重度の障がい者を除いて)というのは何故ですか?

    自力で食べられないという点では先天的な障害も老衰も同じですし
    事故等で後天的に寝たきりになった若年〜中高年層の人の扱いは?
    生かすか殺すか、その線引きは誰がどうやってするのでしょう?
    年齢? 治る見込みがあるかどうか? 面倒を見てくれる人がいるかどうか?
    老衰者も今後もしかしたら医学の進歩で治るかもしれませんし、それは障害者も同様です。

    トピの内容は気分的にはわかります。老衰ならもういいだろう…と思ってしまうのも。
    ですが、障害だろうが老衰だろうが人の命の取捨選択は誰にも出来ないのです。
    私は、現時点では自分が寝たきりになったら安楽死させて欲しいと思っていますが
    いざそうなった時にどう思うのかわかりませんし
    寝たきりでも意識はあるのかもしれないと考えてしまうと
    「助けられるものは助ける」となり、その結果の長寿社会なのだと思います。
    それを「お金の無駄だから死んでくれ」というのは
    それこそ倫理に悖るのではないでしょうか。

    ユーザーID:6409361523

  • もう少し時間が必要でしょうか

    最近は終活もTVで取り上げられることが多くなりました。点滴・胃ろうなどの延命処置についての記事も目にすることが多くなったし、意識が改革されつつあると思います。

    私自身は食べられなくなったら終わりと考えているし、点滴で命を繋がれるのは、真っ平ごめんです。60代の両親も同じです。しかし80代の祖父母には、確認しにくいです。そのような意思確認は非礼と取られる世代かもしれないと思います。祖父母を傷つけるのが本意でないと理解してもらえるのか自信がないです。

    それにいざとなったとき、愛する母が食べられなくなっても、点滴していたら回復して食べられるようになるかもとか、往生際の悪い考えが浮かんできて、点滴を外す決心ができるか自信がないです。トピ様から見たら理性を欠いた国を滅ぼす行動なのでしょうが、肉親とのお別れが近くなったときに、理性を発揮するのは難しいです。

    変革していくには時間がまだかかりそうです。すごく勝手なんですが、生きているだけでいい、どこかの病院で息をしているだけでもというエゴを本当に捨てれるまでは、まだ時間がかかると思います。トピ様の倫理観には反論はないですが、ごめんなさい。

    ユーザーID:9729234236

  • 誰のための延命か

    今まさに父が、ひたすら生かされている状態です。

    最初に倒れた時、選択肢がありました。
    手術をするかしないか。
    すれば命は助かるが、かなりの介護が必要となる。
    しなければ、多分助からない。

    私は冷たいですが、自分なら助けないでほしいと思いました。
    しかし、もしかしたらもう一度話せるかもの誘惑に負けて結局助けてしまいました。

    そして、意識は戻らず経管栄養の日々です。
    もう意識が戻ることは、ほぼないとのことです。

    多くの医者に栄養も治療も止めてくれとお願いしましたが、全て断られました。
    痰を取る時に顔をゆがめ、ゴロゴロと転がされ、おむつもしなければならない。
    本当に父は幸せなのだろうかと、いつも思います。

    主様が医者だったら、昔に出たガイドラインに沿って経管栄養を止めてくれるのでしょうか。
    父は何のために生きているのでしょうか。

    生きてくれているだけで感謝という気持ちにはなれません。
    早く、やすらかな最後を迎えてほしいです。

    ユーザーID:0170498438

  • 同じ様な状態の若い人や子供の場合でも?

    認知症ではなく、例えば事故等でトピ主さんのおっしゃる様な状態になった若い人や子供の場合は?
    患者が若い人や子供でも、同じ事をトピ主さんは主張するのだろうか?
    トピ主さんに同意している人たちもどう考えるのだろう?
    実は、親族に意識のない子供がいます。もちろん、食事できません。自分の意思を示すこともありません。
    目覚める事はたぶんないと診断されてます。
    トピ主さん、どう思いますか?

    ユーザーID:6652071835

  • 話し合いもできません

    死ぬということは誰にとっても決断が難しいのではないですか?
    よっぽど自分の人生に満足している人でないとその決断は難しい。死について向き合えるのは、よっぽど円熟した世の中でないと難しいと思います。
    日本はまだそこまで至っていないんですよ。
    なので、これからゆっくり時間をかけて、世の中の考え方がそこに円熟するのを待つしかないんでしょう。

    私の母は元気ですが70歳過ぎになり、意思を聞いておこうと思うのですが、その話をすると明らかに不機嫌になり、意思を聞くこともできません。
    父は認知症は患っていないですが、ただ生きているだけの日々。本人は「もういい!」と言っていますが、母がせっせと「長生きできる」的なサプリメントや栄養剤をせっせと与えています。
    きっと母の世代の価値観は「長生きするのが勝ち」的な考えなんでしょう。

    ちなみに私は我が子には苦労させたくないので、延命治療は止めてと伝えています。
    これは世代の差だと思います。
    あと数十年たてば変わってくると思いますよ。

    ユーザーID:4937187465

  • 体験して、思うこと

    変な話、健康で元気な人間には、食欲もなく、衰弱して、起きているのも、寝ているのも辛いような状況は、想像しがたいものだと思います。

    自分が病気でだったり、親が衰弱していくのを看取ったりで、経験して、
    私は、自分自身で食べられないほどに衰弱するなら、胃ろうは、拒否して欲しいと、娘には伝えています。

    元気な人間が餓死するのとは違い、衰弱して食べられなくなったという状況では、
    本人自身に食欲云々も感じられなくなってしまうだろうと、実感しました。
    生きたいという意欲があれば、食欲がなくても、食べようともするでしょうし、胃ろうとか、点滴も本人が希望すれば、希望通りで良いとは思いますが、
    衰弱して、意識も戻らず、寝ているだけなら、私はそのまま静かに息を引き取りたいと思っています。

    ユーザーID:1172685333

  • 中村仁一さんの本

    中村仁一さんの終末医療の本を80才の父に薦められて読みました。
    医療に関する知識は予め備えてなければ、と深く思いました。

    胃ろうについてですが、
    50才前に治療法の無いままに筋力の低下で胃ろうになった知人も居ます。
    昨今の医学の進歩で数年すれば治療薬の開発も期待出来るので
    知人は其れに期待をかけて病気とともに生きています。

    老人は自然死の道を進むのでしょうか?
    同じ医療の進歩で老化も止められるのでは無いでしょうか。
    其れに一縷の希望をこめて延命する事も罪ですか?
    医療費の膨大な額をどこで区切るのでしょうか。

    今は 疑問を持つことは良いのですが、
    正しい結論を期待してはいけないと思います。
    こうするべき、と言う基準が一人一人違う事を認めて
    それぞれの悩みを助ける知識と情報をもっと広めるて
    勉強して行く事が大人の宿題です。

    ユーザーID:5141352930

  • 延命治療の善し悪しと国民皆保険の善し悪しは分けて考えるべき

    延命治療の善し悪しと国民皆保険の善し悪しは分けて考えるべきだと思います。
    延命治療するかしないかは、これはもう本人の意思、家族の意思で決めること。
    議論する意味なんて無いですよね。

    国民皆保険制度が本当に良いものなの?という点は、これこそ大いに議論すべきことです。
    健康保険が任意加入で、リスクの高い高齢者は加入するなら高い保険料を払わなければならない、こんな保険制度だったら、他人が延命治療するかしないかなんてどうでもいいじゃないですか?

    おかしいのは延命治療じゃなくて保険制度だと思います。

    ユーザーID:6524267686

  • 都市伝説さんに同意します。

    私も父と義父の両方を燕下障害の末亡くしました。 胃ろうとか径管栄養よりも根本的に何故その燕下障害を治そうとしないんですか?本人達は死の間際迄水が飲みたい。バナナ一本で良いから食べたいと、意識だってしっかりしていたのに、医療関係者ってそんな本人を目の前にしていても心の中では平気でお金勘定ですか? 特にトピ主さん。貴方です。
    家族だって本人だって何とか延命だけじゃなくて早く現役に復帰して医療に頼らない身体になって欲しいのに、何故わざと燕下障害の治療も研究もしようとしない?頭ごなしにすぐに胃ろうの話しされたって最後迄何故治そうとしない?の不信だらけでした。検索すれば遠方で燕下障害を風船を使って回復させてくれる病院もありました。でも地域医療という枠があるからヤブ医者しかいなくても仕方なく通わなくちゃいけないんです。
    最善の医療を目指してとか病院の理念に書いてありましたが燕下障害に関してはあんなに残酷な死なせ方の何が最善の治療なのか疑問です。 トピ主さんがご自分でそう思うから自分とその親戚御一同様にだけそうなさってくださいね。
    もちろん都市伝説さんには全面的に同意です。

    ユーザーID:1301107073

  • 分かります。

    おそらく高齢者に対して延命治療をしているのは日本だけだと思います。欧州でも私が住んでいるアメリカでも、寝たきりの高齢者で自分で食べれなくなった人の為に点滴はしてくれません。それが寿命だと考えるからです。それに日本よりも医療費がかなり高額なので。そして家族も結構あっさりと諦めています。私はこちらで高齢者の介護士をしていますが、以前私のクライアントで99歳の女性で意識が無くなり、係り付けの医者が来ましたが、何も治療をせず見ているだけでした。それだけでも家族は診察料として大きな額を払ったと思いますが。家族の人が何度かストローで口から水を入れていましたが、何も食べなくなって2週間後に亡くなりました。家族もその間に覚悟も気持ちの整理も出来ていたようでした。文化の違いかもしれませんが、よその先進国はあっさりしたもので、病気ではなく老衰に関しては、自分で食べられなくなったら寿命と考えているようです。だから平均寿命が日本より短いんだと思います。日本は家族が治療費を払い続けることができるからかもしれないですね。

    ユーザーID:7389084403

  • 従事者です。

    私が常に生徒に伝えること、人の生き方、死に方については仕事中には考えないことです。

    このような疑問は、従事者は誰もが感じることです。ただ、特殊な立場にあることを忘れないで欲しいのです。その中にいると、感覚がマヒし、意思疎通が出来ない人は物に見えてくることがあります。これは本当に危険な事なのです。

    この手の問題を考える時、人は自分に置き換えます。次に家族に置き換えます。そして、自分なら「こういう生き方は望まない」と考えた時、きっとこの人も、と、その人の声を聞いたかのように錯覚し、医療事故を起こしてしまうことがあるのです。

    このトピを見て感じるでしょう。多くの方があなたの意見に賛同しています。これも自分・家族に置き換えるからでしょう。そして従事者は錯覚します。「やっぱり自分の考えは間違ってなかったんだ」と。従事者にとって、これは本当に怖い事です。この仕事を志すものは、どのような状況にある人であっても、明日があり、今、この時を生きていると信念を持たなければなりません。知らず知らずのうちに「生かされている」=「本当は死にたいのに死なせてもらえない」と錯覚してはダメなのです。

    ユーザーID:5153471814

  • 完全に同意

    トピ主様に完全に同意です。

    ”病気”を治すのが医療なはずなのに、日本人は”老化”も治してくれると勘違いしてしまっているように思います。

    本来であれば寿命をまっとうしているはずの高齢者をただただ生かし続けるために、

    働く世代は莫大な社会保障費を負担しています。

    そして、この負担は今後もっとも増えていきます。

    儒教の教えが根強い日本では難しいことですが、感情論に走らずに、

    みんなでこの問題についてまずは議論することが必要かと思います。

    ユーザーID:5766342958

  • 近年は 考え方が変わってきた ハズ

    出典は 忘れましたが、こんな話を聞いたことががる。
    『 かつて、医療の使命は 患者の生命を救うことであったので、
    延命医療は当然だったが、
    近年は、緩和ケアが重視されるようになってきた 』

    ちょっと調べてみた
    (日本ホスピス緩和ケア協会 HP )
    緩和ケア病棟 病床数の推移
    1990年 117 → 2015年 7184
    約 60倍だ。
    最近の数年間は 加速的に増加している。

    トピ主さん曰く
    >そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。

    いえいえ 心配御無用。長寿信仰は是正傾向ですよ。

    ユーザーID:7736431596

  • 家族の判断だから

    認知症や脳障害で治る見込みがないのに科学の力で生かし続けるか
    尊厳ある死か、確かに悩ましい問題ですね。
    母方の祖母は心臓病を患い最後は点滴につながれて身動きできない状況の中なくなりました。
    死というものに直面するのがつらく、なかなかお見舞いには行けませんでした。
    亡くなった時に母がこぼした涙と「お母さん」という一言は忘れられません。
    同居してた叔父妻はせいせいしたっぽかったけど。

    父方の祖父は体調不良で診察を受けた時にガンが発覚。
    そのまま入院して3か月ほどでなくなりました。この時も病院へは怖くていきたくなかったです。
    かわいがってくれた祖父だったのに不義理をしたと後悔しています。

    なにが言いたいかというと人にはいろいろな想いがあって
    お見舞いにこないから、機械につないで無為な生をつなぐから
    逆に延命治療をしないから、といって情がないというわけではありません。
    どういう最期を迎えるかは本人とご家族の決めることで
    トピ主さんはその意思に従ってご自分の責務を全うされればいいと思います。
    どうでもいい人のために年間何十万もの医療費は払えませんよ。

    ユーザーID:1941522482

  • 費用負担と社会的コンセンサスの話が混ざっていてわかりづらい

    トピ主さんの問題提起は、とても重要なものだと思います。

    ただ、(1)患者負担が少ないので、家族にとっては「何も判断しないでそのままにしておく」が最適解になるのをどうするか、(2)どのような状態になったら寿命と判断し、延命を中断するかの社会的コンセンサス、の話が混ざっているのでわかりにくくなっています。

    (2)の側で、たとえば「生理機能の低下で食べられない状態が安定して1ヶ月続いていたらもう寿命」というコンセンサスが得られれば、(1)の側で「それなら、2月目以降は保険給付を順次減らして半年後にはゼロにします。いつ延命治療を中断するかは本人と家族が判断してください」はアリだと思います。

    逆に、トピ文のように(1)の側を先に言ってしまうと「貧乏人は死ねって話か」と感情的な反発で問題が錯綜するだけです。

    第一歩としては、医療者側がガイドラインを作って「こういうケースでは延命を勧めない」を徹底することだと思います。素人が「延命しますか?」と聞かれて「要りません」と答えるのは困難ですし、「こういうときは、もう諦める」という指針が出ていれば(2)のベースになるでしょう。

    ユーザーID:6662622195

  • 同感です

    祖母、祖母の姉の介護を手伝い、祖母は看取る事もできました。
    介護のなかでは、様々な段階がありました。
    日常的に祖母に接しているなかで、食べること、おしゃれ、旅行が大好きだった2人が、まず、旅行ができなくなり、その後、おしゃれや化粧をしなくなっていったときに、「そろそろお別れなんだな」と覚悟していった気がします。
    大叔母に関しては、胃ろうをつける判断を求められたことがあり、「食べる事が大好きだった人が、食べることができなくなる、味を分からずに栄養だけとらされるのは、本人にとっても苦しいだろう」ということで、痛みをとったと聞きました。
    私は伯父伯母の判断を英断だと思っています。
    介護される側が、人生に対して、何を重きをおいてきたのか…そういったことを主治医とじっくり話せたのが良かったようです。ただ、治療するというよりも、「どういう生き方、死に方をしたいのか」を本人や家族とじっくり話せるようなお医者さんになってください!

    ユーザーID:8979801836

  • 医療従事者です

    医療、特に高齢者医療はブラックだと思ってます。
    やっぱりお金なんです。
    患者さんは医師が全てですから、無駄な検査や無意味な薬を嬉々として受諾し「お医者さんに怒られちゃうから」「お医者さんが言うから」が口癖。
    全く問題はない、大丈夫だと言っても信じず、なにかあった時に駆け込んだ医院で何も薬が出なければ「あの先生はヤブだ」となり、大量に投薬し検査だらけになると「あの先生は私のことを大切にしてくれる」となります。
    医師としては簡単なカモです。
    (そんな医師ばかりではないと信じたいですが)
    医師は処方箋を出し、検査をすればお金が入るんです。
    延命だって同じです。
    手術だってそうです。しかも、医師としてはたくさん切ってみたい。
    「延命処置をしないなんて、そんな可哀想なことをしていいんですか?」
    と医師に言われて拒否出来る家族はいません。

    私と私の家族は一切の延命を拒否することを書面にのこしています。
    救急車を呼べば治療をされてしまうので、救急車も呼ばないつもりです。
    これは高齢者の医療現場を見ている私の出した答えです。

    ユーザーID:7904053808

  • 同意見です

    高齢者の場合延命せずに寿命に従った方がいいと思います。本人の為に。

    義父は進行性の難病でしたが、瞬きしか出来なくなってから義父の子供達の希望で胃ろうにし、その状態が7年半続きました。
    自分が介護するとは思っていなかった義母は最初は文句を言っていましたが暫く経つと自分に得する事が多いと気づき変わりました。
    義父の病気は難病指定の為『治療費の実費はなし』『介護5の為全て介護サービスで賄える』『病院への義父の支払いは胃ろうのレトルトの食事代だけ』『年金二人分は全て義母の小遣い』というのが7年以上続いて快適になってしまったのです。最期の半年は危篤になっても何度も医師に延命を頼み義父が可哀想なくらいになりました。何故何度も延命するのだろうと思いましたが、義父の葬儀後義母の口から出たのは「年金二人分もらえなくなった」とがっかりした言葉。
    こういう人もいるのです。

    点滴だけなら義父は数ヶ月で逝けたはずです。年金、税金、介護保険、健康保険を7年も無駄にして、義父本人も苦しい思いをして得したのは義母だけだったと後になって気づきました。

    ユーザーID:3811829619

  • トピ主さんに同意します

    私の母も同じ事を言っていました。
    頼むからそれだけはやめて、と。

    だから彼女が病気で物を一切食べられなくなった時
    胃ろうや延命治療は断りました。
    穏やかに穏やかに、すうっと眠るように亡くなりました。

    私も夫と子に胃ろうや延命治療はしないでと
    言ってあります。
    エンディングノートにも書いて置いた方がいいですね。

    ユーザーID:2334656860

  • 同感です

    食べられなくなったら死ぬ。それがいいと思います。
    あとは認知症。自分の子供の顔も認識できなくなった祖母は施設で食事の介助を受けながら20年近く生きています。

    ユーザーID:2336155460

  • ご指摘がありましたので。

    >ただ、林檎さんがおっしゃっていた、自分は拒否するけど親にはする、というのは「悪意のない」虐待ではありませんか?

    夫や私が義父と少しでもそのようなことを話していて、義父がそんな風になってまで生きていたくないと言っていれば、私はそれに従いました。ですが、義父は既に90才を超えていて、長く一緒に暮らしていても、そのような話をする機会はありませんでした。なので、私の価値観としては拒否するけど、義父の気持ちは分からないので、家族としてそう判断し、夫も同意してくれました。私は今でもそれを間違っていたとは思っていませんし、何も分からないトピ主さんから虐待呼ばわりされるのは、かなり心外です。

    トピ主さんはご自分はまだ回答を見つけていないと言われていますが、そうでないなら、患者さんの家族や私の判断を批判されるのはおかしいです。私はトピ主さんの回答は既に出来上がっていると思います。そして他の方のレスを拝見しても、それがこれからの中心的な考えとなっていくのだろうとは私も思っています。

    すみません。続きます。

    ユーザーID:7417295327

  • ぜひ読んでいただきたい

    「看取り先生の遺言」 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」
    奥野修司著  文芸春秋社

    内容はここで紹介しきれませんが、在宅緩和ケアに取り組んだ岡部健医師

    魂を揺さぶられるような深い示唆に富んだ本です。

    ユーザーID:8224689817

  • わかります

    私は寝たきりの母、認知症の父の介護をしてきました。
    親に対する愛情は壮絶な介護の後全くなくなりました。
    そして、なんでこんなになっても生きてるのだろうと呆れながら介護していました。

    人間として機能しなくなったのに延命するのは全く意味ないと思います。

    長生きしたくない、と親をみてつくづく思いました。

    ユーザーID:0406503329

  • ご指摘がありましたので 2。

    今後のことではなく、トピ主さんが言われる現在の患者さんのことですが、例えば親の年金をあてにしている子どものことはよく聞きますし、私も知っています。でもトピ主さんのところにおられる、そのような患者さんの中には、ご自分がその状態ででも生き続けることが出来れば、子どもが年金を受け取ることが出来ると喜んでおられる方があるかもしれません。その考え方の善悪ではなく、その方の気持ちとしてそうかもしれないということです。でもトピ主さんは年金を取られて、面会にも来てもらえない患者さんとしか見ていない。それは危ういと思います。

    人の生き死にに関わることですから、どんなに大きな流れが出来ても、たった一人の考え方まで尊重されるべきとはトピ主さんも考えられると思います。そうであるなら既に意思表示が出来なくなった状態で過ごしておられる方に関しても、そうするべきで、そのためには出来る限りの想像力を働かせて関わるしかないのではないでしょうか?
    医療関係者の方に、家族に見捨てられ、毎日天井だけを見て、ただ生きているだけの可哀想な患者さんとしか見てもらえないなら、トピ主さんの前におられる患者さんはあまりにも気の毒です。

    ユーザーID:7417295327

  • 同感です。

    先日義理の母がなくなりました。
    二年以上入院していました。
    がんを患っている上に、認知症も進んでいて訪ねてもほとんど反応がありませんでした。
    元々そんなに交流があるわけでもなかったし、主人でさえも年間3回しかお見舞いに行きませんでした。
    近くに住んでいる兄弟は頻繁にお見舞いにいってくれてはいましたが、誰も引き取るとは言いませんでした。
    冷たい様ですが、こんな状態で生き続けることに意味があるのだろうかと内心思っていました。

    私は自分で食べられなくなったらもうそのまま寿命を迎えたいです。
    何の楽しみもない人生はもう終わったも同然ですから。

    ユーザーID:4032395376

  • 高齢者だけではなく

    私は重度の内蔵疾患を患っています。
    治療も進行を遅らせているだけで完治はしません。遠くない将来、身体障害者になります。さらに発達障害者でもあります。
    30代前半での発症の為に結婚も出産も諦めました。
    通院、入退院を繰り返しており非正規でしか働けません。
    働けなくなったら生きる為に生活保護を受ける事になると思います。
    ただ、そこまでして生きる意味があるのかなと常に考えています。

    高齢者だけではなく、条件を満たす難病患者は60歳以降、安楽死を認めて欲しいです。
    悪化する一方の病気と闘うのはもう疲れたよ。
    そして、この国はもう高齢者や病気の人間を支える力は残っていないから。

    ユーザーID:4201725939

  • そのとおりです

    食べてこその「生物」だと思います。
    口から食物を摂取できなくなったら最期のときだと考えていいんじゃないですか。

    ユーザーID:4751117552

  • 私も延命治療反対派です。

    自分にも自分の親にもです。
    (ただし寿命を全うしたと言えない
    若年の場合にはもちろん出来る限り助けたいと思いますし、
    それが当然です)

    線引は難しいけれど、80才以上であれば、
    自発呼吸が一応の目安になるのではないでしょうか?

