歴史の常識?非常識??

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  • 太子?

    「聖徳太子」という名称については、推古朝に本当に「太子」という制度が存在し、馬厩豊聡耳がそれについていたのでしょうか?『書記』に「東宮聖徳」という名称が出てくるものの、それで統一されているわけではなく、「大兄」を冠した名称も見当たりません。諡号が悪いというより、果たして「太子」だったかどうか疑問の大いに残る人物を太子と呼ぶことが問題なのだと思います。早良親王を崇道天皇と教えるのがまずい類ではないでしょうか?

    ユーザーID:5331817147

  • もと通り!?

    トピ主のみんです。
    聖徳太子も鎖国も、名称が変わるとわかりにくいという国民の声が多く、もと通りの表記になるというニュースが出ましたね〜。皆さんのレスを読んで、歴史って変わっていくんだなあと思いました。日本史音痴の私にはちょっと難しい話題もありましたが、とても興味深く読ませていただきました。おもしろい情報と熱い議論を、ありがとうございました!

    ユーザーID:9420160763

  • 変わらないらしい

    今日のニュースによれば、聖徳太子、鎖国は、変えない変わらない。

    ユーザーID:5261933716

  • 「弥生式」

    (A) 当時の人は自分たちの外交方針を「鎖国」と呼んでいなかったので,この呼び名は不適当である.

    (B) 当時の人は自分たちの土器を「弥生式土器」と呼んでいなかったので,この呼び名は不適当である.

    (A),(B)の違いは何でしょう?

    例の「江戸しぐさ」騒動以来,文科省の歴史感覚に??になってしまって,文科省は,(A)と言いながら,(B)になってしまうことに気付いていないのではないか,などと疑ってしまいます.どうなんでしょう?

    ユーザーID:7831367181

  • おやじ様

    遅くなりましたが、言われていることは了解しました。ただおやじ様の表現には誤解を招く点があったとは思いますが。でもそんなに食い違いはないようです。

    それよりも別の意味で私は勘違いしていました。それも石母田正がでてきたことで氷解しました。

    >歴史学ではないかも知れませんが、歴史を知る手段の一つではあるように思います。

    これはそのとおりですね。確かに文献史料だけが歴史学の材料ではありませんね。

    ユーザーID:0391921504

  • 単なる解釈論や表現論?に陥ってしまう危険があると思います

    イギリスの著名な歴史家であるE・H・カーが、「歴史とは何か」の第1章の最後に

    ・歴史は、歴史家と事実の相互作用であって、現在と過去の対話である

    趣旨の事を書いています。

    もちろん、表現される事が前提だと思いますが。

    個人的には、”歴史家”に限定している部分と、一般化しすぎているように取れるところが不満ですが、納得はできる考え方だと思います。

    ユーザーID:0121762652

  • 竹田恒泰氏の説

    関西地区で放送されている読売テレビの「そこまで言って委員会NP」の中で明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏が曰く、聖徳太子は実在していたはずがない。聖徳太子は死後に贈られる「諡」(おくり名)である。聖徳太子の名前で実在しないからと言って厩戸の皇子と呼ぶのはおかしいとの説です。

    それからすると推古天皇は生前「額田王」であり、天武天皇は「大海人皇子」明治天皇は生前「睦仁」と称し、大正天皇も昭和天皇も「嘉仁」「裕仁」、今上天皇を平成天皇と呼ぶ人は誰もいません。

    同時に鎖国はしていないはずでありながら明治維新の開国したとの表記はそのまま。
    学者間のパワーバランスが変わったのかもしれませんね。

    ユーザーID:8402390177

  • もし、私の事でしたら

    >歴史の知識を披露されている お方がいますが、

    もし、私の事でしたら

    (歴史の知識は書いていないので、違うとは思いますが)

    >ある 『 力学 』が、はたらいていることに気付いているのかな。

    これは意味不明ですが

    >それを主張している学者の『 くせ 』や、
    >出版社の『 くせ 』をご存知ですか?

