それってどうなのか?

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そらら

ひと

初めて投稿します。
私の感覚がおかしいのか・・皆様にお尋ねしてみたいと思いどうぞよろしくお願いいたします。

主人についてです。
主人は父親の事をとても尊敬していて(もう既に亡くなっております。)たまに口にするのですが、「親父の子供に生まれて良かった」「尊敬している」との言葉を私に言います。
頻繁にではなくたまに言います。
そう思えることは本当に素晴らしいことだと思います。

そんな主人にこの前話しの中で(少し言い合いになりかけた時がありその時)「お父さんの命日知ってるの?」と聞くと「知らない」と言います。
そんな事はどうでもいい。
何を思い出に残してくれたかが重要と言います。
一瞬「はっ?」「この人は何を言ってるのだろう」

ちなみに実家に帰った時も別にお仏壇に手を合わせたりしません。

何回忌とかそういうのもどうでも良いそうです。
お坊さんのお経もどうでもいいようです。
(ありがたいお坊さんなんかいないという考えかたです。)
(お坊さんは金儲け的な存在にしか思っておりません。)

私は何回忌とかも意味のあるものだと思っていますし亡くなった人はお坊さんのお経で亡くなった後行けるところに押し上げてもらっていくのだろうなと思っています。

話しをもとに戻しますが、親がなくなり尊敬し大好きだった人なら尚のこと普通に命日って覚えていませんか?
仮に親のことが嫌いであったとしても命日はすぐに言えるし覚えているものだと思います。

「それって何かおかしい!」というと「別におかしくない!!」の一点張りです。
親のことが嫌いで命日なんか知らないならまだ分かるのですが。
皆さまこの考え方どう思われますか?

ユーザーID:1517881696

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  • 現実的な話として

    実家を遙か昔に離れ、親が亡くなってから何十年と経つと、つい命日を忘れたりします。
    私も親はとても尊敬し、いまだに感謝していますが、時が経つと、そんなものと言えばそんなもの。

    ご主人のように、お坊さんを毛嫌いしてる訳でもないし、命日も一応は覚えてるから、ご主人に全く共感するわけではないけど、法事や命日をそんなに重要とは思わない点は、そこまでおかしいとは思わない。

    別にあなたの考えも間違えではないし、これは価値観の違いではないですか?
    どっちがおかしいと決めるのはやめましょうよ。

    ユーザーID:1658268412

  • レスします。

    胸につまされます。
    当方も亡き父親を尊敬し、敬愛し、目標とするものです。
    しかしながら命日「?」、何回忌「?」です。
    それもこれも、未だに、そして一生、彼(父)の前では「庇護される子ども」のままなのです。
    老いた身体や、何を言っているか解らない言葉や、それに困る母親を見ることのなかった、所詮私は「子どものまま」なのです。このトピをみておおいに恥じ入ります。

    もういなくなってもいいよ!と、思えるくらいその人の人格が無くなる「老い」。
    それを遺さなかった父親は、ある意味罪です。

    でも、だからなのでしょうか、私は父を追って止まないのです。
    夫様が「オレのおやじは〜」などとえらそうしたら、頭はたいてください。

    そういっていられるのは、本当は悲しいことなんだよ!と言ってください。
    母が介護になってから、迷惑かけて死んでいくことの意味を、遺された身として解り始めたところです。

    ユーザーID:6801959874

  • ご主人側です

    命日は、覚えていないよりは覚えていた方がいいでしょうね。
    でも、誕生日やクリスマスと同じで、意味がないと感じる人もいます。
    私もそうです。

    トピを読んだ印象では、私はご主人側に近いです。
    死んだ後、ないがしろにして良いとは思いませんが、
    生きている間にどれだけ助けとなれたか、そちらの方が遥かに重要だと思っています。

    私も父を亡くしましたが、生前は看病に手続きにと、かなり尽くした方だと自分では思います。
    (それでも、悔いはたくさん残っています)
    その私は、父の命日をおぼろげにしか覚えていません。
    仏壇は、夜に膳をそなえる際に手を合わせる程度です。掃除は定期的にしています。
    法要は、とりあえずやっている感じですね。

