募金・献金・賽銭など「他人にあげるお金」が苦手です

レス63
お気に入り301
トピ主のみ0

money

話題

私は40代主婦です。
最近特に感じますが、募金、献金、賽銭など、いわゆる無償で他人に差し上げるお金が苦手です。正直、嫌いです。
無償のボランティアなら、気にせずどれだけでもやれますし実生活の中でも例えば公園掃除や学習支援など、無償でやっています。
ただ、何かのお手伝いに「お金」で、というと途端に心が動かなくなってしまいます。
神社やお寺のお賽銭も10〜20円。最大でも100円。
被災者支援も、ボランティアで動くことは喜んでできますが、義援金は快く協力出来ません。
中学校からの親友も、最近誘われた集まりの、お布施が原因で疎遠にしたいです。
生れてこの方、お金に困った生活をしたことはなく、現在の主人にもある程度わがままに自由に生活させてもらっているので、お金に困っているとは自分自身思っていませんが、どこか執着しているのでしょう。
持ちよりのホームパーティーなども、そこにかかる金額は気になりませんし、近所のママ友にお土産を配ったりもよくします。
そういう出費は気になりませんが、あげてしまうお金は、できるだけ出したくないのです。
何が原因で、この感情がいつも湧き出てくるのか知りたいですし直した方がいいのかも、気になります

ユーザーID:7885441492

これポチに投票しよう!

ランキング
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 0
  • 面白い
  • びっくり
  • 涙ぽろり
  • エール

このトピをシェアする

Twitterでシェア LINEでシェア はてなブログでシェア

このトピのレス

レス数63

レスする
このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 例えばお祝いなどの場合はどうですか

    トピを読んだ限りですと、「行き先がなんとなく不明確なお金」の支出に抵抗を感じてらっしゃるのかなと思いました
    提供した労働やお金が「なになにの用途に使われた」ということが明確でないと、なんとなく気持ち悪い、というか。
    そういう感情は一定程度自分にもあります。まあ、お賽銭は参拝の一連の儀式として、抵抗はないですが。
    例えば、ある程度親しい間柄の人、例えば小さい頃からよく知っている姪が結婚することになって、お祝いのお金を渡すとか、
    そういう類の「人に渡すお金」にも抵抗がある、ということなのであれば、「現金を対価が得られない状態で支出する」こと自体がなぜだか嫌い、ってことになりますね
    そういう状態なのであれば、理由はわからないけれど「現金」という部分に何かのこだわりがあるのかもしれません

    ユーザーID:0604960619

  • ふたつの疑問

    被災者支援のボランティアなら?では具体的に何をしたか教えてくださいませんか?
    ボランティアは、できるときにできることをするのが基本だときいたことがあるのですが、それならお金だろうと人手だろうと何ら問題はないと思います。だからトピ主さんはご自身のポリシーに従えばよいだけなのに、誰かに何か言われたのですか?

    ユーザーID:1885459697

  • ボランティアに出かけていらしゃるならいいのでは

    moneyさんは「ボランティアは苦にならない」「どれだけでもやれる」
    ということですから、被災地に入られているのでしょうね。
    東日本大震災で、ボランティアで東北に入られましたか?

    「お金は出したくないけど、どんなに遠くでもボランティアに参加する」
    方は、お金を出す方よりも貴いと思います。
    問題は、どちらもしない方でしょうね。

    私は、5万・10万円単位で寄付をします。僅かな額かもしれませんが、
    お互い様と思うからです。そしてボランティアに行けない罪滅ぼしです。

    moneyさんは、きっと東日本大震災や各地の台風被害などのときに
    ボランティアに出向かれているでしょうから、寄付のことは気にされなく
    てもいいと思います。

