貧乏な子供時代を送ったこと

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(トピ主2
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生活・身近な話題

貧乏育ち

60代も後半になります女性です

私は今でこそ、まあまあ恵まれた生活を送っておりますが、小学校に上がるころ、父が経営していた会社が倒産し、それまでの裕福な生活から一転、どん底のような生活になりました。昭和30年代です

家には住み込みのお手伝いさんや、会社の従業員も沢山いたのに、みんなどこかに行ってしまい、私たち家族(祖父母、両親、姉私妹弟)は唯一残った工場の片隅を住みかとして寄り添って暮らすことになりました

私の小学校入学時には一番苦しかった時なので、かろうじてランドセルだけは親戚から贈られたので何とかなりましたが本当にないない尽くしの生活でした。

一つだけかろうじて前の生活の名残はまだ田舎では珍しかったテレビが大きな電気屋だった母の実家から贈られてあったことでした

その生活は中学校に上がるころまで続いたのですが、日本全体が貧しい頃だったので昔の事を知っている人から見たら可哀想だと思われたかもしれませんが他の近所の友達とは結構楽しくやってました
田舎には山も川もあり、今ほどうるさくなかったので、おやつになる木の実や遊ぶ場所も沢山ありました

日本経済の成長とともに新しく父が始めた事業も何とか回るようになり、裕福まではいかなくても私たちは全員大学まで出してもらえ、それなりに結婚し仕事について今日まで不自由なく暮らしております

ところが、最近、あのどん底の様だった暮らしが懐かしくてたまらないのです

きれいな夕陽を見たり、夏の暑い日に大きな木の陰で休んでいたり、あの当時流行っていた歌を聴いたり、そんな瞬間にあの頃の事を思い出して泣きたくなるほど恋しいのです
あの頃の幼い自分が健気で愛しくてたまらないのです。年を取るほどその気持ちが強くなってどうしようもありません

だから何だということではないのですが誰かに話してみたかったので読んで下さった方有難うございます

ユーザーID:6425961391

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  • 私もです。

    最近は、(といっても、3,4年くらい前からですが)
    トピ主同様、小さい頃の田舎の貧しかった生活が頻繁に思い出されます。
    我が家だけではなかったのですが。

    決してあの頃の生活に戻りたいのではないのです。
    60代になって、なぜ過去のことがこんなにも思い出されるのか。

    今、子供の頃に食べたものを食べています。
    例えばふかしたさつまいもです。それがとてもおいしいのです。

    トピ主さん、ありがとうございます。

    ユーザーID:1017392849

  • その程度の貧乏だったのですね

    >私の小学校入学時には一番苦しかった時なので、かろうじてランドセルだけは親戚から贈られたので何とかなりましたが本当にないない尽くしの生活でした。
    >一つだけかろうじて前の生活の名残はまだ田舎では珍しかったテレビが大きな電気屋だった母の実家から贈られてあったことでした

    けっこう優雅な貧乏生活ですね。羨ましい!!
    だから、

    >ところが、最近、あのどん底の様だった暮らしが懐かしくてたまらないのです

    そういう気持ちになれるのは、どん底が実は浅い底だったからですよ。

    私は戦直後に、本当に貧乏な家庭に生まれました。
    奨学金がもらえなかったら、高校さえ諦めなきゃいけないところでした。大学なんて夢のまた夢、働きながら夜学へ行ったけど途中でやめました。
    幼い頃に妹の子守で遊べなかったとか、夏の暑い日に毎日毎日田畑で働いた放課後とか、思い出したくもない、悪夢のようなものです。今は引退して悠々自適ですけどね!

    でも、そのおかげで頑張れたと思えば、あの貧乏も許せます(笑)

    ユーザーID:8311823823

  • 涙が。

    立派になられたのですね。子供ってピュアで健気。ご両親もあなたの幸せを願っておられたと思います。大学まであがられてよかったですね。私の幼少期と重ねて読ませていただきました。スーパーもない時代。ありましたね。おやつ、配達のコーヒー牛乳と栗に柿。味噌汁、おしたし、焼き魚。バスに乗って市場まで洋服を買いに行ったり。スーパーからコンビニ時代到来。昭和の高度成長を見ましたね!

