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今、話題になっている『貧困』って『貧乏』じゃないですか?

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生活・身近な話題

東雲

ごくごく簡単に言います。

『相対的貧困』
進学や就職などが、自由にならないほどの貧しさ。


『絶対的貧困』
医療費や食費も出せないほどの貧しさ。

この2つを並べて考えていて、ふと、『相対的貧困』って『貧乏』でいいんじゃないか? と思ったのです。


「貧困」という言葉を使った上で、区別しようとするから、うまく理解されないのではないでしょうか?

日本の子どもの6人に1人は貧乏、だったら、すんなり納得してもらえるような気がするんですが。

みなさん、どう思われますか?

私の目的は、現在、話題になっている「子どもの貧困」問題が、「スマホ持ってて貧困とは言えない」などと叩かれることなく、論じられるようにすることです。

「貧乏」なら最低限の生活は出来ていること、でも、物を持つことやお金がかかることに制限がかかること、というのを端的に表せると思うのです。

『相対的貧困』のことは、貧困ではなくて『貧乏』と言いましょう。
という提言をしたいのです。

何か認識不足の部分がありましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。

ユーザーID:9533542299

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  • それはどちらも、貧乏ではないでしょうか。

    『相対的貧困』『絶対的貧困』どちらも同じ貧乏ですよ。

    ユーザーID:7814418886

  • うちもビンボー

    ただの貧乏じゃあ、奨学金使えば?、で終わっちゃうじゃないですか。

    それを公的資金導入まで持っていくためには、一般人がとっつきにくい、思考を諦めさせるような類の、高尚で難解な、造語や概念やカテゴライズを持ちだすしかありません。

    正攻法で行くとどうしたって通りませんから。
    「相対的貧困」の次はわけわからない横文字が登場するだろうと予測しておりますよ。楽しみです。

    ユーザーID:5581084802

  • どうにもならない、貧乏、ド貧乏認定です!

    何かで読みました!
    貧乏と言うそうです。
    日本では物があっても、現金と教育ができないと貧乏認定だそうです。
    ついでに、そういう家庭は家も車もない、人脈もない、どうにもならない。
    ド貧乏と言っていいと思います。
    素人でも納得できました。
    貧困、あまっちょろい表現は罪つくりです!

    ユーザーID:3634528844

  • 昔は皆貧乏だった・・・

    NHKの番組は見ておらず、後で様々なサイトを見た感想ですが

    嘘か本当か、趣味に使うお金があり、ランチに行く余裕がある女子高生を「貧困」と言うのはちょっと語弊があると感じました。

    でも、トピ主さんがおっしゃるように「貧乏」と言う言葉なら少しは納得ができる気がします。

    私は50代ですが、いつも子ども達に言う言葉があります。
    「昔はみんな貧乏だった」と。
    もちろん、今に比べれば、と言う事ですが、割とそれが「普通」だったような気がします。
    貧乏が普通だから、貧乏が惨めでもなかった。
    それは「貧困」と言うほどではなかったからだと思います。

    今は高校どころか大学へ行くのが当たり前、ですが、私たちの時代には「生活が苦しくて高校すらいけない」人も何割かはいました。
    大学なんて、どちらかと言えば「行けないのが普通」でした。
    お金がなければ上の学校へは行かない、余分な物は買わない…それが当たり前だったのに。

    お金がなくても学校へは行きたい、趣味にお金も使いたい

    この人たちを「明日の食費にも困る」人たちと一緒に「貧困」と呼ぶ事には違和感を感じます。
    申し訳ないけれど今の時代は贅沢だと思います。

    ユーザーID:5139234822

  • なんだか言葉遊びのようだわ

    国語辞書的な解説がないと、"貧困"と"貧乏"の違いが分からないです。いちいち解説しないと理解されないなんて大変だし、ますます誤解や混乱を招くことになりそう。

    そもそも、私は貧乏者だけれど、あなたは絶対的貧困者ですか、って変な会話ですね。

    ユーザーID:7536867090

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  • 私の意見

    貧乏と貧困とは意味が異なります。

    貧乏とは外から見えるもので、生きて行くために自分に足りないものがあることです。貧乏に陥った場合、足りないものを補うことで救われるのです。
    それ以上は、自分が努力するしかありません。

    貧困とは、自分が他と比べて劣っている感じて自ら苦しむことです。精神的な貧困とも言えましょう。自分に無い物を探す眼差しから、有る物を見つける眼差しに変えていければ、救われます。

    絶対的貧困を物資的な「貧乏」とするならば、相対的貧困は精神的な「貧困」と言えましょう。

    ユーザーID:6395475821

  • 一字違いで大違い・・・てほどでもないか

    トピ主さんの認識不足かもしれない点は、貧困と貧乏、どう違うんだっけ、と混乱しやすいから、相対的だの絶対的だのという言葉を持ち出さなきゃいけなくなったのではないか、という可能性です。

    ユーザーID:8238971482

  • 主さんも相対的貧困の定義がおかしいよ

    「相対的貧困」と「絶対的貧困」の違いって貧乏の度合いの大小じゃないですよ。
    「相対的貧困」って、金持ち世帯から貧乏世帯まで順番に並べて、中央値の半分以下の所得の世帯のことです。
    だから金持ちの国であれば、中央値も当然高くなるし、その半分の数値も高くなる。最底辺でも年に1回は海外旅行なんて生活水準も理論的にはありえるんです。
    逆に貧困国なら中央値でさえ食べるのがやっとなんてことも世界中には現実にありますよ。
    ただ一つ言えるのは、相対的貧困層がたくさんいるということは、所得の格差が開いているということ。似た指標にジニ係数というのもあります。これは上位所得者が社会全体の富をどのくらい独占しているかを示す指標です。
    「スマホ持ってて貧困とは言えない」も「スマホ〜貧乏〜言えない」も同じじゃない?
    子供の6人に1人が主が仰るような貧乏かすらも判断できませんよ。社会全体の富を示してないのにさ。
    基礎になる所得の算定だけど、世帯所得を世帯人数の平方根で割るんです。子供は稼働してないから同じ世帯人数でも大人ばかりの世帯より貧乏で当たり前になるしねえ。

    ユーザーID:2965584142

  • 賛成です

    確かに「貧乏」のほうがしっくりきます。何が当たり前か、は時代によって変わりますし、今現在の若者や子供の貧困について語っても、高齢の方や、中年でも当時の貧乏な家庭で育った人にはぴんとこないと思います。周りと比べて貧乏である、ならば、どの時代に育った人でも、ある程度自分の経験と照らし合わせて理解できそうな気がします。

    ユーザーID:0184209843

  • まさに言葉のあや

    貧乏って言葉には、他人から言われれば蔑みが感じられるんじゃない?
    貧困は憐れに感じられる。何とかしてあげなきゃみたいな。
    貧乏と自分で言えば自虐的だけど、深刻な状況だとは限らない雰囲気がある。

    ニュースなんかで取り上げる時、「貧困問題」とは言っても「貧乏問題」とは言えないもんね。
    …で、深刻に思えず、偏見をもたらす貧乏という言葉以外で使えたのが「相対的貧困」。

    相対的貧困とか便利な言葉ですよ、ホント。ただの貧乏だと私も思う。

    ユーザーID:9169622681

  • 世界共通の概念だからでは?

    おっしゃる通り、「相対的貧困」は「生活水準が他と比べて低い」「ある国・地域の中で平均的な生活レベル(獲得収入)よりも著しく低い」という意味なので、「貧乏」とほぼ同じだと思います。それなのに「貧乏」を使わないのは、「相対的貧困」は「絶対的貧困」と対になる世界共通の概念だからではないでしょうか。

    世界銀行の定義では1日1.25ドル未満で生活している人をAbsolute Poverty(絶対的貧困層)としており、他方、OECD(経済協力開発機構)は、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員をRelative Poverty(相対的貧困者)としているそうです。

    先進国でも絶対的貧困層が存在しないとは言えない時代となり、日本の貧困問題を論議する場合もRelative Poverty、Absolute Povertyを直訳した「相対的貧困」「絶対的貧困」が使われているのだと思います。

    このトピのお陰で勉強させていただきました。

    ユーザーID:9797004287

  • お金を使う優先順位

    「相対的貧困」についてはさまざまな「専門家」と称する方々がネット・テレビ等で自説を繰り広げていますが、なんか変。

    テレビで取り上げられた女子高生の、「相対的貧困」については、スマホや高額な画材、映画やイベントに参加するチケット、外食で1000円以上のランチに使うお金はあっても、クーラーを買う、パソコンを買う、進学するお金を貯める、って
    お金はない。
    何にお金を使うかって優先順位がなんかおかしい。
    で、そのおかしさはおそらく親から受け継いだおかしさなんでしょうけれど、そこを是正せずに、「みんな専門学校に行くのに私はいけないから貧困だ。平等じゃない」という発想に行きつくのが間違っている。ただ、子供が知識不足で頓珍漢なのはあたり前にわけですから、そこは周囲の大人が介入すべきなのに、「顔を出して貧困問題を語ってくれる女子高生がいる」ってことに飛びついて放送してしまったテレビ局が一番悪いんでしょうね。

    日本の子供の6人に1人は「貧困」というのであれば、2割近くになりますので、「相対的」にみても異常な状態じゃないんじゃない?

    ユーザーID:4699531135

  • トピ立ててくれてありがとう

    私も少し前の「相対的貧困」をみて疑問を思っていました。

    きっかけになった高校生の生活をみると、我が子の生活よりはるかにいい。
    我が家は高いDVDもないしライブにも行ったこともありません。
    図書館での勉強のお昼代は300円で水筒を持って行きます。
    私のお昼は冷凍食品3品のっけたもの。水筒持参で会社へ。
    自分の趣味にかける金額はオンライン英会話3000円のみ。

    しかし我が家は「貧困」ではないようです。
    エアコンは自由に使います。PCは私のを自由に使わせています。
    海外旅行も行きますし塾にも行く。ローンのない持ち家もあります。
    世帯収入は1000万を超えています。

    彼女の夢、デザイナーになりたいのならソフト(DVDや映画)の購入ではなく
    安いPCを買ってフリーソフトでいいので画像を作る勉強をすべきなんです。

    調べれば手段はたくさんあるはずなのに周りの大人がそのアドバイスをしない。
    もしくは自分で調べない。そしてお金がないから学校へ行けないという。
    問題は全ての理由を貧困とすること。根本的に間違っていると思いました。

    貧困の人にただお金を渡しても問題の解決にはならないと思います。

    ユーザーID:2541970116

  • はい!

