おばあちゃん子だった方、お集まりください!

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トピ主のみ1

図書館だより

話題

トピを開いて頂いてありがとうございます。
私は自他共に認める、おばあちゃん子でした。
私の人生に最も影響を与えた人は、間違いなくおばあちゃんです。
おばあちゃんにはもう会えないけれど、おばあちゃんのことを思い出す時、私の心はいつも温もりでいっぱいになります。
美味しかった味噌汁、一緒に観た寅さん、良い香りの化粧水。
おばあちゃんは「仏さんのごはんを食べたら、賢くなるねんで」と言って、仏壇にまつっていたごはんに熱いお茶をかけて、お茶漬けにしてくれました。
お茶漬けにしても、ごはんはカリカリでした(笑)
もったいないから、ごはんを捨てたくなかったんでしょうね。
ちゃんと食べたけど、賢くなれたかなあ?
「あんたが来るおもて、置いといてん」と言って、いつも果物やお饅頭をご馳走してくれました。
「白髪は好かん」と言って、美容院によく行くおしゃれな人でした。
趣味は、ボクシングとプロレスの観戦。
田宮二郎さんが好きだったっけ。
7人の子供を育てあげて、本当に立派です。
みなさまのおばあちゃんは、どんなおばあちゃんでしたか。
お話聞かせてください。

ユーザーID:1801231639

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  • 素敵だなぁ!!


    うちも神様や仏様を大事にする大正生まれ93歳のおばあちゃんがいます。

    家の仏壇の仏様には毎朝手をあわせ、お彼岸やお盆、親戚など家族の誰かの命日には、必ず団子やうどんを作って供え、正午になると仏様があちらの世界にかえっていくそうで、
    正午を過ぎたら、お供え物を頂く。

    毎日ご飯や白湯を供えて、夜にお供えを頂く。カッピカピなのに。

    物を非常に大切にしていて、5人の子どもを育て上げましたが、今では皆、おじいちゃん、おばあちゃんの立場になりました。そんな彼らが中学、高校の頃に着ていた物を、きれいにとっておいて着ています。

    身長は140センチ程で体重は30キロちょっとかな?筋と骨だけのような細くて小柄なおばあちゃんですが、

    頭もしっかりしていて、元気に自分で歩きます。

    サザエさんに出てくる、おふねさんのような髪型をしていて、髪の毛を切ったことがありません。

    おばあちゃんの話は、戦争の頃の話や自身が子どもの頃の話、教訓などで、優しい穏やかな口調で話します。

    好きなお茶菓子は、カステラなど柔らかくて優しい甘さの物です。

    私も今は子どもがいるので、頻繁に会いに行くことが難しくなりましたが、
    そんなおばあちゃんをしたって、GWや盆、正月には親族がぞろぞろと集まって賑やかに過ごしています。

    130歳まで生きたい。

    と言っている、とても可愛い、憧れのおばあちゃんです。これからも長生きしてほしいです。

    ユーザーID:1239762315

  • ありがとう

    おばあちゃんの思い出を語れるトピを立ててくださってありがとうございます。
    21年前に亡くなりましたが、自営業の両親の代わりに過剰なまでの(笑)礼儀作法と愛情を授けてくれました。

    まだ小学校に上がる前、叔母が来てお茶をしましょうとなりお茶菓子に手を出した瞬間
    「お客さんより先に食べたらダメ!」
    とぴしゃりと怒られました。怖かったですよ、しばらく部屋から出ましたもの。
    目上の方への接し方を事有るごとに教えてもらいました。おかげで先生やバイト先の方に不快感を与える事なく過ごせました。

    にわか雨が降ったら学校の下駄箱に傘がかけてありました。下校時間を三十分も過ぎたら校門の前にお迎えがありました。放課後伸び伸びと遊べない事に若干不満はありましたが父が幼少に大きな事故にあったので心配だったんでしょう。

