歴史の常識?非常識??

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  • 「鎖国」を教科書から削除する?

    「出島」の存在意義をどう説明するのでしょうか?

    ユーザーID:6808180959

  • なくなるわけではない

     文部科学省が14日に公表した次期学習指導要領の改定案では、小中学校の社会科で「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改める。
    中学歴史でも史料に忠実に、「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変える。

    ユーザーID:5608664132

  • 史実だけを重視する方向。

    聖徳太子は居なかったという学説が、現在では常識になっています。ただし、聖徳太子の
    モデルになったとされている『厩戸皇子』は実在していたと言う話です。
    これは、かつての聖徳太子像が、あまりにも超人的・宗教的に扱われてきた点を否定的に
    考える事が多くなったという事です。

    鎖国については、明治新政府の考え方によって、江戸期における徳川の治世を否定的に扱
    う為の理由として、如何にも外国に対して閉じた国家であった日本というのを誇張する印
    象を植えつけたというのが近年の学説です。実際の日本は、過去に言われたほどには、外
    国との交流を一切絶っていたというわけではないというように言われています。
    どちらかというと、最近の日本と同じで、海外の文化や社会に関心を持つよりは、ガラパ
    ゴス的で日本人自体が外国に対する関心が薄かったというような話に変わりつつあると思
    いますよ。

    ユーザーID:5798816199

  • だいぶ変わってますよ

    元歴史部部長(高校時代)の主婦子が通りますよーーー!
    日本史も西洋史も、ホントにむかし習ったのとはだいぶ変わっています。
    科学技術が発達したこともありますし、新たな資料が見つかったり、遺跡の発掘などにより新発見が続々です。
    たとえば、ペリー来航を幕府は一年前から知っていてちゃんと対策も考えていたこと。今までの日本の常識では、いきなりペリー率いる黒船が来て幕府はもちろん日本中がパニックになったと言うのが通説だったでしょ?
    ほんとうはそうではなかったんですよ。
    他には、教科書に載っていた足利尊氏を描いたと言われた絵は、今の子供たちには「馬に乗った武将の図」とか「流鏑馬」と教えられています。
    偉人では、西郷隆盛の上野の銅像や絵は真っ赤なニセモノですから。西郷さんは写真をとらせなかったので、誰も本人の顔を知りません。

    ユーザーID:9920164609

  • 歴史は変わるが常識だと思ってます

    私も30年前くらいに勉強しました。その時から好きになり、歴史を趣味にしてきました。

    歴史って、新たな文献が出てくると新歴史になるんですよ。

    あとは、教科書担当者でも変わると思います。認識の違いも大きな理由ですね。

    まあ、歴史は変わるが常識ですね。

    私は、今は歴史よりも、宇宙考古学に目覚めてしまったので、全てひっくり返されましたね。

    主さん以上にショックです。笑

    ユーザーID:4042371823

  • 1192ではない

     鎌倉幕府は、いいくにつくろう、1192年ではない。など、いろいろな史実が変わってきます。これはしかたのないことで、史学の研究が進めばこうなってくるのは当然のことです。
     

    ユーザーID:0445814584

  • 聖徳太子⇒日本仏教の始祖、鎖国⇒非公式の交流まで拡大 かな?

    今当たり前の事が、30年後も当たり前である事は、ありえません。

    また、歴史家でも無い限り、細かい事をほじくっても仕方ない気がします。

    聖徳太子は、日本仏教の始祖として、昔から崇められていたようです。

    有力な政治勢力が、仏教を受け入れたことで、仏教が広まるきっかけとなったからだと思います。

    おそらく、そのあたりが、要点だと思いますが、聖徳太子のモデルとなった人物は、実在したようです。

    鎖国にしても、長崎の出島でのオランダとの交流や中国、朝鮮との交流等は、幕府による公的なものですが、他にも、薩摩藩による琉球を介した大陸等との交流も、知られていました。

    他、非公式な交流は、当然あったでしょうから、鎖国は実態としては存在しないとの見解が主流となった事を受けて、教科書の記述が無くなったと思われます。

    >歴史に造詣が深い皆さま

    そのような者では全くありませんが、聖徳太子が実在したかどうか、鎖国はあったかどうか、あるいは、大化の改新はあったかどうかは、それ自体は大した問題ではないと思います。

    ユーザーID:4824063008

  • 造詣は深くないけど

    わたしもアラフォーですが、
    聖徳太子は昔から厩戸皇子だったので、厩戸王でも違和感ないし、
    鎖国も正に幕府の海外政策だから、あんまり違和感有りません。

    技術が進み、更に検証されて、
    鎌倉幕府の成立年が変わったり、
    足利尊氏の肖像画が違う人物だったり。
    ミステリーみたいで面白いなと思います。

    ユーザーID:8045101453

  • いくつか

    ・鎌倉幕府成立は1185年(昔は1192年)
    →1192年は源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年だが、実際は1185年には鎌倉幕府が成立した(日本国総追捕使・総地頭に任ぜられている)ため変更
    ・大化改新は646年(昔は645年)
    →政変(乙巳の変)があった年が645年、翌646年に大化改新の詔を発布したため変更
    ・日本最初の硬貨は「富本銭」(昔は和同開珎)
    →富本銭が1999年に大量出土したため。ただし、最初に全国的に流通使用されたのは和同開珎。
    ・有名な前方後円墳は「大仙陵古墳」(昔は仁徳天皇陵)
    →宮内庁が古墳の調査を認めていないため、当該古墳が仁徳天皇が埋葬されているという学術的確証が得られないため。

    大きなものではこんなとこ。
    娘の教科書見てびっくりした。

    歴史はその後の調査や、違う視点から見直すと変わってしまうものなんですよね。
    日々更新される未来と過去に乾杯です。

    蛇足:徳川家康の死因は胃がん
    →昔は鯛の天ぷらがあたった食中毒とされてました。書き残されたその症状から、胃がんの可能性が極めて高いそうです。

    ユーザーID:4987339937

  • 聖徳太子は知らないけど鎖国は歴史上事実

    それとも聖徳太子も鎖国も真っ赤な嘘だったのですか?そしたらペリーが鎖国止めよと要求したのも作り話?日本のニュースに疎いけど、いったい何でビッグ・ニュースになったのですか?