    これは、十分に承知しているつもりです。

    また、そうして欲しいとお願いをするつもりはありませんが、私の書いている事の文責が、私にある事が分かるように書いているつもりです。

    もし、私の事でしたら、悪しからず。

    ユーザーID:4824063008

  • 藤原氏が聖徳太子を作った

    蘇我一族を滅ぼした藤原氏が、蘇我時代の多くの業績を架空の人物によるものとしたかった、のかもしれない。
    日本書紀は革命政権である藤原氏が作ったものですから、滅ぼした蘇我一族は悪者にしたい、でも正史として業績は無視できない、という苦肉の策として聖徳太子が生まれた、のかもしれない。

    鎖国は文明開化と対比するために選ばれた言葉でしょう。
    革命政権である明治政府が、滅ぼした前政権を貶すために使ったのです。

    ユーザーID:8522882014

  • 物語による

    >大山誠一「<聖徳太子>の誕生」吉川弘文館、1999
    >これが非実在説の嚆矢となった著作です。

    読むつもりで買っておいたので、主旨は知っています。

    あいにくまだ読んではいませんが。

    石母田正・武者小路穣「物語による日本の歴史」ちくま学芸文庫

    大変面白く読んだ本です。

    ”物語による”とあるように、内容として神話も含まれていますが、それをそのまま実在の意味としての歴史と受け取る人はあまりいないように、私は感じました。

    歴史学ではないかも知れませんが、歴史を知る手段の一つではあるように思います。

    ユーザーID:0121762652

  • 大きな勘違いをされていますね

    大きな勘違いをされていますね。

    >まず前段。論理がまるで分かりません。親鸞が聖徳太子和讃を書いていることが、どうして聖徳太子実在論の根拠になるのでしょうか。

    私は、Q様が言われているような意味で、聖徳太子が実在していたと言っている訳ではありません。

    >>親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    親鸞が生きていた時代は、聖徳太子の存在は信じられていたのでしょう。

    そして、親鸞は、聖徳太子を日本仏教の祖として尊敬していたのでしょう。

    それを、私は、「歴史上の人物」と表現したのです。

    >親鸞は聖徳太子に幻想を見たのです。

    これは、現在から過去を見た言い方でしかないと思います。

    過去の事件が、現在においてどのような意味を持つのか、その視点があってしかるべきではないでしょうか。

    ユーザーID:0121762652

  • 面白いですよね

    歴史は苦手でしたが、新年度になると子供の教科書を見るのが楽しみです。
    歴史に限らずですが。

    教科書はいろいろな栄養エキスがギュッと詰まったようなものに思えます。
    国語なんか、いいとこどりで充実した内容ですよ。

    大人こそ読めばいいのに。と毎年言ってます(笑)

    内容は自分の時代と変わってる箇所もそこそこあります。(一番変わってないのは数学でしょうか)
    子供には「歴史って変わるんだね〜」と言ってます。
    「昔から決まってる」なんて通用しないなあって。

    でも、自分が学生なら、そもそも歴史苦手なので
    そんな細かい違いなんてどうでもいいや。と思いそう(笑)

    それよりも、人名を漢字で書かないと×なのが…(汗)
    漢字の書き取りか!と思うようなときもあるのがビックリです。

    ユーザーID:5632173071

  • 横ですが、おやじ様

    >親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    >聖徳太子の業績とされていたことが歴史からなくなる訳ではありませんし、親鸞などのように、聖徳太子を日本仏教の始祖として尊敬し、先人である聖徳太子に倣うべく自らの教えを展開していった歴史が消える訳でもありません。

    まず前段。論理がまるで分かりません。親鸞が聖徳太子和讃を書いていることが、どうして聖徳太子実在論の根拠になるのでしょうか。

    聖徳太子非実在論が定説化しているとまで思いませんが、教科書(清水書院)にまで紹介されるまでの有力説であることは否定できません。

    そこでは仏教関連の事績も否定されています。法隆寺系史料は太子とは関係なし(後代のもの)、「三教義疏」は中国製とされています。

    大山誠一「<聖徳太子>の誕生」吉川弘文館、1999
    これが非実在説の嚆矢となった著作です。


    親鸞は聖徳太子に幻想を見たのです。聖徳太子が日本仏教の祖であるというのは、史料的に裏づけられていないのです。だからといって親鸞に対する敬意が損われるわけではありません。

    ユーザーID:1117735384

  • 世界史では

    世界史でも、30年前と比べると教科書記述は大きく変わっています。

    ミケーネ文明は、ギリシア人の第2次南下(ドーリア人南下)で滅んだとされていましたが、いまでは当時東地中海で活動していた「海の民族」によるとされています。

    鉄の製法を発明したのはヒッタイトとされていましたが、そうではなく、それ以前からのものを継承したとされるようになっています。

    インダス文明はアーリヤ人に滅ぼされたとされていましたが、いまでは否定されています。環境悪化、塩害、河道の変化、交易の衰退などが滅亡原因としてあげられています。

    ここ数年のことでは、オゴタイ・ハン国が教科書から消えました。大ハーン直轄領で独立のハン領ではなかったということでしょう。ハイドゥの国はオゴタイ・ハン国とは別物だとも。