    栄養補給はなんらかの形で行い、
    酸素マスクも必要ならもちろんするけれど、
    自発呼吸ができなくなった時点で、
    覚悟を決めるというのが現実的に
    ちょうどいいかも知れないですね。

    ただ、他のレスにもあったように、
    「意に反して」延命治療になり、
    それを「敢えて外す」決断はそう簡単にはできませんね。

    年400万稼ぐのも難しいご時世に。
    年400万円もかけて「生きさせる」オカシイと思います。

    ユーザーID:2052096902

  • 豊かな時代の産物

    やがて背に腹はかえられなくなります。社会保障に回す金がなくなるからです。

    ユーザーID:6016242838

  • 本当にそう思います

    本当ですね。
    日本は健康保険のお陰で安く医療に掛かることが出来る。
    しかし私のように殆ど医者に掛からない、今後も西洋医学には極力掛かるつもりはなくても高額の健康保険料を有無を言わさず国にブン取られます。
    本当に現代医学を必要としている人も多い傍ら医療関係者の利益の為に無駄な医療費も湯水のように使われている結果でしょう。

    いっそ既に破綻しそうな健康保険制度に見切りをつけ自分で保険を掛けるようにしたら良いといつも思います。
    そうすれば安易に病院にかかれなくなる分、予防医学にシフトせざるを得なくなり、医者の言いなりや医者に丸投げは出来なくなり色々な分野の医療を選択しやすくなるのではないでしょうか。。


    私も自然死を望んでいることを早めに伝え、高齢の義両親にも思い切っていざという時のことを確認しておこうと思います。

    ユーザーID:1285545484

  • 教えて下さい

    70代の父が、脳出血により半身麻痺となり、ものを飲み込むことも困難となったため、現在は療養型の病院に入院して鼻から栄養を入れている状態です。半身が麻痺しているので寝たきりの状態で、目は開いていて、何か言いたそうにはしていますが、意思疎通はできない状態です。

    胃ろうや人工呼吸器などの延命治療はしませんと病院には伝えてありますが、鼻からの栄養も延命治療になるとの説明はありませんでした。鼻からの栄養を始めるときも、こちらに選択権があるような感じでは無く、少し元気になったら鼻から栄養を入れてみようと思います、くらいの感じで始まりました。

    この鼻から栄養を入れるのは、始めてしまってから途中で止めることができるのでしょうか?教えて下さい。

    介護が、老衰からでは無く病気から始まった場合、どこからが延命治療になるのかの判断は、医療や介護の素人である家族にはとても難しいと感じます。

    万が一、母や義母(義父はすでに他界)が同じような状態になったときには、鼻からの栄養を断ることができるのなら、断ることも考えようと思います。

    ユーザーID:2342804444

  • 切ないです

    老人介護の仕事を長く続けています。
    時々、施設に経管栄養を摂取されている方が入ってくることもあります。
    栄養だけはしっかり行き届いているので、意識のしっかりした方もいます。

    施設内にある調理室から美味しそうな香りがしてくると、
    「私もごはん食べたい…美味しいもの食べたい…」と呟く人。

    病院から大きな褥瘡を作って入所してこられ、またその褥瘡がなかなか治らない。
    「痛いよう、歯痒いよう、そんなの塗っても効かないよ、やめて。
    もういいから殺しておくれ」と涙を流す人。

    色々な人を見てきましたが、ほとんど体を動かせず、食べる楽しみすらなく、
    悪化していくばかりの褥瘡や持病に苦しみながら…
    ここまでして生かされる意義とは何だろう?それは本当に本人のためなのだろうか?
    と疑問を覚え、とても切なく、つらくなることが多かったです。

    家族に愛されているのなら、まだ生きる希望もある気がしますが、
    家族がよく面会に来てくれるわけでもない方の方が多かったです…

    ユーザーID:9338982407

  • ムムムさんと同じ意見を持つ。

    トピ主さん、食べられくなったら自然死をですか、、、。

    友人の8歳お子さんは、重度脳性麻痺で、生まれながらチューブ、胃ろうで生きています。生まれてから口から食べ物をとった事はありません。しゃべる事もなく、唾さえも自力で飲み込む力がありません。
    自分で出来るのはまばたきだけです。

    老人でなくとも、色々な障害や病気で、寝たきりで意思表示が出来ない子供、大人がたくさんいます。

    トピ主さん、それでも同じ意見を持ちますか?
    皆さんも同じ意見ですか?

    ユーザーID:7445992519

  • 考える方向は同じ。ただ言葉には気をつけて

    タイトル通り、考える方向は同じです。
    ただ、「天井を見ているだけ」「家族はお見舞いに来ることも稀」には同情し兼ねます。
    医療費の問題も書いてらっしゃいますが、そのお金でコメディカルスタッフは生活しているのです。

    どこかの国は、自分で食事を食べれないイコール死と捉える為、寝たきりの人はほとんど居ないとか。
    確かに、自然に逆らわずってことはそういう事なのかなと思います。

    生き様を語る時代から、死に様を語る時代になりました。
    今はDNRを選択する方も増えていますし、リビングウィルがもっと普及するといいなと思います。
    わたしも気管吸引、経管栄養、中心静脈栄養、尿管カテーテルは拒否します。

    ケアする者として、その方とその方の家族が、何を大切にするか?
    自分の考えはケアのあり方に表れていいと思いますが、患者家族へ押し付けるものではありません。

    家族のことですが、滅多に来れない理由がある場合もあります。
    医療費支払い、オムツ代等の療養費、生活の為働いているなど。
    たまに入院させるだけさせて、現状把握もなく、インフォームドコンセントを行っても病識もなく、預けっぱなしになっている家族もいますが。

    ユーザーID:5468761467

  • ムムムさん

    ムムムさんの疑問は、トピをよく読めばわかると思いますよ。

    ユーザーID:5578376083

  • トピ主に同意します


    同意いたします。

    ユーザーID:9957299079

  • ご一緒に考えの整理をしようと、軸として

    1.死の定義の問題
    a.肉体の死
    b.精神活動の死 脳死など
    c.人格的な死 重度認知症など
    d.社会的な死 生存を望む他者がいない状態

    2.生命関係の技術の問題
    3.意思と価値処分の問題

    を設定しますと

    2は、bで特に問題になる。
    3は、c以上は意思能力が不十分で、成年後見制度の対象。

    年金の話は、保護義務の実質的な遂行の放棄と
    成年後見人による本人財産の搾取を要件に
    児童保護施設の成年版も考えられるか。

    延命には褥瘡などの苦痛が伴い
    c以上でも、意思能力があれば拒否する蓋然性が高いならば
    本人の積極的な希望のない延命行為は、虐待が強く推測されるか。

    なお、他者論やファンデンベルグの現象論になじんだ者としては
    a-d全てを満たすのが、他者が生命を論ずる最低要件で
    国家の介入には謙抑性が望まれるという感覚があります。

    根源的な問いに直面させられる医療職の
    多忙な実務の中、問いを抱える力とオープンに議論する力
    医療者としてすばらしいと思います。

    辛すぎたら治る部署へ異動されて、良さを長く発揮して頂きたいです。

    ユーザーID:8318500660

  • 自分のことだけなら何とでも言えるんだけど・・・

    正直、本音を言えばトピ主さんに同意です。

    医学の進歩も善し悪しです。
    安楽死が認められるなら、私は元気でも70くらいで逝きたいと常々思っています。どんな状態でも家族に負担がかかっても生にしがみつく人もいるし、本人はもういいと思っても家族が許さない人もいる・・・難しい問題ですよね。

    取り敢えず、私は何かあったら子供達には延命処置はしないでとは言ってあります。

    ユーザーID:4644210325

  • 不快です

    父は、パーキンソン病のため、亡くなる前の数年間は胃瘻でした。
    トピ主は、「重度障害は別」と書かれてますが、判断基準がトピ主の価値観と合致しないといけないのですか?
    家族の価値観によって、何が悪いのでしょう?

    「意思表示のできる方は、胃瘻拒否が多い」とのことですが、現状では胃瘻のマイナス面ばかりが一人歩きしているように思います。
    拒否している方に、きちんと胃瘻についてのメリット・デメリットを説明し、「家族の迷惑になるから胃瘻拒否」との状況をなくした上でのことなんですか?

    私の場合ですが、私自身が医療従事者であることもあり、胃瘻を拒否する私の家族に胃瘻のメリットをきちんと説明し、最終的に胃瘻となりました。

    父は故人となり、胃瘻しなかった場合より数年長生きしました。
    私が自分で胃瘻造設に向けて働きかけたにもかかわらず、今でも本当に胃瘻が良かったのか自問自答しています。

    「胃瘻は悪」との価値観に凝り固まったステレオタイプのトピ主に、わけ知り顔で語って欲しくありません。

    ユーザーID:8877650781

  • よくわかります。。

    お気持ちよくわかります。
    私の祖母は亡くなるまで9年間、寝たきりでした。
    お見舞いにいっても目線すら動かず、訪問自体を理解していないようでした。それを9年も。
    私は子供ながらに 祖母は幸せなんだろうか、自分だったらただ生きているなんて望まない、かわいそうだと思っていました。

    祖母の子供である私の父や叔父たちは、同じ気持ちがないわけではないようでしたが、どうしても延命治療の中止つまり祖母の死を選ぶことはできなかったようです。どんな形でも生きていてほしいという気持ち、育ててくれた母親への恩返しの気持ちだと思います。それと延命治療を希望しないことは最善を尽くさないことであり親を見捨てることだと考えていたと思います。

    最近は終活などで、自分の死を考えることが身近になっていますね。各自、宣言するのがいいでしょうね。
    私の60代の父、母は、延命治療は望まないと今から宣言しています。私も望みません。
    私の夫は望む(とりあえず長生きしたい)そうです。
    人によって考えは違うので、元気なうちに宣言しておくしかありませんね。

    ユーザーID:8720316319

  • 保険でいくらでも稼げるシステムに問題がある

    日本の医者って、死なせない事を一番に考えますよね。それは寝たきりになっても、意識が無くても治療すればするだけ保険システムでお金が入るからです。

    病院経営には大事なことだと思いますが、これだけ医療費の無駄を騒がれながらも、延命治療をこれでもかと行う日本という国がおかしいと思います。意識の無い老人に胃ろうをしてまで生かすのは、本当に家族の意思でしょうか?

    いろいろな人の話を聞きますが、延命治療をしなければ退院せざるを得なかった、脅されているようで断れなかったという人が多いです。

    私は食べられなくなったら、自然死でよいと思います。いくつでというのはまた問題ですが、そういう時揉めないように欧米のように、こういう状態になったら治療はしないという覚書を本人が書いておくべきだと思います。
    今の日本では、そういうものがあっても無視されていますが。
    このままでは、いきなりそういう時代になりそうです。その時慌てるのではなく、政府ももう医療費は賄えないと宣言し、自然死してもおかしくない老人にお金をつぎ込むより若い世代のために国家予算を使ってほしいです。

    ユーザーID:8943682158

  • 誰も幸せにならない

    祖母がその状態で8年生きました。若くて回復の可能性があるならともかく、80歳をはるかに超えた祖母に対して治療を続けることを、両親は快く思っていませんでしたが、同居する伯父家族が決めたことと口をはさみませんでした。

    祖母が亡くなって、伯父夫婦は従兄たちに、自分たちの延命治療はしてくれるなと言ったそうです。従姉から聞いて驚きました。

    伯父は途中で後悔していた。でも、途中でやめられなかった。母の命を絶つ決断ができなかったと。

    そのために徒に命を引き延ばし続けられた祖母が気の毒ですし、そのために莫大な税金が投じられたことを申し訳なく思っています。

    ユーザーID:0459605820

  • 私なら

    私自身だけの気持ちなら延命はしたくありません。義母を脳間梗塞で五年ほど介護しました。話せない、動けない、食べれない状態を自宅でお世話しました。心身ともにぼろぼろになりました。タンの吸引もあったので、24時間介護です。こんな思いは、私は家族にさせたくありません家族には、延命はしないよう伝えています。一日でも長く一緒に居たいけど私の体は悲鳴をあげてる…そんな苦労をさせるくらいなら、介護する側される側どちらのためにも、延命はいりません。もちろん、若ければこの気持ちも、違ったとは思いますが。私は義母が延命を幸せだったと思っていなかったように感じていましたし。

    ユーザーID:0667605095

  • おっしゃる通りです。

     私の 母は 昨年 ころんで また 呑み込みが悪くなったため  鼻管から栄養を補給するようになりました。 鼻の管を抜いたらいけないので 手を縛られていました。足は 大たい骨骨折で 全く ベッドから起き上がることができませんでした。 手も足も動かせない状態・・・。そして ころんで半年ぐらいで 亡くなりました。
     そばで 見ているだけで 胸が 痛みました。
     まさか 手をしばられるとは 思ってませんでした。
     あなたのトピをよんで 本当に 考えさせられました。

    ユーザーID:3089456101

  • レスします

    ちょうど義母から、「胃ろうってどう思う?」と聞かれたばかりです。
    親戚で10年以上?胃ろうで生きている人がいるんだとか。
    「私の時は延命治療なんてせんといてな」と
    言われました。
    私も、自分の時はそこまでして生かして欲しいとは思わないです。
    家族で話し合っておくのは大事ですね。

    ユーザーID:2211966946

  • 食べられなくなったら死ぬのは当たり前だと思う

    ライオンだってトラだってすべての生き物は自分で食べられなくなったら死ぬは自然の摂理だと思う。

    なぜ人間だけがそこまで生きる事に執着するのでしょうか?

    食べる事も出来なければ自分の意思をも示せないただ寝たきりの人間を強制的に生かし続ける事こそ拷問であり犯罪だと思う。

    そんな事して欲しい人間って本当にいるのでしょうか?

    ユーザーID:5764595700

  • 一番いいのは

    後期高齢者の延命治療に関しては、100%自費診療に切り替えること。
    そうすれば、財産つぎ込んでも親に長生きしてほしい家族はお金を出しますし、年金目当てで延命治療をしている不届き者はオミットすることができます。
    もちろん、医療費の削減にもつながります。ガン治療と同じですね。

    ただ、若い人で障害があり、胃ろうでないと食事ができない場合や、脳こうそくの急性期で一時的に胃ろうでないと対応できない場合の人の場合は、保険診療でいいと思います。

    今の日本、無駄に長生きしている人が多いような気がしています。
    私は延命治療は望みません。

    ユーザーID:1364922972

  • もっと生きていたい、もっと生きていてほしい

    思うのは自由だけど、自分のお金ですべきですよ。
    高齢者はほとんど医療費自己負担ないじゃないですか。
    保健医療はせめて若者と同負担でできる範囲にしてほしいです。
    高度な医療で延命はご自分や家族のお金でどうぞ。
    そこまでお金がかかるんだったら、家族も「尊厳ある死を」って言うんでしょう。
    生かしてあげたいんだったらお金に糸目はないはずですよ。
    他人のお金だからっていくらでもじゃぶじゃぶ使って、それってどうなの。
    お金も労力もどこかから降って湧いて出てくるわけじゃないよ。
    限りある社会的資源を高齢者が使い切って、若者は雑巾絞られるように労力を搾り取られ
    疲れ切っても医療は受けられない、もういい加減にしましょう。

    あ、でも自分の費用で好きなだけ延命するのは否定しませんよ。

    ユーザーID:5508238034

  • 答えのない会話のようですが。

    一つの方法として、我々は皆んな若くて元気な時から、
    遺書を書いておくのがいいのではないでしょうか?
    絶対作ではないけれど、少しは救われるかもしれませんね。
    家族で揉めるのは辛いですよね。毎年とか、数年ごとに、
    生活や状況に変化がある度に自分で検討する事はどうでしょうか。
    自分で決める事が出来る限り、その方がいいですよね。
    やはり、得策はないですね。

    ユーザーID:1736439757

  • あなたに同意

    先週父が亡くなりました。81歳でした。
    5年前に大動脈流解離で倒れ、それまで患っていたパーキンソン病もあり、認知症が酷くなり
    寝たきりでした。
    まさに365日天井を見つめて栄養を補給されて生きた次第。

    最後は肉体も枯れて脳死状態で心臓死を待ちました。
    死に顔に父の面影はなく、植物が枯れるが如くの状態でした。
    そりゃ、生きている人を殺せないですし、かといって、高齢な母の元での介護は無理でしたので、
    病院付きの介護施設に入りお世話になりましたが、あなたの思う疑問は御尤もだと思います。

    私達家族は、5年前に父は死んだも同然だと思っています。
    この5年は、果たして父にとっても望んだ時間だったのか、亡くなった今も疑問に思います。

    寝ていても意識がはっきりしているなら兎も角・・・・
    天井を見つめて栄養を入れているだけで生きながらえる時間を「生きている」と言えるのか。

    それが無駄だと一言で言えないのが葛藤です。

    毎日、その現場にいらっしゃる貴方様の問題提起は御尤もだと思います。
    私にも答えはわかりませんが。。。

    ユーザーID:8920115245

  • とぴ主さんに同感です全くその通り。

    私は、入院中です。 足首骨折です。73才 至って健康ですが、 私は尊厳死を希望しています。 以前から、母親を介護していた時、回りの患者を見て切実に感じました。 母が生命維持装置が必要になった時、お断りしました。辛かったです。 決して母を見捨てた訳でなく、これが母の為でもあると信じ決断しました。 そして今私は、主治医に言われた言葉が胸に刺さり苦しんでます。 湿布の追加を頼んだ時、 主治医が発した言葉! 貴女は1割で入院中です! 9割国の負担です、国民の税金です二週間以内は出せませと言われました。 直ぐにも退院したいが歩けません。後10日程で退院しますが! 私は国に負担をかけて生きに値するのか? 死を考えています。が一度退院し身の回りの整理したいと思います。 物が食べれない 生命維持装置着用して 無意識で生きかして、本当に国は崩壊します。何とかしないと! その金で未来ある人の為有効活用して貰いたい。 本気で考えています。 [私の主治医の言葉は此とは又違います]此にも意見頂きたいです。

    ユーザーID:9945603456

  • 重度の障害についてはどうお考えですか

    生まれながらにして、また後天的に重い障害を負って、意思疎通も困難であったり経口摂取が困難な若者、子どもたち。

    そういった方々と高齢者の違いは?
    食べられなくなったら寿命。若者は駄目で高齢者なら死んでもいいという、命の選別の基準はなんでしょうか。

    これまでの私の働いてきた環境の基準では、救える命は全力で救う、それが原則です。
    医療従事者はまずそこは揺らいではいけないと私は考えます。

    もちろん国民の価値観が変わってくれば、自ずと医療に求められるものが変わってくるのは当然ですし、実際今は変わりつつあります。

    でも、何があっても医療従事者は目の前の命が消えてもいいのではなんて考えない。延命拒否を明示されている患者さんやご家族だったら、もちろん尊重は必要です。でも大原則は目の前の命を消さないこと。

    医療にはお金もかかりそれは有限です。それに対する議論は求められますが、まずわれわれは目の前の患者さんにできることを一生懸命やりましょうよ。長い人生を歩まれた大先輩の方々です。その方々に最大限の敬意を払って。

    ユーザーID:7167562863

  • 年金のための話はよく聞きます

    義母も、自分の父も年金のためにそのようにし、
    今は義父の母をそのようにしています。

    理由は、死んでもらうと困る(年金がもらえなくなると困る)

    それだけです。

    お見舞いにも、一切行きません。

    私たちも私の子どももも、
    寝たきりの生活の義父の母を一度しかお見舞いに行ったことがありません。
    それは、いよいよ危篤と言われて集まった時、奇跡的に持ち直しましたが、
    今も、植物状態です。
    その時は、枯れ枝のような姿で、
    意識は一切なく生きているか死んでいるかもわからないその姿に衝撃をうけました。義母が贅沢している生活の裏で、このような状態に追い込まれてるなんて
    しかし、私が、可哀想だと意見できる立場ではありません。

    本人も、死なせてほしいと言える状態でもなく、
    ただ、息をしているだけです。

    本当に元気なうちに、ボケないうちに、文書で、延命処置をとらないことを残しておかないと、いけないと思いました。

    ユーザーID:2358163001

  • 生きている実感がわきませんよね


    私は生前に延命治療はしないように、臓器提供カードに記載しています
    健康寿命が本当の寿命だと思っています

    なので、胃ろうもしてほしくありません
    そこまでして生きていたくないのです

    娘たちには今から延命治療はしないようにと言っています

    みなさん、生きているうちから、家族には意思を伝えておくのが良いと思うのです

    生きているっていう実感が本人にない状態では、本当に生きているとは言えないです

    ユーザーID:1539245051

  • 同意

    トピ主さんに全て同意です。

    老衰と障害/認知症を混同されている方が一部おりますが…
    『生きている』と『死んでない』とは全然意味が違いますよ。

    食えなくなったら 命の終わり です。

    ユーザーID:6736353362

  • 二度目のレスです。意識があるからこそ

    寝たきりで意志表明できなくても、意識があるのだから命を断つことはできないというご意見がありますが…

    私だったら、意識があるからこそ、生き続けるのは辛いだろうと思います。

    皆さん、さまざまな考え方があると思いますが、私自身は延命治療、してほしくないです。
    これは、現に延命治療されている親を見て感じたことです。

    ユーザーID:0750955754

  • じゃあ、何で胃ろうを勧めるの?!(1)

    5年前、何で先生も看護師も胃ろうを勧めたの?!

