昭和40年代、テレビのビートポップス、おぼえてますか?

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トピ主のみ4

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60代前半の者です。

まだ中学生だった頃、多分、昭和41〜43年くらいだったと思うのですが、フジテレビ系で土曜日の午後、”ビートポップス”という洋楽ベストテン番組をやってました。 大橋巨泉さんが司会、毎週ビルボード誌のランキング上位の曲を流してスタジオでは大勢の人たちが曲にのって踊るという番組でした。たしか藤村俊二さんも時々登場して、ダンスの振り付けなどしていたと思います。
当時、ビートルズの”ハロー・グッバイ”や”レデイーマドンナ”、ビージーズの”マサチューセッツ”などの曲がよくかかっていたのを憶えています。

大橋巨泉さんも藤村俊二さんも最近お亡くなりになって、テレビでこの番組をよく見ていたのを思い出しました。

ユーザーID:3726224151

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  • 覚えています

     外国ミュージシャンの曲をレコードで流していましたね。
     ミリアム・マケバの「パタパタ」という曲の振り付けを藤村俊二さんがやってました。この曲は「サチコガ・サチコガ・ナチーンパタパタ」と聴こえました。本当の歌詞何だったんだろうか?いまだに分かりません。

     藤村俊二さんのことを大橋巨泉さんが「おひょい」と呼んでました。この意味も当時は分かりませんでした。

     あれから半世紀近く経ってしまいました。
     

    ユーザーID:6028971246

  • なつかし〜い

    私も中学生でした。土曜日学校から帰っていつも見ていました。テープレコーダーをテレビの前に置いて録音していました。家族には「音立てないで!」って言っていましたね。直接音源を取る方法が他になくて。
    確か、星加ルミ子さんって音楽雑誌の編集長の方が出ていましたね。ビートルズに単独インタビューした方だったと思います。

    懐かしいです。私が洋楽と出会った番組です。

    ユーザーID:7678415786

  • 私もファンでした

    うわー懐かしい。
    私も中学生ぐらいでしたが、あの番組が好きでこの年になるまで時々は思い出してました。
    トピ主さんみたいに記憶は確かではなく、特に番組名はさっぱり忘れてました。
    司会は大橋巨泉さんで、いろんな意味でかっこいい番組でしたね。
    それと杉本エマさん(? 名前がうろ覚え)が番組のマスコットみたいな感じで踊りまくっていて、それも子供心にものすごくかっこいいと思っていました。
    まだ自分でレコードを買うという感じでなく、テレビやラジオで外国の曲を聴くのがせいぜい。
    あの頃聞いた曲では特にビージーズが印象深く残っています。
    ビージーズの「マサチューセッツ」を聞くとあの番組を思い出すという風に、私の中ではなっています。
    トピ主さん、懐かしい番組を思い出させてくださってありがとうございます。
    昔はテレビも夢があったなあ、とつくづく思います。

    ユーザーID:8632451698

  • 憶えてます

    こんにちは
    私はドングリ眼の星加ルミ子が大好きでした。

    ユーザーID:8539500998

  • 見ていました

    洋楽ポップスのことがわかる番組でした。ビートルズが現役で活躍中だったのですから、ビートルズに詳しい星加ルミ子さんが出演していて、その情報がわかるのは良かったです。藤村俊二さんは後のコミカルなところがない格好いい振付師だと思いました。
    また、踊りのほうで安岡力也さんも出ていました。力也さんも亡くなってしまいました。
    マサチューセッツを歌えるまで一生懸命覚えましたね。

    ユーザーID:7912058865

  • すごく楽しそうな番組

    知らない番組だけどすごく楽しそう。観てみたかった。
    観るだけじゃなくて、スタジオで大勢の人の中の一人として踊りたかった。

    ビートルズやビージーズの他に、例えば

    The Spencer Davis Group - I'm A Man

    のようなのが流れていたのでしょうか?
    どんな曲がかかっていたか他にも覚えていらっしゃいませんか?
    いろいろ聴いてみたいです。

    ユーザーID:7741999386

  • 見てました!!!