    小学三年生の時に
    「結婚したらおばあちゃんも付いていくよ」
    と言われた事、信じていました。24才の時に亡くなったので新居には写真を飾っています。

    ユーザーID:6738101301

  • 私もおばあちゃん子。

    おばあちゃんの後ろをいつも付いて回っていました。
    もう30年近く前に天国に行きましたが、生きていれば105歳。
    働いていた母の代わりに、ご飯を作ってくれました。
    勿体無いが口癖で、なんでも捨てずに美味しく料理してくれたなぁ。
    仏壇にお供えしていたご飯の硬いのも食べましたよー。
    もう一度会いたいなぁ。

    ユーザーID:1425720011

  • いい人でした

    祖母は明治生まれの人で私は親が共働きだったのでいつも
    父方の祖母と過ごしていました。

    祖母はとても優しく誰からも好かれていました。
    誰に対しても誠実で親切で悪口を言わない。

    祖母といるとき、母のことをいつも褒めていていつもみんなに
    ありがとうを言うので祖母というのはそういうものだと思って
    いました。

    いつも質素、季節の花を愛でる
    孫の成長を喜ぶ、没頭できる趣味を持っている、謙虚、
    ユーモアがあって面白い人でした。

    そして私がいい会社で働いていても、そうでない時にもいつも温かく
    見守ってくれてありがたかったです。
    私が人生で出会った中で一番素敵な人だと思っています。

    ユーザーID:9310849158

  • 天然でやさしくて面白い人でした

    微笑ましいトピをありがとうございます。
    私の結婚式を前にして、昨年旅立ってしまったおばあちゃん。

    若くしてお嫁に来たのでかなり自由奔放な人で、おしゃれで、アクセサリーもたくさん。
    わたしが来るたびにどれか一つ、プレゼントしてくれました。
    遊びざかりの孫5人を、大好きな色の車に乗せてどこへでも連れて行ってくれました。

    幼い頃は映画に連れて行ってくれました。
    わたしが「おばあちゃんは何歳なの?」と聞くと、「20歳よ」と…
    何も考えずしばらく信じていました(笑)

    わたしの受験時代には、勉強中に必ずお菓子とお茶を出してくれました。
    「紅茶を甘くし過ぎちゃったから、コーヒーをいれて中和してみたわ」と…
    今思えばこのあたりから認知症が始まっていましたが、
    なにせもともと天然なおばあちゃんでしたので、みんな嫌だとも変だとも思えませんでした(笑)

    最後は、わたしの顔も、娘であるお母さんの顔もわからなくなってしまいましたが、
    大好きな旦那さんであるおじいちゃんのことはわかっていたんじゃないのかな。

    旅立って暫く立ちますが、時々私の夢の中に会いに来てくれます。
    またわたしのことを思い出してくれて本当にうれしくなります。

    ユーザーID:6756510339

  • おばあちゃん大好き

    私もおばあちゃん子でした。母子家庭で仕事に忙しい母親の代わりに、面倒をみてくれていました。
    食の好き嫌いが多く、少食な私を叱る事なく、慣れない洋食を近所の人に聞いて作ってくれたり、近くに住んでいる親戚、がわざわざ貰いに来る、炊き込みご飯や天ぷらは絶品でした。
    私が結婚、出産後は足が悪くなっても毎月遊びに来てくれたり、年金でひ孫の為に服や日用品を沢山送ってくれていました。 
    私へお小遣いと言って3千円程同封してくれたり、優しい思い出は尽きません。 
    余命短くなり、入院をした時に私の息子が「ひぃばあちゃんにあげるの」と、お見舞いに持って行った紙飛行機をベッドの横に飾って、同室の方や看護師の人達に「ひ孫が作ってくれた」と嬉しげに見せてたそうです。
    おばあちゃんが、天国で私が生まれる前には亡くなっていたおじいちゃんと楽しく過ごしていると信じています。