    ユーザーID:3749524213

  • お金の有効性を知らない

    トピ主人は、自分にだけ返ってくるお金が好きなのでしょう。

    持ちよりパーティーは、自分も楽しんだり、手土産を持たせる事で気前がいい人とか、素敵な人とか、良い印象をつける事ができますよね。

    お金の使い方は知っていてもお金の有効性を知らないのだと思う。

    自分自身にかけた100万は、広がりに限界がある。
    義援金とか寄付は、100万の現金がお金以外の物に化けて、違う形で還元されてくる。

    経済とか、治安とか、地域活性とか。

    まあ、寄付は個人の自由ですから。

    ユーザーID:4972156124

  • 義のために捐(す)てるから尊いのです

    ボランティができない場合、お金を寄付します。寄付とは、義のために捐(す)てることです。義の心とは、損得の判断ではなく、自分の打算や損得を離れた心のことです。もっと言えば、自分の利害を省みず、他人のために尽くす心のことです。そのための表現として、義援金と義捐金という二つの言い方があります。

    前者の「義援金」とは、義のために援助することです。この意識では、あげたお金には執着心が働くのです。従って、自分がお金を出したことが認められなければ満足できないのです。他と比較して自分が多い場合には優越感が生まれ、他人が多い場合には嫉妬心が生まれてくるのです。あげたものに執着するから損得感情が働くのです。

    それとは対照的に「義捐金」という言い方があります。これは、義のためにお金を上げるのではなく、義のためにお金を捐てることです。お金を上げるという意識であれば執着心が生まれてきますが、捐てたものには執着心が生まれてきません。

    募金、献金、賽銭などは、お金に対する執着心があれば捐てることが出来ません。しかし、執着心から離れることが出来れば義のために捐てることができ、それが尊いことではないのでしょうか。

    ユーザーID:7241738792

  • 充分では?

    相応の義理は果たせていて、労働も惜しまないのであれば、充分では?
    そもそも、お布施が必要な集まりに行く必要ないはないですよ。
    「心が動かないから。」とか、「最近、ものいりだから。」で、断っちゃって結構。
    それで縁が切れるなら、それだけの関係だったんです。
    そもそも、金銭が絡む集いに誘われた時点で、トピ主さんは、利用できる駒に成り下がっちゃってますよ。
    そんなのに、無理して参加しているから、余計に、払ってしまった無駄なお布施を取り戻そうと、お金に執着しちゃうのでは?
    悪循環ですよ。

    まあ、お賽銭くらいは年に数回、数百円の事。払うとしても、まずはお布施をやめましょうよ。
    話は、それからです。

    ユーザーID:2899999813

  • 気持ちわかります

    私もお金を直接渡すという行為があまり好きではないです。なので基本しませんが、3箇所だけ個人で動物保護をしている所(そこから犬、猫を引き取ったことがある)ですが、そこだけ年1回クリスマスの時にお金を寄付として送っています(知っている場所なので)。あとはしていません。私の場合は知らない場所に寄付するというのは、そのお金が本当にその為に使われているか分からないのが嫌なんです。

    それよりも品物を上げる方が私はいいです。例えば、ホームレスの方ならレストランやファストフード店のお持ち帰りを買って渡す。被災者支援へも、洋服や生活必需品などを買って渡すことの方が、私は好ましいです。
    実際貧困家族への支援として、5千円近く乾物などの食料品を買って寄付したこともあります。
    お金って何気にトリッキーですからね。何に使われているのかがとても分かりづらいんですよね。
    それが嫌いです。

    ユーザーID:5707815359

  • ごめん、同じ40代主婦として、ちょっと信じられない

    私もお金にはたぶん恵まれています。
    だからこそ、「恩返し」で寄付をします。沢山します。
    災害地などには1番に。

    だから、トピ主さんが正直信じられない。
    困っている人に、たとえそれが無駄になろうと、なぜ寄付をしないのかなぁと思う。

    まあ、トピ主さん側で考えれば、多分理由は色々あるんだと思う。
    自分に問いかければわかることで、考えることを放棄したら駄目でしょ、大事な事です。

    ユーザーID:5115531174

  • うちの場合

    町内会などで赤い羽根、神社祭り、歳末助け合いなどの寄付がきます。

    払うのは300円から500円ぐらいです。神社祭り以外は社会福祉になるでしょうし、お付き合いだと思っていますので、特に苦痛だと思ったことはないです。

    義捐金には1万を出しました。復興を願っています。

    ユーザーID:4830936044

  • 強い見返り欲求があるんでしょ

    あなたは無償のボランティアだって、「えらいねー」「すごいねー」「ありがとう」「助かるわ」と
    言われないとやらないタイプだと思いますよ、あなたは。
    陰でやるとしても「これをやったのが私だとみんなが気づいたシーン」を想像してるでしょう。

