30年前の自分に・・

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トピ主のみ1

かんれきこ

話題

平成も、もう30年になりましたね

昭和から平成に変わったあの日、どこで何をしていましたか?

その時の自分に言ってあげたい事はありませんか?

私はあの日、2歳の息子を連れて、どこに行く当てもなくさ迷っていました

ろくな年越しも正月も迎えられず、働かない、手を挙げるダメ夫に愛想を尽かして
財布には、何枚かの10円玉

意を決して実家に電話して、電話に出た父に泣いて迎えに来てほしいと頼んだあの時

あれから30年、当時の自分に言ってやりたいです、あれは間違いじゃなかったと

働いて働いて、ひとり息子を大学に行かせてあげられたよ
幸せな再婚も出来たよ

何も言わないで迎え入れてくれた、父さんと母さんはもう居ないけれど
良く帰って来たなって言ってくれるよと

そしてみんなで、テレビで平成になった元号を見たんだよ

あっという間の、平成の30年間でした

皆様はどんな平成を過ごしましたか?

ユーザーID:6309544054

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  • 言っても無駄

    進学でも就職でも、必要な目的意識や就学・就労意欲について。
    そこをはき違えると、自分に返ってくるだけ。

    自分の娘たちに懇々と説いていますが、理解している様子は見られず。
    と言うことは、30年前の自分に説いても同じでしょうね。

    トピ主さんも、もしその時に未来のご自分から大学だの再婚だの言われても
    『それどころじゃねーよ!』と一刀両断されるだけです。

    そっとしといてあげましょう。

    ユーザーID:1999048745

  • 一時代

    頑張ってよい時代になりよかったですね。私が覚えているに昭和末期は社会が荒れていたように思います。私は高校生でした。少しでも成績を伸ばすことに懸命でした。駅前には次々新しいビル。新しい時代にワクワクしていました。今の高校生も新しい新人類ですよね。見ていると自分も一時代生きたんだなあ、としんみり?きます。

    ユーザーID:5567751008

  • レスします。

    一人で婚約者の新居掃除してました。
    社宅でボロボロ、まだ電気も来てない部屋で、震え上がってました。婚約者は会社。仕事を終えた彼と電車で帰宅しましたがもう動けないほど身体がつらかった私に「送っていかなくていいかな?」
    たった一駅しか違わないのに、ね。
    その夜高熱を出し、救急病院へ。肺炎でした。
    あの日の私に言ってやりたい。「婚約破棄しな!」って。
    結婚後も散々な目にあって数年後離婚しました。
    婚約破棄よりも離婚のほうがダメージ大きい。
    お金と時間、無駄に使いました。

    ユーザーID:0435862410

  • この30年・・・

    私は30年前に海外から日本に帰国して、故郷の両親の元で再び暮らし始めました。30歳になる少し手前でした。

    あの頃から同じ仕事を続けて今に至ります。また、その頃からお付き合いしていた恋人と、なんと20年近く続きました。その後両親の介護が10年にわたりました。

    ・・というわけで、この30年、仕事と恋と両親の介護の年月でした。

    30年前の自分に言ってあげたいことは・・そうですね。「この先、大きな変化を経験するかもしれないけれど、自分を信じて自分の道を歩いていきなさい」ということでしょうか。

    結婚に至らずに恋は終わり、今は両親もいません。でも、この歳月を通して愛することを学び、周りからも愛を受けて生きることができました。幸せだったと思います。

    30年前、帰国したばかりの頃の私は、ニューエイジの思想にはまっていた甘ちゃんでした。でも、時間はかかりましたが、ゆっくりとマイペースで理想の生き方に近づくことができているような気がします。

    私は30代の半ばから3〜5年毎に写真を残すようにしています。最近写真館で撮っていただきましたが、今、30半ばからアラカンまでの写真を前にして、自分で言うのも気恥ずかしいのですが、うまく年齢を重ねていると思います。

