歴史の常識?非常識??

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トピ主のみ1

みん

学ぶ

聖徳太子や鎖国が歴史の教科書からなくなるというニュースが流れましたね。
なんか、すごくショックを受けました。
私が歴史を勉強したのは、かれこれ30年前の中学生時代。
その頃は当たり前だったことが、この30年間でどの位変わったのでしょうか。
歴史に造詣が深い皆さま、日本の歴史にはあんまり強くない私にやさし〜く教えてくださいませ。

ユーザーID:9420160763

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  • 「鎖国」を教科書から削除する?

    「出島」の存在意義をどう説明するのでしょうか?

    ユーザーID:6808180959

  • なくなるわけではない

     文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。
    中学歴史でも史料に忠実に、「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変える。

    ユーザーID:5608664132

  • 史実だけを重視する方向。

    聖徳太子は居なかったという学説が、現在では常識になっています。ただし、聖徳太子の
    モデルになったとされている『厩戸皇子』は実在していたと言う話です。
    これは、かつての聖徳太子像が、あまりにも超人的・宗教的に扱われてきた点を否定的に
    考える事が多くなったという事です。

    鎖国については、明治新政府の考え方によって、江戸期における徳川の治世を否定的に扱
    う為の理由として、如何にも外国に対して閉じた国家であった日本というのを誇張する印
    象を植えつけたというのが近年の学説です。実際の日本は、過去に言われたほどには、外
    国との交流を一切絶っていたというわけではないというように言われています。
    どちらかというと、最近の日本と同じで、海外の文化や社会に関心を持つよりは、ガラパ
    ゴス的で日本人自体が外国に対する関心が薄かったというような話に変わりつつあると思
    いますよ。

    ユーザーID:5798816199

  • だいぶ変わってますよ

    元歴史部部長(高校時代)の主婦子が通りますよーーー!
    日本史も西洋史も、ホントにむかし習ったのとはだいぶ変わっています。
    科学技術が発達したこともありますし、新たな資料が見つかったり、遺跡の発掘などにより新発見が続々です。
    たとえば、ペリー来航を幕府は一年前から知っていてちゃんと対策も考えていたこと。今までの日本の常識では、いきなりペリー率いる黒船が来て幕府はもちろん日本中がパニックになったと言うのが通説だったでしょ?
    ほんとうはそうではなかったんですよ。
    他には、教科書に載っていた足利尊氏を描いたと言われた絵は、今の子供たちには「馬に乗った武将の図」とか「流鏑馬」と教えられています。
    偉人では、西郷隆盛の上野の銅像や絵は真っ赤なニセモノですから。西郷さんは写真をとらせなかったので、誰も本人の顔を知りません。

    ユーザーID:9920164609

  • 歴史は変わるが常識だと思ってます

    私も30年前くらいに勉強しました。その時から好きになり、歴史を趣味にしてきました。

    歴史って、新たな文献が出てくると新歴史になるんですよ。

    あとは、教科書担当者でも変わると思います。認識の違いも大きな理由ですね。

    まあ、歴史は変わるが常識ですね。

    私は、今は歴史よりも、宇宙考古学に目覚めてしまったので、全てひっくり返されましたね。

    主さん以上にショックです。笑

    ユーザーID:4042371823

  • 1192ではない

     鎌倉幕府は、いいくにつくろう、1192年ではない。など、いろいろな史実が変わってきます。これはしかたのないことで、史学の研究が進めばこうなってくるのは当然のことです。
     

    ユーザーID:0445814584

  • 聖徳太子⇒日本仏教の始祖、鎖国⇒非公式の交流まで拡大 かな?

