日本の名著

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tora

最近、桑原武夫編『日本の名著 近代の思想』(中公新書、1962年初版)を読んで感じたのだが、新渡戸稲造著『武士道』が含まれていない。

なぜなんだろうか?

選定条件は、明治から第二次世界大戦終戦前までに出版された、文学を除く、哲学、政治経済、社会、歴史、文学論、科学に限るとなっている。

『武士道』は上記の条件を満たしているので、選定されてもおかしくないと思う。

50年以上前に出版されているので、編者、執筆者はすでにこの世にいないと思われるが、理由がわかる方がいらっしゃたら、教えてください。

推定でもいいです。

ユーザーID:5931244926

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このトピックはレスの投稿受け付けを終了しました
  • 理由を考えてみました。

    私も新渡戸稲造さんはもっと評価されていいと思います。

    桑原武夫編『日本の名著 近代の思想』(中公新書、1962年初版)は
    読んでいませんが理由を考えてみました。


    確か「武士道」は原書は英語で書かれたものでしたよね?
    私の記憶違いかなぁ?
    訳されているので「日本の名著」ってカテゴリーではなく
    「外国の出版物」ってカテゴリーなのでは?

    「日本の名著近代の思想」を読んでいないので
    外国語で書かれたものを訳したものがあるというのであれば
    お門違いでスミマセン。

    オノ・ヨーコの出版物みたいな感じ・・・。
    (わかりにくい(笑))

    ユーザーID:7732068988

  • 致命的欠陥

    桑原氏がどういう理由で選ばなかったのかはわかりません。

    しかし、『武士道』に致命的欠陥があるのは明らかです。

    それは、江戸時代の日本人の9割を占める農民を軽視して、1割前後の武士層の倫理感をあたかも日本人全体の倫

    理観のようにろんじた点です。(『武士道』では付け焼刃のように、歌舞伎などを通じて武士層の倫理が農商工

    層にも伝播したと書かれていますが、そのような程度で国を支えるほどの倫理が形成されるわけはない。)

    なので『武士道』は日本人の倫理観を論じた本としては論外だと思います。(江戸期武士層の倫理観を論じた本

    としてならば評価する余地はあるかもしれない。)

    ユーザーID:1040827365

  • 外国人向けの英語本だからでは?

    元々「武士道」は新渡戸稲造が外国人向けに英語で書いて海外で出版したものです。

    日本人が読むために書いたものではなく、日本の近代思想の形成に貢献した本でもないので「日本の名著」に含めなかったのではないでしょうか。

    ユーザーID:2545738490

  • アメリカで出版された英語の本だから、

    「日本の」名著ではないという判定では?

    もともと「外国向けのパンフレット」ですからね。

    ユーザーID:1810605013

  • 推測でいいのなら

    その著者が『武士道』を知らないだけじゃ?

    人のランク付けなんか参考程度か自分が知らないものと出会うための情報なだけで、
    自分が名著だと思えばそれでよくないっすかね?

    ユーザーID:6908543921

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  • 多分ですが

    その「日本の名著」は明治以降の作品は「原著」です。
    すなわち元々の本の内容どおりです。

    さて新渡戸稲造の「武士道」はどうか。
    原文は英語です。アメリカ人の妻にわかりやすいように書かれているからです。発売もアメリカが先です。
    本書は厳密には逆輸入作品なんですね。ですので、日本人が書いたにも関わらず、英語版から遅れること8年後に第三者による訳(津田塾創設者の一人である櫻井 鴎村)によって日本で翻訳版が発売されたんです。

    ですので「日本の名著」とは言えない、ということで除かれたんでしょう。

    ユーザーID:4680734180

  • 「日本の」ですかねえ

    英語で書かれてアメリカで刊行された書物を、
    「日本の」名著に入れるべきかどうか?
    とちょっと思いますが。
    翻訳者は新渡戸稲造じゃないし。

    まあ編者の考えは分かりませんがね。

    ユーザーID:5699508293

  • てか桑原武夫知らんのやね

    いや別に誰を知ってて誰を知らんでもええんですが、
    トピ主

    >編者、執筆者はすでにこの世にいないと思われるが

    からすると、
    桑原武夫知らんのやねえ。
    「思われる」ってこた、「知らんぞよ」ってことだし。
    あと多分、「知らなかったんだろ」ってレスつけた人も、知らんのやねえ。