    母はパーキンソンと認知症を発症して介護施設に居ましたが、会話や体は不自由でも元気でパンなんかパクパク食べてました。
    ある日突然、食が細くなり、出血もあるので病院に受診すると、重度の膀胱炎で膀胱の中は血の海でした。入院して膀胱炎は治ったものの、細くなった喉から食べ物を摂れなくなり、このままでは衰弱死すると。「貴女は娘さん?なら親身になれるね」と前置きの上医師から胃ろうを説明されました。「胃ろうするなら内科に紹介する。しないなら、このまま退院してもらいます。」と

    ユーザーID:7386912485

  • じゃあ、何で胃ろうを勧めたの?!(2)

    決断はすぐにしてくれと。とても悩みました。でも、たった10日程前までパクパク食べてた母を「もういいです」とは出来なかった。先生も「元気になれば、経管と口と両方も可能」と言いましたし、看護師さんにも「にこやかに」勧められました。その時はそれが病院の方針だったのでしょう。
    今、こういう風潮になり「胃ろうは可哀想でできないわぁ」と言われたりします。医療従事者の方も否定的意見ですしね。
    私は、仕事や家事の合間に時間が有る限り、施設に行って、手を握って母に話しかけてます。母も時たまニコッとしたり、瞬きで応えてくれます。

    ユーザーID:7386912485

  • 法で強制できるものではないと考えます

    個人的には全てを画一的に法として定めるにはまだ無理があると思います。

    死を決定できるのはまず本人、本人が決定できなければ家族。
    今の日本では、ここまでではないかと。

    医療従事者はあくまで状況を説明できるだけの立場ではないでしょうか。
    法で強制してしまうと、医者にとっては辛い選択なってしまいますし。

    こういう話は医者の間でかなり議論されているはずです。
    既に老人に関してはガイドラインも出ています。
    ただ、あくまでガイドラインで私の場合はまったく相手にしてもらえませんでしたが。

    私には本人や家族の意思を無視して延命(医者には意識の回復が見込めない状況であっても経管栄養は延命でないと言われましたが)するのは非人道的だと考えます。

    ユーザーID:0888064752

  • 最終的に「姥捨て」を正当化する論理にしかならない

    トピ主さんのおっしゃりたいことは、生死の狭間での人間の人間としての尊厳という意味ではわかるような気がしますけど、技術の許すぎりぎりのところ以前で、つまりどうあっても生命維持できない状況に至らないうちに、人が人の死を決めるというのは、なかなか難しいことです。

    それを許せば、いずれ「姥捨て」が正当化される時代が来るでしょう。
    「姥捨て」がトピ主さんの趣旨とは違うことは確かですが、生きた人間が技術力とは無関係に人の死を決定するという点では同じです。

    ただ、尊厳死法案が成立すればいいなとは思います。
    つまり他人や法律が一義的に決めるのではなく、本人の意思が明確であるならば、という条件つきであれば、トピ主さんに同意します。

    ユーザーID:9584068527

  • 食べられなくなったら・・・の定義

    食べられなくなったら…の対象に、トピ主さんは高齢者をおっしゃっています。
    それに、それに対するコメントも、ほとんどが高齢者を対象にしています。
    それについては反対意見はありません。
    自分でも、ある程度になったら延命処置についてはしてほしくないと考えています。

    ただ、以前こんなシーンを見ました。
    事故で救命病棟に搬送された友人を見舞いに行きました。
    その時はもうすでに安心できる状況になっていて、ほっとしました。

    何回目かの時に、病棟内で若い女性を見ました。
    友人に聞くと、ご主人が救命病棟にいるとのことでした。
    まだ若く、お子さんも生まれたばかりで、2,3か月毎日来ているとのこと。
    ご主人は意識が戻らず、おそらくこのまま戻ることはない、という話を、
    友人のお母さまが、その女性から聞いたそうです。

    友人のお母さまは「ただ頑張ってとしか言うことはできないけれど、頑張って」
    と伝えたそうです。

    私も友人も何も言うことはできませんでした。

    そのあとどうなったかは知りません。気にはなるけれど、口に出すことはできません。

    「食べられなくなったら・・・」という定義について考えてしまいました。

    ユーザーID:1549765583

  • この場をお借りして質問したいのですが

    トピ主さんでも他の方でも結構なんで答えていただけると幸いです。

    私の母が今まさに意識不明で口から食事はとれなくなり点滴で生き延びています。
    総合病院に入院、その前は施設にいました。
    80歳、持病も色々あります。こうなったのはまだ1週間前からですが、その前から嚥下が困難になりつつありました。
    意識も戻らず口からの栄養もとれなくなると施設に帰るのは難しくなりそうです。

    2か月くらいはこの病院にもいられるでしょうが、そのうち転院、退院を迫られますよね。
    そうなったら私は看取るつもりで母をうちに連れてきたいのですが、以下の条件だと病院はなんと言うでしょうか?
    *私は夫と二人暮らし
    *共働きなので日中は無人
    *往診してもらえる医師を頼む
    *点滴など延命措置はしない

    数週間で亡くなるのは目に見えていますが最後の時間を娘の家で過ごして看取ってあげられるなら私はそうしたいのですが
    でも日中留守の間に亡くなってしまうこともありますよね。
    そういうことは問題になるのでしょうか?
    死なせるためにうちに連れてくるようなものですが延命拒否は元気なころの母に聞いてます。

    ユーザーID:6274547374

  • 母を亡くしました

    末期がんだった母が、脳梗塞で倒れました。
    咀嚼嚥下、言語障害、右麻痺・・・

    胃瘻、鼻チューブからの栄養補給をどうするか
    医師から判断を迫られました・・・
    保水点滴だけで、胃瘻等はお断りしました。

    仕方が無かったと思ってもみますが
    本当にそれで良かったのだろうかと
    母はまだもう少し生きて居たかったのではないだろうかと。
    私が母の死を決断してしまったのだと
    未だに苦しくなる時が有ります。
    持っても三か月だったのかもしれない
    チューブで繋がれ、言葉も発せない状態は、切なかったかもしれない
    それでも、生きて居たかったかもしれません。

    如何するべきだったのか・・・未だに分らない私が居ます。

    でも・・・社会的にはそれで良かったのでしょうか・・・・

    ユーザーID:6746643543

  • 望んで生まれて来る人はいませんが

    多くの場合、誕生を望まれたり喜ばれる。
    死ぬ時も、本人はもういいと思っても
    親しい者がまだ生きていてほしいという気持ちが0でないことも多い。
    命の始めと終わりは本人と関係者の意思の齟齬がよくあるこのことが
    命と物の違いをよく表していると思います。

    国家については、その行為と構成を決めている憲法の根本は、個人の尊重です。
    権力は、個人の意思になるべく立ち入らない。
    刑法も、介入条件を明記して、謙抑性の原理をうたっています。

    人間というものははかり知れない。
    なので、本人の価値処分は本人意思のみによる。
    それがない場合は、後見者が補う。

    脳死判定も本人意思か後見者の判断であることも
    上記から説明できると思います。

    林檎さんのケースは王道の、幸せなケースだと思います。

    議論に仮説は必須で、それに一定の傾向があるのは当然として
    問いを簡単に片づけず、オープンに議論されている点がすばらしいと思います。

    医療者が生かしているのではなく、本人が生きている
    探る方向は国家の前に本人、次にその後見人の意思
    と思ってもらいたくて反論してみました。

    ユーザーID:4445197272

  • 自分は拒否だけど親は可という意味

    自分は延命拒否だけど親とは意識のあるうちにそういう話をしなかったので延命措置をしたというのがイマイチ理解できません。

    素朴な疑問なんですが
    自分がされて嫌なことは他人も嫌だと思うのが普通だと思うのだが?
    延命治療を拒否することは悪、親不孝という発想があるのかな?
    自分が悪、親不孝者という悪者になりたくないから、自分は延命治療なんて嫌だけど親にはするということなんだろうか?

    どちらにせよ、本人ではない家族にそのような命の決断を迫るのは酷だと思うね。
    未成年者ならともかく、例えば60歳以上の人には健康保険証やマイナンバーカードを渡すときに裏にそういうの記載する仕組みにするとかすればいいのに。

    ユーザーID:6979856716

  • 仕方ないと思う

    自発的に食事が出来なくなった時点でその方の定命は尽きています。
    徒に延命させることは望ましくありません。
    つい最近母を見送りました。自分もかくありたいと思います。

    ユーザーID:5111535613

  • 基本同意ですが

     脳死問題と同様、国民的議論も必要と思います。
     小生としては、延命治療不要の要件として、経口で食べられない事の他に、年齢(後期高齢者以上)、認知能力(身内の識別の可否)を加味して、判断すべきと思います。
     この辺の交通整理をしないと、若年の障害者の人権問題など絡まり、議論が拡散するように思います。

    ユーザーID:4056546322

  • 寝たきりの高齢者が多すぎます

    医療関係の文献や雑誌を目にする仕事をしています。先日ある記事を見ました。
    欧米には寝たきりの高齢者がほとんどいないというものです。
    欧米では食べられなくなった高齢者に基本的に胃瘻は行わないというものでした。
    もちろん、以前は胃瘻をしていたそうですが、現在では意味のない治療とのこと。
    回復の見込みがある患者には一時的な胃瘻は当然行われますが、認知症などで
    食べられなくなった患者には胃瘻はしないそうです。
    日本では、命が助かるはずの高齢者も胃瘻はせずに自然に亡くなっていくそうです。
    亡くなった私の父も、一時胃瘻を勧められましたが、家族で話し合いの結果
    胃瘻はしないことにしました。それでも退院後、施設に戻ってから施設のスタッフの
    努力により、なんと食べられるようになり、ケアマネも驚いていました。
    その後、何度か肺炎を起こし父はなくなりましたが、胃瘻は最後までしませんでした。

    ユーザーID:2753508261

  • 全く同論です。

    医療が発達して、なかなか死ねない世の中になってきましたよね。
    昔なら自宅で看取るのが主流でしたけど、現在はそれすら難しい時代。
    生きているというより生かされているのいう延命治療に違和感を覚えます。
    なんとか国として対策を打つべきではないかと日頃から思って
    おります。

    ユーザーID:4902908933

  • トピ主に同意します

    冷たいと言われてもかまいません。

    私も、「おじいちゃんに死んでもらうと困る。年金が入らなくなるから」と、はっきりおっしゃる方を存じ上げています。
    もう何年も寝たきりです。

    こんなことが続くと国の医療費がいくらあっても足りません。
    反対される方は、最終的に自分達の首をじわじわと絞めているのと同じですよ。(増税)

    ある程度のクッション期間を設けて、○歳以上、○年以上寝たきり、回復の見込みが薄い、等の複合理由を元に区切り、胃ろうを打ち切る制度を検討するべきだと思います。

    私が同じ立場の患者なら、ゆっくり死なせてほしいです。

    ユーザーID:4347434896

  • 生きてるってどういうこと?

    トピ主さん、勇気をもってよくトピを上げられましたね。

    言葉尻を捕らえて、責める人もいるかもしれないけど、とても
    意義があることだと思います。

    この疑問について、答えられない私はヒューマニストもどきの部分と
    現実的な考えの間で迷っているからです。

    「尊厳死」が認められている国って、実際は政府が日本ほど
    手厚くなくて、病院費用も非常に高く、家族の負担が多い国なんです。

    脳死と心臓停止の線引きもいまだに議論が続いています。

    もう、病気になる以前の本人意思確認に押し付けるしかないのでは、
    と思います。

    誰も自分が猫の首に鈴をつけたくないんです。

    渡辺淳一さんの短編に、瀕死状態の人の胸を切開して手で直に心臓マッサージをする話がありました。
    医師が揉んでいる間は意識のない体には血流がめぐっています。
    数時間後、医師の手がしびれてきて、あるきっかけでマッサージを止めるんです。
    それを責めからる人がいるでしょうか。

    ユーザーID:6896778874

  • 少しだけ思い出してほしい

    医療関係者の方なら、その方々の今の状態がどういう経過をへてそうなったのか、毎日天井を見て過ごすようになったのか想像がつくと思います。

    のまなくていい薬、開けなくていい穴、切らなくていいもの、胃ろう、点滴、輸血、手術…
    あなたなら分かるのではないでしょうか。朝昼晩と薬をあれだけ処方すれば、誰だってそうなっていきます。

    若くて元気な時があったのです。でも様々な理由でそうなった、数々の投薬や治療は本当に必要なものだったのでしょうか。

    ピンピンころりは誰でも望むものです。しかしそれを得られる幸運な人はごくわずかです。むしろ老後を思い(心配をかけまいとして)健康に配慮してきた人のほうが理不尽に不健康になるケースが多い気がします。

    そして彼らもかつてはタックスペイヤーだった時代があったはず。その彼らの納税で多くが恩恵を受けたはず。使えなくなったから、何も生まなくなったから、だから死んでもいい、そう思うとご自身が心寂しくなるかもしれませんよ。

    ユーザーID:8305724611

  • 母が胃瘻栄養で4年生きた後、経口摂取に戻りました

    10年前に母が脳梗塞を患って、食欲中枢が壊れたため食べるということを忘れてしまい、胃瘻造設しました。
    認知症、失語症もあり、意思疎通は困難でしたが、歩けました。
    歩ける要介護5。(介護やっている人にはわかると思いますが、最悪パターンですね。)

    4年経って、壊れたはずの食欲中枢が回復したのか、あるいは脳内に新しいバイパスができたのか、口から食べることを思い出しました。肉体的な嚥下機能は、残存していました。92歳の今は100%経口摂取ですが、胃瘻はそのまま残してあります。風邪などひいて寝込んで何も口にしようとしない時に、水分と薬を入れるのに便利です。

    胃瘻を作らない選択をしていたら、母は10年前に餓死していました。

    胃瘻で生きていた時期も、口から食事を摂れるようになってからも、認知症ではありますが、子や孫は認識します。テレビのお笑い番組を見て、笑います。花屋に連れて行くと、自分の好きな花を選びます。

    胃瘻が嫌いな人は、しなければいい。
    でも、他人に向かって、認知症高齢者への胃瘻造設は無駄な延命だなんて言うのは、やめて欲しいと思います。

    ユーザーID:0690153397

  • 元気な時、介護施設で働いていました

    トピ主さんに同意です。
    私が働いていた施設では胃ろうの患者さんで、意思疎通が出来る方はいなかったです。
    「生きてて欲しい」は分かりますが
    私は働いていた当時は、胃ろうの患者さんは褥瘡が酷く体位変換をしますが、なかなか治りませんでした。経管栄養だけでは栄養状態は良くならないんでしょうね。

    食べられなくて胃ろうで寝たきりで褥瘡が出来て排便排尿はオムツで、親に「生きてて欲しい」とは思いません。そんな負担かけたくないです。

    ユーザーID:2256348047

  • タイトルから逆の内容だと思っていました。

    ヨーロッパに住んでいます。
    ヨーロッパでは尊厳死は認められ、死刑は廃止されています。
    日本では尊厳死は認められ、死刑は存続されています。
    当然私はヨーロッパよりの考え方です。
    凶悪犯の命は重んじられなくてもいいというのは理解はできますが、
    冤罪で釈放されている方もおられるわけで、
    尊厳死について法整備が必要というのであれば、
    死刑についても絶対に冤罪がおこらないような法整備が先に必要です。
    日本では命が重んじられているのではなく、
    政治家が延命措置を容認することで得をしているのではないでしょうか。
    国の将来などどうでもいいのでしょう。
    減少し続ける働ける世代が老人の世話や介護にまわされたら国は終わりです。
    移民にやらせればいいと考える人もいるかもしれませんが、
    経済を支える人口が減り続けている国にまともな移民はやってきません。
    将来の負担をおそれて日本から若い世代(頭脳)が流出するおそれもあります。
    延命措置の見直しは少子高齢化対策の有効な手段だと思います。
    国単位では無理そうなので都道府県単位でできないのでしょうか。
    どこかで始まったら人が集まり、追随する県がでてくるのでは。

    ユーザーID:8924336067

  • トピ主さんの意見に完全同意

    国会だけでなく、いろんな所で討論して欲しいテーマですね。

    身体のあちこちに管を通され、身動き取れず、天井を見つめるだけの生活を送ったことのない人には
    わからないかもしれませんが、地獄のようですよ。私は数年前、心臓の手術と入院で経験しましたが、
    もしこの状態が何か月も、何年も続いたら・・・考えただけでゾッとしました。
    また、意識がなくて寝たきりの方も、本当は微かに意識はあるのだと思います。でも体が動かない、
    目も開けられない、声も出ない・・・それでも生かされてる。

    ユーザーID:6538689148

  • 同意します。

    介護関係者です。これまで在宅で看取ったご利用者の方もありますが、死は自然の一部だと実感しています。そうでない事もあるのかもしれないけど、私の担当した方は、
    のたうつ様な苦しみはなく、枯れる様に、ひっそりと亡くなられました。

    死を忌み嫌い遠ざけていたために、死を学ぶ事が今は少ないのです。自分を諦める事が必要ではないかと思います。

    家族の気持ちになればというご意見もありましたが、家族は本人にはなれません。ただ生かされてベッドに縛り付けられる事に苦しみ以外の何があるんでしょう。
    それは家族だという理由で許される決断でしょうか。

    ユーザーID:1588456128

  • まやかしの平均寿命

    経験者として、トピ主さんに全面的に同意です。

    父は脳梗塞で倒れたのですが発見が遅れ、脳に大きなダメージを受けているとかで、もう意識が戻ることはないと診断されました。
    治療をすればすぐ死ぬ事はないが、それでもいずれは弱っていくし、その日が先送りになるだけだろうと。

    母は父を自宅へ連れ帰り、すぐ近くの個人医院の訪問介護を受けつつ、胃ろうや点滴など一切の栄養補給をせずにただ側にいて話しかけたり、清拭や下の世話をしました。
    倒れてから二週間後、いびきが途絶えたので見てみたらもう息がなかったそうです。

    死ぬのを待っていたと言われれば(それを望んでいたわけではありませんが)その通りです。
    でも、ならば、ただ生かしておく事に、病院に入れたまま見舞いもせず放置して多くの人の手と税金をかけさせる事に、どういう意義があるのでしょう。

    辛いお仕事をされているトピ主さんに、元患者の家族として心より感謝します。

    ユーザーID:7257044984

  • 摂食嚥下リハビリテーション学会というのもあります

    口から食べれなくなった人をどう診るか、治すか、研究、勉強している方は沢山います。
    医師、看護師、言語聴覚士、歯科医師、色んな職種でいます。
    私も勉強を始めた1人です。

    胃瘻になっても嚥下機能が回復して胃瘻を外せた方、経口メインで胃瘻も併用の方、胃瘻メインで食事はお楽しみ程度の方、色々です。
    嚥下機能の評価やリハビリは本人や家族や施設が希望しないと介入できません。無知により回復するチャンスを失って嚥下機能が廃用した方もいるでしょう。

    胃瘻増設後に胃瘻の管理以外をどうすればいいのか、どうなるのかを知らされないまま、あるいは、患者本人や家族が理解出来ないまま退院となったり、施設入居となる方も多いそうです。

    ほったらかしの入院患者と経管栄養をイコールで繋がないで欲しい。
    経管栄養になったから、その患者は家族から見放されたのか?
    それ以前の家族関係は?
    医師から家族への説明は適切だったのか?経管栄養後のアフターケアは適切だったのか?
    延命への本人の意志は可能だったのか?
    もっと深い別のところに問題があるんだと思います。

    以上、嚥下の勉強始めた、かけだし者の意見でした。

    ユーザーID:6508906254

  • 後期高齢者の人を相手に仕事をしています。

    トピ主さんの言うことは分かります。
    食べられなくなることは生きられないことであり、老化や病気で飲み込むことが難しくなるのは自然の摂理です。
    それを胃ろうや中心静脈栄養などで寿命をいたずらに延ばすのは考えものです。
    しかし、主様のその考え方は余分なことを一切排除してシンプルにした時に成立するのであって、大体の世間はそうはいきませんし、世間の死生観を合わせることはできません。
    死生観とは普遍的かつ個人規模のものではありませんか?
    どうなってでも生きていてほしい。もう少し老いた親とのお別れまでに時間を与えてほしい。苦しそうに弱る姿を見たくない…これが人間の心の機微ではないでしょうか。
    年金を目当てにしている家族も、面倒だからと延命治療を決断した家族も確かに山ほどいるでしょう。でもまたそれもその方たちの人生なのです。
    この仕事をする上でこのような疑問や違和感は常にありますが、答えなんて存在しません。その答えをあなた自身の中では見つけたとしても、他人の中に見つけてはいけないものです。
    従事者さまのレスに私は深く共感します。

    ユーザーID:1042237133

  • 全くそのとおり

    あなたの思いごもっともです。ほんとにそうです。


    従妹夫婦が教師をしていますが、父親を10年近く機械で生かしています。

    余りにも見るのもつらいので「どうして」と問うと、

    病院の支払い終わっても、10万以上残るからと言いました。あんまりです。


    楽に死なせてもらえないなんて。

    ユーザーID:6632023562

  • ほらまた混ぜてる

    どうもあなたは異なる質の問題を同じ俎上に載せて論理を展開し、詭弁を弄する癖があるようですね。

    「生きている事こそが尊厳であり、生は尊いものである」という考え方をする人と「親の年金で暮らすため延命する」人は重なりません。

    なので同じ俎上には載せるべきではありません。
    そんな浅薄な考え方でこういう人の尊厳に関わる話題を翻弄するのはお止めなさい。

    ユーザーID:3035325000

  • 人生設計

    身内の介護や看取りを通して、ここ数年で色々な人間模様を見てきました。
    そして最近、このテーマを扱った舞台を観て、改めて自問しています。

    入院していれば「生かされる」、退院すれば「生きられない」、
    医療の使命と実態、そして本音、本人の意思、家族の意思、
    何が正解かわからないまま、皆、ただただ疲弊していく・・・

    寿命を延ばすことは誰のプライドなのか?
    長寿により増加している疾病や介護問題、経済的課題、親族内の不和・・・
    本当に人間は寿命が延びて幸せになっているのだろうか。

    自力で生きられなくとも生きたいという意志があるなら尊重すればよいのです。
    自力で生きられるのに死にたい人にはサポートが必要です。
    でも、自力で生きられない=死という自然の摂理に反し、本人の意思にも反する場合、
    生かすことは誰の都合なのでしょうか。

    疲れ果てて笑顔もない人々に囲まれて、面倒そうにケアをされる、イヤと言うほど見ました。

    長寿信仰の下、この重要なテーマをベールに包んできたからこその疲弊であり、
    法も含めて、社会的に意思を表明できるように変えていくべきときだと思っています。

    ユーザーID:4265463855

  • 介護施設に勤めています

    最近は、お看取りで天寿を全うされるお年寄りの方が多くなりました。
    ある程度歳を重ねると、体の機能も衰えて、食事や飲み物を摂れなくなるのは自然の流れだと思います。
    そのタイミングで、親族様に意向を確認させて頂いてますが、慣れ親しんだ施設で・・と希望されるご家族様が多いです。
    お看取りで殆どのお年寄りの方は苦しむ様子も無く、眠るように過ごされて、その時が来たらス〜っと逝かれます。
    どなたかが質問されていた「餓死」とは違う感覚です。
    大往生だなと、自分も願わくば、このようにあれたら良いなと思っていますので、食べられなくなったら死ぬのは仕方がないし、食べられなくなったら枯れるように逝くというのが私の理想です。

    ユーザーID:5308422715

  • いろんな問題がからんで。

    単に延命措置の是非を問うていらっしゃるのではなくて、ただ長期間にわたって「死んでいない」状況を続けること、そこに家族などが経済的なメリットを得たいという思惑が絡むこと、その金銭・医療費の出どころは税金であること、そういったもろもろを鑑みて思うことをお書きになられたのだと思います。

    もし、胃ろうなどで延命措置がとられているとしても、家族や友人などがよく会いに来て、その方を思っている気持ちが感じられるケースが大半であるなら、トピ主さんもトピを立てて問うまでには至らなかったのかもしれないと思いました。「重度障害の方を除く」と註をつけられているのは、論点が拡散してズレてしまうのを防ぐためですよね。

    医療にしても保険制度にしても、現実の変化に対応しきれていないことによる矛盾点が何なのか、これからの、非正規雇用が多いと言われる世代の親や本人たちが高齢者となっていく時代に向けて、よくよく考えないといけない問題ですね。