    そしたら、子供の時あまり歴史教科書に載ってなかったパール・ハーバーとか戦時中の南京での出来事とか、ずっと歴史教科書の表に出るのですか?

    気になるからもっと詳しく教えてください。

    ユーザーID:4177881400

  • 鎌倉幕府

    成立が1192年から1185年に変わっているそうです。
    よく見せられる源頼朝の黒い服の肖像画は当人かどうかはっきりしないという説もあります。

    そのうち、坂本龍馬が教科書から消える日がくるかもしれません。

    ユーザーID:5261933716

  • 間違いね。

    >聖徳太子や鎖国が歴史の教科書からなくなる
    トピ主さんニュースを理解していないでしょう、歴史のみならず。
    単に「言葉」だけの問題ね。「住居表示が変わる」と同じようなもの。

    「鎖国」や「聖徳太子」という言葉が実態に即していないから云々ね。

    >日本の歴史にはあんまり強くない私にやさし〜く教えてくださいませ。
    これを機会に色々と勉強したら。
    「こんなに変わった歴史教科書」という本があるから。

    報道ではその話は、
    「小中学校の社会科では「鎖国」の表記をやめ、「幕府の対外政策」に改めます。中学歴史でも、「聖徳太子」が没後100年以上たって付いた呼称だという理由で、「厩戸王うまやどのおう」に変えます。」
    トピ主さんの言ってるのと違うでしょ。

    ユーザーID:0426657865

  • 同じく!

    45歳の主婦です。
    同じく昔、30年以上前に習ったはずの歴史認識が訂正されて、混乱してました。
    しかし、その時代の人がいない現在、訂正されることもあると思います。
    もちろん捏造は許し難いですが。

    厩戸皇が、没後に尊敬の念から聖徳太子って呼称になったのかな?
    鎖国時代は、日本の国益になる国との交易はしていたので、厳密な意味ではガチガチな鎖国ではないでしょうね。

    自分の先祖の歴史は面白くて、地元の歴史も大好きです。合併とかで昔ながらの地名が刷新されると悲しいですが。

    歴史の教科書含め、他のも流動的に変化していますね。
    古今東西それは永続すると思います。

    絶対変えない教科書より、現在も新しい発見で訂正される変化のある歴史教科書
    これまた新しいロマンがありそうなので受け入れています。

    ユーザーID:2488509814

  • 歴史を教えています

    私も30年前の中学生です。
    変わったこと、他にもありますよ。
    賄賂をもらった田沼意次は、経済的に先見の明があったすごい人。
    みなさんよく知っている源頼朝の肖像画は別人ということで、今は教科書に載っていません。

    ちょっと話はそれますが、表記の仕方も微妙に変化していて、縄文式土器・弥生式土器・高床式倉庫・リアス式海岸(これは地理ですけど)は皆「式」が取れちゃいました。

    ユーザーID:7991947381

  • まだ改定案の段階です

    文科省は、3月15日まで国民の意見をパブリックコメントとして募集しているそうです。

    没後100年の諡号だからといって、我々にとっては(お札でも)馴染み深い聖徳太子の名前を教科書からなくしてしまうのは反対です。

    お互いに意見を反映させましょう。

    ユーザーID:4621205013

  • トピ主さんと同世代です。

    あの、日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵」が今は「大仙陵古墳」に変わっています。
    子供の教科書を見て驚き、思わず
    「えー!これ、仁徳天皇陵じゃないの?」と私。
    「ママ、何言ってんの?」と子供、一蹴。笑
    何でもそこに眠るのは仁徳天皇と断定できないとの見解から、
    大仙陵古墳に変わったのだとか。そ、そんなあ。

    あと、黒馬に乗ったあの足利尊氏像は「騎馬武者像」に変わっています。
    足利尊氏じゃないなら、誰だよ、このおっさん。

    色々びっくりですが
    子供の教科書を見ると、まちがえ探しみたいで面白いですよ。

    余談ですが、1980年代も歴史の記述に登場してるんですね。
    私の中では歴史でなく記憶です。笑
    バブル崩壊とか、連立政権とか・・・既に歴史なんですよ〜。
    細川護熙氏が歴史の教科書に登場してるんですよ。へぇ〜。
    海外だとペレストロイカやベルリンの壁崩壊、イラ・イラ戦争なども歴史。

    それだけ自分が歳を取った、ってだけの話ですけど。

    トピ主さん、楽しいトピをありがとう。
    他の方のレスも楽しみです。

    ユーザーID:9382294880

  • いろいろ変ってきています

    すでに高校日本史では、聖徳太子はずっと前か厩戸王か、併記ですね。最近では聖徳太子非実在説すら紹介されています。摂政となったと言う記述も消されてきています。

    非実在説はかなり支持を得ているようで、いまや有力学説ないし異説として認知されてきています。厩戸王という王族はいたが、いろいろな事績は裏づけはなく、聖徳という名とともに後世につくられた神話だという説です。

    私は歴史教科書にかかわってきました。以下思いつくままに。
    仁徳陵→大山古墳
    大化の改新→乙巳の変
    鎌倉幕府成立年 1192→消去
    戦国時代開始年 1491→1493 北条早雲の伊豆討ち入り年の変更
    「士農工商」→士と農工商→使わなくなっている
    踏絵→絵踏
    セポイの乱→インド大反乱
    マゼラン→マガリャンイス
    オゴタイ・ハン国→消去(非存在)