    おばあちゃんを偲ぶ優しいトピをありがとうございます。

    ユーザーID:3095460785

  • 祖母が亡くなってからお婆ちゃん子に

    実は本当にお婆ちゃん子だったのは腹違いの姉なのですが・・・後妻の私の母と同居していた父方の祖母の間には嫁姑の確執がかなりあり、母は祖母が亡くなった今でもいい話はしません。
    同じ孫なのに連れ子の姉ばかり可愛がり私と弟はぞんざいにしていたと言うのです。
    祖母は自分自身が継母に育てられた生い立ちのため、必要以上に姉を守ろうとしたようです。

    でも、子供当時の自分から見て充分可愛がってもらっていた気がします。嫌な思い出はひとつもありません。
    明治生まれで若い頃は美人で、シングルマザーで叔父と父を育て上げ(父の実父は父が生まれる前に亡くなりました)、パトロンを見つけ小料理屋さんを独りできりもりしてた祖母。料理がうまく世知に長け、いろんなことを教えてもらいました。自分の作る和食のレパートリーの多くは祖母に教えてもらったものです。
    「ばあちゃんは社長から小間使いまで全部独りでやってたよ」と、若い頃を振り返って誇っていたこともありました。
    父は、夜に母親がおらず外食ばかりで寂しい思いもしたようですし、祖母がお店を経営出来たのは男性のおかげもあるでしょうが、自分がシングルマザーである今、今ほどひとり親を守る制度がなかった当時ですから祖母の生き方の苦労は並大抵でないと分かりますし立派だと思います。

    祖母が亡くなってからそういう当時の話を聞き、図らずもお婆ちゃんっ子になった私です。

    ユーザーID:5618322914

  • おじいちゃんだけれど・・

    今年、5月に亡くなりました。私のおじいちゃんは90歳でした。

    転勤が多く、小さい時一緒にいた記憶は少ないけれど
    小学校低学年の時
    トイレに一人で行くのが怖かった私は「おじいちゃんついてきて。」といつも祖父にトイレまで連れて行ってもらってました。
    小学校中学年の頃
    転勤から帰ってきた祖父はいつも「小学なん年生」という雑誌を買ってきてくれました。漫画を買ってもらえなかった私の楽しみでした。
    中学生の時
    雨が降ってると迎えに来てくれる祖父。弟が迎えを頼んだら人相の悪い祖父は「やくざ」に間違えられました・・・・
    高校の時
    祖父の作る団子のような食べ物。美味しかったな・・。
    私が独身の社会人の時
    門限は暗くなったらと思っている祖父は私の帰りが遅いと庭をうろうろ。
    夜勤から2時3時に帰ってくると、必ず起きて待っててくれた。
    今の職場の初出勤。研修は職場ではなく駅まで駐車場がなく祖父が送り迎えしてくれたっけ。
    私が結婚して出産したら
    娘のオムツ交換をしてくれた祖父。昔の人ってやらないイメージだけれど、祖父はオムツ交換してくれたな。
    そういえば、文句言いながら私の買ってたペットのフェレットの世話もしれくれたな。
    私の職場に入院
    痩せちゃって腕時計がゆるゆるだかガムテープでとめてたな。元同僚たちが祖父の状況を教えてくれて感謝でいっぱいだった。
    祖父の好きなアンパンを買って行ったら「食べられない。」って怒られたっけ。

    祖母と祖父でひ孫(私の息子)のランドセル姿をみたいって言ってたけれど1年早くなくなりました。

    いっぱい思い出はあるけれど、おじいちゃんの声聞きたくなります。
    祖母は元気いっぱい。あんな怖かったのに今では赤ちゃんのようです。
    おじいちゃんに出来なかった分、祖母を大切にしなきゃ

    ユーザーID:5067452992

  • たった一つの思い出

    幼稚園の頃、両親が共働きだったので時々近所の祖母に預けられていました。
    ある日心こめて作ってくれたであろう手作りのおやつが気に入らず
    「ばあちゃん、これおいしくない」と言ってしまったことを今でも鮮明に覚えています。
    祖母がどんな表情をしていたのかは全く記憶にありません。