    トピ主さま、平成を振り返るよい機会を与えてくださってありがとうございます。

    ユーザーID:8276748523

  • 我が家の『64』

    『64』てドラマがありましたね。丁度昭和から平成に変わる境目で起きた事件の話。そして、30年の時を経て続く人間関係。
    丁度その境目の6月に次男が生まれ、早、30歳です。その丁度1年前には長男が生まれ、年子の子育てに必死でした。我が家は、平成3年生まれの三男を除いて、みんなぎりぎり昭和世代です。

    子育て、仕事、家事、資格取得勉強、夫がバカ過ぎて八方塞がりで子供と心中する寸でで人様に助けられたことも。晴れて離婚、働き過ぎの過労で入院、でも辛いとかしんどいとか思う余裕はありませんでした。むしろ、働けることへの感謝と、真っ直ぐに育ってくれた息子達との生活が楽しくて、あっと言う間の20年。それから10年は、再婚した夫と好きな仕事をしながら仲良く暮らして現在に至ります。

    この30年は、大小様々な選択の連続でした。選択の如何によって、家族がとんでもない方向に行く重大性に押し潰されることもありました。
    でも今考えると、『右か左か!』の選択に熟慮する暇さえありませんでしたが、結果、良かったのだ、と思ってます。

    ユーザーID:5078655325

  • 小渕さん「平成」

    20代後半の会社員でした。
    当時、20代半ば過ぎれば「行き遅れ」(死語)のプレッシャーが周りから来る時代。うちの会社は30前後の男性は海外駐在の経験が基本で、女性をいえばその花嫁候補。さすがに私の上の代あたりからそんなこともなくなっていましたが、周りの子たちが大学の同級生と結婚したり社内結婚したり、付き合っている人もいない自分には辛い時期でした。

    ひとり暮らしの家にいても仕方ないので遅いバーゲンに出かけようと家の近くの家電量販店の前を通ったらあの小渕恵三氏が「平成」の文字を掲げる場面がテレビに映っていました。多分その日のバーゲンも何も収穫なく帰宅したと思います。

    まさかその半年後、友人の紹介で知り合った男性とあっという間に結婚が決まるとは思わなかった。次の年の同じ頃は半年後の挙式の準備で幸せなバタバタをしていました。
    やはり海外駐在がステータスな同期の中で、国内の転勤族の彼は見劣りして見られたけど、穏やかで優しい人でいい人生でした。(まだ終わってないけどね)
    子どもも今年末っ子がセンター試験受けるほど成長しました。

    今でも平成振り返り映像であの小渕さんを見ると暗い気持ちで商店街を歩いていた自分を思い出します。かといって大丈夫だよって教えてあげると安心して増長しそうなので過去に戻っても教えてあげる気はないです。

    ユーザーID:8931521211

  • 一度目の結婚をしました

    平成元年に一度目の結婚をし、西暦2000年にプレミアム離婚しました。
    そう覚えているので、結婚生活を何年したか、と聞かれるとすぐに答える事ができません(笑)

    昭和から平成に代わる時は、経理で
    当時のシステムが和暦だったため
    中々伝票が打てなくて困った事がありました。

    今思うと、何をそんなにカッカしていたのだろうと不思議です。

    子供には恵まれませんでしたが、今は主さん同様、幸せな再婚生活をしています。

    ユーザーID:1674672107

  • 忘れもしない。

    平成であります、の言葉、車の中のラジオで聞きました。
    わかりづらく、テイセイって聞こえました。
    当時1歳の次男が、ひきつけを起こし、病院へ行く途中でした。
    5日ぐらい入院しました。私も付き添いで、病院に泊まり込み。
    よくひきつけをする子でして、予防接種は一切受けてません。
    その子も、結婚し、可愛いお嫁さんと暮らしています。

    ユーザーID:6619441390

  • 高校二年生でした。

    一番楽しかった時、クラブもせずに、遊びまくっていたな。
    今考えたら、その後短大→就職とダラダラ流されて過ごしました。

    高校生くらいで(またはもう少し前に)人生を変えるような出会いがあって、何かにがんばる人生だったら何か違ったかな。
    勉強を頑張れって言ってやりたいけど…
    どうなのかな…