    わたしもまったく同じことを考えていました。

    相対的貧困、って「貧乏」のことじゃないかと。
    わたしのイメージとしては、

    貧困 < 貧乏 < ふつう < 小金持ち < 大金持ち

    こんな感じで、貧困と言うのは明らかに食うに困っている状態で、
    貧乏は、食うにはあんまり困ることまでないけれど、普通の生活は無理な
    感じ。

    だったら相対的貧困って、貧乏のことじゃないか?って。
    「俺んち貧乏だからな。普通の生活してみたいよ」って言われたほうが
    「そうだよなあ」って共感できる気がします。

    ユーザーID:6201518938

  • う〜ん、賛同はできない

    ただ安易に「貧困」を使うことに対しては賛同できます。

    だからといって、その代替として「貧乏」が適切だとは思えません。

    どちらかと言えば、私のイメージでは「貧困」がトピ主さんの「相対的貧困」としてのみ
    使われていると思います。

    「絶対的貧困」の場合には「生活困窮者」に含まれていると思います。

    「貧乏」という言葉は、若い人はどうかと思いますが差別的ニュアンスが含まれる。
    ですから、「貧乏」という言葉が独り歩きするというのは差別用語が公然化するだけ。

    私見では「貧乏」と「貧困」の大きな違いは
    「貧乏」は自称の言葉であり、「貧困」は他称の言葉だと思ってます。

    「我が家は貧乏だから」のように自分を蔑む言葉であれば構わないと思ってます。

    ユーザーID:2911250717

  • 貧乏って、時代的に使用したがらないけど

    差別的表現にはなっていませんが、メディアでも小説の表現でも、使用されにくくなってますけど。

    まあ、そのうち差別的表現として禁止されると思いますけどね。

    トピ主は、自分の主観だけで主張しないで、現代社会の流れも考慮しないと。

    ユーザーID:3215615101

  • 貧乏としなくてもわかると思うけどな

    意味はわかるが、内容はちょっと理解できない。
    相対的貧困とすると、絶対的貧困に比べて大したことないだろ?と感じさせると言いたいのかな?

    時代背景がどうあろうとも、周りと比べずとも、これだけ貧しいのは困った事だ、というような、病院に掛かれない、食べ物も買えないことと、
    衣食住はどうにか足りているが、お金がないから進学を諦めざるを得ない、ようなのは、実際違いはあるけど、どちらも貧困、貧しいですよね。

    でも。
    相対的貧困についてまで税金で国がなんとかする、ということは社会主義国家にならない限り無理だと思いませんか?

    高校までは義務教育とする、ということには必要性も意味も感じますが、ゆとりを奨めてきたのが一転、義務教育終了後も学校に通うのがスタンダードだから、塾に通うことや高校以上の進学も助成しようとか言われ出したら、ふざけんな、と私は思う。
    いや、その子にふざけんな、じゃなくてね。
    だったらその前に義務教育期間中のカリキュラムを、もっと学べるものに変えていくべきでしょ、と。

    スマホ持ってるから貧困じゃない議論は無意味だと思うけどね。

    ユーザーID:3481163101

  • 余計に分かりにくい。

    貧乏って主観的に何かが欠乏している時に使う言葉じゃないですか??
    貧困の方が客観的に最低限の需要が満たされていない感じがします。
    時間貧乏だから、移動は全部タクシーだよーとか普通に言うし、聞くし。
    100万の時計などを買った直後に、最近買い物しすぎて若干貧乏ーとか言うし聞くし。
    うーん。貧困でよくないでしょうか?

    ユーザーID:8486676717

  • 貧困は貧乏ではない

    私は、仕事を早期退職して収入がありません。
    年金を受給するまでは、貯蓄を取崩して細々と暮らしています。
    もちろん、貧乏生活ですが、貧困ではないです。
    私の息子も、低所得で貯えもなくボロアパート住まいですが、毎日楽しく好きな事をしているので、貧困とはまた違うように感じます。
    貧乏でも幸せな人はたくさんいるので、貧困とは別ではないでしょうか。
    貧困とは、貧乏の中で、もがいている人。
    相対的貧困の所得格差が原因であるところは、貧乏と呼んでもよいのかもしれませんが、貧困はそれだけではないと思います。

    ユーザーID:0922696693

  • レス

    辛い苦しい体験と強く結びついている言葉や、差別を想起させるような言葉に対しては、
    それを用いる時それなりの心遣いがあってしかるべきだと思います。

    ユーザーID:6420359801

  • 貧乏は自分で言う言葉。

    うちは貧乏だから〜。
    は自分で言うからまだいいんです。

    東雲さんちは貧乏だから。
    って私は言えません。

    私はデブ。
    私はチビ。
    私はノッポ。

    自分で言うならいいけれど、

    東雲さんはデブ。
    東雲さんはチビ。
    東雲さんはノッポ。

    誰かに言われたら嫌な感じがすることがあると思います。
    だからこそ、
    貧乏、貧困。
    使い分けていると思いますよ。

    ユーザーID:4001137118

  • 貧困

    生きるに必要なお金足りず。人間として心身に衛生的な生活は保証されているので、貧乏とは現代ないはず。収入が少ないのにローンがあるっておかしいんです。貸さないはず、収入なければ補助。

    ユーザーID:5208492264

  • なるほど!

    するどいトピにざぶとん5枚!
    わかりやすくなりますね。
    賛同します!

    トピ主様の意見だと、なにか問題ありますかね。

    ユーザーID:6056298381

  • 問題点が違う

    相対的貧困を相対的貧乏と言い換えて、何か変わりますか?

    全く変わらない。

    貴女が疑問と思うことを、もう少し率直に考えたらいかがでしょう。

    ユーザーID:3719049457

  • そもそも論

    貧乏、分かりやすくていいですね。

    でもね、そもそも、子供がどんな進学先を選ぼうがどんな就職先を選ぼうが反対せずに全ての資金をだして援助できる親の方が少ないと思うのですよ。
    家を出て一人暮らしをしながら私立大学の理系に進学したい。院まで出た後は海外の大学に留学したい。研究を続けたいから大学に残るけど給料は出ないから仕送りしてね。とか言われたらどうします?どれくらいの親が資金を用意できるでしょうね?
    ここで「うちの家庭ではそこまで出来ないわー」ってなったら、その家は「(相対的な)貧困家庭」なのでしょうか?
    違いますよね?
    どこの家庭にも「ここまでなら出来る」っていうラインがある。
    いわゆる中流家庭であっても地方在住なら東京の私立大学に進学させるのはしんどい。兄弟がいるなら尚更。だから「進学するなら国公立にしてね」ってなる。でもそれって貧困ですかね?

    相対的貧困とか言うからおかしくなるんですよね。
    進学先を自由に選べる人の方がきっと少ないのに。
    貧困っていうのは「食べるのにも困る。高校にさえ行けそうもない」ってくらいのラインで統一でいいと思います。

    ユーザーID:0188729624

  • そんなこと、みんな当たり前に知ってる。

    小学生くらいなのかな?

    ユーザーID:4734970656

  • 言葉の定義

    貧乏という言葉もまた人によってイメージに幅があると思います。
    貧乏の方が貧困よりも貧しく感じる人もいるかも。
    例えば
    貧乏は「戦後の混乱期のようにボロボロの継ぎのあたった服を着て一日にパンの耳一切れ」
    貧困は「生活保護家庭」みたいなイメージもあり得るような気がします。

    それをきちんと定義せず貧乏と貧困について議論をすると、話がかみ合わないと思います。

    「相対的貧困」「絶対的貧困」という言葉は、
    言葉を使う方も読むほうもその言葉がどんな状態を表すか
    いちいち説明したり定義を知ろうとしたりすると思いますが、
    それは面倒くさいけど、
    ちゃんとした議論をするためには必要な事なのではないでしょうか。

    このような学術用語的な言葉は、定義を明確にするために説明が必要なようになっていて、
    普通に話題にするには回りくどく感じるものなのだと思います。

    ユーザーID:6309449091

  • 差別用語は時代の流れ

    昔は、ここまで差別用語にうるさくなくて自由だったんですが

    まず身体的な事から差別用語になり、そのあと放送通信出版流通

    マスコミの発達と共にどんどん差別用語が増えていったんです。

    今では、ネットでは差別用語は別の漢字に置き換えられて表現されています。

    おそらく、あなたのいう「貧乏」も近いうちに差別用語に区分され、使えなくなるでしょう。

    このまま続けば、喋る日本語が全部差別用語に分類されてしまい

    何にも言えない世の中になるかもしれません。

    ユーザーID:7841953932

  • ええっと

    トピ主さん、せっかくネットに投稿しているのだから、
    「貧乏」と「貧困」の違いを調べてみましたか?

    貧乏と貧困は、違うんですよ。

    ユーザーID:1084123457

  • 共感します。

    貧困と貧乏を分ける。

    賛成です。

    スッキリします。

    貧困と貧乏の間にも、格差ありますものね。

    全てまとめて一括りにしないほうが、それぞれの問題に具体的に対応できると思います。

    ユーザーID:9647938910

  • 報道・行政用語としては不適当?

    そうですね。
    「高校までは通えてご飯も食べられてるけど、よそと比べると…」は貧乏って感じですね。

    「貧乏」<「貧困」<「困窮」って感じかな?

    ただ、「貧乏」は口語的で「蔑み」など別のニュアンスも混じってしまうから、
    こういうタームでは使用を避けているのかもしれませんよ。

    「貧困家庭」「困窮世帯」は中立的なタームだけど、
    「貧乏家庭」と言ったらちょっとアレじゃないですかね?(笑)

    ユーザーID:6924806335

  • どうも良くわからん!

     相対的貧困=貧乏としたら、絶対的貧困は貧乏じゃないのかな?
     どっちも「貧乏」だと思うけどなー。
     「貧困」と「貧乏」はほとんど同じ意味なので、それを使い分けるのは無理があると思います。
     言葉に対する独特の感覚をお持ちのようですね。

    ユーザーID:9540867836

  • 意味が解らない

    「相対的貧困」を「貧乏」と言い換えることで、何が変わるんですか?

    >「スマホ持ってて貧困とは言えない」などと叩かれる

    が、

    「スマホ持ってて貧乏とは言えない」などと叩かれる

    に代わるだけで本質的に何も変わらないのでは?