    でも命に関わる問題って、政治家や官僚の皆さんの方からは問題提起しにくそう。やっぱり個々人の声を届けるというか、ボトムアップでいかないと。…となると、まずは問題点の共有が大事かと。

    ユーザーID:7302528213

  • 同意です

    親、4人見送りました。

    生きている実感がなく、毎日天井を見つめて
    ひたすら我慢してるように見えた3人よりも
    食べられなくなって眠るように逝った1人の方が
    人として尊厳があると思いました。

    夫と2人で延命は拒否すると話し合っています。
    離れて住む子供たちには、話しても多分軽く受けてめられていて
    どこまで伝わっているかが心配ではありますが
    折に触れて話そうと思っています。

    周りの同世代でも介護をした方ほど
    自分の最後には自分の意思でと思っておられるようです。

    ユーザーID:7807767146

  • さくらさんの意見、医療者の良心だとは思う

    思うんだけど、生命の選別が絶対悪だとは言えないでしょう?
    そんなことを言ってたら、災害時のトリアージなんてどうするんですか。あなたは、目の前に運ばれてきた患者を先着順で処置するんですか。
    助かる可能性と医療コストを秤にかけて、助ける生命、見殺しにせざるを得ない生命、分別するんでしょ?
    今の日本は、別の選択が働いていますよね。弱者とされる人にはほとんど只。それ以外の人は自力でどうにかしろ。皆が等しく必要な医療を受けるための制度が、ある者には限度を超えて、ある者には最低限の医療も受けられなくしている。せめてその作為的な医療の偏りをなくしてはどうか?むしろ選別は、神に任せたらなにが自然なことなのか、一度そこに戻して考え直してみればどうなのか?という話です。

    ユーザーID:9017141034

  • 欧州では基本延命はしないですね

    日本は、もう少し、外国の情報を得る努力をする必要があると思います。

    デンマークやフィンランドなど、福祉国家では、
    胃ろうなどは、虐待とされ、日本の胃ろうをしてまで延命させている現状を見てびっくりされます。

    それらの国は、自分で食べられなくなったら、それはその人の最期として、
    しずかに見守りながら、絶食で、だいたい2週間位で亡くなるそうです。

    自分で食べられる時には、寝たきりにしないで、ちゃんと体を起こしてから
    自分で食べてもらうそうです。

    ですから、欧州では、基本的に寝たきりの人はいないそうです。

    寝たきりの人は、自分で食べられなくなり、最後の2週間だけが寝たきりになるそうです。

    日本も医療権益があるのか知りませんが、
    胃ろうなど、延命は中止した方がいいと思います。

    それらが、莫大な医療費や介護費用を必要としており、
    若者の税金を、高齢者が食い物にしているシステムになっているのですね。

    私自身は、延命はしてもらわないように、ちゃんと書き記しておくつもりです。

    ユーザーID:2271457577

  • 生命倫理と経済問題を分けて考えるべき

    今回は経済的な問題からレスします。終末医療に使う金は若い世代に使う方が良いという見方は確かに1理いや5理あります。だだし、終末医療に使う金は経済効果は小さいものの、経済の下支え、有効需要の創出につながるものです。なので単純に終末医療が国家財政の破綻をもたらすとは言えないです。

    ユーザーID:7452377755

  • そうしたのも、医療の世界

    我が家には、認知症ではありませんが、
    5年間、ただ生きながらえているだけの家族がいます。

    食べられないのだし、何の楽しみもないのだし
    楽にさせてあげたかったです。

    でも、心臓は止まることなく動き続けてしまった。
    意識も取り戻してしまった。
    そして、何よりも医師が「胃ろう」をすることしか選択肢はないと
    何もわからない患者家族に突き付けたのです。

    実際は、高カロリー点滴でもよかったのです。
    でも、それなら今すぐ出てけと言うし、
    引き取るための時間を作るには、胃ろうを受け入れるしかなかった。
    患者ではなく、これから未来ある家族のために苦渋の決断を
    した家族もいます。

    患者家族にだっていろいろあります。
    でしたら、患者家族にいろいろ言う前に楽に逝ける方法を作ってください。

    ユーザーID:4450921465

  • 理想を語るのはけっこうですが

    全面的に同意するというレスがある一方で、不快感をもったというレスも少なくないようですね。
    反論を期待してのトピのようですが、その答えはWebの掲示板で簡単に得られるようなものだとお考えなのでしょうか?

    私自身は、自分がそうなったら延命処置はしてほしくないと思っている立場です、しかしながらこのトピは非常に不快です。

    『このような人々を生かし続ける意義がわかりません』
    『理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる』
    医療関係の仕事をしている方がこのような発言をするのですか。
    専門教育を受けておられない方でしょうか。

    食べられなくなった経緯、本人の意思、周りの思惑、まったくケースバイケースです。
    『重度の障がい者を除いて』とおっしゃいますが、重度か軽度か、また障がいと老衰や認知症や意識障害と、その辺の線引きを誰が決めるのですか?

    生きる価値のある命とそうでない命とがあると?

    どちらにしても理想論だけでは済みません。
    簡単に答えの出せる問題ではないと思います。自問自答し続けることをお勧めします。

    ユーザーID:1980818952

  • 他人の選択を批判するのはやめたら?

    家族の延命を選択した人もしなかった人も、判断を迫られた当時、真剣に悩んで答えを出したはずです。
    そして、今もその選択が正しかったか、悩んでいるかもしれない。

    赤の他人の第三者が、批判する類のことではないはずです。

    トピ主さんも、それそれの事情があることを全く考えもせず、安易に「虐待」などという言葉を発したことを謝罪すべきではないのですか?

    ユーザーID:4623588788

  • 老後の治療費は。

    自分で全額負担
    大賛成です!!老後の延命は自分で生きたいのだから、自費ですよね。
    家族は 延命はしなくていいとほとんどは言うだろうね。私なら延命に年間400万も親に出さないです。

    ユーザーID:5677577303

  • 名指しで申し訳ないけど

    都市伝説さん
    面倒は見れないけど 他の人協力して親の面倒みてよ
    って身勝手だと思う。

    長生きさせたかったら子供たちが犠牲にしてでもみるべきでは?
    何でもかんでも人のお金あてにすべきじゃあないでしょう。
    老人の医療費なんてバカにならないもの。
    胃ろうとかは、治る見込みがあるのは除いて自費にしないと。

    ユーザーID:6903406408

  • ひらがな家族さんへ。

    >自分は延命拒否だけど親とは意識のあるうちにそういう話をしなかったので延命措置をしたというのがイマイチ理解できません。
    これは私のレスに対しても疑問を持たれたということだと思い、レスします。

    一般的な事柄では、私も自分がされて嫌なことは他の人にもしません。でもこれは命に関わることです。一番最初のレスに書きましたが、認知症で判断能力の低下があっても、致命的な病気がなく、回復への一縷の望みがあるならば、今現に生きていることを本人以外が否定することはできないと私は思います。なので、もし義父が末期がんであれば、本人の気持ちが分からなくても、判断は違っていたかもしれません。

    またひらがな家族さんは胃ろうを延命措置と言われますが、義父の主治医は『胃ろうに関しては色々な考え方があるが、自分は延命処置ではなく、治療と考えている。またお義父さんの場合は胃ろうで栄養状態が改善すれば、経口に戻れる可能性はあると思う』と言われました。私はその可能性はほぼないだろうと思いつつも、その時点の義父にとって胃ろうは治療であるという考えには同意出来たので、前述のことと合わせて、家族として胃ろうを受け入れました。

    ユーザーID:7417295327

  • 怖っ・・・

    「延命治療は、すべきではない」と考える自分たちは、世の真理を知っている人間である
    とのトピの流れが怖いです。
    法や制度として認められている以上、延命治療を選択した家族が批判される謂れはないはず。

    「今から、自分の意思を記しておく」との意見も多いですが、実際にその立場になったときに「生に対する執着」が表面化することも多いから良し悪しだ、との話も聞きますよ。
    気軽に「やっぱり、延命治療する」と前言撤回できる方以外は、慎重にされた方がいいと思います。

    ユーザーID:2518321244

  • 苦しくはないの?

    この質問は今延命治療をしているご家族がいる方のことを考えると、答えにくいものと思いますが、医療関係者の方に教えていただきたい。
    延命治療をほどこされている本人は苦しくないのですか。管を抜かないように手を縛られたり、痰をとられるのにもがいたりするそうですが、意識が無ければ苦痛はないということですか。
    生きている期間が多少短くなっても、安らかに苦痛なくあちらに行くためにはどのような処置をしてもらえばいいのでしょうか。
    日本のような延命治療を中止することを他の先進国では自然死というそうです。苦痛のない自然死をするためにはどうすればいいのでしょうか。

    ユーザーID:8111537692

  • 様々なご意見ありがとうございます。

    トピ主です。

     いろいろなご意見を拝見しました。ご自身の、そしてご家族の生命に対する考え方は文字通り千差万別だと思います。私は何もここで自分の意見を通そうとは思いませんし、そもそも私自身に結論が出ていません。

     ただ、この問題からは絶対に逃げないで皆で語り合って欲しいと思うのです。お年寄りと若い人、病気の人と健康な人、宗教家、医療関係者、行政の会計担当者。自分が長い間医療に携わってきて、多くの人がこの問題を敢えて見ないようにしているとしか思えないのです。

     今回は様々なレスをいただき、大変参考になりました。私の周囲には医療関係者しかいませんから、患者さんのご家族を除き一般の方々からご意見を伺う機会は今まで余りありませんでした。その点で、私自身本当に勉強になりました。心から感謝します。
     

    ユーザーID:6839394959

  • 私がトピを見て想いだした事

    自分の置かれている状況が理解出来ず、目も見えず、音も聴こえず、身体も動かせず、意識と指先だけがはっきりしていて、指先で、「SOS」をただ発信するだけ。暗い部屋の中で。そう、「ジョニーは戦場に行った」のシーンです。このトピを見てふと思い出しました。私は延命治療は止めるよう、お願いしています。明確に本人が延命を希望する以外は、所詮親族のエゴだとおもうので。

    ユーザーID:2577852147

  • 「人の生き死には医者が決めるのではない」

    ケアマネジャーとして15年、いろいろな場面に遭遇し、家族からの相談を受けてきました。また、私の住んでいる町は、医師会の先生方が在宅診療に熱心で、在宅看取りが当たり前になっています。だから、おにぎりさんのような病院は少なく、むしろ「胃ろうもポートも拒否が当たり前でしょ」・・・という風潮になっています。でも、本当にそれで良いのでしょうか?
    このトピへのご意見の多くはトピ主さんの意見と同じ、というもので、それはそれで尊重されるべきと思っていますが、少ない意見では有るものの、延命治療を選びたい(選んで良かった)という意見も目にします。この「少数意見」をきちんと現場で尊重できるのかどうか、ということが、人の命を考えるとき大切なのではないでしょうか。
    私は、そういう少数派の声が、大勢の声にかき消されてしまうこと自体に・・・危機感を抱いています。
    でも、それを口にすることは日常業務で医師会の先生方にお世話になっているケアマネジャーとしては、非常にはばかられるものでした。
    そういう事に気づいてしまい・・・私はケアマネジャーを辞めました。(辞めざるを得ない状況になりました。)

    ユーザーID:2457153824

  • 難しいよね

    反論でなくてすみません。
    私はそんな状態では生きていたくないと思うのでトピ主さんの意見には賛成です。

    でも父が違ったんです。「とにかく何をしても生かして欲しい」という人でした。周りが分からなくなっても?それでも生きていたいの?ときいたら「うん」って。まあ、その返事も認知始まったら何も覚えてないし「死にたい」ということも多かったんですけどね。

    私も母も「延命治療なんてやだ」と思ってそう言い続けてきましたが、自分の夫や子供がもし交通事故などで延命装置を付けて・・・となったとき自分がそのスイッチを切れるかどうかとなったとき、ものすごく難しいなと愛する家族を得て思います。私の食べるものがなくなってもほんの一縷の望みもなくても生きていてほしいと願うような気もします。私の手で夫と子供を殺せるのかと。終末医療とはちがうのかもしれませんが、そういうことを考えると自分の母親を殺せと指示できるかどうか悩みます。

    ユーザーID:5445988882

  • 医療費の負担を同じ割合にすればいいのに

    85歳の祖母が膝が痛い、腰が痛いと病院にかかっては、特に悪いところがある訳ではなく加齢によるものですと言われているのに、何とかして治そうと病院をあちこち変えては同じ検査をしています。
    家族がどんなに止めても辞めません。
    私たち若い世代は病院に行く暇もなく働いています。
    こどもが出来て、やっと少しは国民健康保険のありがたさが分かりましたが、それでも、払っている分の方が恩恵より遥かに多いです。
    病気になれば病院に行けるってすごくありがたい制度ですが、全国民が一律に国民健康保険を同額払い、同じ負担(例えば3割とか)にするとかなぜならないのでしょう?
    その金額が払えないなら治療を断念するということも必要なのでは?
    貧乏人もお金持ちも赤ちゃんも年寄りも生きているのも病気のなるのも同じなんだから、同じようにすれば文句はないのでは?と思うのですが。
    年寄りの医療費負担が少ないからそんなことになるのでは?と思います。

    ユーザーID:8674508223

  • それでも

    親兄弟、あるいは子供の生死を自分が決める、というのはキツい。
    生前に本人からはっきりとした意思表示があれば、まだ良いでしょうけど。

    ユーザーID:0476435758

  • まったく同意見です

     私も常日頃同じことを考えてしました。人も動物と同じで自分で食べられなくなったらそれが寿命かと。
    ただ人は弱い生き物なので、延命の選択肢がある以上そちらを選択してしまうこともあると思います。
    しかしこんなことをしていては、いずれ財政破綻がくるでしょう。

     私は法律である程度の年齢以上の延命措置は全て自己負担にすべきかと思います。人間は正直なものでその場合、たいていは家族は延命措置をとらないと思います。

     それと同時に私は尊厳死までふみこむべきかと思います。私の身内で食事は自分で取れますが10年近く寝たきりでベッドから動くことができない老人がいます。本人も時折「死にたい」とこぼしています。しかし現状ではどうしようもありません。ただ生き延びているだけです。そうなっても人間は生きなくてはならないのでしょうか。国の税金を使ってまで。

     この議論は線引きが難しいでしょうし反対する人も多いでしょうが、そろそろなんらかの方針を打ち出さないと国が破綻します!
     最近テレビで超高齢化社会の問題をテーマにしていますが、表面的な問題ではなく本質まで掘り下げて議論すべきだと思います。

    ユーザーID:3343039248

  • 人の絆が試される試練の時

    祖母が胃ろうで生かされ続け、99歳で亡くなりました。

    医学の進歩、科学の進歩、ITの進歩によって犠牲になっている「家族」「人間関係」が試される瞬間と思っています。


    意識が無くなり、意思表示が出来なくなったとき。

    良好な人間関係の中で生きてきた人は、家族や周囲が生き様死に様を決めてくれます。
    「この人は絶対に生かされる事を望まない」と。


    現代の希薄な人間関係が「死に様を決められない」「命を終わらせることが出来ない」結果を生んでいます。

    人間は命に執着する生き物です。
    死が恐怖でなくなれば、人類は滅びるだけですから。

    人間は理性の強い生き物です。
    生まれたばかりの時と死に際の時を除き、本能を超える理性を持ちます。

    理性があるから人間です。
    本能が死を恐れても、理性をもって死を受け入れる準備をしたいものです。
    その為には良好な人間関係を保ち続ける事。これ以外に妙案が浮かびません。

    ユーザーID:1826701621

  • 賛同します。

    ここ数年で、100前後の祖母達を看取りました。
    胃瘻してません、点滴も拒否。
    最後は水も飲めなくなって亡くなりました。

    実家の祖母は90代でしたが 最後まで意識がはっきりしていて
    病院のベッドの上で「早く死にたい、楽になりたい」とつぶやいていたのが印象的です。

    本当、人間食べられなくなったら死ぬで良いと思います。
    胃瘻までして生きていたくない。
    本人も、看取る方も いつかは別れる覚悟をもってないといけないと思います。

    ユーザーID:0654424903

  • どう死ぬかはどう生きるかに通じる

    いざ胃ろうの必要性が生じた時に急に決めろと言われても、本人の意思が曖昧な場合は非常に迷うと思います。

    だからこそ、様々な選択肢がある中で、自分はどこまでの治療を希望するのか、普段から考え、覚悟する事が必要ではないでしょうか。

    そして元気なうちからそれを周りに伝える事は、決断の矢面に立たされた家族に対する思いやりでもあると思います。
    面倒見ない親戚に限って、無責任にいらぬ口を挟みますし、誰しも冷たい人間だと思われたくないですから。

    ユーザーID:6167789849

  • 食べられなくなるということの意味

    字数制限の中で誤解が生じるのは仕方ありませんが、延命措置賛成派の方にはなにか誤解があるような気がします。

    高齢者、それも大往生という言葉がふさわしいような高齢者の肉体が自然に衰えて食物を受け付けなくなり、苦痛を感じることもなく静かに旅立つ。

    私は、食べられなくなって死ぬということは、そういうことを考えています。

    確か丸谷才一さんのご本だったと思うのですが、熟れた果物が夕日を浴びながら静かに枝を離れるといった表現で、死を豊かなものとして語ったお作を読んだ記憶があります。

    熟した果物を無理やり枝に縛り付けるような措置は、少しも美しくも豊かでもないと思うのですが、いかがでしょう。

    ユーザーID:3301709937

  • 運転免許証の裏書きに追加してほしい

    以前、特養に勤めていました。
    私も、トピ主さんの意見に同意です。
    100歳を超え、ずっと眠ったような状況。
    看護師、介護士さんが、経管栄養バッグを取り換え、排せつの世話をし、
    お風呂に入れたり、清拭したり、薬を与えたり。

    でも、本人は何一つ答えず、目もあけず、ただ、心臓が動いているだけで、
    死ぬに死ねないお手入れをされている。
    そんな人達を見て、生きているって言えるのかと思っていました。

    免許証の裏に、臓器提供への意思表示を書く欄がありますが、
    それよりも、この問題の方を先に書く事の方がまだ、自分の事として
    書き易い気がします。
    国民一人一人が、意思表示している書類があると良いと思います。

    ユーザーID:1921298266

  • 後悔しているであろう身内を誰が責められるでしょうか

    祖母が胃ろうをして特養にいます。

    祖母と母は2人暮らしでした。
    前日までは歩行も出来、トイレにも行けて、認知症もなかった祖母が、母の出勤後脳梗塞で倒れ、発見はお昼のヘルパーさん。
    すぐに救急車で運ばれましたが、言語・嚥下障害と片手の麻痺が残りました。
    意識もハッキリしており、呼びかけにもうなづきで答え、不明瞭ながら少し言葉も出ていた祖母ですが、生きるためには胃ろうが必要でした。

    あの状態の親を見た子供で胃ろうを断れる人っているのでしょうか。
    私でも胃ろうをする決断をしたと思います。

    その後数年かけて祖母はゆっくり記憶がなくなっていき、会話能力もなくなり、今はトピ主さんの仰る状態にあります。

    母は毎日仕事帰りに特養に寄り、伯母も2週間に一度新幹線で来訪します。
    最初は月に数回自宅に連れ帰っていましたが、決まってその後体調を崩すので特養の介護士さんに嫌がられ自宅には連れ帰れなくなりました。

    今の祖母をあの頃全員が明確に思い描けたら胃ろうはしなかったかもしれません。
    でも、回復するかもしれないという一縷の望みを抱くことを私は責めることは出来ません。

    ユーザーID:4815167238

  • いいトピ主だと思うが少し危なっかしい?

    以下、ディベートの最も反対例として感情的にでなく読んで下さい。

    仕事というものは、役割分担と他業種との協力であって
    矛盾はつきものです。

    医療職のコアを明確にして(目の前の命を肯定すること?)
    後の矛盾は、改善提案しつつ過渡期として耐えられませんか。

    経済活動上、利益を出すことは嫌なこと不条理が9割です。
    医療現場がブラックなのは知っていますが
    この場合、極論を言えば、国に保障されて
    いわゆるいいことをして1割負担の残り9割を得ているとも言える。
    まずは今の保険制度=納税者の総意に沿って
    職務に集中することが主さんの安全にもなりませんか。

    返信中の賛成の声の大きさと
    明日脳梗塞になったとしてトピ主さんに担当につかれたいかと
    問うた場合の賛成の声は同じでしょうか。
    差があるとしたら、そこにも考える点がありそうです。

    教育費の問題も、対象が18歳に引き下がった選挙で本人たちが主張するでしょう。

    ユーザーID:9034227663

  • 線引きは必要だとおもいます

    どこかで割り切らないと それこそ
    これから生きていく子の世代に負担を強いるばかり
    希望もないです
    親は子の踏み台 
    身を挺して 子が進めるように 他の動物たちも
    している気がします
    (年金がもらえるも 踏み台か・・・?)

    足枷になり 子供らの未来を 食いつぶすだけなら
    人の未来も無くなるのではないかな?
    先の無い無理な延命は 間違った倫理ではないかと感じますので
    やりたい人は自費でやってれば良いのじゃない?

    ユーザーID:6417237534

  • 命の格差

    母親が末期の癌で2年弱の闘病の末、亡くなりました。
    療養型病院で経管栄養で命を繋いでいました。寝たきりで会話もできず。

    脳疾患の患者さんが多く、病名は違っても同じような状態の方ばかりでした。

    同じ病室の60代の奥様の旦那さんは、毎日病院に来て反応のない奥さんの体を
    拭いたり話しかけておられました。
    80代のお母さんが寝たきりの50代の息子さんもお見舞いに勤務後毎日いらしていました。
    わたしは、反応のない母親を見るのが辛くて週末にしかお見舞いに行きません
    でしたが、同じ病室でしたので、お二人と話すことが多く色々なことを考えるようになりました。
    年金目的じゃないんです。二人とも、奥さんがお母さんが反応のない状態・経管栄養で生かされている状態でも生きていてほしいのです!
    愛しているのです。ひとりぼっちにはなりたくないのです。(これは、わたしの主観ですが・・・)

    誰もお見舞いに来てくれない患者さんは見捨てても良いのでしょうか?
    患者さんが生きている以上最後まで生かせてあげる。
    それが寿命ではないのでしょうか?
     