    それからまもなく祖母は亡くなってしまいました。
    幼かったとはいえなんと思いやりのない子だったのでしょう。
    体調も悪かっただろうに孫のため一生懸命作ってくれて。
    そんなことが理解できたのはずっと後になってからです。

    トピ主さんはおばあさまの願いどおり
    仏様のご利益を頂いて賢く優しい人に育たれていらっしゃいますね、
    それはご文章からよく伝わってきますよ。

    ユーザーID:3525976985

  • 夢で会えたら

    祖母が亡くなったのは私が高校生の頃で、もう25年も前になります。
    おしゃれで着道楽で料理が上手だった大好きな祖母でした。
    私は初孫で、祖母にたくさんかわいがってもらいました。
    私の名前は祖母が星占い(!)の方に頼んでつけてもらったものです。

    大正生まれの祖母は10代で実母を亡くし、色々と苦労したのではと思います。
    一番仲の良かった弟は戦争で亡くなりました。
    数年前に沖縄の平和祈念公園で祖母の弟の名前を探し、天国の祖母に報告しました。
    戦争が終わってから当時としては遅い結婚をし、木箱のテーブルひとつの新婚生活から
    祖父と一緒に3人の子供を育てました。
    祖母には兄弟姉妹が多く、晩年は皆で旅行に出かけたり楽しかったようです。
    祖父が亡くなってから急に元気がなくなったのが子供心につらかったです。

    私が大学生ぐらいまでは時々夢に出てきてくれていましたが、最近は会えていません。
    たまには夢に出てきてよ!おばあちゃん。

    祖母の女学校時代のセピア色の写真は幸せそうに笑っていたり、物憂げだったり。
    見ると涙が出てきます。

    私も40代になり、子育ての事など聞きたいことが山のようにあります。
    何か困ったときはいつも 祖母ならどうするかな、どう考えるかなと思いながら
    日々を過ごしています。
    そしてこの世とさよならする時は祖母とまた会えると思って生きています。

    ユーザーID:4122650465

  • ありがとうございます。心温まるトピですね

    トピ主さんのトピを読んで
    涙が出てしまいました
    おばあちゃんとトピ主さんとのやりとりが目に浮かぶようで…
    子供時代にやさしいおばあちゃんとの交流ができて
    本当に良かったですね


    中年になっても
    おばあちゃんの事を思い出すと
    今でも胸が一杯になります


    明治生まれなのに
    タバコは吸う、パチンコをする、お酒も飲む。
    時代劇大好き(杉良太郎のファン)踊り大好き〜の
    面白い人でした


    娘である私の母は仕事で忙しく、厳しかったのですが、
    「ママに内緒ね〜」と言って、
    サイダーを飲ませてくれました


    小学生の時、私と弟であばあちゃんの家に電車でお泊りに行くと
    駅まで迎えに来てくれて、3人で手を繋いで歩いて
    家まで行きました


    途中、毎回お肉やさんで、
    骨付きの鶏のもも肉の照り焼きを買ってくれ
    駄菓子屋さんで駄菓子を買ってくれました
    選ぶのに迷いに迷って…楽しかったです
    早くしなさい。何て言わなかったですね


    家で仏壇にお線香をあげると
    風もないのにろうそくの火が上へ上へとメラメラ燃えるのですが
    おばあちゃんは「おじいちゃんが来てるよ〜」と言って拝んでいました。
    私と弟もよく手を合わせて話しかけていました


    きれい好きで、お風呂に一緒に入ると
    きれ〜いに洗ってくれて、
    絞ったタオルできれいにふいて
    あげてくれました


    おばあちゃんのチャーハンも大好きでした
    ネギ、塩鮭、人参、しいたけ等々、残り物を
    きれいに細かく刻んで作ってくれました
    具がたくさんで美味しかったです


