中高生時代に親とけんかした人……その結末は?

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編集部

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発言小町ユーザーのみなさん、こんにちは。「読売中高生新聞」編集室です。

大人の本音を10代に伝える読売中高生新聞の連載「オトナの本音アワー」。中高生が抱える素朴な疑問や悩みについて、この掲示板で小町ユーザーのみなさんから意見を頂き、紙面で10代向けに紹介していきます。親や教師からはなかなか聞けない、オトナの本音を教えてください。

今回のテーマは「中高生時代に親とけんかした人……その結末は?」
中高生時代は親に反発することも多い時期。そこで今回は、小さな口論からとっくみあいの大げんかまで、親とうまくいかなかった時期をどう乗り越えたかをお聞きしたいと思います。最終的には仲良くなれたのか? 大人になって親との関係はどう変わったかなど、10代で経験した親子げんかの結末をお寄せ下さい!

※投稿の際は、ご意見とともに、お住まいの地方、年代、性別を記載してください。
※ご意見の一部は、読売中高生新聞(http://www.yomiuri.co.jp/teen/)で転載させていただくことがあります。

ユーザーID:7045210328

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  • シャツに名前

    祖母と母と妹と、女性世帯だった実家。

    ある日、私と妹の肌着に突然名前が記入され、ビックリ。油性マジックで
    クッキリ「まりこ」、と名札の位置に。ゼッケンか!
    思春期だった私は、それはそれは怒りました。
    「こんなの学校に着ていけない!!」と。火山のマグマが噴火したような
    激しい怒りを今でも覚えています。

    おそらく、畳むとき、かざして祖母にもわかりやすくだったかと。


    時が過ぎ・・私も二人の娘の母に。
    最近まで、うちの母って、こんなとんでもないことしたんだよ・・信じられる?
    とネタにして
    笑っていましたが、娘が大きくなって、誰が誰のシャツかわからなくなる毎日に、名前でも・・・と書きたくなる母の心境が、わかるようになってきました。
    (でも胸にはさすがに書きませんが!!)

    うちの親ってなんでこう!!!!???という怒り、いつか・・わかる日がきます・・。

    ユーザーID:0961073825

  • 喧嘩できるほど

    良い仲なのではないでしょうか。

    トピズレになってしまうかもしれませんが、私は親と喧嘩などできなかった。
    喧嘩をしてもどうにもならないと察知していたから・・・かな。
    いろいろと親の理不尽さに不満を持ちつつ、喧嘩する事なく大学生になってから「遅い反抗期」を迎えることとなりました。

    反抗する生活を送る中で結婚し出産。
    その後に絶縁生活およそ20年を送りました。

    一人の子の親になり、親の気持ちもようやくくみ取れる世になったころに母が倒れました。
    一度は呼吸も停止し、もう駄目だという状況まで行きましたが無事蘇生。

    母に会いに行きました。
    あれほど憎んでいた母でしたが、生き残ってくれたことが嬉しかった。

    退院して日常生活が送れるようになった母と、ゆっくり話をしました。

    「ああ、母はあいしてくれていたのだ」と実感することがたくさん発見できました。

    こんなことならもっと若いうちに喧嘩しておくんだったな。
    ほんとうにそう思いましたよ。

    喧嘩して、バトルして、そんな中から相手の本音が見えてくることも有ります。
    戦う事で良い関係が生まれてくることも有ります。

    大事なことは「喧嘩しても喧嘩したままにしない」ことですかね。
    なぜ喧嘩になってしまったのか、深呼吸してよく考えることでいろんなことに気が付けるようになる。

    なんだかんだ言っても親子です。
    いがみ合ったまま離れることも、私のようにあるでしょう。
    でもね、そこはやはり親子です。
    分かり合える時はいつかやってくる。

    遅い反抗期を長く続け、いがみあったままであろうとおもっていた私と母は、今ではとても良い関係を築いています。
    母を労われるようになった。
    母は私を認めてくれるようにもなった。
    幸せです。

    喧嘩できる打ちが華なんだとおもいます。

    ユーザーID:3115670351

  • 喧嘩は一度だけです

    神奈川県在住、30代、女性です。
    高校時代にある友人の事を「悪い友人と付き合うな」と言われて、父と殴り蹴り、両方とも痣まみれの喧嘩をしました。
    我が家の方針で、高校卒業後は自立して、生活費も学費も自分が負担するので、遊べるのは高校迄と知った友人が、色々とメイクや遊び場所を教えてくれたのが原因でした。
    父も友人も悪くありません。父は私を心配し、友人は大学に行ったら遊ぶ余裕もないだろうからと、思い出を作ってくれました。
    父に、友人が危険な場所に私を連れて行かない事や、メイクも派手過ぎず、私に似合うメイクを教えてくれたと説明して理解してもらう事を怠り、自分が大人になったように振る舞い、友人だけを悪くして、父の心配を省みなかった私の若い時分の黒歴史です。