    今当たり前の事が、30年後も当たり前である事は、ありえません。

    また、歴史家でも無い限り、細かい事をほじくっても仕方ない気がします。

    聖徳太子は、日本仏教の始祖として、昔から崇められていたようです。

    有力な政治勢力が、仏教を受け入れたことで、仏教が広まるきっかけとなったからだと思います。

    おそらく、そのあたりが、要点だと思いますが、聖徳太子のモデルとなった人物は、実在したようです。

    鎖国にしても、長崎の出島でのオランダとの交流や中国、朝鮮との交流等は、幕府による公的なものですが、他にも、薩摩藩による琉球を介した大陸等との交流も、知られていました。

    他、非公式な交流は、当然あったでしょうから、鎖国は実態としては存在しないとの見解が主流となった事を受けて、教科書の記述が無くなったと思われます。

    >歴史に造詣が深い皆さま

    そのような者では全くありませんが、聖徳太子が実在したかどうか、鎖国はあったかどうか、あるいは、大化の改新はあったかどうかは、それ自体は大した問題ではないと思います。

    ユーザーID:4824063008

  • 造詣は深くないけど

    わたしもアラフォーですが、
    聖徳太子は昔から厩戸皇子だったので、厩戸王でも違和感ないし、
    鎖国も正に幕府の海外政策だから、あんまり違和感有りません。

    技術が進み、更に検証されて、
    鎌倉幕府の成立年が変わったり、
    足利尊氏の肖像画が違う人物だったり。
    ミステリーみたいで面白いなと思います。

    ユーザーID:8045101453

  • いくつか

    ・鎌倉幕府成立は1185年(昔は1192年)
    →1192年は源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年だが、実際は1185年には鎌倉幕府が成立した(日本国総追捕使・総地頭に任ぜられている)ため変更
    ・大化改新は646年(昔は645年)
    →政変(乙巳の変)があった年が645年、翌646年に大化改新の詔を発布したため変更
    ・日本最初の硬貨は「富本銭」(昔は和同開珎)
    →富本銭が1999年に大量出土したため。ただし、最初に全国的に流通使用されたのは和同開珎。
    ・有名な前方後円墳は「大仙陵古墳」(昔は仁徳天皇陵)
    →宮内庁が古墳の調査を認めていないため、当該古墳が仁徳天皇が埋葬されているという学術的確証が得られないため。

    大きなものではこんなとこ。
    娘の教科書見てびっくりした。

    歴史はその後の調査や、違う視点から見直すと変わってしまうものなんですよね。
    日々更新される未来と過去に乾杯です。

    蛇足:徳川家康の死因は胃がん
    →昔は鯛の天ぷらがあたった食中毒とされてました。書き残されたその症状から、胃がんの可能性が極めて高いそうです。

    ユーザーID:4987339937

  • 聖徳太子は知らないけど鎖国は歴史上事実

    それとも聖徳太子も鎖国も真っ赤な嘘だったのですか?そしたらペリーが鎖国止めよと要求したのも作り話?日本のニュースに疎いけど、いったい何でビッグ・ニュースになったのですか?

    そしたら、子供の時あまり歴史教科書に載ってなかったパール・ハーバーとか戦時中の南京での出来事とか、ずっと歴史教科書の表に出るのですか?

    気になるからもっと詳しく教えてください。

    ユーザーID:4177881400

  • 鎌倉幕府

    成立が1192年から1185年に変わっているそうです。
    よく見せられる源頼朝の黒い服の肖像画は当人かどうかはっきりしないという説もあります。

    そのうち、坂本龍馬が教科書から消える日がくるかもしれません。

    ユーザーID:5261933716

  • 間違いね。

    >聖徳太子や鎖国が歴史の教科書からなくなる
    トピ主さんニュースを理解していないでしょう、歴史のみならず。
    単に「言葉」だけの問題ね。「住居表示が変わる」と同じようなもの。

    「鎖国」や「聖徳太子」という言葉が実態に即していないから云々ね。

    >日本の歴史にはあんまり強くない私にやさし〜く教えてくださいませ。
    これを機会に色々と勉強したら。
    「こんなに変わった歴史教科書」という本があるから。

    報道ではその話は、
    「小中学校の社会科では「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改めます。中学歴史でも、「聖徳太子」が没後100年以上たって付いた呼称だという理由で、「厩戸王うまやどのおう」に変えます。」
    トピ主さんの言ってるのと違うでしょ。

    ユーザーID:0426657865

  • 同じく!