    ユーザーID:2292927944

  • なんとなくわかります

    私60代男性です。去年の5月で仕事やめて 少ない金額の年金生活です。生まれ故郷の近くにすんでいます。
    時々実家に帰り 自転車で散歩します。貧乏な生活も経験しましたが懐かしくおもいます。今の生活がいつまで
    続けられるか分かりませんが 亡くなった同級生のことを思うと何とも言えません。

    ユーザーID:4612578431

  • わかる気がします。

    何もかも満足な子供時代を送った人の方が少ないでしょう。

    それでもたいていの人が、振り返る余裕ができたときには、過去を懐かしく思い出すんじゃないですか。

    子供の頃は単純あるいは純粋に、与えられた環境の中で「ただ生きていた」からこそ、無条件に受け入れられるのかもしれません。

    よっぽどヒドい幼少期を送った人でさえ、たいていはそうじゃないかと思います。

    個人にとって個人的体験、思い出とは他に代え難い心の財産ではないでしょうか。

    ユーザーID:6288423707

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  • うちも貧乏だった

    40歳です。
    貧乏だった幼少の頃を思い出すと涙が出てきます。
    悲しくてじゃありません。懐かしくて還りたくて‥‥。

    6畳2間の長屋で5人暮らし。トイレは汲み取り、電話もファミコンもないのはクラスで我が家だけでした。
    でもみじめだと思った事ありません。

    毎日のご飯がモヤシと米と卵でも毎日が楽しくて、自分が貧乏と言う自覚はありませんでした。
    両親が仲が良くて、兄弟仲もよくて両親に愛されてる実感があったからだと思います。
    今は金銭にも子供にも恵まれて何の不満もない生活ですが、無性に懐かしく思います。私に素敵な幼少時代を送らせてくれた両親にはホント感謝しています。

    ユーザーID:9950095877

  • 60後半です

    アナタがうらやましい 父は女に学問はいらないと 言う人でした 育ちは田舎です

    ユーザーID:7824696329

  • 同じ、同じ!

    たぶん、貧乏だったこととは関係なく、年齢的なものなのでしょうねぇ。
    私もあなたと全く同じです。
    もうあの頃の風景や生活が愛しくて愛しくてたまらないのです。
    生活されていた場所はどうなっていますか?
    行ってみたりしてみましたか?

    何一つ取り戻せるものなど無いのは重々承知で、私は何度も住んでいた所へ出向いています。
    もう使われなくなった駅舎が残っています。
    自分の家に続く緩やかな坂道も残っています。

    ただ、何一つ戻ってきません。
    愛しさがパンパンになった心で帰ってきます(笑)
    幸いな事に弟も、そういう心境になりつつあるらしく、昔の事をよく語り合います。
    ご兄弟はいらっしゃいますか?同じ思い出に浸るのもいいものですよ。

    ユーザーID:3465023052

  • どん底が懐かしいというその感情は

    小、中学校時代は貧しくとも心は豊かだったということと、途中で新しい事業が成功し大学まで出してもらえ、子供の頃以外の人生が上手くいったことが大きいのではないでしょうか。

    多分、貧しさから抜け出せていなかったらそういう感情にはならないと思います。

    お幸せで何よりです。

    ユーザーID:7082692666

  • 父母に怒られるだろうか

    70代手前の長兄がいます。
    いわゆる団塊の世代です。
    長兄が子供の頃、家が貧乏で、
    近所の公園に来る紙芝居を観せてあげることができなかった。
    他の子は飴せんべいを食べながら観てるのに、
    あの子はおじさんの語りも聞こえない遠くから見ていた。
    何も買ってやれなかった、お腹いっぱい食べさせてあげられなかった。
    だから親孝行してくれなくても何とも思わない。
    だけどおまえと次兄は親孝行しないと承知しないよ。
    と母が生前言ったことがあります。
    私と次兄の子供時代は総中流と言われた頃です。
    確かに長兄だけ背が低いです。
    伸び損なったんだ、と笑いながら言っていました。
    親孝行しなければなりませんでしたが、する前に亡くなってしまいました。
    父には家内も子供も見せることができませんでした。
    残念でならないのです。

    ユーザーID:5235010446

  • 私たちは、自然の美しさを味わうために生まれてきた

    自然の恵みを味わい、
    自然の音を聴き、
    自然の美しさを眺め・・・

    最高の贅沢ですよね。
    幸せでしたね。
    そうなんです、みんな洗脳されてるけど、幸せはお金じゃないんです。

    トピ主さんの小学生時代の幸せなお話、
    もっともっと聴かせて下さい。

    私はそれをできる限り再現して、
    今の時代の子供たちにも、トピ主さんの味わった「本当の幸せ」を感じてもらいたいです。

    ユーザーID:7962970055

  • 十分お幸せです

    食べるものも十分になく、いつもお腹を空かせていて、専門学校には行けたけど、制服が買えなくてずっと私服で登校した経験のある現在70歳の女性もいます。
    そんな苦労話、公の場でしません。