    そもそも「絶対的貧困」も「相対的貧困」も「貧乏」であることには代わりはないと思うのですが。

    ユーザーID:5953720571

  • 身もふたもない言葉ですねえ

    まあ、確かにねとは思うけど、トピ主さんは火の粉のかからない場所にいるから『貧乏』って
    言葉を選べるんだろうなあ。
    『おまえんち貧乏なんだろ』、言われたことあります?
    貧困だって結局、実情は同じだろと言われるでしょうが、世間から『貧乏』って言葉を
    投げつけられるのきついですよ。
    まして『こどもの』とつく場合、子ども自身の責任ではなく、また対策を講じる手段も
    本人にはほとんどないんですから。
    (高校生なら学校によればバイト可能だけど、田舎の公立普通科は長期休暇時の郵便局
    以外は基本禁止が多い)

    ユーザーID:9327841510

  • 言葉の使われてきた背景

    確かに! 相対的貧困ってわかりにくい言葉だな、と思ってました。
    「貧乏」がとてもしっくりきます。


    ただ、貧乏って古い言葉で、差別用語として用いられることも多く
    使われてきた経緯がイマイチよくない。

    貧困=やむを得ず、社会的理由などで貧しい。
       (多分に「困」の文字がもつ印象が強い)
    貧乏=物理的な貧しさだけでなく、長い言葉の歴史のなかで
       生まれを指したり、怠け者をイメージさせてきた経緯もある。

    これを考えると
    政治や報道の世界で、貧乏が使いにくい言葉であることは確か。

    ネットの世界や
    相対的貧困って言葉の補足的に使うなどすることはあるかもしれませんが
    積極的に普及させるとまた違うトラブルが起こりそうですね。

    ユーザーID:2034461617

  • 「絶対的貧困」も定義が必要です

    「昔はお茶を薬として飲んでいた」みたいな話をTVのクイズ番組等で見聞きして、昔の人は、現代人に比べて知識が無いと単純に受取っていました。

    その後、「江戸時代の日本人は、ほとんどの人が夜盲症で、夜は目が見えなかった」「原因はビタミン摂取が足りなかったから」と知って、自分の考えの足りなさを反省しました。

    そんな時代であれば、お茶には、薬としての効用が十分あったと考えられるからです。

    さて、トピ主さんの提案では

    A:その時代、お茶は、高貴な身分の人が飲むものであったから、お茶が飲めない人は「貧乏」とすべき

    B:夜盲症は、現代であれば治療対象となるので、「貧困」とすべき

    のいづれでしょうか。

    「絶対的貧困」と言っても、時代により変化するので、それ自体が定義が必要です。

    それとは別に、社会における所得再配分等の指標として「相対的貧困」を定義するのは、それなりに意義があるのではないでしょうか。

    要するに、全く違う指標と理解すれば良いのではないでしょうか。

    ・貧乏⇒乏しい
    ・貧困⇒困る

    とすれば、感覚的には分からないでもないですが。

    ユーザーID:4657214108

  • なんか、わかります!

    トピ主さんのおしゃること、わかります!
    確かに『貧困』というと、今日の食べ物にも困っている、すさまじい貧しさを想像してしまいます。
    だから、スマホを持てたら『貧困』ではないと叩かれてしまうんですよね。
    『貧乏』と言う言葉の表現する世界は、『貧困』よりも緩やかで、それでいて不足している感じがよーく表せていると思います。
    そして『贅沢』と言う言葉も、かつてはよく使っていたなあと思いだしました。
    子どものころ、我が家は『貧困』ではないけど『貧乏』でした。
    新しい服はあまり買ってもらえず、おさがりでしたね。贅沢の言えない生活でしたが、すさまじい貧しさとは違いました。
    ただ、わたしの子ども時代(30年くらい前)は、スマホもパソコンもなく、日常にかかるお金の最低レベルは違っていましたね。
    今は、スマホやパソコンも贅沢品ではなくなり、他人が当たり前に持っている物を、『貧乏』で持とうとしたら維持が難しく『貧困』と表したくなるのかもしれません。

    ユーザーID:0479258527

  • 言い得て妙

    貧乏ならしっくりくる。
    私の未成年時代も貧乏で、
    似たような感じでしたからね。
    食うに困るほどじゃないけど、
    贅沢するお金はない的な。
    外食なんて数えるほどしかないですよ。。。
    (なので、バイトしてました)

    変に名前付けるから、大げさになる。
    貧乏なんて昔からあって、
    正直6人に1人が貧乏って言われたら、
    今も昔も変わらないんだな、と思えます。

    私も貧乏で塾とか行けなくて、高校も低偏差値。
    そのせいか高校も貧乏率が高かったので、
    気にしたこともありませんでした。
    中には今でいう、絶対的貧困で学校やめる人もいましたしね。
    ちなみに、地方ではなく首都圏での話です。今から30年くらい前になりますか。

    大学は推薦とって返済義務有の奨学金で進学。
    同じような境遇の夫と結婚して、
    ハングリー精神の下、回り道はしましたが
    小金持ちぐらいまでにはなってます(笑)

    そう考えるとやっぱり、甘いなーって思っちゃうんですけどね、
    今の世の中。
    結局、最後は自分の努力でしかないのに、無償援助が必要とか、
    何目線なんだろうな、と思ってしまいます。
    基本、無償援助は絶対的貧困の家庭だけでいいと思ってます。

    ユーザーID:0202297603

  • 発想が横着

    貧困と貧乏を言い換えたら世の中良くなるんですか?
    それで誰かが救われるんですかね?

    大切なことは、貧困であれ貧乏であれ、そこからどう脱却するかを
    考えることであって、
    耳なじみの良い言葉に言い換えることでは有りません。

    ユーザーID:8144391490

  • そのままでいいと思う

    そのままの言葉でいきましょう。

    だって私は貧乏といわれると相対的ではなく絶対的のイメージです。

    トピ主さんと私の言葉の受け止め方は違います。

    よって、そのまま相対的・絶対的で考えた方がよいでしょう。

    貧乏で連想するものは人によって違います。

    私は生活保護レベルで生活がなりたたないのが貧乏、将来の選択肢が狭まる程度が貧困と思っています。

    貧乏って最低限の生活ができないから貧乏っていうんじゃないですか?

    最低限の生活ができていれば貧乏といわないのでは?

    最低限の生活ができている貧しい家庭は、要するに一般家庭層の中で貧しいというだけで、貧乏ではないですよね?

    ユーザーID:3245908189

  • 意味が違います

    貧困と貧乏とでは意味が違いますよ。
    提言するなら、もう少し勉強してからにしてください。

    ユーザーID:1442823545

  • 貧困と貧乏は同じですよ。言葉の響きがきれいかどうかの違い

    あなたの言っているのは、
    「亡くなった」を一律「死んだ」って言おうよ。っていうのに近い。

    ユーザーID:1905147712

  • 全面的に同意

     貧困に順位をつけるより、「貧困」<「貧乏」で、良いと思います。全面的に支持します。

    ユーザーID:6836648931

  • 格差社会 泣き笑い

    それは、富裕(層)に対しての貧困(層)じゃないんでしょうか?。ちなみに…
    貧乏の対義語は金持ち、ですかね?。

    現在の日本は、一億総中流社会じゃなくて、気づいたら、わたし貧乏でした社会かな(笑)。

    ユーザーID:0831305805

  • 貧乏ですらない

    貧乏も貧困も大して変わりませんよ。
    貧乏というのは食うや食わずの状態です。

    何か知らないけど、大して貧しくもないのに貧乏貧乏言い過ぎだと思います。
    だって昭和の時代よりみんなずっと生活レベルは上でしょう?
    昔の方がよほど貧しい人は多かったです。

    ユーザーID:7671435092

  • イメージですが・・

    「貧乏」・・・・・いずれ抜け出せる

             (近い将来笑って話せる程度の貧)

    「貧困」・・・・・未来永劫抜け出せない  (子々孫々)


    というイメージが、私にはあります。

    ユーザーID:7869434878

  • 貧乏じゃ公的資金を引き出せないから貧困

    すでにレスにも出てますがタイトルの通りです。

    噂の女子高生は貧乏な家だけど人並みの贅沢を諦めずに学校へ行くお金の援助を欲しい。
    でも、貧乏だと奨学金借りたらって言われて援助して貰う事が出来なくなる。
    相対的貧困なんて作られた貧困ですよね。



    >何か認識不足の部分がありましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。

    たぶん、相対的貧困と言い張る人達は本当は貧乏だってわかってると思いますよ。
    百も承知で社会のお金を引き出す為に必死で考えた造語を言い張ってるだけで。
    言葉云々でなく世の中そんなに甘くないと納得させなければ駄目と思います。

    ユーザーID:9152408040

  • ド貧乏とプチ貧乏

    これでいかが?

    プチ貧乏は死に金使いなのです。

    プチ貧乏が生き金使いになれると、年収○○円で年間100万円貯金使いに。
    さらに少額投資で老後資金確保使いに。
    さらに配当生活エンジョイ使いに。
    さらに配当金で悠々自適使いに。

    めざせ!最終進化!!

    ユーザーID:3629344949

  • 貧乏、ではきつすぎるのでは。

    ちまたで話題になっている「相対的貧困」の事例については、「貧乏」という言葉では少々強すぎるという印象を持ちます
    「余裕がない」程度が妥当なのではないかと思います

    ユーザーID:0668197068

  • 貧乏はテレビ番組で明るいイメージなりつつあるような気します

    愛のビンボーさんというテレビ番組がありました。そこで紹介をされる人達はほとんどが自分の目標や夢のために貧乏していますと言う人が多かった記憶があります。それから遡っての記憶ですが、とんねるずのテレビ番組で貧乏家の人々とかいうのがありました。あれも既にネタになっていました。あと少年ジャンプ(週刊)で桃太郎伝説とかいうゲームがでたころですが、読者のコーナーでまとめをしている編集部の口癖がボンビーでした。
    なんかビンボウは明るいイメージになってきているような気がします。

    しかし、貧困は、本人が選べない状況下で押し付けられているイメージとしてテレビなどのニュースでその言葉が出てくると、なんだか深刻なイメージで受け止めてみているんですよね、こっちは。

    ユーザーID:2103946702

  • 高校へ行けない子は何割もいなかったですよ。

    私も50代ですが当時はすでに高校進学率は95%でしたよ。
    貧乏でもとりあえず高校進学は当たり前でしたよ。
    大学短大進学は、経済的に余裕があるか頭のいい子が行くところでしたけど。

    ユーザーID:4621805448

  • 貧困ラインってあるらしい。

    「貧乏」って書くと人によっては[貧乏人]に見えない人
    もいるし、難しい問題だわ。

    ユーザーID:1399108633

  • 娯楽を節約しても

    テレビで取り上げられた女子高生の、「相対的貧困」については、スマホや高額な画材、映画やイベントに参加するチケット、外食で1000円以上のランチに使うお金はあっても、クーラーを買う、パソコンを買う、進学するお金を貯める、って
    お金はない。
    何にお金を使うかって優先順位がなんかおかしい。

    どなたかが、上記のように、おっしゃっていましたが、娯楽を節約しても進学費用には程遠くありませんか?