    流されたな〜

    ユーザーID:5454661388

  • 懐古

    30年前のあの日、小渕元大臣が「平成」の元号を提示してワイドショーみたいな番組で発表していたのを会社の休憩室に集まって社員みんなで見てました。
    なんか、馴染まないね、言葉の感じがフワフワしてるね、なんて、思い思いの感想を言いながら。
    私は23歳。
    2年後に結婚。2人の子供に恵まれ、退職。内職、パート、アルバイトを経て契約から正規社員へ戻れました。実母の介護がきっかけで離婚。母を見送って、子供達も成人して、更年期症状が酷く体調が悪い日もありますが、新しい出会いもあり、これから健康寿命が尽きるまでの今が一番幸せなのかもと感じます。
    あの時こうしていれば、こんな事しなければ、というのも沢山ありますが、大病もせず、全体的に恵まれた人生だと感謝しています。
    懐かしい事を思い出させて頂きました。有り難う。

    ユーザーID:5853554331

  • 病院のベッドの上でした

    トピ主様より2才下だと思います。
    当時腎臓が弱い私が妊娠して妊娠中毒を引き起こし
    もうこれ以上はお腹に赤ちゃんを置けないという医師の判断で
    帝王切開待ちでした。
    その時の記憶は、意識朦朧でほとんどありません。
    麻酔が醒め、夫がベッド脇で涙ぐんでた事だけしか覚えてません。
    その後、、夫の病、私の持病の悪化、親の介護、子育て、仕事
    心と体が休む暇のない30年だったように思います。

    その時、55日早く生まれた娘は今月母親になります。
    未だ老親も健在ですが、親の介護、孫の世話
    全部やり遂げたいと思います。

    トピ主様、これからも体に気をつけてお互い
    頑張りましょうね。

    ユーザーID:0642712960

  • FEN

    ラジオで米軍向け放送FENにスイッチを入れたら荘厳な曲が流れていた。時代が代わったと瞬間に思った。

    ユーザーID:7382607441

  • 高校3年生

    平成になった時、卒業を控えた高校3年生でした。
    アルコール依存症の父親から逃げたくて、県外の事務系専門学校に入学が決まっていました。
    学費の安さで決めました。
    でも、事務系は卒業してもスキルにならず苦労しました。
    働きながら医療系の学校に行く道もあるんだと、30年前の自分に教えてあげたい。
    世間知らずの田舎の高校生で、思いつきませんでした。
    親も二人とも中卒で、世間知らずでした。
    国公立大へ行く学力がない場合でも、たくさん選択肢があるのだとあの時の自分に教えてあげたいです。
    30年たった今、子供たちは医療系学部目指して頑張っています。

    平成になったあの頃、第二次ユーミンブームで、あの頃の思い出のすべてのBGMはユーミンです。

    ユーザーID:3696878129

  • 過ぎてみればあっという間

    あのころ私は結婚したばかりでした。
    家族仲の良い夫の実家。義母と小姑の発言力は絶大で
    何でもはいはいと言うことを聞くしかなかった私。

    昨今小町を拝見して、もっと自己主張をして良かったのだと分かりました。
    あの頃の自分に言ってあげたい。
    「嫌なことは断ったら良いんだよ。
    自分を押し殺してまで言うことを聴く必要はない。」と。
    義実家に帰省するたびにライオンやら熊やらに追いかけられる夢を見ていました。
    可哀想な自分を抱きしめてあげたい。

    トピ主さんは今お幸せな様で何よりです。
    私も数年後にはいろいろ片付いて楽になりそうです。

    ユーザーID:3777382617

  • 私も激動の30年かな?