    「第二芸術論」は高校の文学史でやったし、
    なんか高校の現国の問題集やら模試やら入試過去問の問題文として、
    結構お目に掛かりましたがなあ私ら。「またあなたですか」みたいな。

    去年、京大図書館が、遺族から寄付されてた桑原武夫蔵書一万冊を捨ててたって、
    結構大きいニュースになってたけどな。

    まあ別になんでもいいんすが。

    ユーザーID:5699508293

  • ご意見ありがとうございます。

    確かに原著は英語ですが、言語の指定はありません。

    「まえがき」では、「外国の文献の要約、紹介は、当時重視されたものであっても採用しなかった」と書かれております。

    厳密に解釈すれば「原著」であり、「(西洋人の)文献の要約、紹介」ではありません。

    確かに、日本の一般の読者を対象にしておりませんが、当時の専門家や知識人は、語学能力が高いので、原著で読むことに関しては問題がなかったと思います。

    このような書籍の多くは、日本語で書かれたとしても、一般に広く読まれるものではありません。

    他の著者の作品でも、生前に発表されなかったものや、発表されても一部の専門家にしか読まれず、広く膾炙されているとは言い難いものもあります。

    内容の良し悪しは別として、日本人が、日本人の意思で、日本人の精神構造を研究して、西洋人に対して発表した、という視点で考えると、当時としては画期的なことだったと思います。

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • ガレット様へ

    桑原武夫、全く知りません。

    ググってみたらもう亡くなられてることは分かりました。

    著書も一冊もピンときません。写真を見ても誰コレ?状態。
    ごんぎつねとかスイミーとか、国語でも話の内容が良かったものはいろいろ覚えていますが、そうでもなければ、内容はおろか、著者なんてもっと記憶の彼方です。
    日本史の問題で出るようなのはなんとか覚えてますが。

    私が理系だからか知りませんが、桑原武夫を知らなくて困ったことは一度たりともありません。(興味すらありません。)

    仮に、知ってたとしても、やっぱり私には、桑原武夫が武士論を知ってたかどうかは分かりません。

    自分がたくさん目にしたからって人も同じだとは思わない方がいいですよ。

    ユーザーID:6908543921

  • ガレットさんへ

    編者は、桑原さんですが、選者、執筆者は何十人もおります。

    ですから、当時を知っている、すべての選者、執筆者を把握できないので、「編者、執筆者はすでにこの世にいないと思われるが、」と表現しました。

    初版から55年、たとえば当時40歳の選者、執筆者も現在は95歳以上です。

    ユーザーID:3287881034

  • トピ主さんのレスを読みました

    「武士道」の内容は出版された当時の日本人(元々の武士も含め、上流階級とか知識階級?)なら、本を読まなくても、「武士道が何なのか」は当然のように知っていたと思います。

    『日本の名著 近代の思想』には「わたしたちは明治から1945年までの日本人の思想的苦闘のことを、どれだけ知っているであろうか。」とあるので、江戸時代とは異なった新しい思想を生み出す過程を(我々が)知るための本を集めたのだと思います。

    新渡戸稲造は「武士道」を自分の妻や外国人に理解できるように書き方を「苦闘した」と思いますが、武士道を元にして明治以降の新しい思想を打ち出したものではないので、省いたのだと思います。

    逆に、掲載されている「学問のススメ」は「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」との画期的な思想を多くの国民に広めたと思います。


    余談ですが、中央公論社から別途「日本の名著」全50巻が日本書紀から柳田国男まで刊行されています。

    その50巻にも「武士道」は含まれていません。手元にある奈良本辰也訳「武士道」の解説に、

    私(奈良本氏)は私の問題として、この武士道について考えをまとめなければならないと思い出した。全集「日本の名著」(全50巻)のなかで、自分から申し出て「葉隠」を選ぶ気持ちになったのはそのためだった。