    45歳の主婦です。
    同じく昔、30年以上前に習ったはずの歴史認識が訂正されて、混乱してました。
    しかし、その時代の人がいない現在、訂正されることもあると思います。
    もちろん捏造は許し難いですが。

    厩戸皇が、没後に尊敬の念から聖徳太子って呼称になったのかな?
    鎖国時代は、日本の国益になる国との交易はしていたので、厳密な意味ではガチガチな鎖国ではないでしょうね。

    自分の先祖の歴史は面白くて、地元の歴史も大好きです。合併とかで昔ながらの地名が刷新されると悲しいですが。

    歴史の教科書含め、他のも流動的に変化していますね。
    古今東西それは永続すると思います。

    絶対変えない教科書より、現在も新しい発見で訂正される変化のある歴史教科書
    これまた新しいロマンがありそうなので受け入れています。

    ユーザーID:2488509814

  • 歴史を教えています

    私も30年前の中学生です。
    変わったこと、他にもありますよ。
    賄賂をもらった田沼意次は、経済的に先見の明があったすごい人。
    みなさんよく知っている源頼朝の肖像画は別人ということで、今は教科書に載っていません。

    ちょっと話はそれますが、表記の仕方も微妙に変化していて、縄文式土器・弥生式土器・高床式倉庫・リアス式海岸(これは地理ですけど)は皆「式」が取れちゃいました。

    ユーザーID:7991947381

  • まだ改定案の段階です

    文科省は、3月15日まで国民の意見をパブリックコメントとして募集しているそうです。

    没後100年の諡号だからといって、我々にとっては(お札でも)馴染み深い聖徳太子の名前を教科書からなくしてしまうのは反対です。

    お互いに意見を反映させましょう。

    ユーザーID:4621205013

  • トピ主さんと同世代です。

    あの、日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」が今は「大仙陵古墳」に変わっています。
    子供の教科書を見て驚き、思わず
    「えー!これ、仁徳天皇陵じゃないの?」と私。
    「ママ、何言ってんの?」と子供、一蹴。笑
    何でもそこに眠るのは仁徳天皇と断定できないとの見解から、
    大仙陵古墳に変わったのだとか。そ、そんなあ。

    あと、黒馬に乗ったあの足利尊氏像は「騎馬武者像」に変わっています。
    足利尊氏じゃないなら、誰だよ、このおっさん。

    色々びっくりですが
    子供の教科書を見ると、まちがえ探しみたいで面白いですよ。

    余談ですが、1980年代も歴史の記述に登場してるんですね。
    私の中では歴史でなく記憶です。笑
    バブル崩壊とか、連立政権とか・・・既に歴史なんですよ〜。
    細川護熙氏が歴史の教科書に登場してるんですよ。へぇ〜。
    海外だとペレストロイカやベルリンの壁崩壊、イラ・イラ戦争なども歴史。

    それだけ自分が歳を取った、ってだけの話ですけど。

    トピ主さん、楽しいトピをありがとう。
    他の方のレスも楽しみです。

    ユーザーID:9382294880

  • いろいろ変ってきています

    すでに高校日本史では、聖徳太子はずっと前か厩戸王か、併記ですね。最近では聖徳太子非実在説すら紹介されています。摂政となったと言う記述も消されてきています。

    非実在説はかなり支持を得ているようで、いまや有力学説ないし異説として認知されてきています。厩戸王という王族はいたが、いろいろな事績は裏づけはなく、聖徳という名とともに後世につくられた神話だという説です。

    私は歴史教科書にかかわってきました。以下思いつくままに。
    仁徳陵→大山古墳
    大化の改新→乙巳の変
    鎌倉幕府成立年 1192→消去
    戦国時代開始年 1491→1493 北条早雲の伊豆討ち入り年の変更
    「士農工商」→士と農工商→使わなくなっている
    踏絵→絵踏
    セポイの乱→インド大反乱
    マゼラン→マガリャンイス
    オゴタイ・ハン国→消去(非存在)

    ユーザーID:1117735384

  • そういえば

    「仁徳天皇陵」も娘の教科書では別の言葉になっていたような。
    私は地学が好きなので古生代の二畳紀が「ペルム紀」に変わっていたこともショックでした。
    気圧のミリバールも今ではヘクトパスカル、冥王星も太陽系の惑星ではなくなったし。
    こんな変化にショックを受けるなんて、自分、歳をとったんだなあと思うと、更にショックです。

    ユーザーID:2909874714

  • 老中・田村意次

    老中田沼の時代に贈収賄が横行したのは事実ですが、
    彼の取った貨幣経済への移行・重商政策は、現在の「景気刺激策」であり、良い政策・良い政治家と評価されています。

