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  • 割とご主人寄りかも

    父が五年前に亡くなりました。
    命日ですが、○○年○月 ← ここまでは覚えています。
    でもその後の日にちが12日だったか13日だったか、毎回忘れます。
    私は3人兄妹の末っ子ということもあり、多分一番父に可愛がられました。本当に父との思い出はたくさんあり、次 産まれ変わることがあるなら、また父の子に産まれたいです。本当に本当に大好きで尊敬しています。今でもふとした時、父に守られてる感があります。命日でなくても度々お寺に行ったり、実家のお仏壇に手を合わせています。
    だから私にとって、12日でも13日でもどちらでもいいんです。きっとそのへんは父も笑って許してくれてると思います。
    私は、ご主人寄りの考えかもしれません。

    ユーザーID:8055344602

  • トピ主がおかしい

    日本人なら皆同じ考えだと思いますか?
    そんな訳ないでしょ。
    一番大事なのはいい父親だったという事実。
    形式よりも心。

    ユーザーID:4219152298

  • 別におかしくないような

    うーん難しい話しです。その人それぞれの考え価値観の問題です。供養とは亡き人を、忘れないでいる事です。世界中に沢山の宗教あります。色々やり方違います。そう、決め付けなくてもと思います。但し墓参り・お仏壇の御参りくらいして欲しいですね。尊敬していたなら。

    ユーザーID:9881038926

  • どちらも正解

    こんにちは。
    アラフィフ女性、3年前に父を亡くしました。

    私は、トピ主さんもご主人も、どちらも間違ってはいないと
    思いますよ。
    命日や法要をする事が大事と思う主さんと、
    それよりも思い出の方が大事と思うご主人。

    ご主人が、お義父様の事を大事に思ってらっしゃるなら、
    それが一番のご供養かもしれません。

    私は、命日や法要を大事に思う方ですが
    来たくない人はたとえ身内でも来なくても良いし、
    来て欲しくない人は呼びません。

    お義母様は、お義父様の命日はご存知なのでしょうか?
    もしお義母様が法要を大事に思い
    執り行うならば、主さんは参加すれば良いですし
    ご主人が「行かない、必要ない」とおっしゃるなら
    私なら「あらそう、じゃあ私だけ行って来るわね」と
    ご主人にお留守番してもらいます。

    法要や命日は、故人を思い偲ぶ日。
    お経で故人を慰め、身内で「あいつはああだったなあ」と
    思い出すのも良し、
    独りで「親父はああだったなあ」と思いを寄せるのも良し。

    私は、どちらでも良いと思っています。
    まあ、お墓があるのにほったらかし、というのは
    賛成出来ませんけれどもね。

    ユーザーID:9135187961

  • 私はあなた寄り

    ご主人が父親を尊敬できるのは幸せですが
    一般常識というものはあるのでは?と思いました

    家族の命日は普通は知ってるもんじゃないの?

    仏壇に手を合わせないっていうのはポリシー云々以前に非常識だと私は思います

    でもご主人は頑固で変わり者っぽいからあなたが自分の意見を言っても
    受け入れてくれなさそう

    お気の毒です

    ユーザーID:5143922020

  • 男の人って…

    別に世の中の全てじゃないけど、男の人って、記念日やら誕生日やら命日やらという節目の日付を覚えてない人って多いですよ…。
    別にご主人の意見に賛成ってわけじゃないですよ。
    ただ、ご主人は「お父さんを尊敬していた」という思い出だけを美化しているんじゃないでしょうか。
    実際、尊敬だけされるお父さんなんて いやしないと思います。
    でも、亡くなって思い出になったことで、諸々の不都合な部分だけ都合よくご主人の頭から消え去ったんですよ。
    つまり、ご主人は自分に都合の良いことしか覚えない人間ってことなんでしょう。
    そういう人に意見するだけ無駄です。

    ご主人のお父さん発言は寝言だと思って「はいはい、ヨカッタネー(棒読み)」と流した方がいい。
    突っ掛かった所で、ご主人は都合悪いことは全部忘れるんだから。

    ユーザーID:7116117880

  • ご主人を支持

    私も亡くなった母を尊敬しています。
    出来るものならば、今の私と同い年の母と話しが出来たら楽しいだろうと
    想像したりします。
    命日は覚えていますが、仏教徒ではないので何もしません。
    海に散骨(両親が希望していました)しましたから
    お墓まいりもしません。
    むしろ母の誕生日に母のことをあれこれを思い出します。
    母の娘に生まれて幸せでした。
    ご主人の考えと同じです。
    色々な考え方があると思います。

    ユーザーID:4370146428

  • 関係ないと思いますよ。

    年忌法要やお墓参りなどの先祖供養、日々の仏壇へのお参り。こうしたことを大事な習慣としている家庭はあります。そういう家庭は親を敬う気持ちと先祖供養が合体するのですね。

    ご主人は、ご先祖様に手を合わせる習慣のない方のようです。

    だからと言って、親への尊敬の気持ちや感謝の念がない訳ではないのですよ。

    先祖供養と仏教的、あるいはスピリチュアルな考え方が合わさっているのが、多くの日本人の感覚だとは思います。

    けれど、そこは家庭の文化の違いも大きいのです。

    ご主人の自分の父親に対する思いは、ご主人の心の中にあります。

    あなたが「は?」の一言で否定するのは失礼極まりないことですよ。

    先祖祀りは心の中にあるものです。「千の風になって」の歌の気持ちでいいと思います。

    ユーザーID:5704935821

  • 命日より誕生日かな

    私は、ご主人寄りかな。
    私も亡くなった父のことは大好きで、今でも思い出すだけで泣いちゃうほどなのですが、仏教の思想は信じていないので、お線香をあげるとか、法事を営むことが供養とは思えません。実家の仏壇の写真を見るだけで涙が出ちゃうので、申し訳ないけど、お線香もあげたことはありません。それよりも、毎日思い出すことが供養だと思ってます。
    命日は、人生一番の悲しい日なので忘れられないけど、むしろ父の誕生日の方が懐かしい思い出の日として心に刻まれてます。人それぞれなんでしょうね、ご主人もいろいろ考えてるのかも、理解してあげて。