    わたし自身は延命を望みませんが。

    ユーザーID:3975543073

  • 同じこと思っていました

    医療従事者です。
    まったく同じことを考えていました。
    日本の長寿なんて嘘っぱち。
    何らかの医療措置を受けて人として生きていると言い難い高齢者が
    平均寿命を押し上げている。
    経口摂取できなくなっても人道的という言葉で胃ろうや腸ろうで
    栄養を与え続け生きていることにする。
    胃ろうにしても、唾液の誤嚥で肺炎を起こしその都度高額な費用をかけて
    治療をする。生きていても苦しいはず。
    若年者より確実に術後の死亡率が高くなるであろう心臓手術を行う。

    高齢者に手あつい医療をするなというのではない。
    本人にしなくて良いという意志表示ができればそれを尊重する。
    説明と同意にかこつけて説得しないで欲しい。
    高齢者層が増え、以前はタダ同然だった高齢者の医療負担は
    働く世代と同じになりつつあある。
    日本は目先のことしか考えていない。

    ユーザーID:4341114541

  • 寿命の定義

    ・意思の疎通ができない
    ・口からの食事ができない
    ・自力で動く事ができない

    この3条件が揃ったら寿命だと思います。

    定義に性別や年齢や環境を加味するつもりはありません。
    死亡の定義が平等なように、高齢者・若者・子供、面会に来る来ない、
    それらは関係ありません。

    勿論、私の個人的な定義です。
    そう思わない人に異議を唱えるつもりもありません。

    それとは別な問題として、医療費の負担について。

    年齢問わず、収入問わず、一律がいいと思います。
    資産が豊富な方はあらゆる最先端医療を受け、そうでない方は費用に
    見合った治療で。

    そうでなかったらむしろ不公平だと思います。

    それで少しでも浮いた予算は癌治療や臓器移植手術、或いは不妊
    治療といった高額医療の個人負担額軽減に割り当てて欲しいです。

    ユーザーID:7258433123

  • どこで線引き?年齢で線引きすればいいでしょう。

    トピに激しく同意です。
    どこで線引きするの?って言ってる人がいますが、年齢で区切ればいいでしょ?

    全員一律80歳以上には健康保険適用外。(ただし、痛み止めの薬は無料)
    自費診療にすればいいと思う。

    不妊治療だって42歳で切られるんです。
    お金持ちが自費で延命するのはご自由にどうぞ。

    80歳になって、病気にかかって、それって自然なことですよね。
    100歳でも肺炎の予防接種のお知らせっている?って思います。


    全員80歳で延命治療不適用。これって不公平ですか?

    子どもや若者の難病に使ってください。

    常々、このように思っていますが、私も立場上、このようなことを言えない仕事をしております。「お年寄りを大事に」と言わなければいけない仕事です。

    このトピで同じ考えの人に多く会え、良かったです。

    ユーザーID:2897240009

  • この世は、ほんの仮りの世界

    生物としての人間ですから、当然いつか死にます。

    死ぬことが当たり前という社会の通念になってほしいと思っています。

    我が家は犬を飼っていました。具合が悪くなったら獣医師さんに往診してもらったりしましたが、
    最後は少しずつ弱って、家で死にました。何匹も同じ。

    私もそうやって逝きたいと覚悟しています。

    自分で食べられなくなったら、原則弱っていくのは当たり前で、しかも苦痛はありません。
    祖父母でみてきました。親は病院で亡くなりましたが、やはり点滴も断っていました。

    今、年を取り、生きている人より死んだ家族や友人知人に思いが行きます。
    生きている人より、向こうに行った人の方が多くなり懐かしい。

    楽しくこの世とお別れしたいです。

    ユーザーID:9395923572

  • 食べられない は 餓死じゃないよ

    英語圏の国で終末期医療に関わる者です。

    去年モーニングコール代わりにホスピスから「亡くなった人と新しい入所者のリスト」がメールで送られてくるような生活をしていた時に、NHKのスペシャル番組で「老衰死」の放送があって、日本人の友人と一緒に見ました。 
    終末期医療関係者ゆえ、日々亡くなる方と接しているわけで、死が当たり前、あまりにも身近にあるかもしれません。そんな私が「死ぬ前に食べられなくなるのは普通の事。 食べられなくなるのは体が食べ物を吸収できなくなるから食べたくなくなるんだよ。 でも介護されていると、介護してくれる人に悪いって思って無理して食べていることがあるんだよ。 無理に食べても栄養が吸収されなくなっていくから体重は減って行くんだよ。」って説明してもあまり信じてもらえないのですが、テレビの影響はすごい! です。
    今もネットで検索すればその番組の概要が読めます。 是非読んでみてください。 
    食べられなくなる事は餓死では無く、とても自然なことですよ。

    人が生まれてくる時に、促進剤を使ったりするのを嫌がって自然分娩にこだわる人が多いのに、どうして亡くなる時には自然にまかせないの? 

    ユーザーID:0443820907

  • 2 命の格差

    >自分は拒否するけど親にはする、というのは「悪意のない」虐待ではありませんか?


    母親が突然倒れて救急車で運ばれて余命宣告されて・・・
    余命をつげる勇気がわたしにはありませんでした。
    あまりにも短い余命で残酷すぎて・・・

    でも、母親の命なのだから会話できるうちに言うべきでした。

    ただ、身近に大病で亡くなった方がいず、亡くなる過程がわかりませんでした。
    手術をしたら、放射線をしたら、抗がん剤を飲んだら、少しはよくなるのかと思っていました。

    まさか、悪くなるばかりで寝たきりで会話も食事もできなくなるなんて。

    もし、意識があったら地獄だと思います。
    母の入院中、「地獄はあの世ではなくこの世にあるのだ。」と何度も思い後悔しました。
    ただ、経管栄養にしなければ栄養失調で死んでしまう。
    この選択はわたしにはできませんでした。

    わたしも「悪意のない」虐待をしてしまったのでしょうか?


    母親が亡くなった現在、とても心が痛く苦しいです。

    お母さん、苦しませて本当にごめんなさい!

    ユーザーID:3975543073

  • あくまで自分の経験からです。

    80才を少し過ぎたあたりでの食欲低下を、臨終が近づいているとは家族はもとより医者でさえも考えません。つい1か月前までよぼよぼながらも自分で歩き、普通に会話し、食事もし、トイレにもいけていたならば。

    衰弱の原因がわからず、なんども訪れた個人病院の父のかかりつけ医は、食事が十分に与えられていないのではとさえ疑っていました。その後家で2ヶ月程ほぼ寝たきりになり、高熱がでてどうしようもなく救急車をお願いして連れて行った時に中心静脈による栄養補給が決定され家族の意見をはさむ余地はありませんでした。

    肺炎のための抗生剤と点滴を受け一ヶ月後に亡くなりましたが、衰弱し始めてすぐに介護保険を申請し訪問医を確保していれば家で穏やかに看取ることができたのではと父に申し訳なく思っています。

    現在の日本では、介護保険を申請し臨終を看取る医者がいなければ家で死を迎えることはできないし(不審死となる)病院に連れて行けば医者の立場としては栄養補給をせざるえない。施設にいる方はこの限りではないでしょうが、簡単に栄養補給を拒否するといっても知識と覚悟と事前の準備を欠いていてはできません。

    ユーザーID:2695115588

  • 頭がしっかりしているうちに、親子でなぜ話し合っておかないの?

    小さな子供や若者のハナシではありません。
    「高齢者」に対しての延命治療の話です。
    なのに、どうしてお子さんのハナシを引っ張り出してくる人がいるのか、不思議です。

    「これか90年、頑張らねばならない若い命」
    と、
    「今まで90年近く、頑張ってきた命」

    に対する延命治療は全く別問題です。


    『高齢者が口から食べられなくなったら死ぬのは仕方ない』

    ↑全く同意見です。

    人間だって、大きくみれば【自然界の生き物】です。
    自然界では、口から食べられなくなったら、
    「今まで頑張ったね。もう死んでもいいんだよ」というサイン。

    なのに人間だけが、意識も失なっているのに、人工的に「生かされて」、「死なせてもらえない」。


    今の時代は、入院すれば延命治療をするか・しないか、を迫られることは周知の事実ですよ。
    子ども世代であれば、パソコンやスマホでも知識は得られますよね。
    親世代であっても、6〜70代であれば、テレビや新聞でこの手の情報はしょっちゅう見られます。

    なのに「最後はどうしたいか?」ということを、
    事前に話し合わず、明確にしていない親子が 未だに大勢いる、ということなのでしょうか?

    ユーザーID:5866197498

  • 続きです




    独り身の人であれば、書類で意志をはっきりさせ 周りの信用できる人たち数人に伝えておく。

    親子であれば、「親の」意志を優先させて、親子で書類にしっかり残しておく。


    この書類が法的に有効か無効か?ということを論ずるよりも前に大切なことは、

    「老化によって、食べられなくなったら、自分はどうしたいか?」

    ということを、頭がまだ健康なうちに家族や周りの人たちに働きかけ、

    自分で意志表示をしておくことが重要だと思います。


    その結果、本人の意志によって

    「延命を希望する」のであれば、それをきっちり受け止めてあげる。

    「延命を希望しない」のであれば、それもしっかり受け止めてあげる。


    親(もしくはその人)が決定した意志に対して敬意を払い、それを尊重してあげる。

    そういう風潮になることが大切だ、と思うのです。


    送る側の「心」の準備も 非常に重要な時代になってきている、

    と思います。

    ユーザーID:5866197498

  • 食べられなくなった=食べたくない=食べる必要がない

    95歳の祖母が 延命治療無しでした。

    それで、大往生しました。


    徐々に食欲が落ちてきて、食べられなくなって、最後は水分補給だけをしていました。

    この時点で、もはや「食べる必要は無くなっている」からです。

    情緒的なニュアンスで言えば、

    神様(あるいは仏さま)が、
    「今まで長い間ご苦労様。ここに来てゆっくり休みましょうね」
    と、向こうの世界から手を差し伸べている状態。
    そこに向かって、祖母はゆっくり近づいている。

    そういう状態の時です。



    医学的に言えば、
    口腔、食道、胃腸、排せつ…全てが弱り、機能ゼロ状態になっている。

    そういう状態の時です。



    そんなときに、人工的に流し込んで、人工的に排出させるなんて、
    虐待に近い行為ではないか?と 私なんかは思ってしまいます。


    「明らかに最後が近づいている高齢者」に対しての延命治療はしないであげたい、

    心の底から、そう思います。

    ユーザーID:1415929410

  • 健康保険料は年齢に比例するのがいい

    友人が話しています。
    15歳まで医療費が無料はいいことだ。
    しかし70代は7割負担、
    80代は8割負担、
    90代は9割負担、
    100歳以上は10割負担。
    生活保護はどうしたらいいかな?

    こういう自己負担になれば、健康保険の赤字は消える。
    若い時から体に気をつけて暮らせば、自然と老いて、医者へ行くのも減る。

    ただ、障害や難病は別の観点だから、ある程度までは社会で負担するというのがいいが。

    暴論ですが、年寄りの私はこの案に賛成。

    ユーザーID:9395923572

  • 議論は尽きない

    自身のおかれた立場によって、意見は異なるし、
    時間の経過を経てそれも変わるもの。

    60代の父を比較的早く亡くしております。
    末期ガンで、前日まで意識あり。
    その当時は悲しくてしょうがありませんでしたが、
    今となっては、延命されるがままの父の姿を見ずにすんで
    よかったのかもしれないと思います。
    プライドの高い人だったので。

    いま70代の母がおります。
    どのような最後になるのか、見当がつきません。
    そのときになって、色々考えるでしょう。
    遅いのかもしれませんが。

    他国のありようを見て、もっと議論を深めたい、と
    このトピをみて思います。
    いずれ自分もゆく道ですから。

    ユーザーID:1393266985

  • 大勢の声にかき消されることはない

    投稿数が増えるに従って、なんだか重いテーマ
    になってきましたね。

    こんなご意見がある
    >延命治療を選びたい…「少数意見」を現場で尊重できるのかどうか…
    >ということが、人の命を考えるとき大切なのではないでしょうか。
    >そういう少数派の声が、大勢の声にかき消されてしまうこと自体に・・・危機感

    ↑この意見には疑問です。

    一昨年 父が亡くなった。末期癌だ。
    延命治療は選択しなかったが、
    病院医師は、延命治療するかどうか明確に
    家族と本人の意思を確認した。

    当然ですが、現場の医師は 患者と家族の意思を尊重します。
    この時 延命を希望するなら 明確に意思表示すればいいのであって
    大勢の声にかき消されるなんてことは あり得ないと思うのだが如何か。

    ユーザーID:7736431596

  • そういう話をするのが嫌な人少なくない気がする

    たとえばですが、うちの両親がそうです。
    今のところ二人とも健康ですが、年齢的にも明日どうなるか分からない。
    なので、そういう話をしたくても話をそらすんですよね。

    私は一人娘なので、何かあった時は頼れる身内がいないので
    本当に困ってます。

    ユーザーID:1223763209

  • すごく話がずれますが。

    認知症等老人ホームに、入るには 莫大なお金が、かかる。家族も、大変です。でも、統合失調症や、胃ろうに、鼻から管を通し生きてもらう入院は、お金は、ほんの少しでいい。
    わかってはいます。状態条件が違うのは。でも、認知症と統合失調症では、家族の負担が、雲泥の差になります。自分の貯めた老後資金は、親には出せないですので、腹黒いことを考えます。遺産はいらない。マイナスは勘弁です。

    ユーザーID:5677577303

  • 枯れるように逝く

    食べられなくなって、緩やかな餓死状態で逝く事が一番苦痛の無い自然死だ、と聞いた事があります。
    自分がその状態になった経験はないし、実際そうなったら苦しいのか穏やかなのか解りません。

    管に繋がれ意識もなく生きておられる超高齢者の胸の内も、誰にも解りません。

    正論は有りませんが、だいたい主さんよりの意見です。

    生まれたものは必ず死ぬ。

    私は海外在住ですが、死について話す事、死後の事、あの世の事を普通に話せる環境です。
    それは体は消滅しても魂を生き通しで不滅のものだよ、あの世もあるって価値観ゆえなのですが。

    生前からそういった事を忌み嫌う事をせず、話合えるといいな、と思います。

    ユーザーID:4984907820

  • 答えはひとつではない

    私はいつか年老いたとき、いわゆる「延命処置」を望みません。
    もう回復の見込みがなく、意識もなく、ただ生かされることは望みません。

    人によって人生観が違うように、死についても考えは違うでしょう。
    おそらく、今の60代以下の人は私と近い考えだと思います。
    ただいろんなケースがあります。80才ならそれでいいけど70才ならまだ頑張りたい人もいるだろうし、点滴はいいけど胃瘻は嫌な人もいるでしょう。

    私は今末期がんの親を看護しています。数日前から食事が取れなくなりました。
    癌ですから、生きていても回復は見込めないですし、苦しみが続きます。
    本人の希望により、一切の栄養補給のための点滴などはしていません。
    痛みを取る鎮静剤で一日の大半を眠っています。
    食事はおろか水分も取れなくなると、家族としてはつい点滴くらいは、と思ってしまいますが本人の意思を尊重しています。

    胃瘻は悪ではありません。本人が望むのであれば、他人には理解されなくてもそれはそれなのです。
    病気になっても病院へ行かず、自宅で自然死を望む人だっています。
    現代の医学を知り、自分の価値観で自分の答えを出せばいいのだと思います。

    ユーザーID:0497109781

  • 私も教えて下さい

    あめあめさんと同じ疑問を持っています。
    もうすぐ80歳になる母が脳梗塞で倒れ、半身麻痺と重度の言語障害になりました。
    救急搬送された病院では鼻から管を入れるか否かの判断は求めらず、当然のように処置されました。今は嚥下困難だから、とりあえず経鼻栄養で…という感じで、あまり「延命措置」という印象はありませんでした。

    でも、現在、嚥下リハビリがうまくいかず、長く経鼻栄養するのは本人の苦痛が大きいので、胃瘻を提案されました。これは確かに延命措置でしょう。本人は以前から、延命措置はしたくないと言っていました。
    でも、言葉が分からないだけで、意識もあり、私と目が合えば微笑んだりする母の延命を、娘の私が断ることは到底できません。鼻の管で維持するか、苦痛が少なく、嚥下リハビリもやりやすい胃瘻にするかの二択を迫られ、私は後者を選びました。両方とも止めるという選択肢は提示されませんでした。
    経鼻栄養を始めてしまったら、途中で断ることはできないのでしょうか?といっても、自分に断る決断ができるかどうかは分かりませんが…。

    ユーザーID:7452541466

  • 他人だから決められない

    トピ主さんのご意見、ごもっともだと思います。

    私も自分が死ぬときはどなたかのレスにあったように枯れるように逝きたいと思っています。
    延命治療も不要。自分ではそう思っています。

    でももし自分の身内の命を預かったとしたら、延命治療をしない、という決断はなかなかできません。
    どんな姿であれ、生きていてほしい、側にいてほしいと思ってしまいます。

    家族の命は私には決めらません。

    矛盾していますがこれが正直な気持ちです。

    だから私が家族にできることは自分の意思を伝えておくことかな、と思っています。

    ユーザーID:7053779172

  • 国民全員に意思表示を義務化させたら?

    この問題は、高齢者だけではないと思います。
    そして最も重要視すべきは、本人の意思だと思います。

    気が変われば、後からいつでも変更可能とし、制限行為能力者については、後見人や保佐人などがどうするかを決定する、という法律をつくり、本人の意思と指紋認証か掌紋認証を紐づけて登録する制度があれば、万が一、事故などで本人確認すらできないようなときでも、本人の意思が尊重されるようになりませんか?

    そうして「これは本人の意思だから」という拠りどころができれば、本人も家族も医療関係者も無責任な外野も黙らざるを得なくなると思うのですが。

    制度をつくるのと運営にお金がかかるかもしれませんが、恐らく、このまま放置した場合の社会保障費よりは安くつくと思います。

    ユーザーID:0300110194

  • 人の考えはそれぞれ。意思表示が大切1

    数ヶ月前に祖母が逝きました。
    最後1ヵ月は食べる力が無くなり、病院で寝たきりで点滴治療を受けていました。
    (「寝たきりはなるものではなく、させるもの」という言葉がありますが、
    それは福祉先進国だけの意識じゃなく、日本でだってまともな施設なら極力離床し、
    体を動かしてもらうよう心がけています。
    しかしそういう努力をしても、ターミナルとなってくると首も座らなくなり始め、
    僅か1時間離床することさえも本人の大きな体力的負担になることがあります)

    小さい頃から毎日面倒を見てくれた、成人するまで同居していた大好きな祖母で、
    どんなに忙しくても10分で良いから時間を作って、ほぼ毎日面会に通いました。
    口の中や体を拭いたり手を握ったりしながら、時折不意に涙してしまいました。
    祖母から反応が返ってくることは殆ど無く、回復の期待も一切抱きませんでしたが、
    もう長くないと言われ、とにかく最後に出来る限りのことをしたいと感じていました。

    ユーザーID:9338982407

  • 人の考えはそれぞれ。意思表示が大切2

    でも、祖母はずっと苦しかったと思います。
    あれは祖母本人のためというより、私を含む家族全員に覚悟をつけさせてくれた1ヶ月だったのではと思います。
    大好きな祖母でした。
    しかしあの状態で延命治療するかの選択を迫られたら、拒否していたと思います。

    これは飽くまで個人的な考えです。
    本人が「どんな状態でも生かしてほしい」と望む場合は、その意志を尊重するのが正しい思います。
    家族のみの希望での胃漏などの延命も、他人が否定することではないと思います。
    本当にただ「生きていて欲しい」という気持ちで延命する家族も多いはずで、そういった家族まで「虐待」とか「年金目的」と批判されるのは悲しいことです。
    人の選択を批判する必要はないと思います。

    他のレスにもありますが、元気な時に「延命治療を希望するか拒否するか」の意思表示を
    確かな形で残して置くことが重要かと思いました。
    夫の祖母は元気ですが、尊厳死の事前指示書(公正証書)を作成してあり、
    家族にも「絶対に不自然な延命治療はしないでね」と重ね重ね言っているそうです。

    ユーザーID:9338982407

  • 永遠のテーマ。正解はない。

    延命治療をするかどうか。
    難しい問題ですし正解はないと思いますので、本人の意思、本人に意思疎通が取れない時は家族の判断でいいと思います。
    お医者様としては患者さんに身内がいない場合は、なるべく命が長らえるようにされると思います。
    お医者様にも正解は出せないでしょうし、それに勝手に延命中止にしたら殺人ともとらえられかねませんし。。。

    私がもしこの患者さん本人だったら延命治療はして欲しくないです。
    なので、入院する時に「食べられなくなっても胃ろうはしないで欲しい」「延命治療はしないで欲しい」と一筆書いておきたいと思います。
    臓器提供カードと同じく「延命治療NO!カード」なる意思表示できるものがあったらいいなと思います。

    ユーザーID:2127942309

  • 一部でしょうけれど

    看護師の数が足りないから 食べさせるのに時間が無いから胃瘻を勧める病院もありますよね。

    数年前にニュースにもなったと思います。
    胃瘻をはずして口から食べさせるようになったら 体力が戻ったとかってね。

    胃瘻と口から摂取することって随分さが出るんだなと父を見て思いましたよ。
    明らかに元気になってくる・・同じカロリーなのにです。
    家族が食事の時間には交替で行きました。
    食べさせるのに1時間はかかります。
    看護師さんが一人の患者についてもいられないでしょう。

    だから胃瘻は簡単でよいってことになっちゃう傾向があったんだと思います。

    食べられなくなったら寿命?
    簡単には言えないですよ。

    気管切開カニューレから胃瘻 そして口から食べる訓練をして 父は自宅に戻れて一生車椅子と言われたけれど 車椅子を押して歩けるまでになった。
    半年意識不明だった管に繋がれた人間がここまで回復するケースもある。

    胃瘻を外してもらいたいと家族が申し出て 担当医などと協議の結果でしたけれどね。
    家族が誰も来ないで そのままの人を見ると心が痛かったですよ。

    ユーザーID:2080401236

  • 『治療』 と 『延命措置』 と のちがい

    6月15日付 もり 様の投稿
    >自分の身内の命を預…延命治療をしない、という決断はなかなかできない
    >どんな姿であれ、生きていてほしい、側にいてほしい
    >家族の命は私には決めらません。

    全くその通りだと思う。
    いとも簡単に 尊厳死を選択します、、なんて云えるわけがない。

    と、ここで ふと思ったのだが、
    そもそも 尊厳死 とは何か?、安楽死 とは何が 違うのか。
    尊厳死関連のHPや、看護師のサイトを 読んでみた。

    まず『安楽死』。
    これは「命を積極的に断つ行為」なので、このトピでは 論外。
    ( ネットでは賛否両論だが、いずれ 議論が あってもいいかな )

    病状改善を目的とした治療措置は 『治療 』『救命』。
    もはや死が避けられず、単に死の時期を先送りする状況では、『 延命措置 』。
    延命措置を断わって自然死を迎えることが、『 尊厳死 』

    もりさん、、
    無節制に 尊厳死 が選択されているわけではありません。
    患者の、 不必要な 痛み苦しみを 軽減するため、、
    っと考えれば、受け入れられるのでは ないでしょうか。

    ユーザーID:7736431596

  • 「少数意見がかき消される」ことについて

    以前書き込んだ私の意見に対し、
    呑龍様から「延命治療選択の場面ではきちんと本人や家族に意思確認が行われている」
    「少数意見がかき消される事はない」というご意見を頂いたので、
    補足説明させて頂きます。

    その通り、です。
    選択の場面で、きちんと意思確認はされています。
    私もケアマネジャーとして何度もそういう場面に遭遇しました。

    ただ、生前にきちんとご本人が意思表示していたり、
    ご家族も判断できる状況であれば、
    それでいいのですが、
    ご家族の中には「迷い」がある方も沢山いらっしゃいました。
    また意思確認のときに、
    「延命治療してもね・・・」という延命治療に対する否定的な言葉を耳にすることが有ります。
    例えば、それを専門家である「お医者様」に言われて
    「本人は何をしてでも生きたいと言っていたので、延命して下さい!」と強く自己主張できる人ばかりではない、です。
    心の中にスッキリしない思いを抱えていても、今の日本で標準的な考えである「延命治療をしない」という選択をする方もいます。

    そういう事も含めて、「少数意見がかき消される」と表現しました。
    誤解を生じさせて申し訳有りませんでした。

    ユーザーID:2457153824

  • 怖い話ですよね

    6月12日21:28のぺんぺん草さんに賛同します。

    年とってそうなったら死んだっていいじゃないという意見が恐ろしいです。

    >どこで線引きするの?って言ってる人がいますが、年齢で区切ればいいでしょ?
    というレスに至ってはもう絶句です。
    じゃあ何歳ですか?90歳?80歳?70歳?60歳ですか?80と79では違いますか?
    人生いくつになったって、その人にとってはまだ途中なんです。もう死んでもいいなんて肯定的に思える人はごく少数だと思います。

    「あなた食べられないんだから、もう死ねば?」と本人に面と向かって言えますか?