     30年前、身勝手な行動ばかりする妻との間には隙間風が吹き荒れ、家に帰っても面白くないので毎晩のように飲み歩いたり麻雀をしていた。
     後でわかったことだが、お互いに浮気をしまくってもいた。
     やがて妻とは離婚した。
     2年間、大手の結婚相談所で婚活をして、気立ての良い一回り以上年下の未婚女性と再婚した。
     それからは私の人生も良い方に回りだしたようで、若い妻とは今だに仲良く暮らしているし、親や親せきの遺産を相続して老後資金もかなり増えた。
     平成の中盤以降は概ね良い時期だったと思います。

    ユーザーID:8730163315

  • スーパーで玉ねぎを並べていました。

    大学生で、アルバイト中でした。
    スーパーで玉ねぎを並べていると、パートのおばさんが
    「平成になったよ。」
    と知らせにきてくれて、並べ終わってから休憩する小部屋にいくとテレビがついていました。

    あれから30年の間に
    島国から三大都市の2ヶ所を転々とし、結婚2回、離婚1回、転職10回。
    もう死にたいと思ったこともありましたが、その都度いろんな方に助けていただきました。


    今は首都で某大手グループ企業の一員としてがんばってます。
    当時は
    「もう絶対、金融!」
    と金融業界ばかり目指して就活しており、銀行に入社しました。
    が、今はデザイナーです。

    この30年で良かったことは
    今の夫に巡り会えたこと、天職に出会えたこと。

    何よりも良かったことは
    今も両親が健在で、たった一人の弟も結婚して家庭を築き、今年は弟の長男が成人式を迎えたことです。

    悪かったことは
    結婚2回もしたのに、子供を産み育てることなく仕事に邁進した自分。
    両親は内心残念に思っていたかもしれません。


    色々ありましたけど、平成30年間に積み上げてきたものは大きかったです。

    ユーザーID:1358763738

  • これまでの人生で最悪のとき

    かんれきこさん、こんにちは。私もアラカン女性です。
    30年前、よく決断なさいましたね。そして頑張って息子さんを立派に育て、ご自身も今のご主人と出会い幸せをつかんだのですね。
    本当に良かった。つらかった日々も報われましたね。

    私の30年前は本当につらい日々でした。その前年の12月にパニック障害を発症。当時はそんな言葉もなく、ストレスから来る不安神経症と診断され、1人でいると不安になったり、閉所恐怖で電車にも乗れなくなり、仕事も辞めることに。30歳を目前にして結婚のあてもなく、仕事はやりがいありましたが身分はパート。バブル真っ盛りで周囲は恋愛に高級ブランド浮かれ、派手婚のラッシュ。コンプレックスは募るばかり、自分を肯定できず、発作も相まって苦しかった。
    結局、パニック障害は入院含めて全治2年かかりました。

    それからは、マイペースで仕事して地域の語学サークルに属して国家資格や運転免許を取り、親の理解もあり、穏やかな日々でした。
    サークルで知り合った優しい男性と結婚して今は充実した日々を過ごせています。家族や友人に支えられて今があると思えます。

    死にたいと本気で考えていた平成の幕開け。何で私ばっかりと運命を呪っていました。でも良いことばかりの人生もないし、悪いことばかりの人生もない。
    もちろん今だって色々ありますが、周りと比べず、これからも感謝の気持ちを忘れずに淡々と物事を受け入れて生きていきたいです。