    とあり、「武士道」と「葉隠」の両方を読んでいる奈良本氏が、明治期の「武士道」ではなく、わざわざ江戸時代の「葉隠」のほうを名著として選んでいるのは、鍋島藩で実際の武士への教育書として使われた実績もあるからだと思います。

    ユーザーID:2545738490

  • ヨコですが、京大図書館の名誉のために

    ガレットさんへ

    >>去年、京大図書館が、遺族から寄付されてた桑原武夫蔵書一万冊を捨ててたって、結構大きいニュースになってたけどな。

    京大図書館ではありません。京都市立図書館です。
    もちろん桑原蔵書は京大図書館にも寄贈されましたが、それらとは別に市民向けの本(しかし、絶版本とか貴重な書もあり)が京都市立図書館に寄贈されました。

    ユーザーID:2998773709

  • ガレットさんへ感謝

    桑原さんの遺族の京都への寄贈は「1万冊」でしたね。

    去年、私が別のトピックでにレスした際、「10万冊」と誤った情報を流しました。

    トピ主:ハイホーさん:「どんな本を読んでいらっしゃいますか?」(2017.8.13)
    私のレス:「失礼、計算間違いです。」(2017.9.25)

    改めて確認すると、ガレットさんが書かれたとおり、「1万冊」でした。

    最近よく記憶間違いをします。年齢のせいでしょうか。

    このトピックの前回のレス(2018.1.30)でも、選者、執筆者は「何十人」と書きましたが、実際は「十何人」でした。改めて訂正します。

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • 武士道って近代の思想ですか?

     質問ですみません。

     近代って、明治以降の話ですよね?
     武士って、明治以前の話だと思うのです。近代の思想として、武士道が取り上げられるのは違和感があるのですが。

     近代の定義の問題ではないでしょうか。

    ユーザーID:0615259483

  • 好み、とかいう問題じゃない

    好みは人それぞれさんよ。

    自分が知らないからというだけでよその分野を侮ってはいけないよ。
    いろんな学問の分野があるけれどそれぞれに「この人は常識的に知っている」という(世間的にはマイナーな?)人物がいるよ。

    まあ、別分野がその人を知らないからって人生で別に困らないだろうけどさ、「知らない」って言われたら「ああ、その分野には疎いひとなんだな」って思うだけです。
    だけど、自分が知らないからその人は大した人ではないと言いたいような態度や好みはそれぞれだって言い出すのは恥ずかしいよ。

    悔しい気持ちが根底にあるからかもだけど知らない世界は謙虚に知ろうとしたほうが世界広がるよ。

    ユーザーID:0675108002

  • 好みに合わなかったのだろう

    >推定でもいいです。

    選者の判断に不満があるひとはたぶんたくさんいるでしょう。
    そういう人は、自分が新しく『日本の名著』を書くといい。その売れ行きによって、主張が世に受け入れられるかどうかがわかるでしょう。

    ユーザーID:0584937173

  • 『余は如何にして基督信徒となりし乎』があるから

    出版社の紹介によれば、本書は、
    「…できるだけ幅ひろく、福沢諭吉から丸山真男まで五十の名著を紹介する」
    とのことです。
    たしかに、トピ主さんの書かれているように、哲学、政治経済、社会、歴史、文学論、科学の各分野にわたり、年代も明治初年から終戦まで偏りのないように選ばれているようです。
    膨大な数の本の中からわずか50冊を選んだのに、そのうちの2冊が似通っていたら、編集者の趣味が色濃く出ていると批判されそうですから、これは妥当な方針だと思います。

    トピ主さんが、『武士道』が含まれていないのはなぜか、とおっしゃるのは、婉曲に、50冊の中に『武士道』より劣る本がある、とおっしゃっているようにも思えますが、桑原武夫は、いわば「お互いにどちらが名著か比較しようのない50冊」を選んだのだと思います。
    例えば、『武士道』と『日本の数学』のどちらがより名著かという比較はナンセンスです。

    ところが、『武士道』には、運悪く、内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』という比較対象が存在した。
    どちらも原文は英語ですし、内容的にも通底するところがあります。
    しかも、内村と新渡戸は札幌農学校の同期です。

