幕末、維新の功労者は?

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幕末、維新の功労者と言えば、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利道、木戸孝允と言われてます


が!私はあえて吉田松陰、久坂玄瑞、武市半平太を挙げたい


みなさんの思う幕末、維新の功労者は誰ですか?

ユーザーID:5099563915

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  • 吉田松陰でしょ。

     早すぎた人でしたが、その教育が有ったから、次の人が生きるわけですし。

    ユーザーID:3915374359

  • 勝海舟

    でしょうか。

    ユーザーID:4599404384

  • 大政奉還

    詳しくはないですが、「江戸幕府は終わらせようと決めた15代将軍徳川慶喜のおかげで、日本は中国や東南アジア諸国のように欧米列強の植民地になることを免れた」と先日テレビで見ました。欧米列強は国内の混乱に乗じて植民地化するというのが1つのパターンだったそうなので、大きな内戦を避ける判断をして、自分が悪者になっても、大局的に物事を見て、国の危機を救った慶喜さまに感謝したいです。

    当時の東アジア諸国のたどった歴史や今の世界情勢を見ていても、内戦というもののもたらす影響の恐ろしさというのは感じますので。

    ユーザーID:7496701104

  • 私は個人的に

    勝海舟を挙げたいです。

    ユーザーID:4367114347

  • ペリー提督。

    国内の各層が外圧を意識した結果、内政改革への契機となったと思われます。

    ユーザーID:1899565177

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  • 敢えて幕府側が多いですが

    1大政奉還を決断した徳川慶喜
    2江戸城の無血開城を実施した勝海舟
    3大政奉還を奏上した山内陽容堂(後藤象二郎)
    4第二次長州征伐を失敗させてた高杉晋作・大村益次郎
    5吉田松陰・坂本龍馬にも思想的に影響を与えた肥後の横井小楠

    でしょうか?

    ユーザーID:9278526085

  • 坂本龍馬はあり得ない

    私の中では徳川慶喜と勝海舟かな。

    ユーザーID:8461901950

  • 勝海舟ですかね

    幕臣でありながらの、あの先見の明
    あっぱれです。
    龍馬も、勝海舟がいなければ、あれ程の活躍は出来なかったと思います。

    ユーザーID:8480009619

  • 誰が何と言おうと

    それは徳川慶喜でしょう。

    幕末というと大政奉還に注目しがちですが、日本が植民地支配されるかどうかの瀬戸際だったことを見落としてはいけないと思います。

    欧米列強は火種を撒いたら内戦を待ち、国力が落ちたところを狙うんです。実際に黒船が大炎上を巻き起こし、日本人同士の殺し合いで有能な人を次々と失っていきましたよね。

    さあ植民地支配!というタイミングでアメリカは南北戦争に突入。イギリスはクリミア戦争、フランスもインドシナ出兵と、たまたま日本に構う余力が無かっただけなんです。そうでなければ日本語も和の文化も消滅していたでしょうね。

    日本という国家をどうやって守るか。それは戦の勝ち負けよりはるかに高度な知識と判断力がなければ成し得ることはできません。

    慶喜は、新政府軍との徹底抗戦ののちに何が待ち受けているかを理解していた。だからこそ民族間の衝突を避けるためにあえて「逃げた」のではないでしょうか。

    汚名を被ることで内乱は終息に向かうと計算した上での大芝居。徳川という一家系、将軍という一身分を遥かに飛び越えた視点を持つ、希有の存在だと思います。

    ユーザーID:7597214278

  • 勝海舟

    勝海舟でしょう
    幕臣も内心徳川政治の終焉に気づいていたのでしょうが
    憚る事無く幕臣で在りながら日本の将来の為に行動した勝海舟です
    幕臣以外が張り切るのは当然と言えますが
    その中で誰が自己の藩より日本を優先したかが評価の別れ目です

    ユーザーID:3929382079

  • ドラマでは悪役だけど

    徳川慶喜だと思います。

    ユーザーID:3677962898

  • 徳川慶喜と勝海舟

    将軍徳川慶喜、勝海舟伯爵
    維新後に徳川慶喜の名誉回復に力を注いだとか?
    やはり開国、海軍の歴史、功労者はこの二人でしょう。
    母は渋沢栄一さんが人物だと教えてくれましたが。

    大切なことは心と度胸と努力ですね。

    ユーザーID:9917553017

  • 勝海舟で

    私は、勝海舟を推したいと思います。

    ユーザーID:4445095175

  • 悩みますが

    大村益次郎

    ユーザーID:6850895446

  • 徳川慶喜公です。

     あの方が大政奉還をなさったから、日本は外国勢力の操作による内戦を免れ、植民地にならず、新政府に移行できたのです。

     今の日本をごらんなさい。

     薩長の子孫どもが、自分たちの既得権益を守るために汲々とし、国民が戦後半世紀掛けて蓄積した国富をグローバル化の名の下に、様々な形で多国籍企業に吸い上げられるのを、むしろ喜んで促しています。