    ユーザーID:1319849335

  • トピ主です

    かんれきこです、あの時30歳の年でしたのでもうすぐ還暦を迎えます

    ぼんしゅうさまの、おっしゃる通りあの時の自分に声を掛けていても
    はぁー再婚ムリムリ有り得ないって一蹴してたことでしょうね

    それ位結婚にこりごりしてました、皆様の30年も色んな出来事があったのですね

    実際今思えば、あっという間だなんて書いてしまいましたが、30年の間に
    父を看取り、母を看取り、仕事の掛け持ちとか、良くやれたなと思います

    私も小渕さんの平成の記者会見は今でも思い浮かべます

    テレビも自粛、町の明かりも落として、東京タワーも確か暗くしてましたよね

    あんなに日本中が静かだったのはあの時だけではなかったでしょうか

    もう自分が生きている間に、あの経験はする事はないでしようね

    いつの間にか馴染んでいた、平成の元号、今度はどんな元号なのでしょうか

    皆様の30年、まだまだ聞かせて頂けたら嬉しいです

    ユーザーID:6309544054

  • 婚約者の男性と

    見合いで結婚が決まった婚約者と、婚約者の友人夫婦の家に遊びに行き、焼き肉パーティをしていました。ちなみに友人夫婦の奥さんは私の大学時代の同級生でしたので四人でテレビを観ながら盛り上がっていました。そして平成元年5月にその婚約者と挙式しました。
    あれから30年。完全同居で姑に強烈に苛められ、夫となった人はDV男でした。見合いだけでは見抜けなかった私も未熟だった。平成10年に離婚。最後までドロドロの調停離婚で、元夫はその後再婚するも、また同じ感じで二度目の奥さんにも逃げられたと聞きます。

    私の人生も穏やかなものではありませんでした。今は退職まであと数年を数えつつ、同居の実両親の介護をしています。

    ユーザーID:8326883926

  • 友達と輪になってクルクル回ってた(笑)

    当時小学生だったので軽い話で申し訳ないですが、よく覚えてます。平成になった時のこと。

    近所の友達(と言っても学年は色々)と一緒に、手をつないで輪になってクルクル回りながら
    「平成になったね!」と言ってました(笑)

    で、当時はみかんの皮をぎゅっと絞って、噴出する汁を飛ばし合う「香水」という遊びが流行ってました。
    それを顔につけて「化粧水」と言い始める子がいて、化粧水の概念をその時に、平成と共に知った私です。

    数年前に母が亡くなって今実家に帰ってきているので、当時クルクル回った場所が今窓から見えます。
    懐かしいですね〜

    ユーザーID:3572562740

  • 明日は初釜だけど。

    こんにちは。
    昭和最後の日、翌日の初釜の準備を手伝っていて、昭和天皇さまが逝去され明日からは平成と、運転していた車の中で知りました。

    私は26歳。
    心配に思い、先生や先輩にお尋ねしたら、
    「元号が新しくなることは、慶事。よろこびごとにふさわしく、初釜をしましょう」とのことで、安心して準備を続けました。

    その後、結婚、子どもが生まれ次が生まれ、再就職。
    またお茶を習っています。

    茶道の映画「日日是好日」の観客動員が100万人超えの大ヒットの昨今。
    茶道好きなまま上達もせず、第一子は来年結婚が決まり、

    お茶のお稽古を楽しみに、
    子どもを育てて働いた平成の30年間でした。

    なかなかおもしろい

    ユーザーID:9279866794

  • 感慨深いです

    当時24歳。
    元主人と田舎で5年付き合っている最中でした。
    26歳で結婚。そして上京。

    元主人は、仕事をいくつか転職した後独立。イベント会社かな。当時ありきたりのカタカナの会社を立ち上げました。
    そして、見事に事業に失敗。
    危ない借金をいっぱい抱え、私の実家初め、自分の実家、親戚に多額の借金をしました。
    流れに飲み込まれるように、私も実家や親戚に一緒にお金の無心をする日々。子供を産む選択など考えられず、自分の人生は一体どこに向かっているのかと、呆然と立ち尽くす事もしょっちゅうありました。
    正直、酷い日々でした。
    元主人の実家は借金でなくなり、私の実家も元主人の親戚から無理やり借りた借金の抵当に入っています。

    そして会社は潰れ、元主人は自己破産。
    当時の弁護士から、あの旦那さんはダメだよ。諦めて別れた方があなたの為だと言われました。

    借金を身内や親戚からかなりの額をしても、挨拶やお礼や謝罪の一切無い元主人に付いていけず、結婚から10年後に離婚。
    私個人が被った借金、主に生活費ですが、当時の仕事プラス夜に居酒屋バイトを入れて、少しずつ返済。
    一人暮らしになり生活費も少なくなり、何とか返済しました。
    もしかしたら、今なら返済した一部が戻るのかも知れません。