    その後、父に「世間はお前の言動を見て、家庭や交遊関係を察する。周囲を悪く言われたくなければ考えろ」と言われました。恥ずかしくなって謝罪して、すぐに仲直りしました。今もよく二人で食事やバーに行きます。
    連れて行かれたクラブのママさんに「お父様は自慢の娘だと言ってますよ」と、親バカを知らされた時は、「今すぐに透明人間になれますように」と思いましたが。

    ユーザーID:1201151985

  • ケンカか・・

    母親は怒ると私を ズーっとズーっと無視する人なので
    喧嘩はないですね(原因、私が水をこぼした 雨に気づかずに洗濯物を家に入れなかった、など)父親は母親のYESマン 役に立たない
    生きていくためにも、喧嘩はやってません

    その結果は?・・・20代前半で24歳上と交際・・・
    何かが足りなく育ってますかね 埋めたものは危険な愛でした

    さて。今、我が子が反抗期です。
    逆らってくれますが。私は余裕で対応できます
    だって、私と逆で言いたいこと言っても、私を信頼しているから、でしょ
    私もギャギャ言いながら戦ってます その数分後には仲直りしてます(笑)

    ユーザーID:4983384414

  • 私はなかなか凄かったです

    中高の6年間は本当に荒れていました。私が悪さをして父親に殴り倒されたり、みぞおちを蹴られたことありますし、それに負けんじと母親とも本気でぶつかり、暴言は吐き続け母親を家から追い出したこともあります。家族との交流がなかった6年でした(激しい反抗期でした)。

    それから数十年経った40代の今は、仲良く毎年旅行に行く仲です。私自身束縛をもの凄く嫌う性格なのですが、そういう私を束縛(親としては当たり前)しようとして反抗して、、という感じです。
    高校を卒業して好き勝手させてもらい(遊びまくった)、海外にも留学し(自分でお金を貯めました。親のお金で行くと、色々と制約されたり、束縛されるのが嫌だった)、向こうのカレッジにも行けるレベルの英語を身につけ(行きたい学科を見つけ、合格したので行きました。学費の半分は自分で出し、最後は親にお願いしました)、その後海外で働き、今では結婚して海外で何不自由ない幸せな生活をしています。
    高校卒業後、私を諦めたのか、束縛を止めた時から私の中で急激に反抗というものが無くなりました。今では、有名大学に行った兄より私の方が親と仲が良いですね。

    ユーザーID:2686573210

  • 生き延びてほしい

    物心ついた頃から毎日親から暴力を受けてました。
    中学で限界が来て、自分が死ぬか親を殺すしかないと思い詰め、頭の中で親を殺しました。実家を出るまで死んだように生きてました。

    養ってくれたことには感謝してますが、親と付き合うと精神的に不安定になるので今は疎遠にしてます。

    親から離れないと幸せになれない子供は絶対にいます。
    なんとか生き延びて、逃げてほしいと思います。

    中国地方・40代・女性

    ユーザーID:2100272376

  • ケンカしたっけかな?

    母はすぐ泣くので面倒でケンカらしいケンカはしなかったかな?
    思春期の頃は過干渉でギャーギャー喚く母親の前で
    不適に笑ってました。この人何騒んでんの?って感じで。
    それがまた火に油を注いでました。まぁ分かってやってるんですが…

    たまーに言い返しましたが、どうもまだ覚えて根に持ってるようです(笑)
    私も母に言われた事、やられた事忘れてませんが面倒なので言いません。

    泣くって卑怯だよなーいつだって私が悪いってか!と今でも思ってます。
    というか今でも泣くのでケンカになりません。
    別段仲の悪い親子でもないですが、彼女に相談した事、報告した事ないですね。
    だって相談にならないんだもの。
    「いつも事後承諾だ!」と言われましたがこれからも相談事なんかしないでしょう。

    こういうの仮面親子とでも言うんでしょうか?
    いい年して仲の良い母子を見ると気持ち悪いとも思ってしまう。
    今は一人暮らしですが、いつ戻ってくるんだと言われますが
    戻りたくないなぁ〜〜〜〜
    今くらいの距離が調度いいなぁ〜〜〜〜〜〜

    ユーザーID:1101925041

  • 虐待と喧嘩の定義は?

