『史記』四面楚歌について

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あおだぬき

教科書の四面楚歌で最後に(項羽本紀)と書いてありますがこれはどういう意味ですか?
誰かわかる方よろしくお願いします!

ユーザーID:6378306581

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  • え!?

    出典が『項羽本紀』という書物だということです。

    『項羽本紀』が何かは、ネットでもすぐ出てきますが、司馬遷の書いた『史記』という歴史書の中で、項羽(項籍)のことを書いた第7巻『項羽本紀』のことです。四面楚歌という熟語がここから派生しています。掲示板で聞く前にネットで調べた方が早いですよ。

    ユーザーID:0876042930

  • 司馬遷の史記の一節です

    秦帝国の末期、項羽は西楚の覇王でしたが、劉邦(後の漢帝国の初代皇帝)との戦に敗れ垓下城に籠城します。
    その時の情景を司馬遷が歴史書史記にしたためたもののことです。
    城を取り囲む四方の敵兵から項羽の本拠地である楚の歌が聞こえてきたことで、味方の多くが敵に寝返ったことを悟ります。
    この故事にならって、進退窮まったこと(回りは全て敵)を「四面楚歌」と言います。
    ちなみに、項羽は辞世で、
    山を抜くほどの力があり、気は世を覆っている自分が時運に恵まれず、愛馬の推が走らない。推が走らないのをどうすれば良いのだろう。愛する虞美人よ、あなたをどうすれば良いのだろう。
    と残して最愛の虞美人を殺し、最後の出撃をするという内容です。
    のちに虞美人が死んだ場所に一輪のひなげしの花が咲きます。別名を虞美人草と言われるゆえんです。
    楽しんで勉強して下さい。

    ユーザーID:2407153199

  • 中学校の宿題ですか?

    「本紀」は王や皇帝の伝記。
    『項羽本紀』は項羽の伝記であり『史記』の一部。
    四面楚歌のエピソードは項羽本紀の一部。
    歴史上の項羽は王にはなっていませんが、司馬遷は王に準じた扱いとして項羽本紀を立てました。

    ところで学校の宿題くらい自力でやりましょうよ。
    ネットで検索すれば上記の知識くらいはすぐに出てきます。まともに検索もできないのですか。恥ずかしくありませんか。汝を奈何せん。でも中学生ならば仕方ないですかね。

    ユーザーID:9516710161

  • むかしむかし、中国で

    項羽と劉邦という2人の武将がいました。
    彼らは最初協力して秦という国を倒しましたが次第に対立をしていきます。
    最初は戦争に天才的な才をもった項羽が優勢で進みましたが
    次第に形勢は逆転し項羽はついに垓下という地で劉邦に追い詰められ包囲されます。
    そんな中包囲されている項羽の軍勢に衝撃的な出来事が起こります。
    それは包囲している劉邦の陣から項羽の出身地である楚という地の歌が聞こえたのです。
    これは相手を動揺させようとする劉邦軍の作戦でした。
    歌を聞いた項羽軍の将兵は戦う気をなくし大半が脱走したり降参してしまいました。
    敗北を悟った項羽は最期の戦いを挑み戦死してしまいました。

    項羽本記とは史記という歴史書の項羽について詳しく書いてますよ、という本です。

    ユーザーID:9096158269

  • 中国歴史書独特のルール

    日本で歴史書というと、その殆どが時系列で語られます。
    いつの時代にこのような事があり、その翌年にこんな戦いが有った・・・みたいな感じです。

    ところが、中国の歴史書(正史)の書き方は、必ずしも時系列とは限らず、人物や出来事をピックアップして書きます。

    なので、項羽(項籍)の人生や出来事を纏めた部分こそが「項羽本記」となります。

    つまり四面楚歌のエピソードは、項羽の視点から描かれた物であり、事実楚歌を聴いた項羽は、自分の最後を覚悟したとあります。

    参考になれば嬉しいです。

    ユーザーID:7235823548

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  • 史記

    史記は
    ・本紀12巻
    ・表10巻
    ・書8巻
    ・世家30巻
    ・列伝70巻
    計130巻から成っている

    本紀第7巻が項羽本紀

    四面楚歌は項羽本紀がその出典になっていますよという意味です。

    何を今更感満載ですが。

    ユーザーID:7609141127

  • 古代中国の帝王に関わる歴史書の一部。

    史記は、古代中国の歴史書。

    筆者は司馬遷。

    史記は、書かれているテーマ別に、「本紀」、「世家」、「列伝」、「表」、「書」に分類されます。

    このうち「本紀」とは、帝王について書かれた編年史です。

    秦帝国滅亡後項羽は「西楚の覇王」と号し、事実上の皇帝になりました。
    このため司馬遷は、彼を帝王のひとりとして認め、「項羽本紀」を執筆したのです。

    もちろん漢帝国の創始者、劉邦も皇帝ですから「高祖本紀」が書かれております。
    ちなみにその劉邦の死後、漢帝国は劉邦
    の妻、呂后による独裁によって支配されました。司馬遷は彼女を帝王のひとりとして認め、「呂后本紀」が纏められました。

    ユーザーID:5641003496

  • 簡単に言えば

    カッコ内は出典です。
    この場合は史記の中のどこが出典かということを示しています。
    項羽本紀は史記の中の章立ての一つ。
    児童書やマンガ本でも、各巻やストーリーのまとまりごとに「○○の巻(まき)」とか「○○の章」などという見出しがついていることがあるでしょう。それと同じですよ。
    史記の構成を調べたらわかることですが、史記は巻一の「五帝本紀」から始まり、「項羽本紀」は巻七にあたります。