    鎖国という語の事情と同様なのですが、絶対主義という語にも疑問がでています。

    ナポレオン3世は、マルクスの評価の影響で、とるにたらない道化的人物として語られてきましたが、いまでは世論に依拠する政治手法、産業発展をこそ重視する政策、社会政策的センスなどで普通選挙制の申し子と見なされるようになっています。

    ユーザーID:1117735384

  • 勉強になります

    中学生の息子の歴史教科書なんて見ていると、へぇっ、ほぉってことが多々あります。先生自作のプリントも昔みたいにただ年号を覚えるのとは違って、「〇〇事件ニュース」とか「〇〇さんはなぜ〇〇したのか!」なんて壁新聞みたいになっていたりして、細かい年号などといったことより物事の「流れ」をつかむことが大事にされているようです。私たちの頃は時間がなくなって3学期にサッと流されがちだった明治以降の近現代史もしっかりやっているので、親よりちゃんと知っていたりしますしね。私は大学受験を日本史でやったので、あの頃といろいろ変わっているというのがとても面白いです。とくに、私が知ってる頼朝さんは頼朝さんではなかったのは、あらまあって感じですが、学者さんたちの研究の成果が反映されているのでしょうね。

    ちょっと世間の反応で不思議なのは、今ニュートン力学しか教えない教科書があったら変だと誰でも思うのに、なぜ歴史だと研究成果が反映されて驚かれるのかってことですね。新資料が出てきたり計器が進化したら、資料の価値や何やらが「おや違ってた」なんて、あって当たり前なのではないでしょうか。だから面白いんだし。

    ユーザーID:6826470386

  • 聖徳太子と鎖国については名称の変更でしょう。

    単純あるいは機械的な、合理的な解釈、判断だと思います。

    鎖国という名の政策を幕府がとったことはなく、17世紀末に日本に滞在したドイツ人ケンペルが後に本を書いた。
    それをオランダ通事の日本人が訳すときに「直訳だとタイトルが長すぎるな〜」というので「鎖国論」とした。
    幕府の人間が始めて鎖国という言葉を使ったのは1853年、いよいよ外交について見直さなきゃならないときに「鎖国」を流用した。
    江戸時代の人に「鎖国」といっても「何それ?」ってとこでしょう。
    明治以降の人間が勝手に鎖国と呼称してきただけだから、そうは呼ばないというだけです。

    聖徳太子、厩戸皇子(ウマヤドノオウジ)についても、後からついた呼称であり、皇子という号も当時はないはずだから呼ぶなら「厩戸の王」ではないかという話です。

    だから前回、あえて「定義」という言葉も出したんですがね。

    自分が習い覚えた言葉に執着するのは「俺らの頃は、アレをこう呼んでたんだよ」という個人あるいは一時代の思い入れに過ぎない。
    個人的な情緒に普遍性を持たせようというのは、単なるエゴではないでしょうか。

    ユーザーID:8696485788

  • 聖徳太子は

    本名厩戸皇子なんで。本名に戻っただけの事。
    聖徳太子は、後に徳をたたえて人々がそう呼ぶようになっただけだから。
    まず本名覚えてあげたら。

    ユーザーID:7783489308

  • 現行日本史教科書の記述

    手元にある1988年の教科書には「推古天皇は、翌年、甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、国政を担当させた」となっていますが、現行本は「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた」とあります(いずれも山川出版社「詳説日本史」)官位十二階、憲法一七条、遣隋使派遣も誰がやったかは曖昧になっています。
     要するに厩戸王という呼び名が聖徳太子より強調され、「国政の担当者」が「協力者」に格下げされています。「摂政」が消えたのは、飛鳥時代にという役職は存在しなかったことが分かったからです。新学習指導要領の考え方はこれらを追認するということだと思います。
    そのうちに、倫理でも日本仏教の祖という評価が消去されるかもしれませんね。