    被災者支援もボランティアならできるのは、お礼=見返りが直接わかるから。
    ホームパーティ、お土産も同じこと。
    あなたにとって何かの行為への見返りは相手の反応なんです。

    募金、献金、賽銭はそれが見えませんからね。
    あなたは自分が満足できる見返りを期待できないものがイヤなんですよ。

    ユーザーID:1958782100

  • 稼ぎがないから?

    ご自身の能力で稼いでいないから?人が稼いだお金を勝手にあげることに違和感があるから?
    相手がきちんと使うか信用できないから?
    私も40代子持ち主婦ですが、割に負荷の少ない資格職で
    個人的には少々貰い過ぎかなと思っており、社会貢献のためにと主に被災地や援助団体に寄付をしています。
    年間で2〜5回くらいでしょうか。
    直近では子供全員がお世話になった私立一貫校、その前は大火事の被災地です。
    どこも礼状領収書は言うに及ばず、申告のための書類など送ってくれます。(大災害の義援金はもちろん寄付だけ・領収書などは来ません)
    毎年恒例のように寄付する国際団体もあります。
    紛争中の現地に赴くことはできないので、せめて行って活動している人たちを支援できればと思います。自分にできる、自治会や子供関係、学校関係のボランティアはやっています。
    ただどれもお手伝いレベルのため、すばらしい心意気と主旨の団体でも力尽きることが多い時代、
    おかげさまで家族皆元気に過ごさせてもらっている私なんかはもっと頑張らないとなあ、と思いつつなかなか踏み切れません。今が最大かなと思います。

    ユーザーID:4979143859

  • 深層心理の世界

    トピ主さんが苦手だと思う他人のための出費は、相手が誰だかわかりませんし、見えない相手なのです。

    募金や献金は、まさにそのような相手です。
    ずっと前に、人助けの募金と偽って自分のために使っていた詐欺事件がありました。
    そのような記憶がありませんか?

    正月の初詣でだけ神社に行って数百円のお賽銭をあげたからといって、願い事が叶うとは思えません。
    結局は神社に寄付するのと同じことです。

    一方、無償のボランティアは相手が被災者や地域の人であり、お土産を配る相手は見えています。

    そのような基準で決めているのだと思います。
    私は十分に理解できますよ。

    ユーザーID:1866904774

  • 使途不明

    何に使われているか分からないからではないですか?

    信頼できる団体(政治的・宗教的)がないのも原因かと

    ユーザーID:7967710893

  • 普通ですよ

    募金は信用出来ません。
    お賽銭は少ししますが、神も仏も99%信じていないので払うのに抵抗があります。

    子供の小学校で厚紙を配られ、貯金箱を作ってお金を入れて学校に持参し寄付しようという「某団体」主導の行事?があり、
    子供に寄付を強制するような行いにびっくり仰天しました。子供は1円だけ入れて持って行きました(笑)

    確実に困っている人にお金が届くなら大きな金額を寄付してもいいと思えるのですが、
    募金を行う団体の人件費や運営費って大きいですよね。
    同じ理由でPTA会費も払いたくないっていうか退会したい。

    ユーザーID:8929393976

  • 普通の感覚だと思う

    要するに、「結局何に使われてもわからないもの」に自分のお金を使われるのが嫌、なのではないでしょうか?
    ケチ、というレスもつくかもしれませんが、至って普通の感覚だと思いますが。
    私も同じです。

    道端で募金活動をしている人、もちろんきちんとした方が多いんだとは思いますが正直なところ、子供や動物を使ってそのお金の使途を後々明細でくれるわけでもなく、懐に入れられてもわかりませんよね。穿った考えかもしれませんが私はそう思うので、気軽にはできません。