    ユーザーID:2660622527

  • 公的には使われない言葉

    【貧乏】という言葉には使われる状況により差別的視点が含まれる場合があります。
    また、自虐的に使われる場合は【貧困】とは意味合いが違ってきます。

    ユーザーID:9166553888

  • 困っているかどうかの違いかと思っていました

    貧乏で困っている人が「貧困」なのだと思っていました。

    私は収入が少ないので貧乏だと自認していますが、持ち家もあるし、生活には困っていませんので、貧困ではないのではないかと思っています。

    ユーザーID:0688201158

  • 言い換えるべきではないと思います

    確か、貧困って、自力でそこから抜け出せない状態のことを言うと思います。だから、社会問題になるんだと思っていました。一方で、貧乏は、自力で抜け出せる(余地がある)。

    ですから、この問題を理解している人は、貧困を貧乏と言い換えることなどしないと思います。

    うろ覚えですので、トピ主さんもよかったらお調べになれば良いと思います。二つの言葉の意味が詳しく紹介されているのではないでしょうか。

    ユーザーID:2654368346

  • 定義が違う

    貧乏は単純にお金のない状態。
    だけどまだ友達がいたり、親戚がいたりして社会と繋がれている状態。
    昔は皆貧乏だったよね。はこんな感じですよね。

    貧困はお金もないけれど誰にも頼れない状態。
    友達がいてもお金を貸してくれるとか食べ物を援助してくれるとかそういったことは少ないでしょうが
    たまにはご飯食べさせてくれたり、多少でも親が食料を援助してくれたりしてる状態は貧乏でも貧困ではないという感じ。
    情報弱者で本来受けらるはずの社会福祉なども知らないのもこっちです。

    とどこかに書いていました。

    ユーザーID:2257064726

  • にゃんこさんに同意(お金教育も必要)

    傍目に例の女子高生より貧乏な生活してて、
    でも、学校へ行く学費はちゃんとあるって家も多いと思います。
    ただにゃんこさんのような節約しても彼女は最低でも奨学金とは思いますが。
    でも、そうとわかっても何か違うな〜と思います。


    >貧困の人にただお金を渡しても問題の解決にはならないと思います。

    ホントその通りです。
    お金だけ渡しても使いどころがちょっと違うってあります。
    その使い方をきちんと調べて使う事ができない人もいますし。

    同じくらいの収入でもきちんとした使い方してるから貧乏ですんでて、
    きちんとした使い方を出来ないから貧困になるって家庭もあります。
    勿論子供のせいではないですが親を教育しないと焼け石に水と思います。


    他に目先の支出にとらわれがちっていうのもあります。
    半年分まとめて払えば安くなるけどそのお金がない低収入者程安くできなくて、
    お金に余裕のある人程纏め払いで安くできます。
    でも、人によっては定収入者でも500円貯金してでもそこをどうにかするんです。
    お金渡すだけでなくお金教育も必要と思います。

    ユーザーID:9152408040

  • レス、ポチ、ありがとうございます。

    はぁ(2016年9月26日 18:52投稿)さんのレスまで読みました。

    いただいたレスは、じっくり読んでいます。
    いろいろと思うところがあります。
    思いがけない反響をいただいて、少々、考え込んでいます。
    とりあえず、御礼だけでもと、投稿しました。

    引き続き、ご指摘いただけるとありがたいです。

    あ、ひとつだけお詫びを。

    私は1962年生まれで54歳になります。
    10歳までは、ご近所の八百屋さんから野菜くずをもらうような生活をしていました。
    「東雲さんちって貧乏だよね」と言われてきました。
    事実なので。
    言われて切ないとかつらいとか思ったことがないです。

    でも、それは、私の家が貧乏から抜け出したからで、今でも貧乏だったら、『貧乏』という言葉にとても傷ついたかも知れません。

    今回の提言で『差別された』と感じる方がいらっしゃいましたら、そこはお詫びしたいです。
    申し訳ありませんでした。

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • 確かに相対的貧困はちょっとイメージしにくいです。

    ただ、貧乏と貧困はほぼ同じ意味ですよ。

    貧乏=貧しいこと
    貧困=貧しくて生活が苦しいこと

    ちょっと貧困の方が大変そうですが。

    あなたが書いた
    進学が思ったところに行けない=高校より上の進学が経済的に難しい
    程度の貧しさは、

    経済的に「ゆとりがない」世帯ぐらいの表現でいいと思います。

    ユーザーID:7345557408

  • 貧乏は昭和の人間には逆にノスタルジーを感じてしまう

    昭和の時代に青春を過ごしていた私からすると、貧乏は身近であって、特別、悲劇というイメージではないです。
    逆にお金がなくて、四畳半一間で家族が重なりあって寝てたんだよとか、自虐的に話してました。
    が、貧困というと、どんなに頑張っても上昇出来ないという絶望感を伴うイメージですね。私には。
    ただ、例の女子高生は、今年等は高卒の就職率が高くなっているから、正社員を目指せばなんら問題ないと思いますがね。
    アニメの学校は、自分でお金貯めていけばいいのにと思います。
    ある主義主張を持った人たちに利用されてるていえば言い過ぎですかね?

    ユーザーID:3071061898

  • ちょっと違うかな

    「相対的貧困」って等価可処分所得が全人口の可処分所得の中央値のさらに半分以下という定義になるのではありませんか?

    これを「貧乏」という一般的に使われる名詞で定義してしまうと誤解を生じるからわざわざ「相対的貧困」という新しい言葉を生み出したのだと思います。

    日本だと一人の場合、相対的貧困にあたる可処分所得(税金や社会保障費を払って残ったお金)が122万円ですから、だいたい月10万円の手取りですね。

    余裕はないけど生きていくことはできるかな。住居費をかなり下げられる地方なら特にね。車の維持は無理だろうから移動手段はスクーターか自転車でしょう。

    それってまさに私の貧乏大学生時代の生活です。私は寮に入ってたので学費含めてそのくらいで全て賄えてたから。若かったしネットも携帯も無かったから出来たけど今は無理かな。

    世間話だったら「貧乏」で問題ないというのは確かであり、その点はトピ主さんに同意します。ただ、その「貧乏」は人によって全く異なっているかもしれないということには注意しておきましょう。

    ユーザーID:2191927583

  • とぴぬしさんありがとう

     私がなんとなく前から思っていたことを言葉にしてくれましたね。
     
     貧困も、貧乏も同じって人、って私は理解できません。

     アフリカの子供たち。5歳にもならない子供たちが食べ物もなく、医療も受けられずばたばた死んでいく。そんな状態は国自体が”貧困”にあえいでいる。給料前のOLが「今、貧乏だからランチはお弁当を作ってきた」っていうのと本当に同じだと思ってるんでしょうか?

     スマホはなくても生きてはいけます。昔から日本には”衣食住”という言葉がありますね。これは人間が人間らしく生きていくための最低条件です。スマホは、そのどのカテゴリーにも当てはまりませんよ。現在社会に何かを付け加えるとしたら、教育、でしょうか。でも、スマホがなくても勉強はできますよ。パソコンがなければ宿題ができないのなら、図書館に行けばいい。
     
     なくてもどうにかなるもの、もしくは、どうにかしたら代用品が手に入る状況、は決して貧困と言ってはいけないと思います。

     

    ユーザーID:6539834839

  • 「困っている」ことに共感できない人たち

    「貧困」とは、文字通り「貧しくて生活に困っている」こと。「貧乏」は、貧しく乏しい状態を表している。
    トピ主さんの目的である「貧困叩きでなく、ちゃんと論じたい」という点に応えるレスが少ないので、あえてそこに触れるなら「困ってなんかいないじゃないか」と思うから叩くわけだけれど、じゃあ「貧乏」と言い換えたところで貧困叩きがなくなってまともに論じられるかというと、そうはならないことは明らかだよね。
    叩く人は、貧困だろうが貧乏だろうが関係ない。叩きたいから叩く。なぜかはここでは書かない。というより、書くのははばかられる。
    ただ、政治家の貧困叩きは言語道断だ。子供の6人に1人が貧困という日本の現状を政治家は恥ずべきであって、貧困叩きに便乗して政治家としての責任を免れよう、貧困問題について国民が一つの意識を共有することを分断しようという態度は許し難い。
    「相対的貧困」の問題は格差や富の偏在、公平な負担と富の分配の問題と関わるのだけれども、それらの問題について国民が「困っている人」に共感し、政府・行政の責任を追及することを恐れているのだ。
    貧困叩きは政治家を助け、格差を拡大させるだけだ。

    ユーザーID:6299009042

  • 使い分け

    社会的な定義としてあるのが「貧困」、国が決めた一定基準以下の生活状態を指すのだと思います。
    「貧乏」は自分が基準。夫の収入が少ない人は「家は貧乏だから」と言います。

    ある開業医の奥さんが言っていました。「家は貧乏だから年に一度しか海外旅行に行けない」って。彼女の付き合っている人たちと比べて、彼女の夫は収入が少ないのでしょう。
    「小泉政権の時の政策『痛み分け』で年収が250万円も減った」→「貧乏になった」という理屈でした。

    ユーザーID:6672886759

  • 貧困は社会の側からの評価です

    「貧困」という場合は、「ある社会で、その社会にそんなに貧しい人が存在することが不適切であると考えられる状態」を表すのが、貧困研究などでの基本的な使い方です。「社会にあってはならない貧しさ」が貧困ですから、社会としての判断になります。

    「貧困」と判断される場合は、「あってはならない」ので、その状態を解消する支援もセットで考えることになります。貧困の基準として生活保護基準を考えると、生活保護基準以下の所得であれば生活保護費の給付が発生します。このような違いを無視して、貧困を単なる貧乏と言い換えるのは不適切です。

    で、社会として「あってはならない貧しさ」をどう判断するかについて、「これで決まり」というものはありません。トピ主さんが挙げられているOECDの基準は、国際比較しやすいように構成されたもので、各国での貧困感覚とは異なる可能性があります。

    全く違うアプローチとして、社会的生活で「他の人ができるのに貧しくて出来ないこと」を「社会的剥奪」と考え、これを貧困の基準とする考え方もあります。この考え方だと、日本で若者がスマホを持てないのは社会的剥奪であると言えるかもしれません。

    ユーザーID:0657132483

  • ふ〜ん 

    相対的貧困は、あくまで造語に思います。

    貧乏と言うと個人的で、貧困は社会問題にすべきと認識させる為に
    使い分けてるみたいに思う。

    ただ、極貧は少ないですよ。
    草食べたって聞いたら、ああ貧乏なんだって思うけど。

    うちは貧乏と言いながら、スマホ持ってランチする。
    子だくさんで生保なのに、家計はアイパッドで管理する母親もいましたよ。

    だから批判されやすいんです。
    家庭の収入が世間より少ないだけなんです。まあ、そんな人ばかりでないと思うけど。


    安易に離婚する家庭が増えたし、
    稼ぎの少ない母親になぜか子供を託すケースが多いので、
    貧困家庭が増えたにすぎない。

    昔の家庭の方がよほど貧乏だったと思う。
    でも、それでも成り上がろうとするパワーはありましたよ。

    変に憐れんで、甘やかし、マスコミなどが
    貧困家庭はずっと貧乏って決めつける方がよほど罪と思います。

    ユーザーID:3450888233

  • 高卒以上、希望するのに進学できない状況


     近頃は、マスコミ等を見ているとタイトルのような感じを受ける。
     これが、貧乏。

     他国と違い小さい時から労働で小学校にも行かせてもらえない、住むところもなく路上生活とかとは違うんですね。

     日本の言う貧困って進学関係の事を言っているんですね。

     私もこのごろ知りました。 貧困=貧乏だと思う。

    ユーザーID:3571376211

  • 単に

    言い回しの問題ではないですか?貧乏と貧困。
    デブと肥満。のっぽと高身長みたいな。
    意味は同じだと思ってますけど。

    ユーザーID:1773564684

  • 貧困と貧乏は意味が違うそうですよ

    さっと調べた所

    貧乏・・・収入が少ない
    貧困・・・生活に困っている

    って感じです。
    だから極端な話、世帯年収入100万でも住居があり食品を近隣等から
    常にもらえている状態なら貧乏ではあるけど貧困ではありませんし、
    不労所得で年収1億あっても災害等で住居等生活に必要なものを
    なくしている方は貧乏ではないけど貧困って事です。