    ユーザーID:1117735384

  • うがった見方をすれば、

    来年の明治維新150年で浮かれそうな方々に対する、皮肉ではないかと。

    ユーザーID:3565436772

  • 横ですが、P様

    2017年3月6日 13:41のレス拝見しました。

    概ねその通りだと思いますが、P様の言われる歴史教育が、細部に拘るあまり、退屈なものになっていることも確かだと思います。

    このトピは例外でしょうが、鎌倉幕府の成立年が1192年か1185年?なのかに関心を持つ人は、そんなにはいないと思います。

    逆に、物語ではあっても、その時代の雰囲気がよく理解できる場合もありますので、

    >日本神話は自分の教養として読めばいいだけのことです。それはそれで大事なことですが、大学にいけば神話学という領域もありますし。

    この意見も、行き過ぎに思えます。

    言うまでの事もない事とは思いますが、実証的な研究をいくら積み上げても、歴史学にはならないでしょう。

    私は、ある本で、誕生時の武士の意識がとても理解できたように思いました。

    そして、これなら、なるほどと思う人も多いのではないかとも思いました。

    そのような事を、個人の趣味や専門的な教育に委ねるのは、怠慢の謗りを受けても仕方がないと、歴史学会には厳しいようですが、私は、そう考えています。

    ユーザーID:4824063008

  • サブプライムさんへ

    >学者があれこれいっているのですが……今になって「鎖国はなかった」なんていうほうがどうかしている。歴史好きの間ではこの文科省の鎖国に関する説明はおかしいとされていますよ。

    文科省は鎖国はなかった(すなわち開国状態だった)といっているわけではありません。鎖国は実態からすると強すぎる言葉なので、この用語を使わないようにしようというだけの話でしょ。鎖という語は確かに誤解をまねきます。

    そしてそれが研究者の主流の考え方になっているということでしょう。「歴史好きの間では……」って誰が言っているのですか。それにアマチュアでしょ。「学者があれこれいっているのですが」とも言われていますが、専門家の言は軽視できませんよ。

    ユーザーID:1117735384

  • 物語は歴史ではない

    >国民の物語は文学または民俗学の管轄であって、このトピにはそぐわない気がします。

    「幸いすむと人のいふ」様の言われるとおりです。

    義務の歴史教育で神話を学んで、歴史学的に何の意味があるでしようか。もちろん神話が何がしの史実を反映したり、当時の人の意識を探る材料を提供してくれたりすることはありますが、それは小中でやることでもありません。出雲神話を持ち出して、国譲りは大和国家による暴力的征服を反映しているとかを教えるのですか。

    国語教材であつかうのならともかく。

    この人たちは「皇紀元年」とか言っているあたりですでにイタイです。

    日本神話は自分の教養として読めばいいだけのことです。それはそれで大事なことですが、大学にいけば神話学という領域もありますし。

    ユーザーID:1117735384

  • 新説というもの

    ご承知のように聖徳太子は「うまやどのみこ」(厩戸皇子)ともいいますね。新教科書は
    これをメインにするというものです。また日本の鎖国は、学者があれこれいっているのですがオランダとは長崎でずっと通商していましたし、朝鮮とは対馬藩が窓口になっていました
    。こういう事実は昔からわかっていましたからこれを今になって「鎖国はなかった」なんて
    いうほうがどうかしている。歴史好きの間ではこの文科省の鎖国に関する説明はおかしい
    とされていますよ。

    ユーザーID:4262512099

  • ここで問題になっているのは歴史学でしょう。

    だからまずは事実や定義が問題になる。

    国民の物語は文学または民俗学の管轄であって、このトピにはそぐわない気がします。

    ホメロスはじめ「エッダ」「サーガ」「「アーサー王物語」を、1資料としてでなくそのまま歴史にはできないでしょう。

    ユーザーID:8696485788

  • 孝子さんへ2

    >ここでも人文科学系の人達は、先走りの印象ですね。ゲノム解析から、ホモサピ エンスとネアンデルタール人が交雑していたというのは、今では、既定の事実になっていますが、『共存』 と言いきってしまうのには、無理があります。 同じゲノム解析からネアンデルタール人は、ホモサピエンスより、コミュニケーション力が劣り集団規模が小さかった事が想定されていますし、戦闘能力が高かったホモサピエンス側が、積極的にネアンデルタール人を排除していったという説がホモサピエンス側が病原体を持ち込んだことで、ネアンデルタール人が滅んだという話よりも、信憑性があるというのが最近の学説です。

    私が共存と言ったのは、単に生存した時期がダブルという意味です。並存としたほうがよかったですね。

    それにしても上記引用部には驚かされました。私は、狩猟能力の差などからしだいに淘汰されたと思ってきました。いろいろ読んでも、殺戮を示す証拠はないとありました。ほんの4〜5年前の出版物からの知見です。積極的な排除説が最近の学説だということですが、本当ですか。いつごろからそうなったのでしょうか。推薦図書があればご教示ください。