    死んだ後、儀礼的なことで張り切る人は嫌いです。
    生きている間はろくに助けもしなかったくせに、死んだ後に美化して、泣いたり褒めたりする人も嫌い。
    大切なのは、生きている時、どれだけ助けとなれたかどうか、だと思います。

    ユーザーID:1607131137

  • 覚えてません

    ご主人の考え方に全面的に賛成。
    命日より故人との思い出、まして坊さんやらお経やらそんなのはどうでもよく、私の死後子供たちが命日を覚えていなくても、何も思いません(そもそも死んだら思うこともできないけど)。

    あなたのように考える人がいてもちっともおかしくないけど、その逆の人がいたってそれもまたちっともおかしくないですよ。

    ユーザーID:1384323633

  • 別では?

    命日というのは宗教によるものですね

    宗派よる様々な設定と親を尊敬、愛してるという事実とは、別ものではないでしょうか??

    ユーザーID:4842736726

  • ご主人派です

    ご主人の言う通りだと思います。

    そして、あなたがおっしゃっている>お坊さんのお経で亡くなった後行けるところに押し上げてもらって行くのだろう、、、とは思っていません。亡くなった後いつどこに行くかは亡くなった本人次第ですから。他人に依存しているような人は高い所には行けないと思っています。お坊さんもただの人。中には人格を疑うような人もいますから。お墓も命日も仏教の風習であり、そこに亡くなった人はいないし、まあ命日が亡くなった人に祈りを届ける日と考えれば悪くはありませんが、いつでもどこでもそれは出来るということなんです。

    ちなみに私も父の命日が4日だったか5日だったかよく覚えていないのです。でも、その月のその日頃になると父のことをよく思い出して、心の中で祈っています。

    ユーザーID:9334039578

  • 人には人の考え方がある

    もしかしたら私は少数派なのかもしれませんが、ご主人よりです。
    命日はギリギリ覚えてるのですが、仏壇にはほとんど手を合わせませんし、
    何回忌…というのもまったくしてません。
    そもそもお坊さんを呼んだりしなかったです。
    うちの父がご主人と同じ考え方をしていましたしね。

    なくなった日とか、法要とかよりも、
    父親との思い出が、父親との絆がすべてだと私も思います。

    お坊さんのお経で押し上げてもらう…というのも、仏教を熱心に信仰している人が
    思うことかなと思います。
    もしキリスト教だったら?…というのは屁理屈かもしれませんが、
    世の中にたくさんの宗教があるように、またないように、
    トピ主さんにとっての常識がほかの人にそっくりそのまま通用するとは
    言えないのです。

    親の命日が何かの試験にでも出るというのなら覚えなくちゃいけないかも
    しれませんけど、
    まあ自分の場合は親がなくなっていることを受け入れられていないので
    命日もなんだか覚えていたくない気持ちではあります。

    ユーザーID:9138792779

  • 命日より誕生日かな

    私は、ご主人寄りかな。
    私も亡くなった父のことは大好きで、今でも思い出すだけで泣いちゃうほどなのですが、仏教の思想は信じていないので、お線香をあげるとか、法事を営むことが供養とは思えません。実家の仏壇の写真を見るだけで涙が出ちゃうので、申し訳ないけど、お線香もあげたことはありません。それよりも、毎日思い出すことが供養だと思ってます。
    命日は、人生一番の悲しい日なので忘れられないけど、むしろ父の誕生日の方が懐かしい思い出の日として心に刻まれてます。人それぞれなんでしょうね、ご主人もいろいろ考えてるのかも、理解してあげて。

    ユーザーID:6420157701

  • 関係ないと思いますよ。

    年忌法要やお墓参りなどの先祖供養、日々の仏壇へのお参り。こうしたことを大事な習慣としている家庭はあります。そういう家庭は親を敬う気持ちと先祖供養が合体するのですね。