    貧困と貧乏はイコールでない以上は言い換える事は出来ないでしょ。

    ユーザーID:4450068180

  • そもそも「相対的貧困」という言葉自体が作為的

    まずトピ主さんの考えは「貧乏」と「貧困」の言葉の違いを定義しないと分かり難い。でも考えとしては面白くて好きです。

    個人的には貧困というのは「絶対的貧困」しかないと思います。
    「相対的貧困」といっても、どこで何を比べるかによって結果が大きく変わるわけで、そもそも「相対的」に「貧困」をつけること自体が、とても作為的だと感じます。
    何が何でも誰かを貧困層にしたいのかなって。

    それなら「相対的経済格差」って言うべき。
    まあ「格差」自体が相対的に比較した結果なので、言葉としてはダサいですが。

    経済的に貧しくて健康を害するレベルだとか、子供を安全に育てられないというレベルで初めて「貧困」と言えると思います。

    私の印象だと「貧乏」は自覚して初めて表面化するレベルのことだと思うんです。個人差があって、本人が貧乏だと思わなければそうでもないというか。

    ユーザーID:3541184248

  • 先進国の相対的貧困は増す傾向に、、

    貧乏って言葉、しっくりきます。
    でも他人から言われたら差別用語みたいに蔑まれている感あり。

    貧乏からは抜け出られます、衣食住を切り詰めて学費を出した親、私は奨学金が収入が多いので貰えないという事は知りませんでした。(高校生の頃)

    先進国の相対的貧困は何かを切り詰めればスマホも持てるって事。
    絶対的貧困家庭なら電話は無料、ライフラインだから。

    今は学費がハイパーインフレですね、日本も米国も。
    大学は全員入学するところではないしネットを利用しての勉強も可の時代です。

    普通の奨学金は高額すぎだから補助金が欲しいというのは言語を習いたいけど習うクラスが無いと騒ぐ避難民(スマホ持ち)と同じレベルの思考。
    日本の福祉国家が欧州のように破滅に追い込まれないことを祈ります。

    ユーザーID:9427574630

  • 金持ちの対語が貧乏、富裕の対語が貧困

    皆さん、言葉に対する感受性が強くいらっしゃって興味深いです。

    私は単純にタイトルのことを思いました。

    ユーザーID:8364753077

  • どんな言葉にしろ

    どんな言葉を使うにしろ、基準をきちんと決めないと混乱しますよね。

    私は相対的貧困っていうものがよくわかりません。
    うちの高校3年の息子(理系)は医学部志望ですが、私立の医学部にいかせるほどの余裕はありません。
    相対的っていうのは「○○と比べたら」っていう意味の言葉ですよね。私立の医大に進学させられる財力を持った家庭と比べればうちも「相対的貧困」なのでしょうか。違いますよね…。

    貧乏というのは、かなり主観的な言葉ではないですか?
    我が家は普通の家だと思っていますが、私立医大に進学可能な家庭と比べたら貧乏です。

    主観なので、件の女子高生のように「1000円のランチを楽しめるなら貧困ではない」「いや、貧困だ」と話題になったのでしょう。

    ユーザーID:3393022588

  • 貧困層ほど肥満になる?

    米国では,貧困層ほど肥満が多い.なぜなら,いわゆる「ジャンクフード」で空腹を満たし,フィットネス・クラブに通うお金も時間もないから,という話を聞いたことがあります.

    「あんなに丸々と太っていて貧乏だなんて,どんな生活しているの!」という批判は不当だという話です.

    本当か嘘かは知りませんが,2016年9月27日付納豆さんのレスを読んで,ふと,連想しました.

    ユーザーID:2307257726

  • 巨人の星(野球のアニメ版)

    あの卓袱台(ちゃぶだい)をひっくり返すところは衝撃でした。それから中学入学で主人公が継ぎ接ぎだらけの学生服を着ていたシーンも。あれこそ貧乏、そうおもいました。
    インドでもクリケットじゃなくて野球の方をそのまんま放映すればよかったのに。

    あとこれもアニメ・明日のジョー、これも最初のシーンは凄かった強烈でした。同じキューポラの街の設定でもぜんぜん違うんだなと思いました。

    ユーザーID:2103946702

  • 良いトピを立てて下さってありがとうございます。

    皆さんの多様な解釈を拝見して勉強になりました。

    他の方もお書きですが、この二つの言葉には違いがあると思います。

    貧乏: 経済的な状況(経済資本のみ)

    貧困: 経済的な状況(経済資本)+他の要素(社会関係資本、文化資本を含む)


    また「貧乏」はより日常(会話)用語で、「貧困」はより学術用語、と個人的には理解しておりますが、どうでしょうか。

    他の方がお書きの通り、「相対的貧困」と「絶対的貧困」は英語のRelative povertyとAbsolute povertyの訳語ですが、「貧困」の方がより学術的用語であるということから、訳語として使われたのではないかと思います。

    Poorを「貧乏」、Povertyを「貧困」と訳す、とどなたかが書かれていたと思いますが、それはどうでしょうか。文章のトーンや対象読者に応じて、翻訳者の判断でどちらにも翻訳可能かと思います。

    かつて「思想の貧困」という論文がありましたが、「想像力の貧困」、「共感力の貧困」、「人間関係の貧困」、「文化力の貧困」等、経済的貧しさだけの問題ではないところに問題の奥深さがありますね。

    ユーザーID:5752174815

  • みんな理解してると思いますが

    単にあなたが貧困という言葉では分かりにくい、
    貧乏と表現すれば分かる、というだけでしょう。

    うまく理解されないってそんな話聞いたことありませんけど。
    貧困でもすんなり納得してますよ。
    あと、貧困問題がスマホ持ってても〜と叩かれることなく論じられるって、意味がわかりません。
    それを叩かれていると感じるのはトピ主であり、
    論点の一つとしての意見だとみなして論じていると感じる人もいると思います。
    貧困を貧乏と書けばこれらの意見がなくなるって、根拠は何ですか?
    自分がそうだとわかりやすいから?
    そもそもスマホ云々なんて意見見たことないし、スマホ以外にも車や着物など所持品を挙げたらキリがありません。
    スマホは叩きで外食はOKなんでしょうか?

    私はむしろ、貧乏より貧困の方がしっくりきます。
    貧乏の方が端的に表せると思うのですって、それはトピ主にとってね。
    みんながみんなトピ主と同じ言葉のイメージを共有しているとは思わないこと。

    ユーザーID:6282524168

  • 相対的貧困とは

    貧しさを表す数値じゃなく、格差を表す数値です。昔小町で書いたような気がします。

    だから、普通の貧困とは違うのです。

    そして、(可処分)所得の高い順から並べて、ちょうど真ん中の所得の半分を貧困とするから、

    もし社会主義国や独裁国家で、

    ごく少数の金持と、大多数の貧乏人が存在する国だったら、

    相対的貧困率は、低くなると思いますよ。

    そんなに極端じゃなくても、

    金持ち層と貧困層の二層型で中流が少ない国でも、低くなると聞いています。

    ちょうど真ん中の人の所得が、貧しい人よりの額になる場合です。

    欧州なんかそうなんじゃないでしょうか?

    日本は6人に一人の子供が貧困で恥と言いますが、

    相対的貧困率じゃなく、相対的貧困とされる人の所得の最高額を各国で比較しないと、

    本当に日本が危機的なのかどうか分からないよね。

    日本は、まだ高い方じゃないのかな?


    そこまできちんと説明してから、この言葉を使って欲しいね。

    ユーザーID:7345557408

  • 貧困は免罪符ではない

    「貧困」を唱えながら趣味の高額なものをたくさん購入し学費がない、だから進学できないは本末転倒。お金の使い方の優先度の問題です。そこは叩かれても仕方がないと思う。

    本当に生活を切り詰めながら教育資金を貯めている親や学生からすると?と思うのは当然。

    私自身大学時代は仕送り5万。家賃込みです。地方の4畳半トイレ風呂共同でバイトしながらやってきました。貧乏だけど貧困ではなかったし、学費を払ってくれている親には感謝しかなかった。

    パソコンは学校へ早朝行って練習。紙に書いたキーボードでエアタイプ。明るい貧乏(ちなみに女性で現在IT職)。

    だから今回の件は甘いな、としか言えない。そりゃ奨学金を使わずに進学する学生と「相対的」に「貧困」かもしれません。
    でもね、趣味や娯楽を我慢して将来のために頑張っている家庭もあるんです。

    お金の大事さを知っているから調べるしよりよい使い方を選択する。その経験値は将来も生きる。

    貧困を嘆くだけでは何も始まりません。

    ユーザーID:2541970116

  • 一億総中流時代の貧乏人から

    私もあの騒ぎを解説していた専門家の言うことに、大変疑問を持ちました。こじつけすぎてますね。件の高校生ははっきりと、貧乏でも貧困でもないです。ただ、お金の使い方について優先順位が世間とは違い、趣味、遊び>>勉学。

    私は50代、一億総中流時代に育ちながら小学生時代から家が貧乏であることは感じて育ちました。当時でも偏差値という言葉はありましたが、私は意味を知らなかったし、それが出てくるような学力テストを受けたこともありません。親は中学も出てません(昭和一桁生まれ)。夕食の材料が買えない、家に現金は千円が数枚で月末まで暮らす、とかごく普通でした。学校は公立のみです。

    現代の感覚でいったら、私のような家庭の子供が貧困、貧乏でしょう。こういう育ち方をしたせいでしょうか。趣味、遊び>>勉学の価値観の人たちを、貧困家庭の例とだされても???が浮かぶだけです。相対だろうが絶対であろうが貧しくはないです。

    ユーザーID:0760144144

  • 貧乏、貧困だけじゃない

    最近は『下流…』云々の、見出しが付いた放送や活字を見掛けます。
    いつぞやの『NHKスペシャル』で老後破産をテーマに『下流老人の漂流』の放送が有りました。

    ユーザーID:7237807148

  • 赤貧

    本当の貧乏は 赤貧と言う方がインパクトがあるかも。

    ゲゲゲの女房には水木しげるさん一家は、食事が腐りかけのバナナとか
    雑草を食べてた、冬も暖房なしだったとか。。

    戦後10年以上たって、まわりは既に「貧乏」ではなかった時代です。

    ユーザーID:1142458151

  • なんとなくわかりますが

    私のイメージですと

    貧困→贅沢もできず生活費も切り詰める状態
    貧乏→貧困も含まれるがそれ以外に
       (お金を)使いたい気持ちに収入が追い付かない状態


    です。

    ○○貧乏という言い回しがあります。
    件の高校生は『アニメ(漫画?)貧乏』『イベント貧乏』といったところでしょうか。
    趣味にお金をかけすぎて生活部分に影響が出てしまうタイプに思えます。
    あの部屋をあえて映したのは
    「こんなにアニメが好きなのに学校へ行けない!」アピールをしたかったのかもしれませんが
    逆効果でしたね。

    同じくアニメや漫画、絵を描くことが好きな娘が言っていました。
    「あれだけいろいろ買っていたらお金が貯まるはずはない。私の貯金も吹っ飛ぶ。」
    「あんなにグッズがそろっていて貧困とは思えない。」と。
    娘は
    絵では食べていけないだろうから趣味として続けると別の道を選んでいます。

    あれだけのものを部屋に揃え「貧困だ、貧乏だ」と嘆くのは心のあり方の部分です。
    言葉を変えても意味がないんじゃないかな?