    ユーザーID:6420157701

  • 人には人の考え方がある

    もしかしたら私は少数派なのかもしれませんが、ご主人よりです。
    命日はギリギリ覚えてるのですが、仏壇にはほとんど手を合わせませんし、
    何回忌…というのもまったくしてません。
    そもそもお坊さんを呼んだりしなかったです。
    うちの父がご主人と同じ考え方をしていましたしね。

    なくなった日とか、法要とかよりも、
    父親との思い出が、父親との絆がすべてだと私も思います。

    お坊さんのお経で押し上げてもらう…というのも、仏教を熱心に信仰している人が
    思うことかなと思います。
    もしキリスト教だったら?…というのは屁理屈かもしれませんが、
    世の中にたくさんの宗教があるように、またないように、
    トピ主さんにとっての常識がほかの人にそっくりそのまま通用するとは
    言えないのです。

    親の命日が何かの試験にでも出るというのなら覚えなくちゃいけないかも
    しれませんけど、
    まあ自分の場合は親がなくなっていることを受け入れられていないので
    命日もなんだか覚えていたくない気持ちではあります。

    ユーザーID:9138792779

  • ご主人派です

    ご主人の言う通りだと思います。

    そして、あなたがおっしゃっている>お坊さんのお経で亡くなった後行けるところに押し上げてもらって行くのだろう、、、とは思っていません。亡くなった後いつどこに行くかは亡くなった本人次第ですから。他人に依存しているような人は高い所には行けないと思っています。お坊さんもただの人。中には人格を疑うような人もいますから。お墓も命日も仏教の風習であり、そこに亡くなった人はいないし、まあ命日が亡くなった人に祈りを届ける日と考えれば悪くはありませんが、いつでもどこでもそれは出来るということなんです。

    ちなみに私も父の命日が4日だったか5日だったかよく覚えていないのです。でも、その月のその日頃になると父のことをよく思い出して、心の中で祈っています。

    ユーザーID:9334039578

  • 別では?

    命日というのは宗教によるものですね

    宗派よる様々な設定と親を尊敬、愛してるという事実とは、別ものではないでしょうか??

    ユーザーID:4842736726

  • 覚えてません

    ご主人の考え方に全面的に賛成。
    命日より故人との思い出、まして坊さんやらお経やらそんなのはどうでもよく、私の死後子供たちが命日を覚えていなくても、何も思いません(そもそも死んだら思うこともできないけど)。

    あなたのように考える人がいてもちっともおかしくないけど、その逆の人がいたってそれもまたちっともおかしくないですよ。

    ユーザーID:1384323633

  • ご主人側です

    命日は、覚えていないよりは覚えていた方がいいでしょうね。
    でも、誕生日やクリスマスと同じで、意味がないと感じる人もいます。
    私もそうです。

    トピを読んだ印象では、私はご主人側に近いです。
    死んだ後、ないがしろにして良いとは思いませんが、
    生きている間にどれだけ助けとなれたか、そちらの方が遥かに重要だと思っています。

    私も父を亡くしましたが、生前は看病に手続きにと、かなり尽くした方だと自分では思います。
    (それでも、悔いはたくさん残っています)
    その私は、父の命日をおぼろげにしか覚えていません。
    仏壇は、夜に膳をそなえる際に手を合わせる程度です。掃除は定期的にしています。
    法要は、とりあえずやっている感じですね。

    死んだ後、儀礼的なことで張り切る人は嫌いです。
    生きている間はろくに助けもしなかったくせに、死んだ後に美化して、泣いたり褒めたりする人も嫌い。
    大切なのは、生きている時、どれだけ助けとなれたかどうか、だと思います。

    ユーザーID:1607131137

  • レスします。

    胸につまされます。
    当方も亡き父親を尊敬し、敬愛し、目標とするものです。
    しかしながら命日「?」、何回忌「?」です。
    それもこれも、未だに、そして一生、彼(父)の前では「庇護される子ども」のままなのです。
    老いた身体や、何を言っているか解らない言葉や、それに困る母親を見ることのなかった、所詮私は「子どものまま」なのです。このトピをみておおいに恥じ入ります。

    もういなくなってもいいよ!と、思えるくらいその人の人格が無くなる「老い」。
    それを遺さなかった父親は、ある意味罪です。

    でも、だからなのでしょうか、私は父を追って止まないのです。
    夫様が「オレのおやじは〜」などとえらそうしたら、頭はたいてください。

    そういっていられるのは、本当は悲しいことなんだよ!と言ってください。
    母が介護になってから、迷惑かけて死んでいくことの意味を、遺された身として解り始めたところです。

    ユーザーID:6801959874

  • 現実的な話として

    実家を遙か昔に離れ、親が亡くなってから何十年と経つと、つい命日を忘れたりします。
    私も親はとても尊敬し、いまだに感謝していますが、時が経つと、そんなものと言えばそんなもの。

    ご主人のように、お坊さんを毛嫌いしてる訳でもないし、命日も一応は覚えてるから、ご主人に全く共感するわけではないけど、法事や命日をそんなに重要とは思わない点は、そこまでおかしいとは思わない。

    別にあなたの考えも間違えではないし、これは価値観の違いではないですか?
    どっちがおかしいと決めるのはやめましょうよ。

    ユーザーID:1658268412

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