    これを恐ろしいと思わないことが恐ろしいです。

    ユーザーID:6922289958

  • レスします。

    今、88歳の親が誤嚥で入院しました。

    その問題をつきつけられました。
    確かに、一般的な話なら鼻からとか、胃ろうとかいらないと思っていました。

    でも現実は違うのです。
    今、その問題にさしかかっています。

    2週間前に88歳の母は誤嚥して、数分間、酸素が脳にいってない状態で入院して息を吹き返しました。今は少し良くなって、認知はあるけど会話もできるようになりました。毎日病院に行くと、「○○ちゃん」と私の名前を呼んでくれます。

    医師の説明では、「もしかしたら食べられるかもしれないけど、検査してダメな時は、胃ろうにしましょう。」と言われました。
    私はそれを受け入れました。

    話せるし、生きてる親に、「鼻からの栄養も胃ろうもいらない」という決定を下すことは到底できません。それは見殺しにするということになります。

    医療はケースバイケースなので、一概には胃ろうはいらないなんて言えないのだと、あらためて考えた次第です。

    若者の皆さん、一般論では語ることのできない、こういう現実があるのです。

    ユーザーID:5916790218

  • 話し合いを避ける親 = 【罪悪感】 を子供に抱かさせる親

    場合によっては、「その時」は突然やってきます。

    老親が元気なうちから、
    「いざというときに、延命治療をするか? しないか?」
    ということを 話し合っておくことって大事ですよ。

    ですが、このテの話題に向き合わず、あるいは避けてしまって、曖昧にしている中高年者のなんと多いことか。
    「死」を論じること自体、忌み嫌う世代なのかもしれませんが…。

    だけど、高齢で意識が無くなった時点で「どうするか?」と聞かれれば、
    最終的に意志決定をするのは 子(もしくは近親者)なんですよ。

    普段から、親子で延命治療について話し合っていれば、
    「いよいよこの時がきたんだ…」
    と観念のしようもありますが、

    延命治療について何も話し合っていない世帯では、
    気が動転してしまうだけです。
    延命治療をする・しない、どちらの決断をしても、
    子どもは【罪悪感】を抱くことになるでしょう。

    なぜなら、親の意志がそこには反映されていないからです。


    そろそろ日本も「親が子どもに意志表示をしておくのは当たり前」
    という風潮になってもいいのではないか、と思うのです。

    子どもに罪悪感を抱かせる親にならないためにも。

    ユーザーID:4245339258

  • 当時を思い出すと涙が出ます

    6月18日 11:50 まゆさんへ

    祖母の話として6月13日 13:41 にレス書いてます。

    うちも始まりはそんな感じでした。
    話せるし認識もちゃんとしているし、生きている親を見殺しになんて出来ないって母たち子供全員の意見でした。

    病院では導尿されて歩行の機会がなく、あっという間に歩けなくなりました。
    祖母の場合は言語障害が残ったので、ちょっとずつかみ合わない会話と伝わらないもどかしさから話すことを祖母が諦めてしまい、話せなくなりました。

    今は特養に会いに行っても一瞬起きるだけで、こちらが話しかけても終始ウトウトしちゃいます。

    でも、うちの祖母、すごく健康志向だったので内臓がビックリするくらい丈夫で悪いところが全然なくて。

    あれから数年経った今、母も伯母も日々自分自身に問うていると思います。
    本当にあの時の選択は正しかったのだろうか、と。

    数年前の我が家を見ているようで胸が締め付けられます。
    お母様がどうかこの先快方に向かいますように。
    それだけを願わずにはいられません。

    ユーザーID:4815167238

  • 呑龍さん、ありがとうございます

    呑龍さんの
    治療と延命措置の違い・・・のレスに、救われる思いがしました。

    脳梗塞で倒れた
    母の延命措置を選ばなかった私は、苦しくて・・・
    末期がんだった母の命の火を消したことに変わりはないけれど
    尊厳死・・・を選んだんだと、母を苦しみから解放したのだと、思えばいいのだと・・・

    親子で話し合いがされていない事が問題との、別な方のレスもありましたが
    話し合いをしていても、延命措置を断る子供の気持ちは、千千乱れるのです。
    本当にそれで良かったのか・・・言葉を発せられなくなった親の真意は変わっていないのか?
    捨てるような罪悪感に襲われるのですよ・・・
    勿論、人に寄るのでしょうが・・・

    ユーザーID:6746643543

  • 一人っ子さんへ

    私の母もクモ膜下出血で倒れ、判断を求められることもなく
    当然のように経鼻管になりました。

    しかし二度目の手術で、少しは残っていた意識も途絶え
    脳が半分以上壊死したため
    半身麻痺、失認知、失言語
    意思を持たない植物状態となりました。

    私どもの通った病院では、一度いれた経鼻管を外すことは
    殺人となるため倫理的に出来ません、とのことでした。

    その後、後遺症はあっても治療は無いため(治らない)
    可哀想に思い施設は選ばず
    自宅に引き取り介護しました。
    やはり経鼻管を長期にすることは出来ませんと
    胃ろうを勧められました。
    しかし正式な書類が無いだけで、母は尊厳死協会に入っており
    (書類があれば管も抜けたのに…と言われました。)
    この状態を望まないであろうことや
    父も癌で余命が分からない状況である事など
    延命治療にしたくない、と希望し、医師に理解していただけました。

    経鼻管も苦しいですが、胃ろうも手術である以上
    痛みもありますし、寝たきりで限界まで衰弱している母に
    これ以上苦しみを与えたくありませんでした。

    もし少しでも本人に認知能力が残っていたら
    私も胃ろうにしたと思います。

    ユーザーID:1211965743

  • 逆です

    食べられなくなったら死ぬのでなく、死ぬ前には食べられなくなるのではないかと思っています。将来的には細胞を調べることによって死期が迫っているかがわかるようになれば良いと思っています。

    ユーザーID:7452377755

  • 誰が負担するのか?

    高負担高福祉と言われる北欧だって高齢者(に限らずだけど)医療分野では、はるか日本を下回る水準です。

    自己負担で延命措置を施したい人はすればいいんじゃないでしょうかね。
    年齢で区切るのがうんぬんという意見もありますが、「死なないようにすること」は医療技術の進歩により相当な部分まで可能になっています。
    じゃぶじゃぶ金をかけようと思えば、いくらでもかけられるんですよ。
    それを保険や税金で賄おうというのは、財源に限りがある以上無理です。

    年齢で区切る場合の指標としては、直近数年間の「平均寿命」でどうでしょうか。
    それを超えたら「保険不適用」に切り替えていただくということで。

    ユーザーID:3018878405

  • 現実的に考えると、やさぐれパンダさんに 1票入れたい

    今の日本の現実を知っていれば、議論の行きつくところはここですよね。


    「誰が負担するのか?」

    「全額自己負担でお願いします」


    …と思っている人は多いと思います。

    どう考えたって、財源には限りがあるからです。

    本当に申し訳ないですが、高齢者に手厚くするのにもそろそろ限界がきているのではないでしょうか?

    死が近づいていて口から食べられなくなった高齢者の延命措置は、

    「全額自己負担で…」

    とはいいませんが、8割とか9割ぐらいを自己負担してもらわないと、

    若い世代がどんどん少なくなる日本では、財源はいずれ破綻すると思います。

    だって、働いている人たちが少なくて、

    管に繋がれてベッドに寝たきりの高齢者のほうが多くなる時代がすぐそこまで来ているのですから。


    はっきり言って、そういう予算を「子育て世代」あるいは「子供を持ちたい世代」にまわしてほしい、

    そう思っている人は、いっぱいいると思いますよ。

    オモテでは 決して口にしないだけで。


    90年近く頑張ってきた人を 人工的な管でつながずに、

    人間らしく もうゆっくり休ませてあげることも大事なのではないでしょうか?

    ユーザーID:0781666735

  • 後期高齢者限定ということで

    経管や胃瘻になったら、2年までは保険で、それ以降は自費にすればいいと思います。
    本当に生きてほしいと思っていても、2年過ぎたら、あきらめがつくことも多いと思います。
    年金目当てで生かしておこうという不届き者の親族にとっては、ちょうどよいタイミングになると思います。
    もちろん、医療費節減にもなります。

    これ、法律じゃなくて条令で決まらないのかな?
    2年以上たったら、自費入院か、自分で他県に転院先を探して、となれば、そのうちどこも受け入れが無くなります。

    ユーザーID:5496683824

  • ななさん。そしてトピ主さん。

    ななさん。本気で仰っているんですか?自費入院できず、行き先のなくなった方はどうするのですか?年金目当てに生かされているだけなのだから、行き先がなくなれば、家に戻り、そのまま朽ちていくのを家族が見ていればいいということですか?ご本人は意思を伝えられなくなっているし、家族は不届き者なのだから、そうして最期を迎えたらいい…そういうことですか?信じられない発想です。

    トピ主さんは今の医療体制や人生の最期に訪れる課題について、職業上知りえた情報に基づいて問題提起され、多くの方が賛同のレスをされました。そしてトピ主さんはご自分は間違っていないと、気を良くして終わられたようですが、ななさんのレスに賛同されますか?そうなれば、トピ主さんはジレンマを感じながらお仕事をしなくてよくなりますか?
    でもトピ主さんに批判的なレスや、家族としての立場から迷われている方のレスもありましたよね?私は6月10日の従事者さんのレスこそ、トピ主さんにきちんと読み込んで、お仕事をしていただきたいと思っていました。
    トピ主さんは今、何を思われていますか?もう見ておられないと思いつつ、でもどうしても聞いてみたくなりました。

    ユーザーID:7417295327

  • 自己負担で生き残れないのは普通の人

    自己負担にすると、生き残れるのはお金持ちと、自己負担しなくて良い生活保護受給者と、国の管理下にある受刑者ということになりますね。

    ユーザーID:0769880259

  • 医療機関が立ちゆかなくなるから

     そうはいっても、高齢者が病院に長く多くいるおかげで、日本のほとんどの病院経営は成り立っています。だから生かすのは病院の経営のためだと思います。その恩恵をあなたも受けていると私は思います。
    だって、勤務医の給料、田舎の小さな市立病院でも1500万ですよ。

    ユーザーID:0800334938

  • モーリンさん

    それは違うと思います。
    勤務医の給料が高いのは、医師不足から来る売り手市場だからでしょう。
    高齢者が・・とまでは言いませんが、患者数が医師数に対して多すぎるからです。
    しかも、最近は医療費を抑えるために病院に長くはいられないようになっているはずです。

    ユーザーID:7160062603

  • ちょうど今、選択の時です

    ちょうど一昨日、その選択をしました。
    祖母が特養にお世話になっていましたが、先週から食欲が止まり反応が無くなったので、救急病院に運ばれました。
    延命治療はしない、と事前に話し合っていましたが、今まで3回ほど脳梗塞をおこし、その度に治療を受ければ後遺症もなく復活していたので、念のために病院に運んだようです。
    意識は戻りましたが、反応は鈍く口からの食事も受け付けません。
    病院には長くお世話になる訳にはいかないので、相談の結果、元の施設で看取りをしてもらう事になりました。
    施設ではできないので、脳梗塞からのけいれん止めの投薬もやめ、このまま食事も欲しがらないなら、そのまま自然に任せ、死を待ちます。
    この数年はきちんとした会話も減っていましたので、もしもの時には…と、これまで何度も母親と話をしていたので、納得済みです。
    ただ、私は一人娘で他に親族もおらず未婚の為、これが母親だったら、こんなに淡々と決める事が出来ず、もっと悩むんだろうな。
    でも私一人の収入で、母を施設に入れる余裕はないので、どれだけの選択肢が残されるのか、と悩んでいます。

    ユーザーID:4879634952

  • 事前指示書を作成しましょう

    トピ主さんの意見には賛否両論ありましたが、自分自身については延命治療を希望しない方が多いように見受けました。であれば、是非、延命治療拒否の事前指示書を作りましょう。

    どのような意思表示であれ、今の子供世代の人たちに不必要な苦しみを与えずに済みます。経済的な負担、心理的な負担。私達からでも減らしていくことが出来るはずです。社会の高齢化、私たち自身の高齢化は待ったなしなのですから。

    2015年の高齢化率は26.8%ですが、私が65歳になる2040年には36.1%となります。2015年時点では現役世代2.3人で一人の高齢者を支えていましたが、2040年では1.5人となります。税制や社会制度についてウルトラC級の変革でもない限り、今の子供世代が払う税金は今の比ではないということです。

    そうなれば収入を増やすために共働き家庭が増えるかもしれませんし、一方で看護士、介護士不足も解消されなければ高齢者に対して十分なケアを行うことが事実上困難となり、不遇な状態に置かれる方がさらに多くなるかもしれません。

    延命を希望しないと明確にする人が増えることで少しずつでも状況を変えられないでしょうか?

    ユーザーID:6233489332

  • 矛盾?さんへ    矛盾だとしても…。

    >生き残れるのはお金持ちと、自己負担しなくて良い生活保護受給者と、国の管理下にある受刑者ということになりますね。

    そうかもしれません。

    おっしゃるように、自己負担制度になって、生き残れる人たちが、仮にそういう人たちばかりになったとしても、
    今まで多くの延命治療費を国が負担していたことを思えば
    その分を、「子育て世代」や「子供を二人以上持ちたい若い世帯」にまわせることができますよね。

    短絡的、感情的に捉えるのではなく、長期的、俯瞰的に捉えていかないと、
    今の日本のこの問題は 増々深刻化するのではないですか?

    まさに今日のニュースですが、
    日本は子どもの数よりも、65歳以上の高齢者の数が上回る、
    という結果が出たのです。

    完全回復の見込みも無く、意識も戻らない、
    口から食べられなくなった高齢者の「延命治療」は、
    ご本人にとっても本当に痛ましいことだと思います。
    老体にメスを入れて、人工的な管を通すのですから…。

    生まれたときから与えられている「自然な命の長さ」を受け入れずに、
    家族の一存で人工的に延命する…。
    これでいいのでしょうか?

    大変失礼を承知で申し上げました。

    ユーザーID:3388387712

  • 人の命の長さを他人が決める事は出来ない。

    80になっても90になっても延命治療を望む人には治療をしないといけない。
    法律でもそうなっています。
    医療関係者であっても人の命の操作は出来ません。

    高齢者が自らエンディングノートなどで遺言書と同じ様に延命治療で生きたいかどうか文章にして残しておくしか無いかと思いますね。
    人間床ずれが出来、意識も無いのに行きたいと思っている人は居ない様に思います。

    ある程度の年齢が来たら自分の始末をどうしたいか、医療を何処まで受けたいか、自分自身が決めることだと思います。

    今特養が彼方此方建設されています。
    介護業界も医療業界も高齢者で成り立っている施設が多いと思いますね。
    誰でも大学に行きだした時は大学建設が彼方此方でしたが、今になると閉鎖する大学も増えている様です。

    時代の流れで高齢医療も同じ道をたどる時が来ると思います。
    その時 生き残れるのはしっかりした介護施設、医療施設の様に思います。

    今は患者が多いから医療機関も選り好み出来ますが、患者数が少なくなれば経営も行き詰まる、患者様様になる事も出てくるかも知れません。

    ユーザーID:2464687705

  • 尊厳死 といっても、放置するわけではない

    カサブランカ様、微力ながら お役に立てて幸いです。

    >尊厳死・・・を選んだんだと、母を苦しみから解放したのだと

    仰る通りです。


    ところで、
    誤解されている方がいるかもしれませんが、

    尊厳死、だからといって 放置 するわけではありません。

    私の父の介護の場合、
    看護師の指示で 経口栄養剤 や 補水液を与えたり、
    発熱があれば 脇の下を氷で冷やしたりしました。
    やがて、栄養剤を拒否するようになり、
    次第に 意識が遠のいて 逝きました。

    林檎 様、、ご理解いただけましたでしょうか。

    ユーザーID:7736431596

  • わからない

    自費でならご自由にどうぞ、といことが、なぜ受け入れられないのか。なぜ、他人のお金でやろうと思うのか。
    一見人道的な施策は、一方で過大な保険料負担を生んでいるのに?高齢者のために支援金をぶんどられながら、自分は必要な医療も我慢して切る若者がいて、そんな非人道は世の中にないことにされているのか。
    ななさんの後期高齢に限って自由診療というのは確かに不公平と思うけど、もともとの保険の構造が高齢者に優遇され過ぎていて、その不公平を正すほうが優先のように思う。負担割合と高額療養費を若者世代と同じにすれば、保険制度も存続可能になるのでは。

    ユーザーID:2157581124

  • 先日丁度その話題になりました

    先日、義理の両親と夫と私の4人で食事をした時、ふとした話の流れで「延命治療はやめてね」と言われました。
    テレビで延命治療の番組を見て、とてもいたたまれない気持ちになったそうで。
    義理の両親は共に後期高齢者です。
    二人ともまだ元気で頭もしっかりしているから、こちらにとってはまだ現実味がない話ではあるのですが、彼らはいつお迎えが来ても不思議ではないという思いで日々暮らしているようです。やはり周囲の同世代が一人また一人と旅立っていくのを見ているからかもしれません。

    一方、重い病気療養中の実父は、どんなことをしてでも可能性があるなら生きさせてほしいと考えています。
    今行っている治療は延命治療で、病気は治りません。父と同じ状況で延命治療を断る人もいますが父は辛い思いをしながら治療を続けています。本人がそうしたいと言っているので家族は彼の意志を尊重するしかありません。

    本人が望むように選択できることが大事かと思います。

    ユーザーID:7154529081

  • 全く同じことを考えていました

    おにぎりさん、私も全く同じことを考えていました。
    先日、親族が入院したのですが、お見舞いのために内科病棟を通りかかった時に、半分ひからびた、ただ天井を見ているだけのご老人の多さにびっくりしました。整形外科も、もはや認知症になった老人ばかりの老人ホーム状態、看護師さんは介護士状態になっていて、日本は、本当に超高齢化社会に突入したんだなぁと実感しました。また、これらほぼ意志のない医療によって延命されている人たちに高額な年金と医療費が払われることにも疑問がわきました。

    ある国では、70歳以上の手術は行わないそうですし、尊厳死が認められている国もあります。私は、延命治療は残された者の自己満足だと思っています。治療を受けている人たちは管に繋がれ、自分の口から食べられない状態でも幸せなんだろうか。自分で食べられなくなったら、干からびて死ぬ、これが自然だと思います。

    前の朝ドラでは、主人公の親たちがほぼ介護なしで、家族にしっかりと挨拶をして、自宅で死んでいきました。それが死ぬ時の理想だと思います。

    ユーザーID:7580664160

  • 呑龍さん。

    私の名前を出されたのは、私のななさんへのレスを読まれたからだと思いますが、私も尊厳死については理解しています。でも私はななさんのご意見は尊厳死とは次元の違う、単なる極論だと思いましたので、あのようにレスしました。
    ただもしななさんの言われているようなことになっても、家族に対して愛情を持ち、呑龍さんのようにきちんと考えて対処をされる方は、そのようにご家族を見送られると思います。でも実際には私が書いたようなことも起こると思っています。

    ユーザーID:7417295327

  • 昨夜のNHK見ました

    トピずれですが、
    3日夜9時から「私は家族を殺した、介護殺人」見ました。

    認知症で、24時間目が離せないのに
    歩けるし食べられる、という理由で要介護2、
    特養には中々はいれないそうです。

    責任感があり、真面目な人ほど介護して
    追い詰められていくようでした。

    「ただ、生きていてくれるだけでいい」と言われる方は
    実際に介護されているのでしょうか?

    私は自分が認知症になったら
    食べて歩けても、安楽死させてほしいです、
    子供達の負担になりたくないので。

    ユーザーID:7480467543

  • トピ主の考えに同意

    平日の日中に病院に行くと、老人の社交場か?と思う程、ほぼ老人しかいない。そして、私は何種類薬飲んでるのよ、なんて何の自慢大会してるんだと思う話で盛り上がっていたり。1割負担で安いから、薬局やドラッグストアで薬買うより安いし。財源は無限じゃないんだから3割負担して、延命措置は全額自己負担にして欲しいわ。

    自身の意思で生きているのと、機械で生かされてるのは違うからね。医療が発達し過ぎて、昔なら死んでいたのも、死なない状態で維持出来るようになったから始末が悪い。

    祖父が特老に8年入居して84歳で往生したが、面会に来る人は稀で、死んだら連絡くれと言う家族も珍しくない。私は父と週2〜3回面会に行き、GW盆正月は自宅に連れ帰ってましたが、面会もなく家族に放置され、寝たきりで意識も朦朧とした枯れ木のような老人が多数横たわっている姿を見ると憐れでした。

    私の両親は延命措置は要らないと常々言ってるので、その時が来たら希望通りにしようと思います。死ぬのは遅いか早いかの問題で何れ誰もが通る道なので、私自身も延命措置は不要です。目指せピンコロ!