    私と弟はいつも宅配ヤクルトをごくごく飲んでいました
    おばあちゃんは私達が来る日に合わせて
    何日も取っておいてくれたのだなあと思います

    そんなおばあちゃんでした

    ユーザーID:7008016974

  • わたしも生粋のおばあちゃん子です

    わたしもおばあちゃんが大好きでした。

    同居はしていませんでしたが、長い休みに入ると一人でおばあちゃんの家に行ってました
    周りの大人たちからは、一人で偉いねって言われてたけど、
    おばあちゃんがいるし、何が偉いのか分かりませんでしたけど。

    92歳の大往生でした。
    すごく働き者で、80歳過ぎても何かしら働いてました。
    最後の方は年には勝てず・・すこし記憶が飛んでしまったこともあったけど
    でも私のことは忘れないでいてくれたなぁ・・・
    たまに、私の娘を、わたしだって思ってたことはあったけど。


    わたしのおばあちゃんは仏様のご飯、雀にあげてました
    やっぱり普通には捨てられなかったんだと思います。
    自分で食べてるときもありました。

    たくさん思い出はありますが、一番はお手製の草もちかな。
    一緒にヨモギをつみにいって、おばあちゃんが作ってくれました。
    黄な粉をかけたり、砂糖しょうゆで食べたり。
    和菓子屋さんで売っている草もちも美味しいけど
    でも私にとって一番なのは、おばあちゃんが作ってくれた草もちなんですよね。
    もう食べられないのが寂しいです。

    おばあちゃんは時代劇が好きだったなぁ
    特に好きだったのが「暴れん坊将軍」
    この前、たまたま早起きしたら再放送していて。
    あぁおばあちゃん好きで良く見てたなぁって思い出しました

    トイレの神様を聴くと、自然と涙があふれます。

    ユーザーID:8288391046

  • 最後まで考える材料を与えてもらいました

    祖父母と同居。両親共働き。完全なるおじいちゃんおばあちゃん子です。
    書ききれないほど思い出はあります。
    夏の時期の印象深いおやつは
    ・トマトの砂糖がけ・砂糖入り麦茶・グレープフルーツ砂糖がけ・かき氷カルピスがけ
    これらを食べながら時代劇鑑賞。悪代官の文句を言い主人公の登場に全力応援。
    平和な時間を思い出し、たまに昔に戻りたくなります。

    祖父母はよく元気にケンカ(というか一方的に祖母が祖父に文句を言う)してましたが、祖母が亡くなる数か月前に体調を崩して入院。あっという間にボケてしましました。毎日つけていた日記も最後は一文だけページが埋まるほど書かれてました。
    「おじいさんにあいたいです」
    家族の送迎がないと祖父もお見舞いに行けなかったので毎日とはいきません。
    ただ、死期を悟ったであろう祖母は1分1秒でも祖父との時間を望んでいた。
    子供でも孫でもなく、戦前から約70年を支えあった人生の伴侶との時間を望んでいた。日付も漢字も忘れつたない平仮名文字で書かれたその日記は私にいろんなことを考えさせる材料として死後10年以上経った今でも心に残っています。

    ユーザーID:9626429159

  • いいなあ

    トピ主さんうらやましいです。
    私の身内にはそんな風に孫に慕われるおばあちゃんいません。

    私の祖母は
    母方 昔の有閑マダム。おしゃれでぜいたく。孫を見ずに若くして死去。
    父方 行動的、男勝り。孫には興味なし。

    実母 無口で引っ込み思案。孫ともうまく話せない。
    義母 勝ち気でわがまま。孫は寄り付かず。

    ああ、私もそろそろ孫ができても不思議じゃない年齢。
    かわいがられた経験ないのに孫に慕われるおばあちゃんになれるのかしら。

    ユーザーID:0553340174

  • 久しぶりに思い出しました

    もう還暦もとっくに過ぎた年齢で若くもないですが、祖母の事久しぶりに思い出しました。結構元気の良い人で、私ら兄弟を農業で忙しい両親に代わってみてくれました。少し縫い物をして自分で稼いでる人でしたが、結局私ら孫のおやつ代に使ってたようで、ちょくちょく田舎の近所の駄菓子屋さんへ連れてってくれたものです。祖母の住まいは一部屋だけの小さな家があって、私と弟はちょくちょく泊まりに行ってました。何も言わずに一つのお布団で寝ました。ある時寝たままでいる祖母が変だと思ったら、病気で起き上がれないのだと。それから母の介護が始まり、まだ子供で何も手伝いできない私は、ただただ見てるだけでした。2年ほど寝込んで亡くなりましたが、私も悪い子だったのか、これで母も楽になると思ったのを思い出します。きっと子供心に忙しい母の事をかわいそうだったのでしょう。