    主さんは元々が贅沢だったところに事業が失敗したからこそ普通の庶民並みの生活になった。落差が激しかっただけです。
    工場の土地すら元々持ってない、お手伝いさんなんてとんでもない、という人はたくさんいます。
    お嬢様育ちの苦労話をこんなところで吐露したら世間の大多数を占める低所得の労働者に向かって失礼ですよ。

    ユーザーID:9110675649

  • エールを・・・でもやめました

    トピ主さん,トピ主さんの時代に4大をでた,(トピ主さん曰く)田舎の女性がどれくらいのパーセンテージいらっしゃいましたか?
    戦後生まれのトピ主さんの年代を考えれば,トピ主さんの生活というのは,本当にどん底の貧乏暮らしだったのでしょうか?

    ふつうとか,どん底とか,比較する言葉って,自分の経験が全部中心で平均になります。
    お手伝いさんに傅かれて生活するのがトピ主さんのふつうの暮らしで,そこからのどん底,という表現。
    あくまでトピ主さんだけの基準。(それでも全国平均で見れば上なのでは?)

    60代も後半になられて,人生いろいろ経験されて,多くを学んで来られたと思います。
    それでも,自分の貧乏時代を卑下し,かわいそうだったと思う。
    キツイいい方ですが,被害者意識が強い方かなと思いました。

    ”今でこそ、まあまあ恵まれた生活”と,手放しに喜ばないトピ主さん,旦那さんにちゃんと感謝されてますか?

    ユーザーID:3662223883

  • お幸せなのです

    同じく60代後半になりました。
    私の父も私が5歳の時に倒産。家も工場もなくして引っ越しました。
    真っ暗な家の前で立つ自分が幼い頃の記憶です。
    その夜はお家に帰ろうと泣いて泣き疲れて眠ったと母が言ってました。
    うちの父は病に倒れ再起は叶いませんでした。

    貧乏が一番堪えるのは思春期だと思います。
    10歳年上の長兄は小中学校を通じ学年一番で、高校に行かない(行けない)と言った時、兄を惜しんだ担任教師が自分が引き取るとまで言ったそうですが、父が拒み結局中卒です。
    私は兄達がせめて妹だけはと高校に行かせてくれました。
    私などよりよほど優秀だった兄達の気持ちを思うと今でも悔しいです。
    生活するお金もないと奨学金なんて役に立たないのです。

    30代で独学で国家資格取得しましたが、大卒・院卒当たり前の資格だったので高卒だと分かるといろいろありました。
    その後、夫と会社を経営していましたが23年前、阪神の震災にあいました。
    夫と二人、いっそ倒産して自己破産した方が楽だねと話しましたが、自力再生にかけました。
    刈り入れの時が来たと思ったら、借り入れの時だったねと笑ったことを思い出しますが、今もその時の借金を返し続けています。

    その時々で精一杯の事をしてきたという自負はありますが、懐かしくは思えません。

    昔を懐かしく思えるのは過ぎた事だからだと思います。
    僻んで言うようですが、トピ主さんは、お幸せなのです。

    実生活では今も肩肘張って生きていますから、ここで書いたようなこと、時に幼少期の事や兄達の事は誰にも言いません。
    でも、私も誰かに言いたかった。私は高卒にすぎないけれど、兄達は優秀で、その優秀な兄達が私を育ててくれたと。

    このレスは決してこトピ主さんを謗るのではありません。
    それだけは分かって下さいね。

    ユーザーID:6204278426

  • 全然どん底ではないです

    裕福だった生活が
    人並みの生活になっただけのこと。
    人間、一回贅沢を知ってしまうと
    元には戻れないから
    無理して分不相応なことするから余計不幸になる。
    あなた方家族は
    華麗なる一族から
    普通の家族に運良く着地出来たということでしょう。
    周りの環境も、時代も良かった。
    みんな貧乏だったけど
    みんな希望を持って良かった時代だから。
    側から見たら
    全然どん底じゃないし
    不幸でもなかったんじゃないでしょうか?
    今になって貧乏だった頃を思うのは
    幸せだったからでしょうね。
    そして、満ち足りた生活が出来る今
    その幸せがどこかに行ってしまった、
    ということでしょう。