    昭和26年生まれの者です。見ていました。

    外国のポップスを紹介していました。土曜は学校から急いで帰り(電車通学していました)、テレビに釘付でした。

    多分ここらあたりで、洋楽にハマっていったと思います。同時にラジオの深夜放送も聞いていました。

    覚えているのが巨泉のダジャレ。『牛も知ってるカウシルズ』が一番覚えています。

    小山ルミがミニスカートで踊っていたのを覚えています。同性の私から見ても、可愛い子でしたね。藤村俊二が振り付けをしていましたね。

    星加ルミコさんが眩しかった。初めてビートルズに単独インタビューした英語ぺらぺらな人で、音楽雑誌の編集長だったし、ものすご〜いキャリアウーマンに見えて、当時は憧れていました。

    東京在住でいながら、都会的でない生活を送っていた私には、別世界でした。

    ユーザーID:1006689769

  • 楽しい時代でしたね。

     私もトピ様と同年齢かもしれません。
     思い出します。土曜日の午後、大橋巨泉やミュージックライフの星加ルミ子の司会、スタジオで踊っている可愛い女の子は、小山ルミ、ではなかったかしら。
     ビートルズ全盛時代で、洋楽ポップスが新鮮でしたね。
     あの影響からか、初期のユーミンや、達郎。。。嬉しかったな。

     若い時にいいものに出会えて幸せでした。アメリカやイギリスの他にも、フランスのシャンソン、イタリアのカンツオーネが入ってきましたね、若い世代に。
     サンレモ音楽祭とかが有名で、伊東ゆかりが賞を取ったり。
     中学生だったが、ジリオラチンクエッテイの(雨)など、カタカナで覚えて歌ってました。
     (そよ風に乗って)なども、可愛い元気のある歌でした。
     巨泉のイレブンPMの時代は、遊びと余裕を生活にもたらせた高度成長期の日本を懐かしく思い出します。今、思えばレコード会社や局のタイアップで流行らせた戦略だったかもね?ちなみに毎晩深夜放送も聞いてました。いつ勉強してた?

    ユーザーID:8704316863

  • 懐かしい

    懐かしいです。

    土曜日の午後、ライブスタジオで
    「ゴーゴーガール」が踊り、おひょいさんが踊り、
    イギリスやアメリカのヒットが紹介され・・・
    今思えば、時代の先端を行く番組でしたね。

    中学生だったので「こ、こんなきらびやかな
    世界があるのか!」と、いちいちびっくりでした。

    小山ルミが物凄い美少女で、
    同性ながら見とれました。
    後日、カトちゃんと彼女がつきあったときは、
    ショックだったなあ〜(爆笑)

    ミニスカート、白いエナメルブーツ、ページボーイカット、
    フリンジのついたインディアン風な上着、
    アフガンコート・・・すべてに憧れて、
    ほんと青春だったな。

    ユーザーID:7478170318

  • 懐かしいですね

    とぴ主です。
    当時を憶えていらっしゃる方がいらして嬉しいです。

    そう、どなたかもおっしゃっていたように、あの番組、私も洋楽にはまるきっかけになったかもしれません。ビートルズをあの時代に現在進行形で聴いていたっていうことが今となっては貴重ですよね。

    ミリアム・マケバの”パタパタ”の振り付け、よくテレビの前で踊ったりして、何と今でもまだ覚えてます。それと、一度、ビージーズの”マサチューセッツ”を小山ルミがソロで全曲とおしで踊ったのを素敵だなあ、とみていたのも思い出します。

    星加ルミ子さんは音楽雑誌ミュジックライフの編集長で、あの雑誌もよく読んでました。福田一郎さんや湯川れい子さんなんかも活躍されていましたよね。

    ラジオでは八木誠さんのDJにすっかり夢中になってました。八木誠さん、憶えているかたいるでしょうか? 深夜の放送、日曜日の午後のTBSなどなさっていて、いつも聞き入っていました。

    ユーザーID:3726224151

  • トピ主です。深夜放送もよく聞いてました

    そういえば中学・高校の頃、中間テストや期末テストの前には試験勉強と称して家に帰るとすぐに寝てしまい、夜起きだして夜中中勉強するというパターンでした。とは言うものの、実際には勉強にはあまり実が入らずラジオの深夜放送ばかり聞いてましたっけ。あの当時の深夜放送には皆を惹きつける何かがたしかにあったような気がします。リクエストのハガキもよく書いて出していました。読まれたりするとうれしくて。