    ユーザーID:1117735384

  • そういえば

    「仁徳天皇陵」も娘の教科書では別の言葉になっていたような。
    私は地学が好きなので古生代の二畳紀が「ペルム紀」に変わっていたこともショックでした。
    気圧のミリバールも今ではヘクトパスカル、冥王星も太陽系の惑星ではなくなったし。
    こんな変化にショックを受けるなんて、自分、歳をとったんだなあと思うと、更にショックです。

    ユーザーID:2909874714

  • 老中・田村意次

    老中田沼の時代に贈収賄が横行したのは事実ですが、
    彼の取った貨幣経済への移行・重商政策は、現在の「景気刺激策」であり、良い政策・良い政治家と評価されています。

    ユーザーID:5998049174

  • 大名行列

    大名行列というと、庶民は土下座平伏しなければならないと思われていましたが、
    それは御三家のみで、それ以外の大名行列は平伏の必要がないことがわかりました。
    行列の進行を邪魔しないよう脇によけるだけでよかったようです。

    昔の時代劇でよく見られた「したぁーーにーー、したに。」は御三家のみです。

    ユーザーID:5998049174

  • 歴史だけではなく

    確か、「こんなに変わった歴史の教科書」みたいなタイトルの本がありますよ。うろ覚えなので、読みたければ検索してみてください。たしか、鎌倉幕府も1192ではなくなったとか有名な頼朝の像とされてきたものは頼朝ではなかったとか、そんなことが書いてあったような。

    歴史は、例えば、新たに何かが発見されたとか、よくよく検証してみたらこうだったとか、そういうことで変わることがあるみたいですね。ただ、新しい説や発見があったとしても、それが受け入れられるまでに時間がかかるので、例えば今「〇〇の歴史の真実」みたいな話があったとしても、それが即教科書に採用されるわけではないみたいですね。

    中学生の子どものテスト勉強を横で見ていると、「えー?そんなこと習ったっけ?」というのがたくさんあります。例えば理科で地震の波形とかやってて、「P波とS波が・・・」なんて言っているし、家庭科もなんだか進化しているし、「やーん、ママに聞かないでー」となりますね(苦笑)

    ユーザーID:2717353388

  • 「鎖国」という言葉、「聖徳太子」という言葉の扱い

    徳川時代、海外渡航は禁じられていましたが長崎でオランダと交易していたというのは今も昔も変わらず教えるということです。ただそれを「鎖国」とは呼ばなくなったということ。
    朝鮮通信使が江戸まで来ていたことも歴史の時間に教えていたと思います。
    他には松前ではアイヌと交易があり、薩摩は琉球を属国扱いしていましたが琉球は同時に独立国として清と交易していましたから国を閉じていたというより限定して管理していたことを表すような言葉遣いにするということだと思います。

    ユーザーID:4239926751

  • 歴史像の変化

    歴史用語や年代の変更を列記しましたが、重要なのは大きな歴史像の変化です。

    私は世界史が専門ですので、いくつか述べます。

    古代ギリシアは西洋古典文化の源泉として西洋史のはじまりとして章立てされていたのですが、いま一部の教科書では、古代オリエントの外縁部として描かれています。

    ルネサンスは近代冒頭に章立てされていたのですが、一部の教科書では中世の最後に位置づけられています。近代の夜明けとして過剰に評価すべきではないという問題意識があります。

    隋と唐は漢民族王朝だと多くの人は認識していると思いますが、北方民族の鮮卑系だと見る教科書がでています。以前から専門家の間では言われていたことですが。

    いまの教科書は、ポルトガルのアジア進出を以前ほど評価しません。その交易は在来のネットワークに一部で参入したもので、点の支配であったというのです。

    その他、決定的に記述が変わったのは先史時代です。

    30年前は、人類の誕生は250万年前でしたが、440万年前を経ていまは700万年前となっています。最古の人類もアウストラロピテクスからサヘラントロプスとなっています。

    ユーザーID:1117735384

  • 長篠の合戦

    戦国時代に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が戦った有名な合戦で、当時最強と呼ばれた武田騎馬隊に対して、織田軍が3000丁の鉄砲を揃え、新戦法三段撃ちを行ったとされてました。しかし近年では、3000丁も三段撃ちも後世の作り話だったと言われています。

    ユーザーID:4061091218

  • どっちでもいいからどっちかにしてくれ

    百済はクダラかヒャクサイか、
    新羅はシラギかシンラか、
    白村江の戦いはハクスキノエノタタカイかハクソンコウノタタカイか。
    私らの時はクダラ/シラギ/ハクスキノエで一発単純!だったけど今両方併記じゃん。

    子供の教科書見て「両方出てるけど結局どっちなのよもー」
    って一人でぼやいているおいらでした。
    どっちでもいいからどっちかにしてくれ。
    聖徳太子と厩戸王は両方併記にはならないんだろうなコラ。

    「645年大化の改新」だったのが「645年乙巳の変」+「その後の改革があったとしたらそれが大化の改新」
    になったのは納得できるしイッシノヘンってカッコイイからヨシ。

    ユーザーID:4823874029

  • ペリー様

    >気になるからもっと詳しく教えてください。

    近年の研究で、江戸幕府はオランダや中国と外交をしており、全ての外国に対して
    門戸を閉ざしていたわけではないとの学説が定着したため、鎖国という言葉は適切
    ではないとの指摘があったそうです。

    鎖国という言葉は江戸時代の外国の文献にあった言葉を翻訳したもので、当時の
    日本では鎖国という表現は使われていなかったと聞きました。ということは、
    時代劇の登場人物が「我が国は鎖国をしておる」と言ったら、それは間違いということ?