    今際の際で
    悪くない人生だったな。
    と言えればいいんじゃないでしょうか。

    ユーザーID:7365050426

  • 50代です

    昭和30年代半ばに大都市の田舎部で生まれました。
    折しも高度経済成長の時代でした。
    でも、トピ主さんのおっしゃるように、どちらかと言えば「周りみんな貧乏」な時代で
    写真を見ると家で切ったパッツン頭に接ぎ当てのあるズボンをはいた自分がいます。

    新幹線が田圃の向こうに見えて、家の真ん前には国道が走っていて
    毎日トラックが砂埃をあげて通っていました。
    震度1や2の地震では驚かないくらい揺れるのが普通でした。

    小学生の時は光化学スモッグ警報が出て授業が途中で中止になったり
    新幹線騒音訴訟が起こったり、公害病認定の運動が起こったり

    子どもながらに「高度経済成長」に伴う様々な事件を目撃してきたんだ、と言う自覚があります。

    我が家は自営業で父は新しい物が大好きでした。
    クーラーもカラーテレビも電子レンジもラジカセも出たばかりの頃に買ってきて
    お友達がうらやましがりました。
    でもそれ以外の生活は今で言うならとっても質素で服は全て母の手作り
    外食をするのは1年に数回、
    1年に一度、近所の洋品屋さんの売り出しでお正月の新品の服を買うと
    バタークリームの小さなホールケーキが貰えるのが唯一の楽しみでした。
    周りみんながそんな感じだった気がします。

    オイルショックが起ったときは中学生で
    実家の商売は大変だったようですが子どもだったのであまり大変さはわかりませんでした。
    むしろ、この頃は本当に豊かさを実感できていたと思います。

    でも、私が思い出すのは小学生の頃、昭和40年代の「みんな貧しいけど楽しかった時代」です。
    実家からは今は新幹線は見えません。
    れんげ草やつくしを採った田んぼに外車系のショールームが建っています。
    街はとても綺麗です。
    でも、新幹線が通ると歓声を上げながら乾いた田んぼを走り回った時代を胸が焦がれるほど懐かしく思い出します。

    ユーザーID:6003505628

  • ノスタルジーですね

    生まれてから18で家を出るまで、六畳二間に6人家族で住んでた生粋のビンボー人には、全く無い感情ですね。

    ユーザーID:8676895179

  • わかります

    私はアラサーですが日本でない場所で幼少期を過ごしたので、よくわかります。

    >きれいな夕陽を見たり、夏の暑い日に大きな木の陰で休んでいたり、
    一番の贅沢ですね

    ユーザーID:2400083814

  • 私もです

    昭和24年生まれです。

    私も最近、貧しかった幼少の頃をよく懐かしく思い出します。

    特に小学校の頃弁当を作ってもらなかったから、昼休憩になると家に

    帰って食べてくると言って帰ったものです。

    もちろん帰っても誰もいませんし、朝の残りのおかいさんをすする程度

    でした。

    また、遠足や日帰りバス旅行も弁当やお菓子を持って行けないのでよく

    腹痛と言って欠席したものです。

    担任の女先生はそれに気付いていたようで、『明日秀吉の弁当とお菓子

    を持って行くから必ず来るんだよ』と言ってくれたのですが行きません
    でした。

    他にも色々ありましたが、懐かしい辛い思い出です。

    ユーザーID:6607207855

  • なんかわかる

    私は40代後半ですが、やはり主さんのように子供時代がたまらなく懐かしいと思い出すことが、ごくたまになのですがあります。
    中流より若干劣る公営住宅に住んで居て、今思えばゆとりのある家庭の友達もいましたが、その頃はそんな生活レベルも気にせず、皆で学校帰りとかはしゃいで遊んでいたなーなんて。
    家に帰れば母親の手作り夕食を食べながら、妹達とテレビを見て。。