    お賽銭については、神社やお寺めぐりが好きなので、お願いごとや神様へというよりはそこの施設を維持するために多めに入れます。
    そういう目的があっての援助や募金なら惜しみませんが、見ず知らずの人にポンとお金は出せませんよね。

    ユーザーID:2903214304

  • お金をあげるという考え方が、変

    お金を上げるという考えが変なのではないでしょうか。

    ユーザーID:1149418888

  • 寄付は丸々活用されるとは思っていません

    いかがわしいものでなくても、
    途中で手数料や何がしかの差し引きがあり、
    善意が100%届くとは思っていないので、私も現金の寄付はしません。

    ボランティアの経験は長くあります。
    相手側から直接感謝の手紙ももらいました。

    トピ主さん、その親友の誘いは断りましょう。
    怪しい集会には絶対行かないこと。
    私も誘われた経験は何度もありますが、
    そういうことを大事な友だちに言う人は信用できませんよ。
    お布施がなくても、知らずに染まってしまう危険があります。
    はっきり断って気まずくなるなら親友とは言えません。

    ユーザーID:6833943623

  • その理由の1つとして

    神社やお寺のお賽銭は、ご利益のためというのもありますが
    そこを掃除して清め、訪れる人が気持ち良く参拝できるように準備している人達が居ます。
    神社仏閣をきれいに保っている人達への感謝と考えたら、気持ち良くお賽銭を入れられるかと思います。

    募金に対する抵抗感は、理解できます。
    集めたお金を、然るべき場所で正しく使っているか?
    そのあたりが気になっているからだと思います。

    ユーザーID:9690722058

  • お賽銭と募金が同列なんですね(笑

    何に意義を見出すかは、人それぞれですからね。

    トピ主さんはボランティアで実働する方ですし、親切心は豊かでしょう。

    しかし、人を心から信用はしていないから寄付はしない、神仏への信心も無いから賽銭は10円、と言う事ではないでしょうか。

    実存主義とでも言うのでしょうかね。あるいは実利主義でしょうか。

    よろしいではありませんか。ご自分に合った方法で社会に貢献してらっしゃるのですから。

    因みにわたしは神社仏閣への賽銭や檜皮・瓦の寄付が大好きです。それは信心ではなく、その美しい歴史的建造物を保存していただきたいからです。『あげるお金』とは思っていません。『使っていただく』と考えています。毎年、あちこちへ結構な金額をばらまいて、賽銭貧乏です(笑

    そんなわたしは義援金は出しても現地でボランティアなどの実働は出来かねますし、人嫌いなので持ち寄りのホームパーティーも不参加です。自身はソレでよいと思っています。直さねばならぬような事ではないとも思います。

    ユーザーID:3084420460

  • 賽銭は自分の為かな。

    献金、募金は話は別でしょうが、賽銭やお布施は自分の為の出費と思ってます。
    特にお賽銭は神様に自分の事をお願いする時に出す事が多いのであまり惜しみませんね。
    自分で出来る限りの事をしたら帰ってきそうなので。

    その延長上で募金も結局は自分の為かな…自己満足でもあるし、他の方法がない場合は
    手っ取り早く貢献できるから。
    廻りまわって自分の身に何かあった時にも、また誰かが募金をしてくれるだろうし、自分
    の為でもあるのかな…と思います。

    ユーザーID:3067238725

  • あげる?

    募金とか、お金あげるのと違うのでは?
    お金を渡して、そのお金で相手に必要な何かを
    買うなり作るなりをしてもらうのでは?
    お金をあげてると思った事なかったな。

    私は海外の子供に毎月寄付してるけど
    お金あげてると思った事ないです。
    寄付したお金で、その子が医療を受けられる。
    薬を貰える。
    それだけ。

    お金をあげるっていうのは、
    現金をあげた相手が好き勝手に使う。
    募金なり献金ってのは、
    必要としている何かに遣う。

    感覚としては、お布施が お金をあげるという行為に
    一番近い感じかなぁ。
    でも、お布施もタダじゃないですよね。
    何かをして貰って、お布施と言う形で渡してるんだし。

    でもまぁ、人それぞれの捉え方で良いんじゃないですか?