    ユーザーID:5998049174

  • 大名行列

    大名行列というと、庶民は土下座平伏しなければならないと思われていましたが、
    それは御三家のみで、それ以外の大名行列は平伏の必要がないことがわかりました。
    行列の進行を邪魔しないよう脇によけるだけでよかったようです。

    昔の時代劇でよく見られた「したぁーーにーー、したに。」は御三家のみです。

    ユーザーID:5998049174

  • 歴史だけではなく

    確か、「こんなに変わった歴史の教科書」みたいなタイトルの本がありますよ。うろ覚えなので、読みたければ検索してみてください。たしか、鎌倉幕府も1192ではなくなったとか有名な頼朝の像とされてきたものは頼朝ではなかったとか、そんなことが書いてあったような。

    歴史は、例えば、新たに何かが発見されたとか、よくよく検証してみたらこうだったとか、そういうことで変わることがあるみたいですね。ただ、新しい説や発見があったとしても、それが受け入れられるまでに時間がかかるので、例えば今「〇〇の歴史の真実」みたいな話があったとしても、それが即教科書に採用されるわけではないみたいですね。

    中学生の子どものテスト勉強を横で見ていると、「えー?そんなこと習ったっけ?」というのがたくさんあります。例えば理科で地震の波形とかやってて、「P波とS波が・・・」なんて言っているし、家庭科もなんだか進化しているし、「やーん、ママに聞かないでー」となりますね(苦笑)

    ユーザーID:2717353388

  • 「鎖国」という言葉、「聖徳太子」という言葉の扱い

    徳川時代、海外渡航は禁じられていましたが長崎でオランダと交易していたというのは今も昔も変わらず教えるということです。ただそれを「鎖国」とは呼ばなくなったということ。
    朝鮮通信使が江戸まで来ていたことも歴史の時間に教えていたと思います。
    他には松前ではアイヌと交易があり、薩摩は琉球を属国扱いしていましたが琉球は同時に独立国として清と交易していましたから国を閉じていたというより限定して管理していたことを表すような言葉遣いにするということだと思います。

    ユーザーID:4239926751

  • 歴史像の変化

    歴史用語や年代の変更を列記しましたが、重要なのは大きな歴史像の変化です。

    私は世界史が専門ですので、いくつか述べます。

    古代ギリシアは西洋古典文化の源泉として西洋史のはじまりとして章立てされていたのですが、いま一部の教科書では、古代オリエントの外縁部として描かれています。

    ルネサンスは近代冒頭に章立てされていたのですが、一部の教科書では中世の最後に位置づけられています。近代の夜明けとして過剰に評価すべきではないという問題意識があります。

    隋と唐は漢民族王朝だと多くの人は認識していると思いますが、北方民族の鮮卑系だと見る教科書がでています。以前から専門家の間では言われていたことですが。

    いまの教科書は、ポルトガルのアジア進出を以前ほど評価しません。その交易は在来のネットワークに一部で参入したもので、点の支配であったというのです。

    その他、決定的に記述が変わったのは先史時代です。

    30年前は、人類の誕生は250万年前でしたが、440万年前を経ていまは700万年前となっています。最古の人類もアウストラロピテクスからサヘラントロプスとなっています。

    ユーザーID:1117735384

  • 長篠の合戦

    戦国時代に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が戦った有名な合戦で、当時最強と呼ばれた武田騎馬隊に対して、織田軍が3000丁の鉄砲を揃え、新戦法三段撃ちを行ったとされてました。しかし近年では、3000丁も三段撃ちも後世の作り話だったと言われています。

    ユーザーID:4061091218

  • どっちでもいいからどっちかにしてくれ

    百済はクダラかヒャクサイか、
    新羅はシラギかシンラか、
    白村江の戦いはハクスキノエノタタカイかハクソンコウノタタカイか。
    私らの時はクダラ/シラギ/ハクスキノエで一発単純!だったけど今両方併記じゃん。

    子供の教科書見て「両方出てるけど結局どっちなのよもー」
    って一人でぼやいているおいらでした。
    どっちでもいいからどっちかにしてくれ。
    聖徳太子と厩戸王は両方併記にはならないんだろうなコラ。