    ユーザーID:1117735384

  • 横ですが、孝子さんへ

    >(サヘラントロプス)を最古の人類と言いきっているのは主に人文科学系の人達で、自然科学系の学者に間ではまだ、議論の段階です。要するに人文科学系の先走りに過ぎません。

    私もサヘラントロプスについて、二足歩行の有無、属の設定には異論があることは知っています。でも最古の人類説は多数説だと思っていました。

    教科書は、ここ十数年はまちまちだったと思います。私の関わった教科書はようやく最近そうしました。同じ社の地学教科書はすでにサヘラントロプスであったのですが。

    以上は前段です。冒頭の引用部はいささか解せません。人文科学系はしょせん門外漢ですので自然科学系の受売りをしているにすぎません。先走りはしないはずです。まぁ議論の段階なのか、有力となっているのかの問題だとは思うのですが。

    同様のことに新人アフリカ起源説と多地域進化説がありますが、アフリカ起源説で決まりなのかまだ有力説にとどまるのか、ご教示ください。せっかく専門家に出会えたので。

    もう一点、新人とネアンデルタール人は亜種の違いなのか種の違いなのかも。交雑の事実で学名がどうなったかです。ここは二転三転していますね。

    ユーザーID:1117735384

  • 科学か国民の物語か

    歴史を科学と考えて、常に最新の研究を反映させるのが、今の学校教育です。
    一方で、皇紀元年からの国民の物語を共有するという教育も考えられます。

    学校教育として子供に教えるべき内容は、歴史科学なのか国民の物語なのかは、よくよく議論する必要があります。

    ユーザーID:8522882014

  • 鎖国について

    >鎖国という言葉は江戸時代の外国の文献にあった言葉を翻訳したもので、当時の
    日本では鎖国という表現は使われていなかったと聞きました。ということは、
    時代劇の登場人物が「我が国は鎖国をしておる」と言ったら、それは間違いということ?

    ドイツ人医師ケッペルという人の「日本誌」という著が、日本は長崎を通じてオランダとのみ交渉をもち、閉ざされていると記したのですが、これを訳した通詞志筑忠雄が、これに「鎖国論」という題をつけたことが鎖国という言葉の始まりです。この本は出版もされず、写本が一部に伝わっただけです。

    したがって一般的な用語ではなく、時代劇でそのような言葉が出るのはおかしいです。幕閣がこの言葉を使った記録の最初は実に1853年です。ですから、それ以前に鎖国は祖法といった言い方はありません。制度として認識していないのです。

    日本の江戸時代、中国、朝鮮も海禁政策をとっていましたが、これを鎖国とは言いません。アイヌルート、朝鮮通信使、琉球王国ルート、オランダ・中国との交易を考えても、鎖国は強すぎる言葉だというのが学界の主流になったということですが、異論もあります。

    ユーザーID:1117735384

  • 三職推任問題

    三職推任問題(注)も論争に決着がついて、教科書の記述が変わったりするのでしょうか。

    注:信長を三職(征夷大将軍・太政大臣・関白)のいずれかに任官しようとする件が、朝廷側から持ち出されたのか、信長の要求によるものかの問題

    この問題は、信長が朝廷の権威に屈服したとも解釈できる要素があり、もし、その説が有力になって教科書に記載されたとすれば、絶大な人気を誇る信長だけに、大きな反響を呼ぶのではないかと思います。

    信長は、決して革命児などではなかった事になりますから。

    因みに、私は英雄なるものが好きではないので、上の説を支持しています。

    ユーザーID:4824063008

  • 歴史教科書の変化3

    (つづき)
    聖徳太子問題と関連しますが、607年の小野妹子による遣隋使も意義がやや下げられてきています。以前から言われていたことですが、第1回の遣隋使は600年で、これが取り上げられるようになっています。日本書記には出ていませんが、隋書に記載されているのです。

    お札にも使われた聖徳太子像も厩戸王の画像ではないと言われています。


    参勤交代が制度化された理由で、大名の経済力を削ぐためとまことしやかに言われていましたが違います。ご恩と奉公の関係で、平時における軍事奉公の顕示だとするのが正しい。経済力が削がれたのは結果だと。私、これを教科書編集者として付き合った東大教授から聞きました。そういえばこのテーマは東大入試(論述)に出ましたね。

    応仁の乱の対立図式にも変更があります

    細川勝元と山名持豊(宗全)が、それぞれ義視と義政・義尚を支援して対立し(山川の詳説日本史1998年本)→いまはこういう連携関係は削除。「富子・義尚は一貫して勝元と行動をともにしている」と東大教授榎原雅治氏の著書にあります。

    ユーザーID:1117735384

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