    父親から、一方的な暴力・暴言を受け続けてきました

    でも、学校も近所の人も見て見ぬふり
    警察は民事不介入と、これも知らぬ顔

    生き残る為には、耐えるしかなく
    高校卒業と同時に逃げ、生き延びました

    母親は自殺しました

    さて、親側から言わせれば「躾」と言い
    「喧嘩」という認識かもしれませんが

    私には「拷問」や「虐待」という認識です

    一生、分かり合えることはないと思いますし
    絶縁中です


    関西・40代・女性

    ユーザーID:5502268348

  • 親には敵わない

    至極真っ当な、でも融通のきかない親でした。
    一度だけ、「お母さんなんか大っ嫌い!こんな家、大っ嫌い!」
    と言ったことがあります。しかし、母の切り返しにぐうの音も
    出ませんでした。
    「嫌いならそれで結構。ならば嫌いなお母さんの作ったご飯は
    食べないで。こんな家が嫌だったら出て行ってもいいわよ。
    でも、その着ているもの全ては嫌いな親が働いて稼いだお金で
    買ったもの。全部置いていきなさい。」

    その通りです。元々は私が悪くて怒られた事から始まったこと。
    謝る以外に選択肢はない。
    以来、成人するまで親には逆らいませんでした。
    でも、決して毒親ではなく、愛情深い親でした。
    今はこれも笑い話となっています。

    ユーザーID:3293617651

  • 亡くなる間際に両親とも和解していました

    反抗期がものすごかったです。しかも押さえつけがひどい両親だったため、父とは長いこと諍いが続いていました。

    20年ほど前に母が亡くなりましたが、私の娘を溺愛し、最後に娘と一緒にいちごを食べて会話をしたのが一番最後でした。親族の中で、一番最後に会話をしたのは私でした。

    そして最近父が亡くなりました。亡くなる1か月ほど前から、父の入院先の病院には日参し、こちらも一番最後に親族で会話をしたのは私になりました。

    基本的に、身体が弱っている人に対しては強く出られない人間です。というか、過保護系になります。丈夫な人間だからこそ、互いに反抗期は強く出るものだと思っています。

    ユーザーID:3346511598

  • 2週間、口をきかず

    高3の最後のテストの前くらいでした。
    私は11月には推薦で行く大学も決まっていました。
    そもそも推薦で大学へ行けるくらいだったので成績はそこそこ良かったです。

    ケンカの理由は今では全く思い出せません。
    でも、とにかく腹を立てた私は家族と一切口をきかない生活を丸2週間続けました。
    普段あまり家にもおらず、家庭を顧みない父が
    何か、やたら話しかけてきたのがかえってうっとうしくてイライラしていた覚えがあります。
    学校からすぐに家に帰るのがイヤだったので市の図書館で時間つぶしをしていました。

    結局、どこでどうやって仲直りをしたのか覚えていませんが
    2週間、家で全く口をきかない生活をすると やたら「独り言」が増えたのには驚きました。
    そして、家に帰るのがイヤでの図書館通いで勉強したおかげで
    最後のテストはクラスでトップになりました(笑)

    ユーザーID:9426480157

  • 「こんな家にいられるか!」と大学進学を機に家を出ました。

    現在は中部地区在住(関西、東京他あちこち移動していますが)、40代後半、女性です。

    今では関係も改善しましたが、高校生の頃は本当に酷かったです。

    ・父方親戚と母との関係が最悪
    ・母親の更年期真っ盛りでヒステリー起こしまくり
    ・高校進学前から慢性蕁麻疹発症
    ・進学した高校でプチ不登校
    (蕁麻疹のせいもありましたが、自分に合わない高校に親の勧めで進学したのが原因)
    ・母が父方親戚女性の学歴を馬鹿にして、私に同様の進路に進むのは大反対
    (文学部等で司書、学芸員資格を取りたかったが、文学部と言うだけで大反対
     理系へ行けとギャーギャー怒った)
    などですごいバトルになりました。

    母がヒステリーを起こす原因は分かっていたので
    大学では親戚からも実家からも離れた所へ…と
    遠距離恋愛だった彼氏のいる土地の近くへ進学しました。
    実家を離れた途端、あんなに酷かった蕁麻疹が全く出なくなりました。ビックリ。

    加えて、さっさとその彼氏と結婚して
    両親や父方親戚と縁を切ろうと思いましたが
    相手があまりにも幼稚なのに気づき、破局。
    それ以来、自立しなくては、とキャリアを重ねて
    今は実家の近く(猫舌の人のスープの適温)に住み
    定期的に帰っています。

    私の場合は、経済力がない子どものうちは親の言いなりになるしかなかったのですが
    就職してキャリアを重ね、自立した事や
    当時揉めていた親戚が一人また一人と鬼籍に入った事などで関係性は改善しました。

    でも残念な事に、結婚には全く夢を持てず
    未だに独身ですけどね。

    今の若い子に聞くと、そういう子はほとんどいなくて友達親子ばかり。
    このままじゃ、自立できないのでは?とオバさんは心配しています。

    ユーザーID:3248851226

  • ちょっと変わった子供でしたので

    40代女性です。

    私は余り感情を表すような子供ではなかったので、幼少期より親と話す時には起承転結で冷静に淡々と会話していましたが、それが子供らしくないと親は気に入らなかったようです。
    私は勉強や習い事もそこそこの結果を出し、地元の進学校へ進学、旧財閥系の上場企業に就職しました。表向きは良い子で自慢の娘。