    わたしは自分の親もろくに看てやれなかったので、介護の苦労は知りませんが、自分の時はどうなるかと思います。

    ユーザーID:2053920219

  • 懐かしい思い出

    私の祖母は大正生まれ、もうこの世にはおりませんが久々に思い出させて貰いました。
    両親の離婚で父方の実家へ1歳の頃から預けられたので、育ての母親みたいな感じ。

    夏休みや冬休みには他の外孫である従姉妹たちも集まるので世話は大変だったでしょう。
    おばあちゃんは皆を集めて花札したり、夜は蛍を探して田んぼの周りを散歩したり…

    1番印象に残っているのは、寝る前に昔話をしてくれた事。
    昭和な風景ですが薄ぼんやりしたオレンジ色の豆電球の下、吊られた蚊帳の中。
    布団で私と従兄に挟まれた おばあちゃんの昔話は時々桃太郎なのか金太郎なのか…
    自作と言うか脱線したお話になったりするのですが、とても楽しかった。
    おばあちゃん本人は時々ウトウトしながらなので、孫達に続きを促されて話し出す。
    蚊取り線香とおばあちゃんの動かす団扇のぬるい風が思い出されます。

    トピ主さん、幸せだった幼少期の記憶を思い出させてくれてありがとう。

    ユーザーID:1923093129

  • いつまでも

    こんにちは。素敵なトピをありがとうございます。
    皆様の投稿も頷きながら拝見しています。

    私も祖母と一緒に時代劇(大岡越前、水戸黄門)などを見ていました。雪江さん役の宇都宮雅代さん、お綺麗でした。人気のあった「ありがとう」シリーズも。

    学校から帰ると、「ラーメン半分」とか「おかかのお握り」などと勝手を言う私のリクエストに応えて台所で作ってくれました。お醤油のしみた海苔がぺったりのご飯が大好物。お人形さんの着物やお手玉を器用に作ってくれました。

    褒め上手で、お掃除を褒められた私は小学時代から家の掃除担当。小学生時代に、
    祖母のお誕生日に「100歳まで生きてね」と書いたバースデイカードは祖母の死後箪笥で見つかりました。

    明治生まれの祖母と別れて長い年月が過ぎましたが、忘れることはありません。
    自分の心の中の聖域でしょうか。 
    もうすぐ祖母が私の誕生を喜んでくれた、その年齢に自分がなります。