    ユーザーID:0732122750

  • みなさん、ご意見ありがとうございます。1

    日本における「相対的貧困」の定義については、ネットで見られて、みなさんと共有できる学術論文を挙げておきますので、ご興味がございましたら、どうぞ、検索してみてください。

    「子どもの貧困」阿部 彩著
    ─すべての子どもの幸せのために─


    「絶対的貧困」の定義は、世界基準では、1日あたりの生活費1ドル未満で生活している人(世界銀行定義)で良いと思います。


    「一億総中流時代の貧乏人から」 ん?(2016年9月30日 5:34投稿)さんのレスまで読みました。

    「貧乏」と「貧困」の定義は、

    貧乏:等価可処分所得が全人口の可処分所得の中央値のさらに半分以下で、貧困線(統計上、それ以下の収入では一家の生活が支えられないぎりぎりの境界線)まで。

    貧困:貧困線未満

    これで、どうでしょうか?

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • みなさん、ご意見ありがとうございます。2

    すみませんが「相対的貧困」を「貧乏」と言い換えるのがダメならば、対案をお願いします。
    「人並みの生活が出来ていない」ということを、どう言えば世間に理解してもらえるのかを、私は考えたいのです。

    おじじさんの意見は「絶対的貧困」→「生活困窮」と言い換えたほうが良いということで、よろしいでしょうか?

    ひよこさん、「絶対的貧困」→「ド貧乏」、「相対的貧困」→「プチ貧乏」
    わかりやすいです。

    みどりさん、「相対的貧困」→「余裕がない」
    さじ加減が難しいところですね。

    和泉式部さん、「相対的貧困」→「ゆとりがない」
    ということで、よろしいでしょうか?

    私が子どものころは好景気の最中でした。
    なので、お金が無いことは絶望には繋がらなかったのです。
    がんばって働けば、人並みの生活は出来るようになるはずだという希望がありました。

    今は……どうでしょう?

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • 子供が「みんな持ってるから自分も欲しい」と言う。

    私の時は、ファミコンでした。
    その話出されたら、話についていけない。
    持ってないから、遊びに行った先でそれをみんながやり始めても、参加できない(気後れなど)。

    親にタイトルのことを言うと、親は
    「よそはよそ、ウチはウチ! 比べても仕方ないことをグチグチ言うな!」と。

    お金ないない言われて育ちましたが、塾とか普通に通って、教育費はスルっと出てました。
    大人になって分かったのは「そんな(無駄なことに使う)お金はない」ということだったんだな、と。
    つまりお金はあったけど、親の方で買い与える気がなかったっていう話。

    それが言えない親の元に育つと、相対的貧困が生まれるのかな、と。

    親自身が、子供より自分にお金をかける傾向も目立ってきている昨今ですから、子供の貧困というのは、「親がどうお金を使うか」でずいぶんと違ってくるのではないかと思ってしまいます。

    誰かと比べたら、誰だって持ってない。
    一番の金持ちだけが、本当の金持ち…ということに?

    お金の支援は、より必要な人にして、趣味にかける余裕がある人には「足るを知る」ということを教える…というのはどうでしょうか。

    ユーザーID:4126940080

  • 貧乏かどうかというよりも

    そもそも相対的貧困っていう概念がいらなくないですか?

    相対的っていうことは、誰かと比べているわけです。

    だれかと比べて自由になるお金が少ないっていうのは、だれが決めるわけ?

    だれとどう比較することができますか?

    やりたいこと、才能、住んでいる場所、働き方、満たされているという定義

    これらはひとぞれぞれ違うのです。

    お金がなくても豊かな人もいれば、湯水のごとくお金を使ってすり減っている人たちもいる。

    相対的貧困とか言っている人たちは、単に自分をわかっていないだけです。
    まして他社が手を差し伸べるなんてできませんよ。本当に必要なものは基準なんて設けられないのだから。
    その人たちにそのお金は本当に必要なのでしょうか。

    言葉をすり替えてもモラトリアムな若者が自立することはないです。
    むしろ居心地よくなって安住するだけです。

    ユーザーID:9943014508

  • 下流

    相対的貧困は、中央値の上か下か、という、階層分けしたときの下の方、ということだから、上流、中流、下流で、下流とか。
    下流老人という造語が既にありますし、下流家庭、下流家庭環境の未成年者でどうでしょうか。
    経済観念や食育、躾が行き届く家庭から見ると、無駄な出費や方向違いの努力も多い、その点から、単純に経済支援でなく、家庭外部からの社会的支援が必要という意味も。

    魚を与えるより釣りを教えろ、ってやつです。昔は「貧乏だけどインテリ」という枠があって、そこの出身の子弟は、金がないなりに身を立てる知恵があって、そこに進んで行けたのですが、相対的貧困の子供はそういう知恵がないですよね。親が知恵持ってないからでしょうけど。

    もっとも、これだとギスギスしそうで、相対的貧困と学術用語風に煙に巻くぐらいでちょうどいい気もします。

    ユーザーID:1257534908

  • 例によって情緒的理由でイケナイのでは?

    貧困となると「発想が貧困だ」なんて具合にお金以外にも使いますよね。

    貧乏となると、普通はそのまんまでお金の話ですから。

    テレビでキャスターが「貧乏」というと庶民を蔑んだ印象になるとか、そんな程度の理由じゃないですか。

    よくある言い換えの類と一緒でしょう。

    ユーザーID:5969875090

  • たぶん

    なぜ「相対的」なのかといえば、日本では「絶対的貧困」は存在しないに等しいからではないでしょうか?「絶対的貧困」、つまり「貧困」がほとんど存在していないからだと思います。働くことができない人は生活保護などの制度も利用できますから。

    世界的に、貧困は大問題となっています。毎日多くの人々が飢餓のために命を落としています。病気になっても治療を受けられずに亡くなる人も多いです。小さい頃から学校にも行けず、毎日何時間も歩いて水汲みをしている子供もいます。単に「貧困」と言った場合、そういう世界的な貧困をさすことになってしまうので、日本における低所得層の話をできなくなってしまいます。日本に生まれただけで、経済的に世界の上位6%に入っているということも聞いたことがあります。ですが、現在の日本では経済格差も広がりつつあり、親の所得が子供の進学にも大きく関わってきています。

    この低所得層の子供が進学する場合に高いハードルがあるいう事実が、今は問題になっているのだと思います。また、地域格差も広がっていますよね。そこで、「相対的貧困」という言葉が生まれたのでしょう。

    ユーザーID:1175287086

  • 50代専業主婦に同意。

    >「絶対的貧困」、つまり「貧困」がほとんど存在していないからだと思います。

    完全に同意します。
    (あくまで「ほとんど」であり、ゼロだなんて言ってません)

    で「貧困がないと困る人達」が「相対的貧困」についてわざと騒ぎを大きくしてるんだと思います。

    「貧困がないと困る人達」いますよね。
    政治関連、思想関連。
    政府を叩くためのただの口実だったりします。

    なので「相対的貧困」を持ち出したがる人たちは信用していません。

    ユーザーID:9465110059

  • 貧困家庭子女のやるべきこと

    以前話題になった女子学生がいましたが、何かもどかしい思いでいっぱいになりました。

    貧困家庭子女がやるべきことは、自宅から通える国立大に合格できるように自宅か図書館で
    勉強することでしょう。なぜなら自他ともに認める貧困状態なら授業料免除の制度があるからです。
    (残念ながら公立はほぼそういう制度はないですね)専門学校の内容に一番近そうな分野で
    卒業したら足がかりはできますし、それでも専門学校に行きたいなら自分で何年か働いて
    行けばいい。高校卒業時に親の資力がなくて専門学校にいけないから諦める、なんて執着のないこと
    ではいけません。

    というか、色々創意工夫の発想が出ないのが今の貧困家庭の特徴のような気がする。
    去年のノーベル賞の大村博士だって山梨の寒村の子だくさん零細農家出身で、地元の山梨大をでることで
    進路を開拓してこられたわけですから。

    ユーザーID:7071358773

  • でも、「自己責任」って怖いよ

    「自己責任論」は分かりやすいし、自分とは切り離して考えることができるから論じやすいけれど、「自己責任」ばかりが求められる社会は怖いよ。
    この先、社会保障やセーフティ・ネットの充実は期待できない。
    そんな中で、何かあったらどうにもならなくなってしまう危険性は、誰しもが抱えているんじゃないかな。
    少なからぬレスが「自己責任」を肯定しているけれど、日本がそういう社会になってしまっていいのかな。
    自己責任が強調されると、誰にとって都合がいいのか考える必要があるんじゃないかな。
    トピ主さんのリクエストに応えて敢えて「貧困」を言いかえるなら、「希望」があったトピ主さんの時代とは違って、「希望が持てないこと」かな。

    ユーザーID:6299009042

  • レス、ポチ、ありがとうございます。1

    『貧困家庭子女のやるべきこと』こまっちさん(2016年10月7日 1:26投稿)のレスまで読みました。

    日本で『絶対的貧困』に陥っている人は公的援助も拒否している人たちだけでしょう。
    生活保護申請がなかなか出来ないといったことも本当にあるのでしょうが。
    路上で死にかけている人を助けて戸籍の取得から面倒をみている人が私の身近にはいます。

    『相対的貧困』は、あくまでも日本の中では貧しいほう、ということです。
    そして、なぜ、こんなにも理解されないのか、と言えば。
    一見、貧しそうに見えないから、ですよね?

    日本では、「みんな同じ」なら、特につらいと思うこともなく我慢できます。

    夫は昭和21年生まれ、昭和36年、15歳のときに父親が亡くなり進学をあきらめて、工場に就職しました。夫の頃は中卒は「金の卵」で、東京に出てくる子はたくさんいました。

    もし、現代社会で、15歳で生活費を稼ぐために就職しなければならない、となったら、どうでしょう?
    そんな子が、身近に何人いるでしょう?

    本当は、すぐにも就職しないと生活費が足りないという状況でも、中卒で就職できる職場がありますか?

    続きます。

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • レス、ポチ、ありがとうございます。2

    余談ですが。夫は9年前に亡くなりました。娘が大学1年生、息子が高校2年生のときです。
    今は死別の場合、成績とは関係なく、緊急に奨学金を出してもらえるのですが、その制度に私が気がついたのは、期限(亡くなってから1年です)が切れてからでした。

    生活に困ったら「困った」と声を上げないと、周りの人間は助けられないんです。

    ですが。

    どこに、どう、困っている状況を、伝えれば、必要な情報や援助が得られるのでしょう?
    そして、その際、どう困ってると言えばいいのでしょう?