    その後今の主人と縁あり、再婚して娘を高齢出産。
    娘を出産した時には泣きました。
    本当に幸せな日々です。
    今の主人には感謝しかありません。

    平成は色々ありました。
    離婚で自分は学習したと思いますが、娘には男性を見る目を養ってもらいたいと、切に願います。
    男を顔で選ばない。
    お父さんみたいな人を見つけられるように。
    と、いい続ける日々です。

    私と同じ失敗をしないで欲しいな(笑)

    ユーザーID:6680509539

  • 外出を阻止する

    昭和から平成に変わったあの日は高校生でした。
    家族で普段通り過ごしていたのでTVで平成への移り変わりを見ていました。
    長兄がその年事故で他界することになるとは知るよしもなく。

    事故が起きる日、兄が出かけるのを阻止しろと言います。
    年初からバイト先は家の近くにするよう伝え続けなさいと言います。

    あれから30年、色々あったよ。
    結婚して娘がいるよ。
    健康優良児で100歳まで生きる予定だった母上はもうすぐ13回忌だよ。
    息子を亡くしたことで寿命縮めてしまうよ。
    病気や事故で何度も死線さまよった父上はまだいるよ。


    今は亡き2人と一緒にお酒飲んで愚痴り合いたいよ、だから阻止して。

    ユーザーID:6486417022

  • 中間試験でした

    二期制高校だったので、年明け早々中間試験でした。
    昭和天皇が崩御されたと校内放送が流れましたが、試験に必死だった事を覚えています。
    当時チーマー(ナツカシイ!)だった私たちは、試験が終わったら遊びに行く予定だったのに、
    渋谷がしばらくシンとしていて遊び場がなく、仕方がないので家で電話していたら、
    あまりの電話代に親に叱られたりしていました。
    あの頃はバブルが弾けるなんて思いもしなくて、本当に楽しい青春時代でした。

    ユーザーID:4089356702

  • おつかれさま

    本当に激動の平成だったんですね。おつかれさまでした。
    ほぼ同じ年齢かと思います。
    トピ拝見すると昭和の貧しい時代、厳しい人生のような感じですが、私たちの若い頃ってバブルまっさかり、社会も未来も輝いていて本当によく遊んだ気がします。

    そして平成、長い停滞期が続きました。トピ様とは少し異なりますが、対人関係、家族関係、仕事、会社、金銭、本当にこれでもかという位どん底落っこちました。

    そして今「その時の自分に言ってあげたい事」・・・トピ様は何を言われるのですか?

    よく過去の自分に戻れたらこうしとけばよかった。別の道を選ぶという話が出ます。でもね、私は
    「信じたこと、そのまま一生懸命やればいいから」って言います。

    そう、いいことも最悪も含めて同じ道歩きたいのです。もしやりなおせたとしても、1mm1秒もたがうことなく今と同じになることはとても難しいと思うのです。別の道歩いたらきっと今ある大切なものとも出会えないなる。

    きっと遠い未来の自分もやはり同じこと言ってると思うんですよね。
    「今あるものを大切にしなさい。信じなさい」と。

    お身体大切にして、よいお年を!

    ユーザーID:4912345567

  • 45歳の私が・・・30年経って

    トピ主さん、大変な30年でしたね。今はお幸せになられて本当に良かったですね。
    30年と一口に言っても、皆さん色々なことがあり、今があるのですね。
    そんな私も、30年前は45歳、夫は48歳の働き盛り。
    早朝から深夜まで「24時間戦えますか〜!!」の流行語のような毎日。
    私は高校生と大学生の息子を抱えて、パートから正社員へと鞍替えしたばかり。
    おまけに高校生の次男は「反抗期」が酷くて・・・。
    既に実家の両親は亡くなり、高齢の叔父夫婦の入院や介護など。
    必死で働いた前半でした。

    その後息子達も大学院を卒業し就職。
    ほっと一安心して、趣味の絵画を始めました。

    今では75歳のお婆ちゃん。体のあちこちガタが来てますが、絵画も続けたお蔭で中央展にも入選できるようになりました。
    最近は体操や、コーラスも始めて、皆さんと仲良く充実した毎日。