    『武士道』はあまりにも有名な本ですから、50冊の候補として俎上に載らなかったはずはないでしょうが、『余は…』がある以上、採用するわけにはいかなかった、ということだと思います。
    『余は…』がなければ50冊の中に入っていた可能性はあると思います。

    ユーザーID:3331591686

  • トピ主です。レスありがとうございます。

    まず。新渡戸博士著『武士道』は、指南書ではなく、学術的研究論文、または解説論文に属するものと思います。

    もともとの疑問は、博士がドイツ留学中に、ベルギー人の学者に会った際、「日本では徳育をどのようにされているのか?」という質問があり、そのときに答えられなかったのが、元になっております。

    『武士道』は、博士がその後に『商人道』や『平民道』に発展する起点になっていると思います。

    中公新書の『日本の名著』は明治以降に発表された著書が条件になっておりますので、全集とは選定条件が異なります。また、著書の内容は、明治以前の時代をテーマにした研究もあります。
    ・北村透谷『徳川氏時代の平民的理想』
    ・南方熊楠『十二支考』
    ・津田左右吉『文学に現われたる国民思想の研究』
    ・折口信夫『古代研究』
    ・柳田国男『祖先の話』など。

    また、原文が英語なのは、
    ・岡倉天心『東洋の理想』(原著は1903年英国で出版、邦訳は没後十数年後)。

    『武士道』の原著の出版は1899年米国、1年後の1900年には英文ですが日本でも出版されております。また改訂版が1905年に出版されましたが、日米同年に出版されているようです。

    福沢諭吉とはいかないまでも、当時はかなりの影響力があったと思います。
    現在もあります。

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • 誤解を招いているようなので

    > へ様

    よその分野を侮ってなどいません。
    桑原武夫氏を大したことないとも言っていません。

    「(有名なのに)知らんのやね」と言われたので、そんなに有名なの?自分もひょっとしたら著者名を知らなかっただけで、著書は知っているかもしれないと調べた結果、やっぱり知らない。

    自分が知っているからって、人も知っていて当たり前と思わない方がよいと言っています。

    >好みは人それぞれ

    元々、トピ主様は、「推測でもよい」と言ってくれており、
    桑原武夫を知らない、編者が何人もいたと知らない私は、

    ・桑原武夫がそもそも『武士道』を知らなかったのではないか(世の中には膨大な数の本があるので)
    ・選定のタイミングでは、知らなかったのではないか
    ・知ってはいたけど、選定の時に、挙げる程の内容ではなかった
    (桑原武夫がこれは名著だ、と思う(思い出す)程のものではなかった)
    と予想しました。

    だから、人の選定基準に左右されず、(人のランキングは参考程度で)自分が良いと思った本が良いと思えばよいのでは?
    と言い、好みはひとそれぞれと名乗っています。

    ユーザーID:6908543921

  • 「日本人の思想的苦闘」の意味は?

    前のレスにも書きましたが、

    >わたしたちは明治から1945年までの日本人の思想的苦闘のことを、どれだけ知っているであろうか。

    「日本の名著 近代の思想」にあるこの序文?は何を意味するのでしょうか。

    私は「日本人が『近代の思想』を形成してきた過程(書籍)を示そうとした」と解釈し、それに貢献した書籍を選んだのだと思いました。

    >『武士道』は、博士がその後に『商人道』や『平民道』に発展する起点になっていると思います。

    『商人道』や『平民道』を日本人(識者など)が読んで、日本の近代思想を形成するのに一役買った書籍なのでしょうか?。

    検索すると、『平民道』は日本語で書かれ、「平民道=民本思想=デモクラシー」を主張したそうですが、それならば『平民道』のほうが『武士道』よりもはるかに日本の近代思想形成に貢献しているような気がします。

    起点になった書籍ではなく、実際に貢献した書籍が選ばれているのではないでしょうか。

    また、下記の本は読んだことがないのでわからないのですが。
    「明治以前のテーマ」であっても、それを土台にして、新しい思想を生み出す原動力になったり、近代思想の形成に貢献した書籍ではないかと推察されますが、間違っているのでしょうか?。