     維新の功労者と言われた彼らの先祖も、所詮、慶喜公が身を切って用意した舞台の上で踊っただけのこと。
     彼らが真に功労者なら、子孫にも利己や保身よりも国益を真に守る気風が残っているはずです。

    ユーザーID:1630074765

  • 徳川慶喜

    倒幕側にはイギリス、幕府側にはフランスが援助。 このまま、大きな武力衝突が起これば、戦国時代+外国からの介入にて
    内乱状態。東南アジアの例を見れば、植民地化される恐れが、多分にある状況の中で、200年以上も続いた徳川幕藩体制や
    有力大名が、支配するという、千年近い歴史の崩壊を決めて、外国からの侵略を防ぐという思いで、あまり、戦わずして、
    幕府を崩壊させた。 先祖に対する申し訳なさと、植民地が避けるという狭間の中で、本当に、日本を救ったのは、徳川慶喜だと思う。

    それまでの世界ならば、徳川慶喜は、幽閉もしくは断首、徳川家がコテンパンに潰されたはずだが、幕府側の人間も
    数多く、新政府側に登用されている。日本の将来と、幕府側の人間を助けることで、徳川幕府を自ら、崩壊させた。

    これが、単純で気の強い、武闘派の将軍だったならば、本当に、内乱(戦国時代)になり、日本の体力が消耗して、
    外国の餌食になっていた可能性がある。独立国を保ち、数十年後のは、清、ロシアに打ち勝つ国の基礎は、徳川慶喜の
    賢い判断にあったと思う。倒幕派=正義 幕府=旧体制という単純な構図ではないと思う。

    ユーザーID:2139598721

  • どなたかの受け売りですが

    役割分担が絶妙だった、
    企画  吉田松陰
    既存の破壊   高杉晋作  西郷隆盛
    新たな政府構築  大久保利通 伊藤博文 
    それぞれに最適な時期に活躍できたこと、
    だからどなたか英雄とかそうでないととかは、あまり意味はありません、
    ロシアに勝てたのは、高橋是清がロンドンでお金を借りられたから、軍艦が買えた、
    イギリスは日本を使ってロシアの勢力を削ぐためだったのでしょう、
    実績のない日本に、ほとんどドブに捨てるつもりのお金が役に立ったのです、
    いまの世の中でも、企画する人、破壊する人、再構築する人は居ります、どなたが英雄とか判断できません。

    ユーザーID:4919560457

  • そもそも、功労者などいない

    明治維新と言うものは、いろいろな思惑がある人間がそれぞれに勝手なことをして、後から取って着けた大義名分なので功労者などいないと思います。

    ユーザーID:4473166329

  • 村田蔵六(大村益次郎)

    村田蔵六がいなければ、長州征討で長州藩は征伐されて、維新が起きなかったかも?
    また戊辰戦争(内戦状態)を早目に収束させて、列強各国に付け入らせず日本が独立を保てたのも村田蔵六の功績と思います。

    ユーザーID:1661592194

  • 意外かも

     しれませんが、小生は、徳川慶喜と勝海舟他の幕臣を上げたいと思います。
     彼らが変な意地を張っていたら、内戦になり、日本は、欧米の植民地になった可能性があります。
     200有余年の特権を返上する決意は、なかなか出来ない決断と思います。

    ユーザーID:2720098272

  • 当然

    > みなさんの思う幕末、維新の功労者は誰ですか?
    もちろん、徳川慶喜です。
    結果論だけど、彼の決断がなければ、内乱はもっと長期に及び犠牲者もたくさん出ていたでしょう。
    まあ、あの時代の国学思想じゃ朝敵にはなれないと思うけど。
    ひっくり返す可能性はあったでしょう。

    封建時代が終わるタイミングなんだから、反乱やテロを起こした方は、別に誰でもよかったんじゃない。

    ユーザーID:4128176967

  • 寺子屋のお師匠さん

     どれほど偉大な指導者がいたとしても、民衆の知的水準が低ければ、国家の急速な近代化は不可能であったと思います。
     その意味で、幕末に欧米の先進国を凌ぐ識字率を実現し、人々に基本的な教養を身に付けさせた「寺子屋のお師匠さん」達こそ、明治維新を準備した最大の功労者なのかも知れません。