    ちょっと調べてみたら、ビートポップスは1966年から4年くらいテレビで続いていたそうで、最終回が1970年の1月31日だったようです。結構長い事続いていたんですね。

    ユーザーID:3726224151

  • 真夜中

    こんにちわ。
    私も試験期間中は学校から帰ると寝て、夜に勉強と称して教科書を読んだり読まなかったり、
    そして朝、ふらふらテストに行っていました。

    あとニューヨークのビルボード誌に電話を掛けて週一でホット10の十曲を聞き出すという番組も
    憶えています。ナンバーナイン、ウィズ ア ブレットなんていわれて、ブレットとは何なのか
    分からなかったけど、後年実際にビルボード誌を見て了解しました。
    あとFENのエイテイ フォーテイも聞いていました。AT40はAMERICAN TOP 40の略でした。

    ユーザーID:8539500998

  • トップ40

    アメリカン・トップ40は日本のラジオ局でもやっていましたよね。ケイシ―・ケイスンのおしゃべりを日本語で要約して。長年この番組の顔だったケイシ―・ケイスンさんも何年か前に亡くなってしまいました。あの時代の方々がだんだんいなくなってしまうのは淋しいですね。

    ユーザーID:3726224151

  • アメリアッチとは

    記憶が曖昧になっているかもしれませんが、ハーブ・アルパートとティファナブラスを知ったのがビートポップスだったと思います。巨泉さんの解説で、アメリアッチとはメキシコの音楽マリアッチにアメリカを組み合わせた造語だということでした。深夜放送のビター・スィート・サンバもこのグループの演奏です。

    ラジオ番組ですと、日曜夜にトップから放送するベストテン番組があったのを覚えています。トップテンの番組ですといまだに10位から発表していくものですが、この番組だけは最初に1位が発表されて曲が流れていました。

    ユーザーID:7912058865

  • 深夜放送。。

    トピ主様の懐かしいあの時代における愛情のこもったお話が、私も嬉しいです。
     皆様の思い出も。。小山ルミの存在は大きかった?

     深夜放送で、オールナイトニッポンを聴いていました。
     トランジスタラジオで。もう寝なさい!と、怒られる親に隠れて。

     後にニッポン放送の社長になった金曜日担当の亀ちゃん(亀渕氏)は、孤独な寂しがり屋の若い人々に広場を作ろう!がコンセプトでした。

     今も、同じよね?

     ゴーゴ―ゴー!のお洒落な糸居五郎さんや、アンコー、哲っちゃん、土曜日の夜は本格派の渋い高崎一郎氏。
     後に、子供の幼稚園時代に知り合ったママ友が、私の父は高崎一郎なのよ、と。中学生の時にお父さんの放送、よく聴いていたわよ!と弾みました。
     
     高崎氏の家には当時(深夜放送時代)の芸能人も沢山みえて、フォークルの加藤和彦(トノバン)も良く来ていたそうです。若い才能を見出していたんですね。

     みんな、遠い思い出になってゆくのね。60歳を超えると、懐かしさと同時に、人生を愛おしく思い、今後を丁寧にやっていきたいなって、思いますね。
     巨泉も、おひょいも、トノバンも、いなくなっちゃったね。

    ユーザーID:8704316863

  • 深夜放送の思い出

    そうでした。
    糸居五郎さん、斎藤アンコウさん、今井哲っちゃん、高崎一郎さん。あの頃(1960年代)ビタースイートサンバで始まるオールナイト-ニッポンよく聴きました。

    亀淵さんと言えばよく覚えているのは、当時ビアフラの食糧不足による飢餓を救おうと、放送を聞いている多くのリスナーに呼びかけ政府にハガキをだして日本で余っている古米をビアフラに送ろう、と。若者たちが政府を動かした社会現象として取り上げられたりもしました。私もハガキを送った一人でした。

    パックインミュージックでは八木誠・若山弦蔵さんのコンビが好きでいつも聴いていました。

    つい最近、動画サイトで検索していたらなんと八木ちゃんの声がアップされていて何十年ぶりで聴くことができました。感激でした。自分が10代だった頃がふっとよみがえってきたみたいでした。

    思い出はだんだん遠くなるけれど、そのころの曲を聴いたりすると突然よみがえってきますね。年はとっても若かった時のこころは忘れたくないです、よね。

    ユーザーID:3726224151

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