    ああ、すみません。
    これから援助制度を作るという話をしてらっしゃる方がいらっしゃいますが、このトピはあくまでも貧困に陥ってる家庭側から、「どう言えばいいか」という話をしています。

    「貧困」と言われると、「生活ができない状態」をイメージしてしまう人が多くて、「進学に困っている」などのことが、うまく伝わらないのではないか? 「貧乏」がいいんじゃないか? というのが、私の提案なのですが……。

    何かこう、こう言われれば、窮状がすんなり伝わるよ? という言葉はありませんか?

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • そもそも私のイメージする貧困は、食うに困るだけではない

    私は貧困家庭の秀才なのというセリフ、映画「ある愛の詩」にもありましたし、私は、貧困というと食うに困るレベルのみではないとイメージしますよ。

    相対的貧困の家庭においては学校に通うお金が不足しているのに、一見すると貧しく見えないために自分からそれを告げて助けを求めないと助けてもらえないという事を言いたいのかな、と読みました。
    でも、言わないのに助けてあげるべきなのですか?
    どう察しろと言いたいの?
    もしくはなにも言わずとも、世帯の年収やら税額でこの家庭にはお金がなく子どもは高校までしか出られまい、と判断し、そうなると自動的にお金を振り込んであげるべきとの考えなのか?

    でも、そういう家庭のためには既に奨学金などがあるのではないの?
    それくらいは受け身してないで欲しいわ。

    ずば抜けていないと無理でしょうけれど、奨学金で通う貧困家庭の秀才、という言葉は耳にします。
    上の学校に行けなくて辛い思いをするのが嫌ならば、ずば抜けてみるか、日頃のお金の使い方を考えるか、それで足りない分は奨学金を自分から取りに行ってほしい。

    国にそこまで手を貸してもらいたいなら、せめて能動的に動くべきだと思いますよ。

    ユーザーID:3481163101

  • 役所に行けばよい

    ああ、トピ主さんはそういうことを言いたかったのですか。
    それならば、こういうことです。
    大抵の役場・役所には「生活相談」の窓口があります。
    借金で困っているとか、けがや病気で働けずに生活が苦しいとか、生活上のさまざまな問題について相談に乗ってくれます。
    トピ主さんのレスにある奨学金の件についても、相談すれば制度の存在を教えてくれたでしょう。
    実際、私も身内の借金問題について相談されたときに、本人に「役所へ行って相談しなさい」とアドバイスし、役所で紹介された弁理士によって借金を整理しました。
    役所は敷居が高いと思われがちですが、全くそんなことはありません。
    そもそも役所の職員は公務員ですから、自治体の住民の奉仕者なのです。加えて、身内や知り合いに相談するよりも、問題の解決方法は多く持っています。
    トピ主さんが言うような「上手く伝わらないことを心配する」ということなら、時間をかけて相談すればよいのです。
    「貧困」を「貧乏」と言い換えるというより、まず必要なのは、国(お上・行政・自治体)の世話になるのはよくないことという考えをやめて、困ったら公的な機関に相談することです。

    ユーザーID:6299009042

  • 子供の貧困に限れば

    やはり学校との連携が必要ではないでしょうか。義務教育では家庭訪問などを通じて、家庭環境や経済状態を第3者である教師が把握して、学校側と情報を共有できます。義務教育化している高校でも、3者面談など教育システムや公的援助について知識のある先生と相談する機会はありませんでしたか?デモするより、誰か窮状を知る第3者に相談しやすい環境がほしいですね。

    家庭では、PCに触る機会がない、買えない ―>図書館で共有pcを使わせてもらう。
    進学に必要なお金に不安が −>奨学金や公的援助の情報を教えてもらう。
    塾に行かせられないので、子供の学力が低いと思う −>教師から見て本当に学力が低いのか。もしそうであれば、どんな対策があるか訊く。

    問題は、生活保護や公的援助が望ましいが親が子供の教育について無関心である場合ですね。親の楽しみ、たとえばギャンブル、オタク趣味に使う金はあっても、子供を食べさせたり、教育用品を買うために使う金はない。
    私ごとですが、女の子に教育は必要ないと親から言い渡されたのが私です。上の学位は自分で働いたお金で進学して取りました。当時は、誰に相談したらいいか、まったく判りませんでした。

    ユーザーID:0760144144

  • 収入

    困っていることを伝えるのが目的なら世帯収入と預貯金、持ち家があるかどうか位を言えば大体わかりませんか。
    年収200万以下とか非課税世帯とか。
    家族構成と年間所得○万円以下という言いかた(低所得者という言い方はしていますね)がいいと思います。

    もちろん持ち家があるかどうかとか地域差とか個々の事情によって違いは出てきますが、大体はわかります。


    相対的貧困という言葉を広める報道にはうんざりしています。
    そうやってマスコミによって価値観を植え付けられていると感じます。

    今どきスマホぐらい持ってないと、進学しないと「普通じゃない」。

    少子化で破綻しそうな学校がたくさんあるから進学させたいんですかね。

    ただ、まともな食事は給食だけといった児童がいるそうなので、最低限の衣食住に事欠く世帯というのは貧乏より貧困のほうが伝わりやすいと思います。

    ユーザーID:8727103522

  • なんかかなり話が違ってきた。

    役所に相談。その通りですよ。

    児童委員という人も地域にはいます。

    又、学校でも相談できるでしょう。

    いろいろな制度についても、

    その土地土地の広報紙で必ず知らせているはずですよ。



    日本が自己責任の社会?

    ちょっと勉強不足じゃないですか?


    日本のメディアは、足りないことを糾弾ばかりして、

    きちんと

    こういう制度があります、ああいう相談窓口がありますという話を、

    なぜもっと報じないんでしょうね。


    貧困問題を政争の具にしてはいけませんね。

    だから、もうすでに救済制度があるのに、

    自己責任社会がどうのという頓珍漢な議論になるのですよ。


    まぁ、救済制度も国民の税金で賄っていますから、

    青天井ではないですが。


    文句を言う前に、調べ下さい。

    日本人は受け身すぎですよ。

    ユーザーID:7345557408

  • 困った事があれば役所

     細かく言えばいろいろ管轄があると思いますが
    役所に行ってSOSを出す事が一番ではないですか?

     私の住んでいる所では困りごと相談を受け付けてますよ。
    相談はご近所とのトラブルとか細かい事をいろいろと例をあげています。
    あと、子どもの貧困に対しては学校や役所の福祉課が動いています。
    生活保護家庭など。後は田舎なので周りの方からの話など…。

     でも、実際は困っていても『困っている』と言えない人はたくさんいると思います。
    それをどうするか。が問題たとは思います。

     私が思うに『貧乏』はお金が無いけど、衣食住には困っていない?
    自分達の収入でどうにか生活できる。
    『貧困』は文字の通り、貧しくて困っている。
    自分達の収入では、衣食住の何かかまかなえず困っている。
    と言う状況ではないかと思います。
     

     

    ユーザーID:6649024726

  • 小中学校にきちんと通ってないのがまず…

    トピ主さんの場合は、お子さんが大学生と高校生で、中卒の父とは環境が違うのですから、母親が奨学金制度に気づく前に子供たちが自分で気づけよという気もしなくもないです。
    お子さんがた、お父さん亡くなって、自分等の学費大丈夫かなあとか思わなかったのかな。


    子供の貧困は、だいたい子供が学校にきちんと通ってないですよね。
    学校に行っても寝てたり、授業に集中できなくて聞いてなかったり、保健室にいたり。せっかく授業で教えていても、参加せず、記憶せずじゃ、そりゃね。

    アニメーターになりたい若者は、個人でアニメ作品収集するより、たとえ飯スタントやお手伝いさん程度でも、漫画家のアシスタントや出版社でバイトしたり、アニメ関係を扱う書店でバイトすりゃいいじゃんね?
    高校や大学の漫研も情報交換にはいい場所だし。回し読みしたりしてさ。
    自分の若い頃は、皆そうしていたけどなあ。

    ユーザーID:1257534908

  • 自分達にも責任あると思う

    トピ主様のケーズに限っては。


    死別なら成績と関係なく奨学金出して貰えるって知らない人も多いと思います。

    でも、大学行ってる娘さんいるんですよね。
    そのくらいどこか相談できる機関はないか調べられるのでは?
    大学生ってそんな事も出来ないレベルなんですか?



    >どこに、どう、困っている状況を、伝えれば、必要な情報や援助が得られるのでしょう?
    そして、その際、どう困ってると言えばいいのでしょう?


    小町で聞いたら良かったのでは?
    9年前なのでなかったかもですが他にもこの手の掲示板ありますし。

    ずいぶんのんびりした母親だと思いますしそれは子供の責任ではないです。
    でも、こんな事すらできない人が親になったのがそもそもの間違いでもあると思います。
    自己責任ではないですがトピ主様に問題を感じます。


    そして、成績と関係なく奨学金出して貰えるっていい事っぽいですが、
    奨学金は返さなければならないお金です。
    3流大しか行けなかったり成績よくなかったりでも借りてしまって返せるのでしょうか?
    成績良ければ高収入とは決まってませんが成績悪い人はそれ以上に高収入にはなれません。

    ユーザーID:9152408040

  • 言葉の問題じゃないし

    >「貧困」と言われると、「生活ができない状態」をイメージしてしまう人が多くて、「進学に困っている」などのことが、うまく伝わらないのではないか? 「貧乏」がいいんじゃないか? というのが、私の提案なのですが……。

    何かこう、こう言われれば、窮状がすんなり伝わるよ? という言葉はありませんか?


    と言ってますが言葉の問題じゃないと思います。

    高校で学費に困れば担任の先生、大学なら学生課?で相談すれば奨学金の事くらい教えてくれます。それですんじゃう話だと思います。

    生活は出来ても学費に困ってるのは同情されにくいのが納得いかないようですが、
    大学行けないとどこへも就職できない訳でも人生終わった訳でもないですから仕方ないです。

    ユーザーID:9152408040

  • 和泉式部さん、言わんとする(目指す)ところは同じだと思います

    初めに訂正。前回のレスで「弁理士」とあるのは「司法書士」の間違いです。
    さて、私も日本にはさまざまな救済制度があるのは知っています。私自身も高額医療費で補助制度を利用しました。諸外国に比べても救済制度が充実している部分はあると思っています。行政やマスコミは制度の周知を図るようにすべきですし、国民はどんどん利用すればよい。
    ただ私が危惧しているのは、最初のレスにも書いたように、政治家が責任逃れとして「自己責任」を強調するような傾向があることです。そういう傾向のためかどうかは分かりませんが、こと「貧困問題」については自己責任を強調する風潮があるのではないかという、私の印象を述べました。
    日本が、現在すでに自己責任の社会かどうかというよりも、そういう傾向・風潮は怖いなということです。もともと日本人は公的援助のお世話になるのは恥ずかしいこと、避けるべきことという意識が強いと言われます。現状は生活保護の対象者が増えていることを考えると、恥ずかしいと言っていられない窮状があるのでしょう。
    社会保障の充実は望めそうにないとなれば、政治家・行政はそれから目を逸らせようとするのではないですか。

    ユーザーID:6299009042

  • 自己責任の境界は

    貧困でも貧乏でもいいのですが、スマホ持ってて貧困とは言えない、の意味は、

    貧乏なくせにスマホ持ってたら、食べたり着たり、学校で勉強するお金が足らなくなって、成人したときに一人前に働ける健康で教養ある大人になれないのは、当たり前だろ?