    ご主人は、ご先祖様に手を合わせる習慣のない方のようです。

    だからと言って、親への尊敬の気持ちや感謝の念がない訳ではないのですよ。

    先祖供養と仏教的、あるいはスピリチュアルな考え方が合わさっているのが、多くの日本人の感覚だとは思います。

    けれど、そこは家庭の文化の違いも大きいのです。

    ご主人の自分の父親に対する思いは、ご主人の心の中にあります。

    あなたが「は?」の一言で否定するのは失礼極まりないことですよ。

    先祖祀りは心の中にあるものです。「千の風になって」の歌の気持ちでいいと思います。

    ユーザーID:5704935821

  • ご主人を支持

    私も亡くなった母を尊敬しています。
    出来るものならば、今の私と同い年の母と話しが出来たら楽しいだろうと
    想像したりします。
    命日は覚えていますが、仏教徒ではないので何もしません。
    海に散骨(両親が希望していました)しましたから
    お墓まいりもしません。
    むしろ母の誕生日に母のことをあれこれを思い出します。
    母の娘に生まれて幸せでした。
    ご主人の考えと同じです。
    色々な考え方があると思います。

    ユーザーID:4370146428

  • 男の人って…

    別に世の中の全てじゃないけど、男の人って、記念日やら誕生日やら命日やらという節目の日付を覚えてない人って多いですよ…。
    別にご主人の意見に賛成ってわけじゃないですよ。
    ただ、ご主人は「お父さんを尊敬していた」という思い出だけを美化しているんじゃないでしょうか。
    実際、尊敬だけされるお父さんなんて いやしないと思います。
    でも、亡くなって思い出になったことで、諸々の不都合な部分だけ都合よくご主人の頭から消え去ったんですよ。
    つまり、ご主人は自分に都合の良いことしか覚えない人間ってことなんでしょう。
    そういう人に意見するだけ無駄です。

    ご主人のお父さん発言は寝言だと思って「はいはい、ヨカッタネー(棒読み)」と流した方がいい。
    突っ掛かった所で、ご主人は都合悪いことは全部忘れるんだから。

    ユーザーID:7116117880

  • 私はあなた寄り

    ご主人が父親を尊敬できるのは幸せですが
    一般常識というものはあるのでは?と思いました

    家族の命日は普通は知ってるもんじゃないの?

    仏壇に手を合わせないっていうのはポリシー云々以前に非常識だと私は思います

    でもご主人は頑固で変わり者っぽいからあなたが自分の意見を言っても
    受け入れてくれなさそう

    お気の毒です

    ユーザーID:5143922020

  • どちらも正解

    こんにちは。
    アラフィフ女性、3年前に父を亡くしました。

    私は、トピ主さんもご主人も、どちらも間違ってはいないと
    思いますよ。
    命日や法要をする事が大事と思う主さんと、
    それよりも思い出の方が大事と思うご主人。

    ご主人が、お義父様の事を大事に思ってらっしゃるなら、
    それが一番のご供養かもしれません。

    私は、命日や法要を大事に思う方ですが
    来たくない人はたとえ身内でも来なくても良いし、
    来て欲しくない人は呼びません。

    お義母様は、お義父様の命日はご存知なのでしょうか?
    もしお義母様が法要を大事に思い
    執り行うならば、主さんは参加すれば良いですし
    ご主人が「行かない、必要ない」とおっしゃるなら
    私なら「あらそう、じゃあ私だけ行って来るわね」と
    ご主人にお留守番してもらいます。

    法要や命日は、故人を思い偲ぶ日。
    お経で故人を慰め、身内で「あいつはああだったなあ」と
    思い出すのも良し、
    独りで「親父はああだったなあ」と思いを寄せるのも良し。

    私は、どちらでも良いと思っています。
    まあ、お墓があるのにほったらかし、というのは
    賛成出来ませんけれどもね。

    ユーザーID:9135187961

  • 別におかしくないような

    うーん難しい話しです。その人それぞれの考え価値観の問題です。供養とは亡き人を、忘れないでいる事です。世界中に沢山の宗教あります。色々やり方違います。そう、決め付けなくてもと思います。但し墓参り・お仏壇の御参りくらいして欲しいですね。尊敬していたなら。