    「おばあちゃん」涙がでそうな言葉です。

    ユーザーID:7619348947

  • トピ主です

    みなさま、たくさんの温かいレスをどうもありがとうございます。
    みなさまのおじいちゃん、おばあちゃんをすごく身近に感じて、一つ一つのエピソードが心に響き、涙がこぼれました。
    そして、おばあちゃんのことをまた色々と思い出しました。
    うちのおばあちゃんも、時代劇が大好きでしたよ。
    「女の子は、体を冷やしたらあかん」と言って、毛糸のパンツをたくさん買ってくれました。
    高校生の時、ミニスカートの制服にルーズソックスでおばあちゃんの家に行ったら、慌ててタンスから出してくれたのは、らくだ色のパッチ(ももひき or ズボン下)。
    言われるまま履いたけど、玄関を出たらすぐに脱ぎました(笑)
    家では、ありがたくジャージの下に履いていましたが。
    実は男の子を一人幼くして亡くし、そのことを話す時は本当に悲しそうで、「賢そうな男前の子やったんや」と言っていました。
    戦争で物のない時代を経験したおばあちゃん、包装紙をいつもきれいに畳んで保管していたっけ。
    どんなに「お腹がいっぱい」と言っても、「もっと食べ」とお代わりを入れてくれました。
    「ダイエットしてる」なんて言おうものなら「子供がダイエットなんかしたらあかん」と叱られました。
    林間学校で配膳係になった小学生の私、おばあちゃんがいつもやるようにお茶碗にご飯を入れたら、同級生から「多すぎるって!日本昔話みたいなご飯の盛り方やん」と突っ込みが。
    朝からステーキを食べるパワーが、おばあちゃんの自慢でした。
    ちょっと毒舌で、寂しがり屋で、面食いで。
    高校野球では、出身県の高校を毎年一生懸命応援していました。
    亡くなってから、夢の中に時々出てきてくれます。
    おばあちゃんにしてあげたかったことはたくさんありますし、後悔していることもたくさんあります。
    近々、お墓参りに行こうと思います。

    ユーザーID:1801231639

  • 涙で全部は読めていません

    図書館だよりさま、うれしいトピありがとうございます!やっと書けます。

    どなたのおばあちゃんもエピソードが細かくて心に響きます。

    私の祖母は亡くなってもう30年近く経ちます。
    可愛がってくれた祖母にちゃんとお礼を言っておけばよかったと今でも思います。

    祖母と一緒に入浴するとお湯に浸かりながら「ごくらく、ごくらく〜」と気持ちよさそうに言ってました。ちゃんと肩まで浸かりなさいとも。

    ほかのおばあちゃんと同じようにおしゃれでした。外出する時はきれいにお化粧していました。
    軽くお粉をはたく程度ですが、それがいい香りでした。

    親が共働きだったので私たちによく夕食を作ってくれました。スパゲティミートソースやカレーはおいしくていつもおかわりしてました。

    ご飯粒を残さずお茶かけてきれいにさらってました。
    今私も同じように残さずお茶かけて最後までいただいています。そうしないといられないです。

    大切なおばあちゃんのこと思い出させてくれて、またすてきなエピソードたくさんありがとうございました。

    ユーザーID:0593259737

  • 私も、おばあちゃん子でした

    皆さんのレスを読んで、私の祖母を思い出しました。
    母方の祖母ですが、母が8人姉弟の末っ子で、私も末っ子で、祖母にとても可愛いがられて、育ちました。

    小学生時代に、テレビドラマで孫悟空をやっていましたが、祖母に見たらと言われ、私自身はすっかり仏様を信じてしまいました(笑)

    三蔵法師役の、今は亡き女優さんが美しくて。

    私は、今祖母は、お釈迦様のいるところにいると、信じています。

    正直に生きていたら、お釈迦様のいるところに行けると。

    出家などはしていなくて、飽くまでも自称仏教徒ですが、祖母と仏様の思い出は、幼少期の自分に大きな影響を与えたと思います。

    今頑張れているのも、祖母のお陰だと思います。

    ユーザーID:4175838682

  • おばあちゃん

    着物の仕立ての仕事をしていたので、子供の頃のお正月はおばあちゃんの縫ってくれた着物を着せてくれました。現役引退した後もよくお縫い物していました。お人形のドレスやお布団も縫ってくれていました。
    おばあちゃん子だった私も隣で端布をもらってチクチクしてました。
    時計の読み方も習いました。
    お料理上手で優しくて大好きでした。小さな頃から私はずっとおばあちゃんの割烹着の裾を握って後をついてまわっていたそうです。
    愛情を教えてくれた人です。
    もっと恩返ししたかったな。

    ユーザーID:3706284179

  • 懐かしさがあふれました。

    読んでいて涙が出て、子供時代が思い出されます。
    すてきなトピありがとうございます。

    私はおばあちゃん(母方)とは離れて暮らしていたので、夏休みにしか会う機会がありませんでしたが、私達家族が帰省し、逆に帰える時は一緒に我が家へやってきて一週間位滞在していました。お裁縫が得意で、ゆかたやハンテンを作ってくれました。そのはんてんのあったかいこと。見かけは別として、冬になるといつも愛用していました。