    ユーザーID:6720372792

  • 横、及び歴史教科書の変化2

    >没後100年の諡号だからといって、我々にとっては(お札でも)馴染み深い聖徳太子の名前を教科書からなくしてしまうのは反対です。

    馴染みが深いから反対ですか。歴史は学であって国民の物語ではありませんので、そんなことを言っても始まりませんよ。いまの歴史学は徹底的に実証史学なのです。

    さて、教科書が変わってきていることについて続けます。

    先史時代で、猿人→原人→旧人→新人の階梯で人類が進化してきたようにかつては書かれていましたが、いまは違います。旧人と新人はほぼ同時代人ですし(20万年前〜3万年前は共存)、原人すら並存していました。


    日本史に戻ります。徳川綱吉の評価もそうです。生類哀れみの令は悪法のように言われてきましたが、いまでは彼の政治は武断的な戦国の遺風を払う文治主義として評価が高いです。

    武士の発生は、地方の乱れにより土地所有者が防衛のために武装するようになったと説明されていましたが、いまでは武芸という芸をもつ職能集団として発生し、地方の乱れの原因となったり、それへの警察機能として使われたと説明されます。

    (つづく)

    ユーザーID:1117735384

  • 坂本龍馬を暗殺したのは誰?

    昔、教科書に載っていた肖像画では

    足利尊氏→高師直
    源頼朝→足利直義

    説が有力になっていると記憶しています。

    しかし、坂本龍馬は、写真も残っているので、歴史から消えることはないと思います。

    もちろん、業績のようなものは見直しがあるかも知れませんが。

    (足利尊氏や源頼朝も、肖像画の問題で、存在自体が消える訳ではありませんが。)

    坂本龍馬は、暗殺したのは誰かで、写楽や卑弥呼と並ぶミステリー的な話題を提供していますが、実は、薩長だったとする説もあります。

    根拠は、坂本龍馬の施策があまりにも開明的で、薩長が主導権を握れない(利権にありつけない)事を恐れたからだとするものですが、国会の開設が明治維新から時間を要したことから、結構、的を得ているかも知れません。

    坂本龍馬は、そのような形での見直しがありそうな気がします。

    (薩長は、徳川に代わって自分達が天下を取ると言った古い概念から抜け出せませんでしたが、坂本龍馬が描いていたのは、国会開設後の姿に近かったように思えます。)

    ユーザーID:0121762652

  • 縄文式、高床式、リアス式から式が消えた?

    昔は「日本にはシキがある」と自慢したものですがね…。

    ユーザーID:8696485788

  • 聖徳太子和讃

    親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    キリスト教の世界では、キリストの実在が論議になったりするようですが、聖徳太子の実在論議も、そのようなものではないかと思います。

    キリスト教の教義をイエス・キリストで象徴させた(集約した)だけで実在の人物ではないとする立場と、イエス・キリストは実在したと考えてそれの証明を試みる立場と、両方が存在するようです。

    でも、どちらの立場に立つにしろ、キリスト教の歴史が根本的な部分で変わる訳ではありません。

    それと同じで、聖徳太子の業績とされていたことが歴史からなくなる訳ではありませんし、親鸞などのように、聖徳太子を日本仏教の始祖として尊敬し、先人である聖徳太子に倣うべく自らの教えを展開していった歴史が消える訳でもありません。

    因みに、ムハンマド(マホメット)は、実在の人物(業績も含めた意味で)のようです。

    ユーザーID:0121762652

  • なんだか錯綜してきましたね。

    2度目です。

    鎌倉幕府の1185年に変更は、ここ数年、あちこちで話題になりましたが、地震のP波とS波や、賄賂政治の田沼意次が景気振興したというのは何十年も前から常識だったはずですが?

    ユーザーID:8696485788

  • 芋麻さんへ

    >百済はクダラかヒャクサイか、
    新羅はシラギかシンラか

    いまでは百済はベクチェ、新羅はシルラ、高句麗はコグリョです。
    高麗もコリョですが、朝鮮は国号でもあるのにチョソンとはせずちょうせんですね。

    韓国・朝鮮については地名・人名は韓国語読みになっています。中国の人名については日本語読みと中国語読みの併記なししは日本語読みです。地名はまだ日本語読みですね。地理ではカタカナで中国語表記ですが。

    まぁ現地読みが原則になったということです。西欧の地名・人名表記はかなり前からそうなっていますし。

    ユーザーID:1117735384

  • サヘラントロプス

    若い世代の人達に、最古の人類は?という設問をすると、アウストラロピテクス
    ではなくサヘラントロプスと言う回答が多いそうです。

    ただし、これを最古の人類と言いきっているのは主に人文科学系の人達で、自然
    科学系の学者に間ではまだ、議論の段階です。要するに人文科学系の先走りに過
    ぎません。自然科学界では、近年、ゲノムの解析や骨格から導き出されるシミュ
    レーションなどの手法を重視するようになっており、頭蓋骨だけで、全身骨格が
    見つかっていない現状では、サヘラントロプスの二足歩行も、推測の域を出ませ
    んし、最近では、人類と類人猿の分岐は、700万年前より更に遡る可能性も示
    唆されているので、チンパンジーの祖先に過ぎないのではという学説もあるくら
    いです。

    古生物学分野での、かつての違いと言えば、恐竜でしょうね。今では、現行の爬
    虫類よりは、鳥類に近い種とされ、一部の恐竜が鳥類の祖先になったとされてい
    ます。実際に羽毛をもっていた恐竜が少なくないようですし、恒温動物で今の鳥
    類のような抱卵と子育をしていたという話もあります。ただし、何故飛翔するよ
    うになったのかは、大きな謎です。

    ユーザーID:5798816199

  • これも、先走り過ぎ。。

    >先史時代で、猿人→原人→旧人→新人の階梯で人類が進化してきたようにか
    つては書かれていましたが、いまは違います。旧人と新人はほぼ同時代人です
    し(20万年前〜3万年前は共存)、原人すら並存していました。