    ・北村透谷『徳川氏時代の平民的理想』
    ・南方熊楠『十二支考』
    ・津田左右吉『文学に現われたる国民思想の研究』
    ・折口信夫『古代研究』
    ・柳田国男『祖先の話』など。

    ※「武士道」は学術的研究論文、または解説論文であるにしても、この書籍の中で日本の新しい思想を生み出している(あるいはそれを読んだ人の多くが新しい近代の思想を生み出していった)書籍ではないように思います。

    ユーザーID:2545738490

  • 前提に無理があるのでは

    『日本の名著』の前段に「●なぜこの五〇の本を読まねばならぬか」が書かれております。その中で、次のような記述があります。
    「わたしたちの祖父母たちは、急いで西洋に追いつくために、外国の新しい文物を次から次へととりこむことに熱心すぎて、とりこまれるものが日本の土壌でいかに成長、開花するかに注意をはらわなかった。眼に見える物質的生産には注目したであろうが、それをみちびくべき眼に見えなぬ思想的生産には無関心であった。かれらは思想的根なし草になる危険をおかしつつ、ひたすらに前進したのである。」

    そんなことはありません。新渡戸がその代表です。ですから、この前提には無理があります。

    新渡戸は、実学を重んじた農学者です。
    明治維新前後(1860年代)に生まれた、新渡戸、内村、岡倉、漱石、熊楠たちは、幼少のころから西洋式の教育を受けた文明開化の一期生ともいえます。
    しかし、内村は後年は宗教、岡倉は美術、漱石は文学、熊楠は生物学、民俗学に閉じこもります。
    最後まで、生産や国の富強に携わったのは新渡戸のみです。行政官として、教育者として国の政策にかかわってきました。

    新渡戸の考え方は、英米風の個人主義や、実学による開拓精神が元になっております。ですから、急激な改革である、フランス革命や、ロシア革命には批判的でした。また軍閥にも批判的でしたし、そのことについても発言しております。

    新渡戸を含めると、前提条件が崩れるので、あえてはずしたのではないでしょうか。

    それと、編者の好みもあったと思います。新渡戸はフランス流が嫌いだったようです。つぎのような言葉を残しております。
    「政治なりあるいは一般の学問については、仏蘭西のインフルエンスというものは割合少なかった。」

    フランス文学者の桑原氏からみると、面白くなかったのではないでしょうか。これは、私の憶測です。

    ユーザーID:3287881034

  • チョン夫さんへ

    「苦闘」「苦闘」と連呼しておりますが、青白い顔をして、机上で頭を掻きむしって悶々としているのだけが、「苦闘」だとは思いません。

    手元に新渡戸博士の著書がすべてそろっているわけでないので、十分な説明ができないのでご容赦願います。

    「商人道」や「平民道」は博士が晩年に書かれた随筆や講演がもとになっております。『内観外望』『西洋の事情と思想』は、早稲田大学での連続講演をもとにしております。さらに広く日本国民に訴えるためにまとめたものです。ですから、知識者向けではありません。反響は大きく出版一か月で八版を重ねたと解説に書かれております。

    昭和4年に「新自由主義」と題して講演をしております。その冒頭で次のように述べております。

    「私はずいぶん長く生きているが、今日のように、行詰った、暗黒な、日本を見たことがない。いやしくも国を憂うるものは、政治家といはず、学者といわず、どういう心がけをもってこの時運に直面すべきか。この点を十分に考えたいと思うのである。」

    以上は、教文館発行の『新渡戸稲造全集』のどこかに書かれております。ご自分でお探しになってください。

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • 『武士道』の学術的意義

    前にも書いたとおり、『武士道』は学術的研究書であり、西洋的研究手段(方法)を取り入れて、日本人の精神構造を分析、分類し、その構造の体系化を試みたものです。欧米人による研究書はいろいろ出ておりますが、当時、日本人がこのような分析を行ったものは少ないと思います。新渡戸は「被告の立場から」と表現しております。

    新渡戸が、「武士道」の行き着いた結論は、「恥の文化」ということです。
    日本人の行動規範の基本原理は、「恥をかかない」ということです。
    恥とは、世間(外部)の判断基準です。