    優先順位が違うんじゃないの?

    誰だってわかる優先順位を守らないで、将来苦しむなら、それは自己責任じゃないのか?

    ということですかね。


    でも、子供に限っては、この普通の大人や、普通の教育力をもつ家庭に育ったら常識として理解できることを、機能不全の家庭に育てば身に付けられないだろうし、それは子供の自己責任なのかという点で、子供の貧困は研究され、援助の手が必要とされてきたのが昨今じゃないのでしょうか。

    機能不全の家庭に育った子供が歳だけとれば、さらに取り残され、そういう大人になるし、今度は彼らを救済する手段が求められることになるでしょうね。
    既にニートの高齢化とかどうするって感じだしね。


    悪循環を断ち切る方策から考えないとですが、そこは政治家や学者の考える政策や社会福祉なんじゃないかな。

    ユーザーID:1257534908

  • 本当のどん底の子供の貧困はあります。

    なぜテレビはあれを取材したのか?と思っています。

    その前に取材すべき子供達がいます。

    機能不全な家庭で育っている子ども‥。

    児童虐待とも言えますが‥、緊急を要する問題ですよ。

    夕飯がお菓子とか、下の兄弟の世話をしていて学校へ行けないとか。

    自分の姉の子供の世話をさせられているなんて場合もありますよ。

    姉は夜遊びで帰ってこない‥。

    親が薬物中毒とか、

    激しい男出入りの母親の新しい恋人と不仲で家に居づらいなんて場合も。

    もちろん、逆の性的虐待もあります。

    こういう家庭はなぜできるのか? こういう親がなぜできるのか?

    もっと深刻な問題なのに、なぜかテレビでは取り上げないですね。

    結局、自由気ままに生きるというメディアお薦めの価値観に、

    何らかの疑問を投げかけることになるからでしょうか?


    それでいて、お金をよこせという話だけ取材。

    そして、この手の問題を取り上げ、疑問を呈すると、

    なぜか、自己責任と言いたいのか!という論点ズラしが待っています。

    ここの所が本当は一番大事ですよが。

    ユーザーID:7345557408

  • ポチ、レス、ありがとうございます。

    「自己責任の境界は」も(2016年10月12日 12:52)さんのレスまで読みました。

    私が納得いかないのは「子どもの貧困」が無かったことにされかねない「風潮」です。

    「誰だってわかる優先順位」「優先順位が世間とは違い」「何にお金を使うかって優先順位がなんかおかしい」といった、お話も出ています。

    貧乏したことが無い方々なのだろうと思います。
    お金が無かったら「連絡手段の確保」は最優先です。
    昔のように、アパートに呼び出し電話が付いてることもありません。
    公衆電話もどんどん撤去されています。
    固定電話より格安スマホのほうが、維持費も安いです。

    電話も出来ずに、どう社会と繋がればいいんでしょう?

    ちなみに、うちの子どもたちは父親が死んだとき、2人とも「学校辞めて、就職する」と言いました。止めたのは私です。夫の悲願だったんです。自分の子どもを大学に行かせるのが。

    貧乏人が親になると子どもが苦労しますね。確かに。
    貧乏人は子どもも産めないんですね。
    常識が無いから。

    現在「子どもの貧困」が叩かれているのは、そういうことですよね?

    貧乏だと子どもを産んではいけないのでしょうか?

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • ???

    最初のトピと2016年10月12日 23:34 のトピ主さんのレスが全く結びつかないんですが、一体何を言いたいんでしょうか?

    もう一度整理してみてもらえませんか?

    ユーザーID:9465110059

  • 続き‥

    よく機能不全の家庭は貧困の連鎖から起きるという人がいます。

    貧乏だから機能不全になると。

    正直、これこそ金持ちの偏見ですね。

    もちろん機能不全の家庭には貧困家庭が多いですが、

    そうとばかりは言えません。

    私はそういう親達を実際に知っています。


    親は資産家なのに、その子どもはなぜか放蕩暮らしの末、

    結婚しても機能不全家庭しか築けずに、

    孫たちは貧困に苦しむ。


    親は飲食店などを営み、お金はたくさんあるが、

    全くまともな子育てができないで、

    孫たちは貧困に陥っている。


    こんな例だって結構あるのです。

    決してメディアでは取り上げませんが‥。


    だから、私は子供の貧困がお金で解決するとは全然思えません。

    それどころか、支援したお金が焼け石に水という例も、

    見てきています。


    そういう話が一向に世間で取り上げあられないばかりか、

    取り上げようとする人の口をふさぐ風潮があるので、

    ネットで細々と書いているのですよ。


    政治目的の貧困話では子供は救えません。

    ユーザーID:7345557408

  • 冷静に議論できないとぴ主さん

    意見の異なる人たちを説得するためには、冷静かつ辛抱強くないと主張している本質も聞いてもらえないです。とぴ主さんの最新レスでは、すでに切れてしまっている様子。初めのとぴの趣旨とはずいぶんと違った印象です。

    子供の貧困の件は、成人にたいする生活保護と同じ話だと思います。必ずしも裕福とはいえない納税者からのお金をそういった方たちが人間らしく暮らすために使う。私だってそうあってほしいです。

    少し前に、生活保護費をパチンコなどの遊行費に真っ先に使ってしまう人が、支援に値するか否かという話題がありましたね。とぴ主さんは、心情的にこういう方たちに身銭を使うことに喜びを感じますか?法律ではどうあれ、私には納得できません。

    低所得者の定義は、実の生活レベルとは違うときが多々見られます。母子家庭の多くは親、独立した子供などから、経済的に支援されているからこそ生活が成り立っているのではないですか?お金は無尽蔵には使えないから、優先順位をつける。これが遊行費や趣味優先では、支援必要なしと判断する人が多数派だと思います。

    ユーザーID:0760144144

  • 変です

    >最初のトピと2016年10月12日 23:34 のトピ主さんのレスが全く結びつかないんですが、一体何を言いたいんでしょうか?

    まったく同意します。

    >このトピはあくまでも貧困に陥ってる家庭側から、「どう言えばいいか」という話をしています。

    ここから、えって感じ。第三者からの呼び方を議論してたのではないの?みんな分かりました?

    ユーザーID:4139496576

  • 貧困は政治の産物ではないのか?

    貧困対策は政治の案件です。日本の子どもの6人に1人が貧困という現実は、個人の責任では説明がつきません。明らかに政治の失敗であり、社会的な問題です。
    トピ主さんの「『子ども』の貧困が無かったことにされかねない」という主張は、自己責任という形で貧困が封じ込められてしまうことへの危機感でしょう。
    「子どもが貧困に陥るのは親がだらしないから」という考え方によるならば、少なからぬ日本の親はだらしないことになってしまいます。自己責任論の怖さは、国民が自己の問題として考えることを放棄するばかりでなく、貧困状態にある人を萎縮させることにあります。せっかくの救済制度を利用する機会を奪いかねません。トピ主さんの提案する「貧乏」という言葉を借りるならば、「貧乏になったのは親のせいであり、政治に助けを求めるのはお門違い」という意識を持たせてしまうのです。
    政治は結果であるなら、子どもの6人に1人が貧困という結果を、政治家はどう受け止めるべきなのでしょう。この数字の解釈は様々かもしれませんが、現実は格差が存在し、その格差を埋めるための政治的努力はなされているのかという疑問を持つ人々も少なくはありません。

    ユーザーID:6299009042

  • お金持ちはね

    私は貧乏したことはありません。お金の苦労をしたことはありますが、それを世間様のせいにしようと思ったことがないから、貧乏だ(だから支援しろ)と思ったことがないのです。
    トピ主さん、お金持ちのこと、苦労もなくお金持ちだと思ってませんか?
    遊んでてお金が降ってくるわけありませんよ。不労所得なんて言葉もありますが、才覚がなければ資産なんてすぐ潰してしまいます。ほんとに働かないでお金なんて入ってくるわけないですよ。
    中間所得層で安楽に暮らしている人もそれには理由があるんです。働けるときにしゃかりきに働いて、先の備えのために今我慢をしているからです。何もかもを満たせるわけはありませんから優先順位を考えています。
    貧乏人は優先順位を考える道具(知恵)が不足しているのでしょう。
    貧困を貧乏と言い換えたら、自分から手を挙げなくても社会の方から助けてくれるんですか?最低限手を挙げるくらいの知恵はなくてはどうにもならないです。
    貴方のトピを拝読し、社会にどうにかしろと文句つける方向ではなく、自分はどう出来るか考える方向に思考回路を転換することを貧困家庭の子供に教育することが根本解決に思えました。

    ユーザーID:9194162171

  • ポチ、レス、ありがとうございます。

    「お金持ちはね」あらまほし(2016年10月15日 12:30)さんのレスまで読みました。

    みなさん、いろいろな角度から、ご意見をくださってありがとうございます。

    >>目的は(中略)「子どもの貧困」問題が(中略)叩かれることなく、論じられるようにすることです。(トピ本文)
    >>納得いかないのは「子どもの貧困」が無かったことにされかねない「風潮」です。(2016年10月12日 23:34)

    自分では繋がった主張だと思っているのですが……。
    自分の頭の中にあることを全部書いたら、たぶん2万字くらいはいくので、できるだけ短く書いています。説明不足の部分があるのでしょうか?

    収入によって区別するのも、わかりやすいでしょうか?

    高所得者層=年収1000万円以上
    低所得者層=年収300万円以下

    こんな定義でいかがでしょう?

    個人宛ですみません。
    ん? さん
    >>心情的にこういう方たちに身銭を使うことに喜びを感じますか?

    こちらがすることは「税金を払う」ということだけで、払った税金を何に使うかは政治が決めることです。
    なので「身銭」とか「喜びを感じたい」とか思ったこともないです。

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る
  • 高所得者層は年収2000万円以上だと思います

    私はそう思います。

    読売新聞の大手小町をさっき閲覧していたのですが、アラジンのストーブという記事でこう思いました。

    アラジンのストーブは部品までネットショッピングで閲覧することが出来ます。
    とてもシンプルで壊れても部品が出てくるのです(でもこれを手に入れたとして私の場合直すときは修理屋に持って行くとそう思います)。

    あれで思ったのですが、新製品がどんどんあふれてくるように出てきます、過去には考えられないものまで実現化して現在は当然の日常の必需品になっているものまであります、そして新機種として毎年衣替えする様に新しいのが出ています。

    追いつくわけがないです。こっちは限りある資産と収入の身です、追いつくわけがないです。

    便利なものが増えてきたけど、だんだん、暮らしにくくなっては「いる」よなと思います。

    ユーザーID:2103946702

  • ポチ、レス、ありがとうございます。

    次々と新製品が出て、購買意欲をあおっている一方、古い物を大事に使おうとしても、部品が製造されなくなったりしていますよね。

    ユーザーID:9533542299

  • トピ主のコメント(8件)全て見る

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