    今の時期より、夏の夕暮れ時などにしみじみ思い出します。

    ユーザーID:0921859702

  • いまさら貧乏自慢しても仕方ありませんが・・・。

    両親が結婚して一週間で父が入院、その後も父は入退院を繰り返し肺結核に罹患し、隔離病院へと。母も肺結核で同じ病院に入院しました。残された私を託すべく父方の祖母にお願いするが断られ、当時国鉄で6時間ほど離れたところに一家を構えていた母の兄夫婦に預けられました。そこは夫婦と伯父の両親と同じ年頃の子供二人でした。終戦直後の日本が貧しさに喘いでいて自分たちが生活するのにやっとなときよく預かってくれたものだと伯父夫婦には今も感謝しています。その後4年間ほど入院ののち父が退院し、母も続いて退院してきました。やっと一家三人の生活が始まり、決して豊かではないものの普通の生活が始まりました。それも束の間で5年ほど経った頃、父の勤める会社の工場が閉鎖となり東京へ転勤となりました。ここまではまあ我家の最も平和な時期でした。また父が労働争議時に労使双方の板挟みになったトラウマを引きずって重度の鬱病になり長期入院、退職までにはなりませんでしたが収入の道は断たれ母は和裁学校の教師と家庭教師の掛け持ちで何とか糊口を凌いでいました。もちろんテレビなんて夢のまた夢、そのうち父が人員整理に引っかかって解雇され再び故郷へ帰りました。そこで小さな家電商を始めましたが家計は火の車で母の仕立物で生活が成り立っていました。私も何とかその地方の名門と言われる公立高校を経て地方の国立大学を卒業しさる有名企業を退職して現在に至ります。私の存在が母の生甲斐だったと言えますが、母が亡くなったとき大して悲しくもなく涙も出ませんでした。友人が亡くなったときでさえ、ベッドの中で男泣きしたのにです。人は私を評して人情家で義理人情に厚いと言ってくれますが、何故母に対してこれほど非情なのか自分でも理解できません。飛んだ貧乏自慢のお目汚しでした。

    ユーザーID:1843409915

  • 少し分かります

    トピ主より少し若い世代ですが、おっしゃる事分かります。
    当時は9割以上が貧乏だった時代ですよね。ご両親のご苦労はあったと思いますが
    子供の世界では貧乏人の子供も少し裕福な家の子も、大して変わらず
    一緒に真っ黒になって遊んでいた記憶があります。私は地方都市の産まれ
    でしたので、家の前の道路も舗装されていない砂利道で、雨が降ったらドロドロ
    で、良い事なんか思い出せないのに、とてもとても懐かしく愛おしく
    思い出されます。
    たぶん、母達には母達の子供の頃の光景が懐かしく、私達には私達の...と
    いうような感じなのでしょうね。
    以前、母と一緒にカンボジアへ旅したとき
    裸足で駆け回っている痩せこけた子供達を見て、母は自分の子供の頃を
    思い出したようでした。
    ノスタルジーってこういうものなんでしょうかね。

    ユーザーID:3402260412

  • 幸せの記憶

     楽しかったことだけを思い出せる昔。
     祖父母と両親と兄弟がいて、楽しかった記憶。

     良いですね。良かったことを思い出して、幸せに浸ってください。

     幸せな気持ちは伝染します。幸せな人が増えると、いいと思います。

     

    ユーザーID:2102139519

  • ふる里は‥…‥。

    今は遠い、『ふる里の風景‥』…。竹藪、蛍の川、遊んだ錆びた滑り台、小学校の
    24~5年ぶりに生まれ故郷に住むことに、
    懐かしの故郷はすっかり変わって…
    昭和40年代、親戚の縁側が、大好きで。その近くの川べりに1本、桑の実が、懐かしい。曲がりくねった田圃や畠や畦道。田圃一面、蓮華の花。
    昭和50年代、碁盤目に耕地整理された。朝、3~40cmの積雪くらい平気で、自転車で学校へ。午後には雪解けしているから。
    平成、バイパスが出来、整備され過ぎ!実家への帰り道に悩み…
    平成 半ば、橋の位置を換えられ、橋を渡り切ると、違った街並みに、息子は迷子。
    向こうに見える、山の位置だけが変わらない。
    ドーナツ減少?本通りが寂れ、周りのバイパスに、大手チェーン店の展開。
    病院は、何故?山の中腹に。
    ドクターヘリは完備。
    田圃に鸛を見た‥…ちょっと、感動。
    日本海の肉厚干しカレイ。ハウス苺、新鮮な野菜は品種改良。
    待っていた父も亡くなり10年。
    目を細め、笑い、「美味しいなぁ」の、『柔らかめの小さな、イカナゴ』炊けない
    『寒さ』『暑さ』は、半端ない!やっぱり『ふる里』。
    時代に慣れなくちゃ‥…

    ユーザーID:3146140483

  • 私も・・。

    50代半ばの女性です。

    ふと昔のことを思うと泣きたくなるのです。
    辛かったのか、やり直したいと思う気持ちか、懐かしさか、
    なんだかよくわからない気持ちです。
    泣きたくて悲しい気持ちになります。

    自分が赤ちゃんだったころの写真を見た時も泣いてしまいました。

    なんなんでしょう。年を取るとこういう思いが出てくるのでしょうか?