    ユーザーID:8683310270

  • 多分、災害未経験?で生まれつきのケチ

    実家は神戸・東灘で阪神震災で家屋全壊。
    母は怪我とノイローゼで1年ほど入退院を繰り返し。

    当時、他所にいた私、何故か親友につぶやいた「家、全壊らしい」で
    学校中の寄付金(全然、知らない子からも)が集まり10万近くをもって
    3日後、甲子園駅から歩いて避難先の中学校・体育館へ。
    家族と再会、寄付金差し出すと母が「もっと困ってる人達がいる」
    で全額+私貯金の10万円を学校名で全額、寄付。
    新聞掲載され、学校に張り出されました。

    現在、各地震では1万前後、子供3人の名前で寄付(東北は3万)

    結婚時、夫の給与から1割近い引き去り金…何かと思っていたら寄付金、義援金なんですよね。まだ薄給の頃。

    パーティや大使館主催のチャリティパーティにも参加(招待)。
    誘いも多く、人生って結構、凄いなあ。と感じています。
    そこで繋がった人脈も驚きだし。

    家族全員、順調すぎて(子供達も日本のトップレベルにあっさり合格)
    長女は医師になって、世界のどこかにボランティアが夢だそうです。

    ユーザーID:9368722241

  • 他人からもらったお金だから

    主婦、専業主婦でご自身でお金を稼いでいないのであれば、当然というか、健全な心の持ちようだと思いますよ。夫さんやご両親からいただいたお金を、夫さんのご了解なく、また夫さんが好きに使って良いといっても、他人に分け与えるのですから。

    いっぽう、ご自身の労働と時間は、主婦業をこなした上での余暇余力ですから、ほぼご自身の能力や努力で捻出できたご自信のものですので、自分の裁量で使って抵抗ないのでしょう。

    子供の子守りを妻(夫)や両親に多く任せっきりにしていて、よその子供や老人の支援活動に出かけていく人がいたら、優先順位が間違っていると思いませんか。
    時間の足りてない人は、余暇は自分の子供や家族に使って、お金を寄付すればいいんですよね。

    お金の支援をするなら、夫さん名義で(夫さんの意思で)するようだとお宅はいいんじゃないですかね。

    ユーザーID:7263014914

  • 大人になった

    と認識してます。
    賽銭にン万円、募金に数千円、ユニセフにン万円、、、若いときは捨てるように使ってた。ある日?親、友人らが「本当にボランティアをしている(そこに使われているのか)か疑わしい」と人の良い私を心配して忠告してくれました。それからは少し疑うようになりました、今では全く関心を示さなくなりました。他人にあげるお金は使途不明金だもんね。無関心でいいとおもう。下手な同情心は無用だと思います。
    わたしも恵まれているほうですし、親しい人にプレゼントとかお金あげるの好きな方です。

    ユーザーID:0658324800

  • 似ています

    自分では、お金の大切さをわかっているから、と解釈しています。
    募金なども正しい使い方ではあるのですが
    偏ってますかね...。

    ユーザーID:0308626779

  • なんとなく分かる気がする

    納得できないことわざ1位は
    【金は天下の回りモノ】
    色々な意見があり
    お金は使ったらなくなるだけで入ってこないから
    天下に回っていない。天上で回るものだと思う
    つい成程と、うなずいてしまいます。

    お賽銭やお布施の類が信用ならない?
    或いは受け取る人が信用ならない。
    神様は…いるのかしら?
    或いは神様は賽銭やお布施の金額で差別は無い筈
    若しくは今まで幸運にも神や仏に縋る必要もなかった。

    それはなんの問題ないかと直す必要もないのでは?
    ご自分のお金の価値観なので気にする必要はないかと

    私は募金などは
    子供や学生さんが駅前で声を張り上げているのをみると
    しちゃいますね、募金するというより、頑張ってね
    苦労さまって励ましの感じかな