    「645年大化の改新」だったのが「645年乙巳の変」+「その後の改革があったとしたらそれが大化の改新」
    になったのは納得できるしイッシノヘンってカッコイイからヨシ。

    ユーザーID:4823874029

  • ペリー様

    >気になるからもっと詳しく教えてください。

    近年の研究で、江戸幕府はオランダや中国と外交をしており、全ての外国に対して
    門戸を閉ざしていたわけではないとの学説が定着したため、鎖国という言葉は適切
    ではないとの指摘があったそうです。

    鎖国という言葉は江戸時代の外国の文献にあった言葉を翻訳したもので、当時の
    日本では鎖国という表現は使われていなかったと聞きました。ということは、
    時代劇の登場人物が「我が国は鎖国をしておる」と言ったら、それは間違いということ?

    ユーザーID:6720372792

  • 横、及び歴史教科書の変化2

    >没後100年の諡号だからといって、我々にとっては(お札でも)馴染み深い聖徳太子の名前を教科書からなくしてしまうのは反対です。

    馴染みが深いから反対ですか。歴史は学であって国民の物語ではありませんので、そんなことを言っても始まりませんよ。いまの歴史学は徹底的に実証史学なのです。

    さて、教科書が変わってきていることについて続けます。

    先史時代で、猿人→原人→旧人→新人の階梯で人類が進化してきたようにかつては書かれていましたが、いまは違います。旧人と新人はほぼ同時代人ですし(20万年前〜3万年前は共存)、原人すら並存していました。


    日本史に戻ります。徳川綱吉の評価もそうです。生類哀れみの令は悪法のように言われてきましたが、いまでは彼の政治は武断的な戦国の遺風を払う文治主義として評価が高いです。

    武士の発生は、地方の乱れにより土地所有者が防衛のために武装するようになったと説明されていましたが、いまでは武芸という芸をもつ職能集団として発生し、地方の乱れの原因となったり、それへの警察機能として使われたと説明されます。

    (つづく)

    ユーザーID:1117735384

  • 坂本龍馬を暗殺したのは誰?

    昔、教科書に載っていた肖像画では

    足利尊氏→高師直
    源頼朝→足利直義

    説が有力になっていると記憶しています。

    しかし、坂本龍馬は、写真も残っているので、歴史から消えることはないと思います。

    もちろん、業績のようなものは見直しがあるかも知れませんが。

    (足利尊氏や源頼朝も、肖像画の問題で、存在自体が消える訳ではありませんが。)

    坂本龍馬は、暗殺したのは誰かで、写楽や卑弥呼と並ぶミステリー的な話題を提供していますが、実は、薩長だったとする説もあります。

    根拠は、坂本龍馬の施策があまりにも開明的で、薩長が主導権を握れない(利権にありつけない)事を恐れたからだとするものですが、国会の開設が明治維新から時間を要したことから、結構、的を得ているかも知れません。

    坂本龍馬は、そのような形での見直しがありそうな気がします。

    (薩長は、徳川に代わって自分達が天下を取ると言った古い概念から抜け出せませんでしたが、坂本龍馬が描いていたのは、国会開設後の姿に近かったように思えます。)

    ユーザーID:0121762652

  • 縄文式、高床式、リアス式から式が消えた?

    昔は「日本にはシキがある」と自慢したものですがね…。

    ユーザーID:8696485788

  • 聖徳太子和讃

    親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    キリスト教の世界では、キリストの実在が論議になったりするようですが、聖徳太子の実在論議も、そのようなものではないかと思います。

    キリスト教の教義をイエス・キリストで象徴させた(集約した)だけで実在の人物ではないとする立場と、イエス・キリストは実在したと考えてそれの証明を試みる立場と、両方が存在するようです。

    でも、どちらの立場に立つにしろ、キリスト教の歴史が根本的な部分で変わる訳ではありません。

    それと同じで、聖徳太子の業績とされていたことが歴史からなくなる訳ではありませんし、親鸞などのように、聖徳太子を日本仏教の始祖として尊敬し、先人である聖徳太子に倣うべく自らの教えを展開していった歴史が消える訳でもありません。

    因みに、ムハンマド(マホメット)は、実在の人物(業績も含めた意味で)のようです。

    ユーザーID:0121762652

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