    ユーザーID:0677747695

  • わかりますよ。

    私も同じです。北海道で生まれ育ちました。

    「北の国から」の純と蛍のような子供時代でした。

    畑で採れた野菜ばかり食べていました。お陰でガリガリ。

    破れた家の壁の隙間から、吹雪が吹き込み、

    部屋の隅に雪が積もっていたのを覚えています。

    東北の親戚が送ってくれる林檎(木箱・もみ殻)が冬の唯一のおやつ。

    私のランドセルは、父が質流れで見つけて来た中古品でした。


    大人になって、好きに使えるお金が手元にあり、

    何不自由ない暮らしをしても、なぜか小さい頃、

    兄と畑を走り回っていた思い出が、無性に懐かしいです。

    ユーザーID:5419993403

  • 貧乏でも親の愛で幸せだった

    素敵な思い出じゃないですか。
    トピさん、どんなに貧しくても親の愛に守られていたからずっとお幸せだったのですよ

    子供時代は現実を肌で感じていても、言葉には出せないものです。
    でもトピさんは親の愛に守られていたから貧乏でも無邪気に過ごせたのですよ
    愛情ってすばらしいですね。
    しかも大学まで出してもらったのでしょう
    本当に素晴らしい宝物ですよ。

    私も貧乏でした。いつも母から往復ビンタ。
    進学もあきらめました。
    だから子供時代を思いだすと涙があふれるので思いださないようにしています。
    子供の時、小学校3年生ごろかな。
    母に部屋のすみに追い詰められて私は必死で両方の腕で自分の顔を守りました。でもビンタ。辛かった。絶望というものを知った年です。

    あれからもう何十年ですかね
    結婚して震災もあって母も老いて、時間の流れは重いです。
    今何事もなかったように母に接しています。
    私の子供には母は好々婆になっています。

    今の幸せを考えて過去を振り返らない努力をしている私にとってみたら
    トピさんの素晴らしい思い出が羨ましく感じます。

    私もトピさんもフィールドは違いますが
    これからもお互いに頑張って生きて行きましょう

    ユーザーID:5799961544

  • そうそう

    あの頃は貧乏も恥ずかしくなかった、というより我が家が貧乏だったかもわからない。田舎だったからとにかく毎日が楽しかった。

    ユーザーID:4250126083

  • 漫画「三丁目の夕日 夕焼けの詩」6巻

    トピ主さんの文章、わかりやすくて
    情景が浮かびます。
    3回も読んでしまった。


    西岸良平さんの描く昭和30年代漫画

    「夕やけの詩 6巻」に

    「パパはお金持ち」

    というお話が
    あるのをご存知でしょうか。

    トピ主さんのお話と似ています。

    ミカちゃんというお嬢様は
    パパの会社が倒産した事により
    豪邸を差し押さえられ引っ越し。

    最初は 貧しい暮らしに
    ミカちゃんがパパを罵ったり
    失望したけれど、夕日町に
    引っ越してからミカちゃんに変化、
    優しくなって幸せそう。

    トピ主さんも、その頃を
    思い出してなんとも言えない
    切なさがあるのでしょうか…

    漫画をご存知だったらすみません。

    ユーザーID:6622222653

  • 羨ましい

    30代女性です。
    ちょうど、両親が60代で、同じ時代を生きていたと思います。
    私の両親は貧乏でした、特に父親の方が。
    父は、産まれてから一代で財を成すまで、ずっと貧乏でした。

    会社の倉庫になっていた4畳半一間で暮らし、母親も昼夜関係なく働いたため、家事はすべて自分がやり、食べ物がない時は小麦粉を溶かしたものを飲んでいたそうです。
    小学生の頃、貧しさに耐えかねた母親に連れられて、橋の上から一緒に自殺しようと言われ、自分が引きとめたと言っていました。
    貧しくて服も買えず、みすぼらしかったので、ずっといじめられていたそうです。

    私の父は当時を思い出したくないそうです。
    私も、両親には当時の辛い記憶を思い出して欲しくないと思っています。

    トピ主様は、今でも当時のきれいな夕陽を覚えていらっしゃるとのこと、幸せですね。
    貧しくとも幸せだった記憶、恋しい記憶、そのまま大切にされたら良いと思います。
    私の父にも、もっと幸せな家庭で育って欲しかったと思いました。

    ユーザーID:1842201757

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