    ここでも人文科学系の人達は、先走りの印象ですね。ゲノム解析から、ホモサ
    ピエンスとネアンデルタール人が交雑していたというのは、今では、既定の事
    実になっていますが、『共存』 と言いきってしまうのには、無理があります。
    同じゲノム解析からネアンデルタール人は、ホモサピエンスより、コミュニケ
    ーション力が劣り集団規模が小さかった事が想定されていますし、戦闘能力が
    高かったホモサピエンス側が、積極的にネアンデルタール人を排除していった
    という説がホモサピエンス側が病原体を持ち込んだことで、ネアンデルタール
    人が滅んだという話よりも、信憑性があるというのが最近の学説です。

    21世紀の今日でさえ、ホロコースト的な考え方がまだくすぶっているくらい
    ですから、何万年も前の時代では、それが当たり前に行われたと考えても不思
    議ではありません。共存みたいなイメージは、 正しくないと思いますよ。

    ユーザーID:5798816199

  • 前政権の人や政策を悪く言う

    こんな風に思っていればいいのではないでしょうか。
    石田三成が能力がないというのは徳川幕府の宣伝だし、日米修好通商条約が不平等だというのは明治政府の宣伝のおかげ。こういうことを覆すには、それなりの時間が必要なのですね。

    ユーザーID:5261933716

  • 歴史教科書の変化3

    (つづき)
    聖徳太子問題と関連しますが、607年の小野妹子による遣隋使も意義がやや下げられてきています。以前から言われていたことですが、第1回の遣隋使は600年で、これが取り上げられるようになっています。日本書記には出ていませんが、隋書に記載されているのです。

    お札にも使われた聖徳太子像も厩戸王の画像ではないと言われています。


    参勤交代が制度化された理由で、大名の経済力を削ぐためとまことしやかに言われていましたが違います。ご恩と奉公の関係で、平時における軍事奉公の顕示だとするのが正しい。経済力が削がれたのは結果だと。私、これを教科書編集者として付き合った東大教授から聞きました。そういえばこのテーマは東大入試(論述)に出ましたね。

    応仁の乱の対立図式にも変更があります

    細川勝元と山名持豊(宗全)が、それぞれ義視と義政・義尚を支援して対立し(山川の詳説日本史1998年本)→いまはこういう連携関係は削除。「富子・義尚は一貫して勝元と行動をともにしている」と東大教授榎原雅治氏の著書にあります。

    ユーザーID:1117735384

  • 三職推任問題

    三職推任問題(注)も論争に決着がついて、教科書の記述が変わったりするのでしょうか。

    注:信長を三職(征夷大将軍・太政大臣・関白)のいずれかに任官しようとする件が、朝廷側から持ち出されたのか、信長の要求によるものかの問題

    この問題は、信長が朝廷の権威に屈服したとも解釈できる要素があり、もし、その説が有力になって教科書に記載されたとすれば、絶大な人気を誇る信長だけに、大きな反響を呼ぶのではないかと思います。

    信長は、決して革命児などではなかった事になりますから。

    因みに、私は英雄なるものが好きではないので、上の説を支持しています。

    ユーザーID:4824063008

  • 鎖国について

    >鎖国という言葉は江戸時代の外国の文献にあった言葉を翻訳したもので、当時の
    日本では鎖国という表現は使われていなかったと聞きました。ということは、
    時代劇の登場人物が「我が国は鎖国をしておる」と言ったら、それは間違いということ?

    ドイツ人医師ケッペルという人の「日本誌」という著が、日本は長崎を通じてオランダとのみ交渉をもち、閉ざされていると記したのですが、これを訳した通詞志筑忠雄が、これに「鎖国論」という題をつけたことが鎖国という言葉の始まりです。この本は出版もされず、写本が一部に伝わっただけです。

    したがって一般的な用語ではなく、時代劇でそのような言葉が出るのはおかしいです。幕閣がこの言葉を使った記録の最初は実に1853年です。ですから、それ以前に鎖国は祖法といった言い方はありません。制度として認識していないのです。

    日本の江戸時代、中国、朝鮮も海禁政策をとっていましたが、これを鎖国とは言いません。アイヌルート、朝鮮通信使、琉球王国ルート、オランダ・中国との交易を考えても、鎖国は強すぎる言葉だというのが学界の主流になったということですが、異論もあります。

    ユーザーID:1117735384

  • 科学か国民の物語か

    歴史を科学と考えて、常に最新の研究を反映させるのが、今の学校教育です。
    一方で、皇紀元年からの国民の物語を共有するという教育も考えられます。

    学校教育として子供に教えるべき内容は、歴史科学なのか国民の物語なのかは、よくよく議論する必要があります。

    ユーザーID:8522882014

  • 横ですが、孝子さんへ

    >(サヘラントロプス)を最古の人類と言いきっているのは主に人文科学系の人達で、自然科学系の学者に間ではまだ、議論の段階です。要するに人文科学系の先走りに過ぎません。

    私もサヘラントロプスについて、二足歩行の有無、属の設定には異論があることは知っています。でも最古の人類説は多数説だと思っていました。

    教科書は、ここ十数年はまちまちだったと思います。私の関わった教科書はようやく最近そうしました。同じ社の地学教科書はすでにサヘラントロプスであったのですが。

    以上は前段です。冒頭の引用部はいささか解せません。人文科学系はしょせん門外漢ですので自然科学系の受売りをしているにすぎません。先走りはしないはずです。まぁ議論の段階なのか、有力となっているのかの問題だとは思うのですが。

    同様のことに新人アフリカ起源説と多地域進化説がありますが、アフリカ起源説で決まりなのかまだ有力説にとどまるのか、ご教示ください。せっかく専門家に出会えたので。

    もう一点、新人とネアンデルタール人は亜種の違いなのか種の違いなのかも。交雑の事実で学名がどうなったかです。ここは二転三転していますね。

    ユーザーID:1117735384

  • 孝子さんへ2

    >ここでも人文科学系の人達は、先走りの印象ですね。ゲノム解析から、ホモサピ エンスとネアンデルタール人が交雑していたというのは、今では、既定の事実になっていますが、『共存』 と言いきってしまうのには、無理があります。 同じゲノム解析からネアンデルタール人は、ホモサピエンスより、コミュニケーション力が劣り集団規模が小さかった事が想定されていますし、戦闘能力が高かったホモサピエンス側が、積極的にネアンデルタール人を排除していったという説がホモサピエンス側が病原体を持ち込んだことで、ネアンデルタール人が滅んだという話よりも、信憑性があるというのが最近の学説です。