    68歳で退職した夫とも仲良く、喧嘩しながら過ごしています。
    あっという間の30年でした。
    次の時代はピンピンコロリとあの世へ行くのみ・・・。

    ユーザーID:5699482877

  • その時

    私は23歳でした。天皇崩御は1月7日でしたっけ。だったら平成は1月8日からですか。

    昭和天皇が亡くなったと思ったら、書店には昭和天皇に関する様々な書籍がどーっと並んだのをよく覚えています。
    そして銀座などのネオンがひしめく街も一晩だけ真っ暗に。歌舞音曲の規制があったのですよね。

    昭和には戦争や高度経済成長もあり激動の時代でした。新号年が平成だと号外がでました。heiseiの音は平らでのびやかな響きだとTVのコメンテーターが感想を言っていました。

    と、こんな事ばかりつらつらとよく覚えています。私は社会人で自宅から会社に通っていました。親のすねかじりで人生の大変さもまだよくわかっていない頃でしたね。30年前の自分に言いたい事。「十代の頃から将来を見据えて、もっとしっかり勉強しておくこと」の一言です。

    ユーザーID:0414712205

  • レス失礼します

    私自身は当時まだ産まれていなかったので、「あなたは30年前に何をしていましたか」の質問内容とズレた回答をしてしまうことをお許し下さい。

    当時、母は父と結婚したばかりで、父の転勤に着いていき県外のアパートで1人過ごしていたそうです。
    縁もゆかりも無い土地に移り住み1人でアパートに居る事になる母のため、父は仕事帰りにファミコンを買ってきたようです。
    当時全くゲームに興味のなかった母はそれからゲーマーに(父は一切やりません)。
    未だにタブレット端末でパズルゲームなどを楽しんでいます。

    平成が始まって5年ほど経ち、私は25歳になりました。
    小学生の頃からパソコンを使っていたのですが、出入りしていた匿名掲示板で人間の闇を知り(笑)人間不信気味に。
    思春期頃からはネット上で女性の年齢や容姿、頭脳を批判するいわゆる『女叩き』を目にする機会が多くなったことで男性不信になってしまい、興味を持ってくれた男性に対しても恐怖心を抱き続け現在まで誰ともお付き合いしないまま現在に至っています。
    悪い人がいない、悪いことの起こらない世界観の漫画やアニメ、小説、映画の世界にひたすらのめり込み現実逃避をする残念な人間に成長してしまいました。

    かんれきこさんを始め人生の先輩方のレスを全て拝見し、なんだか涙が溢れます。
    両親は私に愚痴や弱音を言うタイプではなく過去の話も「良かった時期」の事だけをする人なので、恐らくそれぞれに思うことが沢山あった30年だっただろうと思います。
    私も本当ならもう結婚して孫を見せていてもおかしくない歳ですが未だに男性不信が治らず予定も予兆も全くありません。
    住んでいるところが田舎なので、このご時世でも立派な行き遅れです
    両親に肩身の狭い思いをさせているなぁと苦しむ毎日です。

    30年後の私はどうなっているだろう、と考える年末になりました。
    駄文乱文失礼しました。

    ユーザーID:6304007673

  • 卒論のためのデータを取ってました。

    あの時に思い描いていた人生とは全く違いますが、一日一日の積み重ねが今に繋がったよ、と言ってあげたいです。

    ユーザーID:2675668630

  • 30年という月日は私の周りを大きく変えました

    あれから今30年も後の世界にいるわけです。

    何もかも変わりました。

    当時偉そうにしていた人たちは、黙り込むしかない立場になり、人のせい運のせいにして、いつもイライラして、とても怖い顔をしています。

    あの人たちは30年後にこんな日が自分に来るとは思ってもいなかったでしょう。

    いつまで上の立場で周りを見下し馬鹿にし、これからも未来永劫優位な立場であろうといろいろと勘違いしていた人たち。

    平成元年の彼ら彼女らからしたら予想もつかない平成30年でしょう。

    あの頃の自分にいってやりたいのは、
    「今のままでいいよ」ですね。

    ユーザーID:5042707210

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