    母が働いていたので、日中は私と姉でおばあちゃんと過ごしていましたが、普段は一緒に住んでいないので、何をしゃべっていいのやら。母が帰って来る前に洗濯物を取り込むのですが、腰が悪いのでおばあちゃんはいいよ、っていうのに、勝ち気なおばあちゃんはムキになって一緒にやってくれました。一度物干し竿が落ちそうになったので、あっ!とあせったのですが、おばあちゃんが細い腕で、ガシッとキャッチ。姉と二人でおののきました。今でも語り草です。

    晩年は認知症に。我が家は団地に住んでいたので、お参りに行った神社から帰っても家がどこか分からなくなって、ベランダから向かいの号棟の階段を上っているのを発見して、大声で、おばーちゃーんっと呼んで迎えにいきました。
    今思うとそれが始まりだったのでしょう。それからあっという間に進んで、最後にあった時はもう誰か認識できず、真夏なのにぴっちりと首までお布団をかけて一日中寝ていました。中学生の私にはかなりショックな光景でした。

    病弱な夫を早くに亡くし、行商などで4人の子供を育て、相当な貧乏で苦労した体は腰がすっかり曲がり、かなり小柄。一緒に寝ようと言われても寝相の悪い私はおばあちゃんを蹴飛ばしてしまうんじゃないかと怖くて、嫌だ!と拒否しまくっていました。今思うと悪い事したと後悔です。

    今は私の母が認知症になり、もう孫=私の娘のことも分からないようで複雑です。

    ユーザーID:1199865523

  • 明治生まれ

    明治生まれ、お誕生日が、一緒。

    一人娘の跡取り、戦争未亡人。
    お婆ちゃんが『着物』を着てると「どこか、温泉旅行?」と、お出掛けは何時も着物。

    小学生の頃は一緒に寝てた。
    夏に、吊ってくれた『蚊帳』が、懐かしい。

    パーマかけたら『大仏様』になってしまう(笑)

    教えてくれて好きな格言
    『為せば成る何事も 成さぬは人の為さぬなりけり』『実るほど 頭を垂れる稲穂かな』

    『細腕繁盛記』を見、本気で怒ってた…

    冬の朝「転けたらあかん」と言って『お味噌汁』を勧めてくれた。

    羽釜で炊いたご飯のお焦げが凄く美味しい『まん丸おむすび』
    『蒸し器』で蒸す『お赤飯』。
    『のし板』の、餅を切り、『かき餅』に。

    『三輪車』『自転車』『子供スキー』おばあちゃんが買ってくれた。

    初めての旅行は、お婆ちゃんと『汽車』で大阪へ。『万博』に。
    中学の頃は朝が苦手でムッツリ
    「挨拶くらいしても損じゃないのに」と言われた。
    「誰かと一緒に食べられるのは嬉しいもんだ」とも。
    両親より、何か大切な言葉を一杯貰った気がする。
    ふっとした時に思い出す。

    婿養子の父に言葉がキツく
    気がつくと高校以降は、あまり話さなくて…‥

    暢んびり逢ったのは
    成人式、結婚式くらい。
    子の顔を見て「まぁ、ひ孫に逢えるとは永生きして良かった」と喜んでいた。
    偶に電話すると「丁度出掛けるのを遅らせてたら、ああ嬉し。また、この時間にナ」なんて言ってたのに
    細い顔が、まん丸に…‥薬の副作用か
    亡くなる頃は『ヨーグルト』が、好きになってた。
    90歳の、3日前に亡くなった…‥今年17回忌。
    『白昼夢』が、一度。
    「困ったなぁ~」…と、目を瞑った瞬間、目の前にお婆ちゃんの姿「そんな事もあるから」と。励ましの声を聞いた気がした。

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