    私が共存と言ったのは、単に生存した時期がダブルという意味です。並存としたほうがよかったですね。

    それにしても上記引用部には驚かされました。私は、狩猟能力の差などからしだいに淘汰されたと思ってきました。いろいろ読んでも、殺戮を示す証拠はないとありました。ほんの4〜5年前の出版物からの知見です。積極的な排除説が最近の学説だということですが、本当ですか。いつごろからそうなったのでしょうか。推薦図書があればご教示ください。

    ユーザーID:1117735384

  • ここで問題になっているのは歴史学でしょう。

    だからまずは事実や定義が問題になる。

    国民の物語は文学または民俗学の管轄であって、このトピにはそぐわない気がします。

    ホメロスはじめ「エッダ」「サーガ」「「アーサー王物語」を、1資料としてでなくそのまま歴史にはできないでしょう。

    ユーザーID:8696485788

  • 新説というもの

    ご承知のように聖徳太子は「うまやどのみこ」(厩戸皇子)ともいいますね。新教科書は
    これをメインにするというものです。また日本の鎖国は、学者があれこれいっているのですがオランダとは長崎でずっと通商していましたし、朝鮮とは対馬藩が窓口になっていました
    。こういう事実は昔からわかっていましたからこれを今になって「鎖国はなかった」なんて
    いうほうがどうかしている。歴史好きの間ではこの文科省の鎖国に関する説明はおかしい
    とされていますよ。

    ユーザーID:4262512099

  • 物語は歴史ではない

    >国民の物語は文学または民俗学の管轄であって、このトピにはそぐわない気がします。

    「幸いすむと人のいふ」様の言われるとおりです。

    義務の歴史教育で神話を学んで、歴史学的に何の意味があるでしようか。もちろん神話が何がしの史実を反映したり、当時の人の意識を探る材料を提供してくれたりすることはありますが、それは小中でやることでもありません。出雲神話を持ち出して、国譲りは大和国家による暴力的征服を反映しているとかを教えるのですか。

    国語教材であつかうのならともかく。

    この人たちは「皇紀元年」とか言っているあたりですでにイタイです。

    日本神話は自分の教養として読めばいいだけのことです。それはそれで大事なことですが、大学にいけば神話学という領域もありますし。

    ユーザーID:1117735384

  • サブプライムさんへ

    >学者があれこれいっているのですが……今になって「鎖国はなかった」なんていうほうがどうかしている。歴史好きの間ではこの文科省の鎖国に関する説明はおかしいとされていますよ。

    文科省は鎖国はなかった(すなわち開国状態だった)といっているわけではありません。鎖国は実態からすると強すぎる言葉なので、この用語を使わないようにしようというだけの話でしょ。鎖という語は確かに誤解をまねきます。

    そしてそれが研究者の主流の考え方になっているということでしょう。「歴史好きの間では……」って誰が言っているのですか。それにアマチュアでしょ。「学者があれこれいっているのですが」とも言われていますが、専門家の言は軽視できませんよ。

    ユーザーID:1117735384

  • 横ですが、P様

    2017年3月6日 13:41のレス拝見しました。

    概ねその通りだと思いますが、P様の言われる歴史教育が、細部に拘るあまり、退屈なものになっていることも確かだと思います。

    このトピは例外でしょうが、鎌倉幕府の成立年が1192年か1185年?なのかに関心を持つ人は、そんなにはいないと思います。

    逆に、物語ではあっても、その時代の雰囲気がよく理解できる場合もありますので、

    >日本神話は自分の教養として読めばいいだけのことです。それはそれで大事なことですが、大学にいけば神話学という領域もありますし。

    この意見も、行き過ぎに思えます。

    言うまでの事もない事とは思いますが、実証的な研究をいくら積み上げても、歴史学にはならないでしょう。

    私は、ある本で、誕生時の武士の意識がとても理解できたように思いました。

    そして、これなら、なるほどと思う人も多いのではないかとも思いました。

    そのような事を、個人の趣味や専門的な教育に委ねるのは、怠慢の謗りを受けても仕方がないと、歴史学会には厳しいようですが、私は、そう考えています。

    ユーザーID:4824063008

  • うがった見方をすれば、

    来年の明治維新150年で浮かれそうな方々に対する、皮肉ではないかと。

    ユーザーID:3565436772

  • 現行日本史教科書の記述

    手元にある1988年の教科書には「推古天皇は、翌年、甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、国政を担当させた」となっていますが、現行本は「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた」とあります(いずれも山川出版社「詳説日本史」)官位十二階、憲法一七条、遣隋使派遣も誰がやったかは曖昧になっています。
     要するに厩戸王という呼び名が聖徳太子より強調され、「国政の担当者」が「協力者」に格下げされています。「摂政」が消えたのは、飛鳥時代にという役職は存在しなかったことが分かったからです。新学習指導要領の考え方はこれらを追認するということだと思います。
    そのうちに、倫理でも日本仏教の祖という評価が消去されるかもしれませんね。

    ユーザーID:1117735384

  • 聖徳太子は

    本名厩戸皇子なんで。本名に戻っただけの事。
    聖徳太子は、後に徳をたたえて人々がそう呼ぶようになっただけだから。
    まず本名覚えてあげたら。

    ユーザーID:7783489308

  • 聖徳太子と鎖国については名称の変更でしょう。

    単純あるいは機械的な、合理的な解釈、判断だと思います。

    鎖国という名の政策を幕府がとったことはなく、17世紀末に日本に滞在したドイツ人ケンペルが後に本を書いた。
    それをオランダ通事の日本人が訳すときに「直訳だとタイトルが長すぎるな〜」というので「鎖国論」とした。
    幕府の人間が始めて鎖国という言葉を使ったのは1853年、いよいよ外交について見直さなきゃならないときに「鎖国」を流用した。
    江戸時代の人に「鎖国」といっても「何それ?」ってとこでしょう。
    明治以降の人間が勝手に鎖国と呼称してきただけだから、そうは呼ばないというだけです。