     ちなみに、当時の高等教育機関としては、郷学や藩校がありました。
     郷学は、武士も庶民も共に入学の対象としていました。
     藩校は、武士の師弟を主たる対象としていましたが、少なからず庶民の就学を許していた例があります。また、藩校の教授が、要請を受けて村々で出張授業を行った記録も残っています。

     江戸時代中期に、大坂商人達が設立した学問所・懐徳堂は、今日で言う大学の自治に当たるものを認められていたと言われています。
     ここで学んだ山片蟠桃は、両替商の番頭だった人物(だから号が蟠桃)ですが、彼の著書「夢の代」には、コペルニクスの地動説さえ紹介されています。

     封建社会の枠組みを超えた、こうした学問の開放性を、最も底辺で支えた寺子屋のお師匠さん達に、維新の最大の功績を認めてあげたいと思います。

    ユーザーID:5883520575

  • 中岡慎太郎です!

    維新の一番の功労者は、中岡慎太郎様だと思っております。

    彼が薩長同盟のためにどれだけ走り回ったかを考えれば、当然のことかと。

    ユーザーID:4426560041

  • 功労者

    徳川慶喜、勝海舟、西郷隆盛

    ユーザーID:0534364280

  • ざっくりですが。

    オリンピックの卓球男子団体の選手の言ではありませんが、
    時代に冠絶する天才が(「天才」の二文字で片づけるのは却って失礼か)たまたま集まった結果の維新であると思うので、
    誰が功労者かと言えばまあ全員そうだ、と思うのですが、
    それも面白くないので私なりの見解です。

    幕末時代は勝海舟。
    直接的な意味合いでの「激突」は多々ありましたが、
    完全なる「内乱」「分裂」を避け、
    新生日本がスムーズに船出できたのは彼の英断があってこそかと。

    明治に入ってからは「維新」の功労者として大久保利通。
    毀誉褒貶の激しい人物のようですが、
    社会の大変革を成し遂げられたのは彼の剛腕があってこそかと。

    ま、私がそう思ってるだけで各人がそれぞれの役割を十二分にこなした結果ですので、
    異論反論喧々諤々皆様なりの見解を楽しみに見させていただきたいと思います。

    ユーザーID:0404655770

  • 陸奥 亮子

    世界で日本の立ち位置、政治の流れを変えた人物。
    維新後で少しはずれたお返事ですが

    ユーザーID:1790481566

  • やはり、それなりの地位にあった人だと思う

    明治政府樹立後の最大の功労者は、なんといっても大久保利通でしょう。

    では、幕末・維新はというと・・・・。
    龍馬、西郷、大久保、木戸、松陰、半平太は思想家や活動家でしか過ぎません。
    重大な決断や命令を下したのは、それなりの地位にあった人たちです。
    この時代の最大の出来事は大政奉還・王政復古です。これに深く関わり主導した
    地位のある人こそが最大の功労者ですので、

    ・松平春嶽
    ・山内容堂

    の二人ですね。彼らがいなければ幕末〜維新はもっともっと大混乱に陥っていた
    でしょう。この二人に続く功労者は伊達宗城かな?
    また、春嶽と容堂を補佐した横井小楠、後藤象二郎も功労者ではないでしょうか。

    ユーザーID:6455054062

  • 岩倉具視

    明治の元勲でお札になったのは岩倉具視と伊藤博文ぐらいでしょう。

    明治の初めに、岩倉を団長とした使節団が欧米に行き、それで日本の針路が決まったと思います。国内組みは次々に反乱を起こし、自滅していきます。

    やはり、一度、世界を触れた人とそうでない人とは考え方が違うと思います。

    ユーザーID:0990587614

  • 大政奉還とは、巧妙な仕掛けだったのです。

    政権を返上された朝廷は大慌て。
    なぜなら行政実務をこなす官僚もいないし、組織もない。何よりもカネがなかった。
    その一方で政権を返上した徳川家は、400万石を有する当時の国内最大の封建領主である事実は変わらない。

    大政奉還後重要な皇室儀式が予定されていたけれども、そのためのカネはない。
    朝廷は慶喜公に泣きついて、献金してもらいようやく儀式が挙行できたそうです。
    慶喜公は朝廷の内情を熟知しており、政権という虚名を捨て、徳川の実力を維持する巧妙な政略として大政奉還を実施したのです。
    彼による自己犠牲ではありません。
    彼は五摂家を飛び越えて、幼い新帝(明治天皇)の摂政ポストを狙っていたという説もあります。
    ちなみに「倒幕の密勅」の日付は、大政奉還と同日です。

    ユーザーID:1899565177

  • 重箱の隅。

    大久保利「通」が正しい。

    ユーザーID:1899565177

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