    ユーザーID:5256079780

  • あえて言います。 終活には 『見学』 を導入すべきです。

    これだけ 「終活」が周知されるようになったのですから、
    これから老人になる人たちは、
    自分の意志を、より具体的に書面に残し、より具体的に周りに伝えておくべきでしょうね。


    さらに、医療施設の「見学」も必要かと思います。
    延命治療で管に繋がれたまま 意識も無く 横たわっている老人だけを受け入れている、そういう医療施設を です。

    『視覚、臭覚、聴覚』を最大限に使ってみてください。

    「見学」というと、大変失礼な言葉かもしれませんが、
    でも、実際に足を運んで、実際に自分の目で見れば、「何か」を感じるはずです。
    その「何か」は人によっては違うかもしれませんが、そのときの「何か」が
    自分にとっては一番正しい「選択」になるはずです。

    こうやって、自分自身が健康なうちに、はっきり意志を決めておくことが重要なんです。
    いざというときはその意志に則って対処してもらえば、本人は一番幸せなのですから。

    なのに、こういう話を避け、事前に意志も伝えておかず、
    いざというときに 子どもや身内が 感情的になった状態で決定をくだすような状況に陥ると、双方が不幸せになってしまいます。

    ユーザーID:8438033573

  • いい方向です

    現在の結婚しない男女が後期高齢者になる
    40年後には、延命治療なしで
    どんどん死ぬので問題なし。
    長寿に仕立てたいのは
    それで儲かる人たちだけの幻想。

    今後日本は人口激減し、半分以下になったら
    エネルギー使用も激減し原発完全撤廃。
    食料自給率を上げることができたら
    日本はいい国になります。

    無駄な消費、無駄な建築物、無駄な大学、
    無駄な会社、無駄な塾、無駄な店、
    無駄な議員がどんどん減る。
    とてもいい傾向です。
    200年後には、人口が半分以下になって
    少ない人数で効率よく稼ぎ、
    消費を抑えた、自然の豊かな国に
    なるといいですね。

    ユーザーID:8957066398

  • 延命は死を受け入れられない人の綺麗事。

    命は大切です。
    でも、延命は命を大切にしているとは言えない。

    回復するのを期待するとか
    それでも生きていて欲しいとか
    気持ちがついていかないとか

    いくらなんでも死を受け入れなさすぎです。

    人は死ぬんです。
    身体がもう無理だと言っているんです。
    死なせてあげましょうよ。


    子どもが年金を受け取ることが出来ると喜んでおられる方があるかもしれません。

    だからって四六時中チューブに繋ぐの?

    微笑んでるように見える?
    反応しているように思える?

    だからってどうなるの?

    結局はチューブを外す決断をする人が大勢います。つまり、その人の死を自らが決めることになるんです。
    外した途端に死にゆく様を見て、「本当はもうすでに生きていなかった現実」に愕然とするんです。

    誰かの満足のために死ぬことすら許されない。それがどれだけむごいことか後になって気付くんです。
    私の周りは結果的に延命措置に後悔している人ばかりです。

    愛する人の身体に負担を強いるより、自らが死を受け入れるよう強くなるべきだと思います。

    ユーザーID:0011951959

  • ほぼ同意です

    ほぼ25年前に父親が死んだときに、わたしも同じことを思いました。
    父親は嚥下障害となって食べたものが気管に入るようになり、肺炎を
    繰り返すようになっていました。

    当然、食事は鼻からチューブで入れるようになります。見ていて可哀相
    でした。認知症も軽いものですが出ていて「これはもう普通の生活には
    戻れないなあ」と思いました。

    結局2カ月ちょっとの入院ののち肺炎で死にましたが、げっそり痩せて
    しまって、遺体に着せるために持っていった服がブカブカになってました。

    あれでも生きている意味があるとすれば、それは本人のためではなくて
    家族のためだなと思いましたね。本人はイヤでしょうがかなったのではない
    かな。

    実はその当時、伯父(父の兄)も入院していて、胃瘻を施していました。
    兄弟だから似たような症状になるのでしょう。この伯父はその後も2年ほど
    生きましたが、どう考えてもおかしいと思いましたね。

    本来人間は口から食べたもので生きられなくなれば、死ぬのが当たり前です。
    終末医療にはおかしな部分がたくさんあるな、とつくづく思いました。

    わたしは胃瘻も鼻からのチューブ食も拒否する予定です。

    ユーザーID:6445294078

  • 状態次第ではあるけれど

    ウチはしました。胃ろう。その方が嚥下の訓練もしやすくなるし。
    一時気管切開したせいもあって、声は出なかったけれど意思の疎通はできました。
    意識もそれまで自宅にいた時とそんなに変わらなかった。
    ただ、嚥下が出来なくなった。体も動かなくなった。だけどリハビリやってました。
    結局は半年くらいしか持たなかったけれど、あのまま経管栄養も胃ろうもしないという
    選択はなかったです。本人は辛かったと思いますけど頑張りました。
    でも、本当にほとんど意識もなく、栄養によって何年も生きる人もいますよね。
    途中で辞められないというのが辛いところです。家族も負担が大きくなりますし。
    結局状態次第じゃないでしょうか。その時になってみないとどんな状態になるかわからないことってあるはず。
    病院には毎日通いましたけど、ウチは半年でも長く生きていてくれてよかったです。
    家族だって、ただ放っておくわけじゃない。色々な事情で中々行かれない人だっているでしょう。
    生きていてくれるだけで支えになることもある。本当に家族がほったらかしの人もいますけど。
    事情はそれぞれですし、これがいいとは言えないでしょう。

    ユーザーID:3987716662

  • 私は悪いですか?

    私の主人は若年性の認知症です
    発症したのは、40代半ばでした
    今年還暦をむかえます

    一昨年、食事をとることができなくなりいろうを作りました

    確かに会話もできないし、私を認識できません。
    皆さんの言われるただ生きているだけです

    でも、私は主人がこの世に生きていることだけで心強いのです。
    同じ空気を呼吸している、同じ空のしたに存在している


    最近は会うたびに弱っていって、とても辛く切ないです。
    でも、触れることが出来る、返事がなくても、話しかけることが出来る

    私の自己満足ですか?私は間違ってますか?私は悪いですか?

    ユーザーID:0016134906

  • レスになっていませんでした

    連投申し訳ありません
    今、主人は気管切開の選択に迫られる状況になりそうなので、
    感情的になりました。
    悩んでます。


    主様へのレスとしては、何が正解なのかわからないというのが私の意見です
    ただ主様の言うように、主人には医療費、介護費、税金の優遇等、いろんな面で
    税金を使っています
    その事は、とくに娘が正社員で働くようになってから、給料明細を見て、こんなに若い子って税金や社会保険料が引かれるんだ それが主人のところにいくんだと思い、複雑な気分になりました

    ユーザーID:0016134906

  • トピ主さんの意見に賛成します

    ある医師の著作にこう書いてありました。
    …老いて自力で食べられなくなったら、老化。
    昔の方は無理な飲食をしない事で
    徐々に意識がボヤけ、心地よく旅立った。
    胃瘻や点滴による栄養と水分摂取を続けると、
    身体は衰え切って動かないのに意識だけは残る。
    それ故に苦痛を感じる。

    老化に対しての延命治療は、
    >「悪意のない」虐待
    だと、思います。
    私の祖父母は延命治療を全くせず、
    短い闘病期間で旅立ちました。
    私達夫婦と両親にその日が来ても、
    拒否するつもりです。
    未来ある若者にお金を回して欲しいです。

    深読みさんの仰る『見学』を導入すれば、
    老化による延命治療がいかに綺麗事かを
    知る事が出来ると思います。
    私は主人の祖父母の見舞いに、
    トピ主さんの職場のような病院に行きました。
    五感でその雰囲気に触れれば、
    綺麗事など言っていられません。

    慎吾ママさん。
    ご主人は老化では無く病気です。
    慎吾ママさんは懸命に寄り添っていらっしゃいます。
    ご主人と心で繋がっています。
    トピ主さんはそういう方の治療を
    拒否しているのでは無いと思います。
    慎吾ママさんは間違っていませんよ。

    ユーザーID:3563849663

  • 結局金?

    このような人々を生かし続ける意義がどうこうなんて
    人の命をふるいにかける資格なんて人間にあるのでしょうか。
    自分は拒否するけど親にはやる、と思うのが「悪意のない虐待」とも思いません。
    少しでも生きていて欲しいと思うのは当たり前の事です。それが家族の情ですから。
    自分は拒否するというのも家族に迷惑を掛けたくないという思いです。
    そう言ったからといって、実際にはその時にならないとどうなるかなんてわかりません。
    何がいいかは家族によって、その時の状況によって違ってくるでしょうし
    「悪意のない虐待」と括るのはいかがなものかと。
    医療関係者として、普段から生死を見慣れている人の意見ですね。
    悪い言葉で言えば、見慣れてマヒしているとも言えるかもしれない。
    医療関係者というあくまで第三者が見た生死と家族の立場の生死は違うものです。
    尊厳死も延命拒否もそれはそれでいいでしょう。あくまでケースバイケースです。
    しかし、トピ主はあくまで病院側の都合や、医療関係者の物の見方なだけだし
    そういうことが、いつか無言の圧力とならないかと心配です。

    ユーザーID:5080289612

  • つけ足し

    その後いろいろ思い出しました。

    肺炎の症状として痰が詰まるので気管切開を提案
    されました。気管に穴を開ければもう会話はできなく
    なります。胃ろうも打診されました。

    ところがそんな状態でも、抗生物質で肺炎の症状が
    軽くなると、退院するように言われ、転院先を母と
    一緒に探しました。

    そういうところはもう治療をするところではなくて、
    患者を生かしておく、収容しておくことだけが目的の
    施設で、見学に行って暗澹たる思いで帰ってきました。

    結局、わたしたちは胃ろうも気管切開も断ったのですが、
    それでよかったと思います。父親もそこまでして延命
    することを望んでいなかったでしょう。チューブが
    鼻に入っているのも嫌がりましたから。

    長生きするとしても「生活の質」を問題にしないと
    意味のない延命治療、終末医療につながるのではない
    ですか。

    わたしはトピ主さんの考え方に同意しますね。それ
    でも延命治療を肯定する人たちを理解することは
    わたしにはできません。

    ユーザーID:6445294078

  • 仕方ない

    まあ、仕方ないですよ。安楽死も犯罪に使われかねないし。

    あなたにできることは、「肺炎に気付くのが遅れる」くらいでしょう。

    ユーザーID:7187439361

  • 胃ろうは辛いと

    胃ろうをして寝たきりの知り合い(高齢)の病室へお見舞いに行ったことがあります。

    娘さんが席を外された時、おばあちゃんは
    「このチューブが辛い」
    「こんなんして長生きしとうない」
    と小声で言っていました。
    私は何も言えなかったし娘さんにも言えなかったです。

    私はどうなんだろう。

    ユーザーID:7682650888

  • 施設の母@89歳も同意、私も同意。

    父は85歳で亡くなりましたが、呼吸器?も一旦付けたら外したら殺人と聞いていましたが、父が危ないかもと病院に呼び出されたら、すでに病院の判断で呼吸器付けられてました。
    心の中で怒りましたが、結局10日ほどで父は亡くなりました。
    この時に、母と私で延命治療の意思確認をしました。

    母は寝たきりで生き続けたく無い人でした。
    私もです。

    でも、どんな姿でも生きていて欲しいと思う家族はもちろん居るでしょう。
    私も昔はそうでした、特に親がまだ若い、自分も若いうちは、親の死を受け入れ難いでしょうから。
    それと少ないでしょうけど、親の年金を当てにしてる人も居るでしょう。
    同居していて、親の死を届けず何年も年金を不正受給してた人も居ます。
    うちの遠い親族で、毎月年寄りに送金をしていましたが、同居の親族がその死を知らせず、お礼の手紙も本人が弱って書けなくなったと代筆して、何年も我が家の送金をだまし取ってた親族も居ました。

    意識が有って寝たきりは私は辛い、意識が無かったら私は生きてる意味が無い、と思います。
    だから、母と私は延命治療は無用です。

    ユーザーID:8603950140

  • 自分は出来なかったです

    延命治療を選ぶ人を否定するわけじゃないので
    ご理解下さい。

    私は母に対して
    延命することが出来ませんでした。
    むしろ尊厳死があったらさせてあげたかったくらいです。

    理由は、
    ・倒れる前より母は寝たきりチューブ状態が嫌だと言っていたこと。
    (祖母がそうだったため拒否する気持ちが強かった)
    ・倒れた後は脳が壊死して、治療も不可能。
    何も出来ず喜びの感情も無いのに、痛覚だけある。
    ・経鼻管も痛みがありますし
    胃ろうは手術なので、当然痛みもリスクもある。
    ・寝たきりで自分の意志が持てない脳障害のため
    排泄まで他人の手を介さねば一切出来ず
    非常に可哀想だった。
    (正常な排便が出来ないので
    常に腸内がおかしくて痛がったんです)

    母のおむつ替えや排泄物の掻き出しもやりましたし
    私設見学で寝たきり胃ろうの皆さんも拝見しました。

    私は考え抜いた末
    母を延命する事は出来ない。
    母が可哀想だ、と判断しました。
    母自身がどんな姿でも長生きしたいと言ってくれていたら
    希望なんだから我慢して、と手術したと思いますが。

    改善する見込みのある人間にしか
    延命治療はしたくない…と家族ですが思いました。

    ユーザーID:2504030592

  • 何故どちらかでなくてはいけないのですか?

    管に繋がれてでも生きたい人もいる。
    管に繋がれてでも生きて欲しい家族がいる。
    繋がれてまで生きたくない人がいて
    繋がれてまで生きているのは不自然だと思う家族がいる。

    どちらかが正しい、間違っているではなく
    それぞれがそれぞれの望んだ終わりを迎えられる、そんな制度があればいいのにと思います。
    何度も思い悩み、引き返す道筋もつけた上で、です。

    本当は望まないのに
    周囲の圧力で望んだふりを強いられ、終わることがないような何か救済の策が必須ですが。

    ユーザーID:9920271649

  • うちは

    胃ろうしたけどよかったと思っています。元気な時は延命なんて…と言うんですが
    いざその時になると生きようとする。それが生物です。
    気管切開で声は出なくても言葉を話そうとしていたし、家族の事もわかる。
    日々の面会を楽しみにしているのもわかる。リハビリもしている。
    寝たきりになって辛かっただろうけど、それでも生きようとしている人に
    胃ろうをしない事はできませんでした。引導を渡すことなどできない。
    色々な患者がいると思います。単純に胃ろうだから、食べられないから
    お金が掛かるから生きる意義がないなどと言って欲しくありません。
    延命はすればいいというものでもないし人によりけり、状況によりけりだと思います。
    延命をしなければ見殺しかと言うレスがありますが、その逆もしかり。
    予算を考えて命を諦めなければならない方が恐ろしいです。
    だったら自費で? 命もお金で買う時代になるんですね。

    ユーザーID:6379092243

  • 同意します

    こちらも介護施設に勤めていた時期がありました。

    年金のためだけに、死んでもらっては困ると公言している人がいます。父親の年金が子らの生活費だからです。
    ベッドに張り付けられ、自力で食べられず自力でトイレも行けず、こんな状態で生かされていて、何の意味があるのかと傍から見ても思いました。
    こうなってしまう前、まだかろうじてしゃべれる状態の時に、死にたい死にたいと言っておられた方もおられました。
    でももうご自分の意思を伝えられなくなって、風邪などひいたら亡くならないように処置しなければならない。
    そうなるともうただ生きているだけ。ただ死んではいないというだけです。ひどい言い方といわれるでしょうが、実際そうなのです。

    近くにいる家族ほど見舞いに来ないという話も、現在介護施設に勤めている知人から聞きます。
    トピ主に批判も当然あると思いますが、綺麗ごと、もっともらしい道徳論ではどうしようもない。

    薬漬け、管だらけにされて、乾いた目でただじっと天井を見ている老人たちを思い出すにつけ、なんとも言えない気持ちになります。

    ユーザーID:0713361227

  • やっぱり

    本人の意志ではないでしょうか。
    うちの両親は、かねてより
    「気管切開、人工呼吸器、胃ろう、及びそれ以外でも延命治療はしない」と言っていました。
    ですから、父が83歳でいよいよ危なくなったとき(原因は誤嚥性肺炎、肺がん、ぜんそく、老衰、その他もろもろ)も、延命治療はしませんでした。
    母(75歳、今のところはいたって健康)も、「自分のときもそれでいい」と言っています。
    私(54歳、乳がん治療中)も同じです。
    やはり、現代では、比較的元気なうちに、本人が意思表示をしておくことが大切ですね。

    ユーザーID:0710395749

  • 命はお金で買うものです

    当たり前のことです。
    悪でもなんでもない。

    本人が生きたがっているから、家族が生きて欲しいと望んだから「生きている」のではありません。
    本来ならば死にゆくはずの人が、医療技術や設備・機器、薬、医師や看護師そのほか専門職らの力で「生かされている」のです。

    そしてそれにかかるお金のほとんどを誰が払っているのか?

    国の金の切れ目は命の切れ目です。

    日本は10年前に終末期医療のガイドラインを新たに作りましたが、老人は死ねというのか!と反発され中止となりました。

    長寿国・日本は、世界的には「古い考えの高齢者虐待国」なんです。

    長生きを否定はしません。
    ですがもう「死は不幸だ」という価値観だけでは乗り切れない現状があることは、知っておかなくてはいけません。

    ユーザーID:0011951959

  • どう理解すればよいのか悩みます

    自分自身はそれで良いと思っています。
    そのまま衰えて機能低下していくのなら。
    ただ痛いのは嫌だな。

    こうして高齢者の行く先については冷静に意見が出てくるけれど、障害者についてはどうなんでしょう。
    人権重視ばかりできちんとした話し合いがなされていない印象です。

    今回いろいろなことを考える機会があったので。
    安楽死法案が通っても、脳が損傷してたら?
    終末期と言っても老人だけじゃないですよね?
    「海を飛ぶ夢」を思い出します。

    ユーザーID:7886755997

  • よいトピですね

    このトピを読んですぐ親戚にこういう類の問題が起こりました。人に聞いたり調べたりして、日本尊厳死協会なるものを知りました。会員証を見せれば延命治療を拒否できるというものです。

    実際どうなるかはわかりませんが、今後入会を検討したいと考えています。自分なら、80歳を過ぎて自分の意志が主張できなくなったら、人工呼吸器や鼻からのチューブ・胃ろうは拒否したい(と身内に伝えておく)と今は思っています。

    ユーザーID:7413013991

  • 胃ろうがあれば

    父の場合、肺炎を起こし誤嚥が怖くて経管栄養もできませんでした。

    高栄養の点滴は吸収してくれませんでした。

    大学病院でしたが医師が言うには、胃ろうをする方法もあるが、うちの病院ではしていないとの事。

    療養病院ではない、治療病院はそういう事も多々ありました。

    だからといって、その時は他に移すのも危険でした。人間、点滴ではなく胃から栄養を取ると

    不思議と吸収してくれるとの事。体力がつけば持ち直すかもと。

    胃ろうがあれば助かったかもしれない命があります。どこまで回復するかなんて誰にもわからない。

    医療技術で生かされているのなら誰もが医者にかかること自体、医療技術や知識によって助けられ生かされる。

    生きる意義など健康な人の都合で決めて、助かる命が助からないことこそ恐ろしい。

    どんなケースも同じではないはず。胃ろう=生きる意義がないは言い過ぎ。

    胃ろうだからと言って、画一的には決めることではない。

    国の金の切れ目は命の切れ目とはなってほしくないですね。

    ユーザーID:1624025871

  • エールの数が物語っている

    言葉にすると誤解や意義が生じてしまう問題です。が、無言のポチでトピ主さんの考え方を応援するがダントツの4桁です。

    ユーザーID:2724577335

  • 平均寿命より

    健康寿命で競争をしていただきたいですね。

    意識がなく寝たきり経管栄養で長生きというのは自分が望むものではありません。

    健康寿命世界一ということであれば日本もたいしたものだと胸を張ることができます。

    ユーザーID:7383882871

  • 延命

    何度もしましたけど。経管栄養。それも延命ですよね。何かあるとすぐ寝たきり、点滴。意識もはっきりしない。そこから始まって経管栄養になり、やがて自分で食べられるようになり退院します。リハビリも早くからやってました。

    自宅でも、自分でお箸を使い食べられるくらいまで回復します。何度も同じ事ありました。同じ状況でも、そのまま寝たきりになってしまう人もいますが、ウチはなりませんでした。やってみなければわからない。そもそも医学で全てが解明されているわけでもなく、やってみなければわからないことで満ちているのだから。

    胃ろうもしました。その時に入院した病院の方針で、リハビリ進めるためには経管よりいいと言われたから。回復せず数ヶ月で亡くなりましたがそれは結果です。
    何が悪いのかわかりません。要は途中でやめられないという事でしょうけど、そうしておかないとハードルが下がって、病院の都合で延命をやめてしまったり、安楽死が犯罪に使われる等のトラブルに発展する恐れもあるからなんじゃないんですか?本人や真面目にやってる家族だけのせいなの?
    国の金の切れ目が命の切れ目? なにそれ?