    聖徳太子、厩戸皇子(ウマヤドノオウジ)についても、後からついた呼称であり、皇子という号も当時はないはずだから呼ぶなら「厩戸の王」ではないかという話です。

    だから前回、あえて「定義」という言葉も出したんですがね。

    自分が習い覚えた言葉に執着するのは「俺らの頃は、アレをこう呼んでたんだよ」という個人あるいは一時代の思い入れに過ぎない。
    個人的な情緒に普遍性を持たせようというのは、単なるエゴではないでしょうか。

    ユーザーID:8696485788

  • 勉強になります

    中学生の息子の歴史教科書なんて見ていると、へぇっ、ほぉってことが多々あります。先生自作のプリントも昔みたいにただ年号を覚えるのとは違って、「〇〇事件ニュース」とか「〇〇さんはなぜ〇〇したのか!」なんて壁新聞みたいになっていたりして、細かい年号などといったことより物事の「流れ」をつかむことが大事にされているようです。私たちの頃は時間がなくなって3学期にサッと流されがちだった明治以降の近現代史もしっかりやっているので、親よりちゃんと知っていたりしますしね。私は大学受験を日本史でやったので、あの頃といろいろ変わっているというのがとても面白いです。とくに、私が知ってる頼朝さんは頼朝さんではなかったのは、あらまあって感じですが、学者さんたちの研究の成果が反映されているのでしょうね。

    ちょっと世間の反応で不思議なのは、今ニュートン力学しか教えない教科書があったら変だと誰でも思うのに、なぜ歴史だと研究成果が反映されて驚かれるのかってことですね。新資料が出てきたり計器が進化したら、資料の価値や何やらが「おや違ってた」なんて、あって当たり前なのではないでしょうか。だから面白いんだし。

    ユーザーID:6826470386

  • 世界史では

    世界史でも、30年前と比べると教科書記述は大きく変わっています。

    ミケーネ文明は、ギリシア人の第2次南下(ドーリア人南下)で滅んだとされていましたが、いまでは当時東地中海で活動していた「海の民族」によるとされています。

    鉄の製法を発明したのはヒッタイトとされていましたが、そうではなく、それ以前からのものを継承したとされるようになっています。

    インダス文明はアーリヤ人に滅ぼされたとされていましたが、いまでは否定されています。環境悪化、塩害、河道の変化、交易の衰退などが滅亡原因としてあげられています。

    ここ数年のことでは、オゴタイ・ハン国が教科書から消えました。大ハーン直轄領で独立のハン領ではなかったということでしょう。ハイドゥの国はオゴタイ・ハン国とは別物だとも。

    鎖国という語の事情と同様なのですが、絶対主義という語にも疑問がでています。

    ナポレオン3世は、マルクスの評価の影響で、とるにたらない道化的人物として語られてきましたが、いまでは世論に依拠する政治手法、産業発展をこそ重視する政策、社会政策的センスなどで普通選挙制の申し子と見なされるようになっています。

    ユーザーID:1117735384

  • 横ですが、おやじ様

    >親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    >聖徳太子の業績とされていたことが歴史からなくなる訳ではありませんし、親鸞などのように、聖徳太子を日本仏教の始祖として尊敬し、先人である聖徳太子に倣うべく自らの教えを展開していった歴史が消える訳でもありません。

    まず前段。論理がまるで分かりません。親鸞が聖徳太子和讃を書いていることが、どうして聖徳太子実在論の根拠になるのでしょうか。

    聖徳太子非実在論が定説化しているとまで思いませんが、教科書(清水書院)にまで紹介されるまでの有力説であることは否定できません。

    そこでは仏教関連の事績も否定されています。法隆寺系史料は太子とは関係なし(後代のもの)、「三教義疏」は中国製とされています。

    大山誠一「<聖徳太子>の誕生」吉川弘文館、1999
    これが非実在説の嚆矢となった著作です。


    親鸞は聖徳太子に幻想を見たのです。聖徳太子が日本仏教の祖であるというのは、史料的に裏づけられていないのです。だからといって親鸞に対する敬意が損われるわけではありません。

    ユーザーID:1117735384

  • 面白いですよね

    歴史は苦手でしたが、新年度になると子供の教科書を見るのが楽しみです。
    歴史に限らずですが。

    教科書はいろいろな栄養エキスがギュッと詰まったようなものに思えます。
    国語なんか、いいとこどりで充実した内容ですよ。

    大人こそ読めばいいのに。と毎年言ってます(笑)

    内容は自分の時代と変わってる箇所もそこそこあります。(一番変わってないのは数学でしょうか)
    子供には「歴史って変わるんだね〜」と言ってます。
    「昔から決まってる」なんて通用しないなあって。

    でも、自分が学生なら、そもそも歴史苦手なので
    そんな細かい違いなんてどうでもいいや。と思いそう(笑)