    ユーザーID:9881038926

  • トピ主がおかしい

    日本人なら皆同じ考えだと思いますか?
    そんな訳ないでしょ。
    一番大事なのはいい父親だったという事実。
    形式よりも心。

    ユーザーID:4219152298

  • 割とご主人寄りかも

    父が五年前に亡くなりました。
    命日ですが、○○年○月 ← ここまでは覚えています。
    でもその後の日にちが12日だったか13日だったか、毎回忘れます。
    私は3人兄妹の末っ子ということもあり、多分一番父に可愛がられました。本当に父との思い出はたくさんあり、次 産まれ変わることがあるなら、また父の子に産まれたいです。本当に本当に大好きで尊敬しています。今でもふとした時、父に守られてる感があります。命日でなくても度々お寺に行ったり、実家のお仏壇に手を合わせています。
    だから私にとって、12日でも13日でもどちらでもいいんです。きっとそのへんは父も笑って許してくれてると思います。
    私は、ご主人寄りの考えかもしれません。

    ユーザーID:8055344602

  • 形式など、どうでもいい。

    私は完全に、ご主人寄りですね。
    格好良くて大好きな父が亡くなって10年。
    今でも子どもたちに、父の自慢をすることがあります。

    私の兄弟達も、父のことが大好きで尊敬していますが、
    何回忌など、何もしていませんね。
    命日は亡くなった翌年だけは覚えていましたが、今はうっすら覚えている位。

    何かの折に思い出しては、格好良かったな〜と思ったり、子ども達に話したり…
    いつも自分の近くで、見守ってくれてる気がしているので、
    父のことをよく知らないお坊さんが絡む行事なんて、どうでもいいことですね。

    そういえば、母も父のことが大好きで、こんなに素敵な人はいないのよーと、
    いまだに私達に言いますが、仏壇もないですね。
    もちろん、お線香もあげていません。
    形式ばったことは、どうでもいいです。
    いつでも、そばにいるのだから、命日や仏壇の前は特別ってことはないです。

    ユーザーID:4583659023

  • 余計なお世話です

    亡くなった人をどう想おうと、人それぞれだと思います。
    何回忌とか、仏教に興味がない私にもほんとにどうでもいいし、仏壇に故人がいるなんて思ったこともありません。
    仏壇に手を合わせることほど無意味なことはないと思っていますよ。

    命日については、、、私もあまり覚えない方ですね。
    実の親を亡くしてないからわかりませんが、もしかしたら、あまりに悲しい日は忘れたいのかもしれませんよね。
    そこをしつこくつつく主さんの神経の方がどうかしてると思います。

    どうなのかと言われれば、ご主人のような人は珍しくないし、そこにこだわる主さんの方がデリカシーに欠けると思いますね。

    ユーザーID:8141173052

  • 孝行は生きている間に

    供養って、亡くなった人のためと言うより、
    残された遺族のためにあると思っています。
    亡くなった方を偲び、自分の気持ちに区切りをつけるため・・・

    命日がそんなに大事なことでしょうか?
    亡くなった人のことをいつでも思い出し、懐かしみ、尊敬できるといえる
    御主人の中で、お父様は生き続けられるのです。

    >はお坊さんのお経で亡くなった後行けるところに押し上げてもらっていくのだろうなと思っています

    命日だけ思い出して形だけの供養をした方が立派とでも言うのでしょうか?

    私は親の命日は覚えては居ますが、御主人派ですね。
    仏壇やお墓に亡くなった人が居るわけではない
    そのような物体にしかよりどころを得られないのか
    御主人のように心の中によりどころがあるかの違いですね。

    仏壇で手を合わせることを否定しているわけではないですよ
    私も手をあわせますから
    供養の仕方は色々あるのでは無いでしょうかね。
    夫婦といえども口出し無用
    御主人の親のことですからね

    ユーザーID:6929033659

  • 別におかしくない

    私も親の命日は正確には覚えてません。
    誕生日は覚えているし一緒に過ごした思い出はしっかり覚えてます。

    亡くなった肉親をどのような存在として記憶に残しているかはその人それぞれの価値観です。
    命日を大切にするのも法要を欠かさないのも良いことでしょう。
    でもそういうことに拘らない人もいるのです。
    私の親も拘らない人でした。
    人の価値観が自分と違うというだけでおかしいと言ってしまうのは視野が狭いだけです。