    ユーザーID:4964842114

  • 50代様 お気をつけて下さい

    尊厳死協会は 入会して会員証を持っているだけでは
    延命治療の拒否にはなりません。

    我が家の両親は夫婦ともに会員でしたが
    入会しているだけでは、病院側が延命治療を止めることは出来ず
    私も尊厳死協会に問い合わせましたが
    入会だけでは駄目だそうです。

    本人が拒否します、という申請書を書いてやっと
    医療機関は殺人罪で告訴されることを
    免れるそうです。
    (なぜ医療機関が延命をするかと言うと
    勝手に治療を放棄したとみなされて
    家族から訴訟を起こされるからです。
    患者が口頭で言ったからと治療を止めたら
    死後、その場にいなかった家族に訴えられて
    それで敗訴した病院が結構あるんです)

    必ず宣誓書を用意して下さいね。
    会員であるだけでは、いざその時に誰も力になってくれません。

    ユーザーID:2504030592

  • 尊厳死宣言

    あらかじめ、公正証書で尊厳死宣言をしております。

    経口摂取できなくなったら、私は死にたいですから。
    管だらけで寝たきり、生きている実感も乏しい中、生きるのは嫌です。
    いかなる延命治療も拒否します。

    私が尊厳死宣言をしたのは、親の高額な年金目当てで、子供たちに生かされている方を知っているからです。
    その方は、もう何年も胃ろうをし続けています。寝たきりで、意思の疎通も難しいです。
    生きているのではありません。子供のエゴにより生かされているのです。

    ユーザーID:4246764111

  • 原則と例外を入れ替える

    胃ろうや呼吸器等の延命装置を付ける場合には、家族の特別な同意を必要とすることにすればよい、と思います。
    同意した家族は、2週間に1回、来院の上、延命装置継続許可書に押印をすることにすればよいのです。
    郵送によるサインは、特別の事情のない限り、認めないことにすればよい。2週間に1回のお見舞いもできない相手の延命を望んではいけない。
    当然、家族のいない人は、回復可能性のない状態で、延命装置を付けることはできません。回復可能性に加えて、年齢差別になるかもしれませんが、「平均寿命より上の年齢の人」という条件付きでもいいかもしれません。

    トピ主様がお怒りのケースでは、ほとんどのご家族が数か月で「もういい」とおっしゃると思います。

    現在は、延命治療をすることを原則としているのが間違いで、特別な装置による延命治療は、家族が望まない限りできない、ことにすればよい。
    その代わり、脳死のように、回復の見込みがないことや場合によっては年齢等が、厳密な判断材料として用いられる必要があると思います。

    ユーザーID:0709877103

  • 父をむりやり延命した後悔

    父は、自分の死期について考えたくなくてノープラン。
    肺癌になり、最後まで「生きたい」と(熟考はせず)言っておりました。

    いろんな治療を受け、積極的に点滴をし、いろんな薬を飲み、体をぼろぼろにしながら、命の期限から逃げようとしていた81歳でした。

    私も、その時になればそうなるのかもしれません。

    でもね。
    父の最後の最後は酷いものでした。
    死の数時間前、もう体は死んだも同然なのに、無理矢理生かしている状態なので、ぼろぼろ。痛みもはんぱなかった。苦しみもはんぱなかった。
    最後の言葉は「ころしてくれ」
    できませんでしたが…。

    意識はわりとはっきり。むりやり、濃い酸素をがーがー口にいれられ頭痛と口の渇きで口から出血。水は誤嚥防止で一切なし。モルヒネを大量にいれられて、死に向かわせているのだか生かそうとしているのか訳の分からない状態でした。
    とても「楽に、あの世にいける」状態ではありませんでした。

    そうなる1ヶ月まえに、食べ物を食べられなくなったら食べずにいてそのまますーっと、餓死、または、脱水症状で、「通常の、自然の摂理に則った」死を受け入れていれば楽だったはずだと思いました。

    ユーザーID:8904712632

  • 私なら絶対尊厳死したい

    私は独身なので特に感じますが、自力で生活が出来なくなったら尊厳死したいです。
    自殺願望はありませんが、人に迷惑をかけてまで生きる理由がないからです。

    そもそも高齢になって、愛する人愛してくれる人、密に連絡を取り合う友達、趣味は生きがいがあって、健康でお金もあるのならばいくらでも長生きしたいです。

    ですが、お金もない、身体も辛い、友達もいない、楽しい事もない、そのような状況で自分の事が自分でできなくなってきたら自分の意志で死ねるうちに死にたいです。


    私に大金があって、愛する人が病気になって、眠っている状態でもどんなにお金がかかっても生きていて欲しいと思うのならありだと思います。
    でも、税金を使ったり、たいしてお見舞いにも来ない状況で生かしておくのはおかしいと思います。

    ユーザーID:6103294441

  • 治療と延命

    本当に管をつけてでもただ生き続けたい、生き続けて欲しいと願っての延命がどれだけあるのか。
    結果的に延命になってしまった場合も多いのでは?例えば人工呼吸。治療のプロセスで必要になり自発呼吸に戻れば治療となり、結果的に戻らなければ延命になってしまう。どうなるかは医者もわからない。それでも拒否する?因みに自分の両親は戻らなかったことはないですが。退院しましたよ。

    鼻管からの栄養も胃ろうも治療のプロセスとして実施し、結果的に外せなくなるケース。ありますね。これも自分の両親はいつも一時的で自分で食べれて退院しましたけどね。
    時間はかかっても回復することもあるし。どうなるかなんて誰にもわからない。
    それが現実でしょ?それとも初めから全ての人に回復の可能性を全て捨てろとでも?

    やってみなければわからないのに、一度つけたらは外せないのは、それを悪用する人が出てくるからでしょう。
    そういう事情や経緯を全てスルーした問いかけをするトピは本当に医療関係者?
    ただ目の前の事だけを持ち出して意見を募るこのトピこそ、意義を感じませんけど。

    ユーザーID:3464421725

  • 老化で逝くことの何が悪いのかわかりません

    自然な死を迎えたいと多くの人がごく当たり前に望んでいるのに、ではそうしましょうとなると「命を粗末にしている・恐ろしい」と言われる不思議。


    「どのような状況にある人であっても明日があると信念を持つ」

    素晴らしいことだと思います。
    幾多の奇跡も生んだでしょう。
    ですがその信念は、人間の寿命の限界から目を背け「幻の命」を追い続ける結果を招いていることも事実です。

    ようはすでにハードルを上げ過ぎなんです。

    胃ろうを寝たきり高齢者にも施しているのも、世界中を見渡しても日本くらいのものです。
    ボロボロの身体を抱え、何度も死にゆくことを止められ、「苦しまないと死ねない国」なんて揶揄されているようですが。

    自分のケースは違うのだと思いたい、生きて欲しいと思うのは誰しも一緒です。
    しかし、用意されているその医療が、その回復が、本当にその人のためになるのか。
    優しい望みに囚われ、まるで年齢ノルマを課すような結果にならないように注意すべきです。


    それから、どれだけ命の尊さを語っても、私が言葉を撤回しても、国の金の切れ目が命の切れ目になる現実は消せません。

    ユーザーID:0011951959

  • とても口にしづらくて、でも

    リアルにこの事柄に関して言葉に表すのはタブーと思っておりました。しかし、目をそむけてはいられない状況になりました。

    協会の会員になるだけでなく申請書または宣誓書を本人直筆で書いておく。知りませんでした。有難うございます。

    いろんな立場いろんな意見がありますね。どの方のレスも参考になるものばかりです。自分はといえば、現実は一番大切な夫にこの事柄について何ひとつ話せておりません。タブー感が払しょくできてないようです。ざわざわします。

    ユーザーID:7413013991

  • 痛烈に感じました

    父が60代で半身不随になり、一時的に介護が主体の施設に入所したことがあります
    月額費用は40万くらいだったと思います。
    入所者の中で父は最年少、ほとんどは、体の自由がきかないだけでなく、意思疎通もできないような方でした。
    これより少ない金額で家族4人生活している現役世代が多数いる中で、もちろん、支払う能力があるから入所してらっしゃるんでしょうが、なんともやりきれない気持ちを正直感じました。
    個人負担の金額で上記ですから、健康保険などで負担している金額を含めると、社会全体で負担している金額はもっと大きいはずです。
    金の切れ目が医療の切れ目、と言ってしまうと、やはり抵抗感を感じる方が多いのはよくよくわかります
    でも、際限なく費用を突っ込めるほどの余裕が現在、そしてこれからの日本社会にあるのかというと、それは違うと断言できると思います
    少なくともある程度の期間なりを経たら、追加の延命措置はもうしないなどのソフトランディングを真面目に検討するべきなのではないでしょうか
    かなり高所得の人1人が年間に負担している健康保険よりも、延命中の方1名にかかる費用の方が高いなんて状況、続くわけがないです

    ユーザーID:3992034519

  • 二つ思うこと・・

    結果的にそうなってしまうことも多いと思うんですよね。
    私の知人(故人)で、人工呼吸器で長い期間を過ごした方がいるのですが、
    家族も、無理に生かしたかったのではないのです。
    意識が戻るかは半々で、実際一時は戻ったのですが、その後は戻らなかった。
    でも、一時でも普通に目覚めて会話できたら、また目覚めるかもと思ってしまいますよね。
    止め時なんて判りません。

    胃ろうも、自分ならしたくないですけど、
    仮に自分の親が認知症になって、食欲はあるけれど嚥下が出来ない状態になったとして、
    「おなかすいたー、おなかすいたー」
    と泣かれたら、多分胃ろうを作ってしまうと思います。

    トピ主さんへの反論ではありません。
    ただ、自分が年を経て、色々なものを見てきて、
    色々なことが複雑に絡み合っていることの方が多いな、と感じることが増えました。
    ひきこもりには、うつ病や不登校を「無理させるな、死ぬぞ」と言われて見守っていたら、結果そうなった、というパターンもありますよね。
    それは結果論なのに、「追い出せ」「甘やかしたから」「躾が悪い」というのは、世界で最も単純な言葉。
    このトピにも、そういうのを感じます。

    ユーザーID:9399938840

  • 正解はないけれど

    70歳。尊厳死協会会員です。
    10年前に亡き母と一緒に入会しました。

    その母は3年前に95歳で他界しました。
    床に臥す4か月前まで、頭も体もしっかりしていましたが、肺水腫で緊急入院してからというもの、日毎まるで体を削るように衰え、それまでがあまりに元気だったギャップに本人も私たちも当惑しました。

    入院当初は仕方ないとしても、肺の水が抜けてくると母は絶対安静が苦痛で、そっとトイレに立ってしまうことから、パジャマに紐着けられてしまったりもありました。
    病院のスタンスも解りますが、実年齢よりも元気な者には長居したくない場所だなとの感想を持ちました。

    母のしっかりしていた脚はみるみる筋肉が落ち、1ヶ月半で自力歩行に困難をきたし、それに伴い旺盛だった食欲も激減。
    以降は坂道を転げるように命の灯も細くなっていきました。

    それでも意識だけは明確だったので、一切の延命治療を本人の口で拒否。
    多臓器不全が宣されましたが、たった4か月足らずでミイラのようになって逝った母の死因は栄養失調だったと思っています。

    本人は本望でも、娘としては複雑で、我が身の時を考えます。

    ユーザーID:7910044012

  • う〜ん

    生きる意義なんて人の勝手ですよ。大きなお世話です。嫌なら他の仕事に就けばよろしい。予算はまた別の問題ではないでしょうか?自費のなんのといったって、延命をどう捉えるか、治療と延命の線引き、その他実際には難しいのでは?それより、他に予算の無駄使いもあるはず。
    延命については色々な考えもあるでしょうが、いくら匿名のネットとはいえ「生かし続ける意義」などとある意味公に言ってしまえる医療関係者が、せめて医師や看護師、ヘルパーなど現場の人間ではない事をを祈ります。最近は病院や施設の虐待もよく聞きますから。
    生きる意義なんて、誰が決められることでもありません。

    ユーザーID:3732699668

  • 国の金の切れ目が、、、

    と言うから誰のお金かわならなくなる。
    国のお金を支えているのは、働いている世代でしょう。
    さらに“お金”を“食糧”に言い換えたら、もっとリアルに実感できるのでは?
    若者と壮年の働き手たちが、必死で働いて食糧を集落に持ち帰ってきた。集落にはたくさんの老人と少しの子供たちがお腹を空かせて待っている。働き手のうち壮年の者たちは地位と既得権を利用して、実入りのいい役回りを手放さない。多くを壮年者が取り、まだ地位の低い若者は少しの食糧で命をつなぐ。そして残りを集落で分かち合う。もはや死を待つばかりの老人の胃に穴をあけ、どんどんどんどん食糧を流し込んでいる。命の尊厳だから、それを望む家族がいるから。若者は自らはお腹一杯のご飯も食べられず、そんな状態だから子供を産むことも躊躇して、この集落の子供が少ないのは、そんな理由である。いない子供の食糧は与えなくていいから、ああ助かった。そうして年月は過ぎ、若者も年を取り子供はとうとういなくなった。ついに食糧を調達する働き手もいなくなって、やっと老人に食糧を流し込むのは中止されたとさ。

    ユーザーID:5157915579

  • 全く同感です

    うちでは引き取れないし滅多に見舞いにもいけないけど生きててほしい、なんて
    あまりにも入院している家族の気持ちを考えない身勝手な願いだと思います。
    ただただ寂しさと痛みに耐えながら生きろという人がいるなんて
    それが家族の愛であるかのように思っている人がいるなんて
    ビックリです。

    私もトピ主さんと同じようにずっと思っていました。
    食べる事もできなくなり枯れるように死んでいく・・・
    それが自然ですよね、きっと。
    以前テレビでとある医師が「飢餓状態になると痛みを感じなくなる」と言っていました。
    私はそれで良い、というかそれが良いです。

    でも家族の事になるとどういった選択をするべきかは迷うかもしれませんね。
    家族と言えど自分じゃないですから。
    私自身は日頃から「延命治療だけは嫌だ」と言っていますのできっとわかってくれていると思いますが
    主人はなんだかちょっと違うのかも?
    わかりません。
    病気だって事故だっていつ襲ってくるかわかりませんから
    折に触れ話し合う事が大事ですね。

    ユーザーID:9719628661

  • 根が深い問題

    皆様の投稿を読むと 比較的多くの方が、
    尊厳死を認める ご意見のようですね。

    末期癌等で、回復の可能性はゼロで、
    死期が近い場合に 限ってみれば、
    私も、 確かに その通りだと思う。

    しかし 要件がもう少し 違う立場からは、必ずしも
    そうとは 云えないようです。

    例えば、
    ある 救命救急医の ヨミドクタの記事
    『 老年医学を学んだ救命救急医の立場から ― 救急医が台無しにしやがって……』
    ALS患者の 家族と 緊急医の齟齬の問題。

    例えば、
    『尊厳死の法制化を認めない諮問の会』のHP
    重度の障害者の介護問題。

    これらを読むと、その根の深さがわかります。
    これらの問題について 言及するだけの 素地・素養は
    私には無い。

    ユーザーID:7736431596

  • 正解はない

    命に対する問いに正解はありません。
    尊厳死も、延命も、誰かにとっては正解であり、誰かにとっては誤りなんです。

    数年前、猫を亡くしました。
    猫は死期を悟ったかのように死の半月前から食事をしなくなりました。
    足腰が弱りながらも、よろめきながらも最期まで排泄の努力も忘れませんでした。
    そして、最期、皆がリビングでテレビを見ながら談笑している中、静かに息を引き取りました。
    それは見事な幕引きでした。

    私にとって猫の死に様が手本にしたい死だと思っています。
    死に行く者として静かにそれを受け入れている様に、悲しみよりも尊崇の念を抱かせてくれました。

    死に抗う者
    死を受け入れる者
    人間の受け取り方は千差万別です。

    あなたにとってはただ生かされている命かもしれないけれど、誰かにとっては心臓が動いていてくれるだけでホッとする命なのかもしれません。

    ただ、私自身は、あの猫のように全てを受け入れ、自然に己の寿命に従いたいと思っています。

    本当に難しい問いかけです。

    ユーザーID:1793537414

  • 書類にサイン

    「食事がとれなくなった時点で尊厳死を希望する・希望しない」という選択をした書類に、本人がサインをする制度ができれば良いと思います。

    ただ、希望しないを選択した人が点滴だけで20年生きている・・・等の場合でも、家族には100%選択権はないとしてしまうと問題は根深くなりますから、やはり答えはなさそうです。

    ユーザーID:2768987068

  • 考え方はそれそれですが

    私の父は90歳で要介護4です
    トロミ食ですが 口から摂取できています
    週に一回は面会に行きます
    会話はできませんが 笑顔を見せてくれ 握手を求めてくれたりします

    ここの施設は 基本的に口から摂取できなくなったら寿命 という考え方です
    私も その考えに同意して母も妹も同意しています

    遠く離れていて行けないけれど チューブで栄養を入れていようが生きていてくれればいいという考えの人もいるでしょう
    人それぞれだからそれでいいと思います

    今 高齢となっている方々は日本の一番大変な時を命をかけて支えてきてくれた人達です

    そんな方々が心身ともに穏やかに生活していける日本であってほしいですね

    ユーザーID:4209691240

  • 感想だけですみません

    このような重い内容のトピックにレスをするのは勇気がいることですし、
    そのような現場にいないわたしが何かレスしていいものかどうかとも思いますが、
    トピ主さんの書かれている内容に少しだけ違和感を感じるので書かせていただきます。

    トピ主さんは、入院患者一人当たりに最低でも年間400万円の医療費が支払われていますが、
    本人負担は数万円から多くて1割です。とお書きになった上で、
    このお金が若者に回ることになれば社会はもっと活力のある方向へ向かうのは明らかです。
    そろそろ理性を欠いた長寿信仰をやめないと国家が滅びる、それが私の持論です。
    と書かれておりますが、ここに違和感を感じました。

    今の医療が入院患者さんたちの幸せになっているかどうかを考えることがもっとも優先される
    ことではないでしょうか。

    それを考えるに当たって
    「入院患者の方に使われる費用」の問題から
    「社会の活力」「国家の将来」の問題を合わせて同一水準で論ずる姿勢には違和感を感じます。

    私は理想論ですが「国家など(経済的に)滅びても構わない」と思います。

    実際現場に携わってもいない人間が生意気を申しました。

    ユーザーID:4719113168

  • 同感

    まったく同感です。
    私も家族にいつか意識がなくなって自分で食事がとれなくなったら
    延命しないでくれ、と言っています。
    あとは残された家族の気持ちの問題でしょうね。

    ユーザーID:7640315909

  • 死ぬのが怖い

    このトピでは実際にみとった経験や医療財政を考慮して
    無理な延命はしたくない、と言う方が多いですね。

    でも私、死ぬのが怖いんです。
    たとえ「ジョニーは戦場へ行った」のようになっても、
    自分の(多分朦朧とした)意識がなくなることが怖い。
    ひどい苦痛を味わったことがないからかもしれませんが、
    痛みは最大限コントロールしつつ、できる限り長く生きたいと思ってしまうんです。

    父を脳疾患で亡くしていて、最後は病院で管につながれて意識のない状態が続きました。
    あの状態になっても、私は生きたいと思うのです。

    延命にお金がかかって、自分の子が多大な借金をするようなら、諦めて延命中止でもいいです。
    医療技術ではできるけど、財源に限りがあるから、もう治療しない決まりです、という事なら、あきらめます。

    でも、今の制度でいいって事になってるなら延命してほしいです。
    それが現役世代に経済的負担を強いることになっても、目に見えない不特定多数からの税金なら、使って私を生かしてください、と思ってしまいます。

    醜いですが…。

    これが、元気なうちに考えた、私の終末の希望です。
    ごめんなさい。

    ユーザーID:6577009917

  • BIZENさんに一票

    よく、この投書欄でも、生きてるだけで丸儲け、なんていわれますが、こんなに多くの方の本音が、それに反している事に驚きました。

    高齢者は65歳から、後期高齢者は75歳から、となっていますが、ある年齢になったら、延命の治療はしないなどと決める事ができるのでしょうか。
    生きている価値のある人と、そうでない人を選別する事ができるのでしょうか。

    BIZENさんがおっしゃる様に、人の価値とか、生きる意義なんて、人が判断出来る問題ではないと思います。
    身体が健康で若くても、無駄な人生を送っている人もいれば、身体が全く動かない中で、天才的な偉業を遂げているホーキング博士のような方もいます。
    生きていてくれるだけで良い、と思われる人生を送っている方もいる筈です。

    生かされてでも、永遠に続く命など有りません。
    授かった命を、最後まで大切にしようとするからこその延命です。

    人を生かす事によって国が滅びる可能性があるのなら、
    もっと国の財源を見直し、無駄をなくす事を一人一人が真剣に考えましょう。

    ユーザーID:4887808472

  • 私の祖父母の場合

    私の祖父母の場合は、父の強い希望で延命をしました。

    祖父は難病だったので予め延命治療拒否の意思表示をしていましたが、父がいざとなったら思いきれず、延命治療をしていただきました。

    祖母の場合は認知症が来ていたので意思表示はなく、ベッドで寝たきりで5年以上でした。傍で見ていて、ご飯も食べられない、認知症の進行で会話もできないし、意思の疎通もできない、痛いと言って暴れたり、楽しそうなことが一つもなさそうで、私はこの状態で生きていることが残酷だな、と思いました。なので、私は延命治療はしてほしくないと周囲に伝えています。

    でも、父にとってはどんな状態であれ、祖母が生きていてくれることがうれしかったのだと思います。仕事があるので毎週末に病院に行き、童謡を聞かせたり、少しだけでも食事をさせようとゼリーやヨーグルトなどを食べさせたりしていました。

    祖母のことを思うと残酷だと思ったけど、父にとっては心の支え。とても難しい問題で正解なんてないと思います。

    私に生きてほしい、と言ってくれる人がいるのに、自分の選択で命を絶つことも残酷だと思いますし。

    ユーザーID:2096219411

  • 祖母がそうでした

    私の祖母が認知症で胃ろうで何年も生かされていました。
    父や父の兄弟は年に数回、孫達は誰もお見舞いに行きませんでした。
    正直祖母は気性が荒く元気な時は疎まれていました。
    何のために生かしていたんだろうと今思うとなんとなくわかりました。

    生きていて欲しいではなく責任を取りたくないのです。胃ろうを止めたら確実に死んでしまう。わかっていたからこそ決断できないのです。だからだらだらと生き続けさせたのです。

    結局祖母は5年以上その状態で生き98で亡くなりました。ろくに葬式もせずその後、遺産相続でもめ兄弟バラバラになりました。

    親のそんな姿を見ているので、彼らが同じようになったら延命は絶対しません。

    ユーザーID:6089834333

  • そりゃ大きなお世話だけどさ

    生きる事も死ぬタイミングも自分で決めたいよね。
    ほんと、大きなお世話。

    でも、それなら9割税金で医療施設や介護施設の職員の世話になるのも
    「大きなお世話」なんじゃない?

    なんで親のシモの世話、食事の世話、入浴や清拭をやらないの?
    遠距離なら引っ越すか呼び寄せるかすればいいよね?
    自分の生活があって親の面倒みれません、って?

    ならその人にとって「自分の時間や生活を犠牲にするほどの存在ではない」
    ってだけでしょう。
    別にそれは誰が非難することでもないし、そんな権利もないと思う。

    色々理由付けして他人に丸投げしておきながら「大きなお世話」という
    捨て台詞はないでしょうよ。

    というか、そういう人は当然ご自身で親や身内の介護されてるんですよね?
    寝たきり状態なんて機材さえレンタルできれば自宅で面倒みれるケースが
    殆どなんだから。(うちはそうでしたよ?)

    ユーザーID:9777185111

  • そりゃお金だけで議論はできないよ

    重い内容だと思います
    ただですね、現実的に、私は比較的高所得の独身で、健康保険料の負担額はかなりのものです。正直負担感感じていますが、それは今回のテーマとはまた別の話なので置いておいて。
    手元に書類がないので、厳密な金額はわかりませんが、それでも多分年間100万円には満たないくらいの額のはずです
    健康保険の主旨から言ったら、このように大きな額を負担する人もいて、幅広く皆さんに福祉を提供しようってことですよね。
    トピに記述のある「高齢者一人の方に400万円」の金額が本当に正しいのか、確認するすべはありませんが、正しいと仮定した場合、
    多分かなりトップレベルに多く負担している人複数人のお金が全部一人の高齢者に注ぎ込まれる状況で、広く社会福祉も同時に成り立つのでしょうか
    高齢者には誰でもなります。でも他人の分を十分に背負えるほどの負担ができる人って、そうそうたくさん増えません。
    感傷論だって必要ですが、そもそも持続不可能な理屈なのに、なんとかそれを信じたいという気持ちが強すぎて見誤っている面がありやしないかと感じます

    ユーザーID:3992034519

  • そうですか?

    うちは「出来るだけの事はしてください」と延命を望んだのに、医者は勝手に延命しない指示を出したそうです。後からわかり驚きました。どうせ長くはなかったでしょうが、なぜ勝手なことをするのでしょうか。今でもそういう事があるのに、安楽死や尊厳死など認めたら歯止めがきかなくなるのではないですか?
    そういう医者がいる限りは現状も仕方がない事です。予算の問題は別のところで考えるしかないですね。

    ユーザーID:9880511106

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