    しかし、中高生頃は何かにつけて「自分の子供の頃は優秀だった」を繰り返し言われ続けたので(彼らは高卒ですが)、聞かされる私は、めんどくさい人だなと思いながら受け流しており、猶更、可愛くない子供だったことでしょう。
    なので、ケンカは何かにつけ難癖をつけられ、一方的に親から売られることの方が多く、私が論破してしまうので、「全くアナタだったら可愛げのない子だよね」と親が最期には折れるケースがほとんどでした。
    尚、私は怪力で、現在でも体力測定の数値は、成人女性平均の1.5〜2倍ありますので、掴みかかられても跳ね返せたので、取っ組み合いにはなりませんでした。

    現在は、事業に失敗した親が、私に散々無心した挙句、親戚からの借金の盾にして逃げてしまったので、絶縁状態です。

    絶縁後、息子が産まれたのですが、実際に自分が子育てしてみて、一つだけ理解できたのは、両親は愛情不足で育って来た人間だったんだな、と言うことです。
    誰かに認めてほしかったんでしょうね。
    両親は自分の親に求めるものを、子供の私の中に見ていたのかもしれません。

    そんな両親ですが、人間を育てることは物理的に大変なこと、子供らしくない可愛げのない私でも、大人になるまで育ててくれたことには、とても感謝しています。
    もし息子が自分の性格のような子供だったら、相当、可愛くないと思いますね(笑)

    ユーザーID:3645309347

  • 子供だったな

    反抗期は中学〜高校卒業まででしたね。父は無口で特に干渉もしてこなかったので無害でしたが、問題は母でした。基本ドライな性格なのですが、私のやる事なす事否定する人でけなされた記憶しかないくらいです。
    私も夜遅くまで遊んでも母の電話を無視したり、無断外泊したり、今思うと子供だったなと思います。
    現在私も2人の娘を持つ母ですが、娘には私のようには絶対になって欲しくないです!親になり母の怒る理由、娘に暴言を吐きたくなる理由がわかります。
    母は高校卒業までは自分の責任の元でしっかり目を離さずに育てたかったのだと思います。
    母は高校を卒業した途端嘘みたいに人が変わり、穏やかになりました。私もそれまで自分の事など話した事もありませんでしたが、何でも相談するようになり、初めての彼氏もすんなり紹介できたほどです。
    時間が解決すると思います。思春期の反抗期は消して悪い事ではないと思います。私はそれがあって今親に感謝しています。
    私が結婚した時、母から手紙をもらいました。
    内容はその頃私に辛く当たった事の反省の言葉が綴ってありました。母も悩み、苦しかったんだと思いました。今も時々理不尽な事を言ったりしますが、なんか全て許せます。

    ユーザーID:2676864815

  • 父がDVでした

    母とはずっと仲が良かったのですが、父親がDVでした。
    幼い頃から母や私たちに暴力をふるってました。
    中学生になった私は父と身長が並びました。
    ある日、父がダイニングの椅子を担ぎあげて私を殴ろうとしたので
    私は応接ソファを担ぎあげて対抗しました。
    翌日は中間テストで、右手を捻挫していて、思うように書けなかったことを覚えています。

    そんなでしたが、私が入院した時、少し遠方の病院だったのに
    父は毎日欠かさずお見舞いに来てくれました。
    初めての入院で不安で仕方なかったけれど、心強かったです。
    ちょうどその頃、父は転職して、DVは無くなりました。
    そこからは家族みんな、仲が良くなりました。

    父が末期がんで入院し、今度は私が毎日欠かさずお見舞いに行きました。
    帰り際、お見舞いに行った私をエレベーターホールまで「運動だから」と見送りに来てくれました。
    亡くなる時、最後に「お父さんの娘で幸せだった、ありがとう」と言ったら
    聞こえたらしく、涙を一筋こぼして亡くなりました。

    ユーザーID:9504813828

  • 2月23日号の「読売中高生新聞」で紹介させていただきました。

    ロゴ

    レスをお寄せいただき、ありがとうございました!
    みなさまのご意見の一部を、読売中高生新聞の2月23日号で掲載させていただきました。

    「親とのけんか」について赤裸々な事情を投稿してくださり、ほろっとするような内容に親との関係性を見直した中高生も少なからずいたのではないかと思います。
    貴重なご経験やご意見をお寄せくださり、改めて感謝申し上げます。

    読売中高生新聞編集室では、現在、(「子どものために我慢していることありますか?」、(「子どもに秘密にしていることは?」について、ご意見を募集しております。

    今後ともご協力いただければ幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。

    編集部(トピ主)

    ユーザーID:7045210328

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