    義援金も募金箱があると…つい
    大震災の折には彼方此方直接的間接的にもしました。

    神社やお寺さんは毎年必ずお参りに行くところには
    賽銭は千円札とか投げ入れちゃう。

    お陰様で家族皆無事に暮らせました
    また今年も皆無事に暮らせますようお見守り下さい
    と手を合わせると存外気が休まるのです。

    この年になると体感的に
    金は天下の回りモノ…妙に納得しています。

    ユーザーID:5569876762

  • 理解出来なくもないけれど

    私も、よくわからない募金や義援金には、協力する気になれません。

    何故なら、それらの使い道が明確ではなく、渡してしまった後、
    どの様な経緯をたどり、誰の手に届くのかがわからないからです。
    『募金』を名乗った詐欺の横行も、大きな理由の一つです。

    また、義援金にしても、本当に困っている被災者の方の為に使われるのか
    本来ならば行政や国の力で賄われるべき事業に回されるのか、
    最悪の場合、得体のしれない団体の活動資金として、
    意味不明に消えてしまうかもしれないから。

    でも、同じ義援金でも、我が社の東北支社の方達25名が家に住めなくなり
    それらの方達に、少しでも援助できないかという話から、
    社内有志で義援金を募った際には、気持ちよく出す事が出来ました。
    僅かではありますが、生活再建の一助となればと思ったからです。

    トピ主様とは似ているようで、若干スタンスが違いますね。
    神社や仏閣のお賽銭は「他人にあげる」ものでは無いと思います。
    何らかの願い事をする際の、決まり事と言うか、
    それらの寺社の拝観料の様な感覚に近いかもしれません。

    友人からのお布施の件は、宗教勧誘なので、嫌になって当然。

    ユーザーID:7239563307

  • お賽銭は人にあげるお金でありません

    お賽銭は、神社へのお供えです。
    感謝の意味だそうですよ。

    その感覚からして、不思議な人ですね。

    ユーザーID:2962389152

  • 責任感が強い方なのではありませんか

    飢えた者には魚を与えるのではなく魚の捕り方を教えよ、とは言いますけど。
    一緒になって汗を流して寄り添うことはいいけれども、物やお金をポンと渡して後はおしまいにするのはしたくないと考えておられるのではないでしょうか?

    お金は一番使い勝手がいいですが、同時にどう動いているのか、すぐに分からなくなりますね。

    きちんと全てに立ち会わなくては納得できないというのであれば、きっとあなた様は捜査や調査、つまり監査関係の仕事に適性をお持ちです。普通の人が面倒くさがってやりたくないそれをやれるだなんて、とても得難い資質ではないでしょうか。
    主婦ではなく、刑事になるべきだったのです。きっと。

    ねずみ講などでお金を騙されてとられてしまったり、宗教にはまって預貯金をつぎ込んでしまう奥さんをお持ちの旦那さんにしてみれば、とても羨ましい限りでしょう。

    ユーザーID:1401123137

  • しない善より する偽善

    私自身は毎月一定額を支払うという形のボランティアに参加して20年以上経ちますので
    トピ主さんに共感できるわけではありませんが
    トピ主さんの考え方に問題があるとも思えません
    お金に関しては、収支きっちりすべきという考えが根付かれているだけなのでは?

    しかし他にも可能性が
    それは
    お金を出すだけなんて
    汗を流さないなんて
    という
    いかにも日本人的なボランティアの考え方に通ずる
    偽善を嫌う考え方からくるものかもしれませんね
    それだと、問題ないとは私は言い切れません
    私の座右の銘は
    「しない善よりする偽善」
    ですので、真っ向反対の考え方ですね

    どちらにしても、トピ主さんの考え方を直す必要があるとは私は思いません
    しかし、トピ主さんのお子さんが義援金等何らかの寄付をされる時に反対する場合は慎重にね

    ユーザーID:0572984238

お気に入りに追加しました

レス求!トピ一覧