    福田こうへいさんのヒット曲に『峠越え』があります。
    その出だしは次のようになっております。
    「先に出すぎりゃ世間がたたく、遅れて歩けば笑われる」

    「笑う」のは「世間」です。だから日本人はいつも周りを気にするのです。

    内田樹さんの『日本辺境論』でも、価値あるものは外(外部)から来ている。そのため、自分たち内部で判断基準を持つことができない。
    つまり、日本人は文明の世界標準(グローバルスタンダード)になること、作ることできない、といっているのです。これが、現在の日本の閉塞感を生んでいる源でもあります。
    でも、「これは日本人の性格だから仕方がない」と諦めては、困るのです。

    これと同じことは、昭和の初めにも同じことがいえた。新渡戸はそれを打開するためには、「人は人、我は我」という独立心を持つ必要性を述べております。判断基準を自分が持つということです。
    さらに、慶応義塾で「道は何処にありや」と題して講演し、アメリカ式の改革を推奨しております。。
    「さて道は何処にありや。(中略)アメリカ式の学問とは空理空論の徒に高遠なるものを研究せず、プラクチカルな、実際社会に役立つところの実用的な道、即新しい道を開拓して行く事である。」(「新渡戸稲造論集」、岩波文庫)

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • トピ主さんの2月7日16:12のレスを拝見しました

    岩波文庫の中江兆民『三酔人経綸問答』は、1965年初版ですが、桑原武夫(と島田虔次)が3年かけて現代語訳したものです。
    つまり、『日本の名著』を編集した後、すぐに取り掛かった本です。

    本書の解説を読めば、桑原武夫が、(少なくとも)中江兆民、幸徳秋水、北一輝、内村鑑三、矢内原忠雄、河上肇についてどう考えているかは分かります。
    (もちろん、この桑原の考えについて、賛成・反対いろいろあるでしょうが。)

    私も『日本の名著』の前段を立ち読みしてみましたが、あの抽象的な文章から桑原の具体的な考えを読み取ろうとするのは無理があります。
    ましてや、50冊の中に入っていない新渡戸についてどう考えているかなど、分かるはずがないと思います。

    ユーザーID:3331591686

  • 意見がかみ合っていないようです

    「近代の思想」というタイトルなので、近代の思想をどうやって作っていったのかということだろうと、解釈しています。

    「平民道」のネット書き込みを見るとたしかに近代の思想を打ち立てていると思います。

    でも、「武士道」は近代の思想を打ち立てた書籍とは(私は)思いません。

    新渡戸稲造博士はいろいろと近代の思想を唱えたと思いますが、「日本の名著 近代の思想」は近代の思想を唱えた「人」を集めたのではなく、近代の思想を唱えた「書籍」を集めています。

    なので「『武士道』が含まれないないのはなぜでしょう」と問われるトピ主さんの疑問に対し、

    「武士道」は近代の思想を打ち立てた書籍とは(私は)思いません。だから含まれてないのでしょう。と述べている次第です。

    どうでしょうか。

    ユーザーID:2545738490

  • 「武士道」という言葉を日本語として定着させたこと。

    新渡戸自身、「武士」または「士道」ということばはあったが、「武士道」ということばは、当時はほとんど使われなかった、と書いてあります。
    そこで、日日新聞の記者が、古い文献を知らべて、使用例を探し出したそうです。

    「武士道」に類似する書籍は、「葉隠」など一部の地域で使用されていたが、一般的でなかった。いわゆる潜在的な知識(暗黙知)を、文書化して、誰でも読めば分かる形(形式知)として残したことです。

    それと「武士道」は「大和魂」の元になっている、との新渡戸の指摘です。

    『武士道』が発刊されてから、「武士道」という言葉が、世界でも、日本でも認識され、定着しました。これは日本の思想史上でも、大きな功績のひとつでないでしょうか?