    ユーザーID:9471525469

  • 本紀とは。。。

    司馬遷は史書編纂の元祖ですが歴史に名前を残すべき人々を皇帝、諸侯、その他の優れた人々に分類してそれぞれを記述する紀伝体という書き方を採用しました。ですから司馬遷の「史記」は大別すると皇帝の人と業績を描く「本紀」、諸侯の動向や人と成りを家別に記述する「世家」、その他の卓越した人々を記述する「列伝」によって構成されています。他にも地方の動きを記述した「載記」や人間が主人公ではない(例えば動物の変わった生態や天変地異?)ジャンルも構成要素ですが地誌や博物誌に属するようなので説明は省きます。

    さて、ご質問は「項羽本紀」ですね。今までの説明で劉邦と戦って敗れて「楚」を国号とする王朝を建国することに失敗した項羽の人生の記述が皇帝の人生と業績のジャンルに入れられていることはお分かりですね。項羽は実際には皇帝にならなかったのにもかかわらずです。これは軍人の李陵(中島敦の同名の小説有)を弁護して宮刑という恥ずかしい刑に処せられた司馬遷が負け組擁護ために皇帝の部に項羽を入れたのか、あるいは単に勝者劉邦と敗者項羽を並べることによって勝者たる条件をあぶり出しそうとしたからなのか。。。想像をめぐらせながら読むと面白いかもしれません。あと、詳しい方に伺いたいのですが、紀伝体の歴史書を編纂した後世の歴史家で実際は皇帝に即位しなかった人物を本紀に入れた人がいるのかどうか、興味深いです。

    ちなみに、ジャンル別人別で編纂する歴史書の「紀伝体」に対してジャンルや人を問わず時系列で事象を記述する歴史記述法を「編年体」と言い、北宋時代の歴史家司馬光(1019 - 1086) の「資治通鑑」が分量でもリアルさでも断トツだそうです。毛沢東が生前十数回繰り返し読んだというこの本の現代中国語訳が台湾でベストセラーになっているそうですが、現代中国語訳からの又訳日本語版があれば、日本の行く末に不安を抱く人は読むべきです。

    ユーザーID:1015648226

  • 説明出来ないことは無いですけど!

    自分でググって下さいね、そしたらよく分かると思いますよ、あとは小説の項羽と劉邦か本宮ひろ志先生の漫画の赤龍王を読まれても、よく分かると思いますよ!

    ユーザーID:7523003110

  • ちょっと面食らいますね。

    たいていの人は当たり前に出典だと思うから、どういう意味かきかれても「何が?」となるでしょう。

    四面楚歌の意味やエピソードや編年体紀伝体などは当然、知っているでしょう?

    もうちょっと明確に質問する方がいいと思います。

    「このカッコ内の表記は何でしょう? 出典ですか?」とか。

    まあ、それでも驚く人もいるでしょうが。

    ユーザーID:2596882176

  • お返事ありがとうございました!!

    しょうもない質問でしたか?
    見た人を不愉快にしてしまったなら申し訳ありませんでした。そこまで言われるとは覚悟してませんでした。

    ユーザーID:6378306581

  • トピ主さんがんばれ

     中高校生くらいなら最後に(カッコ)書きだけで『引用』とわからなくても仕方がないと思います。

     相当切羽詰まった状況と察することができます。

     こういう歴書でありながら堂々と引用を利用するのは良くあることです。

     織田信長の「信長公記」(通常はシンチョウコウキと読む)
     武田信玄の「甲陽軍鑑」等色々出てきます。

     注意するべきはいずれも本人に近い人がリアルタイムで書き残しています。
     当然主人をたてて書いてあることが多いので負け戦すら勝ち戦と記入していますので考察が大事です。

     ちなみに「四面楚歌」と言うのは周りが的であることに失望したのは無く。
     今まで味方だった者に敵として取り囲まれた時の失望であり、ある意味裏切りに合った状態を本来さしますので最近は誤用になります。

    ユーザーID:3534830357

  • 話題提供は何でも歓迎です。

    でも、さすがに括弧内が出典を表すことを知らない人はいないと思います。とぼけてトピを立ててもいいじゃないですか。司馬遷の史記があまりに有名なので中国の歴史書はジャンル別人別の紀伝体だけで書かれていると思っていた方がおられたのかもしれませんが、いえいえ編年体の歴史書も存在します。ここまではわたしも知っていましたがこのトピにレスしようとしてちらっと検索するまでわたしは平安後期に書かれた大鏡が編年体の歴史書だと思っていました。北宋の司馬光が資治通鑑を書いたのは11世紀で紫式部や清少納言が活躍したのと同じ頃、彼女たちは司馬遷の史記は知っていましたが海を渡った中国の最新のベストセラーの書き方もいいな、なんちゃって編年体で歴史書を書こうという野心家がこの時代以降に出てきた、なんて勝手に想像していましたが、○ィキペディキュアに掲載されていた大鏡の章立てを見たら、なるほど紀伝体のような。。。そう言えばこの時代は日中国交断絶じゃなくて定期航路なしの時代だっけ。。。ということで勉強になりました。

    みんなで検索して色々言うのも有益だと思います。以上、おしゃべりお節介おばさんの無駄口でした。

    ユーザーID:1015648226

  • ちょっとザンコクなレスしちゃったかな?

    失礼。

    どの部分か限定したら?ぐらいのつもりでいったんです。

    「どういう意味か」で、現に四面楚歌を説明しているレスが多く見られたのでね。

    どうか機嫌をなおしてください。

    では。

    ユーザーID:2596882176

  • ヨコですが勉強になりました

    「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と言うではありませんか。
    トピとレスを読ませていただいて、勉強になりました。

    皆さんにお礼です。

    ユーザーID:9537577373

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