    先祖を大切にするのは大事なことだと思いますが、その偲び方は一つの決まった型に捕われるものではありません。

    私の場合、母が長く意識も無くそのまま死んで行った日付には思い入れがないんです。
    命日を覚えていたら故人のことを大事に思ってるなんてこともないですしね。
    仏壇の中に母はいませんし、自分の心の中に母はいます。
    私は全くご主人と同じ価値観です。

    ユーザーID:2152252709

  • 人間って色々です

    トピ主さんの感覚がおかしいとは思いません、というより普通でしょう。
    ただし、色々な人がいるので故人となった親を深く尊敬あるいは敬愛して
    いながら命日を覚えていない者がいても不思議ではないです。
    ちなみに当方はまったく好きでなく我が人生の反面教師程度に考えていた
    父親の命日をよく記憶しています。
    旦那さんの云う「何を思い出に残してくれたかが重要」という考え方も
    一理はあるし、お経をよむお坊さんを金儲け的な存在にしか思っていない
    のは当方も同じです。
    トピ主さんは記憶力のいい人なのでしょうが、親の命日は覚えているもの
    とは限らない思います。

    ユーザーID:2937663768

  • 50代女性です

    とくにおかしいこととは思いません。トピ主さんにはトピ主さんの考え方があるように、ご主人にはご主人なりの考え方があるだけです。どちらが正しくて、どちらが間違いであるか、ということはありません。

    思うに、ご主人は無宗教に近い考え方なのではないでしょうか。だから、父親にたいし個人として敬意を持っているけれど、宗教儀式などには重きを置いていないということでしょう。おそらく、形式にはこだわらず、心のなかで父親のことを思いつづけるのだと思います。一方、トピ主さんはまず形式を大事にするタイプだと思います。葬式や法要など、宗教儀式を行なうことこそ、故人にたいする敬意を表わすことだと考えているのです。故人を悼む様式がご主人とトピ主さんで異なるというだけです。

    要するに、どちらが正しいか、あるいはどちらが普通か、という問題ではありません。二人とも正しく、互いに互いのやり方を尊重すべきことだと思います。だから、トピ文を読んで、トピ主さんにこそ、「はっ!」「この人はなにを言っているのだろう」と感じてしまいます。人の考え方を自分の基準に合わせて批判する、トピ主さんの考え方がおかしいと思います。

    ユーザーID:6412445171

  • それは宗教観の違いなのでは

    私は特定の宗教を信じている者ではないですが、根底には仏教的な考え方があるとは思っています。父方は浄土宗で、小さい頃からお盆や法事の際にはそのやり方に則って祖母や祖父の供養をしているのを見てきたけど、自分が死んだら可能なら海とかに灰をまいてほしいなぁ、とか思ったり。(お墓にいれられたくない)

    命日のことも言われてみれば私もあまり気にしてないです。
    祖母のことはとても好きだったけど、何日に亡くなったか、そういえば覚えてない。
    季節だけは覚えています。

    命日を覚えていないことが罰当たりだなとは考えたことがありません。
    私もトピ主さんのご主人に近い考え方だと思います。

    仏教的に輪廻転生を信じていて、いろんな生物の一生をめぐっているんじゃないかとかは、思います。

    >亡くなった人はお坊さんのお経で亡くなった後行けるところに押し上げてもらっていくのだろうなと思っています。

    こういうのも、思ったことがないな。
    個人的には極楽浄土は人間だけの場所じゃないと思ってるから(笑
    だからお経あげてもらってない生き物も等しく、死んだら人間だろうが動物だろうが「魂」みたいのが集合してるかなとか思います。

    ユーザーID:3568137849

  • 受け入れられていない


    尊敬するお父様が、亡くなったという現実を受け入れる事ができていないのではないでしょうか?

    私は、仕事柄、亡くなった方のお骨を拾うのに立ち会うのですが...、

    亡くなった方と、結びつきが強ければ強いほどお骨を拾う時、立ち会わない方が多い傾向にあります。

    本当は、ご命日も回忌日も知っても認める事は出来ない...