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • 最後に、『武士道』は、完結していない

    『武士道』は、読者への問いかけで終わっております。

    第十六章「武士道はなお生くるか」で、新渡戸は次のように問いかけております。

    「我が国において駸々(しんしん)として進みつつある西洋文明は、すでに古来の訓練のあらゆる痕跡を拭い去ったであろうか。」(矢内原忠雄訳、岩波文庫)

    これは、現代の日本人にも突きつけた「問」です。

    第十七章「武士道の将来」では、新渡戸の出した「答」が述べられております。

    現代の日本人は、新渡戸の「問」に対して、どのような「答」を持っているでしょうか?

    皆さん一人ひとりが、「答」を考えるのも面白いと思います。

    ユーザーID:5931244926

  • トピ主のコメント(14件)全て見る
  • 素人考えですが

    素人があれこれ言って申し訳ございません。

    「武士道」と言う言葉が普及したことで、祖父母や親や我々の思想のどういった部分が江戸時代の思想から「近代の思想」に変わったのでしょうか?。

    「大和魂」を育てたのが「武士道」という書籍や言葉なのでしょうか。軍隊や学校で「武士道」を配って軍事教練の一環として教育に用いられたのでしょうか?。

    初歩中の初歩の例しか知りませんが、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という平等思想は江戸時代からみると画期的ですが、今では一般常識になっていると思います。

    柳田国男の民俗学も(始めは受け入れられなかったとも聞きますが)私達の心の中に通じているモノがあると思います。

    他の書籍についてはわかりませんが、多かれ少なかれ、近代日本人の行動や思想の基本になっていることが記載されていると推測しています。

    「武士道精神」は今も我々の心に流れていると思いますが、「武士道」という言葉自体が我々の思想の一部を「形成している」とは思いません。

    私は昔から「culture→文化」「civilization→文明」などの造語をどうやって作ったのか不思議に思い、誰が作ったのか知りませんが、作った人を尊敬しています。

    「武士道」という言葉を作り定着したことも大きな功績ですが、「文化」「文明」のような言葉も同等かそれ以上の功績があると思います。(推薦する書籍はありませんが)

    「武士道」を「日本の名著」に含めるためには「『武士道』で述べている○○の新しい思想が近代の日本人の思想に大きな影響を与えている」という○○の部分が必要であると思います。さらに言えば、それは現在の我々も心で実感できる内容ではないでしょうか。

    まぁ、これは私が「編者の桑原武夫氏の選定基準もこうだろう」と勝手に推測しているだけであり、まったく別の理由で選定から外したのかもしれませんが。

    ユーザーID:2545738490

  • 心の中に通じるモノ

    >「『武士道』で述べている○○の新しい思想が近代の日本人の思想に大きな影響を与えている」

    「丸丸の新しい思想」ではありません。

    桑原さんも「丸丸の新しい思想で選定した」と書いておりません。

    『武士道』は「日本人の心の中に通じるモノ(根底に流れている思考)」の再確認です。

    最後の章で「武士道は一つの独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。」(岩波文庫より)と述べております。

    また、第十六章では、武士道精神の欠点短所も書いております。
    「他方、我が国民の欠点短所に対しても武士道が大いに責任あることを承認するは公平である。我が国民が深遠なる哲学を欠くことの原因は(中略)武士道の教育制度において形而上学の訓練を閑却せしことに求められる。我が国民の感情に過ぎ、事に激しやすき性質に対しては、我々の名誉感に責任がある。」(岩波文庫より)

    これは、桑原さんも同じことを述べております。
    「眼に見えない思想的生産には無関心であった。かれらは思想的根無し草になる危険をおかしつつ、ひたすら前進したのである。」

    同じ明治維新後に育った、新渡戸博士と桑原さんでも、そのバックボーンは異なります。
    新渡戸博士は、文明開化が始まった時から、幼少並びに青春時代を迎えます。江戸末期の思想(武士道精神)を抱えた人たちが、その時代を作り、日本を軍事強国に押し上げます。

    桑原さんが生まれたのは1904年、日露戦争が始まった年です。つまり、日本が軍事的には強国となった後で、幼少並びに青春時代を迎えます。そして敗戦、再復興を経験します。桑原さんから見ると、新渡戸博士は祖父の時代の人です。新渡戸博士の「直前の過去」とは幕末であり、明治時代ではありません。
    その人たちが、日本を近代国家にしたのです。

    ユーザーID:5931244926

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