    それよりも、人名を漢字で書かないと×なのが…(汗)
    漢字の書き取りか!と思うようなときもあるのがビックリです。

    ユーザーID:5632173071

  • 大きな勘違いをされていますね

    大きな勘違いをされていますね。

    >まず前段。論理がまるで分かりません。親鸞が聖徳太子和讃を書いていることが、どうして聖徳太子実在論の根拠になるのでしょうか。

    私は、Q様が言われているような意味で、聖徳太子が実在していたと言っている訳ではありません。

    >>親鸞が、聖徳太子和讃を書いていますので、聖徳太子が歴史上の人物であった事は間違いないと思います。

    親鸞が生きていた時代は、聖徳太子の存在は信じられていたのでしょう。

    そして、親鸞は、聖徳太子を日本仏教の祖として尊敬していたのでしょう。

    それを、私は、「歴史上の人物」と表現したのです。

    >親鸞は聖徳太子に幻想を見たのです。

    これは、現在から過去を見た言い方でしかないと思います。

    過去の事件が、現在においてどのような意味を持つのか、その視点があってしかるべきではないでしょうか。

    ユーザーID:0121762652

  • 物語による

    >大山誠一「<聖徳太子>の誕生」吉川弘文館、1999
    >これが非実在説の嚆矢となった著作です。

    読むつもりで買っておいたので、主旨は知っています。

    あいにくまだ読んではいませんが。

    石母田正・武者小路穣「物語による日本の歴史」ちくま学芸文庫

    大変面白く読んだ本です。

    ”物語による”とあるように、内容として神話も含まれていますが、それをそのまま実在の意味としての歴史と受け取る人はあまりいないように、私は感じました。

    歴史学ではないかも知れませんが、歴史を知る手段の一つではあるように思います。

    ユーザーID:0121762652

  • 藤原氏が聖徳太子を作った

    蘇我一族を滅ぼした藤原氏が、蘇我時代の多くの業績を架空の人物によるものとしたかった、のかもしれない。
    日本書紀は革命政権である藤原氏が作ったものですから、滅ぼした蘇我一族は悪者にしたい、でも正史として業績は無視できない、という苦肉の策として聖徳太子が生まれた、のかもしれない。

    鎖国は文明開化と対比するために選ばれた言葉でしょう。
    革命政権である明治政府が、滅ぼした前政権を貶すために使ったのです。

    ユーザーID:8522882014

  • もし、私の事でしたら

    >歴史の知識を披露されている お方がいますが、

    もし、私の事でしたら

    (歴史の知識は書いていないので、違うとは思いますが)

    >ある 『 力学 』が、はたらいていることに気付いているのかな。

    これは意味不明ですが

    >それを主張している学者の『 くせ 』や、
    >出版社の『 くせ 』をご存知ですか?

    これは、十分に承知しているつもりです。

    また、そうして欲しいとお願いをするつもりはありませんが、私の書いている事の文責が、私にある事が分かるように書いているつもりです。

    もし、私の事でしたら、悪しからず。

    ユーザーID:4824063008

  • 竹田恒泰氏の説

    関西地区で放送されている読売テレビの「そこまで言って委員会NP」の中で明治天皇の玄孫である竹田恒泰氏が曰く、聖徳太子は実在していたはずがない。聖徳太子は死後に贈られる「諡」(おくり名)である。聖徳太子の名前で実在しないからと言って厩戸の皇子と呼ぶのはおかしいとの説です。

    それからすると推古天皇は生前「額田王」であり、天武天皇は「大海人皇子」明治天皇は生前「睦仁」と称し、大正天皇も昭和天皇も「嘉仁」「裕仁」、今上天皇を平成天皇と呼ぶ人は誰もいません。

    同時に鎖国はしていないはずでありながら明治維新の開国したとの表記はそのまま。
    学者間のパワーバランスが変わったのかもしれませんね。

    ユーザーID:8402390177

  • 単なる解釈論や表現論?に陥ってしまう危険があると思います

    イギリスの著名な歴史家であるE・H・カーが、「歴史とは何か」の第1章の最後に

    ・歴史は、歴史家と事実の相互作用であって、現在と過去の対話である

    趣旨の事を書いています。

    もちろん、表現される事が前提だと思いますが。

    個人的には、”歴史家”に限定している部分と、一般化しすぎているように取れるところが不満ですが、納得はできる考え方だと思います。

    ユーザーID:0121762652

  • おやじ様

    遅くなりましたが、言われていることは了解しました。ただおやじ様の表現には誤解を招く点があったとは思いますが。でもそんなに食い違いはないようです。

    それよりも別の意味で私は勘違いしていました。それも石母田正がでてきたことで氷解しました。

    >歴史学ではないかも知れませんが、歴史を知る手段の一つではあるように思います。

    これはそのとおりですね。確かに文献史料だけが歴史学の材料ではありませんね。

    ユーザーID:0391921504

  • 「弥生式」

    (A) 当時の人は自分たちの外交方針を「鎖国」と呼んでいなかったので,この呼び名は不適当である.

    (B) 当時の人は自分たちの土器を「弥生式土器」と呼んでいなかったので,この呼び名は不適当である.

    (A),(B)の違いは何でしょう?

    例の「江戸しぐさ」騒動以来,文科省の歴史感覚に??になってしまって,文科省は,(A)と言いながら,(B)になってしまうことに気付いていないのではないか,などと疑ってしまいます.どうなんでしょう?

    ユーザーID:7831367181

  • 変わらないらしい

    今日のニュースによれば、聖徳太子、鎖国は、変えない変わらない。

    ユーザーID:5261933716

  • もと通り!?

    トピ主のみんです。
    聖徳太子も鎖国も、名称が変わるとわかりにくいという国民の声が多く、もと通りの表記になるというニュースが出ましたね〜。皆さんのレスを読んで、歴史って変わっていくんだなあと思いました。日本史音痴の私にはちょっと難しい話題もありましたが、とても興味深く読ませていただきました。おもしろい情報と熱い議論を、ありがとうございました!

    ユーザーID:9420160763

  • 太子?

    「聖徳太子」という名称については、推古朝に本当に「太子」という制度が存在し、馬厩豊聡耳がそれについていたのでしょうか?『書記』に「東宮聖徳」という名称が出てくるものの、それで統一されているわけではなく、「大兄」を冠した名称も見当たりません。諡号が悪いというより、果たして「太子」だったかどうか疑問の大いに残る人物を太子と呼ぶことが問題なのだと思います。早良親王を崇道天皇と教えるのがまずい類ではないでしょうか?

    ユーザーID:5331817147

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