    まだ、どこかでお父様は生きているのでは?
    と、ご主人さまは思っていらっしゃる。

    これだと、命日を知らない?と言いますか受け入れられない事に説明がつくのでは?と思います。

    ユーザーID:3389314275

  • う〜ん

    私も命日は覚えてませんね。
    でも、故人を好きであったり、尊敬していましたよ。

    宗教的な話になっちゃうなら、二度とレスしませんけど
    私はご主人の事をおかしいと思いません。

    トピ主さんの価値観の押しつけの方が窮屈に感じますね…

    ユーザーID:7719922029

  • 自分の考えが全て一番正しいと思わない方がいいと思います

    ご主人が父親を尊敬する気持ちが一番大切でしょ?
    命日だから覚えていて当然!おかしい!とあなたの価値観を押しつけておかしいと騒ぎまくっていることの方がおかしいと思います。
    覚えている方がいいけれど、覚えていても心の中でどうでもいいと思っているよりは、心の中で供養の気持ちを持っている方が断然良いと思います。

    あなたの文章からは、自分とは違う価値観の人を徹底的におかしいと決めつけて自分の考えを押しつける強引さがグイグイ感じられてとても不快に感じます。

    ユーザーID:8796899397

  • 夫婦でも他人

    夫婦といえども他人なので
    夫は夫の価値観でいい。
    あなたは命日を大事にしたらいい。
    そのことについては
    今後一切話合わないこと。
    相手を尊重するとは
    こういうことです。

    ユーザーID:9559068479

  • そんなものでは

    うちの主人もそうですよ
    義母の事を尊敬し超が付くほどのマザコンですが
    誕生日も命日も覚えていません
    法事にも興味はない

    だから大事に思う事と別物なんだと思います
    小さいころから仏壇に向かう習慣がないと
    拝んだりしないかも
    私は義母の命日も誕生日もしっかり覚えているけど
    義母に対して思い入れがあるわけでもなんでもないです
    大好きでもないし尊敬もしていない
    必要があるから覚えているだけです

    ユーザーID:6803637398

  • それは別物でしょう

    主さんは、ご自分の価値観をご主人に押し付けようとしていませんか?

    亡き父親を尊敬していることは、もう変えられません。
    それで、尊敬する人の命日を知らないからって、どうして非難されることになるのでしょう。

    ご主人の心の中には、いつも尊敬する父がいる。亡父には何よりの供養だと思いますけど?
    お仏壇に手を合わせること、回忌の法要など、弔い事に関する価値観は個々に違います。
    命日を覚えていないことを悪いことのように言われても・・
    覚えていないことを普通じゃないと決めつけられても・・

    私は、長男夫と結婚し、夫実家で姑と完全同居です。
    本家なのでもちろん仏壇もお墓もあります。
    別居の頃は、義家に帰省するとお線香をあげたりしていましたが、同居してからは全く手を合わせることはないです。

    同居してから、仏事なんてどうでもよくなりました。
    それでバチが当たっても構いません。
    私の死後は、火葬さえしてくれれば葬儀も読経も戒名も何も要りません。

    きっと、信仰心に厚い方々には非難されるでしょうね。

    ユーザーID:4651048988

  • 命日・・・

    父が50代で亡くなって30年
    父の命日に久しぶりに実家へお参りに行ったら母が「今日は何の用?」と・・・
    母は父にベタ惚れって周りにも言われてたし私も信じてたけど
    30年もたったらそんなものかぁ、と(母はまだ認知症ではありません)

    超マザコンだと思っていた夫は、母親の誕生日も知らないし命日の月日どころか、何年だったかも思い出せません。
    昨年の秋、父親が満100歳で亡くなったのですが、すでに日にちを忘れています。
    満百歳だと言っているのに、生まれた年がわかりません(西暦ならすぐわかるでしょ?って思うのに・・・)
    私は文系で数字にはめちゃ弱く、夫は理系なので得意だと思っていましたがそれとこれとは別のようです。

    私は50年も前に亡くなった祖母の命日も覚えているしその時の状況すら思い出すこともできます。
    でも、それ以外の祖母の思い出は全くありません。
    好きではなかった祖父の命日も近くなると必ず思い出すし、誕生日ですらざわつきます。
    従姉妹が亡くなった日も高校の同級生が亡くなった日も覚えています。
    でも、それを偉いと思ったことはありません。
    自己満足なセンチメンタリズムだと思っています。

    ユーザーID:8486526674

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